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神奈川県立音楽堂 15:00〜 後方右手 ヘンデル:シッラ シッラ:ソニア・プリナ クラウディオ:ヒラリー・サマーズ メテッラ:スンヘ・イム レピド:ヴィヴィカ・ジュノー フラヴィア:ロベルタ・インヴェルニッツィ チェリア:フランチェスカ・ロンバルディ・マッズーリ 神:ミヒャエル・ボルス エウローパ・ガランテ 指揮:ファビオ・ビオンディ 演出:弥勒忠史 音楽堂室内オペラプロジェクト第5弾、と銘打っての公演。元々は2020年2月に準備されていたものが、コロナでお蔵入りになってから、2年半を超えての公演ということです。正直、その当時はこっちはそれどころではなくて、ここまで手が回ってなかったので、まぁ、その辺の経緯に思い入れはありません。 土日の2回公演の二日目、日曜日。客席はほぼ満席。幾らか空席もあったようではありますが...という程度。まぁ、元々一千人かそこらの客席しかありませんからね。なので、結構後ろの端の方なのに、珍しくS席1万5千円也。発売を逃していて、安い席を買い逃したのでした。まぁ、新国のS席なんかよりはよっぽど安いんだけれどもさ。 で、どうだったか。結論から言うと、いい公演だったと思うんですがね。 演奏はファビオ・ビオンディ率いるエウローパ・ガランテ。所謂古楽演奏団体.....という言い方もどうなんでしょうね。30年くらい前に、ヴィヴァルディの「四季」の画期的な演奏を、確かopus111だったかのレーベルから引っ提げて、それこそ彗星のように現れた団体でしたっけ。それまで「ヴィヴァルディの四季」といえば、イ・ムジチ合奏団かパイヤール室内管か、シュトゥットガルト室内管か、というくらいで、異色といえばカラヤンがベルリン・フィルといれたのもあるぞ、といったようなところに、アーノンクールあたりが斬新な演奏を、というくらいでしたから、まぁ、なんというか.....若い人にはピンと来ないかも知れません。昨今は速めのテンポで、小編成でデュナミークの振幅を大きく取って、レガートにしないで一音一音包丁で切るように、というような演奏はむしろ当たり前になっていますが、それを顕著にぶつけてきた時代の走りの一つだったように思います。ああ、勿論ノンヴィヴラートで、というのもあるのですが、それよりもこうした特徴の方がもっと衝撃的だったなと思います。まぁ、そういう意味では若干感慨深いものはあります。 まぁ、それはそれとしても、そういう団体ですから、編成は遠目にしか見えませんでしたが、上記に書いたような「四季」の頃からの「斬新」な演奏スタイルは変わらず。勿論、今ではお馴染みの「古楽演奏」スタイルではあります。少人数の編成で、必然的に管や鳴り物の比重が高くなる。メリハリの効いた演奏。 歌唱陣は、今時のこうした公演には珍しく、カウンターテナーが居ません。ビオンディの意向らしいという話も目にしましたが、女声を起用する方がカウンターテナーよりも現代では自然だろう、ということらしいです。結果、外題役のシッラ、歴史上はスッラですが、は、コントラルトが歌っております。性別逆転、ですね。まぁ、それで不都合があるというわけでもなく。各人よい歌唱を聞かせておりました。特に2幕でのチェリアとクラウディオだったかの長大な二重唱は秀逸。 ただ、まぁ、そもそも「シッラ」というオペラ自体が、やや問題含みというか。正味2時間ほどのオペラなので、3幕物で2回休憩を入れながら、予定では2時間35分、実際にも15時に始まって18時10分前にはカーテンコールも終わっているというくらいなのですが、その短い時間にとにかくアリアを詰め込んでいる。まぁ、考えようによっては、お得感満載の作品なのですが、言い換えると次々とバロックオペラ系のアリアが続くので、ドラマとしてはやや弱い。そして、歌唱陣が、皆が皆耳目をそばだてるような大変な人達かというと、まぁ正直それほどでもない。さっき「各人よい歌唱を...」って書きましたが、本当は最初にするっと出てきたのは「各人ほどよい歌唱を...」という言葉。悪くはないんですよ。先に書いたようにチェリアとクラウディオの二重唱とか、ドラマ性もあって、良かった。言い換えると、例えば1幕で次々と順番に(本当にそんな感じ)各登場人物がアリアを歌っていくのは、聞いてて悪くないんだけれども、段々なんか同じようなの聞かされてるなぁ、という気にもなってくる。 いや、バロックオペラってそういうところあるじゃない、というのは事実ですが、この「シッラ」は短時間に色々詰め込まれているのでその傾向が顕著でして。ドラマの弱さがよく見えてしまう気はします。 演出。これを、カウンターテナーの弥勒忠史がやるという、ちょっと皮肉。 アイディアは決して悪くないと思います。意味はあんまりないですけれどもね。 音楽堂の舞台は、元々それほど広く使えるものではないので、一応エウローパ・ガランテは舞台前のピットエリアに下ろしていて、舞台上演という態だけれど、ちょっと制約は多い。幕はないですしね。プロセニウムも無いし。 そこで、一言で言ってしまえば、歌舞伎調の舞台に仕上げてきました。衣装は着物風のもの、メイクはあからさまに歌舞伎風。舞台セットは簡素なもので、6つの赤い背の高い「枠」があって、これがある時はスクリーンとして衝立になったり、はたまた枠として牢を表したり、と、色々。まぁ、舞台的には写実的ではないです。とはいえ、そもそも「バロック期に共和政ローマ時代の話をオペラにしたもの」ですからね。そういう意味ではなんでもありだと思います。なにしろ「古代ローマの正しい写実的表現」なんて見たことある人いないんだもの。まして、ヘンデルの時代の認識では、なんて考えたら、馬鹿馬鹿しくなります。そういう意味で、このホールでやるということも考え合わせれば、着想としては十分あり。そして、演出として、決して失敗ではないと思います。