全22件 (22件中 1-22件目)
1
迷走台風と言われる台風10号の影響で、我が家近辺でも一昨日、昨日と断続的ながら非常に激しい雨が降った。きょうは曇り空ながら日中は降り止んでいたが、夕方4時半過ぎからまた降り出した。雷鳴も轟いている。勢力は弱まっているらしいが、今夜も大雨になるかもしれない。他県では死亡者も出てい、河川が氾濫する被害もでている。・・・明日9月1日は「防災の日」である。 我が家のあらゆる方角の窓が異常に赤く染まったので何事かと驚いた。最初に気づいたのは玄関の飾り窓から見えるタイル敷きが真っ赤だったのだ。火事かと思ったのである。ご近所の窓も外壁も真っ赤である。そして雨が降り続いている。ドアを開けてみると、空全体が赤い。夕焼けである。しかし、全方角の窓が染まるこんな夕焼けはいままで見たことがない。私はカメラを持ち出し、空を撮影した。撮影:8月31日 午後6時
Aug 31, 2024
コメント(0)
台風10号が午前j8時頃に鹿児島県の薩摩川内に上陸した。我が家の近辺は断続的に激しい雨が降っている。関東地方が台風圏内に入るのは9月3日頃と予想されている。北上の速度が遅い台風のようだ。我が家の準備は怠りないつもりだが、とにかく今後の様子に注意である。 古来、台風と結びつけられてきた二百十日は今年は8月31日にあたる。二百十日前後の風の強い時期に稲穂が倒れる被害にあわないようにと、越中八尾では祈りをこめて「おわら風の盆」が三日三晩踊られて来た。全国各地に盆踊りが存在するが、「おわら風の盆」は胡弓と三味線の哀切な音にひときわ優美である。八尾十一の各町のそれぞれ揃いの衣装は男女ともに品がある。踊りの所作は播種をめぐる農作業を表しているようだが、なんというか、上品な色気がある。毎年9月1日~3日まで行われて来た。今年はあいにく台風10号が襲来と重なりそうだ。どうなることか。 ・・・私は、石川さゆりさんの「風の盆恋歌」をくちずさんでいる。 なかにし礼氏の作詞になるこの歌は、なぜか日本の恋愛歌謡曲に多い不倫の恋(流行歌にこれほど不倫の恋が多い国はあるだろうか?)。他の歌と少しことなるのは若さを過ぎた男女の恋ということ。私はこの歌が嫌いではないが(いつのまにか耳に入り、歌詞もすっかり覚えてしまっている)、八尾おわら風の盆に見受ける夫婦愛にイメージは重ならない。八尾おわら風の盆のために少しばかり私は残念に思いながらくちずさんでいる。 パラリンピック・パリ大会が今日開幕した。参加は過去最高の167の国と地域だそうだ。開催を祝す。
Aug 29, 2024
コメント(0)
過日、新聞に「収益化のためにフェイク情報を発信する」問題がとりあげられていた。情報戦としてフェイク情報を発信、拡散させて人心を撹乱することは昔からおこなわれていた。国家間で、また国内政治において国民支配のために。いわゆる謀略である。いまやその情報戦謀略は、他国の種々の選挙への介入など、毎日のようにおこなわれている。関係性の大小にかかわらず「信頼・信用」が築きにくくなっているように私は思う。日本社会だけに限って考えてみても、もっとも案じられことは、重要案件が生じたときに正しい行動をとりにくいということである。 さて、ここに来てごく一般人が老若男女を問わず、自身が発信するSNSや動画発信の読者獲得のために、そして上述の新聞が報じるように、読者数の多寡によってSNSのプラットホーム(アプリケーション創設者・大元の運営企業)からスポンサー広告の拡散に寄与したことで対価が支払われる、つまり発信者に「収益」があるため、発信者は「収益化」のために発奮・努力する。それは当然であろう。しかも場合によっては莫大な金が入ってくるのである。わずか10歳になるかならないかの子供に数億、数十億円(ドル)が支払われることもあるのである。 多くの読者を獲得したいと思うのはどんな媒体の執筆者・発信者でも同じであろう。しかし莫大な金が目の先にぶらさがっていそうだと思うならば、その収益化のための努力は情報内容の質や充実に向けられるとは限らないようだ。上述の新聞が問題にしていたのはそのことである。フェイク情報とは言い切れないまでも、発信者が読者をひきつけるための惹句に誇張した言葉を使っているのを、いまや誰でもが見ている。それらの言葉は特別な新鮮味はなく、むしろ子供っぽいほどの表現なのだが、読者の人間心理の弱点を突いているとも言える。 私は以下に、インターネット上で見つけ、集めた、誇張した惹句を書き並べてみようと思う。●衝撃的な理由! ●衝撃的な事実! ●真相がヤバイ●ついに判明した〇〇の正体 ●意外な素顔 ●素顔がヤバイ●素顔暴露 ●裏の顔 ●一同驚愕! ●驚愕の事実暴露●驚きを隠せない ●これが真実! ●言葉を失う●閲覧注意! ●必見! ●大変なことに!●すぐ削除されます ●これは絶対にテレビでは流れません●削除される前に今すぐご覧ください●大御所が〇〇。大御所に〇〇。(権威付け)●突然死の真相(実際は死んでいない) ●本当の死因(情報は空虚) ●余命宣告(情報は空虚)●難病死亡(情報空虚) ●難病脚切断(実際は脚を切断していない。なぜか病気で脚を切断したという惹句が多い。たくさんの著名人がネット上で脚を切断されている)●涙腺崩壊! ●精神崩壊! ●〇〇した本当の理由●ヤバすぎる性癖 ●人生初めての〇〇●重大発表します。あるいは、大切な御報告があります。(じつは一般発信者の個人的な身辺事にすぎない)
Aug 28, 2024
コメント(0)
現代日本社会に日本語として蔓延するヘンな言葉あるいは表現を、私の目につくまま耳にするまま集めてみた。『私解ヘンな言葉の辞典』●やばい(あぶない。すごい。とても良い。優秀だ。美しい等々、意味はきわめて感覚的に多様)●めちゃ、めっちゃ(すごい。たいへん。「めっちゃすごい」などと重ねて感覚的強調語とすることもある。古くからある言葉「滅茶」あるいは「無茶苦茶」が、もとの否定を含んだ意味とは正反対の肯定語として特異な使われかたをしている。本来の「滅茶」「無茶苦茶」は、茶が大切な薬用品であったり貴人が服して高価であった時代、その茶をダメにしてしまうことを指した。大阪漫才の横山エンタツ・花菱アチャコ両氏は、「無茶苦茶でござりますがな」を決め言葉にして人気があったが、両氏は本来的な正しい使い方だったのである)●まじ(ほんとう。しんけんな(真剣な)。まじめな(真面目な)から来ている省略語。「まじでやばい」などと連語で言うことがある。かなり以前から若者言葉として使われている)●むずい(「むずかしい」を省略している。古来「ムズムズする」「ムズ痒い」という感覚表現があるが、これとはまったく関係がない)●えぐい(かなり以前から使われているが、おそらく「エグ味」からの転訛と思われる。「大人っぽい」とか「渋さがある」というような感覚的な表現のように思われる)●えもい(エモーショナル・情感がたかまる、というような意味か?)●きもい(「気持ち悪い」を省略している。ただし自分自身の生理作用(たとえば病気など)を言うのではなく、対人関係などで底意地悪く拒絶批評していることが多い。しかもその批評を自分だけの気持ちにおさめるのではなく、この言葉を仲間内で言い合うことで仲間意識を確認するようだ)●むかつく(古くから使われる言葉だが、使われかたは本来的ではない。「きもい」と同様に、他者に対するほぼ一方的な悪感情の吐露として使われている。人間関係に自己中心的な感情過多が作用しているように思われる。しかも生理的な言葉であるところに、筆者は病理を感じる。まるで恋愛関係の愛憎のもつれの果てのようだ。自他を清々しく峻別する人間関係の成熟がこの言葉の発声にはみられない)●ダサイ(「駄才」か? 「格好が悪い、むさくるしい」の意味を含んだ時流に合わない粗末なことをさす。駄作、駄弁、駄菓子等から派生した思われる)●かまちょ(「構ってしょうだい・遊んでちょうだいをそれとなく要求する甘えんぼ」というほどの意味か。名詞)●ガチ(本気、というほどの意味。「ガッチり」という言葉からの転訛と思われる。かつて舞台制作現場等で鎹(かすがい)をガチと称したが、その名詞形もおそらく「ガッチり」からの派生であろう)●ガッツり(「ガッチり」の訛語。「ガッツり食う」などと言う。