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あまりにも暑いので、昨日は富士山の5号目まで行って来ました。静岡側の登山登り口です。さすがにここまで来ると、涼しいを通り越して寒いですなここまでなら車で登れるので、ちょっとした避暑です。下界は晴天ながら、ここへ来たら濃霧。下界は真っ白、富士山も真っ白で何も見えませんでした(がっくし)ケータイは電波届かずで、電源切ってました。ところで、先日から排尿の大切さを書いていますが、ちょっと書いた「3日尿が出てません」事件の詳細を。患者さんは30代・男性で、正確に書くと虫垂癌の患者さんです。(過去に、2011年12月3日と、2012年6月21日に書いた患者さんです)ちょっと前から、奥さんからのメールには、腰の痛みを訴えるようになったことは書かれていました。物凄く腰が痛くて、時に動けないほどだったとか。一般的に、原発はどこであれ、癌患者さんは腰痛や背中痛を訴えることが多いです。癌が判明する前に出ていた症状の多くが、腰痛、もしくは背中痛です。不思議ですよね。原発に関わらずの症状ですから。ですから、腰痛の話を聞いた時は、癌患者さんにありがちな症状だと思っていました。一番懸念したのは骨転移ですが、大腸癌の場合、ゼロではないけれど滅多にないですけども。過去に腰痛を何度も訴える患者さんがいて、しばらくして骨転移が判明したことがあったので、万万が一の心配事項でした。あまりにも痛みを訴えるので、病院で検査を受けたところ、「水腎症の疑い」 との結果が。でもこの時、尿はちゃんと出ていたと言います。この時点では 「疑い」 でしたので精密検査予定という話は聞いていました。ところが、ところが、突然、患者さんであるご主人がポツリと 尿が3日出てないと自己申告が慌てた奥さん、お姑さんと相談して、とにかく地元の病院に電話を入れて状況を話すと、 「できるだけ早く、病院に来てください」と言われて、病院に連れて行ったんですが、病院に行くまでが大変だったようです。 なんで病院なんかに電話するんだと怒鳴り、行かないと言い張ったそうな。「そのうち出る」とか、「大丈夫だ」とか、だだをこねるご主人を何とか連れて行き、そこで水腎症確定となり、急いで尿管ステント挿入とあいなったそうな。ようやくこれで尿が出るようになったけれど、腎臓の機能が回復しなければ、人工透析だと言われたそうな。。。報告メールをここまで読んだ時点で、もう驚いたの何の。。。私に先に連絡が来ていたら、 本人が何と言おうと、首に縄をつけてでも病院に直ぐに連れて行けと怒鳴ったところですよ。実に危険でした。今は、腰痛も消えて腎機能も回復して、落ち着きましたけどね。腎不全にでもなったら、どうすんねん死んじゃいますよ結局。。。周りからすれば、急変ってことになるんでしょうけども、本人はちゃんと自覚症状があった筈なんです。気のせいとか、そのうち治まるとか、思っている・・・思いたいだけでね。少しばかりを気にしていたら、キリがないですが、排尿だけはホント大変なことになりますからね。要注意ですでも、これって。。。再発なんですよね。
2012年08月30日
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参りました・・・昨日は朝から異様に体がだるく、動悸、頭痛、夕方には吐き気に見舞われてダウンこれって、今流行りの熱中症朝昼兼用の食事のトーストを食べた時は良かったんですが、午後になって気温は上昇、その後、食事は全く摂れずに麦茶とアイスコーヒー(私はブラック党)だけ。夜になって吐き気は治まったけど、食べたら吐きそうでどうにも食べれず。夜11時頃、桃とチーズで栄養摂取。この暑さ、PCだけじゃなく、ひろりんもぶっ壊れそうです。ケータイメールにもお返事できてなく、ごめんなさい。今日はかなり良いです。しっかり、食べられましたからそうそう昨日、日本テレビの24時間テレビに米村先生の患者さんが出演されてましたね。今月の上旬だったかなこの患者さんとお付き合いのある、偽粘液腫の患者家族の方からご連絡を頂いてました。詳細わかりましたら、また連絡しますってね。で、最初に聞いた時点で米村先生にも話したところ。。。 米村先生の患者さんが、24時間テレビに出るそうですねすると先生、 へ~っ、そりゃ凄いなって その前も、確かテレビ東京の5分程度の番組に、この患者さんが出られていて(これはまた別の患者家族の方が教えてくれました)、ネットで見たんです。「ネットで見られますよ」 ってURLまで送ってくれましたから。