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今日はカメラマンの仕事がオフだったのでたまに行く行福寺周辺の散歩でもしようかと思い岡崎市の街を走っていたら伊賀八幡宮の前を通った。伊賀八幡宮は徳川家康ゆかりの神社である。今日は日曜日なので七五三や参拝客が多くいたが僕は裏参道のある南側に車を停めた。境内まで入る気はない。蓮池にかかる太鼓橋を見て本堂を遠くから眺めるだけだ。20代後半の時、毎朝ここに車を停めていた。というのもここは岡本工務店の駐車場となっておりその日暮らしの金しかなかった僕は日雇い土方をするため朝早くここに集合して乗り合いバンで現場に行く日々だった。遅刻したらその日の仕事からあぶれてしまうのだ。年末は日払い土方のみんなで1年の無事を感謝するため年始はこの1年無事に仕事できますようにと手を合わせた。僕は心の中から手を合わせることはしてなかった。神や仏が本当にいるんならこの俺を助けてくれ!手を合わせたって日払いのゼニの金額が増えるわけでもねえ、一輪車に積むセメントの重さが軽くなるわけでもねえ、明日もまた短管を担げるだけ担ぐ作業の繰り返しか、クソ!今に見てろ、絶対に抜け出してやる!と悪態をつく発想しかなかった惨めな時代だった。10円の賽銭すらもったいなくて投げられないどころかポケットの中にはその10円すらなかったのである。今は幸せいっぱいで暮らしている。あの時の苦労があったからこそと感謝すらしている。伊賀八幡宮で今日も手は合わせなかったけど青空に映える本堂を見て、あの当時とは別の建物に感じた。あの当時は澱んだ蓮池の向こうに見えるどす黒い建物に見えた。青空が目に沁みる、サンズイにココロと書く。実に清々しい秋晴れで、10円どころか100円の賽銭を賽銭箱に投げ入れようかとも思ったがもったいなくてやめた。
2016年10月30日
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今月20日に雑誌「リバ」の最新号が発売された。ここのブログだと画像をいっぱい載せれるんだけど雑誌だと画像ナシで文章のみ、しかも文字数制限があるのでなんかまとめるのが難しいんだよね。「リバ」に載せた原稿はこちら。 【タイのコテージ】夫婦でふらりとタイの田舎のビーチに行ってきた。バンコク駅から食事付きの特別列車に乗って3時間半でリゾート地に着いた。しかし俺達は観光客いっぱいのリゾート地は嫌いなのでそこはスルー。通りに出て更に南行きの乗り合いバンをつかまえて終点まで。そこからタクシーでサムロイヨットという静かなビーチに到着した。うわ、何もない。車もバスも走ってない。コンビニも土産物屋もない。あるのは海と空と島とヤシの木、そして南国の空気が漂っているだけ。咲き乱れるブーゲンビリアとプルメリアに囲まれたコテージに宿泊した。翌日はコテージでバイクを借りて山奥の鍾乳洞探検に出発。まずは村外れのビーチまで行ってバイクを停めて漁船に乗る。遠浅の海の沖に停泊している漁船までズボンをまくってザブザブ歩く。岩だらけの半島を回り込んで砂浜に上陸する。まるで映画の1シーンのようだ。そこから山道を30分ほど歩くとプラヤナコーン洞窟に辿り着く。洞窟の中には小さな宮殿があり、頭上の穴から太陽の光が射し込んでいる。荘厳という表現しか出てこない光景だった。山を下りると漁船が迎えに来てくれて出発地点まで戻ってくれる。再びバイクに乗って田舎道を走り別の鍾乳洞にも入ってみる。日本の鍾乳洞は湿っぽくて水滴が上から落ちているが、ここの鍾乳洞は乾燥していて岩が濡れていなくて岩肌がキメ細かい。こんな素晴らしい鍾乳洞なのに観光客は誰もいないので2人で貸し切り状態だ。確かにアクセスが悪過ぎるもんなあ、まさに秘境だ。翌日は丘の上に3棟だけ建つコテージに宿を変えた。ディナーはタイ料理に加えて炭火で焼いた大きなエビを食べ放題。それなのにお値段は1人150円。安過ぎるぜ。そのコテージは丘の上の湖畔にひっそりと建っていて蚊帳でベッドを包んで眠る。夜はすごい星空だったし朝は湖にやって来る無数の鳥の声で目覚める。