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シムソン氏記事(2020.03.14)「家庭連合の食口が意味を理解すれば、脳と生殖器が爆発するだろうお父様のみ言!」https://simuson.muragon.com/entry/260.htmltomy4509からの応答は以下です。-----「ペアシステム」の話をしたはずです。創造を始められる前の神様本体が「夜の神様」であるとすれば、その時点で「昼の神様」はないはずです。ところが、「夜」となれば、そこには「昼」の概念も既にあったという論理が成り立ちます。シムソン氏の創世以前からの夜昼の神様論は「二元論」ということになります。原理講論では「喜び」について以下に規定しています。-----(引用開始)(二) 神の喜びのための善の対象神の創造目的に関する問題を詳細に知るためには、我々がどんな状態にいるときに、喜びが生ずるかという問題を先に知らなければならない。喜びは独自的に生ずるものではない。無形のものであろうと、実体であろうと、自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき、ここに初めて喜びが生ずるのである。一つの例を挙げれば、作家の喜びは、彼がもっている構想自体が対象となるか、あるいはその構想が、絵画とか彫刻などの作品として実体化して対象となったとき、その対象からくる刺激によって、自己の性相と形状とを相対的に感じて初めて生ずるようになる。ここで、構想自体が対象として立つときには、それからくる刺激は実体的なものではないために、それによる喜びも実体的なものとなることはできない。人間のこのような性稟は、みな神に似たものである。ゆえに、神もその実体対象からくる刺激によって、それ(神)自体の本性相と本形状を相対的に感ずるとき、初めて喜びに満たされるということを知ることができる。-----(引用終わり)このように実体のない構想も対象として成り立つということです。夜の神様が本体(主体)だとすれば、その構想理想は分かれた対象です。(シムソン氏)記事本文からの引用(以下)-----神様の成長過程において、母親の位置に立つのは真の愛です。その真の愛の胎内で、真の愛を、永遠普遍の神様の全身で飲みながら成長したのです。それを地上界で形状化しようと発想したので、親子の生命システムとして被造世界に実現したのです。真の愛は実体がありません。ですから実体のないものを母の心情とか、母の性質と表現できても、「母」という呼び名を付けることはできないのです。-----(引用終わり)ここでも神様本体とは別に「母」とは呼ばない【真の愛】が対象物として登場して来ました。神様が真の愛の胎内で【真の愛】を飲みながら成長、そして、「親子の生命システムとして被造世界に実現」ということは、神様にもまた上の親神様がいたということですかね。さらには、その親神様にも親が……。お父様の語られる「真の愛」と兄弟、夫婦、父母、親子を一つにする力のことではないですか?危弁を弄しては翻弄しようとしているのですか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.16
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シムソン氏、あなたは『ファミリー』2005.1月号をお持ちではないでしょう。ですから、私が提供した情報からしか判断することは出来ませんし、「私無存」からではなく「恣意存」で書かれています。『ファミリー』2005.1月号P.20からの引用です。 父子関係は宿命的なもの 最近は、仏教の人たちは、「因縁」を語るでしょう? 男性の前には女性が、女性の前には男性が最も因縁が近いのか、男性同士であれば、父子の関係の因縁が近いのか、その次に、男性同士の兄弟関係の因縁が近いのでしょうか? その順序が異なれば困るのです。どれが最初に立っていなければなりませんか?(「父子関係です。」)父子の因縁が関係して、父子関係を分けるこはできないので、「関係」と言うのです。「因縁」から一段階、発展したものが「関係」です。……このことからtomy4509が次のことを書いていました。『神様を「天のお父様」と呼ぶとき「神様は、お父様であると同時に、お兄様です。どれほど近いですか?」と問うていました。キリスト教では「天のお父様」と呼んできましたが、「兄弟関係」止まりだと語られていたものでした。それ以上に近いのが「父子関係」だというのがお父様のみ言です。ために、男性的な心と女性的な心を通して関係を結ぶようになり、「天のお父様」と天の息子・娘が生じてくる、ということです。』以前には、天のお父様に弟(天使長ルーシェル)がいたという訓読会での文鮮明総裁のみ言を伝えたはずです。兄弟関係が最も近しい関係だとすれば、愛の神様は天使世界(無形実体世界)の創造で大満足され、それ以上は必要なかったと思いますが。ところが何故? 人間アダムとエバを創造されたというのでしょうか。キリスト教でも神様を「天のお父様」と呼び兄弟愛を説いています。ところが、『原理講論・総序』からはすべての人類はみな同じ父母(神様)から生まれた子孫であるという教理に従って、それを教え、かつ信じているキリスト教国家の国民たちが、皮膚の色が違うというただそれだけの理由をもって、その兄弟たちと生活を同じくすることができないという現実は、キリストのみ言に対する実践力が失われ、灰色に塗られた墓場のごとく形式化してしまった現下のキリスト教の実情を、そのまま浮き彫りにする代表的な例だということができよう。ここにこれまでのキリスト教の限界があり、「天のお父様」と呼んでも一つとなることが出来なかった原因があるということです。唯一絶対の「天のお父様」と呼んでも観念的でその実体が伴っていなかったからです。なるほど、イエス様は神様を「天のお父様」と呼び、キリスト教会でもそのように呼んでいます。しかしながら「お父さん」といってもそのお父さんがバラバラであり、お母さんもまたバラバラであるため、兄弟といっても(神様の)一つの血統となることが出来なかったのです。こんにちまでクリスチャンたちはイエス様の血の代価で救われたと喜んでいますが、その現実を見たときに肌の色が違うといっては席を同じにすることが出来ず、数多くの宗派で争ったりもしてきました。ために、2000年前にイエス様はニコデモに「もう一度生まれなければ神の国を見ることが出来ない」と言われたのは、その兄弟関係を一つにまとめるために唯一絶対の神様の血統を持って来られたのがイエス様であったし、また、十字架で亡くなられるためではなく結婚しては、また、人類を神様の血統に生み変えてくださるためでした。仕方なく十字架の道を行かれるイエス様が「また来る」と再臨の約束をされては、その時「小羊の婚宴」をなさると言われたのもこのためでした。さて、最初の『ファミリー』2005.1月号P.20からの引用ですが、神様と人間の関係において「兄弟関係」以上に「父子関係」が最重要であることを文鮮明総裁は語られていました。兄弟関係といっても義兄弟、異母兄弟もあったりで血統が一つとは言えませんが、「天のお父様」と天の息子・娘と言えばどうでしょうか。「父子関係」がどれだけ近しく感じられるか分かりません。ところで「父子関係」ということですが、父親が息子・娘を生むことが出来るでしょうか?そこには当然のことながら「母親」があって然るべきです。夫と妻が「真の愛」によって一つとなることによって生命が誕生しては「父母」となり、代を重ねることで血統が連結されていくようになります。これまでは神様を「天のお父様」と呼んで来ていましたが、文鮮明総裁が過去に「天の父母様」と呼んでこられたものであり、家庭連合(旧・統一教会)ではここ数年前から「天の父母様」に変更されています。神様と人間が「父子関係」だとすれば、私からのこれまでの説明から「天のお父様」では観念的で血統もバラバラですが、神様を「天の父母様」と呼べば、誰もが同じ一つの血統から生まれた息子・娘としての実感もあるというものです。イエス様は「わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」とあるように、この地上で「真の父母」が現れない限り神様も「天の父母様」とはなれないという原則がありました。アダム・エバが堕落したことによって成し得なかったそれを果たすために神様はメシヤをこの地上に送られました。それが、2000年前のイエス様であり、こんにち家庭連合では文鮮明総裁・韓鶴子総裁をその「真の父母」と呼んできました。これまでは私のブログでの「天のお父様」と「天の父母様」の呼称に関する論議を展開して来ましたが、サンクチュアリ教会の文亨進氏は文総裁夫妻の七男さんとはいえ、「天の父母様」呼称には否定的な意見を打ち出しており、それに追従するブロガー「とうごま氏」「シムソン氏」らもそれを受けての「天の父母様」呼称を否定するキャンペーンを展開しています。つまりは、神様の一つの血統からなる「ワンファミリー・アンダーゴッド」が神様の夢ですが、サンクチュアリ教会の主張するところは、文総裁夫妻ではない元弟子であった姜賢實女史を継母として立てては、その血統を異にしたために、「天の父母様」呼称に反対する理由はここからのものであることを悟るべきです。姜女史の霊界祝福の相手は誰ですか。キリスト教のアウグスティヌスであり、サンクチュアリ教会がこれまでの曖昧な兄弟関係に留まる一派に格下げされたことを認めておられるようです。もちろん、全人類が願ってきたことは「自由と平和と統一と幸福な世界を完成」することであることは言うまでもありません。人間は男女問わず「母親」から生まれてきます。文鮮明総裁は、自叙伝「平和を愛する世界人として」とあるように生涯を歩まれ、また、1960年の御聖婚後の半世紀余りをともに二人三脚で歩まれた韓鶴子総裁も、こんにち、各界の著名人らから(自叙伝)「平和の母」として慕われています。サンクチュアリ教会はその「天の父母様」の方向と逆の方向に向かっているようです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.16
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今回も『ファミリー』2005.1月号からのお父様の『第四十五回「真の子女の日」のみ言』の一部(P.36~)を掲載します。…… 世界がお母様をお迎えして、 初めてお父様が解放される きょうの「真の子女の日」は、偉大な日です。分かりますか? 四十四というのは何かといえば、一度やってみてください。「44」の上と下を合わせれば、「母」の字になるのです。 どうしてこのように四十四なのですか? 害いてみてください。これを中心としてこのようにして、これが下に長くなっているのですが、これをこのように逆さまにすれば、ここでこのようになるので「母」の字になるではないですか? ですから、米国が四十四代において、お母様をお迎えしなければ、滅びるのです。きょうここに、四十四周年を中心として集まった子女たちが、今から自分たちの行くべき孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を完成するのは、イエス様が願った天地が一体となった地上天国の上で、父母が座ることができる王座を解放して奉献してさしあげるということであり、それが最後の願いであったということを知らなければなりません。(「アーメン。」)(拍手) 日本を蹴飛ばして抜け出すために、わたしが韓国と蒙古斑の大陸までも教育するので、日本の国の人たちが、どこに行っても母の国を定着させることができる基盤を築くことができるのです。 それをしているのに、日本が反対しているのですか? それは雷に打たれなければなりませんか、そのまま順調にいかなければなりませんか? 火で燃えて死なずに、天の罰……。ソドムとゴモラに硫黄の火を降ろして滅亡させたでしょう? 先生が取り戻そうとしているのは、日本の家庭です。天地を超えた統一家庭です。 父母を王子、王女の位置に即位させ、それでも千年万年不足であるという悔い改めの涙を流し、忠臣の道理、聖子の家庭の道理を果たすことができなかったと、あの国に行って天国のいちばん底、地獄で再教育をしなければならないというのが、日本人の責任であるということを知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 実践した記録がなくて、どのようにして教育するのですか? はっきりと知らなければなりません。 韓国はそれ以上にしなければならないでしょう。北朝鮮に行ってそれをやり、中国を一つにしなければなりません。 きょうの「子女」という名分が、どうして貴いのかという事実を大体理解し、「四十四」が、このようにお母様の席を日本に迎えなければならず、母とカイン・アベルが争つて分かれ、父を追い出してしまったことが、家庭から始まったので、国家基準、世界基準でも、家庭を代表したその位置にお母様の席をつくり、皆さんの家庭において、お母様をお迎えすることができる天下の女王の位置を立てなければなりません。 そこに孝子、忠臣、堕落していない神様の血統と生命と愛の一体圏の血統を受け継いだ、直系子女の名分を取り戻さなければ、天の国に入つていくことができず、この地上に存続することができないのです。 ですから、あらゆる精誠を尽くして、この目的基準を克服、超越するための精誠を尽くしていくのです。ソドムとゴモラに、最後の何人までいれば、「赦してください。」とアブラハムが祈祷しましたか? 最後の何人までですか? (「十人です。」) そして、一緒に死ぬことはできないので……。ですから、危険な目に損う前に、早く韓国に、ソ満国境(ソ連と満州の国境)を越えて、旗を掲げて、救いの道を行き、中国、蒙古斑同族の同志たちを解放しようとしなければなりません。 韓国と日本の同胞をすべて動員するのは、問題ではないのです。そのような至急な時代が来ました。話だけではありません。 先生がそのように願った標準の前に、妥当となりえる相対的基準となり、神様を王として侍り、その家庭で天宙天地天地人父母が直接解放的な祝賀をして、感謝の涙を流しながら、「一体圏を代身して、神様に永遠に侍ります。アダムとエバの堕落の恨の根を抜き、影までもない『正午定者』の世の中をつくります。」、このような解怨、整理してあげる祈祷をして、神様の前に敬拝をささげて出発してこそ、新天地の王族と王国が始まるということを知らなければなりません。アーメン。(「アーメン。」)(拍手) 多くは語りません。先生が願い、神様が願われるのは、天の国で永遠に誇ることができ、天上、地上天国の上で、孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭を凌駕した天の国の王国を受け継ぐことができるひとり子であり、ひとり娘です。 天の全権を相続され、代行することができる主人の位置を立てておいて、再び受けることができる資格者となるのが、わたしの家庭であったのです。「わたしの家庭。」と言ってみてください。(「わたしの家庭。」) そのようになって、神様がわたしの家庭を中心として息子、娘であると思われるのです。アダムも愛することができず、エバも愛することができず、その孫と孫娘も愛することができず、今まで数千万代の息子、娘を誇ってきましたが、自分の息子、娘として愛することができなかった神様を、初めて皆さんの家庭で解怨成就するのです。 すべての家庭の代身者、家庭の相続者として、天宙まで、八段階以上まで、すべてわたしが代身して奉献したので、永遠、不変の一つの家庭において、すべてのみ旨を代身し、相続の家庭として王権を代身した、天上天下の王宮の王族になるのです。アーメン。(「アーメン。」) このような系列のわたしの家庭になろうという人は、立って両手を挙げてください。把手。(拍手一)下ろしてください。それでは、祈祷します。(祈祷) お母様をこの日にお迎えしなければならず、このアジアに、世界にお母様の席をつくってあげて、お父様が解放されるのです。分かりますね? (「はい。」) 今まで、日本の者同士、韓国の者同士で行おうと考えたでしょう? はっきりと知らなければならないのです。それでは、もう決意したので、そのとおりに生きてみてください。(感謝の敬礼をささげる)……一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.14
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前回記事「シムソン氏へ」では古いファミリーはお持ちでないでしょうからと思い資料として提供したのですが、その一文の深意をつかむことが出来なかったようですね。次の映像「永遠のお母さん」、4分弱のものですので見られてください。前回記事資料からの一部を以下に引用します。 それで、キリスト教では、千年前のおじいさんたちも「天のお父様」と言い、万年後の子孫たちも「天の」何と言うのですか? (「お父様です。」)お父様です。 それでは兄弟の関係ではないですか? はっきりと天のお父様と呼んで、このような心情的一致圏の関係を結ぶためには、その因縁を知らなければなりません。 神様は、お父様であると同時に、お兄様です。どれほど近いですか? ……神様を「天のお父様」と呼ぶとき「神様は、お父様であると同時に、お兄様です。どれほど近いですか?」と問うていました。キリスト教では「天のお父様」と呼んできましたが、「兄弟関係」止まりだと語られていたものでした。それ以上に近いのが「父子関係」だというのがお父様のみ言です。ために、男性的な心と女性的な心を通して関係を結ぶようになり、「天のお父様」と天の息子・娘が生じてくる、ということです。さて、シムソン氏記事(2020.03.10)コメント欄にtomy4509が投稿していたものです(以下)。シムソン氏は、『ファミリー』2005.1月号のほか部分も読まれて私を批判されていますか?教理研究院からは原理講論にも「天の父母」の記述があることを紹介していました。https://trueparents.jp/?page_id=5749原理講論P.61を見れば、 ここにおいて、我々は、人間始祖として創造されたアダムがもし完成したならば、彼は被造物のすべての存在が備えている主体的なものを総合した実体相となり、エバが完成したならば、彼女は被造物すべての存在が備えている対象的なるものを総合した実体相となるという結論を、直ちに得ることができる。神は被造世界を主管するように人間を創造されたので、アダムとエバが共に成長して、アダムは被造物のすべての主体の主管主として完成し、またエバはすべての対象の主管主として完成され、彼らが夫婦となって一体となったならば、それがまさしく、主体と対象とに構成されている被造世界の全体を主管する中心体となるべきであったのである。 また、人間は天宙の和動の中心として創造されたので、すべての被造物の二性性相の実体的な中心体であるところのアダムとエバが、完成されて夫婦になってから、彼らがお互いに和動して一体となったときに、初めて二性性相として創造された全天宙と和動することができるのである。このように、アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置が、正に愛の主体であられる神と、美の対象である人間とが一体化して、創造目的を完成した善の中心となる位置なのである。ここにおいて、初めて父母なる神は、子女として完成された人間に臨在されて、永遠に安息されるようになるのである。ほか、原理本体論然りです。・サンク推奨『原理本体論』映像からも「天の父母様」!!https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201903170002/・サンク教会の推奨映像紹介『原理本体論 はじめに』https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201903220002/黒・天聖経に書かれた「天の父母(様)」については過去のコメントにて一部を引用していましたが、私の調べでは少なくとも23個確認されていました。https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201901100000/https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201901100002/このように、お父様も神様を「天の父母(様)」と語られておられたにもかかわらず、亨進氏ほかサンクチュアリ教会メンバーがそれを必死になって否定されるということは、中村仁史氏のビデオでも取り上げていた「「天運と聖霊の宿る『8大教材教本』」とは別の教えをサンクで教えているということになります。シムソン氏、あなたもその一人です。サンクはまた、「真の父母様」不在であり「不母主義」を教義としているようです。『TWJ』2011.天暦1月号には夜昼の神様のことも書かれていましたが、P.18~の引用(以下)----- そのときも(お父様16歳のとき)も信仰生活をしてはいましたが、祈祷するときに私が神様に対して「天のお父様」と呼ぶのが父親だとすると、母のいない父がありうるのか? イエスは男で、……花嫁もいて家庭もなければならないのに、家庭もなくて妻もいません。 なんと、そのかた(イエス様)が現われ、この天地の公的な責任を任せ、それだけでなく相続して代身者になれという話をしても、そんなことは信じられないというのです。そのようなとき、祈っている神様が、どこかにピタッと合うようになります。 …… ですから神様といっても、その神様が本当の神様なのか、何も分かりません。神様はおひとりでなければならず、夜の神様も昼の神様も、神様が二人であるはずがないので、一つの神様が体と心が一つになったその立場における根が一つにならねばならず、根が夜なら夜の根であって、昼の根にはならないということです。 ……真のお父様の生命を中心とした精子と真のお母様が息子、娘を生んだ、そのお母様の子宮を中心に精子と卵子がいつ出会って結婚式をしましたか? 夜の神様と昼の神様が、……-----(引用終わり)お父様は「天のお母様」は居られないと言っているのでしょうか? それとも?「天のお父様」だけでは不完全です。真の愛ゆえに「ハナニム」が夜(+)昼(-)に分かれました。単独では愛することが出来ないからです。説明図は「ハナニム」(正)から夜・昼(分)、そして、子女(合)となるべきです。(シムソン氏)記事本文からの引用>「神様はお父様なのですが、お父様は父母様でしょう。」のみ言は、父と表現されているのは神様本体の夜の神様であり、母と表現されているのは被造世界の構想理想が組み込まれた昼の神様の事です。ですから、女性格対象の霊的な働きです。そこで、実体のない存在を「お母様」と呼ぶことは出来ないし、神様本体を父母様と呼ぶことも出来ません。創造を始められる前の神様が「夜の神様」(単身)だとすれば、「夜の神様」もまた実体のない存在の「お父様」ということになります。「上」というときは「下」、右であれば左、男性であれば女性を想定して語るものです。「ペアシステム」、これはお父様のみ言でしょう。「独生子」の相対としての「独生女」もお父様が語られていた「ペアシステム」です。「父母」もそうでしょう。「母無くば父無し」、それが先に挙げたお父様の16歳のときの疑問だったということです。男性に子宮がありますか? 息子、娘も母親から生まれてきます。これが原理(自然の理)です。イエス様といえども母マリヤからでした。さてシムソン氏、「天のお父様」の「オッパイ」の話も聞いてみましょうか?(tomy4509コメント引用終わり)シムソン氏記事「韓鶴子氏は真のお父様の全偉業を我がものにしたつもりだが肝心要の神様の母性を奪えなかった!」(2020.03.12)ですが、「オッパイ」の話はどうなりましたが?以下にシムソン氏記事からの引用:tomy4509さんはそのみ言の中で、「父母である神様」と語られている事から、神様が天の父母様だと、真のお父様自身が語っているみ言と受け止めているようです。「父母である神様」と「父母様である神様」は全く意味するところが違ってくるという事を、tomy4509さんは理解しがたい事のようです。「父母である神様」は神様お一人でも成立する表現ですが、「父母」を「父母様」にしてしまうと、神様は父と母の二人であるという事になります。それに引用してくれた全文を読めば、神様は男性格主体の天のお父様であることを強調しているみ言だと理解できます。それも、神様は男であると断言しているのも同然のみ言です。「様」の敬称の有無で単数にもなれば複数にもなるとは驚き桃の木山椒の木です。一般に英語では父母は "father and mother" 、あるいは、"parents" です。では、「真の父母」と「真の父母様」という場合ではどのように英訳すればよいでしょうか。それが問題です。英語ではどちらも " True Parents" です。敬称の有無は関係しません。シムソン氏の言うところのそれは危弁としか言いようがありません。ではでは、「天の父母様」は英語ではどうなんでしょうか。"Heavenly Parent" 、単数です。>「天のお父様」だけでは不完全です。真の愛ゆえに「ハナニム」が夜(+)昼(-)に分かれました。単独では愛することが出来ないからです。説明図は「ハナニム」(正)から夜・昼(分)、そして、子女(合)となるべきです。(私からの引用)これは「ペアシステム」の一例としてあげたものですが、シムソン氏説明図からはどうなのでしょうか?また、シムソン氏の以下の一文からは>神様本体が愛し合う対象を創造する為に、構想理想を練った訳ですが、夜の神様から(昼の神様となる)心情エネルギーが発動されるという事象も、正分合作用で理解しないと気が済まないようです。創造を開始される前の神様の本体(夜の神様)→ (真の父、真の母による)構想理想 → 昼の神様(心情エネルギーが発動)、と仮面ライダーのような「変身!」を遂げたとなっています。「心情エネルギー」ともなれば、つまりは、主体と対象の授受作用がなされて生存と繁殖と作用の力が発生したということです。説明図では「構想理想」と誤魔化しているようですが、「男性・真の父」と「女性・真の母」の授受作用がなされたということです。神様の本体(夜の神様)が『天のお父様」とすれば、分かれた『男性・真の父』も「お父様」は誰も否定はしないでしょう。ところが、それとは別に『女性・真の母』とも書かれていました。この方はどうお呼びすればよろしいのでしょうか。『天のお父様?』。私には分かりません。これを取ってみてもシムソン氏の語るところの「夜昼の神様論」は、果たして、正しいと言えるのでしょうか。というよりは、『TWJ』2012.天暦1月に掲載されていた亨進氏の「夜の神様、昼の神様」(P.14~)をさらに詳細にしたものがシムソン氏のそれですが……。『TWJ』2012.天暦1月ですが、また別の方がお父様の「夜昼の神様」について話されていました。第29回「愛勝日」の記念式典においてムンフンスク様のメッセージの中にありました。 真の父母様は、神様を中心とする生涯をとおして、無形の神様でいらっしゃる夜の神様と有形の神様でいらっしゃる昼の神様を一体となるようにされ、夜昼の神様、天地人真の父母様の実体として私たちの前にそびえ立ちました。 天地人真の父母様は人間の体をまとってこの地に送られましたが、人間としての人生を放棄されたかたでいらっしゃいます。真の父母様は、神様を最もよくご存じのかたでいらっしゃり、神様が好まれる方法で神様を愛されるかたでいらっしゃいます。 …… 天地人真の父母様の実体の中には、神様と真の父母様が共にいらっしゃいます。それゆえ、私たちは、神様と真の父母様をこれ以上区別しません。いや、これ以上区別する必要がない時代に生きています。 今世の中は、夜昼の神様、天地人真の父母様を中心に回っています。世界は本当に大きな変化を遂げていくでしょう。 …また、ムンフンスク様のメッセージを挟んで映像「鷹の選択」の視聴がありました。今日はこの映像で締めくくります。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.13
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これまでのサンクチュアリ教会・とうごま氏記事は、自己中心的な主張にすぎないものばかりです。「連載・文鮮明師の伝統破壊者「韓鶴子女史の自叙伝」その1 3枚の巻末掲載写真の意味するもの。」からも真の父母様の子女様の写真は長男の孝進様だけだということですが、サンクの亨進氏が韓総裁の息子だと主張できる資格でもあるというのでしょうか? 亨進氏自らが韓総裁に離縁状を突き付けては、文総裁と姜賢實女史と偽装結婚までされいたでしょう。姜賢實女史は霊界のアウグスティヌスと祝福結婚をされた方ですので、サンクでは継母の姜賢實女史・アウグスティヌスを崇めています。血統からみれば、アウグスティヌスの系列でしょう。さて、とうごま氏は「60の論題」にしてもこれまでの身勝手なサンクの主張を羅列しただけでその真偽には一切触れようとはしませんでした。中村仁史氏のビデオはどうでしょうか? 金栄輝先生へのお伺い書のその後はどうなったのですか。第二弾ビデオの「天の父母様」呼称については?中村氏はお母様と文総裁のみ言の整合性について問いただす一方で、「天運と聖霊の宿る 八大教材教本」を前面に立てながらサンクの亨進氏こそが「八大教材教本」の相続者だと示唆してたようですが。ところが、私からの結論をいえば、「独生女」批判、「天の父母様」呼称を否定、加えてはそこから派生する「真の父母」までも八大教材教本から抜き去って、我こそが「二代王なり」といって真の父母様にとって代わろうとしているようです。「独生女」「天の父母様」「真の父母」、これらはお父様のみ言(八大教材教本)にあるものですが、亨進氏がそれらを否定しているともなれば八大教材教本の「相続者」とは認めることも出来ないでしょう。家庭連合に反旗を翻した亨進氏、とうごま氏ほかサンクブロガーが騒いでみたところで、 すでに!!その結論は出ています。亨進氏が家庭連合に返ったとしてもそのトップに返り咲く可能性は「0」ということです。原理から見ても失敗した中心人物を再び用いられる天の父母様ではありません。韓鶴子総裁自叙伝「平和の母」批判も、とうごま氏記事は最初からつまづきです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.11
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シムソン氏、資料不足でしょうから『ファミリー』2005.1月号のP.22も提供しておきます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.11
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昨日の記事「サンクチュアリ教会の方々、「天の父母様」は?」では、『『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』(2004年4月19日、米国・ニューヨーク ニューヨーカーホテル)』からのみ言を抜粋したものを挙げました。これをどなたが翻訳して『ファミリー』2004.6月号に掲載されたかは分かりません。今日もPCの周りに散在している『ファミリー』の整理を兼ねて数冊を(パラパラ)読みしました。その中から『ファミリー』2005.1月号の一部ですが。 それでは、神様に対して分かりますか? 神様はどのようなかたですか? 因縁の主体として人間を考えれば、神様はどのようなかたでしょうか?(「お父様です。」)神様が何ですか?(「お父様です。」) 神様がお父様であり、また神様は、その次には何ですか?(「父母様です。」)神様はお父様なのですが、お父様は父母様でしょう。お父様の次は何ですか?(「お母様です。」)女性側がお母様でしょう、男性側がどうしてお母様ですか? 男性側の話をしているのに、お母様であると言えば、いかれた人ですね。 神様はお父様であり、その次には何ですか? 神様はお兄様でしょう。お兄様です。縱的なお兄様なのです。分かりますか?「お父様」という言葉は、横的な面でお父様なのであって、縱的に見れば、兄弟関係です。 ……ここでも、文鮮明総裁は「神様は父母様でしょう。」。また、「女性側がお母様でしょう、男性側がどうしてお母様ですか?」と語られていました。一見すれば「お母様」という呼称を否定しているかのようですが、文章の前後からは、神様の男性的側面から「神様はお父様であり、お兄様でしょう。」という話をされておられたのであり、当然、女性的側面からは「神様はお母様であり、お姉様でしょう。」も暗示されておられたということです。2000年に入り、文総裁は「母子協助時代」から「父子協助時代」になったみ言を挙げては、顕進氏ほかは真のお母様を否定するキャンペーンを重ねていたようですが、『ファミリー』2005.1月号み言からは真のお父様は、祈祷とみ言の中で、「真の子女の日」四十四周年の「44」は、「母」の字をを表すことを語られ、「アジアにおいて、カイン・アベルを一つにして母を迎え、お母様の位置を定めることが、天が願う最後のみ旨である。」と強調され、「世界がお母様をお迎えして、初めてお父様が解放される」と。手元に『ファミリー』2005.1月号がある方は一読をお勧めします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.09
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『ファミリー』2004.6月号、『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』(2004年4月19日、米国・ニューヨーク ニューヨーカーホテル)からの抜粋です。サンクチュアリ教会の方々、「天の父母様」は?真の愛を中心ヒして成長された神様 それでは、神様ご自身も、生まれるために心と体が一つになったのと同じように、その心と体が真の愛を中心として一つになっているので、真の愛を中心として心と体のようなものが、小さな所から大きくなってきたということです。 神様も大きくなっていったのです。神様も大きくなり、アダムとエバが造られる時までにはすっかり大きくなり、もう一回り回って、すべて包括できる立場に入ってきたのです。無形の神様は、実体対象圏と関係を結ばなければならないのです。 無形の世界の中心は縦的なもので、一点しかないので繁殖できません。霊界に行けば、繁殖できません。ですから、実体圏を連結させるべき責任があるのです。「創造原理」を中心として、神様はどのような存在としていらっしゃるのでしょうか? 二性性相の中和的存在です。格位では、男性格を備えた存在であるのです。これは偉大な言葉です。神様が二佳世相の中和的存在として、心と体が一つになり、神様を中心として胎内にいる双子と同じです。 真の愛を中心として、骨と肉が、骨と皮になり、骨があれば必ず皮ができます。すべてを見てみれば、骨には膜があり、そこに軟骨のようなものが連結され、すべてのものを連結できるのです。 ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包指し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子と卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。 それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。 ですから、骨と肉がこのときは縦横を中心としているので、心と体のようなものが、無形ですが、骨と肉のようなものが、縦的な垂直と横的な平衡を中心として、愛を中心として大きくなっていくのです。 ここからこの実体を中心として抜き出したものが骨と体なのですが、そこに器官として入れておいたのが人間の五臓六脈です。あばら骨の中にあるすべてのものは、のどから肛門まで切って、すぱっと抜き出せば、五臓がさっと出てくるのです。 鳥などを捕まえてみれば、骨と肉がすべて一つになっていますが、その中で五臓は、上と下がつながっています。この体の中で五臓が動くことができるのと同じように、無形の神様が、そのような立場で心と体が、骨と肉が大きくなっているのです。 それで、これを実体圏に移しておくためのアダムとエバの創造であったということです。分かりますか? アダムとエバの創造は、神様が真の愛を中心として成長したご自身の歴史を、実体で見るのと同じです。そのような実体対象が子女の位置になるので、神様が成長してこられた姿を、再び実体で見ることができるのです。 ですから、これは双子です。アダムとエバは双子と同じなのです。これが分かれていませんでした。初めから、神様からすべて一つになっていたのです。 胎内にいる双子と同じ立場で生まれて、無形の実体も完全に大きくなったので、実体対象も、それと同じように大きくなることができる位置を中心として、見える愛の相対存在が息子、娘であったのです。それがアダムとエバの創造であったということを知らなければなりません。 一緒に生まれ、成長したアダムとエバ それでは、アダムとエバはどのようになるのですか? 神様が成長してきたのと同じように、アダムとエバの二人は、大きくなっていかなければなりません。 見えない二性性相の中和的存在として大きくなってきたその道を、二人が一つになることによって、赤ん坊が生まれます。双子の息子、娘を生み、赤ん坊が、父親よりも母親を中心として乳を飲ませるようになると、その二人の赤ん坊が母親の懐を中心として、一緒に乳を飲んで大きくなったということを皆さんは知らなければなりません。 右側をアダムが飲めば、左側はエバが飲んで大きくなったということです。お互いに裸で大きくなったのです。服を着て大きくなったでしょうか、裸で大きくなったでしょうか? (「裸で大きくなりました。」) なぜ裸で大きくなったのですか? 服を作って着たでしょうか、着なかったでしょうか? それを言ってみてください。 服を作って着れば、人の親戚のような猿が人間になったという進化論の見解から見れば、猿も服を着せて結婚式の祝福をしてあげたでしょうか、着せないでしてあげたでしょうか? 答えは何ですか? すべての万物が雄と雌になっているのは、恥ずかしいことではありません。誇りです。誇りなのです。分かりますか? 男性が雄ならば、雄が誇るものは何ですか? 目があるといって誇るのではなく、鼻があるといって誇るのではなく、ロがあるといって誇るのではなく、耳があるといって誇るのではなく、手足があるといって誇るのではありません。誇ろうとすれば、自分に向かって誇るのではなく、鏡を見て誇るのです。 だれに誇るのですか? エバに対し、相対の前で誇り、神様の前で誇るのです。「男性の性を中心として、わたしを造ってくださったことを、神様、感謝します。」と言うのです。 なぜ感謝するのですか? その男性がだれに似たのかといえば、神様に似たのです。神様に似せて造られたので、神様に不平を言わなければなりませんか、"ありがとう。"と思わなければなりませんか? 造ってもらったので、"感謝します。"とありがたく思うのです。 何のために「感謝します。」と言うのですか? 性を中心として、男性として生まれたのですが、一人は、男性格主体の姿に似るようにしたことが誇りです。その誇りは、神様の顔、鼻、耳、四肢五体ではなく、"ほかのもの"が似たのです。"ほかのもの"とは、「雄を代表して、神様に似たので感謝します。」ということです。分かりますか? また、エバは、何をもって感謝するのですか? 神様の中にある創造本然の見えない骨と肉が一つになった、見える体、アダムです。それで、見えない世界を、原理で見れば「天宙」という言葉で表示し、見える実体圏である相対圏は、天地を中心として、父母である神様を見ることができる実体として育ち、十八歳、そして二十一歳まで越えていかなければなりません。 神様が成長するのと同じように、アダムとエバも造られたので成長するのです。そのためには、お互いに母親の懐でお乳を飲むときに、足で蹴飛ばしながらお乳を飲むでしょうか? 習慣になっているので、右側のお乳を飲みながら手を伸ばして触るのは、エバならば、おっぱい以外に双子のお兄さんを触るのです。 お兄さんに触ってみると、"自分よりも頑丈だ。"と思ったでしょう。 ですから、お互いが相対的な立場で触りながら、母親の懐でお乳を飲みながら一緒に大きくなってきたのです。出生の根本から、根源から、一つになって出発したのです。分かりますか? すべての存在物は、根本から、一つのものから始まったのです。 二つの目が生まれるとき、何年か間をおいて生まれたでしょうか? 目は一緒に生まれたでしょうか、別々に生まれたでしょうか? 鼻も、右の鼻と左の鼻があるとき、別々に生まれたでしょうか、一緒に生まれたでしょうか? 唇も、下唇と上唇が一緒に生まれたでしょうか、別々に生まれたでしょうか? 耳も、左の耳と右の耳が別々に生まれたでしょうか、一緒に生まれたでしょうか? 一緒に生まれざるをえないということは、相対がいなければ存在世界には生まれないからです。相対がいなければ、生まれる必要がありません。それでは、男性は男性のために生まれたのかといえば、違います。なぜ息子が生まれたのですか? 父のために生まれ、母のために生まれました。そうでなければなりません。 存在の起源は、存在するものがとても小さなものであっても大きなものであっても、プラスとマイナス、主体と対象が授け受けをするカから生じたのです。それが三数圏になります。 神様は、息子、娘を生むときに、わたしの骨の中の骨であり、肉の中の肉であり、それから何ですか? 皮の中の皮です。ですから、どれ一つ抜くことはできませんし、どれ一つとして、神様の二性性相から抜けた部分は息子、娘にはありえないのです。……一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.08
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とうごま氏記事「中村仁史氏告発証言第二弾!再臨主伝統破壊クーデターは天の父母様呼称変更から緻密に計画されていた!」(2020-02-25)からの引用は以下です。●はじめに元「光言社」職員、「天一国三大経典」日本翻訳責任者を務めた中村仁史氏が、第二弾の告発証言となる動画を公開しました。私は、再臨主文鮮明師の聖和後7年間、韓鶴子女史が掲げた「家庭連合VISION2020」の総括は、「伝統破壊の完成」であると考えています。真のお父様が築き上げた壮大な天国に至る「御言」と「伝統」を粉々に粉砕した(負の業績)以外、韓半島を取り巻く国際情勢ひとつをとっても、暗澹たる気持ちにさいなまされます。私が考える韓鶴子女史の唯一の業績は、「私を信じ、私に絶対服従を誓いなさい!2020年までに7カ国を復帰しなさい!」と「叫んだ」こと。これ以外ありません。今や家庭連合は、まったく異質な宗教団体(あえて名称をつけるならば「清平韓鶴子教」)に衣替えしてしまったようです。そのような状況の中に、一点の光明の光が「中村仁史氏」の登場です。中村仁史氏は、家庭連合が「清平韓鶴子教」に衣替えする緻密な「クーデター計画」の第一歩は、だれも気づかないような、「天のお父様」から「天の父母様」への呼称改変にあったと指摘します。このだれにも気づかれない一点の改変(神観変更)が、その後の家庭連合を激変させる出発点であったことに当時気づいておられたのは、文亨進様ただお一人しかおられなかったという事実は、神様の最大の悲しみともいえるのではないでしょうか・・・。これまでの自称ルポライタイーtomy4509の検証を見ても、「天のお父様」から「天の父母様」への変更は文総裁も語られていたことで、基元節をもって変更を予定されていたものではないかと思います。それを韓鶴子総裁がされた、ということではないでしょうか。文亨進氏始めとしたサンクの方々の主張はあまりにも偏り過ぎたものばかりで、その情報も虚偽・ねつ造によるものが数多くみられました。また、今回とうごま氏(中村仁史氏のビデオ)を見ても然りです。なるほど、中村氏は元光言社職員として韓国語の翻訳に携わってこられたかもしれませんが、文総裁が語られていた二性性相の解釈そのものにも問題が見られましたし、多くの文総裁のみ言(韓国語)を目にされながらも「独生女」を知らないといったウソまでついていました。黒・天聖経の韓国語「독생녀(独生女)」は「ひとり娘」の翻訳を付けられたのは中村(その)仁史氏かいません。サンクに中村氏ありと書かれたとうごま氏、これは誤訳だとの否定は出来ないでしょう。とうごま氏の過去記事(https://www.kateirengou.jp/entry/2019/01/25/091111)、実名者を名乗られているというのであれば、間違っても 家庭連合の食口は、独生女論をしっかり見極めなければなりません。当たり前に考えてください。「独生女」など、聖書にも、原理にもありません。私たちは「独生女」という単語すら知りませんでした。無原罪の独生女など、3年前の2016年末から、家庭連合の学者が食口に説き始めた、にわか作りのインチキ神学です。第一、第二のお母様が勝利していたならば、独生女論など、そもそも、あり得ないものです。こんなものが人を救うことなどできるはずはなく、むしろ、食口を地獄へ引き入れるものです。家庭連合の食口の皆さんは、独生女論など偽りであることを知ってください、目を覚ましてください!などとのウソ・デタラメはこれ以上は書かないでください。自称ルポライタイーtomy4509としては、自分自身で検証したものを書いています。実名を出されたからといってウソ・デタラメでこの世を惑わしていて何の価値がありますか?正式ハントルネームは「とうごまとヨナ」氏ですが、『本当に神様からの託宣を告げておられる「ヨナ」ですか』と言いたいです。ところで、中村仁史氏のビデオ第1弾の金栄輝先生への「お伺い書」から随分と話が逸れてきていますが、天一国2年天暦6月5日(陽7月1日)に語られた真のお母様の「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」その結論はどうだというのですか。私tomy4509からは中村氏ビデオで挙げた引用文のほかも調べては、旧約・新約・成約の三時代を経た「ひとり娘」としての韓鶴子総裁が1960年に文鮮明総裁と聖婚式(小羊の婚宴)をされたことを論拠としてお母様の「私は母体からです」とお父様のみ言との整合性を照明していました。さらには、2000年前のイエス様「独り子(独生子)」が基督教の信仰によって受け継がれてきたように、お母様も「皆さんはこれを信じなければなりません。」と私たちも信仰による以外にないということです。サンクはお父様のみ言を隠蔽しては、ウソをつかないでください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.06