どうせわけわかんないんだし、と思えば、ある意味少なくとも邪魔はしない演出だったと思います。敢えて勝因を挙げれば、過剰に歌舞伎化しなかったこと。見栄切らせたりなんてことしなかったのは、ある意味節度のあるやり方、なのでしょう。弱いといえば弱いし、そういうノイズをわざわざ入れ込むことになんの意味があるのか、という見方もあるだろうけれども、そもそもこのオペラに意味なんてあるのか、くらいに思いながら観ていた身としては、悪くないと思います。 強いて言えば、幕切れでしょうか。このオペラ、いわゆるデウス・エクス・マキナ、機械仕掛けの神様でもって、強引に御都合主義で終わらせる類のオペラなのですが、そこの処理は映像処理で済ませて、最後にエアリアルって言うんですね、シルク・ド・ソレイユみたいな、布にぶら下がって曲技を見せる類のパフォーマンスが入って、まぁ、それはそれで面白かったけれど、正直そっちに釘付けで、最後はあんまり聞いてなかったような。これは良し悪し意見は分かれるでしょうけれど。 まぁ、全体的には、私は悪くないな、それなりに楽しめたかな、という公演だったのですが、最後、演出家が出てきたところで、ブーイングが。今時ブラボーとかブーイングとか、御法度なので、こんなの久し振りに聞いたぞ、と思ったのですが。ちなみにこの日は確かブラボーは無し。皆さんやって良かったくらいに思ってたと思うので、それだけに、擁護のブラボーも起きないブーイング、ねぇ..... ここからは、個人的な推測混じりの、本当に個人的な感想なのですがね。 私、この公演、いいと思って帰ってきたんですよ。それは間違いないし、楽しんだ。公演それ自体に特筆すべき欠点もない。ただ一つ挙げるなら、そもそもこの作品あまり面白くなくないか?という程度。ええ、バロックオペラって、こんな感じでしょ? でも、正直言うと、今月初めに新国で「ジュリオ・チェーザレ」観てるじゃないですか。あれもね、演出はそれほど素晴らしいわけじゃなかったし、歌唱陣は多分今日より微妙だったし、大体がリナルド・アレッサンドリーニとはいえ東フィルでね、って話じゃないですか。でも、今見返すと、私結構冷淡に書いてるけれど、率直に言って、あれはかなり面白かったなと思うんですよ。で、うっかりすると今日のより面白かったかも知れない。演奏は比べ物にならない?そうかも知れません。あっちは現代オケで工夫していたとはいえあくまで現代の演奏。こっちは、20世紀末から21世紀に掛けての古楽演奏の雄が率いる団体の演奏。どちらがより「オーセンティック」か、といえば、こっちなのでしょう。こっちの方が断然「古楽」してる。 個人的には、しかし、どちらもいいと思うけれども、オペラとしてどちらが面白かったか、完成度が高かったか、といえば、ひょっとすると新国の方じゃないか?と思うのですね。それは、あちらの時に書いたけれども、「現代の劇場で上演するオペラ」としての良さを引き出していたからだと思うのです。 今日の公演、実は、これをS席1万5千円で聞いたことに、後悔はしていないけれど、面白かったけれども、コストパフォーマンスが.......と心の片隅で思った面が無いとは言えないです。そういう冷静というか冷めた部分があるのは事実。 で、ブーイングです。私、このブーイング、理解出来ないんですよ。そう悪くない演出、と言って悪ければ、上演上の処理の仕方はそれほど悪くないと思うんです。でもブーイング。シルク・ド・ソレイユが脈絡なくて気に入らない?そうじゃないだろうt、というか、多分それだけではあるまいよ、と。 それで、ちょっと思い出すのは、今日幕間で耳に入ってきた会話なんですが、なんかこうこの話がどういう話か、とか、全然ご存知ない風の話をされてましてね。なんか、劇の内容には興味ないというか..... で、思うんですが。ひょっとすると、今日の人の少なからぬ部分は、「エウローパ・ガランテの演奏を聴きにきた人達」なのかな、とかね。オーセンティックな古楽演奏を聴きにきたよ、オペラという態だから劇仕立てなんだけど、あれあれ、なんでこの人達着物着てるの?なにこれ?最後には曲芸?なにやってんだよ、こんなのちっともオーセンティックじゃないじゃないか、邪魔すんな!.....そういうブーイングだったのかしらね。そして、擁護の声も挙がらなかったのは、ブーイングまでせずとも、それに近いように思う人の割合が、あるいは少なくなかったのかしら、とか。 まぁ、ね。エウローパ・ガランテの公演と考えれば、ね。私はトイレ行きたくてカーテンコールの途中で出てしまったのだけれど、その後、「以上をもちまして...」と終演のアナウンスが入った後も拍手がやまず、恐らくは皆退場するまで拍手してたのか、もう一度「以上をもちまして...」のアナウンスが。こんなの初めて聞いたけどね。 ただ、一つだけ申すならば、新国で指揮したリナルド・アレッサンドリーニは、ビオンディが出立ての頃、チェンバロ奏者とヴァイオリン奏者として組んでいたこともある程度には近しいのでして。そういう意味では同根だと思うんですけれどもね。そして今の両者の立ち位置もそう変わらない気がします。 そういう意味では、まぁ、不満はないのだけれど、面白かったけれど、なんとなく引っ掛かるものを感じながら帰ってきたのは事実です。勝手に、本質的でない所で引っ掛かってるだけなんですけれどもね。
2022年10月31日
