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Jul 31, 2024
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Jul 29, 2024
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昨日の激しい雷雨は風も激しかったのか、今朝、小庭には36個もの青柿が落ちていた。直径が4cmほどに成長していたので、可哀想だったし、惜しいことでもあった。そういえば敷石に何かがコン、コンと打ち付けるような音が聞こえていた。あれは青柿が落ちる音であったか! もう16年前、2008年の拙句に「柿落ちて甍にころがる一夜かな」と詠んだ。旅の途中、ある寺に泊めてもらったときの句である。床に就き、眠ろうとするのだがコン、コンと甍を叩いて柿がころがる。初めは柿と知らずに、何の音だろうと、暗闇に目を凝らし、耳をそばだてた。翌朝、それが青柿の落ちる音だと知ったのだった。・・・この句、故花輪莞爾氏が好きだと、巻紙毛筆のお手紙に書いて寄越された。花輪氏にもそんな一夜がおありだったかもしれない。 青柿の落ちしよりはや兄(けい)は逝き 青穹(山田維史)
Jul 26, 2024
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Jul 25, 2024
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危険警報が出るほどの猛暑がつづいている。新聞は銀座通りのミスト噴射を報じ、また種々の建設現場作業員の熱中症対策を報じている。「沸騰列島」と、朝日新聞夕刊は書いている。 私のところでも昼前までに35℃まで達した。ところがちょうど正午をすぎたとき、いきなり激しい雷鳴が轟き、やがてザーッと雨が降り出した。これで少しは涼しくなるであろうと思った。その思いどおり、気温が10度ほども下がった。しかししめしめと思ったのも束の間、雷鳴は相変わらず激しいが、仕事場から見える西空は夕焼けのような茜色である。遠い西の彼方は晴れているらしい。そして、雨は間もなく止んでしまった。台風が北上しているらしい予報も出ていたが、雷鳴も雨も、あの激しさはいつのことやらと思うほどに晴れ上がり、再び気温が上昇しはじめた。・・・現在、午後9時を過ぎて15分になる。気温は30℃になろうというところだ。 パリ・オリンピック競技が日本時間27日から始まる。開催時期をこの暑いさなかにしなくとも、と私は思う。夏冬大会と言うけれども、どうせ夏季大会と冬季大会とが開催年が同じではないのだから、熱中症を心配しながら盛夏におこなうこともなかろう。尤も、オリンピック競技はスポーツ競技にはちがいないが、どうも「健康志向」とは関係がなさそうだ。人間の肉体の「美」の追求と「可能性」の追求は、それは素晴らしいと私は思うけれども、場合によっては、あるいは人によっては、心身の破壊と結果することもあるようだ。まあ、身も蓋もない言い方だが、人類史に名を残すということは、そういうことだろう。肉体と心の山を登らなければならないのだ。人間が単なる生物から分離して陥った「進歩、あるいは進化」と称しているのは、そういうことだろう。
Jul 24, 2024
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去る日、神奈川の方に頂戴したムサシアブミ。日陰を好む植物らしいので、茶の木と楓の小木の陰に置いてある。名前の由来である鐙のような形の仏焔苞はすでに枯れ落ちて、緑色の実がでている。この実はやがて真っ赤に熟すはずである。
Jul 23, 2024
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きょうの朝日新聞朝刊に天声人語士が「香り」をめぐって書いていられる。コロナウィルス禍で閉じこもりがちなときにインドネシア産の線香を焚いた、と。「ああ、私も同じことをしていた」と私は思った。天声人語士は、つづけて本間洋子氏の著書『香道の文化史』を紹介している。 香道、あるいは香りの文化に関する本は、近年のアロマ・セラピーなどの流行の影響もあるのか、ひところに比べると多いように思う。 私の書棚にも一冊の稀覯本がある。 杉本文太郎著『香道』。昭和5年(1930)に雄山閣より刊行された。その後、太平洋戦争を挟んで長らく絶版になっていたが、昭和44年に限定300部が再刊行され、さらに昭和47年(1972)にやはり限定300部が再々刊行された。私が所蔵するのは再々刊行された300部のうちの一冊である。 再刊本ではあるが、版型体裁は元のままである。昭和5年版に昭和44年版に付加された志野流家元・蜂谷宗由氏の序文と御家流家元三条西堯山氏の序文が収載されている。香道二流の家元が序文を寄せるだけあって、本書の内容は香道について微に入り細を穿つもので、後学のために挙げた著者が参考にした書籍もまた綿密である。すなわち、宮内省図書寮所蔵書26、内閣文庫所蔵本17、大学図書館所蔵本5、帝国図書館所蔵本21。そのすべてが貴重な古写本である。無論、書名を列記し、分冊の場合はその旨と冊数を書いている。さらに著者は「再び参考書籍に就いて」を草し、八方手を尽くしたが実物書を見ることができなかった古書籍について、後に朗報を得て所蔵者の好意によって30数日間の読解研究をし、それによって香道全般について著者として満足できる本ができたとある。 私は本書によって「源氏香」の種類と、そのそれぞれの香木の組み合わせを知ることができた。「源氏香」はそれぞれ算木の組み合わせのような記号で表されており、その意味を知らなければ「源氏香」を知ることにはならない。ということは、日本文化のなかの「香合わせ」の、いわば奥行きを知ることにもならない。その感覚の鋭さを偲ぶこともできない。その源氏香を含めて組香とその仕方226通りの詳細。これを嗅ぎ分ける「遊び」。それが香道である。函に巻かれた帯に「香道入門」とあるが、香道の奥の院の扉を開けることだと承知する。いわゆる一般的な概説書ではない。 本書について詳しく述べる余裕はないが、せめても外装の画像だけでも掲載しておこう。杉本文太郎『香道』 昭和47年限定300部 雄山閣刊銀刷絹目紙貼り函題字および装画金版金箔捺し布装。A5判本文404頁このスキャン画像では白っぽく反射しているが、実物は金箔である。
