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柿の葉裏に空蝉をみつけた。羽化してから幾日経つかわからないが、先日来の嵐に耐え、豪雨に耐えて来た。生命は無いけれど、なんとなく愛しい。羽化した蝉もすでに死んでいるだろう。うまく次世代を産卵しただろうか。また来る夏に我が家のこの柿の木の根元から生まれ出てくるだろうか・・ I found the shell of a molted cicada on the underside of a persimmon leaf. I don't know how many days havepassed since it emaerged, but the shell has enduredthe recent storm and heavy rain. It is lifeless, but I somehow dear the shell. The cicada that emerged is probably already dead. I wonder if it successful laid thenext generation of eggs. I wonder if they will emerge again from the base of this persimmomn tree in my garden next summer...
Sep 27, 2024
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袴田巌氏の死刑が確定していた再審理の判決が静岡地裁(国井恒志裁判長)であり、無罪が言い渡された。23年10月から24年5月まで15回開かれた再審の後、判決にあたって静岡地裁は、争点になった事件後約1年2ヶ月後に発見された「5点の衣類に付着した血痕」を含む検察が提出した三つの証拠(他に「自白調書」と「衣類から切り取ったとするズボンの切れ端」)について、捜査機関が袴田氏逮捕後に捏造した、と判断した。そして、これらを証拠から除くと他の提出証拠は証拠として証明できないとして、それゆえ袴田巌氏を犯人と認定できない、と述べた。 この1966年6月に起きた強盗殺人および放火事件に関する裁判は、68年9月に静岡地裁で死刑の判決が下され, 80年12月に最高裁で死刑が確定していた。 袴田氏は逮捕20日目に「自白」したと言われる。しかし裁判法廷では一貫して無罪を主張していた。第2次再審請求審で静岡地裁は14年3月に再審決定を出した。袴田氏は釈放されたが、東京高裁が18年6月に再審開始取り消しを決定した。20年12月、最高裁は審理を高裁に差し戻し、東京高裁は23年3月に捜査機関による証拠捏造の可能性について言及して再審開始を認めて確定していた。 死刑が確定した判決が再審によってくつがえる確率は日本の法制度においてほとんど不可能に近いと言われる。 1966年6月に起きた事件の2ヶ月後に袴田氏は逮捕されたのだったが、以来、58年間の長きにわたり捜査機関の「犯罪」によって死の淵に立たされたまま人生を失わされてきた。長い収監によって袴田氏の精神は病んでしまった。 私は法学部の学生だったときに、日本の冤罪事件について講義も受け、自分でも文献を読んで勉強していた。袴田事件は私が在学中のことであった。もちろんその頃は判決が下されていなかったが、逮捕後およそ1年2ヶ月後に被害者の工場の仕込み味噌樽の味噌のなかから、まだ「赤」みのある血痕がついた衣類が発見されて、証拠として法廷に提出されたときから、おそらく世間一般のなかにも冤罪の疑いがでてきたのではあるまいか。そして死刑判決が下された時、その疑いは一層強くなったかもしれない。袴田氏を支援する人たちも少なくはなかったのである。◯ 朝日新聞ディジタルが他紙に見ないデータを掲載している。↓朝日新聞ディジタル「袴田巌さん58年後の無罪 前代未聞の事件を数字からたどる」CNN 「世界で最も長く拘置された死刑囚、袴田さんに無罪判決」朝日新聞ディジタル「無実訴える袴田さんを厳しく追及 当時の取り調べ音声」
Sep 26, 2024
