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日本のみなさん、二夜連続ドラマ「氷点」見ましたか?久しぶりに涙が止まりませんでした。罪と許しをテーマとした大作、陽子ちゃんがけなげで可愛かったですね。子供時代の陽子ちゃんも可愛かったし、青春時代を演じた石原さとみの清純さ、可憐さが、よけいにその背負った運命の悲しさを感じさせた。小説で三浦綾子の「氷点」は読んでいたけど、映像は文章とはまた違ったよさがありますね。人間が背負っている重く大きいテーマ、こういうドラマを見ると、考えさせられるとともに、心が洗われる気がします。在中国の皆さんも、またご覧になってみてくださいね。
2006/11/26
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昨日、友達が結婚した。幸せそうな姿に、ほんとによかったって安心した。1月ごろ、ちょっといい人がいるって聞いて、6月ごろ、婚約すると聞いた。そして11月に結婚。トントン拍子だ。ひとってみんな、出会うべきときに、出会うべき人に出会うようにできているのだな。世界には何十億っていう人がいるというのに、その中からたった一人とめぐり合う。相性とタイミング、縁っていうのは不思議なものだ。旦那さんとなる人に会ったとき、ちょっとした意外性があったけど、話してみると、責任感があって、あたたかくて、ふたりの幸せモードにあてられてしまった。じっくり熟考型の彼女にしては、スピード結婚。でもふたりならきっと、いい家庭が築けると思う。Mちゃん、ご結婚おめでとう。いついつまでもお幸せにね!
2006/11/25
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今日の朝9時過ぎの飛行機で日本に戻る。あれっ?機上でなんか見たことがある顔が・・・。あっ、昨日大連の日本語図書館で会った人。50過ぎ位のおじさんで、5歳ぐらいの女の子を連れていたのが、ちょっと不思議な感じだった。そのおじさん、図書当番をしている私に、「あなた日本人?」と聞いたので、よく覚えている。おじさんこそなに人?と心で思ったが、聞かないでおいたのだが、奇遇にも日本帰国の飛行機の中でばったり再会。笑顔で会釈すると、おじさんは私の隣に座った。聞くとおじさん、日本で勤めていた運送会社が倒産し、日本で食べていけないから、大連に渡ってきたらしい。「日本で食べていけないから」という理由が、私の中でリフレインした。今どき中年以降で失業すると、職もなく、食べていくにも困ってしまうのか。つばめも年取って日本に帰ろうと思っても、日本では生きていけないってこと、大いにありうるよね。おーこわいこわい。おじさんの話を自分の未来と重ね合わせて、なんだか寒々とした気持ちになった。おじさんはたまたま奥さんが中国人だったので、大連につてがあって中国大陸に渡ってきたが、おじさんの日本の友人たちには、「いいよな、おまえは。逃げるところがあって」と口々に言われたそうだ。「逃げるところ」という言葉が、再び私の中でリフレインした。そうか、おじさんは日本から大連に「逃げて」きたのか。そしてそういうおじさんをうらやましがる、逃げ場のない人々が、日本で苦しんでいるというのか。日本だと食べていけないが、大連だとなんとか食べてはいけるのだと、おじさんは言った。「日本にはどのぐらい滞在なさるご予定ですか」とおじさんに聞くと、4日間だけだという。「せっかくの帰国なのに、4日間だけって、 もったいないですね」と言うと、日本の家は売り払ってもうないので、帰国してもホテル住まいなのだという。「滞在が長くなればなるほど、ホテル代もかかるからねぇ」としんみりした口調で語るおじさん。そうか、つばめも両親がいなくなると、同じ境遇に陥るのだ、と、再びおじさんの話を自分と重ね合わせる。日本の財産をすべて処分して、大連に家を買い、焼肉屋を一軒作った。おじさんにとって、一大決心だったろうと思う。中国語が話せないおじさん、焼肉屋は奥さんが一手に切り盛りしていて、おじさんは自由の身、らしい。おじさんの選択は正しかったのだろう。こうして大連に自宅を持ち、焼肉屋を経営している。でも・・・。なんだか心が切ない。おじさんはしたい仕事、なんて贅沢なこと言わないし、中国人の奥さんをもらうときも、来てくれる人なら誰でもいいと思っていたらしい。要するにおじさんの要求水準は、限りなく低いのだ。おじさんは最低生きていける、というところに基準を置いているように見える。そのことに少なからずショックを受けた。おじさんの話は、私に将来の生活をすごくリアルに描かせてくれるとともに、今の自分は恵まれているのだ、と再認識させてくれた。少なくとも食べるには困っていないし、仕事もあって、日本に帰る家もある。でもそういう恵まれた状態の多くは、若さに基づいている。若いから柔軟性もあるし、仕事も選ぶ余地がある。若さという財産は失われていくものだ。そのときどうするか。準備が必要だ。おじさんの話を忘れずに心に刻み込もう。無計画ではいけない、将来に向けてライフプランを持つべきだ、と深く心に誓ったのだった。
2006/11/21
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素敵なCafe、見つけた。「Ryu's Cafe」。ここに来ると、心が落ち着く。彼の文章は初めて読んだが、知性と感性を強く感じさせる人だなーって思った。彼というのは、あの「冬のソナタ」の主題歌と挿入歌を歌ったRyuさん。飾らず人間味あふれる言葉で毎日の生活をつづっていて、なんだか素敵。音楽をやっている人や、絵や文章を書く人は、キラキラと輝く独特の感性を持っていて、だから人を惹きつける魅力があるんだろうな。皆さんもRyu's Cafe、覗いてみてはいかが?http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/music/ryu/index.html
2006/11/10
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ある本に、「愛は動詞である」と書いてあった。「7つの習慣」という本の「主体性を発揮する」というテーマでの話。ある男性が、「私たち夫婦は、もう昔のような気持ちがないんです。 私は妻を愛していないし、妻も私のことなんか愛していません」と言う。それに対する作者の答えは、「奥さんを愛しなさい」であった。「愛情を感じないとき、どうやって愛すればいいんですか」という問いに対して、「愛は動詞である。愛という気持ちは、愛という行動の 結果にすぎない。」と作者は答える。なるほど、と思った。愛を抱いているだけでは、愛ではないんだ。そういえばうちの夫、一度も私に「愛している」と言ってくれたことはない。でも。★私が出張から帰ったら、いつも空港まで迎えに来てくれる。★自分が出張に出るときは、私の食事を心配して、 ご飯を多めに作ってくれる。そして、これは付き合い始めたときから、変わらない習慣。★電話を切るとき、私が切るまで電話を切らない。言葉より、行動で示すのが夫のパターン。そして、そういう態度は、いつも変わらない。転じて私。いつも甘えてばかりで、心に愛を抱いているつもりだけど、思ってるだけじゃ、愛じゃないのねーって、気付かされた。愛は、動詞なのだ。行動こそが、愛なのだ。でも、抱いている本人が幸せになれるのが愛って感情なのかもしれない。
2006/11/05
