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最近スランプに陥っています。 思考力が働かない、集中力が持続しない、何事においてもやる気が起きない・・・ 極論するとこんな症状なのですが、頭が今までのように働かないのはもはや病気?老化? そのおかげで気分も落ち込みがちです。とにかく長い文章が書けない。理路整然とした文章や、筋道立てした説明資料が作れない。これってかなり落ち込みます。 書きたいことや説明しなければならないことはあるのですが、それを文章に起こすとか、説明すべき事柄を資料にまとめられない。仕事なんてこの連続なわけで、毎日脂汗流しながら、心臓バクバクさせながら形にならない思考を無理やり吐き出してはため息をついています。本当なら3.11の震災後に自分がどう行動したのかを、子供たちやその子供たち(自分の孫)そして子孫にも分かるように文章にして残しておきたい。あの時どんな気持ちで、どう行動したのか?自分が得られた情報はこういったもので、それでこう判断したからこういった行動を取った・・・ 地震の被害の大きさ、ライフラインが断たれたときの行動、家族の食料や子供のミルク、飲料水を求めて自転車で走り回ったこと、その途中で会った見ず知らずの人を励ましたこと・・・ 自分という一個人がどう考え、どう行動したのかを子孫に残すこと、それが教訓となるのか?それとも美談になるのかは別として、この時代に生きた先祖がこういうときはこう動いたという事実を残したいと思っているのですが。どうしてそんなことを思うのかといえば、やはり今年なくなった私の母の影響が大きいでしょうね。 私にとってはあまりにも大きな存在だった、こんなにあっけなくこの世からいなくなるとは思ってもいませんでしたから、時間が少しずつ過ぎる毎に振り返ってその偉大さをかみ締めるとともに、その母の残したもの(形あるものだけではなく形のないもの)を私の子供たちに残してあげたい、同じように自分自身の存在を後世まで残すには言葉を綴るのが一番のような気がするのです。四十数年間生きてきて、今まではどちらかといえば生まれて何年という感覚が中心で生きてきましたが、今年は母の死をきっかけに、自分の人生は残り何年、それをどう締めくくっていくのかというライフプランを考えなければならないことに気づかされました。 あと何年で会社が定年になり、定年後に何をするか?なんて漫然とした老後を考えるのではなく、うまく生きれてあと30年、その30年の間に何をして、最後はどうなって子供たちに繋いでいくのか?老後ではなく死後を見据えた人生設計とでもいうのでしょうかね。車を選ぶにしても、残りあと何回買い換えられるのか? 自分の体が効くうちにしか好きな車に乗れないと思うと、次に選ぶのは自分にとって大事な1台になるかもしれないという不安、 身の回り(家の週辺)を見渡して、昔から片付けなければと思っている場所をいつ整理するのか? このままずるずると放置しておくわけにはいかないという焦り。家庭のこと、仕事のこと、どちらもこんな感じで閉塞感に悩まされています。とにかく頭が休眠状態(老化?)でままなりません。
2013.10.09
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昨晩の台風17号は福島県を通過し、幸いにも大きな被害をもたらすことなく過ぎたようで、今朝は朝から少し残った雲と鮮やかな光が差しています。不思議なことに福島市は台風が接近しても大きな被害を受けないんですよねぇ。むしろ台風から変わった温帯低気圧によって長時間雨が降るほうが河川の増水を引き起こして周辺に冠水被害を出すほうが多いですね。さて・・・土曜日の幼稚園の運動会を眺めながら、こんなことを考えてしまいました。「こんなに楽しくて幸せな時間も長く続かないんだよなぁ」と。まるでサザエさんをみてアハハオホホした後に来る月曜日の憂鬱を感じるような瞬間でした。 当たり前ですが、子供たちの運動会で一生懸命に応援する家族、お爺ちゃんお婆ちゃん、そこにいる人全員が何の悩みも無く人生を楽しく生きている・・・というわけではないはず。人に言えない悩みがあったり、苦労していたり、困っていたりetc. でもそんなことを乗り越えて(一時忘れて)運動会を楽しんでいるんですよねぇ。 それなのに次の日の仕事のことやクリアできていない問題を思い出してしまって落ち込んでいるバカ一人。 なるようにしかならないのに、いろいろ頭の中でこねくり回して結論が出ないまま、進展が無いまま、自分の能力不足と突破力不足に心が落ち込むばかり。 一人になるとため息ばかりが出てきます。心療内科の薬でなんとか落ち着きを取り戻してはいますが、時間だけずるずる過ぎていく状態に気はあせり、動悸が激しくなるだけ・・・ 参りました。
2012.10.01
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会社でネットニュースを見ていたら、昼前にこんなニュース目に入ってきました。「元TBSアナの川田亜子さん自殺」たしかアナウンサーの中でも美人系の部類に入っていて(可愛いとか美人という区別で)チヤホヤされるアイドルアナウンサーではなく、報道をやりたいとかでTBSを退社しフリーになったということだったと思うのですが・・・ 見た目云々とアナウンサーとしての資質は別物だったかもしれませんが、確かにここ最近は見ていないよなぁ~と思っていました。 女子アナというと、芸能人なみにチヤホヤされることが多いですけれど、実際には毎年毎年人数が増えているので、業界的にも人気を維持するのは難しく、地方のアナウンサーも含めてフリーに流れて、レポーターなどの後はどこに消えていくのか?そんな感じですよね。美人なのに・・・という言葉は失礼なのか?それよりもネットの記事で見る限り、ここ最近は体調も精神的にも良くなかったような状態のようですが、誰か何とかしてやれなかったのか?という感じもしますね。 テレビの女子アナで自殺というと、数年前に日本テレビの大杉君江さんが病気を苦にした自殺ということがありましたけれど、病気を苦にしたという理由こそあれ、そこには精神的な燃え尽き症候群が関連しているのではないか?と思ってしまいます。 精神的に弱くなっている人を支えるのはやはり家族。しかしながら仕事という大きなくくりで精神的な病を心配してくれる人って意外と少ないんですよねぇ。それだけ日本という国が病んでいる証拠なのかもしれませんが。
2008.05.26
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昨日、仕事の帰り道にふと考えたこと。午前中は土砂降りの中一生懸命外で作業をして来客に対応していたのですが、お客さんが去った午後には雨も上がり、風は強くなったけれど晴れ間まで出てきたのにはがっかりしました。(こんな天気になるなら午後に来てくれれば良かったのに・・・) 雨の中で頑張ったのは何のため? 気力を振り絞って頑張れるのは何のため?誰のため??? まだ、週が始まった火曜日だというのに疲れがたまっているなぁ~、でも考えてみると学生(特に中学生の頃)は部活で平日も土日も休まずに体をうごかしていたではないですか。今は仕事が忙しい、家に帰ると子供たちの相手で忙しい、嫁さんの不甲斐なさに腹立たしい^^;とはいうものの、昔ほど体を動かしてはいないんですよね。どちらかというと休んでいる時間は増えていると思うのです。なのに疲れが取れない、疲れがたまるのは、何かエネルギーが不足しているのかもしれない・・・ もしかするとそれは「やりがい」「充実感」というものではないかな? 一生懸命仕事をした後に得られる充実感が元気の源だったり、大変なことでもやり遂げた後の爽快感がエネルギーになっている、それがないから疲れがたまる(単に体が悪いだけかもしれません) そのためには、何か目的を持って日々を生きることも大事かもしれませんね。休まずに会社に出勤して仕事をするのはお金(給料)をもらうため。もらったお金は、衣食住と、子供たちの将来のための投資に使って、自分のための投資は・・・ そこに自分なりの目的と目標を設定し、そのために頑張るということが必要なようです。 借金がある人は借金を返済するために頑張るでしょう、それと同じくらいの気力を出していかないと。
2008.05.20
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自宅の庭に咲いている金木犀がとてもいい香りを放っています。 金木犀というと一時期はトイレの消臭(芳香)剤というイメージが強かったのですが、本物の金木犀のかおりは甘くて柔らかで、なんともいえないいい感じ。香りとともに地面に落ちた花びらがオレンジの絨毯のように色鮮やかに秋を彩っています。子供と一緒に掃除をしてみたのですが、箒で掃くよりも手でそっとすくって集めたいくらいでした。
2007.10.18
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最近、ますます仕事が忙しくなって自宅のパソコンの電源を入れる暇がありません。会社のパソコンでは仕事以外のネット環境が使えないし、日記の更新も本当に時々になってしまいます。 つい先日のニュースで気になったのは「長嶋元巨人軍監督の妻、亜希子さん死去」でしょうか。長嶋さんは私の父と同世代ですから、長嶋さんが突然脳梗塞になったことは我が家でもこれから起きうる可能性として心配をしていました。しかし、それよりも心不全で奥さんが亡くなったというニュースは驚いたし、表舞台に出てきていなかった長嶋夫人が与える長嶋さんへの影響の大きさというのは計り知れないのではないか?これからの長嶋さんの復帰への道が心配・・・そんな感じもします。 世の中は『団塊の世代の大量定年』を迎えて、会社の世代交代をスムーズにすべく、新入社員の大量採用などといった話もきかれますが、長嶋さん世代からその息子の世代に確実に世の中の世代交代も進んでいるということですよねぇ。死は避けられない事実ですが、その日が突然というのも怖い気がします。我が家にもいずれ世代交代がくるんだろうなぁ。私から息子への世代交代はいつになるのだろうか・・・なんて心配はまだ早いですかね。
2007.09.20
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今の時間、NHKでは「歌謡コンサート」(http://www.nhk.or.jp/utacon/)という番組を放送しています。今日のテーマは「心にしみる人生歌謡」ということで、春日八郎の「別れの一本杉」を鳥羽一郎が歌っていたのですが、私の世代、それから私も演歌を聞く世代ではないのですが、いいですねぇ~。(http://www5a.biglobe.ne.jp/~ada-kazu/new_page_308.htm)詩も心にしみます。歌も、そんなに聞いたことなんてないはずなのに歌えてしまう(ということは、それだけ簡単なリズムだともいえますかね) 童謡なんかもそうですよね、歌に癒されるというのは、詩の意味、リズム、そして歌を歌うこと自体にもあるでしょう。 ちょくちょく見ているこちらのブログも「歌」についてでした。(http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_81a2.html) カラオケに行って歌いまくりたくなってきました。
2007.07.10
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私の頭の中での空想です。(実際には仕事は忙しいし、家に帰れば子供達の面倒をみなければならないですから実行不可能です) 車でも、電車でも、自転車ででもいいから一人旅をしたくなりました。どこに行きたいという当ても目的地もありません。ただ道路を走りたい、乗り物に乗っていたい、観光地を巡るのではなく私と同じようにその土地の人が普段の生活をしているところへ行ってみたい・・・そんなことを考えました。 旅行ではなく旅。旅行というと目的地があって、ある程度のスケジュールが決まっていて、見る場所行く場所やることが決まっているものですが、旅というと目的にもあいまいで、時間も気にしない、ただ普段の日常とは違う空間や時間を体験したい・・・そんな感じがしませんか。 東北に住んでいる私が、関西や九州などの南の地域に行ってその地域の方言や習慣を経験するだけでも旅の雰囲気を味わうことができそうですよね。 特別なイベントや場所を見たり体験するのではなく、その地域の日常が他の地域から来た人にとっては非日常のような新鮮な感覚がある・・・ これからの観光や旅はこういったことが主流になるような気がします。 観光としての地域振興策を考えるとき、イベントを開催するとか、観光の目玉を立ち上げる云々というよりも、その地域の日常が他の地域の人にとっては非日常の新しいこと、そんなものを見つけていくほうが有効ではないかな? 毎日変わったことを行って人を集めるのは都会にまかせて、田舎は昔から変わらない日常を売りにするべきのような気がします。変わらないでいることこそ都会にはできない田舎ならではの良さなのでは? そこに安心感を感じでリピーターが増える可能性もありますし。 都会へ旅行する人はいても、都会に旅する人はいないはず。田舎には旅行ではなくて旅に行きたいですよねぇ。
2007.06.26
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5月が過ぎて五月病の本格的な症状が現れやすくなる時期ですが、なんだか私も朝起きるとぼんやりと憂鬱な気持ちになっていたりします。特に「いやだなぁ~」と思うのは今の自分の状況を何かと比較してしまう(誰かと、過去と)時が一番きますね。 あの時こうしていたら・・・とか、あの人はこうなのに・・・と考えること、これが一番落ち込む原因になりそうです。 今の状況が一番幸せだと思えないからこそそんなことを考えてしまうのでしょうが、こういうときこそ気持ちを切り替える必要がありそうです。 上の見ればきりが無い、下を見てもきりが無い。自分は自分、他人は他人。世の中には大なり小なり波があって、いいときばかりは続かない、悪いことばかりも続かない・・・ まずは与えられた今日一日を頑張ってみましょう。 テレビでもうまいことを言っていました。「ピンチにならなければチャンスはやってこない」と。
2007.06.04
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ゴールデンウィークも終わり、いよいよ新入学就職で新しい学校や会社での生活を始めた人たちも本格的に勉学・仕事に励まなければならない時期になってくるところですね。 我が家の小学生、保育園児も5月から掃除の時間が追加されたり、保育園はいよいよ今週からお弁当が始まるといった新展開へとなるようです。 会社のほうも今週一杯で現場研修が終わり、来週からはいよいよ正式に職場配属となり本格的に仕事をしてもらうことになります。 5月というのは気候はよいものの、どうしてもゴールデンウィークの休みが後を引いて五月病になりやすいわけですが、ここはひとつ自分の大好きな音楽を聴いて私も気分転換しよう!と普段車で聞いているCDを久しぶりに交換してみました。 今までは子供達が大好きなアニメソングだったのを、今日はクラシックのオムニバスCDへしてみました。さすがに15分ほどの通勤時間にクラシックは似合いませんね。明日はベッドミドラーにしてみようかと思います。 ベッドミドラーが好きになったのは「WIND BENEATH MY WINGS」という曲を聴いてからです。 その昔、NHKのテレビ番組で、この曲をはじめて聴いたときにものすごく感動(感激)したのですが、歌っている人が誰なのか?曲名は何なのか?全く知りませんでした。いろいろ調べてみたのですが、今のようにネットで検索することもできず、悶々として何年か過ごしたある日、ラジオでこの曲が偶然にも流れてきたのです。そこで ベッドミドラーという歌手の「WIND BENEATH MY WINGS」(日本語タイトル=愛は翼にのって」という曲だということを知り、それからネットでCDを探して早速購入。 実はこの曲を結婚式で使いたかったのですが、残念ながら自分の結婚式には間に合いませんでした。この曲にのって新郎新婦が登場したら・・・絶対に素敵だと思うんですけどね。この曲を使うように勧めている人がいるのですが、なかなか結婚にたどり着かないようで^^; ちなみに私が結婚式で使った音楽は、これまた個人的に好きだった「谷村有美」でした。彼女を知ったのは雑誌か何かだったと思うのですが、今から20年近く前、最初の転職で赤いスポーツカーを買い、目的も無く一人で24時間で東北往復(福島=山形=秋田=青森=盛岡=仙台 と主要国道を延々と走っただけなので一周ではないのです)したとき、谷村有美のCD2枚だけで乗り切りました。それ以来、夏に東北を巡る旅は50ccバイクで1回、軽自動車で一人1回、嫁さんと一緒に1回の計4回も行っているんですけどね。そんなきまま旅も子供が生まれてからはご無沙汰・・・ 今年の夏は、息子2人を連れて出かけてみようかな? 高速でひとっ走りではない車の旅は、結構体力勝負ですからねぇ。本当なら自転車で旅してみたいのですが、今はその体力がありません。 さてさて、ベッドミドラーとともに、谷村有美のCDを引っ張り出してこようかな?