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ようやく秋らしくなったと言えばよいのだろうか。朝方は涼しいというより少し肌寒さを感じる。朝食を摂りながら縁先をぼんやり見ていると、夏のあいだ放っておいた庭草が伸び放題になって、アカザがかすかに揺れていた。あるかなしかの風に揺れるともなく揺れるアカザがなぜか私の心に触れた。草の葉がふわりと揺れることで風が通ったことがわかる。そのあるかなしかの万象の一瞬のゆらめきを表現できたら・・・ 秋風やそっと回して走馬灯 青穹(山田維史) 秋風やかすかに揺れる千草かな Should I say that it's finally starting to feel like autumn? In the morning, I feel a little chilly rather thancool. As I was having breakfast and gazing out at theveranda, the garden grass that I had left unattended during the summer had grown wild, and AKAZA (Chenopodium album L. var. centrorum Makino) swayinggently. For some reason, the AKAZA swaying in thewind, whether it was real or not, touched my heart. Thesoft swaying of the grass leaves tells me that the wind has passed. If Icould express that fleeting flickering ofall things, real or not... Autumn wind, gently turning a kaleidoscope of life Autumn wind, gently swaying a thousand grasses by Tadami Yamada
Sep 25, 2024
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朝の庭掃除でおもしろい柿落ち葉をみつけた。主脈を境に半々に赤と緑の補色*に分かれた柿の落ち葉。【*註】補色:マルセル色環で向かい合った色を補色関係にあるという。並べるとギラギラした感じがし、絵の具で混ぜ合わせると灰色(グレー)になる。補色関係にある色は、たとえば赤い紙片をしばらく見つめて、そのまま紙片を除くと眼前にボーっと緑色の残像が浮かぶ。緑色を見た場合は赤い残像となる。黄色だと紫の残像が浮かぶ。
Sep 24, 2024
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能登の大雨被害には何とお見舞いの言葉を述べてよいか分からない。1月の地震でただ一本通じる道路が寸断され、そのためもあろうが今だに復興ができていなかったところに、この大雨被害である。このような地域の自然災害による大きな被害の復興について国交省はいかなる具体的政策をとっているのか? 地形的に困難な状況であることは理解できるが、しかし地震被害から8ヶ月も経って生活ができる状況にないということには疑念が生じてくる。仮説住宅に移った人たちが、再び新たな住居を見つけなければならなくなったようだ。救済策を策定するために国会議員が現地視察に駆けつけたという報道もない。尤も、かつて被災現場にふさわしい服装等の準備もせずにただ漫然と出かけて、濡れるのを嫌って県職員に背負ってもらった或るバカ大臣もいた。私が県職員だったならば、背負った大臣を泥水のなかに振り落としただろう。 この先も台風はやってくるのかどうか。 昨日も我が家近辺では一時的に雨が降った。前日は八王子市に大きな雹が降り、車を損壊するような被害があった。我が家はその八王子市と通りを境に向かいあっている。しかし八王子市は都内でも最も広い地区だ。その全域に雹が降ったわけではないので、我が家近辺は雷雨くらいですんだ。 そんな天候つづきで、あの長々とつづいた猛暑の日々も、きょうはようやく治って、秋の気配を感じた。 食卓に5種の初物が盛られた。栗、柿、蜜柑、梨、洋梨である。栗は茹でた。柿はもちろん我が小庭の柿ではない。大きくつやつやとした平柿である。蜜柑は鹿児島産、洋梨は秋田産である。そうそう、米は沖縄石垣島産の新米だ。 私は数十年の長きにわたって家族の毎日の3食をつくって来た。そしてできるだけ季節感を料理に盛り込もうとしている。しかし作物にあまり季節感がなくなって久しい。茄子も薩摩芋も年がら年中ある。胡瓜も夏の物ではなくなった。価格の高下はあるにしろ、作物が一年中豊富であることはまことにありがたい。とはいえ先日来の米が入手困難のニュースは、いつ何時日本の食糧事情を危惧しなければならない状況が襲ってくるかもしれぬ、油断はならないことを示している。訪日客が多いせいだなどと、バカなことを言って内実をごまかしてはなるまい。