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前回記事「とうごま氏、結論お母様にケチを付けたいだけでしょ?!」のお約束です。中村氏ビデオで挙げていた引用について:●中村仁史氏が引用したアボニムの御言『神様は1人ですか、2人ですか? (「2人です」)。何ですか? (「天の父と天の母のお2人です」)。それが2人ですか、1人でしょう? 2つの性稟が入っているのです。(あなたには)良心がありますか、ありませんか? (「あります」)。体がありますか、ありませんか? (「あります」)。その2つが一つになって1人の女性です。(神様は)性稟は2つありますが、体は男性的主体としていらっしゃるということです。その男性格主体というのは何ですか? 女性格主体がいれば、また他の男性格主体がいなければならないという話になるので、二元論になるというのです。二元論にひっくり返ります。ですから、永遠に一元論になろうとするので、(神様は)この男性と女性の中和体として主体的な性稟をもつ男性型としていらっしゃるということです。』 (『文鮮明先生御言選集』 182-61 1988.10.14) これに関しては次の記事で『文鮮明先生御言選集』( 182-61 1988.10.14)全文をあげますので、皆さんで判断してください。中村氏が引用した部分は赤字にしていますが、中村氏以外の方が翻訳されたもののようですので少し違っています。男性格主体に女性格主体となれば「二元論」となるとお父様のみ言から読み取れると思います。男性格主体と女性格対象の中和体ということでしょうか。創造原理から正(神様)から分かれた人間の男女を見ても、陽性のみが男性、陰性のみが女性とはなっていません。合(夫婦)となってもどうでしょうか。『文鮮明先生御言選集』( 182-61 1988.10.14)全文をお読みください。(以下に全文。『ファミリー』1989.1月号に掲載)文鮮明先生御言選集 19881014 - 神のみ旨を中心とする宗教圏の統一 神のみ旨を中心とする宗教圏の統一1988年10月14日 宗教の道と哲学の道 宗教生活は一般の生活と違うということを、私たちはよく知っています。宗教とは神に出会って、神と共に生きる道であり、哲学とは、すべての知識と文化的背景による世界観や思想的観を中心として、神を探し求めていく道なのです。ですから、今日まで歴史を動かしてきた人々は、哲学者ではありません。既に、皆さんが御存じのように、歴史上には四大聖人がいましたが、彼らはいかなる人々であったかというと、それぞれの宗教の教祖でした。イエス様がそうであり、釈迦がそうであり、孔子がそうであり、マホメットがそうです。彼らがなぜ歴史上の数多くの人々の中において、四大聖人という名をもつようになったかというと、彼らは、ただ単に人間と共に生活することにあこがれをもって生活した人たちではなく、神の遠大なるみ旨にあこがれて、そのみ旨に歩調を合わせて生きた人だからです。 人間、その志すものはいつしかみんな流れ去ってしまいます。優れた人、愚かな人、人それぞれに生きる道は違いますが、すべては流れ去ってしまうものです。しかし、愛国者の生活伝統は、その国が存続する限りいつまでも残るのです。しかし、そのような愛国者の志も、いつか国家の興亡とともに流れ去ってしまうものです。それはなぜかというと、人間世界の歴史は、国家や社会や家庭を背景にした志を分別していく道であり、ある国家や社会、家庭、また個人の目指す道は、神のみ旨とは一切関係がないからです。それは堕落圏内にある世界だからです。 神のみ旨の立つべき位置は、堕落した世界を越えなければなりません。ですから、この世界の全人類を理想的世界へ、より次元の高い世界へと導くための道を収拾してきたのが、歴史的な代表者としての四大聖人なのです。そのような聖人たちを中心として、ヨーロッパにおいては、キリスト教を中心とした文化圏をつくり、インドにおいてはヒンズー教を中心とした文化圏をつくり、さらに極東においては、儒教、仏教、仙教による文化圏をつくり、中東においてはイスラム教を中心とした回教文化圏を形成してきたのです。そのような文化圏は今日まで、神の理想的生活圏の土台を形成するためのものだったのです。ですから、そのような宗教同士の中でも、互いに紛争が絶えなかったのは、それぞれに自分たちの宗団を中心としてのみ、神の理想的生活土台を形成するということを願っていたからです。そのような願いの上に立っているので、今日も宗教同士の戦争が絶えないのです。このように宗教紛争が絶えないということは良くないけれども、宗教の目的とする基準が成就されない限り、どんなことがあっても神様は、宗教を残していかざるを得なかったのです。分かりましたか。 このように見た時、神と共に生きた四大聖人の残した世界は、その民族や背景によって、それぞれが異なった文化圏なのです。そのような各々出発地の違う東洋と西洋を収拾しなければなりませんが、神が四大文化圏を形成してこられたその目的はどこにあるかというと、宗教によって世界を破綻させるためではなく、宗教を連合させて、その基盤の上で世界の全人類を救うためなのです。 それでは、世界の全人類を救ってどこへ連れていくのでしょうか。仏教を信ずる人々は、仏教の世界へ行くことを願います。キリスト教を信ずる人々は、キリスト教の世界へ行くことを願います。さらに回教を信ずる人々は、回教の世界へ行くことを願うのです。そして、各自が処しているそれぞれの宗団を中心として世界的な生き方を願うのが、すべての教祖たちの所願であると同時に、神のみ旨もその一点にあるのです。しかし今日まで、各々の教祖に分からなかったことは、各々の文化圏を形成してきたのですが、その終末においては本来の出発である神のみ旨を中心として、個人的なみ旨、家庭的なみ旨が合致する時、氏族、民族、国家、世界、全天地が一つになるということです。世界的な文化圏を形成して次に何をするかというと、国家を中心として、民族を中心として、氏族を中心として、家庭を中心として個人が一つになれる軸による統一をするのであり、それを成すのは、神のみ旨のみです。個人が歩むみ旨、家庭が歩むみ旨、それぞれに範囲は違っても、その道は同じなのです。 ですから統一されなければなりません。神様は絶対的な方であられるのです。四大文化圏の一人一人がみ旨を受け継いで、世界の文化的背景の異なる四方の地域から、結局は山頂に至るようになるのです。そこで「あ! あなたは東から来たのですね。あなたは南から、あなたは西から、あなたは北から来たのですね」と。このように出会ってみると、それぞれに誰しもが神を求めてきたというのです。山頂に至るまではそれが分からないのです。それは、山頂に登ってくる人々を見下ろして、摂理されている神様以外には誰も分からないのです。ですから宗教間において、歴史上に多くの複雑な問題も残してきたのです。キリスト教は、すべてにキリスト教を中心として、「自分たちが第一である」と言うのです。それは一側面からだけ見ているのです。頂上から見れば違った答えになるはずです。すべて頂上に登らなければなりません。谷間にいながら頂上にいるような行動を取れば、それらはみんな肥やしになるだけです。 ですから、神のみ旨のみを中心として生きるのが宗教の道です。そして、神のみ旨の道とは、絶対者のみ旨であり永遠に一つなのです。二つはないのです。では、絶対的な一つのみ旨を中心として、個人がその絶対的な神のみ旨のみを中心として生きれば、その人は個人天国に属することができるのです。それが家庭であれば、神様と共に生きる家庭天国となるのです。そのように民族を越え、国家を越え、世界を越えて、神のみ旨を中心として世界が一つになっていくのが地上天国です。分かりましたか。 それでは、統一教会とはいったい何をする所なのでしょうか。統一教会も同様な道をたどっているのです。統一教会はレバレンド・ムーンという人によって始まったのですが、その教えは自分を中心として生きるということではありません。神のみ旨の道にあって、すべての宗教が様々に混乱している現状から、最終的には、本来の神のみ旨を中心としてすべてを合わせなければなりません。数多くの工場から部品を集めて、青写真によって、一つの製品として組み立てていくように、もし神様が最も喜ばれる一つの製品を作り出すブループリントによって世界を一つにする運動の理想がないとすれば、宗教を立ててこられた神御自身も不正当な方だとなるのです。ですから聖人を訪ねて、共に生活を指導してこられたというのは、個人のためではなかったのです。彼らと共に、世界的生活理想圏をつくるために、時代を経つつ、彼らが同じ喜びをもって世界的に生きることを願い、宗教を通して歴史と世界を収拾してきたのです。 世界の統一は宗教圏の統一から さて、世界の統一はいかにして成されるのかという問題を考えた時、まず宗教圏の統一が成されなくては、この地上世界は統一されません。それはなぜかというと、この世界は堕落した世界だからです。堕落した世界は戦いの歴史があるだけです。堕落した世界は、自分を中心とすることをまず第一主義に考えるのです。何事においても自分を中心として生きようとするのです。エバが堕落したのも、自分を中心としたからであり、天使長の堕落の動機も、自分を中心としたからです。すべてにおいて、自分の利益のために相対的環境を処理したのが堕落なのです。 では、このような世界から逃れるためにはどうすればいいでしょうか。まず第一に、神のみ旨の道を尋ねていかなければなりません。神のみ旨とは何かというと、悪魔の道と正反対の道です。この世で生きようとする者は、天の国においては死のうとする者です。このように正反対なのです。ですから聖書にも、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と記されているのです。そのように逆説的な論理なのです。皆さんは、聖書がなぜそのようになっているのかというその根拠を知らなければなりません。先生の話は大まかな歴史的結論だけです。 では、これからの世界を統一できる宗教になるにはどうすればいいのかというと、人間は死ぬ時はいかに死すべきかという個人としての死を知り、家庭を犠牲にしても氏族、民族、世界を犠牲にしても、必ず神に帰るという思想をもった者とならねばなりません。そのような者が神様に出会うことができるのです。ですから、統一教会で活動することは、統一教会のためではありません。より大きなもののために投入して、犠牲になるためです。大きいものが生まれるためには、まず小さいものを投入しなければなりません。これが原則です。発展的原則であり、分野的原則でもあるのです。 それでは、神様の創造理想は何かというと、大宇宙は統一的世界を構想しているので、この宇宙形成の理想圏を促すためには、宇宙形成圏から何かを取り出すのではなく、この宇宙も何かを取り入れなければならないのです。まず宇宙目的が形成されなければ、宇宙はこのまま存在することはできません。宇宙の目的を包むことのできる何かが存在し、その中に宇宙自体も入らなければなりません。そこに入ってからは、千年、万年、じーっとしていなければなりません。自分自身を主張しようとする人は、宇宙の大理想圏が形成できません。そのような中で、忠臣とはどのような人かというと、別に特別な人ではありません。歴史を代表するいかなる人が投入したより以上を投入する人が忠臣なのです。そして孝子とはいかなる人かというと、父母のために自らを投入することにおいて、誰よりも投入した人がより孝子なのです。 では、これらの四大聖人の中で、一番の聖人とはいったいどのような人でしょうか。それはより犠牲的な内容をもって、この世間の道理のゆえに否定されるという論理の上に立っている人でなくてはなりません。でなければ、この堕落した世界にあって、完全にXとYを変えることはできないのです。何の話か分かりますか。左が右に行こうとすれば、必ず左右が交差しなければなりません。これと同じように、世の中の万事が堕落のゆえに逆になっているのです。堕落した世界が正しくなるためには、左と右が今までと反対に交差すれば神側に立つようになるのです。ですから聖書にも「誰よりも人をより愛せよ」とあるのです。イエス様も「父母、兄弟よりも私を愛さない者は、私の弟子にふさわしくない」と言われたのです。それに加えて、「自分の十字架を背負って私に従ってこない者は私の弟子にふさわしくない」とも言われたのです。 さて、皆さんはこの社会の中で、父母、夫や妻、子供と共に生活しているのですが、一国の愛国者の道理や世界を中心とした聖人の道理に従っていくことによって、果たして理想世界ができるでしょうか。これが問題です。終末になってなぜ宗教が疲弊してきたのかというと、世の中と歩調を合わせているうちに、右も左も分からなくなってしまったからです。左が問題なのであり、右は問題ではありません。左を取り替えなければなりません。そのためには、誤ったものに制裁を加えることのできる反対のものが出てきて、ぶつかっていかなければ新しいものは出てきません。それで終末とは、交差時代のことをいうのです。今日のキリスト教はそういうことが分からないのです。そこで、統一教会の責任をもっている文なにがしという人が出てきて、この世界をどのようにするかというと、まっすぐに走って、直線にサーッと切ってしまうのです。 まず、世界的個人と対決して勝利しなければ、世界的個人の代表として、神様を迎え入れて共に生きることはできません。先生はこのように世界的個人の代表として、個人解放圏を準備するための土台を再現したのです。それは単一民族です。その単一民族の中でも、歴史上最も混合されていない民族でなければなりません。それがこの韓民族なのです。韓国の人たちは他の人の意見をなかなか聞き入れません。喜んで聞いているように見えても、全く別のことを考えているのです。そして、その人の後頭部を打とうとさえ思っているのです。このように最もややこしい民族が韓民族なのです。サタンもそれを知っているし、神様もそれを知っているのです。そのような意味から、北側のサタンの群れと、南側の神の群れに分かれて戦っているのです。そして南の人々は、積極的に神様を受け入れようとし、北の人々は積極的に神様に反対しようとしているのです。そこで共産党は、「神はいない」と言うのですが、それは、父親が元気に生きているのに、その息子に対して「あなたの父は死んだ」と言うことと同じです。皆さんはそんなことを言われて黙っていますか。そんな人は気の狂った人です。 皆さんは、全世界の民族に対して影響を与えなければなりません。全氏族に対して影響を与えなければなりません。全世界の人々に影響を与えることのできるそのような立場に立って、共産党を追い出し、サタンを追い出すための働きをしなければなりません。統一教会は共産党を打ち砕くことのできる先駆者なのです。南韓で一番金日成を嫌う人は誰でしょうか。大統領ですか、誰ですか? それは文総裁なのです。それは既に世界的にも知られていることです。しかし文総裁は、共産党を打ち砕くのに銃をもって行うのではありません。一人も殺すことなく、すべての共産党の人々を解放しようとするのです。このような主義を主張できる人は、歴史始まって以来先生しかいないのです。そういう意味で、共産党を擁護しようとするどんな個人も、家庭も、氏族も、民族も、国家も、世界も許すことはできません。なぜかというと、神様がそれを許すことができないからです。神の本来の理想の中にはサタン、悪魔、共産党は存在しなかったのです。神様が嫌うような存在はありませんでした。神様が嫌う世界的な主義、主張は悪魔のものです。今日、終末が来るまでは全部サタンの思うままでした。サタンは神様の代わりの立場で全人類に侍られてきたのです。しかし、神様が人類を半分に右翼、左翼を分け、万民を神様の前に帰そうとするので、悪魔の失策的転換が共産主義理論となったのです。よく見ると人類が神側に戻ることは明らかなので、自分(サタン)にも、神にも侍られないようにするために詐欺的術策として作り出した哲学です。すべてが偽りなのです。 ですから、世界の三分の一までしかサタンは食べることができません。それで、あとの三分の二に影響を及ぼそうとしているのです。しかし神様は、「これは私のものだ」と言うのです。そこで共産党は反対に、「これは自分のものだ」と言うのです。金日成は四十年間「南韓は自分のものである」と言い続けています。ひどい話です。統一教会は全世界的に防衛線を張って、これを収拾しようとするのですが、それは武器ではできません。真理でもできません。聖書には「真理を知る時、真理はあなた方を放す」と記されており、人々を自由にすることはできますが、解放することはできません。それは神の真の愛のみです。 神様の創造された広大なる宇宙 神様は宗教をつくって、今日まで人類と共に生きたいと願ってきたのですが、それは何を中心として生きようとされたのかというと、神様は物質によって良い暮らしができるようにすることなどは関心がありません。霊界に行けば食べる心配も、着る心配もないのです。それを知っていますか。先生が霊界の話をすれば、これから死にたいと思う人が多くなるので、このことは話しません。(笑い) 果たしてキリスト教において、主様を選挙で選び出せるでしょうか、どうでしょうか。主は天から来られるのです。対象が主体を決定することはできません。何の話か分かりますか。対象は主体が自分のようでなければならないという概念をもつことはできないのです。対象は第二の存在なのです。自分で権限を評価できない対象圏の位置にいるのです。これは少し難しい話です。 さて、神様はお金もうけもせず、ただ黙って座っておられる無識の大王なのです。神様は黙って飢えている大王なのです。じっとしている無力の大王なのです。誰でも来て打つことができるのです。神様は黙っておられるのです。仮に、一番の知識の大学者がいたとしましょう。歴史始まって以来の大きな権力をもつ為政者がいたとしましょう。世界一お金を持っている人がいたとしましょう。皆さんは、これら三人の中で誰の手が先に伸びることを願うでしょうか。神様も考えてみられるのですが、皆さんであればどのような人の手が伸びることを願いますか。女性はお金持ちの人の手が伸びてきたらいいと思いますか。お金があればどんなにおいしいものでも食べることができるのですね。知識の手が伸びてきたらいいなと思う人は、知識をもって何をするのですか。何をしますか。それが問題です。先生の前ではみんな泥棒のようなものです。先生の手がいかに大きいか、それは全世界を代表する大きな手なのです。神様の手も大きいのですが、その神様もすべて握ることのできる大きな手なのです。さらに、子供のような小さな指がそこについています。それはどんな手かといえば、お金もないし、知識もないし、権力もないけれども、ただ一つ母親の愛だけは知っている手なのです。その手は愛を求める手です。では、神様はどの手に最も関心をもつでしょうか? (子供の手です)。それはカニの足のように小さく見え隠れするような手なのに、神様は関心をもつのです。 この宇宙がどれほど膨大なのかといえば、ある科学者などは二一〇億光年かかる大きさだともいっています。以前、一五〇億光年の星を発見できる電波望遠鏡があるということを聞いたことがありますが、この宇宙はどれほど大きいことでしょうか。光の速さは、一秒間に三億メートルです。三億メートルといえば、地球を七回半回る距離です。それが一秒間に進む光の距離であれば、一分間ではどんなに遠くまで進むことでしょうか。さらに一時間たてばどうでしょうか。光が進むその距離は、どれほど遠くなることでしょうか。それが一時間でもなく、一日でもなく、一年かかって進む距離を一光年というのです。そのような速さをもった光が二一〇億光年かかる距離は、これから皆さんが千年、万年を生きて数えようとしても数えきれるものではありません。そのような距離をもつ膨大な宇宙も一つに連なっているのでなく、それぞれ分かれて運動をしているのです。そして互いに関係を結んで大きな固まりになって、回転運動をしているのです。それは自然に生じたものでしょうか、それとも誰かがつくったものでしょうか。自然に生じたのですね? (いいえ)。どうして「いいえ」ですか? すべての存在は、根源があって生じたものであり、何の動機もなくて生じることはないのです。 そのような宇宙を動かすことのできる神の力がうらやましいですか。「宇宙には、ダイヤモンドの星が一〇〇〇個、一万個存在する」と言っても、「無い」と言い切れる人はいません。黄金の星、ダイヤモンドの星、五色に輝く星が数多くあるというのです。それは誰がつくったのでしょうか。神様に宝石が必要でしょうか。神様が好きなダイヤモンドは何カラットでしょうか。英国のロンドンの博物館に行けば、世界で一番大きいダイヤモンドは五一七カラットだといわれています。卵ほどの大きさです。皆さんが結婚する時、一カラットのダイヤモンドでも喜んで受け取るのですが、神の創造においては、五一七カラットのダイヤモンドなど問題ではありません。ダイヤモンドの星もあり得るというのです。そのような広大な宇宙も、共産主義者は自然に生じたというのです。そして、宇宙はそのまま存在するものとして論法を立てていくのですが、そうではなく、宇宙の根本を訪ねていかなければなりません。 神様はどれほど素晴しい方でしょう。そのような神様にも、いとこやはとこが必要なのでしょうか。人間は、いとこやはとこを必要とします。人間は国も必要とします。神様はどうなのでしょうか。皆さんは、いとこやはとこがなぜ必要ですか。困った時、お金を借りるためでしょうか。(笑い) 知らないことを教えてもらうために必要でしょうか。人間は生活の中で、親戚と共に踊りを踊ったり、歌を歌ったりして、上下、左右へと和音をつくり出していくのです。そのような親戚が数百名も集まって、コーラスするその和音には、すべての人々も引き込まれてくるのです。そのような、全体の美と全体の調和を成すことのできる、和合した美化的感覚が必要なのです。 宇宙の根本は父子の関係 では、神様に必要なものはいったい何でしょうか。それが問題なのです。神様に必要なものは食べ物ではありません。もし皆さん霊界に行けば、そこで愛に酔って憧憬するものは、すべて直角になる世界です。何の話か分かりますか。愛に酔って皆さんが要求するものは、すべて直角に現れるというのです。他のお金の力でも動きません。知識でも動きません。権力をもってしても動きません。ですから愛に同和することにおいて、四方八方に対応できる主体になれば、すべての世界は対象圏として現れてくるのです。自身が愛の対象圏になれば、すべてが主体として作用するのです。ここで「パーン!」という音がすれば、あちらではさらに大きく「パーン!」と鳴るのです。そして大きく「パーン!」と鳴ったら、次には小さく「パン」と鳴るのです。いったん上がったものは、それ以上に上がれば飛んでしまうので、再び下がらなければなりません。すべて和音にならなければなりません。そこでは神様も笑うでしょうか。誰か神様を見たことがありますか。神様にも目、鼻、口、耳、体があるでしょうか。その点では既成教会の信者たちはでたらめです。神様に目があることも知らないのです。「神様の目を見ましたか?」と尋ねても、誰も分からないというのです。「神様に鼻や、口や、耳がありますか?」「神様は誰に似ていますか?」。「神様は神様に似ているのです」。いったいそんな答えがどこにありますか。 神様は誰に似ているかというと、息子や娘に似ているというのです。ですから神は人格的なのです。人格的な神は、私たちに対して人格的最高の基準を要求しているのです。世の中には法度があり、また礼法があり、高低の均衡を取るようになっているのです。それに従っていけない人は脱落するのです。ですから先生は霊界のことをたくさん知っていても、そのことについての話はしないのです。もし先生が霊界の話をすれば、気が狂っておかしくなる人も多く出ます。婦人たちも自分の夫に対し、「なぜあのように生き永らえているのか、早く天国にでも行けばいいのに。先生がお話しされる天国はいい所だから早く行けばいいのに……」と思うのです。それでは天国には行けません。妻はまず夫を教育して愛さなければなりません。このような話をすれば時間が早くたちますね。もう何時になりましたか。 神様が好きな色とは何でしょうか。神様は白が好きでしょうか、赤が好きでしょうか、黄色が好きでしょうか? (白です)。なぜ白ですか。白は清い色ではありません。七つの色を混ぜ合わせたものです。プリズムを通して見れば、白は七つの色でできています。それらがすべて調和されるので、きれいに見えるのです。本当はきれいではありません。 神様が好きなものとは何かというと、先生が神様に会って質問したことがあります。「神様、宇宙の根本は何ですか? 世界の全人類は、宇宙の根本が何であるかを知りたいのです。そのために祈祷や、いろんなことを行っているのです」と。それに対する神様の答えは簡単です。宇宙の根本は父子の関係だというのです。そこで単純に考える人は、「父と子のいる関係が宇宙の根本なのだ」と思うでしょう。どうですか? 父母と息子といれば、それが宇宙の根本になるのでしょうか。父子の関係というのは、父母の関係でもなく、子女の関係でもありません。父子の関係というのは、永遠に切り離そうとしても切り離すことのできない、絶対的に一つになった関係をいうのです。それには何が必要かというと、真の愛なのです。文先生がそのような結論を出したのです。神様にお尋ねして、「神様、こういうものではありませんか?」。「お前(文先生)はそれをどうして知ったのか。お前は私よりも優れている」と、神様は言われたのです。アーメン。 先生はキリスト教徒の群れに会って、その牧師にこのことを話した時、「アーメン、アーメン」と彼らは言うのです。先生が一番嫌いなのは、その「アーメン」です。それは詐欺師の使う桶のようなものです。魔術師も魔法を使う時、そのような桶を置くのです。そして間違えば「アーメン」と言うのです。「アーメン」というのは、すべてを成し得たのちに使う言葉なのです。ですから神様が一度だけ「アーメン」と言えば完成であり、千年、万年も「アーメン」と言うことはないのです。父子の関係というのは、父母と息子関係でもなく、最高なる関係なのです。そして、そのような父子の関係を永遠に一つにする力が真の愛なのです。ですから神の真の愛は、一人で成就できません。今日のキリスト教信者は、「神は真の愛の主体であられ、多くの人々を迎え入れるのです」と言うのですが、それはとんでもない話です。神御自身も対象がいなければ、どんなに大切な愛も完成させることができないのです。 では、神は一人でしょうか、二人でしょうか? (二人です)。天のお父様と天のお母様という二人ではなく、神には二つの性禀が入っているのです。今答えた人は良心がありますか。ありませんか? 体がありますか、ありませんか? それら二つが合わさってあなたという一人の女性なのです。神の性禀は二つありますが、体は男性格主体となっているのです。では、男性格主体というのはいったい何でしょうか。女性格主体であればどんなにいいでしょうか。しかし女性格主体といった時には、別に男性格が存在しなければならないので二元論になってしまうのです。分かりましたか。二元論になってしまうというのです。神は永遠に一元論であられるために、男性、女性の中和体として、主体的な性禀をもった初めての男性形なのです。なぜ男性形かというと、男性は女性を治めなければならない責任があるのです。後ろからでも、横からでも、上からでも、下からでも女性を治めなければなりません。それで女性が、真の主体に出会った時、秒速三億メートルのスピードをもつ光の速力でもって、西側からぶつかっていっても、男性はグルッと数回回るだけで、それを収拾していくのです。何の話か分かりますか。回りながら収拾するのです。 ですから男性は女性を治めなければなりません。父母は子女を治めなければなりません。人々はみんなそれを願うのです。ですから神様は男性的主体なのです。その主体が好むのは何かというと、お金ではありません。皆さんがもし霊界に行けば、先生のこの話が正しいかどうか分かります。先生の話が間違っていれば、先生に抗議しなさい。もし霊界で先生に会えなくても、「文先生は本当に悪魔の魁首だから自分たちがいる天上の霊界にはいないのだ」と考えてはなりません。先生は最上の霊界にいるのです。昼は神様のおなかの中に入って眠るのです。世の中にそのような話をする人があるでしょうか。そのような話は、愛の世界においてのみ可能なのです。あなた方の中で、夫の心の中に入って眠りたくないという女性は手を挙げてみなさい。そのような女性は良くない女です。「あなたの真に愛する夫の心が宮殿のようであり、そこで手足を伸ばしてグルグル回ったり、鼻歌を歌いながら、眠りにつきたいと思う女性は手を挙げなさい」と言えば、みんなが手を挙げるのですね。 夫の心の中に入り込んで、ゴロゴロと回っている女性は幸せ者です。その愛は、そこから出たくなくて、誰が何を言っても千年、万年共に生きたいというのです。おなかが空いてきましたね。説教の途中なのになぜ「おなかが空いた」と言うのかというと、先生は皆さんのおなかが空いたことが分かるからです。朝食は食べましたか? (食べていません)。先生もおなかが空きました。きょうはこれぐらいにしましょう。このような話を始めれば、十時間、百時間でも終わりません。先生がアメリカへ行って立てた最高記録は十六時間半、立ったままで説教したことです。それほどよく話をする先生なのです。 真の愛による同位権、同参権、相続権、所有権 さて、先ほどの話ですが、世界の統一は、絶対的な神のみ旨を中心として行うのです。問題はそのみ旨が何に根拠をおいているかということです。み旨の根拠は何かというと、それは手段でもなく、お金でもなく、知識でもなく、真の愛の根でなければなりません。 真の愛の色は赤でしょうか、黄色でしょうか。どうですか? (分かりません)。「知らない」と言ってはいけません。「調和という内容をもっているので分かりません」と答えなければなりません。 皆さんは愛を知っていますか。世の中で普通に結婚して、夫を千年万年信じて生活していたのに、もし夫が隣の家にめかけを住まわせるならば、妻の心はどうなるでしょうか。夫は、自分の妻は女性の中でも最高なので、自分がどんなことをしていても「よくやりましたね」と褒めてくれるだろうと言うのですか。女性たち、どうですか。それは命を懸けても許すことができないことです。そうですか? (はい)。なぜですか。男性のゆえですか、愛のゆえですか? (愛のゆえです)。そうです、愛のゆえです。愛がいかに強いかといえば、一度に十人の首を、愛によって切っても、誰も痛いとは言わないのです。愛は命に屈伏しないのです。真の愛の道の前には、反対する者のその数百人の首を切ったとしても降伏しないのです。ですから夫の不始末を聞くや否や、心を治めることができず、大根を切るように夫の首を切りきざみたくなるのです。「この心がいったいどこから出てきたのか。なぜ、自分はこれほどまでに暴悪で、これほどまでに悪なる人になってしまったのか。数十年間祈祷を続けて、聖人の母になろうとしてきたにもかかわらず、小さなバッタみたいな者が飛び跳ねながら、少しばかりいたずらしたことに対して、なぜこうなるのか。このようになりたくないのに、どうしてこうなるのか」と思うほどです。どんなに小さな女性であってもこうなのに、もし偉大な神様が愛を踏みにじられ奪われたとすれば、神様は果たして黙っていられるでしょうか。どうですか。神様はどうされるでしょうか。神様だから黙っているのでしょうか。どうされるでしょうか。より大きな雷を落とすでしょうか。それとも「フッフッフッフッ」と笑うでしょうか? (大きな雷を落とします)。神様とても同じです。では、千年後の私たちの後孫はどうでしょうか。最近では、中、高校生にもなれば、その両親が、「私の子女たちのデートの相対がいないかなあー」と言っているのです。それは滅びの兆候です。それは真の愛と関係ありません。「あのような女性とは結婚させたくない」と、どんなに父母が言っても、一族が騒いでも、「あなたの娘は、私の一族を売ったとしても嫁に迎えたい」と言う、そのような男を婿にしたいですか、それともこじきのような男を婿にしたいですか。どちらですか? (前者です)。神様もそのような愛には気が狂うでしょうか、狂わないでしょうか? (狂います)。それを見たことありますか? では、「神様すらも愛においては気が狂う」と言った時の感じと、「神様は愛においては気が狂わない」と言った時の感じと、どちらのほうがより皆さんに近いですか? (前者です)。前者ですね。それは正しい答えです。 神様が愛に酔って、その目も真っ赤になり、五感とすべての表示体が麻痺したとしても、次に何を中心として動き出すかというと、愛を中心として動いて、愛の焦点を合わせるのです。愛の力がどんなに強いかというと、いったん愛の関係を結んだ人は、もしそれが王家の王女と僕であれば、王に対して「あなたが王様であるかどうか、私には関係ありません」と主張するほどです。愛の因縁を結べば、すべて自分のものになってしまうのです。その相対のいる所にいつでも行くことができるのです。それを妨げることはできません。愛にはそのような同位権があるのです。愛の性禀の中において常に同じレベルに立つのです。ですからお母様もここに来られて座っているのです。もし、近所のおばさんがここに来て座っているとすれば、それはいかに見づらいでしょうか。(笑い)お母様がここに来ているのはなぜでしょうか。先生を愛しているからです。美しく着飾っていても、そうでなくても、また手足の不自由な人であっても、愛で一つになれば同位権が生まれるのです。それから同参権です。 先生が急に登山に行くと言った時、お母様が「あなた一人で登山に出掛けてはいけません。私も共に行きます」と言えば、先生は、いけないとは言えないのです。また下山して、急に「韓国にいないで、私は東京に行かなければならない」と言った時でも、お母様は「あなたは行ってはいけない」とは言えないのです。「どうぞ、そうなさってください」と言わなければなりません。愛にはそのような同位権、同参権があります。そして次に相続権があるのです。 ですから、統一教会の人たちは賢くなければなりません。天国へ行くのも賢くして正しいチケットを持って行かなければなりません。もし誤ったチケットをもらえば死んでしまいます。色の黒い小さい男性が、世界一美人の立派な女性に向かって、「あなたは私の妻である」と言った時、美人のその女性は気持ちがいいでしょうか。その男性に対して、「あなたはそういうことを言ってはなりません」とは言えないのです。愛にはそのような所有権があるのです。 神様と人間が相関関係を結んで、神様が離れることができない愛で一つになった時には、すべてが終わるのです。同じ原理に照らして、神様は誰のものになりますか。答えてください? (自分のものになります)。そこで神様は前後、左右、上下においても自分のものになるのです。愛にはそのような相続権、所有権があるのです。それを否定することはできません。そこではすべてが自由なのです。 愛と自由 この社会では、男性と女性に自由はありません。通りがかりの男性が、「自由だ!」と言って、横にいる女性の手をつかんでみなさい。平手打ちされます。しかし、愛の関係を結べればそれが自由になるのです。きょうはお母さん方がたくさん来ていますね。あなた方が夫の部屋に入る時、「私は今から入ります」とノックして入りますか、それとも、サーッとノックもしないで入りますか。世の中の道理に合わせてノックして入るほうがいいですか、それともそっと入ったほうがいいですか? (そっと入ったほうです)。愛に同和すると自由が生まれます。もはや制裁はありません。何でも与えることができるし、何でも受けることができるのです。 それでは、神様と私たちが愛で一つになれば、神の宝座に共に座わることができるでしょうか、できないでしょうか。神様のひざの上に座ることができますか、できませんか? (できます)。もし神様にひげがあるとすれば、そのひげをつかんで自分の首に巻きつけたとしても、神様は「このような者は殺してしまえ」と言うでしょうか。「あ! あ! すべて自由にしなさい。天下の平和とはこのような所でも渦を巻くのだ……」と独り言の詩を歌うようになります。愛の魔術の世界には、そのような詩が生まれるし、文学の切々さがそこで交差する、のぞき眼鏡の境地が連結されるのです。愛する者同士が出会えば喜ぶように、神様との愛の関係を結んだとすれば、神様はどんなに喜ばれることでしょうか。 上品でおとなしく、ひげを長く伸ばした、聖者になるような人は、神聖さをもたなければなりませんが、その聖者には妻が必要でしょうか? (必要です)。「あ! あ! 私は聖者様の妻になったので、聖者様の妻らしく行動しなければなりません」と。部屋に入る時もリズムに合わせて入り、あいさつも儀典に従って、すべて厳守した生活をしなければならないでしょうか? 妻が、「これは何ですか?」と言って、その儀典を守らないで、聖者様の祈祷される生活にただ合わせて生きるだけではどうにもなりません。それで、毎日のようにけんかするのではなく、互いに愛でもって溶かさなければなりません。愛でもって妻を感化させて、それ以上の幅の広い聖人にならなければなりません。そのような聖人の所へ、妻が「あなた、私はこれからそちらへ行きます。自由奔放にすべてを解放して渡っていきます」と言って、服を脱いで戸を開けて入ってきたら、聖人といわれる夫は、天地の道理を悟ろうとして瞑想して座っているのに、そのような姿で妻が入ってきた時、叫び声を上げて後ろ向きになるべきでしょうか。そのまま迎え入れるべきでしょうか? (後者です)。そうです、後者です。 皆さん夫婦同士では、どんな姿で踊っても、何をしても罪ではありません。神様も愛する時は喜ぶでしょうか。笑うでしょうか。踊るでしょうか。神様はどうされるでしょうか。神様も同じなのです。神の目には、服よりもその人のすべてが見えているのです。全身の細胞が作動する運動もすべてを見ておられるのです。神の世界においては、すべてが解放圏なのです。ですから文総裁はどんな型にもはまりたくありません。先生が市場に行けば、露天商の古着屋さんとも友達になってよく服を売ってあげたりします。先生が売り子になってあげるのです。「あなたの夫の代わりになって売ってあげましょう」と。ある時は、その人が姉のような年であれば、先生が弟になってあげて売ってあげたのです。先生はそのような訓練をしたのです。ですからどこへ行っても多くの友達がいるのです。 このように、愛には世界的解放があり、自由があります。皆さんは自由と解放のどちらを願いますか? (解放です)。解放のあとに自由が来るのです。人間は堕落したため、いまだ解放されていないのです。自由がないのです。サタン圏内からの解放が必要なのです。人間は天理の大主であられる神の愛を中心としていまだに解放されていないのです。 その神様も、いったい誰に絶対的服従をするのかというと、まず神様は、「先に絶対服従してから、服従されなさい」と言うのです。それが偉大なことです。ある時、先生は皆さんに対しても無慈悲に命令したりするのですが、それは先生が皆さんに無慈悲に命令している以上に、先生は実際そのことを神様を通して知り、また行ってきたので、命令することができるのです。 真の愛を中心とする者 さて、きょうの話の統一世界を神の永遠に不変なる一つのみ旨を中心として収拾するという、その内容は何かということですが、聖書の旧約、新約を見本として、神様はプログラムをつくって、世界を収拾されるのでしょうか。人類始祖の堕落以前には、聖書の新約も旧約もなかったのです。既成のキリスト教会にいた人にとっては、このような話は本当に異端の話のように聞こえるかもしれませんが、それを疑うことが異端の魁首です。神様は聖書に従って動かれるのではありません。聖書は病人を治療するための処方箋のようなものです。自由人には必要ないものです。神様に出会って、「あなたは、旧約聖書でこのように語ったでしょう。ですから私に対してこのようにしてください」と言うことが可能でしょうか。愛はすべてを越えるものです。愛には規制がありません。ですから父母や親戚同士がどんなに反対していても、この愛の道を知れば、誰もがこの道へ直行するのです。たとえ正面衝突して、頭が飛んでしまっても直行するのです。では何を中心としてみ旨を成就するのでしょうか? (真の愛を中心としてです)。 真の父母とはどういう人かというと、自分が生まれたのも子女のためであり、生涯苦悩して生きるのも子女のためであり、死ぬのも子女のために死ぬというのです。それが真なる父母なのです。自分の生命の起源から、すべての生涯路程を経て、生死を越えてまでも、子女のために生きようとするそのような父母が、真なる父母です。では、真の子女とはどういう人かというと、全く同じ道理なのです。自分が生まれたのも父母のためであり、生活のすべても父母のためであり、死ぬのも父母のために死ぬ人が真なる子女なのです。分かりましたか? (はい)。真の兄弟も同様です。真の兄とは、弟のために生まれ、弟のために生き、弟のために死のうとする人であり、すべてにおいて生命を懸けている人です。 ここにいる年老いた女性たち、真なる妻としてそのように年老いたのですか。どうですか。女性たちが愛されるためにお嫁に行くというのは、堕落した先祖のエバと同じです。エバは愛されようとして堕落してしまったのです。本来は愛を受けようとするのではなく、愛そうとしなければなりません。そうすることによって愛が返ってくるのです。分かりますか。 では真なる教育者、真なる指導者とはどういう人でしょうか。その人に従っている千人、万人の人々がいるとすれば、その中で自分だけが楽な道を行き、千万人の人々に苦労させようとするのではなく、千人、万人すべてが休めるようにしてあげて、自ら最も苦労する道に責任をもとうとする人が真の指導者なのです。この先生を見なさい。アメリカにおけるダンベリー事件を知っているでしょう。アメリカの法務省がレバレンド・ムーンを起訴した時、先生は韓国にいたのです。法務関係の協定がないので、アメリカには行かなくてもよかったのです。アメリカの国民ですら、自分が法に触れた場合には、アメリカから逃げ出すのです。先生はそのまま韓国にいれば、アメリカへ行って刑務所生活をする必要はなかったのです。しかし先生は起訴された翌日、ドイツを回って飛行機でアメリカに入ったのです。アメリカの法務省では、判事や検事たちが集まって、「レバレンド・ムーンは絶対に出頭しないだろう。なぜなら、アメリカ人でさえも、アメリカを離れて法の網から逃げ出すのに、何の関係もない異国の人が、なぜアメリカに来る必要があるのか……」と言っていたのです。 神様に主管されて生きる先生は、アメリカの法の上で生きる人間です。法の下に生きるのではありません。それ以上のことをしなければならないのです。そこで、アメリカに入った文総裁は滅びましたか、勝利しましたか? (勝利しました)。勝利したのです。最近ではアメリカの大統領までも先生の世話になるようになりました。先生はそのような基盤をつくったのです。今や、アメリカの国民もレバレンド・ムーンを尊く思っているのです。統一教会の信者はどうですか? (尊く思っています)。では昼になったのに、なぜ昼食もさせてくれないのですか。(笑い) 待遇されようとして待遇されるのはサタン世界のことです。先生は、「あいさつをせよ」とか、「再臨主」とか教えたことはありません。先生はそういう話をしましたか? 金元弼(先生)は、「再臨主」とか「メシヤ」とか言っていますが、メシヤとは、日本語で食堂の主人のことです。(笑い) 先生にはそのように聞こえるのです。また再臨主とは、死んだ夫が天国に行って再び訪ねてくることです。先生は再臨主が偉いとは思いません。そのように思っていたら、愛の話をすることもできません。悪口も言えないのです。再臨主が悪口を言ったらどうなりますか。(笑い) 先生は、再臨主という名が嫌いです。名は嫌いですが、再臨主が今まで神聖なるこの道をつくってきたのです。何の話か分かりますか。一番苦しいことを再臨主ができなくても、先生にはできるのです。ですから、その位置においては、もし再臨主が現れれば、神様の代わりとして侍らなければなりません。これはいかに恐ろしい話でしょうか。 先生は監獄に入って、最も困難なことを成し遂げました。そこで三つの与件を出発させました。まず、共産主義の脅威からアメリカを救うことです。次にアメリカの青少年を救わなければなりません。これは最も難しいことです。それから腐敗したキリスト教を再復活させることです。このような三大与件です。これは、アメリカにおいて誰もできなかったことです。学者にも、宗教者にも、政治家にも、いかなる方法手段をもってしてもできなかったことです。お金をもってでも、世界中の科学文明をもってでもできなかったことです。先生は、アメリカを共産党の魔の手から解放する門を開きました。七〇年代には、言論機関も、共産主義によって左傾化されていました。それを先生がひっくり返したのです。このように先生は多くのことを成したのです。学者世界においても、多くの迫害を受けながら、東西四方へと散らばって戦ってばかりいる学者の群れを一つにして、その方向を提示しました。世間で学者といわれる人々は、なかなか話を聞きません。そのような群れを集めて、文総裁が「このような世界に向かわなければなりません」と、方向を示したのです。それで絶対的価値を中心として約十五、六年間教育した結果、今は議長が先生のみ言を研究するようになりました。 アメリカの神学校にも、「AR」という組織があり、年に一回牧師、神学者約六〇〇〇名ほどが集って大会を開いています。しかし私たちは、その門前にも行けなかったのです。今はその理事会の半分が先生の側です。その展示会の重要なコーナーに統一教会を紹介したとしても、「どうぞおいでください」と言うのです。反対できないのです。アメリカへ留学した群れが、韓国に帰って、「自分は神学者だ。文総裁に反対する」とか言っているのですが、あなた方の学んだ神学校の校長が、既にレバレンド・ムーンの教えを受けているのです。どうです。気持ちがいいですか、悪いですか? (気持ちがいいです)。では、反対する者が偉いですか。反対する人々の声を聞きながらも、それらを相手にしない人が偉いですか? (相手にしない人です)。それは偉くありません。悪口を言われながら、気持ち悪くも思えない人は、愚かな人ではないでしょうか。女性としてそのような息子を生みたいですか。もしある村で、殴られて帰ってくる息子がいれば、「どうして泣いて帰ってくるのか」と言うのが母親でしょう。先生の母親もそうです。先生に「どうして悪口を言われながら黙っているのか。復讐すればいいのに」と言ったのですが、先生が知った真の道がそのような教えではなかったのです。 それで今回、四十年ぶりに広告を出したのです。先生は悪いことはすべて忘れようとしますが、良いことは覚えています。刑務所の話もすべて忘れようとしているのです。思い出せば、今でもすべての話ができますが、もしすべてを話せば、皆さんは涙を流すことでしょう。昔、先生は有名な日曜学校の先生をしていたので、文学的専門用語を使って、どんな話も、童話も、長編小説もできるのです。馬に乗って荒野を疾走する内容などを話す時、当時の教会の若者たちは、先生がますます好きになったのです。先生はどこへ行くにも、説教を準備していくことはありません。何の準備もしなくても、先生は感銘を与える説教ができるのです。一日中語り続けても、数カ月は語れるし、説教だけでも生活できる先生です。 さて、統一の話ですが、宗教圏の統一は何をもって成すことができるでしょうか。それは武力ではできません。不良息子が悔い改めることができるのは、父母の愛からです。愛は死亡の世界から創造力を発揮できるのです。死の場から復活圏をつくり出せるのです。今回のソウルオリンピックの時、「一二〇カ国から宣教師と代表二人ずつ韓国に来なさい」と言ったのです。旅費は各自が準備したのです。先生に助けてくださいと言うような人は一人もいないのです。皆さん、もし先生が天国へ行って、皆さんに「天国に来なさい」と言った時、先生が準備してあげるべきでしょうか、それとも皆さんが準備して来るべきでしょうか? (準備して行きます)。それと同じなのです。先生の真の道を知ったならば、先生が行うとおりに皆さんも行わなければなりません。その道がいかに険しくとも、その道を開拓していくのです。たとえヒマラヤの山頂へ登っていく道であっても、これが公式の道なのです。その山頂を越えて天国へ入るのだとすれば、すべての人々は越えなければなりません。 ですから、先生はこのような道を知ったので、一生涯この道を行くのです。この道はただ楽に行くことはできません。サタン世界の最も深い谷底にも、神の愛を中心として、真の愛の根を下ろさなければなりません。そこに根を下ろさなければなりません。そこに根を差して、そこから出発して、サタン世界の個人的時代、氏族的時代、民族的時代と、すべてにおいてサタンが打ってくる中で、神様の本来の愛の伝統を築くのです。先生はこのようなサタン世界のすべてに迫害されながら、世界の位置にまで上がってきたのです。今や中天に名声を翻す時なのです。これからは大韓民国においても、文先生に反対する者は打たれるでしょう。 迫害は神様が恵みを与えるための架け橋 先日もこんな話を聞きました。ある喫茶店に入っていた時、ある軍人が文総裁の悪口を言った既成教会の人の胸ぐらをつかんで、殴ったのです。「この野郎! お前は文総裁に対してどのくらい知っているというのか!」と。これから先生に反対する者はこのように殴られることでしょう。そして、死ぬ者も現れるでしょう。なぜこのような話をするかといえば、一九五五年、李承晩博士の時代に、文教部、広報部、内務部、法務部、外務部の五人の長官が一つになって、文総裁を打ってきたのです。その時、李承晩大統領の妻のフランチェスカと、金活蘭と、李起鵬の妻の朴マリヤたちが一つになって打ってきたのです。そして一瞬にして、梨花女子大学、延世大学において迫害が始まったのです。このまま統一教会を認れば、賢い青年男女が、神学校の学生が数週間のうちに完全に伝道されていって、そのまま放置しておいたら、数年以内に既成教会が滅びてしまうと思い、「どんなことをしても統一教会を打ち砕かなければならない」と言って、騒ぎ立てたのです。しかし、何の罪状もないので先生を殺すことができなかったのです。 散々調べ尽くして、「兵役忌避」ということで打ってきたのです。先生は北で監獄生活をしてきたので、既に兵役の年齢も過ぎていたのです。どんなに法に照してみても問題にならないので、無罪釈放になったのです。しかし悪いことには、その時大騒ぎして連れ出したのに、無罪釈放になったことは誰にも知らされず、今になってもそのことで先生を打とうとする人がいるのです。 先生は個人的に打たれ、家庭的に打たれ、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に、天と地においても打たれてきました。共産主義者から、またアメリカ人から、アメリカの政党全体から、さらに仏教、儒教、すべてから打たれてきましたが、誰一人として宗教者で、この先生に同情した人はいませんでした。誰一人として男性も、女性も先生に同情した人はいませんでした。しかし先生は、そのような中でもすべての人々に、この道を教えてあげました。監獄の中でも話してあげました。そして、世の中がこれほど悪なる世界になっていることを、先生はよくよく知りました。しかし先生は、これらすべてを自然屈伏させてきたのです。 本当は監獄のことはすべて忘れなければならないのですが、殴られて痛かったことを記憶しているのです。先生の体には多くの傷が残っているのです。既成教会が与えた傷です。先生がもし人間的に生きるならば、彼らの腹を切り裂いて、禿鷹の餌にしても足りない気持ちです。先生の性格は、そのように強烈なのです。少年時代にも、もし先生の村で誰かに殴られたかわいそうな人がいれば、先生はその人を訪ねていって、責任をもってその人を殴った者を処分する魁首の役をしたのです。先生は火のような男なのです。