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昨日の続きです。鵜飼いミュージアムを見ると、そろそろ集合時間!! 宿泊する旅館の十八楼へ向いました。古い町並みの右前方が十八楼です。裏は長良川に面しています。創業160年の老舗旅館は、何から何まで、心遣いが感じられる素晴らしい旅館でした。十八楼の先はこんな街並みでした。鵜飼い見物は・・・旅館の建物からこんなトンネルを通って長良川へ・・・長良川に出ると船がいっぱい。17:45から、まず鵜飼いについての鵜匠の説明が・・・籠の中には鵜が・・・。中から鵜をつかみ上げての説明でした。終わった後はまたカゴへ・・・説明の詳細はこのパンフレットを見て下さい。しかし、長くなりますのでパスして頂いても結構です。18:00 説明が終わると客はそれぞれの船に・・・乗船すると船は上流に向かいます。 仲居さんも乗って給仕をしてくれました。我々は10人で貸し切りで、船中で食事しながら歓談。出た料理はこれと・・・少し遅れて鮎が2尾・・・途中にトイレ休憩があり、中洲のようなところで下船してトイレ船に乗り込み用を足すことが出来ました。19:45頃 鵜飼い開始・・・鵜飼いの実演は目の前で十分に見られたのですが、明るい松明と周りは闇なので上手く写真が撮れませんでした。・・・が、以下見て下さい。6艘の船が並ぶ「総がらみ」です。漁が終わると鵜が獲った鮎を見せてくれました。そして20時30分頃 岸に上がって鵜飼い見物は終わりました。ここの温泉は・・・有馬温泉によく似たと言うか、茶色の温泉でした。
2023.10.06
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大学の同窓会で岐阜・長良川の鵜飼いを見に行って来ました。同窓会と言っても「机を並べて勉強した」と言う訳でなくクラブでの同窓会です。従って理・工学部、経済学部、文学部、法学部など多彩な学部の友達なのです。同窓生は北は北海道から南は九州福岡県まで出身地も多彩、その出身地により幹事が持ち回りの為同窓会は各地で行われ、今回は名古屋の同窓生が幹事だったのでみんなの希望で鵜飼い見物になりました。コロナで3年間延びに延びての開催でした。 因みに、4年前は岡山・倉敷での開催でした。この会、元は17~18名の参加があったのですが、段々減って今回は12名・・・の予定の所、ドタキャン2名があって総勢10名の参加でした。現地旅館(十八楼)で集合なので、私はJRで岐阜駅へ・・・岐阜駅は通過こそすれ、降りたのは初めて、駅前のキンピカの信長像には初めての対面(?) でした。集合時間に先立って、有志(3人)が駅前で合流して、この金華山に登ることにしていました。頂上に岐阜城が見えるこの山、さぞ眺めが良かろうと前々から何回も下から眺めながら登ったことが無かったので登りたかったのです。上の写真では点にしか見えない岐阜城・・・・アップしますと・・・長良川から見ると・・・逆さ金華山でした。一人では登りを歩いて、下りをロープウエイでと、思っていたのですが、3人になったので往復ロープウエイを利用しました。ロープウエイの頂上駅からも階段で約5分・・・お城が姿を現しました。入城料は70才以上無料でした。下からの眺めが良いのだから、当然上からも・・・360度の大パノラマでした。長良川に架る橋の左側・・・・アップしますと・・・真ん中に見える大きな建物が今夜の宿、十八楼です。こちらは南の方の眺めで・・・こちらは北の方、上流側です。遠く西の方には右に伊吹山。左には霊仙(りょうぜん) 山が遠望出来ました。この二つの山については前にタイトルに使いましたのでもう一度タイトルに復元しました。(タイトルの写真の向こうに見えるのが伊吹山です)場内はどこのお城とも同じように展示場になっていました。下山後はまだ時間があったので・・・鵜飼いのに予備知識を得るためここへ・・・このミュージアムの前のこの辺りが鵜飼いの場所のようです。場内では・・・展示とスライドで説明がありました。ミュージアムから宿泊する十八楼へ向かうとき、幸いにも鵜匠の家の前を通ったので撮って来ました。長くなりましたので、本論の鵜飼いにつきましては明日に・・・・。
2023.10.05
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昨日の続きです。倉敷と言えば大原美術館、最初に「美術鑑賞???」をすることに・・・。何棟にも分かれて展示される美術品、価値の分からない者でもかなりの時間を要しました。奥にある新渓園の庭を望む癒しの空間は沢山の美術品を鑑賞する間の息抜きには最適、ここで長らく休憩しました。絵画調で撮るとこうなります。そして美術館の向かいは「有隣荘」大原孫三郎が家族の為に建てた別邸とか。屋根瓦が今まで見た事の無い微妙な色の焼き物でした。そして、堀のある美観地区は続きます。気候温暖な倉敷なのに、早や紅葉がかなり進んでいました。昼食は堀の前のこの旅館のレストランで・・・豪華な重ね膳、他にも料理多数にデザートまでついていたので、これは4~5000円位かな?? と値踏みしたのですが、何と2500円だったか、2700円だったかでびっくり。京都ならまず5000円はするのではと地域差を感じました。昼食のあとは散策を続け、星野さんが倉敷出身は知っていましたが・・・将棋の大山名人も倉敷出身で記念館が有りました。元に戻って・・・・美術館でほんのほんの少しだけ縁のある藤島武二画伯のこの画が展示されていたので、じっくりと鑑賞??したのですが(現物とは色調がかなり違います)題名が『耕到天』 画から大体その題の意味は想像は出来たのですが、何か意味があるのではと調べますと・・・リファレンス共同データーベースと言うページに次の様に書かれていました。中国(清)の政治家・李鴻章の言葉であると言い伝えられているようですが、明確な記述はありませんでした。李鴻章の言葉であるという言い伝えを要約すると以下のような内容になります。日清戦争後、日清講和条約の締結のために日本を訪れた李鴻章が、当時の瀬戸内海の様子を見て以下のように言った(船での移動中、という記述がいくつかあり)。「広大な土地がないから急斜面にまで畑を作り、貼りつくようにして耕作をしなくてはならない(日本)人はなんと勤勉で貧しいことか。それにも関わらず、広大な国土をもっている強国であるわが国(清)が負けるとはなんたることだろう」また他にはこの様な記述もありました。。「耕到天」(耕して天に到る)とは、貧しさを語る言葉であるが、この画面にはたゆまざる勤労のたくましさと豊かな自然を感じさせることは、この画家のなみなみならぬ力量を示すものである。
2019.10.30
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大学同窓会旅行で岡山・倉敷へ行って来ました。元は17~18名の参加者だったのですが、今回はついに10人を切って9人の参加者となってしまいました。本人の体調、配偶者の介護等などが不参加者が増えた要因なので徐々に減り出した参加者減の歯止めは難しいのかも?? 心配していた来年の開催がとり合えず決まったのでホッとして帰って来ました。さて、最近は現地集合、現地解散方式が定着し今回は岡山駅集合、倉敷解散でした。最初に行ったのが日本三名園のひとつ後楽園です。余りに有名であり行っておられる方が多いと思いますが、まあお付き合いください。たゞ、余りに広すぎて、切り取った写真ではどうかと思い頭の中で繋ぎ合わせて貰う積りでパチパチやって来ました。後楽園から望めた岡山城です。こんなところでも結婚式の前撮りが少なくとも3組が行われていました。ここから旭川を渡って、岡山条へ移動しました。後楽園は私としては2度目、そして当同窓会で日本三名園の金沢の兼六園、水戸の偕楽園と今回の後楽園全てを観光したことになりました。後楽園からは旭川を渡り、岡山城へ・・・最近改装されたのか、やたら綺麗で、特に数匹?いた金のシャチホコは黄金色のピカピカでした。場内に有ったこの雰囲気、当ブログのタイトルバック写真と見比べて下さい。違い棚、床脇天袋などまるでそっくりです。後楽園、岡山城を観光して、泊りは岡山市北方の苫田温泉でした。市内から少し離れていましたが岡山駅から旅館のマイクロバスの送迎サービスで楽に行くことが出来ました。翌日は倉敷観光でした。倉敷こそ皆さんご存知で代り映えしませんがあと1回お付き合い下さい。明日に続きます。
2019.10.29
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昨日の続きです。泊まった温泉から5~6kmにある日本の棚田百選にも選ばれている丸山千枚田の見学に行きました。もう少し小さい規模かと思っていたのですが、行ってみると、山全体が田んぼと言う程の広くって傾斜が強く、1枚の田の面積が極端に小さな棚田でした。確か説明板によると2000枚強の棚田の数と書いてありました。展望台からの眺めは・・・石垣積の棚田ですので下から見上げるとこの様に石垣しか見えません。一枚一枚の棚田はこんな案内がある様に極端に小さいのですが・・・全体の規模は余りにも大きいので、カメラで切り取ると、とても全体像が一枚の写真に納まりません。そこでパンフレットで見て頂くと・・・棚田を見るには一番ふさわしくないシーズンだったようですが、まあおまけの観光ということで勿論大納得でした。千枚田のあとはこんな北山川の雄大な景色を見ながら・・・・熊野川沿いの国道に出て十津川、五条経由で大阪に帰りました。
2018.11.29
