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夜に入って雨が降り出した。しかし仕事部屋の暖房は一日中切っていたが、寒さはかんじない。急に冷え込む日もあるが、だんだん暖かくなってきているのだ。 小庭のクサボケが朱色の花を咲かせた。花卉の少ない我が家の小庭に一等最初に咲くのがクサボケである。 15,6年ほど前までは、アーモンドの純白の花が最も早く春の到来を知らせた。丈は1.8メートルもある木だったが、不思議なことに父が亡くなった年に完全に枯死してしまった。父が亡くなったのは3月だから、まるでその死の前触れのようだった。 ・・・まあ、不思議でもなんでもない。家人がみな父の介護にかかずらっていたので、庭の植物の世話どころではなかったからだ。それは母の死のときもそうだった。母も3月に逝った。そのころの小庭は、実にたくさんの花の種類が咲き誇っていたのだ。寝たきり状態の母を慰めるために、ベッドから見渡せる場所にたくさんの園芸種の花の鉢をならべ、門から玄関までの道の両側にも並べた。しかし、母の死とともに花盛りの庭は完全に枯れ庭になってしまった。 以来10数年が経つが、我が家には花の鉢は無い。野草の庭、雑草の庭である。・・・そんな小庭に残ったわずかな花木が、クサボケであり、柿、土佐文旦、椿、紫陽花、柏葉紫陽花、ハコネウツギ、アガパンサス、そして野草の二人静、ヤマジノホトトギス、ドクダミ、ミズヒキ。いずれも園芸種のような華やかさはない地味な花々である。 いつだったか、植物が好きだという坊やがひょっこりやってきて、我が家の貧しい花を見ていた。さて、お気に入りがあったのかどうか。 独り居や机に倚れば草萌ゆる 青穹(山田維史) 独り居の草の住まいや春の雨 ひとり来て雨の宿りや草萠ゆる 雨音に耳をすませば草萠ゆる
Feb 29, 2024
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スターだね〜、大谷翔平選手。オープン戦ドジャースvsホワイトソックス。大谷選手のデビュー戦。ホームランですよ、ホームラン! 内角寄りの球を逆方向レフトヘ、驚きのバッティング。左バッターがどうしてそんなことができるの? 球場は大興奮の様子。そうだろうね〜。そうだろう、そうだろう。手術以来177日ぶりの出場。いやあ、凄い。
Feb 28, 2024
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初代水谷八重子がお蔦を演じた新派の『婦系図』は名舞台。原作はもちろん泉鏡花の小説。歌謡曲にも歌われた。小畑実の『湯島の白梅』である。 その『湯島の白梅』は、少し前まで芸者だったお蔦が湯島天満宮の境内で恋人主税に縁切りを告げられ、「別れろ切れろは芸者のときに言うことば」と名セリフを言う場面を、「湯島通れば思い出す」と回想風に歌詞にしている。季節はちょうど今時分。境内に梅の花が咲いている。・・・この歌詞で私がおもしろく思うのは3番だ。「青い瓦斯灯 境内を 出れば本郷 切り通し・・・鐘は墨絵の 上野山」(佐伯孝夫作詞)とある。ここには明治の頃の地理が的確に述べられている。 現在の本郷通りを東大赤門前を過ぎて十字路を春日通りに入ると間もなく湯島四丁目。道はやや左に曲がり始めるがそこが切通し坂である。天満宮は通りの右側、湯島三丁目。38段の石段をのぼると湯島天満宮である。学問の神菅原道眞を祀り、今時分は大学受験の合格祈願や祈願成就のお礼参りなどの若者たちの姿が目立つ。 湯島天満宮は地理的に高台にあるのだが、明治の頃はそこに立つと、上野の寛永寺の梵鐘が聞こえてきたのだろう。そして暮れなずむ東京市の家並みが墨絵のように望めたのだ。 現在の東京の市街はどこもかしこも目まぐるしいほど急速に変わってゆく。1年、いや、半年と昔の姿を残しはしない地域もある。昭文社版のエリアマップを手にしても私はただ呆然とするばかりだ。 ところで、前述の『湯島の白梅』の歌詞のように、東京の地理を丹念に描写している小説がいくつかある。本郷界隈だと森鴎外の『青年』。ストリートヴューのようだとは言えないが、本郷界隈がありありと見えてくる。永井荷風の小説や日記『断腸亭日乗』もしかりだ。永井龍男『東京の横丁』は御茶ノ水の近辺、明大の裏手の猿楽町の様子が語られている。 小説には主人公の行動とともに多くの街が登場する。しかしながら街の構造が読者に手に取るようにわかるという小説は意外に少ないかもしれない。イギリスのミステリ小説だと、昔のロンドン市街などは大きな変化もなく、ちまちました民家が密集しているのでもないから、たとえば〇〇通りとか△△街などと書くだけで読者に具体的なイメージが喚起されたのではないか。そのような書き方がされている。 川端康成に『弓浦市』という短編小説がある。 