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楽天ポイントの有効期限切れ間近なものがあったので使わにゃもったいないと思って楽天ブックスを覗いた。太宰治の作品はほとんど読み尽くしたのだが全集や編集本に載っていても単行本にしか収録されてないいわゆるブラックスポット的に読んでない作品もあったので下記「きりぎりす」を購入。(といってもポイント使用でタダ)それにしても最近発刊された太宰の単行本の表紙は酷い。監督やカメラマン、音響、俳優などヘタクソ揃いが作った見るに耐えない超低レベル日本映画の「人間失格」だの「ヴィヨンの妻」だの、そこそこの俳優を起用し作ったせいで太宰作品が世に知られるようになったのはいいが映画だけ観て「太宰って○○ね」と語られるのはたまらない。あんな低級映画を3流4流の映画監督が作ったせいで(そしてあのカメラマンと音響の恐るべきレベルの低さ!)太宰作品のレベルまで下がったようでムカつくのである。(生田斗真くんはかっこいいんだが)まあ、そんなアイドルだかタレント見たさのファンに合わせ太宰の単行本の表紙デザインが若い人達向けになるのはいいが表紙に男優だの女優だのの写真がド~ンと載ったりなんぞしてそんな表紙の本は逆に購買意欲を失ってしまうのである。いってみれば国際情勢を分析した書籍の表紙に工口写真が使われているのと変わらんじゃないか、とか山の紀行本に海洋生物の表紙が使われていると同じで、純日本文学に着物を着た茶髪のアイドルの写真を使うなんぞ僕の好きな太宰治を冒涜してるんじゃないか、と思うのだ。あ、太宰のことになると熱くなってしまうのだが太宰文学を媚びまで売って買わせようとするぶんか社だのゴマブックスなんぞの出版社の企画編集部だのに言いたい。「てめえら、日本文学の発行企画には向いてねえ!」掃いて棄てるようなアイドル雑誌や工口雑誌でも作ってろ!てか、そこまで文句言うなら楽天ポイントで手に入れるんじゃなくちゃんとお金払って買えや!と言われたら返す言葉もない。(笑)【送料無料】きりぎりす改版 [ 太宰治 ]価格:578円(税込、送料別)
2012年08月31日
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ニュースでまたまた呆れた。僕は原発反対派なので、推進派の人達と意見は違うしまあ色々意見が違うのは当たり前だろうけどつまり「政府なんぞアテにするな」ということだ。政治屋なんぞヤクザとどう違うのだ。市会議員をはじめ腐った政治屋どもって所詮市民目線じゃなく自分の利権目線、党の方針に右にならえの野郎どもなんだろうなあ。事故と損害の因果関係は確認できないという言い訳。これきっと20年30年経っても補償金出ないだろうな。甲状腺ガンにかかっても同じこと言われて却下だろうな。このニュースも検閲削除されるだろうからコピーしとく。また原発推進派の人達から非難メール来るかな?核処理場、国会議事堂の横に作ったらどうよ?8月29日(水)6時10分配信 宮城県の15の個人・法人が6月下旬、東京電力に行った福島第1原発事故による営業損害などの集団賠償請求で、東電は計2億1635万円の請求に対し、現時点で3万円しか支払わない方針を示していることが28日分かった。事故と損害などの因果関係を十分に調べていないケースもあり、請求者代理人の県原発被害弁護団は「あまりに誠意に欠ける」と批判している。 弁護団によると、請求のうち現段階で、東電が支払う意思を伝えたのは1法人が行った放射線量調査の費用3万円だけ。6個人・法人の請求計約1億2700万円については支払いを拒否した。残る個人・法人には営業実績などを示す資料の追加提出を求めているが、営業損害や逸失利益を補償するとの回答はまだない。 東電側は、国の賠償中間指針に宮城県内の損害の大半が対象外とされていることを理由に拒否するケースが多い。弁護団は「事故と損害の因果関係が明確なら地域にかかわらず、補償される。東電は中間指針を都合良く解釈している」と主張している。 賠償を拒否された宮城県富谷町の淡水魚養殖業者は震災後、東京の築地市場から「原発事故で宮城の淡水魚の注文がなく、出荷しなくていい」と言われた。