Sep 23, 2024
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すごいねー、ドジャース大谷翔平選手。日本時間20日(現地時間19日)米フロリダ州マイアミでの対マーリンズ戦で、1試合連続3本塁打を放ち51本塁打ー51盗塁の「偉業」を達成、世界中の野球ファンの度肝を抜いた。この日、4打席に4H、5打席に50H。この50ー50で球界を沸かせ、解説者のなかには彼を「アバター(Avatar; 人間離れした神の権化)」と称した人もいたが、それどころではなかった。つづく6打席に第51号ホームランを放った。6安打3本塁打10打点2盗塁は、大谷翔平選手自身の初記録。そして米大リーグ史上初となる51ー51の達成である。 球場には大谷翔平選手を見にくるといわれるほど、大変な期待が寄せられている。大谷選手がその期待を自身の肩にどれほど感じているか想像もつかないが、その巨大な期待にちゃんと応えてしまう。しかも笑いながら。全然しかつめらしい表情はしていない。体もでかいが、心の度量も広い。すごいもんだ。チームの選手たちのみならず各球団の選手たちにも愛されていることがわかる、そんなシーンを何度も見ている。試合中の塁上で相手方選手が駆け寄ってきて話しかけたり、背中をたたきあったり・・・。みんなみんな、大谷選手と話したいらしい。遠い日本でモニター画面越しに中継映像を見ている私まで嬉しくなってしまう。 ドジャースはこれでプレーオフ進出が決まったらしい。【追記】日本時間21日。大谷選手は、本拠地ドジャースタジアムにおける対ロッキーズ戦で、52本塁打-52盗塁を記録更新。
Sep 20, 2024
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兵庫県議会は斎藤元彦知事の不信任決議案を全会一致で可決した。 反対投票がない不信任可決の事態は、兵庫県政はもちろんのこと、全国の県政でも初めてのことではないだろうか。 今後、斎藤氏の対応が注目されるが、その対応とは別に現職知事として業務上に起きていた各案件について、犯罪性が当局から問われることになるのではないかと思われる。 私は地方政治についてはこの日記であまり言及しない方針をとってきた。しかしこの兵庫県議会の例は私の記憶にとどめておくべきだと思った。斎藤元彦氏の人物像としても興味がある。斎藤氏自身は、不信任案が可決されたことを、知事としての自らの言動をめぐる事態の結果として、おそらくまったく理解できていないのではあるまいか。もしかすると、自身を理解する時がこないかもしれない、と私は思う。
Sep 19, 2024
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仲秋の名月といっても連日の暑さではピンとこない。しかし実際、昨夜の月は美しかった。二階のベランダに立って仰いだ夜空は、童話の絵本に描かれているような雲のまんなかがポッカリ開いて、満月が金色に輝いていた。雲間に覗く空は、月の明かりでインジゴ・ブルー。とりかこむ雲の端はくすんだオレンジ色。絵描きの私が言うのも変だが、絵本の絵のようだった。 仲秋やビルの谷間の月明かり 青穹(山田維史) 仲秋や月影よぎる真菰舟 名月や筆を捨て置く絵描きかな 一夜明ければ、今日はうっとうしい灰色の空。昼過ぎには遠くで雷鳴がとどろいた。そのうちに雨となった。東京は週末まで雨がつづく予報がでている。
Sep 18, 2024
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郵便局へ大型の郵便物を発送するため山を下って行った。麓近くの山際に梅の大木が茂っている。初春にこの下を通ると淡く香りが漂う。たいへん大きな木なので、梅が満開になるとじつにすばらしい。山を下って行くといやでも目に入る。その幹の2メートルほどの高さのところに何やら巻きつけてあった。何だろう? 見苦しいな、と思いながら近づいた。〈頭上に注意〉と大きな文字で印刷されていた。「なるほど、あの事件があったからなー」と私は合点した。 あの事件とは、先日、我が市の街路樹の銀杏の枝が折れて、通行人を巻き込み、その人は亡くなられたのであった。