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中国のカレンダーでは5月1~5日がGWとなっていますが、GW前からすでにテレビ三昧のわたし。朝7時NHKニュースを見て、その後、朝ドラを見て、続けてあさイチを見ていたら、門脇麦ちゃんがゲストで出ていました。かわいくて、個性的で、しっかり自分を持ってて素敵な俳優さんだなと思いました。そういえば、数年前の朝ドラ「まれ」では主人公の友人役でいい雰囲気出してましたね!そしてその門脇麦が土曜日のEテレ「こころの時代」でナレーションをするというので、見てみることにしました。麦ちゃんがナレーションを担当するのは、NHK Eテレ、「こころの時代~宗教・人生~ ヴィクトール・フランクルそれでも人生には意味がある」全6回シリーズ。第1回 4月21日(日)朝5時~ 再放送4/27(土)午後1時~第2回 5月19日(日)朝5時~ 再放送5/25(土)午後1時~第3回 6月16日(日)朝5時~ 再放送6/22(土)午後1時~第4回 7月21日(日)朝5時~ 再放送7/27(土)午後1時~第5回 8月18日(日)朝5時~ 再放送8/24(土)午後1時~第6回 9月15日(日)朝5時~ 再放送9/21(土)午後1時~麦ちゃんがなんでこんな番組のナレーションを?と意外に思うかもしれませんが、麦ちゃんはお父さんの影響でいろんな本を読んでいて、あさイチでの話によると、フランクルの「夜と霧」が人生のバイブルといえるほどの愛読書なんだそう。へーーーーー。そして見た第1回。フランクルは、あの有名な心理学者フロイトやアドラーに師事した心理学者で、「ロゴセラピー」の提唱者。「ロゴス」とはギリシア語で、「意味」ということだそうです。ユダヤ人の精神科医フランクルは、ナチス・ドイツの支配下で暴行を受けたり、精神を病んだユダヤ人を数多く診察。わたしが一番印象的だったのは、強制収容所行きが決まって、自殺未遂を起こしたユダヤ人同胞を診察して自殺から救い、救われた人たちは収容所へ送られていった。それをそばで見ていた助手が、「なぜ彼らを救うのか」とフランクルを責めたが、ほどなくして、その助手も強制収容所へ送られることに。助手は自殺未遂を起こしてフランクルのもとに来て救われ、その後収容所へ送られていった。この一連のエピソードに強く心をゆさぶられた。そんなフランクルは4歳の頃に「自分もいつかは死ななければならない」ということに気づいて震撼。それ以来、彼がずっと考え続けてきたことは、「人生には生きる意味があるのか」という問い。どんな人生にも生きる意味がある、それがフランクルが提唱したロゴセラピーを貫く考え方。「生きる意味がある。」収容所送りが決まって絶望し、自殺しようとしたユダヤの人々と緊迫度は全く違いますが、突如としてわが身を振り返り、家事も育児も仕事もちゃんとできず、何も成し遂げていないように思えるこんなわたしの人生にも、意味があるんだ。そう思ったとたん、なにか救われたような気持ちになった。わたしの人生にふりかかる困難、問題、数々の失敗や挫折、失意、焦りや不安、これらはぜんぶ、わたしの人生を彩るエッセンスなのだ。起こることすべてに意味があるんだ、だから、それを味わうことが人生なんだな、そんなふうに思うと、なにか力が湧いてくるような気がしました。意味があなたに問いかけてくるわたしは心理学をきちんと勉強したことはありませんが、フランクルが提唱したロゴセラピーについてもっと知りたくなりました。人間には身体と心以外に、そのもうひとつ上に精神次元がある。精神とは愛する能力だ。「意味への意志」が満たされた時に人間は非常に強い充実感、喜びを感じる。日本ロゴセラピスト協会会長の勝田茅生さんのそんな解説にも心惹きつけられました。この日曜日には第2回が放映されると思って楽しみにしていたのですが、このシリーズ、月1回の放送なんですね。次回はついに、フランクル自身が強制収容所送りに。死と絶望に満ちた収容所の中でフランクルは何を考え、どう行動するのでしょうか。来月が待ち遠しいです。次回記事、車がパンクし、初対面の女性と語り合うにつづく。