2007.05.07
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息子の影響で見始めたドラマ「東京タワー」原作は知らなかったのですが、最初の特番ドラマ、そして今回の連続ドラマですっかりはまってしまった私。最終回はそれほどシリアスにはならないで、すっと見ることができました。ドラマのストーリーのよさもさることながら、このドラマで流れていたコブクロの「蕾」という曲がとてもよかったですね。話によると、この原作を読んでから曲を作ったとか。 どうしてもこの曲が気になったので、久しぶりにCDを買ってしまいました。(一緒にコブクロのベストアルバムも買おうと思ったのですが売り切れ。人気の高さが伺えます) 車の中でこの曲を聴いて・・・泣けました。イントロと終わりに流れるオルゴール部分はジーンとくるものがありますね。オルゴールにジーンと来るというと、B’zの「いつかのメリークリスマス」でもイントロのオルゴールが泣けるのですが、素直に泣くことができなくなったのはいつからでしょう?人前ではともかく、泣くというのは自分の心の叫びなのではないかな?なんて考えてしまう私は、春の陽気で多少ウツが入っているかもしれません。
2007.03.23
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今日、月曜の9時(俗に「月9」と呼ばれるドラマ枠)はフジテレビ系列で「東京東京タワー」というドラマが放送されています。 建物としての東京タワーが大好きなのはうちの上の子なのですが、この子がなぜか「東京タワー」というドラマにはまっています。まだ6歳なんですけどね。さすがに今日は疲れて9時前に眠ってしまいましたが、代わりに私が見ているところです。 ドラマの背景となっている時代と、自分が経験した生活環境、田舎から都会へと出てきたことなど・・・ 今までの月9の主流だったトレンディードラマとは一線を画している内容なのに、(内容だから?)私もハマりつつあります。視聴率もなかなかだと聞きます。こんな世の中だから共感する人たちが多いのかもしれませんね。
2007.02.05
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日記の更新をさぼって3日目、今日は子供たちもすでに眠ってしまったので多少は自分の時間に割くことができそうです。 とにかく仕事が時間内にはとてもさばき切れない状態で、電話と来客とで書類がみるみるうちにたまります。次々と依頼される仕事に、さすがに笑うしかない状態にまで追い込まれそうでした。原因は・・・ NHKでもニュースでテーマにあげていた「昇進うつ」に関係ありそうなのですが、これって人の問題ではなく、組織の問題だと思うんですけどね。いずれにしても忙しい時期に1名減の状態で乗り越えなければならないということで、毎日残業(私はそれに加えて休憩時間も削り、朝も1時間早く出社して(この1時間が就業中の何時間にも相当するくらい仕事がはかどるので))それでも間に合うのかどうか微妙です。 仕事のことなんてあまり考えたくないので、自分を取り戻すための時間に何をすればいいのか?それはやはり通勤の車の中で歌を歌うことかな? ここ最近は昔の「歌謡曲」を口ずさんでいる事が多いようです。 昨日は「いい日旅立ち」(http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/iihi_tabidachi.htm)が浮かんできました。 「雪解け、間近の~北の空に向かい、過ぎ去りし日々の夢を・・・」 昔の歌謡曲って今の流行の歌と違って誰もが歌いやすいものばかりでしたよね? 難しくないから誰もが口ずさめる、そういった歌が少なくなっているということかもしれません。 あと今日は童謡を知らないうちに歌っていました。「線路は続くよ、どこまでも・・・」 そういえばここ数年、カラオケにも行っていません。そもそも飲み会が全く無いこと、そういった親しい仲間がいなくなったということかもしれませんね。仕事帰りに息抜き・・・その時間がなくなり、仕事が終わって自宅に帰ると子供たちと過ごす(それはそれで楽しいのですが)自分の時間が確実に無くなっていることが息が抜けなくなっている原因の一つかもしれません。子供たちがもう少し大きくなれば子供と同じ趣味を楽しむ事ができるかもしれませんが、まだ子供たちが同じ事をできるまで成長していないからなぁ。
2006.11.30
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ネットニュースで知ったのですが、「おじゃる丸」の生みの親、犬丸りんさんが自宅マンションから飛び降り自殺したのだそうです。 母親宛の遺書があったということから何か悩みがあったのでしょう。この時期、夏の暑さも一段落し、夏の名残や物寂しさを感じる秋へ移って行くということで、体調を崩しやすいだけでなく、ココロの風邪も引きやすい時期ですから、もしかすると「犬丸りん」さんもそんな状況ではなかったのかなぁ~と推測してしまいます。 我が家の庭先でも秋の虫たちが元気良く(といっても控えめに)その音色を奏でています。春先はカエルの大合唱、夏はセミの暑苦しいほどの狂乱?そして秋の虫たちはその力任せに鳴き競うのではなく、それぞれの個性を尊重しあっているように聞こえるのは気のせいでしょうか。 そんな秋の夜の楽しみをぶち壊すような、道路工事のために設置されていた発電機がうるさかったので、工事業者に連絡して、即刻運転を停止するように指示しました。「防音タイプ」と書いてある発電機は「どこが防音?」と思えるほどの音と振動を発生しています。自宅から50mほど離れている場所にあるのですが、マフラーが外れた車のような音、それ以上に窓を閉めても伝わってくる低振動にイライラ(私は特に低周波振動に神経過敏になっているものですから) ほどなく業者がやってきて運転を停止したので、今宵も安心して眠れそうです。
2006.09.11
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精神的に疲れているのでしょうか?ここ最近、訳の分からない夢をよくみます。昨日(昨夜?)は子供と一緒に電車に乗っているのですが(それが自分の体よりも小さいプラレールのような大きさだったりして)その線路に子供が顔を挟んで動けなくなってしまい、電車は迫ってくる、でも子供は逃げ出せない、結局私が電車を止めて難を逃れた・・・とか、はたまた大型の客船に乗っているようなのですが、これも通路が自分の体が入るぎりぎりの幅しかない狭さで、しかもすでに横転していて船の中から外に逃げ出せない・・・ 乗り物の夢というのは、毎日のように子供たちが電車とかバスのビデオや絵本を見ているからでしょうか?それから自分の体より乗り物のほうが小さい?(そんなことあるわけがないので夢だとすぐわかるのですが)それはもしかすると運動不足で自分の体がブクブクと増殖?する暗示だったりして? 何はともあれ、夏が終わって秋には運動の秋にしなければならないようです。
2006.08.29
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森山直太朗の「な~つの終わり~、夏の終わりーには、ただあなたに逢いたくなるの・・・」という曲がぴったりの季節になりました。朝夕が涼しくなってきたし、今日は昼間の風も夏の蒸し暑さから開放されてカラッとした感じだし。 子供たちを海やプールに連れて行こうとしましたが、この涼しさではもうシーズン終了ですかねぇ。 暑さが一段楽してきたところで、そろそろダイエットを再開しないと^^; ガソリン代を浮かすためにも通勤に自転車を再開したいところです。とりあえずは洗車して明日からでも自転車通勤できるように調整しましたが、朝夕は涼しいけれどチョット動くとどうしても汗をいっぱいかいてしまうので、着替えは手放せないでしょうね。汗を書くことは構わないのですが、自転車通勤していなくても汗をかくので胸とかがあせもになっていて痒かったり、ヒリヒリしていて・・・ 季節かわりのこの時期は体調も崩してしまいがちですが、ココロの風邪も引きやすい時期です。仕事に追われて、家ではドタバタ続き、朝食はここ数年食べたことが無く(いつもバナナとかヨーグルトといったものだけで手料理なんて・・・)昼食は会社で食べるけれど、夕食は・・・ 休みの日でさえ「えさ」のようなものばかりなんだもの^^; 本気でどこか気分転換できる場所、気分転換できることを見つけないと風邪をひいてしまいそうです。
2006.08.27
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ふとこんなことを考えました。もし、今ここに自分の自由になるお金が100万円あったとしたら、何に(どう?)使うでしょう? 独身の頃だったら現実問題として自分が稼いだ給料は自分の好きに(実際には貯蓄に回っていたような気もしますが)できていましたが、結婚して子供がいる今となると、そんなことを考える余裕さえありません。稼ぎのほとんどが子供たちのために消えている・・・そんな現実です。 でもって、先日のキレた事件以来、もう少し自分に投資しても良いのでは?そんなことを思うようになりました。100万円を自分の好きなことに使う・・・かなりの贅沢にも思えるのですが、今の貯蓄を考えると、必ずしも不可能ではない金額・・・ で、例えば1回1万円を使うとすれば100回できる、そう考えてみるといろんなことにチャレンジできそうな気がしてきました。 例えばスポーツジムに通うとしたら、1ヶ月1万円の会費だとして100ヶ月=8年4ヶ月も通うことができます。自分だけではなく子供も一緒だとして半分=4年も一緒にスポーツを楽しむことができる??? 100万円を一度に使おうとすれば、意外とちっぽけなことで終わってしまいそうですが、少しの金額でも長く使うことを考えてみるのも面白いかもしれません。毎月の1万円ももったいないと思ってしまい、スポーツジムに通うこともためらっていましたが、自分の人生で自分で稼いだ給料のうちの僅かでも自分のために使って悪いことは無いですよね?ギャンブルや酒に使うわけでもないのだから。(お酒が飲めたら、ぱーっと使うこともできるんでしょうけどね)
2006.08.09
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通勤途中でも見かける風景なのですが、老若男女問わず、歩きながら、自転車に乗りながら、車を運転しながら(交通ルール違反なんですけど)携帯で話をしている人、メールをしている人、多いと思いませんか? そんなに会話をする相手やメールをする相手がたくさんいるのかなぁ? それはある意味うらやましい気もしますが、携帯でしか会話ができない人間関係というのもなんだかなぁ~と思ってしまいます。 それにしても私の携帯もメールが全然来ていないよなぁ~。着信履歴も仕事関係ばっかりだし。
2006.08.01
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梅雨で天気も気分も曇りがち・・・すかっとする出来事にも恵まれないし、どうしても落ち込みがちになってしまう今の時期ですが、こんなとき口ずさんでしまう曲が私には2つあります。 ひとつは、たまたま今夜のテレビでも見かけた「夏川りみ」の涙そうそう。すべての歌詞を知っているわけではないのですが、ラジオとかでかかっても口ずさんでしまうし、サビの部分「晴れわたぁ~る日も、雨の日もぉ~」という部分で大きな声を出して、「逢いたくて、恋しくて」という部分では思いっきり感傷に浸ったりして^^; 頑張っている自分への応援歌かな? それからもう一つは、自分の思い出の中で涙してしまう曲?なのですが、それは「五木の子守唄」生まれて初めて東京に行ったのが小学校2年生の時。そのときに東京に住んでいたおばさんからお土産代わりにもらったオルゴールの曲がこの「五木の子守唄」なのですが、当時、この曲を聴くたびに不思議に涙がこぼれてきたことを今でも思い出します。 その昔、中島みゆきが好きな人は、彼女の思いっきり暗い曲を聴いて、自分をどん底に落としたあとで、そこから這い上がる自分を奮い立たせるのに快感を覚えていた?(うーん、なんだか表現が変だぞ) 暗い曲にはそんな精神安定剤のような効果があるかもしれませんね。落ち込みすぎて自殺しては困るのですが。
2006.07.04
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今日、6月30日というと、世の中の多くの公務員に夏のボーナスが支給される日ですが、世の中一般の動きとかけ離れている常識の中で生きている彼らがもらっているボーナスの金額がどれほどなのかを知っているわたしとしては、悔しさ半分、うらやましさ半分といったところでしょうか? 夕張市のように市町村として破綻となってしまったところが出てきたように、全国の市町村自治体で企業で言うところの健全経営ができているところがどれほどあるのか? そんなことを考えると、公務員にこれほどのボーナスを支給してよいのだろうか? 赤字経営なのにボーナスが出るなんて・・・ ま、いつまでも嫉んでいたって仕方が無いことですが、金額の多少は違えどもボーナスが出たらやはり何か買いたいと思いますよね? (この日記を書いているのはすでに翌日の7月1日なのですが)今年の6月30日は金曜日、つまり月末と週末が重なっているわけで、明日の新聞にはボーナスを当て込んだ折込チラシがわんさか入ることでしょう。ボーナスで買いたいものといったら何でしょう?ワールドカップの開催と地上波デジタル放送の開始の相乗効果で売上が期待されている薄型大型テレビでしょうか?それともニュースでは前年比割れの苦戦が続いている自動車でしょうか? モノではなく旅行など形に残らないものに投資するでしょうか? 不思議と今の私には「これが欲しい!」と明確に思えるものが何もありません。すっかり下流社会の生活に慣れてしまったから?そえとも物欲を感じるものが見当たらないから?もしかするとそれ以外の原因があるのかもしれません。 贅沢をするという感覚ではないものの、「どうしてもこれが欲しい」とか「これが無いと困る」というものが思い浮かばないのは幸せなのでしょうか?それとも不幸なのでしょうか?