ほんの数日前に市の街路樹管理担当者が見回りをし、視認によって異常がないことを確認したばかりだった。大風によって折れたのではなく、理由不明の自然落下とみられた。亡くなった人は、若い方だった。まことにお気の毒な災難だった。 市長は即座に再度の確認を指示したらしいが、梅の大木に巻きつけられた警告もその指示の一端なのであろう。 私がまだ民生委員だった数年前、河川が増水し避難勧告が出される台風に襲撃されたとき、私は町内を見回っていると、山から倒木がその下の駐車場に落ちそうになっているのを発見した。倒木は危ういところで崖上にひっかかっていた。すぐに市に連絡したのだが、市はすでに知っていて善処する手はずをとったと答えた。駐車場の持ち主が連絡したのだった。 それから私は、山の上の緑地を見に行った。公園もあり、樫や小楢の林があった。そして山のはずれは数十年前に宅地造成のために山を切り崩し崖になっていたが、ぎりぎりのところに住宅が建っていた。案の定、2,3の大きな倒木がころがっていた。すぐには住宅の方へ落ちていくとは思えなかったが、私は再び市に連絡した。ところが、この緑地は市の管理下にないと言う。東京都の公園管理課の管理下にあるというのだ。私は東京都に連絡した。すると・・・。 もう、書かなくてもお分かりだろう。いくつかの部署をタライ回しにされて・・・ 山下のみごとな梅の大木の下を通るとき、私は梅に気をとられるよりも、きっと警告文を見やりながら上枝(ほつえ)を見上げるだろう。たしかに風流がってばかりもいられない。 街路樹の銀杏の枝が折れたことについて、ある人が銀杏が大量に生った、その重みのせいではないかと推測してきた。この説があながち否定できないのは、じつは20年前、我が家の柿の木の大枝が、生りすぎた柿の重みでボッキり折れたのである。・・・・・・・・・・・・・ 私が最も信頼しているウクライナからのウクライナ情報BOGDAN in Ukraine 本日のトピックス「戦争の長期化がもたらしたウクライナの悲劇について数字を用いて解説」この情報は日本のメディアでは言及されていない戦争の実態
Sep 17, 2024
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きのうの夕方、西の空が夕焼けに染まった。今朝、5時ごろ、こんどは朝焼けに染まった。朝焼けはめずらしい。朝陽が登っても、空が広く赤く染まるのをここ20年見たことがなかった。どういう条件によるのだろう。全天を薄く薄く雲がおおっている方がよいのかもしれない。もちろんその薄曇りの高度も関係するにちがいない。先日は東西南北全天が赤く染まる夕焼けに驚いた。 寝室の窓を開けると、流れ込んだ外気は冷えて秋の気配が感じられた。しかし、朝焼けの光の強さから、今日も暑くなりそうだと思った。遠く裏山の方で、「カッ! カッ!」と叩くようなカラスの鳴き声がしていた。餌をみつけて仲間を呼び合う鳴き声ではない。ひどく長い間をとりながらの「カッ! カッ!」という声である。 カラスの鳴き方で思うのだが、我が家の柿は生るには生っているのだが、例年のように枝がおれるほどたわわに実ってはいない。なぜか小さい青柿のうちから落ち柿がひどく、毎朝の掃除で300個は拾って捨てた。今は目の届くところにはあまり生っていない。そのせいであるのかどうか、毎年カラスが半分食っては落としていた贅沢な食い方が、今年は実が少ないことに気づいているように、食い方がキレイなのだ。蔕(へた)だけを残し、まるごとすっかり食っていることが多い。朝の掃除にかわりはないが、敷石に叩きつけられ潰れた落ち柿でないので、掃除が楽だ。私はカラスの食い方の変化に興味をそそられながら食い残しの蔕を掃き集めている。 「カッ! カッ!」と叩くようなカラスの鳴き声を聞きながら再び少し眠った。夢を見た。その物語は忘れたが、何でも災難にあった友人の無事を人づてに聞いて、「ワッ!」と嬉し涙がこみあげて目が醒めた。
Sep 15, 2024
