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この国の共産党の行く末が、実は少しだけ心配だ。今に始まったことでなく、この党の党勢は大きく動いてきた。外部からの悪意ある反共プロパガンダもあれば、内部の「自分は正しい主義者たち」による分裂、自壊もあった。ときに支持を受け、ときに憎悪の対象となった。国民にとってのアレルゲンのようなそんな独自の立ち位置がこの党らしさと言える。しかし、アレルゲンとしたって、最近の共産党は物足りない。かつての共産党は自民党支持者から愛憎半ばするような視線を送られていたように思う。アンチ巨人は巨人ファン。自民党と共産党は愛し合っていた。だが、今は相手を取られた感もある。そんな時代を懐かしむように「たしかな野党」などという。かつての枠組みへの憧憬だけを見せられても、そんな自慰的なポスターに、生活のある国民が惹きつけられるはずがない。なぜ、こうなってしまったのか。■自明でなくなった共産主義この党は上と下でできている。戦前戦後の大きな情報の操作から、お茶の間には共産党へのアレルギー反応が起こり、その次の世代はアレルギー体質をそもそも持ってしまっている。読んだこともないマルクスを批判できるのもこの二世代の特権だ(笑)。われわれの世代で共産党を素直に受け入れられるのは、親がマルクスを読むような層であったか、自身がアレルゲンゆえに社会的アレルゲンに共感する層かのどちらかだ。つまり、上と下。上と下の分離が機能して、共産主義が自明の説得力を持つ時代があった。共産主義がユートピアを感じさせるようなそんな時代。それをただ世界史的状況に帰してしまうと、少し読み損ねてしまう気がする。先に、党勢は大きく動いてきた、と書いたが、冷戦期的時代状況とは別のところに、ずばり言えば政策提言に、ユートピアを国民に感じさせる要素があったように思う。細かいことは省く。「下」の国民の生活に「上」がしっかりと共産主義的に訴えかけたときに、この党は支持された。逆に、どちらが「正しい」だのと「上」がしょうもない論議を戦わせていたいたときには、議席を減らした。これだけだ。まあ、どちらにしても、この党らしい。「アレルゲン」の正体は「上」の「真っ直ぐさ」にあるのだから。そんなアレルゲン、あるいは共産主義的ユートピアの自明さが最近感じられない。共産主義の自明さは共産党内部(「上」)において失われている。■余談余談だが、そんな状況への処方として、生活窮状を推し進めようとする共産党シンパもいる。隠れ共産主義者のネオリベラリスト。生活の窮状が酷くなれば、共産党の党勢も増し、また「武力闘争」ができると考えているのかは知らないが。いずれにしても、共産党の問題はそんなところにない。■今やるべき政策提言例えば、社会保障問題に対して、「社会保障きりすて政治とたたか」うと言ったところで、ここには共産主義的ユートピアが見えてこない。これでは、民主党とも社民党とも同じことを言っているようにしか聞こえない。この国の共産党が、現状において実質的に「社会民主主義(議会を通しての社会主義の達成)」化したことは、党内を変化させる上でも良かったと思っているのだが、そこに「アレルゲン」が見えないとなると、これはただ埋もれるだけの存在になるだろう。「たしかな野党」には、アレルゲンが微塵も感じられない。社会保障に関して言えば、今回の参院選こそ、共産主義的ユートピアの見える、着実に共産主義達成に迫るような施策を打ち出すべきだった。月額5万円の「最低保障年金制度」なんかじゃぬるい。これじゃ、政府への代替案に過ぎない。アレルゲンがない。共産党は「ベーシックインカム」を提言するべきだった。年金問題不安のある、今こそ、共産党が提言すべき施策だった。■斜陽こまかい政策提言は省く。問題はそんなところにない。問題は、共産主義という理念が輝いていないところにある。現状の守りに入るとこういうことになる。斜陽企業の常だ。どうせ取れない政権のことを考えてぬるいことを言うよりも、はっきりと共産主義に近づく施策を標榜した方がいい。その上での妥協は議会ですればいい。国民に妥協的なことを言ったって、伝わりっこない。そうして生じる結果が、確かな野党であって、はじめから標榜するのが「たしかな野党」というのでは、想像力が足りなすぎる。社民党が、ただの女性党になってしまった今、構想力が求められるのは共産党だろうと期待する(いや、社民党が女性党であるのは、とても良いことだと思うんだよ)。共産党の想像力を心配しつつ、共産主義の想像力の可能性を願っている。
2007.08.20
コメント(1)
別に、軍隊に特別愚か者が集まっていると言いたいんじゃない。誰だってある程度愚か者で、自分の近くのことしかわからないし、自分の近くのことの論理で考え勝ちだと言いたいだけだ。関東軍が必ずしも自分たちのことだけ考えて動いていたわけじゃないだろう。恐らく、そこには少しくらい「善意」とか「愛国心」みたいなものがあった。左翼はかれらを酷い人間にしたてあげたいし、右翼はかれらを善き動機の人間にしたてあげたいから、子どものケンカが起こる。でも、人間はそんなに単純じゃない。みな、自分の近くの論理で、自分のことも考えれば、「なかま」のことも考えているわけで、動機が問題なんじゃない。そう、誰もが逃れられないこと、視野の狭さこそ問題なんだ。日本よりはイラクに近いところにいて、そのことを感じている。■「駆けつけ警護」の論理から抜け落ちている大切なことまずはこの記事。多くの勝手にお世話になっているブログで取り上げられているのを見て、この土地から少し発言しておこうと思う。集団的自衛権に関する政府の有識者会合はPKO=国連平和維持活動を行う自衛隊に対して、憲法上できないとしてきた「駆けつけ警護」を認めるべきだ、という意見で一致しました。 PKO活動の際の武器使用は、正当防衛や緊急避難などの場合に限られていますが、10日の会議では国連の集団安全保障の問題としてとらえるべきだとする意見で一致しました。 