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またまた本の話。最近知り合いの人に借りて、「マンガ 金正日の正体」という本を読んだ。面白かったが、こういう政治的、思想的に主張のある本を読むと、いつも気をつけなければならない、と思う。特にマンガ。著者の政治的思想や主張が絵で訴えられるので、すごく説得力があるし、それが事実なのか、作者の意見や主張が混じったものか判別する前に、頭がそれを事実として受け入れてしまいそうになる。もちろん、ひとつひとつの史実は丁寧に調べた事実を元に書いているのだろうが、全体的な組立は、作者の主義主張を訴えるためのストーリー構成になっている。作者の主張に有利な事実のみが拾われ、不利なものはカットされている場合もある。そして、マンガになると特に、何が事実で何が著者の主張や想像なのかほとんど判別がつかないのが危険だ。そういえば昔、友人に借りて、「ゴーマニズム宣言」というマンガ本を読んだことがある。これもかなりおもしろい政治・思想マンガだが、当時もやっぱり同じ危険を感じた。右よりの本を読んだなら、左よりの本も読んで、両方の主張を一応知った上で自分の判断をもたないと、マンガの描写力に洗脳されちゃいそう。って。思えばメディアの危険性や非全面性に気付いたのは、大学を出て、働き始めたスーパーが倒産したときのこと。そのスーパーは、海外にも進出していて、当時の新聞等の論調は、すごく勢いのあるスーパーみたいな書き方だったのに、倒産したとたん、論調がガラッと変わった。ある記者は、スーパーの一店舗に取材に行ったようだが、「売り場には、大根の葉っぱが寂しく散っていた」と書かれたのだ。私たち従業員は笑った。「あの店は忙しくて忙しくて、 葉っぱを拾う余裕もないぐらいなのに」って。「売り場に葉っぱが落ちていた」のは事実だが、それをどう表現するかは、筆者にかかっている。「寂しく」というところは、筆者の感じ方を述べたのみであり、事実でもなんでもないのだが、それによって、事実自体がまるで違うものに見えてしまう。それ以来、新聞やテレビなどのニュースも鵜呑みにできないな、と思うようになった。これらの情報は、「事実+制作者の意見」が混じったものだということを忘れてはならないと思った。そういえば、同じ事実なのに、新聞によってまるで論調が違うことってあるよね。ま、でも、「金正日」、分かりやすくて面白かったわ。
2006/11/04
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最近、うちでゆっくりしたいモード。仕事が終わると、うちに帰って本を読んだりして過ごしている。最近読み終わったのは、「EQ こころの知能指数」という本。発行されてもう10年にもなるようだけど、今になってやっと読んだ。EQっていうのは、1.自分自身の情動を知る(情動の自己認識能力)2. 感情を制御する(感情コントロール能力)3. 自分を動機付ける能力(挫折を乗り越える楽観性など)4. 他人の感情を認識する(共感能力)5. 人間関係をうまく処理する(社会性)の主に5つの領域に渡る感情能力らしい。作者のダニエル・ゴールマンはこれを脳医学の実験などを例に出しながら分かりやすく説明してくれる。自分の本当の気持ちを自覚し尊重して、心から納得できる決断を下す能力。(脳の損傷で感情をなくしてしまった人は、 知性は高くても、決断を下すことができなくなる)衝動を自制し、不安や怒りのようなストレスのもとになる感情を制御する能力。(不安や怒りの感情が病的な程度まで コントロールできなくなれば、 普通の社会生活を送ることができない)目標の追求に挫折したときでも楽観を捨てず、自分自身を励ます能力。(同じ才能の持ち主なら、挫折しても希望を持ち続け、 楽観的な考え方ができる人のほうがよい結果を出す)他人の気持ちを感じ取る共感能力。(脳の一部に損傷を受けた人は、 皮肉を込めた「ありがとう」と、心からの「ありがとう」 の区別がつかなくなる)集団の中で調和を保ち、協力し合う社会的能力。(IQが高くても、基本的な挨拶や会話ができず、 スムーズな社会生活を営めない人もいる。 ポイントは、どのような感情をどのような場面で 表出させるのが適切かという社会的な「表出ルール」に したがって、自分の気持ちをうまく表現できるかどうか。)社会的能力に含まれるその他の対人関係能力として、組織力、交渉力、連帯力、分析力などがあり、これらの能力に優れている人は、感情を受け止めたり伝えたりすることが上手で、他人との人間関係をスムーズに築き、相手の反応や気持ちを敏感に読み取り、人々を組織して先頭に立ち、紛争を上手に処理して、集団を目標に向かって導くことができるらしい。交際上手な人は、自分自身の情動表現をモニターし、他人の反応に熱心に目を凝らし、自分の言動をいつも少しずつ調整しながら望ましい人間関係を構築できるよう気を配っている。へぇー。「頭で考える知性(IQ)」以外に、「心で感じる知性(EQ)」にも能力差があって、これが人生においてかなり重要なんだなって気付かされた。人間が社会で活躍し幸せに生きて行くうえで、IQが役に立つ場面はたかだか2割で、あとはEQで決まると言われているらしい。ふつうの子供は、EQを思春期の終わりごろまでに学習するが、然るべき時期に然るべきEQを学習しそこなうと、大人になって修正するには何倍もの苦労が必要だという。ならば、ぜひ全ての子供達が、学校教育の中でEQ教育を受けられるようになってほしいものだ。ああ、私も子供に戻って、もう一度やり直したい(笑)と思ったことだった。
2006/11/03
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昨日の書き込みで、前の日に夫と電話をした翌日に夫を亡くしたという方の話を読み、しみじみしてしまった。もし、あした夫がいなくなってしまったらどうなるんだろう。普通と思っていることが実は普通じゃないってこと、普段は意識してないよね。私が出張している間、ずーっと洗濯物をためてた夫、冬布団と布団カバーのありかも教えたのに、面倒くさがっていつまでも夏蒲団で寝ていたらしい夫、そんな夫のために布団カバーをかけ、夫の洗濯物をたためるって、幸せなことなのかもしれない。何かをやってあげる相手がいることって幸せだ。でも、いつもはそのことを忘れている。やってもらうことだけが幸せな気がするんだよね。久しぶりに、そんなことに気付かせてくれた。よりみちさん、ありがとう。
2006/10/31
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夜、しょうがないことを知る悲しみに影響されてなんだか気分が沈み気味のつばめ、食事の後、そのままホテルに帰る気になれず、小川の流れる広場をぶらぶらお散歩。ライトアップされた広場の門や、遠くまで続く街頭を見ながら歩いていると、昔の恋人のことを思い出す。今はどこでどうしているだろうか。私がこうして思い出しているように、私のこと、思い出すこともあるのかな。ふと、こんなことを考えると、夫は怒るかなーって想像する。でも、私は知っている。夫にも過去大切にしたい人がいたことを。そして、今もそれを心の片隅に残していることを。記憶は消せない。私にも忘れられない過去があるように、彼にも忘れられない過去がある。それって切ないけど、心の中で許して認めることにしている。・・・なんて、つらつら考えていると、リーンと夫からの電話が鳴った。
2006/10/24
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今日の朝一の飛行機で、青島から済南にやってきました。午後からある取引先を訪問。そこの担当者は、まだ大学を出てまもない男の子。前はなんか自信のない感じだったけど、今回行ったら、随分しっかりした感じになっていた。「仕事慣れてきた?」って聞くと、「慣れなくても、ボクがやるしかない」って。腹が据わったってことかな。いろんな話をするにつけ、「本当はボクも日本に留学したい」と気持ちを打ち明けられた。「まだ若いし、大学の日本語学科卒だし、留学できるよ」って励ますと、「ボクの両親は農民だし、難しい」と、ポツリ。そうか、自分にはかなわない夢を心に抱きながら、日々留学生を送り出す仕事をしていたんだ。しょうがない。人生にはしょうがないことは、たくさんある。あきらめなければならないことも、たくさんある。彼には弟がいて、自分と友達で資金を出し合って、なんとか弟を日本に留学させてあげたいと思っているそう。そんな彼のけなげさに、なんだか悲しくなってしまった。お金がないって、悲しいことだ。でもしょうがないことだ。だれだって、しょうがないことはある。夜、別のHPを見ていると、「日本に留学に来たが、どんな方法で勉強したらいいかアドバイスがほしい」という書き込みを見た。恵まれた悩みだなあ、って思った。夢をかなえた人は、がんばってほしい。夢をかなえられない人は、別の方向で再起しよう。人生で何かをあきらめなければならない悲しみを知ることで、人はより素敵になれると信じたい。
2006/10/24
