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安倍自民が参院選で大敗した。無党派層を遠ざけるために、国会の期日を延長して選挙日程を夏休みに掛けるような小細工を施したにもかかわらず。投票率は安倍自民の狙い通りで、それほど高くはならなかったが、しかし逆に、それが機能した結果だと言えなくもないように思える。今回も覚書程度に思ったことを書いておく。掲題に関することは最後の方で言及することになる。■リアルに関心を持った層だけの選挙今回の選挙が、「郵政」選挙と違うところは、よくわからないまま「ノリ」で投票する人間が減ったということかもしれない(いなかったなどとは言いませんが)。例えば、室伏哲郎は「自分の懐に直接影響ある問題で(自民ブランドが)偽物だと気付いた」と述べ、「脱ブランド選挙」だと名づける。ここで想定されているのは、よくわからない「郵政」における、詐欺師小泉のブランドを信じた、前回の選挙が想定されているのだろう。室伏は「「悪い政権があったら交代する」という、簡単な民主主義の原理が働いた」と述べる。なるほど、そうだろう。だがその「悪い」を判断する主体こそ、今回の選挙の特徴だったように思える。そこにはやはり、(税金や年金問題など)痛みをリアルに感じた層が動き、「ノリ」で投票する「子どもたち」が前回よりも減ったことの影響があったのではないだろうか。以上のことを補強する論拠がある。民主党以外の野党が伸びなかったことだ。イデオロギー的政治よりも、生活実感のあるリアルな判断をまず優先させたしるしだろう。別に民主党が良いわけじゃない。だが、今の生活を考えると、安倍政権にはちょっとこのまま任せてはおけないという危機感だろう。いつもは選挙に行かない奴らが選挙に行ったのが前回の「郵政」選挙なら、いつも選挙に行く層の良識派が、保守・革新にかかわらず、リアルな判断をしたのが今回の選挙かもしれない。この点、吉永みち子は「数の力を背景にした安倍政権の強引な手法と、身内への甘さが目に余った」と分析する。吉永が言うように「衆院のブレーキ役という参院本来の役割に期待する国民のバランス感覚が表れた、政権への「鉄拳制裁選挙」」というところは確かにあるだろう。麻生太郎が「手法が悪かった」と言ったのもこのことを言っているのだろう。だが、やはり、その「強引さ」への判断基準は、生活に根ざしたものであったことは間違いない。(この点、「生活が第一」とキャッチフレーズを定めた小沢民主の戦術は効果的だった。「民主が伸びたのは自民の失点のせい」ということは多くのところで言われるだろうが、それでも、そうした不満票を取りまとめた力は大きいと言っていいように思う。)選挙はどこぞの馬鹿たちが言うようなイデオロギー対立の場ではないと俺は思う。正直、安倍の言う「戦後レジームからの脱却」なんてものをわかる方がおかしい。選挙は今回みたいなものが丁度いいくらいだ。さて、室伏、吉永(という俺のよく知らない)両氏の言葉は、この記事から引かせてもらったのだが、同じ記事で成田憲彦の言葉も紹介されている。成田は今回の選挙を「自民党の落日選挙」と呼び、この結果の裏には構造的な日本政治の変動があるという。それが本当かは俺にはわからない。だが、「安倍首相は続投するが、首相が頑張るほど早く衆院解散、総選挙に追い込まれる。持ちこたえられないだろう」という認識は一致する。■参院が働かなかったことへの否国民の不信任がこれほどはっきり出ても、続投するというのは、参議院を軽んじているからなのかもしれないが、将来、このことが安倍氏の首を逆に絞めることになるかもしれない。というのも、今回の与党への不信任は、参議院への不信任とも受け取れるからだ。国会なのに議論にもならない。自民を離党した大仁田が述べた「参議院は首相官邸の人気取りの道具ではない」という気持ちは、実は「郵政」の時から、国民の良心の奥底にあったのではなかったか。そして大仁田の行動は、少しだけわれわれの琴線に触れていたのではなかったか。安倍は自分を「信念の政治家」だと思っている節がある。だが、信念を持ちつつ、違う意見と議論を重ねつつ熟慮を重ねつつ、少しずつものを動かすが政治だ。日々生じる問題を解決し続けるのが政治だ。そして、それができるようにしてあるのが、二院制だし、国会という場だ。だが、安倍は数があれば何をやってもいいと勘違いしていた。そういう考えだから当然、安倍は参院に機能してほしいとは思っていない。しかし、機能しない参院に、国民はNOと言ったのではないか。つまりは、大言壮語する前に、小事を大事にせよ、というメッセージなのではなかったか。教育を変えれば、とか、憲法を変えれば、とか、そんなことで多くのあふれる問題は解決しない。民営化にしたってそうだ。「郵政」を経て、少しだけ、そうした詐欺手法に国民が慣れた。自分たちが騙されやすいからこそ、ストッパーを作っておく。これが参院だった。あるいは憲法だった。今回、われわれはそのことを少しだけ思い起こした。