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中国製のギョーザが問題になって、もうずいぶんになります。 妻がいないとき、夕飯を用意しようとすると、ギョーザを避けようとするとすごく何を作るか苦労します。いかに今まで冷凍ギョーザとシューマイに頼っていたかを痛感! まあ、そんなことは置いといて、今回の騒動、いろいろ考えさせられますねえ。 今回のことで、一番痛感したのが、中国の国家としての誠意のなさ。 自分のところの責任はいつももごもごはっきりさせないのに、たまに日本企業の名前が出てくると、「日本企業の責任だ」と声高に言う。それも、「製造企業側の調査が不十分だった」って、自分の国でえげつなく有害農薬普通に使っていることは棚に上げて・・・ ガス田のことも自分勝手でひどいですね。 サッカーの東アジア選手権でもそうでした。4年前のアジアカップ同様の国歌、国旗へのブーイング、まるで許可を受けているかのような日本選手相手のラフプレー、情報が統制、操作されているということを考えると、これはわかっていてなかば国策としてやっているのかなあと考えてしまいます。 中国のスポーツ中継は、すべてタイムシフトで放送されているそうで、女子サッカーで中国の選手が相手選手に乱暴したシーンはテレビではカットされてしまっていたそうです。 情報が操作されているっていうのは本当に不気味でいやな感じがします。 以前、バドミントンの大会で、中国ペアが2組準決勝まで勝ち進んでぶつかることになったのだそうです。その時に、実力が劣ると思われる方のペアに「負けるように」という圧力がかかったのだそうです。 実力的に上のペアが順当に勝った方が優勝する可能性が高いからということです。中国という国が金メダルを取るために、「国益になることならどんなことでもやる」というえげつなさがこのことに出ている気がして、すごくいやな感じがしました。 国益最優先、国益に反することはしない、させない、認めない、こういう国家に今、頭を下げちゃいけないなという気に最近なってきました。前は、産経新聞が「南京大虐殺はなかった」なんてことを声高に言うと、「また右翼新聞がバカなこと書いてやがる・・・」と思ってたんですけど・・・中国政府がここまでえげつないとわかると、ちょっとね。 僕は中国という国家、政府にはぜんぜん敬意を感じないけど、「中国人」には特別な尊敬の念を持っています。それは昔も今も変わりません。 理由は、「中国残留孤児」のことです。自分の国家に仇なした日本人が残していった子どもをわが子として大事に育てる-その感覚が、どうしても理解できませんでした。やっぱり何か、中国人というのは「大きなもの」を持っているのだなあとしか思えません。 昔の中国王朝が、近隣諸国の朝貢に対して、必ず貢ぎ物よりも高価な土産物を持たせたという太っ腹なところも好きです。 やはり、天安門事件の時が、ひとつのターニングポイントになってしまったのでしょう。中国の民主主義の芽は、あの時ハンマーで叩きつぶされてしまいました。それを契機に愛国主義教育が。(戦前の日本と同じように) 中国が信頼できる民主国家になってくれる日は来るのでしょうかね。
2008.02.26
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前回は、「解離」という心の働きによって、キレる心が作られるということについて説明しました。 自分のネガティブな感情を感じないようにしながら、親にとってのいい子の自分、親にかわいがってもらえる自分をやってきた子ども。 その子が小学校に入って、環境がガラリと変わります。やらなければならない勉強、楽しくない集団行動、友だちとのトラブルなど、いやがおうにも不愉快な気持ち、ネガティブな感情にさらされます。家庭ではそんな感情を感じないできました。というよりは、そんなものを感じることはぜったいに「許されない」ことだったのです。なぜなら、そんな感情を感じることは、親からの激しい攻撃を受けるか、あるいは親の愛情、保護を失うことにもなりかねないからです。 ところが、学校という雑多で多様なコミュニケーションが混在する集団の中では、ネガティブな感情が頭をもたげる余地が生まれるのです。(もちろん、恐怖で子どもを統制するような先生が担任だったら、その子は家庭と同じスタイルを通していい子でいることでしょう) こういう子どもが学校でキレる場合について、例をあげて説明しましょう。 例えば、友だちと、順番の取り合いなど、つまらないことで言い争いになったとします。親との関係の中では感じないようにしてきた「不満」「反感」「敵意」などのネガティブな感情が、心の中に湧き上がってきます。 こういうネガティブな感情に慣れている子なら、相手の子に「おい、おれの方がが先だろ」とか、「なんだよ。ずるいぞ。」とか、相手に対して「抗議」「不満の表示」場合によっては「交渉」など、何らかの働きかけをします。 ところが、ネガティブな感情に向き合うことなく、解離させてきてしまった子は、この感情を適切に処理できません。 こうなるとこの子は、親に対してきたと同じようにこの不愉快な感情を「解離」させるか、そうでなければ、この不愉快さを処理できず、相手に対して暴力的に怒りを爆発させることになってしまいます。 これが、「キレた」状態です。 心の中に、今まで解離させてきたはずのネガティブな感情を抱える子ども達は、キレて乱暴をするばかりでなく、その不愉快で不安な状態を、さまざまなゆがんだ形で解消しようとします。 友だちの物をこわす、落書きをする、いやみを言う、物を隠すなどのいじめ、嫌がらせをするのです。キレて暴れるのにくらべると陰湿で屈折していますが、これも、自分の中の抱えきれないネガティブな感情を解消しようとする行動なのです。 あるいは、固まってしまう場合もあります。