この時も米村先生に話をすると 皆が僕にそれを言うんやけど、僕、見ておらんのよ お袋からまで電話がきたからね、アンタがテレビに出とるって とか言うてましたわどちらも米村先生のお写真が出てましたからね。だから、米村先生にこの番組が見れるネットのURLをメールで送っておきましたで本題です。先日書いた、尿管ステントですけど、2005年前後の私の中の認識だと、ステントの交換時期なんて気にする必要無かったって言うか・・・当時はスキルス胃癌の患者さんしか付き合いがなく、他の癌はいざ知らずですが、スキルスという言葉の通り、病気が進行してしまうと、いずれ固くなってしまうから入れ替えしたくても出来なくなるのです。2回目の入れ替えの患者さんはいても、3回目の患者さんとなると、極端に減ってしまいました。入れ替えが出来なくなると腎臓から直接尿を排泄する、腎ろうという処置に切り替えとなりますが、この処置を受けられる患者さんは稀の中の稀です。よほど泌尿器科の医師に理解があるか、とっても協力的であるか・・・多くの場合、無用の処置と考えられてしまって、そこまで行き着かなかったものです。そうしたくても、出来ないほどの状態の患者さんも多かったですから、泌尿器科の医師を責めるものではないです。腎臓自体が機能しなくなれば、あとは透析しかないですからね。尿は便と違って、出なくなると下手をすれば数日~1週間で尿毒症を発症して、意味不明の言葉を発したり、腎不全を起こし、命そのものを落としたりしてしまいます。だから、便が出ないと気にする以上に、尿はもっともっと気にしなければならないのです。※ つい先日、大腸癌の患者さん(30代・男性)の奥さんから、3日も尿が出てないという突然の患者さん(ご主人)の自己申告を受け、急いで病院に連れて行きましたというメールが届いたので、敢えて、排尿の必要性を書きました。ところが昨今、スキルス胃癌の患者さんであっても、尿管ステントの交換なんて、3度、4度・・・と何度も交換が珍しくなくなってきました。まぁ、私の感覚ですけどね。それだけ、抗癌剤治療が熟練されてきたということでしょうか。薬剤的には、画期的な薬がバンバン出たという訳じゃないし、それぞれの患者さんに対する匙加減が上手くなってきたということなのかなぁ。。。
2012年08月27日
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以前書いた患者さんの経過です。確か、3月の初め頃に、「それってどーよの自由診療」と言う題目で書いてます。あの愉快なご主人を持つスキルス胃癌の患者さん(30代)の話です。ある時、患者さんご本人からメールが届きました。 「あのぉ・・・ ひろりんさんのブログを見ていると尿管ステントって、 3ヵ月で交換が必要みたいですが、私、もう4ヵ月入れたままなんです 大丈夫でしょうか」えっ、えーーっ驚いた私、急いでケータイ番号を登録していたご主人に電話。 尿管ステントを入れた際に、泌尿器科の先生から説明は無かったですか いえ、何も・・・ あくまでも目安ですが、一般的には3ヵ月で交換なんですが そんな話、泌尿器科の先生も最初の主治医も言いませんでしたはぁ尿管が狭窄していると尿がうまく流れず、腎臓に逆流してしまい、水腎症を起こしてしまいます。ですから尿の通り道を確保する為に、ステントという器具を入れます。金属のホースってとこです。この処置を受けると尿の流れを確保できますが、時間が経つと、ステントが尿管内の肉って言うのかなぁに埋もれてしまって、肝心のホースの穴を塞いでしまって、また尿の道がなくなってしまいます。ステントも抜けなくなってしまいます。そうならないように、定期的な入れ替えが必要なんです。 1日、2日を争うものではないけれど出来るだけ早く、 尿管ステントを入れた泌尿器科に行って下さい わ、わかりました そんなこと、何も知らんから・・・と、うろたえるご主人。ある医療関係者が言ってましたが、この尿管ステントもステントのメーカーにより、入れ方が微妙に違ったり、クセがあったりで、入れて貰った泌尿器科で入れ替えるのが一番無難なのだとか。米村先生に報告を入れると、 そりゃ早く入れ替えて貰った方がええね 4ヶ月じゃ長すぎやわ数日後、抜くのに苦労したけど、入れ替えて来ました、次回の予約も入れて来ましたとの連絡あり。ようやくホッとしたのでした。私のブログもちょっとしたマニュアルだったりして
2012年08月23日