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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 ヴェルディ:ファルスタッフ(演奏会形式) <アンコール> 第3幕第2場終幕 フーガ ファルスタッフ:セバスティアン・カターナ フォード:須藤慎吾 フェントン:小堀勇介 カイウス:清水徹太郎 バルドルフォ:大槻孝志 ピストーラ:加藤宏隆 アリーチェ:砂川涼子 ナンネッタ:三宅理恵 クイックリー:中島郁子 メグ:向野由美子 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:チョン・ミュンフン 東フィルの定期演奏会、今シーズン最後の公演は、チョン・ミュンフン指揮の「ファルスタッフ」演奏会形式です。 個人的にはチョン・ミュンフンよりは、バッティストーニを聞きたいんですけれどもね。勿論オペラでも。というよりオペラこそバッティストーニで聞きたいんですが.....今シーズン、来シーズンと、定期演奏会で演奏会形式でオペラを一曲づつやるのだけれども、どちらもチョン・ミュンフンで、今年がファルスタッフ、来年がオテロ。まぁ、いいんだけれど、やっぱりバッティストーニがいいなぁ..... 好き嫌いの問題もあるんですけれどもね。定期演奏会じゃないですか。折角若い指揮者にポストを与えて指揮させてるんだから、もっとチャレンジングに色々やってもらっていいと思うんですよね.....チョン・ミュンフンのいい悪いの問題ではないんです。まぁ、私あんまり好きではないというのは正直ありますが...... 東フィルの定期演奏会はオペラシティ、サントリー、オーチャードでそれぞれやるので全3回。今日が最後となるオーチャード公演というわけです。お客は結構な入り。なんかさぁ、N響でも思ったけれども、仕方ないとはいえ、有名指揮者だと客がごそっと増えるっていうのもねぇ......自分もそうなんだけどさぁ...... 結論から言うと、思いの外面白かったです。やっぱりねぇ、なんだかんだ言ってもチョン・ミュンフンの年の功ですかねぇ。 演奏会形式とはいえ、オーチャードホールの舞台前側、ピットエリアまで舞台を張り出して、そこそこ歌手が動けるようにしています。それでもオケには十分なスペースがあるのですが、中央と両脇に行き来出来る空間を作って、かなり自由に動き回るスペースを確保しているので、そこそこダイナミックな演技を出来ていました。これは、やはりオーチャードホールならではでしょう。オペラシティやサントリーでどうやったのかは分かりませんが、ここまで舞台やその周りに余裕があるとは思えませんので.... 指揮台には「居酒屋」「フォード家」といった看板が掲げられ、指揮者自身は居酒屋の主人役。大道具こそありませんが、細々とした小細工が小気味よく。確かに、ファルスタッフを知っていなければ、ピンとこないところもあるとは思いますが、そこはそもそも原作がシェークスピアですし、まぁなんとかなったんじゃないでしょうか。 定期演奏会ですから、まずはオーケストラ。演奏会形式なのでオケは普通に舞台上に乗っているのですが、指揮台をやや前側に出して、演奏者は、普通はヴァイオリンなら客席から見て真横を向いているところ、斜め前を見る形に並べて演奏。これはオーチャードだけなのかどうなのか。それで顕著にいい悪いということはなかったとは思うのですが、全体的に演奏はよく出来ていました。特に弦がいい。強奏でもなんとかかんとか我慢して、そっくり返った金属音にならないように頑張る。ここ最近は、N響といい東フィルといい、弦が割と頑張っている感じはあります。まぁ、いつもこういうように安定しないのが難点なんですけれどもね。 歌唱陣は、外題役が抜きん出て、というよりは安定した歌唱でしたでしょうか。最後まで保っていた感じ。あとは、まぁ.......ナンネッタ役は結構拍手貰っていたようだけれども、あまり安定はしていなかったですかね。結局、最後のフーガまで保たないんですよね、皆。ダメだダメだとは言わないけれど、演奏会形式なんだし、もうちょっと頑張ろうね。合唱は.......まぁ、あんまり歌いどころないしね。どうこういうものではないというもの。 とはいえ、今回はチョン・ミュンフンが結果的にはうまいことまとめ上げたという感じでしょうか。前に、足し上げていっても合算以上のものにはならなかった、的な話を書きましたが、敢えてそういう言い方をするなら、1のオケを1.5倍にして、0.8の歌唱陣も1.5倍にして、ついでに自分の指揮も併せて掛け合わせた、みたいな。いや、多分この演奏会は、そういう計算づくじゃない、楽しめる演奏会であったのは確か。やっぱり計算式が思い浮かんでくるようじゃまだまだなんですよね。そういう意味でいい演奏会だったのは確か。 個人的にはチョン・ミュンフン、そんなに好きじゃないし、それほどいいとも思ってはいないのだけれど、今回は確かに良かったと思います。
2022年10月25日
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NHKホール 14:00〜 3階右手 シューベルト:交響曲第1番ニ長調 D.82 交響曲第6番ハ長調 D.589 NHK交響楽団 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット 先週に続いてのブロムシュテット、今回はCプロ。休憩無しの短めプログラムです。 今日もNHKホールはほぼ満席のご様子。聞けば来週平日のサントリーホールでのBプロは完売だとか。勿論買ってません。今回は他ホールでの同プロの公演はなさそうなので、これで聞き止め。しかし、まぁ、人のことは言えないけれど、老人会の公演って感じですねぇ....... 本日もブロムシュテットはコンサートマスター、今回は白井圭のエスコートで御登壇。 Cプロは、シューベルトの1番と6番。これはまた.......シューベルトの「未完成」以前の交響曲は、殆ど聞かれていないんじゃないでしょうか。コンサートでは、5番と3番がたまに演奏されるくらい。全集を買えば勿論入ってますが、そもそもシューベルトの交響曲全集買う人ってそんなにいないんでは。ブロムシュテットは全集入れてますし、他にもアバドとか入れてる人は沢山いますが、その中でも1番と6番って..... 私自身は勿論シューベルトは好きなので、全集も持ってるし聞いてもいますが、正直、1番は「聞いた筈だよね」というレベル。