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我が家の息子は高1と中2、成長は早いものです。 子どもが大きくなってよかったなと思うことがあります。 自由になりました。 小さい頃は、父親がやっていることはなんでもやりたがるし、父親の好きなものは子どもはなんでも興味を持ちます。父親が野球やってりゃ子どもも野球やりたがるし、バイクに乗ってりゃバイクの絵を描きます。親がタバコ吸ってりゃ子どもも吸うまねします。親としての影響力が絶対的に強いのです。 ところが、だんだん成長して自分が確立してくると、親の影響力がだんだん小さくなってきます。 今まで子どもへの影響をいつも考えていたのが、あまり考えずに自分はこうなんだと出せるようになります。だいぶ気が楽になりました。 まず、食べ物。 椎茸が大っ嫌いなことを今まで子どもの前では隠してきました。でも、大きくなってからはおおっぴらに公開しています。「え、お父さん、椎茸嫌いなの?こんなおいしいものが何で嫌いなの?」 椎茸だけでなく、春菊もミツバもしそもみんな嫌いですが、「お父さんはほんとに好き嫌いが多いね。」なんてあきれていいます。にくたらしいけど、内心、「これでいいんだ」とほくそ笑みます。 小さかったら、やっぱりまずいよなーって思います。 あと、テレビ番組とか、マンガとか、自分はこれが好きだっていうのをなんでも出せます。「クレイモア」とか「ベルセルク」とか好きですが、子どもたちは、「グロいからいやだ」といって見ようとはしません。これでいいんです。 「巨人は嫌いだ」とか、「笑っていいともは見たくない」とかいっても、もう傷つきませんね。「へえ、お父さんそうなんだ」っていう感じ。自由になれました。 子どもが大きくなってつまらなくなることも多いですが、いいこともありますね。
2008.04.27
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前回に続いてまたまたCM批判・・・とがっててすいません。 でも、これは書かないと。 KDDIの「いまや、小学生にもケータイが当たり前になりつつ・・・」なんていうようなCMがありました。 これには、「おいおい、ちょっと待てよ。」と思いました。 携帯電話のユーザーの数は頭打ち、もはや限られた数のユーザーを数社が奪い合う状況です。ここで新しいターゲットを求めていたわけです。そんなとき、防犯、安全という最近の子どもを取り巻くニーズに、これはチャンスとばかり飛びついたという形ですね。 僕も携帯を使っています。このCMのAuの携帯を使っているのですが、このCMには、ちょっと待てよと言いたいです。 担任している子どものなかにも、ケータイを持っている子がいます。ちょっと行動に課題を持つ子で、ちゃんと家に帰らなかったり、とんでもないところで引っかかっていたりといったことのある子なのです。先日、その子が連絡帳をなかなか書かなくて、帰りが遅くなってしまい、お母さんに連絡を取ったところ、「はい、わかりました。大丈夫です。GPSで場所を確認しました。」ということを言われました。 たしかに防犯、安全面で、携帯は便利です。役に立ちます。 だけど、だけどです。 これを「みんな持っているのがあたりまえ」という既成事実にしてしまうのには反対です。 携帯を介したコミュニケーションの危険性に対する配慮が足りないと思います。 単に悪質サイトへのアクセスばかりでなく、その気軽さ故の、あまりに密で相互拘束的なコミュニケーションの危険性に、もっと目を向けるべきでしょう。 ケータイのメール。今や、よく中学の女の子たちは、ひっきりなしに他愛のないメールのやりとりをし合うことで、グループの中での自分のポジションを確認し合っているという話を聞きます。「今、何してる?」なんていうメールが来ると、すぐにでも返さないと、あとで仲間はずれにされるかもしれない。だから、風呂に入っていても、ケータイをそばに置いておかないと不安でしょうがないということです。 高学年の女の子たちを見ていると、それこそ自分がグループの中で孤立するのではないかとびくびくしているような態度をしばしば見ます。休み時間などいつでも一緒に行動して、体育の授業に遅れる時もつきあって、仲良しグループで他の子の悪口をひそひそと・・・そして挙げ句の果ては、グループの1人が仲間はずれになって、トラブルに。 こんな子たちがみんな携帯を持って、学校でも家でもメールをし合ったらと想像すると、ぞっとします。 いじめや学校裏サイトなどに見る、児童後期や思春期の子どもたちが持つコミュニケーションの不安定さ、危うさをエスカレートさせることは間違いないと思うのです。 携帯のコミュニケーションは、○24時間エンドレスの徹底的な相互拘束性○仲間だけの密室性○いじめや中傷などにおける匿名性といった危険を持っています。 最近は、保護者同士もやたらメールで連絡取り合ってて、話がとんでもなく大きくなったり、ゆがんで伝わっててびっくりさせられたこともあります。顔を接しない字だけの情報は、受け取る人が内面に持つ感情によって、どんどん歪曲させられていくものだと思うのです。 メールで伝え合うのって、やっぱり便利だけど危険なんですよ。 