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あれから35年。チェコスロヴァキアの「熊さん」からの手紙が途絶えてから・・・ 1985,6年頃だったが、一通の手紙が届いた。チェコスロヴァキアのまったく知らない人からだった。同国で私の作品が掲載された本を見て、私の住所も記されてあったので作品に惹きつけられたことを手紙で書きたくなったと、英語で書かれていた。そしてその人は写真を撮っているのだが、自分の写真作品を私に送ってもよいか、とも。 当時、私はチェコスロヴァキアで2年ごとに開催されプロフェッショナル・グラフィックアーチストが応募する展覧会として国際的にもっとも高い質的評価を受けていた「ブルノ・グラフィック・ビエンナーレ 1982」に初めて入選していた。チェコスロヴァキアと全く無縁だったわけではない。しかしながら、未知の人から手紙をもらい、作品を観てほしいと言われるとは思いもしなかった。 チェコスロヴァキア社会主義共和国は、1968年、政治的経済的に、また文化的にも自由化の運動が萌していた。「プラハの春」と言われている。しかし、その春の季節は極めて短かった。自由化・民主化を恐れたソヴィエト連合国が同年、1968年8月20日の深夜、チェコスロヴァキアに侵攻し、翌21日の早朝までにチェコスロヴァキアの民主化を阻止することに成功した。「プラハの春」の指導者は逮捕されて、ソ連に連行された。出版が禁止されるなど文化活動は厳しい検閲を受けるようになり、亡命した芸術家もいる。 その歴史的事実を知りつつ私は、社会主義共和国の人がどんな写真を撮っているのか興味を持った。そこで、「作品を見せてください」と手紙を書き、届いた手紙にあった住所宛に郵送した。 どのくらい後だったかは忘れたが、再びその人からパッケットが送られてきた。中に印画紙にプリントした数枚の白黒写真が入っていた。添えられた手紙に、街を歩きながら目に止まった壁を撮影しているのだとあった。その言葉どおり、写真はすべて壁の表面をはしる蜘蛛の巣のような亀裂が写しだされていた。観る者が心に様々なイメージを湧出するであろうような、言ってみれば抽象画のような写真だった。レオナルド・ダ・ヴィンチが「壁のシミを見ていると様々なイメージが浮かんでくる」と手記に書いているが、まさにそのような壁のシミの写真である。壁を写したには違いないが、何処のどんな建物の壁なのかまったく判らなかった。周辺の状況を発信するものは何一つ写っていない。 私は、この人がなぜ私に自作を見せようとしたのか、なんとなく分かるような気がした。おそらく私を「幻想」を絵にしている絵描だと思ったのだろう。そういう絵描ならば、壁のシミ(亀裂)だけを撮影し続けていることを理解するかもしれない、と。 ・・・あるいは・・・社会主義国としての何らかの事情があるのだろうか? いや、私は勝手な推測はしないことにした。そして写真作品についての感想を認めた手紙を書いた。 じつは作品が封入されていたパッケットには、この人の自画像写真も入っていた。もみあげから頬顎へとつづく縮れた髭をたくわえたガッシリした体格の男性である。詳しくは述べていなかったが医療関係の仕事、・・・看護士のような仕事に就いているらしかった。私は心の中で「熊さん」と呼んだ。 二番目の手紙は最初の手紙よりいくらか詳しい内容だったが、英語が得意でないので知人に代筆を頼んだとあり、どうも書く内容にひどく気をつかっているようだ。それは私が書く返事への注意であるとも感じられた。検閲があるのかもしれなかった。 私はともかく作品を送ってくれたことへの礼状を書いた。 それきり連絡が途絶えた。1989年、同国でいわゆる「ビロード革命」が起こり、1993年1月1日、チェコスロヴァキア社会主義共和国は連邦制を解消し、チェコ共和国とスロヴァキア共和国とに分かれた。 「熊さん」はどちらの国に属したのだろうか。そしてお元気なのだろうか。・・・現在、ロシアのウクライナ侵略戦争を思いながら、35年前に私に手紙と写真作品を送ってくれた人を思い出した。画像はモラヴィア画廊からのビエンナーレ展カタログの郵送パッケージ。粗いボール紙で、40年も経っているので表面はシミだらけ。チェコスロヴァキアの切手。ブルノのグラフィック・ビエンナーレ展カタログ。私の作品も掲載されている。