香住という小説家の自宅に、ある日、五十代と思われる婦人が不意に訪ねてくる。そして香住に九州の弓浦市で会ってから30年ぶりに会うことができたと言い、その思い出を縷々と述べる。香住の記憶は曖昧で、弓浦という町も知らなければ婦人に会った憶えもない。しかし、婦人の言うことは香住の友人についてなど事実のこともある。帰るという婦人を送って廊下に出ると、とたんに婦人の体はゆるみだして肉体関係をもった女のからだのようになった。のみならず婦人の二人の子供、娘と息子に、香住のことはよく話して聞かせてある。子供達は香住のことを親しく思っている。そして、「この子は香住さんの子じゃないかしらと思うことがあるんですよ」・・・婦人が帰ってから、香住は日本の詳しい地図と全国市町村名を本棚から取り出し、弓浦市を調べた。そんな町はどこにも無かった・・・ 夢の話などしなくてもよいのだが、私は夢のなかにかなり明確な構造の町をもっている。いくつかの部分に分かれているが、しばしば私はその同じ街を歩き回る。徒歩のときもあるし、自転車のときもある。バスの時も列車のときもある。郵便局や商店街や、駅の切符売り場や改札口やホームや駅員や。小さな食べ物屋が並んだ路地。その一軒のラーメン店。駅裏通りの猥雑なビル群。大通りの本屋の前から少し下って二股道の一方の坂道。両側は商店が軒をつらねているが、ある一軒の横道が友人の家への近道であることを私は知っている。鬱蒼と茂った木々のトンネルの奥の邸宅。遠くに光る河原を望む高台の全面ガラス張りの部屋。・・・等々。 しかし、現実にはそんな町は存在しないばかりか、「友人」と述べた人物が誰であるかさへ不明だ。私はときどき妙な気持ちになる。夢のなかの町の構造があまりにも明瞭で、「行き慣れて」いるので、いまや私の実体的な記憶の一部になっているのではないか、と。 以前紹介したYouTubeの「AIZUチャンネル」が、毎回、会津若松市とその周辺の観光客が行かないようなところを動画で丁寧に撮っていられる。60年前まで同市に在住していた私は懐かしさ半分、あとの半分はその変わりように呆然としながら、しかしまあ、楽しみながら観ている。 先日は会津若松市のメインストリートである神明通りと、その裏通りにあるロイヤルプラザという遊興施設が取り壊されるために、最後の姿を撮影していた。チャンネル主宰者あきくんにとっては青少年時代の思い出の建物である、と。 その建物は、むろん私の知らないものだ。60年前はそのあたりにグランド銀星という洋画専門の大きな映画館があった。こちらは私がしばしば通った映画館である。今回のあきくんの動画を観ながら、私は60年前の会津若松市街をあちらこちら思い出していた。木下恵介監督の『惜春鳥』には私が知っている昔の神明通りや、現在のテーマパーク然とした鶴ヶ城ではない、ただ石垣ばかりの鶴ヶ城が出てくる。中学生の私がうろつきまわっていた鶴ヶ城である。今ある天守閣などなかったが、今よりもっと城下町という雰囲気を私は市街のあちらこちらに感じていた。あきくんばかりではなく、おそらく現在60代になられる会津若松市民も、私が知っている会津若松市とは全然違う街を現在見ていられるはずだ。 私の資料箱に65年前の会津若松市の市街地図がある。当時、同市でもっとも充実した本棚だった福島書房が出版した地図である。現在その書店は無い。いつかその地図を掲載してみようか。 現代建築は悪くすると耐用年数30年というところだろう。人生90年時代のようだが、その人生のうちに住んでいる街の風景は3度も変わる。・・・人間、晩年になって分かるのだが、「記憶」が人生を豊かにする。・・・私は、郷愁にひたるのではないが、そう思う。【訂正】文章の冒頭、「湯島の白梅」の原作を尾崎紅葉「金色夜叉」と書いてそのままアップロードしてしまいましたが、これは泉鏡花の「婦系図」の間違いです。紅葉は鏡花の師。そして「金色夜叉」の主人公は貫一お宮。「♪熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ〜」ですね。まちがいを風呂に入っていて気がつき、あわてて飛び出し、訂正しました。記憶について書いたのに、我ながらあきれています。すでにアクセスしてくださった方がたくさんいらしたようで、すみません。・・・もう一度風呂に入り直します。
Feb 27, 2024
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全作山田維史による
Feb 26, 2024
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菅原道眞忌北野天満宮梅花御供 京都も東京も雨 たそがれの雨に煙りて梅花御供 青穹(山田維史) 日暮らしの時雨れる京の梅の花 朧げや傘に降り敷く梅花御供 しら梅や三つ四つ五つ石畳 湯島天神 しら梅や傘かたむける湯島かな しら梅や傘に降りつむ女方 しら梅やもうこれきりかと念者ぶり しら梅や地獄の沙汰も垣の外
