全29件 (29件中 1-29件目)
1
自宅の玄関脇の庭を潰して駐車場を作っているのだがこの庭の木もついでに切っちゃおう、と思い立ち大バサミでジョキンとやっていたら蜂の巣を見つけた。ブログ仲間のホシミストさんが先日蜂の巣を除去したという記事を読んで「次はオレの番か...」と覚悟を決めたのである。夜になってからキンチョール片手に蜂の巣に近づいた。「よ~し、発射!イクぜ!」と噴射ノズルを押す寸前、蜂の巣のすぐ横にまたしてもドンゴロ発見。ちょうど背中がパックリ割れてセミが半分出かかっておりキンチョール攻撃をすればこのセミちゃんにも被害が及ぶ。犯人が人質を取って立て篭もり、僕はSWAP突撃班という心境である。一撃で仕留めれば問題ないが相手は子供を盾にしており射撃は非常に難しいという状況と同じなのだ。男が最も残念!と思う瞬間、それは「ハッシャ寸止め」である。蜂を退治するためには多少の犠牲はやむを得ないがここは仏の心を持ったワタクシ、別にセミが好きではないがあえて寸止めを受け入れ、蜂退治を中止したのであった。蜂の巣をやっつけて地面に落とすのは今夜に順延。♪今夜こそオマエを落としてみせ~る(世良正則風に)古っ!
2012年07月31日
コメント(18)
最近は「応募はメールのみ」と記載してあるサイトだとか連絡先を書く際に「携帯番号必須」とかをたまに見かける。携帯電話が嫌いなため持っていない僕には迷惑な風潮である。ご存知のように僕は店をやっているので、お客さんと話が弾み「ね、携帯番号教えてくれる?」と訊かれることもある。「悪いな、携帯持たない主義なんだ」と答えると大抵驚かれる。今や「携帯電話を持ってない=変わり者」らしいのである。「じゃあ名刺か何かある?」と言われても【このような事情】で名刺もない。だからそれ以上の進展もなく「会いたかったら店に来いや」とまるでホストみたいなワケわかんない言い分をするのだ。(笑)もちろん僕からお客さんの連絡先を訊き出すことは簡単だ。「セールの時にハガキやメール出すから」と言えば簡単だがそもそも僕はそういう顧客管理は一切しない。衣料だとか美容院だとかなら顧客管理は重要だがアクセサリー小物関係では顧客管理は大して意味がない。僕からお客さんに向かって発信、アプローチをすることはない。よってお客さんとの交遊関係を広げるということは一切なくもっとも社交的な職業に就いているくせに友人が少ない。友人が少ないから携帯電話は不要という循環にもなっている。僕はそれを別に寂しいとも思わない。どうせ休日には雑音の一切聞こえず、人のいない場所に行くのだし。今の時代、それって逆に寂しい生き方なのかねえ?
2012年07月30日
コメント(16)
昨夜は庭の木を切ろうとしたらドンゴロがいた。ドンゴロというのはセミの幼虫の呼び名だが日本各地で呼び名は違うようである。クマゼミが青色と緑色の混じった色になって今まさに脱皮したところだったので木を切るのを止めた。明日こいつが飛び立ってからにしようと思ったのである。写真を撮るのも眩しくてかわいそうだと思ったのでやめた。今朝になって木を見たらもうセミは飛び立った後だった。ドンゴロの抜け殻が残っているのみである。しかし・・・グロテスクだ。プラスチックのような殻、複眼、アイスバイルのような前足。背中が割れて別の形の生き物になるなんて不思議だ。カニ、エビ、タコ、クラゲのような海洋生物だとかこのようなドンゴロを見ると地球外生物のような気がする。宇宙空間の別の惑星あたりから飛来した隕石みたいなもんがアミノ酸を含んでいて、それが地球に適合した感がある。ドンゴロの殻をまじまじと至近距離で眺めて「なあ、お前ってどこから来たんだ?」と思ったのであった。
2012年07月29日
コメント(10)
今日は朝8時から庭の大きな木を切った。昨日登場の近藤さんからチェーンソーを借りたのだが刃が悪くて役に立たなかったのでノコギリで切ったのだ。まずは2m50cmの高い脚立の上に立って葉を剪定。それから上の方の枝を切り、次に幹を切ったのだが直径15cm以上の幹はなかなか切れないのである。最終的に根元付近の直径20cm強の幹まで切る予定だが日頃全く運動をしてないせいで汗だくだく、腕パンパン。朝っぱらからシャワーを浴びて出勤したのであった。それにしても朝の僕の頭は本当に回らない。毎晩お風呂を使ってるわけで、湯温調整もしてるのだが朝はどこをどうすればお湯が出るのかさっぱり分からず「ええい、水のまんまでええわ、ヒャッホー」と頭から水をかぶり久し振りにアジアの安宿で水シャワーを浴びた気分になった。しかしホントに何で朝は何にも分かんないんだろ?もしかしたらさっき切った木は隣りの家の大事な木でシャワーを浴びたのはお向かいさんの家だったのかなあ?(笑)
2012年07月28日
コメント(14)
