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昨日の続きです。翌18日は 西舞鶴駅前のビジネスホテルを発って、兵庫県に入り丹波篠山市近くの御嶽 (三嶽) を目指しました。下の写真のブルーの線が歩いたところで、下の方は丹波篠山市街です。右の方に篠山城跡も見えます。目指す御嶽はこの開けた県立自然公園に登山口が有りました。登山開始して暫くはなだらかな広葉樹林帯で・・・キノコなど見ながら余裕をもって進んで行くと・・・今まで見たことの無いキノコに遭遇・・・まるでフグでした。暫く進むと待っていたのが、長い長い階段でした。何百段ありましたでしょうか、とにかくへとへとになって登り終えると・・・今度は鎖場が待っており・・・更にこんな岩場が続き・・・その後は眺めの良い比較的なだらかな登山道が続きました。そして頂上に到達。ところがこの山頂にも頂上を表わす表示板が無いのです。誰の思いも同じと見えて、上の案内標識の真ん中の柱に・・・分かるでしょうかマジックインクで「御岳」と書かれていました。山頂に表示板が無いので記念撮影もサマにならなかったのですが、360度の眺めは最高でした。常は頂上付近でランチタイム、コーヒータイムをとるのですが登山時間が短かかったので、頂上では記念撮影と小休止で下山開始ししました。・・・・で、コースタイムは・・・・・・・でした。下山後丹波篠山の街で昼食ののち、近畿道から中国道を経由した大阪への帰路につきました。帰って、登山記録に記入していると、関西100名山のうち、今回の2座を加えて79座踏破したことになりました。
2024.09.20
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9月も半ばを過ぎたら少しは涼しかろうと(笑) 一泊二日で計画していた舞鶴、丹波篠山方面の関西百名山2座に登って来ました。中国道ゃ近畿自動車道方面の登山の定番ですが、JR福知山線の宝塚の二つ先の西宮名塩駅で下車し、タクシーで中国道名塩SAまで行き、そこで和歌山からの車にピックアップしてもらい、一路綾部・舞鶴方面へ。まず初日に登ったのは・・・綾部市の北東端でほゞ舞鶴の街に近い弥仙山(664m) でした。下の写真のブルーの線の部分です。いつもの3人のメンバーで、この登山口を出発。信仰の山で山中に沢山の祠が有りました。登れない人はここで遥拝するようです。調べると修験道の行場だったため明治初年まで女人禁制だったのでここから遥拝したのでしよう。初めのうちは植樹帯で余り面白くないのですが、見ての通り日陰の中の登山には良かったです。綾部市が発祥の地で、亀岡にも聖地がある大本教の開祖の「御出修之地」の碑が有りました。さすが大本教発祥の地です。高度を上げて行くと植樹帯から広葉樹林に変わり気持ちの良い登山が続きました。何か分かりませんがこんな看板も・・・頂上に着いたのですが・・・金峰神社のこんな祠があり・・・こんな石碑が有ったのですが・・・頂上(664m) の表示板が何処にもないのです。正式な表示板が無くても、○○〇登山会などと書いた表示板が木の枝などにぶら下げてある事が多いのですがそれも無く、しかも聖地の為が木が伐採されていなくて眺望もほゞゼロの頂上でした。・・・・で頂上を表わす写真はありません。活動記録は次の通りでした。関西百名山とは言え、遠くて余りポピュラーで無い様な山であることと、残暑厳しい事も有ってだと思うのですが、登山中、ついに誰にも遇いませんでした。下山後、JR西舞鶴駅前のルートインホテルに泊まり明日に備えました。明日に続きます。
2024.09.19
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天智天皇陵から疎水道に戻り、少し行くと赤い橋が見えて来ました。疎水の対岸。山側にある日蓮宗の本圀寺(ほんこくじ)です。本圀寺もパスして少し進むと・・・疎水第二トンネルです。第二トンネルから自動車道も歩くウオーク道を外れて、赤矢印の山の中から蹴上へ向かいました。疎水を渡ると直ぐ山道です。蹴上手前の日向大神宮まで誰ひとり遇わないひっそりした道、しかもかなり厳しい登り道でした。途中で休憩して進むと案内標識が・・・京都一周トレイルの分岐点。七福思案処です。ここを赤矢印の方向へ・・・暫く行くと伊勢神宮遥拝所への案内が・・・伊勢の方向が見えるだけで、何もない所なので今日のところはここもパス。この神社が有るからの遥拝所です。この裏には天の岩屋が有るのですが、そこもパス。そして坂道を下ると先ほど分かれた疎水と合流です。疎水を水運に使っていた時の歴史遺産・インクラインです。琵琶湖から荷物を載せて来た船がこのインクラインで一気に高度をさげて市内の疎水へ・・・インクラインと言い、このねじりまんぽと言い、有名な遺跡ですので今更書くことも無いかと思いますが・・・この日のウオークのゴールでしたので書かして貰いました。・・・・ということでこの日の歩いたルート、もう一度載せますと(画像は替えました)赤矢印が天智天皇陵。青い線が疎水第二トンネル、第三トンネルです。青い線の始まる所からウオークルートを外れ、山に入ったのが分かります。 完
2024.08.20
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今日(8/19) の天気予報は終日曇りで気温も低く32度でした。余りの暑さに歩くこともままならない日が長かったのでトレーニングのつもりで琵琶湖疎水ウオークキングに行って来ました。実は涼しくなればと言う前提で友達を案内することになっているのですが、大体は歩いたことがあるものの一部歩いてない箇所も有るので下見を兼ねてのとでした。スタートはJR、地下鉄、京阪の山科駅でした。ちょっと見難いですが赤矢印を歩き最後の赤矢印からやまのなかへ入り地下鉄蹴上駅まで抜けました。YAMAPの記録ではこんな感じで2時間35分 6km余の歩きでした。山科駅から北へ向かうと紅葉の名所・毘沙門天が有ります。本番の時は寄るつもりですが、様子も知っているので今日はバスすることにして手前を疎水に沿って左折しました。車も通らない最高のジョギング、ウオークキングコースです。距離の表示、ベンチも沢山あり、トイレも有りました。安詳寺もパス。間もなく眼下にJR東海道線(山科駅の少し京都寄り)そして山並みの遠望。音羽山、牛尾山のはずです。登ったことが無いので見ると登りたくなります。間もなく天智天皇陵への分岐です。ちょっと寄り道して (案内板では徒歩7分) 天智天皇陵へ・・・天皇家が栄えた時代は御陵も広大で、桃山にある桓武天皇陵とは比較にならない程の規模です。鬱蒼とした長い参道を進むと・・・門があり・・・更に鬱蒼とした参道が続き・・・やっと到着です。子供の頃習った、日本で最初に水時計 (漏刻ろうこく) を作ったと言う天智天皇のお墓です。この後、来た道を疎水との分岐まで引き返し蹴上へ向かいましたが、明日に続けます。
2024.08.19
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先日北海道登山の帰りに寄った、千歳市の小さな小さな日帰り湯の「くるみの湯」で、色は濃いウーロン茶、泉質が今まで経験したことが無い程肌がヌルヌルする温泉だったことを書きました。そんなことで有名ではないけれど特徴のある温泉に関心を持った矢先にテレビで北海道の「モール温泉」なるモノを観ました。その温泉の名前が分からなかったのでnetで「モール温泉」を検索すると・・・北海道だけでなく全国的にかなりある事が分かりました。ご存知の方が多いかも知れませんが「モール温泉」とはこんな温泉です。要は真っ黒らしいのです。関心度が高まり更に調べて行くとそのモール温泉のひとつ、東北温泉のこんなキャッチフレーズが目に入りました。東北温泉は青森県にあることが分かり、これはラッキー、この「日本一黒い温泉」に行けるかも!!! と思ったのです。・・・・と言いますのは毎年恒例の東北へ紅葉を迎えに行く登山が今年は青森に行くことになっているのです。早や早やと原案を作ってもらっていたのですが、早速この温泉に寄ることが出来ないか検討して貰う様に連絡した結果、原案を修正してこの温泉に泊まる計画に変更してもらえることになったのです。紅葉を迎えに行くのですから、まだまだ先のことですが紅葉以上に関心度の高い目的地が出来て今年の東北行きが又々嬉しい登山旅行になりそうです。因みに、昨年は・・・・思えばこれも私の希望を叶えて貰ったのですが・・銀山温泉を組み込んだものでした。
2024.07.22
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昨日の続きです。北海道登山 4日目は去年登ったこの樽前山を目指しました(写真は去年のものです)頂上が広く、噴火の煙が間近に見え、眺望がすばらしい山です。去年は赤矢印をスタートして・・・この東外輪山を右へ青矢印のルートを登ったのですが・・・・・・今年は上の写真の東外輪山の分岐までは同じルートを登り、分岐を左にとり西山を目指す緑矢印のルートを歩く予定でした。登山3日目も天気は良し!! ホテルを出て登山口を目指しますと・・・・ヂャヂャヂャヂャーン またまた通行止め。通行止めの柵の真ん中に貼ってある紙には・・・青丸の7合目駐車場の登山口へ行けないし、その先登山道の東山コースも通行止めなのです。ここを通らなければ頂上いけません。・・・・と言う事で登山を断念しました。この山は今回で5度目の挑戦なのです。2008年には 登ったけれど濃いガスで眺望はゼロ2018年にリベンジ登山を目指したのですが火山活動活発化で登山禁止、今回と同じ場所で引き返し2022年は登山口まで行きながら下山してきた人からガスで眺望ゼロだったと聞き登山断念2023年に初めて素晴らしい登山を満喫出来たという曰くつきの山なのです。それに気を良くしての今回の登山計画だったのですが、今度は工事で登山中止となったのでした。仕方なく観光に切り替え、恵庭渓谷に向かいました。その途中支笏湖越しに見えた・・・樽前山(左奥) です。右は風不死(ふっぷし) 岳反対側には・・・恵庭岳です。さて、目指した恵庭渓谷には3つの滝が有りました。上流から白扇の滝ラルマナイの滝三段の滝そして登山の汗を流す為に元々計画に組み込まれていた千歳市のこの日帰り温泉へ・・・民家に毛の生えたくらいの小さな建物だったのですが、泉質は最高!!!濃いウーロン茶のような色で、アルカリ濃度が高い実にお肌ぬるぬる素晴らしい泉質でした。アチコチ温泉に行きましたが、こんなぬるぬるする泉質は初めて、又行きたくなる温泉でした。・・・・で、予定通りのピーチ便で関空へ向かいました。タイトルを替えました。お岩木山・・・2度登った山です。
2024.07.15
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三日目は伊達市の紋別岳(715m) を目指しました。途中、昭和新山の前を通り・・・登山口へ・・・・。黒松内岳では「入林届」となっていましたが、ここでは勿論「入山届」です熊注意は同じです。登山始めて最初はこんな樹林帯だったのですが・・・程なく視界が開けて・・・見晴らしの良い笹の山に・・・360度の眺望。後ろは海です。こんな花も咲いていました。名前は知りません(笑)・・・・グーグルレンズで調べますと・・・エゾカワラナデシコでした。先頭とこんなに離れて・・・私の脚力はこんなものです。後ろは更に伊達市街? と海が・・・真ん中一番高いところが・・・この前紋別山です。上の写真の左後方のピークが・・・昨日写真載せましたこの門別岳です。頂上は正に360度のパノラマでした。正面に有珠山とその右に低く昭和新山。アップしますと・・・そして反対方向、東には多分去年登った室蘭岳が望めました。素晴らしい眺望を楽しんだ後は・・・この見晴らしの良い尾根道をルンルンで下りました。歩いたルートと高低さはこんなもので・・・所要時間は5時間04分でした。前日の黒松内岳の所要時間は3時間49分だったので1時間強長い行程だったのですがこちらの方が随分楽な山でした。下山後はレンターカーで千歳市へ・・・このANAホテルに泊まり明日に備えました。
