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ミケランジェロの詩はイタリア語の原詩を見ると、みごとに韻を踏んでいる。英語訳や日本語訳にするとどうしても原詩の韻を無視して意味だけを汲むことになる。元来、詩は読むのではなく口に出して音を楽しむものだ。それは欧米の詩にかぎらず日本の詩も同様である。 イタリア語の長い詩を翻訳することは私には無理であるが、四行詩ならばなんとかなるかもしれない。イタリア語の発音はほぼ「ローマ字読み」であるから、口に出してみるのもおもしろそうだ。イタリア民謡の「オー・ソレ・ミオ」や「帰れソレントへ」をイタリア語で歌うように・・・ミケランジェロの四行詩【イタリア語の原詩】Sol io ardendo all'ombra mi rimango, quand'el sol de'suo razzi el mondo spoglia; ogni altro per piacere, e io per doglia, prostrato in terra, mi lamento e piango.ソル・イーオ・アルデンド・オロンブラ・ミ・リマンゴ、クアンデル・ソル・デスオ・ラッツィ・エル・モンド・スポリア。 オーニ・アルトロ・ペル・プラチェレ、エ・イーオ・ペル・ドリア、プロストラート・イン・テラ、ミ・ラメント・エ・ピアンゴ。【英語訳】Only I remain burning in the shade, when the sun despoils the world with its flares; everyone else for pleasure, and I for pain,prostrate on the earth, I lament and cry. (translated by Tadami Yamada)太陽が世界からその輝きを取り除くとき、私だけが日陰で燃えつづけている 人々はみな快楽のために、私は痛みのために地面にひれ伏し、私は嘆きそして泣く (日本語訳;山田維史)
Apr 30, 2024
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行く春や押し黙りたる籠の鳥 青穹(山田維史) ◯行く春や声も嗄れたり籠の鳥 行く春やみみずのたくる土の中 行く春や一寸ちぢむ背丈かな 行く春や胸のたかなり訳もなく 行く春やただ勃然と青二才 新妻のかたむけ行くや春日傘 白緑の背丈のびたり葱坊主
Apr 29, 2024
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家の第二期補修工事もほぼ完了して、今日は職人も休み。天気も良し、昼過ぎから家の周囲の草取りをした。 ここ数日の雨で勢いよく生い茂った。梅雨前に毟り取っておかないと厄介なことになりそうだった。じつは5匹の飼い猫がいるうちは、猫たちが遊びまわるので除草剤を散布しなかった。しかしその猫たちがみな年老いて亡くなった。月日も長く過ぎた。もう除草剤を散布してもよかろうと、買ってはあるのだ。それを使う前段階としての草取りである。 すぐに終わるだろうと思ってはじめたが、3時間かかった。やれやれである。 先日弟が持って来た「ムサシアブミ」が、うまく根付いたようだ。大きな緑の葉を元気にひろげている。鎧(あぶみ)の形をした仏炎包もみごとだ。
Apr 28, 2024
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昨日にひきつづきミケランジェロの詩を翻訳してみた。この詩はローマの若い貴族トマソ・デ・カヴァリエリに宛てて書いたと推測されている。芸術創造の源である「創造の火」について述べているのであるが、トマソ・デ・カヴァリエに対する「恋の火」について告白しているとも思われる。1532年ごろに書かれた詩なので、ミケランジェロは57歳頃である。 イタリア語の原詩を昨日同様にイエール大学のJames M. Saslow氏が英訳したものを私山田維史が日本語に翻訳した。 