2024/04/25
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9.18といえば、知らない中国人はいないと言っていいほど特別な日だ。わたしにとっても、はじめてこのブログが大炎上した記念日。16年間ブログを書いてきて、炎上したのは、後にも先にもこれ1回だけだ。2012年は尖閣諸島にまつわるあれこれがあって、日中関係は非常に緊迫しており、わたしは北京でふたりの幼子を抱え、外で日本語を話すのも身の危険を感じるようなピリピリした空気の中で暮らしていた。そんななか迎えた9月18日。夜、「何事もなくてよかった」とほっとした気持ちになった後、ふと、わたしは一日、まるで被害者のような意識で過ごし、おそらく多くの日本人も今(2012年)、被害者意識でいっぱいだが、日本人としてせめて9.18が何の日だったかぐらい思い出してもよいのではないか、というようなことを書いた。書いた内容がまずかったのか、言葉遣いが悪かったのか、記事には90件もの否定的コメントがつき、荒れに荒れた。大量コメントがついてから国慶節までの2週間、何度もわたしがブログに書いた意図を説明したが、何を書いてもさらに否定的なコメントで埋め尽くされ、「言葉を尽くしても人と人って分かりあえないことがあるんだな」と悲しく思ったのを覚えている。それ以来、今日まで9年間、9.18についてブログで触れたことはない。でも。人と人はわかりあえないことがたくさんあるけれども、同じ人間という共通の部分にチューニングすると、響き合う一点がある。相手と心を通わせ、笑顔を交わし合う瞬間がある。わたしはそれを信じたい。「人と人はわかりあえる」その気持ちを伝えるために、わたしはブログを書いている。今、わたしはただ、こう問いを発したい。「9.18が何の日だったかを思い出す日本人は どのぐらいいると思いますか? そして、9.18が何の日か思い出す中国人は どのぐらいいると思いますか?」と。
2021/09/18
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昨日「人は自分の失敗から学ばない」と書きましたが、よくよく考えてみると、「人は行動から学ぶ」のではないか。行動することでしか学べないことってたくさんあって(たとえばバドミントンの練習↓)行動することによってはじめて、こういう行動をすると、こういう結果になるのだということを人は学ぶのではないだろうか。はじめての行動は失敗することが多い。その失敗そのものから学ぶというよりも、人は行動することで、行動と結果の因果関係を学ぶのではないか。だから、巷にいう、「失敗はすればするほど学びにつながり、成功につながる」というのも一理ある。そもそも行動しないと失敗しないからだ。最初は行動するたび失敗するのだけれども、行動と失敗の因果関係を数多く体験することで最後には成功する法則を見つけ出す私は子どものバドミントンの練習の様子を見て、そう感じましたが、皆さんはどう思われますか。誰しも失敗して傷つきたくはないけれど、たくさん行動すればするほと、たくさん失敗を味わうことになる。だからといって、行動をやめると成功にはたどりつかない。だから、失敗を恐れず行動しようと励ましの意を込めて、「失敗は成功のもと」と言われたりするのかもしれませんね。実際には、失敗そのものが成功につながるというよりも、失敗にくじけず何度も何度も行動し、チャレンジすることが成功につながる道だということなのだろう。わたしの結論人は自分の失敗から学ばない。けれども、行動と結果の因果関係から学ぶので、失敗を恐れず行動しよう。人は他人の失敗を見て、自分は失敗しないようにとシュミレーションして学ぶことはできる。しかしその後、自分で試してみるという行動をしないかぎり、それは頭の中だけの絵空事であって、実際に行動することによってのみ、それに伴う結果(失敗も、成功も)を得ることができる。学んだだけ、知ってるだけ、ではダメで、それを行動に移してはじめて、結果につながるということは、学んだだけで賢くなったつもりになって満足しがちなわたし自身に常に言い聞かせたい言葉です(笑)。