Jun 30, 2024
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西行全集をもう一度勉強し直そうと思いたち、書棚から取り出した。その予習を兼ねて西行の人物像を心に描きやすくするために、これも再読になるが辻邦生氏の小説『西行花伝』を三日前から読み始めた。 西行、またの名を円位、本名を佐藤義清(さとうのりきよ)、歌人として吟行に半生を過ごしたが、それ以前は鳥羽院を警護する北面の武者。鳥羽院に寵愛され兵衛尉であった。さらに蹴鞠の名手、弓の名手、騎馬の名手、流鏑馬の名手として貴人の宴を盛り上げていた。また若くして紀の国の所領経営に怠りなかった。各地を吟行の途上、崇徳院が非業の死を遂げた讃岐を訪ねたことは、上田秋成が『白峰』に小説化している。「雨月物語」のなかの一編『白峰』は私の好きないわば怪異小説である。・・・このような人物が、歌をつくりはじめた初学のころから当時の多くの高名な歌人(みな貴族であるが)にその詩想豊かな才を愛でられ、なおも出家して俗界を離れて歌を追求し、歌三昧に没入していった。 辻邦生氏は『西行花伝』において、西行と同時代の先達、歌の本位と尊敬されていた藤原俊成卿の雅と西行の歌の心とは本質的に異なるとみている。辻邦生氏の探求は西行の心を解き明かそうというものである。 ・・・私はその西行の全作品をもう一度読み直してみようというわけである。なにかを理解することができるかどうか・・・辻邦生『西行花伝』新潮社刊 1995年『西行全集』久保田淳編 日本古典文学会・貴重本刊行会 昭和57年(1982)
Jun 29, 2024
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山田維史「パンを!」ポスター Tadami Yamada 'Give Me A LOAF OF BREAD !」Poster
Jun 27, 2024
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明烏つゆの隙(ひま)なる山の音 青穹(山田維史) 梅雨熄みて樫の森から葉のそよぎ 朝涼や寝苦しき夜にまず別れ 子燕や巣を壊されて無惨やな 子燕や巣を壊されてガザの夏 母燕巣を壊されて生き別れ 母燕巣を壊されて隅田川 母燕わが子さがすや隅田川 母燕狂うて飛ぶや隅田川 母燕狂う無明長夜隅田川* 【自註】謡曲『隅田川」は、誘拐された我が子をさがし、狂女となって東へ下り隅田川にたどりつく母の物語。現代では、反戦能として舞う能楽師もある。
Jun 26, 2024
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『蕪村俳句集』(岩波文庫)のページをめくっていたら、「加茂河のかじかしらずや都人」の句に目がとまった。正確に言えば、その句についての校注に目がとまった。校注者は尾形仂氏。尾形氏は、蕪村の自筆句や蕪村と親交があった人が編纂した遺稿等の現存する現物を追跡調査して、『蕪村全集』を編んだ。 さて、上掲「加茂河の」の句は、「都の人は加茂河(現・賀茂川)に棲息する「かじか」も知らないのか?」というほどのことで、意味はどうと言うこともない。あえて深読みすることはないだろう。尾形氏の校註も、「かじか」は「鰍」、とだけ。しかし私が注目したのはそれにつづく古書よりの次の参考記述である。(岩波文庫 229p. 注377) 「加茂川にて極小なるをゴリといふ。京師の茶人賞翫して羹とす」(篗纏輪) すでに何度も読み返している『蕪村俳句集』なのに、私はこの注を見過ごしていた。私は、亡母が幼少のころに故郷の土橋(北海道江差近傍の現・厚沢部町土橋)の川で「ゴリ」を掬って遊んだ、と話していたのを思い出した。母の生家は土橋の(昔の)円通寺である。母は、「ゴリ」とは「鰍」のことだとも言った。・・・私は八総鉱山小学校時代、鉱山のもっとも早い時期に親たちが子供達のために龍沢川を堰き止めて水泳プールにした、その上流で「鰍」を掬って遊んでいた。