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18日は非常に忙しい日だった。朝一の飛行機で南昌という町に飛び、南昌で仕事をこなした後、その日の飛行機で上海へ移動するというハードスケジュール。上海のホテルに着くと、電気をつけたまま、眠り込んでしまった。そして次の日。夫から電話があり、普通に世間話をした後、夫が、「どうして昨日電話してくれなったの?」とぽつり。あーっ、と思い出して、謝るつばめ。でも、もう日付は元に戻ってくれはしない。一番大切な人の誕生日を忘れるなんて、自分で自分がショックで、涙が出た。「ごめんね」って謝ると、夫はやさしく許してくれたが、昨日は一日さびしかっただろうと思うと、ほんとに心が痛かった。私って、やさしさが足りないのかな。思いやりを表現することに、鈍感なのかもしれない。一度に二つのことができる器用なタイプではないのなら、一番大切なことを、一番に守っていかないといけないと思った。
2006/10/19
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南京での仕事は午前で片付き、出張以来はじめての予定なしの午後。夕方頃、1912というバー街に行って、あるマッサージ屋さんに入った。なんとはなしに入ったのだが、これがよかった。足マッサージなのだが、痛くなくてとっても気持ちよい。そこを押してほしい、というところを的確に押してくれるので、かゆいところに手が届く、という感じ。お客が寝ると、明かりを暗くしてくれたり、テレビの音量を下げてくれたり、と細やかな心遣いをしてくれる。聞くと、ここの従業員はすべて重慶のマッサージ専門学校の卒業生らしい。技術がいいので、まったく宣伝をしなくてもお客がお客を連れてきて、店は繁盛しているらしい。110分で68元。足メインだけど、肩や全身もやってくれた。お茶やお菓子付き、熱くした砂袋で背中をこすってくれ、またひざ下を生姜パックしてくれ、体がぽかぽか温かくなった。これ、全部無料サービスでした。ここまでやってもらうと、感動する。この感動をだれかに伝えたくなる。店が繁盛するのも当然だ。店員さんの感じもすごくよくて、110分の時間ぎりぎりまで、一生懸命サービスしてくれた。みなさん、もし南京に行く機会があれば、1912バー街の、重慶按摩にぜひ行ってみてください。おすすめです。
2006/10/17
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今日、車でフフホトから包頭へ向かった。まっすぐ一本走る道を、西へ西へと車を走らせる。右手には陰山山脈がそびえている。この山脈には、木が一本も生えていない。ところどころ、石灰を採掘しているところを見ると、岩山なのだろう。薄土色の山脈は、ずーっと向こうまで続いている。左手は、地平線まで果てしなく続く大平原。建物も何もなく、ただ、平原がずーっとずーっと広がっている。土色の景色の中で、ふと色づいた紅葉が目に入った。色の乏しい世界で、その紅い色を見たとき、うれしさが心に広がった。色があるって、素敵なことだ。この大地にも、春には若葉が芽吹くのだろう。生き物の呼吸が感じられるって、素敵なことだ。この平原に息づく人がいて、時には平原のかなたまで歌声を響かせているのだろう。普段忘れている、自然の中で毎日命があるという喜びを思い出させる景色だった。途中でお墓が目に入った。小石をいくつか積んだ上に、少し大きめの石を乗せただけの簡単なお墓。広い大地にこうして眠るのも悪くないだろうな、とふと思った。人が生まれ、喜びや悲しみとともに生き、そして土に戻っていくという単純な事実を再認識したひとときだった。
2006/10/15
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14日朝、飛行機で洛陽からフフホトへと向かう。機上で雑誌を手に取ると、ある小説家のインタビューが目に留まった。すごく感受性の強い人だなって思った。小説家って、ひとりでいるのが好きなのかなーって思っていたが、そういう人はそういう人で、深い孤独を感じているものらしい。人間、やっぱり人とのかかわりがないと孤独を感じるものなのだな。どんなに内向的な人でも。人は、人と人との間で生きているんだ。
2006/10/14
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昨日の晩、鄭州に飛び、今日の午後に鄭州から洛陽に移動。半日で仕事をこなして、明日には内モンゴルのフフホトに飛ぶ。洛陽は3回目だけど、空港とホテルと、仕事場しか行っていない為、相変わらずどんな街かよく分からないまま。でも、土っぽくて、内陸の雰囲気が濃い町。私は好きです。いろんな時代に都が置かれた悠久の歴史ある街で、ちょっと土を掘ると、あちこちから貴重な文物が発掘されるとか。今度ゆっくり、訪れてみたい町です。
2006/10/13
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今日、東単の美容院で髪を切った。私はもともと美容院が苦手。日本でもそうだった。なんか、どんな顔して入ったらいいのか分からないって感じ。人に髪の毛触られて、なんか恥ずかしいし。美容院さんとなんか、話さないといけないし。中国だとよけいそう。美容院に入ると、つばめは言葉数も少なくなり、言動も慣れないおのぼりさんみたいな感じになるので、すぐ外国人とばれる。なんか気恥ずかしいとき、私は笑顔を作ってしまう。そういう自分にすごく日本人を感じる一瞬。中国人って、すごく堂々としてるよね。むやみに媚笑いしたりしないし。目の光が強い。多くの日本人女性に共通する(と思われる)恥じらいを含んだ笑顔、やさしくうつむき加減の視線は、日本文化の特徴なのかな。・・・なんて考えているうちになんとか終わって、ほっとして美容院を出た。
2006/10/08
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今日は、中国で空中日本語学校をやっている社長さんと食事した。空中日本語学校のホームページで社長さんの写真は拝見していたのだが、実際に会うと、また感じが違った。強烈なオーラ。やっぱりトップとなる人は、強いオーラを持っていて、圧倒された。こういう人に会うと、ほんと自分の普通さを思い知らされる。人って、やっぱり器があるのだろうな。大きな磁場を持っている人は、大きな影響力を持つ仕事をしていくように運命づけられているのだろう。そう思うと、無理はすまい、自分の生まれ持った星の定めに従おう、って気になる。あがいても、逆らっても、結局は自分の器に見合った仕事をしていくことになるのだろう、と、妙に悟ったような気持ちになった一日だった。
2006/09/15
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最近、結婚4年の友達から「夫に離婚を切り出されている」と打ち明けられた。聞けば相手から離婚の話が出てから、もう3ヶ月以上経っているらしい。彼女は今でも彼のことが好きで、納得できないし、離婚したくないらしいんだけど・・・。「今思えば、かなり前から愛が薄かった」と彼女。ラブラブな時期を過ぎて、安定した愛情に移るというのはあることだけど、彼女の家庭の場合、そういうのとは明らかに違う雰囲気だったらしい。彼女の話を聞いていて、「愛というのは、常に水や栄養をやって 育てていかなければならないものなのだ」と気付かされた。ほうっておいたら枯れてしまうのだ。「つばめ、あんたその仕事、やめたほうがいいよ。 仕事と彼と、どっちが大事? もしなんとしてもやり遂げたい仕事だったら別だけど、 そうでなければ彼のこと、大切にしたほうがいいよ」彼女は真剣に私にアドバイスしてくれた。彼女も、本当は仕事よりもずっと彼のことが大切だったのに、気がついたら、彼をほうって仕事していたようなところもあったらしい。一番大切なもの。あれもこれもほしいけど、結局自分にとって一番大切なものは何なのか、忘れないようにしておかないと、後で後悔することになる。私も仕事で疲れてる場合ではない。今日は夫が出張から帰ってくる。今日は仕事は早めに切り上げて、夫のために買い物して、家をきれいにして待っていよう、って、思った。薄い愛でも、彼との結婚生活を続けることを望んでいた彼女、もし彼女が再度家庭を持つなら、薄い愛に甘んじるのではなく、あふれる豊かな愛の中で生きてほしいと思う。そして私も、二人の愛が薄くならないように、自ら豊かな愛を生み出せる人間になりたいと思う。