このような先生を監獄に入れたのですから、たとえ無罪釈放したとしても、その日その時のことを、長い公文書にして発表し、謝罪しなければならなかったのです。 しかし、なぜこのように迫害されたのかといえば、恵みを受けるためのものだったのです。罪なくして打たれる人は恵みを受けることができます。打った人が長官の友人であれば、長官の友人の恵みを受けるのです。もし長官の位置で打ってくれば、長官の位置の恵みを受けるというのです。先生は濡れ衣を着せられました。「文なにがしは、大韓民国の大統領になろうとしているのだ。李博士をポケットに入れようとしているのだ」と言われてきたのです。「文なにがしはこの国を手中に入れようとするのだ」と悪口を言われながらも、先生は黙々と歩んできたのです。最近になって、ようやく「南北を統一できる代表者は文総裁しかいません。金日成にも誰にもできません。文総裁だけです」と言うのです。さらに「文総裁を南北統一の大統領にすべし!」と言う人も多いのです。たとえ大統領に打たれることになっても、それを耐えて、その迫害が世界へ広がっても滅びないで成長していれば、その国の大統領以上の大きな位置を与えられても交換できない人になるということです。迫害は、神様が恵みを与えるための橋を架けているのだということを知ったので、先生は黙してきたのです。先生はすべての橋を渡ったのです。 もはや統一教会に対して、既成教会が全力をかけて打ってきても先生には勝てません。どんなに強い青年の闘士の群れをもって挑んできても、統一教会の人たちには勝てません。最近では円和道という武術を習っているのです。霊界から教えられたこの武術を全世界に広めるのです。円和道は素晴らしい武術です。神様いわく、「武術はこのようであらねばならない」。円和道は原理を中心とする、世界の総合的な武術とすべく今回指示を出したのです。そして、世界中の円和道の人々を再調整して、かつて三国時代に花郎道の力を発揮して、三国を統一したように、今や万国統一時代なので万国を統一できる武術を習わなければなりません。それで、共産党も先生を恐れているのです。日本でも同じです。もはや私たちの若者を思うままにすることはできません。すべての人々が円和道を習うのです。 この中で八〇パーセントの人々は、今でも先生と相撲を取ったら負ける人たちです。「七十代の老人が何を言うのだろう」と思ってはいけません。(笑い) 実際にもそうなのです。昔、漢江の岸でも先生と相撲を取って勝った者がいましたか、教会長どうですか? (いません)。(笑いと拍手) 真の愛の真理体 このごろ共産世界では、「文総裁を殺せ!」と騒いでいます。アメリカでも一部の人々が「レバレンド・ムーンは韓国に帰れ!」と言って騒いでいます。先生は何の負債もありません。罪のない先生に対して、間違っても打ってくれば大変なことになります。 ですから今は、アメリカが文総裁の前に永遠に屈伏するのです。先生はこのようにして西欧社会を、白人社会をこの韓国へ連れて帰ってきたのです。さらに最近では、アメリカのホワイトハウスの周囲にいる人々も先生の世話になっているのです。「ああ文総裁、どうかアメリカにおいでください」と。先生はアメリカに行って何をするのでしょうか。先生がアメリカを助けてあげるとでも思っているのですか。今回も、どれほど先生の世話になった人々がいたか知れません。先生が力を与えなければ誰も何もできません。こういう話を信じられますか。先生が何をしているか、どんな人なのか知っていますか。「お父様」と呼びながらも、自分の父が今何をしているのか知っていますか。今や大統領を教育する、王様を教育する先生なのです。 先生の話は膨大です。既成教会の牧師たちは、「悔い改めれば天国に行ける」と言っていますが、先生は違います。解放されてこそ天国に行けるのであって、悔い改めても解放されなければ天国には行けないのです。ですから、神の統一のための絶対的内容は何かというと、知識ではありません。皆さん、真理とは何でしょうか。真理の根本は何でしょうか。自分以上の真理はありません。天国の真理は一人の男性、一人の女性以外にはないのです。何の話か分かりますか。全世界の男性を代表する真なる男性がいれば、その真なる男性の四肢五体が真理なのです。真理は文字ではありません。真なる女性が真理なのです。そして真なる真理の父とは、真なる愛をもった人です。また真なる真理の夫婦という真の愛をもった真理体が一つになる時、真なる真理の殿堂になるのです。真なる真理の子女とは、愛を中心として兄弟が一つになった真理体です。では、何がそれを成すのかというと、生命が成すのではありません。生命よりも先に愛があったのです。 皆さんは生まれる時、父母の生命から生まれたのですか、愛から生まれたのですか? (愛からです)。生命が激動する男性と女性の生命が、燃えて一つになったものが愛なのです。自分という存在は、このような愛の同参者なのです。これは実に偉大なことなのです。父母が絶対視し、天地が公認する愛を中心として、その絶対的な愛の基盤の上に同参した存在なのです。さらにその根は神様を中心としているのです。神様の骨髄にも通じているのです。それで、もし人類始祖が堕落することがなかったならば、神様は人類の本然の善なる先祖として縦的な愛を代表した父母であったのです。 今日、既成神学では、「創造主と被造物は、相関関係を結ぶことはできない。なぜならば創造主は神聖なるものであり、被造物は俗なるものであるから」と言っているのです。俗なる人間と聖なる神の愛がいかに結ばれるのでしょうか。ではなぜ「父」という言葉を使うのでしょうか。それ自体が既に矛盾しているのです。神様がなぜ人間をつくったのかといえば、その動機は愛の対象を探すためなのです。神様は独りなので、縦的な存在のままでは何の創造力も生じないのです。横的な父母としての、堕落しない人類の真の父母を立てて、神の縦的基準に応じられる横的対象圏を広げていかなければなりません。神の国は、このような横的父母を通して生じるようになっているのです。 では、なぜ父母が必要かというと、神の子女を天地すべてに生み殖やすためです。それでは神様はいかなる方かというと、真の愛を中心とする縦的な父母なのです。その縦的な父母の前に、九十度の水平線に立った横的な父母が必要なのです。アダムとエバが、この横的な父母となるべきだったのです。一方は東から、一方は西からそれぞれに成長して、神の垂直線に対する水平線の中心的代表として、個人的な時代、家庭的な時代、氏族、民族、国家、世界、宇宙的な時代を経て、天と地を一つに連結すべきだったのです。中央線を中心にして出会うために、男性は成長して女性を訪ねていかなければならないし、女性も成長して男性を訪ねていかなければならないのです。ここで生命を受けて生まれてくる時、天地に同和できる愛の同和圏となり、すべての核がそこに集約されて、球形になって、そこから新しい芽が出て縦的に連結されるのです。 軸は一つしかありません。真の愛の軸として、神様と、堕落していない本然の先祖が一つになった軸をつくらなければならなかったのです。これが破れてしまったのです。この軸を復帰しなければなりません。それで統一教会では、「真の父母」という言葉を使うのです。真の父母とは、縦的な真の愛を中心とした父母の前に、横的な真の愛を中心とした先祖の立場に立った方なのです。このような立場で一つになる「零」の位置に、神様も下りてこられるのです。ここに天地のすべての運勢も下りてくるのです。では、そこで縦が中心になればいいでしょうか、横が中心になればいいでしょうか? 縦横の神の愛を中心として、骨のような神の愛に対して、アダムとエバが成長して体のような真の父母の愛を完成し、愛の調和体となり、天と地を主管する王権の主人として生まれるべきであったのです。もし、そのごとく人間が生まれていれば、いかに高貴な人生であったことでしょうか。そのように完成していたならば、その個人は自動的に神様の血統圏に属するのです。神様の血統、神様の心情圏を受け継いで生まれていれば、そこに宗教は必要ありません。宗教の道は、愛の道に従って生きることです。愛の道を学んで生きることです。ですから愛の世界においては、宗教は必要ありません。絶対的な愛の対象として創造された人間の代表として、真の祖先という観点に立つ時、絶対的な真の愛に一致する神の永遠なる理想圏になるのです。人間の永生論理はここに形成されるのです。 私たち人間は、神の愛の対象としてつくられたのですから、真の愛においてのみ永生するというのです。堕落したこの世界においては、これが一八〇度回って、天が地になるようにならなければなりません。そこで統一教会が現れて、個人的に世界の東西を一つにして、家庭的にも東西を一つにして、氏族的にも、民族的にも、国家的にも東西を一つにすることのできる天地の運勢を結集したのです。西洋は東洋のために生き、東洋は西洋のために生きるという愛の交流体として連合される時、ここに初めて神様が中心となって、すべての文化世界を新しい愛の世界へと包んでいくことができるのです。そのような神聖なるみ旨の成就に酔って、このような世界になっていくのです。 すべての出発は真の愛から すべて、真の愛から出発しなければなりません。そこにおいて初めて、個人の統一がなされるのです。個人が歩む理想の道、家庭が歩む理想の道、氏族が歩む理想の道、すべてこの道は愛の道なのです。ですから人類始祖がもし堕落していなければ、夫や妻が完全に絶対的な価値の愛を中心に生活するので、地獄は存在しません。すべてが天国に行くようになっていたのです。 神の国の民となって、神の国の王宮法に従う皇族になるためには、神様を誰よりも愛し、人類を誰よりも愛さなければなりません。そのような意味において、イエス様は神様を愛することにおいて狂った方であり、人類を愛することにおいて狂った方です。さらに怨讐までも愛するために狂った方です。神の国の皇族になるには、怨讐までも愛さなければなりません。それは個人のレベルにとどまらず、国のレベルまで愛さなければなりません。それで今回、統一教会で祝福を受ける人は、大韓民国内の男性や女性同士の結婚ではありません。なぜ不思議そうな目をしているのですか。もう一度繰り返しますが、今回合同結婚式で祝福を受ける人は、大韓民国の人同士で結婚できますか、できませんか? (できません)。これは何の話か分かりますか。 では、大韓民国の人はどうなるのでしょうか。外国へ行って、大統領の夫人の義理の兄弟になることと、韓国大使館の大使になるのは、活動を行う場合、どちらがより効果的でしょうか。答えてください。大統領夫人の義理の兄弟になるほうが、いかなる国の大使になるよりも素晴らしいというのです。それは、すべての国の大使を一堂に集めてどんな訓示をしても、「そのとおりでございます」となるのです。 では、統一教会の人たちはよく考えてみてください。もし先生が日本に行ったとしても、食口以外の日本人の家には行きません。日本の青年と結婚した韓国の女性が生活しているその家を訪ねていって、共に生活したいと思います。食事を作るにも、韓国の女性と日本の男性で共に協力して作るのです。その時、「仲人をした先生は、なぜ私たちをこのように苦しめるのだろうか。薬を盛って殺してしまいたい」と、話し合うのでしょうか? (いいえ)。皆さんが国境を越えて怨讐を愛することのできる驚くべき価値でもって、天上世界の因縁を新しい軌道へ向けて回転できる力の母体となっている事実を知った時、その偉大な恵沢圏に入れるようにしてくださった方に出会えたことは、どれほどありがたいことでしょうか。それは父親よりも、国の王様よりもありがたい方です。では、その方にどのような礼を尽くせばいいのでしょうか。皆さんがよく食べている魚のカレイのようにすることです。常に大地にひれ伏して、おなかが真っ白くなるほどにです。(笑い) それほどに敬礼しても、「私はまだ足りません」と言える韓国人に皆さんをしてあげようと思っているのです。なのに、何ですか! 何が不足ですか。この者たち! 先生が思うには、神様は統一原理の材料を必要とされているのです。皆さんが統一原理の真なる材料となるためには、罪のない童男、童女でなければなりません。神様は、そのような世界的に歓迎される材料を願われているのです。そして、世界が喜ぶことのできる製品が必要なのです。何の話か分かりますか。世界が誇り、世界が欽慕し、天と地が尊敬するような材料でなければなりません。何の材料になるかというと、愛の材料です。どうですか、なれますか。 韓国人同士で結婚すれば、式の翌日から口論を始めます。三年もたたないうちにけんかが始まります。しかし、日本人と韓国人が結婚すれば言葉が不自由なので、約五年間言葉を学んでいるうちに、どんなに多くの事情や曲折も越えていけるのです。どんなにつらくても苦労しても、五年間共に生活しているうちに言葉も自由に通じ合うようになり、「ああ、あなたは偉大です。どうしてこのように日本人の私を愛してくださるのですか」「あなたこそどうして韓国人の私をこれほどまでに愛することができるのですか」と言えるようになるのです。これはどれほど素晴らしいことでしょう。 このような唯一の最高の喜びを得ることのできる道があるということを、神様はよく御存じなので、この先生を通して、愛する統一教会の童男、童女に祝福を与えようとされているのです。そのような決意をもった人々が二十日以後、日本からやって来るのです。 皆さんはまだ祝福がいかに恐ろしく、またいかに尊いものかよく分かっていません。これまで祝福を受けた家庭の伝統も乱れています。先生はこれを正さなければなりません。もし今、先生が正しておかなければ、このまま曲がってしまいます。このような先生の話に反対する人は手を挙げなさい。そのような人は、「私の子女は、今回の祝福には参加できません。私は白衣民族であり、倭賊ではありません」とでも言うのですか。最近、日本人のルーツは韓国人であるということが証明されているのです。七〇パーセントがそうなのです。時がたってしまったので、分からなくなったのであり、すべての系統をたどってみれば、すべてそうなのです。 この韓国でも、北韓からの離散家族と出会った時、お互いに系統をたどっていってみると、兄弟であったと言って、目を丸くしていたのですね。分かってみると、「私のおじの名前は何々です」と言うのです。そしてよく見ると姿形までもよく似ており、「アイゴー」と言って、抱き合っている場面を見たことがあるでしょう。韓国と日本は数百年間も分かれていたのですから、私たちは骨が折れるほどに抱き合って痛哭したとしても、神様はそれを見られて、「この者、けしからんやつだ。悪いやつだ」と言われるでしょうか。「よくやった」と、神様はおっしゃるのです。それで、韓国人と日本人とは怨讐同士だったのですが、統一教会では、この怨讐同士が結婚するのです。 では、この文総裁と地上の女性は怨讐でしょうか、怨讐ではないでしょうか。うん? 怨讐なのです。アダムにはエバが怨讐であり、エバにはアダムが怨讐なのです。またカインにはアベルが怨讐であり、アベルにはカインが怨讐なのです。そしてアベルとカインの兄弟の前には、父母のアダムとエバが怨讐になるのです。このように、怨讐として分かれたものを統一しなければなりません。神の愛を否定したのですから、今日、神の愛で同和して一つにならなければなりません。分かりますか。 なぜそうしなければならないかというと、神様が愛の対象をつくられる時、「私自体はあなたのために存在するのだ」とおっしゃったのです。これが真の天理の始まりです。これは偉大なる愛の思想です。神様がアダムとエバを御覧になって、「アダムよ、エバよ、私はお前たちのためにあるのだ。私が求めている愛は、お前たちを完成させるためにあるのだ」とおっしゃったのです。 永遠なる絶対者の前に、永遠なる対象の価値を表していくために、私たちはすべての相続を受けなければなりません。相続したその愛を再び満たしていかなければなりません。完全に与えれば、そこが真空状態となり、完全に与えることによる高気圧圏をアダム、エバがもつようになるのです。そのような神の軌道の循環法度を促すために、宇宙作用の法度が回転しているのです。 真なる愛の種に 神様は天地創造をされる時、まず御自分を一〇〇パーセント投入されたのです。ですから救援摂理が復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理なのですが、再創造するためには神様がこの宇宙を創造されたように、本然の自らの愛を中心として、すべてを投入しなければなりません。文総裁もその法度に従って生涯を生きていかなければなりません。まず自分のすべてを投入することです。心と体とすべてを投入するのです。投入したあとは忘れるのです。自分が投入した苦労も忘れて、成長していく子供たちを見ながら、自分の父母が私を生むためにどれほど苦労されたか、そして、それらをすべて忘れて、成長していく私を父母が見て喜ばれるように、私も自分が投入したものをすべて忘れてしまうのです。父母の愛が貴いのは、子女のために一生を生きて、それでもまだ足りなくて、千年尽くして足りなく、なお子女のためになりたいからです。そのような父母の愛が絶対的に必要なのです。そのような神様です。 なのに不平を言ったならば、この世のどこに残れる者がいるでしょうか。ために生きて、なおために生きようとする時、三六〇度回転して、自然にすべてが解けていくのです。ですから終末が訪れたのです。ために生きる時、このように回るので(先生がしぐさされる)、このように切れてしまって、偽りは清算されてしまうのです。完全に清算するために、神様は「ために生きる道理」を通してサタンを屈伏してこられたのです。サタンを打って屈伏させるのではなく、自然屈伏なのです。統一教会も今日まで、既成教会が自然屈伏できるような道をすべてつくってきました。アメリカから牧師が数千名また来るようになるでしょう。今度先生がアメリカに行ったならば、NCCに加入するつもりです。NCCの総責任者を通して、韓国支部の者たちに指命を出します。でなければ、アメリカの大統領をして、訓示を出します。先生はいつもそれぐらいの腹をもっています。それは可能な話でしょうか、ただ話してみたくてする話でしょうか? (可能な話です)。(拍手) そこから統一が始まるのです。まず愛の種になりなさい。結論がそうです。真の愛の種になる時、宗教の歩んだ歴史時代の統一圏を越えることができるのです。分かりましたか。種には根がありますか、ありませんか。幹がありますか。枝がありますか。花がありますか。香りがありますか。蜜がありますか。実がありますか。生命がありますか。これらがすべてあるというのです。では、皆さんは種になっていますか。 温度、気候学的に見れば、古代は熱帯文明であり、中世は温帯文明です。これが一回転する四季の周期が六十年から七十年なのです。この期間内に世界を風靡する共産主義が現れたことによって、寒帯地方から温帯地方へシベリアの北風が吹き寄せ、温帯圏内のすべての枝はみんな落ちてしまったのです。冬になるとすべての実が落ちてしまいます。しかし、その中でも真の命の種は、いかに北風や寒雪が吹き寄せても、制圧されることはありません。共産主義の脅威がいかなるものであっても、それを貫いて新しい人類の平和の春の園が訪れるために、解放と希望の春の園が訪れるために、人類の新しい時代を迎えるために、この天地に蒔かれて、緑の葉を出して、再び冬を迎えることのない、解放の温帯圏へと進出するのです。それでは皆さんは種をもっていますか。 種をそのままにしておけば芽が出ません。凍りついて割れてしまいます。中に湿りがあるので、四度以下になるとどんどん膨れていって割れてしまうのです。再生のためには、迫害と艱難の歴史的試練を割って、そこに新しい生命体として、緑の芽を出して春の青山の同参者となり、生命の理論をもって成長して、世界中で一番大きい木となるのです。飛びゆく鳥もそこで休んでいくし、動物たちはその木の下で休み、鳥たちは巣を作り、すべてから尊敬されて、道の標示体ともなり、安息所ともなって、すべての幸福の条件を提示できる、そのような勝利的大木のような人物とならなければなりません。分かりましたか。文先生がこのように生きたので、今や世界中の人々が文先生の胸に抱かれて生きるようになったのです。そういうことが分かりますか。 あなた方も結婚すれば、先生の胸の中で生きたいと願いますか、どうですか。この者たち! そうですか、そうでないですか? 最近では障害者オリンピックを行うのですが、先生はそのような各国の選手たちを見て、どれほど悲しく思ったことでしょう。自転車に乗るのも手でこのようにしているのですね(先生がしぐさされる)。それは罪でないでしょうか。障害者がバスケットボールをする姿を見ても、それは罪ではないでしょうか。罪の中でも悪い罪になります。世界各国ではチャンピオンを送ったと言って、彼らがバスケットをする時、「飛べ!」と歓声をあげるのです。そして金メダルを取ればその不具な選手の前に世界が完全にひざまずくことで、統一の時代が訪れるのだとでも思っているのですか。 それで先生は先回の障害者オリンピックの時にも援助したのですが、今回の障害者オリンピックでも助けてあげなさい。郭錠煥(先生)助けてあげなさい。(はい!)。そうしなさいよ。彼らは国を結ぶための一つの祭物となったのです。四年間運動をやってチャンピオンになることはどれほど大変なことでしょうか。そうですね。それで、霊界統一のチャンピオンになるためにも、祭物的な群れがなければならないというのです。そして、それが統一教会の文先生が教育したこの群れであるということを知らなければなりません。 それで、南北統一のために自分の故郷へ帰りなさいと言うのです。そこで、まず妻を故郷に帰したのです。そして次は子女たち、二世を連れていかなければなりません。国を愛することにおいては、大学などが問題ではありません。先生が統一教会を始めた時、迫害のために大学にも行けないようになった人々とこの道を開拓してきたのと同じように、あなた方も自分たちの故郷を救うために、父母や妻子、すべてを救うために、このことを断固として成し遂げなければなりません。教会長、分かりましたか? (はい!)。先生は世界的に、皆さんの先祖のためにこのことを成し遂げましたが、皆さんは自分の故郷のために、自分が故郷を愛するように、妻が故郷を愛するように、妻以上に、夫以上に、父母以上に、子女以上に愛する時に、その故郷から新しい根が出てきて、天地を覆うことのできる大木になれるのです。自分の兄弟よりも自分の一族よりも故郷を愛し、国を愛し、国を指導できる、世界を指導できる一族になるような愛の根を下ろさなければなりません。そこに希望が生まれるのです。分かりましたか。 天国の門の鍵、還故郷 では、結論づけましょう。統一は愛によって成されるようになっています。今や先生が、すべての蕩減路程を歩み終えたのです。個人的にも終わり、家庭的な戦いも終わり、氏族的な戦いも、国家的な戦いも、世界的な戦いもすべて終わりました。それらをまとめて父母の名においてのみ相続できる時代です。しかし、相続は第三者にはできません。真の父母を中心としての父子の関係による、自然的な愛の因縁を結ぶべきです。そこから骨と肉と血が生ずるのです。それで一切の理想をそこで相続することができるのです。これが父子の因縁なのです。 ですから統一教会では、皆さんが先生を父母と呼ぶことはどれほど恵みであるか知れません。先生は六十年の歳月を犠牲にして、万民の代表として越えてきたのです。それはなぜかというと、先生は父母の立場にいるからです。すべてを与えて忘れるのです。何の代価も求めず、すべてを与えて、忘れるのです。それを失った故郷へ植えるのです。皆さんはこのような統一の木となって、先生が神の国へ結んだ、神が共に住むようないちじくの木のようにならなければなりません。統一教会の木とならなければなりません。そこで人々がおなかが空いた時、果実を求める時、かつてイエス様がエルサレムに上っていかれる時、実のないいちじくの木を呪ったことを忘れてはなりません。実を結ばなければなりません。その実が皆さんの祖父母であり、父母であり、子女であり、皆さんの一族なのです。いま正に天地開闢時代が訪れたのです。祖父が孫になり、父が息子になるのです。そのような過程を経なければ天国へ入れません。先生が行く未来の世界に入籍することはできません。故郷をもたない人たちは入籍できません。 今や宗教歴史にあって初めて故郷に帰るのです。故郷に帰って、故郷に愛の種を蒔いて、故郷の氏族と氏族を連結して民族となり、民族と民族を連結して国家となり、国家と国家を連結して世界となり、世界と世界を連結していくのです。このように氏族圏と人類が一つとなり、それによって統一が成されるのです。愛を中心として統一されるのです。分かりましたか? (はい)。 先生は何度も刑務所に入りましたが、今になってみると、それは神様が先生を教育するためだったのです。先生がもし、共産党の統治のもとで三年近くの監獄生活をしなければ、共産党の本質はいまだに分からなかったでしょう。共産党の組織の中でも最も核心的な組織が監獄の組織なのです。 また先生がアメリカへ行ってもダンベリーの生活がなかったならば、アメリカをよく知らなかったでしょう。ダンベリーに入ることによって、小さな社会ではあるが、アメリカの最も悪い面と、最も良い面が分かったのです。誤解され、また謀略によって先生はダンベリーに入った結果、彼らを心情的に最も良い人、最も悪い人に出会うことができたのです。先生は彼らを心情的に一体化させて、先生の前にひざまずかせ訓示できる立場に立ったことは、神様が未来のアメリカの国民を教育するための心情圏蕩減条件を立てさせたということです。 先生がダンベリーに入るようになった時、人々は「レバレンド・ムーンはアメリカを滅ぼし、アメリカを売り飛ばすために来たのだ」と言ったのです。そのようなアメリカの逆賊の徒党の代表の先生が入獄するというので、「この野郎! ここに入ってきたからには、もし一つでも間違ったことを行えば即刻首を切ろう」と約束していたそうです。そこでは一夜にして人一人を殺すことなど問題ではありません。普通のことなのです。それを先生は知っていたのです。先生はその社会で戦わずに通過していかなければならないのです。そして六カ月後には、彼らが先生を尊敬するようになったのです。それは先生が生活で示した教育の結果なのです。何の話か分かりますか。ですから、あなた方が故郷に帰って一族を復帰できないというような話は、この先生には絶対に通じません。 先生が西大門の刑務所に一〇〇日間入っていた時、教導所長から拘置所の課長、看守までもが先生に従ってきたのです。その時は夏だったので、教導所の牧師が桃などを買ってきてくれたのです。不思議なことに彼らは自分が何か食べようとすれば、獄中の統一教会の文先生を考えて食べ物がのどを通らなくなるというのです。 ですから先生は北韓のこともよく知っています。共産党の治下に生きることが、どのようなことであるかをよく知っています。先生は南韓についても南韓の刑務所を経たのでよく知っています。日本についても日本の刑務所に入ったので、日本人とはどのような者かをよく知っています。アメリカでも刑務所に入ったのでアメリカがどのようであるかをよく知っているのです。これが最後です。今になって考えると、それらのすべてが、神様が先生に大きな恵みを与えるための準備的役事だったのです。そのために、その国の人々が先生を尊敬することができたし、地獄にいるすべての怨讐までもが、先生を称えることができるようになったのです。解放が始まったのです。何の話か分かりますか。監獄に行って反対を受けるだけの先生ではありません。監獄の中でも懐かしく思うのは、心情の世界であり故郷の便りなのです。彼らが懐かしく思うことは食事をすることよりも、楽しい慰労の時間なのです。ですから先生はよく話をしてあげました。いろんな話を毎日のようにしてあげたのです。 そして、先生が話を始めると昼食の時間になっても食事をすることすらも忘れて、先生の話を聞くのです。これ以上の福音はないのです。人間は、飢えれば体もやせ細るのです。先生が一時間、二時間と話を続けているうちに昼食はなくなります。そのように、先生の話に酔って、食事をすることも忘れて、そこに涙を流していた人々を先生は忘れることができません。ですから今でも、彼らの思い出の中に鮮やかにレバレンド・ムーンのイメージが残っていて、電話を掛けてきたり、訪ねてきたりしようとするのですが、今は先生がそれを止めているのです。分かりますか。 一度通過する場には必ず何かを残していかなければなりません。その中でも最も貴いものはお金でもなく、手段、方法でもなく、愛なのです。そのような愛の種を蒔いていくのです。それで神様は、先生を苦労させてきたのです。日本、アメリカ、韓国、共産世界、これらの四大国が、世界の代表として先生に獄中生活をさせたことは、歴史的な根をもった最高の愛の種を植えさせるためだったのです。深い愛の根から芽を出して、最も高く成長していく茎に完成していくための、神様の愛の教育だったのです。 このようにして、サタン世界のカイン圏のすべてに、神様が今日まで種を蒔いて育ててきたのです。それらのすべてを一カ所に集めて、収穫して新しい天国時代を迎えるために、先生を苦労させてきたということを知らなければなりません。その苦労の下敷になって、贈り物になるのではなく、苦労の中から勝利して、その栄光の中から勝利的賛美の権限をもって、神様が同居できる場における贈り物を、今日、統一教会の文総裁は父母の名をもって、世界の人々に無条件に分け与えたのです。 サタンはこれを妨げることができません。それで九月二十七日を期して「世界統一転換式」を行ったのです。すべてが回っていくのです。開天節を中心として四三二一年、数字的にもぴったり合うのです。そこで「世界統一国」という、新しい地上天国への出帆を天と地の前に堂々と宣布したのです。そこで統一教会の信者は、みんな故郷に帰るのです。故郷に住むチャンスをすべて分け与えました。自分の故郷に帰って家を建てて住み、子女を育てて天の公臣となることが今回の「還故郷」です。高次元の宗教は、今日まで出家することを教えてきましたが、故郷へ帰るということは、歴史が始まって以来の出来事です。そして帰る時には、父母を伴って、父母の国家レベルの相続を受けて帰るのです。分かりましたか? (はい)。 これから、統一教会の解散命令が出るでしょう。これ以上、統一教会があって何をするのですか。故郷へ帰って、故郷の人を復帰して、故郷と直結された国を、故郷と直結された世界を、故郷と直結された天国を成し遂げるのです。それは皆さん一人一人にかかっているのです。地上で結ぶのも皆さんが結ぶのであり、地上で解くのも皆さんが解くのです。地上で結び、地上で解くことは、天上世界でも結び、解けるのだという聖書の教えのごとく、先生は「天国の門の鍵」を皆さんたちに与えたのです。それが「還故郷」です。故郷で愛の種を蒔いて氏族復帰をするのです。 きょう、このような興南出監日を記念するため、先生が今日まで苦労してきたのです。天上世界の善なる世界、また悪なる世界、すべてを知り、そこから核を取り出して、勝利の世界的な土台をつくって皆さんに与えたのです。このことを正しく知らなければなりません。きょうのこの時を迎えることがどれほど難しかったことか、それは神様から見れば、人類歴史二五〇万年以上と言われるこの長い間、数多くの人々を犠牲にしてきたものを、先生一代において縦、横に蕩減させて、解放の旗を掲げたのです。今や高らかに前進し、北韓の解放の勇士として故郷に旗を立てて、天幕を張るのです。分かりましたか。 愛の陣立てを整えて出発しなければなりません。今後の命令一下、南北の統一の日は、そう遠くないと先生は見ています。そのような喜びの日を望みつつ前進しましょう。それがきょうの興南出監を記念する日としての贈り物です。分かりましたか? (はい)。ありがとうございます。 では祈祷しましょう。 愛するお父様。過去を振り返ってみれば、事情も多く、曲折も多く、行く手をふさがれて身もだえしたことも多くありました。しかし、お父様を愛し、お父様の息子としての責任を果たさなければならないという責任と、その遂行がどれほど重要であるかをよく御存じのお父様でありました。この息子は、千年を一日のごとくに歩むと言い、あなたのみ前に喜びの日をお返しすることよりも、憂慮の痕跡のみを多く残してきた事実を、この時間に再び回想するものです。 お父様、この大韓民国をお父様が引き受けてください。既に南と北が交流する時が来ております。物と物の交流も重要であり、人間の交流も重要でありますが、神様を中心として愛の交流をいかに成すかという問題が、最後の課題として残っており、あなたがこのことを、共産世界の瓦解、民主世界の零落のゆえ急いでおられることを知っています。 そのような中で、今日まで隠れていた統一教会が、完全に高く中天に掲げられる時となりました。レバレンド・ムーンの名が復活して、天上世界が地上世界を覆う時が来ました。名の復活によって、実体の復活圏が訪れることを考えた時、あなたが望んでおられた創造理想の愛の対象たる栄光の一時が、私たちの目前に近づいてきていることを知るものです。そのためには、真の父母と心情圏を受け継いで、真の父母と血統的因縁を結んで、真の父母の心情を相続し、万民、万国の前に、主体的な責任者として恥ずることのない、お父様の骨と血肉に連結された息子、娘として、子女の命令を果たすことのできる、神の子女とならなければならないことをよく知っています。 祝福のその日を目前に、あなたのみ前に善意のみをもって分別した歴史的な終末時代に、恥じることのない息子としての責任を果たすばかりでなく、神様の右側に立って、愛されて褒めたたえられるその場に向かって、千万の事情を耐えて、十年の苦痛も勝利していく統一の群れとなれるように、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。 あなたが歩まれた道が、どれほど険しいことかを、この息子も四十数年間、血と涙の闘争の道を歩んできて、神様の悲しみと、苦しみの中にいる万民がどんなにかわいそうであるかをより分かるようになりました。ただ自分の過去を忘れることに今まで努め、記憶した悲しい事実を消し去るために努めてきた生涯の路程を知っておられるお父様。その間、あなたはその背後にあって、忘れなければならない曲折の事情が、兄弟の間、父子の間における堕落によって残された事情であることを忘れなくては、再び立てることができないということを知ったので、そのことを見つめ記憶されるお父様は、この寂しい者の友となってくださり、追われる者の垣となってくださり、石を投げる者に対して盾となってくださったことを考えます時、おそれ多いばかりでございます。 日々訪れるお父様の時が近づければ近づくほど言葉なく、沈黙を守りながら、お父様の前に、万年の深い事情から、骨髄にまで憂いの涙を流しつつ、あなたのための孝の道、忠の道が何かを探し求めることに忙しかった日々が、今や年を取ってようやく悟れるようになったこのことを感謝いたします。 秋になれば、木々の葉も色を失うとともに、すべての万物が実となって頭を下げ、自分の価値をなくしても喜びの収穫期を見つめて、お父様が人類の歴史路程を耐えられたことを感謝申し上げます。そのような恵みと恵沢圏にあって、統一教会を万国の追慕の対象として立ててくださり、そればかりでなく、中心的な立場にあって、千秋の生命的因縁を万国へ広めるための源泉として立ててくださったお父様の驚くべき恵みの前に、感謝し、賛美できる群れとなれるよう許諾してくださることを、切にお願い申し上げます。 きょう、このように集うことのできた一九八八年は、解放後の二年八カ月を足せば四十年になるこの日であります。四十年間、曲折の多い路程を訪ねてこられたお父様の恨の四〇〇〇年の歴史。その節目、節目に波打つ四位基台を整えて、四十数を越えて、四方に統一圏を築かなければならないという、お父様の摂理の統一的な事情の内なる心情がいかなることかを知る時、御苦労されてこられたお父様の労苦をさらに追慕しながら、どうか私たちの前途に三数を中心とした解放の便りが訪れるように許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。 これから南北統一の召命的な責任を前にして、躊躇することなく、強く雄々しく、前進的な勇士として、先頭に立って戦っていく統一勇士として、頼もしく誇らしい姿となれるように許諾してくださることを、お父様のみ前に切にお願いいたします。たとえ死に別れても、あなたの愛の涙でその場を濡らすことのできる統一の役軍になれるようにしてくださいますことを、この日を期してお願いいたします。 日々訪れるその時が、お父様のみ前に栄光と喜びと誇りを残すことのできる日となりますように導いてくださることを、再度お願い申し上げながら、これらのすべてを真の父母の名によって祝願いたしました。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.05
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とうごま氏は知恵者であると信じた私tomy4509がバカでした。お父様が語られていた「独生女」まで隠蔽しては、なおの批判にどのような正義がありますか。実名を並べたところで同じです。デマを垂れ流しては恥の上塗りをしているだけです。今回のとうごま氏記事「中村仁史氏に対する「教義研究院」公式批判文書・7つの根本的な誤り。」(2020.03.04)は、「7つの根本的な誤り」などと7項目ですが、2013年に祈祷の神様呼称を「天のお父様」から「天の父母様」変えたということが主なものでした。原理講論やお父様のみ言の「天の父母様」はOK、祈祷呼称「天の父母様」はNGというものです。その論拠を見れば、まさに詭弁でしかありません。結論から言えば、「天の父母様」の呼称に変更した真のお母様にケチを付けたいだけのものです。一方では「神観」を挙げておきながら、中村氏の論点は「呼称変更」だといっては教理研究院は論点をする変えているとかですが、論点をすり替えているのはどちらでしょうか。重要なのは神観ですか? 呼称ですか?呼称は神観について回るものです。であれば、「神観」でしょう。以下もとうごま氏記事引用から:家庭連合(韓鶴子女史)は、神様に対する呼称を「天のお父様」から「天の父母様」に強制的に教義レベルで変更した。それを実践すれば、家庭連合は、「一元二性」の神概念から、「父なる神と母なる神」という「二元論」の神概念に転換した事になるという事実を指摘しているのである。(*これは大切な論点であるから今後大いに議論してもらいたい。)これに関しては既にお父様のみ言からゴミ箱行きは決定していました。私の記事「とうごま氏のデマには要注意を!! 「家庭連合は二元論ではない」」にて紹介したものでした。「天のお父様」「天のお母様」と分けて考えることが出来ないというのです。また、2011.01.22付のみ言(『TWJ』2011.天暦1月号P.18)で祈祷の呼称に関して以下のようにも語られていました。よくも調べもしないで情報が薄いです(笑いものです)。もはや議論の余地もなしです。とうごま氏の妄想のみが宙を舞っています。中村氏ビデオで挙げていた引用について:●中村仁史氏が引用したアボニムの御言『神様は1人ですか、2人ですか? (「2人です」)。何ですか? (「天の父と天の母のお2人です」)。それが2人ですか、1人でしょう? 2つの性稟が入っているのです。(あなたには)良心がありますか、ありませんか? (「あります」)。体がありますか、ありませんか? (「あります」)。その2つが一つになって1人の女性です。(神様は)性稟は2つありますが、体は男性的主体としていらっしゃるということです。その男性格主体というのは何ですか? 女性格主体がいれば、また他の男性格主体がいなければならないという話になるので、二元論になるというのです。二元論にひっくり返ります。ですから、永遠に一元論になろうとするので、(神様は)この男性と女性の中和体として主体的な性稟をもつ男性型としていらっしゃるということです。』 (『文鮮明先生御言選集』 182-61 1988.10.14) これに関しては次の記事で『文鮮明先生御言選集』( 182-61 1988.10.14)全文をあげますので、皆さんで判断してください。中村氏が引用した部分は赤字にしていますが、中村氏以外の方が翻訳されたもののようですので少し違っています。男性格主体に女性格主体となれば「二元論」となるとお父様のみ言から読み取れると思います。男性格主体と女性格対象の中和体ということでしょうか。創造原理から正(神様)から分かれた人間の男女を見ても、陽性のみが男性、陰性のみが女性とはなっていません。合(夫婦)となってもどうでしょうか。『文鮮明先生御言選集』( 182-61 1988.10.14)全文をお読みください。この二つの引用文を語ったのは、誰なのだろうか?中村仁史氏が「公開礼拝Ⅰ」で「天一国経典」の翻訳編纂過程の問題点を告発したように、韓鶴子女史は、御言の「出典」「出典日」「誰が語った御言なのか」という「出典索引」をすべて抹消することを指示した。これに関しても私の記事「再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス」(2020.01.31)「今朝の訓読からです」(2020.01.31)にてその出典については別冊にて掲載されていることをすでに書いていました。そういったことも確認されずの反論では情報(心)が乏しすぎます。 教理研究院からも中村氏については以下のように書いていました。『サンクチュアリ教会に追随する中村仁史氏は、光言社で長年にわたって真のお父様のみ言を翻訳する業務に携わってきたといいます。しかしながら、彼は真のお父様の多くのみ言に触れながらも、み言の翻訳作業をしただけであって、真のお父様が語られたみ言の意味、本質までは理解できなかったと言わざるを得ません。』目の前に出されたお父様の韓国語み言を翻訳したかもしれませんが、そのみ言一つ一つの全体を確認してのそれではなかったはずです。また、ほかのみ言との関連性についての研究などもされてはいないでしょう。明らかに「元「光言社」職員さんの証言--「文字の奴隷」でしかない」「元「光言社」職員さんの証言--鹿を追う者は「山」を見ず」が彼の姿です。韓国語のお父様のみ言から「独生女」を見られては、それを隠蔽し批判されることそのものに彼の翻訳者としての良心は何と言っているのでしょうか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.05
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これまでとうごま氏(中村仁史氏のビデオ)の記事、何が論議されてきたのかを少し整理してみたいと思います。まず、発端となった中村氏ビデオ「天運と聖霊の宿る『八大教材教本』~「統一原理」から見た独生女論の問題点」からであり、とうごま氏がそれを紹介していたものを見ては、私からは教理研究院からその一つの回答を提示していたものを紹介していたのが「再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス」でした。とうごま氏記事からの引用:●この動画で知ることができる事1)日本の教理責任者が、韓鶴子女史の独生女論(韓鶴子女史無原罪誕生)に狼狽し、「金栄輝先生」にお伺い書を提出した事実2)「真の父母経」の御言の出典日時と語られた人物(真のお父様か、韓鶴子女史かの区別)の削除を命じたのは韓鶴子女史本人だった事実。3)その後、「日本家庭連合」が組織体制維持を優先、真のお父様の御言をねじ曲げ、韓鶴子女史に無条件服従。再臨主を背信した決定的事実。その金栄輝先生へのお伺い書とは真のお母様が、天一国2年天暦6月5日(陽7月1日)に語られた「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」という御言について、統一食口および反対派の間で、大きな話題となってきております。と、真のお母様の「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」という御言についてのものでした。お伺い書そのものがどうとかという前に、すでにお母様のみ言からその回答が出されていたことに気付くべきでした。皆さんはこれを信じなければなりません2000年前のイエス様はどうだったでしょうか?こんにちではクリスチャンたちが「イエス様は神の独り子、救世主・メシヤだ」と信じています。だからといってそれを系統的に論じられては世界の誰もがそれを受け入れられるようなものは何もありません。キリスト教の信仰によって受け継がれては世界的に広まってきたものでした。同様にして、こんにちの真のお母様「独生女」も信じるしかないものです。ところが、UCI(FPA)やサンクがそれを信じることが出来ない、といっては騒いでいるということです。とうごま氏のこれまでの「60の論題」もそうでしたが、中村氏ビデオもそれの一環でしかありませんでした。金栄輝先生へのそれが実際にあったかは分かりませんが、「「金榮輝氏からも最高委員会からも日本への回答書は無かった!」とも、とうごま氏は書いていましたが無責任なものです。上記のとうごま氏引用のNo.3もまた、これまでの批判を踏襲してのものでしたが、日本家庭連合が組織的に何かを隠蔽してはお父様のみ言までも捻じ曲げているかのような悪イメージを与えようとしてものでしかありませんでした。自称ルポライタイーtomy4509のこれまでの検証からも、お父様のみ言、原理講論等ともお母様のみ言は一致しているとの結論が出ていました。それどころか逆には、中村氏ビデオで取り上げていた「お父様のみ言との整合性」についてサンク側が問われるべき内容であるとの反論に変わっています。中村氏ビデオでも彼が編纂した「天運と聖霊の宿る 八大教材教本」を挙げながらもサンクの亨進氏こそがお父様のみ言の相続者だと吹聴していました。では、お父様が語られていた「独生女は?」「天の父母様は?」「真の父母様とは?」等のみ言との整合性に当てはまらない亨進氏がクローズアップされて来ました。とうごま氏、中村氏はお父様の「独生子」「天の父母様」み言を開示された上で、「亨進氏が天福函(八大教材教本)の相続者」と言えるのかどうなのか、ハッキリとした態度を示されるべきと考えます。それもまた「信仰といえば信仰」ですから。とうごま氏の過去記事(https://www.kateirengou.jp/entry/2019/01/25/091111)、実名者を名乗られているというのであれば、間違っても 家庭連合の食口は、独生女論をしっかり見極めなければなりません。当たり前に考えてください。「独生女」など、聖書にも、原理にもありません。私たちは「独生女」という単語すら知りませんでした。無原罪の独生女など、3年前の2016年末から、家庭連合の学者が食口に説き始めた、にわか作りのインチキ神学です。第一、第二のお母様が勝利していたならば、独生女論など、そもそも、あり得ないものです。こんなものが人を救うことなどできるはずはなく、むしろ、食口を地獄へ引き入れるものです。家庭連合の食口の皆さんは、独生女論など偽りであることを知ってください、目を覚ましてください!などとのウソ・デタラメはこれ以上は書かないでください。自称ルポライタイーtomy4509としては、自分自身で検証したものを書いています。へブル人への手紙 第11章1節~さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、また見ていない事実を確認することである。「実は、神様に弟が居た!」もその一つです。http://www.ipeacetv.com/vod/vod_view.asp?vId=958&mId=A01&page=21これ一つの発見からも、「復帰原理」の見方が随分と変化して来ました。堕落したアダム・エバから生まれたカインアベルでしたが、蕩減復帰原理は逆の経路を辿ります。とうごま氏は、私のようなサンデー食口以上に原理を探求されて来られた方と分かりました。これまでの矛盾に気付かれては、もっと深い内容を理解される方と信じます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.04
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2000年前の使徒たちとこんにちの私たちの天一国時代の信仰について考えさせられます。Web説教「聖霊役事の体恤 ~真のお父様の御聖誕100周年によせて~」家庭連合WEB教会 礼拝説教チャンネル登録者数 3030人家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「聖霊役事の体恤 ~真のお父様の御聖誕100周年によせて~」説教者:柴沼邦彦一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.02