2006.06.30
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毎日、朝5時半には目が覚めて、7時過ぎには出社し、日中は息をつく暇も無く(本当に午前、午後の休憩時間に休んでいられませんから)7時過ぎまで仕事をして、家に帰ってくると子供たちの面倒を見て気が付くと12時過ぎになっていて・・・子供と一緒に布団にはいってウトウトしていると嫁がガサゴソ息子の明日の支度準備している音が聞こえてきて(それが午前2時!)結局は熟睡できないまま・・・そんな毎日を過ごしています。 こんな生活のせいか?運動不足でかなり腹回りにきています。「少しでも運動不足を解消しよう!」と思って、晴れている日(天気予報で夕方も雨が降らない場合)には自転車で通勤するようにしたのですが、これからの梅雨の時期にはどれだけ運動ができるのか・・・ 健康のためだけではなく、熱中できることが何も無いのが今の私。人生の中で何か趣味を見つけておかないと、老後に楽しみが何もなくなってしまうのでは? ところで「趣味」って何だろう?と思い、ネットで調べてみると「専門としてではなく、楽しみにすること。余技。」と出ていました(http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BC%F1%CC%A3&kind=jn)専門としてではなく楽しみにできること・・・ 何があるのかなぁ? そんなことさえ思い浮かばなくなるほど頭がかたくなってきているようです。(出来ることなら、仕事帰りの1時間くらいでもいいから、体を動かして汗をかいてすっきりして家に帰ることができるスポーツをしたいのですが、これがなかなか実現しないんだなぁ)
2006.05.29
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今日でGWも終わり。楽しかった?休みから抜けて、明日からは仕事全開モードに突入しないと1週間分の遅れを取り戻せない???そんな深層心理からなのでしょうか?ここ数日見ている夢は、今の仕事とは関係なく、以前の職場に関するリアルなトラブルに必死で応対している自分の姿でした。 お客様に対するサービスの考え方から上司とぶつかっている私・・・ 仕事のやり方について(現実にも一度衝突したことがある)同僚?と戦っている私・・・ 自分が今までやってきたことは何なのか?何が私を動かしているエネルギーなのか? それは信念であり、もしかすると対抗心だったのかもしれませんねぇ。 「偉くなくとも正しく生きる」(エンペラー吉田の言葉)「曲がったことが大嫌い!はーらーだたいぞうです」(ネプチューンの原田泰造の決め台詞)それを地で生きることがいかに大変なことなのか・・・ でもやっぱり信念を曲げることはしたくないですねぇ。 しかし、実際の現場から離れて見てみると、彼らがやっていることに疑問を感じることは多いし、夢で見たどちらの現場にも共通して言えるのは「変化を恐れている」ということと「自分の役割に正しく向き合っていない」ということ。仕事の中身が変わっても、やり方は変わらないというのが役人根性とでもいうのでしょうか? 夢の中の私が常に叫んでいるのが「それを誰が喜んでくれるんですか!」 私が前々から訴えている「誰のため、何のため」ということが夢の中まで出てきている・・・
2006.05.07
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ここのところチョット忙しくて疲れが溜まっています。仕事もそうですが、毎朝の花見山周辺の騒音や大気汚染?それから春の陽気も関係しているかもし れません。何よりも一番の疲れの原因は職場環境。 仕事の役割分担表もなければ、手順書も無い、説明を受けるのは口頭だけでいきなり仕事が増えました。時 間をかければ覚える・・・とはいうものの、人の頭の中に入っているだけで何の資料も残されていない仕事を引き継ぐ(というより受け継ぐ???)それに慣れ るまでしばらくの間はストレスが溜まりそうです。自分なりのマニュアルを作って手順を文書化しておかないと安心して休憩も出来ない(今のところ休憩時間に 休むことはできませんけれど)これがこの会社の社風といってしまえばそれまでですが(だから「職人的な会社」と言っているんですけど。)この風潮をなんと かしなければ、会社としては本当に下の下ですね。 おかげで?仕事から帰ってきた後、それから朝起きた後にウツの症状がでそうになります。久しぶりにウツの症状をやわらげる薬を飲むしかないのかな? 5月を前にして五月病になっていられませんからねぇ。
2006.04.18
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3が日が終わり、明日4日は年中行事の暦で言うと「事始め」ですよね?習い事や、今年の目標とすることを達成するために何か始めるには明日からがよいということだと思うのですが、さて、仕事にばかり熱中していた私は何をはじめたら良いのか??? 今のうちから趣味を見つけておかないと、老後(の心配をする年齢ではないと思っていましたが、あと20年後には60歳ですからねぇ)何もすることがなく「みの虫族」になってしまう恐れがある??? あまりお金がかからなくて長く続けられる趣味・・・ 以前に経験していたもの、もしくは興味を持っていたけれどなかなかはじめられなかったこと・・・子供と一緒にできること・・・ いろいろと考えてみるのですが、「これだ!」というものが見つかりません。 例えば、高校の頃に写真部に入っていましたので、写真をやろうかな?と思っても、昔からの銀塩は高級化と衰退の両極面に入っているので、お金がかかるか?それともデジタルに流れるかしかない・・・ 団塊の世代のおとーさんには写真の趣味を奥さんにも押し付けて、老後に夫婦2人で撮影旅行に飛び回っている人もいるようですが、どうもそこまで趣味を押し付けるのは^^; 仲間内では、釣りを趣味としている人もいるのですが、我が家でも嫁さんは釣りがすきなので、結婚して子供が生まれる前までは嫁さんも仲間と一緒に海釣りとかワカサギ釣りに出かけましたが、子供と一緒となると、まだもう少し先になりそうだし(2歳とか3歳の子を連れてワカサギ釣りは^^;) 時間を忘れて没頭できるもの、仕事が終わってからの楽しみになるような趣味って何かないでしょうかねぇ? できることなら、適度に体を動かして健康にも良いスポーツがいいんですけれど。 バドミントンや卓球は、以前の職場(郡山)でやっていたので道具はありますが、そういった仲間がいないんだよなぁ~今は。
2006.01.03
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ここ数日の日記にも書いたかと思いますが、読書の秋、やはりこの時期は本が読みたくてたまらなくなります。子供達用の本は「のりもの」関係の写真がいっいぱい乗っているものばかりで、家にいる間ずっと本を見ているか、ビデオで新幹線やバスを見ているらしいです。 私といえば最近は本を買っても借りてもいません。雑誌に目を通すことさえしていません。 子供の頃に読破した「アカデミア」という百科事典、あの「ほりえもん」も5歳にして読破していたらしい・・・とネットに書いてありました。ああいった百科事典(それも冊子もの)は今となってはほとんどないんですねぇ。オークションで百科事典を探してみたのですが、最新のものは定価20万円超えが9万円程度となっているのですが、さすがに9万円の百科事典を買う気にはなれません。だって最新版のマルチメディア型百科事典(DVDなど)は定価で1980円から3万円という値段で販売されているのですから。 では安いものというと、発行時期が今から20年~30年前というものばかり。30年前のレベルの情報では、いくら百科事典で変わっていない内容もあるとはいうものの、子供に読ませるにはチョット抵抗があります。 明日は久しぶりに子供と図書館に行ってみようかなと思っています。子供向けの百科事典を見てみたいのと、雑誌に目を通すのと、何か役に立ちそうな専門書を借りてこようかな? とにかく今、活字に飢えています。
2005.10.14
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「疲れています」肉体的に疲れているというよりも、精神的に参っています。日々こなしている仕事が一向に落ち着かない、ということも一つの原因ですが、それ以上に「やらなければならないけれど、私にはその知識も資料も何も無い。それに加えて時間が無い」無から有を生み出さなければならない苦しみ、それが無言のプレッシャーになって、なおかつ周りの誰に聞いても誰も知らなくて(って、私より長くこの会社にいる人たちばかりなのに、誰も何も知らない?知っているのに教えない???)この仕事を抱えているということだけが一番の悩みになっています。 しかも明日は2時30分から無制限?で進捗状況についての打ち合わせをすることになっています。進捗も何も、嘘で固めた1年前に作った資料から何の進捗もありません。そのことを考えるだけでも憂鬱です。(なにせ相手は、私のことを「お前さん」と呼ぶような部長ですから^^;)で、いま、私の手元には毎日のように昼休み時間にやってくる保険のおばちゃん(というよりも金目当てのケバイババア)が置いていったチラシで、とても気になる内容のものがあります。タイトルは「累積疲労にご用心!」 累積疲労の症状、進行度合い、対処法、そして体の自己破産を防ぐ三か条というものが書いてあります。 この中の「からだの自己破産を防ぐ3か条」を抜粋させてもらいます。----- 疲労をため込みやすい人には周囲の期待を裏切ることができない、弱音を吐けない、途中で仕事を放棄できないという特徴があるそうです。そうならないためには、この逆の働き方をすればよいといえます。 1.人の期待を裏切る 2.弱音を吐く 3.無理だと思った仕事は途中でやめる あまりにも極端だと思うかもしれませんが、過労死やうつ病にまでいたらない人の多くは、意識的にか無意識的かは問わず、どこかの段階で人の期待を裏切り、弱音を吐き、仕事を放棄するポイントを見つけているのではないでしょうか。自分のからだを守るためにも、疲れを甘くみてはいけません。-----監修 堀史朗(エビス診療内科院長)今の自分に当てはまることばかり^^; この3つができれば蓄積疲労ともおさらばできるのかもしれませんね。でもそれができない、この3つを実行したら・・・その次の段階を考えてしまうから、そこまで無責任になれないのかもしれません。そこが「真面目すぎる」と言われる所以なのかもしれませんけれど。さて、明日はどうしたらいいのか・・・
2005.09.21
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昨日一日休んで、出社してみると・・・私の机の上は予想通り1日分の仕事がたまっているだけで、誰かが少し手伝ってくれているとかということがなく、サブ担当なんていうものがないのでそのままに放置されている状態でした。これが1日ではなくて、数日休んだらまわりも慌てるだろうに・・・といわれましたが、そういう状況にあること自体、会社組織として問題アリ!ということに気が付かないのかなぁ。ま、その程度の会社だから悩んで体を壊すほうが損だってことですね。夏のこの時期、私が一番嫌いなものが「ロケット花火」 ピューとあがってバン!と破裂する・・・夏の夜空にロケット花火をあげるのはストレス発散になって気持ちいい!という人もいるでしょう。でも、問題はその打ち上げ場所。私の家の前は昔から田んぼで、最近は駐車場、そして臨時駐車場用のスペースとなっています。ここでロケット花火をあげられるのが甚だ迷惑なのです。いつ自宅に向かって飛んでくるのか?という心配もあるし(実際に屋根に落ちてきたこともあります。これって放火と同じですよね?)夜に、突然破裂音があったら・・・紛争地域だったら即射殺でしょうか? 自分が楽しむということが、必ずしも他の人(近隣の人)に迷惑になるかもしれないという気配りをしている人ってほとんどいないですよね? それから、ロケット花火の迷惑は、花火の後始末をしないということ。飛んでいったロケット花火を回収しているという人をみたことがありません。これって、ロケット花火を製造する企業、販売する会社に回収の義務を与えるべきだと思うのですが(そうでなければ製造販売を禁止すべきだとも思います)特にひどいのが夏場の海岸ですよね?テレビドラマの影響もあるのでしょうが、夏の時期に海岸で花火をして、その後始末は誰がしているのでしょう? 私も一度嫌な経験をしたのですが、楽しみにして出かけた粟島(新潟県の佐渡島より北に位置していて、水もきれいで海水浴に最適な隠れた穴場です)で、泊まるのは民宿。昼の海水浴で楽しんだ後は、静かに眠りたかったのですが、こんな離れた島にも花火を持ち込んで、夜遅くまでロケット花火が飛び交う音が・・・遊びに来ている人はその日だけのことかもしれませんが、その島に住んでいる人にとって考えたら・・・毎晩の大騒ぎはうんざりだと思いますね。それは、春の盛りに花見山にやってくる人たちにも同じことがいえるかと思います。それから「必要ないと思うもの」障害者用駐車場。公共施設や店舗などの入口に一番近い位置に必ず設置してあるのですが、これが日本人のモラルの無さを物語るように、見事に一般の車でふさがっていると思いませんか? 盲人用の点字ブロックもそうだし、本当に必要としている人が使いやすいように準備しても、使う必要がないはずの人が邪魔をしてばかり。それだったら、最初から作る必要がないと思えて仕方ありません。本当に優しい人は、困った人がいたらちゃんと手を貸してくれるはずですからね。本当に人に優しい施設は、そういった区別がなくても誰でも使いやすい物でなければならないはず。 自分が五体満足だからこそ、本当の不便を知らなすぎるんでしょうね。
