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京都新聞を読んでいて、白川郷でもないのに、大井川の蓬莱橋でもないのに・・・よく似た写真が載っていました。一つは京都府・美山町の「かやぶきの里」の雪景色・・・一見、白川郷に見えませんか??? 白川郷にしては茅葺きの家が少し小さいですが・・・。それから映画「仕掛人・藤枝梅安」の全面広告の右下の写真・・・これですが・・・・八幡市の通称「流れ橋」なのですが・・・静岡県の大井川に架る蓬莱橋に似ています。この写真を見て、私は映画「男はつらいよ」で寅さんがすれ違った雲水に「女難の相がある」と言われた蓬莱橋のシーンを思い出してしまいました。
2023.02.04
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1/22のブログに、「君の名は」の第2部を見に行くべく家を出ながら京阪電車が人身事故でストップして、時間が間に合わず断念したことを書きましたが、今日が2回目で最後の上映日なので万障繰り合わせて???(本当は繰り合わせなければならない万障なんてないのですが)観に行って来ました。そもそもそこまでして何故観たかったのかと申しますと・・・・2014.10.24~26のブログに書いたことなのですが、その時君の名はの1~3部を観たとき、その第2部のロケ地の美幌峠・摩周湖・屈斜路湖・摩周岳などの印象が残っていたのですが、昨年7月の北海道登山でそれらの観光地に行ったものですから。もう一度映画復習?? したかったのです。去年の登山で眼に焼き付けて来た、それらの観光地の光景と昭和28年当時の光景の余りの違いにとてもとても同じ場所とはとても思えなかったのですが、この摩周湖と摩周岳(カムイヌプリ)の雄姿だけは全く変わっていない事が分かりました。(当たり前のことですが)ところでこの映画の出演者ですが、主役の佐田啓二、岸恵子、そして、望月優子、笠智衆、月丘夢路、淡路恵子、北原三枝、野添ひとみ、淡島千景、などそうそうたる面々は別にして日守新一、三井弘次、柳永二郎、須賀不二男、川喜多雄二などご存知の方は相応のご年齢と思いますが如何でしよう??
2020.01.25
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先日のことですが、京都文化博物館のこのミュシャ展へ行って来ました。 いつも当ブログに登場頂く「東の料理人」さんから招待券を郵便で送ってもらったのです。・・・とは言え、美術の世界には門外漢なので行くまでは「ミュシャ」についての知識はなかったのですが、没後80年の昔の人で、日本の画壇や漫画に大変な影響を与えた、その筋では凄い人らしく、凄い入学者の数でした。場内は勿論撮影禁止なのですが、このコーナーだけは撮影可だったのでみんなパチパチやっていました。日本の洋画界の藤島武二画伯と言えば、あの小磯良平など有名画家多数がその弟子に当たる重鎮ですが、その藤島画伯がこのミュシャの影響の下、画いたのが、この与謝野晶子の乱れ髪の表紙らしいです。この文化博物館は以前には会員になっていたので良く行ったし、フィルムシアターで昔の映画を良く観た事は何回も書きましたが、会員を止めてから行く機会がなかったのです。久しぶりにフィルムシアターで何を上演しているか見てみると・・・前に観た「君の名は」をまたやっているのです。前に1~3部全部見たのですが、昨年そのロケ地の北海道・美幌峠へ行ったので、もう一度観てみようかと思い、自分のブログで美幌峠が第何部のロケ地だったか調べると第2部でした。そんなことで第2部だけでも又観に行く気になって帰って来たのでした。美幌峠のブログ記事はここに。
2020.01.13
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涙ぐむ?? 映画なんて何年ぶりだったか・・・・この映画を観て来ました。 今までの旧作を見ないでこの映画を観てもピンとこ来ないと思いますが、寅さんの追っかけ? の身としましては各シーンで旧作のストーリイが思い出されて何本も映画を観た気分になれました。 私はこの寅さんのビデオを観るためにだけ置いているアナログのテレビデオで・・・ VHSのビデオを観るのですが、画面が小さく、悪いため、今日大きなスクリーンで見ると、感動ものでした。 マドンナもつい最近亡くなった八千草薫さん初め沢山の方が既に亡くなっており、おいちゃん、おばちゃん、御前様も今は亡く、懐かしい画面は涙ものでした。 映画はやはり劇場で見ないといけません。 手持ちのビデオを数えると36作で抜けているのもあるのですが綺麗な画面で見たい気もして、CDの販売を検索すると・・・全49作で79,750円とか。何かあぶく銭が入らないと手が出ません。 寅さんファンが多いので感想の書き込みも多いですが、ここにも。 感動した寅さんファンが多いです。
2020.01.07
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街を歩いていて、毎年恒例のこのポスターが目に留まりました。 祇園祭が終わり、精霊を迎える六道参り、そして精霊を送る五山の送り火・・と、いよいよ夏本番です。 そんなことを思いながら・・・やって来た猛暑の下、何もする気がせずミストを稼働させて、パラソルの下で・・・ 本を読んだり新聞を読んだりしていたのです。 シオカラトンボもやはり涼しい所が良いと、寄って来て、羽根を休める姿に癒されながら…・・ 過日、銀行で貰ったうちわを使っても、まだ暑さ対策は足らず・・・・ 遂に、昼の日なかから、ビールを飲み出したのですが・・・・・ シオカラトンボが寄って来て向かいの椅子に止まり動かないのです。 私が立ったり動作をすると飛びあがるのですが、又同じ位置に止まるのです。 まるで私とトンボがさしでビールを飲んでいるみたい光景になったのです。。 それで思ったのです。52年前に死んだビール好きの父親が帰って来たのではないかと。 お盆には早いし、迎え鐘も引いていないけど、この暑さに耐えきれず息子と一緒にビールを飲みに来たと思えて何かしんみりした気分になった、暑さの中のビールでした。 そしてふとアマゾンプライム会員の無料映画で高倉 健の映画『ホタル』を観られるのを思い出して夜になって観ました。 ご存知だと思いますが、特攻隊員がホタルになった帰って来るという映画です。 この場面と・・・ この場面にホタルが帰って来ます。 そもそもトンボを見て父が帰って来たという連想をしたのはこの映画に影響されての事かもしれません。
2019.07.29
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8/24のブログに京都文化博物館のフィルムシアターに映画『豚と軍艦』を見に行ったつもりが、日を間違って『彼女と彼』を見たことを書きました。フイルムシアターでは同じ映画を数日日を変えて2回上映することになっていて、今日8/27がその2度目の上映日でしたのでリベンジ(?) 鑑賞に行って来ました。沢山の昔の俳優を見られる事に加えて、今村昌平監督作品でもあるので、わざわざ2度も(?) 行ったのでですが・・・昭和736年頃の世相、汚い横須賀の街を観られたのは良いとしても内容はいまいちでした。出演していた沢山の懐かしい俳優の名前を24日のブログに列挙しましたが、それ以外に若い奈良岡朋子がちょい役で出ていて時の流れを感じました。そんなことで映画の事はさておき、真夏の昼下がりと少し日が陰った鴨川周辺の情景を・・・。酷暑の12時半頃、京阪電車の四条駅で地上に上がりますと・・・強い日差しも、暑さも何のその・・・四条大橋の上はこんなに人で溢れていました。しかし、さすが日差しが強い昼下がり、水面に近い座る場所も、営業していない床も・・・こんなに静かなものでした。人いっぱいの橋の上に対し、橋の下には悠然と動きもしないアオサギが・・・。以上は映画を見に行く前の光景でしたが・・・帰りの16時頃には、日が陰り、げんきんなもので昼とは違うこんな光景に変わっていました。床も営業開始に合わせて準備が行われていました。5月、9月には昼も営業しますが、6~8月は16時半や17時からの夜だけの営業です。所で、何度も取り上げています、歩道の拡幅工事で歩道の真ん中に残ってしまった沢山のこの障害物ですが・・・『今後』と言うどうにでも取れる言葉に守られて??? まだまだ健在(??)です。移設が早まるのでは歩行者が衝突して大けがの事故でも起こらないと・・・・と言うことでしようか。
2017.08.27
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7月初めの稚内・礼文・利尻旅行で『氷雪の門』を読もうと言う呼び起こされた件ですが・・・北海道から帰って直ぐ当市市立図書館に借りに行ったのですが、蔵書がなく、大阪府立図書館から借りて貰うべしで待っていたのですが、3週間以上経過して、やっと一昨日借りる事が出来ました。この本がないないと騒いだ時、神戸の図書館にあると調べて下さったジュラさん、いつもの後輩さん、ありがとうございました。借りた本がこれです。 昭和55年 (1980年) 発刊の本ですが、当時かなり読まれたのが、かなり損傷していました。一昨日夕方に借りて帰り、昨日読み始め、全236ページの本なのですが、一日で一気に読んでしまいました。 (目に負担がかかるといけないので、最近は読書もPCもかなりセーブしており、昨年入院時から読み出した吉川英治の新平家物語もかれこれ9ヶ月になるのに前12巻のうち、まだ6巻までしか読んでないのに・・・)今回の北海道旅行で行った、宗谷岬、ノシャップ岬、稚内駅等が小説の舞台で登場するので尚更感じるところが有り、お蔭で、第二次世界大戦終戦後のソ連軍の侵攻による樺太での悲劇をかなり詳しく知る事が出来ました。終戦時の沖縄の悲劇は今でもいつも問題になるのである程度の知識はありますが、同じ終戦時でも樺太の悲劇については、不戦条約を結んでいたソ連が、終戦後に侵攻して来たと言う歴史的な知識はありましたが、それほどの悲劇が有ったのかと今さらながら思い知らされました。ただ9人の電話交換手の事が、この小説の中の一部でしかないので、またまた調べてみますと、映画『氷雪の門』の原作は金子俊夫の『樺太一九四五年夏・樺太終戦記録』と言うものでした。早速、市立図書館、大阪府立図書館でその本を検索したのですが、見当たらず、さてさて・・・・。