2021/08/19
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年末に、INP細胞を発見してノーベル賞を受賞した山中伸弥氏の日常を追うドキュメンタリーを見た。臨床医師からどのようにして研究者へと転向したのか、ストイックな研究生活や毎日欠かさず続けているジョギングの様子など、山中氏の日常生活の素顔に迫るものだったが、ノーベル賞まで取りながら、研究に対して、周りに対してあくまでも謙虚な姿勢を垣間見て、本当のプロとはこういうものなのかと深く考えさせられた。ドキュメンタリーの最後、山中氏へのインタビューの中で、「プロフェッショナルとは?」という記者の問いかけに、「プロフェッショナルとは、自分が何も分かっていないということを 分かっていること、そして、それを乗り越えるように ずーっと努力ができること、それがプロだと思っています」と答えていた。プロフェッショナルとは、その道でなんでも知ってるエキスパートなのかと思っていたが、そうではなく、自分がなにも分かっていないということを分かっていることがプロであり、そして、それを乗り越えるようにずーっと努力ができること、それがプロなのだという。つまり、プロとは、その道に取り組む真摯で謙虚な「姿勢」をいうのだということを教えられた。私もプロといえる人になりたい、今はプロとはいえなくても、プロというものを目指していきたいという気持ちが芽生えてきた最近のつばめ。書家の先生、歌手、お笑い芸人など、異業種のプロの方から勉強させていただくことが本当に多いと感じている最近のつばめです。今年は、一流と言われる方の輝きに触れられる機会があれば、迷わず飛び込み、その姿勢を感じ、学びたいと思っています。
2018/01/15
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12月のある日、携帯でニュースを見ていたら、こんな記事が目に入りました。中国人が日本人には絶対言わない日本旅行の意外な本音(ダイヤモンド・オンライン)↑クリックすると記事が開きますその翌日に北京在住の日本人の友人たち数人と食事をする機会があり、この記事が話題になりました。記事に書いてあることは、中国に在住するつばめたちから見ても「そうそう!」と思うことばかりで、うなずくことしきり。「現在の中国人にとって今の日本は、 たくさんある旅行先の一つにすぎない」、確かに、中国の民営企業に勤めるわが夫の同僚たちも、ヨーロッパめぐりや、南国の島のホテルステイなど、行き先は本当に多種多彩です。日本は近くて安い庶民の旅行先のひとつですね。そして、日本人の前では「日本は素晴らしい国ですね」と耳障りのいいことを言ってくれるが、実際はいろいろ思っているという事実。「空港バスの荷物係が“老人”でビックリ 小柄な高齢者だらけの国、日本」なんて、つばめが数年前から日本帰省のたびに感じている印象そのもの。日本人のつばめでもそう感じるのだから、外国人ならより奇特な光景に映っているのは間違いありません。急速に高齢化が進んだ日本の姿に驚いたり、こんな老人になっても働かなければならないのか、老人が大切にされない国だ、と哀れに思ったりするようです。(見る側の勝手な感想で、ご老人自身は仕事に生きがいを 感じているのかもしれませんが、中国人の目にはそう映るということ。 中国は老人や子供にやさしくするのが当然という道徳観念が 広く普及している国です。)「街が小さくて古い インフラが更新されていない国」これも、中国から日本に戻ると、実感しますね。日本の建物は全般的に古く、数十年前から変わっていないイメージ。昭和のノスタルジーなんです。変化の激しい中国から日本に帰ってみれば、まるで時が止まっているようです。あるいは、自分の子供時代にタイムスリップしたかのよう。「日本の一戸建てはとても安い、使用期限のない私有財産なのに。」これも非常に実感ありますね~。