Poem 62, ca. 1532 Only with fire can the smith shape iron from his conception into fire, dear work; neither, without fire, can any artist refine and bring gold to its highest state, nor can the unique phoenix be revived unless first burned. And so, if I die burning, I hope to rise again brighter among those whome and time no longer hurts. I'm fortunate that the fire of which I speak still finds aplace within me, to renew me, since alreay I'm almost numbered among the dead; or, since by its nature it ascends to heaven, to its own element, if I should be trasformed into fire, how could it not bear me up with it? (translated by James M. Saslow) ただ火によってのみ鍛冶屋は自らの想いから鉄を火に変えることができるのだ、愛しい作品よ;火がなければいかなる芸術家も金を精製することも最高の状態にすることもできない、そればかりか最初の火がなくては比類なき不死鳥を蘇らせることもできない。もし私が燃えながら死んでも 私は願う死の増大ともはや時間に傷つかぬ人の中で再びいっそう輝いて立ち上がることを。 私は幸せだ私が斯く述べている火が依然として私の中にあり、私を新しくしていることを。なぜなら私は死者の中に数えられそうだったのだから;あるいはその性質のごとく天に昇り、それ自身の元素へと昇るのだから、もし私が火に姿を変えられたなら、それに耐えられないはずはなかろう? (日本語訳;山田維史)
Apr 27, 2024
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ミケランジェロ(1475-1564)は、285篇のソネットを書いた。その中から1528年頃につくられたと思われる第46番の詩を翻訳してみた。原詩はもちろんイタリア語であるが、私はイタリア語は解らないので、イエール大学のJames M. Saslow氏による英語訳を用いた。ただしSaslow氏は4連のソネット形式ではなく一連の詩として記述している。Saslow氏はおそらくイタリア語のソネットを英語の韻を踏んだ厳格なソネット形式に翻訳不可能と考えたのかもしれない。私はむろん日本語で韻を踏めなかったが、日本式ソネットの4連に分けたことをお断りする。 Poem 46, ca. 1528 If my crude hammer shapes the hard stones into one human appearance or another, deriveing its motion from the master who guides it, watches and holds it, it moves at another's pace. But that divine one, which lodges and dwells in heaven, beautifles self and others by its own action; and if no hammer can be made without a hammer, by that living one every other one is made. And since a blow becomes more powerful the higher it's raised up over the forge, that one's flown up to heaven above my own. So now my own will fail to be completed unless the divine smithy, to help make it,gives it that aid which was unique on earth. (translated by James M. Saslow) 私のそまつな鎚が硬い石を人間の姿やその他に形作るとき親方の指導と監視とその手に握られて動くならその動きは別ものの動き しかし天に居ませる聖なるお方は御自らのおこないで御自身と他者を美しくするそして鎚無くしては鎚をつくれないとしてもその生きているお方は別のものををつくられる そして一撃はいっそう力強く鍛冶場の上にもちあげられより高く私自身のものより上に天を目指して舞い上がる それで今や私の意思は完成しないのだ制作をたすけてくれる神の鍛冶場なしではこの地上で比類ないご助力を賜ることなしでは (日本語訳;山田維史)
Apr 26, 2024