2017.07.31
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今日はまたまた昭和13年の映画『愛染かつら』を見に行って来ました。主題歌・霧島昇の「旅の夜風」共々余りにも有名な映画ですが、看護婦と病院長の息子の悲恋と言う程度しか知らなかったものですから見たかったのです。(その後何度も映画化されていますが) ここには書かれていませんが過日書きました、桑野通子も出ていました。田中絹代は『山椒大夫』での安寿と厨子王の母親役 や『楢山節考』での捨てられる老婆役など老け役での印象が強かったのですが、昭和13年には本当に綺麗でした。 誕生年から逆算すると29才の時の映画でした。下の歌詞に比叡や加茂が出て来ますが、少しだけですが京都も舞台になっていたことも新発見でした。♪♪花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道 泣いてくれるな ほろほろ鳥よ 月の比叡(ひえい)を 一人行く 中略 加茂の河原に 秋長(た)けて 肌に夜風が 沁(し)みわたる おとこ柳が なに泣くものか 風に揺れるは 影ばかり ♪♪
2016.12.27
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突然長らく更新及び訪問を休みまして失礼しまし。オリンピックに近代五種と言う競技がありますが、私は体調悪く、薬五種の生活を余儀なくされてパソコン生活を休んでしまいました。お蔭さまで医者、病院通いはまだ続きますが、体調も回復してきましたので徐々にではありますが復帰させて頂きますのでよろしくお願いします。 今となっては、40年以上前に結婚で引退した、桑野みゆきと言う女優を憶えておられる、あるいは知っておられる方がどれだけおられるのかわかりませんが・・・当時は松竹の青春映画等で相当人気があり、わたしもフアンの一人で、かなりの出演映画を見たものでした。相手役は今は消息すら知りませんが山本豊三という俳優が多かったと記憶しています。その桑野みゆきは戦前の人気女優の桑野通子の子供だったことは知っていたのですが・・・私はその桑野通子と言う女優を見た事もなく、全く知りませんでした。 いつも行く京都文化館のフイルムシアターで三宅邦子の出演映画特集のパンレットを見ていて、その中の「兄とその妹」と言う映画に桑野通子という名前を発見したものですから、これは見に行かないとと行ってきました。 どの映画も自分がまだ生まれる前の昭和10年代前半のもので、当時の世相も見たい気もあったのです。昭和14年のこの映画、左がその桑野通子ですが、桑野みゆきをご存知の方は風貌がよく似ていることがお分かりかと思います。(佐分利信や三宅邦子は長く活躍されていたのでご存じの方は多いと思います) 桑野通子について詳しく知らないのも当然で1946年に31歳の若さで亡くなったことを初めて知りました。 話が変わりますますが・・・過日岡田准一の映画「海賊と呼ばれた男」と枚方パークの吊り下げ広告でカッコ良い写真ながら「やらされた男」のフレーズが書かれていましたが・・・ここです。この広告こそ・・・・ 正に「やらされた男」では??
2016.12.25
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昨日、いつもの京都府文化館のフィルムシアターにこの映画を観に行って来ました。昭和25年の作でヴェネチア映画祭でグランプリを獲得した有名な作品です。 確か、一度リバイバルで観た気がするのですが、内容が余り分からずはっきりした記憶が無いのでまた観に行ったのです。ところが、私にはまだすっきりと内容が理解出来なかったのです。映画を観て分からないならば、小説を読んでみようと、原作の芥川龍之介の『藪の中』が確か電子手帳に載っていた筈と探している内に私にとって、一大発見 (?)をしたのです。それは、真相が分からない時に言う『藪の中』の語源が、芥川龍之介のこの小説だったことが分かったのです。 私は全く知らなかったことで正に「目からうろこ」でした。そして、まだ出だしの少ししか読んでいないのですが・・・なるほど、そう言う事かと内容が大体分かったのです。逆に、もし私が映画を観る前にこの小説を読んでいたら、多分途中投げだしていたと思います。映画の画面との連想で出だしだけで内容がほぼ分かってしまったので読む必要もないとも言えるのですが、せっかくなので最後まで読もうと思っています。 映画の話題をもう一つ。 10/5に、話題の『後妻業の女』を観に行ったのですが・・・体調が悪かったので公開後かなりの日が経っていたのと平日だったこともあって・・・10分程前に会場に入ると・・・・客が誰もいないのです。無人の映画館で映画を観るなんて、何か気持ちが悪いと思っていたら・・・上映開始間際にパラパラと客が入って来てくれたのです。 ひとり、ふたり・・・と数えて行くと私等を含めて11人の客で映写が始まったのでした。内容はさることながら、やはりそこそこ客がいる方が良いと、つくづく思った映画鑑賞でした。
2016.10.10
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淀川長治のセリフではないですが・・・『(昔の) 映画って良いですね』今日はいつもの京都府文化館のフィルムシアターで、昭和32年公開の木下恵介監督のこの映画を観て来ました。(画像はグーグルからお借りしました) 若山彰の ♪♪俺ら岬の灯台守は・・・・♪♪ の歌でも有名で一世を風靡しましたので年配の方はかなりの方が観られたのではないかと思います。 私は公開の時、観ているのですが昭和32年と言えば58年前の映画です。若かりし頃の高峰秀子はきれいだったし、佐田啓二も素晴らしかったです。中村嘉葎雄が高校生役で出ているのですからその古さが分かります。佐田啓二・高峰秀子夫婦が赴任する、全国各地の灯台風景も良く、当時の世相も良く分かり・・・正に『(昔の) 映画って良いですね』・・・です。因みに画像はありませんが赴任地はここです。
2016.05.31
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京都文化博物館のフィルムシアターでは長らく観たい映画がなかったのですが、ここしばらく古い映画づいて「野菊の如き君なりき」「米」を観ましたが今日は・・・・三浦哲郎の1960年の芥川賞作品で1972年公開の映画「忍ぶ川」を観てきました。 1960年は私もまだ若かったので、この小説を当時に読んだとは思えないのですが、とに角読んだことがあるのです。読んだと言っても内容は余り憶えていなかったのですが、「雪国では寝る時は生まれたままの姿で寝る、それが温かい」と言う風なセリフだけは憶えていました。さて、映画ですがで、栗原小巻と加藤剛が主役の純愛ものですが、上のセリフからの必然性で若かりし頃の栗原小巻がヌードを演じていました。 今の時代に無い純愛ものの映画、観ている人は私のような老人ばかりではありましたが・・・若かりし頃の栗原小巻が綺麗で、可憐な演技で良かったです。・・・と言うことで、もう一度小説を読んで見ようと言う気が起こって来た次第です。 図書館に行かないと・・・。 映画を観に行く前の光景を2つ。都会のタケノコの産地発見です。 京都博物館前のホテルハイアットリージェンシーの前を通りますと・・・。こんな光景がありました。 向かいの博物館では開場前にこんな列が・・・私には余り興味が湧かないテーマですが・・・みなさん関心をもっておられる方が多い様です。
2016.04.30
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色々書くことが有りましたので、遅れてちょっと前の4/21のことを書きます。当日は雨でした。雨でもあり、観たいとマークしていた映画の上演日でしたので迷わず古い古い本当に古い映画を観に行きました。その映画はこれです。(写っている水滴はポスターに付いた雨粒です)先日書きました、『野菊の如き君なりき』は1955年の映画でしたが、この映画の1957年と言えば昭和32年です。そんな古い映画なのに、またまた私はこの映画も公開の時、観ているのです。一番左は誰か分かりませんが、その右へ南原伸二(後に 宏治)、江原真二郎、中原ひとみです。 配役の画面では江原真二郎の名前の横に新人と書かれていたのでその古さが分かります。霞ケ浦周辺の漁業と貧農がテーマの映画ですが、何分にも59年前のことですので憶えているシーンは少なかったですが、この映画の共演がきっかけで確か、江原真二郎と中原ひとみが結婚し、中村雅子と加藤嘉が結婚したことを憶えています。望月優子でもご存じない方も居られるかも知れませんが、中村雅子なんて言うと、それ誰?? と言う方の方が多いのではないかと思いますが如何でしようか?
