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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 リスト=バッティストーニ編:「巡礼の年報」第2年「イタリア」〜 ダンテを読みて マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:アンドレア・バッティストーニ 要するに金曜日にサントリーホールで聞いたのと同じ公演です。まぁ、ホームグラウンドで聞いたわけですね。台風が来ているのでどうするか、と思っていたのですが、若干弱まったのと、行き足が遅れて、関東地方が本格的に荒れるのは夜からということで、なんとか行って来ました。 で、どうだったか? 結論は、まぁ、変わりません。但し、個人的な感想としては、サントリーホールの時より良かった。 聞いてる場所の違いはあると思います。確かにサントリーでは横の席で聞いているので、かなりよろしくない筈。というか、昔から言われていることですが、サントリーホールは、本当にスイートスポットが少ないんですよね。ちゃんと聞こえるのは1階後方前列界隈と、2階席正面前方。それ以外はダメ。1階席の後ろとか、定在波出ちゃうところもありますしね。というかそもそも、サントリーホールは、やっぱり響く空間が足りないんですよ。 これも毎度言うことだけれど、「オーチャードホールはデッド」ではないんですね。あれは、サントリーホール以降の風呂場ホールに慣れたダメなオケが響かせられないものだから言ってるだけで。 今日の東フィルは、そして多分バッティストーニも、オーチャードの空間の使い方をわかっているので、ホールの「デッド」な響きに委ねられるんですね。 結果、まず、バッティストーニ編の「ダンテを読みて」。これはとても面白かった。と同時に、やはり、バッティストーニは、日本のオケ、まぁ少なくとも東フィルを分かって書いてるな、と言う気はします。この曲の最後、トゥッティで強奏するところがあるのだけれど、金切り声にならずに済むポジションを取ってるんですね。それがいいのか悪いのか、まぁ、作品としての評価とどう繋がるのか分かりませんが、結果かなり派手な曲でありながらまとまり良く破綻せず楽しく聞ける演奏でした。 この辺は人によりけりなんでしょうけれどね........サントリーの時も思ったのですが、今回の公演はかなりお客が多くて、しかも恐らくは定期会員ではないお客が、しかも男性が多い。人のこた言えませんが、まぁ、こっちは定期会員なんでね。行かないと決めたもの以外は基本行く姿勢だし。バッティストーニの評判が高くなっているんでしょうか。それとも、マーラーの5番だからなのか。学生席が出るからでしょうか、若い人も多いし。この間のN響に負けない勢いでした。 で、マーラー。これも、やっぱり今回の方が良かった。特に金管。トランペットも、ホルンも、どちらも良かった。特にホルン。第3楽章で結構頑張るのだけれど、ここもかなり良かった。やっぱり、鳴りに余裕がある感じなんですよね。オーチャードは広いし、舞台との距離もあるから、雑味が聞こえなくなって。上手く聞こえてるんじゃないの?という説もあるのかも知れませんが、仮にそうだとしても、それは言ってみれば、もし同じような演奏だったなら、オーチャード向きの演奏だ、ということになると思うし、それで聞こえてくるマーラーは確かにもっと良かった。 でもやっぱり、限界はあるんですよね。このレベルだからこそ、見えてしまうこともある。やはり、「演奏出来る」ということと、「いい演奏になる」ということとの距離はあってね。マーラーの場合は、やっぱり遠いんじゃないかなぁと。ただ、その上で。やはりバッティストーニと東フィルの組み合わせは、今日本で出来るマーラーの相当高いレベルではないかと思います。オケの性能的に、ですね。 実は来月、N響にブロムシュテットが来て、マーラーの9番をやるんですよね。実は買ってあるので(例によって天井桟敷だけれども)、何事もなければ聞きに行く予定なのだけれども、出来るのかなぁ。ブロムシュテットに関しては何の心配も - いや、ちゃんとおいで頂ければですがね - しないのですけれども。 今回、なにしろ2度目なので、色々気付いた事がありますが、第4楽章。アダージェットですね。あれを聞いていて思ったのだけれども、なんとなくあのアダージェット、「アダージョ・なんちゃら」みたいな感じで、こう、静かに、滑るように、流麗な音楽をなんとなくイメージしてしまう気がするのですが、今回のバッティストーニは、よく聞いていると、結構テンポを変えているのですね。揺らすというか、変える、ですね、あれは。気が付くと最後の方かなりリタルダントしている。手許にスコアがないのでどうなっているのか分からないけれど、聞いていると、まるでオケを煽っているように聞こえる。