岡崎ICまで車で2分、岡崎市でも指折りの閑静な高級住宅街(の近くにある普通の一般的住宅)である我が家が現在駐車場を作るために工事をやっている。本日は86万円という天文学的金額がかかるその工事の進捗状況を画像付きで紹介しようと思う。2012年6月18日撮影。工事前。ガレージ上の家は店の在庫がほとんどを占めており他には雛人形やら五月人形やら桐箪笥やらに紛れて車のバンパーやらサスペンションやら本やらCDやらとにかくゆうに数百個はある段ボール箱が積み重ねられていてもはや立体的迷路と化しているのである。2012年7月23日撮影。排管工事当日。曲がっている排管を掘り起こして切ったり繋げたり。これが高かった。ちなみに東海地方では正月が終わってもそんなことは関係なく玄関に正月のしめ縄が飾られっ放しという風習がある。決して我が家だけが怠慢というのではない。2012年7月26日撮影。階段とブロック塀が積まれた。もちろん鉄筋は入れてある。2012年7月27日撮影。郵便受けつきました。近所の近藤さんがタイルを貼ってくれている。余っていたタイルということで工事費は格安。今朝は階段より玄関側の庭の一部を掘り起こすということで常日頃ボールペンより重い物を持ったことのないワタクシがヨメの植えた龍の髭とかいう芝生を太くしたような植物をよろよろとスコップで掘り起こしたのであった。今夜は帰宅してから手前の高い木を切り倒す予定だ。斧でカコーンカコーンとやっといて「倒れ~るぞ~!」と言って逃げたけれどもこちらに倒れてこないように注意しよう。
2012年07月27日
コメント(8)
僕が子供だった頃は橋の下に乞食が住んでいたりしたものだ。神社で野球をやった帰り道、薄暗い道を歩いていると橙色の街路灯の下をボロをまとった老婆が歩いていたり乳母車に生活用品のような物を積んだ老人と擦れ違ったりそれはもう子供心にとって怖いものだった。子供の頃、金持ちの本家に泊まりに行くと長い廊下の先にある風呂は金色のライオンの口からお湯が出る給湯口になっておりけれどその風呂場や汲み取り式便所や長い廊下の灯りといえば暗い裸電球がぶら下がっているだけの怖い空間であり乞食と擦れ違った街路灯下の光景と見事に重なるのであった。そんな作りつけの栄華と吝嗇のアンバランスは滑稽であった。そのせいか中学生の頃から僕の将来の夢というものは偉くなるとかどんな職業に就くとか金持ちになるんだとかそんな夢は放棄した感があるのである。一切の放棄。それは全てを許された自由と同義語であった。僕の夢は「どこででも野宿できるようになること」となった。高校生になってからは学校をサボって山や丘や駅で野宿し写真専門学校在学の3ヶ月間のうちかなりの日数は公園で寝たり友人の家を泊まり歩いたりした。社会人になってからはインドの路上で野宿やら日本の山の避難小屋までランプと寝袋を持って寝に行ったりともはやこれでボロさえまとっていれば乞食と同じに「なれた」のだ。精神の解放。無論それイコール乞食ではない。ホームレスの人だって自由を求めた結果ではなくやむを得ずそうなってしまった人がほとんどだろう。しかしホームレスの人が携帯電話を持っているのを見たりこうして昼のデパートを徘徊するのを見ると辟易する。寂しいのか?じゃあ戻れ。俺の「束縛からの解放」の夢を壊すな。その生き方を選んだのなら孤高であれ、と思うのである。
2012年07月26日
コメント(9)
7月の山を歩くのに厄介なのはスノーブリッジである。谷間を横切る際、残雪の薄い場所を歩けば底が抜けるのだ。残雪の下は雪解け水の流れる川なので落ちれば濡れる。濡れるだけならいいが数メートルの落差の場合は怪我をする。足元の下からは轟々と水の音がする。踏み抜かないようにするには雪の表面の色を読む。やや透明がかった黒色部分は要注意の色だ。その残雪の縁から下を覗けば緩い鍾乳洞のようになっており雪からポタポタ滴り落ちる水が集まって川になって流れている。夜明けに通ったスノーブリッジが下山時には崩れていることもある。また、雪に埋もれていた枝が突然跳ね起きる時もある。雪で止められていた岩が突然転げ落ちる時もある。この季節は自然が仕向けたトラップを見抜く面白さがある。
2012年07月25日
コメント(10)
昨日の日記に出てきた神主さんとの会話はまだある。僕とKくんと神主さんが3人で湖畔に座っていると遠くを歩く白装束の信者の姿が見えた。金剛棒に鈴を付け、チリ~ン、チリ~ンと歩いている。ここ御嶽山では普通に見られる光景である。「見なさい。あの人は乞食(自縛霊)を7人も連れている」神も仏も信じず霊感も全くない僕達にはもちろん見えない。霊感が強いだとか心霊が見えるという人は時々いるのだ。でも僕には見えないものだからそう教えられても困る。科学的・生物学的証明がなければ信じられないのだ。神主さんの言うところによると、巡礼修行者の中には自分で巡礼修行のためにこの山に「来ている」と思っていても実は乞食(自縛霊)に「来させられている」場合もあるという。そんな非現実的な胡散臭い言い分を僕は全否定できるのだろうか?自分では「湖に魅せられてこの山に自分の意思で来ている」つもりが実は「霊がこの山で成仏されたいがために僕を利用して 湖に魅せられて来ているふうに思わせて連れて来ている」のだろうか?ハイキングなんてそんなに深く考えて歩いてもしょうがない。気分転換や日常の忘却、逃避、爽快感などのために来ているのだ。ただ、僕はこの山にもう7~8回登っている。それは果たして自分の意思なのか?それとも・・・?「誰もわたしを避けて歩くことはできない」「星々の巡行も、葉が舞うのも全てはわたしの意思である」聖書にもマハーバーラタにも同じ意味の言葉が出てくるのだ。