2016.04.24
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『野菊の如き君なりき』と言ってもご存じの方は一部の方ではないかと思うのですが、それも当然、昭和30年、1955年の映画ですので61年前の映画と言うことになります。 (リメイク版などはあるようですが・・・)そんなに古いのですが、私にはずっと記憶に残っていた映画で今回上映されることを知って、絶対に観に行かないとと手帳に記していた映画なのです。小さい小さい子供の時、観たのですが殆ど内容も憶えていなかったのですが、『政夫さ~ん』という何回も出て来るセリフが凄く印象に残っていたことと・・・それから長い年月が経ち、寅さんフアンになり、葛飾柴又へ訪れること3回。 行くたびに帝釈天から程近い江戸川の矢切の渡しまで足を延ばし、対岸を見ながら・・・あの松戸が『野菊の如き君なりき』の里かと眺めていたのです。詳しくはここを。そんな期待で映画が始まると・・・何度も出て来る川が矢切の渡しの様な河口に近い穏やかな流れでなく浅い川で周りも山だらけ・・・。 おかしいなと思い後で調べると映画の設定は信州で、千曲川で撮影されていたのでした。場所の設定の違いはさておき、時代は明治時代、貧しい時代でありましたが、今の時代に比べ、何と良い時代だったと思いながら帰って来ました。その帰りですが・・・仏光寺の枝垂れ桜はまだ観られるかも・・・と思い足を延ばしたのですが・・・・ 幾ら遅めの枝垂れ桜とは言え、こんな状態でした。この緑のイチョウの木が黄色い時と見比べて下さい。ここです。
2016.04.13
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今日(4/1)は雨のため行動出来ないので家で燻っていようかと思っていたのです。ところが「いつもの後輩」さんが昨日のブログにこんなコメントをくれました。 『ところで「家族はつらいよ」見ました? 私の赤穂の友人からも、お薦めメールが入っていました。夫婦で見ろって・・・』 何度も観た小津安二郎監督の「東京物語」 近年観た山田洋二監督の「東京家族」に次ぐ今回の作品でもあり、「・・・はつらいよ」の題名からして観に行くことを決めていたのですが、忘れていたのです。これを見るのは雨の今日しか無いと急遽夫婦で観に行って来ました。雨の平日と言うこともあって、客は30人位でしたがアチコチからの笑い声が続く面白さで、特にお父さん役の橋爪功のオバー過ぎるかとも思える演技は秀逸でした。 老夫婦の結婚記念日、「何が欲しいと」と初めて妻に言った夫が「離婚届に判が欲しい」と言われるストーリィです。いつもの後輩さんが友人の方から『夫婦で観ろ・・・』と薦められた意味が分かる様な気がしたのですが・・・(笑) タイトルの転換ミスを修正しました。 班⇒判
2016.04.01
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昨日の続き、紅葉の話はちょっと後回しで後日とさせて頂き・・・・。今日は小津安二郎監督の『麦秋』を観てきました。1951年の作品ですから64年前の作品です。主演は原節子で他にはポスターに書かれている以外に写真の杉村春子、東山千栄子、関口宏のお父さんの佐野周二 等など懐かしい俳優が出ていました。おもしろのは『東京物語』で夫婦役だった笠智衆と東山千栄子が親子(東山千栄子が母)役だったことです。『東京物語』では笠智衆が老け役のためラストシーンでは背中に座布団を入れて背中が曲がった様に撮った話が有名ですが、東山千栄子の子供の役なら丁度でした。ストーリィ、俳優のことはさることながら、64年前の生活や家の様子、走っているのは外車ばかり等など様々な懐かし光景を観るのも楽しみのひとつですがさすが小津監督作品です。見た後はほのぼのとした気分にさしてくれました。・・・と言うことで映画は白黒の世界でしたが・・・帰りに紅葉の紅では無く、門の向こうの黄色が目に入りましたのでこの門をくぐって撮って来ました。お寺は町のど真ん中にありながら、観光とはほゞ縁が無く、桜の季節素晴らしい枝垂れ桜とこの季節の立派なイチョウの木で少しは訪れる人が増える仏光寺です。 黄色の絨毯がこんなに綺麗にが敷かれたようなのはなかなか珍しいと思います。人で溢れている四条通りから直ぐの所に、こんなに静かな、こんなに素晴らしい景色があるのに人影は疎らです。勿論ここも『無料』です。カメラを忘れて行きましたのでスマホで撮った写真なのですがカメラと遜色なく写っていました。(写真をスマホからパソコンへ送って、パソコンでブログ書いています)季節外れですが、仏光寺の枝垂れ桜と場所はここを。
2015.11.21
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東本願寺・ギンナンと来れば毎年の行動は・・・枳殻(きこく)邸のからたちの実の点検(??)です。去年、枳殻がからたちのことであることを知って一層からたちの実が気になる様になりました。枳殻邸は正式名は「渉成園( しょうせいえん)」なのですが京都人に「しょうせいえん」と言っても通じないことがあるのではと思う程、枳殻邸は枳殻邸なのです。その枳殻(からたち)を生垣として植えた ことから、「枳殻邸」と言われるようになったその生垣が ・・・白い花、青い実から金のたまに変わり季節季節に、丁度北原白秋のこの童謡の詩の世界を見せてくれるのですが・・・♪♪からたちの花が咲いたよ。 白い白い花が咲いたよ。からたちのとげはいたいよ。 青い青い針のとげだよ。からたちも秋はみのるよ。まろいまろい金のたまだよ・・・♪♪また島倉千代子の「からたち日記」もありますが去年も同じことを書いていますので今回は割愛します。前置きが長くなりましたが・・・その生垣がこれで・・・♪♪ 棘が痛いよ ♪♪ の詩の通り、それはそれは鋭い棘に、まろいまろい金のたまが生っていました。去年は探す位だったのですが、今年は『豊作』年のようでいっぱい生っていました。生っている実を採る分けに行かずも去年も眺めるだけだったのですが・・・今年は道に落ちていたのです。落ちているものは貰っても良いかと一つ貰って帰ったのですが・・・ネットで調べて見ると・・・食べることも、果汁を搾ることも・・・不味くって駄目、ただ、毒ではないので、興味があれば試食も可、なんて書いてあるものですから、そのままゴミ袋へ・・・と、 相なりました。不味い果実に鋭いトゲでは野鳥も人も関心を示さないのは、さもありなんと納得でした。ギンナンの実とからたちの実のことは程ほどに次に出かけたのが、いつもの京都文化館フィルムシアターです。ギンナンは幾らビニール袋で密閉しても臭うので、一旦隠れ家に持ち帰り・・・出直ししました。観に行ったのは、1955年ですから丁度60年前のこの映画です。カラーではありますが。色が退色して赤っぽい画面でした。当ブログに良く登場する、観光地、史跡はこの時代のものものが多く、吉川英治の小説も読んでから40年以上経っているので、おさらいののために観たかったのです。上の写真ちょっと見難いですが、後ろが若かりし頃の市川雷蔵です。 林成年はご存じでしょうか?? 長谷川一夫の息子さんです。映画は雷蔵扮する清盛がまだ若く、台頭する前で終わりでしたので、もう一度新平家物語を読み直して見ようなんて気になってはいるのですが、何分にも確か10冊以上の長編小説ですので、 さてどうなりますやら???