Jul 22, 2024
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Jul 21, 2024
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明け方近く、私はまだ眠りの中にいたが、耳には雨音が聞こえていた。夢とも現ともつかない頭に不意に歌がうかび、頭の中で歌っていた。 「フォージングダウン シソーシャライ フォージングダウン シソーシギン フォージングダウン シソーシャライ フォージングダウン シソーシギン ヘイシキズンバ ズンバ ズンバ ヘイシキズンバ ズンバジ ヘイシキズンバ ズンバ ズンバ ヘイシキズンバ ズンバジ ウイヤ ハッ! ウイヤ ハッ! ウイヤ ウイヤ ウイヤ ハーッ!」 私は目を覚ました。そして我ながら驚いた。夢うつつに頭の中で歌っていたこの歌は、私が八総鉱山小学校6年生の夏、猪苗代湖畔の長浜旅館を宿舎にした湖畔学校で、夕食後の余興で歌ったことを思い出したのだ。男女数人ずつのグループに分かれ、私のグループは高橋先生にこの歌をおしえてもらった。どこかの小民族の雨乞いの歌。高橋先生はボーイスカウトだったとかで、ボーイスカウト愛唱歌らしかった。私たち4,5人はたった一度きりの練習で覚えてしまった。みんなが私を酋長に指名した。簡単に段取りを決め、寝床のシーツを体に巻きつけ、・・・ああ、セリフも思い出した。 酋長「ビントゥタンレー サッショウニカ!」 一同「ロンテニカー ロンテニカ」 酋長「ビントゥタンレー サッショウレイ!」 一同「ロンテニカー ロンテニカ」 そして上記の歌を歌い踊った。 思い出した歌詞が正しいかどうか心もとない。なにしろ67年前の予行演習なしのただ一度きりの余興だった。夢うつつに聞こえる雨音が、この67年前の「雨乞いの歌」を思い出させたのであろうか。雨乞いどころではない、もういいかげん梅雨が明けてもよさそうなものだが。
Jul 21, 2024
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Jul 20, 2024
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Jul 19, 2024
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西行全集を勉強しなおそうと、その予習を兼ねて辻邦生氏の小説『西行花伝』を再読していた。西行の周囲に在って親しくしていた貴人たちの回想と西行自身の思い出話によって、西行その人を浮かび上がらせるという仕組みの小説である。 私が西行を読み直そうと思い立ったのは、心身を歌作に献げ、半生を過ぎる人生を歌に没入した人物であったが、同時代の先達で西行を教えその歌才を認めていた藤原俊成の歌の境地とも(まったく)異なる歌、と私は感じていたからである。辻邦生氏もおそらくそのように感じていたらしいのは、『西行花伝』において辻氏は西行が歌に没入していく想いを、「私にとって唯一の関心事は、歌とは、たとえばこの花の好さ、月の好さをいかになまなましく閉じこめる器であるか、ということだ。」と西行に語らせている。この思想を辻氏は作中でしきりに書いていられる。しかしながら、この思想を語りながら、小説を運ぶ核として作中に引く西行の歌はいずれも花や月に風流に遊んではいない。いや、私には風流に遊んではいない、と思えるのだ。西行の歌が俊成やその子息定家の歌とは歌心において異なるのではないか?、と私は感じるのである。この私の思いを、辻氏は「(西行の歌は)激しい思いのなかへ踏み込んで行くという趣がある」と、弟子の藤原秋実(ふじわらのあきざね)に語らせている(新潮社単行本初版p.500)。西行の出自が定家や俊成のような貴族ではなかったからだろうか?・・・西行全集を読み直してみようと思い立った所以である。 ところで、こう書き出したけれども、実は私は別のことを書き留めておこうと思う。 『西行花伝』 は二十一の帖(21章)から成るが、その十九の帖に西行の独語として重源(ちょうげん)が登場する。東大寺大仏殿を再建した俊乗房重源である。東大寺大仏殿は、治承4年 (1180)、平重衡(たいらのしげひら)によって火を放たれて消失した。翌年、平清盛が死去し、平家は西海に追い詰められて滅亡した。同治承5年(養和元年)、鎌倉幕府の力添えによって重源は大仏殿再建に着手した。造寺官の任命があり、その秋、重源は勧進行脚の途に上った。 『西行花伝』 は西行の独語として次のように書いている。 〈・・・重源が奈良からわざわざ訪ねてきて、(略)東大寺大仏殿の再建の次第を私に諮ったことである。重源とはむろん面識はない。ただ、「仏法の滅尽、かくのごときは我朝は言うに及ばず、天竺・震旦にも聴かざるなり」と叫んで、朝廷から東大寺再建の委託を受けたという話を聞いていただけであった。〈改行)重源は年のころ六十前後、浅黒い不敵な面魂で、南都の学生派と堂衆派との争いに関係を持たず、どこかから突然現われて再建勧進の中心となった謎めいた男であった。