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まず、この新聞記事を見て下さい。2014年のスポーツ新聞の記事です。なるほど、行って見たいなぁと思って切り抜きを残して14年余りになります。毎年昔の会社の同僚(後輩)社員と行っている旅行、今年は何処へ行くか決める段になって私の提案(希望)でここへ行くことにしてもらつたのです。何分にも紀伊半島の山の中、和歌山と三重の県境が入り組んだ辺鄙な所なのですが・・・。さて、走ったのはこのルートです。大阪からスタートしたのですが、ランタスティックをONしたのが堺市からの軌跡になっています。このルートは現役の時、和歌山から新宮へ出張するルートだったので私を含め一緒に行った3人全員土地勘があるルートで、最短距離なのです。因みに帰りは十津川村を通り五条市へ出るこのルートを通りました。さて、目的の温泉は経営が同じ下の二つの温泉でこの二つの温泉を小さなトロッコに乗り約10分で結んでいるのです。私達が泊まった瀞流荘は石碑の左で・・・入口は上のパンフレットの写真です。私達の泊まったのは下の紅葉が植わっている部屋で・・・窓からの眺めは・・・下を熊野川の支流の北山川が流れていました。白く見えるのは全て砂利で手前少しだけ見えている緑の部分が流れる水です。さて、目的のトロッコなのですが・・・・早くから予約してあったのに直前に上の湯の口温泉がメインテナンスで入れない、したがってトロッコも運休との連絡が幹事の方へ入ったのです。その幹事と云うのがいつもこのブログにコメントくれる「いつもの後輩」さんなのですが・・・・今更日を変える訳に行かず、さりとて、トロッコに乗れなかったらわざわざ行くところでもないしどうするか考えたのですが、幹事の交渉の結果湯の口温泉には入れないけどトロッコだけは走らしてくれることになったのです。そのトロッコがこれで、昔ここは銅鉱山だったのでその時の遺産なのです。大きさはと言うと・・・この通りで・・・一両に6人ほどしか乗れないちっぽけなものです。私ら3人の為だけの「特別列車??」の乗って所要時間約10分、途中ほんの一瞬外が見えるところがありましたが、他は全てがトンネルの中でした。これが終点の湯の口温泉駅で・・・温泉は休業中で入れませんでしたが、浴槽まで見学だけさせて貰いました。さて、引き返す段になると、往きに先頭でけん引していた動力車が・・・、帰りもこの様に先頭(往きの最後列)についているのです。(点前へ向かって走ります)あれれ?? と訊いてみると、右の引き込み線がその仕掛けで、往きに到着後、動力車だけを切り離し右の引き込み線に入れ、客車は本線を真っすぐ前に進めて、今度は動力車を本線に出して、客車の先頭に繋ぐと言うのです。動力車を切り離したのに客車だけがどうして前に進むのかと疑問を持って、訊いて見ると・・・進行方向に傾斜が付いていて重力で客車だけで前に進むという種明かしでした。そんなミステリーまで味あわせて貰い、又10分の乗車で瀞流荘まで帰り・・・このように下車すると・・・またまた先頭に有った動力車をこちらの銭湯につなぐべく移動していました。こんな面白い経験の後、温泉に入り・・・翌日は別の目的地に向かったのですが。明日に続けます。
2018.11.28
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昨日の続きです。奥飛騨から高山へ出て来ますと、折しも10/9~10/10は高山まつりの初日でした。市内は祭りムードいっぱいで、市内の清流・宮川沿いには屋台がいっぱい観光客もいっぱいで、特にここでは白色系外国人が多いように思いました。これは後ほど書きます台(たい)の格納庫で今はお祭り現場に出ているため空っぽになっているようです。歩を進め、お祭り現場に近づくと提灯の列でお祭りムードが盛り上がります。桜山八幡宮と言う神社の参道に行くますと、祇園祭の鉾を小さくしたような台(たい)が並んでいました。パンフレットに依ると11台あるようです。そして、パンフレットでは5つの催しがあるのですが、我々が見たのは「からくり奉納」でした。からくり奉納を見る為に神社に近づくと・・・・ユネスコ登録のこんな看板が上がっていました。からくり奉納はこの様に行われるのですが・・・近寄れなくて遠くからの写真で見難いですが、突き出た棒にぶら下がっているブランコのようなものを人形が移っていくからくりでした。、絵葉書ではこうなります。・・・・ということで高山祭りを見て、市内観光をしたのち高山駅で解散と言うのが今回の同窓会旅行でした。来年は岡山方面と言う声が上がっていましたが、幹事の専権事項のため、さてどうなりますやら??
2018.10.11
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お陰様でパソコントラブルを解消出来ました。トラブル後、同窓会旅行、忘年ゴルフと続いたため手を付けられなかったのですが、1年以内の保証期間でしたので購入した上新電機へ持ち込んだところ、預かるとかメーカーに送るとか言われると思っていたのですが、担当者が30~40分かかったでしようか、途中3回パスワードの入力をしてくれと言われましたがあとはかかりきりで操作して復元してくれました。やれやれで帰ると今度はWIFIに繋がらず、それは自分で繋ぐことで解決でき晴れて復帰出来る事になりました。あとは代品のカメラの到着を待つだけとなり一件、否、二件落着致しました。さて、大学同窓会で愛知県知多半島の先端の島・日間賀島へ行って来ました。去年は金沢でしたが、今年は名古屋在住者が幹事で「フグ三昧」の旅行を企画してくれたので、例年秋に行っている同窓会をフグの季節に合わせて12月実施となりました。フグと言えば下関と言うことですが、さすが地元人が幹事、伊勢湾に浮かぶ日間賀島もフグの産地と言うことを私は初めて知りました。知多半島と言えば半田市、半田市と言えば・・・ミツカン酢。最初に立ち寄ったのはそのミツカン酢のミュージアムでした。こんなに立派な本社ビルの隣にある・・・・ミュージアムは入場料(幹事任せで詳しい事は分かりませんが確か300円)が要りますが20人程にガイドが一人ついての見学でした。酢を搾るのは石の重りをぶら下げたテコで、京都のすぐき作りと同じ先人の知恵と言う所でしようか。作った酢を江戸に運んだ船も多分原寸で再現されていました。この船の甲板に沢山の見学者が乗って説明を受けたので間違いないと思います。現在地の昔の姿の写真が沢山有りましたが・・・現在はこうなっています。豊かな水と水路・・・海に近いためか情緒は少し違いますが、伏見の月桂冠の酒蔵とよく似た光景です。ミツカン酢は昔、加冨登(かぶと)と言うビールも作っていたとか・・・ミツカン酢の裏に、隣接するようにあった酒蔵は中埜酒造、そう言えばミツカン酢も昔は中埜酢店、同系の会社です。ミツカン酢では何も買わなかったのに、ここを見学した時には試飲したお酒をみんな買っていて、私もざくろ酒を買いました。因みにここは見学無料でした。酒蔵の見学を終わり、移動して知多半島の先端へ、向こうに見えるのが目指す日間賀島です。島へはこの海上タクシーで5分余り・・・宿泊は日間賀島観光ホテルでした。ホテルの部屋からは・・・こんな眺めで向かいの島が見えました。(白い円盤はは部屋の明かりが窓ガラスに映っているだけです)わざわざ遠いところまで行った目的はこれ、フグのフルコースでした。(写真はホテルのホームページから借用)フグ三昧の翌朝はこの太陽のまぶしさが目に沁み、遠く渥美半島、伊勢方面も見渡せました。翌朝は途中で干物など買って名古屋駅で解散し、無事同窓会を終わりましたが川柳(?)で詠むと、いつもの通り次のようでした。『病み自慢 薬自慢の 同窓会』『健康法自慢は続くが みな病人』『近況の 報告殆ど 病気披露』『同窓会 カラオケ二次会 もはや無し』
2017.12.15
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二日目のリクエストは・・・・1. 久美浜の小天橋を一周すること 2. 夕日が浦温泉を通ること 3. 豊岡を通り出石で皿蕎麦を食べる事でした。・・・と言うことで2日目は下のルートで走りました。夕日が浦温泉は、神戸から、豊岡に出張していた時、兵庫県から京都府へ入って泊まっていたところで懐かしいので通過してもらいました。写真は撮らなかったのですが、定宿は綺麗になってまだありました。 久美浜の小天橋は陸側のルートしか走ったことが無かったので、今回初めて海側を走りました。 綺麗なゴルフ場があるのですが・・・こんなきれいな所なら、行っておくべきだったといまさらながら残念な気がしました。小天橋詳しくはここを。京都府から兵庫県へ入ると、そこは・・・城崎(今は豊岡市ですが・・・) 城崎は通過して・・・・テレビで良く報道されるコウノトリを見るために『コウノトリの郷公園』に行きました。寄付は募られましたが、入場は無料・・・建屋からのこんな眺めで・・・テラスには巣にピントを合わせた望遠鏡が置いてある親切さ・・・卵を温めている姿が手を取る様に見えました。 写真ではこうなります。 つがいが交代で卵を温めていて間もなく孵化するとか。目の前の庭ではこんな近くで見られました。このアオサギもここにいる限り餌も豊富で住み心地が良いはずです。コウノトリの巣の模型も置いてあり、説明もしてもらえました。想像より大きく直径2mも有るらしいです。 そして、出石へ入り(今はここも豊岡市) 皿蕎麦を食べ・・・宝塚で車から降ろしてもらい、JRで大阪へ帰り、2日間の思い出を辿る旅を無事終了出来ました。私はリクエストだけして、あとは計画も、運転もお任せで申し訳ない旅ではありました。
2017.05.19
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昔の仕事仲間と3人で舟屋の町・伊根から豊岡・出石方面へ行って来ました。 伊根は30余年前、豊岡方面は20余年前仕事でしょっちゅう出張していた懐かしい地域です。 その思い出を辿るのが目的であると同時に、寅さんのロケ地を巡る旅の一環でもありました。大阪モノレール・阪急の蛍池駅でピックアップしてもらい、宮津から伊根、丹後半島の先端経ヶ岬先端まで、下のルートで走りました (と言っても後部座席に座っているだけですが)数字は距離(km)です。アップしますと・・・寅さんの映画は1982年公開の京都、伊根、鎌倉がロケ地 第29作『寅次郎あじさいの恋』で、マドンナは伊根出身の女性・かがりさんを演じた石田あゆみさんでした。 (釣りバカ日誌のロケ地でもあります) 先ず最初に宮津の手前の 丹後ちりめんの本場・加悦(かや)の町のこの場所に寄りました。農業用水を取る為、川の水を堰き止める『ゴム堰』です。 水の要らない時は空気を抜くと川底にぺしゃんこになって沈むと言うものです。 施工銘板を見ると1983年竣工と書いていました。 この堰は今回一緒に旅した仲間と一緒に受注から施工まで手掛けたのでしたが、その後34年間稼働していることを見て嬉しくなりました。そして宮津に入り、宮津の町からの遠望ですが海と山の境界に横に伸びているのが「天橋立」で・・・ アップして見えるのが、股覗きと西国28番札所. 成相寺があるの成相山ケーブルです。宮津方面への出張は今の様な高速道路網が無かったので、宿泊が伴いましたが、その時の定宿の一つがここでした。今は観光ブームで宿泊代も超高価だと思いますが、当時の、しかも平日は『ビジネス』の言葉で出張旅費でカニ料理まで食べられたものでした。そして、海沿いに丹後半島を走り、昔は無かった伊根の町を見下ろす山の中腹にあるこの展望台へ(道の駅・舟屋の里公園)展望台からの眺めは・・・・右の島の左の先端・・・アップしますと・・・立っているのが赤い灯台なのですが・・・この前が今宵の宿です。そして伊根の町に下りず、経ヶ岬まで足を延ばしたのですが・・・灯台はこれだけしか見えず(山道を行けば見えるらしいのですが)貼ってあった写真で見たことにして、伊根の町へ引返しました。伊根の町は海側に舟屋、山側に母屋があります。この市場では昔、朝、漁から帰って来た漁船からの荷揚げがあり、その場で魚が買えたので・・・ 出張にはクーラーボックスを載せて行っていたのですが、その時、小さなカツオなんか、無料で貰えた記憶があります。海側には家(舟屋など)の隙間から海が・・・そして、山側に沢山の穴が・・・ 戦争中の防空壕跡らしいのですが、ブロ友のあすかのそらさんのブログ で教えてもらった史跡でした。その向かい辺りの眺めです。さて、宿泊はここでした。寝るのは舟屋、入口は増設した様で間口は狭いですが・・・裏へ回るとこんな感じで一番右の窓が宿泊場所でした。向こう側が船の入るスロープ、こちら側の建物は道具、網などの置き場でした。宿泊場所の2階の窓からの眺めは・・・そして別棟の食事場所からは展望台から見えていた赤い灯台が正面でした。翌朝には部屋の下から、定置網へ行くのでしようか、船が出て行きました。そして朝からこの景色を描く沢山の画家(???)が・・・。皆さん泊りがけの写生旅行なのでしょう。 このあと夕日が浦温泉、小天橋経由で兵庫県の豊岡方面に入ったのですが、続きは明日に。