6番は5番からの続きとかで聞いてますけれども、あまり覚えてはいないし、実演で聞いたことあったかどうか。昔東響がシューベルト・ツィクルスをやってましたが、あれ全部行ったわけじゃないしな..... という演目。ではどうだったか? よかったです。はっきり言ってマーラーより良かったと思います。 プログラムでもちょっとそれっぽいことを書いてますが、あまり正確ではないと思うので、はっきり書くと、シューベルトという人は、器楽曲に関しては、基本的に古典の枠組みを遵守することに物凄く拘った人と言うべきです。確かに、ピアノソナタや弦楽四重奏、更には名曲中の名曲弦楽五重奏など、独創的で古典から遠く離れた作品に仕上がっているのは間違いないのですが、しかし、よく見れば、それにも関わらずやはり古典派の枠組みに準拠しようとしているのです。 当然、交響曲も古典派の交響曲のスタイルに忠実に作曲されています。実は完成作は皆、最後の「グレート」まで含めてそのように書いています。まして若い頃の、習作と言いたくなるような時代であれば尚のこと。但し、第1番の作曲は1813年。作曲者16歳の時ですが、この5年前にベートーヴェンは「田園」を書いてます。この翌年にはベートーヴェンは7番8番を作曲、初演。シューベルトの方は第6番を書いたのは1817年。シューベルトは耳にしていたと思います。いや、果たして当時の人々にベートーヴェンの交響曲がどう聞こえていたのかは分かりませんが、ベートーヴェンの破格に対して、シューベルトの交響曲はあくまで古典の枠を外さないようにと格闘しているかのよう。 勿論、第1番と第6番とでは、随分と内容は変わっています。第1番がハイドンの初期の交響曲、いや、うっかりすれば前古典派まで行きそうな響きのする曲であるならば、第6番はハイドン後期、或いはモーツァルト、ベートーヴェンのような響き方をします。あくまで古典派の交響曲の枠内ではありますが。この変遷を成長と見るのか趣味の変化と見るのかはたまた老成、というには若過ぎるけれど、と見るか、色々ではありますが、しかし、その枠の中でどう表現するかという音楽であることには変わりません。 で、ブロムシュテットです。 ブロムシュテットのアプローチは、この古典派の交響曲に相応しい、明晰なもの。端的に言えば、どの楽章も1フレーズも聞けば、どういう音楽であるかが分かるような演奏。見通しは利く。けれども、分かりきった演奏というわけではない。こうだろうなと思いつつ、折節の響きの新鮮さに退屈する暇はありません。 この明晰さというのは、思い返してみれば、ブロムシュテットの演奏のもっとも特徴的なところかも知れません。昨年のベートーヴェンでもそうだったし、最近の録音でのブラームスなどでもそう。明晰さを保ったアプローチで、どんな音楽か明快であって、かつ、手垢の付かない演奏。先週のマーラーでも、それは変わらないのですけれども、マーラーの場合は、その明晰さが、何某か物足りないところを含んでしまう気がします。音楽としては、実に立派なものでああるのですけれども。ブラームスでは決してそうはならないけれども、マーラーでは、明晰さ故に、なんというか、本来そこにあってはいけないようなものの存在が薄くなってしまう気がするのですね。上手く言えないけれども。 で、シューベルトの話。既に書いた通り、シューベルトの交響曲は、構成を追い求めようとしている点で、ブロムシュテットの明晰なアプローチと相性がいいのだと思います。加えて、この2曲はいずれも長調の、言ってみれば光溢れるような曲。言ってみれば天気のいい秋の午後に聞くには最適な組み合わせ。いや実際、この日の公演は14時スタートで、この2曲で15時半にはもうNHKホールの外に出て来ていて、そうすると、晴天ではなかったけれども、代々木公園の中、渋谷に向かうだだっ広い広場というか通りというか、ここは周りにビルもなくて、実に爽やかな気分。それは音楽と関係ない、と言われるかも知れませんが、やっぱり関係ないわけでもないのだと思います。 この日のオケは弦五部が恐らく10-8-6-4-3の対向配置で第1番を演奏し、第6番は1プルト増やして12-10-8-6-4に増強。 しかし、演奏自体は、この編成増強以上に第6番はより重厚な響き方。はっきりと響きを変えてきました。ただ、決して重くはない。 そう、そもそもシューベルトの曲自体が、どちらも、言ってみれば光に溢れるような曲なので、重苦しくはならないのです。そういう曲をブロムシュテットは実に瑞々しく描いてみせた。ただ、第1番がいわば陽光そのものを描いたとでもするならば、第6番は陽光に照らされる世界を描いたとでもいうのか。前者には一直線に向かっていくようなところがあるのですね。それ故の軽やかさというか。後者は、もう少し拡がりがある。光そのものではなくて、光溢れる情景を描いた、とでも言えばいいのか。そんな感じだったと思います。 この対比は面白かった。当たり前といえば当たり前なのかも知れないですが、ここまではっきりと描き分けられるというのもあまりないと思います。 今回のブロムシュテットは私はこれで終わり。今度の水木にサントリーでグリーグとニールセンをやるそうですが、まぁ、このシューベルトが聞けたから良かったかなと。なにしろ老人会の演奏会ですから、次があるのかどうか、ちょっとなんとも言えませんが、これが聞けたから、あまり後悔はないかなと思ったりしています。
2022年10月23日