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昨夜と今朝、私はある精神病跡学の研究書を読んでいたのだが、偶然にも毎日新聞ディジタル版の早川健人氏の記事が興味深い研究を伝えている。 京都大学白眉センター特定助教授の東島沙弥佳氏と京都大学医学研究科の山田重人教授が『日本書記』を読み込み、初代天皇から第四十一代持統までの記述に、生来の身体的あるいは機能的な異常がみられ、染色体や遺伝子など複数の原因があげられる先天異常を有していたと診断した例が33件あったという。その内訳は、◆身長の異常10例、◆過剰な組織または器官形成6例、◆言語または行動の異常6例、◆通常と異なる顔または体の特徴6例、◆色素異常3例、◆その他2例。 『日本書記』に関する研究書は膨大な数にのぼる。研究とも言えないどうしようもない本を入れると果たしてどれほどあるか。しかしながら東島、山田両氏のような病理学・病跡学方面からの研究はほとんどなかった、と早川健人記者は書いている。 事実、画家や音楽家あるいは文学者などの芸術家(ここには黒澤明氏のような映画監督も含む)、あるいはまた哲学者や宗教家については、精神病跡学方面からのアプローチは数多い。破滅に向かった人物例もあるが、一方で、創作活動が精神的危機におちいることを救っている、という研究結果もある。それらの人物に関する研究より数は多くはなさそうだが、西欧の歴史上の王侯貴族やヒトラーのような政治家に関する医学的な研究もなくはない。一般読者の手の届く研究書もある。私の蔵書のなかにもある。しかし早川記者が書いているように、こと日本の古代史を医学的にまともな視点で研究した論文はないかもしれない。 いまや世界の政治家には、精神病理学からアプローチしなければならないような、サイコパスを疑える人物が目立って多い。泥縄式に研究しても、それらの人物が主導する戦争による、世界の無残な人間破壊の現状を変えることはできないが、人間社会が未来につづくことを願うなら、現代の国主や首長や政治家を医学的に、とくに精神病跡学方面からの研究は必要であろう。
Apr 24, 2024
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2年ほど前に途中まで描いたところで方向を見失った作品がある。側近く近くに立てかけたまま2年間が過ぎた。今日の午後、突然にある具体的なイメージがひらめいた。その作品のことを考えていたわけではない。我ながら思いがけないひらめきだった。さっそくイメージの小さなデッサンを作ってみた。・・・そう、これかもしれない、と思いながら。 そのイメージを「はめ込む」ことにより、2年前に描いたほぼ全体の表現に大きく手を入れなければならないだろうが、この作品が行き着くはずの方向は見えたような気がする・・・
Apr 22, 2024
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歌手佐川満男氏が去る12日に亡くなったという。享年84。 私がときどき思い出したように口ずさむ歌に「無常の夢」がある。 この歌は元々は1936年に児玉好雄が歌った。男心の歌であるが、リバイバル・ソングとして男女を問わずたくさんの歌手が歌っている。「諦めましょと 別れてみたが なんで忘れよう 忘らりょか 命をかけた恋じゃもの 燃えて身を焼く 恋心」作詞・佐伯孝夫、作曲・佐々木俊一。 なかでも私が好きな歌い方をしているのが、佐川満男氏と扇ひろこ氏。言ってみれば、情感に正反対の趣がある。歌詞に対するそれぞれの感性の違いかもしれないし、「失恋」という状況を回想する男の歌手と、ドスのきいた男の声のようではあるがしかし女の歌手との、「想い」のちがいかもしれない。つまりプロフェッショナルなインタープリター(解釈者)として、歌詞を自分の心にどう共鳴させるか、あるいは自身の人生体験に照らし合わせて如何に自分の内的表明としたか、の問題かもしれない。というのは、プロフェッショナルな歌手というのは、歌詞を自己とは切り離して「芝居」化する才能もあるからである。いずれにしろ佐川満男氏と扇ひろこ氏との歌い方の違いが、私には面白い。 佐川満男氏を追悼します。
Apr 20, 2024
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今日から家のメインテナンス第2期工事開始。工期は1週間の予定。 工事の邪魔になるので、私はきのう前もって文旦の樹の枝を伐り払った。直径8㎝ほどの実を25個ほど採った。樹にはまだ文旦の実は数十個生っている。採った実を一個、昼食時に食べた。
Apr 20, 2024
