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リモート コロナ禍のあいだに、ロックダウンだのオーバーシュートだの実効再生産数だの、専門用語とも業界内用語ともつかない新語がつぎつぎ現れましたが、「リモート」という言葉もその一つかもしれません。自粛を余儀なくされる中で新しい生活様式が求められ、職場でも家庭でもオンラインによるリモートなスタイルがやたらと増えましたね。 私議になりますが、私などもともと人だかりが苦手で、仕事以外で梅田とか河原町に繰り出すというようなことは一切しないクチです。休日など文字どおり家にすっこんでリモート状態だったのですが、それは田舎暮らしに憧れるなどというしゃれた話ではなくて、たんに「引きこもり」が性に合っていただけです。したがって(と、怒鳴るわけじゃないけど)、今回の自粛はその前からの生活習慣の延長線上にあって、まったく違和感がないので、世間がなぜこれほど騒ぐのかサッパリ分からない、というはなはだひねくれた感慨に浸るということになる。というか、トランプさんふうに強がってみせているだけという、困った状態と相成るわけです。それにしても、たんに公衆衛生の具であるマスクが、なぜ「勇気」や「忠誠心」の表象となるのか、これまたサッパリ分からん。 さて、そんな世間全体が首をすっこめて、周囲を息を潜めて窺っているような状態の中で、時にビックリするような作物が現れたりもする。七月に取り上げたのは、自粛以前のYouTubeから拾い上げた邦楽だったのですが、今回のはライナーノーツによれば、2020年5月13日にYouTubeにUPされていて、まさしくコロナの緊急事態宣言下に造られた平原綾香さんと藤澤ノリマサ氏のデュエット曲です。これはいいですよ。 「The Prayer(祈り)」という曲なのですが、まずは聴いてみてください。原曲は二十年ほど前にC・ディオンとA・ボチェッリが唄った名曲ですね。C・ディオンと言えば、映画「タイタニック」の主題歌でブレイクしたフランス系カナダ人歌手として皆さんご存じの通り。例によってWikipediaを見ると、― 彼女が曲を発売する度、その圧倒的な声量と技術的に卓越した歌唱力が主に評価される対象となっている。その音楽は、ポップス、ロック、R&B、ソウルの他に、ゴスペル、クラシックなど幅広いジャンルに影響されていて、ファンや評論家には彼女自身の声、歌詞の持つ本来の意味を歌い上げる能力などが高く評価されている ―とありますが、これって何だか、そのまま平原さんの個性を言い現わしているようで、面白い。 相方のA・ボチェッリとは盲目のイタリアン・テナーで、L・パヴァロッティ亡きあとの後継とも言われ、S・ブライトマンの「Time To Say Goodbye」の元歌でよく知られた人ですね。 さてこの平原、藤澤コンビの歌唱、C・ディオンとA・ボチェッリの元曲が、フルオーケストラをバックに、ごくスタンダードなヴォーカルを聴かせているのに比べると、伴奏をキーボード一本に絞って、きわめてドメスティックで求心的な印象を与えますね。藤澤さんのキーボード、ピアノ音が主体ですが、弦の音が背景放射のようにあえかに全体を領していて、見事な伴奏になっています。さらに音大声楽科出の歌唱力をいかんなく発揮して、前に出るところ、後ろに下がって支えるべきところ、自在に出し入れしているのは、さすが。 こういう相方の伴走を得て、平原さんは自身の歌世界の両ウィングを、思い切り羽ばたかせている感じ。中間部でベルカント唱法に切り替えるところ(ディオンはやってないね)、イタリア語で歌っているのは、本場オペラに対するリスペクトかなと笑ってしまいます。 本編はお聴きのとおり、大変荘重な仕上がりなので、歌詞対訳を「Andrea Bocelli 愛」という方のブログから引用します(一部編集してます)。I pray you'll be our eyes, and watch us where we go,And help us to be wise, in times when we don't knowLet this be our prayer, when we lose our wayLead us to a place, guide us with your graceTo a place where we'll be safe...