〈略)その口にすることが本当であるとしても、全体が一つになると、どこか嘘めいた、空疎な響が漂っているのである。(略)有力者とも面識がないまま、諸国を遍歴しつづけた果てに野心をようやく果そうとしている男の言葉であり挙措であった。(改行)私は重源を嫌ったのではない。また重源が偽りで大仏再建に取り組んでいたというのでもない。重源の言葉は一つ一つ本当であろう。だが、重源が何か言うと、私のなかで、警戒心のようなものが、そっと耳を立てるのを感じた。〉(新潮社単行本初版p.464-465) 長い引用になった。たしかに重源の伝記は東大寺大仏殿再建以前については不明な点が多い。後に述べる小林剛氏の研究によれば、紀氏の出ではないかとしている。 重源は、西行に大仏再建の手助けを依頼しに来訪したのである。すなわち、陸奥国の藤原秀衡と面識がある西行に、陸奥国の砂金等の財物を提供するように交渉することと、その財物を確実に奈良に届くように鎌倉幕府・源頼朝と交渉してくれまいかというのだった。そして引用したここには、西行が会った重源の印象(人物像)が西行の言葉として書かれている。しかしながら、この重源像は辻邦生氏の想っている重源像と言ってもいいのではあるまいか。 私がこのあたりの記述にいささかの違和感を覚えたのは、この辻邦生氏の重源像についてである。 私が俊乗房重源に関心を抱くようになったのは、兵庫県小野市に現存する浄土寺浄土堂への関心からである。この御堂は重源が東大寺大仏殿再建後に建立した。大仏様と称されている建築様式で、この様式の建造物は東大寺南大門と浄土寺浄土堂と、わずか2例のみが現存する。この御堂に私が魅かれるのは、仏教思想(浄土思想)と心像(イメージ)と天文学と地勢が、建築(設計、構造力学、金策、資材調達、工人招集、建材による実現)に、みごとに統合されているからである。すなわち、西方浄土思想のイメージは次のように実現される。夕方に御堂の西側の蔀(しとみ)を開けると、観音菩薩(向かって左)と勢至菩薩(向かって右)を従えた中央の阿弥陀本尊像の背後から沈みゆく夕日が金色燦然とした後光として真っ直ぐに射し込み、床に反射し、その反射光は阿弥陀像のやや前方の斜めの天井に再反射して阿弥陀像の御顔を照らす。朱漆で塗装された堂内の柱という柱が真っ赤に輝く。三間(約18m)四方の御堂の柱や貫はすべて光の箭となるように設計されているのである。そして、夕日がこのように真っ直ぐ射し込むためには、天体運行と地勢とが厳密に計算されていなければならない。・・・このあらゆることの地上における統合こそが、芸術のめざすことではないか? 私はそのように考えて、めまいのような陶酔感を覚えた。そして、それを実現した人物である俊乗房重源に関心が向かったのである。 私が26,7歳のころだった。神田の古書店が並ぶ通りを御茶ノ水駅に向かって足早に歩いていた。田村書店を通り過ぎようとして、右目の片隅にちらりとウインドゥーに飾られた一冊が入った。「あっ!」と足を止めてウインドゥーに近づいた。小林剛著『俊乗房重源の研究』だった。奈良国立文化財研究所々長だった小林剛博士の逝去後に遺稿としてみつかった論文を、博士の衣鉢を継ぐ方々によって昭和46年に限定出版された本である。私は店内に入って価格を問うた。高かった。持ち合わせもなかった。私は帰宅してからもその本が忘れられなかった。入手したかった。 翌日、なけなしの金を持って、田村書店に行った。ウインドゥーに『俊乗房重源の研究』は無かった。聞けば、たった先ほど売れたのだと言う。・・・私は金がないために何度か本を入手しそこなっているが、このときほど落胆したことはない。東京の恐ろしさを感じたことはない。 その後、私は東京都立中央図書館に行き、館外貸出を申請した。ところが『俊乗房重源の研究』はもう長い間、或る区の公立図書館経由で館外貸出になったまま返却されていない、と言うのである。(後に私はある論文を見て、その著者が長期館外貸出の借主だったに違いないと推測した。) さて、限定出版から9年後。小林剛著『俊乗房重源の研究』が、多くの要望に応えて改版出版された。私は出版社に直接問い合わせて送ってもらった。ただし残念なことに、この改版本には、限定版に収載されていた図版が削除されていた。限定本を見ていない私にはもともとどんな図版だったかわからない。改版出版に携わった方々の努力には謝するが、著者渾身の研究に付された図版を削除したその見識を私は理解できない。 ・・・というわけで、小説『西行花伝』に描かれた辻邦生氏の重源像に私はかならずしも納得しない。しかし、東大寺に現存する木彫重源座像を見ると、辻邦生氏が重源を謎めいた男と想ったのは無理からぬこととも思える。その重源像は口を固く結び、意思厳格な、一筋縄で行かない様子ではある。 小林剛『俊乗坊重源の研究』昭和55年改版第一刷 有隣堂刊『圖説 東大寺』昭和27年 朝日新聞社刊6篇の解説風な論文を収録。戸田直二郎「大佛開眼」、藤原義一「東大寺の建築」、上野直昭「東大寺の彫刻」、春山武松「東大寺の絵畫」、岡田譲「東大寺の工藝」、澤瀉久孝「東大寺建立と文學」、筒井英俊「大佛造顯とその思想信仰」、飯島幡司「お水とりと青衣女人」。杉本健吉による東大寺全図、佐藤辰三による月光菩薩像カラー写真一葉、入江泰吉による63葉の黒白写真。および挿図22点。 参考までに紹介したが、本書の入手は現在では困難かもしれない。入江泰吉の63葉の写真の中に、俊乗坊重源坐像がある。
Jul 18, 2024
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Jul 17, 2024
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Jul 16, 2024
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Jul 15, 2024