うちの夫は、つばめの実家の近所の古い庭付き日本家屋がほしいとほざいております。その他、中国のスケールの大きい観光地に慣れた中国人から見て、日本のご当地自慢の観光地がちゃちく見える、割り勘があまりにも細かすぎる、オンとオフで豹変するビジネスマンにドン引き、男尊女卑がすごい国に見える、コンビニのエロ雑誌はあれ一体何?など、分かる分かると言いたくなる内容。「中国人と見た途端、態度が豹変」これは昨年、空港でつばめ自身も実際に体験しました。空港で働くバイトの老人に、子供の中国パスポートを見せた途端、態度が豹変してものすごくぞんざいな扱いをされ、非常に不愉快な思いをしました。おいおい、こっちは犯罪者じゃないんだからって(笑)。中国人は多かれ少なかれ感じているでしょう。つづく。↓王府井の歩行者天国。 高級デパートや専門店が軒を並べます。 ちょっとシャンゼリゼ通りみたいでしょ(なわけないか)? クリスマスから春節のこの季節、 夕暮れから夜にかけてライトアップがキラキラ輝き、 とてもロマンチックです。IMG_7298 posted by (C)つばめ
2017/12/29
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年末に日本のテレビを入れたが、つばめは平日、朝から夕方まで働いているし、夜は夫が中国のテレビを見るので、日本のテレビは子供が夕方、幼稚園から帰宅後に少し見るだけで、つばめが見る時間はほとんどありません。そんな中、唯一毎日見ているのが、NHKの朝の連続テレビ小説。毎回「マッサン」を見て泣いていたつばめ、「まれ」になってからは面白くなく、「マッサン」を恋しがりつつ、「まれ」を見るのをやめようかどうかと悩みながら1週間ほどが過ぎたある日。子役の「まれ」ちゃんが高校生になった途端、たちまちストーリーが輝き出し、主人公の魅力にぐんぐん魅きつけられて今ではすっかり「まれ」のファンです。夢に向かって目を輝かせている人の魅力というのは、何物にも代えられませんね。「どうしてもあきらめられないのが夢」という言葉を自分にあてはめて考えてみると、啓太や一子のように、どうしてもあきらめられないというような強い夢がなかったから、今まであちこち寄り道してきたのかなぁ~って思えてくる。アラフォーの今になってやっと、「日本語教師が自分の夢、なのかも?」とあいまいながら思ったりしているぐらいだから、高校生の時点で、「どうしてもあきらめられない!」っていう強い思いを抱いている人はそのこと自体が才能だと、私は思う。そして、その夢がかなうかどうかよりも、その思いを持っていること自体が幸せなことだと、私は思う。「まれ」のストーリーに毎回泣いたり笑ったりしながら、私も頑張らなくっちゃ、と元気と勇気をもらっている今日この頃です。↓子供たち、幼稚園が終わる午後5時過ぎから、 いつも教会でお友達と遊んでいます。照片 859 posted by (C)つばめ↓左の帽子をかぶっている子と、ボーダーシャツを着ている子が ふたり目ちゃんのお気に入り。 なぜ好きなのかと聞くと、「かっこいいから」だそうです。 4歳にしてすでに面食いです。照片 856 posted by (C)つばめ↓ふたり目ちゃん、よくみんなに追いかけられて もみくちゃにされています。写真は同じ年少クラスの子供達ですが、 兄のクラスの子たちもよくふたり目ちゃんを追いかけてます。照片 857 posted by (C)つばめ照片 858 posted by (C)つばめ↑ヤモリを見つけ、子供たち大騒ぎ。 つばめは子供に自然の虫などを割合自由に触らせるほうですが、 中国人の親御さんは、「汚い」と言って 触らせない人が結構多いです。 様々な病原菌が蔓延する中国では、 やはり野生の動物や虫などは 触らせないほうが無難なのかもしれません。
2015/04/28