Feb 25, 2024
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全作山田維史による
Feb 24, 2024
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山田維史 『ウクライナに連帯』
Feb 23, 2024
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露の侵攻2年 明日知らぬ雨露のゆくえや春時雨 青穹(山田維史) 盗人の畠踏みにじる春浅し 賊軍の意味違えたる野焼きかな
Feb 22, 2024
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作曲家・新実徳英氏が作品CDをプレゼントしてくださった。収録曲3曲。「ヴァイオリン協奏曲第2番〈スピラ・ヴィターリス〉」。「太陽風 〜オーケストラのための」。「沈黙(しじま)へ 〜弦楽オーケストラのための」。新実さんは、私がヴァイオリン協奏曲第2番〈スピラ・ヴィターリス〉に耳を集中することを望まれている。〈スピラ・ヴィターリス〉は「螺旋生命」と訳せば良いだろうか。 プレゼントしてくださった事の経緯は、私が新見さん宛のメールに、全拙作絵画に込めた主題のいわば在処は作品の「底の底」、外形には見えない、と述べた。新実さんは、その「底の底」という私の拙い言葉に気を止められたようだ。そしてヴァイオリン協奏曲第2番〈スピラ・ヴィターリス〉について述べられている。この曲は楽理的には氏が「螺旋形式」と名付けた作曲法で、I~III楽章がいずれも螺旋状にひろがってゆく、と。そして各楽章の構造を作曲者として解説するならば二層構造である。一層は、いわば「外形的」のこととして解説できる。二層は、作曲者新実徳英の発想の根本にあったことである。と。 ・・・発想の根本にあったこととは、新見さんの「思い」であるが、もっと深いところにある「哲学」である。その哲学は大乗仏教論に通じるものであるようだが、私はさらに生命存在の根源的思想として宇宙量子論に通じるお考え、と理解した。 ヴァイオリン協奏曲第2番〈スピラ・ヴィターリス〉は新実さんの15年前の曲であるが、私はあらためて耳を傾けることにする。
Feb 21, 2024
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山田維史 「S氏の肖像」
Feb 19, 2024
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我が家の小庭の片隅のアガパンサスが6cmほどに芽を出した。一昨日、外出の際にはまったく影も形もなかったのに、わずか1日半でこの勢い。すごいなー。そしてたしかに春が来ている。 この緑濃い芽を見て、一部の庭木の雪避けをとりはずした。こちらも小さな小さな若葉が出ていた。 ところで朝日新聞の朝刊に岩手県奥州市黒石寺の雪中の(「夏祭り」と称する)伝統行事「蘇民祭」が、今年を最後に1000年といわれる歴史を閉じるという。日本全国各地に存在する主に稲作豊穣祈願のための、いわゆる裸祭りの最も代表的な例である。 黒石寺蘇民祭のほかに会津福満虚空菩薩圓蔵寺七日堂裸詣り、岡山県西大寺会陽、愛知県国府宮裸祭り、同じく愛知県美浜町上野間神社身代わり若衆裸参り、伊賀市陽夫多神社裸裸押し豊穣祈願、京都日野法界寺阿弥陀堂裸踊り、江ノ島八坂神社天王祭、香川県善通寺大会陽、小豆島木馬夏祭り盆踊り、沼津市厳冬海中禊祭り、千葉県四街道市和良比裸祭り(どろんこ祭り)、秩父荒川猪鼻熊野神社甘酒こぼし、磐田市下太八王子神社米とぎ祭り・・・等々。ちょっと思い出しただけでもこれだけの伝統行事としての裸祭りがある。 黒石寺蘇民祭が終了するのは、関係者の高齢化や担い手不足であるという。この終了を前にして黒石寺住職がニュース番組のインタヴューに応えて、「裸であることが大事なのではない」という意味の発言をしていた。私は、おやおや、と思った。まことに失礼ながら、住職さん、裸祭りの本意について知識が不足していられませんか、勘違いをしておられませんか、と。 豊穣祈願の祭りで男が裸になって福男と称す、あるいは神男と称される役目に就くのは、それなりの意味があるのである。これらの裸祭りでは、女が裸になることはない。いかに男女平等の時代になっても、裸になって祈願するのは男なのである。ありていに述べれば、豊穣祈願は性神信仰と深いところで結びついていて、いわば男の種まきを象徴化しているのだ。男たちは禊で身を清め、男の裸を捧げて生殖能力を神に祈るのである(後註)。