2005.08.18
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昨日は帰りが遅くなったのですが、今日こそ医者に行かないと薬が切れる!ということで、定時までにやらなければならない仕事を集中してこなし、さて帰るぞ!というときに求人の連絡電話やら取引先からの電話が入ってきて、結局30分遅れで会社を後にしました。 病院に着いたのは受付締め切り15分前、なんとか今日はカウンセリング(といっても変わりがないので3分も話をしませんけどね)を受けて処方箋をもらうことができました。それにしてもやはり梅雨時だからなのでしょうか?待合室は満員。こういう時期には「うつ病」の人が多いんだろうなぁ~と思いながら、私は静かに待っていたのですが、私の前にいた人は、同行してきた人とやたら話をしています。『まったく、病院の待合室なんだから少し静かにしてほしいなぁ。そうでなくても気を使う人たちが一杯いるんだから』と思っていたのですが、その人が診察室(カウンセリングルーム)から出てきたら「そううつ病って言われた」と言っていました。梅雨明けまであと少し、梅雨と一緒に不快な気分も吹き飛んでくれればいいのですが、世の中そう簡単に気分転換できませんからねぇ^^;病院から出たところで、以前に職場で一緒だった人に会いました。それも娘さんと一緒。私も家族ぐるみで遊んでいた人だったので、娘さんが小学生の頃を知っているのですが、その娘さんも今は高校1年生。時が経つのはあっという間ですね。うちの子が生まれる前に小学生、うちの子が5歳ということですから、小学生が高校生になるのも当たり前か。もう親の友達と家族揃って遊びに出かける・・・という時期ではないようです。うちはこれからたくさん遊びに連れて行かなければと思うんですけどね。昨日今日と、昼休み、仕事帰りと某コンビニに寄っています。でもって昼はおにぎりやサンドウィッチ、仕事帰りは子供たち用の菓子パンを買っています。そのわけは、特定の商品を買うと付いている得点を集めて、スヌーピーのお皿と交換できるから。上の子がどうしてもスヌーピーの皿が欲しいのだそうです。こんなときに一生懸命ポイントを集めている私は親ばか典型ですね。 お皿をゲットして終わりにしたいと思うのですが、このポイントキャンペーンが7月、8月、9月とちがった種類のプレゼントが用意されているので・・・9月まではコンビニ生活が続くのかなぁ。
2005.07.05
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梅雨らしい天気といってしまえばそれまでですが、月曜日からじとじとした雨降りだと会社に出かけるのも憂鬱になってしまいますね。そうでなくても月曜日は週末に溜まっている(であろう)書類の量が推測できなくて、それなのにやらなければならない仕事のスケジュールは一杯詰まっていて、それも次の日に伸ばすとかいった融通が利かない^^;(それより困るのは、週末に勝手に朝やらなければならない仕事を決められていることなのですが)前日に精神安定剤を、朝には精神高揚剤を飲んで一日乗り切る・・・そんなことの繰り返しで本当にいいのか? そこに疑問を感じてしまったらこの会社での仕事なんて勤まらないのですが。しかし今日は予想に反して、書類がそれほどたまっていませんでした。おかげで午前中はいつもよりゆっくりしたペースで取引先に連絡をしたり、現場に資材の運搬なんかをすることができて(その時間の合間を縫って、ネットオークションで落札した商品代金をATMから振り込みもできたし=本当は昼休みに出かけるつもりでしたが、おかげで昼休みに自由になる時間が増えました)いつもこれくらいのペースで仕事ができたらいいのになぁ~と感じることしばし・・・でした。ところが午後からは一転、求人の面接希望者への説明と工場内案内が私の担当で、工場案内後の面接は課長の仕事だったはずなのですが、課長が別件で忙しい(という理由でこき使われている私)ということで、予定外に面接まで行うことになりました。求人募集の説明と工場案内でおよそ1時間チョット、それから10名ほどの人を1人ずつ面接すると、どうしても1時間を越えてしまいます。結局午後の時間は面接案内と面接でつぶれてしまいました。ということは、それが終わってから通常の検収処理をしなければならないので、結局いつものとおり残業・・・ それも、事務処理途中で、駐車場の車のとめ方がバラバラで帰れないという苦情があったということで、会社から歩いて5分ほどの駐車場に出向いて、該当する車の持ち主(現場で仕事をしている社員)を探して、会社の車に乗せて車を移動させ、また現場に戻して・・・ということをやっていたら1時間過ぎ・・・ 本当、社員と会社がきちんとしていたらこんな余計な仕事をしなくて済むはずなのに、雑用ばかりで会社の利益につながる仕事が全くできません。本当ならそろそろ心療内科に通院してカウンセリングと投薬をしなければならない時期なのですが、今日も行けずじまい、明日はどうかな? その明日の入職のスケジュールが決まっていないので、仕事のペース配分が決まりません。面接して、どの現場に何人入れるのか?といった肝心なところは、課長とお局様2人だけで(だって他の人が入れない雰囲気なんだもの)やっているので、私は口出しできないし、口出ししたくもありません。会社の愚痴はこれくらいにして、仕事以外の楽しみを探すとすると、今のところは自転車でしょうか? 落札したホイールがいつ届くかが楽しみです。本当なら雨がやんで通勤に自転車、休みの日にも自転車で遠出・・・できれば良いのですが、天気予報ではしばらく梅雨空が続きそうですし、今度の土曜日は半日出勤して休日の操業対応だし、子供たちと一緒に過ごす時間を取ってあげないと、嫁さんがパンクしてしまいそうだし^^;子供と一緒に自転車で近所をサイクリング・・・したいのですが、上の子は補助輪が取れないどころか、お下がりでもらった12インチの自転車なので、とても長い距離を走れるものではありません。なによりブレーキを上手にかけることができないので、下り坂が怖くて亀状態になります。肝っ玉が小さいと言うか、誰に似たのやら^^; 嫁さんは嫁さんで、身長が145cmくらいしかないので、マウンテンバイクにのるとなると26インチは無理。ジュニアサイズの自転車では一緒に走るというのも大変ですからねぇ。 今度はネットで嫁さんでも乗れそうなマウンテンバイク(ジュニア用?)を探してみようかな?
2005.07.04
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昨日は慰労会ということで、時間に間に合うように行かなくちゃ!と仕事に追われ(でも片付きませんでしたが)急いで着替えて帰ろうとすると、雷雨の土砂降りで前進ずぶ濡れになるし、宴会も終わって家に帰り、そのままお風呂に入って眠りましたが、よく考えてみたら昨日は給料日だったではないですか。すっかり忘れていました。今までの会社のつながりで給料の振込先は某地方銀行の口座にしているのですが、支店数が多いので安心していられたのはつい最近まで。銀行の体質改善策?の一環からか?平日の6時まで以降は、夜間はもとより土日は終日ATMを利用するのに手数料をとられてしまうんですよね。その手数料を1年の利息で元を取るためには定期預金でも2000万円以上必要だったと思います。それを考えると、とても今日お金を下ろす気にはなりません。手数料を考えれば、「ろうきん」のほうがメリットが大きいので、ちょっとづつ「ろうきん」の口座へ預金を移行しているのですが、それで今月分の給料はやりくりしようかと思います。(といっても土日に嫁さんに生活費を渡すのは危険なので、週明けにするつもりですけれどね)最近、上の子の成長がめざましくて、親として驚いてばかりです。保育園の友達と一緒に過ごす、一緒に遊ぶ、一緒に話をするということがこれだけ影響を及ぼすんですね。私以上の食べず嫌いだった息子が、なんとピーマンとキャベツの炒め物を口にしました。魚のつみれ風なかまぼこ(四国や関西方面で食べられていますよね)も頑張って食べました。最近、クチに入れることも拒んでいた魚類をたべるようになりました。 食べ物のバリエーションが増えたから?栄養の摂取も良くなったから?便秘気味の症状も回復したようです。 「やっぱり5歳になったからすごいねぇ~ 頑張ってるねぇ~」と褒めてあげることも欠かせませんね。 上の子が良くなった反動か?1歳半になる下の子のわがままが止まりません。上の子以上に大騒ぎで嫁さんも疲れ気味。一時的なものだろうとは判っているんですけれど、子育てってたいへんですよねぇ^^;
2005.05.28
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最近良く夢を見ます。それも内容、というか登場してくるのは決まって私が小学校、中学校の頃の友達ばかり。ストーリーはあまり覚えていないのですが、とにかく自分の今までの人生の中では一番輝いていた(これから輝かないということもないと思うのですが^^;)頃の記憶ばかりが出てくるんでしょうかね?それとも、今の自分が抱えている悩みをその登場してくる同級生なら解決してくれる???というような願望?希望?からなのかもしれません。 現実には、私も彼らもあの頃から数十年という年を経て、同じように結婚して、子供のいる人たちも多いでしょう、私以上に複雑な人生を送り、悩みをたくさん抱えている人もいるでしょう、私の悩みなんてちっぽけなものにしか映らないかもしれません。それでも誰かに悩みを相談したい、今の自分は他人から見るとどう映っているのか?今の自分はこれでいいのか? 鏡に映る自分と、他人の目に映る自分はどう違って見えるのか? 悩んでも仕方ないことを悩み続けているから夢に見るのかな?自分の子供がだんだんと自分の経験してきた道に近づいていく(っていっても幼稚園、学校ということだけですが)自分が通ってきた道と同じ道を歩めるのか(いろいろと障害がありますから)自分が経験した頃と時間が経過している今、果たしてどういった道を進んでくれるのか?そんなこと悩んだり考えても仕方ないことなのに、頭の中では考えてしまうんですよね。
2005.05.22