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少し前にUPした日本帰省の感想を書いた「うすくなった、日本」を読んだ方から、「日本は紙おむつも薄いですよ」というコメントをいただきました。そうなのです。パソコンや携帯電話はじめ、紙おむつに至るまで、コンパクト・スリムなデザイン、かつ利便性と高性能を追及しつくした日本製品のすばらしさは、今も世界の認めるところです。しかし、今回つばめが帰省して感じた「うすい・・・」は、そういう利便性や高性能を目指した成果としての薄さではなく、経費節減、資源節約のための「うすさ」。そういう「うすい」ものが増えてきつつある日本の姿を感じました。快適さ、便利さを第一にするのではなく、少々使いにくくても、快適とはいえなくても、限られたお金や資源を大切にし、無駄を省いてエコモードで暮らしていくのが高度成長後の国のあるべき姿なのかもしれません。比して中国。毎年物価がどんどん上昇し、給料も右肩上がりで、国全体も外貨を稼ぎまくってだぶついたお金をどうしようと困っている中国は、いろんな無駄をまき散らしながら毎年8%以上の勢いで高度成長を続けています。ちょっと便利なもの、おいしいものだと日本より高かったりするのですが、それがよく売れていたり、高ければ高いほど売れる数々の贈答品が飛び交っていたり。接待費が使い放題の人もちまたにあふれ、レストランでは食べきれない料理を大盤振る舞いし、会社の領収書を切る人がいっぱい。もともとケチがきらいな国民性のうえに、自分の腹が痛まないとなれば、そうなるのも自明の理でしょう。日本も、高度成長モードの時は、似たようなことがあったのではないでしょうか。より快適に、より便利に、よりよいものを手に入れようと、前を、上を目指して突っ走る中国からエコモードの日本を見ると、高度成長を終え、大人になった国の姿というのはこういうものなのかと妙に感心した今回の日本帰省。中国も将来、高度成長モードを走り切った後は、移行期を経て、エコモードに入るのかどうか知りませんが、あまりに遠すぎて、すぐには実感が湧きません。いずれにしても、故郷日本が、いつまでもたたずまい美しく、中国の未来のお手本になるような国であってほしいと願わずにはいられないつばめなのでした。
2012/02/29
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夫の田舎では、旧暦の7月15日(今年は8月14日)を鬼節といって、先祖の墓参りをし、お墓の前でお札を印刷した紙を燃やします。それで夫と鬼節の話をしていたのですが、ふと、「ねぇ~、つばめが死んだら、河北省の田舎の 土に埋まるの?」と聞いてみると、まだ分からないという答え。もしかしたら北京で墓地を買って、そこに入るかもしれないとの話。河北省の地平線が見える大地の、小さな盛り土の下に埋まっている自分を想像しましたが、どうもしっくりきません。つばめの骨は、中国の土になじまない気がするのです。でも中国の墓地で、他の中国人の幽霊たちと一緒にいるなんて、もっとイヤだな。わたしの骨は、海に流してほしい。わたしは、死んだら海を渡って日本に戻りたいです。こんもりした森に神の住む国、日本。潤いのある空気、湿った土のにおい。その四季折々の自然の美しさを思うと、心が安らぎます。どうせ埋まるなら、そういう日本の土に埋まりたいのです。だけど、考えてみれば墓石の下に押し込められること自体がちょっと・・・。自由に日本や中国、世界を行き来したいのです。それに、日本の土に埋まってたって、夫や子供が参ってくれるわけでないのだと思うと、なんだか孤独。日本は私の故郷だけど、すでに私の居場所はない。そう思うと、心にスーッと風が吹き抜けます。私の骨はやっぱり海に流してほしい。それが一番しっくりきます。海の中で、自然のあらゆるものと溶け合って、わたしは再びあちらの世界に戻るのです。夫と同じお墓で一緒に過ごせないのはさびしいけど、わたしは雨になって、土になって、風になって、いつも夫のそばにいることができます。子供たちがわたしに会いたくなったら、わたしを海に流したところへ行って、手を合わせてくれたらいい。そうだなぁ、子供が望めば、灰の一部を残しておいて、 子供の好きなところに祭ってくれてもいいかな。いや、でも骨壷の中とかに入りたくないから、庭の土とかにまいてくれるのが一番いいな。(子供は庭付きの家に暮らしてないと無理だけど・・・!)あ、夫のお墓が先にあったら、そこにならちょっとだけ入ってもいい。そこにだけ、ちょっと未練があるのです(笑)。死んで風になって、水になって、雨になったら、夫のお墓のあるところにだけ、ちょっと多く降りたいと思います。↓生後125日。フラフラしていた首がやっと座った感じです。