2006/09/13
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O先生と「出張先での遊び」の話になった。O先生いわく、「中国で仕事のできる男性は、ハンサムで遊び好きで女好き」とのこと。「男性は出張先でも女性と遊ぶとか、人と関係することで パワーを回復する」とO先生。女性は出張先の現地でしか見られない観光地に行ったり、その町の繁華街に繰り出して、ウインドーショッピングしたりしたら、元気を回復できる人が多い気がする。少なくとも私はそうだ。でも男性は、ただ景色が美しい観光地などにはあんまり食指が動かないらしい。「抜けるように青い空と大自然が見られる」と聞くと、たいていの女性は言ってみましょうよ、ってなるが、男性の場合、「抜けるような青い空のもとで、若い女性たちが笑いさざめいている」みたいな人間描写が入って初めて、ピピッと来るとか。だいたいの男性は若くてきれいな女性が大好きなのはいうまでもないが、その場所に有名なおばあさんがいるとか、とにかく男性は人と関わるものに反応しやすいらしい。そう聞いてわが身を振り返ると、確かに女性は物や景色などに反応しやすいかも。「珍しいものや景色が見たい」とか「ショッピングがしたい」とか、ものに関する興味は尽きない。もちろんかっこいい男性が好きな女性も少なくないが、「その場所にはかっこいい男性が集っている」などと聞いて、「ぜひそこに行きたい!」となる女性は、そんなに多くはないのではないだろうか。O先生と話すにつれて、男性と女性は、興味や楽しみのありかや、パワーの回復方法がかなり異なることが分かった。そういえば、理事長に観光地を案内しようとしても、いまいちの反応だったな。私自身は観光地に行くと楽しいので、つい自分の感覚で、相手も楽しいだろうと思って気を遣っていたつもりだったのだが、そうか、ポイントがずれていたのか。「理事長、あのショッピングセンターの中にある マッサージ屋さんの主人は、絶対顔で選んでますよ。 だって、美人ばっかりだそうですよ」って言えば、「じゃあ、そのショッピングセンターに行こう!」となるよ、って、O先生は教えてくださった。これが仕事のコツだって。なるほどー。O先生、いい勉強になりました。
2006/08/31
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再び、W教授について。出張2日目は、W教授の手配により日帰り小旅行へ。そして3日目は、W教授のお宅にお邪魔し、お昼をごちそうになった。その時、つばめはあまり料理ができないという話をすると、「やる気になれば、誰だってできるわよ。 私もこういう本を読んで、研究してるのよ」と、後ろの棚から、食品栄養の本を出してきて見せてくださった。気配りができて、仕事もできて、忙しい中でも、時間をやりくりして料理もこなすW教授。私も、できない、と言い訳して逃げてばかりいないで、やろう、と決めて頑張ればできないことないんだ、って、W教授の積極精神から学んだ一日だった。
2006/07/29
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最近、友達のブログでなんたらバトンというのをやっていた。その中の質問項目の一つに、”あなたが「自分は女だなあ」と思う瞬間は?”というのがあって、私だったらどうかなー、って考えてみた。女を感じるとき。やっぱり男がいるから、比較して自分は女だと感じるんだと思う。普段はなんにも感じないもん。私だったら、彼のために掃除や洗濯をしているとき、女を感じることがある。「彼のために」というのがポイントで、自分のためだけに片づけをしていても、全然女を感じない。好きな人のために何かをするって、ちょっと心が浮き立つのです。ひとりだったら、大して片付けもしないし(笑)。あと、彼のほうが自分よりうまくできることがあったり、彼に「ほら、早くこっち来て!」とか命令口調で呼びつけられるとき、なぜか女を感じる。彼にはかなわない、だから彼に守ってもらおう、というところに女を感じるポイントがあるのかも。。。私って結構マゾ?さて、みなさんはどうですか。
2006/07/25
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今日また甥っ子が遊びに来た。2歳半。会うたびごとに変化があっておもしろい。1ヶ月前に会ったときは、否定形をマスターしつつあったけど、今回はいろんな物を指差して「これなに?」を繰り返す。何でも知りたいらしい。うちの母がケーキを買ってきたら、「ワァー!」と、手をたたいて大喜び。待ちきれない様子で箱を開けて、鼻から大きく息を吸い込んでにおいをかぎ、「おいしい~!!」と大興奮。(まだ食べてないのに)そしてまた、箱に顔をつっこむようにして、においをかぐ。これを何度も何度も繰り返す。本当にうれしそうだ。子供の感性って素晴らしい。考えてみれば、こんなに白くて甘くて幸せになれる食べ物があるなんて、素敵だよね~。ケーキぐらいではなかなか感動できなくなっている自分を振り返り、感じ方次第で世界は変わるのだ、と子供に教えられた一日だった。
2006/07/01
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日本での仕事、楽しくなってきた。今回の中国の学生申し込み者は、学校始まって以来最高人数を更新。なのに、10年続けていた中国人担当者が辞めて、経験の浅い私にバトンタッチしたばかりなのだから、はっきりいって、すごいプレッシャー。いままでの倍近くの応募者があるのに、その仕事をするスタッフの人数はそのまま。・・・ということは、今までの仕事のやり方でやっていたんじゃ全く間に合わない。どうやったら効率的に、かつ以前と同じかそれ以上のクオリティーを保てるか、人間、追い詰められるといろんな方法を考える。この書類の量では、どっちみちひとりでチェックできる限界を超えているのだから、みんなの力を借りるしかない。私は日本人だし、書類の見方も経験が浅いので、ここは中国人スタッフに任せることにして、みんなに手伝ってもらいやすいように全体の体制を整えることと、できあがった書類の入管提出前の最終チェックに力を入れることにした。こうやって新しいやり方を考えることっておもしろいし、なんていうか、充実感がある。そういえば、大学卒業して間もない頃、プラスチック会社で働いたことがあった。私は企画職として入社したのだが、入社後まず、工場での実習があった。板プラスチックをひとつひとつコテに押し付けて、熱を加え、90度に折り曲げて、プライスカードを作っていく。私たちがスーパーで見るプラスチックのディスプレイ用品って、こうやって曲げたり貼ったりして、作られていたんだ。そう気付くと、街で目にするいろいろなものが、違って見えてきた。当たり前にそこに普通にあると思っていたもの、こういったプライスカードも、街のメニューも、電車のつり革広告の文句だって、だれかが考え出して、生み出されたものなんだっていう発見。そこにあるものは完成されたものとしてそこにあるって思い込んでいたけど、だれがが考えて作ったもの、それはいくらでも変えていけるものなのだっていうことも発見。社会は、そこで働く大人ひとりひとりの力によって成り立っている。子供の頃は、大人が作った社会の中で、それを当たり前のように享受して生きていた。学校システムだって、教科書だって、大人が作り出したもので、それが良くても悪くても、子供にはそれをより良いものに変えたり、新しいものを作り出したりする力はない。私も大人になった。こうして社会の一員となって働けるということは、ささやかでも社会に影響力を持っているということ。子供の頃のように、誰かが作ったものを利用するだけでなく、自分で新しいものを作り出すことだってできるのだ。ひとりひとりの力で、この社会は成り立っている。ははは、なんだか堅い話になっちゃったけど、あと1週間、仕事がんばろう。
2006/06/18