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Jul 14, 2024
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小雨が降ったり止んだりしているので、数日間つづいていた猛暑に小休止が入った。気温は25℃前後なので、猛暑日の38℃から40℃より10度も違うのだから、過ごしやすいと感じるわけだ。 ところで間も無くパリでオリンピックが開催される。しかし現時点でなお憂慮されているのが、トライアスロン競技の水泳会場と予定されているセーヌ河の水質問題である。パリ当局は水質浄化にやっきになってい、パリのイダルゴ市長は懸念を払拭するために、先日10日、自らが来週遊泳してみせるとフランス・ラジオ局のインタビューで語った。ところが市当局の水質検査で許容水準を大きく上回る大腸菌が発見されたという。この検査は6月3日から7月2日までの30日間の水質を分析し、そのうち22日間に許容水準を超える大腸菌が発見されたのである。健康被害が出る可能性をオリンピック委員会が如何様な判断を下すか注目しなければならないだろう。 この問題で私が思い出すのは、日本の放射能汚染が懸念された水質問題である。このとき、担当大臣が、その懸念を払拭するために、自らがその水を飲んでみせると公言した。パリ市長がセーヌ河で泳いでみせると言ったことと全く同じ政治的なパフォーマンスである。 やるなら勝手におやりなさい、止めはしません、というのが私の言葉。そう言い置いて、私のもっとも懸念するのは、このようなパフォーマンスを政治姿勢としている当人の感覚である。その思想である。その非科学的な・・・つまり非理論的な方向性の誤りを政治と心得ていることである。そういう人物が政治に登場してきている現状を、私は危惧するのである。 大腸菌がいっぱいいる河で泳いでも特に健康被害はなかった。放射能に汚染されているかもしれない水を飲んでもさしあたりの健康になんら問題はなかった。・・・と、その実行者はそうだったとして、おのれたった一人の例が、他の万民の例になるだろうと考える軽薄さ。たった一人の例は、「特例」としてサンプリングされても、統計学のおしえる「証拠」とはならないのである。いま流行りの、バカのように口走る「エビデンス」にはならないのである。 ・・・政治というのは「騙しのテクニック」であるという一面を私は否定しない。それが良いと思っているわけではないが、聴き分けが無い者に対する嘘も方便で、そうでもしなければ事は進展しないからである。しかしそこには程度というものがあって、人倫に悖ってはなるまい。根底において個々人の尊厳を否定する方向性は、政治力学においては完全否定されなければならない。 セーヌ河遊泳試行や放射能汚染水飲料試行などの政治的パフォーマンスが「エビデンス」となるのは、その実行者が死んだ場合だけである。それがたとえ1/100,000,000 の死であっても、人間、生きるか死ぬかの存在にとって外在理由によっての死は、たった一人の死でも証拠になるのである。政治家や政治を志す者は、そのことを忘れるべからずである。
Jul 12, 2024
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やってきた弟が、我が家の前に救急車が止まっていたので驚いた。・・・いや、私は元気。あいかわらず元気だ、と言い直そう。救急車のことを私は知らなかった。ご近所に何事かがあったのであろう。 たしかに毎日のように遠く近く、どこかで救急車のサイレンが聞こえない日はない。早朝のこともある。何事が起こっているかを私は知る由もないので、救急隊の活動に思いが向く。たいへんな仕事だ。 私は民生委員だったときに、一人暮らしの高齢者につきそって、救急病院まで救急車に同乗したことがある。その人のご近所のひとたち数人からの依頼だった。救急車の中で、死ぬのではないかと不安がるその手を私は握り、「だいじょうぶです、だいじょうぶです。救急隊の方もしっかり見守ってくれていますよ!」と励ました。その人は、私の手をにぎりながら、ご自分の身に起こった事を話した。「たいへんでしたね、でも、もうだいじょうぶ。こうして手を握っていますからね」と。 その人がポツリポツリと私に語ったことは、じつは社会制度の欠陥、・・・ないしは社旗制度にくっついている人間の尊厳に関わることや人間感情に対する、無感覚あるいは非情さを指摘することであった。・・・しかし、そのことはここに書けない。その人の身に起こったことが事実かどうかを、私は確認するすべもない。 街の灯や暮れて日除けの簾越し 青穹(山田維史)
Jul 10, 2024
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連日の猛暑。今朝もご近所さんから「暑いですね!」と声をかけられたが、口に出すまいと思ってもついつい言ってしまう。こんな天候がつづくと、摘花は済んでいるが紫陽花への水やりをまめにしなければならない。紫陽花は他の花木に比べて常にたっぷりの水を要求する。 夕方7時過ぎ、西の空が茜に染まった。仕事場の窓を開け放って夕焼けを見ていた。コガネムシが飛んできて窓枠に止まった。高浜虚子は「金龜蟲(こがねむし)擲つ闇の深さかな」と詠んでいるが、実のところ夜が落ちてくるのが遅い。 こがねむし夕日一閃金(きん)の翅 青穹(山田維史) こがねむし夕日とどめる黄金(きん)の翅
Jul 9, 2024
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七夕やすれ違い行く橋のうえ 青穹(山田維史) 七夕やすれ違い行くこの世かな 七夕や彼岸此岸に関もなし 七夕や恋の廃墟に竹を立つ 七夕や消しゴムで消す恋心 夏草や道連れうれし山路かな 夏草や風のそよぎに匂う昔日 夏草や夢に過ぎ行く人のかお 七夕や問いたる岸の生きる場所