その鰍は極小と称するにはいささか大きく,体長4、5cmから10cmほどもあった。石の下に潜んでいた。 wikipediaによれば、スズキ目カジカ科に属する日本固有種。北海道南部以南の日本各地に分布。地方によってはゴリ、ドンコとも呼ばれる、とある。アイヌ語ではナヌウェンといい、「醜い顔」を意味する、と。 私は川遊びをしながらカジカを醜い顔だなどとは思いもしなかった。しかし、このwikipediaの説明で、上掲の蕪村の句を深読みしたくなる。尾形氏が揚げた『篗纏輪』によって、蕪村は京都の粋人たちが加茂川の鰍を熱い汁仕立てにして賞味しているのを他の都人は知らないのか?という含意を私は理解する。そしてさらに、次のように読めはしないかと思う。蕪村は貧しい人々、下層民に目を向けていた俳人であった。蕪村自身が貧しい暮らしだったともいう。同時に、高名な俳人として高僧や富裕な人々の句会に招かれてもいた。このようなことを総合的に考えて、「加茂河のかじかしらずや都人」は、華やかに賑やかに日々の暮らしを営む都の人たちに、「あなた達は、加茂の河原にかろうじて雨露をしのいでいる貧相の「醜い顔」の人々をしらないのですか?」と言っているのかもしれない。 まあ、私は、いままで見過ごしていた尾形仂氏の校注から、亡母の幼い頃の思い出話を思い出しただけなのであるが。 下の画像は私が子供のころに使っていた図鑑。理科教育委員会編『池や川の生物』(保育社、昭和28年・1953年刊。定価150円)。左ページの上から三番目にカジカの図。 いまこの図鑑で注目するのは、カジカの上にドンコが載っていること。カジカとドンコとを区別している。姿かたちも違う。この点がwikipediaの地方名の記述とは異なっている。 71年前のこどもの頃の小さな図鑑が、現在も私の図鑑類の書棚に収まっている。紙の本は大切に扱えば長寿である。 電子書籍には本の寿命を期待できないのではないだろうか。この私の懸念は公文書の電子化について及ぶ。日本は将来、歴史検証が不可能になりはすまいか、と。見過ごしにできないこと。笑って済ませることではあるまい。 酢漿草(かたばみ)や心映さぬ鏡かな 青穹(山田維史) 蛍飛ぶ遠き灯影の消えるころ 弓張りや矢筈に露のこぼれけり
Jun 24, 2024
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我が家の小庭の楮(コウゾ)の実。 楮はクワ科の樹木。したがって桑の実のような小さな果実が生る。我が家の庭にあるにもかかわらず、私は楮の実は食べてみたことはない。桑の実は、長野県の川上第二小学校の小学1年生のころ、学校帰りに、秋山と梓山のちょうど境になる坂の頂上、梓山に降る右手の山の桑畑に道草して、同級生のタカネちゃんやナナコさんと口を真っ黒にして食べたものだ。お互いの顔をみて大笑いしながら。 三木露風作詞の童謡『赤とんぼ』に、「山の畑のクワの実を 小籠に摘んだは いつの日か」 ・・・じつは近年、弟が吟行の途中で農家の方にもらったと、桑の実を私におすそわけしてくれた。小学1年生以来の野生の味を楽しんだ。 小庭の楮は、例のごとく、植えた憶えのない木である。年々大きくなるが、通路にはみ出した枝を折ると、楮の特徴である強い繊維質の皮のため細枝にもかかわらず幹から素手では切り離せない。和紙の原料となる所以である。大江健三郎氏の御生家はこの楮の皮を造幣局に納入する元締だったとか。
Jun 22, 2024
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カナダ出身でハリウッドで活躍された俳優ドナルド・サザーランド氏が亡くなられた。享年88。 その独特の風貌は画面を一変させる力があった、と私は思っている。私がサザーランド氏を知ったのは『マッシュ(原題;M★A★S★H)』(1970年、監督ロバート・アルトマン)が最初だった。当時私は内的に苦悩してほとんど自暴自棄になっていた。イラストレイターとして自立できるかどうか全く分からずにいた。じつは映画『M★A★S★H』に惹き付けられたのは、まずそのポスター・デザインだった。