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ぼくは中学ぐらいの頃から、趣味を聴かれた時は、「音楽鑑賞」というのをいつも言っていました。好きな音楽は、ロック、カントリー、それに最近はケルト音楽っぽいのをよく聴いています。小さい頃から歌謡曲は苦手で、父親からは「大人になれば良さがわかるよ」とか言われていましたが、今でも苦手です。未だ大人になれていないのかもしれません。(笑) ところで、 最近は、音楽をネットからダウンロードして聴くというのがはやっています。 これは便利です。家にいて、気楽に好きな曲を手に入れられるのですから、楽でいいです。それに、2500円出してCDを買うと、たまにその中で好きな曲がほんの1曲か2曲だけだったりして、そんな意味でも好きな曲だけダウンロードできるというのはうまいシステムです。 しかし、この「好きな曲だけダウンロード」という方法、ぼくは個人的に、ちょっと怖さを感じています。「いいのかな」という軽い危機感があるのです。 昔は、歌謡スターはシングルヒットをひたすら考えていました。作曲家、作詞家の先生と、プロデューサーと協力して、ヒット曲を作ることを第一に考えました。それが長い間日本のポップミュージックのあり方でした。 言い方を変えるなら、音楽において、「売れる商品を作る」ことが第一だったのです。 ところが、70年代、80年代の、欧米のロックミュージシャンのスタイルが次第に日本に入ってきました。 それは、まずヒットシングル1曲を当てることを目指すのではなく、「アルバム」を作り、そのアルバムを売るためにその中からシングルカットしてヒットを狙うというスタイルです。 このアルバムレコーディングスタイルは、日本の音楽界にとってとても進歩的なことだと思いました。十数曲をまとめてアルバムにすると、曲の構成、つながり、曲の余韻による心理的効果など、最初から最後まで聴き通して、何か聴く者に感じさせる「作品」と呼ぶに値するものになります。中には延々10分にも及ぶギターソロがあったり、ほんの1分足らずのきれいなメロディーが挟まれていたり、「いろいろ」なのです。 音楽を「作品」として作るから、彼らは「アーティスト」と呼ばれたのだとぼくは思います。 ところが、1曲ダウンロードが主流になると、アルバムレコーディングが衰退するのではないかと懸念しています。 ヒットする1曲だけダウンロードされるようになるなら、ミュージシャンはみな、もっともポップで、いかにもヒットしやすい曲だけを作り、レコーディングするようになるでしょう。ヒットパレードの歌謡曲時代に逆戻りではないですか。 もちろんすでに地位と人気を確立しているミュージシャンはアルバム作りをするでしょう。でも、それほど売れていないような人たちは、1曲、それもかなり大衆受けしそうな曲しかレコーディングさせてもらえなくなってしまうのではないでしょうか。 そういう音楽界にはなってほしくないなあと思います。
2008.06.29
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小学校の子どもが天窓から墜落死するという痛ましい事故が起こりました。 心からご冥福をお祈りいたします。 この記事でいろいろ考えました。 あるニュースのキャスターが言っていました。「安全な場所であるはずの学校でこんなことが起こるなんて・・・」一般の人はそう感じるのかもしれませんね。 今回の天窓、小学校の校舎にそんなものが必要なのか?それはもっともな見方です。でも定期的に点検することになっている天窓がそれほど危険なものだという認識はほとんどなかったのでしょう。無責任な言い方ではありますが、教員の立場で見るなら、「設計の専門家が小学校の校舎に付けるぐらいのものならば、かなりの強度があるものなのだろうなあ」と素人考えしてしまったのだと思います。しかし、責任問題として、それでは済まされないものはあるというのはたしかでしょう。 これからは自分の専門外のことでも疑ってかかっていかなければならないのでしょうね。 この事故とは直接関係のない話として以下の部分は読んでください。「学校は安全なところ」 これはとんでもないですよ。 実は学校というのは危険だらけの場所です。 例えば、階段の手すり、あれに座ってすべり台にする子どももいます。後ろに倒れたら後頭部強打です。階段だってちょっと目を離すと何段か上から飛び降りて遊んでます。 