男性性が強調されるような場で使われることが多く、運動部系の学生や肉体労働従事者などから発生したと思われる)●おたく(「お宅」。一事に執着し、精通していること、あるいはそのような人。名詞。従来、「お宅」と言えば話し相手の家をさすか相手に対しての「あなた」に代わる尊称であった。1970年代頃より上述のような意味で使われだした。英語のマニア、マニアック(mania、maniac)に通じるが、かならずしも病的な執着を指すとは言えない。家(宅)に閉じこもって一事に没頭する様子からでてきた造語的な表現と思われる)●オバタリアン(猛女、あるいは歳を重ねてかえって粗野になった女性を指す。また、1980年後半以降、女性の社会活動進出の増加とともに、その進出を運動するために、男女平等を乱暴で粗野な男性の言葉をあえて真似して放送メディアで発言する女性を称した)●置き配(インターネット・ショッピング等で購入した物品を購入者に直接配達するぼではなく、購入者指定の場所に配置すること。新型コロナウィルス禍の広範域流行によって直接対面を警戒するようになったことにより考案された配達方法である。また、受取人不在による再配達の手間と経費削減が配達人と受取人との相互理解を得られ一般化するようになった)●イメチェン(イメージ・チェンジ;image change 「イメージ変更」の日本的略語)●イケメン(容姿容貌の良い男。性的な魅力がある男。現代感覚をまとった颯爽とした男。それらに加えて、仕事ができる男をさすこともある。造語名詞。酒を飲める人を「いける口」とか、「いけるねー」などと言うが、それと同様の「いける」から派生して「いける顔、いける男」へと意味が加わった符丁のような言葉である。あるいはまた英語の「good man (men)」との語呂合わせがあったかもしれない)●イクメン(「イケメン」から派生し、「育児をする男性」をさす。男女平等をめざす社会潮流のなかで社会進出する女性が増え、また夫婦共稼ぎ家庭の増加にともない、育児夫婦共同参画からでてきた言葉。この言葉によって(ファッショナブルに捉えることによって)男性側に抵抗感が減少してきているかもしれない)●主夫(家事をする夫。「イクメン」という言葉にあらわれているように、家庭内の日常仕事を夫婦で分担することが多くなり、男は外で働けばよしとする旧来の考え方に変化がでてきた。あるいはまた、妻が外で働き夫が家事に専念するという場合もある。また、離婚によって子持ちの独身となった男(シングル・ファザー)が、外での仕事と家事・育児をする。さらに、インターネット普及によって非出社型のいわゆるリモート・ワークなど働き方の変化にともない男が家庭内で家事・育児をするようになった。そのような社会の変化を「主夫」という言葉は如実に物語っている)●ガチャ(二者間ないし三者間で判断に整合性がないこと、あるいは同一判断であるべきなのに違いがあることをいう。たとえば同じような事件に対する判決が裁判所によって異なる時に、「裁判官がガチャ」などと言う)●KY(「Kūki Yomenai (空気読めない)」の略。周囲の状況を察しない言動をさす。たとえば議事進行の弊害となる言動を繰り返す人に対する批評などである。しかしその批判が必ずしも正しいとは言えない面もあり、いわば当たり障りのない状況をつくるために突出した言動を封じるために仲間意識を醸成する言葉として使われることも少なくない。2007年頃から若者の間に始まった符丁である)● JK(「Jyoshi Kōkōsei; 女子高校生」のこと)●ガン-無視(完全に無視、という意味。頑-無視なのかもしれない)●はんぱ無い(半端無い、であるが、本来は「半端で無い、半端が無い」である。助詞が省略ないし欠落しているのである)●ビビる(おそれる。ふるえる。気後れする。あるいは逆に、情感の高まりや戦闘意識の緊張感を表現することもあり、きわめて感覚的かつ肉感的な表現に使われている)●うざい。うざったい(鬱陶しい。うるさい(ただし騒音に対してではなく、他者のふるまいを言うようだ)。ずいぶん昔から筆者は耳にしていたが、何か語源があるのかどうかは不明)●やらせ(TVや新聞雑誌等のドキュメンタリーや報道において真実にみせかけた演出。制作者の意図に合致するように出演者を限定したり台本どおりの発言を要請、あるいは演技させること)●パクる(逮捕する。盗作する。無断で模倣する。動詞。「パクり」は名詞形。かなり昔から使われている話し言葉としての警察用語(符丁)が変化して「盗作する」等の意味に使われるようになったと思われるが、筆者山田はその語源不明)●えんがちょ(昔から耳にしたが、筆者山田は意味不明)●しかと(「無視」という意味のようだ。ただし対人関係での無視か? 昔から耳にしていた)●とんがる(「尖る」が撥音便化した言葉。動詞。先端鋭利・鋭角を表す言葉が、強い自己主張することに変化。特に日本の平均化を暗に求める社会生活に飽き足らなくなったり、生きづらさを感じる青少年の強い自己主張のある生き方(言動一般)を指す。場合によっては昔の「不良少年」に当てて、いわゆる大人に対する反抗的な青少年をさすことがある。一方、ロック歌手等にそれを認めて、憧れの表現ともなっている)●キレる(突然我慢しきれなくなって感情を爆発すること。張り切った糸が切れる様、いわゆる「断絃」が語源と思われる。「ブチギレる」などと一層強調することもある)●パシリ(いわゆる「走り」であるが、仲間内の上下関係で最も下部の者を指し、「走り使い」のことを言う。この最高上位者を「番長」と称している。「番長」とは、岩波書店の広辞苑によれば古くはバンジョウで、〈交代勤務のために編成された各集団の統率者の意〉とあり、律令制における階級等を例示しているが、また、〈学校の非行少年少女の長〉としている。小学館の大辞泉第1版増補版も大きな違いはない。集英社の簡便な新修広辞典第4版では〈非行少年の集団のリーダー〉とのみ記している。いつ頃からこの意味に使われるようになったかは不明だが、現在では「非行少年少女の集団の長」という意味だけで使われている。この「番長」に付随する言葉として「パシリ」がある。そして学校の仲間集団だけではなく、いわゆる暴走族や暴力団内でも使われているようだ)●ばり〇〇(大変。すごく。「ばり美味い」などと使っている。鋳物つくりなどで、硬化冷却後に削る余計なはみでた部分を「バリ」と言うが、現在、概して若者が言う「ばり〇〇」が職人符丁から派生したのかどうか・・・筆者は不明である)●ビビる(「恐れる」あるいは「驚いて震え上がる」。電気的ショックを受けたときのような、きわめて感覚的な言葉)●三密(新型コロナウィルスの流行著しかった時期に感染拡大を防ぐために政府の専門会議が提唱した密閉・密集・密接を表した造語。元来の「三密」は密教の三業(さんごう)を言う。すなわち「身・口・意」である)●婚活・就活・終活・妊活(それぞれ結婚準備活動、就職活動、人生の終末を迎えるための準備、そして妊娠するための活動(これには夫婦間の交わりのみならず人工授精や体外受精などが含まれている)を意味する。ここに学校生活におけるクラブ活動の部活を加えても良さそうだ。これらはまったく出典がない造語である。これらの言葉が奇妙なのは漢字熟語の本質的な規則性が崩壊していることである。例示した五つの言葉はいずれも漢字の動詞と目的語とを組み合わせて名詞化したものに類するのだが、この名詞化は漢語文法によって動詞+目的語の語順でなければならない。しかしながら婚活・就活・妊活・終活・部活は、いずれも目的語+動詞である。熟語には「じゅうばこ読み」と称される「音読み+訓読み」の言葉がある。「重箱」がまさにそれである。しかしこれも動詞+目的語の語順は変わっていないのである。すなわち「箱を重ねる」の名詞化である。私が想うに、婚活・就活・妊活・終活・部活を作り出した人は、熟語の規則性、漢語文法の素養に欠けていたようだ)●パパ活・ママ活(上記の例からさらに派生したと思われる。パパ活とは、少女ないし未婚女性が一時的な金銭契約で男性の相手をすること。話し相手や散歩相手のこともあるが積極的性関係を結ぶこともある。また、少年や青年が男性の相手をすることもある。男性からの誘いもあるようだ。ママ活はその逆である。売買春の変形を言葉でつくろっているともいえる、現代日本社会を裏面から特徴付けている言葉)●推し活(これも上記の例から派生した。