2024.07.14
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昨日の続きです。洞爺温泉に前泊して、黒松内岳に登り連泊して翌日は伊達市の紋別岳に登ったのですが・・・前日のガスで眺望の無かった黒松内岳と違い素晴らしい眺望だったのですが、さあ更新しようとしたら・・・・カメラを京都に忘れて来て更新できません、唯一スマホで撮った頂上の写真だけとして、明日詳しく書かせてもらいます。ちょっと読み難いですが「紋別岳山頂」と書かれています。詳しくは明日に・・・・。
2024.07.13
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前触れもなくブログ更新を休みましたが、毎年7月恒例の北海道登山に山仲間3人で行って来ました。今回は去年登った山の近くの山2座と去年登った山域の広い樽前山の残りの部分を登る予定で出発しました。初日は関空からLCCのピーチ便で新千歳空港まで行き、レンタカーを駆って洞爺湖温泉のこのホテルに前泊しました。(2連泊で3泊目は千歳市泊)ホテルは湖畔あり洞爺湖と遠望の山並みが裏庭の様でした。遠くに羊蹄山見えたのですが頭だけ ! !翌朝にはその羊蹄山もクッキリと・・・アップしますと・・・この羊蹄山は蝦夷富士とも言われ独立峰でまるで富士山です。日本百名山に名を連ねるこの山は北海道の山の一番に2023年に登った思い出深い山です。21年間(コロナで2年は行けず) に毎年登って来た北海道の山ですが今、北海道百名山のリストで計算するとその内の36座登っていました。勿論2度3度登った山も有ります。さて、翌日は黒松内町にある北海道百名山の黒松内岳(くろまつないだけ)へ・・・鬱蒼とした登山口にはお決まりの・・・熊注意の看板と・・・あれ ! ! 普通は入山届ですが、ここでは入林と。最近特に熊の被害が多いので要注意、必ず「入林届」を出さなと・・・。貼ってあるガムテープには6月5日に現れたとか。クマ除けの鈴とラジオを点け乍ら登山開始です。暫くはこんな樹林帯だったのですが、直ぐ急登が始まりました、高度を上げれば上げる程ガスが濃くなり、遠望はほ無し。断面図で最初の急登と少し滑らかになった後更に厳しい急登が有ったことを示しています。岩場の鎖場なら登り易いのですが、ツルツル滑る急登の鎖場は登るのが大変、下りは更に大変です。こんなロープを手繰る場所が何ヶ所ありましたやら・・・とにかく距離は短いが足に負担がかかるハードな山でした。時間よりも距離よりも、この急登の連続でクタクタになりながら頂上に到達。・・・が、眺望はほゞ無く、写真にもなりません。・・・・で下山開始・・・急な下りは踏ん張らないと行けないのでロープを持っても足への負担か増します。眺望を楽しめない代わりにこの山は花の百名山かと思う程沢山の花が咲いていて花を楽しむことが出来ました。今回は花博士が居ないのでほゞ名も知らずたゞ見るだけでしたが・・・これは分かります「エゾキスゲ」・・・・そんなことで厳しいながらも花を楽しむ登山となりました。所要時間は山頂でコーヒータイムもランチも摂らなかったので3時間49分でした。因みにnetで借りた写真ですが・・・こんな山だったのです。このあと、洞爺湖温泉にもう一泊して明日の登山備えました。洞爺湖温泉は茶色い高温のかけ流し、さすが火山地帯の温泉でした。
2024.07.12
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昨日予告した記事です。6/26~28に稲荷山から大石神社まで地図に下図のルートで探索したことを書きましたが・・・この時、大石神社から滑り石街道を抜ける時、もうひとつ稲荷山への登山口の前を通ったのです。そのルートはヤマップに細い線で書かれている道なのです。気になったので昨日その道の探索に行って来ました。昨日のルートは次の図の様に大石神社からの道をショートカットする感じでした。上の地図と見比べて下さい。前回は正面参道を避けて、稲荷山の南面を登った感じでしたが、今回北面を登った形です。昨日はJR稲荷駅前の参道ではなく神具店などのある北側の参道から本殿横、右の鳥居をくぐると千本鳥居ですが・・・左のおさんば道へ進みます...この産場神社への道です。京都で安産祈願と言えば「わら天神」ですが、ここも・・・らしいです。ここを右に折れると坂道が始まり次々と沢山の神社が続きます。(以下写っているのは外人さんばかりです)まだ茅の輪が・・・間もなく右に鳥居の並んだ参道が見えて来ました。千本鳥居からの道です。合流するところがいわゆる三ツ辻・・・・ここで観光客の多い御山参道へ進みます。階段を進むと間もなく四ツ辻 市内南部を眺めながらの休息場所なのですが・・・折りからのカンカン照りの日差しでみんな陰に入りこの様に誰も居ません。この四辻を右に行っても左へ行っても一の鳥居ですが (もう1本はいつも通る泉涌寺に抜けるトレイル道です) 今日は途中で北へ逸れるので左の参道を進みます。間もなく分岐、右は一の峰への参道ですが、ここを左へ折れて下ります。間もなく山科への分岐ですが、折れたとたんに鬱蒼と茂った沢沿いの山道が続きます。誰ひとり会わない薄暗い藪の道・・・気味が悪い道でした。間もなく左にフェンスに囲われた荒れた竹藪が続きましたが何と・・・宮内庁の敷地でた。そして明るく開けた分岐に到達・・・稲荷山北登り口方面から来て、山科滑り石街道方面へ進みます。鬱蒼とした竹藪の中の下り道が続き・・途中の放置されて荒れに荒れた神社らしきものがあり・・・謂れが書いてありましたが・・・・読めないのでパス下ください。そして程なく前回通ったす滑り石街道へ出ました。前述の大石の滝の石碑が・・・昔は栄えたのでしょう。参道の分岐からとうとうこのルートでも誰ひとり遭いませんでした。ここからは前回と同じ滑り石街道を京都市内へ向かい、前回と同じ京都トレイルのこの分岐で計測をストップしました。その記録は冒頭の2枚目の地図と所要時間です。長々と書きましたが二日間かけて稲荷山の裏を探索した形になり。稲荷山登山のレパートリーが増えました。
2024.07.04
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昨日の続きです。稲荷山から西野山を越えて山科の街に下り直ぐ右折すると大石神社の鳥居です。神社の前は子供の頃学校から課外授業でイナゴを採りに行っていた時は一面田んぼだったのに今は住宅ぎっしりの街です。赤穂四十七志の大石内蔵助が祭神であるのはどうかと思いますが、京都には豊臣秀吉も乃木希典も祭神の神社が有ります。みんな明治から昭和にかけての軍国主義時代の創建で有ると言う共通点と思うと納得てす。大石神社は岩屋寺と山科神社と並んでいます、さて、鳥居をくぐり社務所の前に至りますと・・・今風に顔を出して撮影する大石内蔵助も・・・・本殿の前では丁度茅の輪の設置中でした。他に比べると実にこじんまりしたものでした。このあと岩屋から山科神社を巡って帰りに通りますと竹も注連縄も添えてありました。さて、山伝いに歩くと直ぐ岩屋寺から山科神社です。参道を見下ろすと随分急坂なので標高の高さか分かります。更に急坂を登ると・・・静かに佇む本殿が・・・無人の境内で小休止。この後、大石神社まで来た道を引き返したのですが、ついに誰にも遇うことがありませんでした。大石神社からは旧街道・滑り石街道で山科区から再び京都市内へ引き返したのですが、峠を越えるとこんな石が有りました。こんなの昔からあったのかなぁ?? 初めて知る石です。こんど地元の友達に聞いてみないと・・・そして更に下ると京都の街が見えて来ました。この辺りまが来るともう我が庭みたいなもの・・・再び京都一周トレイルに合流して、トレイルが、さあここから阿弥陀が峰に向かう山道入るこの場所で・・・・ヤマップとアディダスの計測記録をストップしました。その記録が昨日冒頭に載せた記録です。・・・・と言う事で稲荷山から山科の大石神社の無人地帯探索のウオークキングを無事終えました。ただ、20900歩の山歩きは後に堪えました。
2024.06.28
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昨日の続きです。まず昨日歩いたルートはこれです。所要時間は大したこと無かったのですが、自宅と駅の往復なども併せて゜この日の歩数は20900歩歩いている時は良かったのですが・・・・後で堪えました。緑丸がスタートした京阪電車・伏見稲荷駅、赤丸がアプリをストップした京都一周トレイルの阿弥陀が峰手前の分岐です。そして高低差は・・・一番左のピークが稲荷山、その横の小さいピークが後述の山科神社、そして右端のピークは山科区と東山の境目・滑り石街道の峠です。さて、稲荷山から外れて山科へ向かう山道にはこんな標識も有りましたが・・・外国かと思う標識が次々と・・・外国人には関係ない道と思っていましたがそうでも無いようです。間もなくこんな祠があり・・・標識に沿って山科方面に進みますと、間もなく下り道となり・・・沢沿いの径になりました。この沢を見て・・・子供の頃サワガニ採りの名人?? だった身としまして、これはサワガニがいるとサワガニ捕りに興じました。居そうと目をつけた水の量の場所の石を除けること5~6ヶ・・・直ぐ見つけました2匹。そのまま逃がしましたが・・・そんなあそびして更に下ると・・・山科の街が見えて来ました。左のコンクリートの構造物は自動車専用道路の稲荷山トンネルの排気塔だと思います。更に下ると山科の街の視界が広がりました。左側は稲荷山トンネルの出口です。 振り返ると今下って来た稲荷山の山科側の西野山が見えました。目指す大石神社はここを右に曲がると直ぐでした。長くなりますので明日に続きます。
2024.06.27
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稲荷山と言えば今は駅からまるで外国です。次の登山も近づいたので足慣らしにその稲荷山へ。今日は混雑のない、自分のペースで歩ける静寂のルート?で山頂へ行き、反対側の山科の大石神社へ下るルートを歩くことにしました。稲荷山から大石神社への道は初めての道でヤマップの地図にもなっていない道なのです。千本鳥居までは前も後ろも外人の混雑の中を歩きましたが・・・・「おも軽石」を過ぎて直ぐのこの案内を右へ折れました。このルートは京都一周トレイルの道でもあります。混雑の参道を外れると、直ぐこのような゜山道になり「静寂」の中を山頂を目指すことになります。この看板の通り、直ぐ大変手入れされた竹藪の中を進むことに・・・時々すれ違うのは決まって外人のアベックでした。この二人も・・・この二人も・・・殆ど人が歩いていないのですが、何故こんな道を知っているのか?? と思う程人は少なくても外国では有りました(笑)ここからは竹藪と滝が続く道です。滝と言っても細い水が落ちる小さなものです。そしてこの分岐を左へ折れるのですが、右は3/12のブログで書きました十二帝陵からの道で、山頂までは同じ道を進みます。/またまた滝の横を進み・・・この分岐を左へ進み・・・厳しい急登を過ぎると・・・真っすぐ行くと直ぐ外国人で混雑の稲荷山山頂(一の峰)ですが・・・外国人で混雑の山頂はバスして右へ・・・折れますと稲荷山と言うよりどこかの登山道の様な道が始まります。この分岐で山科から登って来たと言う人と言葉を交わしたのちは大石神社へ下山するまでの約30分の間誰にも遇わないと言う寂しい道でしたが迷う心配がない程度の山道なので余裕で進みました。この先長くなりますので明日に続けます。
2024.06.26