2017.05.18
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3/14のブログに載せました、この青春18きっぷですが・・・14日に載せた時は、右下の『戸塚』駅の判だけでしたが・・・私ではなく、孫と一緒に長い旅をして・・・全部使い切らずに、このように、たくさんの判を押され、箔を付けて帰って来ました。孫が使った経歴を見ますと1. 3/19に『東福寺』から10時間はかかったと思いますが、東京の『赤羽』まで乗り・・・。 2. 3/20に『赤羽』から『静岡』まで乗り・・・。 3. 3/21に『静岡』から『東福寺』へ帰ったことになります。 大学1年の孫の青春18きっぷレビューは、私よりはるかに遠いところまでの旅で、若い力に脱帽、私ら老人が使うのでなく、これぞ正に青春18きっぷ本来の姿なのでしょう! ! 余談ながら、余った1回分を早速、私が金券ショップへ売りに行って来ました。3/14に書いた通り、買ったとき4回で9,200円、1回当たり2,300円だったのが、今日残り1回分が買値より300円高い、2,600円で売れました。
2017.03.24
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孫に頼まれて、金券ショップへ青春18きっぷを買いに行きました。私は少し前まではこの切符の愛好者でほゞ販売される毎に利用していたのですが、最近は買うことも極めて少なくなった切符です。さて、バラの2枚を買いたかったのですが、4枚ものしかなく、やむなく買いましたが・・・5枚もの、正規の価格が11850円(2370円/枚)、金券ショップ価格で11600円(2320円/枚)に対し4枚もので9200円(2400円/枚)で買えましたので、そう割高ではありませんでした。さて、本論ですが・・・買ったきっぷをよく見ますと・・・販売が3/8戸塚駅で・・・3/10に1回利用されたものでした。 と言うことは・・・横浜の戸塚駅周辺に住んでいる人が3/8に戸塚駅でこの切符を買っておいて3/10に戸塚を発って、京都まで来て、京都駅前の金券ショップでこの券を売ったと推測されます。ならば、帰りは??? 疲れたので帰りは新幹線で帰ったのか?、18きっぷより割高にはなるけれど時間の有効利用のため夜間の高速バスで戸塚まで帰ったのか? なんて思いを巡らすだけでも面白いものです。孫は往復で2枚使うだけなので、残った2枚は金券ショップで売るか、あるいは使うか未定です。 若い時は時間が惜しくて見向きもしなかった「青春18きっぷ」 リタイヤして有り余る程、時間が出来てこの切符の愛好者になったのですが・・・さらに年齢を重ねると・・・また時間が惜しく、長旅の体力もなくなり、余り使わなくなりました。 そこで一句『老いて買う 青春きっぷは 孫のため』
2017.03.14
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昨日の続きです。同窓会・金沢の旅 の宿は金沢の奥座敷 (?) 湯涌温泉(ゆわくおんせん)の「やました」でした。私は幹事では無かったので行って初めて知ったのですが、竹久夢二が泊まった宿と言うことで館内は「夢二」「夢二」でした。 竹久夢二と言えば愛人と一時、京都・清水の二寧坂に住んでいた事で有名なのですが、この湯涌温泉を訪れた事と、清水での生活との時間軸がどうだったのだろうと思ったのですが、その答えが書かれていました。これでは読めないので、部分をアップしますと・・・正に清水に住んでいる時にここを訪れたとか。2日目は有名観光地の散策だったのでみなさんご存知だと思いますが・・・古い町並みの「ひがし茶屋街」の・・・ここの2階で・・・きんつばでコーヒータイムをとり (当然みやげもきんつばです)長町武家屋敷街を散策し・・・近江町市場で、買い物と食事をして・・・現地で解散、それぞれの乗りもので、それぞれの地方へ帰って行きました。昔は2泊3日とかで北海道や九州等など、遠くへ行ったのですが、齢をとるに従い、現地集合、現地解散方式が多くなりました。
2016.10.08
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毎年秋の恒例の大学同窓会、今年は新幹線で東京と繋がった金沢でした。昔は全国から17~18人の参加だったのが、亡くなった人、体調の悪い人、奥さんの看護が必要な人等などで徐々に減って来ていたのですが、ついに今年は今までの最小人数の11名の参加となりました。金沢と言えば、この同窓生の内の4人で在学中に石川、福井への旅で訪れた町でした。その後、仕事などで訪れることもあったのですが、観光とは無縁の出張だったので兼六園など主だった観光地はその旅以来、50余年ぶり訪問でした。まず、最初に変わった金沢と言えば・・・新幹線開通に伴う、整備で一変した金沢駅でした。行かれた方も多い筈だし、良く報道もされていたので、その雄姿はつとに有名ですが・・・ この先に続く地化街も広くて立派なものでしたが・・・何かがらんとしている様に見えました。 私が金沢で一番行きたかったところは兼六園のここで・・・撮りたかったアングルはここの・・・この松の・・・このアングルだったのです。本当は水の中で撮りたかったのですが・・・・・・と言いますのは50余年前に訪れた時はこんな姿だったのです。この時まだ若くて兼六園を詳しく知らずに訪れたのですが、綺麗な砂利を敷いた広い平らな庭園があったので、変な庭やねぇ! と何も知らずに砂利の上を歩いたのです。そしてこの松の下に来て、枝を支えている杭の変色具合から、「なんだこれは改修中の池の底だ」と気付いたのでした。そんな事があって兼六園のこの場所には大変な思い入れがあったのでした。因みに、向かって左から2番目のカーディガン姿が50余年前の私です。そしてこの4人の内今回参加は私を含め2人でした。 そして直ぐ近くに有る日本武尊 (やまとたけるのみこと) の像も昔と変わらず鎮座ましましていましたが・・・ここもまた下の50余年前の光景と全く変わらず・・・ ただ、この成巽閣だけは・・・門の中の木が大きく育って・・・中の建物が見えなくなっていたと言うのが50余年の時の経過を物語っていました。明日に続きます。
2016.10.07
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昨日の続き備中の旅の最後、備中松山城です。昔から秀吉が水攻めをした備中高松城の方がが有名だったと思うのですが、最近は雲海に浮かぶ、兵庫県朝来市の竹田城が有名になったこともあり、この城も俄然人気が出て来たお城だと思います。私たちは時間的に雲海に浮かぶ城を期待して行ったのではないですが、グーグルでお借りした画像ではこう言う光景が見られるお城の様です。 備中高梁の町を見下ろすように町の直ぐ近くに聳える標高430mの臥牛(がぎゅう)山の頂上に建つこのお城へのアプローチが大変でした。確か5合目だったと思いますが、そこに大きな駐車場があるのですが、そこから先は道が狭く曲がりくねっていて、離合出来ないのと、頂上近くの駐車場には14台分の駐車スペースしかないので、上と下にガードマンがいて上から車が下りて来る台数だけgoのサインを出すのです。私達がその下にある駐車場に着いた時、3台の車がgoサインを待っていたのでその後ろに並んだのですが、なかなか車が下りて来ないのです。頂上のお城から見下すと一番左に見える辺りがその駐車場なのですが・・・そこで待っていても仕方ないと途中でピックアップしてもらうことにして私だけが上の駐車場へ向けて登山を始めました。途中で車が追いつくと思ったのですが、確か10分余り登り、もう駐車場へ直ぐと言うところで2人の乗った車が追いついて来たので、結果的には殆ど歩いて登ったことになりました。余談ながら、途中の道路沿いのフェンスに生っていたムカゴを採りながら登りましたので、そんなことしなければ完全に徒歩の私の方が先に上の駐車場に着いていたと思います。この看板のある上の駐車場からは急坂と長い階段で約20分の登山(?)です。ここまでタクシーは順番待ちせずに上と下のガードマンが無線で連絡して対向車がないことを確認して上がれるのですが、ここからは誰もが歩いて登らねばなりません。途中に『よくぞ まいられた』とか『登城ごくろうであった』など城主の『お言葉?』の立札が気分を和めてくれました。ここまで登っても天守閣はまだ先です。階段を登り、やっと天守閣が見える場所には入場料300円徴収の『門番??』が・・・300円を払い、靴を脱いで天守閣に登ると・・・眼下に備中高梁の町です。山に囲まれている、小さな町であることがお分かり頂けると思います。・・・・と言うことで備中の旅は盛り沢山の観光をして無事終了しました。 ところで、吹屋の記事で書きました、ベンガラですが・・・ 数年前に塗ろうと思いビニール袋に入ったベンガラと溶かす為の柿渋を買ったことがあるのです。結局、使わず残して置いたものがある筈なので探し、柿渋はあったのですが、ベンガラはどこに行ったのか出て来ませんでした。一升ビンで封も切っていない柿渋がこれです。ベンガラについてはこれらを買った老舗の山中油店のホームページを見て下さい。 ここです。 自然塗装用油のページにビニール袋入りベンガラの写真が載っています。