「推薦すること、応援すること」あるいは、気に入った人や物品を広く知らしめるために「前面に押出す」こと)●朝練(学校のクラブ活動の一環として早朝練習をすること。学生言葉。「あされん」と発音しているので、重箱読みである。)●朝活(筆者山田は意味不明。「朝練」と同じか、それより行動領域が広いようにも思う)●ママスタ(ママ・スタートの省略のようだが筆者は意味不明)●ママ友(自分の子供を介した母親同士のつきあい。親密なつきあいにも使い、なんとなく腹に一物ある表面的なつきあいを取り繕うときにも使われ、心理的な陰影のある現代語)●チャリンコ、チャリ(自転車。タウン・サイクルを指すことが多い。古くから使われているようだ)●ママチャリ(これこそタウン・サイクル。買い物籠や幼児チェアをとりつけた自転車)●かっけー(格好良い!)●すげー(凄い! 筆者は敢えて感嘆記号をつけたが、「うめー(上手い、美味い)」とか「ひでー(酷い)」「いてー(痛い)」あるいは「てめー(手前)」などのように感情の高まりによる語尾の崩れである)●わろた(笑った。話ことばというより、SNSなどでの書き言葉)●わらかす(笑わせる。関西芸人が話し言葉として使っているが、そのテレヴィ出演によって関西以外の使用も出てきた。元来、舞台芸で観客の興を盛り上げることを芸人の立場から、「わかせる(湧かせる)」と言い、観客の立場から「湧く」と言った。「わらかす(笑かす)」はその言葉から派生した訛語かもしれない)●目線(視線のこと。むしろ考察・主張などの立脚点をさすことが多い)●原発(原子力発電、原子力発電所)●爆誕(筆者は意味不明。爆発的に人気等がでることか? 「爆上げ(いきなり値上げする)」などとも言っている)●課金(「課税」というのは、税を一定の割り当てすることである。すなわち「課」とは一定の割り当てを意味する言葉。「課金」は「一定の割り当ての金」という意味になるだろうが、SNS等の使用料、あるいは有料動画の観覧料金を指し、必ずしも公共料金ではないようだ。「課税」に倣ったあたらしい造語ではなかろうか。ある施設入場や有料エスカレータ等での料金支払いについて、利用者が「課金した」、と言うのを筆者は耳にしたことがある。「?」と思った言葉だった)●(文章の末尾に)草(「臭い」の字面だけの婉曲表現であろう。「あやしいゾ」とか「言い過ぎだろう」とか「格好つけすぎ」などに代わる記号的な表現。コンピューター作成文章に用いられている絵文字と同じ使い方のようだ)●鬼(巨大、あるいは強力、凄い等々非常を表す接頭形容詞。子供っぽい表現だが、古来「鬼煎餅」などの表現もあり、一時代前にはある芸能者が「マンモス・ヤッピー」などと言っていた。「ヤッホー」の誇張した表現だが、それと同じなのだろう)●美魔女(連語型名詞。容貌が美しく且つ先鋭な、ときには悪辣な印象を与えるような活躍をしている女性をさす。当の女性に対する批判と憧憬とがないまぜになった現代心理を窺わせる言葉)●超〇〇(これも上記の「鬼」と同様な表現。ただし優れているということだけではなく、「超まずい」などと逆の表現としても使っていることがある。その点で英語の接頭辞super-と同じとは言えない)●パソコン(パーソナル・コンピューター)●スマホ(スマートフォーン)●デジカメ(デジタルカメラ)●アプリ(アプリケイション)●携帯(携帯電話。携帯は英語のモウヴァイル(移動)に匹敵。しかし「携帯」だけでモウヴァイル・フォーンの通用語となっている)●ガラ携(時代遅れの携帯電話を意味する。「ガラ」は「ガラパゴス島」から来ている。しかし「ガラ携」という言葉自体がすでに時代遅れになっているようだ)●コンビニ(コンビニエンス・ストア)●マイナカード(マイナンバー・カード)●パワハラ(パワー・ハラスメント。社会的組織において立場上権力がある者が、部下に対して有るべからざる虐待(暴行、暴言、左遷、あるいは性的な強要)をすること)●アカハラ(アカデミック・ハラスメント。大学のみならずあらゆる学校内で、地位の上の者が下の者に対して虐待(暴行、暴言、左遷、性的強要、あるいは提出論文や報告書等を恣意的に無視し提出者の経歴に損害を与えるなど)すること)●セクハラ(セクシャル・ハラスメント。地位を利用した性的虐待(性関係の強要のみならず、ボディー・タッチや卑猥な言葉で恥辱を与えることなどを含む)●カスハラ(「カスタマー・ハラスメント」の日本的略語。消費者・購買者が商品販売店に暴言あるいは暴行をともなう損害賠償請求をすること。食品に否衛生的な物質が混入していたり欠陥商品であったりするいわば正当なクレームもあるが、暗に金銭を要求する悪質な言いがかりや、販売者の信用を失墜させる目的で騒動をまきおこす言いがかりを指す。店頭で直接おこなわれるほか、インターネット・ショッピングの場合SNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)を使用することも少なくない。また、自己顕示欲からアイスクリーム冷凍庫のなかに潜り込んで写真撮影したり、商品等に唾を吐きかけて撮影する事件が出来している)●コスパ(コスト・パフォーマンスの日本的恣意的略語。価格に見合う質あるいは量目をさし、「コスパが良い」などと言う)●コーデ(コゥオーディネイション;coordination)の日本的恣意的略語。「服装の調和の取れた組み合わせ」という意味に使用している)●フォーカス(「focus (焦点)」のことであるが、写真週刊誌等のマス・メディアによって対象者に秘密裏に写真を撮影することを指す。著名人のスキャンダルとして扱われることが多い。1970年代の初めころから盛んに使われだした)●スタメン(スターティング・メンバー。昔から使われているが)●エッチ(「H」と書くこともある。ただしアルファベットの正確な発音ではなく、あくまでもニッポン式の発音エッチである。エロチックなこと、セクシャルなことを総称しているが、端的に性交を言うことが多い。昭和30年代半ばにはすでに学生間で使われていた符丁であるが、その由来を筆者はわからない)●ゴチ(ご馳走。名詞・副詞の両用がある。大学運動部(会社)などで先輩(あるいは上司)が後輩に対して「今日はゴチだ」、あるいは後輩が先輩に対して「ゴチになります」などと、かなり昔から使っている話し言葉)●トリセツ(取り扱い説明書)●コピペ(コピー・アンド・ペイスト。他者の作物をコピーして自作の中にペイストすること。著作権に抵触すること(盗作)が問題になる行為。違法にならない場合もある))●スクショ(スクリーン・ショット(screen shot) の略語。コンピューター・ディスプレイ上の動画の一部分や静止画像をコンピューターの機能を使って切り取り撮影し、ディスプレイ上に保存することをさす。報道資料画像として、また、種々の研究資料画像として利用価値が高い。一方、この後の画像加工や利用のしかたによっては著作権問題やその他の問題が派生することがある行為をさす。名詞。「スクショする」として、動詞)●ドラレコ(ドライヴ・レコーダーの日本的な略。自動車走行を記録する車載動画レコーダー)●レベッチ(レベル違い。能力や技術力が格段に違うこと)●メンヘラ(顔付が軽薄? 筆者は意味を明瞭にしない)●バズる(人気が出ている。噂がひろがっている。英語のbuzz(ブンブン唸る)から来ているのだろう)●ディスる(失敗する。否定する。特に相手を否定して用いているようだ。英語の否定語をつくるdis-から来ていると思われる)●バグる(壊れる。具合悪くなる。英語のbugから来ているのだろう)●オワコン(筆者山田は意味不明)●ワンオペ(「ワン・オペレイション(one operation)」の日本的略語。母親ないし父親が、ひとりで育児をしなければならない状態をさす。必ずしも離婚独身者とは限らない)●バックれる(逃げる。隠れる。もとに帰る。英語のbackからの造語)●フルボッコ(徹底的に打ちのめすこと。あるいは逆に打ちのめされること。英語の「full」とボコボコに打ちのめすなどと言う「ボコ」の撥音便「ボッコ」を連結した造語)●反社(「反社会」の略語。暴力団等あるいは意識的違法言動を指す。場合によってはこの言葉の使用者の恣意性で種々の差別を煽ったり、政治的意図をもった指弾となる。