2015.10.05
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連日の四条河原町方面へ出ることが続いています。台風が来ると言うことで、一昨日に四条での所要を済ませ、昨日(8/25)は台風に閉じ込められると思っていたのですが・・・九州方面の方には悪いですが、台風が予報の最も西ルートを通るため大した風も吹かないだろうと行動を開始しました。年会費を払っていながら暫く行っていなかった京都府立文化館のフィルムシアターの65年前のこの映画を観る為でした。出演者に3人の名前が出ていますが、写真の左は信欣三で、右は沼田曜一です。(これら5人の名優をご存知の方はもう少ないのでしょうね)ウィキペデイア に依りますと・・・『きけ わだつみのこえ』とは第二次世界大戦末期戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集でその映画化されたものです。名前の由来は・・・学徒兵の遺稿を出版する際に、全国から書名を公募し、応募のあった約2千通の中から京都府在住の藤谷多喜雄のものが採用された。藤谷のそもそもの応募作は「はてしなきわだつみ」であったが、それに添えて応募用紙に「なげけるか いかれるか/はたもだせるか/きけ はてしなきわだつみのこえ」という短歌を添付した。なお、この詩は同書の巻頭に記載されている。 「わだつみ」は海神を意味する日本の古語である。現在「わだつみ」は戦没学生をあらわす普通名詞のように使われる他の上映予定映画はこの通りなのですが・・・・『加藤隼戦闘隊』は戦中映画で余りにも古く、『私は貝になりたい』はテレビで観て強烈な印象としてまだはっきり憶えているため除外して、『きけ わだつみのこえ』は必ず見る、そして他の映画も観に行けるものは観ようと思っていたのでした。内容は戦争末期、学徒動員された兵隊らがビルマで敗退する時の悲惨なドラマでした。 この映画の上演開始が13:30であるため、それに合わせ一人の閑人さんとランチをしたのですが・・・その時テレビでやっていたものを買ったと『蚊よけ匂袋』なるものを見せてもらったのです。何でも「買いに行くと売り切れで日を改めて朝一番に買いに行ってやっと手に入れた、買いに行っても無いかも」なんて言うものですから「蚊のシーズンもそろそろ終わりなのであるだろう」と言って映画の帰りにここに寄ったのです。・・・すると、やはり予想通り品切れもなく売っていたので真似して買いました。 これで、価格は1080円です。ビニール袋に入ってるのですが、出してみると良い匂いなのですが強烈なのです。家にいる時は身につけていたら心地よいのですが、リュックなどに付けて電車に乗ったらどんな目で見られるか・・・私はとてもとても良い匂いと思うのですが・・・人それぞれ、とても付けて電車には乗れない代物です。
2015.08.26
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6/27のブログで映画を観に行ったと書きました。 すると私の日頃見る映画の傾向から見に行った映画を『閑人さんが見に行く予定だった映画は「愛を積むひと」ではないでしょうか?』とのコメントを貰いましが外れていました。私が観に行ったのは今から54年前の1961年公開のこの映画でした。月次に送って来る会報に載っている1ケ月間の上演予定映画を見ても今月も見る映画はないと思っていたのですが、紹介されている映画のあらすじを何気なく見ていると・・・・この映画で錦之助演じる主人公が徳川家康の長男で若くして信長の命で家康に切腹を命じられた『信康』だったのです。 その名前が信長の『信』と家康の『康』からの命名だったにも拘らず。家康がまだ力が無く、信長の庇護で懸命に生き残ろうとしていた時でしたので信長の命令は絶対だったのです。 信康は信長の娘を正室に迎えていた反面、信長の天敵今川家の娘を母に持つ身が悲劇の始まりで信長が謀反の疑いを持った故の切腹の命令でした。・・・こんなことを先日読んだと書きました『峠越え』で読んでいたものですから、これは観なければと、忙しい(????)予定を急遽変更して観に行ったのでした。若い若い錦之助の姿を見るのは久しぶりでしたがやはり輝いていました。因みに前にも書いたことありますがその輝いていた頃、我が隠れ家の近くに住んでいて、その家の門前にはいつも女の子がたむろしていたものでした。(その跡地は今、京都女子大の校舎が建っています。それだけ敷地が広かったのです)と言うことで小説『峠越え』から映画『反逆児』に展開しまして今は『峠越え』の作者の別の小説を読んでいます。
2015.07.03
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映画は時々見ますが2日連続観たということは記憶に無いほど絶えて久しくないのですが、その2日連続映画鑑賞をして来ました。まず5/1に観たのが北野武監督のこの映画です。北野武監督の映画は確か1本(名前を忘れましたが)位で殆ど観ていないのですが、この映画、映画好きなブロ友の方のお二人が面白いと推薦されていたので、ならば観ないと・・・と行って来ました。大変な人気で大入りと聞いていたので朝一番に見ようと9:30上演開始を見に行ったのですが、さすが平日の朝9:30、それでも50人位の入りでした。北野監督独特のどぎつい映画ではなく、ベテラン俳優が真剣に演じるところに笑いがあるという風で面白い映画でした。詳しくはチャオリンさんが詳しく書いておられるここを見て下さい。 そして翌日の昨日5/2はいつものフィルムシアターです。 今月は市川崑監督の特集月でこの日は谷崎潤一郎の『鍵』でした。市川崑監督の映画なら観たいと思って上演予定を見ると「炎上」も「こころ」も「ビルマの竪琴」も「破戒」もここで見てしまっているので、観たい映画で残っているのはこの「鍵」と「野火」位でしたので慌てて観に行ったと言うところです。主演は先代雁治郎、京マチ子、仲代達矢、叶順子だったのですが何分にも56年前の昭和34年の映画ですのでみんなみんなお若いことお若いこと。それから京都が舞台でしたので当時の京都の町並み、市電、そして当時のテレビの形など観られたのも面白かったです。 詳しくはここそれとカラー映画なのですが退色していて赤っぽいモノクロ映画と言う風で昔のカラー技術のレベルを垣間見た気がしました。 次は野火(船越英二主演)を観に行くつもりですがどうなりますやら・・・。
2015.05.02
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私がまだ若く、映画が華やかなりし頃には同じ日に2回とか、連日映画をることもありましたが、そんなことが絶えて久しくなった今、15.16日に2日連続で映画を観てきました。と言いますのは・・・67年前のこんな映画の比較をしようと思ったのです。昭和26年に同じ原作(獅子文六作の自由学校)を映画会社2社が映画化して同時に公開したと言うのです。1本のスタッフ及び配役は・・・もう1本は・・・・この2本の映画を観る前には、同じ小説でも脚本が違えばかなり違う映画になっている筈、そこを観たい気持ちだったのですが脚本までそっくりで役者こそ違え同じ映画を観ている様でした。 同時公開なのでどちらかが真似たと言うことは絶対にないし、脚本家も巨匠ですし・・・ (当たり前と言えば当たり前なのでしょうが)観た収穫と言えば昔懐かしい俳優(しかも若い時の)を沢山観られたことと、戦後のまだ復興していない町並み風俗を沢山見られたと言う程度でした。 所で話が変わりますが、15日のテレビで観月ありさ主演の『出入り禁止の女』と言う番組がありました。 私は見ていなかったので内容は知らないのですが、ちらっと見た時の画面がいつも行く上の映画を上演している京都府文化館の中庭で撮影しているのに気づきました。昨日(1/16)上の映画を見に行きましたので撮って来たのですが・・・ここです。旧館と新館を結ぶ中庭で、このレンガ造りの建物は旧館で昔の日本銀行京都支店の建物なのです。 銀行と言えば大きな金庫が必要です。ましてや日本銀行の支店ですから・・・上の写真の反対側には以前も中でコーヒー飲んで紹介したことがあるこの喫茶店ですが・・・このドアーの厚みを見て下さい。なぜこんなにドアーが厚いのか?それは昔の金庫が今は喫茶店になって居るのからです。勿論壁も強固で厚いのでしょう。場所柄ちょっと目立たないためか、2年程前に経営者が代わって店の名前も変わりましたが・・・。・・・と言うことで『出入り禁止の女』は京都が舞台のドラマの様ですのでこれからは見ようと思います。多分、沢口靖子の『科捜研の女』と同じ時間帯のものなので京都府警に設定されているビルも同じビルになるのでは・・・と思うのですが・・・
2015.01.17