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先週の予定が、なかなか都合がつかずに行けなかった心療内科に今日は行ってきました。定時に仕事を終えて、そのまま一直線に病院に。待合室には一人しか先客?がいなかったので、それほど待つことなく診療?カウンセリングを受けることができました。で、今日からは1日朝夕2回の薬を夕方1回だけにすることになり、まぁ、もうそろそろ情緒不安定な状況から脱出するということなのでしょう?薬の種類も変わりました。不思議なことに?今度もらう安定剤は、同じ病院に通っているという知人の女性と同じ種類の薬。効き目云々よりも一定の薬を使ったほうが臨床に役立つからだったりして。薬というと、季節がら花粉症だけではなく私のように空気の乾燥が鼻に影響して頭痛を起こすような人がいるように、身の回りでマスクをしている人が多くなったと思いませんか?それも、昔のようなガーゼタイプではなく、使い捨てで衛生的な不織布性のストレッチマスクとか、超立体の独特な形状のマスク(私も超立体を愛用していますが職場では「おぬし、伊賀者か?(忍者みたい)」と言われたりして^^;)を使用している人が多いですよね。 私の職場でも見学者には職場環境上マスクが欠かせないので、ストレッチマスクを準備してつけてもらうのですが、その説明で次の2点を注意します。まず、針金が入っているほうを上にして、鼻の形にぴったり沿うように針金を曲げます。曲げないと隙間からほこりが入り込みますから。次に、マスクを顎が隠れるまで伸ばしてすっぽりとかけて下さい。この2点を守ってもらわないと、マスクの効果がありません。で、巷で使い捨てタイプのマスクをしている人たちを見ていると、どうもこの2点を理解していない人たちが多いこと。つまりは形ばかりだけでマスクの効果がない使用方法をしているんですよねぇ。せっかくマスクをするんだから使い方くらいはきちんと調べて欲しいものです。マスクのヒダヒダがキレイに閉じている人はマスクの使い方を知らない人ですから。
2005.04.04
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本当は昨日が病院への通院日(薬が切れる日)だったのですが、病院がしまる時間までに仕事を終わることができなかったので、今日こそは!の気力で仕事を片付けて(幸いにも昨日の半分の量くらいしか書類が回ってこなかったので)無事に定時に会社を抜け出すことができました。今回は睡眠導入剤をもらうのはやめて(お金ももったいないし、下手に睡眠薬が溜まると危険ですから)精神安定剤と抗うつ剤だけを3週間分、そして躁鬱病に効果があるといわれているてんかん用の薬を処方されました。 会社が休みの日には極力薬を飲まないように心がけているのですが、やはり飲まないでいると不安になるときがあるので、飲めば安心???これって慢性化している証拠だったりして^^;病院に行く前のこと。今日は会社に献血の採血車が来ていました。今日は献血に協力を要請されていたのですね、全然知りませんでした。どっちにしても私は不健康な血液なので献血できないんですけどね。以前に400ccの献血(今はml表示なのかな?)をしたのですが、その後に通知が届いて「献血にご協力いただきましてありがとうございました。残念ながら検査結果に異常がみられますので、活用させていただくことができません。早急に健康診断をお受けになることをお勧めします」ということがあります。病気の治療中で薬を服用している人も献血はできませんよね? 薬を飲んでいる人の血液はどこまで影響があるのでしょうか?ちょっと気になるところだったりします。
2005.03.08
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人が少ないと充実した一日(やらなければならない作業は多いけれど、人の目が少なくて済むので自分の思い通りに動くことができるから)を過ごすことができるのですが、定例的(ルーチンワーク)として確固たる自信を持って(周りから信頼されて)行える仕事が決まっていないので、いろんな頼まれ仕事をしながら空いている時間に周りが行っている作業手順やこういった日記を入力しているわけですが、このぼんやりとした不安の中で会社にいる時間を過ごすのはツライ・・・それが不安で心療内科に通って、精神安定剤と睡眠導入剤、抗うつ薬を処方してもらって飲んでいる・・・という話を時間外に部長と課長に話をしました。 「自分が会社の役に立っていないのではないか?」という私の不安に大して「半年やそこらで役に立ってもらおうとなんて考えていない。今までの経験とかはゼロにして、これからどんな仕事が適切なのか?を見極めているところだから、そんなに心配するな。そのうちどんどん仕事をしてもらうから」というのが部長の話。 「俺は35年もこの会社で現場も含めて仕事をしている、それに比べれば君(=私)はたった半年だろう?それだけの時間で会社の全てを理解して役に立とうとすることが無理だ。」 そんな話から、まずは人事異動で人が入れ替わるところの仕事を覚えて次の人に引き継ぐために教えてもらっているのですが、これがまたマニュアルは何も無い状態で行き当たりばったりの説明を聞いて、作業して、自分のメモに残すという方法を取っています。(考え方が頭の中にあるだけだから、知識が無い聞く側ではなかなか理解に苦しみます) そんな仕事をしていたら運の悪いことに?取引先のオニーチャンが私に「どこかで会った事がありますよね?」と声をかけてきました。話をしたところ、どうも高校の同級生のようです。相手は野球部だとかで話をきいたら同じクラスのメンバーなんかも知っているので、知り合いが増えて安心?というよりも、仕事の内容を良く知らない部分なので、話をしづらいなぁ~^^;
2005.02.17
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前の職場で一緒に仕事をしていた人(女性)に数ヶ月ぶりにメールをしてみました。彼女は前の職場を期間満了(臨時事務職員だったので3年間しか働けなかったのです)の後、派遣会社に登録していくつかの会社に派遣されて仕事をしたらしいのですが、最後(直近)の会社が隣県に本社がある会社の支社だったらしく、会社の雰囲気も会話も今までの会社と全く違っていたらしく、そのストレスが原因で会社を辞めてしまい、それから心療内科に通っているそうです。それも私が通っている病院と同じところであることがわかりました。 当然ながら?仕事に着くことができない状態だそうです。年齢は30歳過ぎ、独身です。やはり30歳過ぎると正社員として採用される仕事というのはほとんど見込まれないでしょう。パートか人材派遣しか選択肢が残されていないということになりますが、そういった仕事には将来の不安という要素が正社員よりも数倍高い??? 結婚して家庭に入れば安心???そういった揺れる状況にある人がこれからもますます増えるのではないかと思います。決して彼女が特別感受性が強いとか、精神的に弱いと思いません。それでも心療内科に通わなければならないほどの状況になってしまう(自己弁護になってしまいそうですが)そんな状況で良いのでしょうか? たまたま今日の地方新聞のコラム(昨日だったかな?)に地元の大学の副学長(今は学部長?)がこんな話を載せていました。----------「失ったものの代償」-前略-今たしかに、物質的に恵まれた環境にある。では本当に私たちは幸せなのだろうか。-中略-効率至上主義をモットーに、日本人特有の勤勉さが、仕事第一人間、会社人間をつくってきたのである。その働き蜂は、長時間労働に耐え、身も心も時間も生きがいも会社に捧げ、働いてきた。効率こそ、もっとも価値のあるものという考え方が日本の高度成長を支えてきた。このことが日本人の価値観を大きく変えたともいえる。-中略-豊かな生活とは、僅かではあるが自分自身の欲するものに囲まれ、自分自身の時間を持ち、こころ豊かに満足した生活を家族と共に送ることではないだろうか。(日本大学工学部長=小野沢元久氏)-----------私たちはどうすれば失ったものを取り戻すことができるのでしょうか?
2005.02.13
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月曜日の昨日、定時を少し過ぎた時間に先週行った心療内科に寄って来ました。やっぱり今服用している薬をこのまま飲み続けるのは好転するどころか体調に良くないと思ったものですから。前回よりも15分ほど遅く病院に入ったのですが、幸いにも待合室には誰もいなくて、待ち時間ほとんどゼロでカウンセリング?を受けることができました。(待合室には前回と同じCDが流れていて・・・リラクゼーション用のCDでしょうけれど、一日中繰り返しで同じCDを聞いていたら私は気が変になってしまうと思うんだけどな)今回のカウンセリング相手は、前回と違って通常診察している理事長(病院長)でした。看護婦(看護士)さんから事情は少し伝わっていると思って安心して行ったのですが、こちらが「真面目で几帳面」という性格を見抜いたからか?かなりさばけたカウンセリング?で、「あんまり真面目に何でも背負い込みすぎるのが良くないんだよ! 適当に、いい加減でいいんだとおもわなくちゃ。いい意味で『大人』になっていないんだなぁ、君は」「症状からすると『燃え尽き症候群』だね。何でもかんでも自分で背負い込んでしまって、自分を責めて自信をなくして壊れてしまうタイプだよねぇ、真面目すぎるから。」「そんなに仕事を真面目にやってどうすんの? 自分ができる範囲でしか仕事はしてはいけないんだよ。責任感とかばかり考えていても何の得にもならないんだから」「大丈夫だ、俺が治して無事に卒業させてやるから」と言って、またまた薬を3種類処方されました。 ひとつは睡眠導入剤、もうひとつは精神安定剤、そして最後のひとつは「気分を高める薬」だそうです。今まで処方されていた薬は1日朝夕各1錠だったものを夕方に1錠へと減らすことで様子をみるということになりました。次は1週間後に診察を受けることにして、今回は診察料1500円ちょっとと、「燃え尽き症候群治療マニュアル」というような本を1575円で買って、薬代が800円の4000円弱かかりました。先週は初診料で2500円ほどに600円くらいの薬代だったから、すでに2回の診療と投薬で医療費の自己負担7000円ちょっと? いつまで続くのか?という不安の前に、症状が良くなって普通の生活ができるようになれば高くは無い?のかも知れませんけれど。病院で買った(なかば買わされた)本をペラペラめくって見たのですが、確かに「躁うつ病」と言われるよりも「燃え尽き症候群」のほうが自分の症状にピッタリくる部分があるように思います。完璧主義ではないのですが、自分が納得できない仕事には不満が残るとか、自分が手をかけた仕事が思うような進展をしていないと手が離れているのに、ついつい手を出してしまうとか、何かに一生懸命だったのにその成果が自分が思っていたほど評価されないとか、ピンと張っていた緊張の糸がなんらかのきっかけで切れてしまった瞬間から、自分の行動や考えに自信がもてなくなる、考えすぎてしまう、結果としてマイナスの悪循環に陥ってしまう・・・ もしかすると、前の仕事を辞めるきっかけが仕事に対しての「燃え尽き症候群」だったのかもしれません。それから、子育てに対する不安=終わりの無い不安に対する「燃え尽き症候群」なのかもしれません。 真面目だから、几帳面だから、どこかで何かきちんとした区切りをつけなければ気がすまない、きちんとした成果がなければ気がすまない。どこかで誰かが自分の事を見ているのではないか?(批評されているのではないか?批判されているのではないか?)そんな不安が常に付きまとっている・・・薬を飲んで、話を聞く以外にも、適度な運動をするようにとの指導を受けました。会社の仕事なんて大したこと無いんだから、時間が過ぎたらとっとと切り上げて(それができるほど毛の生えた心臓はもっていません)30分でも1時間でもスポーツジムで汗を流せば、脂肪肝なんてすぐ治るんだから・・・確かに自分でも会社帰りに無料で運動ができる公的施設を見つけてきていたんだから、そこに通えばいいんですけどね。まずは気分を改善して、運動や適切な睡眠で生活のリズムをつくり、それから治療すべき自分の体をひとつずつ治していくこと、仕事はその次でもいいのでしょう。会社のために自分の人生を無駄にするのではなく、自分のために自分の人生を送ることが大切・・・当たり前だけれどそれができない人がほとんどですよね? 話をして、それから自分でも自分の今の悩みを書き出してみて、客観的に自分をみてみると何かがひとつ欠けている(無くしてしまっている)ことに気がつきました。それは「夢」です。自分はどうしたかったのでしょう?何をやりたかったのでしょう?私の夢は何だったのでしょう?今生きていて、何か自分の夢を実現したのでしょうか? 小さな頃の夢、大きくなっての夢、そして今の夢とこれからの夢・・・夢を描けなければ希望も生まれないのかもしれません。こうしたい、こうなりたいという大きな夢に向かうことが人生の目的なのかもしれません。 夢は単なるお金儲けではなく、自分がこうありたいという理想に通じるものかも知れませんし、自分がどうあり続けるか? 私の夢は何だったのでしょう? そこから考え直すことが私にとっての再出発かもしれませんね。 私にとっての「夢」はなんだ!?