黙ったままで、表情をこわばらせ、何を話しかけてもこたえもうなずきもしない・・・・これも、今までまともに向き合ってこなかった感情を心の中に抱えて、どうしていいかわからなくなってしまったのです。後はスッキリ キレて暴れて、大騒ぎをしているA君、やっと抑えて別室に連れて行きます。落ち着かせたあとで、人に迷惑をかけない、暴力をふるわない、同じ過ちを繰り返さないといった話をすると、素直にうなずいて話を聞くのですが、どこか手応えがありません。「どうしてあんなことやったんだ?」と聞いても、「よく覚えてない」などという答えが返ってきます。 キレてしまう子は、いったんキレてしまった後、みょうにスッキリといい子にもどってしまうことがよく見られます。また、あとで落ち着いてから話を聞いても、キレていた状態のことをあまり覚えていないということもよくあります。さっきまですごい形相で暴れていたのに、人なつっこく先生にまとわりついてきて、先生の方が戸惑うということもあります。 子ども自身、自分の中で起こったわけのわからない感情に振り回されていた状態ですから、よくわかっていないのです。 キレた子に話を聞くときは、あまり覚えていないことが普通だということを心に置いて、少しでもあいまいでも話ができればいいというつもりで対応しましょう。
2008.02.13
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今回からは、数回にわたって、「キレる子」そのキレるメカニズムと、対応について考えてみたいと思います。 こんな子クラスにいませんか?○勝負で負けるとむきになって怒り、相手をなじったり暴力をふるったりする。○自分の思い通りにならないことがあると、友だちや先生に激しい怒りをぶつける。○テストで100点を取れないと、頭に来て周囲に当たり散らす。○友だちにかげで意地の悪いことを言ったりやったりする。○強面の男の先生には従順だが、優しそうな先生には態度が悪く反抗的になる。○学校では乱暴で態度が悪いのに、親に連絡すると家ではぜんぜんそんなことはないと言われる。○失敗したり、叱られたりすると、固まってしまう。または、わけもわからないくらい泣いている。 こういう子がいると、だいたい「今まで親に甘やかされてきたからがまんすることを知らないんだね。」「親にめいっぱい締め付けられてるんじゃないの。」「家でストレスたまっているから学校で発散しているんだよ、きっと。」といった解釈をしてきたのではないでしょうか。 こういう一般的な見方とちょっと違った視点を紹介します。 東京学芸大学の大河原美以先生が、こういった子どもの心の中で何が起こっているのか、感情の発達という観点から分析しています。 子どもは泣いたり、いい気分、悪い気分、怒り、悲しみ、悔しさなど、生の感情をすべて親にぶつけます。「ああ、いたいねえ。痛い痛い。かわいそうね。いい子いい子。」「いいねえ、うれしいねえ。」などと、ぶつけた感情を親に認めてもらう、親に言葉で返してもらいます。 子どもは自分の感情をはき出し、そしてそれを親に共有してもらって、認めてもらって安心します。こうして子ども達は、怒りでも、悲しみでも、悔しさでも、それを表出しても、最後には安心させてもらえる、きちんと鞘に収まるものだという風に感じるようになります。 これが、乳幼児期に獲得する「安心感」です。 ところが、子どもが悲しみで泣き叫んだとき、親が火のように激しく叱責したとしたらどうなるでしょう。子どもは、泣くことをやめてしまうでしょう。泣くことが親の極端にネガティブな反応を引き出してしまう→自分が悲しみで泣き叫ぶことは、親に否定される、親に見捨てられるかもしれないというとてつもないおそろしい状況を招くのですから。 ここで、子どもは、悲しいという感情を「隔離」してしまいます。自分で悲しみを感じないようにしてしまうのです。 子どもでなくとも、私たちも感情を感じないようにするということをしばしばやっています。例えば、卒業式で呼名をするのに緊張している担任の先生は、しばしば卒業生を送り出す感激や寂しさをまるで他人事のように感じてしまっています。また、葬式などでは、家族は悲しいという感情が実感として感じられないことがあります。感激や悲しさをまともに感じたら、状況からしてとてもやっていられないために、その感情を「隔離」しているのです。 この、感情を隔離してしまうことを「解離」と呼びます。 子どもが自分の思い通りにならなかったり、泣き叫んだりすると、激しく叱責する親に育てられた子どもは、「悲しみ」「怒り」「ねたみ」「わがまま」「悔しさ」などの、ネガティブな感情を解離させてしまいます。 いい子であったり、喜んでニコニコしてたり、そういったポジティブな感情はしっかり感じて表現することができますが、ネガティブな感情は心の中で、壁の向こうに追いやってしまうようになってしまうのです。 自分の思い通りにならないと、子どもに厳しく叱責をする親御さんの子どもは、解離を起こしやすいことはおわかりいただけたと思います。 逆に、極端に子どもに甘い親御さんの子どももまた、しばしば解離を起こしています。 親が、子どもとの間で波風立てたくない場合、つまり、いつもいい気持ちで子どもをかわいがりたい親は、できるだけ子どもを泣かせたくないです。だから、子どもがほしいものはなんでも買い与えるし、できるだけ禁止もしません。子どもは、ニコニコして親を喜ばせていれば満たされることを覚えます。また、泣いたりだだをこねたりすることを親が避けようとしていることも学びます。 いつの間にかネガティブな感情を解離するようになるのです。 この日常的な「解離」が「キレる」につながっていくのです。
2008.02.07
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