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今日も『君の名和は』を観て、これで全三巻6時間余の映画を制覇しました。実は私は結末を知らなかったのですが、佐田啓二扮する後宮春樹と岸恵子扮する氏家真知子の二人のハッピーな将来を暗示する結末でしたので観終わったあとの気分は良かったです。 ロケ地は昨日書きました雲仙と阿蘇でしたが両方とももくもくと煙を吐く画面で、御嶽山を思い出させる風景でしたがモノクロのため迫力は感じられませんでした。 ところで『真知子巻き』のことなのですがウイキィペディアに依りますと・・・氏家真知子のストールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれて女性の間で流行した。これは、主演の岸惠子が北海道での撮影の合間に、現地のあまりの寒さに横浜で購入して持参していた私物のストールを肩からぐるりと一周させて耳や頭をくるんでいたことによる。この姿はカメラが回っている時にも使われることになり、「真知子巻き」が誕生した。(真知子と春樹が出会い、再会した数寄屋橋のシーンでしていたとされるが、それは間違いである。)そうなんです。数寄屋橋でなく、 ♪♪粉雪舞い散る美幌の駅で♪♪ でだったのです。それからメロドラマの原型と言うことについてこうも書かれています。 真知子と春樹が再会しそうになる(半年ごとの数寄屋橋での待ち合わせなど)が、不都合が起きてなかなか会うことができない。この「会えそうで会えない」という事態が何度も繰り返された。これは後の恋愛ドラマでもよく見られる描写(演出)であり、本作はこのパターンの典型にして古典となっている。 所でフィルムシアターの下の売店で色々京都の美術的なみやげを売っているのですが、そこにこんな一筆便箋を売っていました。 鳥獣戯画と言えば待ち時間が気になって前を通ると必ず見る癖がついてしまったのですが、昨日の土曜日10:30は 今日の日曜日11:10は 土日はとても見られるような雰囲気ではないようです。
2014.10.26
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昨日の続き『君の名は』を夜の部で観て来ました。まず最初に裕次郎夫人の北原三枝さんが娘役、しかもアイヌの娘役で出ていたのですが、そのことだけでも映画の古さがお分かり頂けると思います。そして、私は長年(今も)渥美清の『男はつらいよ』 のフアンなのですが、あの映画の売りのひとつが全国各地をロケ地としていたことです。さて、この『君の名は』 はその元祖の様で 一部では佐渡、志摩がロケ地になっていたのですが今回の2部では北海道の美幌駅、美幌峠、屈斜路湖でロケが行われており、3部では雲仙等が舞台になります。横道に逸れますが高校の修学旅行で雲仙に行ったとき確かこの映画のロケが行われたと言う石碑だったか立札だったかがあったことを憶えています。 さてタイトルの事なのですが♪♪ 粉雪舞い散る小樽の駅で・・・♪♪ では無いですが、網走や、女満別空港近くの美幌駅で粉雪舞い散るホームで佐田啓二と岸恵子が別れる場面があったのです。ホームでのSLのガラスを下に下して開く窓越しの分かれの場面でついつい ♪♪ 粉雪舞い散る小樽の駅で・・・♪♪ を思い浮かべました。その美幌駅は木造平屋建てで石炭暖房の煙が出ているちっぽけな駅だったのですが・・・廃線になった線が多い北海道の事ですので、今もこの駅があるのかとネットで検索しますと何と何と こんな駅になっていたのでびっくりです。 これでは真知子巻の岸恵子と佐田啓二の二人の涙の別れも絵になりません。 昨日ほど感動はなかったのですが 明日も行こうと思うに至りました。
2014.10.25
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1.「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」このセリフは相当のご年配の方でないとご存知ではないかと思いますが、知っている方は強烈な印象をお持ちではないかと思います 2. ♪♪ 君の名はとたずねしし人あり その人の名も知らず 今日砂山にただひとり来て 浜昼顔にきいてみる ♪♪この歌と・・・ 3. 真知子巻 この言葉まで・・・聞くと殆どの方がお分かり頂けると思いますが、昔銭湯の女湯 が空になったと言う伝説のラジオドラマ『君の名は』が映画化され大ヒットとしました。 私は小さい子供の頃、ラジオ放送の時の歌とハモンドオルガン(?)の音色が記憶にあり大体のストーリ-も知っているのですが映画は観たことがなかったのです。 その映画の3部作が公開されると言うのでいつものこの・・・・京都文化館のフィルムシアターに行って来ました。 実は10/21~10/23に第1部から3部までが毎日1部ずつ上演されていたのですが、多分大変な人だろうと思い、それらの日は避け、2回目の10/24~10/26の公開の内の10/24上演の第1部だけ観れば良い、という気持ちで今日行ったのです。 行ってみると・・・予想に反してガラガラで見たところ40人弱の客で拍子抜けでした。 いくらあの『君の名は』と言ってももう遠い遠い昔の話になったのだと、改めて自分の齢を思い知らされました。 映画は佐田啓二と岸恵子が主演であることは余りにも有名ですが、他の脇もそうそうたるメンバーで、今では考えられないような涙とすれ違いのメロドラマでなかなか面白かったのです。そんなことで1部だけ観るつもりだったのですが・・・・明日の2部も見る気になりました。ただ昼の部は予定があって行けないので5時からの夜の部になって困るのですが・・・。
2014.10.24
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今日はゴルフ仲間とゴルフでネタが無い為ここ2~3日のブログネタふたつです。 先日、吉永小百合初プロデュース映画として 今話題のこの映画を観て来ました。ほのぼのとして気楽には観られましたが、おとぎ話のようで、ただ観ただけと言うのが実感でした。 ただ平日ではありましたが大きな劇場に40~50 人の観客数でした。 ただ、千葉県での撮影現場が気になりましたので検索してみると・・・同じように関心のある人が多いと見えて沢山の記事がありましたがここが一番分かり易かったです。間違いなく 観光地になるのでしょう。 対照的に・・・昨日の妙法院 での文化講座が終わり帰路博物館の前を通りますと・・・何か待ち時間ばかり気になってついつい見てしまうのですが・・・15時50分頃でしたがこんな状態でした。 これは私が見た中で最長の待ち時間です。
2014.10.20
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昨日発注したばかりの『赤い椿の花』のDVDが早や届き、もう観てしまいました。 小説は長編なのに映画は短く纏めてあるので何か物足りなさを感じましたが、小説を読んだばかりですの映画で表現していること以上のことが分かり見易かったです。それと小説では地名が架空のものなので分かり難いと書きましたが、映画では地図通りの地名でしたので余計に理解し易かったです。 さて映画は『赤い椿の花』ではなくこの様になっていまして・・・ 先日書きましたが私には主役が倍賞千恵子とばかり思っていましたがこの様に・・・主役は有馬稲子でした。 50年余前、まだ青春真っ盛りの時に観た映画なので今見て、憶えている場面は極一部でした。その一部が足摺岬灯台のこの景色であり・・・ 八十八ケ所のお遍路さんが歩く景色であり・・・ 分かり難いですが断崖絶壁に作られて・・・ クライマックスにバスが転落するこんな難路の景色でした。 未舗装でガードレールもなく今では考えられない光景です。 紆余曲折を経て結婚の約束をしたばかりの、この二人がバスで断崖から転落し・・・ 佐田啓二扮する運転手が死に、倍賞千恵子扮するバスガイドが助かるという結末です。 この映画で交通事故で死んだ役の佐田啓二が奇しくも実生活でも2年程のちに交通事故で亡くなりました。
2014.09.12
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9/8のブログに書きました、田宮虎彦の『赤い椿の花』を今朝深夜に全部読み終えることが出来ました。この小説を読んで、その後映画を観たものと思っていたのですが、この度読み進んでいっても小説の詳しい部分が蘇って来ないのです。何と言いましてもこんな昔の本ですから仕方がないと言えば仕方無いのですが・・・。 50余年前の記憶は頼り無いもので映画は観たけれど小説は読んで詳しい内容を忘れたのかも知れませんがひょっとすると読んでいなかったのかもなんて思うに至りました。しかも、小説の中に出てくる地名が実際の地名なら分かり易いのですが、全て架空の地名になっているの為登場する場所がイメージ出来ませんので、調べました。小説に出てくる難所でバス転落事故が起こる問題の峠が小説では菅多峠となっているのですが実際は伊豆田峠であることが分かりました。その伊豆田峠を調べて見ますと・・・・ ネットにいろいろ記載があり、またまた伊豆田峠の深みにはまってしまいました。 今度、元の会社の仲間と高知に行くとき是非ここを訪れたいと人のブログのコピーをとったのがこれです。 今から思えば・・・若い時『伊豆の踊子』を読んで天城峠のトンネルを訪れたことがあるのですが正にそんなトンネルで、しかも同時期にこの映画を観たり、伊豆の踊子に憧れ天城へ行っていたのです。 そして色々調べていますと・・50余年前に私が観たこの小説の映画のDVDがアマゾンで売られていることが分かりましたので早速購入手続きをしました。 1,786円でした。私はこの映画の女優は若かりし頃の倍賞千恵子の印象ばかりだったのですが、写真のように有馬稲の方が主役だったようです既ににスターだつた有馬稲子とまだ新人の倍賞千恵子との扱いの違いでもあるのでしよう。脚本が新藤兼人と言うのもまた良しです。