子どもにケータイを勧めるなら、ただフィルタリング機能をつければ安心だなんて安易なものでなく、た子どもたちが相互コミュニケーションに使うことに関しても、企業側が研究してから子どもに勧める慎重さが必要なのではないでしょうか。例えば、非難、中傷にはフィルタリングがかかるとか(そんなことできるかな・・・) まあ、なんにしろ、携帯が子どもに広がっていくのは止められないと思います。でも、それを一気に加速させたくはないですね。坂道を自転車が走っていくのに、せめてブレーキをかけてスピードを落とすことで危険を防ぎたいという気持ちです。 あと、すっかり忘れられていますが、携帯電話の「電磁波」の人体への影響については、いまだに「灰色」だということです。子どもにケータイを持たせる判断をした親御さんは、ヨーロッパの多くの国では16歳以下の子どもにはケータイを持たせないようにという指導がされているということをご存じでしょうか? ケータイは「21世紀のタバコ」などと主張する学者もいます。 まあ、こういうことは、企業の戦略に流されずに、慎重に、よく考えていきましょうよ。
2008.04.19
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家庭教師の○○○のCM、初めて見た時から、なんかちょっと違和感を感じていました。おや?この感じは何だろう?と感じていました。画面では、この家庭教師会社の社長がしきりに話をしている顔に、ほっぺた、口の周りとだんだん落書きが書き込まれていきます。まじめに話しているだけに、ちょっと間抜けてユーモラスなのです。 この社長が話している内容が「家庭教師の○○○は、お子さんに落書きするヒマを与えません。」というもの。考えてみるとこれってかなりえげつないことを言っているのです。 子どものやる気を引き出すとか、成績アップするとかではないのです。「ヒマを与えない」これはえげつないですね。自分が子どもだったら、これはかなりいやな感じがします。 この表現は、頭から子どもの自主性を全く顧みていないし、無理矢理詰め込み、強制といったニュアンスがありますね。もちろんこの社長は、教える技術と情熱で子どもを最大限学習に集中させるという意図で言っているのでしょうけど、「ヒマを与えない」という表現は、視線を親にしか当てていません。子どもはまるでその親の手のひもにつながれた犬のようです。 これでちょっと思い出したことがあります。 ずっと前、勤務していた学校で、全校集会の入場の時、歌を歌いながら入場させようと主張する先生がいました。というよりはそれが多数派でした。理由は、子どもにおしゃべりをさせないためということでした。僕はこれがとてもいやでした。歌というのはそういうものじゃないだろうとも思ったし、おしゃべりがないという形だけ繕おうという発想もいやでした。でも、まだなったばかりの教師で、ベテランの先生たちに堂々と抗議する度胸はありませんでした。だから、せめて、自分のクラスには、「歌いなさい」と指導をしませんでした。 「ヒマを与えない」という発想が同じだと思います。 「落書きするヒマ」という表現もちょっと引っかかります。 この社長の感覚では、落書きというのは勉強時間を削る単なる無駄以外の何者でもないという感じです。落書きとは基本的にしょうもないもの、どうってことないものではありますが、子どもの落書きに、その子の心の中を感じることがしばしばあります。 もちろん学習に集中した方がいいとは思いますが、落書きというものをこう一面的に否定的にとらえる表現はいやだなあと感じました。 もしも、子どもが真剣に学習している姿を映しながらこの言葉をナレーションで流したら、さぞえげつなさ、いやらしさが浮き彫りになったでしょうが、社長の顔に落書きされていく映像のおかげで、何かこの言葉が不思議に入っていってしまう。このコマーシャルは作り方がうまいです。僕も冷静に考えるまで、単なる「違和感」としか感じませんでした。 CM作りに工夫しているのですね。
2008.04.10
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。 キレる子への対応-親にでなく、キレる子ども本人への対応によって、なんとかキレなくなるように・・・・ 爆発するエネルギー(ネガティブな感情)をコントロール可能な姿に変えていくということを考えてみましょう。 キレて荒れてしまった子を別室で落ち着かせた後、落ち着いて話をしてみましょう。○何に頭に来たのか?(何がきっかけでキレてしまったのか) どこで、何がきっかけでキレてしまったのか、それを聞いてみるのは意味があります。バカにされたと思ったときカッと来たのか、無視されたことにキレたのか、本人特有のキレる引き金が、まわりからは案外見えていないということもあります。それを知ることで、その子の理解を深めることができます。 ただし、キレる子は、よく覚えていないということがよくあるので、「覚えている範囲でいい」「思い出せないことはいいんだよ」ということをよく言っておかないといけません。○キレるときの「体の感じ」に注目する キレたときのことなどを話しながら思い出していると、キレたときの体の不快な感じがよみがえってきます。それを言葉で表現できるように援助します。