まさに極楽としかいいようのないロケーションだった。こんな場所に泊まっていたらもう首都バンコクの喧騒に戻る気はしない。アクセサリーの買い付けという仕事は最終日だけにすることとして、残りの日程は街全体が世界遺産になっているアユタヤで過ごすことにした。毎回泊まる馴染みのゲストハウスに泊まってレンタサイクルで遺跡を巡り、静かな公園で夕暮れ時を過ごしたりナイトマーケットの屋台で食事をしたりして個人旅行でしか味わえない旅を楽しんできた。こうレポートすると「優雅でええのう」と思われるだろうがタイまでの往復飛行機代が1人29000円、タイでの出費は1週間で2人で3万円。移動代、食事代、宿泊代全てひっくるめて1人あたり1日2千円で済むのだ。今回の宿泊は朝食付きのリゾートコテージなのにである。しかもこれにはお土産代も含まれている。沖縄や北海道に行くより格段に安い。いやあ、皆さん、貧乏人こそ海外旅行だぜ。(今回の旅の各ポイントの画像や詳細は「放浪の達人ブログ」をご覧ください)
2016年10月28日
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入道ヶ岳から二本松ルートを下る途中に避難小屋がありここで昼食を食べようということになった。山頂付近は風が強かったので火を使うのを止めたからだ。避難小屋は2畳半程度でトタンに囲まれていて質素極まりない。しかし山ではそんなことはどうでもいいのだ。与えられた境遇でいかに楽しく過ごすかである。何もない素朴な小屋から外を見れば、もうそれは1枚の絵画だ。(あんまり良い絵じゃないけど気分的に、って意味ね)コウベ氏がリュックから水とフライパンを取り出す。焼きそば用の食材がいっぱい出てくる。携帯コンロで料理開始だ。遅い昼食なので腹ペコだ。小屋の外で熱い焼きそばを食べる。ついでに皿まで食う。えびせんで出来たエコ皿だそうだ。モリタ氏はこんな簡単なピクニックなのに80リットルのリュックだ。折り畳み椅子を取り出して優雅に座っている。焼きそばを食べ終わった頃、モリタ氏がコーヒーを飲もうと言い新聞紙に包まれた陶器のカップとお皿を出しベトナムコーヒーを飲む。それは高級ラウンジで飲むコーヒーよりも美味しかった。(編集者注:高級ラウンジでコーヒー飲んだことないくせに)僕がコーヒーのおつまみのイカピーの袋を開ける。来る時にコンビニで買った100円のお菓子だ。本当の贅沢ってこういう時間だと思う。いつまで話しても話は尽きないのでそろそろ下山しようかと夕方の登山道を椿大社に向けて歩き始めたのだった。駐車場まで戻ると僕の顔を見た一人の男性が「あの時の!」と言った。僕も彼を見て「あっ、あの時の!」と握手。5月に御在所岳に深夜ハイキングをした時にアカヤシオが咲き誇る場所で少し会話をした男性で彼が「入道ヶ岳もいいですよ」と言ったので、僕は今日入道に登った。その彼と入道で再会したのだった。「あなたが入道が良いと教えてくれたから来たんですよ」と答えまた鈴鹿山脈のどこかで会えるでしょうね、と別れた。そのあとは湯の山温泉の希望荘で夜景を眺めながらの露天風呂。四日市市街を眼下に見下ろし、名古屋の夜景を遠くに見る。セントレア空港からは夜間フライトの飛行機が立て続けに離陸し昼間は曇っていた空はいつしか晴れて星が光っている。湯は熱くもぬるくもない。適温なので長いこと話しながら入った。浴場と駐車場の往復は無料ケーブルカーである。こんな贅沢三昧なのに入浴料600円は安い。帰路道中に高級牛肉店「吉野家」で牛大盛り550円。いやあ、富豪の休日を過ごさせていただきました。
2016年10月26日