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シムソン氏コメント欄にて:https://simuson.muragon.com/entry/251.html コメント tomy4509 2020.03.02実は、神様に弟がいたという話をご存知ですか。お父様が語られたみ言にありました。それが何と弟「ルーシェル」でした。天使長ルーシェルも単なる被造物、万物の一つに過ぎないというのであれば原理の力によって完成するというのが創造原理です。神様は被造万物を陽性・陰性の二性性相で造られました。ところが、天使世界は男性格というのが私たちの聞くところの原理です。もしも、天使世界も陽性・陰性の二世性相で作られていたならば、「愛の減少感」を感じることもなく完成が約束されていたはずです。愛の神様が何故、最初に天使世界は男性格のみで作られたというのでしょうか。天使とはどういう存在だったのでしょうか?そのようなことも踏まえて以下の詳しい(夜昼の神様の)説明をよろしくお願いします。>天使長ルーシェルの教育とは、どうあるべきだったのでしょうか。「全万物世界の最終の理想的な吸収の終着点がどこかといえば、男性と女性の生殖器だ」というみ言は、具体的にどのようなことを意味しているのでしょうか。このことから扉を開いていきましょう。参考までに、アダム家庭の復帰もアベルカインの兄弟関係でした。復帰路程からもアベルカインは「長子権復帰」ということが叫ばれていたようです。であれば、兄・弟がが逆転したものを元返そうとしたのがアベルカインの摂理ということではないでしょうか。神様とルーシェルが兄弟です。どのように説明されるか楽しみにしています。http://www.ipeacetv.com/vod/vod_view.asp?vId=958&mId=A01&page=21シムソン氏記事(2020-02-19)時点での未完の説明図Ⅰ.天使の創造とその使命および人間との関係神は天使世界を、他のどの被造物よりも先に創造された。天使は、神の創造とその経綸のための使いであり(ヘブル1:14)、「僕」(黙 22:9)であり、「仕える霊」(ヘブル1:14)であり、頌栄を捧げる存在(黙5:11、黙7:11)として創造された。神は、人間を子女として創造され、被造世界に対する主管権を賦与されたので、人間は天使さえも主管するようにつくられている(コリントⅠ 6:3)。02/19時点の説明図で、一番最初に創造された天使世界の明示がありません。また、既に夜昼の神様の直接主管の中で人間が成長していくようなイメージです。間接主管圏における人間の責任分担「取って食べるな」の戒めはどのように説明されるのでしょうか。今後の展開に期待します。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.02
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とうごま氏3月1日付記事「日本家庭連合の異端決定記念日は3月10日。「文孝進様の子息が後継者」は文師の遺言なのか?」ですが、『亨進氏が「八大教材教本」の遺言通りの相続者でない』と書けば、「文孝進様の子息が後継者」は文師の遺言なのか」との反論でしょうか?まるで子供ですね。お母様は2018年3月の米国で『「真の父母」の後継者・相続者はない』と語っておられました。UCI(FPA)のパシセラ氏も否定することができなくなりました。パシセラ氏よ、原理は西洋思想だけではない!!https://ameblo.jp/peace-tomy4509/entry-12364647316.html したがって、人々を無知から目覚めさせてください。あなたはそれを教えなければなりません。真の家庭メンバーに関して、いくつかの問題がありました。彼らは天の摂理を理解していません。一人は長子であると主張しています。西洋においては、長子の概念が強いかどうかわかりませんが、東洋においては、特に儒教においては、長子の概念が強いです。長子が家を引き継ぎます。長子が他界すれば、次男や三男が長男になるのではありません。系統は、長男の息子に引き継がれるのです。息子の責任です。どんなに叔父が年が上でも、長男の息子を中心として、長男に侍って、先祖に侍るのです。これが東洋の、儒教の文化です。 しかし、天の摂理においては、真の父母が天と地と人類の真の父母であるということです。その前にも後にも天と地と人類の真の父母はいません。それは、相続者とか後継者という概念が無いということです。わかりますか? 天と地と人類の真の父母の伝統を引き継ぐことにおいて、長子はその伝統を引き継ぐ中心人物となることができます。簡単に言えば、長子は大祭司に似た位置です。それぞれの国に大祭司はいます。それぞれの国に責任を持った人が、その国の大祭司です。しかし、真の父母の伝統を立てるという、摂理全体に関して言えば、世代を引き継いで長男が使命を引き継ぐのです。わかりますか?」(韓鶴子総裁 2018年3月16日ラスベガスの米国指導者会議から)パシセラ氏はさらに加えてはhttps://ameblo.jp/pacificera/entry-12463216843.html上記2019-05-23付ではパシセラ氏は「 宗孫(長男の系統の当主)」という言葉を出してしまっていました。これをもって三男の顕進氏が「長子」という言葉は激減していきました。以下もtomy4509の過去記事からです。とうごま氏の疑問「「文孝進様の子息が後継者」は文師の遺言なのか?」の回答は、すでに過去にありました。https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201905250001/(2019.05.25)『祝福(1985年 冬季号 第四十七号)』、1985年8月16日の「一勝日におけるみ言葉」である。お父様がこれから、先生以後に、(長男の)孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。 ……今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。 ……そういう事にならないよう、お前たち二人はいつでも、お母さん、お父さんに仕えるようにしなさい。兄さんを神のような立場に立てて仕えるならば、神様も真の父母を愛するように皆さんを愛してくれます。全員がこうしなければならないのです。 ……その父母に対して、たとえ一言でも不従順をして痛い胸に針を刺すことは、自分が千遍死んだとしてもなしえないという、そのような血族であることを誓うお前たちにならなくてはなりません。と語られたお父様のみ言は真のお母様が2018年3月の米国でのスピーチと相通じるものであり、お父様の意思を受け継いでのものであることを立証していた。(引用終わり)お父様のみ言、お母様のそれと合致しています。2008年8月1日のみ言でも、(2008年)3月17日に聖和された孝進様を「長子」と語られていました(『ファミリー』2008.10月号P.17)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.01
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偶然の一致ということもありますが、昨日の「いつも私のとなり」さんの記事『欧米にはない「孝」という言葉 み言の感激をもって生きる! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》』に私が今日紹介しようとしていたものがありました。しかし東洋には、孝という言葉があるのです。五倫の中には「父子有親」があり、「君臣有義」があります。この「義」という言葉と「親」という言葉は、互いにとても関係のある貴い言葉です。「親」は、「孝」をなして親しくなるということです。「親」という言葉は、父と息子が一つだということです。これには、孝がなくてはなりません。父母から流れるアガペー的愛、すなわち犠牲的な愛と奉仕的な愛、そして父母に対するこの上ない孝誠があってこそ、「親」となるのです。これが「父子有親」です。西洋倫理にはこのような言葉がありません。UCIの顕進氏もそうでしたが、サンクの亨進氏も米国育ちのため東洋思想の理解が薄いです。仏教を勉強したとの反論もあるかもしれませんが、西洋ナイズされた仏教ではなかったでしょうか?統一原理は東洋思想と西洋思想(特にはキリスト教)を融合したものですので、東洋思想の理解の欠如が「天の父母様」「真の父母様」への理解を妨げているのではないでしょうか。さて、これまでのとうごま氏記事もまたその影響を隠すことが出来ません。「研究院O氏(仮称)は問題提起にまじめに答えなさい!「真の父母宣布文サイト教理研究院公式反論文」への反論03」からの引用ですが、●中村仁史氏の「第二弾・公開礼拝」のまとめ1. 「ハナニム(神様)」から「ハヌルプモニム(天の父母様)」に改変することで、「家庭連合」の神観が「一元二性論」の神観から「二元論」の神観に変わったことは明らかである。2. それは現「家庭連合」が、かつての「統一教会」とはまったく異なる別の宗教になってしまったことを意味する。3. 特に、日本家庭連合は2014年7月1日を前後して、それまでの「真の母有原罪誕生」から「真の母無原罪誕生」へと教理変更を行った。4. そしてすでに、再臨主は罪人の立場で来られるとして、「真のお父様有原罪誕生」を主張する立場に舵を切っている。5. これはまさに、真のお父様が人類に残してくださった有形無形の遺産を、根こそぎ踏みにじる行為である。6. 真のお父様は再臨主であり、真の父母であると信じるかつての「統一教会」信徒たちは、真のお父様の伝統とみ言(『八大教材教本』)を命懸で守っておられる、真の後継者、文亨進二代王様の元に一刻も早く帰らなければならない。(※ 序数に変更は管理者)No.3・4・5は、中村氏ビデオ引用み言を前後したお父様のみ言等からもあり、「お母様とお父様のみ言の整合性」を問うた「お伺い書」の問題は解決済です。No.6もまた、逆には亨進氏が語られた「独生女」批判や「天の父母様」呼称否定は八大教材教本から見ても、そのみ言の整合性がないことから「亨進氏は「八大教材教本」の相続者ではない!! 」です。前回からのお約束の「TWJ2009年10月号」からのP.11の引用を見てみましょう。No.1は詳しくは、家庭連合は『「天のお父様」と「天のお母様」に別れた二元論の神観に変わった』というものでした。ここで改めてお父様のみ言を見れば、 「夫婦有別」ですか? ここで間違えたのです。そのようなすべてのものが途切れたというのです。ですから、これをすべて明らかにしてあげなければなりません。パチッ!! 目からウロコ、No.1だけでなくNo.2も消えました。ここでもう一度の確認です。とうごま氏が教理研究院の実名者にこだわる理由は、「組織と(家庭連合)信徒の離反」を目的としているからです。また、もはや、サンクはみ言でもってしては勝ち目のないことは明らかなことです。となれば、これからのサンク信徒の離反をも食い止めるための手段として、み言から家庭連合の組織批判に切り替えることでその目線を逸らそうとする意図があることを見抜いては、サンク信徒も賢くあるべきでしょう。このような「罪の繁殖」を防止していかなければならないと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.01
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「中村氏を実名批判するなら自分の実名を公表しなさい!」との主張自体に無理があるようです。ハンドルネームではなく本人自身が実名で公開しているのに対して、ほかに何と呼べばいいのでしょうか。にもかかわらず、「批判するなら実名を公表しなさい」はそちらの身勝手というものです。そんなルールなどありません。●はじめに中村仁史氏の礼拝動画に対する「真の父母宣布文サイト教理研究院公式反論文」の詳論に入る前に、「教理研究院」が犯した基本ルール違反を指摘しておく。●相手を実名批判する際には自分の実名公表が最低のルール今回、日本家庭連合「教理研究院」名で公表された、中村仁史氏への名指しの批判論文は、相手を名指しで批判する以上、「教理研究院」名での論文掲載では不十分であり、当然、自分の立場(役職)と実名も公表しなければならない。これが、実名批判文における最低限のルールとなる。(「教理研究院」の看板に隠れ、個人名の文書公開責任から逃れる事は許されない。)……その証左として、実際、わたしは、名指し(実名)ででなんども、こころない家庭連合所属信徒から批判文を掲載させられた経緯がある。(とりわけ、「奇知外記」の「tomy4509氏」は私の再三の身分と実名公表要請に対し、いまだに公にしていない。それどころか、今回も中村仁史氏の実名をあげ堂々と批判を展開しているようである。)最初に実名を挙げての批判をされておられたのは中村氏ビデオからでしたが、既に、そのビデオ主張の「お父様のみ言の整合性」を問う「お伺い書」の回答は、ビデオ引用のみ言の別の個所に掲載されていたものを、自称ルポライタイーtomy4509が公開したことで解決済みのはずです。これ以上の「お伺い書」からのお母様とお父様のみ言の整合性についての議論は必要のないものです。ほか、「真の父母様生涯路程 10」にてもそれを裏付けるみ言が多くありましたが、それをも確認されずの批判にも疑問を感じます。一人娘(独生女)について――真のお父様のみ言から(2015.04.26)独生女考(26)-- 「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」は『原理講論』と矛盾しない(2017.12.02)独生女考(27)-- 「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」は『原理講論』と矛盾しない(その2)(2017.12.04)独生女考(29)-- お父様のみ言「(お父様も)堕落した血統を受けて生まれた」(2017.12.09)Re[3]:とうごま氏によるお父様の「元祖・独生女論」批判理論(2019.05.19)元「光言社」職員さんの証言--中村仁史氏は「真の父母様」を取るのか? 亨進氏か?(2020.02.08)さて、私tomy4509からはとうごま氏記事は誰が責任を持って書いておられますか? とうごま氏記事では、以前には永田正治氏が出ていたのでどなたかと思っていましたが、とうごま氏自身が責任を持たれているということでよろしいですね。間違いだらけの文章をそのままに拡散しては無責任な言動が続いていましたから、「実名者」ということであればなおさらです。あまりにも一方的過ぎで無責任さが目立ちました。私からの間違いの指摘に対しても、その一つ一つを確認されていかれるべきではないでしょうか?続く記事『研究院O氏(仮称)は問題提起にまじめに答えなさい!「真の父母宣布文サイト教理研究院公式反論文」への反論03』もまた、家庭連合批判は思い込みだけであって、あまりにも偏り過ぎているように思います。■真のお父様は再臨主であり、真の父母であると信じるかつての「統一教会」信徒たちは、真のお父様の伝統とみ言(『八大教材教本』)を命懸で守っておられる、真の後継者、文亨進二代王様の元に一刻も早く帰らなければならない。過去、既に私tomy4509からですが「60の論題」の中の「独生女」「天の父母」「真の父母」は黒・天聖経にも記載されていたものであり、それを隠蔽しての批判はまったくもって論外と書いていました。ところが、その「八大教材教本」をサンクは重要視されているもまた、その「60の論題」の中の一つです。亨進氏は、お父様が語られた「独生女」「天の父母」を否定される限りにおいては「黒・天聖経」も手放さなければなりません。「二兎を追う者は一兎をも得ず」です。■真のお父様は再臨主であり、真の父母であると信じるかつての「サンク」信徒たちは、真のお父様の伝統とみ言(『八大教材教本』)を命懸で守っていない、偽りの後継者、文亨進二代王様の元を一刻も早く離れなければならない。亨進氏がみ言(八大教材教本)を懸命で守っているというのであれば、「独生女」「天の父母」批判はどうなのか、「み言の整合性」に合いません。とうごま氏、納得のいく説明できますか。韓鶴子総裁は失敗して「再堕落エバ」となったはどうですか?真の父母様は長成期完成級で御聖婚され完成期を通過されていかれたのが1960年以降の7年路程でした。「サンクの原理の理解度について-- 堕落・お父様に敬拝するサンクか?」はサンクの森一郎氏のコメントへの回答として私から応えていたものですが、以下に引用:長成期完成級で堕落したので長成期完成級まではサタンが侵入出来るが、それを越えれば不可侵圏となるのが原理観である。ところが、聖婚式を通して長成期を越えられた父母様に対して、なおも「完成期蘇生級」「完成期長級」で堕落した、失敗したなどと語るサンクの原理の理解度に疑問を投げかけないわけにはいかない。やはり、サンクには「改ざんされた原理講論」が存在するようだ。……(省略)……『お母様「独生女」が堕落・失敗した』と言われるのであれば、「お父様「独生子」が堕落・失敗した」ともサンクは主張されたも同じだ。故に、離婚・再婚して堕落・失敗のお父様(?)がサンクに居られるということなのか。真の父母様の定義について「独生子」×「独生女」=「真の父母様」である。単純な数式で割る(離婚する)ことなどは出来ない。これが「原理講論」「原理本体論」である。(引用終わり)上の図表は原理講論からのものですが、旧約・新約時代の長成期完成級の一線を越えた上で「再臨主」「実体聖霊」が記載されていました。1960年の聖婚式(小羊の婚宴)がなされた基準です。アダムエバの堕落は長成期完成級で起きましたので、サタンが働きうるのもその線の下までです。原理講論にも書かれている「原罪のない善の父母」の位置です。ところが、その一線をこえてまた「エバの再堕落」ともなれば、直接主管圏までもサタンが人間を主管する権能を認めることとなり、堕落人間の救いなど考えること自体が無意味になります。サンクではそのことについてどのように説明されているのでしょうか。原理講論も八大教材教本の1冊に数えられています。亨進氏自らがその「原理講論」も手放されているようです。中村氏ビデオ資料からも読み取れることですが、その第1弾ビデオの資料として「天運と聖霊の宿る 八大教材教本」からの序で亨進氏の『「天福函」相続の意味』が資料添付されていました。また、第2弾ではその書籍から最初の数ページが引用されたみ言も資料添付されていました。彼もまた、亨進氏こそが「八大教材教本」の相続者だという信奉者の一人だということです。とうごま氏だけでなく今回の中村氏ビデオもまた、亨進氏こそが「八大教材教本」の相続者であるかのような宣伝するためのものだったようです。ビデオもまたtomy4509は検証をしてみましたが、結果は然に非ず(サニアラズ)でした。余談ですが、列記された最初のみ言の一つを探してみました。2009年8月16日付のものです。TWJ2009.10月号から「圓球ピースカップ・カイン・アベル天宙連合安着大会 勝利祝賀訓読会のみ言」の冒頭部分にそれらしきものがありました。中村氏のそれと実際のものでは文面が異なっており、探すのに少し時間を要しましたが。ここで考えさせられることは、お父様の「み言の翻訳」と「み言の編纂」では、その表現に違いがあるということでした。以下に引用二つの文は『「天運と聖霊の宿る 八大教材教本」』で別々に掲載されたものですが、TWJ2009.10月号P.10では続き文となっていました。少し読み比べれば、翻訳と編纂での違いに気付かれると思います。二つを併記したからといって、その優劣を競おうと言ものではありません。その意図する目的によって言葉も変わってくるという例として挙げたもので、深い意味はありません。 これからは、この『八大教材・教本』が重要です。教材を全て作っておいたので、先生がいなくても、この教材を中心として、千年、万年、歴史上に生きる人たちがこれを学ばなければなりません。これを全て学んで理解した人が天国に行くのであって、これを知らない人は行けないようになっています。歴史上のあらゆる内容について尋ねるまでもなく、答えられないものがないほど、天からのあらゆる内容を結論づけておいたものが、正にこの『八大教材・教本』です。( 2009 年 8 月 16 日) 八大教材教本は、幼稚園から小、中、高等学校と、大学を超え、国における憲法まで、その基礎になるべきものなので、この内容を中心として越えていかなければ、天の国の全体世界と関係を結べません。途方もない内容です。この教材を通して、全て教育して行くのです。 ですから、この貴い教材を、ただで持つことはできません。精誠を尽くして、父母から相続しなければならないのです。真の父母が皆さんに相続させたあげたのと同じように、国と世界に全て相続させてあげたのと同じように、皆さんの先祖たちがこの八大と一つとなるようにし、また、皆さんの息子、娘を教育して行くのです。( 2009 年 8 月 16 日)さて、これの次のページにて私からは新たな発見がありましたので、次回にします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.29
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「実名批判は自らの実名も公表するのがルールとなる」は誰が決められたものでしょうか?https://www.kateirengou.jp/entry/2020/02/28/065832へ~~、私tomy4509だけでなく、他からも批判文ですか?「火の粉ブログ」からも「名誉毀損だ!」「裁判だ!!」なんてのもあったんですかネ。逆には、実名を挙げて書かれる以上はそれなりの責任を持った内容を提示されるべきではないですか。これまでの私からの批判に対しての回答が今まで出ていません。誰が見ても明らかな間違いであり、それを垂れ流しにしたままで「実名者」だからといって、私にもそれを求めるルールがありますか。無責任にもほどがあります。サンクのいうところのアベルカイン一体化のそれはどうなのですか?「間違っていました」のひと言でもありましたか?お母様「独生女」批判にしても然りです。先ずは、黒・天聖経にも書かれた(お父様が語られていた)「独生女」は間違いだと明言されてはいかがですか。サンク(亨進氏)の教えは、「お父様のみ言」を継承していないと!!私からは2015年4月29日付、5年も前から黒・天聖経(韓国語)にも記載された「独生女」を提示していました。一人娘(独生女)について(その2・捕捉)――天聖経(黒表紙・韓国語)からとうごま氏の欺瞞記事「独生女論は統一家すべての敵 」か?(2019.01.25)サンクのメンバーは現在もこのような虚偽を信じているのだろうか?以下はとうごま氏の記事からの引用:苦難の主をおとしめるな! ー 独生女論は統一家すべての敵 ーhttps://www.kateirengou.jp/entry/2019/01/25/091111 家庭連合の食口は、独生女論をしっかり見極めなければなりません。当たり前に考えてください。「独生女」など、聖書にも、原理にもありません。私たちは「独生女」という単語すら知りませんでした。無原罪の独生女など、3年前の2016年末から、家庭連合の学者が食口に説き始めた、にわか作りのインチキ神学です。第一、第二のお母様が勝利していたならば、独生女論など、そもそも、あり得ないものです。こんなものが人を救うことなどできるはずはなく、むしろ、食口を地獄へ引き入れるものです。家庭連合の食口の皆さんは、独生女論など偽りであることを知ってください、目を覚ましてください!サンクの方々は八大教材教本・天聖経に書かれた「独生女」をまだ知らされていないようだ。黒・天聖経(韓国語)のP.177を見れば「独生女」と漢字表記されていた。(引用終わり)「独生女」など、聖書にも、原理にもありません。私たちは「独生女」という単語すら知りませんでした。お父様が聖婚式を前にして初めて発表された独生子に対しての「造語」ですから、聖書には存在しません。ところが、黒・天聖経を掲げながら、サンクメンバーにはその「独生女」を隠蔽しています。中村氏の翻訳では「独生女」は「ひとり娘」の訳が当てられていました。これを公開してこそ、「さすが実名者」というものです。また、「天の父母様」はどうですか?Re :異端の布石「天の父母」--とうごま氏の虚偽(2019.03.16)原理本体論からも「天の父母様」--とうごま氏ほかの異端性を暴く!(2019.03.17)私が実名を出さずとも、とうごま氏記事の明らかな間違いについての証拠を提示していました。それを確認されたのですか?実名者というのであれば、間違いをそのままではあまりにも無責任というものです。その時点で訂正文を出されていれば、こんにちの中村仁史氏のビデオもなかったでしょう。中村仁史氏の実名はどうでしょうか。光言社元職員が「売り」でしょう。ご自身が掲げた看板でしかありません。翻訳はしたかもしれませんが、原理講論とはかけ離れた内容を語っています。「天の父母様」一つをとっても中村氏は原理講論の「天の父母様」を認めていました。元「光言社」職員さんの証言--藪からヘビ(サタン)さて、お約束の「藪」を少しつついてみたいと思います。私の過去記事でも元「光言社」職員さん(中村仁史氏)が出ていたものがあります。「「天の父母様」-- UPMC管理人さんか? H4か?」(2019.04.30)がそれです。以下引用サンクのH4は神様の「天の父母様」呼称を否定していたが、自称ルポライタイーtomy4509からは原理原本→(原理解説)→原理講論→原理本体論と、原理原本のそのときから「天の父母様」の記述があったことをルポした。また、サンクブロガーが紹介していた『統一原理マスタークラブ』(UPMC)、サンクの中村仁史さんが管理人ということだが。https://unification-principle.com/god3syukuhuku1/#i-6あれ~~??中村さんはH4の教えと違うことを語っているようだ。中村さんが本当のことを語っているのか?H4か?(引用終わり)教理研究院、そして、私からも原理講論の「天の父母」記述を提示しています。ところが、今回のビデオでは原理講論はおろか、お父様が語られていたもの(八大教材教本)までも否定しています。中村氏が翻訳したものであることを認められながら、矛盾しています。中村仁史氏のビデオで持ち出してきた「お伺い書」からは、お母様とお父様のみ言との整合性を問うていたものでした。そのお伺い書の回答は出ました。となれば、今度は逆に亨進氏の語るそれとお父様のみ言との整合性を問う「お伺い書」が必要となるのではないですか?「独生女」「天の父母様」「真の父母」等です。実名者というのであれば、先ずは、明らかな間違いに対しての責任を果たしてください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.29
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自称ルポライタイーtomy4509はブログ村・家庭連合(旧・統一教会)では古参になります。統一教会批判ブロガーが横行し、UCIグループが、そして、サンクが様々な誹謗中傷・デマを見てきました。特にはUCI側からの机上の空論「独生女批判理論」も嵐のようにありましたが、今は閑古鳥が鳴いています。残るはサンクのとうごま氏・中村仁史氏ビデオですが、それも時間の問題です。(アベルカインにも勝利していない失敗者)亨進氏が家庭連合へ復帰して「後継者・相続者」となる可能性は「0(ゼロ)」ですから。したがって、とうごま氏掲載の虚偽の「文亨進様が真の後継者であることを立証する60の論題」も用無しとなり、すでに焼却炉の入口に積まれた状態です。私tomy4509の実名を晒してまで議論したところで、結論はお父様のみ言との整合性が決め手でしょ!! その結論も既に見えています。それでも最後まで悪あがきをしては、その醜態を歴史に残されますか?黒・天聖経に記載されているわずか数行でFPA・サンクが問題としてきた、天一国2年天暦6月5日(陽7月1日)に語られた真のお母様の「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」、その議論のすべて吹っ飛んででしまいます。それはお母様以外には語ることが出来ないからです。「「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」」、これはお母様以外には語ることが出来ません。私たちがみ言を百個、千個並べたとしてもです。「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」について騒がれること自体もナンセンスだ。上述の原理講論や文総裁の「独生女」のみ言まで無視しての騒ぎに何の「道理」があるというのか?!これは、ご聖婚式の後の初夜、お二人だけの「秘密」である。とうごま氏(中村仁史氏)はこれ以上の議論は差し控えるべきと考えます。家庭連合が信奉しているのは、御聖婚後の「真の父母様」です。家庭連合は、7年で一つの区切りをつけ、次の7年路程を出発しています。 そのような平和の境地が、理想郷が待っているという事実を知るようになるとき、第四次アダム心情圏はだれもが皆、越えていかなければならない宿命的な課題であるということを感じながら、今の時代が問題ではなく、霊界と連結された和合することのできる核の位置に立つようになるというのです。 そのとき、皆さんが、先生(真の父母様)を中心として一緒に入っていくことができなければ、先に行った先祖たちも、そこから再びこの地に来て、七年間、修練を受けなければなりません。 そして、そのような原則を知るとき、皆さんも、この地に残された最後において、七年艱難時代、七年蕩減時代、七年贖罪解放時代を経なければ、その本然の世界において、一緒に同調し、一緒に強調しながら暮らすことが出来ないというのです。……。(『ファミリー』2008.06「文亨進世界会長就任式での御言と祝祷」から)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.28
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とうごま氏新着記事『「中村仁史氏告発証言2」に対する「日本家庭連合教理研究院・公式反論文」への反論・連載その1』、中村仁史氏は哀れとしか言いようがありません。八大教材教本(天聖経)にも「天の父母様」の記述を発見することが出来ました。中村氏が翻訳されたそれを否定することは出来ないはずですが。天の父母様と真の父母様 アンドリュー・ウィルソン教授それどころか「原理原本」(1952年5月執筆完了)の時からその記録が残っているとのことでした。また、「TWJ」(2011年天暦1月号)でも文総裁は祈祷するときに私が神様に対して「天のお父様」と呼ぶのが父親だとすると、母のいない父がありうるのか?との疑問を投げかけていました。初級講師資格の私tomy4509でさえも、中村仁史氏ビデオに原理講論からの大きな開きを指摘していましたが、それをも理解出来ていないようです。さて、この場でくれぐれもお願いしたいことは、光言社発行、教理研究院監修による『成約摂理解説』の際に、家庭連合が行ったように、自分たちに不都合な書籍(文書)を勝手に抹消してはいけないという事実確認である。光言社発行の書籍が絶版になったからといって、何故、それを騒ぐ必要があるのでしょうか?ほかにも絶版となった書籍は数多くあると思いますし、『成約摂理解説』だけにこだわることもないでしょう。絶版理由としては、絶版になる理由主に以下の理由があげられる。売上が伸びない、もしくはこれ以上売上が伸びる可能性がないと判断された場合。(一番多いケースで、出版社は著者との契約に基づき出版権を放棄し、絶版となる。)著者の意向によるもの。出版後、書籍の内容に問題があることが発覚または問題視された場合。出版社が倒産して無くなってしまった場合。書籍に関連する不祥事が起きた場合。主に5つが挙げられていましたが、No.1が一番多いケースとのことでした。「絶版」が何か悪いことのような印象で書かれていますが……。ところで、中村仁史氏公開の「お伺い書」とやらは何処へいったのでしょうか。全文公開「お伺い書」--お父様のみ言から結論はすでに出ている!!問題としてきたのは、真のお母様が、天一国2年天暦6月5日(陽7月1日)に語られた「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」という御言についてでした。それについての「お伺い書」であり、それに挙げていた「文鮮明御言葉選集140巻」の引用の別の個所でその回答が与えられていたということでした。その一方ではRe[3]:とうごま氏によるお父様の「元祖・独生女論」批判理論とうごま氏のこれまでのブログ記事では周藤先生著書の「天一国時代を迎えるための 成約摂理解説」の記述そのものより「徳野会長の名を挙げては組織批判」、「本部はみ言を隠蔽している」と言うような本部と信徒の離反を目的とした「「共産主義の統一戦線戦略」の餌食になっていないですか?!」的戦略からのものが続いているようだ。と、「本部と信徒の離反を目的」としているように思えます。私からは中村仁史氏ビデオに見る明らかな原理との相違、ニセ情報によるサンクメンバーの扇動等を挙げて来ていました。それら一つとして訂正しようとする人がいませんでした。中村仁史氏ビデオ第2弾「真のお父様の神観と、家庭連合の神観との違い」から (その2)真の父母様宣布文サイト(https://trueparents.jp/)極めて原理講論を歪曲した解釈でしかありません。十字架で「無くした(亡くした)もの」とは、果たして何だったでしょうか?イエス様の十字架上で神様とサタンの熾烈な話し合いがされました。結果はサタンがイエス様の肉身を、霊人体は神様ということになって、3日後にイエス様が復活することで霊的救いの摂理がなされるようになったのでした。中村氏の「イエス様に対する信仰」というのであれば、こんにちのクリスチャンたちの信仰とは何なのでしょうか?!中村氏、そして、これにうなずかれるサンクの方々がおられるとするならば、キリスト教を小馬鹿にしているのではないでしょうか!! この2000年間イエス様に対する信仰はどこにも見ることができず、再臨主が来て初めてその信仰が確立されたということになります。ロード氏(https://hamamatsu3000.hatenablog.com/entry/2020/02/26/010043)はどうなのですか? コメント欄からは27日22:20現在で何一つ返ってきていません。教理研究院の「再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス」と中村仁史氏ビデオ第2弾ではどちらが正しいか判断の余地がないようです。「「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」」、これはお母様以外には語ることが出来ません。私たちがみ言を百個、千個並べたとしてもです。「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」について騒がれること自体もナンセンスだ。上述の原理講論や文総裁の「独生女」のみ言まで無視しての騒ぎに何の「道理」があるというのか?!これは、ご聖婚式の後の初夜、お二人だけの「秘密」である。とうごま氏(中村仁史氏)はこれ以上の議論は差し控えるべきと考えます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.27
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独生子・独生女の原罪有り無しは、真のお母様しか語ることが出来ません。もはや、中村仁史氏ビデオに正義はありません。これ以上の悪あがきは見苦しいだけです。真の父母様宣布文サイトから:https://trueparents.jp/?page_id=5749 サンクチュアリ教会に追随する中村仁史氏は、光言社で長年にわたって真のお父様のみ言を翻訳する業務に携わってきたといいます。しかしながら、彼は真のお父様の多くのみ言に触れながらも、み言の翻訳作業をしただけであって、真のお父様が語られたみ言の意味、本質までは理解できなかったと言わざるを得ません。 中村仁史氏の主張は「神は天の父母様である」ことを否定し、 「天のお母様」を無視する、すなわち真のお父様のみ言を無視、否定する誤った言説に他なりません。私たちは、サンクチュアリ教会とその追随者の非原理的な言説に惑わされないよう注意しなければなりません。以下にtomy4509の過去記事を再掲載します。独生女考(23)ーー「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」(2017.02.22)昨日の続き、『「正しいこと」、「間違っていること」』。今回は特に「独生女」に見るその矛盾性についてだ。分派の方々、韓鶴子総裁の「独生女」批判されておられる方であっても、『原理講論』と文鮮明総裁は「正しい」と否定される方はいない。ところが、『原理講論』、特には「キリスト論」の中からの 第4節 重生論と三位一体論 に「善の父母」――「独生子」「独生女」のことが書かれていることをこれまでも指摘してきた。ここでは「イエスと聖霊」という言葉もそれに置き換えて読むことが出来る。我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。……ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。ところが、いつからこの聖霊(独生女)が原罪があるということになったというのか。分派の方々は文総裁お一人の「独生子」は肯定されておられるが、韓総裁の「独生女」を否定されるのであれば、まずは上記の教理が間違っていると言われるのが筋である。原理講論は「正しいこと」としながらも、韓総裁の言われる「独生女は間違っている」、ここに一つの矛盾を感じる次第である。次に、文総裁は「正しい」、韓総裁の「独生女」は間違っている。これにも別の矛盾を発見することが出来る。文総裁のみ言の中には、「独生子」という言葉が千数百回、「独生女」も百回あまり語られているという話だ。文総裁み言の中から「独生子」だけでなく「独生女」もあるということだ。その「独生女」を文総裁がどのように語っておられるか、である。分派の方々はそれを論じようともしない。文総裁は「正しい」、としながらもその語られた『「独生女」は「間違っている」』とハッキリ言われたらどうか!!ところで、私のまわりにも韓総裁の「独生女」だけは信じられない、「バカか?!」というには失礼に当たる方がいる。韓国語も分かるだけに、どこかの大学教授の書いたそれが「独生女理論」だと言っては吹聴して回り、「その理論が信じられない」といっては騒いでいる。私自身の意見は「独生女考(22)-- 『独生女理論』は存在しない。ーーデマねつ造である!! 」で書いた通りであり、それが「独生女理論」などではないということだ。そんなもの(韓国語で書かれたもの)を見せようか、といっても私にすれば、即・ごみ箱行きである。彼はまた、その大学教授の名を挙げては語るが、その根底には個人的な偏見も感じ取れる。この日曜日、私からは「間違っていることは、間違っている」と彼に申し上げた。教会長の説教のこのことをもう一度思い起こして欲しいものだ。もしも、「間違っていることを、正しい」とするなら彼の認識不足によるものということだ。原理講論と真のお父様は信じるが、韓総裁の「独生女」は信じられないと言っては、ネットで調べた情報まで持ち出して周りに触れ回るのもどうかとも思う。他の「信仰の生命」にも関わる問題だ。さて、話を戻して分派の方々にも何度もお伺いするが、私のブログで取り上げている黒・天聖経P.177(以下)は、この文章末尾には「1972.6.11」の日付が書かれている。45年前の文総裁のみ言で語れれていたものだ。大学教授の「独生女理論」(?)よりはるか昔に文総裁が「独生女」について話されていたということだ。私からは『独生女考(13)-- 「独生女」は「黒・天聖経」のほかにも!!』ということで、『祝福と理想家庭 -韓日対訳No.1-』(1989.12.20発行)のP.268、P.269もあげていた。この後を読み続ければ、ここでもハッキリと第三のアダムの相対者について、「堕落前のエバ」「堕落していないエバを探し出さなければ」と書かれていた。今日、韓総裁の無原罪の「独生女」を裏付ける一文である。ところが、「お母様は原罪なし お父様は原罪あり これは本当ですか はっきり答えよ!」などと松濤本部前で騒ぎ立てている話も聞く。第三アダム--再臨主の相対はキリスト教圏から探し出さなけらばならなかった。無原罪の「独生子」「独生女」が出会って「子羊の婚宴」のはずであった。ところが、文総裁の第1番目、2番目が失敗し第3番目に韓総裁が来られた。統一原理の蕩減原則から、誰かがこの失敗を蕩減しなければならない。2000年前のイエス様と同じだ。イエス様自身、神のひとり子として来られながら洗礼ヨハネの失敗によって、サタンからも試練を受けイエス様自らが洗礼ヨハネの立場から出発しなければならなかった。原理講論にもそれが書かれている。今年私の教会では、ご聖誕日記念礼拝では教会長が貴重な映像だといっては1960年当時のご聖婚式の様子を視聴した。私は既成教会から反対される中、数度に分けて式を行わなければならなかったと聞いてはいたが3度であった。失敗したアダム家庭、イエス様家庭、そして、再臨主の家庭と衣服を着替えては復帰段階を経たもののようだ。「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」について騒がれること自体もナンセンスだ。上述の原理講論や文総裁の「独生女」のみ言まで無視しての騒ぎに何の「道理」があるというのか?!これは、ご聖婚式の後の初夜、お二人だけの「秘密」である。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 」
2020.02.27
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前記事「中村仁史氏ビデオ第2弾「真のお父様の神観と、家庭連合の神観との違い」から 」の残り部分です。中村氏の第1弾ビデオにも引用していた文総裁のみ言であり、私の先記事にて韓総裁は3代の一人娘(旧約・新約・成約)経た位置、洪ハルモニは啓示によって韓総裁を自分の娘ではなく、天の娘として幼いときから養育してこられました、とのみ言・証もあります。元「光言社」職員さんの証言--鹿を追う者は「山」を見ず元「光言社」職員さんの証言--「反証み言」の真実は?とうごま氏(中村仁史氏)のNo.7は「後出しじゃんけん」とうごま氏(中村仁史氏)のNo.7は「後出しじゃんけん」(その2)全文公開「お伺い書」--お父様のみ言から結論はすでに出ている!!前記事にも挙げた通り、エバは「偽りの母」ではなく「サタンの娘」です。韓鶴子総裁を「偽りの母」「サタンの相対」とするための布石ともなっているようです。明らかに原理を歪曲解釈したものです。韓総裁と洪ハルモニとの間で娘と母が逆転した過程を経たなかの1960年の「聖婚式」(子羊の婚宴)でした。韓総裁は3代の一人娘(旧約・新約・成約)経た位置、洪ハルモニは啓示によって韓総裁を自分の娘ではなく、天の娘として幼いときから養育してこられました、とのみ言・証もあります。真の父母様宣布文サイト(https://trueparents.jp/)極めて原理講論を歪曲した解釈でしかありません。十字架で「無くした(亡くした)もの」とは、果たして何だったでしょうか?イエス様の十字架上で神様とサタンの熾烈な話し合いがされました。結果はサタンがイエス様の肉身を、霊人体は神様ということになって、3日後にイエス様が復活することで霊的救いの摂理がなされるようになったのでした。中村氏の「イエス様に対する信仰」というのであれば、こんにちのクリスチャンたちの信仰とは何なのでしょうか?!中村氏、そして、これにうなずかれるサンクの方々がおられるとするならば、キリスト教を小馬鹿にしているのではないでしょうか!! この2000年間イエス様に対する信仰はどこにも見ることができず、再臨主が来て初めてその信仰が確立されたということになります。原理講論からの引用:(https://ffwpu.family/library/divineprinciple/messiah)(四) 十字架の贖罪による救いの限界とイエス再臨の目的……上述のように、イエスは、彼の肉身がサタンの侵入を受けたので、肉的救いの摂理の目的は達成されなかったのである。しかし、彼は十字架の血の贖罪で、復活の勝利的な基台を造成することによって、霊的救いの基台を完成された。それゆえ、イエス復活以後、今日に至るまでのすべての信徒たちは、霊的救いの摂理の恵沢だけを受けることができるのである。このように、十字架の贖罪による救いは霊的な救いだけで、篤信者といっても、原罪は肉的に依然として残っており、それが引き続きその子孫たちに遺伝してきたのである。このために、信徒たちはその信仰が深くなればなるほど、罪に対して熾烈な闘いをするようになる。このようにイエスは十字架で清算できなかった原罪を贖って、肉的救いを完成し、霊肉ともの救いの摂理の目的を完遂なさるために、地上に再臨されなければならなくなったのである。これまでのキリスト教の中には「イエス様は雲に乗って来られる」と信じる信仰もありましたが、原理の核心は「再臨主は肉身を持って来られる(地上再臨)」です。これらのことを考えてみれば、中村氏のことばがどれだけの信ぴょう性があるか無いか、自ずと判断はつくでしょう。さて、これらを書く中にも、真の父母様宣布文サイトからは中村仁史氏に関してのものがUPされていたようです。私の個人意見よりも信ぴょう性は格段と上ですので、そちらを熟読くださるようお願いします。https://trueparents.jp/?page_id=5749 サンクチュアリ教会に追随する中村仁史氏は、光言社で長年にわたって真のお父様のみ言を翻訳する業務に携わってきたといいます。しかしながら、彼は真のお父様の多くのみ言に触れながらも、み言の翻訳作業をしただけであって、真のお父様が語られたみ言の意味、本質までは理解できなかったと言わざるを得ません。 中村仁史氏の主張は「神は天の父母様である」ことを否定し、 「天のお母様」を無視する、すなわち真のお父様のみ言を無視、否定する誤った言説に他なりません。私たちは、サンクチュアリ教会とその追随者の非原理的な言説に惑わされないよう注意しなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ とうごま氏記事「中村仁史氏告発証言第二弾!再臨主伝統破壊クーデターは天の父母様呼称変更から緻密に計画されていた!」(2020-02-25)からの引用は以下です。●はじめに元「光言社」職員、「天一国三大経典」日本翻訳責任者を務めた中村仁史氏が、第二弾の告発証言となる動画を公開しました。私は、再臨主文鮮明師の聖和後7年間、韓鶴子女史が掲げた「家庭連合VISION2020」の総括は、「伝統破壊の完成」であると考えています。真のお父様が築き上げた壮大な天国に至る「御言」と「伝統」を粉々に粉砕した(負の業績)以外、韓半島を取り巻く国際情勢ひとつをとっても、暗澹たる気持ちにさいなまされます。私が考える韓鶴子女史の唯一の業績は、「私を信じ、私に絶対服従を誓いなさい!2020年までに7カ国を復帰しなさい!」と「叫んだ」こと。これ以外ありません。今や家庭連合は、まったく異質な宗教団体(あえて名称をつけるならば「清平韓鶴子教」)に衣替えしてしまったようです。そのような状況の中に、一点の光明の光が「中村仁史氏」の登場です。中村仁史氏は、家庭連合が「清平韓鶴子教」に衣替えする緻密な「クーデター計画」の第一歩は、だれも気づかないような、「天のお父様」から「天の父母様」への呼称改変にあったと指摘します。このだれにも気づかれない一点の改変(神観変更)が、その後の家庭連合を激変させる出発点であったことに当時気づいておられたのは、文亨進様ただお一人しかおられなかったという事実は、神様の最大の悲しみともいえるのではないでしょうか・・・。中村仁史氏の翻訳の経歴からは、「八大教材教本」(天聖経)も挙げられていました。そうであれば、その天聖経にも記載された「天の父母様」も誤訳だなどとは言えないでしょう。原理講論、黒・天聖経に記載された「天の父母(様)」を見よ!!原理講論、黒・天聖経に記載された「天の父母(様)」を見よ!!(その2)原理講論、黒・天聖経に記載された「天の父母(様)」を見よ!!(その3)お父様が語られていた「天の父母様」です。亨進氏は黒・天聖経を始めとした八大教材教本を2008年4月18日、世界会長就任式の場で伝授されたはずです。その八大教材教本は特別で「天の父母様」の記述はなかったでしょうか?全く同じものであり、「独生女」「天の父母様」「真の父母様」も書かれていました。したがって、会長就任式以上に「み言の伝授式」でもありました。ところが、こんにちそれらをことごとくに否定しては伝統を破壊し、神観まで改変している張本人こそが、亨進氏その人です。自称ルポライタイーtomy4509は、亨進氏を正当化しようとしてはこれまでもサンクチュアリの間違った情報をいくつか拾ってきました。誰の目に見ても間違いであると分かっていてもそれを「間違いだった」と認め、また、それを訂正しようとする人物は一人として現れてきませんでした。ロード氏もその一人でした。とうごま氏掲載の「文亨進様が真の後継者であることを立証する60の論題」にしても然りです。サンクの主張をそのままに羅列したものであり、亨進氏が後継者であるというその確証となるものがありませんでした。結論は、ルーシェルのように「自分も神のようになれる」といった欲心が生じたからではなかったでしょうか?!