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この間、楽天ブログの埋め込みアクセスカウンターがなんか変じゃね?という話を書いたところ、翌日から急にカウント数が激減しました。どっかで見てるんかい(笑)いや、このところコンスタントに200前後アクセスカウントがあったのが、急に2桁前半とか。ボットのクローリングがカウントされてないとかならいいんですけれども、試しに自分のブログ絡みのワードで検索してみたら、今まで結構検索されていたような個別の記事が全く出なくなって、トップページに絡む形で出るだけに。 ま、いいんですけれどね。アフィリエイトとかやってるわけじゃないし、元々誰が読んで下さってるかも定かじゃないし。とはいえ、今まで普通にgoogleとかで検索して出ていたような記事が突然出なくなったってのは、なんかあるんですかね。それこそ、どっかでネガティヴなこと書くとチェックしていじったりしてるのかしら。そんな暇ないと思うけど。でも、なんというか、小人閑居して悪事を為す、じゃないけれど、つまらない人間がたまさかなんか「力」を持ったりすると、勘違いしておかしなことをし始めるとかね。ありますからね。それが拗れると大変なことになったりするものなのだけれども。 ロシアの国立のバレエ団、となってますが、これはいわゆるバレエなのか、モイセーエフバレエとかいうそうですが、これがこないだから日本に来て公演をやっていて、それが若干物議を醸しているそうで。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221018/k10013862321000.htmlhttps://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20221018/1000085925.html 物議を醸してる、というわけではないのかな。そもそもこんなところが来て公演やってるなんて私は知らなかったし、呼んでいるのは、ロシア関係の団体や演奏家とかを呼んでいるところらしいです。 記事を読む限りでは、例によってロシアの文化芸術と政治は別物だ、という意見がある一方で、日本在住のウクライナ人は「文化を人間から切り離して考えることは出来ない」として反対を呼びかけたそうで。 個人的には、基本変わりません。ある意味ずるい部分もあるけれど、国立の団体だとか、公の禄を食んだ者を、今聞く気にはならないですね。運動まではしないけれどもさ。「文化芸術と政治は別物」という見解よりは、「文化を人間から切り離して考えることは出来ない」という見解の方が、私はより適切であると思います。理由は幾らでも述べ立てることは出来ると思うけれども、シンプルに言えば、結局、政治も、文化芸術も、勿論戦闘行為も、皆人の為す事であることに変わりはないのですよ。そこに線を引いて考えたいというのは分からないでもないけれども、でも、一線を超えてしまった状態では、やはりそこに嫌悪感を感ぜざる事能わず、なのですよ。 大統領に責任がある?でも、悪いけど、前世紀から生きていて、ソビエト連邦崩壊のニュースをリアルタイムで見ていただけでなく、その前の冷戦時代も見てる者の立場からすれば、ある種の独裁者を押し上げたのには国民に広く責任があるのですよ。今更「自分達のせいじゃない」なんて言うな、とね。そんな国の看板を掲げてやってくる人間がやらかす文化芸術とはなんなのか、と思わずにはいられないと思いますけれどもね。 不幸な時代ではあるのでしょう。そんな時代に生まれ合わせた不運は彼らの責任ではない、と言われるかも知れません。でも、そこに生きている以上、責任は否応無しに引き受けざるを得ないのです。理不尽と言えば理不尽ですが、そんな理不尽は何某か誰でも何処でもいつでも抱えているもので、それは彼らが背負うべきものである以上、背負わざるを得ないのですよ。 いや、それだって一つの考え方に過ぎないので、普遍的ではないのでしょう。でも、そう思ってしまうのだもの。それが私にとっての「義」というものです。そんな中、今まさに同じ看板で人殺しを遂行している、その看板背負って文化芸術を名乗るということ。要はそういうことでしょう。文化も芸術も政治も、同じ人の為す事であることに変わりはないのです。 まして、ロシアという国は、文化芸術を政治に積極的に利用してきた国であるのですよ。前にも書きましたが、以前ゲルギエフ隷下のマリインスキー劇場の「イーゴリ公」の引越公演でそのあまりの改変に呆れ果てた身としては、正直近寄りたいとは思わないのです。 人に強制はしませんけれどもね。でも、自分は絶対行かないな、と正直に思います。
2022年10月22日
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NHKホール 18:00〜 3階右手 マーラー:交響曲第9番 ニ長調 NHK交響楽団 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット いい演奏では有りました。昨今のN響では随一の演奏ではなかったかと。なんですけれどね...... シーズン2ヶ月目の10月はブロムシュテットが登場、ということで、ほぼ満員状態。先月のルイージはなんだったの?という。相変わらずN響に来る客は「巨匠」好き、ですね......人のことは言えない、というのはよく分かってますが、それにしても。 ブロムシュテットは御歳95だそうです。今回はコンサートマスター、篠崎史紀だったのですが、にエスコートされて登場。そう、オーチャードと違ってキュッヒルではありませんでしたが、まぁ、キュッヒルじゃエスコート出来ないよねぇ、老老介護になっちゃう......軽くお辞儀して指揮台の椅子に座って、音合わせが終わるやノーモーションで演奏開始。終演後も殆ど挨拶はせず、椅子に座ったまま、一度引っ込んでからは舞台脇にやはりエスコート付きで2度出たくらいでした。確かにお歳ですね。 演奏は、確かに、これはなかなか凄いものでした。特に第4楽章。 いや、第4楽章に限らず、全般に、なんというか、密度の高い演奏でした。弦もそっくり返らず、テンションを維持。いつもこのくらいちゃんとやって下さいよ、というのが本音。演奏する方も、先月のはなんだったのよ、という....... 編成は16-14-12-10-8で対向配置。NHKホールなので、このくらいが確かに適当な大きさかと。