話し言葉、書き言葉の両用ある)●神ってる、神対応(非常に優れている。普通以上にすばらしい心がけだ、等々。近年になって際立つのが、いわゆるアイドル歌手や俳優が、ファンに優しく接するのを目撃すると「神」という表現で最大限の賛辞と敬意をあらわす。宗教性とは何らの関係もないのだが、やたらに崇める態度は、逆に徹底的に卑下し傷つける心と表裏一体のようなので、現代日本社会の病理現象と思えなくもない)●塩対応(上記の「神対応」と逆の場合で、そっけない対応を言うようだ。これらの表現に共通するのは、概して他人に対する判断が一元的。あるいは複雑な感情をもっているのかもしれないが、表現は紋切り型の拙さである)●〇〇過ぎる(これも実にヘンな使い方をしている。「上手過ぎる」「可愛過ぎる」「美味過ぎる」「美し過ぎる」等々。いずれもたんに「上手い」「可愛い」「美味しい」「美しい」と言えばすむのだが、そこに何と比較しているのか不明だが自己を中心とした判断が透けて見える。判断表現が素直ではないのだ。見えない他者(敵手)の反論を無意識ながら前以てかわしているのである。というのは、「過ぎる」といえば普通は否定的なひびきがあるものだ。しかしここでは同時に「超〇〇」と同様に発声者の賛辞を含んでいるのである。他の言葉はヤクザの符丁のように省略しているが、「過ぎる」とくっつけてわざわざ長くしているところに、発言者の心理的な複雑(コンプレックス)がある。概して若年層に多い言葉を短縮する経済学が、「〇〇過ぎる」という表現では破綻している)●〇〇かも(〇〇かもしれない。仮定語として対象を明確にせず発信者の意思や主張を曖昧にしている)以下は言葉そのものはヘンではないが、使い方が奇妙なものをあげてみる。●野菜を切ってアゲル。小麦粉をまぜてアゲル等々(料理人に多いバカな言い方である。「アゲル」を、おそらく丁寧語だと思っているのだろう。食材に対して、つまり人間以外に対してこの啓上丁寧さは異常。いい歳をしたおっちゃん料理人までそんなことを言っている)●ありえない(あるはずがない、という意味は衆知のはず。使い方が奇妙だ。つまり、「ありえない。あるはずがない」という言葉は、現実に起こってしまったことを指しているのではない。もしくは現実に起こったことに対する不信感・・・予定調和に対する答と異なる出来事に疑問を提出しているのであって、別の答が頭の中にあるときに眼前の事例に対して「ありえない」という判断を示すのである。この「ありえない」という言葉の今時の使い方には、「〇〇過ぎる」と同様の自意識過剰が表出している、と筆者は思う)●良さげ(良さそうな、という意味だろう。しかし、ウ〜ン、なんとも。「良い」という形容詞に接尾語「さ」を付け、さらに「げ」という助動特活語幹を付けて助動詞化している。文法的には間違いではないのだが・・・「良さそうな」と言ったほうが綺麗なのだが・・・)●つきあう(「付き合う」だが、一般的な世間的「交際」という意味とニュアンスを異にする。男女の友人関係より一層親密な性関係を結ぶ交際。あるいは性関係を結び得る付き合い。恋人同士とも言えるし、その前段階にあるとも言える、一時的ないわゆるセックス・フレンドを指すこともある。中・高校生を含む若者言葉。世間的にお付き合いする、という本来的な意味が若者たちに通じなくなっている傾向がある)●購読(えっ? と思うまさにヘンな誤用がされている。本来、「買って読む」ことで、それ以外ではないのだが、インターネット配信されている情報を利用登録する場合に、無料にもかかわらず「購読」という言葉が使用されている)以下は筆者としては日本語として救いようのないまさにヘンな言葉●ちがく;違く(おそらく「そむく」と読むべきところを読めずに「ちがく」となってしまったのだろう。伝達力が早い時代、誤りが訂正されずに、むしろ新味な言葉として広まったと筆者は推測する。「違くね?」とか「違くて」などと使われている。これが日本語としてきわめて奇怪なのは、例えば「面白く」という言葉は形容詞クに分類され、四段活用である。その連用形は「面白くて」となる。ところが「違」を語幹とする形容詞は存在しない。「違く」という形容詞ク四段活用は日本語にないのである。「違」を語幹とする日本語は、「違い」名詞、「違う」自動詞。「違え」名詞。「違える」他動詞下一段活用。文語「違う(ちごう)」他動詞下二段活用。この五つだけである。文法的に造語をつくることができないのである) さて、長くなった。今日はこれまでにしよう。
Aug 26, 2024
コメント(0)
私は幼い頃から父の仕事の関係などでいろいろな地方で暮らしてきた。福島県の八総鉱山時代は住友金属鉱山傘下の各地から社員・従業員が召集されていた。したがって私は東京言葉のみならず多くの地方言葉を耳にして育った。 我が家の言葉はほぼいわゆる標準語でありアクセントもまた標準語にちかく、いまになって興味深く思うのは、地方言葉に染まることがまったくなかったことである。子供の遊びの中で様々な地方言葉が飛び交い、子供というものは影響を受けやすいものだと思うが、まったく影響を受けずに成人した。 地方言葉には関心があった。昭和28,9年ころ、生粋の南会津の人は商店の戸を開けるときに、「ハイットー」と言った。私はその意味がわからず母に問うたが、母も即座にはわからなかった。しばらく後に、「こんにちわ」、あるいは「ごめんください」という意味だと知ったが、ただし一般の他家を訪問したときには使うことはなく、商店やそれに類する所で使うのである。あるいは、これも南会津で小学生の頃、農家の友達の家にはじめて遊びに行ったときに、お母さんが私に「ぶつかりなんしょ」とおっしゃった。私がびっくりしていると、お母さんは「おあがりください」と言い直されたのだった。・・・今思い出したのだが、八総鉱山で亡父が編集主幹のような立場で発行していた社内報『やそう』に、たしか東京からいらした塩沢の小父さんが、「ハイットー」というエッセイを書いていらした。私は小学生だったけれども、それを読んだ。塩沢さんは「ハイットー」という言葉の響きの柔らかさと優しさについて述べていられた。 こんなことを書き始めたのは、きょう8月25日の朝日新聞のコラム〈大阪流〉に、加藤勇介記者が「まったり コテコテ 言葉は時代につれ」という大見出しで書かれてい、私はおもしろく、また、なるほどと思ったのである。加藤勇介記者はこのコラム記事を放送大学大阪学習センター所長・金水敏氏のつぎの言葉でしめくくっていられる。 「形式を大事にする東京、カジュアルな大阪、両極があるのが日本の言語文化を支えている」 私は標準語といわれる日本語も方言といわれる地方言葉もすきである。私自身の言葉は先に述べたように標準語にちかいと思っているが、しかし、東京生まれの東京育ちだった故・花輪莞爾氏によると微妙な訛りがあるそうだ。どこがどうと指摘するのはむずかしいが、東京人の耳にはやや異質なものを感じる、と。まあ、私の言葉は死ぬまで変わらないだろう。 我が家の家庭内の言葉づかいも、我が家流がある。たとえば、亡き両親も私たち子供も、誰一人として「おまえ」という言葉を使ったことがない。言葉と限定してよいかどうかわからないが、人の名を呼び捨てにすることがまったくない。私たち兄弟は嫁や孫たちをふくめて、両親から名前を呼び捨てにされたことがないのである。私たち兄弟間でも決して呼び捨てにしない。呼び捨てにするのは家人を他人に紹介するときだけだ。 ところで私が日本語としてまったく馴染めないヘンな言葉が、いま日本社会に蔓延している。そのヘンな言葉が、耳で覚えることが多い外国人の話す日本語に混じりだしている。彼らはヘンな日本語だとは思っていない。こまったことに(と私は思っているのだが)、そのヘンな言葉を日本人が外国人におしえているのである。おそらくおしえている当の日本人も、自分がヘンな日本語をおしえているとは思っていないのだろう。・・・このような日本語状況を、「言葉は時代につれ」と嘯くひとがいるとしたら・・・ あした私は、私が収集しヘンな言葉を列記してみよう。『ヘンな言葉辞典』と題して。
Aug 25, 2024
コメント(0)