2020.02.26
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中村仁史氏ビデオ第2弾「真のお父様の神観と、家庭連合の神観との違い」1.75倍で早送りで視聴しました。ところどころに間違いが目立っていたようです。以下は未整理のままに気付いたところを走り書きしました。サンクの勝手な解釈でもって家庭連合の神観が二元論だと主張(歪曲)。家庭連合が何時、「天の父」と「天の母」に分けた考え方をしたというのか。終始「天の父母様」で一貫している。上下関係ではなく左右に「同等」の立場で御聖婚。「独生子」×「独生女」=「真の父母」(小羊の婚宴)原理講論から、① 正 分 合 作 用万有原力によって、神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、神を中心として二性性相の実体対象に分立される。このように分立された主体と対象が、再び万有原力により、相対基準を造成して授受作用をすれば、これらは再び、合性一体化して、神のまた一つの対象となる。このように、神を正として、それより分立して、再び合性一体化する作用を正分合作用と称する。アダムとエバがそうであれば、再臨の時も同じ。神様は本陽性と本陰性。アダムも陽性・陰性。エバはアダムのあばら骨を取って創造された。アダムは陽的面が多く、エバは陰的面が多い。再臨の時もアダム一人ではなく、エバも再創造される。二人とも神様によって作られた存在。アダムとエバは兄妹、再臨主も同じ天の父母さまからの「兄妹」。血統が一つ。また、真の父母様から誕生する祝福家庭も兄弟姉妹。神様の血統を相続。ワンファミリー・アンダーゴッド。伝道は天使長復帰。堕落によって失われた長子権(長女権)復帰。誰が祝福を受けていくのか? 娘(独生女)から「真の母」として再創造。真の父によって再創造される(つくられた)文鮮明先生み言葉選集 44-309ではなく、P.303の間違い?http://cafe.daum.net/rainbowKINGDOM/HjjW/578中村氏の原理講論の理解に難あり。エバが偽りの母となってアダムを産んだのではない。エバがサタンの娘となって、アダムを引っ張って来て霊肉の堕落。そこから生まれたのがカイン・アベル。【感想】中村氏の原理理解に欠ける解釈から来るところのみ言の歪曲、隠蔽が目につきました。サンクの「初めに結論ありき」、亨進氏が八大教材教本を守護している後継者であるというのであれば、お父様のみ言「独生女」「天の父母様」「真の父母様」等についてのみ言の整合性について、新たな「お伺い書」が必要です。サンクのデタラメ情報も洗い直していかなければならないでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.25
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とうごま氏過去記事「聖書に「独生女論」根拠聖句がゼロな事を御言研究室は知っていた!「中村告発証言の衝撃」6」から: 189万件のアクセス数を誇り、数多くの人々が関心をもって読んでいる「火の粉を払え!」というサイトには、食口からも、「お母様が胎中から無原罪だったという原理はないのではないでしょうか? 私は、これを聞き唖然としました」という投稿文が寄せられておりますし、サイト運営者は、「新しい時代の始まりか、それとも破滅への序曲か」と問いかけております。今現在も、騒ぎが大きくなりつつあります。それゆえ、この問題をこのまま放置いたしますと、反対派がもっと大きく騒いで、食口たちの「脱会説得」に使い始めるのではないかと心配しております。そこで、次の点について、ぜひとも、金榮輝先生にご指導を仰ぎたく、ここに謹んでご報告申しあげる次第です。もお伺い書にあるとかでしたが、最近の「火の粉」記事からはそっぽを向かれたようです。「火の粉」も巻き込んでは炎上を期待したのでしょうが……。となると、これからの中村氏公開の「お伺い書」騒動も先が見えて来たようです。「お伺い書」ですからその回答が見つかれば「用無し」、ごみ箱行きです。後に残るのは、それを持ち出してきては浮上してきた「サンク側のみ言との整合性」です。黒・天聖経にも掲載されていた「独生女」「天の父母様」「真の父母様」等についてです。「独生女」、お父様が1959年10月に語り始められたイエス様・独生子に対しての「造語」でした。み言集全体で約180個あるということですから、亨進氏は無視することはできません。2015年に「お母様は独生女ではない」といってはサンクチュアリ教会を立ち上げた経緯がありました。であれば、お父様が語られたところの「独生女」とは何なのか(誰なのか)を明示する必要があります。お父様のみ言からはハードルがかなり高いものとなっていますので、それをクリアしていなければなりません。「天の父母様」、これについても自称ルポライタイーtomy4509の検証からは原理原本(1952年5月10日執筆完了)の時からの記載がありました。これを否定されるサンク側のみ言の整合性が問われます。「真の父母様」、これもサンクのあるブロガーが挙げていたものがありました。元「光言社」職員さんの証言--中村仁史氏は「真の父母様」を取るのか? 亨進氏か?2012年6月5日「亨進氏・国進氏のアベルカイン一体化を宣布」の上で「文亨進夫妻が真の父母の位置に」というものでした。【関連記事】とうごま氏の連載「H4が真の後継者」は矛盾点満載、紙クズの価値でしか!!情報の詳細を見れば、サンクのいうところのそれは国進氏の三男と四男、二人のお孫さんを前にしてお父様が亨進氏と国進氏のアベルカイン一体化を宣布した、と信じられないようなことをサンクは論じておられました。お父様をダマしての2012年1月18日、お母様と神様の結婚式もサンクのデマでした。加えては、先の「アベルカイン一体化」の同日には真の父母様不一致のデマもサンクが流していたことも私の過去記事にありました。『韓鶴子の不従順』を裏付けるみ言は存在しないサンクのデマ広報宣伝マン「シムソン(恣意存)氏」サンクチュアリ教会は間違った情報を重ねてきた団体です。家庭連合に「お父様のみ言の整合性」について追及しておきながら、サンク自らの「整合性」についてはどうなのでしょうか?明らかに「間違っている」と分かっていても、これまでのサンクメンバーの方々はそれを認めようとはしませんでした。しかしながら、間違った情報に間違ったデマを重ねては角度を変えつつ360度を回れば、最後は真の父母様のもとに返ってこざるを得ないことに気付かれることでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.24
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とうごま氏記事(2020-02-23付)への疑問--「私の責任において」●はじめに二つの「お伺い書」を、私の責任において全文を公開することとしたい。その「私とは?」誰のことでしょうか?記事をUPされている「とうごま氏」?二つの「お伺い書」を公開された中村仁史氏?それとも?この一文からもその責任の所在がはっきりしていません。当然のことながら、メッセンジャー「とうごま氏」が責任を持たれているとは思えません。となれば、中村仁史氏ですか。これまでの文章から見て、中村氏を三人称で書かれていましたので、彼の資料を掲載しているとしても、彼自身が書いているわけではないようですが。では、どなたがこの文章に責任を持たれているのでしょうか?!先ずもって「お伺い書」PDF版を見れば、お父様のみ言や原理講論等の整合性を問うていたものでしたが、とうごま氏のこれまでの記事では「反証」という言葉にすり替えられています。第一のお伺い書(1)お父様の御言には、真の母とは「堕落圏」から復帰し再創造しなければならないという御言が数多くありますが、今回のお母様の御言との整合性を、どう考えたらよろしいでしょうか。(8つのお父様のみ言を挙げていました。その中の5つは中村氏が編纂に携わったものでした。韓国の金栄輝先生に対してのそれですが、日本語書籍のページまで必要でしょうか?)(2)聖書には、完成したアダムである「生命の木」が遣わされるとありますは、その生命の木が、無原罪で生まれた第2アダムのイエス様と、第3アダムの真のお父様であることは分かります。しかし、聖書には、「善悪を知る木」が遣わされるとはどこにも書かれておらず、今回のお母様の御言との整合性を、どう考えればよろしいでしょうか。(3)お父様は、第2アダムのイエス様は、胎中から血統転換されているが、その相対者の新婦は、胎中では血統転換されていないと語っておられます。それは、蕩減復帰の原則から考えると、再臨主にも当てはまると思われますが、いかがでしょうか。(4)お父様が聖婚をされた方として、崔先吉夫人、金明煕夫人がおられますが、これらの夫人も、胎中から血統転換していたと考えてよろしいのでしょうか。特に、崔先吉夫人に対しては、もし、キリスト教の失敗等がなければ、崔先吉夫人が「真の母」となっていたと語られたお父様の御言があるために、その御言との整合性を、どのように考えたらよろしいでしょうか。第二のお伺い書1.真のお父様は、1960 年天暦3 月16 日(陽暦4 月11 日)の1度目の「聖婚」は、長成期完成級の位置であると語られました。2.真のお父様は、16 万人訪韓セミナーの御言で、「お母様は真の愛と真の血統を持っていません」と繰り返し語られました。これらいずれの項目もお父様のみ言等を挙げては、天一国2 年天暦6 月5 日(陽7 月1 日)のお母様のみ言との整合性について問うた内容となっていました。「反証」は悪意ある「改ざん」とも取れます。さて、第二のお伺い書は既に回答が出されていました。No.1は、真の父母様宣布文サイトからの「再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス」にて、No.2に関しても私からの検証にて16万女性修練会での別の個所からその回答が示されていました。したがって、これ以上のとうごま氏記事での追及は出来ません。第一のお伺い書もまた同様です。お父様のみ言をFPA(UCI)のように隠蔽されることなく、『成約摂理解説』(周藤健著)からはお父様が語られたみ言「無原罪独生女」を取り出されていました。中村仁史氏・とうごま氏、見苦しいだけです(その2)「とうごま氏!やっちまったぜ!」「FPA(UCI)」も手を出さなかった文総裁のみ言「無原罪独生女」を引き出してきたのがそれです。引用の『祝福家庭と理想天国(1)』の書籍は「絶版」となったかは分かりませんが、「PDF版 祝福家庭と理想天国(1)」として販売されているようです。兎にも角にも、とうごま氏記事で「『成約摂理解説』(周藤健著)」を持ち出しての『真のお母様が、天一国2年天暦6月5日(陽7月1日)に語られた「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」という御言」』ですが、文総裁のみ言と合致したものであったことを証明したものとなりました。お伺い書の回答がすべて出ています。これ以上何を追求することがあるでしょうか?逆には、サンク自身のみ言との整合性が問われてきています。どなたがそれに対して回答されていかれるのか、その責任の所在をハッキリしていただきたいものです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.23
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中村仁史氏ビデオからです。 このように、1998年から2012年まで家庭連合の光言社職員として韓国語の翻訳とその書籍編纂に携わってこられたとのことです。月刊誌(定期刊行物)翻訳は2005年までとなっていますので、『ファミリー』(2008年6月号)からの「文亨進様世界会長就任式での御言と祈祷」(2008.4.18)の翻訳はどなたかは分かりませんが、中村氏は「誤訳」だといっては騒ぐことも出来ないでしょう。これのP.35~の引用は以下です。 そのような平和の境地が、理想郷が待っているという事実を知るようになるとき、第四次アダム心情圏はだれもが皆,越えていかなければならない宿命的な課題であるということをかんじながら、今の生活が問題ではなく、霊界と連結され和合することのできる核の位置に立つようになるというのです。 そして、そのような原則を知るとき、皆さんも、この地に残された最後において、七年艱難時代、七年蕩減時代、七年贖罪解放時代を経なければ、その本然の世界において、一緒に同調し、一緒に協調しながら暮らすことができないというのです。神様が理想型として願っている超越的な第四次アダム心情圏世界の代身者となり、王者になれる皆さん自身を慕いながら、霊界の実相において、皆さんたちが輝く太陽になり、星にならなければなりません。すべての万物も、神様がそのような希望と理想のものとしてつくられたので、このような愛の心情を持ってそれを願っているのです。 皆さんは、先生と一緒に人っていったその天上世界において、神様が願う希望と被造物が願う理想と希望の日々と世界に合わせ、成し遂げることができなかった希望のみ旨を持っていくべき宿命的課題が待っていることを、忘れないことを願います。 それで、この息子と娘(亨進氏夫妻)を代わりに立て、わたしが与えたいと思うものは、み言(八大教材教本)であると同時に、実体です。それと同時に、これから残るべき天上世界に行って、第二次的な幸福者になり、解放釈放の王者になるためには、第四次アダム心情の世界を知らず、実現できなかったので、その世界まで相続しうる息子の位置、代身者であり、相続者にならなければならないのです。相続者の世界があることを知っている皆さんにならなければなりません。 この世の中は一瞬です。過ぎていくのです。その過ぎていく世界と関係を結ぶべきものが、何かありますか? ここで結んだ、世の中の因縁を中心とする師や王権というあらゆるものは、すべてなくなるのです。この世界で躊躇せずに、神様が対される最後の峠を越え、勝者の代身者になり、勝者の相続者として、四次心情の根の核の位置を相続し、天をお迎えすることのできる第三解放の心情世界に、皆さんは行かなければなりません。真の父母もその道を行きますが、皆さんも蕩減して、心情世界に準備した二次的なカイン・アベルの境界線を、力強く越えていくべき道が残っていることを知らなければなりません。分かりますか? ですから、この場でみ言の内容を与えますが、父母様が行った実体を、行動することのできる実体圏を渡してあげるのがこの場です。もちろん、み言も貴く、父母様の事実も貴いのですが、神様の事実の心情圏を越えて余りある代身者、王子王女になる、相続者になるという信念を持つことをお願いします。分かりますか? (「はい」) そのような意味で、これを伝授するのです。 ですから、この息子、娘たちがこのみ言と一つになった実体圏なので、協助してあげなければなりません。(「はい。温かい把手で……」)。 すべてのものをすべて……。 来てください。ここに手を載せなさい。手を載せるのです。お母様の手……。 さあ、代身者の権威と相続者の権威を代表する三時代の天地が、この場に参席して祝福してくれることを理解することを願いながら……。 <祝祷>……黄マーカー、祝祷から見ても父母様は、亨進氏夫妻を「代身者・相続者」としての適任者とは認めておられませんでした。ただ、八大教材教本を間においての「代身者・相続者」「世界会長」就任の祝祷をされておられました。八大教材教本のみ言を学んでは「実体の真の父母様」に似たものとなりなさい、と。これらは「み言を学んで(責任分担を果たして)成長しない」との祝福であったと思われます。ところが、サンクメンバーはこれをもって、あるいは、「異端者爆破者宣布文」で「相続者」だと勘違いをされてしまったようです。中村仁史氏ビデオもまた【み言集編纂15冊】のなかで、「天運と聖霊の宿る 八大教材教本」の1冊を特に挙げていました。この書籍の冒頭には「序にかえて」で亨進氏のメッセージ『「天福函」相続の意味』が掲載されていたものでした。「天福函」とは八大教材教本の入った函(はこ)のことで、その中心は中の八大教材教本のみ言を指しています。モーセ路程の時の「契約の箱」や「幕屋」のようなもので、モーセが神様のみ旨を継続できなくなったときに、ヨシュアとかにそれらをバトンのように継承していく役割を担ていました。亨進氏のそのメッセージもそのようなことが書かれており、『「天福函」には、真の父母様の御印が押された「み言相続証」と、八大教材教本が入っています。…(略)…そのみ言が実体を立てるようになります。この驚くべき体験と祝福の「天福函」を相続してくださることを願います。』と最後を締めくくっていましたが、亨進氏のこんにちを見た時にどうでしょうか?中村仁史氏もまた、亨進氏夫妻が「代身者・相続者」の錯覚者の一人でした。但し、中村氏は原理講論の「天の父母様」を認めている点で亨進氏と意見を異にしています。さらには、八大教材教本の中の「黒・天聖経」を翻訳したという経歴の持ち主でもあります。私tomy4509からはその「黒・天聖経」にも「天の父母様」があり、「独生女」までも記載されていたことがこれまでの私からの記述でした。加えて過去記事(以下引用)からは「黒・天聖経」に書かれた「真の父母」の数も検証していましたので、中村氏が翻訳したみ言ですから、お父様が語っておられないとはいえない、と申し上げているのです。(引用開始)天一国経典・天聖経を編纂するときは、支流人が八大教材教本「天聖経」を改ざんしたものだ、と騒いでいた。その「黒・天聖経」にもまた「真の父母」の単語がいくつも並んでおり、真の神様(414個)真の父母(835個)真の愛(76個)真の家庭(29個)地上生活と霊界(123個)人間の生と霊魂の世界(123個)礼節と儀式(71個)罪と蕩減復帰(62個)祝福家庭(211個)成約人への道(168個)宇宙の根本(66個)環太平洋摂理(20個)真の神様の祖国光復(97個)真の孝の生活(13個)天一国主人の生活(351個)真の家庭と家庭盟誓(227個)と「真の父母」の一文を一つ一つ挙げていたら……。支流人の方々、この「真の父母」にも「独生子」「独生女」が同参していることを理解しておられるだろうか?もしも、「独生女」だけを否定したとしても、そこには「真の父母」もない。家庭連合は「天一国経典・天聖経」を編纂したからといって「黒・天聖経」を改ざんしたりはしていない。むしろ、「独生女」を否定することで「真の父母」までも黒・天聖経から抹消(黒塗り)されているのが、「改ざんだ!」といっては騒いでおられた方々ではなかったか。黒・天聖経にもしっかりと「独生女」の記載があったことは、当ブログでは過去記事で何度も紹介してきた次第である。(引用終わり)お父様が語られたみ言における、家庭連合とサンクとではもはやケンカにもなりません。これ以上に「お伺い書」の件を中村氏が語ったところでお祭り騒ぎ、花火のように「ド~~ン」となっては消えていくだけです。第二弾のビデオも準備中だとかですが、ねずみ花火のように「シュシュッ」と地を這いずり回るだけのものしか出てこないでしょう。お父様のみ言の整合性、中村仁史氏自身が先ずは、その矛盾した見解を正してからでなければ、誰も受け入れることは出来ないでしょう。原理講論「総序」からですが、 ここにおいて、我々は、善の欲望を成就しようとする本心の指向性と、これに反する悪の欲望を達成させようとする邪心の指向性とが、同一の個体の中でそれぞれ相反する目的を指向して、互いに熾烈な闘争を展開するという、人間の矛盾性を発見するのである。存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性をもつようになれば、破壊されざるを得ない。したがって、このような矛盾性をもつようになった人間は、正に破滅状態に陥っているということができる。ところで、このような人間の矛盾性は、人間が地上に初めて生を享けたときからあったものとは、到底考えられない。なぜかといえば、いかなる存在でも、矛盾性を内包したままでは、生成することさえも不可能だからである。もし人間が、地上に生を享ける以前から、既にこのような矛盾性を内包せざるを得ないような、運命的な存在であったとすれば、生まれるというそのこと自体不可能であったといえよう。したがって、人間がもっているこのような矛盾性は、後天的に生じたものだと見なければなるまい。人間のこのような破滅状態のことを、キリスト教では、堕落と呼ぶのである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.22
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とうごま氏記事「日本家庭連合・最大の汚点証拠資料!『成約摂理解説・4章2節』全文公開する!」(2020-02-20)ですが、「とうごま氏! 遂にやっちまったぜ!」ではないでしょうかサタンが「取って食べるな」といった禁断の木の実を遂に手にされたからです。私の前記事「中村仁史氏・とうごま氏、見苦しいだけです(その2) 」(2020.02.21)からですが、逆には、サンク側が「韓鶴子総裁無原罪誕生」を宣伝してくださっているようで有り難いことです真のお父様は、キリスト教の歴史が独り娘(独生女)を求めるための歴史であったと述べておられる。(→こんな事を語った事は一度もない!)「→こんな事を語った事は一度もない!」ですが、これもサンクの勝手な解釈の付け足しでした。次に続く文総裁のみ言引用からそのように語られていたということでした。(以下み言省略)……実は、上記の『成約摂理解説・4章2節』に「独生女論」の裏付けのために使用されている「引用御言」は、解釈の余地がないほど明確な「根拠御言」と断言できるものは、ただの一つも存在しない。(← 文総裁のみ言そのものが「根拠御言」のはずですが?)「FPA(UCI)」も手を出さなかった文総裁のみ言「無原罪独生女」を引き出してきたのがそれです。引用の『祝福家庭と理想天国(1)』の書籍は「絶版」となったかは分かりませんが、「PDF版 祝福家庭と理想天国(1)」として販売されているようです。兎にも角にも、とうごま氏記事で「『成約摂理解説』(周藤健著)」を持ち出しての『真のお母様が、天一国2年天暦6月5日(陽7月1日)に語られた「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」という御言」』ですが、文総裁のみ言と合致したものであったことを証明したものとなりました。「ミイラ取りがミイラになる」ですか。「鹿を追う者は「山」を見ず」という言葉もあります。とうごま氏! 遂にやっちまったぜ!今後の展開が楽しみです。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.22
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とうごま氏、正式にはハンドルネーム「とうごまとヨナ」氏ですが、旧約聖書のヨナ書からものです。彼のブログは決して彼自身が書いているものではなく、聖書のヨナ同様にあくまでもメッセンジャーでしかありません。今回は中村仁史氏のビデオからのものですが中村仁史氏が書いているものではないことを見るときに、どなたがこれら文章に責任を持たれているのでしょうか? 責任の所在をハッキリと明示されるべきであると思います。過去記事には永田正治氏の名前もでていたようですが?さて、「日本家庭連合・最大の汚点証拠資料!『成約摂理解説・4章2節』全文公開する!」(2020.02.20)ですが、引用文を見れば、(*原文は「縦書き」ですが、この公開文書は「横書き」になっています。)の注釈付きでしたが、ところどころにミスが目立っていたようです(「中止 → 中心」「婚宴 → 婚姻」等)。まず冒頭からして『成約摂理解説』(周藤健著)が絶版になったとのことで、サンク側の憶測が書かれていました。「第一の理由」については私の過去記事で整理して紹介済みであり、中村仁史氏・とうごま氏、見苦しいだけですサンク側がその真意を歪曲して語っていることからして、絶版の理由としてあげることはできません。「第二の理由」はどうでしょうか?「韓国本部では認めていないからである。(真の父=有原罪誕生、真の母=胎中無原罪誕生)が韓国本部(韓鶴子女史)の一貫とした主張」であり、日本の解釈と食い違っているというものですが、真の父母様宣布文サイトからは「再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス」(2020.01.30付)でUPされており、韓国との相違は見られません。とうごま氏記事で引用していた「『成約摂理解説・4章2節』全文公開する!」はまた、韓鶴子総裁無原罪誕生について書かれていたものでしたが、文鮮明総裁についての記述が見当たりません。したがって、この引用文からしても「第二の理由」に該当するものを見出すことはできませんでした。逆には、サンク側が「韓鶴子総裁無原罪誕生」を宣伝してくださっているようで有り難いことです真のお父様は、キリスト教の歴史が独り娘(独生女)を求めるための歴史であったと述べておられる。(→こんな事を語った事は一度もない!)「→こんな事を語った事は一度もない!」ですが、これもサンクの勝手な解釈の付け足しでした。次に続く文総裁のみ言引用からそのように語られていたということでした。「イエス様がひとり子だと語ったので、神様は彼のためにひとり娘も送られたでしょう。神様の二千年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。ですから、二千年のキリスト教の歴史は、娘(独り娘)を求めるための歴史です」(天一国経典『真の父母経』69頁)このように、真のお父様は、キリスト教の歴史は、「独り娘を求めるための歴史であった」と語っておられる。そして、その独り娘は聖婚される前から「堕落する前のアダムと共にいたエバ」「堕落していないエバ」であるとして、次のように語っておられる。「再臨主が来られるときには何の宴会が催されると言いましたか。(「婚宴(婚姻)の宴会です。」)。・・・婚宴(婚姻)の宴会とは結婚の宴会です。そうですね。(「はい」)。こんな話をすると異端だと大騒ぎします。(キリスト教徒は)無性にねたましくなるのです。婚姻の宴会、すなわち子羊の宴会をしようとするならば、イエス様の新婦が必要です。新婦を探し出さなければならないのです。その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。そして、三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、子羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです」(『祝福家庭と理想天国(1)』584~585頁)また、次のようにも語っておられる。 「再臨主は何をしに来られるのでしょうか。再臨時代は完成基準の時代であるために、再臨主は人類の母を探しに来られるのです。すなわち、新婦を探しに来られるのです。新郎であられる主がこの地の上(地上)で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです。それでは、そのような新婦、すなわちその母とは、どのような基盤の上で生まれなければなりませんか。堕落した世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです。ですから、皆さんの母は堕落したエバの立場に該当するのであり、次の母はイエス時代においてのマリヤの立場に該当するのです。また、その次の母はイエス時代のマリヤの保護を受け、祝福のみ旨を果たすことのできる、罪の因縁とは全く関係のない処女として、母(真のお母様)の立場に立つことがきなければならないというのです」(同、909頁) このように、真のお母様は、再臨主が地上で探される新婦すなわち「真の母」となる独り娘は、「堕落する前のアダムと共にいたエバ」「堕落前のエバ」「堕落していないエバ」「堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方」と語られ、さらに「罪の因縁とは全く関係のない処女」であると語られた。これらのみ言は、真のお母様の「血統転換、私は母胎からなのです」という“独り娘”のみ言が真理であることを裏付けている。 キリスト教は再臨主を待望してきたが、同じように、独り娘を求めるためのキリスト教の歴史でもあった。それは、再臨主お一人では「真の父母」になることができないためである。別の青文字を見れば三、非原理的集団側の悪意あるみ言の“誤訳”と“隠蔽”(→中村氏の登場でもはや「誤訳」など使えないであろう)中村仁史氏こそが翻訳のエキスパートナーであり、ほかは寄せ付けないといった強肩姿勢を見せています。彼自身は光言社職員時代に翻訳・編纂を担当して経歴をお持ちですので、これら出版物に対しては「誤訳」だなどとは口が裂けても言えないはずです。これも承知で「(→中村氏の登場でもはや「誤訳」など使えないであろう)」ということになりますが!!今回の中村氏ビデオで取り上げていたのは、聖書や原理講論、文総裁のみ言の整合性についてでした。「独生女」だけでなく、これを拡大しては、中村氏は原理講論からは「天の父母様」を認めていましたし、黒・天聖経にも「天の父母様」の記述の検証を私からは過去記事でしていました。原理講論、黒・天聖経に記載された「天の父母(様)」を見よ!!原理講論、黒・天聖経に記載された「天の父母(様)」を見よ!!(その2)(2019.01..10)原理講論、黒・天聖経に記載された「天の父母(様)」を見よ!!(その3)(2019.01.12)さらには、「真のお父様」と「真のお母様」を合わせての「真の父母様」は数知れずです。中村氏はこれらは「誤訳だ」などとの否定はできないでしょうところが、サンクの亨進氏はこれらには否定的主張をされています。とうごま(サンク)の日陰でニネベの町がいつ滅ぶかと待つヨナでしたが、旧約聖書のヨナ書からは明らかなことです。悔い改めて韓総裁と一つとなったニネベの町(家庭連合)は滅ぶでしょうか?それとも? 天の父母様はいずれは「とうごま」も枯らされては、その元のヨナが不平をいうことになる前に、ヨナこそが悔い改めていくべきでしょう。【追記】絶版となった理由として考えられることは、内容ソノモノが一般信徒向けに書かれたものではありません。牧会者や原理講師を対象としたもののようです。となれば、初版で必要十分の数は確保出来たということでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.21
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とうごま氏記事「16万訪韓摂理で文師は「母は真の愛と真の血統を持っていません」と語った!「中村告発証言の衝撃」10」(2020.02.19)、なおも見苦しいだけです。以下ですが、もう少し頭をひねって考えられたら如何でしょうかだから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません」(『訪韓修練会御言集』185~186ページ)皆様! 想像できますか?真のお母様が御自分のお腹の中に入られるなんて【追記】(2020.02.19夜)過去記事「元「光言社」職員さんの証言--「文字の奴隷」でしかない」下部に関連した内容のものが既にありました。ご確認ください。以下引用元職員さんは「文字の奴隷」でしかありません。摂理的背景も分からなければ、その深奥な言葉も理解しようともしません。次は、私tomy4509の思うところを書いていますので、順不同となっていますが以下です。そして、16万人訪韓セミナーのみ言でもってここでも「お母様は真の愛と真の血統を持っていません」を青字で強調されていました。サンク側がwebで紹介している「16万人訪韓セミナー」はどのように書かれていたでしょうか。太字部分は彼の引用文ですが、「(堕落人間は)」は彼の改ざんによるものであることを頭に置かれて以下をお読み下さい。図-1のA→F→G(地上天国)となっていますから、「(堕落人間が重生されて)」といったほうが正しいと思います。逆に過って生まれたのだから、蕩減は反対の方向へ行くのです。生まれるのも反対の方向にこういうふうに生んできたので、(図―1(A)参照)これは、サタン圏を全部勝利した後で、サタンがいないのです。だから「逆に帰れーっ!」と。そういうふうに再び生んだものが(図―1(F)参照)、地上天国です(図―1(G)参照)。分かりましたか? (はい)。そういうふうにして、(堕落人間は)真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。分かりましたか? 分かりましたか? (はい! )。全世界(図―1(A)参照)がここに入ってきて、それからどうなるかというと、真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶことを、実感したあとに生まれたと同じようになるのです。そのような期間を通過しながら、お母様の腹の中に入った子供たちが、真の父の子供の種が真っ赤だったとするならば、愛の関係を繰り返すことによって、色が染められていって、ピンクからだんだん深まっていくのです。ピンクからでもそうなったとすれば、真の父母の愛と真の子供の種と接ぎ木したという、つないだということになるのです。分かりますか? こっちは本物で、こっちは偽物で、(先生がしぐさされる)兄さんと弟と同じです。分かりましたか? そういうふうに一つとなった状況をもって、それはずーっとこれを回って、母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです。元「光言社」職員さんは、次に続くみ言(黄マーカー)を語らずでは片手落ちというものです。原理講論・堕落論からも(四) 善 悪 の 果 我々は既に、善悪を知る木が、完成したエバを比喩したものであるという事実を明らかにした。では、善悪の果とは何をいうのであろうか。すなわち、それはエバの愛を意味するのである。果木が、果実によって繁殖するように、エバは、神を中心とするその愛をもって善の子女を繁殖しなければならなかったにもかかわらず、実際には、サタンを中心とする不倫な愛をもって悪の子女を生み殖やしたのである。エバはこのように、その愛をもって善の実を実らせることも、また悪の実を実らせることもできる成長期間を通過して、完成するように創造されていたのであった。それゆえに、その愛を善悪の果といい、また、その人間を善悪を知る木といったのである。 それでは、善悪の果を取って食べたということは、いったい何を意味するのであろうか。我々が何かを食べるということは、それをもって自分の血肉とするという意味である。エバは神を中心とする善なる愛をもって、善なる実を取って食べ、善なる血と肉を受け、善なる血統を繁殖しなければならなかったのである。それにもかかわらず、彼女はサタンを中心とする悪なる愛をもって悪なる実を食べ、悪なる血と肉を受けて悪なる血統を繁殖し、罪悪の社会をつくったのである。したがって、エバが善悪の果を取って食べたということは、彼女がサタン(天使)を中心とした愛によって、互いに血縁関係を結んだということを意味するのである。「善悪知るの木」が何であり、また、「善悪の実」を整理することで16万人訪韓修練会でのみ言との整合性、お母様のみ言を正しく理解できるものとなります。 (引用終わり) 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.19
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とうごま氏記事「『第二のお伺い書』は実在した!「中村告発証言の衝撃」9」(2020.02.17)ですが、お父様のみ言からの結論は既に出されているのに、果たして、何が言いたいのでしょうか?元「光言社」職員さんの証言--鹿を追う者は「山」を見ず「お伺い書」自体をいえば公文書ではありません。私文書ともいうべきものであって、中村氏はどのような資格を持って公開に及んでいるのでしょうか元光言社職員であっても「守秘義務」はないのでしょうか。さて、「内部告発」ともなればその事自体が事実であるという確証(事実であることの証明)がなければならないでしょう。とうごま氏記事で騒いでいることは、「家庭連合がお父様のみ言を改ざんしている」というものです。お父様のみ言との整合性を問うていました。「お伺い書」の文面からは断定した一文一つも見ることは出来ませんでした。これをもってしては「改ざん」などとは認められません。となれば、これらを公開された側の責任が問題となってくると思います。また、PDF版にしても直筆とかサイン入りとかではないWordです。本人でなくとも作成可能なものです。それを誰が書いたかを証明しなければなりません。お二人が否認すれば「私文書偽造(?)」ともなりかねません。PDF版のP.5が証拠とはならないでしょう。これ以上の醜態は見苦しく感じます。そもそもの話が「教理改ざん」とは、「何を基点として改ざんした」というのでしょうか? です。原罪のない完成された女性、神の独り娘、女王の中の女王であられることを確信(*赤字は1968年神の日以降と理解される)胎中におられるときから選ばれてお生まれになられたことを確信(*赤字は胎中から選ばせた女性ではあるが、胎中聖別(無原罪誕生)とは認めていない!)(*-----)はサンクの勝手な解釈をつけ足したものです。原理講論の重生論、が基点です。① 重生の使命から見たイエスと聖霊 イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。 アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。 我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。ゆえに、ペテロⅠ一章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリントⅠ一五・45)、永遠の父といったのである(イザヤ九・6)。また、神は、預言者エリヤを再び送り、彼の力で堕落した人間の心を、父母として降臨されるイエスの方へ向けさせることによって、彼らをその子女となさしめると言われた(マラキ四・6)。そして、イエスが再臨されるときも、父の栄光のうちに来られる(マタイ一六・27)と言われたのである。 ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。 このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。このように重生論に書かれているのは、「(原罪のない)善の父母」によって原罪のない善の子女として生み変えられる、とあります。祝福式が行われるようになったのは真の父母様の聖婚式(1960年)以降です。「父母の日」宣布も1960年です。1968年ではありませんでした。お母様の家系、血統についても「三代続きの……」とお父様のみ言もあります。それらが間違っていたというのであれば、すべてが引っ繰り返ってしまいます。サンクも例外ではありません。中村仁史氏はそれをどのように解説されるというのでしょうか?み言の整合性です。サンクにはそれがありません。中村氏も原理講論の「天の父母様」は認めていましたが、ほかの「天の父母様」はないとおっしゃられるのでしょうか。何か矛盾していないですか?「天の父母様」-- UPMC管理人さんか? H4か?原理原本→(原理解説)→原理講論→原理本体論と、原理原本のそのときから「天の父母様」の記述があったことをルポした。また、サンクブロガーが紹介していた『統一原理マスタークラブ』(UPMC)、サンクの中村仁史さんが管理人ということだが。https://unification-principle.com/god3syukuhuku1/#i-6あれ~~??中村さんはH4の教えと違うことを語っているようだ。中村さんが本当のことを語っているのか?H4か?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.17