といっても、普通オケを煽ると言えば強弱みたいなことになると思うのですが、そうではなくて、表現、というより、響き、なんですよね。少なくともバッティストーニは、このアダージェットを、流麗な音楽として演奏しようとはしていない気がします。綺麗なもの、ではない。 金曜日の後に、マーラーの毒が云々、という話を少し書きました。あれ、多分、読んだ方は何言ってんだかさっぱり分からん、と思われたかも知れなくて、いや自分でもだからなんなの、と今更ながら思うのだけれども、多分、バッティストーニは、マーラーには毒がある、という前提でやっている人だと思います。まぁ、言ってしまえば、そもそもオペラの指揮者である以上、毒なんて何処にでも幾らでもあるぞ、ということは知っていると思うけれど。そういう人が、もっと高性能のオケで、たとえばウィーン・フィルとかベルリン・フィルとか、それに伍するクラスのオケで振ったら、どうなるだろうな、とつい思ったりします。 関係ないんですけれども。今日、人に言われて気付いたのだけれど、バッティストーニ、まだ35歳なんですよね。バッティストーニが、ブロムシュテットの歳、とは言わずとも、70歳くらいの頃にどうなってるか、私は多分そこの頃はもう生きていない気がします。生き残っててもおかしくないけれども、まぁ、長生きしないだろうし........日頃、あまりそんな風に思うことはないんだけれど、ちょっとそんな風に思って、それを残念に思う自分がいるのは確かです。歳を取ったってことなのですかね。或いはこれが老執ということなのか。まぁ、そんな風に思わせる指揮者ではあります。嘗ての新日時代のアルミンクとか(あれは行きがかり上とはいえ新日は馬鹿なことしたもんだよ)、東フィルのエッティンガーとか、そんな風に思わせる人は他にも居たけれど、バティストーニには、是非高みへ駆け上がって欲しいものだなと思います。
2022年09月20日
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昨日の話の続きです。 この間、たまたまマーラーに関する本を眺めていたのですけれども。 2011年の3月に出た、河出書房のムック本なのですけれども。書き下ろしと過去に発表された文章と取り合わせて編集されたもの。今から10年以上前の本なのですが、その中に、黒田恭一と、文学研究者という粟津則雄という人の対談が入っています。1980年に出た本からの再録なので、もう42年前の対談ということになります。といっても、黒田恭一といって分かる人が今どれだけいるのかしらん。まぁ言ってみれば前時代的な音楽評論の香りを漂わせながら、独善的でない風で、私は結構好きだったし、彼より後で出て来た音楽評論家で彼ほどの意味のあることを書いている人は、まぁ、いないと思います。片山杜秀くらいかな。でもあの人は音楽評論家、ではないかな。 それはともかく。この対談は1980年、「マーラーブーム」なんていうことが言われ始めた頃の話なので、今から見ると色々ツッコミどころはあるのかも知れませんが、時代故に面白いこともある。具体的には読んでもらった方がいいと思いますし、必ずしも全て首肯し得るものというわけでもないのではありますが、その中でこんなことが語られていて、つまり、マーラーの音楽というのは自身の内面に根差した「人間の弱点を刺激するような」「毒」のようなものがどうしようもなく分かち難くあって、しかし、「近年」では、レヴァインのようにそうしたものがなくなっているようなサウンド中心の演奏だったり、カラヤンのようにそういうものから距離を置く演奏が出てきたりして、というような話があるのですが。 いや、42年前の話ですからね。確かに、今のマーラーの受け止めとは随分違う気はします。ただ、確かに、マーラーの音楽は少なからずサウンド的なところに行ってしまうというのはあると思います。というより、サウンド的なものに対するレベルが上がってしまっているのかも知れません。多分、元々サウンド的には非常に要求の高い音楽だったんではないかなと思うのですね。勿論、毒というかドロドロとしたものはやっぱりあって、でもそれは多分音楽的要求の高さとは直接関係しない。まぁ、両立を求められてしまっている気がするのですね。多分カラヤンとかは、ある程度それが出来ているのだと思うのですけれども。 マーラーって、それこそブームみたいになって、猫も杓子もマーラーやるようになってるわけですけれども、思うに本当はそんなに簡単に出来るものじゃない気がするんですよね。いや、確かに、構成みたいなものが厳しく問われるようには見えない音楽ではありますけど、その分形に沿ってどうにか出来るというものでもないと思うんですよね。精度が上がれば上がるほど、見えてしまうものがある。要は、それが毒なのか雑味なのか、わかってしまうということだと思うのです。 