2011/08/15
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ここ数日、尖閣諸島事件について書いてきましたが、「つばめさんは日中関係についてかなり過激に書いているけど、 一体中国人のご家族とどういう風に暮らしていているのですか。 毎日喧嘩して、家庭内離婚寸前になっているのでは?」と心配してくださっている方もいるかもしれませんね。皆さんのご心配や疑問に応えて、ここ数日のつばめ夫婦の様子をリポートします(笑)。9月24日、1階の義父母の家で食卓を囲んでいると、「日本、中国人船長を釈放」というニュースが流れた。思わず、「中国はなんて狡猾なの!日本はなんて間抜けなの!」と叫ぶつばめ。「大きな声で主張したらそれで通るわけ? 中国は釣魚島(尖閣諸島の中国名)は 古来より中国の領土だと毎日声高に叫んでるけど、 古来って具体的にいつからかって、全然説明もないじゃない。 中国が釣魚島を自国領だと言い始めたのは 1968年に海底に豊富な石油や天然ガスがあるようだと 分かった後のことでしょ。 日本政府は1885年から何度も調査に行った結果、 釣魚島が無人島であり、また清国の支配下にもないことを 確認した上で、1895年に日本の領土に組み入れたんだよ。 これは国際法的にも合法と認められてる。 戦後は沖縄の一部としてアメリカの管理下に置かれ、 1972年にアメリカから返還された。 そういう歴史もあるのに中国は歴史を歪曲して 嘘の言いがかりをつけて、あんなに怒って、 中国って国はほーんと超演技派俳優だね!」と一気にまくし立てると、義父はハハハハと高笑いし、キッチンにいた義母は聞こえないふり。夫は、「それと君とは何の関係があるんだ。 受けてきた歴史教育が違うんだよ。」と言った。こういう政治問題について、夫はいつも議論を避ける。自分たちの生活と、そういう政治問題と何の関係もないじゃないか、といつもつばめをいさめるのだ。だけどそんなこと言われても全然納得できないつばめ、義父母の手前、その場はそれ以上追及しなかったが、夫とふたりきりになった時、再びその話題を持ち出した。つづく。
2010/10/04
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10月1日は中国の誕生日、国慶節で、今7連休中です。その話題も書きたいのですが、どうしても尖閣諸島が頭から離れないので、続けて書くことにします。米国務省のクローリー次官補は24日の記者会見で、日本政府が中国人船長を釈放したことについて「適切な決定だ」「問題が解決したことに満足している」と述べたらしい。それを聞いたつばめの感想は、「よく言うよ」。尖閣諸島は沖縄県の一部であり、戦後長らくアメリカの管理下に置かれ、1972年にアメリカから日本に返還された。米管理下にある際に、米軍が軍事訓練場として使用したこともあるというこの島が日本固有の領土であることは、アメリカが一番よく知っているはずである。それなのに、である。今回の事件発生後、日本がアメリカに助けを求めたら、アメリカは、尖閣諸島が日米安全保障条約の対象であることは認めたが、日本を助けてはくれなかった。「尖閣諸島は日本の領土であることは明白であり、 日米安全保障条約の適用対象である。 有事の際には、米軍はいつでも出動する用意がある」と声高らかに中国と世界に対して宣言してくれることを期待したのに、アメリカの声のトーンはそうではなかった。「尖閣諸島は日米安全保障条約の適用対象ではある。 だけどそんなことより、早く船長を釈放して 事態を収拾したらどうだ」と、逆に日本側に折れることを迫ったのである。