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弟からムサシアブミをもらった。弟は神奈川の知り合いから譲ってもらったのである。じつは3年前にももらったのだが、根付かずに消えてしまった。 ムサシアブミ(武蔵鐙、Arisaema ringens)。サトイモ科の多年草。野草である。薬用植物。私がたまに見学に行く東京薬科大学の薬用植物園にもある。 武蔵鐙は元来が平安時代ころの鎧(あぶみ;馬具)の名称で、武蔵国から産したのでこの名があるらしい。伊勢物語の第十三段に出てくる。 馬具が植物の名になったについては、私見だが、ムサシアブミは葉柄の間に仏炎苞につつまれた肉穂花序をつける。その形が馬具の鎧に似ていることに拠るだろう。 こんどこそ根付かせなければ、と思っているが、はたして・・・
Apr 19, 2024
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セミが鳴く季節はまだ先のことだが、CNNがセミの病気について興味深いニュースを報じている。アメリカのセミの季節は日本より早いのだろうか、今年の春は10年間以上も土の中にいたセミが10億匹以上も発生することが予想されるそうだ。 このセミのなかにはマッソスポラという病原菌に体をのっとられ、ゾンビのように菌に操られて菌をまきちらすものがある。マッソスポラ菌はセミの生殖器を破壊し、腹部を病菌の胞子にいれかえてしまう。胞子は大量に増殖し、やがてセミの生殖器と腹部は脱落してしまう。生殖器と腹部が脱落したセミの腹部には白い胞子嚢がついている。 セミは体を引き裂かれながら動き回り、しかも性欲は異常に亢進し、雌雄の別なく相手を呼び寄せるようになる。相手のセミに病菌を感染させてしまうのである。つまり病菌に感染したセミがオスであれば、メスをもとめることはもちろん、オスも呼び寄せる。健康なメスは羽ばたいてオスを誘い寄せるが、病菌に感染するとオスもメスもオスをおびき寄せて感染させてしまう。胞子嚢が裂けると、セミが飛びながら胞子をばらまく。 セミは幼虫で土中で17年間、あるいは13年間、成虫になる時まで過ごしている。マッソスポラがどのような過程でセミの体内に潜り込むのかはまだ解明されていないようだが、感染セミは10年間以上たってもこの感染を繰り返す。しかしながらマッソスポラが人間に感染することはないようだ。 今年、アメリカ・イリノイ州では17年周期のセミが、また中西部から南東部一体に生息する13年周期のセミが同時に発生し羽化するはずである。この発生周期がことなるセミが同時に発生するのは1803年以来なのだという。アメリカの今年の春は、セミの大発生が予想されている。
Apr 16, 2024
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あらためて読み直しているわけではないが、収拾がつかないほど幾つもの山に積み上げた本のなかから取り出した数冊を、枕元に置いている。昨夜読んだのは岸井良衞著『江戸雑稿』(1977年、毎日新聞刊)。 その「蕎麦」の項に、「けんどん」について1ページにわたる記述がある。 部分的に引用しながら述べると、『因果経』の和讃に「人のものをば欲しがるのを、けんという。人に物、惜しがるをどんという。けんどんぐちとは、ここぞかし(下線部分の原文は傍点:山田注)」とあり、すなわち慳貪(けんどん)は悋(しわき)ことである、と。ケチクサいことだ、と。で、蕎麦切でも飯でも、盛りきりで出して、かわりを進めないのをけんどんという。『むかしむかし物語』に、「寛文四年。けんどん蕎麦切というもの、できて下々買い喰う。貴人には喰う者なし」とあり、これがけんどんの初めであろう〔還魂紙料〕、と岸井良衞氏は述べている。そして江戸のけんどんな蕎麦屋の実名をあげながら、客に給仕もしない、挨拶もしない慳貪な蕎麦屋が有名であったのは、その無造作が倹約にかなっていたからであると『近代世事談』は書いているのだそうだ。 岸井良衞氏の考証はさらに進み、けんどんは盛切りという言葉に転じ、盛切りを出前するときに使う提げ箱を、けんどん箱と言うようになった。そしてさらにその箱の蓋の仕掛けが便利なので、この蓋のことをけんどんブタと言うようになり、その簡単な仕掛けを大工や指物師がけんどんというようになった、と。 『江戸雑稿』の著者岸井良衞氏は明治の生まれ。演劇やTV関係の仕事をされていた。時代劇の風俗や大道具・小道具の正確を期すための考証に端を開いた研究だったようだ。 昨夜、私が上述の「けんどん」に気をとめたのは、ふいに思い出したことがあったのである。私が幼少の頃、我が家の台所にあったずいぶん古い戸棚の一部にケンドン仕掛けがあった。また、母と父の着物が入っていた桐箪笥にもケンドンが付属していた。和本を入れる本箱がケンドンだったのを見たことがある。出前用の提げ箱は蓋を引き抜く仕掛けだが、我が家のケンドン仕掛けは一枚板(大きさは様々)の中程に摘まみがついていて、それを少し上げると蓋がはずれて開いた。その中に何が入っていたか、幼少だった私はまったく知らない。見たことがあったかもしれないが、記憶していない。岸井氏は、「けんどん箱というのは一切合切が一つの箱の中に入っているむしろ贅沢なもので、最初のけんどんの意味からは遠くなってしまっている」と書いていた。我が家のケンドンに贅沢品が入っていたかどうかは解らない。