私はマーラーは好きではなくて、だからあまり大きなことは言えないんですけれども、昨日聞いていて思ったのは、確かに悪い演奏とは言われないのだと思うけれども、そういう音楽だけに定石に頼ることは出来なくて、音を積み上げていくしかないし、そうすると、地力がはっきり出てしまうのでしょう。強奏が金属的になってしまうのはポジション的にしょうがないのか、というと、やはり本当に上手いオケがやるとそうはならない。音の積み重ねだって、ちゃんと合う - 揃う、ではなく - ところは合う。 実際、多くのオケはやっぱり出来ていないんだと思うのですよ。昨日の東フィルとバッティストーニは、確かにかなりのレベルまで行っていたのだとは思うのだけれど、ここまでいくと、やはり限界が見えてしまう。その先があるんですよ。それは、正直、日本のオケでは殆ど無理なんではないかと思います。正直言って、そういうレベルまでいかないんだと思います。東フィルだけでなく、聞き覚えのあるオケでも、N響、東響、新日、まぁダメでしょう。世評に名高かった都響とベルティーニだって、多分そうじゃなかったか。ましてアマオケなんかでやったのは、まぁ無理ですよね。でも、じゃぁ、海外なら、皆出来るのかというと、そんなこともなくて。きっと、そういうものだから、皆、マーラーとはこういうものだ、となってるんじゃないかと思うんですね。でも、多分、そうじゃない世界はあるんですよ。 難易度が恐ろしく高い、というよりは、奏すること自体は出来なくもないけれど、音楽として積み上げるのが難しい、というところなんですかね。 だからダメ、ということではないんですけれども。ただ、昨日聞いていて、これでもいいと思えないものは、やっぱりダメなんじゃないだろうか、と思ったのは事実です。まぁ、月曜日聞きに行けるのなら、もう一度聞いてみて考えようとは思うんですけれどもね。聞いてる場所も決して良くなかったのだし。
2022年09月18日
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サントリーホール 19:00〜 2階右裏 リスト=バッティストーニ編:「巡礼の年報」第2年「イタリア」〜 ダンテを読みて マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:アンドレア・バッティストーニ 久々にバッティストーニです。バッティストーニだから平日も聞いちゃう。いや実のところ、いつものオーチャード定期は祝日の敬老の日・月曜日なのですが、日本海側を通るとはいえ台風が来るので、天気は大荒れ、聞きに行けるのか?とも思うので、今日も行ってきた次第。指揮者がよく見える席なので、楽しいんですよね。 前半はバッティストーニの自作、後半はマーラー。実はバッティストーニ、マーラーをプログラムに入れたのは少なくとも東フィルの定期では初めてだそうで。確かに無かったと言われればそんな気はします。ベルリオーズはあったけれどもね。意外と言えば意外、なんとなく分かる気がすると言えば分かるような.... 前半のリストの「ダンテを読みて」の編曲もの。これが面白かった。原曲の細かいところは覚えていないけれども、自身でも書いている通り、「リストらしい編曲」ではありません。本人曰く「1950年頃まで流行していたスタイル」で、ラヴェルやレスピーギやストコフスキーのように、大オーケストラのための自由な編曲、なんだそうです。レスピーギが出てくるのは、まぁ、古風なアリアと舞曲を念頭に置いているのでしょうが、バッティストーニらしい。 実際、モダンな響きのする編曲です。と言って、現代的なモダニズムではない。響きとしてはドビュッシーのような響きを聞こえたように。そして、これは特筆すべきだと思うのですが、オーケストラ、特に弦がよく鳴るように書かれてます。弦が金切り声を上げるような箇所はなし。決してフォルティッシモで強奏するようなところが皆無というわけではないのだけれども、金切り声にはならないように配慮されている。だから、聞いていても決して辟易するようなことはない。最後は鳴り物入りで大変でしたけれども、最後までちゃんと聞けるよな、という。 一方で、「ダンテを読みて」って、こういう曲なんだっけ?というくらいに、オーケストラとしての色彩感に溢れているので、楽しいけれども、元曲はどんなだっけ、と思うことも多く。まぁ、そういう意味では、楽しければいいんじゃないかな?というものではあるかも知れません。とにかく、この鳴りの良さは聞き物でした。 後半はマーラー。5番です。 こちらはというと、まぁ、悪くはないんだけれども............うーむ。 よくやっていたと思いますよ。実際、結構いい演奏だったということになるのだろうとは思います。ただ....... まぁ、傷はあります。特に、弦は、どうしても、金切り声になってしまうところは少なからず。