2012年07月24日
コメント(16)
(昨日の続き)湖畔で出会った白装束の男は京都の神社の神主さんだった。何気ない会話をしていたら突然神主さんがKくんに向かってこう言った。「お前さん、もうじき3人目の子供が生まれるな?」「・・・・・!」そのことはKくんも昨日知ったばかりだし僕も聞いたばかりだ。山に入ってからはそのことについての会話もしなかった。他の第3者が知るはずはないのである。「そのお子さん、大事にしてやれよ。本当に大事にしてやれ」神主さんはくどい程にその言葉を繰り返した。下山の際の別れ間際にもまた「お子さんを大切に」と言った。Kくん夫婦はもちろん第3子を出産した。3人目も女の子だった。どこの家庭でもそうであるように末子は一番かわいいのである。Kくん夫婦はその子供を溺愛して幸せに暮らしていた。その子が2歳頃になった1月初旬、Kくんからハガキが届いた。「急なことですが三女○○が天国に旅立ちました」その夜、僕はKくんの家にすっ飛んで行った。彼の話では、大晦日の夜に一家で初詣に行って神社でお菓子を貰った。そのお菓子を喉に詰まらせてその子は死んだのである。元旦の夜中のせいで救急車はなかなか到着せず、Kくんの応急処置も虚しく子供は彼の腕の中で息絶えたそうである。実はあの湖畔で神主さんの言葉を聞いた時、既に予感はあったのだ。死産という形で表れるのかと危惧していたその予感はKくんの円満な生活によって既に過去のものとなっておりまさかこんな形で悪い予感が的中するとは思っていなかった。こじつけといわれればそれまでである。Kくんの子供は賽ノ河原で石を積んでいるのだろうか。ひとつ積んでは母のため ふたつ積んでは父のため・・・。【賽の河原地蔵和讃】は哀しい話である。
2012年07月23日
コメント(8)
もう10数年前になるが御嶽の湖畔で奇妙な体験をした。その時は何とも思わなかったが、後になって思い出すと「あれはああいうことだったのか」とつながるから単なる僕達のこじつけなのかも知れないが。その年、僕と同行者Kくんは愛知から御嶽に向かっていた。夜半までは雨が残るが朝には天気は回復するという状況で僕は激しい雨の中、ワイパーを最速にして車を走らせていた。Kくんは僕よりも年上で、10歳を過ぎた年頃の娘が2人おり幸せな家族生活を送っていた時である。Kくんはポツリと僕に打ち明けた。「たつじん、3人目の子供が出来たんだ。昨日判ったんだ。 でもな、2人目の子と10歳も違うしな、今更この年齢で・・・。 嫁と相談して・・・、相談してな、堕ろそうと・・・」「産めよ!産まなきゃ絶対。重い十字架を背負うことになるぜ」「うん・・・、そうだなあ・・・」雨の中の重い会話はそれきりになり、途中から雨は止み僕達は夜明けから暗い森の中を山頂に向かって歩き出した。朝の6時には山頂直下の湖に着き、2人はそこで少し眠った。湖畔に立つ鳥居の横でリュックを枕に眠ったのである。人の足音で目が覚めると1人の白装束の男が立っていた。 (長いので明日へ続く)
2012年07月22日
コメント(8)
山の朝は美術館で絵画鑑賞するのと同じである。尤も僕はゲージュツには疎いので美術館は似合わない。順路に従って歩き、ふむふむと後ろ手なんぞを組んで分かったような分からんような振りをするのも苦手である。その点、山で見る水彩画は単純でよろしい。「ほほう」もなければ「むむ」もない。知ったか振りで作品なんぞに目を近付けたり一歩退いて遠目で鑑賞なんぞという動作をする必要もない。ただ「ドド~ン」とある景色に見とれていればいいのである。寝転がって見ても自由だし写真撮るのも自由だし荷物からキットカット取り出して食べてもOKだしタバコ吸ってもOKだし立ちションしながら見ても怒られない。しかもその壮大な水彩画は時系列で色やタッチが変わるのだ。絵画の中には発見はあるが進行形の誕生や死はない。自然が見せる水彩画は見ているその瞬間にも生と死がある。雲から発生した水蒸気が今まさに一輪の花に朝露をもたらし今この瞬間に苔の芽が初めて地表に姿を出して最初の呼吸をし草の裏側に作られた蜘蛛の巣に羽虫が捕らえられ餌食となり木の上の巣で鳥の卵が孵化する瞬間を迎えつつありきれいな蝶が今、寿命を迎えて地面で最後の痙攣をしていて土の中ではバクテリアが腐食した木の根に群がっている。昼間の流れ星が見えないように、風が透明なように「見えないが現実には起こっている自然の摂理」が想像力によって見えてくるのが山の景色なのだ。水彩画を見たのは去年の秋のチブリ避難小屋泊以来であった。
2012年07月21日
コメント(16)
自宅から片道4時間、長野の御嶽山(おんたけさん)に行って来た。今回は登山ルートを変えて知らない道から歩いたのだがそれが大ヒット! 次回からはこのルートで歩こう。詳しくは下記で。今回もきれいな風景が見れて大満足。 ⇒【2012年7月 御嶽山】