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毎日、この暑さに参っております毎年のことながら、なかなかPCを稼動できずに、何とか、ちびちびとメール対応するのが精一杯の季節です。先日の続きです。このスキルス胃癌の患者さん、400を越えていた腫瘍マーカーの CA125 が激減し、他の腫瘍マーカーは正常値となり、この入院は3ヶ月を越えて4ヶ月に及びましたけど、退院となりました。この間、外泊は何度もしていますけどね。ようやく、術後の抗癌剤治療が出来るようになったのが、10月だったでしょうか。この地元の病院は、「末期癌・緩和ケア」 の扱いでしたし、最初から抗癌剤治療をお願いする気はなく・・・って言うより、無理な話でしょう。それで、抗癌剤治療は遠路ではあるけれど、米村先生の病院に通院で受けていました。この術後の抗癌剤治療開始の時期ですが、一般的には術後1ヶ月くらいを目処に行われます。患者さんの体調次第では、もう少し後になってしまいますけど、術後2ヶ月以内に開始することが望ましいと米村先生は言われます。これまでのデータ上、一番、再発率を抑えられるのだとか。肝心のこの患者さんですが、心の状態は、「曇り時々晴れ」みたいな感じでしたね。食事面は、腸ろうを保持したままですが、口からの食事も少しながら出来るようになりました。カロリー的にはとても足りないので、腸からの栄養も朝、晩、それぞれ3時間かけて行われたようです。普通、食事が殆ど摂れない胃癌患者さんに対して行うのは、中心静脈からの高カロリー輸液の点滴です。この患者さんにも試みたのですが、右も左も血管が細くてポートの設置が上手くいかなかったんですねぇ。腸ろうの患者さん、及び、中心静脈にポートの設置が出来なかった患者さんというのは、実に稀で私が知る限りでは、腸ろうの方はこの方のみ。ポート設置が上手くいかない患者さんは、数人と言ったところです。このような状況ではありましたけど、治療に通っていました。抗癌剤治療というのは、経口で十分な栄養を摂取できる人ほど、副作用が少ないと言われます。逆に言えば、食事が摂れない方は副作用が大きい傾向が見られます。この患者さんの場合、やはり抗癌剤治療は辛かった模様です。辛い抗癌剤治療と、食事が思うように摂れない現実が、次第にまた心に影を落とすようになっていったのでした。それでも笑顔を見せることもあり、辛いながらも落ち着いた時間がやってきて、年が明け2012年になり、冬が過ぎ、春になり、この夏がやってきて・・・今、笑顔は全く消えてしまったようです。問いかけに対しても、首を傾げるような返答が返ってくることもあり・・・どうにもおかしい。。。体も抗癌剤に耐えられる状態とは思えず、限界を感じたご家族は、「抗癌剤治療中止」 の決断に至ったのです。病状は少しずつ、進行しているような気もします。病気の怖さも、病状も、側にいるご家族は身に染みて感じています。ですが、今は、心の回復を待っている、願っている状況です。今は何より、笑顔を取り戻したいというのが、ご家族の願いなのです。癌という病気が奪うものは、健康だけじゃなく、時に心なんです。今、この時をこの患者さんは生きています。笑顔が戻って来てくれることを、私も心より待っています。
2012年08月22日
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父が亡くなって今年で丸10年。10年も経つと、お盆に訪れてくれる人も減ったけど、それでも来客はちょくちょくあって、やはり今年も留守は出来なくなるけど、ありがたいお盆でした。中でも近くに住む父の会社の同僚は父のことを 「先輩だから」 って毎年欠かさず来てくれます。これまで一緒に来ていた他の同僚は、1人は大腸癌で術後4年経つのに元気がない。検査で問題なしなのに、倦怠感を訴えて横になってばかりの、ある意味、引きこもり状態なのだとかもう1人は白血病で、年に1度1ヵ月入院を繰り返しているとかで、こちらも体調がイマイチらしい。本題に戻りますね。この患者さんが、末期の癌で余命幾ばくもないと診断を受けた理由は、大きく分けて2つありました。1つは、画像で肝臓に写った影。前回の日記にも書いてますけどね、これ、米村先生も否定してたんですが・・・肝転移に間違いないってなり、もう1つは腫瘍マーカーのCA125が434だったコト。これは癌性腹膜炎に間違いない って言われちゃいました。肝臓の影に関しては 「C型肝炎のキャリアで過去にも同様の事がありましたから、 今回もそれでは」と娘さんが言っても、即座に 「それはない」と却下。CA125に関しては、私が炎症に反応することがある腫瘍マーカーで、術後だから高いのかもしれませんとねと言ったので、娘さん、術後の炎症に反応した可能性を聞くと、これまた「それはない」と即却下。この2つの問いかけに 「君、それはナンセンスだよ」 と言う言葉もそれぞれに付いたらしい。だけどCA125は、抗癌剤治療もしてないのに、翌月には52まで下がったし、肝臓の影もこの後、消えていったんですよねぇ。。。つまり、肝転移の疑いも、癌性腹膜炎の疑いも消えたのでした。だ・か・らぁ・・・シャレで場数踏んでませんってば。つづく