2014.09.11
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立山連峰の大汝山の山小屋(正式には休憩所)が舞台の映画『春を背負って』を観て来ました。大汝山はまだ現役だった確か14年前に剣岳から立山に縦走した時に通った山なのですが、写真の小屋の記憶が全然ないのです。泊まっていれば憶えているとは思うのですが・・・・。映画はシーズンに入る前のまだ一面雪の景色が多く、遠景は別にして、私が登った夏山とは違う世界が舞台でした。主役の山小屋の3人に松山ケンイチと豊川悦司、蒼井優が出ていましたが3人それぞれに良い味を出していた気がしました。と言う事で映画を観ての帰り・・・・ついついリュックを買ってしまいました。右がお役御免の古い方で、左が新しく買ったリュックでいずれも30リッターで一番出番の多いサイズです。偶然とは恐ろしいものでこのリュックを買った後携帯にメールが入りました。もともと6/27~6/28に一泊二日で予定していた登山を週末の天気が芳しくないので6/24~25に変更しても良いかとのことでした。勿論私はOKで変更になったのですがお一人が都合悪く、5人で行く予定のところ 繰り上げて4人で行くことになりました。行き先は滋賀県湖北の2座、ここが新しいリュックの使い初めの山となります。
2014.06.23
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いつものフィルムシアターで50年前のこの映画『甘い汗』を観て来ました。今月の上演映画一覧を貰った時から写真右の往年の青春スター 桑野みゆき の出ているこの映画に狙いをつけていたのです。今となっては 『知ってる人は知っている』 女優さんですが、私には『知ってる人は知っている』 以上に印象に残っている女優さんなのです。結婚を機にすっぱりと芸能界から消えられたので、その後見る機会が無かったのです。(リバイバルで数回は見たことがありますが・・・)この女優をご存知の方は 『相応の年齢』 と 『相当の映画好きで』 有った方かと思いますが如何でしようか?? 映画を見に行って知ったのですが 本作は中井貴一さんのお父さんの佐田啓二さんがあと7カットの撮影を残したところで交通事故で急逝、遺作となった映画でした。
2014.05.27
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昨日京都府文化館のフィルムシアターで木下恵介監督の『楢山節考』を観て来ました。50年以上前の映画で観てはいないのですが、高橋貞二演じる息子が田中絹代演じる母を背負って捨てに行くシーンを看板か何かで見てずっと忘れられなかった映画だったのです。と言う事で、前から観たかったのですが、いつものシアターで上演していると言うのでラッキーと行って来たのですが偶然にも同じ日のプロ友の遊行爺さんのブログにその場面がアップされていたのです。その画面がこれなのですが・・・・(遊行爺さんのブログのコピーです)内容は勿論ご存知の事と思いますが…貧しい村で口減らしの為70歳になればお山に捨てられる(楢山参り)のですが、捨てる息子が躊躇し、母が捨てられる事を望み、早く捨てるように急がすという話です。母を田中絹代、息子を高橋貞二、後妻を望月優子が演じていたのですがこの3人(中でも高橋貞二)を良くご存知の方は相当のご年配と思いますが???後に今村昌平監督で緒方拳、坂本スミ子主演で再映画化されましたが、私の中では高橋貞二と田中絹代でしか考えられませんのです。 このシアターいつも老人ばかりで、よく空いているのですが、何と言ってもこのテーマです。満席に近い盛況でした。みんな自分の事に置き換えて身につまされたと事だと思います。 昔の70才、今の70才・・・・社会保障費・・・・・いろいろ考えさせられることばかりです。
2014.05.16
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山田洋次監督作品の『小さいおうち』を観て来ました。山田洋次監督の映画はほぼ全て、『男はつらいよ』に至っては劇場で、ビデオで1作で数回観ている程なのですが・・・今回上演のこの映画に限っては内容も知らずあまり興味が無かったのです。ところが、いつもお伺いしている『ちゃおりんさんのブログ』で絶賛されているのを見て直ちに観に行って来たのですが、さすが山田監督素晴らしい映画でした。私としましては全く知らなかった黒木華(ハルと読むらしいです)と言う俳優の素晴らしさを引っ張り出した山田監督にさすがと言いたいことだけを書いて、映画全ての良さは・・・上手く書けませんので、もし関心が有ればちゃおりんさんのブログ゛に詳しく書かれています。 全く別の事ですが、昨日載せました絵画調に変換した画像の加工前の画像は次の通りですので対比願えれば幸甚です。(加工前の画像もカメラに残っているのです)
2014.01.28
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またまた京都文化館のフィルムシアターに行って来ました。今回は何と約60年前の映画で志村喬主演の 『生きる』 でした。志村喬を論ずる中では必ず出て来るこの映画が見られるとは思わなかったのですがさすがフィルムシアターです。小田切みき、日守新一、ご存知でしようか?? 上の映画には先日亡くなった淡路恵子さんの名前も有りますが近々『淡路恵子作品特集』が計画されるかもしれません。志村喬の代表作でガンで余命がいくばくもない男の切迫感ある演技が素晴らしくまたまた昔の映画は良かったなあ!!! また見に来ようと思いました。ついでに同じ場所で行われている京都府福知山市出身のこの方の絵も見て来ました。大きな沢山の絵が展示されていましたがこのポスターの写真が晩年の代表作らしいのですが圧倒されるような素晴らしい絵でした。(この写真では分かりませんが) それから・・・・昨日の火鉢の記事について『衝撃を受けたこと』を書き忘れたことがありました。それは若い人から『灰は何処で売っているのですか』という質問が有ったことです。昔は飲水は蛇口で・・・が今は買う時代だから当然と言えば当然かも知れませんが、灰も買う時代か・・・ところで何処で売っているのか?? 私には見当もつきませんでした。みなさん灰は何処で売っているかご存知ですか??? 知っている人は知っているものです。 参加者のひとりの方からの答えは・・・・。茶道用品の店で売っているらしいです。(但し未確認情報では有りますが・・・)
2014.01.16
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12/12(土)に久しぶりの京都府文化博物館のフィルムシアターで島崎藤村の『破戒』を観て来ました。と言いますのは、今月は池部良の特集で・・・ 今回の主人公:瀬川丑松役を池部良、監督は木下恵介の作品だったのですが・・・ 確か今年の初めか昨年末に、同じくこのシアターで、瀬川丑松役:市川雷蔵、監督:市川崑昆の同じ作品を見ましたので両巨匠の映画を『比較』しようとしたのです。木下恵介作品は昭和23年、市川昆作品は昭和37年のもので両方ともモノクロでしたが、戒めを破るに至る主人公の内面的な葛藤の表現等に私は市川雷蔵の演技と市川崑監督の演出に軍配を上げました。因みに前に書きましたが上の紹介作品の中で、暗夜行路も雪国も以前当シアターで観た時、池部良の演技には何か物足りなさを感じていたのですが・・・。
2013.12.16
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マネーロンダリングではないですが、昨年少しだけ中国製ニンニクを国産にロンダリング(?)するテストをやったことを書きました。そのテスト結果に味を占め、今年は中国製ニンニク2塊をばらして植えたのですが・・・・こんなに成長してきました。 これで1塊分で別の場所にもう1塊分植えています。来年には2塊分が(哀しいかな素人の手では多少小さいものしか出来ませんが) 10倍の約20塊に増え、中国産から日本産にロンダリング出来る予定なのですが・・・。
2013.10.29
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京都文化博物館のフィルムシアターで今高峰秀子主演の映画特集をしています。先日『カルメン故郷に帰る』も見たのですが、今日は『二十四の瞳』を観てきました。 『カルメン・・・』の時はガラガラだったのですが、今日はさすが名作、ほぼ満席でした。この映画は他に樫山文枝等でも何回か映画化されたので観られた方は多いと思いますが、私は初めてでした。155分と長い映画でしたが(勿論筋書きは知っていのですが)・・・・ 自分の子供の頃の事と重ね合わせ感動、感動であっと言う間に終わってしまいました。と言いますのは60年以上前、私が小学校1年2年の時の担任の先生がこの映画と同様、学校を卒業して初めて先生になられたところで、私らは初めて教え子だったのです。 この写真(敢えてぼかしています)がその2年の時東福寺へ遠足に行った時の写真なのですが・・・・ この映画で大きくなった教え子が先生と会う感動のシーンがあったのですが・・・ 私も映画同様、2年ほど前この写真の中の4人(男女各2人)で、今明石にお住まいのこの先生をお訪ねした事が有ったのでした。(そのことは確か当ブログにも書きましたが) 映画と違うところは映画では小学生時代が戦前昭和のひと桁の時で、戦争で24の瞳の内6つの瞳が戦死、2つの瞳が盲目にと言う過酷な時代の事でしたが、私らは日本が苦しかったとは言え終戦後のことで比較になりません。それにしても昔の先生は偉かった、昔の子供は偉かった、昔の人は偉かった・・・・とてもとても私らの時代とは比べ物にならない過酷な時代の映画でした。