管も、個人的には冒頭のトランペットはよくやったと思うけれども、他は......特にホルンは、微妙だったかなぁ。ただ、まぁ、この辺も「日本のオケあるある」と言えばその通りなので。 バッティストーニの指揮も悪くない。見聞きしている場所とも相俟って、なるほどそうだなこういう曲だよなこれは、と思うことも少なくなく。いい演奏ではあったんだとは思いますよ。総じて言えば。 ただ.................それだけに見えてしまうものもあるというかね............ マーラーは同時代的には「作曲もする指揮者」であったのはよく知られていると思います。で、指揮者としては、ウィーンの国立歌劇場の音楽監督に長く就いていたわけです。で、思うにですね、マーラーという人は、だから、どういうオケで鳴らすのか?と考えた時に想定するのは、ウィーンやらのオケの音だったのではなかったか、と思うんですね。今と当時ではオケの技術レベルの差もあるかも知れないけれど、少なくとも人気指揮者の一人だったマーラーが自作を書く時、どこの馬の骨ともわからないオケの音を想定して書いたとは思えないんですよね。実際、この5番だって初演はケルンのギュルツニッヒ管。今でも続く、当時としては結構な名門ですし。まぁ、この辺、ブルックナーがウィーン・フィルを想定して交響曲を書いていた、というのとはちょっと違いますが、でも、そういう音を想定して書いていたと思うんですね。 そうすると、正直言うと、これは東フィルでは荷が勝ちすぎるということなのかな、とか思ったり。 多分、もっといい響きで、いい音色で聞こえて欲しいんですよ。演奏も全般にもっと余裕を持って鳴らして欲しい。そうするともっと官能的な音楽になるんじゃないのかなぁと思うんですよね。たとえばウィーン・フィルでやれば。そういえば、確かにザルツブルグで聞いた、ティーレマンだかウェルザー=メストだかがウィーン・フィルを振ったマーラー - あれは6番だったか? -、というのを聞いたことがありますが、基本マーラーはあまり好きじゃない私でも、これは面白いと思いました。綺麗なんですよね。 まぁ、そこを求めるのは酷なんですが。 演奏としては悪くなかったんでしょうけれども マーラーの話はちょっと別の話を思い出したので、続きを書きます。
2022年09月17日
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NHKホール 18:00〜 3階右手 ヴェルディ:レクイエム ソプラノ:ヒブラ・ゲルズマーワ メゾソプラノ:オレシア・ペトロヴァ テノール:ルネ・バルベラ バス:ヨン・ヴァンチョル 新国立劇場合唱団 NHK交響楽団 指揮:ファビオ・ルイージ 久しぶりと言えば久しぶりです。まぁこの数週間は、予定も無いわけでもなかったけれども、体調を崩したりもあって、結局この公演までお預け。いや、体調崩したっていうのが、夜中に突然38度超えの発熱という、これ絶対あかん奴や、ついにトレンドの波が来たぜヒャッハー!というものだったのですが、自信満々(?)で翌朝発熱外来行って検査して貰ったら「陰性です。お薬出しときますね」......え? でも実際、翌日には熱はスッと下がって、その後自前の抗原検査でも陰性続き......じゃぁ、あれ、なんだったんだろう?という......それももう2週間以上前のことだし。体調崩したんですかねぇ。寒暖の差も激しいし。 というわけで、シーズン入りです。これがシーズン初日。更に、NHKホールの改装成って定期演奏会はこの日が初めて。更に更に新首席指揮者ファビオ・ルイージ就任お披露目公演、とまぁ盛り沢山。なかなかの賑やかしであります。 今シーズンからNHKホールに還ってきたわけですが、コロナ下&NHKホールを離脱していた間に無くなっていた自由席が廃止になりました。溜池や池袋でやっていた全席指定方式を継続だそうです。値段も、今までのほぼ固定価格から変動制に変更した模様。一番安い、今まで自由席1,500円だったE席は、たとえばこの日は3,300円、同じAプロでも来月のブロムシュテットの回は2,800円、再来月の井上道義は2,000円.....これがAプロ。Cプロ、これは今までも比較的軽めのプロという位置付けでしたが、基本休憩なしの短めの公演になるようで、こちらは基本固定の模様で、E席は1,600円。 安く気軽に、はある程度堅持しながら、ということでしょうね。Aプロの、人とプログラムで変動させる、というのは、どうなのかなぁ。たとえば今回のは大掛かりに合唱もソリストも入るし、そういうのは値段が変わります、というのはまぁ分かるけれど、指揮者で値段変えるのは...... お値段高くなるのは、首席指揮者のファビオ・ルイージ、桂冠名誉指揮者のブロムシュテット、名誉指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ。でも、正指揮者の尾高忠明は、「通常」料金。なんだかね。いいけどね。 さて、改装成ったNHKホール。.........えーと、何が新しくなったのかな?正直よく分かりません。エレベーターは、まぁ、前からあるよね。増えてもいないし。椅子は.....変わらないよね。まぁ、天井耐震工事が主目的だったらしいので、そういうものでしょう。天井裏見に来てるわけじゃないしね。 客席は当然満員......かと思いきや、意外と空席があります。あれですかね。やはりN響のコアなファンは、ファビオ・ルイージにはあまり興味がないのか、ヴェルディのレクイエムに興味がないのか、はたまたまだコロナ禍であまり出てくる気がないのか。こちらも空いてそうなところを選んで買ってるので、それもあるでしょうけれども..... で、どうだったか? 結論から言うと、まぁ、悪くはないけれど、それなりに期待値が高かっただけに......という感じでしょうか。敢えて言うと......1+1が2ではなく、3にも4にもなる、みたいな言い方をすることがありますね。そういう意味で言うと、0.8とかを3つ重ねて、指揮者が掛け算したけど、3には届かなかったかな......というような。 N響なんですが、全体的になんというか......やっぱり、下手になったなぁ、と思うんですよね。 まず、弦が、やっぱり問題。怒りの日の冒頭、トゥッティの強奏で入るところが、どうにも.....「よくある日本のオーケストラの金属的な強奏」になってしまっているんですよね。でも、久々のNHKホールだからなのかも知れないけれど、どうにも力が入り過ぎている気がする。管も、ピッコロがやたらやかましく、美しくない。いやまぁそういうものだという話ではあるのかも知れないけれど、必ずしもそうではないと思うんですよね。この辺はまだ指揮者がそれを要求したのだ、ということかも知れないけれど。他の管も、なんというか、微妙に合わないというか、やはり全体的に如何にも精度が悪いのです。単純に合う合わない、ではなく、入りがおっかなびっくりというか、合わなくても「こうだ!」と入るくらいの蛮勇があってもいいと思うんですけれどもね。それで一応曲になるくらいの腕はあるだろう、とは思うんですけれども。その辺が、まぁ、0.8かなと。 合唱は、新国立劇場合唱団ですが、まぁ、いつもながらの出来ですね。今ひとつ。これはオケもそうなんですが、冒頭のピアニッシモが、弱いというよりは、聞こえない、か細い感じ。でもそうではないなと思うのと、その後最終的にフォルティっシモへ向かっていく、そのダイナミクスが弱い。表現力の問題だと思います。それと発音がね.....ちょっとカタカナなんですよね。まぁ、ラテン語ってそういう感じでもあるから、そこはともかく......0.8ですかね。 歌唱陣は、女声陣はロシア人なんですね。勿論ウクライナ戦争前にアサインしているのでしょうし、公的な地位に就いているわけでもなさそうだし、その辺がプレトニョフなんかとはまた違うとは思いますけれどもね、個人の資格で来てるからいいんだ、ってことなのかも知れませんが、まぁ、ちょっと複雑。だけれども、それ以上に複雑なのは、それほどではないなぁ、ということ。これは男声陣も同様。NHKホールだし、声はあるにはあるんでしょう。ただ、瞠目するほどではないなぁと。強いて言えば、女声陣、特にメゾがまぁまだ良かったけれども。この辺は、今は歌手がなかなかいない時代ではあるので、仕方ないのではあるけれども、要するに中途半端なんですよね。まぁ、やっぱり0.8。 多分、ファビオ・ルイージは、それを統合して、それなりにまとめ上げていると思うんですよ。全体的に破綻しているわけではないと言っていいと思います。ただ、0.8+0.8+0.8=2.4を、1.2掛けくらいにはしていると思うけれども、2.4 x 1.2 = 2.88 なんですよね。いやあれは1.5倍だという人がいるかも知れないけれど、それでも3.6。いやそもそもそういう話じゃないんですよ、きっと。いい演奏っていうのは。 古い話だけれど、NHKホールでヴェルディのレクイエム、というと、昔ムーティがミラノ・スカラ座を振った公演を思い出します。調べたら2000年の公演だったそうで。そうか、もう20年以上前なのか。あれは良かった。最後の最後まで気を抜くところのない演奏でした。そりゃオケも合唱も歌手も指揮者も....って言い出すと比較にならないと思うかも知れないけれど、そもそも計算式なんか浮かんで来ないんですよね。そういう演奏って、日本のオケだってあるんだけれど、言えばN響でもなかったわけではないんだけれど、ということかなぁと。
2022年09月11日
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