岡山西大寺の会陽や国府宮の会陽における選ばれた「神男」が、文字通り素っ裸になり全身の体毛をすべて剃りおとす。数百人の褌一本の男たちが、神男に触れて御利益を得ようと殺到してもみあう。神男は一心を賭し、また一身を賭して地域住民の祈願の代理を務めるのである。黒石寺蘇民際においても蘇民袋の宝木を争い求める男たちの多くが、かつては素っ裸であった。それは神によって霊力を付与されるべく捧げられた清らかな裸体である。 どの地域においても時代の趨勢に逆らえないことは出てくるだろう。しかしかつて在った祭りの「本意」を忘れたり曲解したりすべきではない。その「本意」にこそ文化があるのだ。【註】禊した男の裸体が豊穣祈願と性神信仰が結びついた象徴儀礼となっている例は、大相撲にも見られる。横綱の土俵入りで化粧回しに横綱(降雨を祈願する稲妻を象徴化した垂(しで)を飾った注連縄)を締めているが、土俵上でこの化粧回しを両手でヒョイとわずかに持ち上げる仕草をする。おそらく現在ではその意味を尋ねる人はいないであろうが、これはまさに男性器を神にお見せして稲作豊穣のための霊力を賜る祈願の象徴化である。土俵上で四股を踏むのも大地(あるいは大地母神)への祈りである。土俵に女性が上がらないというしきたりは、女性差別では全然無く、女性は大地そのものだからである。女性はここでは崇められているのである。 相撲は漁撈民族隼人族から発祥したと考えられている。漁撈民族が裸体であること常態であるが、稲作民族に統合支配される過程で、相撲もまた稲作豊穣儀礼となってきた、と私山田は考えている。 しかしながらその稲作豊穣祈願としての本来の信奉は忘れ去られておそらく久しい。国際的な人気のスポーツとなった相撲は、いくら「伝統」を強調しても豊穣神信仰は形骸化しているのである。 An example of a ritual in which the nude body of apurified man is used as a symbol of prayers for fertility and belief in sex gods can also be seen in O-sumo (the great sumo wrestling). When a yokozuna (cham-pion) enters the dohyo (the ring), he tightens his yoko-zuna (the shimenawa rope adorned with a shide sym-bolizing a lightning bolt to pray for rain) as a kesho-mawashi (a luxuriously embroidered make-up apron),but when he enters the ring, he slightly lifts the kesho-mawashi with both hands. Although no one wouldprobably ask about its meaning today, it is a symbol ofa prayer for showing the male genitals to God and receiving spiritual power for a fertile rice crop. Steppingon the shiko (legs) on the ring is also a prayer to the earth ( or the mother goddess). The custom of not allowing women to the enter the ring is not discrimi-nation against women at all, it is because women arethe earth itself. Women are worshiped here. Sumo is thought to have originated from the Hayatotribe, a fishing tribe. It was common for fishing tribesto be naked, but I, Yamada, am thinking that in theprocess of being integrated and controlled by the ricefarming tribe, sumo which originated from the Hayatotribe had also become a rice harvest ritual. However, its original belief as a prayer for a rich riceharvest had probably been forgotten for a long time.No matter how much sumo wrestling, which hasbecome an internationally popular sport, emphasizesits "tradition," the belief in the god of fertility hasbecome a mere token.Tadami Yamada