Apr 14, 2024
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昼前にポツリポツリと降り出した雨は、昼食を摂るころになって止み。明るい日差しになってきた。それで予定してあった用事を片付けるために外出することに。 周辺の桜が満開は過ぎて散りはじめていたがまだ花盛りだった。街路に花びらが散り敷いている。小雪のように花びらが舞い落ちる。空気にほのかな桜の香りがした。 私はこの歳になるまでいわゆる「お花見」をしたことがない。嫌いなのだ。あのブルーシートを広げて弁当を使ったり、酒を飲んだり、はては楽器をかき鳴らして放吟したりしているのを避けていた。非難はしない。人それぞれの楽しみ方があるだろう。私が近づかなければ良い。そう思って、そうして来た。 ・・・それに、他にも理由がある。 日本文化の桜には「死」のイメージが付与されることがある。『古今和歌集』巻第二春歌下七十七、承均法師「いざさくら 我もちりなむ ひとさかり ありなば人に うきめ見えなむ」。すなわち「さあ桜よ、私も散ってしまおう。生きていれば人に苦しい思いをさせるだろう」という意。現世に自己否定をする。さらに時代が下ると、社会全般にわたる厳格な主従身分制度のもと、自己否定が束の間の生きる術となった。マゾキスティック(被虐的)で、ネクロフィル(死体愛好的)で制度的隷従者の「武士道」とやらを、「散り際の美学」だとか「潔さ」だとかと称して「桜」にすり替えて美化する。この虚無的な美は、近・現代戦争の時代に一層あからさまに日本文化として称揚された。 その死生観が私は嫌いなのだ。その欺瞞が嫌いなのだ。桜はただ桜の美である。人間の方に引きつけなくてもよかろう。醜い人間の方に引きつけてそれを日本の心だなどと謳うから、私は嫌わなくともよい桜まで嫌いになってしまう。『同期の桜』なんて、ほんとうにゾッとする。この歌を放吟する心の奥底に、マゾキスティックで、ネクロフィルな制度的隷従者の悲哀があることを私は指摘するのである。二進も三進も行かない隷従者の心は、己の死を美化するのが精一杯なのである。惹かれ者の小唄と言うが、さしずめ『同期の桜』は死に惹かれる者の小唄である。【追記】 「花見」は、現在の京都中京区神泉町の神泉苑(平安京造営の頃は広大な苑であった)に、弘仁三年(812)、嵯峨天皇が行幸して観桜の遊びをし、文人たちはおのおの詩を吟じて帝より禄を賜り、「花宴節会(はなのえんのせちえ)」の初めとなったと、892年の勅撰『類聚国史』は記す。(秋里籬島著『都林泉名所図会』寛政11年版(1799)。白幡洋三郎監修、講談社学術文庫、1999年による)
Apr 12, 2024
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素粒子物理学者・ノーベル物理学賞受賞のピーター・ヒッグス博士が亡くなられた。享年94。 1964年に万物に質量を与える粒子の存在を理論的に予測された。しかし実在を発見できずに長い年月が過ぎた。博士の予想から約半世紀経って、その粒子は発見されたのであった。理論的には17個の素粒子が存在するといわれ、後にヒッグス粒子と呼ばれるようになった粒子は17番目に発見された粒子である。 私は宇宙を神話から解き放す量子論、素粒子物理学に関心を寄せてきた。 偉大な科学者ピーター・ヒッグス博士を追悼いたします。★★★★★★ 元横綱曙太郎氏が亡くなられた。享年54。 ずいぶん早い逝去である。ハワイ・オアフ島出身。外国人力士として初めての横綱。若貴兄弟横綱とともに大相撲のおもしろい一時代を築かれたと私は思っている。勝負士の顔に優しさが浮かぶようなところがあった。 曙太郎氏を追悼します。
Apr 11, 2024
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今日の国際ニュースから2件。 1)スイスの年配婦人約2,000人が、スイス政府が気候変動対策を怠ったために健康や生活の質が低下し、命の危険にさらされているとして欧州人権裁判所(ECHR)に提訴していた裁判で、欧州人権裁判所(ECHR)は、スイス政府が気候変動に対する適切な対応を怠ったことは人権侵害にあたるという判決をくだした。 この判決はスイス政府のみに適応されるが、欧州人権裁判所には他にも同種の訴訟があげられており、このたびのスイス政府に対する判決が、他の訴訟に影響をおよぼす可能性がある、と報道されている。 気候変動問題が人権がらみであるという判断は、もっともなことながら、非常に先鋭な思想であると私は思う。