2015.10.25
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昨日の続きです。奥津温泉を後にして、次に向かったのがこの日の宿泊地湯原温泉です。 川沿いに進んで行き、湯原温泉に入ると直ぐこの光景でした。紅葉がいまいちでしたが足湯を使ってるこの景色、なかなか絵になります。足湯の二人の女性は上流側のこんな景色を見ていたのでしょう。温泉街に入りますと他にも足湯があり、こんな見るからに老舗旅館もある中を上流側に進みますと・・・こんなに高いダムの堰堤です。写真右下の河原に小さく見えているのが・・・無料の露天風呂です。何人か入っているのが分かるでしょうか??もっと近づきましたが・・・これ以上近づいて写真は撮れません。右の小屋が脱衣場です。無料につられて温泉に入りましたが、場所に依って温度が違い自分の好みの場所に入るスタイルでした。 ・・・と言うことでこの日は湯原温泉に泊まり、翌日朝早くから吹屋に向かいました。野を越え、山を越え辿り着いた峠のような場所が吹屋でした。 京町屋と言えばベンガラ、ベンガラには強い郷愁があって、今もベンガラを作っているもの期待していたのですが、その期待は裏切られ工場らしきものはありませんでした。 (ひょっとすると町のはずれにあったかも知れませんが)ベンガラについてはこことここを。人影がないのは朝早かったからです。お土産やさんも、隣の喫茶店も・・・その隣の郵便局もみんなみんなベンガラ塗りです。昔はさぞかし栄えたのでしょう、こんな立派な学校もありました。平成24年までは現役の校舎だったらしいのですが、児童の減少で廃校になったとか。他に映画 八墓村のロケ地だった広兼邸があったのですが、その映画に関心がなかったのでバスしたのですが・・・・帰って調べて見ると ・・・こんな立派なところなら行っておけば良かったと思っても後の祭りでした。 広兼邸はここを。このあといよいよ備中高梁市内に向かい、高梁では面白い出会いが有ったのですが、続きは明日に。
2015.10.23
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今回の旅は元の会社の仲間3人の旅でした。私の行きたかった、備中高梁を軸に計画、予約、案内の全てを担ってくれたのが、当ブログにいつも登場してくれている『いつもの後輩』さん、高級外車持込みで運転役がもう一人の仲間で、私は全てお任せの大名旅行でした。(但し、平福宿と備中高梁の寅さんのロケ現場だけは私が案内役でした)行程は概ね下記の通りでした。1日目 因幡街道・平福宿~津山~奥津温泉~湯原温泉泊 2日目 ベンガラの里・吹屋~備中松山城~備中高梁市内散策全部報告には2~3回掛かって、少し長くなりますがお付き合い下さい。 最後に面白い出会いもありました。さて、中国道を作用インターで下りて最初に行ったのが、因幡街道平福宿です。 鳥取へ通じるこの街道は、今は高速道路が通じていますが、私が現役の時は高速道路がなかったので月一度鳥取出張の時はこの町を通っていたので様子は知っていたのです。町並みならぬ、川に沿ったこの景色と・・・この駅舎が売りです。『近畿の駅百選』なんてあるのですね。駅舎は立派でも、プラットホームは・・・・こんな具合です。町の中には、三年がかりで作る醤油屋さんがあって・・・昔、出張の時、時々買っていたので、懐かしくて買い求めました。ついでに買ったもろみを食べると抜群の味でした。 こんなことなら醤油よりもろみをもっと買った方が良かったなんて思ったのですが後の祭りです。 町中を歩いていると・・・またまた手作り人形です。 9/1のブログにも同様の記事書いています。 3人のおばあさんが手入れをされていたので話しかけ、写真を撮りたいというと喜んで、手入れのための道具類まで除けてくれました。ブランコに乗っているのも良い仕掛けでしたが・・・この女の子のしぐさが素晴らしかったです。そして高速道路で津山まで行き『いつもの後輩』さんお勧めのこの店のホルモンうどんを食べに・・。店は汚いですが有名店でみんな遠くから食べに来ている人の様でした。 netのおかげなのでしょう。 ここです。 そして次に向かったのが美作三湯のひとつ奥津温泉です。先のブログで書きました岡田茉莉子の映画では名前が『秋津温泉』でした。その映画調べて見ると1962年の映画でした。 奥津温泉にあるのに映画に因んで付けられた名前だと思われるこの旅館は廃屋でした。この旅館の近くの川沿いの紅葉が、今正に見頃で思わぬ得をした気分でした。奥津温泉より秋津温泉の方がぴったりの景色です。温泉街に入りますと・・・川の中に足湯があり・・・若者が二人・・・手を突っ込むと温度は低かったです。対岸に行って振り返ると女性がひとり増えていました。そして、いつもの後輩さんが案内してくれた対岸のこの傘の場所は・・・こんなことで有名な場所だったのです。明日に続きます。
2015.10.22
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既に書きました通り、今年は春の青春18きっぷで兵庫県竜野市と静岡・東京高尾へ行き5枚中4枚を使いました。あと1枚どうするか?? 今の所予定もないので 使わず売るなら早く売らないと値が下がるし・・・と金券ショップで売って来ました。売る時、買う時のタイミングで価格が変動しますので参考にと私の購入・使用・売りの明細を書いて見ます。JR価格 5枚で11,850円 1枚あたり2,370円 金券ショップでの購入価格 5枚で11,600円 1枚あたり2,320円 残った1枚の金券ショップへの売れた価格 1枚2,600円残った1枚は買った価格より高く売れたことになります。 残ったものを売る時は大体枚数が少ないほど単価が高く売れ、1枚の時が一番高く売れます。
2015.03.25
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今思えば丁度4年前、大正天皇陵、昭和天皇陵へ参拝しようと前日に静岡の息子の家に入り、明日御陵へ行こうとしていた時東日本大震災が発生し、計画を中止して慌てて大阪へ帰ったのでした。あれから4年、改めて大正天皇陵、昭和天皇陵へ参拝に向かいました。 静岡~茅ヶ崎~橋本~八王子~高尾とJRを乗り継いで片道4時間往復8時間の移動図書館の旅でした。高尾には高尾山に登った時訪れているのですが、その時は高尾山口駅を利用しましのでこんな立派な佇まいの駅に降り立ったのは初めてでした。駅から御陵へは意外と近く約1kmでした。細い道を抜け、入口まで行くとこんなに綺麗な欅(?)並木の参道があり、正式にはここから参拝するようでした。入口左のこの建物は交番です。京都御所は皇宮警察が警護しているので・・・近くにいた警護している警官に皇宮警察かと訊ねると『警視庁です』とのこと。明治天皇陵では警察の警護を見たことが無いのでさすが昭和天皇陵かと納得でした。広大に敷地は当たり前のことですが、自転車の乗り入れ禁止各天皇陵を回るのはかなりの距離てした。パンフレットのコピーでは位置関係はこの様になります。長い参道は杉並木なのですが・・・感心したのは参拝道側の枝だけ残して、反対側の枝は切り落としてあることでした。歴史では前方後円墳や円墳など習いましたがここは全て上円下方と言うことでした。昭和天皇武蔵野陵 その横に香淳皇后陵少し離れて大正天皇陵その横に貞明皇后陵があり・・・大正天皇陵の横に真新しい侵入道路があって・・・何か造成工事をしているのです。横に警護の人の詰所があり訊ねて見ると、今上天皇の陵を造成されているとか。 何年先に崩御されるのか分かりませんがさすがにと感心しました。他の放置された御陵は勿論のこと、明治天皇陵は横に宮内庁の事務所があるだけで警護の人などいないのですがここの警護の人の多さと参拝する人の多さにさすが身近な存在だった昭和天皇の御陵と感心しました。そして朱印を頂くため、入口のちょっと奥まったところにあるここに寄りまして・・・この昭和7年製の朱印帳の・・・大正天皇陵のページに朱印を頂き、次に・・・と言う時に・・・職員の方が「昭和天皇の名前がない」と言うのです。『この朱印帳は昭和天皇がまだ若かりし昭和7年のものですよ』と言うとびっくりしてそれはそれはと印を押すのに緊張すると綺麗に捺せる様にとL型の当て木を当てて慎重になんて言いながら捺してくれました。また『京都から来た』と伝えるとそれはそれは喜んで頂けました。これで長年念願の遠い多摩陵、武蔵陵の参拝が終わりましので次は奈良・橿原と大阪・羽曳野の参拝で全て完結出来る様になりました。
2015.03.24
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青春18きっぷの2回目の利用は静岡~東京八王子・高尾の旅で3枚使って来ました。まず最初に向かったのが東海道53次、静岡は丸子(まりこ)宿にある吐月峰 柴屋寺です。ぶろ友のmamatamさんのブログで教えて貰い、我が家にもある吐月峰のルーツを訪ねるのが今回の旅の最初の目的です。mamatamさんの吐月峰について書かれているブログはここ私の吐月峰についてのブログはここ 京都駅発7:45、静岡駅の一つ手前安倍川駅に降り立ったのが12:56 京都駅からは約5時間の旅でした。安倍川駅で自転車を組立て丸子(まりこ)宿まで3km余りです。東海道53次歩きで安藤広重の絵にも出てくるこの丁子屋で・・・・前にとろろ汁を食べたのはと旅日記を紐解きますと2006.11のことでした。さる閑人さんと何回にも分けて東海道を歩いてから早や9年の月日が流れていたことになります。折角なので又々とろろ汁を食べようと店に入ると・・・祭日でもあり何と30分待ちとか。幾ら閑人でも先の行程がありそんなに待てないので断念し、吐月峰柴屋寺に向かいました。 目的の吐月峰・柴屋寺は丁子屋から1km足らずの山あいに竹藪に囲まれて、ひっそりと佇んでいました。この竹が吐月峰に適する竹と言うことなのでしようが私には普通の真竹に見えました。拝観料は300円、払う場所に吐月峰が800円で売られていました。ここを通り・・・右側が玄関です。 この障子を見て我が隠れ家の破れた障子の修復が思い出されました。参拝は私ひとり、マンツーマンで説明を受けました。梅の花がアクセントをつけその後ろには、入口に書かれていた通り確かにツバキが見頃でた。借景の富士山に見立てた山が薄っすら見えていますが・・・見難いのでアップしますと・・・そして、こちらの山が京都の東山だと説明を受け・・・後はひとり庭を眺めながら静寂の時を過ごし、吐月峰のルーツを訪ねる旅を終わり安倍川を渡り静岡市へ向かいました。