裸の脚を大きく開いて後ろ向きに立つ女の上半身がいわゆるピース・サインのVの字の指に変わっていて、その指に米軍の戦闘用ヘルメットが被せられていた。要するに女の開いた裸の脚と指のVサインが結合して、全体でXの形になっているのである。そして、映画を観た後になって分かったのだが、原題の三つの星は、主人公である3人の軍医を象徴していた。その一人が、もちろんドナルド・サザーランド氏であった。 このポスターに私が惹きつけらたのは、そのデザインの大胆さであったが、映画のストーリーとともにそのブラック・コメディとしての作風、軍隊内でのセックス・スキャンダル等々すべてが象徴的にイメージ化されていたことだった。ごった煮を論理的に統一するイメージ・・・それこそが私が追求したいと思いながら技術的ないとぐちが掴めないで悩んでいたことだった。いや、このポスターと映画そのものに惹きつけられたのは、告白してしまえば、・・・いや、やめておこう。 『M★A★S★H』は、朝鮮戦争(1950年開戦)における米軍の軍隊内が舞台のストーリーだ。1950年、私は5歳。北海道羽幌町に住んでいたときで、じつは私は米軍の落下傘部隊と言っていた部隊のパラシュート降下訓練を見ていた。たぶん、訓練だったのだと思う。北海道の広大な林野を利用しての・・・。あのときから74年後の現在でも、ぼんやりながら影像が目に浮かぶ。私が空を見上げていた場所は、裁判所の近くの深い井戸のような水路のあたりだったように思う。私はその井戸の底から小さな透明なエビが這い上がってくるのを見るのがおもしろかったのだ。たくさんのパラシュートが降ってきた。おとな達も見ていた。迷彩色の軍服の兵士がぶら下がっているのが豆粒のように見えた。 『普通の人々』(1980年、監督ロバート・レッドフォード)。この映画の原題から私は、「普通の人々」を英語で「ordinary people」と言うことを知った。知ってしまえば、特別どうということもない「普通の言葉」であるが、すくなくとも私自身は日常的に「普通の人々」などと言ったことがない。もし言っていたとしたなら、たぶん、「普通の人々」って何だ?、「普通でない人々」って存在するのか? と大いに考えたことだろう。この映画で「ordinary people」という表現を覚えて後、随分長い年月が経ってから、私はただ一度この言葉を使ったことがある。ある国の大使とお話ししていたときだった。詳しくは述べないが、このとき私はたしかに「ordinary people」と言った。 なんだかドナルド・サザーランド氏から離れてしまった。いいわけがましいが、上述の件をふくめて、私は、ドナルド・サザーランド氏の存在感によって幅広い役柄で出演された映画からいろいろなことを印象付けられていることに、いまさらながら気づくのである。 名優ドナルド・サザーランド氏を追悼いたします。
Jun 21, 2024
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家籠る梅雨のあとさき隠れ鬼 青穹(山田維史) 雨打つや我が痩身の隠れなき ひとつずつ燈火消えゆき夜の雨 夜は骨に沈みゆくなり草の宿 蚊帳のなか昔の恋に背をむけて
Jun 21, 2024
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Jun 20, 2024
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Jun 20, 2024
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日野市水路 水壕の石積にさく苔の花 青穹(山田維史) 水濠の真鯉ゆうゆう苔の花 青梅をひろう媼の曲がり腰 つゆ空や香燻らせて家籠り 居眠りに山くだる緑雨聴きにけり 梅落ちて更けゆくほどに雨もまた つゆ繁く更けて消えゆく家灯り 怪世・政治資金規制法成立 六月は鳥の羽が脱けおちる 羽脱鳥ざるの粗目をくぐりけり 悪法も法治国家じゃ蓮の花 泥舟や岸の田亀の田植えかな 泥舟や船頭漕ぎだす夜釣りかな 懐手かぞえる金や小判草 こばんぐさ盗む算段懐手 賢きは喉から手をだす小判草 りっぽうや鳩豆鉄砲の夏祓い Snake sneak through A basket with holes when People sleep by Tadami Yamada