実際、その辺の余裕が演奏の良さに繋がっているのだとは思います。実際、非常に密度の高い演奏で、白眉はやはり第4楽章。ともすれば甘ったるく響くところ、過剰にならず抑制された表現で、最後まで気の抜けない演奏でした。こういう演奏はなかなか聞けない。というかN響もこういう演奏をいつもやってほしいんですけれどもね。 ということなのですが、そうねぇ...... 演奏は掛け値無しに良かったと思います。比べられるものかという話はあるけれども、先月のバッティストーニ指揮東フィルの5番よりも演奏として出来は良かったでしょう。曲も9番だし。いや、それが表現にも繋がっていると思うし。第4楽章は確かに良かった。 でもねぇ。でも、やっぱり、マーラーなんですよね......いい演奏なんだけれど....... 9番の第4楽章って、確かにこんな風に演奏されると、凄い音楽だなとは思うんですが、第1楽章だって、第2、3楽章だって、悪くはない。悪くはないけれども..... プログラムによると、この曲は「辞世の歌」であり、「死へ向けたひとつの吐息」なんだそうです。うん、まぁ、言いたいことは分かります。でも、それって、第4楽章、なんですよね。この辺がやっぱりマーラーの難しさのような気がするのです。いや、音楽のあり方としてそういうのもありだとは思いますよ。でも、第4楽章に向けて収斂してしまう、第4楽章で語られてしまう交響曲というのもどうなんだろうと。勿論、例えば、ベートーヴェンの第九だって同じようなものと言えなくもないのですが、アレは収斂していくというのとはちょっと違うかもなと。まぁ、この辺が、私はマーラーが分かっていないということだと思うのですけれども。 マーラーということでいうと、バッティストーニの時に書いた「毒」が、この第9番の第4楽章には、あまり出て来ないんですね。第5番のアダージェットですら漂う毒が、ここには出て来ない。むしろ、この楽章全体、それ自体が毒なのかも知れないですけれども。その美しさにどうしても行ってしまうし、今日の演奏自体もとても美しかった。それは絶対間違いじゃないんですよ、きっと。ただ、それがマーラーの限界のような気がするのですよね。そして、なんだろう、この演奏は多分N響としては望める限りのものではあるだろうけれど、やっぱり、このもう一歩先に行って欲しいと思うんですよね。この第4楽章だったら、もっと美しく響かせて欲しい、という欲がどうしても出るんですよね。 いや、普通にとてもいいと思いますよ。ややこしいこと考えなくても。
2022年10月16日
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このブログは楽天ブログのシステムでやっているのですけれども、楽天ブログはアクセス数とかのカウントが実に怪しいので有ります。本気でやろうと思えばカウンター埋め込みとか出来るのかもですが、めんどくさいのでシステムで勝手にカウントしているのを見ています。が、これが、どうにも怪しい。多分、検索エンジンなんかでヒットしただけで、実際に誰も見てなくてもカウントされてる気がするんですよね。実際。だって、このブログのコメント欄だって、殆ど誰も書かないし.... で、一昨日だか、突然アクセス数が増えていて、なんだこりゃ?と思ってたら、その日アクセス数上位が、こちらの記事。2010年4月のN響。 なんで?と思って開いたら........ああ、そうか...... 忘れてたよ...........12年前に、ブロムシュテット、N響とマーラーの9番、やってたんですね。それで、検索する人が増えたのかな。今週末ですからね。 さて。 もう10月だよ.....?と思っていたら、発表されました。来シーズンの東フィルの定期演奏会ラインナップ。 https://www.tpo.or.jp/concert/2023season-01.php おいおい。オーチャードホールの定期演奏会、そのままやるの?!と思ったら、「文化村は基本休館だけど、オーチャードホールは週末中心に限定営業します」....だと?え?そうなの?と思ってよく調べたら、確かにそういうことらしいです。N響定期が来年7月はみなとみらいだから、てっきり全面的にそういうような形なのかと思ってましたよ...... まぁ、ずっとオーチャードでやり続けるなら、それはそれで嬉しくはあるなぁと。 ラインナップですが、チョン・ミュンフンが2回、バッティストーニが2回、プレトニョフが2回、尾高忠明と、去年ブザンソンで賞を取った(優勝したとは書いてないですね)クロエ・デュフレーヌという人が各1回。 プレトニョフねぇ。戦争が続く限り、かつ、プレトニョフ自身がロシア国籍を捨てるなり、なんらか、公職についていたことに対し訣別を示さない限り、ボイコットだなぁ。エキセントリックだとか言われるかも知れないけれども、人は許してはいけないものはあるのですよ。ならぬものはなりませぬ、なのです。変えて欲しいけどな。 バッティストーニは2回だけ。定期演奏会でのオペラは、チョン・ミュンフンがヴェルディの「オテロ」をやるそうなので、オペラ公演はなし。合唱系の演目も無し。ちぇっ..... バッティストーニの演目も、なんか軽いんですよね。3月はメインがサン=サーンスの「オルガン付き」、これはともかく、来年11月はチャイコフスキーの幻想曲だの幻想序曲だのばっかり。チェロを独奏に迎えるのだけど、これもチャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」......えー.........チョン・ミュンフンの演目(ブルックナーの7番とオテロ)と交換しようよ...................まぁ、バッティストーニが「これやりたい」って言ってるんだったらまだいいけどさ.......... まぁ、オーチャードホールだし、会員は継続するけどね。ちょっとね。今年もアレだなと思ってたけど、来年はもっとアレだな........