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ここ半年~一年、私の心の奥底にあるテーマは、「人生なんのために生まれてきたのか、人生の目的って・・・」ということ。ちょうど去年の春、ウルムチに戻る前ぐらいから、そういうのにはまっていく前兆があった。幼馴染のMちゃんに相談したら、「聖なる予言」という本を紹介され、ウルムチで暇してた私は毎日そんな本を読んでいた。時を同じくして、これまた友人のSちゃんが、「スピリチュアリズム」なんとかという本を贈ってくれた。何を目標として人生生きたらいいのかっていうのは、結構普遍的なテーマだけど、こういうのを読んでると、人間はいろんな経験を積むために、そして愛を知るためにこの世に生まれてきているらしい。仕事をしていても、ふと大きな目で考えると、自分はどうしてこの仕事をすることになったのかなーって考える。なにかの縁に引き寄せられて、必要な経験を積むために、勉強するために、この仕事についたのかなーって。仕事といえば、まずはお金と切り離して考えるということは大変難しい。多くの人が仕事をする大きな目的のひとつは、お金を稼ぐことだろう。でも、お金を抜きにして考えたとき、それでもその仕事をする意味ってなんだろう、って、最近よく考える。そして、お金にしばられない考え方ができたら、仕事ってもっと楽しく、別の意味を持つようになるのではないかな、とも思う。だけどそれって、とっても難しい。ひとに言われたことをやるだけではなく、自分がやるべきことってなんだろう。将来、どんな道を選んでいったらいいのだろう。結局自分の好きな道を選んで、歩いていけばいいのだろうけど、自分がいったい、何を望んでいるのかっていうこと、なかなか分からないものだなーって、思う。
2006/06/08
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GW中に、夫の田舎の親戚が倒れたので、夫と両親は急きょ田舎に帰ることに。私だけが北京の家でお留守番。夜、お腹がすいたので、アパートの6階から1階に降りたのだが、このアパートの階段の電灯は、音がすると自動的に明かりがつく仕組み。ところがこの電灯、なかなか反応が鈍く、真っ暗な中、階段を下りるとき、恐怖で心がいっぱいになった。こんなところ、一人では絶対に住めない。怖いよ、ほんと。やさしい両親、夫がいたからこそ、こわいと思ったこともなかったけど、誰もいない暗いアパートに一人取り残されたら、本当に心細い。1階のドアを開けると、犬のホアンホアンが飛び出てきた。ずっと皆の帰りを待っていたらしい。シーンと静まり返った部屋の中、ホアンホアンと二人で、みんなの帰りを待つ。頭の中に、いろんなことが浮かんでは消える。いつもやさしさに包まれて暮らしていたこと。人の温かさ、生活感。改めて、人ってひとりでは生きていけないものだなーってしみじみと思った。人は、人と人とのかかわりの中で生きている。感謝の気持ちとともに、自分を振り返ってちょっと反省モード。もっと真摯に生きなければ、って思う。
2006/05/14
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大学を出て以来、いろんな仕事をしたけど、日本語教師の職を選んだことがひとつの分岐点だったな、と思う。日本語教師になったから、中国で仕事ができたし、中国人の夫も見つかった。そして思うのは、日本語教師は技術職、手に職系だということ。中国に来て、日本円も稼げなくなって、でもなんとなく、心安らかに暮らせるのは、いざとなったら、家で小さな日本語教室でも開いて、その辺の中国人に日本語を教えれば、最低限、なんとか食べていける、という心の支えがあるから。「包丁一本、さらしに巻いて」の気分。日本語教師なら、教科書一冊、かばんに入れて、かな。日本で日本語教師は、食べて行きにくい職業のひとつだが、中国では、ぜいたくを言わなければ、職にありつけるし、なんとか生きていける。しかも、日本語を教えるということは、私にとってかなり楽しい、好きな仕事のひとつなのだ。そんなにお金は稼げないけど、食べていける収入がもらえて、楽しく暮らせるならいいじゃないか、という気持ちが心のどこかにある。私はもともと楽観的な性格。もちろんお金はあったほうがいいが、ないならないなりに、幸せに暮らせる自信が、私にはある。仕事のために、日々の幸せ感を失いたくない。・・・これって何よりぜいたくな考え方かも。なーんて思いながら、日々仕事に追われる最近のつばめなのでした。
2006/04/26
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好きなこと、お散歩。裏通りをブラブラ歩くと、たくさんの発見があり、楽しい気分になれる。商店街、細道が好き。なぜか八百屋や果物屋を覗くのが好き。人の生活感あふれる町が好き。絵や美術品を見て歩くのが好き。ピアノ。日本のうちにあるピアノはもう弾く人がいないということで売り払われてしまった。中国でも、ピアノを見るたびに触ってみたくなる。夫は、「家を改装したら、買ってあげる」って言ってるけど。。。好きな音楽は、ジャズかな。流行歌ってあんまり聴かない。っていうか、音楽自体あまり聴かないほうなんだけど、あえて聴くなら、ジャズとかのほうがくつろげる気がする。音楽を聴きながら、テレビを聞きながら何かをするってことは、あまりない。対して夫は、いつもうちでテレビをつけて仕事をする。寝るときもテレビが子守唄代わり。私は考え事をするとき、本を読むとき、勉強するとき、テレビも音楽もない、静かな沈黙がほしい。そのほうが集中できるのだ。だから夫のテレビ好きには、ときどきイライラ。他に好きなもの。劇とかミュージカルが好き。家で音楽は聴かないけど、音楽会、演奏会は好き。クラシックも好きです。高校時代、ブラスバンドでクラリネットを吹いていたので、楽器系の演奏会も好きですね。オーケストラも。でも、ピアノの演奏会とか、寝ちゃうことも多い(笑)。あと、好きなもの。夫、かな。これも一応リストに入れとかないとね。
2006/04/26
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天津から北京に戻る途中、日本からの電話が入った。妹からの電話。今日は実家に遊びに来ているらしい。途中でかわいい声がすると思ったら、妹の子供「こうちゃん」の声。2歳3ヶ月になるこの甥っ子、今では一丁前に言葉もずいぶん話す。「こうちゃん、おばちゃんのこと覚えてる?」と聞くと、「覚えてる」って。ほんとかな。他にも脈絡なくしゃべっていたけど、「ブログ見てるえ~」って言ったので、びっくりした。2歳の子供がブログなんて言葉、使うとは思わなかった。意味を分かって言ってるのか分からないけど、いろんなことをしゃべるのでおもしろい。それにしても。夫と結婚した2年前、この子はまだ2ヶ月ぐらいだった。それが2年でこんなにペラペラ言葉を話すようになるなんて。うちの夫なんて、2年たった今も、日本語は全然ダメ。完全にこうちゃんに追い抜かされている。それに子供は、方言を話すのでおもしろい。私もこうちゃんには方言で話したが、こうちゃんは全部理解していた模様。これが日本語を勉強している外国人学生だったら、無理だね。さすがこうちゃん。脈絡はなかったけどね。子供って、ほんと人を癒す力がある。こうちゃんの声を聞いただけで、仕事の疲れがずっと軽くなった気がした。これが親だともっとそうなんだろうな。私も年をとったものだと思う。天津の街並み。天津は、小さい北京のような赴きもあるが、青島のドイツ風建物に似た感じの、古い洋風の建物がたくさん立ち並ぶ通りもあって、興味をそそられた。タクシーは初乗り5元と中国最安水準。経済発展はまだまだこれからのようだ。↓
2006/04/25
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今日、家でテレビを見ていたら、アメリカで成功した中国人女性のインタビューをやっていた。お腹をすかせた子供を抱えて米国に渡った彼女、なりふり構わず働くうちにレストランの経営者に。ところがある日、ヤクザがレストランに乗り込んできた。経営者である彼女にとりすがる従業員。本当は怖くて仕方なかったが、義務感から「大丈夫、私がいるから」と従業員を落ち着かせ、無事店を守った彼女。「女性が泣く時は、そばに守ってくれる男性が いるから。自分で責任を負わなくてはならない 状況になれば、女性は泣かない。 女性も一人前に物事に対処できるのだ」りんとした彼女の言葉が胸にしみた。守ってもらうのではなく、自分が誰かを守らなければならない立場になったとき、人は強くなれるのかもしれない。↓大連の冬の海。