その上で、正当防衛を超えるとして憲法違反とされるいわゆる「駆けつけ警護」は認めるべきだとする意見が相次ぎました。これは、味方である他国の軍隊が攻撃された場合、駆けつけて応戦するものです。 こうした事例について、イラクに派遣された陸上自衛隊の指揮官だった佐藤正久氏は、当時現場では、事実上の「駆けつけ警護」を行う考えだったことをJNNの取材に対して明かしました。 「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、何らかの対応をやらなかったら、自衛隊に対する批判というものは、ものすごく出ると思います」(元イラク先遣隊長 佐藤正久・参院議員) 佐藤氏は、もしオランダ軍が攻撃を受ければ、「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」という状況を作り出すことで、憲法に違反しない形で警護するつもりだったといいます。 「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護に)行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」(元イラク先遣隊長 佐藤正久・参院議員) 懇談会は11月までに集団的自衛権の行使を容認する提言をとりまとめると見られます。しかし、公明党が反対している上、参院選の惨敗で安倍総理の求心力が低下しており、報告書は棚上げせざるを得ないという見方が強まっています。(10日22:50)カワイソウな安倍チャンが作った「ユユシキ者会議」の結論なんて、そう驚くに値しない。でも、かれらの論理の前提がおかしいことには、面倒くさがらずに驚いておかないといけない。そもそも自衛隊の派遣がおかしかった。自衛隊を派遣していいはずがなかった。「非戦闘地域」だった。大量破壊兵器もなかった。無いことも認めた。派遣しなかった国もあれば、撤退させた国もあった。そうした前提において、「警護」なんてありえない。そもそも「警護」するような組織じゃない。それなのに、なんだか、軍隊であることが前提になっている。議論も経ずに、派遣継続に正当性があったことになっている。忌忌しき者たちの会議。集団的自衛権は政府見解として認められないものであったはずだが、忌忌しき者たちの議論は、そうした事実を無視している。■かれなりの「善意」先の記事内の動画を見ると面白いが、佐藤くんは別に酷い人間には見えない。そうした印象は、政治なんてわからない、という無垢さから来ているように感じられる。「お国のための軍隊の一員」である佐藤くんは、かれなりの想定で、そして善意で、できることを考えたわけだ。かなしいことだが、これが軍隊の隊長というものだ。視野が狭い。余談だけど、自衛隊という組織の人間は、なんかちょっと無邪気な人間が多い気がする。数人しか会って話していないので、適当な統計なんだけど、みな「善意の人」だった。「お国のため」って信じて働いていた。悪いことをしていると気づかないで悪いことをしちゃいそうだった。悪の凡庸さ。地獄への道は善意で敷き詰められている。そう、自分なりの論理。動機の良さというのは怖い。■目の前で苦しんでいる仲間がいるとくにこの言葉こそ多くを語っている。「目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護に)行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」佐藤くんは無邪気だ。佐藤くんにとっての「仲間」という概念が、本当に多くの観点から検証され、正義に適ったものなのかどうかは全く心許ない。かれが仲間かどうかを判断できるのはなぜだろう。かれの任務は「イラク復興支援」だった。だが、いつの間にか仲間がいて敵がいて。そして敵は復興支援するはずのイラク人。本当に何しにいったんだろう。佐藤くん、君は、本当は「軍人」として行ったんじゃないの?■シヴィリアン・コントロールでよかった軍人は軍人の立場で考える。これは当然だ。だけど、どの立場にもいるんだけど、たまに、自分の立場が絶対だと思うようになっちゃう愚か者がいる。そして軍人がその場合に当てはまったとき、歴史では悲劇が演じられた。佐藤くんの発言には、まったく自分の論理しかない。驚くべきことだけど、その発言では、派遣の目的が忘れられていて、戦闘の論理しかない。歴史から学んだ制度は文民統制を生み出した。われわれの憲法もそれを持っている。かれは参議院議員になったけど、防衛大臣にはなれない。なれるようになったら、この国はタイムマシーンに乗るだろう。まあ、そんな「もしも」はいい。とにかく、今の制度では、かれのような視野の狭い人が防衛大臣になれないことをよかったと思う。■シヴィリアン・コントロールの本旨自分の意見は絶対ではないということを認める。だからこそ、多くの意見と闘わせて真理に至ろうとするのが、代議制の本旨だった。自分と近い意見のものだけを集めていたら、当然ながら誤る。軍隊型の組織は、命令伝達の系統として優れている。逆に言えば、いろんな意見が出ることを求められていない。当然のことながら、軍隊は暴走する。これは組織論上、逃れられない。多角的な検討のない決定は怖い。文民統制の本旨は、多角的な検討を軍隊にまで及ぼすことにある。軍人に発言させてもいいが、その発言は限られた視野のものであることに注意を払わなければならない。■暴走する。軍隊は暴走する。われわれも時に暴走する。われわれは誤る。軍隊は酷く誤る。だから制度があるし、法がある。「日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろう」なんて、視野の狭い人間は、断じて言ってはいけない。われわれが知るべきことは、自分が誤るということなのだから。
2007.08.17
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