主力のニジマスの出荷額は震災前、年間約250万円だったが震災後は1万円に落ち込んだ。 こうした経緯を記した文書も請求時に提出したが、東電側は「事故と損害の因果関係は確認できない」と回答。養殖施設が蔵王町にあることも記載したが、東電側は「(富谷町に近い)鳴瀬川では淡水魚が出荷制限されていない」と拒否理由を挙げ、蔵王町の河川には触れなかった。 放射線の影響を心配して野菜の栽培をやめた角田市の農家には「自主廃業は自身の自主的な判断で、事故とは無関係」として補償を拒んだ。 請求に含まれる弁護士費用について「東電は窓口を開放しており、弁護士に依頼する必要がない」とする回答もあった。 弁護団長の菊地修弁護士は「実態を調べもせず、適当に処理したような回答が多い。しっかり対応してくれると予想していただけに驚いている」と話す。 東電東北補償相談センター(仙台市)は「請求者への回答は当社が依頼した代理人の弁護士が行った。弁護士に回答内容を確認し、事故と損害との因果関係をしっかり調べるよう、関係部署に伝えた」と話している。
2012年08月30日
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昔は山道などを走っていてスピンを喫したことが度々ある。大抵は砂が浮いているカーブにオーバースピードで突っ込み制御不能で逆ハンドルを切るもののタイヤの限界を超えて半回転して停まったのだが、幸いにも事故になったことはない。1番酷いスピンは東名高速道路での3回転スピンだった。180キロでのんびり走っていると右後輪あたりで異音。脱落したネジらしき音がホイール内部を遠心力によってシャリシャリと数秒回った後にその音は消えた。とっさに「右キャリパーのネジが外れたのか?」更に連想し「ということはキャリパーが脱落するのか!?」前日に自分でブレーキパッド交換のためキャリパーを外しておりうっかり仮締めのまま運転してしまっていたようである。ブレーキを使ったら一巻の終わりということを想定しアクセルを離して160キロぐらいまで減速した時に右後ろのキャリパーは外れホイール内側に食い込んだ。強烈な制動がかかり高速スピンが始まった。あのスピードでスピンするともうどうにも出来ないのだ。逆ハンドルでカウンターを当てようが全く意味なし。ぐるぐるスピンしながらガードレールに向かって行く。どうせ右後ろのホイール内側はえぐられてるんだしブレーキパッドも割れてるだろうしキャリパーもダメだから最後の最後でフルブレーキングしてから一瞬ブレーキを離しタイヤにグリップが戻った瞬間に舵取りをしてぶつかる衝撃力と方向をコントロールせねば、と思うがそれは低速での雪道では通用するだろうけどこんな高速じゃそんなことも全く無意味なのである。ただ運に任せるしかないのだ。どんなに熟練のドライバーだったとしても制御不可能。3回転した後、奇跡的にどこにもぶつからずに本線上に停車することが出来たのであった。ただ悪運が強いとしかいいようがなかった。まあJAFを呼び応急処置をしてもらって隣県に放置し翌日積載車を運転して載せて帰ってきたのであるが背骨も凍るようなスピン体験はその時ぐらいだ。あとは高速道路で車線変更をした数秒後に今まで走っていた車線に車が逆さまに降って来たとかまあ本当にラッキーなことに車をぶつけたことはない。今月号の雑誌「リバ」のエッセイには車の事故のことを書いた。谷本、読んでるか?(笑) ⇒【エアバッグ】
2012年08月29日
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店の片付けもほぼ終わり、今日は自宅で梱包をしている。昨日は夕方から近所の丘に行って夕焼けを眺めた。1時間のんびりと寝転びながら変わりゆく空の色を見た。街の灯がポツリポツリと点き始めて空が紫色になり近くの駐車場でどこかの家族が打ち上げ花火をやりはじめはじけ落ちる火花に夏の終わりを感じた。そういえばここで夕焼けを眺めるのは初めてだった。岡崎に引っ越して来て、別の言い方をすれば流れて来て喜びとか挫折とか、まあチビリチビリとあったけれども今は一種の虚脱感なんかも感じているわけでそれでもまだご隠居するには早過ぎるのである。ここが海だったらきっと叫んだぞ。何て?