Jun 19, 2024
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ひとつずつ燈火消えゆく梅雨の夜 青穹(山田維史) 青梅を拾ってたたく老いの腰
Jun 18, 2024
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父が亡くなって19年、母が亡くなって12年 ふたりの使った杖がいまだに玄関に置いてある こうほねや亡父亡母の置きし杖 青穹(山田維史) 耳奥に夜しずまりて竹落ち葉 十薬のはな細道に隠れ宿 熱き肌ぢこくの沙汰も蓼の雨
Jun 17, 2024
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山寺の撞木しずかに蓼の雨 青穹(山田維史) 禅寺の鐘の音絶えて雨後の月 遅梅雨の寝床に聴くや降りはじめ 短夜や亡き友かぞう手に余り 浮き草やふた身に分けて流す川 謂わば身は付いて離れる星の川 愚かさも我が生業(なりわい)や雲の峰 夏祓い嘘いつわりに明け暮れて あすありと思えば忌中青簾 白に黄に夏空のした赤い花
Jun 16, 2024
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きょうも暑い。昼過ぎには気温が29℃を超えた。これから盛夏に向かってどうなることやら。 昨日のこと、次弟は八総鉱山小学校の同級会があったそうだ。一学年60人、1クラス30人のうち男女13人が東京に集結したというから、立派だ。弟も75歳。皆、老年になって、名前は忘れずとも、顔に子供のころの面影をとどめない。幹事が首にぶらさげるネーム・カードを作ってきたという。まあ、それはそうだろう。全員の父親が同一会社社員、あの山奥にあった当時先端的な設備と子供尊重の教育方針のいわば特異な小学校・・・(住友金属八総鉱業所が全国各地から呼集した社員の子弟のために建設。建物のみならず運動場、理科器具、音楽器具、運動用具、図書、低学年教室備え付け遊具等々、全てを整えて福島県に寄贈し、公立とした)・・・は、卒業以来65年経っても忘れられないにちがいない。・・・楽しい同級会だったようだ。 花栗や弓張の月のぼりきて 青穹(山田維史) 太藺狩り五寸にたりぬ茎となり
Jun 15, 2024
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植えた憶えががない木になる我が家の小庭の文旦。一本の木に100個以上。ひとつの実の直径は10cmになる。 今年、2024年、米国で13年周期セミと17年周期セミとが221年ぶりに同時発生し、その数、数千億匹とも一兆匹とも言われている。その鳴き声たるや大瀑布のようらしいが、市民はお祭り騒ぎで楽しんでいるようだ。この種のセミが地上に現れるのは13年に一度、あるいは17年に一度。それ以外の年月にセミを見ることはないらしい。子供たちはセミをまったく知らずに成長してきたのだから、お祭り騒ぎになるのも当然かもしれない。・・・しかし、ようやく地上に現れたセミの命も、1週間そこそこ。儚いと言うべきか、それとも土中で生きている時間と合わせて、犬猫なみの長命というべきか。同種族が残酷な殺し合いをしている人間の愚かさにくらべれば、なんとも賢い生命体であることか。 知りたきは蝉の土中の十七年 青穹(山田維史) 短夜や地球(ほし)を殺める人のあり
Jun 14, 2024
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もどかしく衣脱ぎたり夏の酔い 青穹(山田維史) 竹散るや隠れ棲むにはあらねども 蓼の雨隠れ棲むにはあらねども
Jun 13, 2024