2022年10月13日
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オーチャードホール 15:30〜 3階正面 グリーグ:「ペール・ギュント」第1組曲 op.46 〜 「朝」 ピアノ協奏曲 イ短調 op.16 <独奏アンコール> シベリウス:5つの小品「樹の組曲」op.75-5 樅の木 シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 op.43 <アンコール> シベリウス:悲しきワルツ ピアノ:牛田智大 NHK交響楽団 指揮:サッシャ・ゲッツェル (コンサートマスター:ライナー・キュッヒル) N響オーチャード定期もシーズンスタート.....なのですが、今期は来春でオーチャードホールが改装に入ってしまうので、4回公演、しかも来年7月の4回目はみなとみらいホールに引っ越すという...... 指揮のサッシュア・ゲッツェルは、この前後両日もやはりオーチャードホールで、文化村主催で「椿姫」をやっております。オケは東フィル。まぁ、買ってないんですけれどもね。いや、お忙しいことで..... で、わざわざ書いた通り、行ってみたらこの日はコンサートマスターがライナー・キュッヒル。また来てたのね、この人........今回は、サッシャ・ゲッツェルがウィーン出身という縁でなのか、それとも、今月の定期がブロムシュテットだからなのか、そういうことに関係ないのか、さて、どうなんでしょう。 ともあれ、それかあらぬか、この日のN響は、7月の前回のオーチャード定期や、先月の定期よりはいい出来だったと思います。やはり弦がよかった。金属的な音になる手前でちゃんと踏み止まれる。それだけか?と言われるとちょっと申し訳ないけれども、でもやっぱりそれって大きいと思うのですよ。 この日一番よかったなと思うのは、実はアンコールの、「悲しきワルツ」。ほとんど弦楽合奏じゃないのかと思うほど、弦が主体の曲なのですが、ここでの弦がとてもいい。それと、ワルツが程々に艶っぽい。いや、本来この曲のプログラムから言えば、艶っぽいどころではないんですけれどもね。なにしろこのワルツを踊らせているのは死神なのだから。そういう意味では、艶っぽさが過剰ではない。不穏なものがちゃんと聞こえてくる。ワルツだから、というわけではないと思いますけれどもね。 最初の「朝」は、まぁ、遅刻対策みたいなもので、本編はグリーグのピアノ協奏曲。独奏は牛田智大。正直この子聞くのは初めてかも......というように、「この子」扱いのイメージなんですが、もう23なんですね。そういえばこの日はいつになく女性客が多くて、どうも牛田君目当てのお客が多かったのか。 そのグリーグですが.......そうねぇ..........悪くはないんだけれども............なにしろ3階ですからね、聞いてるのは。だから、それはあるんだけれども、どうも、パワーが足りないというか........ グリーグの協奏曲は、まぁ、どちらかというと、ガンガン弾くような曲想ではないですが、それでも結構パワフルな演奏が合う曲ではあります。特に、この日のN響は出来がいい上に、協奏曲でも比較的厚めの編成。確かコントラバスは6本いたのではなかったか。そうなると、やはりそれなりにピアノにパワーが欲しいのですが、特に後半、音が埋もれるというか。ピアノはスタインウェイだったのですが、ピアノに負けてるという感じ。 牛田君、随分線が細い感じですね。正直、あまり追いかけてないものだから、まだ中学生か、まぁ高校生くらい?と思ってしまうくらい。ちょっと厨二入ってそうな感じの佇まいというか.....それでは、ちょっとこの曲は、難しいかも知れない。ちゃんと飯食え、って思ってしまったのは事実。 別にね、グリーグの協奏曲をフルオケで演奏できなければいけない、というものではないので、そういう路線は有りだとは思うんです。ただ、それなら、たとえばモーツァルトとか、せめてショパンあたりが限界なのかなと。そういうピアニストでもいいし、別にグリーグや、更にはブラームスとかだって弾いたっていいと思うんだけれども、でも、それなら、もうちょっとスタイルを考えないと難しのではないのかなぁと。独奏アンコールのシベリウスも、随分モダンな選択で、これはこれで面白いなと思うだけに、もう一皮剥けたところに行けるといいなと思うのですけれどもね。いや、一皮剥けたというのとは違うのか。ここからどこへ行くのか、ってことかなぁ。今いるところでもいいんでしょうけれども。でも、23でこのままここにい続ける、というわけにもいかないんでしょうし。 後半はシベリウスの2番。既に「一番よかったのはアンコール」と書いてしまったけれども、これもなかなかよかった。特に低声部、コントラバスやファゴット、チューバの響きが良い。まぁ、そういう曲だと言えばそうなのだけれども、それをきちんと活かした演奏で、それを逆に高声部から支える弦合奏がしっかりしているのがまた良い。なんか当たり前なことばかり書いてますけれども、そういう当たり前にいい演奏、と言っていいのかなと。 全体にいい演奏会でした。N響、今月の定期もこの調子で行ってくれるかねぇ。だとすると、来週のブロムシュテットとのマーラーも期待出来るかも知れないんですけれどもね。どうだろう。
2022年10月10日
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新国立劇場 14:00〜 4階左脇 ヘンデル:ジュリオ・チェーザレ ジュリオ・チェーザレ:マリアンネ・ベアーテ・キーランド クーリオ:駒田敏章 コルネーリア:加納悦子 セスト:金子美香 クレオパトラ:森谷真理 トロメーオ:藤木大地 アキッラ:ヴィタリ・ユシュマノフ ニレーノ:村松稔之 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 通奏低音 桑形亜樹子(チェンバロ)、懸田貴嗣(チェロ)、上田朝子、瀧井レオナルド(テオルボ) 指揮:リナルド・アレッサンドリーニ 演出:ロラン・ペリー 新国立劇場のシーズン開幕公演です。初日。こういう日に来るのは久し振りです。今回からは、今まで濃厚接触者連絡用に書いていた、住所氏名連絡先席番を書くのも無くなりました。ただ、マスク着用、入場時体温測定、手の消毒、この辺は相変わらず。場内飲食禁止も変わらず。なので幕間はコーヒーとか飲みに行く..... ジュリオ・チェーザレは、元々は2020年に上演予定だったのですね。そのリベンジ公演。なるほど。 4階席の脇の方というあまりいい席は取らなかったのですが、まぁまぁ見聞きすることは一応出来ましたかね。 さて、例によってネタバレとか気にせず書きますので、これかtら観に行くんがあんま書くな、という方はここで読むのをおやめ下さい。結論だけ言ってしまうと、久し振りに「うん、面白かった」と思って帰って来られるものではありました。では、一旦ここまで。..............................マダダヨー......................................................モーイーカナー............................ ではこの辺から。 