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昨日の続きです。都城市のホテルで泊まった翌日は宮崎市近くの双石山(509m) へ登りました。双石と書いて『ぼろいし』と読む変わった名前の山です。この山に登ることになったのは・・・同行している九州出身の仲間が60年近く前の学生時代に登った想い出の山だったのです。名も知らなかった山でしたが、平日なのに途中で数組と出会う人気のある山の様でした。登山口は数ヶ所ある中で一番安易なルートのこの登山口からスタート。神社の参道です。暫く植林帯を登りあとはかなり険しい登りでしたが・・・・程なく頂上に到着。木が茂って、眺望は余りなく食事もしない2時間29分の山行でした。下山後車で移動、この青島の見える場所でランチ&コーヒーを済ませ、一路都井岬へ向かいました。昭和の新婚旅行コースの定番の都井岬は野生馬の棲息と南国情緒たっぷりの観光地です。野生馬も見えますが、左端・山の上には・・・灯台です。この野生馬の群れ、全然動かないのです。仕方なく反対側へ回ってパシャリ・・・・。アチコチにも・・・昔は鄙びた岬でしたが、今は・・・立派な建物や・・・こんな形の宿泊設備が沢山並んでいました、このあと、志布志港まで走り往路と同じサンフラワーで帰路につきました。
2024.06.07
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6/3~6/6往復このフェリーで・・・・宮崎・鹿児島へ行って来ました。メンバーはいつもの4人(和歌山2・京都・大阪) でした。今回登山の第一の狙いは『つづじの霧島山 (韓国岳(からくにだけ)』1700m でした。この韓国岳は日本百名山に名を連ねており、百名山を目指していた2005/3月に登った山でした。その時はツツジには早く樹氷を見た事を記憶しています。さて、朝8:55に鹿児島県の志布志港に着船 上陸してスタートしたのが9時半過ぎでした。そうそう、この計画は元々5/27~5/30の予定だったのですが天気予報が優れない為1週間延期されたものでした。結果は・・・先週は良く雨の降る日が続きましたか゛今回旅行中は全て好天だったので延期したことが正解でした。志布志港から登山口の「えびの高原」へ・・・登山口に立ちますとこの眺めです。会津磐梯山の様に真ん中が噴火で吹っ飛んだのでしょう。登るのは右の峰です。登山開始して間もなくの眺め・・・凄い噴煙です。さすが活火山、絶え間なく噴火音が聞こえました。これが火口です。最初の写真の二つの峯の真ん中です。火口にはツツジが咲いているのですが・・・アップしてもその鮮やかさは伝えられません。そして、いよいよ九合目、も一息、眺めも良くなって来ました。そして19年ぶりに頂上に立ちました。正面に少し霞んで見えるのが高千穂の峰、右の火口が新燃岳です。2005年にはこの新燃岳の火口の横を通り縦走したのですが・・・その後噴火で立ち入り禁止になっていたのです。その後禁止が解除されたのか続いているのか???今回はピストンで新燃岳は眺めただけで下山です。アップしますと・・・この高千穂の峰は2015.5.23に登りツツジを堪能した山です。ブログに書いています。ここです。そして90度視界を移すと・・・綺麗な火口湖です。復路は登って来た道を下り4時間28分の山行でした。下山後移動して都城市のホテルに入ると、窓から韓国岳の頂上からは霞んていた高千穂の峰がバッチリでした。韓国岳はこの向こう側・・・丁度反対側からの眺めたのでした。明日に続きます。
2024.06.06
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昨日の続きです。日名倉山から下山して岡山県から兵庫県加西市のホテルで一泊。翌日はこれも関西百名山の 多可町と神河町境界の千ヶ峰 (1005m) に登りました。兵庫県中部のこの位置(赤丸がスタート、ゴール地点) 山また山の中でした。目指す千ヶ峰は右側の山 (多分) です。登山道入り口に沢山の杖が有るので急峻な山かと思ったのですが、そうでもなかったです。それは後程に。途中で見えて来た頂上です。人気の山なので見晴らしの良い場所所々に立派な休憩所が有りました。汗を拭き拭き登って来たのにこの案内板を見て、ギャフンでした。登山道とは書かれず、遊歩道だと言うのです。冒頭に書きました急峻では無い山では無かったですが、遊歩道よりやはり登山道の険しさもあったと思うのですが・・・(笑)そして、頂上への最後の登りです。そして、頂上に到達!!山名の「千ヶ峰」は千の峰が見渡せることが所以らしいのですが・・・正にそのことを立証する360度の眺め、山また山の眺めは正に千の峰が見える眺望でした。登ったのが土曜日であったからだと思うのですが、次から次へ登って来る人があり、素晴らしい眺望の人気度を実感しました。下山すると所要時間2時間32分の山行でした。帰って関西百名山のリストを久しぶりにチェックすると今回登った2座でもって合計77座踏破していました。
2024.05.13
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昨日の続きです。今回の登山は関西百名山に名を連ねる2座の登山でした。いつもの西の方の登山の様にメンバー2人でJR福知山線の西宮名塩駅からタクシーで中国道西宮名塩パーキングエリアまで行ってそこで和歌山からの車にピックアップして貰いいつもの3人で岡山県に向かいました。目指す日名倉山は兵庫と岡山の県境の山で、今回は岡山県側から登りました。こんな下界の光景を見ながらの登山は・・・・標高1047mと言っても・・・・随分高い所まで車でまで行けたので、確か歩行40分程だったと思いますが、あっと言う間に頂上に到達しました。山頂は360度の大パノラマ、天候も良く山また山の最高の眺めでした。さすが関西百名山 ! ! ! でした。しかし、四方が山だけしか見えないのに見える山を特定できず仕舞いで下山にかかりました。下山すると登山口の横にあったこんな場違いのような建物に寄ったのですが閉鎖中でした。確かに見えるベルは大きかったですが、何を記念して建てられたのか分かりませんでした。よくもまあ山の上にこんな大きなものを建てたものとの思いがしました。そして、駐車場から車で下山中、往路登山口へ向かう時見たこの案内板に関心が有ったので寄って貰いました。この辺り今は美作市ですが、昔は大原町で宮本武蔵の生まれた里なのです。これが牢跡です。こんな立札もありました。吉川英治の「宮本武蔵」は確か中村錦之助でも映画化されたと思いますが・・・・何と言っても宮本武蔵は三船敏郎です。私が観た映画は三船敏郎が武蔵、三國連太郎が本位田又八、八千草薫がお通でした。それはそれは記憶に残る映画だったのです調べて見ると何と1954年公開でした。それを観たと言うのですから齢がばれます(笑)70年前に観たのに良く憶えているのはその後、吉川英治の原作も読んだからだと思います。そんなことで・・・・今読んでいる花山天皇の「炎帝花山」を読み終えたら、宮本武蔵をもう一度読もうと思ったことが今回の登山のひとつの収穫でもありました。話が逸れましたが・・・下山後兵庫県加西市まで引き返しホテルに宿泊して翌日の登山に備えました。明日に続きます。今日も終日出かけていましたので、当ブログを書くだけで精一杯!! 頂いているコメントへの返事等は明日させて頂きます。
2024.05.12
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5/10~5/11で兵庫県西部のこの二つの山に登って来ました。この山は兵庫県と岡山県の県境の山で、我々は岡山県側から登りました。歩行時間が短い山では有ったのですが、体力を使い果たしたため詳しくは明日書かせて頂きます。そして頂いているコメントへの返事も明日させて頂きます。
2024.05.11
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昨日の続きです。勝浦温泉で泊まった翌日は八郎山(250m) を目指しました。位置関係は右端の那智勝浦。ブルー丸にS(スタート)のマークが八郎山です。因みに前日登った重畳山(かさねやま)の位地は赤丸です。登山口に行くと、注意しないと見落とすような民家の真横に登山口とは書かれておらず「八郎峠」と書かれていました。初めのうちは厳しい道でしたが間もなくこんな、まるで熊野古道を歩く様な道に・・・暫く進むと・・・なんと「大辺路(おおへじ)」の案内板が・・・私は知らなかったのですが、熊野本宮大社への参詣道のひとつのルートの「大辺路」を歩いていたのでした。平安時代の熊野詣でに天皇、お公家さんなど老若男女が歩いた道だったのです。そして八郎峠に到達。熊野本宮へはここから下るのですが、八郎山へはここから分岐して急登です。急登と言っても、標高250mの山ですから頂上へはそう時間を要せず到達しました。頂上からは海が見え・・・右の方には大島が見え・・・アップしますと・・・これが大島です。反対側の山並みは・・・「山笑う」景色でした。この後下山して、海南までマイカーに乗せて貰い、海南から和歌山へ、そして阪和線に乗り換えて大阪まで往路と同じJRで帰る予定でしたが、何と阪和線が事故でストップしていたのです。仕方なく南海電車の和歌山市駅へ行き、南海電車で帰ると言うハプニングに遭いましたが、まあ帰りが少し遅くなりはしましたが無事今回の登山旅行を終えました。熊野古道については中辺路、伊勢路、雲取越えなどかなり歩いたのですが、大辺路は初めてでした。登山に行って例え極一部であっても「大辺路」を歩けたのはラッキーなことでした。
2024.04.21
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本州最南端潮岬のある串本、勝浦温泉へ行って来ました。JR紀勢線・海南駅で2人が仲間のマイカーにピックアップしてもらって一路串本へ・・・途中奇岩の橋杭(はしくい)岩を観光。奇岩は・・・🎵ここは串本 向かいは大島 中を取り持つ巡航船🎵 の歌の大島へ向かって並んでいるとか。奇岩の後ろに見えているのが、その大島。 遠く右の方に見える橋は・・・アップしますと・・・昔は巡航船でしか往来出来なかった大島も今は橋で結ばれているのでした。気になったので大島の人口を調べると400人余でした。そのあと向かったのは串本町のこの山 重畳(かさね)山 標高302m でした。低い山では有りますが、信仰の山で真言宗の神王寺があり・・・向こうは散り椿、手前は散り八重桜の中を進むと・・・今度は赤い鳥居が・・・そして更に進むと四国88ヶ所のご本尊が登山道に沿って次々と現れるのです。最初はこの仏さんで・・・第一番霊山寺その後次々と・・・81番白峰寺のご本尊・千手観音も・・・そして、最後88番の大窪寺の薬師如来で終わりました。そして、頂上近くは実に奇麗に整備されていました。生憎の曇天と黄砂で眺めはもう一つでした。・・・・が、真下に来る時見た橋杭岩が見えたのは感動ものでした。そして肝心の頂上は・・・眺望はほゞありませんでした。下山後は勝浦温泉・湯快リゾートのここで一泊でした.元は名門旅館・立地も建物も、そしてバイキングの食事も満足出来た上に・・・なんと温泉が源泉かけ流しで有りました。明日に続きます。
2024.04.20
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文殊山でカタクリの花を堪能して、鯖江のホテルに泊まり、翌日は東尋坊観光と頂上までドライブで登る登山 ?でした。年齢・体力を考慮したゆったり行程です。東尋坊と言えば余りに有名な観光地ですので、今更とは思うのですが数枚の写真だけお付き合いください。 私も40年以上前に家族の旅行と会社の慰安会で行って以来の事でした。左下が遊覧船乗り場です。この後、頂上まで車で行けると言う国見岳 (656m) なので2日目の登山???? として大歓迎でした。・・・が、だだっ広い山頂で標識などのある場所が分からず、大した山でも無かったので探すのを断念しました。・・・・と言う事で、1泊2日の登山としては楽な行程で今回の登山を終わりました。
2024.04.04