近くまで外出すると、コンビニエンス・ストアの前で年配のご夫婦に呼び止められた。ストアの裏手の山は行けるのか、と言う。ご夫婦は車で日野市内をあちこち見て来たが、平山城址に行ってみたいのだ、と。 私は地理的な状況を説明し、平山城址へ入る道筋、そしてその山筋が峰伝いに八王子市の長沼町から平山城址を通り多摩動物公園方面、二股に分かれて東京薬科大学正門前を通って多摩堀内方面につづいていること。平山城祉は東京都立公園になっておりトイレも完備している、と。ストア裏手の山はその裏側で谷底へ下り、昔は猿がいた猿渡池に出ること。向かい側の山は一般人が立ち入りできない東京薬科大学の薬草園・原生植物林、そして東京農工大学の観察保護林になっていること。峰伝いは散策路が整備されていて、緑陰のなかを歩くおもしろいコースであることなどを話した。 ご夫婦は、八王子城址には行ったことがあると言うので、私は八王子・日野近辺には鎌倉・室町時代の城址が非常に多いことを説明した。しかし、出かけるにしてもなにぶん猛烈な暑さ、どうぞ十分ご注意を、と。 ついでにその城跡を列記してみよう。じつはすべてに遺構があるわけではなく、今後の研究をまたなければならない伝承的なものも少なくない。 【日野市】 ◉平山城址(山上)・平山季重居館跡(京王平山城址公園駅前。碑が立っている。平山季重は「吾妻鑑」に勲功が記述されている平安時代の武将。近くの電車路際に小さな〈出口公園〉があるが、そのあたりに季重居館の出入口があったといわれている。いずれも遺構は無い) ◉田村安栖居館跡(田村氏は後北条家侍医。現・安養寺。その寺名に医家だった田村氏の面影がなくはないが、田村氏遺構は全く無い) ◉日奉(ひまつり)氏館跡(武蔵七党のひとつ西党の始祖日奉氏の居館があったと伝承。現・日野宮神社は日奉氏が祖先を祀ったとされる) ◉川辺堀之内城址 ◉高幡城址(高幡不動尊の金剛寺境内の山頂にある) ◉百草城址 【多摩市】 ◉関戸城址 【八王子市】 ◉八王子城址 ◉片倉城址 ◉高月城址(武蔵守護代・大石氏の城跡。北条氏照も利用したとされる) ◉初沢城址(戦国時代前半から戦場となった高尾の山城) ◉根小屋城址 ◉由木城跡(伝・大石定久の居館跡) ◉滝山城址(武田信玄の猛攻を退けた城) ◉甘里砦(武田信玄の滝山城攻めに対抗した北条方の城塞) ◉松木屋敷(鎌倉公方家臣松木七郎氏居館跡) ◉大江氏館(伝・大江広元の居館跡) ◉由井野城址 ◉左入城址(八王子に存在した中丸淡路守の居城跡) ◉中山勘解由屋敷跡(中山勘解由は八王子城の戦いで戦死した) ◉小田野城址(小田野氏城塞跡。八王子城の山城だったか?) ◉小田野屋敷屋敷(小田野氏居館跡) ◉植松太郎屋敷(後北条氏の家臣植松氏居館跡) ◉井草屋敷(後北条氏家臣井草氏居館跡) ◉横地監物屋敷(八王子城の戦いで本丸を守護した横地監物の屋敷跡)画像は日野市役所が発行しているウォーキングマップ一つの帙に四種のマップを収めている。発行:日野市役所 産業スポーツ部 文化スポーツ課 日野市役所 健康福祉部 健康課
Aug 24, 2024
コメント(0)
今朝、仕事場の窓を開けると蜂が一匹飛び込んできた。よくあることなので暫く放っておいた。しかし室内をあちらこちら飛ぶ様子は、どうやら巣をつくるに適当な場所をさがしているようだった。巣を作られてはちょいと困る。窓から出ていってもらった。 ところが庭掃除をしていると、私の周囲のみならずやたらと蜂が飛んでいる。その行方を目で追うと、なんと柿の葉と楮の葉が重なり合った下陰に、大軍の蜂が団子状になって仕事をしていた。巣を作っているのである。 いやーッ、これは困った。蜂に恨みはないけれど・・・小学生の頃、大軍の蜂に襲われて九死に一生を得たけれど、まあ、昔々のことだ・・・門際だし、人の出入りがある。大きな巣を作られては大変だ。かわいそうだが死んでもらうしかない。私は家の中にとって返し、(使ったことがなかった)殺虫剤をもってきて「ごめん、ごめん」と言いながら散布した。いきなり急襲されて蜂の大軍は四方八方に乱れ散った。 死んで墜落した一匹を私は拾った。〈セグロアシナガバチ〉だった。 スキャンしたのが下の画像である。特徴を捉えた画像になったので掲載することにした。本州、四国、九州に産す。学名に日本とあるので、図鑑には断り書きはないが固有種なのかもしれない。すずめばち科 せぐろあしながばちPolistes japonicus fadwigae Dall Torre
Aug 23, 2024
コメント(0)
著作家の松岡正剛氏が死去した。享年80。 長らくお目にかかっていなかったが、私は1977年から2年ばかり、氏が編集長をされていた渋谷・松濤の工作舎で何度かお会いしていた。舞踊家の田中泯氏の〈舞態〉を観るようになってい、1977年に田中氏が工作舎の協力で1800時間踊りつづけるというプロジェクトを開始された。そのときに発行された『身体気象図譜』に、私は松岡正剛氏の依頼でエッセー『定めなき観客席よりの〈視感〉』を執筆した。それが松岡氏にお会いした最初であった。そのときだったと記憶しているが、松岡氏は私がサンリオ出版でやったキングスリィ・エイミス『去勢』のカヴァー画を憶えていられ、そんな話もした。文庫のカヴァー画としては当時でも特異な絵だったのである。土方巽氏の舞踏公演の会場でお会いしたこともあった。ある日、ご自宅に電話すると、重病でご入院したとのことだった。・・・以来、ご遠慮の気持ちが私にこびりついてしまった。 松岡正剛氏のご冥福を祈ります。
Aug 21, 2024
コメント(4)
昨夕は激しい雷雨があった。一夜明けて今朝はすっかり晴れ上がり、また暑くなる予感がした 雷雨に叩き落とされたのだろう、蝉の抜け殻が二つ庭に落ちていた。きのうのブログ日記で、葉の下陰にくっついていた抜け殻の写真を掲載したばかりである。二つの抜け殻を拾って、また撮ってみた。 抜け殻をつくづく見ながら、背に一筋の割れ目を入れて、よくもまあこんなに上手く抜け出せるものだと感心する。脚の複雑に入り組んだ関節や爪先、触覚、眼球・・・じつに見事に脱ぎ捨てている。熟達のストリッパーだって、こんなにするりと衣装を脱げないだろう。往年の日劇ミュージックホールのスター、アンジェラ浅丘孃だって、学生の私を焦らしたものだ。ははは。もちろん岸田氏が首相を退陣しても、日本政府が着古した襤褸衣装をきれいに脱げはしまい。蝉にも劣るというところか。
Aug 20, 2024
コメント(0)
空は曇っているが気温は昼に36℃に達した。あいかわらずの猛暑である。 朝、庭の植物に撒水していて、ふと見ると、葉の下陰に蝉の抜け殻がぶらさがっていた。この夏はこれで三つめである。玄関の張り出し屋根をささえる柱の下側に空蝉がくっついていたこともあった。窓をあけたとたんに蝉が飛び込んできたこともあったから、あれは羽化したばかりだったのかもしれない。どうやら我が家の小庭は蝉の産卵場所になっているようだ。 思い出せば、毎年ではないが過去にも何度かそんな年があった。・・・キアゲハが産卵していたり・・・手入れもしない無精者の小庭が昆虫たちの生殖の寝床になっているのだろう。ははは、なんとなく愉快だ。
Aug 19, 2024
コメント(0)