(アメリカは認めていないが)日本と中国、どちらが正しいかは明白であるのに、日本のほうに譲歩を迫るとは、正義の国アメリカのすることだろうか。アメリカは正義の国でも世界の警察でも何でもない。もし世界の警察だったら、今回の中国の違法な行動に厳しくレッドカードを示し、被害者日本を助けに飛んでくるべきではないだろうか。結局、アメリカの口から出るセリフはすべて自国の利害に基づいて発せられているのだ。「船長の釈放は適切な決定だった」というのは、背後に「アメリカにとって」という言葉が省略されているのだ。だいたい日本は、主権があってないような国だ。中国にこづかれればすぐにひざを屈し、アメリカにこうしろと迫られれば、ああそうかとその通りにしてしまう。いったい日本自身の考えはどこにあるのだろう、と海外各国は不思議に思っているに違いない。それは日本という国の持つ文化に関係しているところもあるように思う。日本人は、「自分だけの利害を考えて物を言うのは図々しいことだ」と考える人が多い。だから自分の考えばかり押し出す人は嫌われる傾向にあり、周りの人みんなのことを考えながら公平な視点で発言する人は歓迎される。そういう文化背景を持っているので、日本は外交面でも、相手国に対して自国の利害を声高に主張することがなんとなくためらわれ、ついあいまいな態度になりがちなのではないだろうか。そして自国がそういう文化を持っているものだから、例えばアメリカのセリフでも、まさか相手が自分の利害のみを考えて発言しているとは思えず、公平な目で状況を考えてアドバイスしてくれているのだとつい善意に考えてしまう傾向があるのではないだろうか。そういう日本の和を重んじ、相手の立場を考えながら発言する文化はおくゆかしくてよいと思うが、外交でそれは通用しないことを肝に銘ずるべきだ。どの国も自国の利害を考えないで発言することはありえなく、たとえ日本が公平や正義を重んじようとする態度で接しても、「日本のこの態度・発言には何か裏があるのか」と逆に勘ぐられたり、「日本はいったい何を考えているのか分からない」と思われるのが落ちなのである。自国の利害を主張し、態度を明確にするところから対話と交流が始まる。それが世界のスタンダードであると思う。お人よしの日本よ、どの国も自分勝手に自国の利害を主張するのが当たり前なのだという現実を受け入れ、他人(他国)のセリフをあまり素直に受けすぎないように気をつけよう。人の言うことに耳を貸さないといえば聞こえは悪いが、他国に何を言われようが、自国は自国の利害に基づいてその立場をしっかり主張し、守るべき権利はしっかり守るべきだ。それが主権国家のあるべき姿だろう。日本は自国の権利を守ることすらおぼつかなく、他国の権利を奪おうなどとは考えもしないと思うが、世界にはそういうことを考える国もあるのだから、気をつけなければならない。やさしい国、日本。あなたのそのつつましさを愛するがゆえに、これ以上国際社会でやられっぱなしにならないように、もっと強くなって、と祈るような気持ちなのである。
2010/10/02
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今回の尖閣諸島沖で事件を起こした中国人船長の保釈については、「このまま行けば戦争になる可能性もあった」等とコメントする政治家もいたところから推測すると、もしかしたら水面下で中国から「船長を保釈しなければ軍事行動に出る」などと脅されていた可能性も考えられる。そう脅されていたとしても、日本はそれに臆してはいけなかった。領土の主権を侵され、軍隊を使って殴り込みをかけるという脅しを受けたなら、日本は当然、自国の防衛のために自衛隊を出動させて自国の安全を確保すべきであろう。いや、それよりもむしろ、中国に軍事行動をにおわされた時点で、「日本の領土領海の主権が侵されそうになっているので、 アメリカに日米保証条約に基づいた 協力行動の準備を依頼する」と発表すれば、中国だってこんなことでアメリカと一戦を交えたくはないだろうから、それだけで十分に中国への大きな抑止力になったはずだ。