2012年07月20日
コメント(16)
長男が振り替え休日ということで独りで山に出掛けた。行ったのは長野県の大天井岳(おてんしょうだけ)だ。親としてはやっぱり天気とかが心配で長野の天気を見たり山小屋のHPを見たりしていたのだが夕方にアップされた山小屋ブログを見てびっくり。【息子が登場していた】のであった。(次のページの夕焼けもすげえ)梅雨の合い間ということで山小屋の宿泊客は1人のみ。しかも絶好の天気で山歩きを堪能してきたようだ。夕方には自宅に帰って来て写真を見せてくれた。息子とは何度も山に行ったが彼が単独で行ったのは初めて。これで1人前の山男ということかな。
2012年07月19日
コメント(16)
以前にも書いたかも知れないが僕は酷い低血圧である。早起きは大の苦手、早起きするなら徹夜の方がいい。毎朝9時ちょい前に起きてヨタヨタと壁を伝いながらまずはトイレに行くのであるがオシッコをする際に男ともあろうものが朝だけは便座に座り目をつむりながら夢うつつに用を足しているのである。もちろん朝ごはんは何を食べたか思い出せない。9時半過ぎに自転車で家を出て出勤するのだが気がつけば通勤経路の中程まで自転車は進んでおりあれれ、もうこんな所まで、と思うこともしばしばだ。店に着いてパソコンを立ち上げ昨夜のネット落札者の対応をする。その入金確認の際もパスワード何だっけ?と迷ったりし売れた商品を梱包して宛て名を書くのだが夕方のヤマトさんの集配の時には「こんな宛て名書いたっけ?」といやもう、午前中の仕事はあやふやで非常に危なっかしい。昨日はネット落札のリングを梱包中にお客様が来店されアクセ2点を買ってくれて店の袋に入れてお渡ししたのだがさて、さっき梱包中だった発送用リングが見当たらない。どこに置き忘れたんだろ?下に落ちちゃったのかな?とゴミ箱の中まであさってみたもののリングは見当たらない。もちろんズボンのポケットの中、引き出しの中などあらゆる場所を探したがとうとう見つからなかったので全く同じリングを再梱包して発送したのであった。そして今朝、昨日のお客様から電話があり「アクセを買った袋にリングが混ざってたけど」と親切にも連絡して下さったのであった。いやはや、もう自分が情けなくなってくる。(笑)昨日のブログは親父のボケっぷりを書いたのだがむむ、オレも相当マズいんじゃないか、と思っている。朝元気なのは○○○だけという下ネタはここでは割愛させていただく。
2012年07月18日
コメント(14)
まもなく78歳になる父親からメールが来た。「車のクーラーが効かんがガスチャージいくらぐらい?」僕は「オートバックスとかで大体4千円ぐらい」と返事をした。すると「ちょっとした手違いしてて効くようになった」とのメール。もしや?と思い「まさか設定温度を30度とかにしてたの?」と訊くと「エアコンスイッチをONにしてなかった」というではないか。(笑)おいおい、これってちょっとヤバくねえか?いつぞやの【DVD事件】とは違うタイプの問題だぞ。遂にボケが出始めてしまったのか?しかしメールのやり取りは普通に出来るしなあ。相変わらず親父は見栄っぱりで、現在クラウンに乗っておる。(といっても15年落ちぐらいの中古車なので買い値30万程度)昔からBMWだとかそんなタイプの中古の高級セダンに乗り僕とは全く逆の好みなのである。しかも高齢がゆえに非常にチンタラと走るので後ろを走る車はさぞかし迷惑であろう。もうそろそろ軽自動車に乗り換えて欲しいもんだ。得てして金持ちコンプレックスの田舎の中流家庭の男は見栄を張って高級車に乗りたがるものである。僕のような臆病者がスポーツカーに乗りたがったり身長の低い人がデカい車に乗りたがるというのは潜在的コンプレックスの顕れだともいえる。やはり身分相応の所有をするというのがスマートでいいぜ。ちなみに親父は「次はベンツに乗ろうかな」と言っていたので「買わなくてももうすぐ観音開きのベンツに乗れるよ」と言ってある。
2012年07月17日
コメント(10)
車を1台買い増したことにより玄関先を潰して駐車場を作るのだが見積もり書を受け取った。ヨメの知り合いに工事を頼んだので他より安くやってもらえる。見積もり、はちじゅうろくまんえん。86万円。車検2年付きの中古車49万円と合わせて135万円である。うっひょおお~! どっからそんな大金を都合するんじゃい!というわけで本日の店の売り上げ1日分で払おうと思ったのだがあと133万円売らないといけないのである。やむをえん、息子に催眠術かけて暗証番号聞き出そう。僕の2人の従兄は2人とも医者である。それはそれはとんでもない金持ちで、どれほど金持ちかというと「自宅の自転車置き場を作るのに1億円をかけた」という桁3つか4つ間違えていませんか?という富豪っぷりなのだ。僕の母親はこの親戚(僕の父の姉)には酷い仕打ちを受けていて「玄関から入って来るな、裏の勝手口から入って来い」という本当にムカっ腹の立つおばさんだったのである。いやあ、お金は大切だよ、欲しいよ。でもさ、お金を持つと何か錯覚を起こしちゃうんだろうね。傲慢になったり他人を卑下したりして大切な人間性を失う。そういう人達を何人も知ってる。「大金を手にした時にその人の本性が分かる」「大金を手にしてもブレない人間であれ」と言った僕の師匠、僕は135万円を捻出するだけで必死ですわ。(笑)(この赤線内を壊して駐車場にする。予算上屋根ナシ。 ↓ )