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ようやく「全文公開!金榮輝先生に提出した可知雅之氏・太田朝久氏連名『お伺い書』」が出てきました。だからといって結論がどう変わるものでもありませんが。問題としてきたのは、真のお母様が、天一国2年天暦6月5日(陽7月1日)に語られた「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」という御言についてでした。それについての「お伺い書」であり、それに挙げていた「文鮮明御言葉選集140巻」の引用の別の個所でその回答が与えられていたということでした。「元「光言社」職員さんの証言--鹿を追う者は「山」を見ず」(2020.02.07)からの引用は以下:さて、今回はビデオ視聴直後に、私が真っ先に探した彼のみ言葉引用の中からですが、「お母様無原罪誕生」を立証するようなみ言葉が発見されました。彼がみ言の第一人者であるかのように振る舞われるとすれば、引用文全体の「山」も見ていくべきだったでしょう。「2014年7月1日(陽暦)の韓鶴子総裁のメッセージ」と真のお父様のみ言との整合性ということで、「『文鮮明先生み言葉選集』140-149 1986.2.9」からを引用しては青字「イエス様の相対となる新婦は、血統転換の過程を経ていません。」を強調していました。ところが、これはごく一部の引用であってイエス様当時についてのものでありました。このみ言は、「文鮮明先生御言選集 19860209 - 祝福を受けた者達」というタイトルが付けられていました。そして、彼とは別の個所も引用したのが以下です。 祝福を受けた者達一九八六年二月九日 二月六日の早朝、ソウル本部教会・聖日礼拝にて、祝福を受けた者の位置を明示、その責任と使命について、原則的観点を示されました。……その一つが血統転換です。マリヤの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統を転換させたのです。そうではありませんか。(「はい。」)イエス様は血統を転換した位置に立っていますが、イエス様の相対になることのできる新婦は血統転換の過程を通過していなかったのです。何の話か分かりますか? だから複雑なのです。平面的にみれば、お母さんが娘になり、娘がお母さんになるという。“入れ替え”がなされなくてはならないのです。女性の世界において反対の天地開闢が繰り広げられるのです。お母さんが娘になり、娘がお母さんにならなくてはならないのです。それは一人ではできません。神様とアダムが完全に一つになってから、これを協助せずしてはできないのです。そこに誰が協助するのかというと、マリヤが協助しなくてはならなかったのです。お母さんが娘になり、娘がお母さんにならなければなりませんでした。万古の伝統として知られることのできるお母さんとならなければならないのに、そのようになれなかったというのです。…略…ザカリヤの家庭とヨセフの家庭 マリヤが責任を果たせず、ヨセフが責任を果たせなかったので、ザカリヤの家庭が責任を果たせなかったのです。洗礼ヨハネの家庭とヨセフの家庭が仲良く組んだなら、簡単に事は済んだのです。ヨセフはイエス様をお父さんとして迎え、ザカリヤは洗礼ヨハネをお父さんとして迎えれば良いのであり、ザカリヤの家庭に生まれた娘をお母さんとして迎えれば良かったのです。そうしなければならなかったというのです。それができていたなら、イエス様は間違いなく結婚したというのです。二代が協助しなければなりませんでした。この二代がカイン・アベルの関係にありました。この二代が転換しなくては、お母様を迎える道がなかったのです。そうではありませんか。善悪に分かれてしまって、位置が逆になったのですから、これを交替しなければなりません。上に立つべき者が下に立っているからです。善は下に立っていましたが、時が来たので上に行かなくてはならないし、上に立っていた悪は下がって行かなくてはならないのです。 この交差点で上下を転換させる歴史的責任がメシヤにあるために、メシヤは上下が交叉する時に来られるのです。それ故に、ヨセフの家庭とザカリヤの家庭が交叉しなくてはならなかったのです。また、ザカリヤの家庭とヨセフの家庭は、カインとアベルの関係にある親族として、この親族の立場が入れ替わらなくてはならなかったことは言うまでもありません。伝統的イスラエル歴史を見るとき、ザカリヤの家庭が上ですか、ヨセフの家庭が上ですか。ザカリヤは大祭司長ですが、ヨセフは大工であり、平民でした。平民が大祭司長を屈伏させなければならなかったのです。ザカリヤはヨセフの前に屈伏しなければならなかったのです。入れ替わって、祭司長であるザカリヤはイエス様の王宮を祭司長として迎えなければならなかったのです。そうすることのできる自分の甥です。洗礼ヨハネとイエス様はお母さん姉妹から生まれた従兄弟です。このみ言から、イエス様の相対になることのできる新婦は血統転換の過程を通過するためにはどのようなことが起きなければならないと語られていましたか?真のお母様の路程からしても、「平面的にみれば、お母さんが娘になり、娘がお母さんになるという。“入れ替え”がなされなくてはならないのです。女性の世界において反対の天地開闢が繰り広げられるのです。」真のお母様と大母様との関係において、そのように育てられてきたということです。ご聖婚後の7年路程でもそのように侍っていかれた大母様であったという証も耳にするところです。(引用終わり)2000年前の「イエス様の相対になることのできる新婦は血統転換の過程を通過していなかった」ということであり、こんにち、文鮮明総裁の相対としての韓鶴子総裁は血統転換の過程を通過しておられたという結論ともいうべきみ言がお父様から出ています。ほかのみ言の一つ一つの整合性について、あれこれとひね繰り返すだけ無駄ということです。したがって「めでたしめでたし」です。ところが、その傍らで浮上してきたのが「サンクのみ言の整合性」についてはどうか、ということです。亨進氏と国進氏がアベルカインで勝利したなどといった情報を見れば、国進氏の三男さんと四男を指してのものでしたので、それの結果としての「亨進氏夫妻が真の父母の立場に立った」は不成立ということですし、お父様のみ言から見ても「真の父母」は一方、ほかにいくつもあるというものではないと言明していました。「独生女」「天の父母様」否定、そこには「真の父母」も存在しません。お父様のみ言との整合性に合致していないサンクは、今後の方向性をハッキリとしていかなければならないでしょう。顕進氏、亨進氏が家庭連合に返ってそのトップ(後継者、相続者)に立つ可能性は、もはや、「0」となりました。それに従って来られた方々が今後どのようにされていかれるかは個々の判断だと思います。「とうごま氏(中村仁史氏)のNo.7は「後出しじゃんけん」(その2)」(2020.02.14)記事で挙げた韓国語でのみ言があります。ところで、これまでと同じ文鮮明み言葉選集140卷―163には以下のみ言も書かれていました。中村氏は喜んで「家庭連合がそれだ」と言っては、翻訳文をUPしてくれることでしょう。통일교회 들어왔다 떨어져 나간 사람들, 들어와 가지고 축복 안 받은 사람들은 딴 울타리, 섬나라에 가서 살아야 돼요. 섬나 라164에 정배간 사람들과 같이 살아야 돼요. 그런 세계에서 살아야 한다 이거예 요. 여기서는 그냥 있다고 해도 영계에 가서 그렇게 되는 거예요. 두고 보라 구요. 그런 비통한 운명을 벗어나야 할 자기들의 길이 얼마나 심각하다는 것 을 알아야 된다구요. 그걸 알았기에 선생님은 일생을 포기해 버리고 감옥살이 찾아다니기에 생애를 다 버렸다구요. 선생님이 무엇을 그리워해서? 본연의 축 복의 자리가 그리웠어요. 아시겠어요? 「예」 선생님도 이러한데 통일교회 이 영신들…. 축복을 받고 별의별 짓을 다하 고 말이예요. 두고 보라는 거예요. 타락은 장성기 완성급이었지만 축복받은 후의 타락은 완성기 완성급이라구요. 따라서 사탄이가 여러분들을 조롱해요. 사탄이를 해방하고 여러분을 지옥 보내야 된다는 거예요. 그건 부모님의 몸을 범한 거예요. 부처끼리 하나님의 몸을 범한 거예요. 그렇게 알고, 여러분이 입을 열어 교회에 대해 평할 수 있는 아무런 권위가 없습니다. 축복가정이라고 해서 '아이고, 교회에서 도와 주소' 할 아무런 권한 이 없습니다. 사탄세계에서 아직까지 벗어나지 못한 것을 도와 줄 수 있어요, 하늘이? 내가 도와 주면 도와 줄수록 짐이 되는 거예요. 그 몇십 배 사탄은 물고 늘어진다 이겁니다. 도움을 받으면 받을수록 그것이 구덩이에 처넣는 거 예요. 올라오려고 하면 내리치고, 탕감이라는 그 구덩이에 점점 들어가게 되 어 있지 못 올라온다는 거예요. 그래서 여러분들도…. それから、統一教会に入って来てから落ちて行った者達、または祝福を受けてから落ちて行った者達は別の囲いに入れなくてはなりません。島国に行って住むのです。陸地にいたとしても、陸地の中にある島のような所に島流しするのです。島にいたまま死ねば、霊界に行って島に住むことになるのです。嘘ではありません。そのような悲痛な運動から脱出しなければならない者達同士で結婚すればどうなるか。どれほど悲しまなくてはならないかということを知らなければなりません。それを知ったために、先生は自分の生涯を全部水泡に帰して、監獄巡りの一生を歩んで来たのです。生涯を皆捨てたのです。なぜかというと、本然の祝福を受けた者達の祝福の位置が欲しいからです。 先生にもその道が残されているのに、統一教会のこの奸臣達よ! 祝福を受けた身でありながら、天に背くとは何事か。それがどういうことになるのか知っていますか。堕落した位置は長成期の完成級の位置ですから、祝福を受けて堕落すれば、完成期の完成級で堕落したことになります。サタンが皆さんの主流です。サタンを解放して、皆さんを地獄に行かせなくてはならないというのです。それは父母様の体を脱ぐことになります。夫婦共に神様の体を脱ぐことになります。それを知らなければなりません。教会を離れたその者達が、教会に対して批判することのできる何の権利もありません。祝福家庭だからと言って、「アイゴー!教会で助けてください」と言える何の権限もありません。サタン世界の者達を面倒見たり、助けたりすることができますか。天が私を助けるのは、荷物を増やすことになるのです。その何十倍もサタンが喰い付いてぶら下がるというのです。助けを受ければ受けるほど、それが穴に押し込まれていくのです。這い上がろうとしても這い上がることができません。蕩減が次から次へと代を重ねて受け継がれるため、上へ上へと積み重なるからです。上がることができないというのです。(文鮮明み言葉選集140―163)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.15
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とうごま氏のペースト記事「第一の母の無原罪誕生の矛盾に家庭連合は沈黙するしかない!「中村告発証言の衝撃」8」ですが、以下が概ねの金栄輝先生への「お伺い書」とやらのようです。金榮輝先生様御言の問題に関するお伺い書御言研究室:可知雅之 太田朝久 真のお母様が、天一国2年天暦6月5日(陽7月1日)に語られた「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」という御言について、統一食口および反対派の間で、大きな話題となってきております。 話題となっている理由は、真のお母様が、今回語られた内容が、真のお父様の今まで語ってこられた御言や、原理の内容と食い違っているのではないか、という疑問が起こったためです。 統一食口たちは、真のお母様が、勝利された人類の「真の母」であられ、人類を神の血統に生み変えてくださる唯一の「真の母」であられ、今や、原罪のない完成された女性、神の独り娘、女王の中の女王であられることを絶対に確信し、また、お母様を心から慕っております。 また、神様によって、胎中におられるときから特別に選ばれており、責任分担を果たされるなら、人類の「真の母」となられるよう、胎中から選ばれてお生まれになったことも確信しております。しかし、神様に選ばれて生まれたとしても、人類の「真の母」となられるには、1960年陰暦3月16日(陽4月11日)の「御聖婚」以降、1968年1月1日の「真の神の日」宣布までの「7年路程」において、苦難の路程を歩まれて、人類の真の母として、勝利して行かれたからであると理解しております。 実際、真のお父様は、「1960年が、いったいどの基準であったか? 堕落したアダム、エバの立場、長成完成級の基準である。長成期完成級基準を中心として完成圏まで上がるには、7段階の7年の期間が必要である。それが第一次7年路程であるというんだね」(『御旨と世界』28頁)と語っておられ、御聖婚の時が「長成期完成級」であり、その後、堕落圏を越えて、1968年1月1日の「真の神の日」に、「完成圏」へと上がったと語っておられます。 それゆえ、189万件のアクセス数を誇り、数多くの人々が関心をもって読んでいる「火の粉を払え!」というサイトには、食口からも、「お母様が胎中から無原罪だったという原理はないのではないでしょうか? 私は、これを聞き唖然としました」という投稿文が寄せられておりますし、サイト運営者は、「新しい時代の始まりか、それとも破滅への序曲か」と問いかけております。今現在も、騒ぎが大きくなりつつあります。それゆえ、この問題をこのまま放置いたしますと、反対派がもっと大きく騒いで、食口たちの「脱会説得」に使い始めるのではないかと心配しております。そこで、次の点について、ぜひとも、金榮輝先生にご指導を仰ぎたく、ここに謹んでご報告申しあげる次第です。 「望みを得ることが長びくときは、心を悩ます、願いがかなうときは、命の木を得たようだ」(箴言13章12節)、「いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである」(ヨハネの黙示録22章14節)は、旧約時代、新約時代の人々の願望が生命の木であったことを表しています。 この点について、『原理講論』終末論には、「ヨハネ黙示録の『生命の木』とは、とりもなおさずイエスのことをいうのである。我々は、このような聖書の記録を見ても、歴史の目的は、『生命の木』として来られるイエスを中心とした、創造本然のエデンの園を復帰するところにあるということを理解することができる」(146頁)と説明されています。 それゆえ、イエス様および真のお父様は、生まれながらにして「無原罪」であり、生命の木をして来られたと信じられます。しかし、聖書には、「善悪を知る木」が創世記2、3章に記されてあるだけで、他に一切登場しないために、再び遣わされると説明し難いのですが、この点を、どう説明すればよろしいでしょうか。 「マリアの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統を転換させた上で生まれました。そうではないですか。血統を転換させた位置に来たのですが、イエス様の相対になる新婦は、血統転換の過程を経ていません。何の話か分かりますか。ですから、それが複雑だというのです。ここには、必ず平面的に母が娘になり、娘が母になる、ひっくり返ることが起きなければなりません。天地開闢が起きるというのです。女性の世界で母が娘になり、娘が母にならなければならないのです。 それは一人ではできません。神様とアダムが完全に一つになってこれを協助しなければ、それをひっくり返せないということです。そこに誰が協助しなければならないのかというと、マリアが協助しなければならないのです。母が娘になり、娘が母にならなければなりません。このようなことを万古(限りない歳月)の伝統と理解し、風習の全体であると理解できる母にならなければならないのですが、そのような母になれなかったのです。 そのようなことを皆さんは知らないでしょう? 先生が今日、このようなことをすることができたのは、そのようなことをすべて立て直したからです。ですから、お母様も迎えてきたのです」(140-149、1986・2・9) 真のお父様は、「1960年代に祝福結婚がなされました。キリスト教が支えていたならば、今のお母様がお母様ではありません。聖進君のお母さんがお母様になっていたのです。……北朝鮮から来た群れが、(韓景職牧師の)永楽教会を中心として、統一教会に反対したのです」(『主要儀式と宣布式Ⅳ』332頁)と語っておられます。 以上のように、お父様は、もし、失敗がなければ、崔先吉夫人が「真の母」となっていた可能性があったことについて言及しておられます。そうだとすると、崔夫人も胎中から血統転換されていたのでしょうか。もし、そうでないならば、崔夫人が、なぜ「真の母」になり得る可能性があったと言えるのでしょうか。これらの点を、どのように説明すればよろしいでしょうか。 生命の木であるアダム(メシヤ)は、無原罪で生まれたお方であるために、もし、失敗したとすれば、代わりとなる存在がいないため、再び蕩減期間を経、再臨主を遣わす時まで待たなければなりません。けれども、「真の母」の場合は、3度まで摂理的延長が可能であるために、もし、崔先吉夫人が失敗すれば、それを蕩減するために金明煕夫人を立てられ、それでもだめなら、3度目として、天から選ばれた韓鶴子・真のお母様が立てられたと考えることは誤りでしょうか。 この場合、3度目以上の延長がないため、神様は「絶対に失敗しない」と信頼できる女性を、最後の砦として準備しておられた。それが、今の真のお母様であられると考えるのは、間違いでしょうか。ご指導いただけますように、よろしくお願い申しあげます。とうごま氏のタイトルだけは大げさですが、結論として第一の母(?)という表現そのものに間違いを感じます。聖進様の母ではありますが、私たち統一教会(家庭連合)の「真の母」ということではありません。また、崔先吉夫人に対してもし、失敗がなければ、崔先吉夫人が「真の母」となっていた可能性があったことについて言及しておられます。そうだとすると、崔夫人も胎中から血統転換されていたのでしょうか。もし、そうでないならば、崔夫人が、なぜ「真の母」になり得る可能性があったと言えるのでしょうか。これらの点を、どのように説明すればよろしいでしょうか。「失敗がなければ」は責任分担を果たされなかったということです。「「6マリヤ」は存在しない(その6)-- ロードさんへ(No.3)」(2019.02.25)記事下部からの引用は以下です。次に、「崔先吉氏との最初の結婚は」については『真の御父母様の生涯路程②』に書かれたものがあります。崔氏新婦と妻の実家の信仰 先生は何かと言えば、旧約の完成、新約の完成、成約の出発です。そうして旧約エバ、新約エバ、成約エバが出発できる基盤をつくるために、聖進のお母さんと結婚式を挙げたのです。そのため、そこにはいくらかの危険と負担を抱えて、出発せざるを得なかったということを知らなければなりません。…… その当時、聖進のお母さんに、今私が皆さんに話してあげるみ言をみな教えてあげていたならば、すぐに信じたはずです。そして聖進のお母さんが、全キリスト教の基盤の上に立つ母の立場に立ったならば、それが可能だったのです。しかしキリスト教全体を代表した基盤の上に立ち得なかったために、全体の基盤を築く時までは教えてあげられないのです。 エデンの園で、男が女の主管を受けることによって完全に堕落したために、今度は女が男に無条件に屈服して、無条件に従うことができる基盤を立てなければならなかったのです。そうでなくては復帰できないのです。復帰路程としての責任分担があったということでした。崔先吉氏も「無原罪・独生女」でしたが責任を果たせませんでした。1977年のみ言『内的教会史』には、 しかし一度メシヤが主の立場に勝利している以上、その女性がどういう立場に立とうと、メシヤの勝利は不変であり、摂理は不変であります。もし彼女が悟って悔い改めないならば他の女性が代わって摂理されるだけです。と書かれていました。(引用終わり)ここで私は「崔先吉氏も「無原罪・独生女」でしたが責任を果たせませんでした。」と書いていましたが、崔先吉夫人は「無原罪・独生女」は間違いであったと訂正させていただきます。「先生は何かと言えば、旧約の完成、新約の完成、成約の出発です。そうして旧約エバ、新約エバ、成約エバが出発できる基盤をつくるために、聖進のお母さんと結婚式を挙げたのです。」「旧約エバ」からの出発であり、「そこにはいくらかの危険と負担を抱えて、出発せざるを得なかった」事情を抱えていました。お父様のみ言との整合性を問うていたのが「お伺い書」であり、その文末もそのような結論として結んでいました。視野を広げて頭を少しひねれば、簡単に結論が出てきました。教理研究院からの回答を待つまでもなく、これでめでたしめでたし、です。ところで、PeaceTVホームページからは2014-07-04付で当時の映像と日本語訳(こちら)を出していました。前記事でも書きましたが、金栄輝先生は「英語OK」「日本語OK」のはずですが、何故、中村仁史氏に翻訳を依頼しなければならなかったのかその真意が分かりません。また、中村氏は「光言社」元職員さんですが、組織的に見ても御言研究室がどれだけ彼に信頼を置いていたかの疑問も湧いてきます。加えては韓国の金先生に対して、「お伺い書」文中の(日本人受けの)米本ブログは可笑しくないですか。あくまでもこれは「お伺い書」であって、「反証」という言葉そのものが悪意ある表現でしかないと思います。●●●「日本教会御言研究室・可知雅之氏と太田朝久氏が指摘した4つの反証」●第一の反証(「独生女論」はアボニムの御言とまったく食い違っている!)●第二の反証(「独生女論」の根拠聖句が聖書には存在しない!)●第三の反証(「独生女論」はイエス様血統転換のアボニム御言に反する!)●第四の反証(基督教が成功すれば第一の母(崔先吉夫人)が真の母になった!)いうまでもなく、「独生女論」とか「独生女教」という言葉は批判のために作られたもの(造語)です。第一の反証(?)については、先ず最初に「独生女」を語り始められたのはお父様でした。1959.10.11が最初であって全く「新しい」み言(お父様のイエス様「独生子(独り子)」の相対者があれば「独生女(ひとり娘)」だというお父様からの造語)です。お父様のそれが「元祖・独生女」論だとすれば、そこまでさかのぼって考えていかなければならないでしょう。第二の反証(?)、新しいみ言ですから聖書には記載がありません。「根拠聖句が聖書に存在しない」は当然のことです。第三の反証(?)、2014年7月の時点では真のお母様の血統に関するものでしたが、お父様自身がその血統について語られたみ言もあれば、お父様に言われてお母様が語られたものもありました。『TWJ(2011年天暦3月号)』でも天和宮で語られたお母様自身の証も掲載されていました。元「光言社」職員さんの証言--鹿を追う者は「山」を見ず元「光言社」職員さんの証言--「反証み言」の真実は?とうごま氏(中村仁史氏)のNo.7は「後出しじゃんけん」とうごま氏(中村仁史氏)のNo.7は「後出しじゃんけん」(その2)第四の反証(?)は今回記事冒頭です。黒・天聖経にも「独生女」記述はありました。2008年4月18日、亨進氏が世界会長就任式で遺言のように伝授された八大教材教本のみ言です。サンクの方々はこれを否定できないでしょう。中村仁史氏、サンクがみ言の整合性を打ち出しています。私からはそのサンクこそにみ言との整合性に問題あり、としています。どなたが責任を持ってそれに回答されますか?とうごま氏? 中村仁史氏? それとも? 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.15
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とうごま氏の『アボニムは「イエス様の新婦は胎中血統転換ではない」と語った!「中村告発証言の衝撃」7』、順番からして「●第四の反証(基督教が成功すれば第一の母(崔先吉夫人)が真の母になった!)」ですが、14日06:00時点でまだブログ記事のUPがされてきていません。それとも、中村仁史氏の金栄輝先生への「お伺い書」原本のお披露目の準備中といったところでしょうか?崔先吉夫人に関しては。過去記事でお父様のみ言を紹介していました。「6マリヤ」は存在しない(その6)-- ロードさんへ(No.3) ところで、これまでと同じ文鮮明み言葉選集140卷―163には以下のみ言も書かれていました。中村氏は喜んで「家庭連合がそれだ」と言っては、翻訳文をUPしてくれることでしょう。 통일교회 들어왔다 떨어져 나간 사람들, 들어와 가지고 축복 안 받은 사람들은 딴 울타리, 섬나라에 가서 살아야 돼요. 섬나 라164에 정배간 사람들과 같이 살아야 돼요. 그런 세계에서 살아야 한다 이거예 요. 여기서는 그냥 있다고 해도 영계에 가서 그렇게 되는 거예요. 두고 보라 구요. 그런 비통한 운명을 벗어나야 할 자기들의 길이 얼마나 심각하다는 것 을 알아야 된다구요. 그걸 알았기에 선생님은 일생을 포기해 버리고 감옥살이 찾아다니기에 생애를 다 버렸다구요. 선생님이 무엇을 그리워해서? 본연의 축 복의 자리가 그리웠어요. 아시겠어요? 「예」 선생님도 이러한데 통일교회 이 영신들…. 축복을 받고 별의별 짓을 다하 고 말이예요. 두고 보라는 거예요. 타락은 장성기 완성급이었지만 축복받은 후의 타락은 완성기 완성급이라구요. 따라서 사탄이가 여러분들을 조롱해요. 사탄이를 해방하고 여러분을 지옥 보내야 된다는 거예요. 그건 부모님의 몸을 범한 거예요. 부처끼리 하나님의 몸을 범한 거예요. 그렇게 알고, 여러분이 입을 열어 교회에 대해 평할 수 있는 아무런 권위가 없습니다. 축복가정이라고 해서 '아이고, 교회에서 도와 주소' 할 아무런 권한 이 없습니다. 사탄세계에서 아직까지 벗어나지 못한 것을 도와 줄 수 있어요, 하늘이? 내가 도와 주면 도와 줄수록 짐이 되는 거예요. 그 몇십 배 사탄은 물고 늘어진다 이겁니다. 도움을 받으면 받을수록 그것이 구덩이에 처넣는 거 예요. 올라오려고 하면 내리치고, 탕감이라는 그 구덩이에 점점 들어가게 되 어 있지 못 올라온다는 거예요. 그래서 여러분들도…. この記事UP直後にとうごま氏のNo.8があったようですね。家庭連合がさも回答を持ち合わせていないかのような言い回しが目立ちますが、その前にもう少し視野を広めてお父様のみ言から探されては、頭をひねってみられてはいかがでしょうか?聖書やお父様のみ言との整合性を持ち出されながら、それにマッチしていないのがサンクではないですか。「独生女」「天の父母様」はみ言のなかにも見られたもので、お父様が無意味に語っておられたものではありません。ましてや「真の父母」ともなれば数知れず見ることが出来ます。矛盾を内包したままのサンク、中村氏はそれを見過ごされるのでしょうか?No.8については改めて書きます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.14
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『韓鶴子女史御言選集 愛の世界』(1989年2月11日発行)から、姜賢實伝道師が祝福婦人会の集いで語った証「統一家の誇りであるお母様」からの引用です。…… そういう面から、今はお母様についても証する人がなければならないと感じます。この観点から、お父様が語られた内容、お母様が語られた内容、また洪順愛ハルモニが語られた内容と、私が考えてきた内容を総合してお話しすることにいたします。 洪順愛ハルモニの信仰生活 私たちが統一教会の歴史を正しく知るためには、お父様についてのことも知らなければなりませんが、まずお母様のお母様である洪順愛ハルモニについて知らなければならないと思います。 洪ハルモニは平安南道安川郡シンギリという村で育ちました。キリスト教の家庭で父母から厳格な宗教教育を受け、熱烈な信仰生活を送ったのです。娘時代には、その当時、神の特別な選びを受けた聖主教団の創始者、金聖道(キムソンド)ハルモニから直接的な指導と多くの愛を受けることができました。 わが韓国は特別に神が選ばれた国だったのですが、日帝時代に至っては多くの宗教弾圧によって、信仰の自由というものは全くありませんでした。そういう状況においても、金聖道ハルモニは神に熱心に祈祷をささげ、また多くの啓示を受けることができました。 金聖道ハルモニはいくつかの祈祷内容について、神にすがるように祈ったそうです。「第一に、人間の罪の根は何なのでしょうか。第二に、二千午前に来られたイエス様は本当にイスラエル民族から殺されるために来られたのでしょうか。第三に、主は確かに雲に乗って来られるのでしょうか」。これに対して神が現れて、「多くの者が私に祈祷をしたが、こんなに粘り強く祈祷する者は初めて見た」と言われ、答えを下さったというのです。 神の返答は、まず罪の根は淫行であったということ、そして二千年前に来られたイエス様はイスラエル民族に殺されるために来られたのではなく、この地上に天国を建設するために来られたのであり、主は雲に乗って来られるのではなく、肉身をもって来られるという内容でした。ここで、この三つの質問に対する答えが、私たちの原理と同じであることが分かります。 また腹中教会の李一徳(イイルドク)氏の夫人で許孝彬(ホヒョウビン)氏というかたがいましたが、そのかたも腹中を通してメシヤが来られると言ったのです。そして再臨主がこの地上に来られるようになれば、どのように信じ、どのように侍り仕えなければならないかという実質的な面においての啓示を受け、実践していました。敬礼をささげるにおいても五千回もしなければならないと信じていました。許孝彬氏が仏教徒に会って話を交わしたとき、「一万二千回敬礼をささげたら、すべての世情に通じ、神と通じるようになった」ということを聞いて、敬礼を信仰の基本儀式としたのです。 そして一週間のうち月、水、土曜日と聖日には、十二種類の食べ物を供えて、主をもてなすために精誠を尽くしたというのです。また服をつくるにおいても、イエス様は三十三歳で亡くなられましたから、一歳から三十三歳まで着られる服を各季節に合わせて洋服を三着ずつ、韓国服を一着ずつ作っていたので、百十八着にもなったそうです。 そればかりでなくコート、ポソン (韓国固有の足袋) ツルマキ(外とうのような着物)そして座布団まで作ったそうです。そのようにして、主がこの地上に来られたら、私たちがどのように信じ、侍り、仕えなければならないかという方法をそのときすでに見せてくれたのです。 また李龍道牧師というメソジスト教会の牧師がおられましたが、本当に素晴らしい信仰を持ったかたでした。その人について書いた本を六冊も精読し、本当に恵みに満たされたそうです。李牧師が平壌(ピョンヤン)で復興会をすると、二千名から三千名が集まり、最後には礼拝堂の壁が壊れるほどであったといいます。しかしメソジスト教会連合で問題となって迫害を受け、追い出されるようになりました。 金永雲(キムヨンウン)先生も十七歳のとき、そのかたにつき従いながら、恵みを多く受けたそうです。 以上、聖主教、李龍道牧師の話をしたのは、このように神は私たちの分からない間に摂理し、役事してこられたことを確認したかったからです。これによって神が外的にそんなにも準備してこられたのだということを知ることができるのです。 洪ハルモニは二十九歳まで、聖主教団と腹中教、李龍道牧師につき従ったといいます。そうして祈祷する中で啓示を受けられたそうです。洪ハルモニのご主人になるかたも、李龍道牧師の教会に行っておられましたが、李龍道牧師は「あなたがた二人が結婚をして子供を生むと、男の子を生めば天宙の大王となり、女の子を生めば天宙の女王となるから、必ず結婚しなければならない」と言われたそうです。そして李牧師が仲人をされ、結婚の主礼を務めてくださって、お二人が結婚できるようにされたというのです。 先般、李龍道牧師の嫁に当たるかたが来られたことをお母様にお話し申し上げると、お母様は「私の父母の主礼をしてくださったかたが、正に李龍道牧師なのです」と言われました。 洪ハルモニの先祖は、七代にわたって善の功績をたくさん築き上げた家系を持っておられます。そして二、三代は男性が多かったのですが、女性たちは少なく、一人娘として三代まで続いてきたといいます。洪ハルモニの弟さんが日本に勉強するために出発すると、洪ハルモニのお父さんは洪ハルモニのご主人を婿養子にしたい気持ちから、「家に来て息子のように暮らしなさい」と頼みました。しかし、主体性の強い韓さんは、「それはできない」と言って、お母様がおなかに宿って七か月のとき、洪ハルモニと別れることになったそうです。 お母様の誕生と南下 一九四三年陰暦一月六日、午前四時三十分にお母様が誕生されました。誕生された翌日、洪ハルモニがわかめスープを召し上がると、周囲が急に暗くなり、体がとても強い鉄のロープでしばられたように動けなくなったそうです。それで、だれかに「助けて」と声を上げようとしたのですが、声が全く出てこなかったというのです。すると、またどこからかとても気持ち悪い声が聞こえてきました。その声は「この小さな子供をもしこのまま生かしておけば、世界に大異変が起こるようになるから、この子を殺すのだ」というのです。 洪ハルモニはあまりにも驚いて、「こんなことがあるだろうか」と舌口いながら赤ん坊を抱き上げ、命を懸けて神に祈祷されたそうです。 「天のお父様、私の命はどうなってもかまいません。しかしこの子だけは生かしてくださり、守ってください。神の尊いみ旨のために生まれた子供なのですから、あなたがこの子を生かしてくださらなければなりません。サタンの手から命を守ってください」と切実に祈り、イエス様のみ名で祈祷を終えたそうです。 そのとき、イエス様の姿を思いながら、心の底から命を懸けて祈祷をささげると、サタンは消え、初めて体を自由に動かせるようになったのです。そしてサタンがなぜ子供の命を奪おうとするのか、一生懸命考えました。すると一週間後に、金聖道ハルモニが洪ハルモニの夢に現れたのです。 「順愛よ、その子は将来、主の新婦となるかたであるから、あなたは母というより乳母のような立場で、この子を貴重に思って育てなければならない」と教えてくださったそうです。 洪ハルモニはそのとき初めてその子供の使命がどれほど大きいものであるかを悟りました。洪ハルモニの娘ではありましたが、自分の娘とは思わないで、神から直接授けられた貴い贈り物と思いながら、本当に大切に育てたというのです。 当時は日本帝国主義の時代でしたから、信仰の自由もなく、言論の自由、出版の自由、結社の自由もなく、隠れて信仰する難しい時代でした。ですから解放になって少しは自由に信仰生活ができると思っていたのですが、共産主義が入ってくるようになって、もっと大きな弾圧を受けるようになりました。私が神学校にいるとき、北韓の信徒たちのために、熱い涙を流しながら祈祷したことがあります。それは彼らが自由のない中で信仰を守ろうと努カすればするほど苦労し、苦労しながらも祈祷して、命懸けで信仰を守ろうとしていたからです。 しかし共産党は、牧師から信仰の篤い信者まで一人一人逮捕して、全員監獄に入れてしまいました。このとき洪ハルモニとお母様は知り合いの家に避難しながら、信仰を守ったのです。しかし一九四八年、とうとう洪ハルモニ母娘は逮捕され、収容所に入ることになりました。 ところが、収容されて十一日目に、天から声が聞こえたのです。 「南の方に逃げなさい」という啓示でした。その夜、子供をおぶって真夜中に収容所を脱出し、三八度線を越えたということです。 それが可能だったのは、そのときから神が背後で守ってくださり、直接に導いてくださったからでした。 しかし、収容所を脱出したあとも、たやすいことばかりではありませんでした。当時三八度線は往来が禁止されていたのです。南の方に脱出する亡命者を防ぐために、北韓軍は厳重な警備網を広げていました。洪ハルモニは、警備網をくぐり抜ける瞬間瞬間に、命を懸けて神に祈祷されたのです。 無事に三八度線を越えて、安堵する間もなく、数発の銃声が耳元をかすめていきました。南の国境を守備する軍人たちが暗やみに動く影を見て、共産軍のスパイではないかと誤解し、銃を撃ったのです。 そのとき洪ハルモニは、彼らに敵でないことをどうやって知らせようかと苦心しましたが、子供に南の歌を大きな声で歌わせることにしました。するとその歌を聞いた軍人たちは、銃を撃つのをやめたというのです。軍人たちは二人を近くに迎えると、洪ハルモニに「こんなに小さな子供を連れてどうやって下ってきたのか」と言って慰めながら、旅費まで援助してくれ、ソウルに行く道を案内してくれたそうです。 自由を求めて三八度線を越えたとき、お母様は六歳でした。北韓で教えられたのは金日成の歌だけでしたが、洪ハルモニはお母様に南の歌を教えてあげていたのです。これがお母様にとっては二度目の死線を越える出来事でした。 洪ハルモニとお母様の統一教会人教 このようにして無事にソウルに到着した洪ハルモニは 本当に娘がどれほど重要な使命を持ってしるかを知るようになりました。そして サタン世界に染まらなしようにするため 祈祷生活をする中で 鄭壽源(チョンスウォン)社長のお父さんである鄭錫天(チョンソクチョン)長老に会われたのです。鄭長老は聖主教団の金聖道ハルモニの息子さんでした。そのかたを通して統一教会を知ることになり 原理のみ言を聴き お父様にお会しするようになりました。……故・姜賢實女史が洪ハルモニとお母様について証していたものです。「アボニムは「イエス様の新婦は胎中血統転換ではない」と語った!「中村告発証言の衝撃」7」からです。 「マリアの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統を転換させた上で生まれました。そうではないですか。血統を転換させた位置に来たのですが、イエス様の相対になる新婦は、血統転換の過程を経ていません。何の話か分かりますか。ですから、それが複雑だというのです。ここには、必ず平面的に母が娘になり、娘が母になる、ひっくり返ることが起きなければなりません。天地開闢が起きるというのです。女性の世界で母が娘になり、娘が母にならなければならないのです。 それは一人ではできません。神様とアダムが完全に一つになってこれを協助しなければ、それをひっくり返せないということです。そこに誰が協助しなければならないのかというと、マリアが協助しなければならないのです。母が娘になり、娘が母にならなければなりません。このようなことを万古(限りない歳月)の伝統と理解し、風習の全体であると理解できる母にならなければならないのですが、そのような母になれなかったのです。 そのようなことを皆さんは知らないでしょう? 先生が今日、このようなことをすることができたのは、そのようなことをすべて立て直したからです。ですから、お母様も迎えてきたのです」(140-149、1986・2・9)【参考記事】「6マリヤ」は存在しない(その2)-- 1977年5月3日お母様の証(『韓鶴子女史御言選集 愛の世界』から韓鶴子総裁の証を掲載)「6マリヤ」は存在しない(その3)-- 17周年聖婚聖婚式でのお父様み言から (『韓鶴子女史御言選集 愛の世界』から文世名総裁がお母様を証されたみ言を掲載)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.13
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とうごま氏の今回の連載は誰が原稿を書いているのだろうか?とうごま氏は典型的「指示待ち族」、ペーストがお仕事で何か間違いの指摘をしたとしてもそれに応えられるだけの思考は持ち合わせていないようです。12日の記事「アボニムは「イエス様の新婦は胎中血統転換ではない」と語った!「中村告発証言の衝撃」7」からの事実検証8ですが、●事実検証8「御言研究室」可知雅之氏と太田朝久氏は、「イエス様の新婦は胎中無原罪ではない」としか解釈できないアボニム御言の存在を認知していた。●「金榮輝先生へのお伺い書」独生女論への第三の反証(*抜粋)(3)お父様は、第2アダムのイエス様は、胎中から血統転換されているが、その相対者の新婦は、胎中では血統転換されていないと語っておられます。それは、蕩減復帰の原則から考えると、再臨主にも当てはまると思われますが、いかがでしょうか。 「マリアの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統を転換させた上で生まれました。そうではないですか。血統を転換させた位置に来たのですが、イエス様の相対になる新婦は、血統転換の過程を経ていません。何の話か分かりますか。ですから、それが複雑だというのです。ここには、必ず平面的に母が娘になり、娘が母になる、ひっくり返ることが起きなければなりません。天地開闢が起きるというのです。女性の世界で母が娘になり、娘が母にならなければならないのです。 それは一人ではできません。神様とアダムが完全に一つになってこれを協助しなければ、それをひっくり返せないということです。そこに誰が協助しなければならないのかというと、マリアが協助しなければならないのです。母が娘になり、娘が母にならなければなりません。このようなことを万古(限りない歳月)の伝統と理解し、風習の全体であると理解できる母にならなければならないのですが、そのような母になれなかったのです。 そのようなことを皆さんは知らないでしょう? 先生が今日、このようなことをすることができたのは、そのようなことをすべて立て直したからです。ですから、お母様も迎えてきたのです」(140-149、1986・2・9)黄マーカーは中村仁史氏のビデオでは語られていないものであり、私の記事「元「光言社」職員さんの証言--鹿を追う者は「山」を見ず」で持ち出してきたものです。No.7は「後出しじゃんけん」ではないですか。また、私からは続けて以下も引用していました。ザカリヤの家庭とヨセフの家庭 マリヤが責任を果たせず、ヨセフが責任を果たせなかったので、ザカリヤの家庭が責任を果たせなかったのです。洗礼ヨハネの家庭とヨセフの家庭が仲良く組んだなら、簡単に事は済んだのです。ヨセフはイエス様をお父さんとして迎え、ザカリヤは洗礼ヨハネをお父さんとして迎えれば良いのであり、ザカリヤの家庭に生まれた娘をお母さんとして迎えれば良かったのです。そうしなければならなかったというのです。それができていたなら、イエス様は間違いなく結婚したというのです。二代が協助しなければなりませんでした。この二代がカイン・アベルの関係にありました。この二代が転換しなくては、お母様を迎える道がなかったのです。そうではありませんか。善悪に分かれてしまって、位置が逆になったのですから、これを交替しなければなりません。上に立つべき者が下に立っているからです。善は下に立っていましたが、時が来たので上に行かなくてはならないし、上に立っていた悪は下がって行かなくてはならないのです。(140-152、1986・2・9)ここで間違ってはならないことは、イエス様は結婚したでしょうか?結婚はしなかったのです。マリヤが責任を果たして、もしも結婚していたとすれば「イエス様の相対になる新婦は、血統転換の過程を経て」ていたということです。「(先生はそのようなことを知っていたので、)先生が今日、このようなことをすることができたのは、そのようなことをすべて立て直したからです。ですから、お母様も迎えてきたのです」と語られたのでした。それよりも勿体ぶらずに早く、2通あるという「お伺い書」とやらの原本を中村仁史氏は公開されたらいかがですか?さらには、日本の教理研究院からは既に、「再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス」と一つの回答書を出していました。今度は、サンク側のみ言との整合性について検証する番です。「独生女」「天の父母様」呼称の否定、数限りなく語られた「真の父母様」についてサンク側はどう弁明されるのでしょうか。み言との整合性については中村仁史氏とサンクが持ち出したものでした。彼は、原理講論に記載された「天の父母様」を認めていました。また、韓国語のみ言にも精通していると自負されていましたが、私からは「一人娘(独生女)について(その2)――天聖経(黒表紙)から 」(2015.04.28)、そして、啓示によって「一人娘(独生女)について(その2・捕捉)――天聖経(黒表紙・韓国語)から」(2015.04.29)「独生女」を発見していました。韓国語を分からない人でも一目で見て理解できるものです。これに対しても彼はどうなのでしょうか?天聖経(黒表紙)韓国語版のP.177の記載文(以下)。み言との整合性、今度は中村仁史氏(サンク)が追われる番です。お父様が遺言のように語られたみ言、その中にある「独生女」「天の父母様」「真の父母様」についての弁明がされなければなりません。これらの整合性については、とうごま氏の「文亨進様が真の後継者であることを立証する60の論題」以前からのものであり、もはや、いい加減にすることが出来ない時を迎えています。「とうごま氏! 如何に?」と問うても、彼はこれまで同様に応えることは出来ませんでしたね 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.12