2015.03.23
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またまた今年も春から青春18きっぷを買いました。前は11,500円だったのに消費税増税で350円高くなっていました。今のところ使う予定は3回しかないのでバラがあればと金券ショップへ行ったのですがまだ使用期間が長くあるためバラのものはなかったので5枚ものを買いました。(買値は11,600円です)3回以上使ってしまうことになるのか、使わずに残りを金券ショップで売ることになるのか今の所未定です。 (都度使用報告をさせて頂きます)しかし買っただけでどう使おうかと、何か青春時代に還ったような気になるから不思議です。
2015.03.12
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一昨日の続きです。赤穂温泉のかんぽの宿で日帰り入浴して、次に向かったのがこの眺めの良いお赤穂御崎です。そして、この横をの少し下ると、こんな景色に変わりました。そのあと赤穂城跡に行きますと・・・ボランティアと思える若い案内役兼写真撮影モデルがいました。この城内に今回赤穂の案内役のいつもの後輩さんが通った高等学校があつたらしいのですが移転して今は影も形もありませんでした。赤穂城の横には大石神社が有りましたが、京都・山科にある大石神社と違い、立派なものでした。参道左右には四十七士の像が並び・・・一番奥、門の傍に大石内蔵助の像があるのは良いのですが・・・横を良く見て下さい。ここからがタイトルにかかわることなのですが安産祈願と書かれていてびっくりでした。 右の青い幟に書かれている本願成就なら正にこの神社にぴったりだと思うのですが・・・。この大石神社の横と言うか裏と言うか、赤穂城の直ぐ傍に立派な大石内蔵助の家が現存していました。浅野家お取り潰しの後誰が住んでいたのでしょう????この内蔵助宅跡を最後にして今回の竜野・赤穂紀行を終わり・・・この店で土産に赤穂名物塩饅頭と塩 を買って・・・・赤穂を後にし、一路東へ、神戸のJR住吉駅で自動車を降ろして貰い、JRと京阪電車を乗継いで帰宅しましたが盛り沢山の一日旅行でありました。長くお付き合い頂きありがとうございました。
2015.02.28
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昨日の奈良の山、登山については後回しにしまして、溜まっている竜野行について。竜野の街のランドマークは揖保川沿いの『うすくち醤油』のヒガシマル醤油のこの工場です。古い街並みが残る旧市内に入ると・・・このヒガシマル醤油の本社ビルにうすくち醤油資料館があり・・・またその横の酒蔵ならぬ、古い醤油蔵の中で・・・たつの市の小学生が作った紙の皿の流し雛展が行われていて何百個か、数えきれない程の数が展示されていました。ここのあと直ぐ近くにあるこの井戸麹店へ今回の竜野行の目的のひとつである金山寺糀を買いに行ったのですが・・・金山寺糀だけが売り切れ。電話をしておいてもらえばとっておくのですが・・・とのこと。残念無念!! また竜野へ行く口実が出来ました。 (竜野の字を漢字とひらかなを混同しますがもともとの竜野市が周辺の町と合併して平かなの『たつの市』になったからです) この店へ、昔行っていた時と違い奥さんが若い人に代わっていたので訊ねると元の奥さんは3年程前に亡くなっていてその娘さんの代になっていたのでした。当たり前です17年が過ぎていたのですから・・・。 店内には安倍首相夫人が来店の記念写真がありました。 左の奥さんが親しくされており、安倍首相の奥さんがなさっている店でここの商品を使っておられるとか。そのことについては1/24のブログにも書いています。今回の旅(と言っても日帰りですが)は盛り沢山の予定があった為、朝早くから出かけので、残念ながら何も買わずにこの店を出たのがまだ10時前でした。もう一つの目的の、にゅうめんを食べに行く霞亭の営業開始が下調べで11時からでした。 それまでまだたっぷり時間があるので、この店の塩麹をケーキ作りに使って貰っていると言う喫茶店を紹介してもらい時間潰しをしました。この風格のあるこの建物がその喫茶店なのですが・・・広い部屋がいくつもあって畳の上の椅子席でした。築百年とか。この朔(さく)という店、詳しくはここそして、竜野と言えば赤とんぼの街。至るところに赤とんぼの字が溢れています。童謡赤とんぼの作者の三木露風の出身地なのです。これがその旧邸跡なのですが・・・ここにも寄り・・・・丁度時間も11時になった為一番客でにゅうめんの霞亭に入りました。明日に続けます。
2015.02.25
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日曜朝市で買い物をした後、安芸市へ向かったのですが、仲間に言わせると『日本三大がっかり名所』の第一位らしい『はりまや橋』で写真を撮り・・・ 『日本三大がっかり名所』をネットで検索すると確かにありました。 一位がこのはりまや橋、二位が札幌時計台、三位が長崎オランダ坂 だったので確かにと納得でした。 向かいには先日毎日放送テレビの歌碑を訪ねる番組で取り上げられていた『南国土佐を後にして』 の歌碑を見て・・・・安芸市に向かいました。 そして安芸市の観光地 『野良時計』を見て・・・ 車で5分程の所にあるここを訪ねました。 真ん中の白い看板をアップしますと・・・ NHKの坂本竜馬で香川照之が演じていた、のちの岩崎弥太郎の実家は実にみすぼらしい家でしたがここは裏に蔵まで有るので、案内のボランティアの方に訊ねて見ると・・・出世した後に立派な家になったとか。 そしてこんな案内板がありました。 見上げて見ると三菱のマークの上の鬼瓦には・・・ 確かに三階菱なる紋がありました。 そして次に向かったのが山間の馬路村です。前にも書きましたが柚子での村おこしに成功して全国区的に有名になった村です。我が家でも長らくここのポン酢を愛用しているものですから、どんなところか行ってみたかったのですが・・・本当に山の中でした。 この売店で買ったのが・・・ このポン酢(と柚子胡椒)等でした。 千人の村と書かれていますが・・・訊ねて見ると今は村民が千人を切って950人余になっているとか。 村興しに成功して、ポン酢の製造・全国区販売や観光産業で仕事が増えたとは言え人口は減りつつあるようでした。 そしてここの清流のテラスで食べたのが・・・・日曜朝市で買って行ったこの寿司です。上段左からこんにゃくに包まれた寿司、タケノコの中に寿司めしを詰めたもの、ミヨウガの酢漬けの寿司、下段は具だくさんの巻きずしでした。 昼食の後、この高知の山奥から高知と徳島の県境の海辺の町、東洋町に出て、徳島・淡路経由で無事3日間の旅を終えました。因みに3日間の走行距離は1176km、私の運転はキセルではないですが、始めと終わりの100km足らずで仲間2人の運転で楽な旅をさせてもらいました。 1回の旅で長く引っ張りましたが、お付き合い頂きありがとうございました。
2014.11.23
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昨日、思わせぶりなことを書きましたが・・・桂浜のここの岩なのですが・・・ 岩を良く見て頂くと・・・白い筋があり、そこを境に濃い茶色の部分と薄い茶色の部分があり、薄い茶色の部分にも白い筋が有るのがお分かり頂けると思います。 これは別の個所なのですが・・・ここにも白い筋があります。 まず気づく人はいないと思いますが人工的につくられた『擬岩』と言われるものの接ぎ目で、良く観察してみるとこの岩場はアチコチ大規模に擬岩で形作られているのです。 この継ぎ目以外にも固定の為のボルトが露出している個所があったりしてバレバレでした。 浸食されたり崩れた部分を修復したのだとは思いますがこんな有名な景勝地を大きく人工的に手を加えられているとはびっくりでした。 擬岩のことはさて置き、この砂浜に・・・・ こんな石碑がありました。 実はこの度に出る前にブロ友のビッグジョンさんのブログで高知から地酒の『桂月』を取り寄せておられることを見てその桂月の事を調べると桂月と言う名は『桂浜の月』に由来し、大町桂月と松林桂月と言う二人の著名人にも関係あることを知ったのでした。詳しくはここ (ここに彫られている桂月先生はその大町桂月の事です) この夜高知市のホテルから食事に出かけたとき迷わずその桂月を飲んだのは言うまでもありません。もう一本の滝嵐は高知に詳しい仲間推薦の地酒で飲み比べをしました。(カメラを持って出なかったのでビンをホテルに持ち帰り撮った写真です) 桂月はどろっとした酒で滝嵐はさっぱりとしたお酒で両方とも特徴のある美味しいお酒でしたが・・・私は桂月の方が好きな酒でした。 ちょっと先に進んでしまいましたが・・・桂浜のあと高知市内を見渡す五台山の展望台に案内してもらいました。 良く水害が起こる町であることを聞いていましたが・・・この川の多い景色を見て納得でした。 そしてこの展望台の横にまたまたこの方の大きな銅像です。 翌朝は名物『日曜朝市』で買い物です。夜明けから日没まで店が出ているらしく、我々が行ったのは朝の7時半過ぎだったのですが・・・・ 既に片方の車線を封鎖して並んでいる店も客もこの通りでした。 高知の人は朝早くから食材などの買い物をするようです。 数えていませんが、100軒~200軒位有ったでしょうか、朝早くからの盛況にびっくりでした。 今回はマイカーのため持ち帰るのに問題がない為、キスやイワシやサバなどの干物に・・・ こんな『四方竹』と言う初めて知るタケノコや大きな塊のショウガ等など・・・ 新鮮で安い土産がの買い物が出来ました。 この後、高知市から遠く山間僻地の馬路村に行ったのですが・・・、長くなりますが明日に続けます
2014.11.22