アラン・ドロン氏が本日2024年8月18日、亡くなられた。享年88。 私が14歳の1959年に日本公開された『お嬢さん、お手やわらかに』(ミシェル・ポワロン監督、1959年)が、アラン・ドロン氏が日本の映画ファンの前に登場した最初だった。そして翌年の作品『太陽がいっぱい』で、その美貌とともに名声を確固とした。同年(1960年)のルキーノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』。以後、アラン・ドロン氏の出演映画作品はすべてほぼ制作年に日本公開されてきたのではあるまいか。如何に日本で人気があったかという証拠であろう。もちろんご本人も何度か来日されている。私自身、25作品以上観ている。 下に掲載した画像は、1990年2月に銀座文化劇場で上映されたルキーノ・ヴィスコンティ監督作品特集のパンフレット。実はヴィスコンティ作品で『揺れる大地』(1948年)だけが日本で公開されていなかった。そのいわば記念すべき初公開がこの特集上映だったのである。『若者のすべて』が併映されたのは日本ヘラルドの恣意的な企画ではなく、ヴィスコンティ監督自身が『揺れる大地』の続編のような作品であると言っているのである。そして、1958年にパリ滞在中に一目アラン・ドロン氏を見た監督は、「ロッコだ!」と心の中で叫んだのだそうだ(同パンフレットに拠る)。 ちなみに『揺れる大地』(1948年)は48年のヴェネチア映画祭で上映され国際映画賞を受賞したが、 50年のイタリア公開は短縮版だった。また55年のアメリカ公開も短縮版。したがって1990年の日本初公開がはじめて完全版の上映だった。 また、『若者のすべて』が1960年に日本で初公開されたとき、輸入会社は勝手に挿話を部分的に大幅にカットした。上映時間が2時間56分だったからだろう。そのためヴィスコンティの意図は曖昧になってしまった。・・・つまり1990年の銀座文化劇場での2作品連続上映は、その意味でも記念すべきものだった。 「若者のすべて」に、性格の異なる5人兄弟の、感受性が強く精神的に複雑で陰影深いロッコ役で出演したアラン・ドロン氏は、翌年ヴィスコンティが演出する舞台作品に婚約者ロミー・シュナイダーとともに起用され、つづいて『山猫』に快活な貴族青年の役で出演した。 「地下室のメロディー」や「リスボン特急」、あるいは三船敏郎と共演した「レッド・サン」、「ボルサリーノ」や「仁義」等々、私の忘れられない作品を挙げてアラン・ドロン氏を追悼いたします。VIsconti Collection presented by BARCLAY発行:ヘラルド・エンタープライズ、デザイン:吉見真琴、1990年2月
Aug 18, 2024
コメント(0)
個人的な古い資料をさがしていたら、目的の資料は見つからなかったが、懐かしいというよりほとんど忘れていた本が出てきた。私が長野県の川上第二小学校に入学した年に父が買ってくれた本『日本犬の活きた訓練』である。75年前に発行された本だ。 私はこのブログ、2005年10月20日に「カピや!」と題して書いた。Tさんの家から生後1年未満の子犬をもらった。私は竹で編んだ子供用の背負籠を背にしてTさんの家に行った。柴犬である。当時、日本放送協会ラジオ(NHK)が、朗読劇「母をたずねて三千里」を放送してい、主人公マルコ少年の愛犬がカピと言った。私はその名を私の子犬に名付けた。犬を飼うのは初めてだった。ある日、父はどこかに出張しての土産に『日本犬の活きた訓練』を買ってきた。 しかし、「おもしろブック」や「子供の科学」は購読していたけれど、『日本犬の活きた訓練』は難しい漢字ばかりの本で、私には読めなかった。掲載されている沢山の写真や図版を眺めるばかりで、結局、父が読んでいた。・・・その本が、資料箱の中から出てきたのである。もともとは青いカヴァーが付いていたのだが、それは失われていた。薬剤師 磯貝晴雄著『日本犬の活きた訓練』発行:愛知縣知多郡旭村新舞子驛前 日本犬柴犬猪犬研究所出版部印刷所:半田市字北瀬古上三九ノ一 知多印刷株式会社昭和9年3月28日印刷 昭和9年4月1日発行昭和24年4月20日142販発行 定価 金250円 この奥付を見て思うのは、戦争をはさんで再発行されるまでに142販を重ねていること。一回の再販がいったい何部発行されたのかは不明だが、それにしても142販とは驚くべき数字である。しかも定価250円は随分高価だ。貨幣価値で比較すると現在はおよそ当時の10倍である。 見開きを掲載したが、興味深いのは、デザイン文字にロシア・アバンギャルドの影響がある。これも当時の日本のデザイン界の流行が反映している。 なお、当時ベストロングセラーだったと想われる本書は、いわゆる地方出版である。奥付にある住所は、現在、発行所は知多市新舞子になり、印刷所の半田市の住所は郵便番号簿にもなく検索しても出てこない。もしかすると表記が全く改変されたのかもしれない。75年の時の流れである。 そして、電子書籍がこのような75年の命脈を果たして保つかどうか。保ったとして、将来、特殊電子技能者ではない一般人が、電子データの深い深い層の底から古人の知識を引き出せるかどうか。知的探索ができるかどうか・・・。いま、私は読書人に考えを訊いてみたい気がする。書物の書き手に、自分の作物の寿命(永生)を如何に考えているか、訊いてみたい気がする。 ・・・とはいうものの、現代今日の日本では「焚書」の思想はかたちを変えて脈々と生きている。それは独裁者(あるいは狭量な思想国家)が人民を飼いならすための行為とは、本質は変わらないのだが、破棄する記録は支配者自らのものである。司法行政、三権の省庁では書類の破棄が隠然と行われている。歴史的な検証をさせまいとしている。国民に対する「犯罪」が日本の中枢でおこなわれているのである。・・・温故知新とはなんぞやと嘲笑している幼稚さである。
Aug 17, 2024
コメント(0)
暴風雨を伴う台風7号が関東地方に接近している。千葉県沿岸ではすでに風速19 mを記録したらしい。海は大荒れである。東京でも渋谷区広尾で街路樹の欅の大木が根元から倒れ、道路を塞ぎ、交通規制が布かれている。 我が家の近辺はまださほどの影響もなく、断続的にやや強い雨が降り続いている。小庭の樹木の枯れた短い枝先が数本落ち、色づきはじめた柿が1日のうちに3個5個と落ちている。物干し竿数本は地上におろし、風の通り道にならないと思える場所に移した。予定していた一両日の外出はすべてキャンセルした。 連日の猛暑がおさまったのだけが取り得。
Aug 16, 2024
コメント(0)
下の書籍画像『戦闘帽の中学生たち』は、私の母校・会津高等学校の前身である旧制会津中学校の昭和17年4月に入学し昭和22年3月に卒業した第53回生が、戦時中の学校生活や学徒勤労動員に出動したときの各自の手元に現在まで残っていた日記あるいは随筆を編集し、「会中五三会」と称した同窓生(当時すでに70歳を越していた)が、1991年の終戦記念日8月15日に刊行したものである。 ちなみに五三会の生徒たちが入学した昭和17年4月の18日に米軍機による日本本土初空襲があった。1年生たちは24日(金曜日)に白虎隊墓前に参拝し (24日は翌命日。旧制会津中学校の前身というべきは白虎隊の少年たちが通った藩校日新館である)、1週間後の5月1日に防空演習および令旨奉読式があった。二学期からは早々に勤労奉仕に出勤し、市東部の東山伐木や植林作業、あるいは農山村で作業をし、また小田山忠霊堂建設にたずさわった。そして後には会津を離れ三菱製鋼、ヂーゼル自動車、東京衛器、星野鉄工所等々へ出勤した。 本書を私に贈ってくださったのは、「会中五三会」の刊行委員・清水和彦氏である。清水和彦氏はしたがって私の母校の先輩ということになるが、実は私が会津若松第三中学の生徒だったときの体育教師であり、私が会津高校に入学するとすぐに先生が創立者の一人であった劇団『童劇プーポ』に引き入れてくださり、その年の10月、劇団創立10周年記念公演の木下順二作「おんにょろ盛衰記』に村人の役で初舞台を踏んだのだった。大学入学のために退団し、その後40数年間、私は先生に何の連絡もしていなかった。先生は方々に手紙を出して私の消息を尋ねていらしたらしいが、ひょんなことから互いの所在を知った。最初の電話で先生は、「どこさ手紙出してもみな還ってくるので、おめえはもう死んだんじゃなかっぺかと思っていた。生きていたか!」とおっしゃった。私は60歳になっていた。 その後は手紙のやりとり、電話での話が、お亡くなりになるまでつづいた。その間に、「みんなでこんな本を出版した」と、『戦闘帽の中学生たち』を2冊贈ってくださった。私は一読、大変貴重な記録と思い、また付録として28ページにわたって掲載されている当時教師だった鈴木英一氏の戦時中の農事記録・学校行事全記録(年月日および曜日あり)も珍しく、かつて大東亜戦史には稗史を含めても出てこなかった記録であると思った。私はすぐに1冊を東京都立中央図書館の収蔵課に清水和彦の代理人として寄贈した。図書館から館長名で礼状があった。 下のDVDは、同書のDVD販であるが、清水先生の同級生であり本書刊行委員の赤城良一氏が私家版として制作されたものである。赤城氏に私はおめにかかったことはないのだが、清水先生の話から、私の中学校の同級生赤城M子さんのお兄さんなのだった。M子さんには私は彼女が結婚後、子供連れで東京で2度会っていた。 清水先生の「会中五三会」の同級生で、もうお一方、私が良く存じ上げていた人がいる。