欧州人権裁判所の判決に瞠目した。 2)チェチェン共和国が実に奇怪な禁止令を出した。すべての音楽や歌、ならびにダンス曲のテンポ(速度)を制限したという。1分あたり80拍〜116拍でなければならず、それよりも速くてもダメ、遅くてもダメ。その理由は、チェチェン人の心と音楽のリズムが1分あたり80拍〜116拍だからだそうだ。 要するにロックやテクノポップスなどを禁止するためなのかもしれないが、他国のこととは言え、なんともアホらしい。行き過ぎた民族主義は、文化や芸術を狭い檻に閉じ込めるのである。 他国のことと私は言ったが、いやいや他国のことではない、我が日本にもこういう偏狭な民族主義者はいる。アホな政治屋はいる。要するに無教養な愛国主義者である。・・・ああ、思い出した。もう40年くらい昔になるだろうか、ある大新聞系列の民放ラジオが、いわゆる洋楽を排除して和楽ばかりを放送する方針を実行した。論評なども愛国主義者、民族主義者のみが代わる代わる出演していた。 聴取者をあなどっていたのだろう、その連中が言論人としてどんな発言をし、どんな本を書いているか、代わり番こに出演させれば放送がプロパガンダであることに気づかれないだろうと考えたに違いなかった。おあいにくさま、視聴者は敏感なのだ。朝から晩まで洋楽が放送されないことを気づかないはずはなかろう。 アホが文化を操作しようとしても、長続きはしないものだ。文化の命は一人の人間の寿命より長いということを知りたまえ。
Apr 9, 2024
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山田維史 「桜 日と月のあいだに」 油彩Tadami Yamada"Cherry blossom : Between the sun and the moon"
Apr 8, 2024
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イスラム原理主義の組織ハマスによるイスラエルに対する襲撃を起因として、昨2023年10月7日に始まったイスラエルの報復を名目とするパレスチナ・ガザ自治区にたいする攻撃は、本日2024年4月7日で半年になる。開戦以来、海外からの連日の報道を収集してきた私のファイルには約600件を上回る記事が記録されている。 本日、各報道メディアは、国連およびイスラエルとガザ当局が発表した両者の被害状況を示す数字を掲載している。 それを見ると、イスラエルのパレスチナに対する攻撃は「報復」の度を越す執拗さと残虐さがきわだつ、と私は思う。イスラエル軍の軍規では、退避勧告にもかかわらずガザ地区に残っている一般市民は、一般市民とは考えないことになっているという。したがって赤ん坊であろうと子供であろうと高齢者であろうと殺害の対象である。病院や医療施設を、ハマスの隠れ家であるとして破壊する。 ・・・この執拗なまでの残虐さは何であろう。 爆破で吹き飛んだ子供の遺体が、電線に引っ掛かって腐敗していくのを、戦果として喝采しているのか? それも単なる戦争の状況というのか? それも人間的で良しと世界は言うのか? すべてのイスラエル国民がそのような戦争政策を支持しているわけではない。この戦争を指揮する首相の退陣と新たな選挙を要求する大規模な国内抗議デモがくりひろげられているという。当然であろう。一握りの権力者が指揮する、人間に対する酸鼻きわまりない行為のために、国家が崩壊し、国民が悪の汚名を着せられるのは理不尽であろうからだ。イスラエルは大統領制である。しかしながらこの戦争に関しての国際ニュースを見るかぎり、首相の名が全面に突出している。なぜか? 私はここにひとつの病巣ありと感じなくもない。 ユダヤ民族の歴史を一口に語ることはできないが、数千年の間、いわば流浪の民であった。20世紀にはヒトラーのナチ政権によって人間とみなされず、狩られ、盗まれ、飢えさせられ、ゴミ芥のように殺害された。そういう苦難を経てイスラエルは建国された。・・・しかし、(私を甘いと言うなかれ)自ら被った残虐な経験を他人には与えないという、高貴な倫理観を世界に打ち立てることができないでいるのは、悲しくはないか? いま自らの言動に異を唱える者を「反ユダヤ」として一蹴しているが、世界人類の平和を考える人たちは、イスラエルの現政権は「反ユダヤ」のレッテルを貼ってそれを隠れ蓑にしているのではないかと疑いだしている。ハマスを完全に消滅させることを目的としているようだが、それは不可能なことだろうか。ヒトラーがユダヤ民族を絶滅しようとしたが、そうはできなかった。ユダヤ民族は激しく打ちのめされながらも立ち上がったではないか。 このまま戦闘状態がつづけば、中東はまちがいなく戦争の泥沼になるだろう。中東が泥沼になるとうことは、全世界を巻き込むことを意味する。そうではないか?