2012年08月17日
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何故、このスキルス胃癌の患者さん(50代後半・女性)が抗癌剤治療を患者さんサイドから止めるに至ったかは、この入院から始まったように思います。血腫からの出血は、自然治癒となり落ち着いていきました。これは癌が原因というものではないと思っています。体質と言ってしまえばそれまでですが、直接癌との関係はないものと考えます。強いて言えば、抗癌剤が何らかの影響をもたらした可能性はあるかもしれません。ですが、血腫が圧迫して吐き気が治まらず、この血腫を取り除く手術をして頂きました。この時に、「腸ろう」 も作られました。胃があれば胃ろうですが、この患者さんの場合、胃を全摘してますので、代替胃に繋ぐので腸ろうとなるわけです。もう食べることは出来ないと判断されたのでしょう。何と言っても、末期の末期の末期癌患者との診断ですから。「緩和ケア」 という視点から見ると、この病院はとても良い病院のようでした。痩せた体では床ずれが出来やすいものですが、これにいち早く気付いた病院はすぐさま、エアーマットに変えてくれました。患者サイドが申し出る前に、気付いた点を次から次へと対処してくれたようです。だけど、患者さんも家族も緩和ケアの段階なんて思ってない。まだ、これから治療が続くものだと思っている中では、素直に感謝もできません。 「とてもありがたいんだけど、違うのよ、そうじゃないのよ」と言うのが本音。こんな環境で、患者さんの心が病み始めてしまったのでした。自分が思うようなペースで回復しないと精神的に参ってしまいます。心が弱くなると、体の回復ペースはダウンしますから悪循環。笑顔がなくなり、1点を見つめて何やら思いふけっている。そんな様を度々、目にする家族はどうして良いやらわからない。何をしても、何を言っても空回り。体調不良を申し出れば、検査、検査でまた痛い思いが待っている。痛い思いをしても、何も改善されない、恐ろしく時間がゆっくり流れていく・・・患者さんにしてみれば、こんな気持ちだったのではないでしょうか。「アナタは末期癌」 「治らないし良くもならない」 「治療の段階はとっくに過ぎている」こんな空気の中にずっといたんじゃ、そりゃ気持ちは滅入る一方ですわなぁ。。。癌患者さんが何か不調を訴えれば、ただ対処的に薬が増えていくものです。もう食べきれないって言いたくなるほど、主食は薬かって感じでね。そのうち、何を言っても薬が増えるだけ・・・と諦めムードになり何も言わなくなる・・・ってことは良くある話です。 「言っても無駄、どうにもならない」って言った患者さんがいましたねぇ。話は戻ってこの患者さん、この入院は3ヶ月に及びましたが、無事、退院の運びとなりました。この間、ちょくちょく外泊許可を貰って帰宅してましたから、どうにもこうにも動けないとか、寝たきりなんて状態じゃないです。だ・か・らぁ。。。末期なんかじゃないんだってばつづく
2012年08月14日
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毎年、お盆の前は大忙しです。なんせ 「父」が帰って来るので。何はなくとも、アサヒのスーパードライ500mlを用意しないと大好きだったから。毎年、汗だくでお盆の準備です。あるスキルス胃癌の患者さん(50代後半・女性)の話です。ちょっと辛い話になるかも。。。術後、今も存命ですけども、こういう患者さんもおられます・・・ってことで。良いも悪いも、そのどちらなのかわからない話も、事実をちゃんと伝えておかねばと思っております。この患者さんの話は、過去に肝転移の疑いで、すったもんだした話を書いています。2010年12月にスキルス胃癌で胃全摘の手術を受けました。この時、腹膜に米粒大の癌が幾つか目視確認され、これを切除しました。その後、米村先生の元へ来られ、抗癌剤治療を経て腹膜部分切除の手術を受けたのが2011年3月ですから、術後1年5ヵ月が経過しました。子宮、卵巣、脾臓も切除に加え術中温熱療法です。退院して地元に帰るも、食事が思うように摂れない。これは胃癌患者さんには避けて通れない現象です。食事がちゃんと摂れるようになるまでには、それなりに時間がかかります。