実は、ジュリオ・チェーザレは、今年2度目です。前にもちょっと触れたのですが、3月に川口で、アントネッロという団体、濵田芳通指揮での公園がありまして、これを観に行ってます。面白かったのですが、なにしろ3/5、ロシアのウクライナ侵攻から10日と経っていない時で、プレトニョフの件などであんまりここで書く気が起きなかったのですね。いや、あれはセミステージ形式でしたが、工夫されていて、コメディタッチで、悪くなかった。 で、今回は? まず、演出から。 今回のは、2011年にパリで出したものの再演だそうです。 まぁ、正直、破綻してました。理解出来なかったのは事実。 舞台は劇場のバックヤードというか舞台装置の倉庫みたいなところ、と思ったら、後で演出ノートとか特設サイトを読んだところでは博物館の倉庫だそうで。いや、まぁ、いいんですけれどもね。で、この博物館、カイロらしいのですが、ここにカエサルの像が運び込まれて、そこからカエサルが物語を語り始まる......だそうでして...........で、博物館のスタッフが同時に王宮の従者だったり兵士だったり色々な役をしつつ、物語は進んで行く...............はぁ............そういうことなのね................ いや、その辺はまぁ観てればわかる。で、それによって何をどうしようとしたのかと言えば、ですね、えーと.......要は「ファンタジー」なんだそうです。この舞台をファンタジーとして作り上げたんだそうで..........そうかぁ..........ファンタジーなのね............................................... というわけで、まぁ、破綻してるというかなんというか、深く考えてもしょうがない。実のところ話の筋を変えているわけでなし、読み替えてるとも言えないし、元々カエサルとクレオパトラの経緯は物凄く雑駁に言えば史実に沿った流れだし。シェークスピアのジュリアス・シーザーでは出てくるんだっけこのくだりは?そんなこんなで、破綻してると思いますが、別にそれで困るというわけでもないと言えば、まぁ、ない。これほど清々しく破綻してると腹も立たないしね。むしろ、「ジュリオ・チェーザレというバロック・オペラを現代に於いて上演する為に組み上げたもの」として、まぁそれほど悪くないじゃないの、という受け止め方をしておくのがいいのでしょう。ただ、まぁ、この演出で観たいなぁ、とは、思わないかな。 確かに、バロックオペラの建て付けは、後々の目で見るとちょっと劇として据わりが悪いところはあります。だから、元々破綻してるだろ?というところはなくもないので、こういうのもそれはそれでアリではあるんですよね。そういう意味で、物語としては破綻しているけれども、元々破綻してる以上というわけでもなく、一つ一つの場面がどうしようもないかというと、まぁ、ねぇ.......てな感じですかね。毒気抜かれてるかな。うん。怒る気力も出ないような。いいのか、それ。でも、アリなんでしょう。 この公演の売りはというと、やはり、リナルド・アレッサンドリーニなんでしょうか。イタリア系の古楽演奏家の雄みたいな方ですから。ただ、まぁ、聞いてる限り、実は、それほど「古楽」って感じではないんですね。勿論、オケは東フィルなので、基本現代オーケストラなんですよね。で、確かに演奏はノンヴィヴラート系ではあるし、響きはいつもの東フィルよりはクリアといえばクリアだけれど、違和感はないんですよね。そもそもオケの編成が結構大きい。上からではあまり見えなかったけれど、コントラバスは4本。プログラムのメンバー表から見るに、8-8-6-5-4の弦五部編成。うっかりするとここでモーツァルトやる時に、これより少なくてもおかしくない。勿論、管は他にいますし、通奏低音チームがいるので、結構大きいのですよね。でも、聞いていて、大き過ぎるとは思わない。 アレッサンドリーニはオペラもあちこちでやってますから、劇場経験は豊富なのだと思います。それが、このオケ編成の選択に出ているのではないかと思います。「これはヘンデルだからこうだ」というのではなくて、「この劇場でこの作品をやる上でベストは何か」からちゃんと導いているのだと思います。で、大きめの編成で、弦に無理をさせない、という演奏。位置的には結構舞台に近い方で聞いていたので、新国立劇場の大きさに見合った、というよりは、最適解の演奏だったと思うのですけれども、どうだったのかしらん。いや、本当に、うまいことはまっていて、最適解と言いたくなるような演奏ではあったのですが。 日本でバロックオペラというと、古楽系のアプローチが主流で、オペラである前に古楽である、というような風はあると思います。BCJ、5月にオルフェオとエウリディーチェを振った鈴木優人とかはそういう傾向ですし、先に触れた3月の川口での公演もそうだし、毎年12月に北とぴあで寺神戸亮が率いてやっているのも、やはり「古楽的」なもの。ごく小編成の古楽器アンサンブルによってオペラをやる、というのはいわばバロックオペラの標準的なアプローチみたいになってます。それはそれで面白いものではあるけれど、決してそれでオーセンティックになっていると言えるものではないし、いうほど珍しいものでも、もう、ない。そういう中で、「これはオペラでしょ」という大前提でアプローチするというのは、さすがだと思います。 これはごく個人的な感想なんですが、正直、これまであまりバロックオペラをオペラとして聞けたことはあまりないんですよね。面白いかどうかは別の話で、面白かったりはするのだけれど、とっつきにくいというか、よそよそしいというか、なにかこう馴染まない感じが拭えないような感じはあったんですよね。面白くはあるんですよ。ただ、「これはこういうもので、こういうものとして面白い」みたいな、ね。 今度の公演は、そういう感じがないんです。「ジュリオ・チェーザレというオペラ」であって、それ以上でも以下でもない、というような。普通にオペラとして見ていて面白い。 歌唱陣はというと、まぁ、外題役が一番整っていたでしょうか。メゾソプラノですが、よく歌っていました。チェーザレと、クレオパトラは、結構歌いどころがあって、華やかなのですが、それに見合ったいい歌唱でした。その相方であるクレオパトラも、まぁまぁ。一方、他の役はというと、それほど悪くはないのですが、この二人に比べると、そもそも歌自体がそれほど華やかじゃないので、まぁ、ちょっと喰われた感はあるでしょうか。そういえば、この公演、日本人カウンターテナーが二人も出ていて云々、という話はあったのですが、まぁ、正直言って、それほどインパクトのあるものではなし。悪くはないんだと思いますよ。ただ、普通にオペラとして、そこ褒めに行くほどではないし、そこを褒めなきゃいけないほど外題役らがいけてないわけじゃないし。なにより、カウンターテナーはもうそれほど珍しいものでもないと思いますし。 ある意味、それらしくないバロックオペラの公演ですかね。それらしくないところが、なんというか、頼もしいですかね。 もう一回くらい観てもいいかな。ただ、この演出が観てみたいというものではないかなぁ。
2022年10月04日
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