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昨日の続きです。高知城直ぐ傍の『ひろめ市場』は階上が駐車場の大きなビルの1階です。食べ物を売る沢山の店があって、このような買った食材を食べる為の広場が数か所有るのですが・・・ この様にどこも席を確保するのに困る程いっぱいなのです。 そしてここで食べたのが・・・ 『カツオの塩たたき』と『青さ』の天ぷらと諸々です。 カツオのたたきにちょっと見え難いですが塩がかけてあって他は何もつけずに食べるのです。 こんな食べ方は初めての経験でした。そして上の黒く見えているのが青さの天ぷらです。 こんな珍味を目の前にして・・・・ビールが・・・なんてことが顔に出ていたのか、運転免除の私の為に仲間が生ビールを買ってきてくれて、ひとりだけビールも・・・・。 このひろめ市場から高知城へ向かう広い通りが翌日沢山の買い物をした日曜朝市が行われる場所なのですが、朝市の事は明日に回し・・・高知城へ・・・ 高知と言う土地柄は歴史上の有名人が多いからか、元々銅像好きなのか、やたら銅像の多い町です。 城内にも山内一豊像に・・・ 大河ドラマにもなったその妻千代像に・・・ 板垣死すも自由は・・・の板垣退助の像の3つもありました。 そして桂浜へ行きますと・・・ 勿論・・・この像があり・・・ 向こうに見える岩の景勝地を歩いたのですが・・・ 自然がなせる景観と思ったものが、人工的に作られている(修復されている?)ことを発見したのです。 なんだこれは!! と言う気がしたのですが・・・・明日に続けます。
2014.11.21
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土佐清水で一泊して、二日目高知市へ向かう途中に今回のもう一つの目的の伊豆田峠の検証に行きました。 前にも書きましたが・・・小説『赤い椿の花』の時代( 昭和30年代前半以前)までは土佐清水と中村を結ぶ道は険しい峠越えの道しかなかったので、下にトンネルが掘られ、明日が開通式と言う日に、佐田啓二扮するバス運転手と倍賞千恵子扮するバスガイドが乗ったバスが峠からの転落事故で運転手だけが死ぬのですが・・・ その1本目のトンネル開通から・・・時代が移り・・・平成6年にもう一段低い位置に昔の難所もあっと言う間に通り過ぎる長い2本目の新しいトンネルが開通したのです。 土佐清水側からその進みますと、2本目の新しいこのトンネルの坑口の直ぐ傍に・・・ こんな石碑がありまして・・・ 直ぐ近くの「旧道はここだろう」 と思える落ち葉や木の枝が道路の両端を覆い隠して細くなっている曲がりくねった山道を2~3km 進みますと・・・ 突然こんな形で道が無くなっているのです。 ここが小説「赤い椿の花 」の時、開通して今までの危険な峠越えをしなくて良くなった1本目のトンネルの無慚にも覆い隠された坑口跡で、時の流れを感ぜずにはいられませんでした。 ここがこう言う姿になっているのなら反対側の坑口は・・・・と山道を引き返し、最初の写真の新しいトンネルを通り反対側 に行きますと・・・左側が新しい道のガードレールなのですが、その横にこんなガードレールが残っていたのです。ここが旧道のはずとまたまた舗装も割れた細い道を進みますと・・・ またまた行き止まりです。追い越し禁止の黄色い中央線が突然切れていて薄っすらトンネル坑口のコンクリートが見えるだけでここが1本目の旧トンネルの中村側入口だったのです。 そしてこのすぐ傍に、もう一本、もっと荒れた細い道が山へ向かって伸びていて・・・ その先に・・・急な坂道のコンクリートの基礎が見えるのです。これが1本目のトンネルが出来るまで、危険な峠越えを強いられた旧々道なのです。 映画では佐田啓二が運転するバスが通ったこの道を発見しただけでしたが感激してぱちぱちと写真を撮って満足して元来た道を引き返しました。 そして須崎市まで進みますと・・・某セメント会社の高知工場です。カルスト台地の多い高知の象徴のような工場です。 そして往路と違い景色の良い海沿いの道を走ってくれたのですが・・・ その太平洋を見下ろす景色の良い所に有ったのが、武市半平太の像です。 仲間曰く、「この像は元有った像の人相が余りにも悪いので作り変えたもの」 顔はこんな顔で確かに変な顔ではなかったのです。 半信半疑で帰って検索してみると確かに作り変えたとの記述がありました。そこまでするのは余程の顔だったのでしょう。 この後高知市に入りここで昼食をしたのですが・・・・ ここがまた観光地にもなっていて、びっくりするような場所だったのですが・・・明日に続けます。
2014.11.20
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昨日の続きです。 檮原から少し愛媛県をかすめた後、最後の清流・四万十川の流れや沢山ある沈下橋を眺めながら土佐清水に向かいました。 次から次に現れる沈下橋を眺めたり橋の途中まで歩いたりしたのですが・・・・ この沈下橋が一番恰好が良かったのでマイカーの写真を撮るため対岸まで走って貰い、私はこちらで待ち受けしていました。 もう少しゆっくり撮りたかったのですが、この様な橋の幅なのに対向車が来てしまい離合も出来ないので慌てて渡ってもらいました。 これはまた別の橋ですが、憶えきれないほどこんな橋がありました。 河口の旧中村市(現四万十市)まで出てこんな景色を見ながら足摺岬へ向かい・・・ 民宿に着いたのが夕刻で、一日でこの様に570kmも走りました。 (なんて言いながら私が運転したのは自宅から明石海峡大橋までで、後の運転は全てお任せでしたが・・・) 泊まった民宿はこんな所で・・・・ 窓からの太平洋の眺めは最高でした。( 着いたのがうす暗かったのでこの写真は翌朝のものです) この民宿は案内してくれた仲間が在職中もリタイヤ後も何回も泊まっているところで、行く前から『清水さば』を食べないとと特別料理で予約してくれていたのがこのサバの刺身です。 有名な関サバは知っていましたが清水サバは知らなかったのですが・・・関サバは瀬戸内海のサバ、清水サバは外海のサバでこちらの方が美味しいとか。 サバを刺身で食べるには余程新鮮でないと駄目なのですが正に新鮮そのものでした。それと、真ん中のピンク色した身は私は知らなかったのですが「ハガツオ」 と言うもので赤いカツオの身と違いピンク色をしておりこれも又美味しいものでした。 (この特別料理以外にも通常の刺身もついておりさすがた3人では完食できず、折角の料理を残してしまいました) そして翌日は高知市(第一の目的は翌朝の日曜朝市)へ向かったのですが明日に続けます。
2014.11.19
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そもそもこの竜馬脱藩の道・檮原に行ってみたいと思ったきっかけは、司馬遼太郎の『街道を行く』を読んだのがきっかけでした。高知市の西、須崎市から山に入り、曲がりくねった道の峠まで行きますと・・・まるで向井潤吉画伯の世界のような藁葺の水車小屋があって水車が回っていました。 峠を下りて行きますと山間の小さな盆地が檮原(ゆすはら)の町です。 ここでも竜馬による町お越しの案内板や幟がやたら立っており・・・ 前回訪れた時はこの旧役場の建物が資料館になっていたのですが、今は横に立派な資料館をはじめ多目的の立派な建物が建ったり、立派な木造の役場が建っていたりして前回訪れた時とは全く風景が変わっていました。 ただこの大きな銅像群は昔のままの威容を誇りなかなか圧巻のあるモニュメントです。 みんな竜馬と一緒に脱藩した仲間で当檮原の者も多かったようです。 これは竜馬の脱藩の支援をした掛橋和泉の像です。 ここでコーヒーブレイクをとり、次に山中で少し愛媛県に入った後、再び高知県に入り最後の清流と言われている四万十川 に沿って土佐清水へ向かったのですがさすが四万十川と思うほど綺麗な光景を見ることが出来ました。 明日に続けます。
2014.11.18
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今回の高知旅行は足摺岬をお遍路の旅で訪れたことがの発端でした。お遍路で足摺岬が舞台だった田宮虎彦の小説『赤い椿の花』の映画の事を思い出し、改めてその小説を読み、映画化のCDを買い・・・・元の職場の高知勤務の経験のある2人の仲間に、その小説の舞台となった中村市と土佐清水の間にある 伊豆田峠へ行きたいとの話をしたことがきっかけ、その二人の案内で再び足摺岬を訪れることになったのでした。私の行きたい希望として上げたのは・・・・ 1. 伊豆田峠 2.十数年前一度訪れた時、土砂降りで殆ど観光出来なかった竜馬脱藩の道の『檮原(ゆすはら)』 3. ぽん酢で村おこしで成功した人口1000人の馬路村でした。その3つの希望先は3つが3つとも辺鄙極まりない場所だったのですが・・・それに色々肉付けした計画を組んで貰い高知の西の端から東の端まで走り回って高知を堪能して来ました。変化に富んだ旅でしたので 少し長くなると思いますがお付き合い下さい。 今回の旅は我が家をマイカーで朝の5時にスタートし、 箕面市と神戸在住の仲間をビックアップし淡路島経由で高知市に向かいました。 最初に向かったのが高知市の西、中土佐町の土佐久礼漁港の大正市場でした。私は全く知らなかった所なのですがこの市場は観光でも有名なところらしいです。 新鮮な魚を食べる為ここで昼食をするのが予定でしたので、昼食には少し早かったのですが、お勧めのこの店で・・・・ 食べたいものを買って・・・・ 向かいのこの店に入り・・・・ ごはんと味噌汁だけを頼んで待っていますと・・・ 向かいで今買ったものがお皿に盛られて・・・持ってきてもらえるのです。カツオの刺身と諸々のものを買ったのですが・・・ 二人の仲間のお勧めがこれでした。 カツオを捌く時、タタキや刺身の部分をとった後のお腹の部分を『はらんぼ』と言って珍重されているとのことでした。 食べて見ると確かに美味しかったです。 ここで満腹に 腹ごしらえをして、第一の目的地檮原へ向かいましたが、ここから40kmは有ったでしょうか、 とにかく山の中です。10数年前現役の時仕事にかこつけて訪れたのは愛媛県の宇和島の方から入りましたので今回は全く知らないルートでしたが、さすが現地勤務経験のある仲間は道路状況の良いルートを選択してくれていました。峠を越えいよいよ檮原の町に入ったのですが・・・ 明日に続けます。 大正市場についてはここを見てください。
2014.11.17
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一昨日の続きです。問題の水無月、注文しておいたものを二人で貰いに行きました。 友人は化粧箱入りのものを買いましたが、私は4ケをへぎで包んだこれです。夫婦二人ではこれて゜十分、お裾分け先もご夫婦だけのところばかりですのでこれで十分です。 因みに1ケ140円です。明日から自転車ではなく、バスツアーでの四国八十八ケ所です。 線香、ロウソク、数珠、納経帳、納め札・・・準備が整いました。西国三十三ケ所で掛け軸を作りましたので、四国は納経帳です。中断前までに徳島県の1番~23番まで終わっているのですが、今回のツアーは徳島の23番~高知の室戸岬から高知市の30番までですので23番だけは2度目になります。