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三重県鈴鹿市の入道ヶ岳(標高906m)に登ってきた。あ、906mなんて山じゃねえ、小高い丘って感じだわな。普通だと2時間半で登れる距離だが、光部氏も森田氏もなんかデカいリュックを背負っているのである。僕のリュックにはペットボトル1本、コンビニおにぎり2個、お菓子1袋、長袖シャツ1枚、万一のための雨具、以上。井戸谷ルートは文字通り途中までは渓谷沿いを歩く。彼らの荷物が重過ぎるためペースが上がらず、僕だけ先に稜線へ。鈴鹿市街の向こうには太平洋、そして浮かぶ島々。スカッと晴れてれば良かったんだけどなあ。すごい風なので雨具の上だけを防寒用に着る。熊笹の中に十字の交差路。なんかこういうのいいね。30分遅れて同行者2名到着。結局登りで3時間か。入道ヶ岳山頂で記念撮影。伊勢周辺の鳥居は横のやつが出っ張っていないのだ。ここでテント張って寝て、朝陽を見たいなあ。風が強いので山頂でコーヒーを沸かすのを断念。枯草に燃え移ったらドエラいことである。二本松ルート中腹の避難小屋で昼食を食べることにする。昼なのにこんな薄暗い道を下山する。木の根が見事に張り巡らされている。落ち葉が微かな音を立てて散っている。森の中で鹿が寂しくミーと鳴く。初秋の山は静かである。
2016年10月24日
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今日はカメラマンではなく中古車の構内移動の仕事だった。昼休みが1時間以上あるので近くのコスモス畑まで散歩した。そのコスモス畑の手前には数日前からカカシの役割りなのか白いツナギを着たヤツが座り込んでいるので少々気味が悪い。近くに寄ってみるとどうやら迷路になっているようである。コスモス畑に入ってみる。きれいな秋の空だ。だが考えてみると真っ昼間に50過ぎの中年男性が独りで笑みを浮かべながらコスモス畑の迷路を歩いている方がこの白いツナギのカカシより気味が悪いかも知れんなあ。
2016年10月21日
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秋祭りのため実家に行った際に家の中を探索した。独りじゃ怖くて蔵の中には入れないので子供達同伴だ。↑ まずは一番東側にある16畳部屋。梁が通った天井には明かりを取り込む穴がある。なぜだか穴は塞がれていた。↑ 一番西側に位置する座敷。ここには父のコレクションの急須や抹茶茶碗、湯呑みなど信楽焼きや常滑焼きの焼き物類が沢山ある。床の間に飾る掛け軸も幾つかあるのだが焼き物同様、見たところ価値のありそうな物は皆無である。昭和30年代中頃、父母の結婚式はここで行なわれた。以来、来客とかお祭りとかはこの部屋に集まるのが常だったが僕は子供の頃から座敷で集まるのは好きではなかった。あ、画像正面の扉の奥の押し入れ、見るの忘れた。↑ 敷地の北西にある蔵の入口。子供の頃は叱られるとここに閉じ込められそうになった。こんな所に閉じ込められたら怖くて発狂である。↑ 蔵の1階。お宝は皆無。↑ 蔵の2階。おお、大正箱がある。昔は秋祭りの餅投げでアタリの紙が入ってると貰えた。僕が20歳前後の頃は1等ハワイ旅行ペア、2等原付バイク3本、3等自転車が30本、以下ビデオデッキ、タオル、洗剤などなど数百万円分の景品が貰える餅投げを20分ぐらいやっていた。やぐらの上から餅が雨のように降り注いだのだった。今は1等50インチTV、2等32インチTV、以下電化製品色々、タオル、洗剤、ティッシュなど日用消耗品多数。僕の実家地域の餅投げは市内の中でも特にすごい規模なのだ。(2年前に拾った餅の画像)↓http://plaza.rakuten.co.jp/rx7saito/diary/201410190000/2階の1ヶ所にお中元お歳暮もらったけどそのまんまコーナーがあり膨大な量の石鹸を発見したので何箱かいただいて来た。1番多かったのが牛乳石鹸。他にはミツワ石鹸ですと?知らんわ。↑ バスボン!ひぇ~、懐かしい!↑ オリーブ石鹸! ロゴが昭和らしい。
2016年10月20日