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昨日は汗水漬くになってどこかにもぐりこんでしまった資料本をさがした。あちらの山を崩し、こちらの山を崩し、と。 増えつづける本の整理がまったくできない。いくつもの書棚はとうの昔にいっぱいになり、その前にどんどん積み上げて、それが前後何列にもなり、もはや資料を取り出すにも機能しなくなってしまった。せいぜい1万冊。蔵書とは言えない。 私はかつてこのブログ日記に愛書狂について書いた。2009年7月9日「愛書狂」、つづく7月10日「フランスの愛書狂」。生田耕作訳『愛書狂』(白水社刊)に登場するフランスの名うての愛書狂を摘んで紹介した。私は本は読むが愛書狂ではない。本ならなんでもよいと手当たり次第に読んでいるのでもない。たしかに分野分けすれば多岐にわたるが、みな、私の思考経路では関連がある本である。 まあ、私のことなどどうでもよい。 愛書狂といえば、もう一冊おもしろい本を思い出した。これはすぐに山のなかから掘り出せた。渡辺一夫『異国残照』(人と思想・文藝春秋、1973年刊)。渡辺一夫先生のこの本は、たくさんのエッセイを収めていて、じつにおもしろい。そのなかの一編、「ブゥラール氏の蔵書と架空文庫」。・・・「蔵書家愛書家として名を竹帛に垂れた人々は多かろうが、フランスのアントワヌ・マリ・アンリ・ブゥラール Antoine Mari Henri Boulard (1754-1825) は、そのなかでも屈指の人物かもしれない。」と起筆している。この人物、毎日本を買い、ついには一々調べているのが面倒になり、一尺(30cm)の高さにまとめて100フランで買い、古書街の店主たちの目の色を変えた。本を収蔵する家を8軒も持ち、家計をやりくりしなければならなくなった夫人に諌められて本の購入を厳禁されると、たちまち病気になり顔は青ざめ痩せ細ってしまった。これでは死んでしまうかもしれないと不安になった夫人が仕方がなく禁を解くと、またたちまち元気になり、馬車を駆って古書店通い。・・・つづきは『異国残照』を読んでもらうことにしよう。彼の死後、60万巻におよぶ蔵書は夫人によって売り払われた。イギリスの愛書家リチャード・ヘーパーの手に渡ったものもあったという。フランスの古書価は数年間にわたって大暴落したそうだ。渡辺一夫『異国残照』文藝春秋 1973年
Sep 13, 2024
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立つ腹も萎むぜ、いつまでつづくこの暑さ。午後1時過ぎの気温35℃。ほんの5分10分、鳥が食い散らかした落ち柿を掃除しているだけで汗水漬くである。台風の激しい雨よりましか、とカンカン照りの空をあおぐ。仕事場にもどり、参考資料についての記載が一件必要に気づいて、さて、どこにもぐりこんでいるやらと、本の山をあっちを崩しこっちを崩ししているうちにまたもや汗水漬く。 言うまいと思えど今日の暑さかな 青穹(山田維史) 晩飯は那須・那珂川林屋の川越店、うな重。
Sep 12, 2024
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兵庫県は現職知事をめぐって大きな騒動となってい、全国的にも注目されている。一部報道によれば県議会議員86名全員が知事の辞職を要求しているという。この事態は前代未聞ではないだろうか。知事はかたくなに辞職を拒否している。 県議会議員の要求に対して知事が辞職を拒否した場合、地方自治体法におけるリコール制度がある。地方自治体法第76条から第88条まで及び第296条に定められている有権者直接請求制度である。大まかには有権者の3分の1の署名が請求の条件である。人口の多い自治体は、さらに細かく算出方法が規定されている。 ちなみに兵庫県の場合、2023年12月1日現在で公表された有権者数は、452万9468人である。この数字から計算すると直接請求に必要な署名は66万6184筆。これをもって選挙管理委員会に知事の解職を請求できる(地方自治法第81条第1項)。ただし署名募集期間は、自治体が県の場合は2ヶ月である。請求が有効であれば、60日以内に住民投票が行われる。有効投票数が過半数を越えれば知事は失職する。 東京都はかつての知事で、リコールか否かの問題を経験している。公用車を私的に常時頻繁に使用したり、都有地の独裁的な使途問題、海外視察航空機のファースト・クラス往復利用、1泊20万円のホテル宿泊費等々が問題になった。地位利用の贅沢と指摘されたのだった。 国政とことなり自治体の問題は自治体住民の手の内にある。兵庫県の県政はいまや混乱。重要案件の審議も停滞していないか。さて、どう決着することやら・・・
Sep 11, 2024