2012年07月16日
コメント(16)
こういう店をやっていると色々な人が質問にくる。「今度タイに行くんですけどどこがいいですか?」この問いに僕は正直言ってうまく答えられない。観光地には行かないからである。僕がいいと思っても相手はそうは思わないかも知れないし。ただ、昨日お客さんに訊かれたような質問には答えられる。「アユタヤに来月行くんですがお薦めの安宿知ってますか?」ということでこんな地図を書いて紹介した。むむ、分かりやすい!オレって地図の説明うまいなあ、と独り悦に入るのであった。まあ...確かに外国の町を教える地図としては簡略過ぎるがアユタヤ駅に降りたら舟に乗って、自転車借りて遺跡に向かって真っ直ぐ走ればその近くに宿はある、という何とも冒険心をくすぐる海賊地図みたいで楽しいではないか。でも肝心の安宿の名前が分かりませんね、ってか?大丈夫、オレも知らないから。夢の中にいるように旅をできればそれでいいのだ。 ⇒【2010年3月に泊まった宿】 ⇒【2006年5月に泊まった宿】
2012年07月15日
コメント(14)
昨日は自分用の車を仕入れるということで県内の某中古車オークション会場へ行ってきた。前日から出品リストをチェックし(会員でないと見れない)店を急遽閉めてスリランカ人の友人と出発したのであった。県内某中古車オークション会場のせり現場。せりの流れはこちらに解説されているので省略。巨大モニターを挟んで向こう側にも座席が多数ありドバイ、バングラ、パキスタン、スリランカ人が闊歩している。さて、僕の欲しい車の番になり入札ボタンを連打するもあっけなく高値更新され落札出来ず。ボーナス直後という時期が災いしたのか過去の落札統計額より高値になった車が多かった。車体価格40万なら買うと決めていたのだがなんとそれを大幅に20数万円も上回る金額で他社が落札。第2候補から第5候補も全て玉砕。同行のスリランカ人が買おうとしていた車種も130万円の希望を上回り148万円で他社が落札。2人で寂しく会場を後にしたのだった。完全敗北。それにしてもプリウス人気はすごい。プリウスだけの専用ゾーンは各国の業者がチェックしていてこれらがほとんど全て今日中に完売になって出荷されて行くのである。会場のゲート外には積載車やキャリアカーがズラリと並び日本各地や名古屋港に運ばれて行くのだ。ちなみに背後の立体駐車場も全て販売車。場所はこれだけではない。毎週通い詰めている業者は用意周到に自分用の自転車を持って来て広大な会場を移動している程広いのだ。こういった中古車オークションは平日はどこかでやっているので来週以降に再度挑戦しようということになったのだが今回は僕の個人用中古車を買うということだったのでカーセンサーでチェックしておいた【ガレージ・サトー】にも念のため現車を見に行ってみるか、と向かった。ガレージ・サトーに行って現車を見せてもらうと予想に反して程度がムチャクチャ良い。正直言って他に買う候補もあったのだがコレに決めた。車検を2年つけてもらって49万円。先日のブログに書いたように「醜い車が希望」だったのだがブスは3日で慣れる、美人は3日で飽きるといわれるようにこの車種も何だか慣れてきたというか好きになってきたというか以前はどの角度から見てもダセエと感じ全く眼中になかった車があれほどまできれいに整備されているとなると好きになってきた。もちろん過去の愛車サバンナRX7とは全く次元の違うタイプだがこの醜い車もちょこちょこ改造してあるようで(ノーマルでも速いのにマフラーと足廻りが改造してあった)コレこのまんまサーキット走行会に出れるじゃん、って感じだ。ガレージ・サトーさん、良い車をありがとうございました。ご家族で経営しておられる本当に誠実そうな販売店でここで買えたことをとても嬉しく思ってます。(有)ガレージ・サトー 住所:愛知県あま市篠田長堀45営業時間:09:00~18:00 定休日:毎週月曜日
2012年07月14日
コメント(8)
明日は店を閉めて中古車オークション会場に出向く。中古車が数千台、見渡す限り置かれているアスファルトの世界。考えてみると5月の【嵐の宝永山、金環食ハイキング】で山に行って以来、月1回の定休日は中古車関連の雑用をしていて全く自然の中に行かないでいるので精神的に疲れている。今年に入ってのんびり山に行ったといえば恒例元旦ピクニックと2月の樹氷を見に行っただけだ。去年の今頃ってどっか行ってたかなあ?と過去ブログを見ると【berryくんと御嶽山】に登ってすんげえ朝焼けを見ていた。その後、不思議な空間の【虚空の塔】あたりでのんびりしてたなあ、などと過去を懐かしむ高齢者的な考えになっている。これはイカン。どっかに行かないと息が詰まるぞ。まあ、とりあえず明日はオークション会場に行って不人気ブサイク車を探してこようっと。