2014.06.11
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苦労して青春18きっぷを2枚、バラで手に入れました。 1枚当り2700円でした。(通常は5枚綴り11,500円で1枚当り2300円です)いつもは新品の5枚綴りを買って、使用後残ったものを金券ショップで売る事が多いのですが今回は2枚のバラを高いのを覚悟で買いたかったのです。と言いますのは春の青春18きっぷの使用期限は4/10なのですが私が使うのは4月になってからなのです。 使用後残った券を金券ショップで売るにしても使用期限間近で売りたい枚数が多いと売れないかもしれないし、売れたとしても安くなってしまうので、今回は多少高くても使用分の2枚だけ買いたかったのです。 所が今迄についでの時、金券ショップに数軒行ってもバラがなく、有ったところでも3000円で1枚と言うものしか無かったりのです。゛それが京都駅前の金券ショップで冒頭に書きました通りやっと思い通りのこの2枚ものが買えたのです。ここからはこの切符での推理遊びです。 どこの誰が3回分使ったのか???? 使用済みの消印を辿りますとヒマ人のマニアと見えて凄い使い方をしています。まず3/21に京都駅で乗車し、3/23に熊本駅で乗車、そして3/24に宮島駅で乗車し、京都駅へ帰ってきて駅前の金券ショップでこの残り2枚を売っているのです。(それを私が買ったのですが) 新幹線も特急も急行(急行なんてもうない?)も使わず快速か各停に乗って、1日で京都から熊本まで行けるのか??調べました。行けるのです。 ネットの『駅から時刻表』で例えば始発で京都~熊本をインプットしますと・・・・・京都発 5:44で熊本着20:52 15時間08分 で着くのです。特急料無しの乗車券は10,810円でした。これを2,300円で行かれた事になります。 復路は・・・・例えば 熊本発5:51で宮島口着が13:44 7時間53分の旅で6,610円宮島口発6:27で京都着が13:14 6時間47分の旅で6,620円それが各々2,300円で体力は別にして理論的には十分旅することが出来るのです。この使い方をされた方は 私が使う予定の京都~静岡なんて足元も寄れないほど『有意義???』な旅をされたと言う事なのでしょう。因みに私が使う予定の京都~静岡間の乗車券は5,460円、ジパング倶楽部の3割引で3,820です。 私としましては片道 3,820円-2,700円=1,120円のコストダウンの旅に行く事になります。
2014.03.29
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三保の松原は清水(今は静岡市清水区)です。清水と言えば清水の次郎長です。三保の松原からJR清水駅へ向かい、ちょっと寄り道して次郎長の生家に寄ることにしました。京都には龍馬通り商店街と言うのがありますが・・・・さすが清水には・・・・こんな商店街が有り・・・・その中程に・・・次郎長の小さな生家が有りました。長屋だったのに右側の家が取り壊されたようです。アップしますと・・・・記念館になっていて見学出来るのでしたが、当日(月曜日)は休館日でした。そしてその近く、運河の傍に・・・・ 次郎長の住まいが、明治になって末廣と言う旅館になっていた建物が紆余曲折の後復元されていましたが・・・・ここも休館日でした。 詳しくはここをクリックしてください。そして清水駅は直ぐ近く・・・ここで自転車を畳み・・・静岡市駿河区~久能山~三保の松原~清水の自転車の旅を終わりました。 因みにで走った距離は・・・・・・・でした。
2013.12.15
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昨日の続きです。世界遺産の三保の松原からの富士山を諦め久能山に行ったのですが天気が回復してきたので三保の松原に足を延ばすことにしました。三保の松原へはJRで清水まで行くつもりだったのですが久能山からですのでそのまま走ったのですが意外と近く静岡からこんな距離で着くことが出来ました。到着しますと・・・日頃の行いが良いせいか(????) 富士山が頭を出していたのです。薄い富士山でしたので写真に上手く納まりませんが、二人の画家(?)の絵では・・・この様にはっきりと見えたのです。色々撮ってみたのですが背景がブルーの空でないと私にはなかなか上手く撮れないのです。そうこうしている内に・・・・頭の上部を隠してしまいました。 富士山は諦めての松原です。由緒ある羽衣の松は・・・・ 世代交代が行われていました。 そして一番広い砂浜に出た頃には・・・・ いくらアップしても富士山は完全に顔を隠していたのでした。このあと清水駅に向かったのですが・・・清水と言えば・・・・次郎長です。 ちょっと寄りましたので少しだけですが明日に続けさせて頂きます。
2013.12.14
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昨日の続きです。 さすが久能山・東照宮、当ブログを訪問頂いている多くの方が行っておられる様です。いよいよ本殿です。余りに奇麗なので調べて見ますと・・・・ 『江戸時代には20年に一度、明治時代以降では50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われており、近年では2006年(平成18年)に社殿の塗り替えが完了した』とのことでした。この本殿の奥が墓ですが京都の豊臣秀吉の墓と何か良く似た雰囲気です。帰りに気付いたのですがこんなものがありました。家康はこんな体型だったのですね。久能山に登っている間に天気が回復して来たのです。 静岡市の久能山から清水市の三保の松原までは10kmも無いのですから、ひょっとすると富士山が見えるかも???と思い足を延ばすことにしました。その甲斐があって、三保の松原では少しだけ ♪♪頭を雲の上に出し♪♪ てくれたのですが・・・明日に続きます。
2013.12.13
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京都の紅葉の紹介が長引きましたが、今週初め孫の顔を見に静岡に行って来ました。 ついでに自転車で『世界文化遺産・三保の松原からの富士山』を見に行こうと新幹線で折り畳み自転車を持って行ったのですが・・・・。初日の日曜日、富士山が見えるなら今日三保の松原へ行こうと新幹線の中でnetで富士山のライブ画像を見ながら朝10時過ぎに静岡に着いたのですが、道中も着いてからも富士山が顔を出してくれません。二日目もマンションから遠くに見える富士山が見えません。 富士山は又の機会にと諦めて・・・徳川家康の墓のある久能山へ行くことにしました。久能山へはほぼこんな海岸道路を・・・ 右は海、左はイチゴ畑のビニールハウスが延々と続く中を・・・ 確か約10km程走り・・・着いたのですが・・・・ 東照宮へは、遥か上に見えるこの長い階段が待ち受けていました。勿論スタート前から階段を登るつもりだったのですが、後ろの日本平山頂までドライブウエイで登り、そこからロープウエイで東照宮までと言う楽ちんルートが有ります。 しかし、多分年末年始に向けての整備点検の為だと思うのですが運休でしたので階段をを登るしかないと諦めもつきました。と言うことでつづら折りの階段を一段づつ、ひたすら登るしかありません。 下に箱の様に見えているのはイチゴのビニールハウスです。やっとの思いで社務所まで登り、拝観料を払ってもまだ階段が続きます。ここで水分補給に一息入れて休憩してまだ続く階段を登ったのですが・・・・明日に続けます。
2013.12.12
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昨日の続きです。 ニセコのホテルを出発して積丹(しゃこたん)半島に向かいました。少し走って高度を上げ、まず最初には・・・駐車場よりこんな木道を歩いて・・・・行ったのはここでした。 北海道でしかもかなりの高地なのにすばらしい草もみじに比べ木の紅葉はまだイマイチでした。 そして断崖と海の間のこんな国道を走り・・・次に行ったのが積丹半島の最先端のここカムイ岬でした。急斜面の登り道を進みますと一番高い所にこんな門があり、女人禁制・・・と書かれており横の立て札にはこの様に書かれていました。 奈良の大峰山は今も女人禁制で『女人結界』と書かれているのですがここでは表現も違いました。門をくぐり、木道の階段を下り後ろを振り返りますと・・・・ こんな光景です。こんな見晴らしの良い所でも熊が出るらしく道路のあちこちに何台ものラジオが大きな音でかかっていたのにはびっくりでした。そしてもう少し進みますと先端に灯台が見えて来ました。やっとの思いでこの灯台に着きますと・・・・ その先端がこんな素晴らしい景色でした。この青い色を『積丹ブルー』と言うらしく・・・駐車場の土産物売り場では『積丹ブルーのソフトクリーム』が名物として売られていたのでつられて食べてしまいました。なかなか商売上手です。そして余市に入り休憩した道の駅の横にニッカウヰスキーの工場が有ったのですが素通りし・・・・ 次の小樽の町は10年前の同窓会の宿泊地で堪能した為ここも素通り、バスの中かだけパチリ・・・・そして一路千歳空港へ・・・到着後、各々の地方への飛行機に乗る為解散となり無事2泊3日の旅終わりました。 来年は名古屋地区での開催と決まりました。
2013.10.15
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昨日の続きです。函館から大型観光バスにたった14人が乗って行ったのがここです。ちょっと字が小さいので読み難いですが・・・ここです。 日本三景の松島の様に沢山の島が浮かぶ、思ったより大きな池というより湖でした。ここからは凄く形の良い駒ケ岳が見える筈なのですが・・・・・雲の帽子を被って残念ながら、こんな状態でした。 見たかった景色はこうだったのですが・・・・。 この山は活火山で、磐梯山の様に噴火で吹っ飛んだことが良く分かります。 磐梯山の噴火で堰止湖の五色沼が出来たのと同じ様にこの山の噴火でできた堰止め湖がこの大沼湖と小沼湖です。 松島のような景色を楽しみながら湖畔を散策していますと・・・足元にこんな石板が・・・アップしますと・・・・ 横にはこんな案内がありました。 知りませんでしたが・・・と言う事だったのです。そしてこの日の宿はニセコのここでした。翌日、積丹半島を一周したのですが明日に続けます。長く引っ張ってすみません。 もう一回お付き合い下さい。