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宇能鴻一郎氏が去る8月28日に死去された。享年90。 1962年に2作目となる『鯨神』で芥川賞を受賞。1970年代に入ってからは執筆の主軸を官能小説に移し、週刊誌等で人気を博して一時代を築いた。美食家としても知られた。 私は氏が官能小説に移行する前の、エロティシズムが横溢する短編小説集『花魁小桜の足』の装丁画を手がけている。新書判と文庫判との2冊、いずれも双葉社の刊行である。この装丁画は私が手がけた装丁画のなかでは異色であるが、谷崎潤一郎文学に並列するような、宇能鴻一郎氏の初期作品の装丁画を手がけることができたことを嬉しく思っている。エロティックな高度な文学作品を題材にして描いてみたいと思っていたからだ。 宇能鴻一郎氏を追悼いたします。宇能鴻一郎『花魁小桜の足』双葉社新書版1984年刊、文庫版1988年刊装画:山田維史 油彩
Sep 10, 2024
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79年前の8月9日以後、東長崎地区でいわゆる原爆後の黒い雨によって被爆し、以来、病苦や生活に支障を来して苦しんで来た人たちが、国による救済(被爆者手帳の交付)を求めた訴訟で、長崎地裁(松永晋介裁判長)は本日、原告44名(内4名はすでに死亡)のうち15名(内2名死亡)に対し、被爆体験者と認める判決を下した。 東長崎地区は国の被爆地指定区域外にあり、79年間というもの国は被爆地に線引きし、この地区で被爆したことを訴える人たちの請願をかたくなに拒否してきた。被爆によって苦しむ国民をむしろ率先して探し出して救済すべきであったであろうに、「嘘を言っているのではないか?」という猜疑心によって、被爆者をまるで「たかり」か何かのように、無策のまま頰かぶりしてきた。日本の政治の根底に抜きがたく存在する棄民思想の表立った一例である。そのことはこのたびの訴訟原告を被爆者ではなく「被爆体験者」と称し、44名全員の救済ではなく、差別的な線引きをした地裁判決にもあらわれている。「被爆体験者」とはいったい何であるか? 被爆者とはどのように異なるのか? まったく理解に苦しむ造語である。その造語に添って、それでは「被爆を体験した者」はなぜ「被爆者」ではないのか。・・・言葉遊びをしているとしか思えない。いや、むしろそのような造語による政策で事を処理する知性を疑う。その政策を鵜呑みにした長崎地裁松永法廷の知性を疑う。そしてこの判決によって原告が救済されたと喜ぶのは早計であるかもしれない。なぜなら、この判決によって被爆者手帳の交付を拒否された29名は、被爆の苦しみに加えて差別された意識に苦しむであろう。それは被爆手帳交付を認められた15名にしても、他の差別の上に我が身が救済されたという意識に苦しむであろうからだ。原告44名は長い年月、共に闘ってきたからである。 この地裁判決がそのまま確定するか否かは、今後の原告・被告両者が控訴するかどうか、そしてなによりも国の出方による。 さて、今、すべてとは言はないが、日本の政治家は堕ちるところまで堕ちている、と私は思う。国会議員のみならず、「ゥヒョ〜誤見の痴事」のように露見はしないものの、病的ナルシシズと政治活動とが混濁してしまっている地方政治家もいる。上に立つ者の人格の卑しさは必ずや下へ波及するものだ。われら日本獅子の心中の虫が今の政治家である。国民を舐めていないで、servantになりなさい、政治を志す諸君よ! 国民が選んでいるのは、偉ぶる人ではなく、国民に奉仕する人だ。
Sep 9, 2024
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「パラリンピック 2024 パリ」の全競技が終了した。日本選手の活躍はめざましかった。全選手の健闘をたたえ、以下にメダリストのリストを掲げます。⭕️ 水泳・男子50m平泳ぎ(SB3) 金 鈴木孝幸⭕️ 水泳・男子100m自由形(S4) 銀 鈴木孝幸⭕️ 水泳・男子400m自由形(S11) 銅 富田宇宙⭕️ 水泳・男子50m自由形(S11) 金 木村敬一⭕️ 水泳・男子100m背泳ぎ(S8) 銀 窪田幸太⭕️ 水泳・男子100m平泳ぎ(SB14) 銅 山口尚秀⭕️ 水泳・男子200m自由形(S4) 銅 鈴木孝幸⭕️ 水泳・女子100m自由形(S12) 銅 辻内彩野⭕️ 水泳・女子200m個人メドレー 銅 木下愛莱⭕️ 水泳・男子100mバタフライ(S11) 金 鈴木敬一⭕️ 水泳・男子50m自由形(S4) 銀 鈴木孝幸⭕️ 水泳・男子100mバタフライ(S11) 銅 富田宇宙⭕️ 陸上競技・男子5000m(T11) 銀 唐澤剣也⭕️ 陸上競技・男子400m(T52) 銀 佐藤友祈⭕️陸上競技・男子400m(T52) 銅 伊藤智也⭕️ 陸上競技・男子100m(T13) 銅 川上秀太⭕️ 