Feb 18, 2024
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今朝、作曲家の新実徳英氏からメールが送られてきて、17日朝日新聞朝刊にエッセイを書かれたとあった。まだ新聞を読んでいなかった私は、急いで開き、読書欄〈ひもとく 冬に読みたくなる本〉に、題して「感性引き締まり、思考深まる」と、三冊の本についてお書きになっていた。 私の感想は先ほど20時過ぎに、メールに認めてお送りした。(ここにはあらためて述べない)。 私が勝手に存じ上げているとしてきた作曲家・新実徳英の関心の系譜(感性の有り様)のようなことを、なんだか愉快に確認した思いがする。
Feb 17, 2024
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早朝から午前中いっぱい強い風が吹いていた。春一番なのかな? そんな中を、特殊な紙を買うために外出。街を歩いているとコートを着ていない人もいる。春の装いというほどではないが、やはり暖かくなって来ているのだ。私自身、普段の重ね着をやめた。ダウンコートだけは着て出てきたが、暑い。歩いているうちに背中が汗ばんできた。 ふと目についた一枚の張り紙。一枚扉に貼ってある。 「ドアを開けてお入りください」 ウン? 開けずに入れるドアがあるのかな? 自動ドアではないと注意しているのかな? ノブがついているし、どう見ても自動ドアではないけれど。・・・私はなんとも気持ちが落ち着かなくなった。なぜわざわざこんな張り紙をしたのだろう、と。何の問題もないような張り紙の文言ではあるが、微妙にオカシイ。・・・まあ、クスクス笑って通り過ぎよう。春じゃもの。 春一番白髪を巻き上げてゆく 青穹(山田維史)
Feb 16, 2024
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ヴァレンタイン・デイ(愛の日) 愛の日やカカオ九十五チョコレート 青穹(山田維史) 愛の日や血糖気にしてビターチョコ 愛の日や薄氷を割りて傘寿待つ ◯愛の日や薄氷踏みつ八十路かな 明け前の一番列車冴え返る 老いるとはこう云うことか針供養
Feb 14, 2024
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今日は気温が高かった。午後は仕事場のエアコンディショナーのスイッチを切ってしまった。現在、まもなく19時になるが、まだ暖房していない。このまま暖かさがつづくのかどうか。 細茎に似ずなシャッキリ水菜かな 青穹(山田維史)
Feb 13, 2024
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雪解けや現れいでし庭の下駄 青穹(山田維史) 雪解けや流れに映る青き空 残雪やぽつりぽつりと雫穴 残雪や日向日陰の雪の色 残雪や日向日陰の色ちがい
Feb 11, 2024
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小澤征爾氏が6日にお亡くなりになったという。享年88。 小澤邸と、かつて私が住んでいた家は近所であったが、お姿をお見かけしたことはなかった。レコードを通して親しく音楽を聴くだけであるが、あらためてご逝去を悼みます。
Feb 10, 2024
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紀元79年、いまから1945年前、ベスビオ火山の噴火によりポンペイやヘルクラネウムの古代都市が壊滅した。260年前のこと、或る探検家がヘルクラネウムの15mも降り積もった火山灰堆積層のなかから炭化したパピルスの巻物を発見した。それは800巻にもおよび、以後、その場所は「パピリの館(Villa de Papyri)」と呼ばれるようになった。この一大発見は、しかしながら約320℃で焼かれた巻物はまるで丸太ンぼの炭の塊で、もちろん何が書かれているかは読める状態ではなく、脆く崩壊してしまいそうであった。 ところが考古学者・科学者たちのチームは、パピルスとインクの物質的な違いに注目してX線を照射して一部の文字を読むことに成功したのである。