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昨日の続きです。この山はカタクリの花を見に行くと言うより、カタクリの花を見ながら歩くと言うほど広く咲いていました。登山道に沿ってずっとカタクリの花が見られるのです。突然、他の登山者に「あそこに白いカタクリの花がある」と教えて貰いました。たった一輪咲いていた貴重な? 花です。あとで調べると、この山の白いカタクリは有名なようで、SNSにあそこに咲いていると教えて貰ったと言う書き込みが沢山有りました私らは何も知らずに行ったのにちゃんと教えて貰えたのです。ホントかウソか・・・一万分の一の確率で咲くとも書いてありました。それからこんな組み合わせの咲き方も・・・タンポポと一緒に咲いているカタクリも初めて見ました。途中こんな看板も有ったので紅葉も素晴らしい山なのでしょう。景色やカタクリの花を見ながらの山歩きでなので、直ぐ頂上に着いた感じがしました。独立峰の様になかなかの眺めでした。こんな石仏が沢山並んでいるのです。案内板をアップしますと・・・この山に登れば西国三十三所をお参り出来るようです(笑)そしてこんな案内板も・・・そして、山並みの説明も・・・どうもこれが白山の様です(間違っているかも知りません)因みに白山には2度登っています。登山はこの頂上までで無く、ここから下って又登り返すという奥の院まで進みます。途中に胎内くぐりも・・・勿論ご利益をもらう為にくぐりました。そして15分程で奥の院の到達。ここからは来た道を引き返しでした。コースタイムは・・・今回は昼食を済ませてからの登山で、コーヒータイムも無しでしたのでほゞ正味の所要時間です。真ん中の高い部分が奥の院、左右が頂上です。下山後ホテルで一泊。翌日は観光!!! それくらいが今の体力にピッタリの行程です。残り少しだけですが明日に続きます。体力減退と腰痛もあるので今回2本ストック登りました。
2024.04.03
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この季節花と言えば勿論「さくら」で有りますが、もう一つ・・・カタクリの花のシーズンでもあります。昨年は近場の京都・西山の小塩山に見に行きブログに書きましたが(ここ)今年もいつものメンバーでちょっと遠く、福井県は眼鏡の鯖江市のこの山まで行って来ました。案内板にも絵が書いてあるようにカタクリの花で有名な山なので・・・・標高は365mと低いのですが花もあり眺めも良しなので沢山の人が登っていました。この様に登山口で下山して来た言葉を交わしたこの女性のグループのように女性が多い山でした。登山開始して程なくの展望台から遠く見える山並みを・・・・アップしますと・・・どれかが名峰・白山の筈なのですが特定出来ませんでした。次の展望台からは福井市街が見え・・・そして北陸新幹線も・・・京都の小塩山は限られた場所に人工的に守られたようなカタクリでしたが、ここ文殊山は山中カタクリだらけ・・・と言っても良い程登山道に沿ってずっと奇麗なカタクリの花が見られました。一泊二日の登山行で疲れて帰って来ましたので、今日はこの辺で終わりまして続きは明日書かせて貰います。頂いているコメントへの返事も明日させて頂きます。
2024.04.02
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登山シーズンが近付きました。コロナ罹患以来の脚力減退を少しでも回復しようとつけ刃の様にウオーキングに努めていますが、その一環で昨3/11日 私のトレーニングコースの稲荷山~泉涌寺へ縦走? して来ました。そんなことを考えている折、深草に十二帝陵(深草北陵) なるモノがある事を知ったのです。そこでかなり距離が増えますが十二帝陵を経由して稲荷山の頂上へ裏から登ることにしました。裏から登ると急登が有るのでトレーニングにもなると言う思惑もありまして・・・ルートは京阪電車・藤森駅から京都トレイルの剣神社分岐までのこのルートで結果は・・・次の通りでした。京阪電車・藤森駅で下車して向かうと、直ぐ聖母女学院のこのレンガの名物建物の前を通ります。このレンガの建物、明治41年に建てられた元旧陸軍第16師団司令部の庁舎でした。程なく到達した十二帝陵は・・・・天皇家が二派に分かれたり、貧乏していたと言う鎌倉時代から室町時代にかけての300年・歴代12人の天皇を祀る「共同墓地」のようなモノらしいです。天皇陵は大小ピンからキリまで有りますが、同じ陵にこれだけ多くの天皇が祀られているとは珍しいです。そして、何と真横をJR奈良線が走っているのです。鉄道の真横の共同墓地なんて! ! !京都のこの辺りまで来ますと、メイン道路の裏は直ぐ田園風景が広がります。この分岐を左へ進みますと・・・鬱蒼とした竹藪が始まります。竹藪にも2種類ありまして、これらは放置林? の「竹藪」ですが・・・片や整備された竹藪は地面にまで太陽光が届く「藪」と言うより「タケノコ畑」です。実に清々しい美的な景色です。高く伸びた竹もありますが、殆どか先端が切り落とされているので余計に太陽光が入り易いのです。竹藪整備のボランティアをしている稲荷山の仙人さんの話では・・・竹として残すタケノコが所定の高さまで成長すると根元の辺りを大きく揺すると上の方で竹の皮を被ったタケノコが折れるらしいのです。竹になってから切るのではないのです。竹藪を過ぎると民家がありフライパン製の顔が二つに・・・案山子がひとつ、場所柄野鳥対策とひょっとするとイノシシ対策かも知れません。このあとは稲荷山の急登が始まります。滝が幾つも続くのですが・・・・たかが標高233mの稲荷山ですから、みんなこんな細い滝?? ばかりです。一気の急登を登ると山頂です。私が登って行った急登まで沢山の外国人が登っていましたが、表側から登って来る国人の多い事・・・ざっと見て90%以上が外国人でした。何しろ無料ですから・・・・。そして、いつもの通り泉涌寺へ抜けて行ったのですが・・・折りから「京の冬の旅」の看板が立っていましたが、人も疎ら、外国人は見かけませんでした。・・・・と言う事で、冒頭に載せました距離と所要時間のトレーニングを終わりました。上述の聖母女学院の建物については過去に当ブログで詳しく書いていますので見て頂ければ幸甚です。 ここです。
2024.03.12
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昨日の続きです。広島駅からJRで宮島口まで、そしてフェリーで宮島へ。フェリーから見えた目指す弥山です。今回は登山の為厳島神社は横を通っただけです。もみじ谷コースを登るのですが・・・・なんと名物の紅葉はほゞ終わっていて紅葉が残っている木がチラホラと言う状態でした。宮島の紅葉・・・だけは期待外れでした。登山道はほゞ階段で急峻、なかなか厳しい山で有りました。紅葉の早さともう一つ驚いたのは外人さんの多さ、半分くらい外人では??? しかも殆どの人はロープウエイで登るのですが、私らの様に歩いて登る人は圧倒的に外人が多かったです。頂上近くのお堂です。右の看板ょアップしますと・・・・智積院同様空海生誕1250年の事業が・・・そしてその横には・・・1200年燃え続けている「消えずの霊火」とか。これです。そして岩山を少し登ると・・・標高535m 頂上の展望台です。展望台からは勿論360度のパノラマです。・・・・と言ことで厳しかった山、この山は火気禁止のため山頂でのランチもコーヒータイムもなく正味の所要時間は下記の通りでした。何しろ海抜0mからの登り、535mは正味の登りでした。下山後はそのまま帰路につきました。ついでながら宮島側のフェリー乗り場の立派なこと。この様にまるでお寺の建物でした。
2023.12.01
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一泊二日で広島へ行って来ました。発端は・・・安芸の宮島に登山が出来る山(弥山 535m) がある事を知って以来、ずっと登りたいと思っていたのですが、その願いを叶えて貰う登山計画を組んでもらったのでした。初日は・・・小津安二郎監督や大林宣彦監督の世界・尾道で途中下車し千光寺へ・・駅から東へ直ぐ、石段が始まります。登って登って・・・千光寺へ到達。遠くばかり見ていてふと見上げると・・・・ロープウエイが・・・程なく通過したので慌ててバシャと・・・数年前、しまなみ海道をサイクリングで渡った友達とはこのロープウエイに乗ったのですが、今回は登山友達と一緒なので・・・当然歩いての登りでした。何回撮ってもついつい・・・・何しろ絵になる景色なものですから・・・さらに登って頂上にはこんな立派な展望台が出来ていました。余りの景色の良さに更に望遠で・・・・会社勤めの若い頃に造船関係を担当した時、この右に見える向島やこの先の因島、岩城島などに出張していたのですが・・・その時は勿論橋は無く、直ぐ目の前のこの向島に行くのも船で、因島、岩城島(愛媛県) なんかは船の旅2時間近くかかったこと思えば今はしまなみ海道が出來て車で行ける夢の世界です。このあと、下山? して広島市へ。駅前のホテルで一泊して翌日宮島へ向かいましたが・・・明日に続きます。
2023.11.30
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ギックリ腰の腰痛を抱えながら、11/21に奈良県・三重県の県境の、ススキの名所曾爾高原から日本300名山の倶留尊山(くろそやま) に登って来ました。腰痛は座ったり同じ姿勢で長くいると立ち上がるのが凄く痛くて何か持たないと立てないのですが、歩き出すと治まり少しの鈍痛だけで歩行には支障ないので予定通りの計画に参加しました。近鉄・大阪線榛原駅でピックアップしてもらい、曾爾高原へ向かいました。高原は大きな駐車場があるのに我々は直ぐ駐車出来ましたが、帰りには駐車場に入る為の車の列が出来ていました。車もいっぱいでしたが、曽爾高原は若いグループ、アベックが多く平日なのに大変な人でその人気の程が知れました。駐車場からは直ぐ四面ススキの景色が広がります。右に見えているのがお亀池、そして前方正面の高い所を通って倶留尊山に向かいます。一面太陽光に映えるススキなのですが、なかなか綺麗に撮れません。芝生とススキの平坦な箇所を通過し、いよいよ登山開始です。振り返ると見えるのが、前述のお亀池です。右に見える道を通って来ました。振り返ると・・・この道を登って来ました。ここからV字形に方向を変えて正面の高い箇所を通過するですが・・・多くの人はもお亀池周辺の散策で終わり、ある程度の人はここまで登って来るのですが、大半がここまで来て、下りる人が多く、ここから先へ進む人は倶留尊山を目指す人達でぐんと人の数が減ります。更に高度を上げると・・・そして、ススキの山の最高峰を過ぎて林間を進むと・・・倶留尊山は民間の山なのでに500円の入山料が・・・。間もなく一つ目のピーク、変な名前ですが・・・二本ボソ980mに到達。前方に見える形の良い山をアップしますと・・・・関西のマッターホルン・高見山1248m 、冬の霧氷で有名な山で、私も霧氷を見に2度登った山です。このイワシの口へは下山時に寄りました。その眺めは・・・・山又山なのですが・・・特徴の無い山並みなので名前を特定出来ません。一つ目ピークの二本ボソを極めると・・・・向かいに倶留尊山が見えるのですが・・・尾根が続いている様に見えますが、100m近く下って登り返さないといけません。これは今回の全行程の記録ですが、その下って登り返したことをはっきり表しています。一旦登った山を又下って登り返すのは精神的にも大変ですが・・・無事、俱留尊山山頂に到達。360度の眺めなのですが写真の様に木立越しの景色の為、写真は断念。但し、二本ボソから眺めは尖った山の様に見えましたが、頂上は広い広場になっていました。ここでランチ&コーヒータイムをとり登って来た道を引き返しました。前に載せました記録の通り4時間08分、標高差508mの登山を無事終えました。この日は気温も高く、雲一つないブルーの空と360度のパノラマ。そして風もなく最高の登山日和でした。
2023.11.23