Jul 8, 2024
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東京都知事選挙投票日。選挙管理委員会の投票を呼びかける市内放送が朝から2,3度聞こえていた。昨日も、今日の投票日を忘れないようにと呼びかけていた。 私は午前中に投票をすませた。 ついでに買い物をして帰宅すると、腕が日焼けしていた。気温は36℃に達していた。猛暑である。 夏草や匂いおこせよ若き日を 青穹(山田維史) 夏草や我が身ひとつの炎(ほむら)かな 夏草や狂おしきかな炎立つ 夏草や我日盛りに立ち尽くす 七夕や現し身離るめぐりあい
Jul 7, 2024
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なんだかんだといろいろな事を記憶しているが、79歳にもなるとさすがに記憶が薄れてきているのを自覚する。薄れるばかりではなく、新しいことが記憶できなくなっているようだ。いまのところあまり不都合はないし、記憶しなくてもよいようなことは記憶しない。これは歳をとってからばかりではなく、若い時から取捨選択をして記憶していたかもしれない。捨てるのは心の負担になるようなことだ。つまり他人事として始末できることだ。これは日常生活のなかで私自身の振る舞いとしてどのように表われるかというと、よく笑う、・・・カラカラとよく笑う、と自己観察している。 ところでいきなり話を変えるが、記憶しようと思わなくともいつのまにか記憶してしまうものがある。歌謡曲である。私はこのブログ記事のなかで、しばしば歌謡曲にまつわることを書いている。私はカラオケで歌ったことがない。カラオケで歌ってみたいと思わないではないが、まあ、とにかくやったことがない。しかし、歌詞はうろおぼえながらメロディーだけは記憶している。子供のころに耳に入ってきたメロディーを無意識のうちにいつのまにか記憶して、事実、現在でも歌えるのである。私は歌謡曲の力だと思っている。じつは、そんな風に記憶しているにもかかわらず、子供の頃から二十代くらいまでは歌謡曲が嫌いだった。しかしそれがいつのまにか・・・ 一曲思い出すと(歌うと)連想的につぎつぎと出てくるのだが、そのことに我ながら呆れて、以前、いったい何曲くらいメロディーを記憶しているか書き出してみた。そのときのリストが残っていたので、ちょっと掲載してみよう。これを今日の日記としよう。覚えるつもりもないのに耳に入るままにいつのまにか記憶し、79歳になっても忘れていないメロディーである。まさに歌の力だ。ただし気付くのは、さすがに今まさに流行の歌ではない。10代20代の人たちの恋愛事情や心の叫びを、ナマのまま吐露しているような歌詞は、さすがに爺ちゃんにはシックリこない。若い人たちの人生の悩みの解決方法を、爺ちゃんは「知っている」。まあ、そういうことかもしれない。 あ逢いたかったぜ(岡晴夫)あの丘超えて(美空ひばり)愛ちゃんはお嫁に(鈴木三重子)あざみの歌(伊藤久男)赤いハンカチ(石原裕次郎)赤いグラス(アイ・ジョージ)赤いランプの終列車(春日八郎)アカシヤの雨が止むとき(西田佐知子)哀愁列車(三橋美智也)哀愁出船(美空ひばり)哀愁波止場(美空ひばり)赤と黒のブルース(鶴田浩二)赤城の子守唄(東海林太郎)あん時ゃどしゃ降り(春日八郎)赤い花(西郷輝彦)或る雨の午後(ディック・ミネ)憧れのハワイ航路(岡晴夫)青い山脈(藤山一郎)雨の中の二人(橋幸夫)雨のブルース(淡谷のり子)雨の酒場で(ディック・ミネ)あゝ上野駅(井沢八郎)青い背広(藤山一郎)雨降る街角(春日八郎)あれから十年たったかな(春日八郎)アンコ椿は恋の花(都はるみ)あゝそれなのに(美ち奴)愛の讃歌(越路吹雪)愛の小窓(ディック・ミネ)愛しちゃったのよ(和田弘とマヒナスターズ)雨に咲く花(井上ひろし)雨の御堂筋(欧陽菲菲)雨(三善英治)哀愁の街に霧が降る(山田真二)嵐を呼ぶ男(石原裕次郎)雨の夜あなたは帰る(島和彦)愛燦々(美空ひばり)赤坂の夜はふけて(西田佐知子)雨がやんだら(朝丘雪路)い命かれても(森進一)石狩川悲歌(三橋美智也)異国の丘(竹山逸郎・中村耕造)伊豆の踊子(三浦洸一)潮来笠(橋幸夫)居酒屋(春日八郎)いつでも夢を(橋幸夫・吉永小百合)伊勢佐木町ブルース(青江三奈)う美しい十代(三田明)うそ(中条きよし)上を向いて歩こう(坂本九)ウナ・セラ・ディ東京(越路吹雪)裏町酒場(美空ひばり)え越後獅子の唄(美空ひばり)襟裳岬(森進一)おお祭マンボ(美空ひばり)大島育ち(田端義夫)女心の唄(バーブ佐竹)おんなの朝(美川憲一)おんな船頭唄(三橋美智也)落葉しぐ(三浦洸一)大阪しぐれ(都はるみ)奥飛騨慕情(竜鉄也)おまえに(フランク永井)お富さん(春日八郎)おんなの宿(大下八郎)おーい中村君(若原一郎)王将(村田英雄)俺は淋しいんだ(フランク永井)女のみち(宮四郎とぴんからトリオ)男の純情(藤山一郎)お座敷小唄(和田弘とマヒナスターズ・松尾和子)女の階段(藤山一郎)俺ら炭坑夫(三橋美智也)俺は待ってるぜ(石原裕次郎)おさげと花と地蔵さんと(三橋美智也)お別れ公衆電話(松山恵子)大利根月夜(田端義夫)思い出さん今日は(島倉千代子)小樽の人よ(鶴岡雅義と東京ロマンチカ・三条正人)かかえり船(田端義夫)悲しき口笛(美空ひばり)悲しい酒(美空ひばり)影を慕いて(藤山一郎)川の流れのように(美空ひばり)川は流れる(仲宗根美樹)柿の木坂の家(青木光一)カスバの女(エト邦枝)勘太郎月夜(小畑実)学生時代(ペギー葉山)悲しき雨音(越路吹雪)喝采(ちあきなおみ)カチューシャの唄(松井須磨子)帰ろかな(三橋美智也)学園広場(舟木一夫)からたち日記(島