八総鉱山診療所の医師だった丸山一郎氏である。小学生だった私は水棲昆虫・幼虫を採集していたが、私は丸山先生に消毒済みの薬瓶をたくさんもらい、それを使って標本を作っていた。またあるとき、何が原因だったか忘れたが、診療所に行きペニシリン注射をすることになった。体質に適合するかどうかのテスト注射をされて、しばらく待合室で待つように言われた。私は、あらかじめ適合検査をしなければならないような注射をするのはゴメンだと、黙って家に逃げ帰ってしまった。丸山先生は患者が消えてしまったのでびっくりされたであろう。そのことがあってから、私が体に不調があると母は私を丸山先生の自宅に連れて行った。先生の自宅は私の家の3軒隣りだったのだ。 清水先生は私の消息を知った後で丸山先生に私のことを話されたそうだ。丸山先生は小学生だった私を憶えてくださっていたという。診療所の件で亡父にいろいろ便宜を図ってもらったとも言っておられたとか。そして丸山先生の弟がやはり私の若松三中の同級生だった。マルちゃんは陸上競技(100m走だったかな?)の中学生記録保持者で、その記録は後年までずいぶん長い間破られることはなかった。毎日の練習で汗だくになるのだろう、天花粉(ベビーパウダー)の匂いがした。 その後、清水和彦先生の喜寿をお祝いするために、私は42年ぶりに会津若松市を尋ねた。わずか一泊だけの旅行だったが、帰京してから清水先生から電話があり、私が帰った翌日丸山先生がお亡くなりになった、と。・・・そして清水先生も亡くなられた。 『戦闘帽の中学生たち』に掲載されている旧制会津中学校の若者たちの写真を見ながら、本書が1991年の終戦記念日にあわせて出版された8月15日、そして今日第79回終戦記念日に、私の個人的な思い出とともにここに紹介した。 清水先生、赤城氏、丸山先生たちが使用した旧制会津中学時代の校舎は、私の時代もまったく改造されることなく使われていたことが、会中五三会のクラス写真によって私は知った。・・・しかし、私が3年生の初冬、その校舎は不審火のために全焼してしまった。なんとも遣る瀬無い気持である。(この事件については、このブログ日記の2006年1月11日・12日に書いた。12日の日記には事件翌々日に私が撮影した火災現場写真を掲載した。)
Aug 15, 2024
コメント(0)
少しばかり躊躇ったが、よんどころない用事のため午前9時半に外出した。一時間半ほどで帰宅したのだが、顔や腕が日焼けして赤くなっていた。キャップを冠っていても、日焼け予防にはならなかった。すぐに水シャワーを浴びて冷やした。日焼けのためというより汗だくだったからだ。昼過ぎの気温は34.5℃。体感温度はもっと上だ。 猛暑がつづくのは日本だけではないようで、南極大陸の最も寒冷時期に記録的な熱波がつづいているという。シベリヤやアラスカでも異常な高気温である。南北寒冷極地の気温上昇は海氷を融解し、壊滅的な海面上昇をもたらす。水没をまぬがれない陸地が指摘されている。 大西洋の海水が表層で北上し、深層で南下する海洋大循環(大西洋子午面循環;Atlantic Meridional Ocean Circulation ; AMOC)は、温室効果がこのままつづけば、今世紀半ば、早ければ2025年(来年!)にも停止するという予測が出た。デンマーク・コペンハーゲン大学の物理気候学者ピーター・ディトレフセン教授のグループがイギリスの科学誌『ネイチャー』に発表した。(CNN 2023年7月26日記事) つい先日、2024年8月5日のCNNは新たなANOC研究論文について伝えた。その研究によれば2030年代の後半にもAMOCは停止する、というものである。この論文は現在査読中で、科学誌にはまだ掲載されていないそうだ。 AMOC(大西洋子午面循環)がなぜ重要かというと、南半球の暖かい海水と塩分を北大西洋に運び、北大西洋の冷えた海水は深層で再び南下する。この循環によって南半球が極端に暑くならず、また北半球が極端に寒くならずにすんでいる。いわば人間が住みやすい環境が維持され、生態系を維持するための栄養素が分配されているのである。 そして現在危機感をもってAMOCに関する研究がおこなわれているのは、海水温の上昇と人間によって気候変動が引き起こされ塩分濃度が乱れ、それによって海洋大循環が崩壊する恐れがでてきたからである。 この危機的状況は全人類の問題であり、「お前は危ないだろうが、俺の方は大丈夫だ」とエゴイスティックではいられないのである。・・・私は実に不思議だと思っているが、諸国の政治家たちの中に、あるいは優秀な経済人の中に、この危機的AMOC問題にほとんど無頓着な人たちがいることだ。無頓着なだけではなく、目先の利益に追われて積極的に気候温暖化状況を生成しているように思える。いざという危機的状況が出来(しゅったい)しても、たぶん、自分は生きのびられると思っているのかもしれない。・・・さて、そううまく行くかどうか。山田維史『地球系』 油彩・アクリル
Aug 10, 2024
コメント(0)
オッ!地震だ。東京都日野市、19時58分頃。かなり大きかったが、15秒間ほどだった。我が家、被害無し。 昨日、8日夕、宮崎県沖の日向灘を震源とする地震があった。気象庁は専門家による地震分析結果を踏まえて、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を発表した。この注意報発表は、たしか2017年に取り決め以来、今回が初めてである。今1週間の厳重注意を呼びかけている。
Aug 9, 2024
コメント(0)
Aug 9, 2024
コメント(0)
明日8月9日に挙行される長崎市平和祈念式典に、長崎市がイスラエルを招待しないことを決定し、これに反発したイスラエルを擁護するかたちで英国がいち早く式典不参加を決めた。「イスラエルがパレスチナ・ガザ地区を攻撃するのは自衛のためである」というのがその言い分である。この英国の言い分に賛成し、同調するかたちで米国が不参加を決め、さらにフランス、カナダ、イタリア、ドイツのEU諸国の大使や代理大使が直筆連名の書簡を長崎市鈴木史朗市長宛に送った。 「自衛権」を主張してはいるものの、そしてその権利はいかなる国にもあるが、しかしながら平和式典不参加を長崎市に通知した諸国の政治的な思惑は明らかである。なぜなら、ロシアのウクライナ侵攻に対してEUのウクライナ支援の決定は、ほぼ戦中1年あまりの間、ウクライナがロシア領に進軍するならば支援を中止するというものだった。EUのウクライナに対する申し渡しは、「自衛」をきわめて厳格に規制してい、侵攻を自国内で交戦し、食い止めろということである。支援する自国産武器がロシア領土に進軍してロシア領土内で使用されることを、ロシアからの言い分を想定して恐れたからである。 しかるにイスラエルのガザ地区その他への攻撃はいかがであろう。パレスチナ自治区をイスラエル領土とみなしてい、ハマスによる急襲に対する反撃として開かれた戦争は自国領土内でのこととしているのだろうか? それゆえEUの判断はウクライナへ申し渡した「自衛権」と矛盾しないとしているのだろうか? ここには「自衛権」を盾にした政治判断が窺える。 私は、長崎市のこのたびの姿勢(判断)を支持する。 なぜなら、イスラエル・パレスチナ戦争が始まった当初、イスラエルの政府閣僚は「原爆使用も選択肢のひとつ」と発言している。また、「パレスチナが全滅するまで戦う」と、ホロコーストを想起するような発言もくりかえされている。さらに昨日8月7日、CNNはイスラエルのスモトリッチ財務相は、〈イスラエル人の人質が帰還するまでパレスチナ自治区ガザ地区の住民200万人を飢えさせるのは「公正で道徳的な行為かもしれない」が、「世界の誰も我々にそれを許さないだろう」との認識を示した。〉と演説したと報じた。 このような認識、人間の倫理についてこのような恐るべき認識に侵されている人たちが、長崎の平和式典に名を借りて握手などされては堪らない。 「パレスチナが全滅するまで戦う」という意志は、ベンヤミン・ネタヤニフ氏の「妄想」に起因しているかもしれない。ネタヤニフ氏は、ヒトラーの「ユダヤ人絶滅計画」は、パレスチナ人アミーン・フサイニの提言による、と信じている。