2005.02.01
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月曜日です。うつの気分が強いときほど、月曜日に会社に出てきたくないと思う気持ちと一緒に体調不良の諸症状が出てくると思うのですが、今の私がまさにその状態かもしれません。昨夜は夕食のときに処方されていた薬を飲んで、息子たちと一緒に10時頃には布団に入りました。上の子と一緒の布団に包まって(布団を敷くスペースが狭いのと、掛け布団の枚数が足りないので)すぐ寝付いてくれた息子の隣でウトウト・・・それから1時頃と4時頃の2回、息子のトイレに付き合って置きだしたまではよかったのですが、それから気持ちは普通なんだけれど体が付いていかない(眠れないし、心臓のドキドキ感はあるし、寝汗はかいているし・・・)6時頃に下の子がミルクを飲む時間になったときから気分は急降下、6時20分に上の子が起きて着替えている間、別の部屋で気分が悪くて吐いて(でも胃の中には何も無いから唾液だけですが)のた打ち回っていました。刻々と出勤しなければならない時間が迫ってきて、歯を磨くのとうがいをするので精一杯。シャワーを浴びる気力も体力も無く、もちろん何かを口にする元気も無く、気分が悪いだけでなく体の全てがうまく機能していない状態のまま自宅を後にしてきました。車を運転している頭の中では「今日やらなければならないものはコレとコレ・・・」とにかく頭に残っている記憶を繰り返しておかないと、自分が何をしなければならないのか?何をすればいいのか?が分からない状況になりそうだったので、それを考えるだけで精一杯でした。そんな精神状況で車を運転(しかも凍結ツルツル道路)していたのではとても危ないと思うのですが、自分自身の頭の中では危険まで考える余裕がありません。 会社に出勤して、玄関に溜まっている雪を掃く仕事があったので、それを一生懸命にこなして、それから郵便局への集配のために会社の車に乗って出かけました。この時も頭の中は真っ白に近い状態だったので、会社から出るところで危うく他の車にぶつかりそうになる始末。気分がのらないというだけならまだしも、本当に体が悪いのか?それとも精神的にオカシイ状態が体にも変調を起こしているのか?このまま続くと自分の体もそうだし会社にとってもお互いに良くないのでは?(こんなときに会社の心配をする前に、まず自分の心配をすべきだと思うのですが)誰にどう話をして、どういうふうにコトを進めればいいのか? この精神状況が続いたのでは何も普通にできない気がします。郵便局から戻って、業者との打合せを終ってから午前中は「墓穴」を掘っています。これからの生活にかかる費用と自分が持っている資産総額それらを洗い出しているのですが、「これが無くなるまでになんとかしなければ・・・」と考えるのが正しい方法なのか?それとも「これをいかに減らさないで済まさなければならないのか・・・」と考えるのがいいのか?はたまた、これら(資産)は無いものとして考えるのが一番いいのか?(つまりは会社を辞めたら明日から一文無し)どの選択肢を選んでも茨の道でしかない事実があるんですけれどね。(こうやって自分を追い詰めていくと、最終的に「このお金を残して、私がこの世の中から消えることが一番の選択肢」と考えてしまうんだろうなぁ~ さすがに今はそういった考えには陥りませんが、精神的にも肉体的にも追い詰められると、そういう考えもありかも?と思うようになるかも。
2005.01.31
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今日は会社に出てくることができました。昨日は薬を飲まなかったのに今朝も起きがけは心臓バクバクで昨日と同じ状況でした。気持ちの面ではやはり昨日と同じように不思議なほど憂鬱感はなかったのですが、体はそれについていけないというか、昨日と違って食べていないのに吐き気があり、起き出してからも体の動きが気持ちについていかない感じです。 一緒に寝ている下の子(上の子はここしばらくずっと婆ちゃんと一緒です。お風呂に入るときも、ねる時も、保育園から帰って遊ぶときも)も私の状況を察しているのか?いつもなら6時に目が覚めてミルクを飲んだらそのまま、また眠ってしまうのに、今朝はうとうとしている私に擦り寄ってきてなかなか寝てくれません。子供の笑顔に癒されることが大きいのですが、子供も自分の役割として一生懸命私に元気を与えてくれようとしていたのでしょうか?昨日の夜から「明日、会社に出て時間があったら現在の状況を部長か課長に報告しよう。それから、とにかく今の自分がどうなっているのか?(何を考え、何を心配し、何に悩んでいるのか)を書き出してみよう」と考えていました。どうやら部長も課長も忙しく動いているので(それが余計に私の不安を煽るんですけれどもね。何でもいいから私にできることを指示してくれればいいものを)不安要素を書き出すことと、ライフチャート(躁うつ病のパンフレットに載っていたのですが、何が原因で症状を引き起こしているのかが分かれば、対策をうつことができる(症状を軽くする、再発を防止する)ので、書き出してみることを勧めています。できることからやっておいて損はないでしょうからねぇ)も時系列的に遡って書き出してみました。 不安要素は「健康面=自分の健康・家族の健康」「仕事面=会社の雰囲気・人間関係・仕事の内容・職場環境」そして「将来」 一つ一つを解決していけば将来についての不安は無くなっていくのかと思うのですが、抱えている不安をどれから片付けていったらいいのか?その順番を決めることさえできなくなっている自分が情けなくて仕方ありません。ライフチャートについては、今の状態から自分の心の状態に変化を与えた(と思われる)事柄を遡りながら書き出してみたのですが、一番最初に戻ったのは子供が生まれた5年前。生まれて半年後に耳の障害を知ったときのショック、それから半年後の川崎病での入院、そしてそこから半年後の流産、人事異動によって職場が変わった時(異動そのものは自分の希望だったのでショックというよりも喜ばしいことだったのですが、異動先でのトラブルによって、「招かれざる客」の取り扱いを受けたことはショックでした)それから3ヵ月後に同僚が辞めたことによって仕事量が増えたということのストレスでの精神科通院(うつ病)それから半年ちょっと経ってからの子供が自閉症ではないかという疑いによる不安、同じ時期に友達の死産を知り、子供に対する感情がより強くなり(というか不安が助長された?)仕事面では、自分が経験している施設管理業務を新たに受け入れることについて、誰も協力してくれなかった(大変だということを理解してくれる人が居なかった=仕事面での孤独感)というストレス・・・そして、妻の妊娠で仕事と人間関係と家族への愛情という3つの問題が自分の許容範囲を超えてしまった・・・そこから糸の切れた凧のような状態になっているのかも知れません。もし私が「躁うつ病」だとしたら、『そう』状態と思われるのはこの時だけでしょうね。それ以外はすべてストレスで何もかもがマイナスに思えてしまう・・・ずーっと『うつ』を耐えていたということなんでしょうか?(自分の事なのに他人事?)子供が生まれる前の大きなストレスというと、30歳の頃に県から派遣されてきた上司の威圧的な態度と言動に振り回されたことでしょうか? 職場でのストレスといえば、同じ頃に入社してどうにもこうにも私とはソリが合わない同僚(年齢的には5歳くらい上なんですけれど)この存在が大きかったですね。収入面や仕事の内容を考えれば「辞めなければよかった」と思うのですが、「あの人と同じ職場荷は居たくない=あの人と一緒には仕事したくない」という思いは全く変わっていません。「逃げてばかりの人生でいいの?」そんなことを言われそうな気もしてきました。実際にうちの親はそう思っているし、私が「今の会社を辞めたい」と漏らしたときも「また辞めるの?」と怪訝な顔をしました。確かに逃げていても何も変わらない部分もあるのは事実です。病気に対して逃げていても逃げ切れるわけが無い、病気と闘わずに逃げていたら、やがて訪れるのは「死」ですものね。今の私に必要なのは、病気と闘う勇気と十分な休養、そして時間なのかもしれません。前の会社を辞めた時に、本当だったら体を治すことが最優先だったはずなのに、結局は子供の事や生活のための収入を言い訳にして病気の根本的な治療をしなかった・・・ボロがどんどん出てきます。今日は3時前に面接者が一人いたので工場を案内したのですが、案内が終って事務所に戻る途中で朝と同じような動悸を感じて焦りました。運動というほどの動きをしたわけでもないのに、どうしてこんなタイミングで動悸がするの?昼休みに看護婦さんと話をしたときに「私もストレスで動悸と不整脈になったことがありますよ。心臓とか循環器が悪いのかと思って検査したんだけれど『異常なし』で、やはり精神的な問題だった」ということだったので、やはり薬の影響よりも精神的な影響のほうが強いのかもしれません。ほてりもあります、手のしびれもあります、私はどうしてしまったのでしょう?肉体的にも精神的にも限界を超えてしまったのでしょうか?自分で自分自身をコントロールできなくなっています。
2005.01.29
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昨日の夜に飲んだ薬の影響でしょうか?今朝起きたときの気分はいつもの憂鬱感がなく、思い悩みを抱えていなかった頃のすがすがしささえ感じることができました。ところが、布団から抜け出してみると体の様子がいつもと違うのです。心臓がバクバクドキドキします。顔を洗って茶の間に行って神棚を拝む頃もバクバク感が抜けなくて、挙句の果てに目がクラクラ(めまいに似ているのですが、体が倒れる感じまでは至らないのですが)気分は悪くないのに体が付いていかない感じだったので、そのまま横になっていました。目をつぶっても眠気はそれほど感じることがなかったので、様子を見ていましたが、バクバク感が抜けなかったので会社に連絡を入れて(といっても、私が心身クリニックの診察を受けて、薬をもらっていることを知っている看護婦(師)さんに連絡を入れました)今日は休みました。横になっていてしばらくしたら知らないうちに眠ってしまい、目が覚めたのは午後3時過ぎ・・・なんとかバクバク感はなくなりましたが、体をコントロールしているのが頭で、その頭を薬でコントロールするとこういうことになるのか!ということを実を持って実感できたような気がします。薬を飲んだことによって明らかに気分の回復を感じることができました。こんなに不安感が薬で消し去ることができるのか?という驚きもあったのですが、人工的に意識を変えている?それが必ずしも体には良くないということなんでしょう、心臓がこれほどバクバクすることは初めてでしたし、目がくらむ感じは、後でわかったのですが光に対して過敏に目がなったようです。午後の夕日をちょっと見ただけで残像が強く残ってしまいましたから。夜になっても薬の影響が残っているのか>手足が冷たく感じてなかなか暖まる感じがしません。相談している看護婦さんが、病院に相談してくれたようで、「1日朝夕1錠の薬を夕方1錠だけに減らして,早めにもう一度診察に来るように」といわれたようですが、さすがに今夜も飲んだら明日の朝また同じようになりそうなので、今夜は薬を飲まないでおこうと思います。自分の行動や判断が病気によるものなのか?それとも自分自身がきちんと納得して判断したものだったのか?時間が過ぎていくとともにどれが正しくて、どれが間違っているのかがわからなくなってしまいそうです。ただ薬に頼って自分の人生をやり直すことはできないということと、今の自分がここにいることだけは紛れも無い事実ですから、この自分をどうすればいいのか? 病気であったなら、その病気を取り除くことに全力を注がなければならないと思うし、病気であっても病気でなくても自分をもう一度しっかり見つめなおさないと・・・ここまでに至った原因であるストレスは、何となく思い当たるものがあるのですが^^;そのストレスだけは私が努力してもなくならないからなぁ~ 自分が勝手に吸収してしまっているストレスをいかに解消すればいいのか?ストレス解消方法を悩むべきなのかもしれませんね。さて、明日は仕事。ちゃんと出かけられるようにしないと。
2005.01.28
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昨日、夕方5時に会社のチャイムが鳴って間もなく、会社を後にして(こんなに早く退社したのは初めてかもしれません)看護士さんに紹介してもらった心療内科に行ってみました。病院に着いたのは5時30分頃、保険証を出したら年配の看護士さんが「○○さんから話は聞いていました」と声をかけてきてくれました。以前にこの会社の診療所に勤めていた人ということでしたので、「××さんが課長だったら大変ですよねぇ~」と会社の人間関係に詳しそうで、先生に相談するよりも看護士さんに悩みを相談したほうが分かってもらえそうな感じさえしてしまいました。待合室にはスーツ姿の40歳過ぎと思われるサラリーマン1人と、45歳前後の夫婦と思われる2人組(奥さんのほうが診察で、旦那は付き添いという感じでした)そして20代前半と思われる女性、そして私の5人がいました。やはり普通の病院の待合室の雰囲気とは違い、マスクで顔を隠している人や、ちょっと挙動不審という感じの人達でしたが、一般の病院と同じようにじっと待つとは思いませんでした。待合室には気分を落ち着かせるためと思われるCDが流れていて、照明も暖色系で薄暗く、独特の雰囲気を醸し出していました。(本場ロシア語の「ポーリュシカ・ポーレ」が流れていたりして、なんとなくトリップしそうな雰囲気が^^;)一人だいたい15~20分の診察(カウンセリング)時間のようで、私の順番が来たのは6時30分頃、1時間待っていたのでCDは最初の曲へと戻っていました。詳しいカウンセリング内容は覚え切れなかったのですが、「今日はどういう症状で来院したのですか?」という質問から始まり、「ここ最近落ち込みが激しい」ということ、「今の会社は入社して7ヶ月目」「その前には仕事を辞めて1年間子供の面倒を見ていた」「その前の仕事は役所の外郭団体に15年近く」「子供は自閉症的な傾向があった」「第2子の妊娠で面倒をみる人がいなかったので私が会社を辞めた」「子供の面倒を見ている1年間のうち、後半は就職活動をするために半年間ポリテクセンターに通った」というようなことと、家族構成を断片的に話しました。すると、先生からは「あなたの話を聞いていると、どうも今の状況が急に『うつ』をもたらしているとは思えない。どうして15年も勤めた、しかも安定している会社を辞めてしまったのか?それから、子供が心配で面倒を見ているというけれど、子供の状況を専門家に見てもらったのか?心配していながら半年後には就職のために職業訓練を受けているということは、子供を心配して会社を辞めたという話と矛盾しているように思えてしまう。」と言われました。それで、「15年勤めた会社で、辞める前の年に異動で部署が変わったとき、前任者が2ヶ月で急に退職してしまい精神科に通院して「うつ病」と診断されて3ヶ月ほど通院・投薬を受けたこと」も説明したところ、「話を聞いた部分をトータルで考えてみると、一時的な『うつ』ではなく、その『うつ』で通院した頃からの行動は『躁うつ病』と判断できる気がする。短期的な問題ではなく、長期的に気分の浮き沈みが激しかったり、行動に一貫性が無かったりしませんか?」という話になってきました。 自分では『そう』状態ということは気が付かなかったのですが、診療後にもらった『躁うつ病』のパンフレットを読んでみると「本人は『そう』状態はさほど重要視せず、『うつ』状態を気にするが、周りの人は『そう』状態のときに(重要な決断や判断を衝動的に決めてしまったりとか)迷惑して、『うつ』状態のときはそれほど気にならない・・・そのずれが怖い結果をもたらしかねない(本人が『うつ』状態で苦しんでいるときに回りが放っておくと、最悪は自殺を引き起こしたりする場合もある)」ということが書いてありました。確かに会社を辞める決断は衝動的だったかもしれません。今となって考えれば「会社を辞めたことに後悔している」ということは、自分がとった行動は間違いだった、衝動的だったと認識しているのかもしれません。病院からは「躁うつ病」の精神状況を安定させる効果がある薬ということで「デパケン」という本来は「てんかんの発作を収める薬」を処方されました。(この薬、重篤な肝機能障害がある人には使えないらしいのですが・・・脂肪肝で肝臓に問題ありなんだけれども、私。診療時にはそんな話を聞かなかったけど、服用しても大丈夫かな?)2週間分もらって、それが切れるまでにもう一度来院するように言われました。昨日の診療は、今の状況よりも過去から引きづっている問題のほうが影響が大きいのでは?ということと、「それほど子供さんが心配なら、ちゃんと専門家に見てもらう必要があるのではないですか?」と言われた事。子供が本当に自閉症なのか?それともそうではないのか?耳が聞こえないという障害と自閉症的な傾向に関連があるのか?それも心配ですが、どうして専門家に見てもらっていなかったのか?と言われれば、やはり「自分の子供に障害があると知ったときの悲しさは・・・」子供の耳が聞こえていないという事実を聞かされた時のショックといったら、自分の事以上の悲しみでしたからねぇ。二度とそういう状況にはなりたくない、という拒絶感があるのだと思います。