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故郷の碧南市の秋祭りだったので実家に行った。先日、屋根裏の修復の際に秘密の屋根裏部屋のことを思い出しそれにまつわる奇妙な話の部屋の写真を撮ってきた。(詳細は先回のブログ参照)問題の屋根裏部屋に上がるためのハシゴは40年以上も前に撤去され現在住んでいる父さえもそれ以来覗いたことがないと言う。僕がその部屋の存在を発見した時に覗いて以来、30年程度も開けられたことのない天井の引き戸を開ける。引き戸を開けると砂埃が落ちて来た。それと同時に冷たい風がサーッと顔を撫でる。屋根裏部屋に溜まっていた冷気が降りて来た感じだ。台の上に乗って顔とカメラだけ屋根裏部屋を覗いてみる。本心を言えば、できれば着物を着た小さな女の子が膝を抱えて部屋の隅に座っているのを期待して。よくもまあこんな陰湿な屋根裏で子供を育てたものだ。しかも世間にはばかるように奇形児を育てたとは。昭和初期の田舎の部落では仕方がなかったことなのか。更に悪いことに、我が家の家系は昔から富豪だったようでそのためのプライドのようなものがあったためにその子を世間に出すことは一族のタブーだったのだろう。門から玄関まで多少の距離があり、庭道も途中で曲がっているので家の中は通りからは見えないようになっている。その子を産んだ親族の女性はきっと親族会議の結果、あの家ならそういう場所にあるからお世話になれ、と言われたのか。そして念を押して屋根裏部屋でその子を育てたとは何とも哀しく憐れな子育てだったのだろう。2歳で死んだ、としかその話を教えてくれないのは、「もしかしたら母親がその子の将来を悲観して・・・」という勝手な妄想モードに入ってしまうのは僕だけではないだろう。引き戸を閉めて天井を元に戻す。きっともう2度とこの屋根裏部屋を覗く者はいないだろう。あの部屋の澱んだ空気はあの家が取り壊されるまでまたしても長い年月のあいだ封印されることになる。何か小説の引用みたいだけど実話だからね。
2016年10月17日
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父親から実家の天井の穴を塞いでくれと言われた。どうやらネズミに食われたらしい。ということで実家の屋根裏に入ることにした。築100年以上経つ平屋の日本式家屋である。天井裏には太い梁が縦横無尽に通っている。天井板の上を歩かないように梁の上を歩く。屋根裏には東の端から上がって居間の上を通り、玄関の上あたりの穴を塞いで無事任務完了。その先の西側には大広間2部屋があり、その先は防炎壁になっているので行き止まりだ。それにしても昼間というのに怖い。というのも、その防炎壁の向こうにはコンクリートに囲まれた秘密の屋根裏部屋があるのだ。僕が生まれるずっと前、親族の中で奇形児の女の子が生まれ、人目をはばかってその屋根裏部屋で育てたらしい。下から梯子というか階段をつけて部屋までの往来をし1歳だか2歳までその子は生きていたそうである。親に色々尋ねてみても口を濁して詳しく教えてくれない。父も当時は子供だったようで覚えていない素振りだ。その子の名前と、生まれた時から歯が1本だけあったこと、親が親族の誰なのかも教えてくれない。その屋根裏部屋は中学時代に僕の部屋だった真上にあり「この天井の隅って引き戸じゃねえか?」と発見してその引き戸を開けて秘密部屋を見つけたのだがもちろん生活の跡もなく薄暗いだけだった。しかしあの部屋の雰囲気は異常に怖かった。怖かったからこそ親に尋ねて、過去の話を知ったのだった。さて、修理した箇所のbefore/afterを父に見せるためにデジカメで数ヶ所を撮影したのだが変な写真があった。梁が透けている。何か説明できないような異様さがある。
2016年10月13日
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海外のお土産を安くあげるにはスーパーに行くといい。免税店で置き物とかお酒とかブランド品とかそんなもの買ってたら数万円が吹っ飛ぶのである。スーパーでお菓子。これに限る。今回は最終日の最後にバンコク市内のスーパーに行ってお土産のお菓子や自宅で使う石鹸を買うつもりだった。石鹸なんて日本にも売ってるけど、アジアの石鹸は良い。品質が良いんじゃなくて匂いがアジアチックで良い。お値段は1個50円ぐらいでロータスやジャスミン、ローズなど花の匂いのする石鹸が多く売られている。使うとお風呂場がアジアの匂いで満たされるのだ。だが今回はドタバタしていてスーパーに寄れなかった。