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暑いですなー。昼、29℃、夏日である。しかしまあ、早朝は寒いということもないが涼気を感じる。ちかごろは朝の4時には目覚めてしまい、小庭にやって来る鳥の声を聞きながら仕方なくそのままベッドの中で本を読んでいる。 山涼や木立をよぎる明烏 青穹(山田維史) しずかさや山家の窓にショパンの音(ね) しずかさや山家洩れくるショパンの音
Jun 11, 2024
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旅まくら夢の契りや朝時雨 青穹(山田維史) 明日ありと旅の宿りの短かき夜 滝合いの白き飛沫(しぶき)に川蜻蛉 滝合いの落ち行くさきに夏野かな 葉柳の頬にふれくる川堤 かわいいネ子犬猫の子燕の子 ガザ 食べ物を運ぶ浮橋酷暑かな
Jun 10, 2024
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青天の陽はちらちらと夏木立 青穹(山田維史) 日と蔭とはだら木立や業平忌 桃源の道の遠さよ夏木立 今生の別れとなるか夏暖簾 短夜や亡母背負いて夢の中
Jun 9, 2024
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宇宙飛行士ウィリアム・アンダース氏が6月7日、飛行機墜落事故で亡くなられたという。享年90。 1968年アポロ8号の飛行士として月モジュールのパイロットを務めた。アンダース氏が宇宙船から撮影した写真は、手前に月面、奥の暗黒の空間に青い地球が浮かび、世界中の誰もが初めて目にした光景だった。このすばらしく美しい写真は "Earthe Rise (アース・ライズ;地球の出)"と呼ばれてまさに記念碑となった。 アンダース氏は、「我々は月を探索するためにここまで来たが、最も重要なのは地球を発見したことだ」という有名な言葉をのこした(CNNより)。 いま、地球上は、そのかけがえのない美しい星・地球を、一握りの私利私欲のために理性を失った権力者が、怪しげな法によって人民を操り、破壊と殺戮の限りをつくしている。アンダース氏が遺した言葉は、人間の知的認識のもっとも深いところに到達している、と私は思わざるをえない。 ウィリアム・アンダース氏を追悼します。
Jun 8, 2024
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庭のカシワバアジサイの花が16房から17房にひとつ増えていた。 郵便受に植木職人の広告ビラが入っていた。我が家の小庭を覗くと、たぶん植木職人としては手を入れたくなるのだろう。ハハハ、しかし私は可能なかぎり植物各々の生理のままに放っておきたい。刈り込んで人工的な姿にしたくない。といっても伸び放題にしておくこともならず、私自身が適当に手を入れてはいる。 小庭の木々はもともと私が植えたものではない。柿の木のほかは一本の木もなかった。鳥や風が種を運んできたにちがいない。 柿の木はもとから敷地にあった。たった一本の木だがたくさんの実が生る。ただ5,6年ほどまえまでは渋柿だった。とても食べられなかったのだが、なぜか突然、渋柿から甘柿に宗旨替えをした。これにはおどろいた。その生理の仕組みを私はわからない。甘柿になった途端に鳥たちが啄ばみ始めた。これにも感心した。 いまやたくさんの実をつける土佐文旦は、いままでは口に入れるとやはり苦かったのだが、昨年ころからほどよい酸味となり、じつは昨日も一つ食べた。とても生命力の強い木で、鋭い棘のある枝葉をたちまち茂らせる。まったく植えた覚えがない木である。 もちろん私が植えた木もある。カシワバアジサイもガクアジサイも。これらは神代植物園由来のものだ。ガクアジサイは見た目はやや地味だが、いわゆる普通にみかける丸いアジサイの原種である。ハコネウツギは小説家の故花輪莞爾氏の庭からやってきた。花輪邸に遊びに行っての帰りぎわに、私がハコネウツギに目をとめると花輪夫人が「お持ちになる?」と下さった。もう20年も前のことだ。 老いの背を叩く小柿の青ひとつ 青穹(山田維史) 老絵師を叩く小柿の青ひとつ 禅寺の無門を開ける初夏の風小庭のハコネウツギやコウゾなどの間に咲くナンテンの花ガクアジサイ
Jun 7, 2024