しかし、事実を事実として捉えなければ次の一歩を踏み出せないのも事実・・・ 自分のココロを治療するためにも、子供をきちんと見てもらう必要がありますね。昨夜は寝る前に嫁さんと話をしたのですが、嫁さんを責めたつもりはなかったのに(私の言い方が悪いのでしょうね)嫁さんがパニック状態になってしまい、そちらをなだめるのに疲れてしまいました。「私(=本人)は仕事に行っている時間、子供と一緒にはいられない」「子供は自分の周りの状況からしか知識を身に付けられない」「だからずっと一緒の時間を過ごしている嫁さんには、子供との時間を大切にして欲しい」「危険なことを危険と教える、常識的なことを分かりやすく教える、生活に必要なことをきちんと教える」「子供は親の真似をするから、普段から危険なことや、やってはいけないことを自分でもやらないように気をつけること。例えば電気や水道の節約だって小さいうちから身に付けさせないと・・・(嫁さんはそういう部分が苦手)」うちの嫁さんは前々からこの日記にも書いていますが、時間配分とか手順といった「要領よく」何かをすることが苦手。台所に立つと半日ずっと過ぎてしまうことも多々あります。私としては「多少は手を抜いていいから(完璧でなんか無くていいから)要領よくやって、子供と一緒の時間を作って欲しい」とお願いしたつもりなのですが、自分でもわかっているけどうまくできない・・・ということでパニックになってしまいました。息子の自閉的傾向のパニック症状は嫁さんから遺伝しているのではと思えるような状況で^^; 悩みを抱えることによって益々自分のココロを傷つけているような・・・『躁うつ病』だと分かったとしても、どうなのでしょう?今更その原因を見つけて、その時点までさかのぼってやり直しができるならいいでしょうけれど、世の中はそんなに甘くないし、現実は現実として捉えて、次にどうすればいいのか?(心療内科の医師としては症状を和らげることと、原因を見つけておけば次に同じような症状にならないように注意することができる、=予防医学的な解決 ができれば善しなのでしょうけれど)私は自分の人生をどのように過ごせばいいのか? まだまだ波乱万丈でしょうけれどもね。知らないことは徹底的に知りたがるのが私の性格なので、仕事中に「躁うつ病」のページを閲覧していたのですが、見れば見るほど?ここ3年間の私の行動を客観的に見れば「躁うつ病」の特徴と似ているのかもしれません。(自分では強く「うつ」を感じるときしか認識がないのですが、極端ではないにしても「そう」状態が引き起こす行動と言われても仕方がないことも??? 自分で会社を起こして起業・・・なんて「そう」状態でもなけれな考え付かないことなのかなぁ。でもそうなると、ベンチャー起業家はすべて「躁うつ病」の「そう」状態ということにもなる??? 借金をしてでもという大胆さはありませんが、「劇うつ」な状態から会社を辞めることを決めたときは、「まるで他人事」のような意識の中にあったことは確かです。その頃の日記や記録を読み返してみるとわかるのですが、熟考に熟考を重ねた上、とまではいかないにしても、いろんなストレス要因からのプレッシャーに開放されるひとつの手段として「退職」を選択した気がします。 自分が自分でない状態=「躁鬱」であるとしたら、確かに私は「躁うつ病」なのかも知れません。「躁うつ病」は再発、繰り返す・・・らしいですが一体どこまで自己意識(認識)がないままにそういった症状となるのでしょう? 私が私らしく生きることができなくなるのでは?そういった心配のほうが先に立ってしまいます。
2005.01.27
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昨日の夜はなんとか寝汗を書かずに眠ることができました。でも、10時過ぎに下の子と布団に入り、うとうとし始めたのが11時過ぎ、それから12時に体が痒くなって起き出して薬をつけて、再度布団に入ってから次に目が覚めて時計を見たのが午前3時・・・そこからは夢を見ているのか、起きてボーッとしているのか分からないままの時間が過ぎて(いつものことですが)嫁さんの目覚ましが鳴るのが午前5時過ぎ(目覚ましは鳴っても嫁さんは起きません)そして1時間後の6時に私の目覚ましがなって嫁さんが動き出します。それまでの間もずっと頭の中でいろいろと考えているのですが、自分でも何を考えているのかさえ覚えていません。たぶん心配事ばかりを考えているような気がするのですけれどもね。今日は職場の保険証が切り替わったので、定時に帰って心療内科で診察を受けてこようかと思います。どうやら行こうとしていた駅前の心療内科には、以前にこの会社に勤めていた看護婦さんが勤めているらしく(いつも相談している、この会社に常勤している看護婦さんに「今日、帰りに心療内科に行ってみようかと思うんですけれど・・・」と話をしたら、そういうことが判明しました)状況を説明しやすい?かもしれません。とにかく症状としては、「朝、会社に出かけたくない気持ちが強い(吐き気・食欲不振)」「自分に自信を失っている(仕事・能力)」「会社での居場所がない(人間関係・会社の雰囲気)」「夜眠れない(眠りが浅い、寝汗)・日中は喉が渇く」単純に体が悪いのか?それともココロが体を悪くしているのか?そんな感じがします。3年前にもらったことがある抗うつ剤を飲んでいることを話たほうがいいのかどうか? 悩みを相談するために受診するはずなのに、受診すること自体を心配してしまっているのだから・・・精神構造がおかしくなっている?会社のパソコンにある個人的なファイルの中に「独立時に必要な費用額」というものがあったので、見てみました。(自分で作ったもののはずですからねぇ)10月に試算していたこのデータによると、16年度の国民健康保険の算定基礎による月々の国民年金・国民健康保険の保険料がおよそ5万円=年間60万円。家に入れている現在の生活費が月々10万円=年間120万円、子供にかかる費用(保育園やミルク、オムツなどの費用)が月々5万円=年間60万円で、他に何も贅沢や出費をしないとしても月々20万円、年間240万円が必要であるということになっていました。生活費は食費などのヤリクリでもう少し努力できるとして、子供にかかる費用は削れない、それ以上に健康保険と年金の費用は削るどころかこれから少しずつ負担額が増えてくるわけでしょ? 自宅は持ち家の親子4人家族が最低限の生活をするために必要な金額は240万円???それを稼ぎださなければ生きていけない???一人では月々20万円だけれども、夫婦共稼ぎだったら各々10万円でも構わない??? この金額をどう考えればいいのでしょうか? 簡単に計算すると、時給600円の仕事を1日5時間(9時~15時)20日働いたとしても月の収入は6万円にしかなりません。 お金だけが人生ではないと思うのですが、やはりお金がないことには生きていけない、このままでは生きるな!ということなのかなぁ。別に哲学を学んでいるわけではないのですが、理論ばかり考えていると、人間としての尊厳とか情というものが忘れ去られてしまいそうです。
2005.01.26
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今朝もひどい状態でした。朝食を食べていないのは今の会社に入ってから休日以外はずっとなのですが、今朝は食事をする気どころかシャワーを浴びる気も無く(これも2週間前あたりからの症状で)歯磨きをするのがやっとの状態でした。ひげそりもまばらな状態で、顔は粉が吹いた状態となっています。日毎にうつの症状が強くなってきています(自己判断ですけれど) 半日でも休んで心療内科に行って来ようかな?とも思ったのですが、午後からも予定が入ってしまい、抜け出すことができません。自宅の近くの総合病院の精神科は土曜日だけなので今週は無理、会社=自宅の通勤経路から離れていない心療内科がある病院を探してみたのですが、けっこうあるもんですね。駅前と郊外に診療所を持つ病院に行ってみようかと思います。診療時間も午後6時30分までらしいので、ギリギリ仕事帰りにも寄れるかな?(あ、でも保険証持ってくるの忘れた)心療内科に通院歴があったとしたら、信用はなくなっちゃうかなぁ?体調不良というか、これだけ精神的に疲労が溜まっていると、思考力が全く働きません。思考力というよりも前向きな気持ちが起きなくて、頭に浮かんでくることはすべて後ろ向きな考えばかり・・・ 四面楚歌な状態では自分の命を落しかねないほどの落ち込みを感じます。どうしてこんなに落ち込むの?悩みを誰に相談したらいいのか?友達がいないから?話し相手がいないから?なんかいろんな原因があるような気もしますが、結論的に言うとココロが弱い・・・ 自分の意思がこんなに揺らぐとは思いませんでした。誰かに助けて欲しいという甘えが出てきたのかもしれません。理想と現実は違う・・・そういってしまえばそれまでなのでしょうけれど、私の現実はこんなにも愚かなものだったのかと思うと残念です。バカはバカなりの仕事しかできないということなんでしょうかねぇ~、それにしても自分の居場所が無い会社にしがみつくことが適策なのかと思うと・・・しがみつけるだけしがみつくというのが今できる唯一の生きる手段なのかも。昼食後にもう一錠アモキサンを飲んだからでしょうか?3時過ぎてから自然と気分が落ち着いてきました。落ち着いてきても落ち込むことから回復したわけではないのですが、いつまで今の会社にしがみついているのか?自分がしがみついているのか?それとも呪縛にあっているのか? それにしても精神状態を薬で落ち着かせていること自体が怖いですよね? 落ち着いている間に、次の一歩をどう進めればいいのか考えていかないといけないんだなぁ。現状でも何とかしなければならないことが多すぎて、どれをどうしたらいいのやら・・・
2005.01.25
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今朝は昨夜飲んだうつ病の薬(アモキサン25mg)も効果が無く、とにかく会社に行きたくない辞めたいという気持ちばかりが強くて激しく落ち込んでいました。自分が役に立たない・・・危ない会社(身の危険もあるし、企業体としても危ない?)・・・人間関係の不信・・・将来の不安・・・ 一体私はどこに向かっているのでしょう? 何を現実から逃避しているのか?そう自分でも思うのですが、自分には何もできないのではないか?ということがすべての原因かもしれません。今の仕事も満足にこなせない、現場の応援に行ってもさしたる成果をあげられない、自分には一体何ができるのだろう?今まで自分は何をしてきたのだろう?マイナスを考えるとマイナス面しか思い浮かばない・・・ 今持っている抗うつ薬が無くなったらやはり精神科に行かないと駄目でしょうかねぇ。というよりも、この薬もすでに2年以上前のものだから効果がなくなっている??? 薬では気分が改善されても、現状は何も変わらないんですよねぇ~ って考えるから薬も効かないのかなぁ?抗うつ薬よりも合法ドラッグでハイになっていたほうが良かったりして(でも、合法ドラッグも規制されるらしいですから・・・規制されるのなら合法ではなくなるってことなのかな?)とにかく、「自分は何がしたいのか?」というよりも、「自分には何ができるのか?」という面で自信を(夢を)失っています。「自分はバカだから何もできない・・・」そこまで開き直ってしまっては駄目なのかなぁ^^;バカでも妻子を養わなければならないのだから、引きこもるわけにもいかないですしねぇ。再就職するときには、今までの自分の経歴と経験を棚卸して、そして次に自分は何ができるのかを見極めていくこと・・・が大事だったと思うのですが、今まで自分がやってきたことって? 自分は世の中の役に立ってきたのでしょうか?もしかしたら今までの自分は空想の世界に生きていただけで、今まで過ごしてきた時間は誰の役にも(ましてや自分の役にも)立っていなかったのでは?実は何もできない私だった・・・今頃気が付いてしまったのかもしれません。(すっかり自分らしさを失った感じです)前の会社を辞めたときは、「これで自分の可能性へ挑戦できる」という前向きな考えがあったと思うのですが、今は「どれをやろうとしても、なんだか駄目そう」というマイナスイメージしか浮かんできません。即効性を期待するから駄目なんだろうと思うのですが、即効性(すぐ儲かる)も何も、手も足も出せない自分(裏返しされてしまった亀のよう)が見えてきてしまいます。 やはり誰かに使われることにしか慣れていない私には、起業するなんて無理なのでしょうか?昨夜は「メンタルケア」について調べていて、「産業カウンセラー」とか「メンタルケアアドバイザー」なんていう資格があるということを知りました。自分で自分自身をカウンセリングするしかない?それって仕事になりませんよね。私の私らしい仕事の仕方というのは、独断と偏見で何かをやり遂げるのではなくて、考えられる手法のなかでもっとも痛みの少ない方法を選択していく、結果としてみんなでやり遂げる(達成感を味わえる)というものだったような気がします。白熱した議論の中から結果を導き出すのではなく、色んな意見を聞きそれぞれの良いところを見つけ出して、みんなが強調してくれる結論を出してから、それを推し進めていく・・・ともすると時間がかかったり、同意を得られないと何も前に進まないことになりかねない方法かもしれませんが^^; ところが残念ながら今の会社は、独断的に物事を進めるという方法が一般的で、協調性に欠ける意識の人たちばかりが多く集まっている感じがするのです。 独断には独断でしか対抗できないのでしょうか? 目の前の結果さえ得られれば、ヨシとしてしまっていいのでしょうか?確かに株式会社は利益主義でしょうから、「はじめに利益ありき」でしょうけれど、実際には「赤字体質」の会社だし、体質的に赤字となっている理由は、私が違和感を覚えて仕方がないこの人間関係(というか意識の不統一感)にあるのではないか?と思うのですけれど・・・トップダウンでもなければ、ボトムアップでもない。下は下の意識、上は上だけの意識、下からの意見は上に上がらず、上の意識は下まで浸透しない、水辺で石を投げ入れても、輪紋が広がる前にさざ波にすべて打ち消されてしまう・・・そんな感じです。 コピー用紙1枚のコストを気にしている割には、現場で使用している消耗品については一切お構いなしのようだし(「木を見て森を見ず」とでも言いましょうか)例えばタバコの吸殻をポイ捨てしても、結局はそれが溜まった排水溝を掃除するのに多額の清掃料がかかるのだから、こまめに灰皿に捨てたほうがコストは安くて済むのに、それができない。ポイ捨てする人は自分が直接清掃料を払っていないから意識が薄いのと同じこと?最初は自分の不遇を悩んでいましたが、今は自分の能力の無さに悩んでいます。今度辞めたら次の就職先は無いと思っているのですが・・・次はやはり就職ではなくて自営でしょうね。自宅にある土地を使って農業でもやろうかな?収入の多い・少ないよりも、自分らしく生きることが最大の目標になってきましたから。
2005.01.24
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またまたすいません、土曜日の、とある出来事でショックを引きずっています。果たして私は今の状態をずるずると続けて言っていいのでしょうか?どういうことがあったのか?というのは15日の日記(ファイル転送を忘れていたので月曜日の夜に更新となると思います)に詳しい内容を書いているのですが、本当なら今頃は東京の取引先の工場での検査のために出張していたかもしれないのです。今日はまだ地元にいますが、水曜日の夜からはその出張に出かけているはずです。やったこともない検査、行ったことも無い工場、もしかすると1週間も家を留守にしなければならない状況・・・(水曜日からだと週末まで4日間だけで済みそうですけれど)トラブル対応は世の中の常とはいうものの、総務という立場で全く未知の世界(検査もそうだし、相手先の現場というのもそう)に対処していかなければならない・・・ 家族という不安をかかえ、自分の健康という不安をかかえ、出張して相手先で仕事ができるのだろうか?自分に自信を失いかけている今、とても辛い状況にあります。とりあえず今回は行って来ることにしますが、その結果によっては自分に勤まらないことがわかれば・・・ 自分に自信があった頃には、こんなことで悩まなかったと思うんですけれどね。 今の会社に対してそこまで精神的に忠誠を誓うことができません。土曜日には部長に「昔、新婚まもなくなのに、1週間行ってきて!といわれて2週間ぶっ続けで相手先に修理に行ったこともある」という話や、京都の偉いお寺の住職の話で「か=偏らない こ=こだわらない と=とらわれない という3つを心に持っていないとやっていけない」という話をされましたが、過去の事実は過去の事実だし、心にもつ役に立つことわざはことわざとして理解できるものの、それが今の自分にできるのか?今の自分の状況にどれだけあてはまるのか?なんだか今のままダラダラと流されてしまっていいのだろうか?自分は一体何なんだろう? やりたいこと、できること、自分らしくあること、何のために今の自分がいるのか? そんなことばかりを悩んでいる私は病気なのでしょうか?誰に相談したらいいのでしょうか? 誰の意見を取り入れればいいのでしょうか? ただ一人悶々と悩んでいるしかないのでしょうか? 少なくとも養っていかなければならない家族がいることだけは確かだし、自分自身がこの世からいなくなってしまったら、家族を養うこともできなくなる・・・ 何かの結論を出そうとしていることが間違いなのでしょうか?