Apr 7, 2024
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朝日新聞夕刊の文化欄に現在NHKBSで放映中のドラマ「舟を編む 〜私、辞書つくります〜」について紹介していた。三浦しおん氏の小説が原作。私はここ6年間ほどTVをまったく観ていないので、このドラマについては何も知らない。内容は辞書編集者の悲喜こもごもの物語らしい。新聞のサブ・タイトル(惹句)に、〈言葉の暴力「悪いのは選び方・使い方」〉とある。原作者との約束に含まれていると思えるが、原作と異なりドラマでは「言葉の暴力」がより深刻な現代に近い設定なのだとか。 なかなか興味深いテーマを内包するTVドラマである。 そんな新聞記事に触発されて、私自身の所持する辞書・辞典を思うと、かなりの数になる。いま机の周囲に32 冊。寝室の枕元やその他の部屋にも種々置いてあるので、ちょっと数えきれない。たぶん50冊はあるだろう。外国語の辞書が含まれているけれども・・・。 「選び方・使い方」と新聞は書いているが、実際、必要だから50冊の辞書類が家のなかにあるのである。国語辞書は出版社によって採録する言葉が異なる。流行語や通俗語、あるいは符牒のような言葉を採録したために古来のれっきとした日本語が消し去られることが少なくない。「言葉の暴力」ではなく、監修者・編集者による暴力にも似た裁量。ページ数に限りがあるにしろ、言葉を採択する裁量は「宰領」になる危険をはらんでいるかもしれない。 そんなわけで、私は辞書がボロボロになってしまったから、あるいは50年前60年前の辞書だからといって捨てられない。さすがに使用することは無いが、亡父が学生時代に使っていた昭和初期の辞書も私は保存してある。それは表紙も失われているが、むき出しの最初の数ページが口絵で、旧式の戦車などが描かれている。 横道にそれる。台湾の地震被害が報道されている。私たち日本はこれまでの大災害時に幾度も台湾の方々に支援していただいたので、この度の地震被害の大きさに心が痛む。 ところでその被害を伝える映像、とくに台湾TVのニュース映像を見ると、アナウンサーの中国語は理解できないがテロップの漢字の中国語は理解できるのである。その漢字がいわゆる繁体字(旧来の漢字)だからである。中国語の発音ではなくとも、日本式の漢文読みの理解である。 しかるに中華人民共和国(中国)は、国家の方針として異体字(略体字)を使うようになったので、少なくとも私にはほとんど理解できない。繁体字は教育の普及に支障があるという考えのようだが、いまや生まれた時から略体字で育っているので、繁体字を読める中国人はむしろ例外的であるらしい。私が所持している中国語の辞書のひとつは、昭和37年に出版されたものだが、繁体字に括弧して略体字を示している。 中国は膨大な古文献を秘蔵している。しかしそれを読み解き、専門的な研究のとば口を開くために、日本の大学院に留学している方に、私は実際お会いしたことがある。 辞書から離れるが、私が20代から30代に入るころのこと (記録を調べると1974年3月だった)。あるデザイン系タブロイド新聞の編集長が電話でイラストレーションを依頼してきた。仕事の打ち合わせが終わってから、直接会って話をしたくなったと、編集長は言った。あらためてインタビュー記事を書きたい、と。 数日後に私は会社を訪問した。インタビューに入る前に編集長が言ったのである。「じつはお会いして話をしたくなったのは、電話でのヤマダさんの言葉使いでした。私がこれまで接したことがない言葉使いだったからです」・・・私が何と応えたかまったく覚えていないが、たぶん「そうでございましたか」とでも言ったのだろう。 そのときまで自分の普段の言葉使は、子供のころからずっと変わらなかったので、気を止めたことがなかった。一方で他人の言葉使いには敏感だったかもしれない。「選び方・使い方」・・・それがどんなに些細なことがらについてであろうとも、微妙なニュアンスがその人物のすべてを表現しているからである。絵描きとして人間を観察するのは、容貌容姿すなわち外見だけではない。言葉によってもっと分かることがあるのである。
Apr 6, 2024
