全4件 (4件中 1-4件目)
1
前回書き忘れましたが新子安~保土ヶ谷までは6,800歩、約4.8kmの歩きでした。 そして20日後に続きの保土ヶ谷から国府津に挑戦しました。夜行バスで京都から戸塚まで行き、戸塚からJRで前回終了した保土ヶ谷まで移動し駅前からのスタートし、茅ヶ崎まで36,700歩、約22.6kmを歩き1泊し、翌日国府津まで30,700歩、約21.5kmの歩きでした。 スタートして直ぐ保土ヶ谷宿本陣跡を通り・・・ 箱根駅伝の難所で有名な権太坂では・・・駅伝で走る1号線と旧道の分岐を間違い、かなりの距離引返し旧道へ戻るロスもありました。旧道はそれはそれは細い道でした。そして武蔵の国から相模に入り・・・・順調に戸塚宿を過ぎ・・・・ 藤沢を過ぎ茅ヶ崎では相方のコネで某電器メーカーの保養所で一泊し・・・・翌日相模川を越えると平塚市です。街道筋にはこんな茅葺の家も残っていました。平塚宿を過ぎ・・・・ 大磯に入ると・・・・京都の洛柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場とかの『鴫立庵』(しぎたつあん)と言う立派な建物を見学し・・・・ 松並木を通り・・・・ 大磯では吉田茂邸から海に回りますとこんな銅像が有りました。そうして黙々と歩き東海道沿いにあるJR国府津駅で歩きを終わりました。 先を急がないヒマ人の旅はまたまた在来線で京都まで帰り・・・・ 車中泊を含む2泊3日の旅(歩きは2日)で約44km京都へ近付きました。次回は駅伝ではないですが、いよいよ箱根八里越えです。
2013.01.08
コメント(2)
1/4の続きです。前回書きました内容は下の画像記録から抜粋です。 アップしますとこんな文章で記録をスタートしていました。 さて翌日は川崎のホテルから京急で新子安駅まで戻り駅前から西へ向かいスタートしました。新子安駅から程なく『神奈川宿』で・・・・・ 坂道にf今も昔ながらの料理旅館が2軒有り、この旅館の看板にはちょっと読み難いですが文久3年と書かれていました。 しかしこの2軒の旅館以外はマンション街と化していました。 直ぐ近くにはこんな石碑と案内が有りました。 アップしますと港が見える坂道だったようです。昔の面影が偲ばれます。 そして程なく街道の分岐・追分です。 そして相鉄天王町駅を過ぎると『保土ヶ谷宿』です。 宿場跡をまっすぐ行くとJR保土ヶ谷駅でした。当初の計画では戸塚宿まで歩く予定でしたが、雨が降り出したため、予定変更ここで断念してJRで帰路につきました。 途中断念で時間が早かったため、保土ヶ谷から京都まで在来線の旅でした。 今回は5/4~5/6の行程でしたが、次は20日後の5/26~5/28に保土ヶ谷から国府津まで歩来ました。 そのことは次に書かして頂きます。
2013.01.07
コメント(4)
第一回の東海道53次歩きは初日、も平成18年5/5夜行バスで東京へ、朝7:10に日本橋をスタートして品川宿、川崎宿、そして川崎のビジネスホテルで一泊し翌日神奈川宿を通過し保土ヶ谷宿で終了しました。 まず日本橋の道路の真ん中にある道路元標を踏んでスタートし、京橋でこんな碑を見て・・・・ 江戸の出口『高輪の大木戸跡』を通り・・・・昔は旅立つ人をここまで送り、別れの水盃を交わしたとか。 赤穂浪士で有名な泉岳寺は東海道からちょっと入ったところ。 幡随院長兵衛の『お若えのお待ちなせい・・・』のセリフで有名なここで小休止。多摩川の六郷の渡しで弁当を食べ橋を渡ると・・・・いよいよ神奈川県、川崎宿は六郷の渡しから直ぐです。 芭蕉の麦の別れの句碑を見て・・・・幕末島津久永の行列の前を馬に乗って横切ろうとしたイギリス人が薩摩藩士に切りつけられたことで有名な『生麦事件』があった場所を通り・・・。第一日目の歩きは15:43京急新子安駅で終了しました。 歩数37300歩、約26.1kmの歩きでした。 計画では川崎宿で終了予定で川崎駅前にホテルを予約していたため、ここから京急で川崎までバックしてビジネスホテルで泊り明日に備えました。歩いていて感じたことは・…東京の交番には必ず警官がいて、交番の前に立っている姿もかなり見かけました。 警官の居ない交番を多く見かける関西では考えられないことでした。続きます。
2013.01.04
コメント(11)
正月の2.3日は箱根駅伝の中継で日本橋から箱根までの景色が中継され、レースを見ると同時に映し出される景色を懐かしく見ていました。と言いますのは、友人から誘われ 2006/5~2007/12に旧東海道53次を東京日本橋から京都三条大橋まで23回(延べ27日間)で歩いたことがあるのです。 正に二人での弥次喜多道中でした。そこで、残していた記録(紙とデーター)で順に紹介させて貰おうと思います 当時は勿論ブログをしていなかったので撮った写真の枚数が少なく、記念写真が殆どが人間(私)が写っているものが大半でしたので人間を消してアップさせて頂くものが多くなりますがご容赦の程お願いします。 長くなると思いますがお付き合い頂ければ幸甚です。記録として残したものの表紙がこれなのですが・・(終了日が遅れて修正しています)一回毎の記録に安藤広重の絵も載せています。全行程の総括表がこれです。アップしますと・・・・使った交通機関、歩いた歩数等かなり詳しく書いています。と言うことで第1回は京都から東京まで夜行バスで行きこの『お江戸日本橋』の・・・・(白い部分は人間を消した箇所です) 道路に埋め込まれたこの道路元標からスタートしました。続きを折に触れ書かして貰おうと思いますのでよろしくお願いします。
2013.01.03
コメント(6)
全4件 (4件中 1-4件目)
1