2006/01/15
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午後1時過ぎに日本を出発した飛行機は、中国時間の午後3時前に大連に到着。時差が1時間あるので、実質的には約2時間半のフライトだ。出口を出ると、夫が待っていてくれた。一緒に帰宅。なにもかも順調で、ほっとした。おっちょこちょいなつばめは、一度空港でパソコンやら貴重品一式が入ったかばんをなくしたことがあるので、いつも1,2,3と何回も荷物を確認しないと安心できない。変な客引きタクシーに乗って、トラブルに巻き込まれたことなどをトラウマのように思い出すが、夫がいれば大丈夫だ。うちに帰ってゆっくり休む。夫も疲れているので、とにかく寝る、寝る。家の中もむちゃくちゃだけど、明日片付けよう。では皆様、おやすみなさ~い。
2006/01/07
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今日の午後1時過ぎの飛行機で大連へ。・・・にもかかわらず、往生際の悪い私は、ギリギリまで用事を入れてバタバタ。またまた両親にも迷惑をかけてしまった。本当は昨日行こうと思っていたのだが、先立つもの(お金!)を使い果たしてしまったため、行けなかった歯医者。今日の午前中に行きました。歯のチェックは日本でしたほうがいい気がするので。本当は帰国中に病院で身体検査もしようと思っていたが、病院の正月休みとつばめの日程を考えるとかなり無理があるため、あきらめた。歯医者が終わったあとは、最終の買出しへ。会社に持っていく菓子折りなどを買い込んで、帰ると11時もとっくに過ぎていた。父が車で空港まで送ってくれることになっていたのに、大幅遅刻。あーあ、いつもギリギリで動くのはやめようと思うのに、ついやってしまう。私の悪い行動パターンだ。時間がないなら、歯医者もあきらめて、最後ぐらい家族とゆっくり過ごせばいいのに、それができない。。。あきらめが悪いタチなのだろう。それとも欲張り?親にあきれられつつ空港へ。欲張って荷物をたくさん抱えていたため、オーバーウエイトで超過料金を取られてしまった。ハハハ、元も子もないね。後で夫に言ったら、バカなつばめ、って笑われた。皆様、中国南方航空に搭乗の際はご注意を!機内持ち込みの荷物の大きさや重量もチェックされますよ~。チェックインの後、手荷物検査場へ。近くに、親に見送られて涙をぽろぽろ流す女の子が。あー、こんな人もいるんだなあ。私はなぜか涙も出ない。感情が希薄なのかな。まぁ、全然外国へ行くという気もしないしね~。ともかく無事検査も終わり、飛行機へ乗り込んだ。最後の日本記念に、本を一冊購入。これでしばらく楽しめるね。今回ほとんど友人には会えなかったけど、今度は事前にちゃんと連絡するので、皆様、ぜひ遊んでやってくださいね。ではでは、母国日本よ、さようなら!また来るので待っていてね。
2006/01/07
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今日は友人とイタリア料理のお店へ。サラダと前菜盛り合わせ、そしてパスタ。食後にデザートとエスプレッソをいただいた。しあわせ~♪中国ではなかなか食べられないからね。うれしいです。午後はアウトレットモールでお買い物。これも日本での楽しみですよね。服は中国のデパートで買うよりも、日本のアウトレットで買ったほうが値段も変わらないし、いいような気がする。そして、駅までの道をぶらぶら歩き。実はこの辺は高校時代よくうろうろしていた庭。商店街を歩くとなつかしいお店があちこちに。クラブの友達とよく集っておしゃべりした喫茶店、お好み焼きの店・・・。なにも変わっていない。10年以上経つのに、町並みは高校時代のときのまま。まるで昔にタイムスリップしたかのよう。懐かしさがこみ上げるとともに、半年1年見ないと、どこか分からないぐらいの変化がある中国の町並みの変化の激しさを思った。この街は10年以上前にもう成熟していたから、変化が感じられないのかな。高度成長期にある中国から戻ってきた目で見ると、ほんと、時が止まってしまったかのように感じられた。「変化がないのはまだいいほうなんだよ、 維持するだけでも大変なんだから・・・。」商売をしているうちの両親はそう言う。景気がよくなってきているとはいえ、成熟しきってしまった社会の閉塞感のようなものを感じた。もちろん、発展途上の中国社会はひずみや矛盾も多いし、それはそれで大変だけど、若さとパワーがあふれている。あと20年ぐらいは上り基調のような気がする。なじみのケーキ屋、よく通った本屋・・・見慣れた風景の中を歩きながら、いろんなことが頭をよぎったのでした。↓ふるさとの町並み。心和む風景。
2006/01/04
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昨年4月に中国に行って以来、約9ヶ月ぶりの日本の空気。なんだかとっても新鮮だ。異国じゃないんだけど、なんか不思議な感じだ。町全体がおもちゃみたい。何もかもが小作りで、整っている。緑も人工的に植えられ、町に土の見えるところがほとんどなく、道路も全てきれいに舗装されていて、まるで近未来にタイムスリップしたみたいだ。そういう見かけ以上に、日本のシステムは正確で整っている。そういうところも星新一の小説に出てくるような、機械的な未来生活を想像させる。ピッと押したらパッとなる、みたいな便利な社会。そして思ったのは、日本の女の子はかわいくておしゃれ。中国にもハッとするようなかわいい子はたくさんいるけど、日本は平均値が高いと思う。テレビ見てても、あーみんなかわいいな、って感心しながら見てました。日本を離れ、いろんな情報から遮断された状態だったので、久しぶりに日本に戻ると、テレビCMにさえもわくわくしてしまう。日本にいると当たり前になってるものが、実は日本の「今」の空気をつかむ貴重な情報源だったりするのだ。やっぱりその場にいないと分からない時代の空気ってあるのだと思う。紅白歌合戦、もちろん目を皿のようにして見ますよ。これで今年1年をおさらいしておかないとね。初出場の歌手なんて、知らない人多いものね。日本にいると紅白歌合戦なんて見向きもしなかった人が、海外に出ると、年末ホテルに泊まりこんでまで、紅白を見るようになるんですよ(笑)。さて、まずは新聞チェック、と・・・ああ、日本は楽しいな。
2005/12/30
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大連から2時間半のフライトで、無事日本に到着。久々の日本。荷物も揃い、さあ出口へ。・・・とその前に、家に電話しなくちゃ。電話機を見つけ、お金を取り出そうとしたところ・・・。ああ!おっちょこちょいなつばめ、またしてもすごいミスをしてしまった。今回はパスポートもちゃんと持って来たのに、お金を持ってくるのを忘れていた。財布の中身は全部中国元だ。日本円は一銭も持っていない。思わず、さーっと血の気が引いた。家に電話もできない。うちまで帰る電車賃もない。どうしよう。。。とりあえず、出口出てから冷静になって考えようと思って、外に出たところ、ほっ。見慣れた両親の顔がどれほどあったかく見えたことか。飛行機到着時刻に合わせて、つばめを迎えに来てくれていた。お父さん、お母さん、ありがとう♪かくして無事、家にたどり着いたつばめであった。あーよかった。
2005/12/29