そんな中でどうにも食事が摂れないので、地元の病院にお願いして、栄養の点滴の為の入院をさせて貰ったのでした。と言うより、本人は入院を嫌がりましたが、あまりにも栄養不良で止む無くです。ところが、このたまたまの入院が良かった・・・・って言えるかどうかはわかりませんが、入院中に下血が始まり、意識レベルが低下するという事態に検査の結果、直腸の粘膜から酷く出血していたんです。その後、血腫が認められました。入院中だから処置も早く、早々に輸血もなされ難を逃れたのでした。これに加え、地元の医師からは画像上の肝臓の影を指摘され、肝転移と言われてしまいました。これは肝転移ではないという米村先生に対して、肝転移だと譲らない地元医師。 「米村先生が違うというなら違うと思いますし、 何より母はC型肝炎のキャリアで何度も肝臓に影が写ってますから、 また、これじゃないかと思います」と娘さん。納得がいかないまま、再発転移患者扱いをされながら、治療など眼中になく緩和ケア扱いをされながら、癌の末期だと断定されながら、しばらくの時が過ぎました。時に弱気になった娘さんは 「本当に余命いくばくも無いのなら、 有意義な時間の過ごし方を考えなければ。。。」なんて悩むこともありました。去年の5月の事です。(今もちゃんと存命だっちゅーの)つづく
2012年08月13日
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このところ物凄く多いバターン●パターン1 「○日くらいに手術って、米村先生に言われたのですが、未だ連絡がないのです」こういう場合は、必ず米村先生に電話を入れて煽ります。その都度、米村先生の反応は違うけど あれでしょ まだ僕から連絡が来ないって言うんでしょと大体予想がつくようで、最初からこう言われたりします。一応、ご本人わかっていらっしゃる。 米村先生が、こうこう言われたそうでぇ ほんまに(・・・って、あーたが言うたんでしょ)●バターン2メールのお返事をする前に、同じ方から何度となくメールが届いてしまいます。それでもホント今、手一杯でして、直ぐにお返事できない。そうすると、ケータイが鳴りますつまりぃ。。。米村先生もひろりんも、煽られまくりでございますぅこのところ話題にしている腫瘍マーカーですけども、スキルス胃癌で奥さんを亡くしたご主人2人が、会社の健康診断でひっかかり、「要検査」 ってなったことがあります。2人共、膵臓。それでこの2人、病院に検査に行きました。奥さんのコトがあるから自ら、腫瘍マーカーをオーダー。CEA とCA19-9 をね。そしたらこの2人、何故か、CEAが基準値超えこれまた奥さんのコトがあるから、そりゃ気に病んで、気にしましてねぇ。。。「経過観察」 とあいなりました。あれから何年経つんでしょうねぇ。。。もうかなり経ちますよ、5年とか、6年とか。「高値安定」 したまま、普通に元気に仕事して生活してまっ。いつまで経過観察すんねんって感じです。こんな話題を書いたからでしょうねぇ、 「私の会社の人も腫瘍マーカーが高くでました。 CA19-9 が400です。 会社の重要な人だから、PET CT も撮ったんですが何も出ませんでした。」経過観察2年越え中とかこんな話を教えてくれた方がいました。結局、癌と診断を受けてからの腫瘍マーカーであれば、治療の指針になるけれど、癌じゃない人にこんな反応が出ても、全くもってアテにならないってこと
2012年08月11日
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米村先生との会話です。 病理の結果が出まして、良性でした ほぉ~そりゃ良かったね でも腫瘍マーカーがぁ・・・ ふぅ~ん、そりゃもう1回調べた方がええね 私もそう思ったので、次回外来予約を入れて来ました まぁ、経過観察やねとどのつまり、やっぱこれしかない訳です。仮に次回の外来で、腫瘍マーカーが上がっていたり、この数値が変わらなくても、どうする事も出来ません。強いて言えば内科に移って、3ヵ月おきとか、半年おきに腫瘍マーカーを計り、推移を見守る。だけど見守ったところで、あまり意味ないような気もします。敢えて言えば、急に数字が上がったら、PET CTを受けるくらいかな。この時は10万だか、12万だかの出費を覚悟ってとこ。でも、それで癌が見つかるとも限らない。結局、今現在、癌が隠れているとしても、何か症状がでないと調べようがないし、癌を見つける為にCTなんか受けていたら、返って癌を作ってしまう。今や700人くらいの癌患者さんを知っているけど、たまたま何かの検診で癌が見つかったという人は1人か2人。