2012年08月26日
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スリランカ人の友人から軽トラを借りて店の荷物を運んだ。ヨメと2人で軽トラに乗ったのは7年ぶりだ。多国籍ボロ長屋から現在の中古一軒家に引っ越す時に軽トラに荷物を積んで何度も往復した。棚やらオーディオやらパソコンラックなどの大物や段ボールに詰めた衣料、アクセなどの店の商品は運んでも運んでも一向に減らず2人共ヘトヘトになった。それでも軽トラで移動する際にはスリランカ人の聞いているインド音楽のCDを聞きながら何だか昔に戻ったようだな、と感じていた。僕達夫婦はインド音楽が好きで、とくにこんな暑い夏、バリ島の田舎で居候していた2ヶ月の間は冷たいタイルの上に寝転んだりしながら物悲しい旋律と歌声のガザルなんかを聴いていた。インドネシアではインド音楽もよく流れていたのだ。居候先にはCDなんて洒落た機材はなく時々町までインド音楽のカセットテープを買いに行った。乗り合い1BOXに乗って走ると田圃の向こうに海が見え村の人達が僕達を見つけて農作業を止めて手を振ってくれた。インド音楽を聴くとあの夏の昼下がりを思い出す。まるで刹那的、行き着く先も分からない、堕ちて行くような宿命すらも哀しいような嬉しいようなそうしてまどろみの中で微笑み合うだけ。運命論者でもないくせに運命に身を任せる時もある。
2012年08月24日
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2週間ほど前、自宅の駐車場を作る時に玄関脇に咲くユリを誰かが誤って踏んでしまった。茎の根元から折れたユリは蕾が固い状態で花を咲かす前に倒れてしまったことに僕は心を痛めた。別に育てていたわけでもない、勝手に生えたユリである。それでも通る度に「もうすぐ咲くね」と思っていた。そして実は同じ頃に死んだある女性とダブらせていたのだ。かといって、咲いても墓前に捧げることはしないけれども。その頃から僕は庭の水撒きをすると言っては実はこの倒れたユリに水をかけていた。生き返って欲しい、死んでもせめて潤った花でいて欲しい、あの甘く優雅な匂いを期待するわけではないけれども。咲いた。闇夜に白く浮かんで咲いた。玄関脇のタイルに倒れながら咲いた。花は永遠に死なずに輪廻の中で咲き続ける。
2012年08月21日
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お盆も終わりに近付くと客足は少なくなるのが定説だ。休みのうちにお金を使い果たし、明日から仕事再開なので長期休暇の最終日は散財をせず明日に備えるということだろう。どの小売店もどの業界も今日はブラックスポット。しかし僕の店は違った。ズバリ正月初売りよりも売れた。まるでお通夜の弔問客のように(笑)来客が多かった。俺の店、自分で思ってたより有名だったんだなあ。こんなふうに売れるのなら続けてもいいのに。どこかの紳士服の店のように「最終閉店セール」というのを今後10年ぐらいやるのもいいかも知れないな。実店舗を辞めるのを止めるということはないが今後もネット販売で販売は続けていく。メリーゴーランドからはまだ降りないぜ。さて、明日からぼちぼち片付け。
2012年08月19日
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どうせ夜はいつまで経っても眠れないのである。昨夜はネットの仕事を始めたのが深夜0時少し前。終わったのが、というか翌日に回して切り上げたのが2時。タバコ1本持って家の前の公園の階段に座り込んだ。岡崎市の空は明るい。どこに行こうともどこかに光源があり逃げようがない。幹線道路は夜中でもヘッドライト点けなくても走れるほどで気付かずに無灯で走っている車なんぞもチラホラいる。店の看板、コンビニ、自販機、街灯、信号。光の渦。空を見上げると飛行機が1機。BALI島の田舎で居候していた時を思い出した。「あの飛行機には何人ぐらい乗れるんだ?」「300人ぐらいかな。食事もあるしテレビもあるよ」翌日、市場に行けば村の人達が寄って来て「飛行機には300人も乗れてテレビも見れるって?」また別の夜には「あの飛行機はどこへ行くんだ?」そんなことは分からないが方角を見て適当に答える。星空の中を飛ぶ人工の異物。カシオペアあたりから東に向かって流れ星がひとつ。人目がなければこの公園で寝てもいいんだけどな。
2012年08月18日