陸上競技・男子400m(T13) 銀 福永凌太⭕️ 陸上競技・男子100m(T52) 銅 佐藤友祈⭕️ バドミントン・女子ダブルス(WH1 - WH2) 銀 里見紗李奈・山崎悠麻⭕️ バドミントン・男子ダブルス(WH1 - WH2) 銅 梶原大暉・村山浩⭕️ バドミントン・女子シングルス(WH1) 金 里見紗李奈⭕️ バドミントン・男子シングルス(WH2) 金 梶原大暉⭕️ 陸上競技・女子円盤投げ(F53) 銀 鬼谷慶子⭕️ 射撃・混合10mエアライフル伏射(SH2) 銅 水田光夏⭕️ ボッチャ・女子個人(BC1) 銅 遠藤裕美⭕️ ボッチャ・混合チーム(BC1/BC2) 銅 遠藤裕美・杉村英孝・廣瀬隆喜⭕️ 車いすラグビー 金 (日本代表チーム) 池透暢・池崎大輔・小川仁士・草場龍治・ 倉橋香衣・島川慎一・中町俊耶・乗松聖矢・ 羽賀理之・橋下勝也・長谷川勇基・若山英史⭕️ 車いすテニス・女子ダブルス 金 上地結衣・田中愛美⭕️ 車いすテニス・女子シングルス 金 上地結衣⭕️ 車いすテニス・男子ダブルス 銀 小田凱人・三木拓也⭕️ 車いすテニス・男子シングルス 金 小田凱人⭕️ 卓球・女子シングルス(クラス11) 金 和田なつき⭕️ 卓球・女子シングルス(クラス11) 銅 古川佳奈美⭕️ ゴールボール・男子 金 (日本代表チーム) 金子和也・佐野優人・鳥居陽生・ 田口侑治・萩原直輝・宮食行次⭕️ 柔道・女子48kg級(J1) 銀 半谷静香⭕️ 柔道・女子57kg級(J2) 金 廣瀬順子⭕️ 柔道・男子73kg級(J2) 金 瀬戸勇次郎⭕️ 柔道・女子70kg級(J2) 銅 小川和紗⭕️ 自転車競技・女子ロードレース(C1-3) 金 杉浦佳子⭕️ 陸上競技・男子マラソン(車いすT54) 銅 鈴木朋樹⭕️ 陸上競技・女子マラソン(視覚障害T12) 銅 道下美里
Sep 8, 2024
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ブラジル出身のボサノバ音楽のセルジオ・メンデス氏が5日、ロサンジェルスで亡くなられたという。享年83。 私はボサノバについて詳しくはないが、それでもアントニオ・カルロス・ジョビン作曲「イパネマノ娘」は好きだ。そのアントニオ・カルロス・ジョビン氏の影響を受けてセルジオ・メンデス氏はクラシック音楽のピアニストからボサノバ音楽に転向したといわれている。そして名曲「マシュ・ケ・ナダ(Mas Que Nada)」を作曲された。 私はほんとうに時々だけれど、気がつくと絵筆を握りながら、調子よく「♪マッシュ♪ケ♪ナダ (さあ、どうだ!)」と口ずさんでいる。尤も、私が口ずさめるのはここまでである。しかしこのフレイズを口ずさんでいるとき、私の絵はうまく行っているのである。たぶんこれからも私は「♪マッシュ♪ケ♪ナダ !」と口ずさむだろうと思いながら、セルジオ・メンデス氏を追悼いたします。 R.I.P.
Sep 7, 2024
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驚いた。南会津荒海中学校の同学年同窓会に出席した弟が帰京しての話。 弟はたった1ヶ月しか在籍しなかったので60年ぶりに会うクラスメイトは名前も顔も記憶にない。車に乗せてくれるという親切に、他の二人と同乗させてもらった。お互いに自己紹介し、弟が「山田です」と名乗った途端、ひとりの女性が、「タダミさん?」と言った。弟は驚いて、「タダミは兄です」と応えた。するとその人は、「お兄さんは私の兄と会津高校でいっしょでした。私の兄はサガラ〇〇です。お兄さんと会津高校の文芸部でいっしょでした」 私はこの話を聞いて驚いたのである。サガラ君は荒海小学校2年3年のときの同級生だった。八総鉱山小学校が開校する前のことである。優秀なクラスメイトだった。一度、誘われてサガラ君の関本の家に遊びに行ったことがある。本道から右手に畑を見ながら少し奥まった所に建っていたと記憶する。70年後の今でも目に浮かんでくるのは、戦後10年も経っていない頃、農家が多かった周辺の家屋とはおもむきが違っていた。新築して間もなかったのではないだろうか。 私が八総鉱山小学校に転校後は会うことはなかったが、会津高校入学試験の場でばったり会った。試験科目が終わって短い休憩のとき、別々の教室から出てきた廊下でだった。サガラ君は腰に毛布を巻いていた。冬とはいえ、いささかならず物々しかった。私は風邪でも引いているのかと尋ねた。するとサガラ君は中学で陸上競技の高跳(ハイジャンプ)をやっていて腰を傷めたのだ、と言った。 