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今日は中学の友人二人の要望で稲荷山を案内して来ました。何しろ外人さんに加えて、観光シーズンの日曜日、混雑を覚悟の上でした。私一人の時はいつも下図の青矢印を進むのですが、今日は案内の為頂上を目指し赤矢印の周遊コースを歩きました。(交差しているところが眺めの良い四辻です)大鳥居ではいつもの光景が・・・千本鳥居での混雑も覚悟の上です。大混雑は大体この「おもかる石」まで。この方の様に灯篭の擬宝珠?を持ち上げての、重い、軽いです。いつもの四辻を過ぎて、頂上への参道はかなり人影が減ります。鳥居での記念写真は四辻より上で撮れば他の人が写らない写真が撮れることを再認識!!これからの案内時の写真撮影のノウハウを取得出来ました(笑)とは言え、山頂まで至りますと・・・お参りするのにこの列です。 私も並んで御参りしました。周遊コースにはこんな修験場も・・・。・・・・一周してもと四辻へ戻りいつもの泉涌寺方向へ進みました。と言う事で、9/11に一人で歩いたこのコースでのタイムは下記の通りでしたが・・・今回赤矢印の頂上を目指す為、青い線の方へ進まず、周遊コースを入ったため所要時間は下記のように長くなりました。(今回は3人で行動したことも時間がかかった要因でもあります)・・・と言う事で、今日はかなり疲れた稲荷山行きとなりました。稲荷山の最新の詳しいレポートは9/11のここを見て下さい
2023.11.05
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昨日の続きです。銀山温泉を発って、仙台空港へ向かう3日目は・・・・山形県から宮城県へ入って薬莱山(やくらいさん)に登りました。 標高はわずか553mですが、加美郡の名を冠して加美富士とも呼ばれる格好の良い山でした。(この方向からは富士の形をしていませんが、サイドから見ると富士の形をしていました)さて、登るに当たって・・・標高や所要時間からして、「行き掛けの駄賃」の気分で臨んだのですが・・・まず、一つ目の鳥居をくぐり・・・二つ目の鳥居をくぐると・・・登山口です。初めは滑らかな植林帯を行く登山道だったのですが・・・暫く進むと・・・何と、706段の階段が待ち受けていました。丸太1本の段なら良いのですが、多くは丸太2本の高い段が続き、50段毎にカウントダウンの立札が立っていると言うなかなかハードな山では有りました。汗を拭き拭き、ついに706段を制覇??頂上手前の祠が何と見すぼらしい!!!そして、頂上に到達。頂上からの眺めは・・・・この景色を見ながらコーヒータイムをとり直ちに下山開始。登山時間が短いので、ランチは下山後と言う事で、コースタイムは下の通りでした。そして、下界? に下りて、ランチ&コーヒーを摂って向かったのが鳴子峡の奥のここでした。谷川沿いの木道を行くと、至る所から噴煙やぶくぶくと温泉を噴き出している何か気持ちの悪いところ・・・20分足らず木道を歩いて、早々に引き上げました。・・・・と言う事で、ここから仙台空港に向かい18時05分発 関空行きのピーチ便に搭乗して、さっと帰る予定だったのですが・・・・飛行機の到着が遅れに遅れて、仙台空港を離陸したのが20時45分 2時間40分の遅れでした。遅れるのはまだしも、関空着が22時00分。第二ターミナルなので鉄道の駅までは20分~30分を要すため、その日のうちに帰れるか心配したのですが・・・走りに走って、確か22時25分発のJRに滑り込みで乗り、環状線、京阪電車の最終一台前に乗り、自宅最寄りの駅に着いたのが23時58分。自宅に着いたのは完全に午前様・・・・という思わぬハプニングに見舞われましたが・・・とりあえず無事に今回の登山行を終了出来ました。
2023.10.30
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昨日は思わせぶりな書き方をして失礼しました。面白山下山後、向かった銀山温泉は長年行きたいと思っていた温泉。山間の奥深いところに位置する銀山温泉は長年の予備知識通りこじんまりした素晴らしい佇まいの温泉街でした。・・・が、が、温泉街の入口にある駐車場に車を駐車して温泉街に入ろうとすると・・・見えて来たのは素晴らしい街並みに繰り広げられている凄い数の観光客の姿でした。それが見るからに、中国人か台湾人、或いは韓国人、東南アジア系の外人など、まるで外国の街の様相だったのです。アチコチにある足湯のみんな満員。余りの喧騒に、ぶらつくのを後回しにして取り敢えず旅館にチェックインして入浴後外に出ますと、随分と人影が少なくなっていて、やれやれと言う気分でした。(ひょっとすると日帰りの観光客だったのかも知れません)建物がみんな素晴らしくついつい沢山写真に納めてしまいました。温泉街の一番奥まで行きますと、こんな立派な滝まで有りました。時間が少し遅くなると足湯も空いていました。我々が泊まったのはこのアットホームなこじんまりした旅館でしたが・・・隣室は中国か台湾人でした。そして川を挟んだ斜め向かいが、青い目の女将さんで一世を風靡した旅館です。他の旅館同様に昔風の建物だったのを、新国立競技場を設計した、隈研吾氏の設計により建て替えられたものです。元はどんな建物だったのか、netで調べますと・・・こんな建物だったのです。立ち並ぶ他の旅館との調和の意味からも、この元の建物が良い様な気がしましたが???さて、夕食後外に出ますと・・・これが又なかなかのムード。水面にも次々変わる照明がなされており、夜は夜で最高のムード、さすが銀山温泉・・・でした。そして一夜明けで、出発の朝、8時は回っていたと思いますが、素晴らしい静かな街の景色でした。そうそう、温泉は確か源泉65度と表示されていましたが、匂いの強いなかなかの泉質でした。山形県の奥深いこじんまりした温泉街まで外国人観光客がこんなに押し寄せているとは驚きでした。コロナ前に富士山近くの忍野八海へ行った時のことを思い出させる光景でした。さて、この後出発して、仙台空港へ向かう途中に登山と観光をしたのですが・・・・続きは明日に。
2023.10.29
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毎年恒例の東北地方へ紅葉を迎える登山、今年は2泊3日の日程で長年念願の銀山温泉に行って来ました。 念願の様子は8/16のブログに書いています。ここです。通常は登る山が決まって宿泊する温泉が決まるのですが、今回は銀山温泉に泊まり近くの山に登ると言う事で2つの山が決まったのでした。今回はLCCのピーチ便なので重量制限をクリアする苦労の程は過日書きましたが、関空では重量からストックの長さまでチェックを受けましたが勿論クリアー、登山靴は脱いで検査を受けます。因みに帰りの仙台空港では重量検査はありませんでした。関空から仙台空港に着き、レンタカーを駆って、山形県天童市のビジネスホテルに前泊。翌朝、ホテルの窓を開けると・・・・何と一面霧で真っ白・・・多分盆地なので早くから霧が出るのでしょう。霧が出ると天気が良くなるので歓迎の霧でした。さて、初めに登る山は面白山(おもしろやま) 1264m 地元では有名な山です。登山口を目指し出発。スキー場やキャンプ場がある天童高原キャンプ場の奥が登山口でした。車を駐車して登山口へ至る広場から見えたのが、下界の雲海。この雲の下が天童の街です。市街地から高度を上げることにより霧の上に出たという感じです。登山口にこんな彫り物が・・・枯れた為か、伐採した為か、自然木の切り株に施した彫り物には感心しました。登山道に入りますと・・・まずは黄葉がお迎えです。熊注意の看板も・・・最近の熊に襲われる事故が多いため、勿論全員熊除けの鈴をぶら下げて・・・太陽光でこんな気持ちの良い色の景色の中を行軍。途中 長命水で水分補給して、北面白山へ向かいます。途中の三沢山で小休止、目指す面白山頂上は雲の中。・・・直ぐ、晴れるはずと言っていると・・・・予想通り小休止中に雲は消えて、行程中ずっと雲に隠れることはありませんでした。三沢山からでも山並みが見えたのですが、他国の山? 山名は不明です。そして、(北) 面白山の頂上 (1264m) に立ちました。この石碑を見て、なんでこんなところに 「にしはくさん」があるの????と大いなる読み違い。良く見ると「おもしろやま」と彫られていてのです(笑)頂上から北の中眺めは・・・・(山形県)天童市の街並み南側は・・・・地元の登山者によると仙台市から海も見えると説明を聞いたのですが、生憎のモヤで見えるような見えないようなこんな景色でした。面白山は宮城県と山形県との県境の山だったのです。頂上を極めたのちは先に書いた三沢山まで下山して、ランチとコーヒータイム。振り返ると登る時より更にクッキリの面白山頂上です。そして来た道をピストン下山。こんな記録でした。下山後、今回の目的の銀山温泉に向かいました。銀山温泉では驚きの光景?? が繰り広げていたのですが・・・・明日に続きます。
2023.10.28
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LCCのピーチには持ち込み荷物について7kg以下と言う制限があります。(前回はリュックとポシェットと併せて計量されました)( 勿論料金を払えば制限以上の持ち込みは可能なのですが )今回そのピーチを利用することになり、持って行く荷物の準備にかかったのですが・・・7kgと言うのは有るようで無く、幾ら削ってもオーバーしてしまうのです。ひとつのネックが前に書きました今読んでいるこの本ですが・・全642ページで重いのは分かっているのですが、測って見ると・・・制限重量の10%強もあることが分かりました。そんな重い本持って行かなくても・・・と言われるのですが、関空までの往復移動時間、飛行機の中での往復3時間半強の「移動図書室」で読みたい為、何としても持って行きたいのです。色々出したり入れたりして、ギリギリ7kg少しオーバーまで減量出来たのですが、それ以上減量すると現地で不自由する可能性があるので削る訳に行かず・・・・色々考えて・・・着て行く冬用ジャンパーのポケットが大きく、入ることが分かったのです。そんなことで計量ゲートを通る時、本はポケットに入れておくことで難題? をクリア出来ました。 (ポケットからはみ出しますが(笑))そんなことで・・・ボクサーが試合前の計量を受ける気分を味わいました。
2023.10.24
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大和三山のうち、一番有名なのは天の香具山だと思います。有名なのは持統天皇が詠んだ百人一首の句「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山」が有るからは言うまでもありません。三山の中で一番有名では有りますが、一番恰好の悪い? 山でもあります。その天の香具山に登るとともに、持統天皇がこの歌を詠んだ藤原京に立ち、(白妙の衣が干されていない) 天の香具山を望んで来ました。 近鉄電車の耳成(みみなし)駅で下車、あとはひたすら歩くだけです。右の丘のようなのが天の香具山です。天の香具山の手前に・・・・反射して読み難いですが・・・「独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所都城発掘調査部」と書かれています。ここはパスして・・・直ぐ近くの天の香具山への進入路を進み・・・さすが、場所柄、由緒ある名前が並びます。途中、こんな案内板を見て進むと直ぐ頂上です。頂上にはこんな祠とベンチが有るだけ。ここでコーヒータイムをとり眺めは・・・・と言うと雑木に覆われた間から申し訳程度に見えるのが西に畝傍山・・・北に耳成山です。この見下ろす景色の案内図の赤矢印で示したところが今から行く、藤原京跡です。下山後藤原京跡に行きますと・・・丁度コスモスが満開・・・(と言っても満開のゾーンも有れば、まだ満開になっていないゾーンもあり、意図的に開花をずらしているのかなぁ? と思いました)後方は耳成山です。いくら撮っても、次々と撮りたくなります。左後方に二上山が、そして右に見える赤い柱は・・・藤原京の宮殿門の列柱を再現されたものです。この辺りから東の方を見ると・・・・天の香具山です。持統天皇ここから天の香具山を望んで「白妙の衣」が干されていのを見て、あの有名な句を詠んだのか・・・なんて、その地に立って歌を口ずさんでしまいました。子供の頃、正月と言えば近所の子供達が各家庭持ち回りで親が読む百人一首を興じたので、上の句を聞けば、ほゞ下の句が出て来たものですが、さて今は???