廊下だって走ってぶつかりゃ大けがです。教室のドアは指を挟んで骨折するし、ふざけて遊んでいるところに子どもが顔を突っ込んだりしたら鼻骨骨折します。 教室の中だって危険がいっぱい。その中でも机といすがもっとも危ない。安全第一の発想から行くなら、あんなものすべて取っ払ってしまうのが理想でしょう。 校庭の遊具なんて、どれ一つ見ても安全なものなんてないですよ。「完全な安全」を目指すなら、すべて撤去してしまうのが理想です。 2階以上の窓なんて、子どもが間違って落ちてしまったらもう大変。本当に安全な学校にするならすべての窓に鉄格子を付けるといいかもしれません。 こう考えてみると、「子どもが楽しいもの、便利なもの」ほど危険なものだと言えるのではないでしょうか。 要するに、学校から危険を取り除くなんて本質的には不可能なのです。だから、しつこく子どもたちに指導、注意していくしかないのでしょうね。 それでも先生の目を盗んで子どもたちはいたずらをするんです。そしてけがをして・・・「学校の安全管理はどうなっているんだ!」「申し訳ありません。指導不十分でした。」こうなるんですね。 事故があって、親御さんに謝りながら、「なんでおれ、謝らなきゃならないんだろう・・・?あのけが防ぐのムリ・・」なんて思う時があります。まあ、しかたないか・・・・
2008.06.23
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秋葉原で無差別殺人が起きました。亡くなられた方のご冥福を祈ります。遺族の方の悲しみはいかほどのものでしょう・・ 何をかくそう実は私もしょっちゅう秋葉原へ行ってる1人、アキバ大好きの人間として、何か人ごとではないものを感じてしまいます。 ところで、事件のニュースを聞いて、まず思ったことは、「なんで秋葉なの?」ということでした。 新宿ならなんとなくわかります。東京でも、丸の内でも、渋谷でも池袋でも。でも、秋葉なんて電気オタクの集まるマニアックな街で「自殺の道連れ」みたいな無差別殺人が起きるなんて。ちょっと変わり者の、仲間からは変人扱いされるような理系のオタクを、殺したいという心理が理解できなかったのです。 その後のニュースでは、この犯人はネットで自虐的な書き込みをしていたとのこと。(なんか、ニュースから推測するなら、もっともっとすごーくしつこく慰めてほしかったみたいですね。)この人が本当に「オタク」という範疇に入る人かどうかはわかりません。 でも、もうネットやコンピューターはオタクの世界のものではなくなってしまっているのでしょうね。誰でも入れる普通の世界ですね。 秋葉=オタクという感覚自体がもうずれてしまっているのでしょう。 最近秋葉で聞くニュースというと、何かのイベントとかメイド喫茶、路上のパフォーマンスのことなどが多いです。つくばエクスプレスの開通も影響大きいでしょう。 要するに、なんか最近イメージがスコーンって明るいんです。 私の頭の中では、秋葉と言えば、裏通りのあやしげなパソコンパーツのジャンク屋めぐりというイメージが強いのですが、「みんなが自由で明るく楽しそうにわいわいやっている街」というイメージなのでしょうね。 だから満たされない彼は、「秋葉にいる奴らを殺してやりたい」と思ったのでしょう。 だけど、視点を変えると、1人の人間がこんなことをしてしまうというだけで、本人はもちろん、被害者も、遺族も、家族も、まわりの人みんなを不幸にしてしまう、本当に悲しいことだと思います。 ネットのニュースにこんな記事が出ていました。容疑者の両親が記者会見を行ったのだそうです。>記者団から「事件を防げなかったのか」などの質問が出たが、父親は「捜査の関係もあり、この場ではお答えできない」。社会的責任を問われると「謝っても謝っても償いきれません。まだ心の整理もついていない」と三度頭を下げた。 こんな質問をした記者はどの新聞社、あるいは放送局でしょう? 言ってやりたいです。「あんたの子どもがこういう事件を起こす可能性だってゼロじゃないんだぞ。あんたは防ぐ努力してるのか?」と。 それに、社会的責任って何?こんな無責任な報道で煽っておいて、容疑者の家族への嫌がらせやバッシングで心を病んだとしたら、その時自分に向かって言ったらいいんだ「社会的責任!」って。
2008.06.10
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