この事実を2015年にナショナル・ジオグラフィックが報じた。さらに数年後、X線技術よりも進んだ医療用CTスキャンを用いて、厚さ数ミクロンの文字を判読し、その巻物が哲学者フィロデモス(紀元前110年頃〜紀元前35年頃)の著作らしいことを突きとめた。 さて、その一部判読の成果からおよそ10年が経ち、昨日2月8日、CNNがあらたな成果を報じた。曰く、「ベスビオ火山噴火で炭化した巻物、文章を初めて解読 断層撮影やAI駆使」と。そしてその記事に、米国などの大学の研究者らは「コンピューター技術や高度な人工知能(AI)を駆使することで、極めて脆い文書を開封して損傷させる危険を冒すことなく巻物を分析できるようになった。(略)5日の発表によると、これまで2000文字以上が解読されたという。」 これは「ベスビオ火山チャレンジ」というコンペティション(大賞の賞金70万ドル)にチャレンジシした米ネブラスカ大学コンピューター科学専攻の学生ルーク・ファリター氏と、ベルリン自由大学の大学院生ユセフ・ネーダー氏、そしてチューリッヒ工科大学ロボット工学専攻の学生ジュリアン・シリガー氏が、「巻物内の四つの連続する文章の文字のうち85%を解読すること」という大賞課題をクリアしたことによる。ちなみに賞金70万ドルは三人に授与された。 この三氏は「バーチャル開封」と呼ばれる技術を活用した。コンピューター断層撮影(CT)を使って丸まった巻物をスキャンすることで、巻物をバーチャル上で平面化したり、高度なAIによりページ上のインクを探知することが可能になった。 書かれていたのはギリシャ文字で、三氏がこれを発見した後は、英仏伊から専門のパピルス学者が分析に加わった。(CNN記事より引用) 私はこのニュースをたいへん興味深く読んだ。最近は、ほぼ毎日のようにAIに関する話題がメディアを賑わせている。芸術的な創作にも利用され、小説家がまったく悪ぶりもせず自らの作品をAIで生成したと公言したりする。 私は職業画家・イラストレイターとして、自らの創造に高度な生成AIを利用しようとは思わない。IT技術をまったく利用しないというわけではなく、ごく単縦なコンピュータ・グラフィックを作っている。パブリッシャー(出版社)のシステムが大きく変わり、印刷方式も変わり、イラストレイターや画家がそれに適応せざるを得ないという事情がある。そんなわけだから、時代遅れと言われようが全くAIを利用しない、と大見得をきれない。しかし心の奥底には、芸術的営為、作品を手作りする面白さや楽しさを、人工知能などに渡せない! という思いがある。 私がヘルクレネイム・パピルスの解読に関心を寄せ、上記の三人の学生のチャレンジの成果に賛嘆するのは、彼らの高度AI技術が私の夢想するAI利用の方向を示していると思うからである。彼らのチャレンジはひとつの創造ではある。しかし私が自らの精神を四苦八苦して掘り起こして作品を創造するのとは異なるような気がする。私が私の肉体で、私の頭と手で、毎日少しずつ少しずつ、まさにアナログで創造しているのとは異なるような気がする。 その私の「喜び」や、「苦悩」や、その他もろもろの人間的な精神活動を、どうしてロボットに引き渡せようか。 もしも、引き渡してしまったなら、私はもう生きている意味がなくなってしまうかもしれない。・・・わからない、わからない、一寸先は闇だもの・・・
Feb 9, 2024
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ほぼ半日、事務。 少し疲れたので夕刊を取りに出ると、土佐文旦の木から雪解けの雫が後ろ襟に落ちた。 鈴なりの文旦が雪の重みで三つ四つ残雪のなかに落ちていた。普段から何も手をかけずに放ってある。以前口に入れてみると苦味があった。ジャムにしてみると、いくらか苦味はなくなり、残った苦味を私はむしろ好んだ。しかしジャム作りも一度きりだった。 今日、雪の上に落ちた鮮やかな黄色の実を、ちょっと食べてみた。するとほどよい酸味で、意外にも美味しいのだ。じつは試しにオレンジ・ピールのように、皮を砂糖煮にしてみようかと思っていた。なにしろたった一本の木なのに、40個は下らない(100個以上だった)、まあ、豊作なのである。世話もしないで放ったらかしにしているが、かと言って捨てる気にもならない。雪の重みで落下したけれども、取らずにおくといつまでもぶらさがっている。鮮やかな黄色が次第に黒ずんで、一年以上も年を越す。 昔、歌人の塚本邦雄氏が短編小説のなかに、菊の花がいつまでも枯れずに腐(くだ)すさまを書いていた。私はその感覚の鋭さに慄然としたおぼえがあるが、我が家のたわわに生った文旦が黒ずんでゆくさまは、菊の花がいぎたなく枯れて行くに似ている。そんなふうになる前に、収穫して食べるもよかろうし、100個も食べられないから、ピールで菓子を作るもよかろう。 ・・・襟のなかに落ちてきた雪解けの雫にビクリとしながら、そんなことを思った。