持病があるから、ちゃんと定期検査を受けていたのに、判明した癌はステージ4だったという人なら何人もいます。うちの父も、肺癌検診はちゃんと受けていて、その都度、問題なしで喜んでいたけど、この時、既にスキルス胃癌ステージ4だった。これでは、肺癌じゃないから良かったって喜べないっしょ。スキルス胃癌がわかったのは、食べられなくなってからだったもん。子宮癌検診だって子宮頸癌検診で、子宮体癌検診ではない。子宮頸癌じゃないって診断をうけても、子宮体癌ではないって言えない。結局、早期発見なんて無理だと私なんかは思うわけです。癌を見つける為に検査を繰り返す方が、癌のリスクじゃないだろかって、私個人は思う。で、話は戻って腫瘍マーカーだけど、米村先生の知り合いに高い数値ながら何年もなんともない人が2人いるそうな。1人はこの問題の CA19-9 が400とか。8年くらい前にこの数値が出たけど、癌じゃないし今も何ともなく元気だとか。もう1人は、やはりこのCA19-9 が270という数値だったとか。何ともなく何年も過ごして、そのずっと後、白血病になったとか。でも、普通に今も元気なのだとか。年配の方の白血病って母乳感染が多いから、言うならば、生まれた時から白血病のリスクを背負っているので、腫瘍マーカーの数値云々の問題でもないような気がする。このお2人の共通事項が、大酒のみだとかで、 膵臓が関係して反応したんじゃないかなぁなんて仰ってましたわ。結局、経過観察です。
2012年08月09日
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現在ですねぇ、お返事せねばならないメールが山となって溜まっております。緊急度合いを加味して、多少、順番は変えてのお返事とさせて頂いておりますが、それでも、お待たせメールがてんこ盛りって感じです。す、すっ、すみませ~ん手術待ち患者さんに対しては、「催促」 が届く都度、米村先生を煽っております。何とか順調に、「連絡来ました」 というご報告が届いております。ホント、このパターン多すぎですわとにもかくにもメール対応が急がし過ぎでして、更新なんかしてるヒマないんですが。。。書きたいネタも溜まり過ぎ。私に時間と精神力さえあれば、1日5~6回くらい更新できるくらいのネタあります。ですが、ネタはあれど精神力は付いていかず。。。でございます。はぁ~しんど。スキルス胃癌とも、腹膜播種とも話は反れますが。。。今回、とも姉の話をリアルタイムで書いております。大きな子宮筋腫の経過観察の為、定期的に通院していた個人病院でLDHの数値が上がり、大きな病院で検査を指示され、今に至ります。検査の結果、平滑筋肉腫の疑いが濃厚となり、子宮、両卵巣切除となり、当日は恐らく良性と言われながらも、私は癌を疑い病理結果を待ってました。そのどちらの疑惑も無事、晴れた訳ですが。。。素直に喜べないのが、腫瘍マーカーの数値と推移。婦人科の医師とすれば子宮も卵巣も切除して、病理の結果も良性だから、婦人科の仕事はもう無いわけです。他がどうあっても、それは他の科の範疇ですからね。婦人科の仕事じゃない。婦人科の病気は疑う余地はないから、腫瘍マーカーも測る必要なし。だから、測らなかったのは道理なので理解します。そもそも、他の部位の病気なら手も出せない。手が出せないことにクビを突っ込むことは出来ないし、そこまでの責任もない。婦人科の仕事はまっとうしたのだから。実に、当たり前の話なんですねぇ。わかってまんがな。専門職というのは、こういうことなんだってことはね。責めるものではありません。ですが、私がずっと気になっていたのが、この腫瘍マーカーの数値だから無理言って測って貰った話は先日、書いています。そしたら、微妙に上昇していたんです。ほんの僅かの数値ですが、CA19-9の正常値が37以下なのに、5861です。子宮、卵巣はシロだったけど、もしかしたら、他のどこかに癌があるのかもという疑惑が出てきたんです。ですが、ですが、癌というヤツを見てきて10年選手の私ですが、これだけじゃ何もわからないし、そもそも、どこをどう疑えちゅーねんという状況。胃か腸か、膵臓か数字的に見ても、大したことない数字のようにも見えるし、正常値からみれば凄い数字のようにも見えるし・・・判断つきましぇんがな。だから経過観察の意味をこめて、2ヶ月後の計測をお願いして帰ってきたんです。PETでも撮るってか癌と診断されたわけじゃないし、自由診療扱いだからまだまだ費用は高い。ざっと10万くらいかな。この程度で、そこまでする意味と価値あるかなぁ。。。あ~わからん。こーゆー場合は、専門医の意見を聞いてみるか・・・で米村先生に電話してみた。つづく