お土産のお菓子は少ししか買えなかった。↑ ドリアンチップス。ANGEL PUNCHかあ、いいネーミングだ。↑ ドライフルーツのドリアン。このお菓子のパッケージって写真じゃなくて絵なんだけどめちゃくちゃ上手く描かれてるんだよねえ。アジアといえばお土産はドリアンでしょう!と言って妻が買ったが貰った人にとっては甚だ迷惑なお土産である。まあ「ドリアンういろう」よりはマシか。↑ ジャックフルーツチップス。ジャックフルーツってタイ語で「ンゴ」って言うんだったかな?バリ島では「ナンカ」と言って、生で食べる他に揚げたりもする。25年ほど前、バリ島の田舎で長期居候してた際に警察に咎められ、一度は村から退去させられたんだが居候先の家族が警察を説得して他の村を歩いている僕達家族を探して連れ帰ってくれたことがある。それから週に1度は警察に行って「昨日は何をしたか」などという日課報告書をしばらく書いてたんだけど毎日毎日「昨日は海辺で砂山を作って遊んでた」とばかり報告してたら「ああ、もう報告しなくていいよ、キミ達は無害ね」って感じになり、それから警察官の家に遊びに行くようになり、そこの奥さんがいつも「ナンカ食べてね」ともてなしてくれたのを思い出す。その村では日本人が滞在するなんぞ過去になかったことで村人達とすげえ楽しく暮らせたのであった。話が逸れた。↑ 出た!コオロギみたいな虫のお菓子。カメラマンやってる職場に持って行ってみんなに勧めたら半分以上の人が1匹も食べてくれなかったどころか加藤くん(あ、実名書いちゃった)に至っては「それ、虫ですよね」と逃げ回ってしまうぐらい不評だったのであるが、近藤さん(あ、また実名書いちゃった)という綺麗なお姉様は予想に反して全く平気でポリポリ食べてくれたのだった。↑ パッケージのアップ。ちなみに僕は虫食べるの平気だが、巨大タガメはどうしても食べれない。こんな感じでアジアのお土産は常に「ウケ狙い」で買うのである。
2016年10月12日
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今回ベトナム航空に乗ったので初めてホーチミンの夜景を見た。どこまでも広がるバンコクや日本の夜景はきれいだが無機質だ。オレンジ色のナトリウム灯やビルの窓から漏れる青白い蛍光灯色、車のヘッドライトとテールランプなどから成り立つ街の灯りは光の粒の数としてはきれいだが心に届くものがない。バリ島やスリランカの夜景は光の数は少ないものの生活の匂いがする裸電球のオレンジ色がまたたいていて哀愁漂う色合いに見えて胸がキュンとするのである。そして今回のホーチミンの夜景。正直言ってホーチミンがこんなに大都会だとは知らなかった。バンコクの街灯りは密集していて規則正しく幾何学的だが、ホーチミンの街灯りは密集している場所と暗い場所が入り交じり発展の中に猥雑さ、狡猾さが感じられたのであった。そして早朝、四国上空あたりで夜明けを迎えた。機体はだんだん高度を下げて和歌山上空を過ぎ、三重県の志摩地方を通って名古屋のセントレア空港に着陸。人の歩いてない通路を歩き、ガラガラの入国審査、無言のままパスポートに帰国スタンプが押され、厚いカーペットの上を足音もなくターンテーブルに向かう。誰も話してない。スマホを見てるだけの人達の群れ。荷物を吐き出すコンベアの音がカタカタ聞こえるだけ。何なんだ?この死んだような国ニッポンは!これが世界でも有数の技術先進国とはとても思えない。ネパールの山奥のジョムソン空港の方が活気がある。静かな国際空港だ。人がいない。僕達夫婦を含め乗客は4人しかいないのにリムジンバスは発車。静かな高速道路を走り、人の歩いていない町を走って岡崎に到着。タイの田舎、楽しかったなあ。サムロイヨットにはまた行きたいな。ちなみに今回の旅費を覚え書きとして載せておく。名古屋発ベトナム経由バンコク:往復¥29,000(サーチャージ込み)タイ1週間で夫婦で豪遊した金額¥30,000(1人¥15,000)タクシーや特別列車などの移動代、宿泊代、食事代、お土産代全て含む。帰って来て早々だが、ああ、アジアが俺を呼んでいる!