Feb 8, 2024
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めずらしい映画をYouTubeで観た。ギリシャ悲劇ソポクレス原作の『オイデプス王』である。母子相姦の物語で、フロイドの精神分析エディプス・コンプレックス論の由来となっている。紀元前420年ごろに初演された劇が、2450年後の現在も上演され、また映画化されているのはひとつの驚きである。それだけ普遍的なメッセージが込められているということだろう。 きょう私が観た『オイデプス王』は、1957年の映画で、サー・ティロン・ガスリーが撮った。彼はもともとは映画作家ではなく演劇監督である。実はこれが私はすばらしくおもしろかった。古代ギリシャ演劇のスタイルを踏襲したような仮面劇だった。したがってすべての出演者の素顔は見えない。したがって顔で表情を出せない。私が感嘆したのは実に狭い舞台空間で演じるその演技力であった。セリフ術(エロキューション)の見事さだった。そしてほとんどデコレーションのない、短い広階段とギリシャ風円柱だけの舞台セットながら、その重量感であった。さらに是非述べておきたいのは、全員の仮面のつくりの素晴らしさである。俳優の素顔が見えないだけに、仮面はよほど丁寧に重厚に造詣しなければならなかったはずだ。もしもツルリとした非個性的な仮面ならば、いくら俳優が舞台上を動いても観客の目には平板に見えるだろう。しかし私の目には、十分なほど芸術的な奇怪な美を表出していた。仮面製作はタニア・モイズウィックとジャクリヌ・カンダル。 ところで、『オイデプス王』の映画といえば、私はピエール・パオロ・パゾリーニ監督の『オイデプス王』も忘れられない。私の資料箱に日本公開時の劇場パンフレットがあるはずだが、いまはちょっと探し出す時間がない。 そうそう、他にもオーソン・ウェルズが出演したユニヴァーサル作品がある。 BBCが制作した舞台劇風なTVフィルムもある。1986年の作品だ。この出演俳優もみなすばらしい。このフィルムを観ていると、やはり英国のシェイクスピア演劇が培った俳優術のようなものが、たとえシェイクスピア役者でなくとも、心身に根付いているのではないか、と思ってしまう。出演者はほぼ全員が年配者である。おとなの芝居を見せられるのだ。立っているだけで人生を感じさせる、どっしりした存在感がある。声もすばらしい。 というわけで、ちょっとYouTubeを検索してみると、上記の『オイデプス王』が見つかった。画像が鮮明でないものもあるが、どんなスタイルかはわかる。以下にURLを掲載し、『オイデプス王』の見比べといこう。ご興味ある方もどうぞ。 1957年サー・ティロン・ガスリー監督 1967年ピエール・パオロ・パゾリーニ監督 1968年フィリップ・サヴァイル監督 1988年BBC/TV作品
Feb 6, 2024
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初雪 初雪や障子に映るほの明かり 青穹(山田維史) 初雪やはや門柱に一二寸 初雪や別れて淡き影となり ぐずぐずと寝床にちぢむ雪の朝 いつまでも寝床で見やる窓の雪
Feb 6, 2024
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予報が大当たりになった。午後2時前から降り出した雪は6時過ぎには5cmほどに積もった。夜に外出しなければならないので、玄関先から駐車場までの雪かきをした。出かけるまでに元の木阿弥になってしまうだろうが、気は心だ。小庭の樹木はほとんどが常緑樹。そのそれぞれの緑色が雪をかぶって、薄明りに妙に美しい。 初雪や白髪頭に降りかかり 青穹(山田維史) 初雪や白髪頭を白く染め
Feb 5, 2024
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関東地方は明日、大雪が予想されている。 私は大学入学以来の東京住まいになるまで、ずっと雪国に住んでいたので、東京の大雪といってもたかが知れている。しかしながらその東京住まいが60年にもなると、積雪10cmになれば大ごとと感じるようになってしまった。じっさい、老年になってみると、目の前の雪に風流がってはいられないのである。10年前にはそれでも、積雪に難渋している高齢者のお宅の雪かきをしてあげることもあった。いまでは自宅の雪かきで精一杯かもしれない。願わくば降りませんように、というぐあいだ。 降ればそれ苦労のたねぞ歳の雪 青穹(山田維史)
Feb 4, 2024