どうか私達の目になって 行く先々で私達をお守りくださいそして迷った時に 賢い決断ができるように助けてください道を見失ったとき この祈りを聞いてくださいあなたのお慈悲で 私たちを 安全なところへお導きください(La luce che tu dai)I pray we'll find your light(Nel cuore resterà)And hold it in our hearts(A ricordarci che)When stars go out each night(L'eterna stella sei)あなたの光あなたの光を見つけられますように祈ります心の中に心の中に抱きましょうあなたの存在を感じます夜空に輝く星を見たらあなたは永遠の星です(Nella mia preghiera)Let this be our prayer(Quanta fede c'è)When shadows fill our dayLead us to a placeGuide us with your graceGive us faith so we'll be safe私の祈りで私の祈りで篤い信仰で影が私たちの一日を埋めるときあなたのお慈悲で 私たちを 安全なところへお導きください(Sognamo un mondo senza più violenzaUn mondo di giuztizia e di speranzaOgnuno dia la mano al suo vicinoSimbolo de pace e di fraternità)苦悩と悲しみの世界は終わり傷ついた心はすべて癒されるでしょう私達はみな神の子であることを忘れませんそしてあなたを求めて 手を差し出します(La forza che ci dai)We ask that life be kind(E' il desiderio che)And watch us from above(Ognuno trovi amor)We hope each soul will find(Intorno e dentro a sé)Another soul to loveあなたが私たちに与える力幸せな人生を送ることができますように願います空から見守っていてください誰もが愛を見つける見つけることができますように私の中にも外にも私達が心の底から愛する人をLet this be our prayerLet this be our prayerJust like every childJust like every childNeed to find a place, guide us with your graceGive us faith so we'll be safe祈りましょう祈りましょうそう、無垢な子供のようにそう、無垢な子供のようにあなたのお慈悲で 私たちを 安全なところへお導きください(E la fede cheHai acceso innoiSento che ci salverà)あなたを信じればお慈悲で私たちは救われるのですと、大変長い引用になってしまいましたが、キリスト教臭満載とはいえ、このコンビがこの曲を今この時期に取り上げたわけは、歌詞に明らかですね。
2020.10.14
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ひょっこりひょうたん島 それにしても、このコロナ禍のあいだに、まあ世界ではいろいろなことが起こるもので、トランプさんも感染したとか。 イギリスのジョンソンさんならお気の毒、ブラジルのボルソナロ大統領とか、ベラルーシのルカシェンコ大統領なんかだと、その素行から見て「そら、みたか!」という笑い話ですむんだけど、アメリカの大統領となると、いくら漫画チックな図柄とはいえ「冗談じゃない」って話になる。 最短でも二週間程度の政治的空白ということであれば、大統領選挙の行方という国内問題にとどまらず、この空白そのものがもたらす世界の攪乱が心配ですね。中国もロシアも、こうした時間的空隙には、とても鋭敏かつしたたかで、何らかの駒を動かして来そうな気がして仕方がない。その意味でも、世界で絶対罹ってはいけない人間の一人のはずですが、まあ強がりもここまで来れば、まさしく「病、膏肓(こうこう、回復不能)に至る」のレベルで、自身を反省して悔い改めるなんて発想は、もちろんここから先もなく、おそらくご本人はこのうえは劇的回復を演出して、一挙に失地回復をねらおうという頭でいっぱいなのでしょう。 