2016年10月10日
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問屋街を出て空港行きの列車があるマッカサン駅に向かう。いや、これはもう歩いて行くには時間がなさ過ぎる。道に停まっているトゥクトゥクに乗るために夫婦でガードレールをまたいで通りに出る。「マッカサン・ステーション。エアポートライン」と言うと運賃は80バーツ(240円)という返事が返ってきた。う~ん、この距離なら40バーツだろ、と思うがたかが100円程度の値引き交渉をする余裕もないのである。「OK、ベリーベリー急いでくれ」と言い、提示金額で承諾。駅まではかなりあった。歩かなくて正解だった。トゥクトゥクはマッカサン駅の正面まで行こうとするがやや渋滞していたし正面に行くまでには随分回り込む。ベリベリ慌てている雰囲気を察知したのか運転手は「ここで降りて線路をまたいで行くといい」と停まった。「そうだね、ありがとう」と100バーツ札を出し豪遊爆買い大富豪の僕はお釣りは要らん、と豪語しいや、お釣りを受け取っている時間すらないほど急いでいるのだ、夫婦でコンクリートのフェンスをまたぎ、線路を横切ってマッカサン駅構内へと走ったのだった。電車に乗って空港に着いた。逆方面に乗らずによかった。(笑)さて、ターミナル1のボードを見たらホーチミン行きの便がない。ということはターミナル2からの出発か? 2はどっちに行けばいい?そんな時、すげえ女性4人組を見かけてしまったのである。うわあ、これは一緒に写真を撮らねば。チェックイン・カウンターを探すのはその後でいい。帰国を選ぶか享楽を選ぶか。僕は後者を優先した。緑色の女性に「ナーラック(タイ語でかわいいの意味)」と声を掛け4人組女性のお付きの人が「写真一緒にどう?」と言ってきたので僕は緑色のコスチュームの女性と頬をくっつけて記念撮影。いやあ、すげえ可愛い女性組だったなあ。別れる時に僕は彼女らに尋ねた。「で、本物の女性は誰?」
2016年10月07日
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アユタヤからバンコクに戻り、いよいよ買い付け問屋街に向かう。田舎でのんびりし過ぎたので今日の買い付けの仕事は半日勝負。正確にいえば帰国便に乗るために空港へ向かうまでの4時間だけ。あ~、やっぱり昨日からバンコク入りしてりゃ良かったなと思う。ファランポーン駅からパトゥナムまで地下鉄で行くか市バスで行くか、どっちが早くて効率的か一瞬迷った末に市バスをチョイス。地下鉄だと最寄りの降りる駅からトゥクトゥクを使わねばならない。市バスなら最寄りの降りる場所から10分程度歩くだけだしそちらの方が過去数十回も利用してる方法だからだった。それに市バスの方が10倍ほど安いのだった。(バスだと20円程度)駅前の大通りでパトゥナム方面に向かう市バスを待つ。しかしお目当ての15番、25番バスが来ない。他の番号のバスはバンバン通るのになあ。30分も待った。時間はどんどん過ぎていく。もう我慢できずに停まったバスの女車掌に尋ねてみた。「このバスはパトゥナムに行く?」「行くよ。」よっしゃ~、訊いてラッキー!飛び乗る。しかしバスは何か違う方向に走るのであった。あれ、パトゥナムはあっちだけど、と思いながらもまあコースが違うだけできっともうすぐ左に曲がる...。あれれ?そっちに曲がるの?変だな、と思いながらも乗り続ける。そのうち「空港は左」という看板も右に曲がった。てか空港?もうバンコクから外れてんじゃん。シティーライナー(高架を走る電車)の最終駅も通り過ぎた。もう完全に降りるブザーを押すタイミングを逃したのである。こんな場所で降りても迷うだけだ。こうなりゃコースを1周してバス乗車地点まで乗り続けるしかないか。とんでもない郊外でバスが停まった。終点だ...。「このバスはパトゥナムまで行かないんですか?」「ここがパトゥナムです」そんな...!どこだここは?「パトゥナムってイセタンとかバイヨークとか...」「バイヨーク?そんなとこ行かないよ」どうやらパトゥナム違いのようである。後日調べたらPhatnamではなくPaknamというエリアを通るバスだった。パトゥナムとパッナム、発音の微妙な違いだ。僕がしっかりパトゥナームと発音すれば良かったのか。