「今、どんな感じ?体のどこか苦しかったりいやな感じがするところない?」「うーん、わかんない」と言う子がほとんどです。特に、キレているときのことは覚えていないことが多いですから、時間をかけて、ていねいに聞きだしていくことが大事です。 自分の言葉でそれを表現できればそれが一番いいのですが、それができない場合は、こちらから助けてあげる必要があります。「胸が苦しいみたいな感じ?」「息が苦しい感じかな?」「おなかに重いものがあるみたい?」「心臓がドキドキする?」「カーッと頭が熱くなる?」という具合にていねいに、本人にしっくり、ピッタリしたものをさがしていきます。(一度ではうまくいかないことが多いかもしれませんが、体の感じにフィットした表現をさがします) こうして徐々に、自分の中の不快なものを、言葉で表現できるようにさせていきます。○表現した不快なエネルギーを、「やってくるもの」「出てくるもの」としてとらえさせていく 子どもがこうして不快な感情を言葉で表現できるようになると、それは、自分の中にある「別なもの」としてとらえられるようになります。 今までは、「自分でもわけがわからないけど、なんかひどいことやってしまって、いつも先生に怒られてた」という形になってしまっていました。それが、「自分の中の『ムカムカ』がやってくると、止められなくなって、友だちをぶってしまう」というイメージに変換していくことが可能になります。 小さい子だったら、「ムカムカ虫」とか、よりとらえやすい形のイメージにできるとよりいいでしょう。(あくまで子どもが体に「感じている」表現を大事にします。教師が勝手に命名したのでは意味がありません。) ここまで持って行けたら、キレた子と指導する先生が「ムカムカ虫」への作戦会議をすることができます。「また友だちぶっちゃったね。ムカムカ虫が出てきちゃったんだね。今度ムカムカ虫が出てきちゃったらどうしたらいいだろう。」 「ムカムカ虫が出てきたと思ったら、この部屋に休みに来たらどうかな?」「ムカムカ虫が出てきたときは、『先生、ムカムカだよ』ってまず言ってみたらどうだろう。できるかな?」といった具合に。 そして、それができたときは、それをきちんと評価してやりましょう。 こうしたことで、感情的な問題が解決するわけではありませんが、「自分をコントロールできた」という自信を持たせることが、問題克服への第一歩となります。 こういった対応をするためには、◆キレてしまったときに落ち着くための空き教室が用意されている◆その子がキレたときにいつも付き合う教師がいる(できるだけ同じ人が)という環境が必要です。また、◆「キレたときが育てるチャンス」という心構えと、半年、1年、あるいは数年かけて育てていくのだという根気強い気持ちが大切です。 次回は、呼吸法と動作法による対応について紹介します
2008.04.06
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桜の名所で知られる小金井公園(小金井市)で29日夜から30日朝にかけて、8本の桜の木の枝が折られているのが見つかった。悪質ないたずらとして同園サービスセンターは30日、警視庁小金井署に被害届を出した。 「小金井公園桜守の会」世話人代表の伊藤正義さん(67)によると、被害に遭ったのは同園内東側の後継樹育成苗圃(びょうほ)の桜。苗木約250本が植えられており、桜の開花情報の確認に行った伊藤さんが29日午後5時ごろ、1本の桜の木の枝が折られていた。30日午前7時半ごろ、再び確認に訪れたところ、さらに7本の枝が折られていた。 折られた桜は小金井薄紅や三吉野などの品種。8本のうち2本は富山県砺波市の市民から贈られた記念樹のエドヒガンで、今年初めて開花したという。 伊藤さんは「こんなひどいことをするなんて許せない」と怒りをあらわにしている。(MSN産経ニュースより) どうしてこんな馬鹿なことをするんだろう?と思った方が多いのではないでしょうか。 でも、こんなことをした「馬鹿者」の気持ち、僕には少し理解できるような気がします。 桜の花って明るいんです。パーッとあたりを照らすような華やかさがあるんですよね。 桜の花にまつわるイメージも明るい。 春・・・それだけでもなんだかうきうきします。 入学式・・・小さかったあの頃、ぴかぴかの1年生として両親に手を引かれて桜の下をくぐって新しい学校へ、期待に胸をふくらませて・・・ 卒業式・・・涙の別れ、感激、感動、友達との再会の約束、そして、束縛からの解放感・・・ 花見・・・楽しそうな顔、顔、顔・・・ 桜の下で幸せそうな人たち 優しい顔・・・・うれしそうな笑顔・・・・人と人とがつながってる そんな明るさとは自分が無縁の場所にいると感じている人、 自分とはかけ離れた場所で、川の向こう側で人々が幸せそうにしているのをつまらなそうにぼんやり眺めているさびしい人は、「桜の花などクソ食らえ」と言いたくなるのではないでしょうか。 自分に比べてあまりに幸せそうな周りのみんなを、少しだけいやな気分にさせてやりたい・・・自分と同じように そんな気持ちなんじゃないかなあと、なんとなく思うのです。
2008.04.03
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