トランプ支持者には、このコロナ罹患こそトランプさんが編み出したフェイクニュースで、これによって大逆転サヨナラホームランをねらっている、という話がまことしやかに噂されているとか。したがって、この大統領の感染はオールドメディアが騒ぐほどには、支持率に影響しないのではないか?この大統領にして、こういう発想をする支持者たちのいる国だから、ということです。 昔、S・キューブリックの「博士の異常な愛情」という傑作ブラックコメディー映画がありました。すでに大陸間弾道弾が飛び交おうかというさなかに、O・ウェルズ似の悪相のソ連大使が、ペンタゴンの機密会議室を盗撮しているのを、アメリカの将軍(J・C・スコット)が目ざとくみつけて、くんずほぐれつの取っ組み合い。「お前ら、世界の終わりが近づいても、まだそれをやっているの」といっているうちに、水爆が破裂して文字通り一巻の終わりという映画でした。 同じようなくんずほぐれつを、このコロナ禍に「やるな」と言っても、彼のような国々は生理的にそれが出来ない、という厄介ではた迷惑な体質を、ずうっと持っているのです。安倍さんならそのあたり「警告」ではないにしても、軽い「牽制球」ぐらい(他の国を動かして)投げそうな気もしますが、菅さんはどうなのかな? ところで政治学者としても、バラエティー番組コメンテイターとしても、今や引っ張りだこの三浦瑠麗氏、私がこの人を知ったのは、五、六年前例の「朝生」で、珍しく青山さんが顔を出していて、それに同席していた時からです。断っておきますが、私はこの田原総一郎氏の「朝生」が嫌いで、普段見ることがないのですが、青山さんが出ていたのでチャンネルを合わせたのでした。 その時の三浦氏の印象ですが、その美貌と滑らかな口舌ぶりは、他を圧していて面白く、しばらく注目する日が続きました。政治討論でのこの人の特色というのは、自分の主張を述べ立てるというよりも、その場の論点の整理ないし、解説のような体を成しているというところにあるんじゃないか、と思ったりもしたのです。しかしこれはある意味、持論の主張に熱中して、相手の話に聞く耳を持たない数多くの論者にとっては、はなはだ癇に障るところがあったのではないか。 私はそれにつけて、思い出してしまうテレビ番組があるのです。表題にあげた「ひょっこりひょうたん島」という、それこそ五十年以上前の人形劇なのですが、登場するキャラクターがそれぞれ出色で、すこぶる面白く、中学生時代の記憶が今でもよみがえります。かなりヒネた中学生の私にとって、人形劇などというのは子供向け、まして「チロリン村」など死んでも見るまいと思うタチだったのですが、子供目線から大人を意地悪く風刺するという視覚が斬新で、知らぬ間に結構入れ込んで見ていましたね。 そこに登場する大人たち、口先ばかりで大統領気取りのドンガバチョ、小者のくせに自分は金儲けがうまいと信じて疑わない海賊トラヒゲ、ややこしいことには我関せずの元貴族ガラクータなどなど、要はこの島にはまともな大人が誰一人いない。子供たちを引率しているはずのサンデー先生も、ときどき逆上して長刀を振り回したりして、手が付けられないという時がありましたね。 そうした漂泊する島にさまざまな危難が押し寄せ、何とかみんなで切り抜けていくという物語なのですが、実質的にこの島の困難を見通して、解決していっているのは、六人ほどの子供たち。中でも「博士」と称せられる少年が際立っていました。島を牛耳っているつもりのドンガバチョやトラヒゲに対して一歩も引かず、その怪物的博識と超論理的語り口で、グウの音も言わせずに問題を解決していく。サイズと口の大きさだけが取柄の大人たちは、頭ではかないっこないので、文句は言いつつも従っていくほかない。 とはいえ、生意気な子供に「腹ふくれる」思いは、大人の側に常に沈降するわけで、時にガバチョがトラヒゲをそそのかして、博士(確か中山千夏さんが声やってましたね)を陥れたりもする。そういう場面もありました。 この図柄、先日の(見ないと言っていたはずの)「朝生」で、同じような構図となって顔を出していて、すこぶる面白かった。番組を仕切っているはずの田原氏に対して、三浦さんが一歩も引かず、終わりのほうでは、この番組を動かしているのは、実質的に三浦さんのほうじゃないか、と思ったりしたものです。もうお分かりだと思いますが、この三浦さんの立ち位置、「博士」とそっくりだと思いませんか?
2020.10.03
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