安倍が今まで通りの方法で押せば、安倍の政治生命すら危うくなるかもしれない。(どこかの知事のように国政以外の場所にしか居場所がなくなるかもしれない。)■「政治は良くなるか」という問いはやめたいさて、こうした結果になると、「お上にへへぃ」な人々は、やっかみ半分で「財源無い政策をどうやってやれるんだ」のようなしょうもない捨て台詞をブログで書いたりする。あるいは、「政治は本当に良くなるの?」といったナイーヴな問いを吐いたりする。(言うまでもないことだが、政権は安倍政権のままだし、民主がいい政治をしようにもそもそもできないことにも気付いていないようだが。)しかし、そもそもそういう発想がどうも民主的後進国的発想だということにそろそろ気付くべきときなんじゃなかろうか。まずもって言っておけば、良いかどうかは、立場によっても異なるし、その評価だって簡単ではない。何が良いか悪いかなどという問いは、そもそも奴隷的発想だとも言える。そういう人たちにとっては残念なことながら、民主主義というものは、良いか悪いかという問いよりも、自分たちが決断し、そのことに責任を持ち反省するというプラグマティックなダイナミズムを内包してしまった制度だ。良いか悪いかよりも、決断する主体としてのわれわれがいる。「どちらが良い政治をしてくれるか」という問いより一段高い場所にある「どう決断するか」を民主的な発想から外すことはできない。つまり、われわれは「奴隷」ではなく「主人」であるわけだ。そうであれば、良くなるかどうかよりも、この結果を見定め次に生かすことが主人たるわれわれの仕事だろう。良くなるかどうかよりも、主権者=主人として判断する。主権者=主人として、政治家の手に渡ってしまった「政治」を取り返すこと。これが今回の選挙の含意だったのだろう。うまくいくなら奴隷でもいい。という発想を廃棄したところに打ち建てられてしまったのが、現代民主主義というものなのだ。奴隷的な人々にとっては残念なことながら。
2007.07.29
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まずはこの記事。共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が22日付の日曜版で、塩崎恭久官房長官の2つの政治団体の事務所費に約1330万円の使途不明金があると報じていることが20日、分かった。これに関し塩崎長官は同日夕、首相官邸で記者団に「政治資金規正法にのっとって適正に処理されている」と語り、問題はないと強調。ただ、指摘された事務所費の詳細については公表する考えはないとした。 同紙や政治資金収支報告書によると、塩崎長官は地元・松山市内の同一の場所に、自らが支部長を務める「自民党愛媛県第一選挙区支部」と、「塩崎恭久後援会」の2つの事務所を設置。2005年の事務所費は支部が580万円、後援会が1530万円で、合計約2100万円だった。このうち、家賃(年間240万円)や電話代など事務所経費に当たる計約770万円の支出を除いた残りの1330万円について、同紙は「どこに消えたのか」と指摘した。主権者の目の届かないところで「ルールに則った」「適正な処理」をしていらっしゃる権力者がいる。「決め事は守るべき(だから、公表するべきでない)」などという阿呆なぷらいむみにすたぁがこの国にはいるが、ルールはいつから馬鹿正直に守るべきものになったのだろうか。「適正な処理」をしながら、これだけおかしなことが起こるとなると、そもそもルールがおかしいんじゃないかと考えるのが自然じゃなかろうか。そもそも、ある時期たまたま多数を保持していた政治的一派がその時に自分たちに都合よくつくったルールで「適正に処理」しているとするなら、そう疑われてもしょうがあるまい。真に矜持のある政治家ならば、自分から潔白を証明しようとするだろう。そして、この国のぷらいむみにすたぁにはどうもわかっていないような重要なことだが、そうしたからといって、別にルールを破ることにはならない。これだけ格差が広がりつつある国において、権力者がよくわからない「適正な処理」をしているとすると、北朝鮮や旧社会主義国を思い浮かべざるをえない。この国のサーフィンが趣味という農相の絆創膏なんか、違うところに報道論点をずらす道具だったのではないか(こちらも参照)。「隠すことは赦されるが、お金に汚いことは赦されない」と感じる国民感情を慮っての作戦だろう。しかし、郵便受けの郵便を取るくらいで事務所の「実態」があったというなら、なんでも事務所になってしまう気がするよな。公私混同か。そんな生易しい言葉じゃない気がする。「政府権力者の金正日化」だろう。**********「ルールにのっとって」という言葉におかしさを感じる今日この頃。以下も参照のこと。「北九州市の役人と赤城農水相」(激高老人のぶろぐ)
2007.07.20