2023.10.18
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京都で高い山と言えばまず頭に浮かぶのが愛宕山ですがその標高は924m(東に望む比叡山は848m)・・・なのに対し、京都府の最高峰の皆子山は971mです。昨10/11に、その皆子山に登って来ました。ただ、京都の山とは言いながら、滋賀県との府県境にある山で、私たちが登ったのは滋賀県側から、しかも眺望出来るのはほとんが琵琶湖を始め滋賀県ばかりなので、気持ちの上では滋賀県の山に登っている気がする山でありました。その場所は・・・比良山系の裏側、下図の赤丸がスタート地点、緑の小さい印が皆子山でピストン登山でした。JRの山科駅でピックアップしてもらって直ぐ滋賀県に入り・・・琵琶湖へ流れ込む大きな川、安曇川(あどがわ)の上流に沿った駐車場に500円の駐車料を払い、この橋を渡ったところが登山口はです。安曇川を渡ります・・・直ぐお寺があり・・・鐘楼の横を進みます。直ぐ植林帯が始まるのですが・・・・他所の植林帯と違い、ここの植林帯は・・・こんなに奇麗な苔むす植林帯だったのです。ただし、この景色はすぐ終わり・・・終わると同時に長い長い急登の植林帯が始まりました。途中で休憩しながら、進むとやっと気持ちの良い雑木林が始まりました。間もなく・・・背後に琵琶湖が見えだし・・・アップしますと・・・手前は堅田の町、左端に見えるのが琵琶湖大橋です。アップしますと・・・そして、その向こうに恰好良く見えるのが近江富士(三上山) です。そして南の方向には・・・比叡山です。比良山系の蓬莱山が真正面に、しかも直ぐ近くに見えたのですが・・・写真を撮り忘れました。更に樹林帯を・・・アップダウンを繰り返して、皆子山の広場のような頂上に到着。今まで滋賀県の事ばかり書いて来ましたが・・・京都の山である証拠です。京都の大原の奥の方の山なのです。頂上から北には比良山(武奈ヶ岳)が眺められましたが・・・・京都方向の眺望は余り無く、気持ちとしては滋賀県の山に登った気が更に強くなりました(笑)・・・・と言う事で、絶好の登山日和のもと無事下山しました。記録は・・・標高差630m余も有り、上のグラフで分かるように長い急登の山・・・・なかなかハードな山では有りました。
2023.10.12
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私には眺める山が4座あります。憧れで眺める富士山、常日頃仰ぎ見る比叡山と愛宕山・・・そして大和三山です。大和三山 : 天の香具山、畝傍山、耳成(みみなし)山 は橿原市の平地にポコポコポコと聳えている? こんな山です。奈良の南の方の高い所へ行くと何処からでも目に入る大和三山ですが・・・・いつも眺めるだけでした。低い山なのでいつでも行ける、と言う思いもあり、今までずっと眺める山だったのですが・・・ついに意を決しい(????) その内のひとつ畝傍山に登って来ました。1日で三座登る人が多いのですが、折角の「大和三山_」一度に登るのは勿体なくて一座ずつ登ることにして、今回はその内の畝傍山に・・・。近鉄のこの駅からスタートしました。殆ど客のいないのに凄く立派な駅舎でした。皇族の方が橿原神宮にお参りの時は橿原神宮前駅を利用されると思っていましたが、ひょっとすると神武天皇陵に参拝される時に乗降される為に立派な駅舎なのかも???と思ってしまいました。駅から橿原神宮の北鳥居をくぐり・・・参道を・・・登山口から時計回りに登山道を進みますと・・・まず見えて来たのが二上山そして、右がツツジの大和葛城山、左が金剛山です。そして頂上に・・・頂上は広場になっているのですが、木が茂っいて眺めは良くありません。橿原神宮の聖域のため木が伐れないのかも? なんて思いながら木立の間から・・・北東方向に耳成山地元の人らしいウオーキング姿の人がわざわざ「左後方に東大寺が見える」と教えてくれたのですが生憎の靄で特定出来ませんでした。そして、場所を移動して東方向に天の香具山そして別ルートで下山 ! ! 振り返ると・・・形の良い畝傍山の姿が・・・あの頂上から下りて来ました(笑)
2023.09.20
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昨日の続きです。叡電の鞍馬駅から鞍馬神社のケーブル乗り場まで行き、200円の乗車券を買ったのですが・・・20分に1本のダイヤで丁度20分後に乗れる程度の人が待っていました。私は待つつもりだったのですが、仲間の一人が歩いて登ろうというので仕方無く付き合うことにしました。もう一人の仲間はケーブルで行くという事で2対1で別れることに・・・・・。買った券は勿体ないので券を買おうとしている外人さんのカップルにあげました。そんなことで九十九折れの急登を登り出したのですが、ケーブルに乗っては見られない景色を見ることが出来ました。程なく由岐神社が・・・そして義経公供養塔が・・・九十九折れが過ぎると今度は階段です。この階段を上がった辺りが、ケーブルで登った人と合流する場所で、丁度ケーブルに乗った仲間とばったりでした。と言う事は、約20分の登りだったと思います。そして、この階段を上がると本殿です。前回行った時は何も知らなかった「宇宙のエネルギーが集まるパワースポット」さすが有名でほとんどの人がこのポーズです。この外人さんカップルも・・・勿論この様に・・・・前回は訳が分からず眺めていただけの私でしたが、今回は宇宙のパワーをもらう為に、これこの通りに・・・。宇宙のパワーを貰ったのちは貴船へ向かって奥の院へ・・・・途中のことは前回のブログに詳しく書いていますので割愛しますが、この木の根道だけは絵になるスポットですので又撮って来ました。この木の根道辺りからは、ただひたすらの下り。貴船側から登って来る人とかなり行き違いましたが鞍馬側からの登りと比較にならない程の急登です。程なく貴船側の入り口が見えて来ました。ところで、鞍馬山は前回行った時とは比較にならない程の人の多さ。500円の入山料×〇〇〇〇人= とついついソロバンをはじいてしまいました。さて、貴船神社に着きますと・・・とんでも無い光景が繰り広げられていました。それは明日に書きます。
2023.09.17
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マリーンスタジアムでロッテの応援をした翌日は千葉県の名峰・鋸山へ登りました。私は沖縄県は別にして、千葉県を除く全ての都道府県の山に登ったつもりで、かねがね千葉県の山に登りたいと思っていたのですが、今回誘ってもらって幸運にも野球観戦とセットで登ることができたのでした。ところが千葉県の山に登ったあと、ふと考えると・・・・もう一県、山口県の山も登っていなかったことに気が付いたのですが・・・。さて、野球観戦の翌日は、海浜幕張駅から京葉線で蘇我駅まで行って内房線に乗り換え。乗り換えた電車で、前日沼津の山に登って千葉駅前のホテル泊まりだった山友達のSさんと合流し浜金谷駅まで・・・・浜金谷駅は無人駅でした。駅を出て、計画では頂上まで登ることになっていたのですが、余りの暑さもあって。ロープウエイに乗ることになりました。一気に高度を上げると・・・東京湾越しに対岸の神奈川県の久里浜が見えるのです。東京湾の一番狭くなっている入口に当たる場所だったのです。内房線の列車の窓から富士山が見えていたので、頂上からの富士山を楽しみにしていたのですが、雲のせいか、あいにく下山するまで顔を出したくれませんでした。鋸山とはnetに依りますと・・・「地獄のぞき”で有名な房総半島の南にある鋸山は、江戸時代に石材の産地として採石された場所で、石を切り出した岩肌が鋸の歯のように尖っていることからその名がついたそう」頂上近くまでロープウエイで登っても・・・山頂付近の周遊コースは殆どが険しい階段でのアップダウンを進まねばならず、ロープウエイで登ったのが正解だったとの思いが過ぎりました。この大仏さんは下図の様に日本一の高さとか・・・・至る所に石を切り出した跡の絶壁があり、各々に切り出したノミのあとがありました。ここなんか、下部に水があればまるで高千穂峡です。こんな所を周遊して・・・・下山は歩いて・・・・下りたところか登山口で、当初はここから登るの計画だったのですが・・・・ロープウエイでで登ったのが正解でったとつくづく思いました。・・・・で、歩いたルートは・・・・そして、駅まで来て振り返ると・・・あの絶壁の上を歩いたのでした。このあとJRで東京駅まで出て、私は新幹線で帰ったのですが・・・Sさんは小田原泊りで翌日伊豆の山を登ってお帰りになると言う3日連続の登山行・・・その健脚ぶりには頭が下がります。私と同年齢なのです。
2023.09.03
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プロとものアミさんに誘って頂き、千葉のZOZOマリーンスタジアムへロッテマリーンズの応援に行って来ました。ロッテマリーンズは私が子供の頃、まだ毎日オリオンズと言った時からのファンなのです。・・・・が、本拠地が関西では無いので、「私もロッテファン」と言う人に会ったのは今までに一人だけ、東京から転勤してきた人だけでした。土地柄ロッテ戦の応援はいつもアウエーの球場ばかりでした。昔は・・・南海ホークス戦は今は無き「難波球場」近鉄戦も今は無い「日生球場」阪急ブレーブス戦もここれも今は無い「西宮球場」その後、神戸勤務の時、オリックスは神戸のグリーンスタジアム。そして最近では、京セラドームや・・・・阪神との交流戦で甲子園の応援など全てアウエーでした。・・・・が、唯一ホームグラウンドで応援したことかあります。それは昔々、東京の南千住に有った「東京スタジアム」での応援でした。東京出張中に行ったのですが、さて何十年前の事だったか憶えていなかったのですが・・・観に行った時が、丁度中日の江藤慎一選手がいわくがあっての当時のオリオンズにシーズン途中に入団して挨拶した日だったのを憶えていたので、netで江藤選手がオリオンズに入団した日を調べると・・・・なんとなんと、1970年の事だったので53年前の事でした。そんなことて53年ぶりのホーム球場での応援に千葉まで行きましたのは・・・先に書きました様に、今まで一人しかロッテファンと接することが無かったのに、ブロともさんのブログを通じて地元千葉のバリバリのロッテファンのアミさんとブログを通じて知り合って誘ってもらったのでした。今は毎日の試合をネットで遠く枚方と千葉と別々の場所で見ながら野次や、称賛、解説、選手の悪口、予測などラインで(1試合で15~20往復?)やり取りしているのですが、その過程で、他のブロともさんお二人と計4人で本拠地での応援に誘われて行くことになったのです。そんなことで早朝の新幹線で東京経由で千葉へ・・・・新幹線の中では・・・車内販売が近々無くなると言うでの・・・・新幹線車内販売での最後のコーヒー飲み納め。東京駅で京葉線に乗り換え、海浜幕張駅へ・・・・駅前でアミさんの赤いマイカーにnaominさんとmamatamさんと私の3人がピックアップしてもらいまずはホテルへ・・・私以外の3人さんは昔からの顔見知りでいらっしゃるが、私が顔を知っているのは我が家に数回来て頂いたことがあるnanminさんだけであとのお二方は初めての顔合わせでした。さて、このあとは・・・明日書かせて貰いますが、既に誘ってもらったアミさんとnaominさんに詳しくブログアップしてもらっていますので、見て下さい。 ここと ここ です。