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半年毎に主治医のクリニックで健康検診を受けている。私は少なくとも成人してから病気らしい病気になったことがない。79歳の現在もいたって元気である。しかしもう10年の長きにわたって年に2度受診をしてきた。油断はしていないつもりだ。きょうがその検診日。4月中に予約しておいた。 採血があるので朝食抜きで予約した時間に間に合うように出かけた。医院の玄関ドアの鍵が開いたばかりで、私が文字通り一番の患者。 大腸検査のための便を提出し、血圧を測定し(125-81)、採尿し、身長体重を測定し、心電図を取り、きれいな波形ですと言われ、採血をし・・・と、順調に事がはこんで終了。 結果は後日出る。「運動をしてください」と忠告されるだろうなー。主治医の毎度の忠告だ。 私はまったく運動していないわけではない。かつては木刀で素振りをしていた。しかしその木刀は現在は玄関内に用心棒として置いてあるだけだ。長距離サイクリングもしている。サイクリングには風景や空気を感じ、街行く人々を見る楽しみがあるが、あらためて「運動」となると私の行動パターンに組み込めないでいる。自覚している私の欠点は、持続できないだろうと何かがアンテナに触れたとき、事を起こすことが嫌いなこと。短期間で終わってしまいそうなことに費やする「時間」のことを考えてしまうのだ。キー・ワードは「持続」である。すべてが流れる水のように、身体感覚や感情や思考の起伏とともに日常生活にふつうに溶け込んでいなければ・・・
Jun 5, 2024
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19時15分過ぎ、きょうも雷が鳴り激しく雨が降り始めた。昼間は良く晴れて、予報通りに向後一週間は好天になりそうだと思っていたのだが。まあ、今夕の雷雨も2,30分で止んでしまったけれど。 いずこ行く小さき殻捨つ蝸牛 青穹(山田維史) 殻を捨つノウノウそこの蝸牛 古竹にゆるりゆるりと蝸牛 古竹に歩みゆるりと蝸牛 古竹や節をかぞうる蝸牛 軒雫打たれて角振るかたつむり
Jun 4, 2024
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雷雨 初雷や夏ぞら裂けて蟻乱る 青穹(山田維史) 霹靂に驟雨きたりて牡丹散る 遠雷やいとも静かに牡丹散る
Jun 3, 2024
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新宿駅西口を中心とした都市改造計画が2018年に発表され、すでに小田急百貨店と西口広場前の明治生命ビルは解体された。新宿駅構内も改造されてすでに4年になる。今後、京王百貨店が解体され、ルミネも解体される。これらの新建造を含む改造計画は2040年代の竣工を目指しているという。 2040年といえば私は95歳である。16年はアッという間に過ぎてしまうが、その時間の速さは私の過去の人生でのことだ。時間はこれまでと同じ速さで過ぎてゆくにしても、私が2040年のその頃まで生きているかどうか分からない。 思えば、私が大学に入学して東京住まいを始めたのは東京オリンピックが開催された年, 昭和39年(1964)だった。受験のために上京したころは新宿西口の第一回の大改造が始まったばかりで、あの地下吹き抜け青天井の西口広場は建設中、地上一帯は厚い鉄板が敷きつめられていた。同時進行で小田急新宿駅の地上部分に小田急百貨店新館が竣工開業したのが昭和39年9月。オリンピックの一ヶ月前のことだった。そして、隣接して京王百貨店が竣工して開業したのが同年11月。オリンピック開催中だったような気がしているが、いや、そうではないか。オリンピックの期間は2週間だから。しかし京王百貨店の屋上にはオリンピック開催年を記念したのか五つの巨大な照明装置が建造されてい、五色の巨大光線がまっすぐに天空に伸びていた。 また西口とは反対側の新宿駅東口でも新宿ステーションビルディングが建設中だった。たしか西口に建設中のビル群より3,4ヶ月早い開業だったと思う。