2013.09.11
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いつも行く京都文化博物館のフィルムシアターで6月は過日亡くなった名優三国連太郎さん出演映画の特集が行われています。 その中でどうしても観たい映画『ビルマの竪琴』を見てきました。昭和31年に作られたこの映画を子供の頃観たのですが・・・ 太平洋戦争敗戦で捕虜になった日本兵の一人水島上等兵が現地で戦死した日本兵を弔うため、僧になって仲間の一緒に帰ろうと言う説得を拒否して現地に残るという筋書きです。その中で仲間がインコウに「おーい水島、いっしょに、日本へ帰ろう ! !」と言うセリフを憶えさせ水島上等兵に一緒に帰国することを促すのですが現地に留まるのでした。 僧になった安井昌二扮する水島上等兵が肩にインコウを載せて日本へ帰る仲間を見送るシーンと「おーい水島、いっしょに、日本へ帰ろう ! !」言うセリフが未だに印象に残っていたので、どうしても、もう一度観かったのです。 (隊長が三国連太郎であったことはこの催しを知るまで記憶に有りませんでした) いつもは空いている映画館なのですが、多分人が多いはずと思い上演25分前に行ったのですが・・・・予想通り既に殆どの席が埋まり、開始の時には約160席満席でした。観客はみんなシルバーで多分兵隊の経験のある人や私のように昔観た映画をもう一度と言う人が殆どで、三国連太郎を目当てに来た人は極少なかったのではと言うのが私の推測ですが・・・・。さすが、子供の頃観たのに未だに印象に残っている映画、本当に良かったです。 三国連太郎の追悼とは別次元の映画鑑賞とはなりましたが・・・・。 その後確か、中井貴一の水島上等兵役で再映画化がされたはずですが、安井昌二の水島上等兵以外は考えられず観ませんでした。
2013.06.12
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今日は朝早くからゴルフでした。いつもでしたら滋賀県三重県など東方面のゴルフ場に行くところなのですが、5/5のブログに書きました通り大山崎から丹波へ向かう京都第二外環状道路の延長が完成しましたので、試しに西(京都・丹波町)へ向かって行ってきました。 高速道路の威力は大きく一般道なら2時間はかかろうと言うところへ1時間余りで行くことが出来ました。 ということで今日は書くことがありませんので3日程前の話題を・・・・・・タイトルに書きましたロケハンとはご存じの通り、『ロケーションハンティング』の略で、場面に合うロケ地を探しに行くこと』なのですが・・・・過日隠れ家にいる時、某映画会社製作の人がやって来ました。 現在テレビ放映中の京都が舞台の刑事ものドラマの最終回のロケを近所の家並みで行いたいとのことでした。 そのご近所の家並みはこんな風景なのですが・・・・・(敢えてぼかしています) 周辺の写真を持ち帰り、最終的には監督が場所を決定しますが、撮影する時はよろしくとのことでした。 今までにも数回ロケに使われたことがあるのですが、来ると言いながら来なかったこともありました。 今回もどうなるか分かりませんので、ドラマのタイトルと内容、ロケに来る俳優が誰かは聞いたのですがここでは触れません。 もしロケに来ましたらその時詳しく報告しますのでテレビ放映時に観て頂ければと思います。
2013.05.10
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大それたタイトルを書きましたが・・・・・。 どちらも京都文化博物館で開催されている『インカ帝国展』と映画『雪国』を見てきました。インカ帝国のことはさることながら、到底行くことが出来ないマチュピチュを見たかったのです。 いろいろの展示物があったのですが、パンフレットの右端の部分をアップしますと・・・3Dで映画並みの大画面は・・・・ 空撮主体の大迫力のマチュピチュを堪能出来る素晴らしいものでした。 一度は見たいが実現出来ない夢の世界を見られて大満足でした。 そして同じ建物内のシアターで観た映画がこれです。(というよりこの映画の上演日に合わしてインカ展に行ったのですが) 『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった・・・・』 にあこがれ以前に湯沢に行った時、沢山ある日帰り温泉の中から躊躇せず選んで行ったのが『駒子の湯』 でしたが、映画の方は小説のイメージとはちょっと違いがっかりでした。 (雪国の描写はすごかったですが・・・・) 撮影できるスチール写真が無かったので紹介出来ないのですが・・・昭和32年の映画ですので、岸恵子、池部良、八千草薫の若さを想像してみて下さい。 あの森繁久弥がまだチョイ役で出ていたのでもその古さが分かります。
2013.04.28
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テレビのまだない時代、ラジオに花菱アチャコの 『おとうさんはお人好し』 と言う超人気番組が有ったこと、映画化されたことをお知りの方は相当の年齢の方だと思いますが・・・・・。その懐かしいアチャコの映画を見てきました。 子だくさんのお父さんが13人の子供に東海道線の駅の名前の一字を使う名前を付けているドタバタ映画ですが懐かしくもあり久しぶりに笑う映画を観てきました。(子供の時観た記憶がある映画なのです) 出演者もこの様に懐かしい顔ぶれで、他に初音礼子、宇津井健のテレビドラマ、ザ・ガードマンにも出ていた井沢一郎なども出ていました。 ついでに京都の桜の開花状況報告ですが・・・・ 帰りの木屋町では固かった桜もやっとこの様に咲き始めていました。
2013.03.27
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沢山のブロ友の方が観られた『東京家族』を私も観てきました。 内容はみなさん御承知で触れませんが、珍しく夫婦で観に行ったのですが、家内が年齢の設定がおかしい言っています。と言いますのもお母さん役の吉行和子の年齢が68歳の設定なのですが、しゃべり方、歩き方、立ち振る舞いが『年寄り』過ぎて78歳でももっと若々しいと言うのです。 (因みに家内は68歳にはなっていません)私も男の立場で見た橋爪功の方も年齢設定は分かりませんでしたが、歩き方なども老人過ぎる程『老人』的に見えました。 ところで入口に出演者の全く違う『東京家族』のポスターが貼ってあり??????と思いよくよく見ると・・・・南座で新派で行われる公演のものでした。
2013.02.08
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またまた映画のことで恐縮ですが、吉永小百合の『キューポラのある街』を初めて見てきました。 昔から有名な映画であること、吉永小百合主演と言うことでいつもは空いている約170人余の座席の会場も今日は満席に近い状態でした。 51年前の画面の世相は、白黒テレビの画面に先日亡くなった横綱大鵬の相撲、植木等のスーダラ節、在日朝鮮人の方の北朝鮮への帰還画面、そして川口市の鋳物の町工場とそれに代わる大手電気メーカー(日立武蔵)の沢山の若い女工さんの活気等でした。沢山の女工さんが昔の制服で並んで作業する姿は正に現在の中国の工場を見るようでした。見終わった後の感想はまたまた『昔の映画は良かった』でした。
2013.01.29
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石原慎太郎の太陽の季節の映画を見てきました。昭和31年の映画ですから57年前の映画ということになります。当時の世相、風景を観ることには意義がありましたが、昔の評判のわりには私には良い映画を観たという実感がありませんでした。面白かったのは主演が結婚前の長門裕之・南田洋子であり、石原裕次がちょい役で有ったことでした。 また、元東京都知事、石原慎太郎日本維新の会代表がワンシーン、ワンセリフで出演していたことも今との対比で面白かったです。 当たり前のことですがみんなみんな若かった・・・・。 主演に名が挙がっている4人のうち3人は今は亡き人であることに57年の年月を感じます。もう一人長門裕之の兄役で出ていた三島耕は全く忘れていた名前でしたが、画面で見た顔は見覚えのある俳優でした。 『あの人は今??』ではないですが本当に長~く見たこと事ない俳優でしたのでネットで調べたのですが・…出演映画等は検索出来たのですが、消息は分かりませんでした。ギターを持った渡り鳥シリーズは数本観た記憶がありますがパスです。
2013.01.24