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昨日は店が定休日だった。お盆という稼ぎ時なのに定休日にするというデパート、やっぱり退店するという選択は正解であろう。(笑)去年の夏、ここ愛知県は震災による節電ということでT○Y○TA系列の工場ほとんど全てが木金休みとなり代わりに土日に工場を稼働ということだったので僕は経営陣に木曜日の定休日をズラすことを提案したが「まあ面倒だから」という言葉で却下された。その犬レベルの経営陣の思考に愛想が尽きたのがこのビルを出ようと思った引き金なのかも知れない。まあ泥の舟にいつまでも乗ってんな、ということだな。これが僕の欠点である。会社としての経営に疑問を感じた時点でその組織に組み込まれていることに嫌気がさす。こんなわがままな性格はどこに行っても溶け込めないだろう。鎖につながれるのが嫌なら自分で餌を探す野良犬となるかそしてそれでも餌を見つける能力がなかったのなら潔く餓死するか、世捨て人となって彷徨えばよろしい。嫌な相手に振る尻尾は持ち合わせていないのである。さて、この店の在庫を自宅に移動させるために昨日は使ってない2階の1室と離れの家を片付けようと思い朝涼しいうちから作業するで~、と思ったもののパチリと目が覚めたら昼近い11時半。その後高校野球に見入ってしまい作業開始は2時過ぎから。晩ご飯前には何とか作業を終了したのだが山に行った時よりも水分をガブ飲みした1日であった。
2012年08月17日
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今日は遠路はるばるちっちゃいものさんが来店して下さった。全然ちっちゃくないじゃん、普通じゃん。(笑)ご主人もすげえ優しそう。ちっちゃいものさんは自宅出産された時のことをアップしてたりストーブで猫を燃やしてみたりとかナマ爪切り落としてみたりとか何だか天然ボケっぽくってヤバいタイプである。(笑)彼女の家族ご一行様は岡崎市の東公園に行って来たそうでその公園は我が家から徒歩5分程度の位置にある。ゾウやサルやラクダがいるミニ動物園も兼ねていて最近では動物総合センターAnimoとして動物の里親募集だとかの活動もしている。今って野良犬や野良猫の数は少なくなったもののそれでも飼育放棄などで犬猫を捨ててしまう飼い主が多い。或いはブリーダーさんが病弱な犬猫を処分したりと人間のエゴによる犬猫処分が多くなっているのである。もしかしたら野良犬や野良猫のいた時代こそ実は平和で幸せだったんじゃないかな?と思えている。犬の遠吠えが聞こえるのって今や何だかほのぼのするんだよね。1匹が鳴くと他の家の犬も遠吠えで応える。これって屋外で犬を飼ってるってことなので我が家を含め、室内犬がほとんどになった社会って実は動物界の摂理に反しているのかも知れない。
2012年08月15日
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店を閉めると雑誌に載せてからは続々と来訪者がありパンとかお菓子とかジュースの差し入れとか何だか餞別というかお供え状態である。今日は時々ブログにコメントをくれる女性2人、hamakiさんとya-萩さんがわざわざ来店して下さった。彼女達が餞別?ご祝儀?としてくれた物を見て僕はそりゃもう呆然と立ち尽くしたのである。hamakiさんからはブ厚いご祝儀袋。大したもんじゃないからみたいなことを言われてたので「はは~ん、板チョコが入ってんのかな」と思って開けたらひっ、現金百万円ではないか!ya-萩さんからは和菓子と見せかけて金の延べ棒!おいおい、こりゃどうやってお返しをすればいいんだ。やむを得ん、身体で払うってことでよろしいでしょうか?そしてもう1人からはロレックスの時計。こちらも大事に使わずに質屋に換金させていただきます。いやはや、もうホストになった気分である。そうして女性軍団の訪問は夕方5時半まで続いたのであった。(編集部注:文中に過剰表現がありますことご了承下さい)
2012年08月14日