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義務ということを考えたい。そもそもの問題意識は、俗論において、系譜の違う用語である「義務」と「権利」がセットで語られる実際を目にしたところに生じる。いつからセットで語られるようになったのだろうか。おそらく、臣民に義務を課すという、かなり自家撞着的な「憲法」であった大日本帝国憲法を淵源にしているのではないかと思われる。この「憲法と言えない代物の憲法」の考えを今なお引きずる人々がいることにははっきり言ってかなり呆れ驚く。では、義務とは何か。■うぃきぺでぃあ?Wikipediaというページがある。ご存知のことと思うが、なるほどおもしろいページだ。だが、やはり参加型形態のものであれば逃れられない宿命を背負っている。それは、現状の学問的水準に照らして、少しレベルの低い人々までもが書き手に加わっているという事実である。いろんな人間が手を加えた跡があり、相互に緩やかな矛盾や、いらない蛇足が多い記述になっている「義務」の欄において、憲法の義務規定について書いてある。前半部は問題ないが、やや蛇足的に付け足された感のある(おそらく後から他者が要らぬ手を加えたのだと思われるが)中ほどの叙述に問題がある。せっかくなので、「義務」について考える手がかりとしたい。日本国憲法には、国民の義務として、教育の義務(26条2項)・勤労の義務(27条1項)・納税の義務(30条)の3つを定めている。これらは一般に、「国民の憲法上の義務」あるいは「国民の三大義務」と呼ばれる。諸外国の憲法には、人権規定の中に義務規定を置くものが多い。日本国憲法もこれに倣い、人権規定を定めた第三章の中に義務規定を置き、その標題を「国民の権利及び義務」としている。さて、ポイントは赤字の部分だ。「諸外国の憲法には、人権規定の中に義務規定を置くものが多い」というが、これを日本国憲法の「三大義務」の説明に用いるのは、明らかに誤りであり、もしかすると、たちの悪い「騙し」にも取れる。というのも、多くの近代憲法に存在する「義務規定」というものは、その主要な部分は決して「国民の義務規定」ではないからだ。たとえば、日本国憲法に多大な影響を与えている合衆国憲法を見てみたい。このページで、Ctrl+Fを押して「義務」という言葉がどのような文脈にあるか調べてみればわかる。(やってみてください。そしてすごく暇があれば、他の国の憲法も探してやってみてください。そのうえで私に教えてくださると尚助かります。)さて、どうか。いくつか出てきたと思うが、数え間違いでなければ以下のようになるはずだ。大統領の義務:9箇所犯罪者の義務:1箇所大統領以外の公人の義務:2箇所他の用法:1箇所そしてさらに重要な事実だが、大統領に関する義務のほとんどは、「権限」とセットで出てきていることがわかるはずだ。さて、おわかりか?Wikipediaにおける要らない蛇足部分の問題は、この権力者を名宛人とする「権限および義務」と「国民の義務」をかなり悪質に混同しているところにある。そして、これが冒頭に挙げた「俗論の勘違い」と親和的な発想であることはわかるのではないかと思う。■義務とは―夏目漱石の用語法からさて、もう答えを上でちょっとだけ言ってしまっているのだが、折角なので、夏目漱石先生に登場していただく。今迄の論旨をかい摘んで見ると、第一に自己の個性の発展を仕遂げやうと思ふならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないといふ事。第二に自己の所有してゐる権力を使用しやうと思ふならば、それに付随してゐる義務というふものを心得なければならぬといふ事。第三に自己の金力を示さうと願ふなら、それに伴ふ責任を重じなければならないといふ事。つまり此三ヶ条に帰着するのであります。『私の個人主義』からとったものだが、どのような文脈で「義務」「責任」が出てきているかよく知っておきたい。アメリカ合衆国憲法同様、夏目先生の語る義務とは権限とセットの言葉であり、力あるものにこそ要求されるものだ。(私見では、権利とは、この権力者の義務不履行への履行要求を重要な要素として含んでいる。この意味でなら、権利と義務がセットになることはあり得る。)権力を持つ者は、好き勝手やることができるからこそ、こうした倫理が必要になる。これは権力を集めた政府に憲法が必要なのと同じことだ。人間は自分には甘い。人間は間違いやすい。権力は腐敗しやすい。しつこいが、ミートホープの例を思い起こしてほしい。グッドウィルの天引き問題を思い起こしてほしい。他の会社にも溢れている。雪印のときもそうだった。これは繰り返し出てくる問題だ。義務を他人に向けて語る人間にこそ、義務は必要とされる。今一度繰り返そう。義務とは、権限を持った者に要求される<正しさ>のことだ。■次回以降予備的問題シリーズが予定通り進んだためしはないのだが、義務と自律との関連、憲法改定における義務規定の問題について書くかもしれない。最後に目指すのは倫理というところにあることは付け加えておく。
2007.07.07
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