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【4月4日】 岡口基一・仙台高裁判事が訴追されたSNSへの投稿について殺人事件をめぐる9件のうち7件は、度重なる投稿で被害遺族に苦痛を与え続けたとして、国民の信託を受けた裁判官にあるまじき「非行」として、不服申し立てができない弾劾裁判において判事罷免の判決があった。昨日の判決が出るまで1年間を要した。 弾劾裁判で裁判官の役を担う裁判員は衆参国会議員14人で構成される。その裁判員3分の2以上の賛成で罷免される。 ところで今回の弾劾裁判の報道を見ると、朝日新聞(4月4日朝刊、遠藤隆史記者)は次のように報じている。重要な点なのでそのまま引用させてもらう。 〈岡口氏は裁判の途中で、10年ごとにある裁判官の再任を希望しないと表明。罷免されなくても今月12日の任期満了で退官することになっていた。判決は、こうした点を踏まえ「罷免には疑問が残る」などの少数意見があった、とした。〉 私が呆れたのは、この「少数意見」に対してである。この意見を提出した裁判員が誰であるかは不明だが、この人たちは弾劾裁判の「本義」を完全に誤解している。誤解というより、理解していない。 弾劾裁判は「辞職」勧告ではないのである。この判決は在任中の言動に対するいわば処罰であって、裁判官としての名誉を剥奪するか否かの問題である。したがって、当人が再任を希望しないとか、任期満了を控えているなどということは、なんら無関係である。そんなことは一切考慮する必要がない。判事として国民の信託に反する非行があったか否かを綿密な証拠をもって審議すればよいのである。これが弾劾裁判の「本義」である。 今回裁判員となった衆参国会議員の幾人かから提出された「少数意見」は、まったくトンチンカンな意見。程度が低いのは判事連中ばかりではないことは、私は常々思っていたが、弾劾裁判という重大な場でここまでアホなことを言う国会議員がいるとは、・・・この国、危ないよ。
Apr 4, 2024
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岡口基一・仙台高裁判事が弾劾裁判によって罷免になった。 当然だろうね。近頃の判事連中は程度が低いからねー。
Apr 3, 2024
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舞踏家・天児牛大氏が3月25日に亡くなられたという。享年74。 天児氏は舞踏集団「大駱駝艦」から独立して1975年にご自身が主宰する「山海塾」旗揚げした。・・この名称は、山海経から採ったのではないだろうか。・・私は、たしか旗揚げ後の2回目の公演だったはずだが、「金柑少年」(1978)を観ている。その踊りの半ばで、餞に出演した「大駱駝艦」主宰の麿赤兒氏と天児牛大氏はデュオを踊った。この場面に私は室町天台でほぼ成立した秘儀稚児灌頂を連想した。この連想におそらく過誤はあるまい。氏は活動拠点をフランスに移されたが、その後の活躍を見ながら私は、天児牛大氏は宇宙的精神性を形象化しようとしているのではないかと思った。あるいは宇宙の「ゆらぎ」を。その私の見方が正鵠を射ているとしたら、大野一雄、土方巽、そして麿赤兒等の暗黒舞踏派の踊りが日本の民族文化やその土着の身体性にあったことからは、いささかならず異なった地平に向かっていたのではなかろうか。・・・いや、私が独り合点して、私の好むところとしたのかもしれない。私は1970年の深夜、突然出現した冗談のような「卵」のイメージに捉われ、卵形象徴を研究し、卵形出現の絵をシリーズで20年間ほど制作していた。天児牛大氏はフランスで1986年「卵熱」をプロデュースされ、翌1987年には福田巌氏撮影の舞踏写真集「卵を立てることから」を発表された。「卵を立てる」というのは、もしかすると「コロンブスの卵」に依拠する言葉かもしれないが、それはともかく、私は勝手に我が意を得たりと思ったものだ。 天児牛大氏を追悼いたします。
Apr 1, 2024
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