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とうごま氏「中村氏は「金榮輝氏へのお伺い書」原本を保管していた!連載「中村証言の衝撃」5」「聖書に「独生女論」根拠聖句がゼロな事を御言研究室は知っていた!「中村証言の衝撃」6」、書かれているのは金栄輝先生への「お伺い書」原本があるのでしょう。先ずは、その全文を公開(省略無しのもの)されてから反証をして行かれるべきではないですか。以下はNo.6の「お伺い書・原本」書き出し部分に前回No5にもあったものを黄マーカーにしたものです。●金榮輝氏へのお伺い書 金榮輝先生様御言の問題に関するお伺い書御言研究室:可知雅之 太田朝久 真のお母様が、天一国2年天暦6月5日(陽7月1日)に語られた「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません」という御言について、統一食口および反対派の間で、大きな話題となってきております。(中略)また、神様によって、胎中におられるときから特別に選ばれており、責任分担を果たされるなら、人類の「真の母」となられるよう、胎中から選ばれてお生まれになったことも確信しております。しかし、神様に選ばれて生まれたとしても、人類の「真の母」となられるには、1960年陰暦3月16日(陽4月11日)の「御聖婚」以降、1968年1月1日の「真の神の日」宣布までの「7年路程」において、苦難の路程を歩まれて、人類の真の母として、勝利して行かれたからであると理解しております。(中略)実際、真のお父様は、「1960年が、いったいどの基準であったか? 堕落したアダム、エバの立場、長成完成級の基準である。長成期完成級基準を中心として完成圏まで上がるには、7段階の7年の期間が必要である。それが第一次7年路程であるというんだね」(『御旨と世界』28頁)と語っておられ、御聖婚の時が「長成期完成級」であり、その後、堕落圏を越えて、1968年1月1日の「真の神の日」に、「完成圏」へと上がったと語っておられます。(中略) 189万件のアクセス数を誇り、数多くの人々が関心をもって読んでいる「火の粉を払え!」というサイトには、食口からも、「お母様が胎中から無原罪だったという原理はないのではないでしょうか? 私は、これを聞き唖然としました」という投稿文が寄せられておりますし、サイト運営者は、「新しい時代の始まりか、それとも破滅への序曲か」と問いかけております。今現在も、騒ぎが大きくなりつつあります。それゆえ、この問題をこのまま放置いたしますと、反対派がもっと大きく騒いで、食口たちの「脱会説得」に使い始めるのではないかと心配しております。そこで、次の点について、ぜひとも、金榮輝先生にご指導を仰ぎたく、ここに謹んでご報告申しあげる次第です。No.6からは新たに「人類の「真の母」となられるよう、胎中から選ばれてお生まれになったことも確信しております」、とあります。であれば、金栄輝先生へのお伺い書そのものは必要ないものと考えます、何故、「お伺い書」なのでしょうか? 全文を見なければ謎です。という以前に、金栄輝先生であれば「英語OK」の方です。中村仁史氏の韓国語翻訳でなくてもいいはずですが。もちろん、「日本語もOk」のはずです。中村氏の手を借りる必要もなかったでしょう。ここに「金栄輝先生へのお伺い書」韓国語翻訳そのものに一つの疑問が生じてきました。皆さんもそのように感じませんか。過去にはとうごま氏が紹介していた、お母様に提出したという「金栄輝先生の上疏文」デマ記事がありました。金栄輝先生の歴史的上疏文 独生女論を全面的に批判し家庭連合を去る!(2019-01-18)「金栄輝先生の上疏文」は真実(2019-01-19)「金栄輝先生の上疏文」とは何か?(2019-01-20)金栄輝先生の上疏文は「真理」を語っている!(2019-01-21)金栄輝先生の世にも不思議な抗議メッセージ(2019-01-22)金栄輝会長の抗議メッセージ <下記の文章はユーチューブなどインターネット上で金栄輝会長の意思と関係なく第三者が展開した内容に対して、2019年1月17日、金会長が直接釈明および立場を表明した映像メッセージの録音全文だ。> 私たち統一教会人たちは神様を信じており、神様のみ旨をなすために教会に入ってきました。しかし、神様は目に見えず実体がない方なので、神様の代身者として送られた真のお父様と真のお母様を真の父母として侍り、お二人を神様のように侍って従ってきたことが私たちの信仰生活でした。今朝、突然おかしな知らせを聞いてびっくりしました。私の名前でいろいろな内容の文章がインターネットにあがったという知らせを聞き、その内容がなんなのか、直接読みはしませんでしたが、聞いて知りました。ところで、まずお伝えしたいことは私はこのような内容を書いたことがありません。なぜかというと、私はスマートフォンも持っていないし、またインターネットもできないし、やりません。 事実、そのため、私の家には私が持っているスマートフォンはありません。でも私の妻がちょっと旧式のスマートフォンを持っていて、それで電話など使っています。そのため、私の名前があがったということは結局は簡単に言えば、誰かが自分が言いたいことを自分の名前で言わずに、私の名前を盗用してやったということです。最近の韓国社会は言論の自由がある社会ではないでしょうか。どんな話でも言えるのに言いたいことがあれば、自分の名前で堂々とやるのが原則なのに、このように人の名前を知らないように何の承諾もなく盗用したということは違法であり、私たちの社会では到底容認できないことです。 私がその内容に対しては今ここで話しません。なぜそうかといえば、食口(シック)たちには神様のみ言葉だと信じている原理講論があり、また三大経典があります。それで、父、母を分けて考えることは私たちの思想に合いません。そのため、このようなことが起きたことに対しては、先輩家庭の一人として大変残念に思い、このようなことが起きてはいけないのに起きたということに対して、神様の前に申し訳ない心を禁じ得ず、また食口の皆様にも申し訳なく思います。しかし、私たちがこのように今、お母様に侍っていくときに、私たちが一つになってもできるかどうかというこの時に、またこのように引き裂く歴史が起きるということは全体を見ても大きな損害だといえます。 お父様は1999年1月8日に 「真の祝福 天宙化とサタンの血統根絶 完成解放宣布」をされ、また2007年4月3日には 「天宙平和 神様 文明圏 開闢(かいびゃく)宣布」 をされました。この2つが、私たちが今後しなければならない一番重要なことをいっているのです。今私たちが430家庭を食口にするために、すべての食口たちがご苦労されているではないですか。これは結局は霊界にいる先祖たちを解放、また、祝福式と共に一番重要な、私たちがしなければならない使命なのです。これを早くしなければ神様のみ旨がなされません。ところで、このことを今私たちが一生懸命している段階で、このようにまた、食口を引き裂く消息が流れるということは、結局、私たちがすることをできないようにしようとすることです。 そのため、私は神様のみ旨をなすことにたいし神様への妨害になると悲しく思い、どうにかしてお母様のもと一つになって行かなければならないのに、このようなことはなければよいというのが私の願いです。そして「神様 文明圏開闢(かいびゃく)宣布」は今私たちが生きている世界がサタン文明圏の世界です。これがまさに私たちが伝道する環境を悪くし直す要因になるのです。そのため、「神様 文明圏開闢宣布」をするということはお母様が話された環境圏を創造するその意味とそのまま同じ意味なのです。それで私たちはこのように祝福、この祝福行事とそして伝道環境の造成、この2つのために全食口が力を合わせて行かなければならない時だと考えて、このようなことが起きたことに対して、このようなことをしでかした人は今後、協会が決定するでしょうが、法的責任を負わなければならないと私は考えます。 事実、いろいろとすべての食口たちが多くの考えがあるのに、この時に良い知らせが入ってきて全食口の士気(しき)があがり、士気を振起する、そのような現象が起こらなければならないのにそれとは反対のことが起こったことに対して、本当に残念に思い、このようなことは早く解消されることを願います。以上、私の所見を終わります。(*翻訳文は「シャボン玉のブログ」より転載です。)このように、中村仁史氏の「金栄輝先生へのお伺い書」原本全文を見るまでは、その真偽を決めつけることはできません。また、その一つのチェックポイントとしてNo.5からは以下のように書かれていました。そこで、次の点について、ぜひとも、金榮輝先生にご指導を仰ぎたく、ここに謹んでご報告申しあげる次第です。●事実検証6 「御言研究室」は8つの「反証御言」を明示していた! ●前文お父様の御言には、真の母とは「堕落圏」から復帰し再創造しなければならないという御言が数多くございます。今回のお母様の御言との整合性を、我々はどう考えたらいいのでしょうか。(以下省略)サンク自身が「み言との整合性」もままならないことは私からはすでに書いていたことですが、8つものみ言を挙げて(韓国に翻訳してまで)お伺いを立てられたともなれば、金栄輝先生には大変失礼なことと思われます。中村氏の持つ原本は金栄輝先生ではなく、韓国の(み言研究をされている)先生に宛てるためのものであったとすれば、納得もできるものといえます。さらに加えては、反証の出典の半分(4/8)は中村氏が編纂に携わった『神様の祖国 解産完成』(日本で出版されたもので韓国語は無いと思いますが)からの引用が目立ちます。これもまた摩訶不思議の一つです。余談ですが、『御旨と世界』28頁からの引用を「お伺い書(?)」で挙げていましたので、その近辺からのみ言も拾っておきます。どのように解釈されるかは皆さんの判断です。 祝福の基準 復帰の路程を完全に通過しなければ、個人、家庭、氏族、民族、天宙すべての圏内に入って、サタンに讒訴されない基準を立たさなければ、祝福の条件を立たすことはできない。 一九六〇年が、いったいどの基準であったか?堕落したアダム、エバの立場、長生完成級の基準である。長成期完成級基準を中心として完成圏まで上がるには、七段階の七年の期間が必要である。それが第一次七年路程であるというんだね。完成基準に立ち入る時は神の直接主管圏に人る。直接といえば内外ともの直接だから、心情、生活圏ともに主管成し得る基準である。 完成基準を残して祝福した基準が、一九六〇年である。しかし、その圏たるは今まで堕落したアダムにおいて、堕落した圏内に入っているのだから、サタンの主管圏にある。この主管圏内において、サタンを打ち壊す大物が現れてきたのだから、その家庭に対してサタンは総攻撃してきた。しかし、反対に追い払って闘ってぶつかって蕩減し、神の日の決定、子女の日、万物の日、父母の日と、四つの日の決定をこの七年間に成し得たのである。 神からサタンが奪っていったものを、奪い取った基準が立ったのだから、そこにおいて完成基準が完全に地上に決定権を成し得ることができた。 花婿と花嫁がサタンを押しのけて出会う。その一日が神の願いであり、二〇〇〇年のキリスト教の歴史であったが、花婿はイエスで、天を指し、聖霊は女性神で、地を指し、空間のサタンを突き破って天地が一つに成り得た宗教人の最高の目的を、我々統一教会が成し得たというんだね。だから、ここにおいて始まった先生の家庭を中心として結び合っている家庭は、一つの氏族である。それが日増しに発展していけば、これは民族になる。もう少し発展すれば国家、世界圏を成し得る。 だから新しい民族、第三イスラエル民族ということになる。今までの歴史過程の先祖より受け継いだ血統による子女でなくして、新しい血統圏を受け継いだ神による子女圏となり得る立場を授けるのが統一教会である。我々の立つところは違う。サタンの讒訴を防ぎ、勝利圏を成し得た内容をあなたたちに教えましょう。どの基準にあなたたちはいるか。長成期完成基準にも上がってこないというんだから、祝福ということが問題だというんだよ。二人の男と女が追い出されてしまったのが堕落だから、二人は歓迎されない境地を乗り越えなければならない。それが祝福である。 第ニ次七年路程 祝福というのは完成基準における祝福じゃないよ。 先生においての神の日、先生においての父母の日、先生においての子女の日、先生においての万物の日は世界的、天宙的に決定された。あなたたちはその圏内において祝福し得る、参席し得る立場に立っているというんだけれど、参席はし得てもその道はまだ行っていない。本当はあなたたちの父母の日、新しい氏族の先祖として立ち帰る時が、あなたたちの真の父母の日であるというんだね。木村だったら、木村氏においての真の父母の日が生れてこなければならない。真の子女の日、万物の日をこの木村氏を中心として、そして神の日の決定という白い旗を立てて、永久に翻るその日を我々統一教会は迎えなければならない。 この旗を掲げて出発したのが第二次七年路程である。それは長成期完成圏において勝利した男、堕落した後孫であるけれど堕落しないアダムより以上の立場、エバ以上の立場で、完成に向かって堂々と行軍し得る立場、サタンの邪魔があれば屈服させるその権威で押しのけていくのが、我々の唱えている全面的進撃である。それは先生だけに限るんじゃないよ。全世界的になっているんだよ。男も女も老いも若きも行かなければならない。第二次七年路程も全面的進撃の年である。【追記】「アボニムは「イエス様の新婦は胎中血統転換ではない」と語った!「中村告発証言の衝撃」7」から、家庭連合側「お伺い書」を待つまでもなく、中村氏の原本とやらをNo.8、No.9にて出されたらいかがでしょうか‼️ 何も勿体ぶるものでもないでしょう。そちらで隠しておいては、尾ひれを付けないで下さるようお願いします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.11
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前記事「元「光言社」職員さんの証言--中村仁史氏は「真の父母様」を取るのか? 亨進氏か?」はサンクのアベルカインのデタラメについてでしたが、さらにさかのぼっては韓お母様(真のお母様)が堕落したといったこれも間違いであったことを「真の父母様宣布文サイト」で既に反論していたものがありました。真のお母様がお父様の承諾もなく神様との結婚式をしたとかで(上図からは日付けは2012年1月18日となっている)、その翌日19日にはお父様が叱責されては儀式を行ったというものでしたが、その内容を曲解してはFPA・サンクの方々は現在もその「うわさ話」信じているようです。お母様が前に立つようになれば、全部、従って、お母様がするとおりについていけば簡単なのです。……お母様に対する心配はする必要がないのです。このようにサンクにはアベルカイン勝利もなければ、お母様否定でもって「真の父母」までも見失ってしまっています。お父様と姜女史との結婚式も偽装されたもので「偽物」でしかありませんでした。さて、家庭連合はというと、孝進様と興進様がおられるだけでなく、今回の「天地人真の父母聖誕100周年」の祝福式では孝進様長男さんだけでなく次男さんもご一緒に祝福がされたというサプライズです。お母様を中心にカインアベルが一体となったなか、そこにお父様(天の父母様)をお迎えした瞬間であったと思います。天一国安着 億万歳!!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.10
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とうごま氏記事第5弾「中村氏は「金榮輝氏へのお伺い書」原本を保管していた!連載「中村証言の衝撃」5」から「お伺い書」が公開(?)されました。金栄輝先生からの回答書がないことを知りながらも、徳野会長に「公開せよ」と迫った類のお祭り騒ぎをしたいだけなのでしょう。ところで、「お伺い書」そのものをいえば「私文書」です。それを中村仁史氏が何らの許可なく勝手に公開されたとなれば、法的にも引っかかってくるのではないかと思います。さらには偽造や改ざん(差出人が「御言研究室:可知雅之 太田朝久」となっていますが、その真偽も含めて)があったとなれば、なおさらでしょう。また、次に続く一文「●事実検証6「御言研究室」は8つの「反証御言」を明示していた!」からも「お伺い書」には「(中略)」部分で8つもの「反証み言」が書かれていたという話です。御言研究室(?)がではなく、批判グループが挙げているそれを列記したように見えますが、全文を公開されてはそれらが実際になされたものかの事実確認も欲しいところです。さらに言えば、『「独生女論」反証の御言』とかの言葉で家庭連合には「独生女論」などという言葉は存在しません。もしもそれがあるとすれば、「独生子論」もあって然るべきです。皆さんはイエス様の「独生子論」を聞かれたことがありますか? 原理講論では、聖書に書かれた「生命の木」が如何なるものかを調べることで「善悪知るの木」が「創造理想を完成した女性」と結論付けていたように、「独生子論」をもって「独生女論」も図り知ることが出来ると思います。あるとすれば、お父様ががその発案者であり、「独生女論」があるとすればその元祖がお父様です。それを無視することはできないでしょう。真のお母様の血統、性格等についてもお父様は語られていました。それらも参考となります。再臨主は「無原罪のエバを探して小羊の婚宴」をするといったみ言もあります。批判される方々はそれを無視することはできません。「反証」だなどといっても、お母様が最初から「真の母」の位置で聖婚されたのではないことはお父様のみ言からも理解できるところです。17歳の(無原罪の)「娘」の位置から7年路程を経て「真の母」へと再創造(サタン不可侵圏の確立)されていかれたものでした。その勝利の基台の上での「天の父母様の日」が決定されたということであり、さらに7年路程で10ドルのお金も自由に出来なかったお母様でしたが、それが出来るようになったのが1977年でした。敬拝を捧げる位置から「真の母」として真のお父様と並んで敬拝を受けるまでになられたのは2000年を超えてからでした。……このように、堕落前のエバの位置から再創造(訓練)をされながらもこんにちで御聖婚60周年です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.10
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<文亨進(文亨進)様のご夫人である李妍雅(リヨナ)様のみ言>食口の皆さん、一つ確かなことは、これです。真のお母様の権限は真のお父様から出てきます。真のお母様は復帰されたエバの価値をお持ちで6,000年間、人類のすべての女性が持っていたその一を蕩減復帰した路程で勝利しました。いくつかの方は私にこのような言われました。青坡洞からお母様を仕え、その方は「私の側近でお会いしたお母さんは、この世界のすべての女性が耐えなければならた心の悲痛と試練と受難と脅迫をすべて受けても勝利した方がすぐに真のお母様だと思う。」と言われました。そして、2010年4月29日、アベル国連定着戴冠式と金婚式と聖和祝祭の真の父母様の神の実体をまとって成婚儀式を挙行しましたので、真のお母様は真のお父様の夫人であると同時に、神の妻の位置ができていました。私たちが真のお父様を心から愛しているなら真のお母様も惜しんで愛していなければなりません。なぜなら、天を摂理のプログラムで二分は一つ、真の父母様だからです。真のお母様は天宙のお母様であられまた私を、私たちのすべてを聖霊に生まれ変わらてくださった私の母あられます。我々はすべての真の母の子だから、その分の心を傷つけて傷を与えることは、さらに胸がシリコンよう病気になります。私たちは、私たちの母を愛し、大切に、また尊敬しなければならなりません。真のお母様は、天宙のお母様であると同時に、私たちのすべてを倍痛く生んくださった私の母であるということを忘れてはいけません。成婚50周年その華麗な祝賀行事で、私の前に母と短く交わしたその会話を考えながら、私も知らないうちに涙が出て涙を盗んだ。お母様と二人でちょっと時間を過ごす機会があり、母にそんな言葉をお聞き見たことがあります。 「お母さん、私たちは嫁のグループであってもいるが、お母様は苦しいとき、心があまりにも痛い室と、お父さん頃も言うことができない事情がありショトウルとき誰と話を共有しにくく上受けましたか?」すると、本当に愚かディ幼い末っ子嫁がささげた上のその一言にとめどなく場合シドンお母さんが姿が思いました。その姿が華やかなお祝い会場にいらっしゃるお母様とあまりにも多くのコントラストになって一人で涙を流した記憶があります。真のお父様が寂しい室にも怒りことも、私たちと人類に失望だったでしょときにも、常に横に真のお母様が一緒にたし、これからも永遠にいる父の隣に守ら方は、すぐに真のお母様なのです。真のお父様の自叙伝の表現を借りれば、真のお母様は「真の善良細かいあなた。私の妻、韓鶴子真のお母様」あられます。今日は特に聖霊治癒礼拝をするとき天宙のお母様は、私省令で産んくださった私の真のお母様の姿を一緒に胸に感じながら、太平聖代真の父母様億万歳の振動を送ってほしいです。不足している言葉をここで終え、一緒に真のお父様の言葉を訓読し終わります。 <訓読言葉>真の母は真の妻としての影のような存在です。先生が右に行くと、右に行くと思います。同様に歩んできたのです。これで世界の復帰をすべて終えた。完了したというのです。主観性を伝導して復帰したのです。そのため、初めて先生が母を、世界の前に出すことです。個人を代表して、家庭を代表して、民族・国家・世界を代表して、先生の隣に立てることです。これは、天の国のアダムとエバをなくさない本来的なホームベースになっているので、家庭を中心として夫婦が天国に向けて正の面積に神に接することができる時代に入ってきたということです。 (231-256、1992。6. 7)<文亨進(문형진)様のご夫人である李妍雅(이연아)様のみ言>식구님 여러분, 한가지 확실한 것은 이것입니다. 참어머님의 권위는 참아버님으로부터 나옵니다. 참어머님께서는 복귀된 해와의 가치를 지니시며6,000년간 인류의 모든 여성들이 지녔던 그 한을 탕감 복귀하신 노정에서 승리하셨습니다. 어떤 분은 저에게 이런 말씀을 하셨습니다. 청파동에서부터 어머님을 모셨던 그 분은 “내가 측근에서 뵈었던 어머님은, 이 세상의 모든 여성들이 감당해야 했을 마음의 비통함과 시련과 수난과 협박을 다 받으시고도 승리하신 분이 바로 참어머님이라고 생각한다.”고 말씀하셨습니다. 그리하여 2010년 4월 29일, 아벨유엔 정착 대관식과 금혼식 및 승화축제에서 참부모님께서는 하나님의 실체를 쓰시고 성혼예식을 거행하였으므로 참어머님께서는 참아버님의 부인인 동시에 하나님의 부인의 위치가 되셨습니다. 저희가 참아버님을 진심으로 사랑한다면 참어머님 또한 아끼고 사랑하지 않으면 안됩니다. 왜냐면 하늘을 섭리의 프로그램에서 두 분께서는 하나, 참부모님이시기 때문입니다. 참어머님께서는 천주의 어머님이시고 또한 나를, 우리 모두를 성령으로 다시 태어나게 해주신 나의 어머니이십니다. 우리 모두가 참어머니의 자녀이기에 그 분의 마음을 아프게 하고 상처를 주는 것은 더욱 가슴이 시리도록 아픈 것입니다. 우리는 우리의 어머니를 사랑하고 아끼고 또 존경해야겠습니다. 참어머님은 천주의 어머님인 동시에 우리 모두를 배 아파 낳아주신 나의 어머님이시라는 것을 잊어서는 안되겠습니다.성혼 50주년 그 화려한 축하행사에서 저는 전에 어머님과 짧게 나눴던 그 대화를 생각하면서 저도 모르게 눈물이 나서 눈물을 훔쳤습니다. 어머님과 둘이서 잠깐 시간을 보낼 기회가 있어 어머님께 그런 말씀을 여쭤봤던 적이 있습니다. “어머님, 저희는 며느리 그룹이라도 있지만, 어머님은 힘드실 때, 마음이 너무나 아프실 때, 아버님께도 말할 수 없는 사정이 있으셨을 때 누구와 말씀을 나누시고 위로 받으셨나요?” 그러자 정말 어리디 어린 막내 며느리가 드린 위로의 그 말 한마디에 하염없이 우시던 어머님이 모습이 생각났습니다. 그 모습이 화려한 축하 행사장에 계시는 어머님과 너무나 많은 대조가 되어서 혼자서 눈물을 흘렸던 기억이 납니다.참아버님께서 외로우실 때에도 진노하실 때에도 저희와 인류에게 실망하셨을 때에도 항상 옆에는 참어머님이 함께 하셨고, 앞으로도 영원 세세토록 함께 아버님 옆을 지키실 분은 바로 참어머님이십니다. 참아버님의 자서전의 표현을 빌리자면, 참어머님은 ‘참 착하고 고운 당신. 나의 아내,한학자 참어머님’이십니다. 오늘은 특히 성령치유예배를 할 때 천주의 어머님, 나를 성령으로 낳아주신 나의 참어머님의 모습을 함께 가슴으로 느끼면서 태평성대 참부모님 억만세의 진동을 보냈으면 합니다.부족한 말씀을 여기에서 마치고, 함께 참아버님 말씀을 훈독하며 마치겠습니다. <훈독 말씀>참어머니는 참아내로서 그림자와 같은 존재입니다. 선생님이 오른쪽으로 가면, 오른 쪽으로 가는 거예요. 똑같이 걸어온 것입니다.이래서 세계 복귀를 다 끝냈어요. 다 이루었다 이거예요. 주관성을 전도해서 복귀했다는 말입니다. 그렇기 때문에 비로소 선생님이 어머니를 세계 앞에 내세우는 것입니다. 개인을 대표하고, 가정을 대표하고, 민족·국가·세계를 대표해서 선생님 옆에 세우는 것입니다. 이것은 하늘나라의 아담 해와를 잃어버리지 않은 본연적 가정 기반이 되어 있기 때문에, 가정을 중심삼고 부부가 천국을 향해서 정면적으로 하나님을 대할 수 있는 시대에 들어왔다는 것입니다. (231-256, 1992. 6. 7)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.09
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お母様が語られたという2014年10月27日のメッセージについて、お父様のみ言や原理講論、聖書との整合性を持ち出してこられたのは中村仁史氏とサンクです。では、中村仁史氏は原理講論からは「天の父母様」を認めていましたが、サンクの亨進氏はこれを否定していました。中村仁史氏は原理講論(真の父母様)の「天の父母様」を取られるのか、あるいは、亨進氏を取られるのかの態度を明確にしなければならないでしょう。サンクもまた、私のこれまでの検証からは「天の父母様」と語られたお父様のみ言を多く発見しますが、お父様のみ言との整合性にも合致していません。サンクの教理研究院(?)とやらが、それにハッキリとした回答をしなければならないでしょう。▲2008年4月18日、亨進氏世界会長就任式でも「天の父母様」と語られていた。さらには、「真の父母」ともなればみ言の中に溢れていますが、サンクにはその「唯一無二の『真の父母』」が存在しません。今日みたサンクのあるブログを見れば、「亨進氏夫妻が真の父母の位置に」とありましたが、これも前段階が正しいとの前提条件があってですが、「2012年6月5日 アベルカイン一体化宣布」の誤りも私の過去記事「とうごま氏の連載「H4が真の後継者」は矛盾点満載、紙クズの価値でしか!!」等で検証済みです。引用は以下:2012年6月5日の儀式とは何であったのか。これに関してもサンク資料「④アベルカインの一体化」(こちら)を自称ルポライタイーtomy4509はルポしていた。サンクのアベルカインはウッソ??(2019.02.06)サンクのアベルカインはウッソ!!(2019.02.07)サンクの大チョンボ、アベルカインも無しに「二代王」?(2019.03.11)サンクは一つの間違いから、また別の間違いを「接ぎ木」して……サンクのデマ広報宣伝マン「シムソン(恣意存)氏」サンク資料からよくよく見れば「信便(シンピョン)と信主(シンジュ)」の二人ともKの三男と四男、これがH4とKのアベルカインにどうつながるというのだ?理解不能。(オワリ)サンク資料でハッキリと6月5日の二人のお孫さんは国進氏の三男と四男と明記されていました。それを亨進氏と国進氏のアベルカインにつなげることに無理があります。サンクの方々はそれを「信じろ」というのでしょうか?今回もそうですが、とうごま氏過去記事連載の『文亨進様が真の後継者である事を立証する60の論題』からの矛盾点も揚げれば「霧ヶ峰」です。前記事「元「光言社」職員さんの証言--鹿を追う者は「山」を見ず」からは、真のお母様の路程からしても、「平面的にみれば、お母さんが娘になり、娘がお母さんになるという。“入れ替え”がなされなくてはならないのです。女性の世界において反対の天地開闢が繰り広げられるのです。」真のお母様と大母様との関係において、そのように育てられてきたということです。ご聖婚後の7年路程でもそのように侍っていかれた大母様であったという証も耳にするところです。と書きましたが、『真の御父母様の生涯路程 10』から以下にそれを確認しておきます。洪順愛大母様との一体圏 僕である天使長がエバを堕落させてひっくり返してしまいました。それで、それと同じように僕の生活をするのです。復帰の道では僕の生活が展開していきます。なぜならば、エバの主人であるサタンよりも大きな愛をもつことなくしては新婦を取り戻してくることができないからです。エバが神様の真なる愛を中心として、自分のすべてを否定して「私は死んだとしても、あなたのおそばに行きます」と言って、その夫に屈服することができる基盤を造成してこそ、初めて取り戻してくることができるのです。それがこの道です。もしそのようにすることができなければ、欺いてでも奪ってこなければなりません。 それでは、ここで相手は女性ですが、女性を中心として見るとき、どのような女性でしょうか。女性の中で新婦となることができる女性です。女性の中においても、母の立場の女性がいて、娘の立場の女性がいます。それはレアとラケルを象徴しています。これは、来られる新郎の本意ではありませんが、天理原則によってそのような役事が展開するのです。 ところで、その母は、僕の立場で自分の娘のような人を大切に育てなければなりません。母が僕ならば、娘は何になりますか。僕の娘になります。そのようにして、まさしくその僕の娘を神様の娘として入籍する相続式を行わなければなりません。その式を行うことによって初めて新郎として来られた主の前に新婦が策定されたとして、新しい時代の前に宣布式をすることができるのです。その時代は統一教会で言えば、一九六〇年度に相当します。 ここにいるお母様を中心として、そのように役事しました。皆さんが知らない中でそのような役事を行ったのです。洪順愛氏というお母様の母親がいます。母と娘はいつも心が一致しているので、二人で共にひそひそと話すのです。 サタン世界の版図を中心としてエバ圏のカイン、アベルを失ってしまったので、二人の母が必要なのです。その次にはカイン的息子、アベル的息子が必要です。そのような位置の基準を身代わりして立てなければならない人がお母様になるのです。 なぜそうなのかというと、母というものは縦的です。先日、洪氏おばあさんに対して「大母」という言葉を使ったのもそのためです。「大母」という言葉です! しかし、この母から直系になっていないのです。それで、このようなすべてのことを蕩減条件に連結させて基盤を築かなければなりません。それゆえに、先生を中心として見ても、二人目のお母様です。最初のお母様が代を継ぐことは難しいのです。レアとラケルが一つにならなければなりません。ここで心情圏の分裂が起きてはいけないのです。ここで一体圏を成さなければなりません。レアとラケルが双子のようになった立場で、アベル的夫人とカイン的夫人のような立場で、これを完全に取り替えても一つになることができる心情圏をつくらなければなりません。兄が弟になっても喜び、弟が兄になっても喜ぶことができる内的基盤の一体圏をつくっておかなければなりません。そのような過程を経てお母様を迎えるようになったのが一九六〇年度でした。【『真の父母様生涯路程 10』参考記事】一人娘(独生女)について――真のお父様のみ言から Re[3]:とうごま氏によるお父様の「元祖・独生女論」批判理論お父様の「元祖・独生女論」--真の父母様の生涯路程(10)からお父様の「元祖・独生女論」(その2)--真の父母様の生涯路程(10)からダンベリー収監後のお母様のみ言(その3)レアとラケル--「崔元福先生」と「真のお母様」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.08
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とうごま氏、しっかりしてください。「徳野英治会長は金榮輝氏「回答書」を信徒に公開すべきです。連載「中村告発証言の衝撃」3」と徳野会長に「回答書」を公開せよと迫っておきながら、「金榮輝氏からも最高委員会からも日本への回答書は無かった!連載「中村告発証言の衝撃!」4」は何ですか?元々ない「回答書」と分かっていながら「公開せよ」とは、矛盾していませんか?やはり、ただ騒ぎを大きくしたいだけでしょ!!さて、前回はビデオのタイトルが中村仁史氏が編纂に携わった『「天運と聖霊の宿る八大教材・教本」~「統一原理」から見た独生女の問題点』ということで、その書籍の序には『「天福函(チョンボッカム)相続の意味」と題して文亨進世界会長(当時)のメッセージ、「天福函」は、モーセが不信した場合に「契約の箱」のようにそれを信奉する中心人物がそれを継いでいくようなものだという亨進氏の説明で、「真の父母様は、世界会長である私を真の父母様の代身者、相続者として宣布され」たことが書かれていました。中村氏がこのビデオタイトルを選んだ理由は、ここにあったということです。中村氏自身は文総裁聖和後も直ぐに亨進氏が相続者となるものと思っていた一人のようですが、そうならないことに対してお母様への不信を既に抱いていたようです。お母様の2014年7月1日メッセージは単なるきっかけでしかありませんでした。これは、1960年のご聖婚式に臨む際に真のお母様自身が決定・決心したものであったことは、以前にも私からは記述していた通りです。ところで、創世記のアダム・エバに与えられた三大祝福がありましたが、その一方では「取って食べるな」の戒め(み言)もありました。人間には成長期間というものがあり、その期間にはまた、「人間の責任分担を完遂」することでその祝福が成就していくようになっていました。三男の顕進氏(H3)にしても、また、七男の亨進氏(H4)にしても同様であったはずです。Re:ヨンギ氏の「(コピー)文顕進様世界副会長就任式映像」で省略されたものは?「天国時代に移ることができる境界線だということが驚くべきことです。」に続く一文も「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」であった。以下引用。結論的な話は、「死んでも『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」、「生きても『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」、「永遠に『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」。そのようなことです。死んで霊界に行っても永遠に同じです。分かりましたか?(拍手)死んでも、生きても「絶対服従」。永遠に…上記は顕進氏の副会長就任式でのみ言で、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」の言葉が何度も繰り返されていました。また、過去記事から亨進氏の会長就任式でのみ言も拾ってみました。「代身者・相続者」は果たして?--H4は何を「相続」したのか!!シムソン氏へ:批判ではなく『間違い』を指摘!!(その3)シムソン(恣意存)氏の行きつくところは?--tomy4509の憶測から (その2)文鮮明総裁の元祖「独生女論」、原器「真の父母」を学ぼう(その3)2008年4月、H4世界会長就任式をもう一度思い起こしていただきたい。宗教一般を見れば、尊貴な存在に対して(堕落)人間は直接に連結されることが出来ない。故に、万物を仲保としながらその関係を持ってきた。そういった中、キリスト教ではイエス様が仲保者(橋渡し役)としてきた。統一教会の草創期の祈祷も「主(イエス・キリスト)の御名によってお祈り申し上げました。アーメン」であったが、いつしか「真の御父母様の御名によって」、そして、「祝福中心家庭○○によって」と変遷してきたのだが。この就任式では八大教材教本を介してのものであった。以下はその祝祷からだが、ふたりの息子、娘が真の父母の代身として相続する権限を教えてあげることが、簡単ではないことを知っている真の父母です。……としながらも、教本を介して懇切なる願いを託した瞬間であったはずだ。そして、「天福函」はその教本を入れる函であり、上記『八大教材・教本』(2012年1月23日発行)の冒頭でH4は『序にかえて/「天福函」相続の意味』で、歴史的に見ると、旧約時代のモーセを中心とする摂理において、摂理的中心人物たちが責任を果たせずに不信に陥ると、神様の摂理の不変性と永遠性を象徴し、そして、象徴的に神様に侍り得る契約の箱を、モーセに下さるようになりました。それは、民族的指導者ヨシュアに相続され、そして、そのみ言葉は、十二支派の中のレビ支派、つまり祭司長の一族を通して相続され、旧約聖書として残るようになりました。新約時代に至ると、…と、天福函は契約の箱とも相通じるものがあると書いていたが、もしも摂理的中心人物が不信した場合はそれを信じる群れが相続していくようになる。この八大教材教本には「独生子」×「独生女」=「真の父母様」についてを教えるものであったことは言うまでもない。H4の場合はどうであっただろうか? 上手くそれを相続したといえるかだ。残念ながら……。似て非なるみ言葉を語っているのがH4である。お父様が語られていた元祖「独生女」を否定しては、その相続者とは言えない。また、お父様も否定していた「六マリヤ」を持ち出しては、父母様を「淫乱の教祖だ」と罵倒しては「失敗者の烙印」まで押されていた。サンクの方々はそれを耳にしているだろう!!サンク教会などとは名ばかりの「張りぼてのトラ」でしかない。防衛だ、自衛だと銃で身構えては中身の空洞を見られまいとしているのが本当の理由だ。実体「天地人真の父母様」までも改ざんしたサンクのH4夫妻(オワリ)亨進氏の会長就任式でのみ言からも「天の父母様」についてお父様が語られれていたことは驚くべきことです。ところが、亨進氏はそれを否定してしまいました。また、その場が会長就任式だけでなく、八大教材教本を中央に置いての相続式であったということを忘れておられないでしょうか?「天運と聖霊の宿る八大教材・教本」の「『序にかえて/「天福函」相続の意味』」の亨進氏のメッセージからは: 神様は風のように臨在され、役事されました。火のように臨まれ、悔い改める者の罪悪をみ言で燃やして、新たなる者とされました。神様が全権をもって臨まれ、罪を燃やし、浄化させたのです。み言が入ってくることによって、サタンの暗闇に神様の明るい聖霊の火花が臨まれるのです。 今日の「天福函」の意味は、このように精誠を捧げて神様と一体となった人が訓読会をするとき、そのみ言が入ってきて、成肉身化(せいにくしんか:神様が肉身に宿ること)するようになり、変化を起こすようになるということです。神様の聖体として聖殿になるのです。この場で、驚くべき神様の役事を体験するようになり、堕落の暗闇から抜け出し、太初にこの世を創造されるとき、光とみ言で創造された、神様の本然の理想に帰るべき人間の位置を悟るようになります。そのようにして、復活した心情で生きるようになるのです。と、「天運と聖霊の宿る八大教材教本」を正統に継承するのがサンク(世界平和統一聖殿)だとの結論を言いたいのでしょうが、原理講論の「天の父母様」を認められながらも、それを否定する教義を語る亨進氏に対して、中村氏は「み言との整合性」についても説教されていかれるべきでしょう。「天の父母様」否定、お父様の「「元祖・独生女論」否定で「真の父母様」も不在の(矛盾だらけの)サンクには未来がありません。存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性をもつようになれば、破壊されざるを得ない。したがって、このような矛盾性をもつようになった人間は、正に破滅状態に陥っているということができる。ところで、このような人間の矛盾性は、人間が地上に初めて生を享けたときからあったものとは、到底考えられない。なぜかといえば、いかなる存在でも、矛盾性を内包したままでは、生成することさえも不可能だからである。もし人間が、地上に生を享ける以前から、既にこのような矛盾性を内包せざるを得ないような、運命的な存在であったとすれば、生まれるというそのこと自体不可能であったといえよう。したがって、人間がもっているこのような矛盾性は、後天的に生じたものだと見なければなるまい。人間のこのような破滅状態のことを、キリスト教では、堕落と呼ぶのである。『原理講論』・総序 から現在、真の父母様のみ言「契約の箱」(天福函)だけでなく「実体」を継承しているのは、これまで反対していた世界聖職者たちです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.07
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私の前回記事最後は以下でした。ビデオの最後は以下のように、サンクこそが「統一教会の伝統を守っている」と締めくくっていましたが、ビデオタイトルは『「天運と聖霊の宿る八大教材・教本」~「統一原理」から見た…』ですが、元「光言社」職員さんがみ言葉編纂に携われた書籍群の中の一冊のタイトルです。書籍の序には『「天福函(チョンボッカム)相続の意味」と題して文亨進世界会長(当時)のメッセージがあり、サンクメンバー受けを狙ったものでした。「天福函」は、モーセが不信した場合に「契約の箱」のようにそれを信奉する中心人物がそれを継いでいくようなものだという亨進氏の説明で、「真の父母様は、世界会長である私を真の父母様の代身者、相続者として宣布され」たというものでした。ところが、そのサンク(亨進氏)こそがお父様のみ言葉との整合性に欠けると、私からは声を大にして叫んでいました。サンクからは八大教材の「真の父母様」は何処からも感じることはできませんし、「独生女」「天の父母様」否定もまた教本とは矛盾したものでした。血統が同じであれば「似る」ものですが、「似て非なる」ものにもなり得ません。とうごま氏の第3弾「徳野英治会長は金榮輝氏「回答書」を信徒に公開すべきです。連載「中村告発証言の衝撃」3」は徳野会長まで引っ張り出しては問題を大きくしようとしているようですが、すでに回答は出ています。家庭連合の教理研究院からは「再臨主は(イエス様)行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス」がありましたが、み言等の整合性についての回答でした。十字架で行かれたイエス様の肉身を取り戻さなければならない再臨主としての使命があったということです。 「再臨主は行かれたように来られるのが復帰の原則です。あるものを無くしたら、無くしたところに行って取り戻すようになります。故障を起こしたら、その反対の方向で、故障を起こした順序を経てこそ、故障を起こさなかった場に戻るのです。これが因果法則に外れない鉄則ですから、再臨主も行かれたように来られるということを、知らねばなりません。失ったとおりに取り戻すようになることを、知らねばなりません」 (マルスム選集5-323)問題は、み言の翻訳と編纂に携われた元「光言社」職員さんにありです。何度も繰り返しますが、元「光言社」職員さんは翻訳者以上でも以下でもありません。韓国語のみ言は多く目にされたかもしれませんが、み言を深く(祈りを持って)研究された方ではありません。ビデオからもお父様のみ言のいくつかを引用していましたが、曲解した悪意あるものであったことの一例も私から紹介していましたし、彼が原理講論記載の「天の父母様」を容認されながらも、何故? それを否定しているサンク(サタン)に逝かれたことが不思議でなりません。このことは、皆様におかれましては既にご承知のことと察します。さて、今回はビデオ視聴直後に、私が真っ先に探した彼のみ言葉引用の中からですが、「お母様無原罪誕生」を立証するようなみ言葉が発見されました。彼がみ言の第一人者であるかのように振る舞われるとすれば、引用文全体の「山」も見ていくべきだったでしょう。「2014年7月1日(陽暦)の韓鶴子総裁のメッセージ」と真のお父様のみ言との整合性ということで、「『文鮮明先生み言葉選集』140-149 1986.2.9」からを引用しては青字「イエス様の相対となる新婦は、血統転換の過程を経ていません。」を強調していました。ところが、これはごく一部の引用であってイエス様当時についてのものでありました。このみ言は、「文鮮明先生御言選集 19860209 - 祝福を受けた者達」というタイトルが付けられていました。そして、彼とは別の個所も引用したのが以下です。 祝福を受けた者達一九八六年二月九日 二月六日の早朝、ソウル本部教会・聖日礼拝にて、祝福を受けた者の位置を明示、その責任と使命について、原則的観点を示されました。……その一つが血統転換です。マリヤの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統を転換させたのです。そうではありませんか。(「はい。」)イエス様は血統を転換した位置に立っていますが、イエス様の相対になることのできる新婦は血統転換の過程を通過していなかったのです。何の話か分かりますか? だから複雑なのです。平面的にみれば、お母さんが娘になり、娘がお母さんになるという。“入れ替え”がなされなくてはならないのです。女性の世界において反対の天地開闢が繰り広げられるのです。お母さんが娘になり、娘がお母さんにならなくてはならないのです。それは一人ではできません。神様とアダムが完全に一つになってから、これを協助せずしてはできないのです。そこに誰が協助するのかというと、マリヤが協助しなくてはならなかったのです。お母さんが娘になり、娘がお母さんにならなければなりませんでした。万古の伝統として知られることのできるお母さんとならなければならないのに、そのようになれなかったというのです。…略…ザカリヤの家庭とヨセフの家庭 マリヤが責任を果たせず、ヨセフが責任を果たせなかったので、ザカリヤの家庭が責任を果たせなかったのです。洗礼ヨハネの家庭とヨセフの家庭が仲良く組んだなら、簡単に事は済んだのです。ヨセフはイエス様をお父さんとして迎え、ザカリヤは洗礼ヨハネをお父さんとして迎えれば良いのであり、ザカリヤの家庭に生まれた娘をお母さんとして迎えれば良かったのです。そうしなければならなかったというのです。それができていたなら、イエス様は間違いなく結婚したというのです。二代が協助しなければなりませんでした。この二代がカイン・アベルの関係にありました。この二代が転換しなくては、お母様を迎える道がなかったのです。そうではありませんか。善悪に分かれてしまって、位置が逆になったのですから、これを交替しなければなりません。上に立つべき者が下に立っているからです。善は下に立っていましたが、時が来たので上に行かなくてはならないし、上に立っていた悪は下がって行かなくてはならないのです。 この交差点で上下を転換させる歴史的責任がメシヤにあるために、メシヤは上下が交叉する時に来られるのです。それ故に、ヨセフの家庭とザカリヤの家庭が交叉しなくてはならなかったのです。また、ザカリヤの家庭とヨセフの家庭は、カインとアベルの関係にある親族として、この親族の立場が入れ替わらなくてはならなかったことは言うまでもありません。伝統的イスラエル歴史を見るとき、ザカリヤの家庭が上ですか、ヨセフの家庭が上ですか。ザカリヤは大祭司長ですが、ヨセフは大工であり、平民でした。平民が大祭司長を屈伏させなければならなかったのです。ザカリヤはヨセフの前に屈伏しなければならなかったのです。入れ替わって、祭司長であるザカリヤはイエス様の王宮を祭司長として迎えなければならなかったのです。そうすることのできる自分の甥です。洗礼ヨハネとイエス様はお母さん姉妹から生まれた従兄弟です。このみ言から、イエス様の相対になることのできる新婦は血統転換の過程を通過するためにはどのようなことが起きなければならないと語られていましたか?真のお母様の路程からしても、「平面的にみれば、お母さんが娘になり、娘がお母さんになるという。“入れ替え”がなされなくてはならないのです。女性の世界において反対の天地開闢が繰り広げられるのです。」真のお母様と大母様との関係において、そのように育てられてきたということです。ご聖婚後の7年路程でもそのように侍っていかれた大母様であったという証も耳にするところです。「独生女、お母様、億万歳!!」ご聖婚60周年記念おめでとうございます!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.07