2023.08.31
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今日は8/16、大文字の日 (五山の送り火) でしが、今年はパスしました。・・・・と言う事でブログネタは・・・・温泉の話です。私には長年行ってみたい温泉が3つありました。それは次の3湯です。秋田県の乳頭温泉郷の「鶴の湯」島根県の温泉津温泉山形県の銀山温泉上の二つの温泉は踏破? したのですが、銀山温泉は行ったこと無かったのです。・・・・が、ついに今年の秋の東北登山の宿泊地に組み込んでもらえたのです。・・・と言うより銀山温泉に泊まる為にその近くの山に登る計画を組んでもらったのです。なぜ遠い鄙びた温泉に憧れたかと言いますと・・・鶴の湯はずっと昔旅行雑誌でその露天風呂の写真を見て・・・・温泉津温泉は「男はつらいよ」のロケ地として、何回もビデオの画面で見て良いなぁと思ったからでした。。そして今年泊まれることになった銀山温泉は・・・後述します。鶴の湯は2015.7.27に泊まりましたがこんな鄙びた温泉でした。そしてこれが憧れた露天風呂でした。そして温泉津温泉は島根県の三瓶山に登る時無理やり泊まるように計画してもらったのですが・・・実に鄙びた温泉でしたが寅さんのロケ地を回りました例えばこの温泉津駅は・・・さくらとタコ社長のこんなシーンのロケ地だした。さて銀山温泉ですが・・・画像をnetで借りますとこんな温泉なのですが・・・現役の時、お得意さんの会社の工場がこの温泉の近くの村山市にあって、納入業者の見学会に行った時、この温泉を知ったのですが、残念ながらその時の宿泊地はここでは無かったのです。その後、この温泉の老舗旅館の「青い目の女将さん」がテレビで再々流れる様になって益々行きたいと思っていたのでしたが実現せず今に至っていたのです。さて、今年行くことになったので、その青い目の女将さんのことを調べますと次のことが分かりました。1. その老舗旅館は国立競技場等を設計したあの有名な設計家・隈研吾氏設計の新しい建物に建て替えたけれど古い趣きが無くなり、宿泊料が高くなったことも有って客離れが著しく倒産 (今も経営はしている)2. 古い趣きのある建物を潰して建て替えることに反対した青い目の女将さんは離婚して子供連れてアメリカへ帰ったとか。・・・・長年念願だった温泉に行くことになってこんなことを予習することになったのでした。鶴の湯のブログはここを。温泉津のブログはここを。
2023.08.16
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7/24のブログにめ・・ストックの握る部分の部品をこの様に無くなってしまったので・・・修理することを書きました。この様にシリコンシーラントで成形? して・・・固まるのを待って、もう少し肉盛りしてから削ることにしていたのですが・・・更に肉盛りして・・・・カッターナイフで削りました。小さい画像では奇麗に写っていますが・・・表面はかなり雑な仕上げしか出来ませんでした。それでもクッション性があって握り易いので、まあ良いか!! とこれで完成としました。シリコンの部分を油性マジックで黒くしようとしたのですが、マジックインクがのらないので断念してこの白黒のツートンで行くことにしました。
2023.07.30
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昨25日の事ですが・・・村山由佳の小説に出て来た奈良県は桜井市の聖林寺(聖林寺)拝観を軸に桜井市のウオーキングに行って来ました。他にも奈良のお寺が沢山出て来たのですが、このお寺だけ知らなかったし、行ったこと無かったのです。うだる暑さの中の行軍で、ふと新田次郎の「八甲田山死の彷徨」での耐寒訓練のことを思い浮かべてしまいしました。安産と子授けのご利益のある小さなお寺さんですが・・・ここの売りは「国宝十一面観音菩薩」です。この坂道を行くと言う事は眺めが良いはず!! その期待を込めてひたすら登ります。小さいお寺ながら門に至る石段には蓮が咲き、素晴らしいエントランスです。本堂左で拝観料(確か600円) を払い本堂へ・・・本堂からは、桜井市の街を見下ろすなかなかの眺め、長く眺めるために座布団まで並べてありました。本堂にはご本尊の子安延命地蔵菩薩がお祀りしてあります。勿論撮影禁止ですので、netで借りますと・・・このご本尊の横にこの様な張り紙があり・・・もちろん十一面観音も勿論撮影禁止なので、こんな心遣いが嬉しいものです。ここで十一面観音の影武者? を撮影したのち、この渡り廊下を上がりますと・・凄く立派なコンクリート製の建物の中に目的の十一面観音菩薩が分厚いガラスで守られてお立ちになっていました。確かに顔や立ち姿、指の形、など全てが全て凄く立派な仏さまでした。勿論撮影禁止なのでこれもnetで借りますと・・・天平時代の760年代に作られた元々、他のお寺に有ったものが、明治の時代の廃仏毀釈の動きの中でこのお寺の貰われたものらしいです。そんなことで、神々しい仏さんに圧倒されて、このお寺をあとにしました。
2023.07.26
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過日の北海道登山で、いつの間にか私のストックの部品が無くなったのです。これなのですが・・・・気が付いたら握る部分の上側の部品が無くなっていたのです。これで凹凸があって上手く握れません。何とか修理する方法は無いかと考えて・・・家の壁塗りした時残っていた、漆喰(粘度状) を塗りつけて元の形の様に整形? したらなかなか上手く行ったのですが・・・・乾燥して、いじくっているとひび割れがしたのです。拡大しますと・・・握る部分は少し柔軟性のあるプラスチックに対し、漆喰は固まると固形物なので、あとから思うとひび割れも当然の事だったのです。この上からビニールテープを巻こうと、百均で黒いビニールテープを買って来たのですが・・・・ここで思い直して、飯喰を全部取り除きました(余りに簡単に取り除けたのでこの方法ならビニールテープで巻いてもダメだったかも)そして次に考えた方法は・・・・同じく手持ちのシリコンシーラントを練りつけることでした。シーラントなら乾燥しても柔軟性があるので、握る部分の塩ビの柔軟性にフイットするはずなのです。こんな具合に仕上がったのですが、何しろ、にちゃにちゃしたモノなので奇麗に整形できません。そこでこの状態で少し日を置いて固めて、また上塗りして形を整えるつもりなのですが・・・果たして???
2023.07.24
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昨日の続きです。インクラの滝を見たあと、苫小牧まで走り一泊。翌4日目の最終日の登山3座目は・・・樽前山(1022m) でした。この樽前山は雄大な山で眺めも良い名山なのですが、過去3度チャレンジしながら全容を見た事が無い山で、是非極めたいと4度目のチャレンジ登山でした。過去の登山録を紐解きますと・・・2008/7 に登頂はしたのですが、濃い霧の中で眺望ゼロ。2018/7 には登山口まで行きながら・・・火山活動活発化で登山禁止。2022/7 にも登山口まで行きながら天候が良くない上に下山して来た人に訊ねると雲の中で眺望無かったと聞いて又もや断念した因縁の山なのですが、どうしても登りたい山だったので、今回も登山計画に組み込んでもらったのでした。さて、当日は天気も上々の登山日和でホッとして登山開始しました。下図の右、ヒュッテと書かれているところが登山口で周遊コースを登ります。1021.9と書かれているところが頂上です。登山口はこの様に茂みですが・・・暫く急登が続きますが・・・直ぐ視界が広がり・・・支笏湖や・・・苫小牧の海も見え出します。この辺りからは登山道の周りはずっと満開の樽前草が続きます。更に高度を上げると・・・・人が多い所は登山道のVの字ターンの箇所です。Vの字に到達しますと、Vの字ターンで山頂へ・・・ 登山口のヒュッテから1.3km登ってきたことになります。小休止ののち、頂上目指してVターンすると又急登が続きます。振り返ると後方に別のピーク(西山) と左手には白い煙を吐く溶岩ドームがずっと後を追いかけて来るのを見ながら・・・進みますと・・・頂上に。長年念願だった眺望付きの頂上です。溶岩ドームの周りには数ヶ所の白い煙が見えます。溶岩ドームの反対側は・・・・眼下に今、車を駐車して出発して来たヒュッテが・・・あそこから登って来たことが明確に分かります。真横の溶岩ドームをあとにして・・・登って来た、反対側の周遊コースーへ進みます。殆どの人がUターンして登って来たルートで下山するので、この周遊コースへ進むのは極々一部のひとです。屈斜路湖も更に近くに見え最高の下山ルートでした。山腹にはこんなものが・・・・火山活動の監視装置のはずです。登る時には樽前草一色でしたが、こちらのルートにはキキョウも。残念ながら正式な名前は分かりません。・・・と言うことで、初めの2座は眺望の無い登山を強いられましたが、どうしても登りたかったこの樽前山では幸運にも最高の登山が出来ました。下山後新千歳空港まで走り、往路と同じピーチ便で帰路付きました。因みに翌日の北海道は全域が雨でしたので、4度目の挑戦で最高の登山が出来たことは実ににラッキーなことでした。
2023.07.20
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北海道登山の続きです。オロフレ山を下山して、登山口でランチ&このコーヒーを摂ったあと、日本の滝百選のインクラの滝を目指しました。私がナビゲーターをして、スマホのナビで案内したのですが、ナビが滝も川もないとんでもない場所に案内してくれ信用失墜!!! 要は山の中の滝と距離的には一番近い場所へ案内したようなのですが・・・そんなことで又街まで戻って探し探してやっと到達と言うハプニングがありました。日本の滝・百選の名を連ねている滝なので、観光地化しているものと思ったのですが、ナビで失敗したことも当然のような山道をかなり走り、やっとの思いで到達した場所は鬱蒼とした茂みな中に車が数台駐車できるスペースとこんな展望台が有りました。展望台に登ると滝が遠望できるのですが、余りにも遠いのです。少しアップしても・・・最大にアップしても滝の全貌が見えません。そこで、展望台の下のこの案内板に従い、滝つぼを目指し歩き始めました。沢渡りは飛び石で・・・熊除けの鐘・・・・・・なんて、とても観光地ではない沢沿いの径を5分ほど進みますと・・・渡渉箇所が見えて来ました。要はここで渡渉せよと言うのですが・・・飛び石も無く、渡るためには川の中をじゃぶじゃぶ入って行くしかないのです。そんなことはとても出来ないのてここで滝つぼ行きは断念して引き返しました。消化不良の名瀑見物でしたので帰って調べますと、白老町の観光案内にはこんな写真と説明が有りました。赤下線は私がつけました。さすが深い山へ向かう道、こんなのがいました。このあと、翌日樽前山に登るために苫小牧のホテルへ向かったのですが・・・車の中からその樽前山が見えました。明日、真ん中に見える登山道から右へ稜線を登る予定です。真ん中の山は近づけない溶岩ドームです。4度目の挑戦・執念の樽前山登山は明日に続きます。