2012年08月08日
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今日はとも姉の術後初の外来日で、病院に付き添って参りました。病理の結果が出まして、「良性」 でした。心配した 「平滑筋肉腫」 の疑いが晴れ、私が内心心配していた 「奨水性子宮癌」の疑いも晴れました「これで治療は完了です」との宣言に、「あのぉ・・・腫瘍マーカーの数値はどうなりましたか」 と恐る恐る質問すると、術後の血液検査で検査しておらず。。。「調べて頂けませんか」と、お願いしてみた私。 「良性腫瘍だと、腫瘍マーカー調べるとレセプト的に問題だったりしますか?」と、健康保険の規定では、無理させてしまう事は重々承知していることをアピール。そしたら笑いながら 「そんなことはないですよ、調べましょう」と快くオーダー入れてくれました。でも。。。下がってなかったんですよね、腫瘍マーカーは。なんでまた2ヶ月後に計って頂くことにしました。先日の続きです。大変だった闘病を終え、患者さんは旅立ちました。手術を終えて地元に帰っても、この患者さんに限った話ではありませんけど、「腹膜切除を受けた人のお腹の中などわからない」 「エビデンスにない治療を受けた人の治療など請け負えない」 と言われることが少なからずあります。この患者さんも、若干ながらその風潮の中におられました。だからなのでしょうか・・・患者さん自ら、自分が死んだら解剖して欲しいと願ったのです。この時、在宅医療を担ってくれた医師が解剖を行う大学病院に対して、結果を米村先生に送る事を条件に付けました。当初は米村先生の治療に批判的な医師でしたが、この時は 「これが患者さんに対する敬意であり、今後の米村先生に役立てて頂くことに意味がある」と理解を示してくれました。患者さんと医師との間に、こんな風に目に見えない 「信頼」 が生まれるまで時間はかかりました。きっと、患者さんや奥さんのお人柄もあったのだと思います、時間はかかったけど理解出来る部分が生まれたことは確かのようです。それでお世話になった地元の大学病院で解剖となりました。で、この話は美談で終わるかと思いきや、とんでもない問題に発展したそうです。家を建てたり、マンションを購入する際に組むローンって、大抵は世帯主が保険に入りますよね。世帯主に万が一の事があれば、保険金でローンが相殺される仕組みです。この方、この万が一の事があった訳で、ローンの相殺の手続きをしました。自宅で亡くなった点、解剖をしている点から調査対象になってしまったそうです。いわゆる事件性とか、自殺とかを疑われてしまった訳で・・・つまり保険金が降りるにあたり調査中となり、ストップがかかっているそうなんです。 こんな事ってあるんですねぇ・・・と奥さん。私も初耳。何をどう調査されても、事件性も自殺もないんですから、問題は起こりようもないですけど、保険が下りるのに時間がかかることは確かなようです。こんな近況を聞きながら・・・ あの退院の日、ひろりんさんは正しく私達の命綱でした 説明は、米村先生よりわかりやすかった 本当に感謝しています 同じ気持ちの方は、沢山いると思いますよ ありがとうございましたと言われた時は、涙が出そうになりましてねぇ・・・あたしゃこう見えて、涙もろいこの電話の翌日のこと。メルアド変更メールがケータイに届いたんですが、お名前がなくて誰だかさっぱりわからない。「どなたですか?」と返したら、この奥さんでした。案外、うっかりさんかも
2012年08月06日
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「ヘルパンギーナ」 と言う夏風邪のウィルスをご存知でしょうか通常の風邪の症状に加え、口腔内に水疱瘡のような発疹が出るのが特徴のウィルスです。これが今、流行っているのだそうな。うちの博士、このウィルスに感染しちゃいましてねぇ。。。しばらく寝込んでおりました。ウィルスに効く薬って無いんですよね。インフルエンザしかり、どのウィルスも同じ。寝て、栄養と水分を摂って、体の中に抗体が出来るのをただ待つのみ。でもねぇ。。。。このウィルスに感染する人の多くが4歳以下って知ってましたぁうちの博士、どこまで子供やねん今日は、過去にシリーズ化して書いた患者さんの近況となります。今年の6月に続けざまに書いていると記憶してます。患者さんは虫垂癌の男性で(50歳前後)で、残念ながら他界されています。この患者さんの奥さんから、久しぶりに連絡がありました。