このビルの前の新宿駅東口広場は、間も無く学生たちの政治デモの演説広場となり、ヒッピーと言われた若者たちがたむろする広場となった。各大学での大学紛争の季節、そしてベトナム戦争問題やアメリカの原子力潜水艦の横須賀寄港問題に関する政治の季節だった。 あれからちょうど六十年が経った。 開業当初から10年ほどの間の百貨店は、各種の展覧会が企画開催されていたものだ。しかも美術館の企画とはいささかならず異色の展覧会だった。私の所蔵する展覧会図録のなかにそれらの展覧会図録が何冊か残っているはずだ。・・・いま、ちょっと探して・・・画像を掲載してみよう。小田急百貨店 東京新聞主催「刺青展」昭和48年(1973) 6月小田急百貨店 国立博物館・朝日新聞共催「日本人類史展」昭和48年10月新宿ステーションビルディング(昭和39年5月開業)(1978年マイシティに改称、2006年ルミネエストに改称)読売新聞社主催「オーストラリア原始美術展」昭和40年5月画像は図録表紙と裏表紙。展覧会の題名を背表紙にも記していないのが珍しい。新宿ステーションビルディング前田育徳会主催「加賀百万石大名展」昭和41年1月新宿ステーションビルディング読売新聞社主催「鉄砲六百年展」昭和41年8月【番外】昭和39年当時、長い伝統を有する百貨店・日本橋「白木屋」はいまだ存在していた。その白木屋で棟方志功展が開催された。私は10月4日に観ている。その1週間後の10月10に東京オリンピックが開催された。日本橋・白木屋 朝日新聞社主催「棟方志功板業代表作展」昭和39年10月この展覧会は、棟方氏の「東海道棟方版画六十八点」が完成し、朝日新聞社から出版されるのを記念して、板業37年間の代表作を展示したものである。展覧会はその後、各地の8会場で開催された。
Jun 2, 2024
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一昨夜のこと、電話が鳴ったので弟からだろうと思いながら受話器を取った。弟ではなかった。じつに思いがけなかったが、70年近く前の八総鉱山(正式名・住友金属株式会社八総鉱業所)時代の鉱業所々長さんの息子さんだった。弟と同級生だった方である。もちろん私はお名前を覚えている。子供時代の愛称さえ。彼も私を「タダミさん」と言い、私を覚えていてくださっていた。・・・しばらくのあいだ話をしたが、お元気なので何よりと思った。
Jun 2, 2024
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あじさい(雪毬) 雪毬や雨の簾をすかしみる* 青穹(山田維史) 日野市宗印寺 長雨や鐘の音消ゆる宗印寺 高尾山遠望 長雨や高尾墨絵に白牡丹 さみだれの音に迷える夢の中 長雨や三途の川音ゆめのなか 永田町 さみだれやちーっと汝が田の泥の舟** さみだれに盗っ人どもの談義哉***【言わずもがなの自註】(*) 白居易の「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」のもじり。清少納言が「枕草子」のなかで、この詩に倣い簾をかかげて中宮定子に雪をご覧にいれたことは、誰でもご存知。(**) 古来さみだれの「さ」は稲の植付けの意味、「みだれ」は雨の降るさまを意味し、田植えの時期の雨を「五月雨」と称した。拙句は「みだれ」に「乱れ」を掛け、「汝(な)が田」は貴方の田んぼということだが、もちろん「永田町」すなわち政界の意である。さらに田植え前の代掻きの状況、しかし田舟が泥舟ではカチカチ山ではないが沈んでしまう。「ちーっと」は「ちょっと」の俗語。私はいたずらっぽく英語の「cheat(チート;騙す)」を掛けた。掛詞だらけの雑俳である。 (**) 政党政治の「悪事」を取り締まるための法律を、その当人たちがつくるという滑稽。国民を欺き,税金をちょろまかすことを「政治」と心得ている奴ら。雨後に繁茂する雑草のようにオレもオレもと出てくる奴を、選ぶほうも選ぶほうだ。人間を見抜く目が曇ってしまった日本国民。ハハ、のんきだね〜
Jun 1, 2024
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