2005.01.16
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こういう仕事はこう処理すればいい・・・私はそういった事務処理の基本がなっていないのでしょうか?そんな感覚に陥ってしまいそうなほど、職場にいると自分に自信を無くしてしまっています。今までのやり方が通用しない?それは世の中どこでも同じこと?それともこの会社の中だけでの話? 仕事に対する責任と権限委譲が明確になっていない?これはこうだよ、といったルーチンワーク以外が多いので(総務ですから)それに対してどういう仕事の流れをすればいいのか?基準とか事例がマニュアル化されていないし、困ったときのより所となる規程が何もないから人に聞くしかない。聞いて教えてくれれば(ヒントでもあれば)まだ進め方を考え付くのですが、そこが会社独特の考え方なのか?雰囲気が独特なのか?どこに進めれば良いのかの進路を導き出せません。周りが忙しく(というかルーチンをたくさん抱えて)動いていると、余計に自分が動いていないように感じてしまうし、それは自分に能力が無いから?自分は信頼されていないから?自分はこの会社になんて不要なんぢゃないの? だったら辞めたほうがいいじゃない? そういう理論に思考回路が構成されつつあります。 体調もよくない(虫歯のせい?それとも鼻が悪いせい? 今日も頭がガンガンします。それに加えて肝臓や内蔵が悪いせい?腰とか背中が鈍く痛んでいます)ストレスの影響でしょうか? いずれ虫歯は抜かなきゃいけないし、鼻は手術? 肝臓は悪化しないうちに治療(といっても酒を飲まないから、規則正しい生活と運動をすれば良いだけですけれど)ということはやはり、しばらく治療に専念すべきなのかな?子供たちが落ち着いた頃に・・・と思って先延ばしにしていたのですけれど、あまり先に延ばしすぎると、そのまま帰らぬ人になってしまうのでは?(すでに手を付けられない状況だったりして?という不安もあるのですが) 前に会社を辞めたときに(辞める前に)全て治療を済ませればよかったのかも知れませんが。治療できなかったので辞めたというのもあるし、子供のほうが心配で治療できなかったというのもあるし・・・治療して完治すればいいけれど、そのまま・・・という不安も強くありました。 精神的に落ち込んでいる今、体力が落ちている状況で手術に挑むというのはもっと危険ですよね? 手術とはならなくても(虫歯はかなりひどいので、2本とも抜くようになるでしょう。鼻は・・・手術しなくて済むならそれでいいのですが)入院加療となるだろうし、仕事をしながらという体力も精神力も残っていません。どこかに逃げ出したい・・・今がそうなのではなく、今までが逃げているだけの生活だったのかもしれません。病気から逃げ出す、仕事から逃げ出す、不安や恐怖から逃げ出す・・・いずれ立ち向かう(それとも屈してしまう)ことになるのに、それをかわし続けていたのが今になって逃げられなくなってしまった??? まな板の上の鯉になって構わないから、総合病院ですべての検査を受けたほうがいいんでしょうね。歯も鼻も、内蔵も(内蔵は健康診断でも検査しているから、生活改善で大丈夫だと思うけど)今の会社に籍を置いたまま治療したほうがいいのか?(でも病欠で退職となるのかな?)それとも会社を辞めてから治療に専念したほうが良いのか?(費用的には在職していたほうが安く済むのでしょうが、それでも入社して半年で病気治療で休暇というのは、そのまま退職しか考えられないでしょうね)そのタイミングをいつにすればいいのか?転職のための履歴書も送ったばかりだし、子供はまだ小さいし、嫁さんにはまたまた負担が大きくなるだろうし・・・そんなことばかりを考えていたから、今まで治療もできなかった(このままでは、この先も治療できない) 自分の弱さがつくづく嫌になります。ネットで睡眠について調べてみたところ、2週間以上不眠の症状が続いたときは、「うつ病」の可能性がたかいとか。私はすでに半年近く不眠(寝ないのではなく眠れない、眠りが浅い)ですから間違いなく「うつ病」ですね。昨夜は久しぶりに「抗うつ剤」を飲んで眠りました。そのせいか朝起きたときはいつもほどの憂鬱感は感じなかったので、やはり薬が効いているということですね。 1年前は精神科に入院することも考えたけれど(通った精神科は週に1度しか担当医が来なくて入院することはできなかったし)精神科に通うだけでも他人の目が気になるわけだから、入院なんかしたら二度と就職できない??? そんな心配もあって通院することも辞めていました。(今もっている抗うつ剤は2年前のもの。すでに使用期限を過ぎている???) 会社の組合保険を使って診療すると、家族にバレるのは仕方ないけれど、会社にもバレてしまうのかなぁ? 会社近く(もしくは会社の通勤帰りに寄れる)精神科、心療内科に通ってみようかな? 歯科・耳鼻科・精神科・内科 どれを優先に通うべきなのか?それとも総合病院でまとめて見てもらうのが適切なのか? (この4つ診療科がある病院なんて限られている?もしかして存在しない?) 入院して全部を見てもらえると気が楽(実際には苦痛だったりして)そんな気になります。治療しなくてもなんとか仕事をやれる体力もあるわけですが、それが一体いつまで続くのか?続かなくなった=何を意味するのか^^;
2004.12.10
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昨日の動きの続きです。家に帰ってから職務経歴書を作成して、今まで書いていた履歴書を探そうとしたのですが、大量に書き溜めていたB4サイズの履歴書は処分していたのでA4サイズのものだけしかありませんでした。それを修正しよう頑張ってみたものの、角が汚れていたり年齢が1つ前だったので、直すにも無理がありすぎ?それにA4サイズの用紙を入れる封筒も見当たらない・・・結局、昨日は出せずに今朝コンビニで履歴書と封筒を買って出直しとしました。どうせ駄目もとだとはいえ、汚い書類のままでは最初から見てもらえないでしょ?せめて提出する書類くらいはきちんとした体裁を揃えて出したいですよね? 手書きの文字は頑張っても限界がありますが、用紙自体が汚れていたのでは・・・ということなので、今日の昼休み時間にどこか場所を見つけて履歴書作成に専念できれば、今日中に発送することもできる? 問題は、次の会社が本当に残業無しで基本給がそれなりに出せるのか?というか、ここで乗り換えていいのか? 非常に難しくなってきました。とりあえず応募するだけ応募してみて、駄目だったら・・・入院でもしようかな? これ以上心の風邪が悪化してしまったのでは、本当に死んでしまいそうです。今朝も息子たちの元気な笑顔に見送られて会社に出てきました。 元気なときは笑顔に励まされ、風邪で具合の悪いときは「この子たちを支えなくっちゃ」と鞭打って、なんとか会社に出てきます。出てくれば仕事をしたくないわけではないので、指示されていること、自分でできることはこなしている(つもり)なのですが、会社としての将来、自分の将来、そんなことを考えるとだんだんと憂鬱になって不安になって、悪いほうに悪いほうにばかり考えてしまいます。悪く考えると会社の何もかもが嫌になってしまう、工場独特の臭いとか、すざまじい埃とか、ほとんどの従業員がタバコを吸うから、その煙と服に染み付いてしまう臭いとか・・・こんな環境に長くいたら絶対に体壊してしまうだろうなぁ~ 精神衛生的にもそうだし、肉体的にも体を壊してしまったのでは、何のために頑張っているのかわかりません。 工場の中で働いているわけではないのですが、その特殊性から黒くて細かい砂は事務所の中にもドンドン入り込んでくるし(トイレの換気扇付近にも黒い砂がびっしり溜まっています。この砂とタバコの煙が肺に溜まるのかと考えただけでも)同業種の中でも一番汚くて整備されていない工場でしょうね。私も他に見たことがありません。(今も咳き込んでしまったのですが、原因はウィルスでも細菌でもなく、この環境ではないのかな?)何のために仕事をするのか?そう問われたときに、「お金のため」とは言いたくない自分がいます。お金のことだけを考えたなら、前の会社を辞める必要はなかったでしょう。少なくとも休職扱いにしておいて、現場復帰したほうが今の倍はもらえていたでしょうから。子供と一緒に過ごす時間が欲しい・・・もしかすると二度と一緒に過ごせる時間がないかも?そういった不安から、仕事よりも家族を優先したわけですが、子供の病気も落ち着いてきた今(上の子の自閉的傾向は改善ということがないので延々と続くと思うのですけれど)最低限の生活で良いので、子供と一緒に過ごせる時間を優先すべきなのか?それとも、ある程度の収入を確保するために仕事へのウェイトを高めるべきなのか? 現実問題として今の仕事はそれほど残業せずに帰るようにしているけれど、それでも朝は時間が無いし、帰ってからも一緒に夕食を取ることはないし、寝顔だけを見ているというのは親としてもどかしいし、子供は父親をどう思うでしょう?これから私でも始められるような在宅ワークがないかどうか? 始めてみようと思った裏稼業についても、仕事と家庭の間で自分の時間さえほとんど取れない今、頭の中をクリアでもしない限りビジネスモデルをまとめる気力が出できません。 手堅く稼ぐためには、新規参入しても回りに商売敵が少ない(いない)分野であること、ある程度顧客確保が可能であること、現状維持の生活をするためには年間300万円以上の利益(事業にかかる費用を除いた額)が計上できること、軌道に乗るまでは人件費をかけることなく事業を実施できること・・・欲張りすぎて、結局何もできなくなっちゃうかな?
2004.12.08
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