倉千代子)岸壁の母(菊池章子)き北の旅人(石原裕次郎)北の宿から(都はるみ)北国の春(千昌夫)北上川夜曲(ダークダックス)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100君恋し(フランク永井)霧子のタンゴ(フランク永井)君だけを(西郷輝彦)君といつまでも(加山雄三)君たちがいて僕がいた(舟木一夫)君は心の妻だから(鶴岡雅義と東京ロマンチカ・三条正人)銀座カンカン娘(高峰秀子)銀座の恋の物語(石原裕次郎)君こそわが命(水原弘)霧の中の少女(久保浩)霧の摩周湖(布施明)黄色いさくらんぼ(スリーグレイセス)祇園小唄(藤本二三吉)兄弟仁義(北島三郎)銀色の道(岸洋子)今日でお別れ(菅原洋一)くくちなしの花(渡哲也)黒い花びら(水原弘)俥屋さん(美空ひばり)口笛が聞こえる港町(石原裕次郎)け芸道一代(美空ひばり)芸者ワルツ(神楽坂はん子)こ湖愁(松島アキラ)古城(三橋美智也)高原列車は行く(岡本敦郎)高原の駅よ、さようなら(小畑実)恋心(岸洋子)恋のGT(西郷輝彦)高校三年生(舟木一夫)恋の町札幌(石原裕次郎)湖畔の宿(高峰三枝子)国境の町(東海林太郎)ここに幸あり(大津美子)こんにちわ赤ちゃん(梓みちよ)こぼれ花(石原裕次郎)子連れ狼(橋幸夫)この世の花(島倉千代子)小指の思い出(伊東ゆかり)五番街のマリー(高橋真梨子)さ酒は涙か溜息か(藤山一郎)酒よ(吉幾三)酒場にて(江利チエミ)さざんかの宿(大川栄策)サーカスの唄(松平晃)サン・トワ・マミー(越路吹雪)佐渡情話(美空ひばり)再会(松尾和子)寒い朝(橋幸夫・吉永小百合)錆びたナイフ(石原裕次郎)さだめ川(バーブ佐竹)さすらい(小林旭)し上海帰りのリル(津村謙)上海ブルース(ディック・ミネ)白い花の咲く頃(岡本敦郎)白い蝶のサンバ(森山加代子)修学旅行(舟木一夫)人生の並木道(ディック・ミネ)人生劇場(村田英雄)知床旅情(森繁久彌)秋止符(谷村新司)昭和枯れすすき(さくらと一郎)十七才のこの胸に(西郷輝彦)思案橋ブルース(青江三奈)幸福はあの空から(岡晴夫)す好きだった(鶴田浩二)鈴懸の径(灰田勝彦)ズンドコ節(小林旭)すきま風(杉良太郎)好きになった人(都はるみ)すみだ川(東海林太郎)昴(谷村新司)せ青年小原節(西郷輝彦)青春のパラダイス(岡晴夫)青春の城下町(梶光夫)青春サイクリング(小坂一也)瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)船頭小唄(森繁久彌)せんせい(森晶子)世界は二人のために(佐良直美)そ宗右衛門町ブルース(平和勝次とアローナイツ)そして神戸(クールファイブ・前川清)蘇州夜曲(渡辺はま子・霧島昇)た武田節(三橋美智也)誰か故郷を想わざる(霧島昇)旅の夜風(霧島昇)旅姿三人男(ディック・ミネ)旅笠道中(美空ひばり)誰もいない海(越路吹雪)ダンチョネ節(小林旭)たっしゃでな(三橋美智也)ちチャペルにつづく白い道(西郷輝彦)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・200チャンチキおけさ(三波春夫)月の法善寺横丁(藤島恒夫)つ月がとっても青いから(菅原都々子)津軽海峡冬景色(石川さゆり)ててんとう虫のサンバ(チェリッシュ)と東京流れもの(竹越ひろ子)トンコ節(久保幸江)東京ナイトクラブ(フランク永井・松尾和子)東京の花売娘(岡晴夫)東京キッド(美空ひばり)東京ラプソディ(藤山一郎)遠くへ行きたい(ジェリー藤尾)年上の女(森進一)東京音頭(葭町[藤本]二三吉、三島一声)東京の灯よいつまでも(新川二郎)東京午前三時(フランク永井)東京ブルース(西田佐知子)東京だヨおっ母さん(島倉千代子)東京の人(三浦洸一)な涙の酒(大木伸夫)浪花節だよ人生は(木村友衛)長崎は今日も雨だった(内山田洋とクールファイブ)長崎の鐘(藤山一郎)長崎物語(由利あけみ)長崎の女(春日八郎)長崎の夜はむらさき(瀬川瑛子)涙君さよなら(西郷輝彦)啼くな小鳩よ(岡晴夫)南国土佐を後にして(ペギー葉山)涙の連絡船(都はるみ)なみだの操(殿様キングス)なみだ船(北島三郎)並木の雨(松原操)に西銀座駅前(フランク永井)新妻鏡(霧島昇)人形の家(弘田みえ子)ぬねネオン川(バーブ佐竹)の野崎小唄(東海林太郎)は羽田発七時五十分(フランク永井)函館の人(北島三郎)波止場だよお父っつあん(美空ひばり)バラが咲いた(マイク・マキ)花と蝶(森進一)花(嘉納昌吉)花笠道中(美空ひばり)初恋によろしく(西郷輝彦)ひひばりのマドロスさん(美空ひばり)白虎隊(霧島昇)氷雨(日野みか)ふ二人の世界(石原裕次郎)二人の銀座(山内賢・和泉雅子)風雪流れ旅(北島三郎)釜山港へ帰れ(チョー・ヨンピル、渥美二郎)舟歌(八代亜紀)冬隣(ちあきなおみ)ブルー・シャトー(ブルーコメッツ)ブルーライト・ヨコハマ(いしだあゆみ)へ弁天小僧(三浦洸一)ほ星の流れに(菊池章子)星空のあいつ(西郷輝彦)星娘(西郷輝彦)星のフラメンコ(西郷輝彦)北帰行(小林旭)星影のワルツ(千昌夫)星影の小径(小畑実)ま瞼の母(中村美津子)真赤な太陽(美空ひばり)まつのき小唄(五月みどり)街のサンドイッチマン(鶴田浩二)みみだれ髪(美空ひばり)港町十三番地(美空ひばり)港町ブルース(森進一)港が見える丘(平野愛子)ミヨちゃん(平尾昌昭)皆の衆(村田英雄)見上げてごらん夜の星を(坂本九)みちづれ(牧村三枝子)緑の地平線(楠木繁夫)都の雨に(ちあきなおみ)む霧笛が俺を呼んでいる(赤木圭一郎)無法松の一生(村田英雄)昔の名前で出ています(小林旭)霧氷(橋幸夫) むらさき小唄(東海林太郎)無情の夢(児玉好雄、佐川満男)め夫婦春秋(村田英雄)夫婦坂(都はるみ)明治一代女(新橋喜代三)名月赤城山(東海林太郎)目ン無い千鳥(霧島昇)ももしもピアノが弾