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とうごま氏記事第2弾「連載『中村告発証言の衝撃!』2・可知雅之氏太田朝久氏が金榮輝氏にお伺い書を出していた!」、やはり、期待外れの内容でした。●事実検証その2可知雅之氏と太田朝久氏は金榮輝氏に『お伺い書』を提出していた! (略)更に重大な事は、「中村告発証言」の中で、明らかに「家庭連合」の教義上の支柱である韓氏オモニの「独生女論」に対し、当時の「教義責任者」が180度否定的な見解を示していたことである。日本家庭連合の教義上の責任者である両氏は、韓氏オモニの「独生女論」に対し、1)従来の再臨主文鮮明師の御言との整合性、2)聖書の聖句との整合性、3)統一教会の歴史的事実との整合性上記3つの視点から、疑義を提出した内容となっていたと証言したのである。●可知雅之氏と太田朝久氏は『お伺い書』を信徒に公開せよ!「お伺い書」が事実かまでは私の枠外ですが、「当時の「教義責任者」が180度否定的な見解」は元「光言社」職員さんの個人的意見と思います。でなければ「お伺い書」はないでしょう。また、彼は以下も語っていました。み言伝達の秩序が「神様 ⇒ アダム ⇒ エバ ⇒ 天使長」です。逆には、エバは天使長から聞いた話をアダムに確認すれば堕落はなかった、と言われています。日本家庭連合はお母様に近い元老・金栄輝先生に聞かれたことは原理的に見てに適ったものです。では、元「光言社」職員さんはどなたに聞いたのでしょうか?サンク(サタン)にそれを聞いたというのです。私の言っていることが分かりますかしたがって、彼に家庭連合を批判する資格などありません。ところで、この動画の責任を持たれているのはどなたでしょうか?サンクが家庭連合批判キャンペーンの一環として組織的なものであるとすれば、サンクに大きな疑問を抱く私からの質問に応えていただける方はどなたでしょうか?元「光言社」職員さんですか? 連載を掲載されるとうごま氏ですか? それとも?動画、そして、とうごま氏記事からも1)従来の再臨主文鮮明師の御言との整合性、2)聖書の聖句との整合性、3)統一教会の歴史的事実との整合性み言や聖書、歴史等の整合性について家庭連合「教義責任者」への追及をしていましたが、「そのサンク自身こそがその整合性とやらがあるのでしょうか?」が私からの質問です。八大教材教本には数知れずの「真の父母」を目にしますが、サンクのいうところの「真の父母」とは何でしょうか。黒・天聖経一つを取ってみても「独生女」の記述をいくつか発見することが出来ますが、サンクはこのお父様が語られた「元祖・独生女」についてどのように教えておられるのでしょうか?黒・天聖経ほか、お父様のみ言の随所にも「天の父母様」呼称は見受けられましたし、元「光言社」職員さんは原理講論から「天の父母様」を認めていましたが、変更された家庭盟誓の「天の父母様」を否定されるサンクはどうなのでしょうか?「真の父母」「独生女」「天の父母様」といったキーワードだけ取ってみても、サンクはお父様のみ言との整合性が見当たりません。家庭連合に「整合性」の説教をされる前に、先ずはサンク自身のみ言との整合性について吟味されていかれるべきではないでしょうか。ビデオの最後は以下のように、サンクこそが「統一教会の伝統を守っている」と締めくくっていましたが、一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.05
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これまでの過去記事は以下です。再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス今朝の訓読からです独生女考(34)文鮮明総裁、「主なる神の夫人」を訪ねる(『真の父母経』から)元「光言社」職員さんの証言--「文字の奴隷」でしかない 「お父様のみ言を翻訳してきた」というのであれば、特には、韓国語の原文を目にされているのだから心情的にもお父様や天の父母様に近くなっていいはずなのですが……「鹿を追う者は山を見ず」という言葉がありますが、元「光言社」職員さんもそれでしょう。翻訳に明け暮れてはその語られた深奥な心情や摂理的背景にはまったくの無頓着であったことは、16万訪韓修練会のみ言引用からみても、皆様も十分にご理解いただけたものと信じます。今回は少しみ言そのものから少し離れて元「光言社」職員さんを突いてみようと思います。2014年10月27日の韓鶴子総裁のメッセージについては、「聖婚式」(小羊の婚宴)を指しては決定・決心されたものと考えられますので、それがお父様や「統一原理」と不一致であるとは言えません。上フォトからはみ言(戒め)伝達の原理的秩序が説明されています。現在ではインターネットの普及もあって1秒圏で伝わって来る時代ですが、過去には真の父母様のみ言や指示事項は中心者を介してエバ(祝福夫人)が集められ、そして、夫人から天使長(夫)という時代があったことは懐かしい思い出です。同様にして、元「光言社」職員さんはどこの位置かといえば「天使長」です。ところが、次を見てください。韓鶴子総裁は誰のみ言に従っている、というのでしょうか? アダム? or 天使長?お父様のみ言を見れば「天の父母様」呼称もあれば、唯一無二の「真の父母様」も語っておられました。もちろん、「元祖・独生女」がお父様でした。その一方で、「サンク」はどうでしょうか。文字を並べ替えれば「サクン(左君)」、それに一角を加えれば「サタン」の「サンク」はというと、「天の父母様」呼称を否定、唯一無二の「真の父母様」も姜女史と偽装結婚式を挙げては「偽りの父母」の血統を立てられては、もちろん、お母様「独生女」も不信してはこの世を惑わす「ヘビ」となっています。天使長である元「光言社」職員さんもまた、サンクに与(クミ)しては同じ「偽りの言葉」でエバを誘惑(批判)しています。それにも屈していないお母様が「堕落した」などとは口が裂けても言うことはできません。したがって、「真の母が真の父に絶対信仰・絶対愛・絶対服従し、人間始祖エバの霊的堕落の罪を蕩減復帰」されておられるということになります。さて、お約束の「藪」を少しつついてみたいと思います。私の過去記事でも元「光言社」職員さん(中村仁史氏)が出ていたものがあります。「「天の父母様」-- UPMC管理人さんか? H4か?」(2019.04.30)がそれです。以下引用サンクのH4は神様の「天の父母様」呼称を否定していたが、自称ルポライタイーtomy4509からは原理原本→(原理解説)→原理講論→原理本体論と、原理原本のそのときから「天の父母様」の記述があったことをルポした。また、サンクブロガーが紹介していた『統一原理マスタークラブ』(UPMC)、サンクの中村仁史さんが管理人ということだが。https://unification-principle.com/god3syukuhuku1/#i-6あれ~~??中村さんはH4の教えと違うことを語っているようだ。中村さんが本当のことを語っているのか?H4か?(引用終わり)このように、中村仁史氏は原理講論に書かれた「天の父母様」を認めていました。その一方では『改変「家庭盟誓」』、つまりはお母様が基元節を前に変えられた「家庭盟誓」の「天の父母様」呼称を否定されていたということです。この矛盾に皆様はどう思われますか?このように「文字の奴隷」となってはみ言を改ざんし、二枚舌で矛盾する言葉を語る元「光言社」職員さんを、果たして、信じることが出来るでしょうかビデオの「最後に」は以下のように締めくくっていますが、「サンク」、文字を並べ替えれば「サクン(左君)」、それに一角を加えれば「サタン」の結論です。とうごま氏の「連載『元「光言社」翻訳責任者・中村仁史氏の韓氏オモニ告発証言の衝撃!』その1」の第二弾に興味がいく(行かない)ところですが……●おわりに結論として、中村仁史氏の告発証言は、家庭連合の教理担当者の誰よりも、数段深く御言に精通していた事実の裏付けの基に指摘されたことは明らかである。そして、今回の証言は、勇気を持って自らの信仰的良心と、御言の真実に基づき指摘されたと結論づけることができる。もし家庭連合側で、その事に疑義があれば、反証の御言をもって、正々堂々と反論する事を期待したい。そして最後に、今回の中村証言の結論は「韓氏オモニの再臨主文鮮明師に対する背信(反逆)がまぎれもない事実」であることを指摘して終わりとしたい。 以上事実とは異なるようなので、家庭連合の教理研究院からの反論を待つまでもないようです。<まだ続きます>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.04
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とうごま氏の「「真の父母経」翻訳責任者が韓鶴子女史の「御言改竄」告発動画公開!!」で紹介していました以下の動画紹介に続き、「連載『元「光言社」翻訳責任者・中村仁史氏の韓氏オモニ告発証言の衝撃!』その1」と、その連載が始まるようですが???今回もとうごま氏自身が、というよりはどなたかのものを転載しての「指示待ち族」文章であると推測されます。私からは、既に元「光言社」職員さんは「翻訳者」のそれ以上でも以下でもないことを申し上げていましたが、とうごま氏にそれを質問しても回答する能力はないのではないでしょうか?再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス独生女考(34)文鮮明総裁、「主なる神の夫人」を訪ねる(『真の父母経』から)家庭連合の教理研究院からは「再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエス」と、原理講論等からハッキリとした態度を示しています。(2)使命を中心として見れば、再臨主は初臨のイエスと同一人物①初臨のイエスには原罪がないので、サタンが侵入できる条件がない②使命的に見れば、再臨主は、無原罪で誕生されたイエスと同一人物(3)使命的に見れば、再臨主の肉身は、初臨のイエスの肉身の身代わりともなる①肉身にサタンの侵入を受けて殺害されたイエス②使命的に見れば、再臨主の肉身は、(サタンの侵入を受けた)イエスの肉身の身代わり(4)再臨主は、行かれたように来られるのが復帰の原則①再臨主は行かれたように来られる②十字架で行かれた主なので、十字架を通して来られる元「光言社」職員さんの出る幕ではないでしょう。1)真のお父様のみ言との整合性2)聖書との整合性3)真のお父様の生涯路程との整合性これらに合致していますから。加えて、私からは「再臨主の肉身は、(サタンの侵入を受けた)イエスの肉身の身代わり」八段階を通過されながら「エバ復帰」の条件まで立てられたという「主なる神の夫人」(真の父母経P.225~)を紹介していました。これも彼が翻訳されたということでしょう。翻訳は出来たとしてもそれが何なのかまでは理解出来ていたでしょうか?天一国三大経典を翻訳されたというのであれば、真の父母経P.225~に出てくる「主なる神の夫人」に侍っては僕の僕から「エバ復帰」されていかれたお父様のみ言も目にされたでしょう。1番目夫人を残してお父様が北韓へ行かれてのものですが、こういった摂理的背景も分からずの「文字の奴隷」、元「光言社」職員さん!! どうなのですか。これに類するお父様のみ言は『創立以前の内的教会史』(「み旨と世界」P.577~)でも書かれていました。元職員さんは「み旨と世界」は翻訳されなかったから分からないでしょう。だから、とんちんかんな話、以下をされていました。彼は赤文字を強調するあまり、次にくる「何の話か分かりますか? そうであったので私が決定したのです。私が決心したのです。」がまるで見えていません。韓鶴子総裁は何を決定・決心したか? です。もちろん、次に出てくる言葉は「文総裁との聖婚」(子羊の婚宴)であろうことは言うまでもないことですが。元職員さんは「文字の奴隷」でしかありません。摂理的背景も分からなければ、その深奥な言葉も理解しようともしません。次は、私tomy4509の思うところを書いていますので、順不同となっていますが以下です。そして、16万人訪韓セミナーのみ言でもってここでも「お母様は真の愛と真の血統を持っていません」を青字で強調されていました。サンク側がwebで紹介している「16万人訪韓セミナー」はどのように書かれていたでしょうか。太字部分は彼の引用文ですが、「(堕落人間は)」は彼の改ざんによるものであることを頭に置かれて以下をお読み下さい。図-1のA→F→G(地上天国)となっていますから、「(堕落人間が重生されて)」といったほうが正しいと思います。逆に過って生まれたのだから、蕩減は反対の方向へ行くのです。生まれるのも反対の方向にこういうふうに生んできたので、(図―1(A)参照)これは、サタン圏を全部勝利した後で、サタンがいないのです。だから「逆に帰れーっ!」と。そういうふうに再び生んだものが(図―1(F)参照)、地上天国です(図―1(G)参照)。分かりましたか? (はい)。そういうふうにして、(堕落人間は)真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。分かりましたか? 分かりましたか? (はい! )。全世界(図―1(A)参照)がここに入ってきて、それからどうなるかというと、真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶことを、実感したあとに生まれたと同じようになるのです。そのような期間を通過しながら、お母様の腹の中に入った子供たちが、真の父の子供の種が真っ赤だったとするならば、愛の関係を繰り返すことによって、色が染められていって、ピンクからだんだん深まっていくのです。ピンクからでもそうなったとすれば、真の父母の愛と真の子供の種と接ぎ木したという、つないだということになるのです。分かりますか? こっちは本物で、こっちは偽物で、(先生がしぐさされる)兄さんと弟と同じです。分かりましたか? そういうふうに一つとなった状況をもって、それはずーっとこれを回って、母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです。元「光言社」職員さんは、次に続くみ言(黄マーカー)を語らずでは片手落ちというものです。原理講論・堕落論からも(四) 善 悪 の 果 我々は既に、善悪を知る木が、完成したエバを比喩したものであるという事実を明らかにした。では、善悪の果とは何をいうのであろうか。すなわち、それはエバの愛を意味するのである。果木が、果実によって繁殖するように、エバは、神を中心とするその愛をもって善の子女を繁殖しなければならなかったにもかかわらず、実際には、サタンを中心とする不倫な愛をもって悪の子女を生み殖やしたのである。エバはこのように、その愛をもって善の実を実らせることも、また悪の実を実らせることもできる成長期間を通過して、完成するように創造されていたのであった。それゆえに、その愛を善悪の果といい、また、その人間を善悪を知る木といったのである。 それでは、善悪の果を取って食べたということは、いったい何を意味するのであろうか。我々が何かを食べるということは、それをもって自分の血肉とするという意味である。エバは神を中心とする善なる愛をもって、善なる実を取って食べ、善なる血と肉を受け、善なる血統を繁殖しなければならなかったのである。それにもかかわらず、彼女はサタンを中心とする悪なる愛をもって悪なる実を食べ、悪なる血と肉を受けて悪なる血統を繁殖し、罪悪の社会をつくったのである。したがって、エバが善悪の果を取って食べたということは、彼女がサタン(天使)を中心とした愛によって、互いに血縁関係を結んだということを意味するのである。「善悪知るの木」が何であり、また、「善悪の実」を整理することで16万人訪韓修練会でのみ言との整合性、お母様のみ言を正しく理解できるものとなります。<続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.03
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今朝の訓読、「真の父母経」からです。前記事の「真の父母様宣布文サイト」と関連してのものです。出典はNo,44からです。これからもまた、元「光言社」職員さんは、お母様をないがしろにしようとして語っていた動画であったことも証明されました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.31
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真の父母様宣布文サイトからの新着(2020.01.30)です。2020.1.30 再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエスを掲載しました。 キリスト教の教えに「贖い(あがない)」の思想があります。イエスは罪なき方(無原罪)として生まれましたが、人類の罪を身代わりに背負って〝罪人の立場〟で十字架に架かって亡くなられたというのです。そのイエス・キリストの〝代贖〟によって人類は救われるというのです。 今回は、ルターやカルヴァンの神学的主張を織り交ぜながら、キリスト教の「贖い」の思想を取り上げ、み言に基づいてイエスの十字架と再臨の問題について考察します。文責:教理研究院<詳細はこちらから>「お父様(再臨主)に原罪あり? 無し?」の疑問を抱かれている方は必見です。自称ルポライタイーtomy4509もこれまでに原理講論ほかを検証しては、洗礼ヨハネの例を挙げていましたが、「使命的に見れば、再臨主の肉身は、(サタンの侵入を受けた)イエスの肉身の身代わり」「再臨主は、行かれたように来られるのが復帰の原則」という話もされていました。ところで、サンクのとうごま氏、26日ぶりのブログ記事更新です。『文亨進様が真の後継者である事を立証する60の論題』(小冊子版・P110)の連載が終われば、次の指示があるまではといった典型的な「指示待ち族」のようです。自称ルポライタイーtomy4509からは様々な矛盾点を提示して来ましたが、それを検証(反論)しようともしません。『60の論題』は「初めに結論ありき」で、H4が真の後継者であることが大前提としていましたが、その論拠とするところがデタラメであったということです。とうごま氏の欺瞞記事「独生女論は統一家すべての敵 」か?とうごま氏の贋作「霊界メッセージ」シリーズに要注意を!!原理本体論からも「天の父母様」--とうごま氏ほかの異端性を暴く!Re:とうごま氏記事「国歌改竄と心情蹂躙-あなたが歌う「天一国国歌」を今一度考えよう-Re[1]:とうごま氏によるお父様の「元祖・独生女論」批判理論Re[2]:とうごま氏によるお父様の「元祖・独生女論」批判理論Re[3]:とうごま氏によるお父様の「元祖・独生女論」批判理論シムソン(恣意存)氏とサンクの『文亨進様が真の後継者である事を立証する60の論題』の矛盾点についてサンクの実体『天地人真の父母』改ざんこそが大問題だ!!論題「H4が真の後継者」はゴミ箱行きとうごま氏の連載「H4が真の後継者」は矛盾点満載、紙クズの価値でしか!!「60の論題」第35番--出てこい池の鯉(K)お母様「独生女」はキリスト教・ユダヤ人・イスラム教ほかの「ラブコール」シムソン氏の「夜の神様オンリー」では心情エネルギーは発動しない60の論題:『サンクの「天一国合衆国憲法」こそが「教会規範」に過ぎない』間違った「60の論題」を挙げたところで「H4が後継者」となることは出来ない!!初めに結論ありきの「60の論題」に『正論』はない詭弁「60の論題」--サンクは人類滅亡の「核」まで準備?原理講論と矛盾(破綻)したシムソン氏の「夜昼の神様論」の行方は?瓦礫の山「60の論題」に埋もれるサンク信徒の救助隊墓穴を掘った「60の論題」--「天の父母様」呼称を認める崩壊している『60の論題』(瓦礫の山)サンクメンバーへの救助隊出動!今回の更新記事も元「光言社」職員さんの『「真の父母経」翻訳責任者が韓鶴子女史の「御言改竄」告発動画公開!!』ですが、これもまた「初めに結論ありき」から抜け出していません。●この動画で知ることができる事1)日本の教理責任者が、韓鶴子女史の独生女論(韓鶴子女史無原罪誕生)に狼狽し、「金栄輝先生」にお伺い書を提出した事実2)「真の父母経」の御言の出典日時と語られた人物(真のお父様か、韓鶴子女史かの区別)の削除を命じたのは韓鶴子女史本人だった事実。3)その後、「日本家庭連合」が組織体制維持を優先、真のお父様の御言をねじ曲げ、韓鶴子女史に無条件服従。再臨主を背信した決定的事実。ビデオからは、1番目は「金栄輝先生にお伺い書を提出した事実」があったとしても、その後はどうされたという結果が語られていません。PeaceTV映像に「天聖経増補版 正しい理解と摂理的価値」(金榮輝会長のみ言 (2013年7月1日、真の父母頃編纂委員会議))があります。ほか、PeaceTV映像からは金栄輝先生のみ言を見ることもできます。「一体となられた父母様」についてです。ビデオからの2番名は「真の父母経」の実物を手にされていない方の言動としか受け止めることができません。あるいは、悪意ある虚偽でもってお母様を貶めよとする何物でもないでしょう。「真の父母経」、「天聖経」にしても本文から省いてみ言に集中できるように配慮されているように思います。別冊にて「み言原文出典一覧」が添付されていました。1番目の金栄輝先生からの回答も曖昧に、2番目は明らかな間違い情報ということからの3番目が結論ということらしいが、「「日本家庭連合」が組織体制維持を優先、真のお父様の御言をねじ曲げ、韓鶴子女史に無条件服従。再臨主を背信した」などとは言えません。これまで多くお父様のみ言翻訳に携わってこられた元「光言社」職員さんであれば、私たち以上にお父様の「天の父母様」「独生女(独り娘)」のみ言も見てこられたと思うのですが、み言「真の父母」もあったと思います。ところが、実体「真の父母」「天地人真の父母」は見てこられなかったのではないでしょうか?いわば「文字の奴隷」です。文字よりも実体が大切、はお父様のみ言です。違いますか。サンクに逝かれては動画までUP、なんの意味がありますか。三大経典を翻訳されたにとどめておけば済むことであって、それ以上に何を語る資格がありますか?これは金栄輝先生が語っておられたことです。金栄輝先生と元食口さん、どちらを信じたらいいのでしょうか!!いうまでもなくお父様のみ言です。また、「天運と聖霊の宿る『八大教材教本』」にも「独生女」「天の父母様」の記載があることは私からは検証済みです。それらを否定されるサンクには(もちろん、UCIにも)天運も聖霊も訪れてきません。黒・天聖経に書かれた「独生女」原理講論、黒・天聖経に記載された「天の父母(様)」を見よ!!原理講論、黒・天聖経に記載された「天の父母(様)」を見よ!!(その2)原理講論、黒・天聖経に記載された「天の父母(様)」を見よ!!(その3)お父様のみ言をたくさん目にしながらこういったことも未だに分からずに、元「光言社」職員さんは何を学ばれているのですか。「独生女」批判、「天の父母様」呼称の否定は実質的に「八大教材教本」を改ざんされているのは、サンクの方々です。極めつけは以下です。サンクは「天基11年」です。家庭連合は家庭盟誓第八番にも見ることが出来ますが、「天一国時代を迎え」ています。「天基」と「天一国時代」どちらが価値が高いですか。お父様がそうされようとしたものですといえば、「天一国」でしょう。となれば、神様の呼称も新しく「天の父母様」でOKということになります。「天基」は古いブドウ酒です。余談ですが、1番目の夫人とお母様についてですが、あたかもそれが真理であるかのようにサンクは信じるのでしょう。元「光言社」職員さんがどれだけのものですか。天一国三大経典を翻訳されたというのであれば、真の父母経P.225~に出てくる「主なる神の夫人」に侍っては僕の僕から「エバ復帰」されていかれたお父様のみ言も目にされたでしょう。1番目夫人を残してお父様が北韓へ行かれてのものですが、こういった摂理的背景も分からずの「文字の奴隷」、元「光言社」職員さん!! どうなのですか。結論:ビデオ全体がデタラメです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.31
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韓国・ブログ記事(2020.01.20)より。現代宗教1月号--文顕進の躍進と文亨進逸脱統一教会(代表韓鶴子、世界平和統一家庭連合)の創設者文鮮明の三男グローバルピースフェスティバル議長ムンヒョンジン氏が、様々な統一運動を広げて活発に活動している。グローバルピース財団は、世界各国の資源・経済・宗教・人種・環境など問題点の解決策を見つける世界平和の実現を達成するために設立された団体だ。ムンさんは、団体の議長として活動し、韓半島の統一関連事業に集中している。特に統一に関するセミナーやフォーラムそして文化行事を進行し、議長としてのイメージを固めた。http://www.hdjongkyo.co.kr/news/view.html?section=22&category=1002&no=16997統一教会(代表韓鶴子、世界平和統一家庭連合)の創設者文鮮明の三男グローバルピースフェスティバル議長ムンヒョンジン氏が、様々な統一運動を広げて活発に活動している。グローバルピース財団は、世界各国の資源・経済・宗教・人種・環境など問題点の解決策を見つける世界平和の実現を達成するために設立された団体だ。ムンさんは、団体の議長として活動し、韓半島の統一関連事業に集中している。特に統一に関するセミナーやフォーラムそして文化行事を進行し、議長としてのイメージを固めた。ムンさんは対外活動で公信力を得ながら、統一教会内立地も厚くなった。一部ではムンヒョンジン氏が自らを「「統一教ではなく、韓国の統一教会とも無関係である。宗教の枠を超えて、平和活動家」と規定しただけに、ムン・ヒョンジンの成長が統一教会に影響がない」と主張している。しかし、グローバルピース財団は文鮮明が叫ばきた、「神の下の人類一家族」をビジョンとしている。それだけでなくムン・ヒョンジンの義父であり、統一教会イインジャと呼ばれたクァク・ジョンファン氏は、あるマスコミとのインタビューでは、文鮮明の神髄を続けることが、最終的に統一運動と明らかにした。つまりムン・ヒョンジンと統一教は切っても切れない関係だ。このような状況に7男文亨進氏の立地は減っている。文鮮明の真意を続けていくための趣旨とはいえ、神道に各種公式行事の時銃剣を把持させるなど、非常識な歩みを続けていくからである。今までは文亨進統一教会の公式後継者として本格的な統一教というタイトルを握っている。しかし、文鮮明が死亡し、一日の朝に韓鶴子が教権を占め代表としての地位を立てたように、画像刷新と活動の幅を広げているムン・ヒョンジンの歩みを注目する必要がある。 文顕進氏は文鮮明総裁聖和直後、家庭連合(統一教会)とは違った独自路線を表明していました。【参考記事】新東亜10月号 - 文顕進様の決断、郭グループの選択?!このように、文顕進氏は「独自路線を表明」しているにもかかわらず、家庭連合にまとわりついてくるのは郭錠煥氏はじめとした取り巻きの方々ではなかろうか。顕進氏も「神の下の人類一家族(ワンファミリー・アンダーゴッド)」のビジョンを掲げていますが、その実態は「ワンファミリー」でははく『養子(僕)文化』の拡散(バベルの塔)です。創世記 第 11 章1 全地は同じ発音、同じ言葉であった。2 時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。3 彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。4 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。5 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、6 言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。7 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。8 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。9 これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。また、以下は下書きのまま中途にしていたものですが、タイトル:FPA・サンクの祝福式(?)と「バベルの塔」ブログ「家庭訓読会を究める会」記事から昨年末FPAで行われた祝福式(?)について書かれていました。(12月)28日顯進様の次女の聖婚式、29日祝福式を開催されたが…http://mfujino07101.seesaa.net/article/472879801.html?seesaa_related=related_article…また、祝福の後、家族の写真撮影があったのですが、柳会長の両親を中心とした一族は何と50人ぐらい集まって写真撮影をしていました。すごすぎる。この一族基盤は凄すぎます。一方、郭錠煥会長の一族も、今回次男が韓日家庭の娘と祝福を受けました。この一族も集まって写真を撮っていましたが、ここもざっと数えて30人ぐらいになっていました。今後、郭錠煥会長の一族と柳会長の両親を中心とした一族が、真の家庭を支える一大氏族基盤となるという無言の証をしているように思いました。将来、この家庭に繋がることが、真の家庭のつながって行くことになるでしょう。イエス様で言えば、3弟子の家系がイエスの家庭的基盤を守るようなものです。今まで、お父様を支える弟子はいましたが、真の家庭を支える家庭は見えませんでしたが、これからはこのような祝福家庭の一族基盤が核となって、真の家庭を支えていくようになるのでしょうね。このFPAの祝福式(?)そのものは、文鮮明・韓鶴子総裁が主礼の家庭連合とはまったく関係しないものであることはいうまでもありません。という以前に文家(分家)の顕進氏には祝福権そのものがありません。【関連記事】平気で大ぼらを吹く郭錠煥氏(その4)平気で大ぼらを吹く郭錠煥氏(その4-Ⅱ)--支流人は「僕」か?!平気で大ぼらを吹く郭錠煥氏(その4-Ⅲ)--神様の血統をサタンに!!大ぼら吹きの郭錠煥(その5)--支持する有志の会は「郭家の僕」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.20
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「書き換えられた「独生女」はマッドネス(狂気)か?」についてですが、家庭連合は信者らに「独生女」を正確に伝えていない、聖書や統一原理とも矛盾するなどとの主張を展開していますが、果して?まったく聖書も原理も知らない方が書いておられるとしか言いようもないものです。また、情報も「1秒圏時代」言われている今日、PeaceTVなどの映像で情報は伝わっており、旧態依然の中心責任者を介しての情報伝達をイメージしての批判でしょうが(笑)長々と書かれていたようでしたが、その結論はブログ説明にありました。七死復活八段階勝利再臨主文鮮明真の父母様によって語られたみ言の研究と、神様の復帰摂理の理解を自分なりの妄想と思い込みでまとめた備忘録。 更に、今統一家で起こっている現象と、世の中で起こっている現象の比較分析備忘録。以上、読む価値無しの記事でした。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.17
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FUJIY氏、「家庭訓読会を究める会」--「アベル・カインに対する考え方」のコメント欄削除対応はどうなのでしょうか?FUJIY氏からの意見も>ただお母様の主張を無批判に信じているような浅薄な理解に思われますが。このように私tomy4509に放たれた「矢」でしたが、前回「Re:「アベル・カインに対する考え方」--『メシヤのための基台』」での回答からもFUJIY氏には、tomy4509はお母様の主張をそのまま鵜呑みにしているのではないことはご理解いただけたと思います。ところが、その後のコメント欄削除には解せないものがあります。私の意見が間違っているのであればそれに対して反論されたらよろしいですし、正しいということであれば、真の家庭における「カインアベル」についてもそれなりの訂正文を掲載されていかれたらいかがでしょうか。既に、2008年4月6日のカインアベルの儀式の失敗こそが、祝福家庭を引き裂きこんにちの「統一教会の分裂」を引き起こしている原因であるは、私からの個人意見です。このカインアベルの失敗者の方々が「後継者だ」「相続者だ」、あるいは、「二代王」だなどと騒いでは混乱を呼び起こしているということです。その根本は顕進氏と国進氏(七男さんではなく)のカインアベルの問題です。真の家庭内で争っていては祝福家庭もまとまることはできないでしょう。それに祝福家庭が巻き込まれては問題が拡大してきたということです。このように、真の家庭内でのカインアベルの問題を棚に上げては、FUJIY氏の次の記事にも問題が大だと思います。責任分担は三大祝福だけで良いのか?? (1月9日付UP)http://mfujino07101.seesaa.net/article/473031064.html人間の責任分担とは何か。当たり前すぎて責任分担そのものについて考える人はないかもしれません。それは三大祝福の完成だろうと簡単に思うかもしれませんが、さらには氏族メシヤまでという次元で考えている場合があると思いますが、これに関して、最近疑問を感じ、研究した結果、大きな発見と悟りと共に、悔い改めをしました。この人間の責任分担は、勿論私たちの子女たちにもこれらの責任分担が受け継がれるということは言うまでもなく、それをきちんと血統に対して教育し自分のものとして体恤させることが親の使命だということになります。その人間の責任分担とは何か言うということですが。重要な柱が3つあります。1.神の摂理の中心にある真の家庭を保護すること。原理講論の復帰摂理はメシヤを如何に迎えるかと言う事に焦点が当たっていますが、創造原理では人間の責任分担は三大祝福です。同じ人間ですが、復帰原理における人間の責任分担と創造原理における人間の責任分担が違うと思いませんか。この一見した矛盾をきちんと理解することにより、私たちの責任分担が明確になります。簡単に言うと、三大祝福は、真の家庭を保護する保護圏が作られていなければ、自分の家庭の三大祝福だけをいくら考えても、本末転倒(主体と対象が逆転しているということ)だということです。……間違った人をメシヤとしてメシヤの為の基台にはならないように、間違った中心者をメシヤ家庭の中心者と思って侍っている場合、それはメシヤ家庭をむしろ破壊することになります。この判断とそれに伴う行動は、私たち祝福家庭において三大祝福の完成よりも優先されるべき問題です。また、メシヤ家庭の問題をメシヤ家庭に任せるということは、このような原理的観点に立った時、間違った発想であることが分かります。特にお父様が聖和されたのちにおいては、当てはまらないと言う事になります。責任を持たれていたお父様自身が地上におられないわけですから。原理講論・緒論冒頭からは 緒 論復帰摂理とは、堕落した人間に創造目的を完成せしめるために、彼らを創造本然の人間に復帰していく神の摂理をいうのである。前編で既に論証したように、人間は長成期の完成級において堕落し、サタンの主管下におかれるようになってしまった。したがって、このような人間を復帰するためには、まず、サタンを分立する摂理をなさらなくてはならないのである。しかし、既にキリスト論において詳しく論じたように、堕落人間がサタンを分立して、堕落以前の本然の人間として復帰するには、原罪を取り除かなければならない。ところで、この原罪は、人間が、その真の父母として来られるメシヤによって重生されるのでなければ、取り除くことはできないのである。それゆえに、このように復帰摂理は、創造目的を再び成就するための再創造の摂理であるから、どこまでも原理によって摂理されなければならない。それゆえに、これを復帰原理というのである。我々はここにおいて、復帰摂理がどのようにして成就されるかということについて調べてみることにしよう。と書かれています。復帰摂理は再創造の摂理ということですから、「どこまでも原理によって摂理されなければならない」です。ところが、FUJIY氏は「復帰原理における人間の責任分担と創造原理における人間の責任分担が違う」と悟られたということですが、果たしてそうでしょうか?重要な柱が3つあり、その第一番目が「神の摂理の中心にある真の家庭を保護すること」ということですが、創造原理からは「真の家庭」というものは出てきませんから、明らかに顕進氏を立てようとする詭弁にしか聞こえてきません。第二番、第三番と続いたとしても同じようなことが想像されます。また、この緒論冒頭に書かれていることを見れば、「お父様は原罪を持って生まれた」といったとしても「堕落した人間はサタン分立の路程を通して、アダムとエバが成長した基準、すなわち、長成期の完成級まで復帰した型を備えた基台の上でメシヤを迎え、重生することによって、アダムとエバの堕落以前の立場を復帰したのち、メシヤに従って更に成長し、そこで初めて創造目的を完成することができるのである。」イエス様が十字架によって肉身に入ったサタンを分立するという蕩減条件を立てられることで堕落前のアダム(イエス様)の霊肉両面を復帰した位置、「中心人物」として立たれたことは蕩減原則にも適ったものです。そして、長成級完成期でもって1960年の「聖婚式」(子羊の婚宴)をされた、祝福式も其処から行われるようになりました。ここで、「お父様は無原罪で生まれられた」とは言えないは、この原理からも矛盾していないということです。むしろ、堕落人間が歩まなければならない路程までも踏査されたお父様の功績がより際立たせることとなりました。FUJIY氏「アベル・カインに対する考え方」の削除されたコメント欄最後の私の書き込みでは2008年4月6日、カインアベルの儀式の後お父様が語られていたみ言引用を挙げていました。母(エバ)が生んだ息子、娘は本来の息子、娘ではありません。母(真のお母様)を通して再び生まれなければならないのです。/統一家も、そのようになっているというのです。…略…カインとアベルになったものをすべて一つにしなければなりません。母が一つにならなければならないのです。また、それを前には「訪韓修練会御言集 十六万女性修練会」から「蕩減復帰の峠を越えましょう(摂理的総決算)1993年12月20日」の「図ー9」を提示しては「母子協助時代」から「父子協助時代」への変遷がどのよなものであったかも明示していました。西暦2000年以降「母子協助時代」から「父子協助時代」になったといってはお母様を追い出してきたのが、FPAの教えでした。これを見てもお父様のみ言と一致していません。その一方では、お母様や組織幹部が顕進氏を追い出したなどとは責任転嫁というものです。2008年4月のカインアベルの儀式もまた、「図ー9」にある「サタンを分立」するためのものであったということは間違いのないことでした。ところが、そのカインアベルはどうなったでしょうか?イエス様が十字架の道を行かざる得なくなったように、その失敗の十字架を追われたのは「真の父母様」でした。同年の7月19日、ご父母様らの乗ったヘリコプター事故がありました。これもコメント欄に書いたことでした。この事故からもお父様お一人ではなく「父母様が一体となって勝利」された結果であり、支流人らの「父母様の不一致説」はかき消されました。生きて死の十字架を越えられた瞬間でした。ヘリコプター事故40日復活期間の勝利を祈念して「重生完成、復活完成、永生完成の日」を宣布された『平和神経』--平和メッセージ16番からの引用もコメント欄にありました。 皆様! 神様は誠に奥妙に摂理をされます。誰も想像する事ができなかった大型ヘリコプター事故で、天は霊界を動員して、真の父母である私達夫婦の身には、サタンもあえて手を出す事が出来ない様に措置されたのです。人間の目にはとても神秘的な奇跡の中の奇跡に見えるでしょう。しかし、これは、ヘリコプター事故の歴史上、見出す事が出来ない謎として記録されています。…略… 皆様。堕落によってアダムとエバは、霊、肉すべてをサタンに差し出してしまいました。しかし、イエス様は、十字架の苦難を通して肉身は失ってしまいましたが、四十日の復活期間を勝利して霊的復活を完成され、人類に霊的救援の道を開いていかれました。 このような次元から見るとき、今回のヘリコプター事故は、実に途方もない摂理的意味をもっています。サタンの最後の総攻勢の中でも、真の父母様は、霊肉共に完全実体勝利を勝ち取られたのです。摂理歴史の中で失ってしまった真の家庭三代圏を、一滴の血も流すことなくそっくりそのまま復帰、安着させたのです。 夢にも忘れる事が出来ないその日、七月十九日、ヘリコプター事故の当日には重生完成を、それから二十日目の「七・八節」、八月七日には復活完成を、そしてきょうは、事故から四十日目を勝利で締めくくりながら、永生完成の日を宣布する次第です。神様を中心にお迎えし、摂理の最終的理想圏である新天新地を開き、永遠の解放・釈放を謳歌するようになる永生の新しい日を宣布します。 今、皆様の前には、新しい時代、新しい国を約束する二〇一三年一月十三日のその日が近づいてきています。神様の血統と完全祝福を保全し、本来の真の神様を万有の父母として侍り、永遠の禧年を享受して暮らす事ができる平和の実体王国、すなわち天一国のその日に向かって、私達全員で総進軍しましょう! 皆様と皆様の家庭、そして祖国光復の聖業の上に、神様の祝福と恩寵が共にありますように! アージュ! お父様は郭錠煥氏(洗礼ヨハネ)の失敗を警告しておられた?!お母様を中心としてカインアベルがどうなりましたか?さて、前回は真の父母様のヘリコプター事故後の「お父様の祝祷」を掲載したが、それに絡んで当時の四男さんのメッセージ「父母様の血の代価で与えられた祝福」(同・ファミリー2008/10月号)から数ページだが紹介したい(P.24~26)。ヘリコプター事故後の7月24日午前5時の訓読会でのメッセージだ。四男さんはお父様のみ言を借りながら、もしも、イエス様が結婚していたなら十字架で死ななかっただろうと話され、また、良いヘリコプターがありながらなぜさらに高価なシコルスキーのヘリコプターを購入されたかについて、お父様はこの時を知っておられて準備されたものだったと。ここでのカインアベルは地上界のその方々ではなく、霊界の子女様でした。霊界における孝進様と興進様のカインアベル、そして真の父母様が一体となっての「真の家庭」の勝利をなしたものでした。このことからも支流人らの「真の父母様不一致説」はあり得ません。今年年頭の徳野会長メッセージからも、「真の父母様の心情一体性」を強調されていました。自称ルポライタイーtomy4509からも、これまでの検証からは支流人らの主張するところの「真の父母様不一致説」は確認されるどころか、その真逆の結果を見ています。特には、男子子女様方のDNAにつながる方々にあっては、そのDNAは偽物であることの検証も試みてきました。お父様のみ言と彼らの語るところのそれとは一致していません。今回の「カインアベルの儀式」に見る失敗、お父様が語られていた「独生女」と「天の父母様」についても彼らは否定的態度で真のお母様批判をしています。「お父様は有原罪発言」もまた支流人の方々が拡散したもので、実際はどうであったかは分かりませんが、私からは喩え層であったとしても「原理講論と矛盾しない」との検証結果を報告していました。Dデーまで「25日」です。支流人の方々にありましても、真のお母様と共に「お父様聖誕100周年記念」のお祝いをされることを懇切にお祈りしております。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.12
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