2012年07月12日
コメント(14)
今日も車ネタですまん。昨日のブログにも書いたが醜い車を探している。このマイティボーイも真剣に検討してみた。こんな軽トラだか何だか分かんないような車体にとんでもないエンジンが移植されているのである。しかし問い合わせたところ、クラッチやミッションがノーマル。申し訳ないがエンジンとシャーシのバランスを考えるとブン回すと壊れちゃいそうなのだ。以前ヨメの車を2台壊したことがある。ぶつけたのではない、エンジンが壊れちゃったのだ。1台は軽だったがボディがねじれてドアが閉まらなくなったり山道でマフラーから火の粉をドバババ~とぶちまけたりした挙句オイル噴いたのかな?忘れちゃったけど、死んだ。もう1台はステーションワゴンだったけどこれもエンジンが悪くなっちゃったんじゃないかな、これも死んだ。もうちょい耐久性に優れた車作ってくれや、と思ったのである。ということで醜い車を引き続き探していたところ、あったあった、僕とは全く釣り合わないようなデザイン。うっは~、このテールレンズの位置といい車体デザインといい不格好で絶対乗りたくないような車である。(この車種に乗ってるオーナーの人、すんません)ただこのモデル、限定としてレース参戦用として作られた車。アルトワークス進化系エンジン、バケットシート、硬い足回り、そして何よりフロントにヘリカルLSDを装着しているのである。こんなダサいデザインになぜ?という疑問が残る。(笑)市場価格はこの走行距離と年式、程度なら80万円以上する。リンク先の車は白色だが今週末のオークション出品車両を見たら同程度かもう少し良い程度のグレー色が10万円スタート。落札価格の統計を調べたら半額程度で買えるのである。この不格好な車を詳しく調べていたら何だか好きになってきた。いかん、惚れてしまいそうだ。ブルドッグのような顔の犬を飼う人の気持ちが何となく分かってきた。
2012年07月11日
コメント(16)
現在我が家にはギリギリ3台入るガレージがあるのだが来月ぐらいからもう1台分の駐車スペースを作る予定である。玄関先の庭の半分(ざっと見渡して500坪ぐらいか?)を知り合いの業者さんに潰してもらってコン打ちする計画だ。ただ残念なのはヨメが丹精込めて育てた植物や花達を全部刈り取ったり木を切ったりせねばならないことだ。地球温暖化を危惧する僕にとって広大な面積の庭がコンクリートの地面に変わることは心が痛む。そんなわけでついでに僕専用の車を買おうと思っているのだが以前の愛車とは比較の出来ないほど醜い車を買おうと思っている。不人気車、見るからに遅そうな車、デザイン最悪の車というのが希望だ。そんなダサい車にならある程度の予算を注ぎ込んでも構わない。しかし条件として経済的事情により維持費の安い軽自動車のみ。軽トラでもいいし、おじさんおばさんっぽい軽でもいいしとにかく見た目がダサい白とか紺とか茶色とかヘコミありとかバンパーに擦り傷ありとか外観には一切こだわらない。ミニカとかトゥデイとかアルトとかミラとかヴィヴィオとかキャリーとかアトレーとかサンバーとかのサビサビ軽トラでもOK。パッと見てどう見てもノロくて薄汚ない感じがいい。僕がその車に愛着を感じないような、そしてそうすることによって以前乗っていたサバンナが永遠のものに神格化されるようなとことん醜い車を選びたいのである。ただし、外見のダサさと裏腹にすごいエンジンというのが希望。インタークーラーターボかスーパーチャージャーが付いていて山道でスポーツカーと勝負して勝てるような車がいい。願わくば、僕のサバンナと出会った時にブチ抜くような車が。矛盾してて捻くれた考えだが何となく理解してもらえるだろうか?(編集部注1:文中の500坪というのは間違いです)(編集部注2:文中の予算というのはブッ込み30万以内の間違いです)
2012年07月10日
コメント(12)
先日、車の部品を代理落札して碧南市の鈑金屋に発送した。住所を調べている時にふと気付いて地図を検索してみると20年前に住んでいたアパートのすぐ近くというのが判明。娘がまだ3歳、長男はこのアパートに住んでいた時に産まれた。当時MAZDAで働いていた僕はBALI島に家族で行くために辞職をしBALIの田舎で2ヶ月間居候して暮らしたのであった。その間、アパートには会社の女友達に住んでもらい「ええか、たまにはサバンナ動かしてそれで通勤してくれ」ともうそれだけが気がかりといういい加減ぶりであった。帰国した後は干支作りのバイトで暮らしていたのだがまた気分次第で引っ越して現在住んでいる岡崎市に来た。おお、そうだ。引っ越す頃は引っ越し屋で働いてたんだった。所長に「オマエやれや!」と言ってその日限りで仕事を辞め一緒に辞めたトラック仲間9人と花見に出かけ酔っ払いを池に投げ込んだりして荒れてた頃だったなあ。なんたってパーマかけて赤いズボンとか履いてたからな。(笑)あのアパートのあった場所は随分と開拓されているらしいので20年の時を経た今じゃ通っても迷子になるかもな。実家→そのアパート→ボロ長屋という経緯を辿って今は1階と2階を犬が自由に行ったり来たりする家に住んでいる。「ルークさん、まんま食べるよ」と呼ぶと2階で寝ていたルークさんは階段を走って降りてくる。