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大連空港でチェックインをすませ、出国手続きカウンターに行くと、なにやらすごい声が。何事かと思いきや、これが日本語で、「私言葉も分からないんだから!・・・言ってるでしょ!」とすごい剣幕で怒鳴り散らすおばさんの声だった。それを静かになだめる数名の中国人職員。どういう内容でもめているのか分からなかったが、どんな事情にせよ、大声で怒鳴り散らすというのはいただけない。日本人の品格が疑われる。周りの中国人はどう思っただろう。。。そのうち日本語が話せる女性中国人職員が出てきて、興奮状態のおばさんを上手になだめつつ、カウンターのほうへ連れて行った。さすが対応が慣れている。あんな日本人、結構いるのかな。外国に来て言葉が分からないのは仕方がないと思う。でも、それで日本語で怒鳴って通ると思うのはちょっと違うのでは?相手が日本語で対応して当然というような態度は、ちょっとごう慢にも見えた。それにちょっと中国を見下している気持ちがあるのではないだろうか。これがアメリカかヨーロッパのどこかの空港だったら、おばさんはあんなふうに日本語で怒鳴り散らしたりしただろうか。(あのおばさんはどこでもああなのかもしれないけどね・・・)人のふり見てわがふり直せ、私はああいう風にはなるまい、と自分に言い聞かせた一件だった。
2005/12/29
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久しぶりの予定のない休日。実は今日も、開発区の友人宅を訪問する予定があったのだが、体調が優れないので、事前にキャンセルしたのだ。先々週末は丹東旅行、先週末は社内旅行と、ここ数週間、ゆっくり休んでいなかったので、ちょっと休養することにした。ゆっくり起きて、テレビをつけると「天下父母」という番組をやっていた。スタジオに毎回、いろんな親子がやってきて、司会がいろいろ彼らの家庭ドラマをインタビューする番組。私はこういうのを見ると、いつも感動して泣いてしまう。そう、私は結構泣き虫である。今日は、一家4人のうち3人が重度障害者の家庭で、ひとりで3人の世話をしている父と、その息子の話だった。息子も重度障害者なのだが、生きている意味を見いだせなくなり、自殺を図ったとき、父が必死で救ってくれた。実は父といっても、この二人は本当の血のつながりもないそうである。インタビューの中で、息子は「生きることは耐え忍ぶことだ」と言っていた。20年間、母と妻、そして息子の世話に明け暮れた父は、「生きることの意味なんて難しいこと、考えたことがない」と。このように生きることの根本を問うてみると、はっきり答えられる人が、果たして何人いるのだろうか。なぜ、人は生きるのか。仕事で成功するため?人生楽しむため?彼には、それのどちらもない。彼は生きることがつらいのだという。ではなぜ、つらい思いまでして生き続けるのか。彼の答えは「愛」。自殺を図ったとき、父が必死で救ってくれたのを見て、考えが変わったようだ。人は、だれかに真剣に必要とされているという実感があるからこそ、生きていられる動物なのではないだろうか。仕事で必要とされているというのも、生きがいのひとつにはなりうるだろうが、人から自分の全存在を必要とされているというのは、根源的な生きる力になる。人はひとりで生きているのではなくて、だれかのために生きていて、生かされているのだなあ。彼らの話から、そういう人間の根本にあるものを考えさせられた。障害者でもなく、特に困難な立場にもない私は、彼のように、生きることがつらくて仕方がないというような厳しい状況にはないので、かえって、大切なものが見えにくくなっている気がする。夫婦愛、家族愛、友人愛、いろんな愛の形があるけど、自分を本当に必要としてくれる人の存在を感じ、自分が本当に大切にしたい人を心に抱いている人は幸せな人なのだと思う。
2005/11/12
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今日、同じ会社の日本人達と偶然会って食事。みんな色々大変そう。そんな部署に入らず、いきなり人事やトレーニング部にきちゃった私って、苦労知らずなんだろうなあ。それにみんな若い。いつのまにか処世術というか、やりたくないことはうまくすりぬけるすべを身につけてしまった自分を感じるひととき。さて、うちに帰ったら荷物が届いていた。日本からの荷物。冬物衣類や雑貨の中に、日本のお菓子も入ってる。私は中国にいても、日本の食べ物が恋しくなるタイプではないのだけど、母がいろいろ考えて入れてくれたのだろうなーって、心があったかくなった。こういうとき、ちょっと親が恋しくなる。昔はぜーんぜんそういうこと、思ったこともなかったのに、年とともに、そういう感性って芽生えてくるものなのだろうか。親心って本当にありがたい。
2005/10/25
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大阪で日本語教師養成学校に通っていたときの友達から、久しぶりにメールが来た。彼女はアメリカ人(だったかな?)のダーリンと結婚して、アメリカに住んでいるのだが、今回は妊娠のご報告。幸せいっぱいって感じでいいなあ。旦那さんは彼女の妊娠を聞いて、踊り狂ったらしい(笑)。それにしても、世間にはいろんな夫婦の形があるけど、それぞれに自分に合ったオンリーワンの人に出会って、幸せな毎日を送ってるんだなーって、ちょっと不思議な感じ。私は結婚する前、結婚って人生の墓場とか聞くし、いろいろ我慢しなければならないことも多くて、大変そうだなーってイメージがあった。ずーっと一緒にいて、飽きないのかなあ、なんて不謹慎なことも考えたり。でもでも、周りのご夫婦を見てても、素敵なカップルが多くて、何年たってもラブラブに見える。私も1年半たったけど、とりあえず夫に飽きることはないし。慣れるってことはあるかな(笑)。彼に出会って初めて味わった感情もあるし、結婚する幸せってこんななんだーって、結婚して初めて実感したこともある。でも子供を授かるって、またこの上ない喜びなんだろうな。妊婦さんって、幸せがあふれてる気がするもん。友達の妊娠報告から、いろいろ考えた一日でした。
2005/10/24
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最近、仕事が忙しくなってきて、時間通り帰れない。会社を出ると、もう外は暗くなってるので、全然気分も乗らない。あーあ、残業、やだなあ。したくない。残業のせいで、風そよぐ夕暮れの大連をお散歩する幸せが奪われるなんて、人生ひとつ損した気分だよ。こんなこと考えてしまう私は、ほんと仕事体質じゃないのかも。。。人事部のKさんは、「まだ5時半だよ、こんなときに帰るなんてね」ってな感じで仕事してる。私なんて、5時ごろから、あと何分って数えてるよ。トレーニング部のIさんは昨日寝ないで資料作ってヘロヘロ。みんなそこまでして、仕事するのはなぜ?ま、仕事すればするほど、仕事がおもしろくなってくるんだろうな。Rさんは、仕事を頼んでるIT部門の中国人たちが、忙しい忙しいって言ってるくせに、5時半に帰るなんて信じられないって怒ってる。まあ、仕事があるのに帰っちゃうんだから、責任感はないと言えるけど、5時半過ぎてサービス残業やる責任もないのだ。それに比べて日本人ってほんとに責任感強いと思う。で、連日残業。残業したくなるような仕事っていうのが、自分にあった仕事ってことなのかな。私はけっこう分析魔だから、中国人の日本語聞いて自由に分析していいって言われたら、残業するかも。。。みなさんは楽しくお仕事してますか。
2005/08/16