けたなら(西田敏行)や山小屋の灯(近江俊郎)山の吊橋(春日八郎)山の高さよ(春日八郎)柳ヶ瀬ブルース(美川憲一)矢切の渡し(ちあきなおみ)柔(美空ひばり)ゆ湯島の白梅(小畑実)有楽町で逢いましょう(フランク永井)湯の町エレジー(近江俊郎)・・・・・・・・・・・・・・・・・・300夕焼とんび(三橋美智也)夢は夜ひらく(藤圭子)夕焼け雲(千昌夫)夢で逢いましょう(坂本すみこ)夢追い酒(渥美二郎)よ夜霧のブルース(ディック・ミネ)夜霧の第二国道(フランク永井)夜霧に消えたチャコ(フランク永井)夜霧よ今夜も有難う(石原裕次郎)夜霧の慕情(石原裕次郎)与作(北島三郎)喜びも悲しみも幾歳月(林伊佐緒)夜明けのうた(岸洋子)嫁に来ないか(新沼謙治)よこはま・たそがれ(五木ひろし)らラブユ-東京(黒沢明とロス・プリモス)ラバウル小唄(戦時歌謡)ラストダンスは私に(越路吹雪)りリンゴ村から(三橋美智也)リンゴ追分(美空ひばり)リンゴの唄(並木路子)りんどう峠(島倉千代子)るれろ浪曲子守唄(一節太郎)わ別れの一本杉(春日八郎別れの波止場(春日八郎)私は街の子(美空ひばり)若いお巡りさん(曽根史郎)別れのブルース(淡谷のり子)ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ(越路吹雪)勿忘草をあなたに(菅原洋一)私の城下町(小柳ルミ子)・・・・・・・・・・・・・・・・・・331
Jul 6, 2024
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来たる7月20日は、1969年7月20日にアポロ11号に搭載された宇宙船コロンビア(宇宙飛行士マイケル・コリンズ氏)、および月着陸船イーグルに乗り込んだニール・アームストロング氏、バズ・オルドリン氏が、人類最初に月に降り立ってからちょうど55年になる。 月に文字通り人類最初の一歩を記したニール・アームストロング氏は "That's one small step for man, one giant leap for mankind"と地球に向けて言った。「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」 大きな犠牲を払った経験の積み重ねによって行き着いた成功だった。 (御三人の年齢がまったく同じであることに注目。潜在心理として持ちかねない年齢差による上下関係の出来(しゅったい)を予め阻止すべく考慮されていたかもしれない。) もうだいぶ以前のことだが、NASAはこの成功までのかつて非公開だった様々な場面を撮影した映像を公開した。私は公開当時にそのおよそ1時間30分におよぶ映像を見ていた。いま試しに検索したところ、YouTubeに掲載されていた。ディスカバリーチャンネル「アポロ計画 失われた映像」 この映像を観ながら、たずさわった40万人ともいわれる人たちの緻密な思考と実行力に感嘆しながら、私は現在の世界情勢にいろいろ考えをめぐらせた。・・・殺し合い(戦果としての殺戮。乳幼児を含む虐殺。政治的・恣意的な粛清)、文化破壊を含む大規模な物的破壊、自然災害ではない人為による飢餓の創出、人種的・民族的・宗教的な区別・差別による敵視感とその醸成。それは容易に誤った愛国心と結びつき、それによる敵対者迫害および殲滅行動。我が身ひとりの快楽のために権力を欲望し万民を虐げる者等々・・・その愚かしく、くだらない思想。・・・あるいは太平洋戦争における我が日本の統帥部の雑漠な戦略(特に兵站(へいたん)に関する貧寒な思想)のもとに、南方戦線に送られて餓死した哀れな兵士たちのことなど。・・・しかし、それらについては今は述べない。 上述のアームストロング氏の言葉だが、実際の音声を聞くと、一般に記録されているのとはほんの少し違うように私には聞こえた。私は次のように聴き取った。(YouTube映像、1:04:56) "It's one small step for a man, but one giant leap for mankind" 意味に違いはない。ただ、「That's 」ではなく「It's」、単に「man」ではなく「a man」、そして二つのフレーズの間に接続詞「but」と言っているようだが・・・月からのあまり明瞭でない音声である。私の聞き間違いだろうか? 「a man」だとしたら、アームストロング氏自身の思い・・・感慨と自負心のようなもの・・・が、こめられていたかもしれない。それからわずかな間を置いて、「but...」と、普遍化したのではないか。ここに私はアームストロング氏の思考の深さ、思考の速度、そして心理を感じるのだが・・・。人類にとって記念すべき言葉なので、正確に知りたい。 ニール・アームストロング(Neil Armstrong; 1930-2012) マイケル・コリンズ(Maichael Collins; 1930-2021) おふたりの業績を讃え、追悼します。 バズ・オルドリン氏(Buzz Aldrin; 1930-) 2番目に月に御足を降ろされたオルドリン氏のご健勝を祈ります。
Jul 5, 2024
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夏盛り青とうがらし無人店(たな) 青穹(山田維史) 食べごろと店主の笑まいメロンかな 七月の蜥蜴いっぴき鉢の陰 7月7日は東京都知事選挙投票日 火蜥蜴や七夕選挙に呼び出さん* 【自註】火蜥蜴(サラマンダー)は不浄王討伐のために召喚された精霊。
Jul 4, 2024