2012年07月09日
コメント(12)
迎えの車を待っている時間の空はブルーアワーだ。心地良く風が吹き、なんだか空の写真を撮りたくてカメラを出していると息子がカプチーノで迎えに来た。七夕の夜は特に雲が忌み嫌われるものであるがこの夜に限って(流星群の夜もか)月も嫌われるのだ。すぐに沈んでしまう三日月ならともかくこの夜の月は明るければ明るいほど邪魔者扱いとなる。昨夜の月は確かに不細工な月齢だった。しかし、夜の山を歩くのが好きな僕にとって深夜の月明かりは非常にありがたい。ライトを点けて歩くよりも月明かりで歩く方が風情である。シンとした森の中の登山道、上を見上げれば木漏れ月。稜線に出れば月はまさに「ぽっかり」と天空に浮いている。宇宙の絶妙なバランスによって人類は生かされている。 おまけ ⇒【約1年前の印象的な深夜ハイキング】
2012年07月08日
コメント(14)
七夕という漢字を見ていてふと考えた。「なんでコレでたなばたと読むんじゃい」という疑問である。語源調べフェチであるワタクシは早速検索。へぇ~、古くは多那婆多とか棚幡と書いていたらしい。(説明面倒なのであとは自分で調べてね)そういえば昔聞いたことがあるのだが七というのは北という字の右半分を表しており「裏切り」の意味を合わせ持つらしい。ついでに数字関連になるが漢字の九、これは人が膝ま付いている象形文字らしい。以上、全くコメントのしようがない日記でした。今から頼まれた中古車部品の検索、翻訳の仕事があるので終わり。
2012年07月07日
コメント(12)
最近は経済的事情および時間がなくて海外買い付けに行かずメールオーダーで商品補充をしているのであるが先回の買い付けからもう2年近くも行ってないんだなあ。先回は問屋街の衰退に思い切りビビりまくったのだった。仕入れ先を教えないというのは小売業では暗黙の了解だがそれは日本国内では同業者はライバルということでけれど現地で出会う同業者とは「仲間」となることが多い。「日本の方ですね。どこの県?」みたいに会話が始まり「その商品をお探しならあのエリアに行けばあるかも」みたいにお互いの情報交換として非常に有意義な出会いとなるのだ。以前、神戸に店を持つMikiと出会い、財布小物を探していると知った。それなら安い店がある、俺もその辺りに行くから一緒に行こうと誘った。その財布小物の店主は僕よりもやや年下のナヨナヨした男であるがその安さのお陰でいつも大量に発注しているので僕とは仲良しだ。「ハイ、サイトー。また来てくれたんだね」「この人が財布欲しいらしいんでね」しばらくするとMikiが耳元で日本語で囁く。「達ちゃん、この店高いで!卸し価格なのにぼったくりや」「え?そんなはずは...。俺いつもココで買ってるわ」「この財布が50バーツって言うんよ。他では25バーツやで」「違うってMiki、50じゃなくて15だぜ」「Yes,Ms. Not Fifty. Fifteen」昨日のブログでも書いたがこういう単純な聞き違いもある。さて、そのナヨナヨ店主のことを僕はオカマだと思っていたのだが数年後には本物の女性と結婚して子供もできた。僕の疑いは数年越しに払拭されたわけである。確か大阪でMikiと再会した時にそのことを話したら「わたしも彼のことオカマやと思ってたわ~」と言っていた。
2012年07月06日
コメント(12)
最近よく頼まれるのが外国人の中古車屋からの代理落札だ。彼らもヤフオクで検索するのだが漢字や片仮名が読めないし落札しても出品者とのコミュニケーションがうまく取れないので僕の所に電話で代理落札の依頼が来るのである。それに彼らは日本語で書かれた商品説明が読めないので難あり、割れあり、付属ネジなし、不良個所なし、など「あり」や「なし」ぐらいは読めても他が読めない。そもそも車種を検索する際にもアリストとは検索出来ず「1UZ-FE」だとか「JZS160」というエンジン型式や車体形式という専門番号でしか検索できないので当然ヒットしないのだ。そこで僕の出番となるのである。「ZVW30(3代目プリウス)の右テール買って欲しいんだけど。 ヤフオクで○○○円で売ってる。オークション番号xxxxxxxのやつ」そこで僕が「プリウス右テール」で検索してみるともっと安いのが売っているのでそれを教えるのである。もちろんそこで商品の状態の良し悪しも訳す。「それはヒビがあるからダメ」「これは程度いいけど安い」など常に値段と程度のバランスを提示して最終的な判断は相手に任せる。それよりも「ZVW30」の発音が問題だ。僕達日本人なら「ゼット・ブイ・ダブリュー・さんじゅう」なのだが彼らは「ズィー・ヴィー・ダブリュー・サーティ」と言うので聞き方により「GEW13」や「ZBW13」や「ZBW30」「GBW30」に聞こえる。そこでまた日本人同士なら「ベトナムの頭文字のV」となるが英語だと「ヴィェトゥナンのヴィー」てな感じに聞こえる。正しい発音も大事だが彼らの発音の癖も読み取ることも必要だ。インド人の言う「Mr.」はミスターではなくマスタルだとか「FAX」をパックス、「thousand」をタウザンと発音だとかすぐにその国特有の発音に思考変換できるのだがむしろアルファベットの単体発音の方が厄介だなと思っている。