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来週の実店舗撤退の際、店内の什器を処分する。全て貰い物であるから別に惜しいとも思わない。そういえば最初に名鉄系デパートに入店契約する時、ビル管理側と色々揉めたのを覚えている。僕は店名PASAR(パサール。アジアでは市場の意味)のコンセプトを強烈に打ち出したいということで什器を全く置かずに床に赤いカーペットだけを敷いてフリーマーケットのように床に座って販売がしたかった。お客さんもしゃがみ込んで品定めするやり方がしたかった。これはデパートの品位が落ちる、ということで拒否された。次に店舗の壁全面と柱(こういうビルは耐震のため幅1m程)をペンキでアジアチックに塗っていたら管理者がすっ飛んで来た。「撤退する際にはどうするんですか!」「やめる時のこと考えてるなら(商売なんて)始めねえよ」僕の言葉に管理者は苦笑し、それは案外嬉しそうな顔だった。店を始めて軌道に乗ってからはガラの悪い客層が集まり一般客が怖がって4階に来れなくなった、と会議にもなり万引き犯を階段から突き落としたり殴る蹴るわでとてもデパートの一角とは思えないほど面白かった。おまけに銃刀法所持の濡れ衣や麻薬売買の濡れ衣とかで強制捜査やら警察包囲やらもう何が何やら。あの当時の什器は段ボールに布を被せただけでそこにリングを置いて売っていたがガンガン売れた。店構えや什器なんてどうでもいいと証明してたようなもんだ。今回什器を処分するということでこういう回覧板を出した。 シビコテナント店 各位 平成24年8月 前略貴社益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。さて、2F「パサール」は8月末をもちまして実店舗営業をやめネット販売および卸しに専念することと致しました。つきましてはパサール店舗内の什器を無償にてお譲りしたいので貴店にて何か使えそうな物がありましたらぜひ貰って下されば幸いです。大した什器はありませんが早い者順でお分けしますのでお手の空いた時に見に来て下さい。余った什器は全て処分しちゃいます。皆様の今後のご発展を心よりお祈り申し上げます。今までどうもありがとうございました。 草々 パサールで使っていた「店舗休業時の防犯ネット(白い網)」ですが2Fマジソンさん裏の通路(大きなエレベータがあるあたり)に置いていきますので皆様の緊急の休みの時にどうぞお使い下さい。 早速6本の棚やショーケースの引き取り先が決まった。 未練は、全くない。
2012年08月13日
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昨夜は高校時代からの友人で、ブログ仲間でもあるVeryberryくんが我が家を訪問してくれたのだった。「そうだ、ペルセウス流星群観よう」ということになり車で10分ほどで行ける丘の上の美術館の裏に行った。berryくんとは高校時代からの赤点取得数の競争相手であり高1の時に一緒に野宿をして以来、色々どこかに出掛けている。ああ、タイにも行ったな。(男2人で行ったけど歓楽街は行ってないよ)ペルセウス流星群が観れる8月中旬は彼と星を見ることもあるのでこのブログの過去の8月の日記にはberryくんは度々登場している。ということで昨夜は丘の上の広場に寝転んで空を見た。地面に寝転ぶってやっぱりいいね。空模様は曇り空の中にやっと夏の大三角形がのぞいている程度。遠雷。そして流れ星。1時間半ぐらいかな、寝転んで星を見ながら話をしてそろそろ帰るか、と車まで戻ったらキーがない。多分広場で寝転んでた時に落としちゃったんだ。真っ暗な広場に探しに行ったらすぐ見つかった。岡崎美術博物館前の壁噴水は【アユタヤ遺跡】と同じ色だ。キーを失くすとこなんぞもアユタヤの時とおんなじだ。→【レンタサイクルのカギ紛失弁償代40バーツ】
2012年08月11日
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どの角度から見ても何の変哲もなく魅力のないデザイン。街で擦れ違っても気が付かないほどのインパクトの無さ。そんな車を買って初めて、昨夜は山道を走ってみた。こんな不格好なくせに軽最速エンジンのスポーツ仕様、それに加えて前の所有者が色々改造したようでド太いマフラーだとか剛性強化のタワーバーだとかが装着され足回りも硬くしてあって山道も面白く走れる。おお、滑る滑る、てな感じでコーナーを曲がる。コーナーの手前でガツンとブレーキを踏むとアンチ・ロック・ブレーキシステムが作動する。運転席の右前にターボのブースト・メーターがつけられセンターパネルには油温、油圧、水温計の3連メーター。ちっ、恐るべき邪道。こんなん付いてても見てるヒマねえし。付ければ速く走れるってわけでもねえ。タイトなヘアピンカーブで早めにアクセルON。フロント・ヘリカルLSDが見事に作動してそのままクイッと曲がるのがいいね。7000回転でレッドゾーンに入るのにタービンが小さくてタコメーターが敏感に動くので山道では何度か3速でオーバーレブしてしまった。オレ、いつかまたエンジン壊すかも・・・。