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節分会ざれ句 節分や豆ぶつけらる政所(まんどころ) 青穹(山田維史) ◯国会に豆をぶつける節分会 なやらひや盗人だらけの政所* こそどろ安倍派九十一人厄払い** 国難は内にあるぞよ鬼は外*** 歳ほどの豆を食うのをやめにけり【註】 *「なやらひ」とは「追儺(ついな)」のこと。古代中国の高辛氏の三子が死に、一子は疫鬼となって人に病を與えた。方相氏がこれを駆逐したのをもって、追儺のはじめと伝える。現在では節分の夜に各地の寺社で追儺式や豆撒きがおこなわれる。ただし『古今要覧稿』(1780年代に屋代弘賢編纂の百科全書)によれば、元来は追儺と節分とは別で、神事の式日もちがっていたとある。 神戸市長田神社古式追儺式神事、おなじく明石市長田神社古式追儺式古式禊、福岡県久留米市大善寺玉垂宮鬼夜、京都廬山寺節分会追儺式鬼法楽、同じく吉田神社追儺式、あるいは河内松原の我堂宮八幡宮節分会湯立神事などが名高い。開催日が1月末日あたりとやや不定であるが、京都の岩清水八幡宮鬼やらいも節分の神事として知られている。 なお吉田神社の追儺式では鬼を退散させるに矢を射る。この弓は「桃弓」である。桃は『藝文類聚』(中国唐代初期624年成立)に「桃は五行の精 邪気を厭伏(ようふく)し百鬼を制す」ある。また弉諾命(いざなきのみこと)が黄泉の国から逃走するときに、桃の実を投げて追手をかわすが、『日本書紀』一書第九に「桃を用(も)ちて鬼を避(や)らふ縁なり」とあり、この思想が追儺式にもちいられる「桃弓」の由縁である。 **朝日新聞が〈「政治とカネ」を問う 〉とした連載記事で、2月1日朝刊が「訂正で追記された安倍派から議員ら側への「寄付」額。大半が裏金だったとみられる」と注記して、91人の実名と、不記載発覚までほっかむりしていた受領金額を明記した長大なリストを掲載した。取材苦労がうかがえる見事な記事であった。私はこのような徹底した取材をかつて見た記憶がない。ジャーナリズの本質的な仕事だと思った。そして、私はじつはこの新聞を手元に保存したのである。この91人の議員は、発覚後あわてて訂正記載したと言った奴もいるが、いわば「親方日の丸」のように親分の威力で、してやったりを決め込んでいたのかもしれないが、新聞記者たちもそうそうバカにされてはいなかった、ということだろう。有権者もこういうこそどろまがいの政治ヤにぶら下がっているべきじゃないネ。国政選挙・地方選挙がそんな奴らにぶら下がっているような時代じゃない、ということかもしれない。「政治家面を見たら、こそどろと思え」と言えば、言い過ぎだろうがネ。まあ、日本の政治は、左翼も右翼も、そのくらい堕落しているということだ。 ***あとから思い出した。与謝蕪村の遺稿に次の句がある。「柊さす果しや外トの浜びさし(ひいらぎさす はてしや そとの はまびさし)」・・・柊は周知のように節分に邪鬼を祓うために鰯の頭と共に軒庇にさした。蕪村のこの句は、北の果て津軽外ヶ浜の貧しい漁師の軒庇に柊がさされている光景を詠んでいる。その心は、害悪が侵入しない北の果てを夢見(蕪村が津軽に旅した形跡がない)、また貧しい暮らしのなかの心映えをうたう。「外トの浜(現在、外ヶ浜と表記)」は津軽半島の歌枕であるが、蕪村は、仏教の供養塔である卒塔婆を掛けている可能性がある。また、「外トの浜」の「浜」に「浜庇」を掛け、蕪村は維駒宛ての書簡(安永七年一月十日付け)で、「浜庇」についての説は二つあるが「磯打つ浪の砂を打ち上げ打ち上げ軒端のごとくに見ゆるを浜庇という説よろしく候」と、自分の句を説明している。しかし、これは私の独断であるが、漁師の小家の庇という意味で「浜びさし」を掛けていると解釈できると考える。優れた画家でもあった蕪村は、しかし自らも貧しかった。彼の俳句は貧しい庶民の目で見た暮らしであり、そういう人たちに対する共感覚であり、やさしさである。
Feb 3, 2024
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二月 冬椿ほろり音なく二月かな 青穹(山田維史) 目覚めれば春雷にせて軍機過ぐ 春眠をやぶり天心軍機過ぐ 春暁の眠りやぶりて軍機過ぐ ◯庭草や春天心を軍機過ぐ 春暁もまた春宵も過ぎ行けり【題自註】二月初めの六つの拙句に掛けて・・・ 惨苦(さんく);いたましい苦しみのこと。 四苦(しく);仏教語で生、老、病、死のこと。 吾句(ごく);自分の句。自分のことば。 六垢(ろっく);仏教語。煩悩から生じる悩(なやみ)、害(そこない)、恨(うらみ)、諂(へつらい)、誑(たぶらかし)、憍(おごり)。・・・ブログ左のフリーページ掲載の拙論『「さゝめごと」に現れた十識について」を参照されたい。
Feb 1, 2024
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