2012年07月05日
コメント(12)
日頃目にしているのに意味を知らなかった言葉は多数あるが【妹その3のブログ】で目から鱗の言葉の意味があった。ホームセンターとかでよく見かける「DIY用品」というやつだ。このDIY、今でも何て発音したらいいのか分からんのだが僕は勝手に「デイ用品」と発音していた。読者の皆さんでまさか「ディーアイワイ用品」というようにそのまま1文字ずつ読んでいた人はいないだろう。わざわざ発音することはないけど「日曜大工用品」みたいにニュアンスだけ知ってたというのがほとんどではないだろうか?おそらく何の略の言葉かは知らないんじゃないかな?なんと、「Do It Yourself(ドゥ・イット・ユアセルフ)」だそうなのだ。この世に生を受けてあと数年で半世紀だというのに久し振りに「へぇ~、そうだったんだ!」と思ったのである。これはまずは家族に自慢というか、教えてやらにゃならんと思い20歳の長男に訊いてみた。ファンではないが彼が知っている略語といえばどうせAKBやSKE程度であろうと思ったのである。「おめ、ホームセンターとかのDIYって何の略か知っとるか?」「う~ん、・・・・わからん」「ふふふ。ジャスト・ドゥ・イットの略なんだよ」「・・・・・ はぁ?」「あ、しまった!ドゥ・イット・ユアセルフだった!」
2012年07月04日
コメント(14)
西日が助手席側から照りつける夕方。サバンナとの再会と別れをしての帰り道。ふっ切れた清々しい気分と妙な寂しさの混じった気分で頭の中はなんだかふわふわした感じがしていた。カーステレオで音楽を流していたはずなのだが全く無音のような世界で何も覚えていない。ただ機械的にクラッチを踏みシフトを変えブレーキを踏み長い信号待ちでふと車の外を見ると薄紫の花が揺れていた。彼岸花のような、多分有名な花なのかも知れないがそれらが西日を浴びて妙にきれいな輪郭をもって目に写った。助手席に置いてあったカメラで1枚静かに撮る。カメラをどう起動させたのかも分からないので撮ったというより「写していた、写っていた」という感じ。街の喧騒も何もない無音の世界に咲いているようだ。別にこの花に癒されたわけでも心を打たれた訳でもないが自分でも恐ろしいような優しい気分になって押し殺したような楽しい気分の泣き笑い。人も花も全てのものも、これが最期の見納めだと思えばいつもよりずっとずっと優しく、そして愛しくなれる。いつか散るのは人も花も同じ、天界の宿命(さだめ)だ。さてと、信号青だ。家どっちだ?
2012年07月03日
コメント(14)
先日の夕方、ラジオスタジオに行った帰りに僕が手放したサバンナRX7を売っている中古車屋に寄ってみた。車なんぞを女性に喩えるつもりは毛頭ないが一途に愛したけれども別れた女と再会するような気分で(よりを戻そうとか下心とかは全然なく、という思いを持って)ドキドキしながら中古車屋の人に声を掛けた。「あの、SA22C(サバンナのこと)を見たいのですが...」「こちらへどうぞ」と案内されたのは屋根のある広いガレージ。てっきり雨ざらしになって陳列されていると思っていた僕はあの車にはやはりそれだけの待遇がされているのだ、と少々感激。ガレージの中には旧車の名だたる名車達、スカイライン(箱スカ)や通称だるまセリカ、パブリカ、ヨタハチ(トヨタS800)など「博物館みたいでしょう?」と店員さんが言う通りの壮観な眺め。「これ、僕が22年間乗っていた車なんです」という言葉が出た。店員さんはそれを「乗っていた車と同モデル」と思っただろう。まさか「乗っていた現物車」とは考えなかったのではなかろうか。写真を撮ってもいいか?という問いに快諾してくれたので乗りつけた車にカメラを取りに戻って撮影。隣りに車が並んでいたので全体像を撮ることができず近くからアップでしか撮れなかったがそんなことはどうでもいい。会ったら泣くだろうと思っていたが、そんな感情は微塵も感じずまるで小学校のクラス会に出て初恋の子に会ったような気分で5分ほどの再会を終えて清々しい気分で中古車屋をあとにした。会って良かった。ああやって雨風をしのぐガレージで他の名車達と並んでいる。「今日な、俺の昔のオーナーが会いに来て頭撫でてくれたぞ」「いいなあ、俺の昔のオーナーも会いに来てくれないかな」夜になれば仲間とそんな思い出話でもしているんだろう。僕はもう充分満足だ。元気に道路を走り回りたいだろう彼らには申し訳ないが人目に触れないあのガレージにいたら買い手は見つからないだろう。そうして時は過ぎていき・・・、それでいいのだ。
2012年07月02日
コメント(14)
全29件 (29件中 1-29件目)
1