2013.10.14
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一泊目の宿は当地にゆかりの石川啄木の名前を冠した湯の川温泉のこの旅館でした。朝から出かけたのが3番目に行きたかった観光地・元町の坂のある風景です。函館山を背にして海へ向かう坂道が沢山ありますが、正面に海が見えるここ八幡坂が一番です。CMや映画で取上げられる場所で是非行きたかった場所です。 正面に見えますのが後ほど触れます青函連絡船・摩周丸です。そしてこの坂の街路樹はなんとナナカマドで赤い実を沢山付けていましたが葉はまだこんな状態でした。 こんな坂もありました。この辺りは街並み保存地区で古い民家や・・・この様な教会があったのですが・・・他を圧するようにこんな立派な建物がありました。旧函館公会堂です。これらの元町を散策のあと訪れたのは土産物売り場となっている赤れんがの倉庫街や・・・ 函館朝市などベイエリアだったのですが、私は郷愁を誘われるこの船着き場が一番でした。 ありし日には・・・右奥に線路が延びていて・・・・・。 ここから列車が出て来たのです。 側面に進みますと・・・・懐かしいJNRのマークがあり船自体が連絡船記念館になっていました。 船首には列車が出入りするところが無いので・・・・ 船尾だけから出入りしていたと言う事は着岸する時、回転せねばならないのでさぞかし時間がかかったのでしよう。2枚目写真で触れました通り向かいが函館山その麓が坂のある街です。このあと国定公園の大沼湖に向かったのですが明日に続けます。
2013.10.13
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10/6~10/8は大学同窓会の北海道旅行でした。毎年幹事持ち回りなのですが今回は北海道在住の同窓生が幹事で10年ぶりに北海道での開催だったのです。開催にあたり、行先希望のアンケートが有ったので私はどうしても行きたい3つの観光地がある函館方面を希望ました。 結果は他にも希望者が多く函館に決まったのでした。私は毎年北海道に行っていますが登山が目的のため函館には行ったことがなかったです。あちこちからの参加の為、函館空港に14:30集合となったのですが折角の函館なので・・・。 関西から参加の5人は朝一番の関空便で10:00に函館に着き、集合時間までにレンタカーで行ったところがここ恵山岬です。 函館から約40km東の景勝地です。 そして今回参加の14名が集まって、まず行ったところは皆さんは既に観光されたと思いますが私には初めてで是非行きたかった3つの観光地のひとつ五稜郭です。このタワーの上から撮ったのですが・・・・・ カメラの性能が悪いので一枚の写真に納まりません。 そして向きを変えますと・・・・遠く見えるのが2つ目の行きたい観光地・函館山が見えました。 函館山と言えばやはり夜景です。夜になって・・・・この景色を見に行きました。翌日は函館で3つ目の行きたかった観光地に行ったのですが・・・明日に続けます。
2013.10.12
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青春18きっぷのことを私は『有時無金乗車券』と言っているのですが・・・その券で今年もまた明日から静岡まで行くことになりました。 『有時無金乗車券』とは時間はあるが金は無い人間用と言う意味です。 長時間の旅は移動図書館として読書三昧の旅でもあるのです。 準備するものはアウトプットした乗換ダイヤ表と梅原猛氏の本3冊とポケットラジオです。 写真の中央の本はプロ友さんのチャオリン社製のブックカバーでカバーしています。と言う事で明日から3日程更新を休ませて頂きます。
2013.08.12
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先日静岡行きのことを書いて続きますとしながらタイミングが大切な桜情報を続けましたのでピンボケになりましたが締めくくりだけ簡単に。静岡では特に観光もしませんでしたので・・・・静岡駅と・・・関西人にはこれだけしか見えなくても嬉しい富士山と・・・・こんな程度で・・・ ご当地のさくらエビそばを食べたのですが・・・ 天ぷらとそばが別々に出て来たものを・・・ 上に載せて・・・。 この仕掛けのお陰でパリッとした食感を味わえました。そして肝心のタイトルですが・・・・ 花粉症の娘から友達から良く効くと聞いてリクエストされたこんなものがおみやげでした。 粉末とティーバッグの2種類があったのですが分からなかったので両方買いました。そして帰りの乗り継ぎの豊橋駅では毎度のことで『知立(ちりゅう)のあんまき』が・・・・ 安価なおみやげでありました。
2013.03.26
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青春18切符で静岡まで行ってきました。京都発07:03の新快速でrスタートし、米原・大垣・豊橋・浜松で乗り換え12:20に静岡着、所要時間5時間17分の旅でした。途中のこの駅では・・・・ 新幹線では見られない、こんな看板で歴史の復習が出来ました。 そしてJR東海の電車にこんな吊り下げ広告がありました。 桜もさることながら・・…『瓢鮎図(ひょうねんず)』のことが書かれています。実は以前に古本市で買った本を数冊、長い『列車図書館』に持ち込んで、そのうちの一冊この本を読んでいたのですが・・・・・ その中に『瓢鮎図』について書かれていたのです。 『瓢箪でもって鯰をとろうとしている図である』と書かれていました。 妙心寺には何度も行っているのに見たことが無いので、見に行こうと思った矢先にこの広告が目に入ったのです。 そうだ『京都に行こう』でなく『そうだ妙心寺』に行こう・・・・です。 因みにこの本に『瓢鮎図』についてこの様に書かれています。 これは何を言おうとしているのであろうか。ひょうたんでなまずをとろうとする、そのこと自体がどだい不可能なことと言わねばならない。実は、禅の極意をたくみに画いたものとして珍重されている。 とあります。禅の極意??? !!!! 『そうだ妙心寺へ行こう』です。明日に続きます。
2013.03.21
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青春時代に戻ろうと(????) 久しぶりに青春18切符を買いました。2~3枚で良いのでバラで買おうと2軒の金券へ行ったのですがまだ時期が早いようでバラがありませんでした。 仕方なく、余ったものは売るつもりで新券(5枚11,000円)を11,300円で買いました。 この切符を買う人は私の様にバラの売り買いをする人が多いので何も言わないのにこんなものをくれます。 正価では1枚2300円のものが25日までに2枚使って3枚売りますと使った1枚当たりは2,950円と割高になりますが、3枚使って2枚売りますとを使った3枚は1枚当たり2,230円に、4枚使いますと1枚当たり2,200円と言うことになります。(25日を過ぎますと使用期限が近付きますので多分買い取り価格が安くなるはずです)
2013.03.16
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昨日の続きです。宿泊した有馬温泉からローブウエイで六甲山頂へ向かったのですが・・ゴンドラが動き出して下を見ますと素晴らしいこんな光景が続きました。 頂上の高山植物園でも・・・・・。『高山植物』については高山で咲く花の立て札が沢山有ったのですが、シーズンオフで全く見られなかったのですが・・…その代わり紅葉がこの状態で迎えてくれました。 この後、六甲名物のジンギスカンで来年の再会を約して乾杯後、神戸側と有馬側へ下るものに別れて散会となりました。
2012.11.14
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年一度の大学同窓会が今年は兵庫在住の同窓生が幹事と言うことで参加16名が神戸・有馬温泉・六甲山に行ってきました。初日はこの一日乗車券で神戸市内観光でしたが・・・・・ 生憎の雨で駆け足の観光となりましたが、神戸には現役の時、9年間勤務したことが有りましたので懐かしい景色と新しい神戸を楽しむことが出来ました。宿泊した有馬温泉では天気が回復し翌日は素晴らしい有馬の紅葉が見られました。 標高約500m(?)の有馬温泉の紅葉はもう見ごろでした。何処でもお金のかかる京都の『紅葉』と違いこんな素晴らしい紅葉か゛無料でした。 まだ朝が早かったので観光客も少なかったのですが、この素晴らしい紅葉か゜無料ではすごい人出になるのでしょう。 このあとロープウエイで六甲山に登ったのですが明日に続けます。
2012.11.13
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自分が使うのではなく・・・・。 お盆で帰省した静岡の息子家族(夫婦と孫2人)なのですが 息子夫婦は先に車で帰り、孫2人は残って、青春18切符で帰ることになり、じーちゃんが切符を買い与えることになったのです。青春18切符を駅で買いますと5回分で11,500円(1回当り2300円)ですが・・・ 金券ショップで買いと売り(予定)の実績は次の通りです。今回2回分を買いたかったのですが・・・・金券ショップ3軒を回ったのですが2回分が無く止むなく、3回分を6900円で買ました。 2回分を使用後静岡の金券ショップで残り1回分を孫に売らすことにしたのです。 買った金券ショップでの8/20までの1枚の買い取り価格は2500円でしたが、 売るのが20~21日でしかも静岡ですので多少安いかもしれませんが、多分2300円前後では売れる筈です。使用期限(9/10)が近付くと残回数の少ない方が高い単価で売れるはずなのですが残数と売る時期によって価格が変ります。 (売り買いで上手く立ちまわれば1回当り2300円以下で利用できる可能性もありますが、逆に割高になることもあります)
2012.08.17
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