2012年08月10日
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現在毎日15時から17時までの2時間、パソコンを教えている。「は?あんたが?(笑)」と思われるだろう。僕はエクセルも使えないし人差し指でキーを打ってるしダウンロードだとかインストールだとかも出来ないしとにかく電気関係はとことん苦手なのである。ただ「ネット販売で儲ける」ということに関しては特化している。パソコン機能使えません、だけど売るためのノウハウは知っている。パソコン教室に通って半年で30万の月謝を払ってもキーの打ち方だとかサイトの見方だとかグラフの作り方だとかそういう一般的なことは教えてくれるだろうがズバリ「儲ける」ということは教えてくれないだろう。僕はそれを教えている。ただし「売り商材のある人」でなければいけない。現在教えているのは衣料店を廃業した女性で膨大な在庫をネットで売りたいということなのだ。ただしパソコンはあまり触ったことがない。僕はそういう人に対して絶対的にお役に立てると自負している。YahooIDの取り方、デジカメ写真の撮り方、パソコンへの取り込み方、画像の処理、商品説明文の書き方、出品の仕方、対応の仕方。これをいかに分かりやすく教えるか。彼女の持参したデジカメやノートパソコンを僕はほとんど触らない。横で「こうやって...次はこうして...そうそう、じゃあもう1回」と自分が10年前にネット販売を始めた視線に立って教えている。新しいデジカメやパソコンを見て僕も勉強になっている。必ず儲けさせてみせます。 ⇒【僕の出品サイト1】 ⇒【僕の出品サイト2】
2012年08月09日
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昨日は野暮用で外出になり車で国道を走っていたらberryくんの家の近くを通ったので電撃訪問をした。彼とは高校時代からの付き合いである。彼の家の愛犬ミルクちゃんがお出迎え。我が家でも同じ犬種を飼っているのだがやっぱりミルクちゃんは女の子っぽい顔してるなあ。
2012年08月08日
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昨日は岡崎の夏祭りだった。人混みが嫌いな僕も帰る際にはそれを回避出来ず練り歩く人達の間をすり抜けて歩いて帰った。しゃぼん玉が光に照らされて天に昇って行く。今日は岡崎の花火大会だが、それはもうどうでもいい。思い出せば笑顔しか思い出せない大事な人が亡くなった。がんばりましたね。安らかに。あなたの言われた通り、来世で逢えると信じてます。花火の写真が載せれないから、 ⇒【去年の花火大会】 ⇒【その前年の花火大会】(笑えます)
2012年08月04日
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自宅の駐車場が完成した。(作業風景前篇の画像)随分昔、僕が極貧時代に日雇いバイトをしていた時、初めてやったのは下記のような鉄の網を張る作業だった。打ちっ放しゴルフ場を作る現場だったのだが重い網を運んで来て敷き詰めて、網を大きなハサミでカットするのだ。それはもう、上腕筋あたりが震えるほどのキツい作業で手にはマメ、腕も腹筋もガタガタになったのである。ちなみにその工務店はとんでもない男達が吹き溜まる職場で、日雇いを受け入れる会社の中でもズバ抜けてガラが悪く元ヤクザ関係が非常に多かったのである。「コン打ち(コンクリートを流す作業)の時にな、人を埋めるとよ、 後で赤いような茶色いような脂が浮いてくるんだよな、へへへ」北国から堕ちて来た歯のない男達が下品に笑う。僕はその横で黙々と網を切る。穴を掘る。一輪車を転がす。せっかくそのテの関係から抜け出して住所を変え、オレも全うな人生を、そう思ってたのにこの街に来ても同じような人間に引き寄せられる。ボロ長屋に棲み、日当を500円増やすために早出をして泥にまみれる。とにかく明日のメシ代を。500円は途方もない大金なのだった。我が家の駐車場を作ってくれたのは近所のおじさん達であの当時の僕のように「今に見てろ、今に見てろ」と念仏を唱えるような暗い目をした人達なんぞいなかった。(笑)誰に対して「今に見てろ」なのか、何に対して怒っていたのか、それは今でもよく分かんないけど、多分・・・自分に。左上の壁のめくれ、直りました。あとはね、ベリーくん、木を切りに来てくれないか?