2023.07.19
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昨日の室蘭岳登山の続きです。室蘭岳を下山して向かったのはこの湖です。 赤下線は私が引いたのですが・・・・こんな素晴らしい湖なのですが・・・私が見た景色はここでもモノトーンのこんな景色でした。このあと、登別温泉の端を通過、何故こんな鬼がいるのか・・・・まるで大江山を走っている気分で観光の為室蘭市内へ・・・観光施設となっている旧駅舎を見学し・・・・宿泊地の東室蘭へ。翌14日朝、ホテルの窓からの眺めは・・・登る山の方向は山の頂上が雲に隠れている状態!!!雲が無くなるのを祈りながら登山口まで行くと・・・こんな状態で又々霧の中の行軍を覚悟し登り始めますと・・・遠くの景色は見えませんが、足元は登山道に沿ってずっとこの花が咲いているのです。グーグルレンズで調べますと多分シオガマである事は分かったのですが、何シオガマかフルネームは分かりません。その後山容が代わり・・・・こんな渓谷を見ながら視界の余り無い行軍を続けますと・・・・向こうに見えるのが山頂だったかはっきりしないのですが・・・・とにかく山頂に到達。 近くの山は見えても眺望は有りませんでした。写っているストックは私のものです前日に続いてこの日もまだ早かったので登山口まで下山してから、ランチ&コーヒーを摂ったため全行程3時間4分の登山でした。このあと、日本の滝百選のインクラの滝を目指しましたが・・・明日に続きます。
2023.07.17
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7/11からの北海道登山ですが、今回はピーチ便の為、持込荷物の重量制限が7kgなのです。 (勿論別途料金を払えばもっと持ち込めますが) 通常の10kgでは全く問題ないのですが、その差3kgは大きく、準備段階でリュックを何回も計量して調整しました。何百グラムの本や予備バッテリは念のためスボンなどのポケットへ入れました。新千歳からのレンタカーはヤリスクロスの新車でした。今回登るのは室蘭周辺の山でした。北海道は毎年のように行ったいますが、室蘭は初めて。前泊のホテルへ入る前に地球が丸いことを実感すると言う「地球岬」を観光しました。下の案内図の右下です。こんな景色を見るつもりでしたが・・・モノトーンのこんな景色でした。インスタグラムの撮影用にこんな枠も立っており、今風の至れり尽くせりを目の当たりに!!!ホテルで一泊して翌日は直ぐ近くの室蘭岳へ登ります。netで借りた写真ですが・・・こんなに見晴らしの良い山です。このスキー場の横の登山口から真ん中の夏道コースを進みます。下界は曇りだったのですが、遠くに見える山の頂上付近は雲の中でしたので、懸念したのですが・・・登山口から高度を上げるに従い・・・段々霧が濃くなって行き・・・眺望はほゞ望めない行軍が続きました。頂上についてもこの通り、クマ除けの鐘も、頂上の標識も霞んで見えます。常は山頂などでもコーヒーやランチを摂るのですが、天気が心配なので、頂上を極めたのち直ちに下山開始・・・復路も霧の中の行軍、ついつい早足で下山。ランチもコーヒーもカットして下りたので、全行程3時間4分でした。下山して、登山口でランチ&コーヒーを摂ったあと、次の宿泊地へ向かい途中観光もしたのですが、続きは明日に!!
2023.07.16
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昨日の続きです。北九州市小倉駅前の東横インーに泊まった翌日・最終日の4座目はカルスト台地の平尾台の貫山(ぬきさん712m)に登りました。平尾台は山口県秋吉台、四国カルスト(愛媛・高知県境)と並ぶ日本三大カルストの一つとのことで素晴らしい雄大な景色でした。駐車場に車を駐めて、登山開始です。行けども行けどもアップダウンがあり石灰岩のこんな景色が続きます。遠くに見える中央部をアップしますと・・・石灰石を採っているのでしょう。場所柄、麻生セメントの砕石場かも知れません。遠くに見える2つの峰は英彦山(ひこさん) らしいです。アップしますと・・・そしてその左方向には・・・中央右の尖った山が由布岳、左側の台形の山が鶴見岳らしいです。そして左は海です。そして頂上に到達、平尾台全体が見渡せて、海も見える絶景でした。下山途中にこの案内板に引き込まれて行ってみると・・・なるほど、「キス岩」でした。そして無事下山して往路同様、新門司港からフェリーで大阪南港へ・・・翌朝上陸して今回の4泊5日の登山行を無事終わりました。
2023.05.30
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一昨日の続きです。嬉野温泉に泊まった翌日はそう遠くない、佐賀県武雄市の黒髪山(518m) を目指しました。有田焼に近いためか、やたら窯元が目に付く道を進み登山口へ。登山を開始すると、この山も岩山で岩の中に祠が有りました。案内板の黒髪山を目指すのですが手前の天童岩にも寄りました。赤矢印がその天童岩の遠望です。望遠を最大にアップしますと、肉眼では見えなかった人影が写っていました。その天童岩に着きますと、断崖絶壁からこんな眺めでした。天童岩から見える黒髪山頂上です。この山も又鎖場、ハシゴが続きました。頂上も岩の上・・・昨日の虚空蔵山では天気は良いのに黄砂で見透しが悪かったのですが、この日は空気も澄んで最高の眺めでした。偶々居た地元の人に依ると、これが有明海で・・・反対側が大村湾だったのですが・・・写真が逆かも知れません。360度の素晴らしい眺めを堪能して下山開始・・・・・・と言う事で、この山は3時間59分の山行でした。下山後、引き返す形で、次の目的地北九州市へ向かい、この日は小倉駅前の東横インに泊り、翌日に備えました。もう1回 明日に続きます。
2023.05.29
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昨日の続きです。新門司港に早朝に着いて、その足で風師山に登り、下山後は佐賀県へ移動し嬉野温泉を通過して虚空蔵山(こくぞうやま)へ向かいました。この山は九州のマッターホルンと言われるのでその山容は大体想像はついたのですが・・・現地で見るとちょっと先が尖っていないなぁと思い・・・帰ってnet で見ると・・・これぞマッターホルンと言えるこんな写真が有りました。全国に駒ヶ岳や烏帽子岳の名のつく山は沢山ありますが調べて分かったのですが、虚空蔵山も全国に沢山あるようです。虚空蔵菩薩の虚空蔵でありその名の通り修験の山のようで岩場が続く厳しい山でした。さて、登山口に着いて登山開始・・・間もなくこんな案内板が・・・まずは旧道を選んだのですが・・・・下山はこの新道・冒険コースで下りました。家族連れコースとは言いなが鎖場やロープが張ってある箇所が多くて、なかなか厳しい山でした。それでも予定通り山頂に立ったのですが、天気は良いのに多分黄砂だと思うのですが、少し霞んだパノラマでした。この山は佐賀県の登山口から登ったのですが、山頂は長崎県でした。頂上に立ったのち、先に書きましたように冒険コースで下山です。確かに、冒険コースです。急な下りの連続でこんな鎖場が続きました。こんな岩の間も通過しました。この日2座目のこの山は丁度2時間の山行でした。下山後向かったのは嬉野温泉のこの宿・湯快リゾートの嬉野館でした。因みに、この宿は2018.5.20に大分県の由布岳に登ったあと、翌日多良岳に登る為に泊ったので2回目の宿泊でした。その記事はここです。翌日は佐賀県の黒髪山を目指しますが・・・続きは明日に。
2023.05.27
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22日~26日 4泊5日(内フェリー泊2泊) で福岡、佐賀、長崎の4座に登って来ました。本論に入る前に前章を前日に「歌の中山」を通りました。「歌の中山」とは前にも書いたかと思いますが・・・清水寺の音羽の滝から裏門を出て清閑寺・高倉天皇・六条天皇陵へ向かう5~6分の細い道なのですが、清水寺からここまで足を延ばす人は殆どいないので東山トレイルを歩く人以外人影もあまりなく、静かな径だったのです。その道が・・・・今は途絶えることが無い程外人さんがゾロゾロ歩く径と化したのです。何か外人向けのガイドブックで紹介されたか、netで取り上げられたいるのだと思うのですが、間違いなく日本人より外人が多い径になっているのです。その先にある高倉天皇陵と清閑寺は平家物語ゆかりの地で有るのですが、今回の九州登山で初っ端に訪れた山で平家物語ゆかりの地、平家が滅亡した壇ノ浦を遠望したのです。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇は高倉天皇の子供、そして助けられた安徳天皇の母平徳子は京都へ護送され出家して寂光院で建礼門院となったは平清盛の娘でした。上述の高倉天皇が余りに後宮の小督(こごう) を寵愛するので立腹した時子の父・清盛が小督(こごう)を出家させたのが清閑寺なのです。・・・・で、今回の最初に登った山は壇ノ浦を遠望出来て、宮本武蔵と佐々木小次郎決闘の地の巌流島を見下ろせる、門司の風師山でした。ついでながら、天皇陵の御朱印を集めている時、ここだけは行けないと思った安徳天皇陵を検索しますとここでした。(朱印はここへ行かなくて泉涌寺にある宮内庁の事務所で貰いました)さて、本論ですが・・・大阪南港から山友達4人でフェリーで新門司港へ・・・17時に出航して新門司港へは翌朝5時半着、今回は個室でした。 新門司港で上陸して、直ちに風師山へ向かい30分程で登山口に到着。風師山(かざしやま)・風頭(かざがしら)へ向かいました。先に行ったのが眺望の良い風頭。真下は関門海峡・・・向いは下関、正面に巌流島です。数年前にこの巌流島へ船で渡ったことあるのですが、この様に俯瞰して地理上の巌流島の位置が明確になりました。そして、右に遠く見える関門大橋の向こうが壇ノ浦です。そして、左は北九州・門司の街です。幕末に長州藩とイギリスなどの連合国が戦った下関戦争、巌流島、壇ノ浦など歴史上の出来事を俯瞰? 出来る素晴らしい眺めでした。続いて、風師山へ・・・山頂は眺望か無くこんな感じでした。直ちに下山開始・・・朝飯前ではないですが、次の佐賀県へ向かう前のひと登り、1時間51分の足慣らし登山を済ませ、佐賀県嬉野温泉に向かいました。明日に続きます。
2023.05.26
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