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私、山田維史(やまだ ただみ)の「蝶」が出てくる作品 ご覧下さるなら幸いです。「私の頭は庭園」1973年 紙にペン、インク「記憶の収集」1973年 紙にペン、インク「自転車乗りの夢」1976年 キャンヴァスに油彩「月時計」1977年 紙にインク、コラージュ「卵乗り」1978年 紙に水彩、コラージュ「気配採り人」1978年 紙に水彩、コラージュ「結晶前期」1978年 キャンヴァスに油彩「卵の発見」1979年 紙に水彩、コラージュ「昆虫少年」1982年 紙に水彩「劇場の静物」1982年 キャンヴァスに油彩「花大日」1984年 キャンヴァスに油彩「卵採り人」1984年 キャンヴァスに油彩「覚」1986年 キャンヴァス・ボードにアクリル絵具、油彩(企業PR誌表紙のために描いた)「卵乗り」1993年 キャンヴァスに油彩「気配採り」1998年 キャンヴァスに油彩「石を握るダヴィデ (ミケランジェロのダヴィデに拠る)」2003年 キャンヴァスに油彩「文明・砂漠・命」2005年 キャンヴァスに油彩「祭の準備」2005年 キャンヴァスに油彩「花のマスク」2021年 パネルに貼ったキャンヴァスに油彩、表面を樹脂加工
Jul 3, 2024
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〈蝶が大西洋横断に成功、4200キロを休みなく飛行 新研究〉という見出しで、CNNが興味深い記事を掲載している。 CNN〈蝶が大西洋横断に成功〉 この研究で確認された蝶はヒメアカタテハであるが、蝶の渡については早くから知られてい、オオカバマダラ (Danaus plexippus LINNE 1758) が、北米大陸から大西洋を渡ってヨーロッパに移住することは有名である。私が小学3年から使っていた横山光夫著『原色日本蝶類図鑑』(昭和29年・1954年、保育社刊)にはすでにその記述がある。オオカバマダラは北米から南米に渡って越冬する。熱帯の温気につつまれた森の中の樹木に、まるで鬱蒼とした葉叢のようにオオカバマダラがぶらさがっている。ちなみに横山光夫著『原色日本蝶類図鑑』は名著である。 さて、ついでなので蝶についてあれこれを並べてみる。【蝶が出てくる小説・戯曲】◉ 森村誠一 『死媒蝶』(講談社文庫)◉日影丈吉 『蝶のやどり』(「幻想博物誌」所収、講談社)◉香山 滋 『妖蝶記』(角川文庫「月下の殺人鬼」所収)◉日下圭介 『蝶たちは今・・・』(講談社文庫)◉鮎川哲也 『蝶を盗んだ女』(角川文庫)◉新羽精之 『幻の蝶』(「推理ストーリー」昭和41年7月)◉多岐川恭 『蝶』(「おとなしい妻」所収、新潮社)◉大下宇陀児『昆虫男爵』(「大下宇陀児傑作選集 4」春秋社)◉横溝正史 『仮面舞踏会』(角川文庫)◉泡坂妻夫 『迷蝶の島』(文藝春秋)◉寺山修司 戯曲『毛皮のマリー』◉ジョン・ファウルズ 『コレクター』(白水社)◉イエーツ 能『影の女』【蝶が描かれている絵】◉ボッシュ 『快楽の園』◉M.C.エッシャー 『バタフライズ』木版 1950年◉ルドルフ・ハウズナー『愛の樹』1979、『蝶の樹』1978、 『二つの大陸』1962,『すばらしい場所』1978-79◉マックス・エルンスト『人の手と石化した蝶』1931、 『一匹の白い蝶を追いかける33人の少女たち』1958◉ダリ『花の変容』1974◉蘆雪『楚蓮香図』◉亀倉雄策『ヒロシマ・アピールズ 1983』 ポスター◉映画『羊たちの沈黙』ポスター(ただし蝶ではなく蛾)◉能衣装『白地蝶模様縫箔能衣装』前田育徳会所蔵◉景徳鎮窯『粉彩菊蝶図盤』雍正銘、静嘉堂文庫蔵◉オランダ17世紀の多くの静物画に蝶が描かれている。【歌】◉童謡『ちょうちょう』野村秋足作詞、スペイン民謡◉童謡『緑のそよ風』草川信作詞、清水かつら作曲◉『野崎小唄』今中楓渓作詞、大村能章作曲、 東海林太郎歌唱◉『花と蝶』川内康範作詞、彩木雅夫作曲、森岡賢一郎編曲 森進一歌唱◉『白い蝶のサンバ』阿久悠作詞、井上かつお作曲、 森山加代子歌唱 蝶の歌は意外に少ないかもしれない。私がいま思い出すのは以上の5曲。初め2曲だけ思い出したが、書いているうちに少しずつ増えた。 アンソロジーのしめくくりに安西冬衛氏のみごとな一行詩『春』。忘れられない影像を読み手に植えつけてしまう。季節の移りとともに一匹の蝶が日本から韃靼海峡(間宮海峡)を樺太へと渡って行く。「渡って行った」という言葉の視点は、樺太側からのものではないだろう。「てふてふ」という表現により、蝶の姿とその飛翔の様が「音」としてそこに在る。「てふてふ」という儚いような音声と、「韃靼」という強い響が対比される。蝶の命の旅・・・それをあらためて何と言うか、読み手の人生経験にゆだねられる。詩人の言葉の鋭さを思い知る。 安西氏、引用させてください。 てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った 下の画像は昭和40年頃に新宿・小田急百貨店で開催された「日本の蝶展」(主催・国立科学博物館、朝日新聞社)の「林コレクション」解説パンフレット。林慶(大正3ー昭和37)氏は昭和20年に東京から疎開先の石川県能登町で蝶の飼育を始められた。病を得て亡くなるまで日本産蝶類の研究に専念された。上述の展覧会は没後間も無く開催された。横山光夫著『原色日本蝶類図鑑』 昭和29年 保育社刊私、山田の本棚より。函はご覧のとおり70年経過してボロボロ。中の本体はほとんど痛んでない。
Jul 3, 2024
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ローンドリーが団扇をくれた (洗濯屋と書かないでおく。ハハハ) サーヴィスにプラスティックの団扇かな 青穹(山田維史) 水無月やその名に合わぬ雨つづき 山の上から遠望 七月の温気にけむる街灯り
Jul 1, 2024
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