会津高校ではサガラ君は理数系、私は文系で、クラスが一緒になることはなかった。 妹さんは、サガラ君と私が文芸部で一緒だったと思われているようだが、二人とも文芸部に所属していたことはない。じつは文芸部は本格印刷の文芸誌を刊行していて、サガラ君も私も部外から投稿していたのだ。二人の作品が同時に掲載されていたのである。私は掲載誌を受け取ると真っ先にサガラ君の評論を読んだ。そう、サガラ君は社会評論を発表していた。私はといえば、今思えば感傷的な随想風な半小説だった。私はサガラ君の文章に「すごいなー!」と、悔しさを隠しながら感嘆していた。私の作品は、他校の女子高校の生徒たちには人気があると人づてに聞いたけれども。 しかし、本当に驚いた。顔を合わせたこともない、妹さんがいることさへ知らなかったサガラ君の妹さんが、私の名前を憶えていてくださったとは! 79歳、こんなこともあるんだなー。荒海小学校2年生終了時 昭和29年3月(1954年)左:サガラ君 右:私
Sep 6, 2024
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台風はすっかり去ったのだろうか。青空が覗いている。初秋の気配・・・と言いたいところだが昼過ぎの気温は30℃だった。 弟が中学校の同窓会だそうだ。一泊二日で会津若松に行くと言った。「そりゃー、いいね」と私は応えたが、弟の卒業中学校は会津若松ではない。現在の南会津町の荒海中学校に入学したがおよそ一ヶ月ほどで転校し、会津若松市に独り住まいしていた私のアパートへやってきた。そして私の母校である第三中学校に移籍した。しかしそれもつかの間、弟は両親のいる札幌市へ移っていった。そして札幌の中学校を卒業した。 このたびの同窓会は一ヶ月ほどしか在籍しなかった荒海中学の同学年同窓会だそうで、私が「しかし、良く知った友達はいないでしょう」というと、「そのとおり」と応えた。そしてつづけて、「八総鉱山小学校の同級生が出席するから・・・」 浅草から鬼怒川を経由して、亡父が田島町議会議員として敷設に努力した野岩線に乗り換え、昔八総鉱山への入り口であった滝ノ原駅(現・会津高原尾瀬口駅)を通過して田島に集合。貸切バスで会津若松に向かう、と。 実は弟も私も野岩鉄道に乗ったことがない。南会津の人たちの明治時代からの悲願だった鉄道敷設に、亡父は、札幌市へ移転するまでの6,7年間、国への陳情や鉄道会社との交渉に多忙だった。そのころ私はすでに両親や弟たちと別れて会津若松市に行っていたので、八総鉱山の毎日の業務もこなしていた父が自宅で客をもてなしたあとで倒れ、一時人事不省になったことも知らなかった。私を心配させまいとして、誰もが口を閉ざしていたのだった。 現在、YouTubeなどで鉄道マニアが旅行動画を披露しているなかに、会津線・野岩線・鬼怒川線の途切れることのない映像を観ることができる。私はそれらを観ながら、トンネルまたトンネルの険しい岩山をくぐり、深い峡谷を望みながら走る路線を、なるほど100年間の悲願もこの地形で実現は困難であったろうと思った。 鉄道が開通したとき、田島町から東京の父(そのとき両親は私と同居するようになっていた)に式典の招待状がとどいた。あいにく父はスケジュールの都合がつかなかった。父が鉄道敷設交渉の仕事から引退して20年くらい経っていたが、田島町は父の努力を忘れないでいてくれたのだった。 弟は同窓会を機会として亡父の努力の成果を見るだろう。私は、・・・おそらくその鉄道に乗ることはない。
Sep 4, 2024
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昨日の大雨はどこへやら。今日はときどき小雨がパラついたが、空は晴れて水に溶かした水彩の薄青が雲の間に覗いていた。気温はあの猛暑の日々にくらべるとグッと過ごしやすくなったが、蒸し暑ことは蒸し暑い。しかし台風10号はまだノロノロと東海・関東へ接近しているらしい。 我が家に被害はなかった。庭のムサシアブミの茎が一本折れた。葉の大きな植物なので、風をくらったのであろうか。 ・・・遠くに救急車のサイレンが聴こえる。 鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉 蕪村 私が好きな蕪村の句。 野分してムサシアブミの茎を折り 青穹(山田維史) ◯ 野分してムサシアブミを折りて過ぐ
Sep 1, 2024
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