これに反論して、元ドイツ首相メルケル氏は、「ユダヤ人ホロコーストの絶対的な責任は我々ドイツにある」と宣言した。・・・しかし、メルケル元首相の勇気ある宣言によってネタヤニフ氏の深い「妄想」が消えたとは私は思えない。 長崎市の鈴木史朗市長はイスラエル招待の保留について、「ガザの危機的な人道状況や国際世論に鑑みれば、式典において不測の事態が発生するリスクが懸念される」とし、昨日には、「できるだけ多くの国の、できればハイレベルの方にと考えているが、出席がかなわないということであれば致し方ない」と語った。(引用:朝日新聞8月8日、奥寺凖氏、小川崇氏の記事) 私は、長崎市の判断を支持する。前もって言っておくが、私は「反ユダヤ主義」ではない。もちろん「反パレスチナ」でもない。私は「反戦争主義」である。 平和式典についての長崎市の意向にはこれまでの長い年月において、一本の確固とした筋があった。核廃絶に向いた反戦平和主張をその宣言において貫き通してきた。広島市は、・・・まったく残念なことに、平和を唱うことに不思議な躊躇を覗かせることがあった。市長の宣言のことばに、聞いていてあまり喜べないヘンな含みを感じた。それは広島市民の意志ではなさそうだったが、広島市の平和式典はいつのころからか市長の宣言に「政治的」なシャラクサイ含み・・・ある種の変節・・・が覗くようになった。そう、私は感じている。 ついでに述べておく。長崎の原爆被害が、たとえば死者数などを比較して広島市の原爆被害より少ないのは、まったくの偶然である。広島の原爆はウラン原子爆弾。長崎の原爆はプルトニウム原子爆弾。この二つの異なる仕組みの原子爆弾は、実は長崎に投下された原子爆弾のほうが圧倒的に威力があったのである。TNT火薬に換算して、広島のウラン原子爆弾は16kt。長崎のプルトニウム原子爆弾は21ktである。長崎はこの日、雲に覆われていて、プルトニウム原子爆弾を搭載した飛行機は、わずかな雲の切れ目をみつけて投下した。しかも帰港まで燃料等の余裕がなくなっていた。その結果、爆心地が当初の予定の長崎中心部をはずれたのである。73,884人が殺害された。広島の犠牲死は約14万人だった。(イスラエルによる攻撃でのパレスチナ人の死者は、5月の時点で35,000人になると国連が発表している。その4割が女性と子供である。イスラエルの死者は兵士約2,000人。) さらに述べておく。先日のこのブログで言及した第二次世界大戦時の駐仏日本大使・三谷隆信氏の回顧録に、英国の高官から聞いた話として、アメリカが原子爆弾を独自に開発したのではなくそれ以前にイギリスが持っていた原子爆弾の研究内容をアメリカに提供したのだ、と。・・・私は、この話を三谷氏の『侍従長回顧録』(中公文庫)で始めて知った。 【参考資料】朝日コム「米国大使が長崎式典欠席」朝日コム「主要6カ国EU長崎市に書簡」CNN「イスラエル閣僚、ガザ200万人を飢えさせるのは道徳的」BBC.com「イスラエル首相ホロコーストはパレスチナ人のせい」ウィキペディア「ベンヤミン・ネタニヤフ」イスラエル拘束したパレスチナ人に恐ろしい性的暴行
Aug 8, 2024
コメント(0)
Aug 6, 2024
コメント(0)
朝日新聞朝刊が興味深い連載を開始するようだ。題して『百年 未来への歴史』 今日はその序章。見出しに「外交と世論 危うい関係」。編集委員・佐藤武嗣氏は次のように起筆していられる。後に私が比較することになる別資料との関係で、その冒頭部分をそのまま次に引用させてもらう。 〈国民感情の高まりは戦争を止めることもあれば、逆に国を追い詰めて外交の選択肢を狭めることもある。内政と外交上の利益は必ずしも一致しない。政治指導者が自らの存在感を示すため、他国への嫌悪に沸く世論に同調し、時にあおることも古今東西珍しくない。〉 私はこの冒頭の一節だけで歴史検証の新しい切り口になるのではないかと期待した。同時に、三谷隆信著『侍従長回顧録』の一節が思い浮かんだ。 三谷隆信氏(1892-1985)は, 第一次世界大戦中に内務省に入省。第一次世界大戦終結後に外務省に転じ、以後、高位の外交官として主として欧州各国に駐劄(ちゅうさつ)して任務を貫徹。第二次世界大戦中はヒトラーのドイツに占領されたフランスのヴィシー政府の元で駐仏日本大使であられた。 私が思い出したのは三谷氏が駐仏日本大使であられたときの次の記述である。少し長くなるが、時勢を知る上で大切なのでそのまま引用する。 〈かくして1943年の初秋には、東部戦線ではドイツ軍の一部は既に降伏し、西部戦線においてもイタリア軍が全面的に降伏して、ドイツ軍の主力は各方面で孤軍奮闘を続けていたが、その敗色は全線にわたって日に日に濃くなるばかりであった。このような情勢のなかに、フランス国内においてもドイツの威力は地におち、ヴィシー政府は一方国内各地に澎湃として拡がる抵抗運動に押され、他方益々神経質になったドイツ占領軍に苛められた。ただ国民は近づく光明に心をおどらせていた。(『侍従長回顧録』中公文庫 p.146。太字は山田) 衆知のようにこの時代、日本はドイツ・イタリアと同盟関係であった。敵国フランス(ドイツ敗戦によってヴィシー政府はドゴール将軍政権によって敵とみなされるのだが)に日本大使として困難な立場にあられた三谷隆信氏の冷静な目は、「(フランス)国民は近づく光明に心をおどらせていた」と見ていられた。 私がこの一節に注意したのは、ここに戦争というもののいわば秘密がある、と思ったからである。どういうことか? 先に引用した朝日新聞の佐藤武嗣氏の公平な考察と三谷隆信大使の考察とを併記したときに仄見えてくること。つまり戦争に突入するのは政権の意思であり熱狂する国民であるが、いざ戦争が起こり、戦争が種種相の過程を経てくると、政権・・・特に軍部は疲弊した国民を盾にして、あるいはいまや幻想となった国民支持を隠れ蓑にして、カタストロフィ(悲劇的な大破滅)まで突き進む。私が言いたいのは、権力者の「隠れ蓑」ということ。一般の話ならば、「屁理屈」と言うところだ。現代の戦争においてはそれが著しいように私は思う。権力者の私利私欲の隠れ蓑として公論を偽装しているということである。 歴史書を閲歴して気づくのは、この権力者の「屁理屈」を歴史家は指摘できないでいる。なぜなら、そこには人間洞察と未来を見据えた考察が方法論として確立していないからである。外交官として優れた三谷隆信氏でさへ、直に接したヒトラーの思考・策謀・機転・冷酷、また装われた優しさのような感情表出については書いているのだが、しかしその因って来たるところの「狂気」を、少なくとも著書においては指摘しえていない。外交官としての抑制のためでもあろう。他の人物評は優れた洞察力で端的に書いていられるのだが・・・。 人智とすべき歴史学と私は考えるのだが、特に国史においてそのようになりにくいのは、歴史修正主義が横行するとおり情念を抜きにした科学にすることが困難なのかもしれない。 連載が始まった朝日新聞の検証が、『百年 未来への歴史』としたことは、今後深く探求してゆくならばそう容易なことではない、と私は思う。真相に近づけば近づくほど、横槍が入るであろう。
Aug 3, 2024
コメント(0)
これが私たちの世界なのか?殺戮の戦争結果が毎日喜びで発表される世界山田維史
Aug 2, 2024
コメント(0)
歌手の園まり氏が亡くなられた。享年80。 『逢いたくて逢いたくて』や『夢は夜ひらく』を独特な粘っこい絡みつくような歌唱法で披露していられた。死去を知って思い出したのだが、あれは園まりさんがデビューして2,3年のころではなかっただろうか、1960年代の半ばだった。私は銀座ワシントン靴店に入った。するとなんだか急に店内が騒ついた。どうしたのだろうと見やると、園まりさんだった。小さな仮説ステージに立って歌いはじめたのである。ご自身のプロモーション・キャンペーンだったのかもしれない。影像記憶は薄れているがオーガンジーの薄紫色のドレスをお召しだったと思い出す。店内に甘い歌声が流れた。私は思いがけず彼女のナマの歌声を聴いたのだった。・・・『逢いたくて逢いたくて』や『夢は夜ひらく』を、もちろん私は歌える。ハハハ、ちっとも甘くはない。男の恋歌になってしまうけれど・・・ 園まり氏を追悼いたします。
Aug 1, 2024
コメント(0)
全22件 (22件中 1-22件目)
1