お陰様で滞りなく七七日法要を終えましたって。ドタバタしてたもんなぁ。。。この患者さんは自営業者だから、大変だったはず。久しぶりにお声を聞いてみようかな・・・と電話を入れてみました。ご主人が旅立ってから、本当に目まぐるしい日々だったこと、まだ家にいるような気がしてならないこと、あの命がけの帰宅を思えば、何でも出来る気がすること・・・そんな話をされました。この患者さん、最期は自宅で家族、知人に囲まれて、穏やかに、賑やかに、ありがとうの言葉を残して逝ったのだと聞いています。人が死ぬのに、良いも悪いもないように思いますが、残されたご家族が 「良い最期でした」と言える状況だったと。長い結婚生活の中では、喧嘩もよくされたそうで、時に奥さんも 「こんちくしょう」 って思うことも少なからずあったそうな。だけど、最後の1週間は、全てのことを自分で決断し死を迎えたのだそうです。 あの人が、あんなに強い人だとは思いませんでした もっと弱い人だと思っていたんです これまでの色んな嫌なことを、最後の1週間で綺麗に帳消しにして 旅立って逝きましたって言ってました。夫婦って夫婦にしかわからない空気があって、誰もが入り込めない空間があって、他の誰もが感じられない感情があるものでしょう。そんなモノに振り回されて、時に傷ついて、泣いて、笑って、感謝してが夫婦ですよね。この患者さん、奥さんに良い思いだけが残るように、最後の最後に帳尻を合わせたようです。実に天晴れそんな話をされてから、「これは余計な話なんですが・・・」 と前置きして、現在出くわしている問題を話してくれました。話を聞いた私、驚きましたわ続く
2012年08月04日
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私の場合、ご遺族という立場に変わってからも、暖かな声援を下さる方がとても多く、いつぞやもある、スキルス胃癌の患者さん(60代・男性・2007年に他界)の奥様が、 米村先生もお忙しいと思います 大変なお仕事で、お休みらしいお休みもない職業ですからねぇ でも忙しい、大変と言うても、お仕事ですやんか ひろりんさんは、ボランティアで何年もされていて、 米村先生より大変やないかと思いますと言うて下さった方がいましてねぇありがたいことでございます。・・・って言うかぁ、何が大変ってですねぇ、米村先生と付き合うのが一番大変なんですケドぉ私が辞めれば、米村先生はお困りになるだろうなぁと内心、思っておりましたけども、困るのは患者さんの方やんかと思う今日この頃でございます。「手術連絡は何時でしょう」 という連絡が複数届いております。またかぁ。。。。で、先日の話の続きです。この患者さん、米村先生の元で抗癌剤治療を受けてからは、何故か重篤な副作用は出ず順調に治療を受け、手術となりました。昨年の5月のことでした。ですが術後の抗癌剤治療は辛かったようです。常に吐き気と食事の苦労、痛みとの戦いが続いていましたね。ちょくちょく、ご主人から電話やケータイにメールが届きました。時に「もう勘弁してくれ~」ってくらい。辛い時や不安な症状が出た時しか連絡はこないから、私的のイメージは「辛い辛い闘病生活」だったんです。ところが、今年の5月に届いた訃報メールは、米村先生と私に対する感謝の言葉で溢れていたのです。とっても意外でした。感謝されることをした覚えがなく、感謝される筋合いもなく、なんでだって私、常にこのご主人を叱咤、叱咤していたような気がしますもん。 オトコなら、もっとしっかり奥さんを支えてやらんかいみたいな感じでね。もちろん、こんな言葉は使わないけど、内心ずっとそう思いながら返事してましたもん。どこをどう調べても、腹水多量の症状が出たスキルス胃癌の患者さんの経過は、あまりにもシビアでこの患者さんのように、それから1年生きることは、それは大変な事です。でも、その大変な事をやり遂げました。この患者さんだけじゃなく、他にもスキルス胃癌の患者さんで同様の症状から、米村先生の手術を受けて、1年を超えて頑張った患者さんを何人か存じてます。感謝されたということは、辛い闘病生活だけじゃなく、幸せな時間もちゃんと作れた証拠じゃないでしょうか。やれることはやったという思いが、ご主人の中に残ったということではないでしょうか。医療とは治療とは、単に延命の為だけにあらず・・・なんじゃないでしょうか。この国に生まれて良かったって、命絶える時に思える医療制度を作って欲しいものです。今の制度では、夢のまた夢ですもん。
2012年08月02日
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