2012年08月03日
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昨日のブログにはたくさんのコメントをありがとうございました。さて今後、僕がどんな仕事をやって行くのかということについて。現在とほとんど変わりません。従来通りネット販売をするだけです。ネット販売というのは夜10時過ぎから活発になるもので毎晩お風呂を出てからパソコンを立ち上げて落札者様に「落札ありがとうございますメール」を送ります。「自動配信機能」というものを僕は使いません。あくまでも1対1で丁寧にやり取りをしているのですがそれはネット販売を始めた10年以上前から変わっていません。その時に振り込み先を連絡すると同時に商品送付先を伺います。入金確認後に梱包して発送という流れになるのですが毎日ヤマトさんが集荷に来てくれます。 ↓現実的に、今後は昼の間は自動車売買などの仕事としてスリランカ人と中古車関連の仕事になると思うのですが上記ネット販売が本業だけど昼は不在なので今までよりも購入者様への対応が遅くなると思います。その最初の連絡だけは自動配信機能を使おうと思ってます。さて、先日のブログで「オレは名刺も持たねえ」などと何かまぁ格好つけちゃってましたが・・・名刺作りました。(笑)実際来月からは必要になっちゃう気がするんですよねえ。特に英語表記の名刺が。ということでこの時と同じサイトで名刺作成。100枚で送料込み¥1070。(裏表カラー印刷なので片面だけならもっと安い) ↓社名も以前と変わらず「PASAR(パサール)」で市場という意味。自動車古物商の社名も既にこの名前で登録してあります。今度はロゴだけ変えてみました。で日本語表記の側には「放浪の達人ブログ」も記載しました。 ↓この場でアドレスも公開しますので寄付に関する質問だとかデートのお誘いはいずれかのアドレスにお願いします。ただしヨメも見ますので女性の方はご注意を。(笑)
2012年08月02日
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今月のお盆過ぎに店を閉めることにした。テナント契約の更新の段になり、考えることもあってこういう判断をしたのであるがベストな選択だと思っている。もちろん今後、うまく行かなくなるかも知れないしうまく行くかも知れないがそれは人生ゲームである。振り出しに戻る、1回休み、ルーレットで6ばっか出る、家が火事(得てしてそういう時に限って火災保険に入ってない)、子供ばっか産まれて車2台を連ねてゲームを続ける、などあの面白くはないが誰もが遊んだことのある「人生ゲーム」、実の生活においても人生なんてたかがゲームだと思っている。金儲けのためのラットレースに明け暮れる人生、五体投地でカイラスの周りを巡礼する人生、何度も刑務所を出たり入ったりしている人生、店を拡げたが行き詰って借金抱えて首吊る人生、人それぞれ生き方があり、満足度合いもまちまちでそれでもそれは自分が選んだ阿弥陀クジであってそうこうしているうちに人生というゲームは終わりになる。本来僕は怠け者で「まあいいか」という性格である。嫌いなことは一切しないし、好きなことしかやらないという甘ったれた坊っちゃん的な考えの持ち主である。切羽詰まっても「何とかなるでしょう」と笑っていて学生時代からそれを先生に指摘されていた。「お前、やる気はあるのか!」「いいえ、ないです」それは残念ながら今でも変わらない。ガキのままである。本来家庭を持つ資格のないような男である。ところがなぜか何とかなっている。そう、ヨメには悪いが「何とかなる」のである。もちろんサラサラ他人をアテにしていない。がんばって挑戦した結果、失敗して笑われるのが恥ずかしいから最初からそれが怖くて努力を放棄するような人間である。もっと揉まれなければ人間的に成長しないな、と思っているがとにかく楽にやりたいというのを率先して考える人間である。ということでお盆明けから新しいフィールドに向かって行くが悪いが気負いもなければ深刻でもない。過去に未練もない。ただ自分の人生ゲームを楽しんでいる。それでは地元の皆さん、お元気で。どうせすぐ忘れるって。このブログは今まで通り、雑誌のエッセイも今まで通り続けます。 ⇒【閉店のお知らせ】
2012年08月01日
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