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12日から二夜連続で戦争にまつわる話題、この際ですから、今日はもう1日。12日に、にわか愛国主義者になったいきさつ、13日に、靖国問題に対する考え方が変わったきっかけを書いたが、実は、こういう一連の問題に対する姿勢が変わったきっかけというのがもうひとつある。それは、ウルムチで夫の同僚と話したこと。それ以来、もうこういう話題はいいやって気になった。2005年春、北京などでは反日デモが繰り広げられていた。そのころ、私はウルムチにいたが、北京から遊びに来た夫の同僚が、私に政治問題について話題を持ちかけてきたのだ。日本の考え方を知ってほしくて、日本の首相が靖国を参拝する理由や歴史教科書問題や愛国心について、つたない中国語で一生懸命話した。だが、結果は・・・彼女はそんな話、聞きたくもなかったのだ。あなたも他の日本人と同じ思想なのね、って目を向ける彼女。分かり合いたくて一生懸命話をしたつもりが、なんだか逆効果に。むなしい気分だけが残った。そこから学んだことは、真っ向から正論戦わせても、分かり合うという点では、あんまり意味がないんじゃないかということ。自分の国の主張は分かってもらいたい、でも相手の話はあんまり聞きたくないってことで、お互い溝を確認しあうだけになってしまう場合もあるのだ。分かろうという姿勢を保つことができればいいが、つい「分かってもらいたい」って、自分の国の立場でものを言いたくなる。そんな話しなければ、普通に友達として付き合って、あー日本人っていいところもあるな、って思ってくれる機会もあったかもしれないのに、最初に食い違っちゃうともうお互い気持ち的に拒否しちゃうっていうか。それよりも、もっとたくさんの日本人が中国に来て、生の中国や中国人に触れることや、中国人が日本のドラマや歌などから日本についていろいろ知ったりすること、そういうところから、お互い親近感も生まれるし、もっと人と人とのかかわりあいの中から、理解や友好って生まれてくるのではないかなって最近思う。日本人が中国のことを悪くいったら、必死になって中国の弁護をし、中国人が日本のこと悪くいったら、一生懸命日本の立場を説明したくなる私。最近は、もうどっちもどっちだって思う。どっちの言うことも正しい部分もあるし、ちょっとなーって思うところもあるのだ。みんな自分の国がかわいいから、自分の国の立場でものを言う。今までは、そういうことを議論するのが好きだった私。夫の友人との一件があって以来、こういう問題について、積極的に話すことはなくなった。以前はしょっちゅう夫にもこういう話題を振っていたのだが、今はもう全然。「国と個人とは別」と冷静に言い放った夫の考えがけっこう現実的なのでは、なんて今思っている。自分の国と夫の国。日本も中国も、どっちも好きでいたいし、私自身は国にとらわれるより、もっと身近な生活を大切にしたい。
2005/08/14
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今日は首相の靖国参拝について、私の意見が変わったきっかけについて書こうと思う。ある日、夫とテレビを見ていると、戦争時代の日本軍が悪いことをしている映像が。わたしは夫に「なんで戦後60年にもなって、いつまでもこんな日本軍の 悪徳をあえて喧伝するような映像を流すわけ?」って、夫に抗議。いつもはこういうことに対して、あまり口を開かない夫が、このときには一言。「日本が戦争時代のことを反省しないからだ」と静かに言う。「日本は何度も謝罪してるよ、まだ謝罪が足りないっていうの」「謝罪しても、すぐ態度が変わるから、中国人はみんな不安だ」「態度が変わるって?」「首相が靖国神社を訪問したり、歴史教科書とか・・・」そこから戦争についての話になった。最初は、首相が靖国神社を訪問する理由だとか、歴史捏造教科書っていうけど、新聞にそう書いてあるからそう信じ込んでるだけで、あなたもその教科書読んだわけじゃないんでしょ?とか、日本を擁護していた私。夫と731部隊についての話になったとき、気持ちに変化が起こった。今まで教科書などで習って知ってはいたが、改めて夫と話して、夫の親類が、友人が、おそろしい人体実験の犠牲になったかもしれなかったのだということを想像したとき、日本軍がやったことのむごさというのが、急に実感として感じられた。実際に被害を受けた人の気持ちになって考えた場合、日本側にどんな理由があったとしても、首相の靖国参拝は、すべきではない、と考えが変わった。日本は謝罪した、っていうけど、本当に被害者にすまないという気持ちを持っているのなら、被害者の気持ちを最優先して、靖国参拝を取りやめることぐらい当然ではないか、と思った。日本は神道の国で、死んだらみな英霊だ、とか、A級戦犯は、裁判の仕方がおかしかったから、本当は戦犯でない人も裁かれた、とか、戦後、歴代首相は靖国を参拝していて、そのときは何も問題なかったのに、今外国から圧力をかけられて、それを断念するのは内政干渉だ、とか日本の言い分もいろいろあるが、それらの理由は、被害者の国の方の気持ちに優先するものではないと思う。死んで靖国に戻る、といって散っていった日本の若者の命を思うとき、国としてその魂を弔いたいという日本の立場も分からないでもないが、やっぱり日本は加害者なのだ。被害者の国の人の気持ちよりも、日本の立場を優先して主張すれば、これまで何度も謝罪を繰り返してきた日本の誠意が疑われてしまうだろうと感じた。今まで中国との摩擦を避けるために靖国参拝を見送ってきた何代かの首相達の後に突如として出てきた変り種、小泉首相。今まで中国の顔色をうかがい、言いたいことも言えなかったところへ、いきなり日本の立場をはっきり主張する首相が現れて、日本人として、今までの鬱屈した気持ちが晴れるような気になったのも確かだ。はっきりものをいう小泉首相のことだ。靖国問題に対してはやや意地になってる感もあるが、「被害国の国民感情に考慮して、今後靖国神社参拝は行わない」とはっきり発表すれば、今までのあやふやな日中関係に終止符を打ち、新たなステージへと一歩踏み出せるのではないかと思う。長くなりましたが、私の考えが変わったきっかけでした。
2005/08/13
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この間、ラジオ番組で、終戦60周年にあたり、盧溝橋にある人民抗日戦争記念館についてのインタビューを受けて、改めていろいろ考えさせられた。小さい頃から受けてきた教育の影響もあって、愛国精神なんて言葉、私の頭には全く存在しなかった。戦争の反動で、日本では「愛国」って言葉が悪みたいに捉えられて、国歌も歌わせないぐらいだったし、日の丸(国旗)は軍国主義の象徴だとかでもめてたり、ともかく、自分の国を誇りに思えるような教育を全くといいほど受けてこなかったように思う。で、戦争のこともあって、私は以前は中国や中国人に対して、申し訳ないという気持ちを持っていた。とりあえず、日本が悪いし、あやまらないといけないという感じで、なんか戦争のことを持ち出されたら頭が上がらないっていうか、何も言い訳できませんっていう気持ち。中国人と戦争の話になるのが怖かった。それが、中国と色々かかわるようになって、変わった。外国に来てはじめて、私はやっぱり日本人だって再認識したし、中国が中国の立場で物を述べるのに接するうちに、日本にも日本の立場があるって気になってきて、気がつけば、にわか愛国主義者に(笑)。気持ちは、「中国人と色々話して、日本の立場も 彼らに分かってもらいたい。」今までは避けてた政治的話題が結構好きになり、中国人の友人とも戦争問題について話したり、夫にも、日中関係について、わざといろんな話題を振ったり。中国人がそういう問題に対して、どのように思っているかということもすごく知りたかった。夫の政治的信条が知りたくて、「日本人の感覚では台湾は独立した国に見えるよ」とか「中国は大きすぎるから、独立したいっていう地域は 独立させたほうがいいんじゃない」とか、夫が怒りそうなことを色々言ったりもしてみた。夫は私よりずっと冷静で、どれに対しても怒ることはなく、「個人と国とは別だから」って、とってもクール。でも、今になって、その態度が一番賢いのではって私は思っている。そんな私の態度に変化をもたらすきっかけが。続きは明日。
2005/08/12
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中国の日常生活を書きたいな~と思ってブログを始めたのだけど、大連に来てから仕事の話ばかりになってしまいました。北京で暇生活してるときは、毎日の生活にいろんな気づきがあったのですが、仕事で忙しくなって、道端に咲いてる花に喜びを感じるような感性が、どっかいっちゃった感じ。やっぱりある程度余裕がないと、毎日の生活のちょっとした幸せ感って、なかなか感じられないものなのかも。今は急に仕事の緊張感の中にほうりこまれて、気持ちに余裕がなくて。。。頭が仕事のことでいっぱいです。慣れたらこれが普通になるのかな。仕事もいいけど、やっぱり生活を楽しめる心のゆとりは持っていたいな。北京でお母さんとぼーっと扇風機当たったり、スイカ食べながらおしゃべりしてたスローな日々がちょっとなつかしいよ。大連にもうちょっと慣れたら、こちらでの日常生活も紹介していきたいと思います。
2005/07/13
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