でももう1ヶ所もパックナームだしなあ。PhatとPakの違いがエラいことになってしまった。両方とも消音発音だしな。とにかくバンコクに帰るしかない。ここまで1時間半のロス、てことは帰るためにも同じ時間がかかる。もう3時間のロスが確約されてしまった。買い付けどころか帰国便の時間に間に合うかの心配も出てきた。とりあえずバンコク方面のバスに乗ったものの渋滞に巻き込まれた。とても1時間半では戻れそうにない。どうしようもなく乗っていると高架電車の駅発見。あれに乗ってバンコクに戻る方が絶対早そうだ。急遽ブザーを押して降りる。初めて乗る高架電車。料金の払い方も分かんない。ああ、こうやるのね、とすぐに理解して電車に乗る。最寄りの駅で降りて問屋街に向けて歩く。その前に日本円をタイバーツに交換しなくちゃ。時間もお金もかなりロスした。結局1時間しか仕入れの仕事ができない。問屋街で妻と「1時間後にここで会おう」と別れる。彼女は友人へのお土産を買う、僕は問屋を回る。「Long time no see」と問屋街のスタッフが声を掛けて来る。僕はバンコクのこのエリアは日本の地元よりも詳しい。数百軒が碁盤の目のように立ち並ぶ問屋街の中を歩く。北とか南の方角なんてもう分からない。曲がる角の店だけが目印だ。メインの問屋はよりによって定休日。回れたのは3軒の問屋だけ。「これ全部ちょうだい、これ一束、これとこれ」ともう時間との勝負で商品をかき集め、1時間後に妻と合流。「これだけしか買えんかった。さあ、空港に行こう」ドタバタ買い付けは終わり、とにかく帰国便に乗らねば。2人は笑っている。雨が降らずに良かったね、と笑っている。人生なんてこんなんでいいのだ。
2016年10月06日
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アユタヤのタクシーは日本のダイハツのミゼットである。これを日本に逆輸入すればいい商売になりそうだが排ガス規制とかをクリアーするのが難しいかもなあ。バリ島の首都デンパサールを走っているタクシー(ベモ)もアユタヤのタクシー(トゥクトゥク)と同じボディーだ。バリのミゼットは当時のオリジナルのまま走っているのが多いがアユタヤのミゼットは色んなカラーに塗り替えられている。これはボディーに本物の金箔を貼ったデザイン。(オーナーは女性)これはヘッドライトを丸目から角目に変更。今はこのヘッドライトのミゼットが多いが僕はオリジナルのままの丸目の方がかわいくて好きだ。これがオリジナルボディー。荷台はどのミゼットもお見合いシートに変更されている。さて、アユタヤ駅にディーゼル列車が入って来た。アユタヤからバンコクのファランポーン駅まで約1時間半。料金は15バーツ(45円)という安さだ。インドのように屋根まで人が乗るということはない。各車両のドアは開きっ放しのまま走る。こうやって身体を乗り出して写真撮ってたらいきなりフェンスが現れて右腕ちぎれるところでした。(笑)ちなみに6年半前も同じような写真撮ってるけど単線が複線に変わってるんだよねえ。
2016年10月04日
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今日はアユタヤからバンコクに帰る日である。レンタサイクルを返却して渡し舟に乗る。(今回はレンタサイクルの鍵、失くしませんでした)渡し舟乗船代金4バーツ(12円)かあ、高くなったもんだ。初めてアユタヤに来た時は50サタン(2円)だったからな。舟が進み、静かな波紋が広がっていく。ポンポンという舟のエンジン音が異国情緒をかき立てる。果実の腐りゆくような微かな匂い。逆光が眩しい。アユタヤ駅前の市場で朝食。周りは100%現地の人達。アユタヤ駅でバンコクまでの切符を買う。1時間半程度の距離が1人15バーツ(45円)、破格だ。まもなくタイの朝の風物詩を体験できる時間である。駅員がベンチで寝ている人達を起こし始める。さあ、いよいよ来るぞ、8時の時報。8時の時報と共に音楽が流れる。駅構内にいる人達は全ての動作を止めて全員起立だ。タイ国王のための歌が流れる。誰も動かない。圧巻だ。そして歌が終わると同時にまた人間の営みが動き始める。
2016年10月02日
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