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1/10のブログに書きました日活の古い映画の内、一昨日昭和30年のこの映画を観てきました。 この映画は磐梯山の麓の警察署が舞台のモノクロの映画です。 この映画は子供の頃た映画で詳しい内容は憶えていなかったのですが、♪♪会津磐梯山は宝の山よ~♪♪ の歌とともに磐梯山の景色が何回も出て来る、節々の場面が未だに記憶に残っていた映画でした。 是非もう一度と思って観たのですが・・・世の中が貧しい時代のほのぼのとした人間関係が描かれたやはり素晴らしい映画でした。58年前の映画ですから出演している俳優がびっくりするほど若いのは当たり前ですが、左端の宍戸錠の若さと、右下に写っている二木てるみの可愛さと涙ぐむ演技にうっとりして、昔の映画は良いなあと再認識したのは歳とったせいだけではないと思うのですが・・・。
2013.01.22
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今までに京都文化博物館のフィルムシアターで上演される古い映画を観て当ブログに書いて来ました。その後、書きませんでしたのは、観に行かなかったからなのです。 何故かと言いますと極めて古い戦前の映画の特集が続いて観る気になれなかったからです。 所が張り出された1月の上演案内はこうなっていました。 観たい映画や観たけれどもう一度観たい映画が・・・・ 少なくとも幾つかは観に行くことになりそうです。
2013.01.10
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昨日は朝から雨でしたので水上勉原作の映画 『越後つついし親不知』を見てきました。 昭和39年の作品で時代は昭和12年頃の物語でモノクロでした。わたしには『つついし』という言葉がなんのことか映画を観終わった後も分かりませんでしたので、帰ってから調べますと、新潟糸魚川のJRの親不知駅の少し先に『筒石』という駅が有ることが分かりました。 多分その地名の『つついし』だろうと思ったのですが少し離れているので果たしてそうなのか自信が有りません。 『つついし』を調べていて分かったことは『筒石』駅は駅舎は地上にあるのですがホームは階段ら下りたトンネルの中に有るので有名な駅であるらしく、しかも新潟にありながらJR西日本の駅だと言うことでした。 そして小説を読んでいなかったので知らなかったのですが、映画(小説)の名前からして想像もしなかったことですが小沢・三国のふたりの主人公が冬場、新潟から杜氏として働きに来るのが伏見の酒蔵で、月桂冠の酒蔵(多分)がロケ地として多くでて来て昭和39年頃の伏見の街を『探索』出来ました。 映画と同じ京都府文化館でやっているシャガール展は26日までと言うこともあって切符を買うの人の行列ができていました。 京都市内は紅葉の季節の3連休、他府県ナンパーの車でアチコチで渋滞、紅葉の名所に関係のないこの川端通りまでも・・・・。 左側は鴨川です。
2012.11.23
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足の不調を書きましたところ多くの方からお見舞いを頂き誠にありがとうございました。一時はどうなるかと思いましたが・・・・関節のかみ合わせが元に戻った様で、多少の違和感と痛みは残ってはいますが、ほぼ平常に戻ることが出来ました。何か関節がカックンと収まった様な感じです。昨日は奈良在住の友人が上洛すると言うので会って来ました。 彼とは高校2年の時、同クラスになって以来、大学も学部も同じ、リタイヤするまで勤めた会社も同じで50有余年の付き合いと言う仲なのですが・・・・・。まだちょうちんがぶら下がり、31日まで続く祇園祭のムードが残るの中、このビヤホールでビールを飲み・・・・・ ビールのあと涼みがてらにまたまた京都府文化館へこの映画を見に行ったのですが・・・・ 字が切れましたが主演は京マチ子です。なんと通常500円の料金が節電対策で無料でした。 無料は無料で良かったのですが・・・・・。 飲んだビールが効いてきまして睡魔が・・・・・はっきりはしないのですが、こま切れに1/3程寝てしまいました。
2012.07.27
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三重苦と言えば、ヘレンケラーですが、私も当分の間、(自転車に)乗れない。(山に)登れない。(ゴルフクラブを)振れない。の三重苦の生活を続けなければならず、どうも映画観賞が増えそうです。先日新藤兼人監督の映画特集について書きましたが、今回またまた、昭和35年の作品で乙羽信子主演の『裸の島』を見て来ました。約1時間半の全編、一切セリフはなく林光の美しい音楽だけの描写で、唯一の声は終盤近く、女主人公(乙羽信子)の泣き声だけと言う映画でした。 瀬戸内海のに浮かぶ井戸も無いちっぽけな島に住む夫婦は、毎日、船を漕いで隣の大きな島へ水を汲みに行き、桶に汲んだその水を、天びん棒で担いでは、島のてっべんまで耕されている段々畑の作物に、その水をかけてやるという過酷な生活が続くのですが、セリフが全く無しで淡々と描写される光景はモノクロで有りながら素晴らしいもので感動の映画でした。7月には同じく新藤監督、乙羽信子主演の『原爆の子』が上演予定に入っていました。 この映画は確か小学生の頃学校から見に行った映画ですが強く印象に残っている映画です。是非もう一度見に行こうと思っています。
2012.06.24
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先日京マチ子の映画を見たと書きましたが、予定変更で時間が出来たためだったのですが、昨日は早くから見ようと思っていた島崎藤村の『夜明け前』を見て来ました。滝沢修主演で乙羽信子が娘役でしたが、さすが名作、160席が満員で1列10席の席が追加されるほどでした。 名作ですのでご存知かと思いますが、明治維新前後の木曾馬篭の庄屋の話なのですが、農民の過酷な生活に同情している理想主義の庄屋が『ご一新になれば…・』と期待を持って迎えた、明治維新でしたが何も変らなかったというストーリィです。 正に民主党に期待して裏切られた現在と良く似ていて、まさに『歴史は繰り返す』 現在を見た気がしました。 それにしても昔は名作の映画化が多かったですね。 最近、市川雷蔵主演シリーズで三島由紀夫の金閣寺(映画名は炎上) 島崎藤村の破戒、池部良、山本富士子主演の志賀直哉の暗夜行路を最近観ましたが、今回観た夜明け前なども併せ文学の良い勉強になります。中でも暗夜行路では志賀直哉が(奈良の高畑町の家が史跡になっていますが) 新婚当時京都(南禅寺他数か所)に住んでいたことを初めて知りました。
2012.06.14
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新藤監督は映画監督としてしか知りませんでしたが゛、監督として作ったのは44作品でしたが、脚本は250作品以上になるらしいです。今日は先日閑人仲間とサイクリングで行こうとして途中の峠で断念した芹生(せりょう)の里へ、リベンジで行く予定でしたが、生憎の雨で延期と言う事で映画観賞日となりました。以前にも書きました京都文化博物館の 新藤監督が(監督ではなく) 脚本を書いた映画の特集は新藤監督が生前から計画され公表されていた催しでしたが、亡くなられたので急遽追悼の形となりました。 上の写真は乙羽信子・滝沢修主演の島崎藤村の『夜明け前』のスチール写真です。この映画は前から見に行こうと思っていたのですが・・・・・今日は急遽、祇園と宮川町の花街が舞台のこの映画を見て来ました。 昭和26年の映画(モノクロ)ですので京マチ子も小林桂樹も若い若い姿でした。 (藤田泰子は私の記憶にない俳優です) 他に進藤英太郎、河津清三郎、殿山泰司など懐かしい俳優の若い時の姿が見られたましたが、映画のなかに出て来た、昭和20年代の京都の景色は面白かったのですが、『汚い』町でびっくりでした。
2012.06.12
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京都文化博物館で亡くなった淡島千景さんの映画特集をしている事を知り、昨日観に行って来ました。前にも紹介したここなのですが・・・・・。早く知ればもっと観られたのに・・・・・。観た映画は昭和31年の小津安二郎監督、主演淡島千景、池部良の『早春』(モノクロ)でした。内容は小津映画そのものでしたが懐かしい俳優の若い時の顔が沢山見られて大満足でした。出演者の名前を並べてみます。どこまで顔を思い浮かべられるかにより年代が知れるのではないでしようか??岸恵子、杉村春子、東野英治郎、笠知衆・・・このあたりの名前は若い方でもお分かりでしようが・・・・山村聡、浦辺粂子、宮口精二、加東大介、長岡輝子、中北千枝子となると少し古くなり・・・・中村伸郎、三宅邦子、須賀不二夫、は????そして、高橋貞二、三井弘次、永井達郎 まで分かる方は相当の年齢の方かと思います。最後に・・・・田浦正巳を憶えておられます方は相当の年齢と映画好きの方かと思いますが如何でしょうか??? 果たして、何人、何処まで顔を思い浮かべられましたでしょうか???なかでも、私は特に高橋貞二が懐かしかったで歳が知れるというものです。
2012.05.23
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