ただ、このところ日米関係にほころびの兆しがあることを中国は知りすぎるほど知っている。それを見越しての今回の行動なのだ。今回アメリカがどういう行動を取るか、それも中国の注目するところだったのではないだろうか。結果はアメリカは日本の危機を助けるどころか黙殺、ずっと傍観者の立場を崩すことはなかった。東京都知事の石原氏によると、ある新聞記者がモンデール駐日大使に「これ以上緊張が高まって、 (日中間で)大きな紛争が起こったら、 アメリカは日米安保を発動して、 自衛隊と一緒にあそこに出動しますか、 日米安保を発動しますか」と聞いたら、(モンデール駐日大使は)言下に「ノー」と言ったらしい。その発言に石原氏が「こんな馬鹿なことを言っていいのか。 高い金を払って維持している日米安保が 役に立たないんなら辞めちまえ」とかみついたら、モンデールは1週間もしないうちに首になったらしい。この話が本当なら、日米のほころびはかなり危ういところまで行っているのではないだろうか。今回の船長の保釈には、これ以上日中の緊張が高まったらアメリカが軍を派遣する必要に迫られるかもしれない、そんなことして中国と対決するのは真っ平ごめんだ、と考えるアメリカが、「これ以上中国を刺激するな。船長を保釈して事を収めよ」と日本政府に圧力をかけた可能性も考えられる。結果は、中国は鞘を収めるどころか、今度は謝罪と賠償の請求を声高に唱えて自国の主張の正しさを世界にアピール、釈放されたくだんの船長はVサインをしながら、「日本は怖くない、 また釣魚島(尖閣諸島の中国名)に行って漁がしたい」とコメントするなど、日本にとっては屈辱的な結果となった。だけどアメリカにとってそんなことはどうでもいいのだ。とりあえず自分たちが軍隊出動する必要がなくなって、よかったよかった、と思っているのではないだろうか。今回の事件で思ったこと。日本はアメリカの手を離してはならない。日本がアメリカの手を放して、自国だけで本当に自国の安全を守れるのか。日本が軍事力を強化して中国に対抗しようとしても、日本政府より金持ちの中国政府は、日本以上に軍事強化を計るだろう。たとえ日本が核を保有したところで、経済的に中国への依存度がますます増している今、中国と対等に渡り合えるとはとても思えない。やはり日米関係を強化して自国の安全を確保するのが一番得策でないだろうか。日米保証条約を維持している今ですら中国からこんな屈辱的な目に遭わされているのに、アメリカの手を離れて丸腰同然になった日本が中国にどんな目に遭わされるか。ちょっと考えてみるといい。だから日本は決してアメリカの手を離してはならない。自分からアメリカの手を振り切るなどもってのほかで、日米関係よりも米中関係を重視する姿勢を見せつつあるアメリカから手を振りほどかれないように、自国がアメリカにとって同盟を維持するに値する国であり続ける努力をしなければならない。アメリカ親分にお仕えするのもなかなか大変だが、中国の属国になるよりはずっといい。中国と「互恵関係」もいいけれども、自国の安全のためにはまず、アメリカとの「互恵関係」を維持することがより重要なことは言うまでもない。一方、万一アメリカとの関係が悪くなった場合、日本はどうやって自国の安全を維持するのかも、あらかじめ考えておかねばならないだろう。日本は戦後、経済が急速に発展し、大国になったつもりでいたが、実は1億ちょっとの人口がごく小さな領土に住む小国であったことを思い出すべきだ。広大な国土に13億以上の人口を擁し、破竹の勢いで経済発展を続ける巨大な中国やアメリカとは立場が同じであるわけがない。小国は小国なりに、どうやったら生き残れるか、それを真剣に考えなければならない時期に来ていると思う。
2010/09/29
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昨日尖閣諸島問題について書いたが、まだまだ書き足りない思いなので、今日も続けて書きます。尖閣諸島問題、考えれば考えるほどつばめはもどかしい思いが募るばかりだ。自己に都合のよい論理ばかりでっちあげる中国に対する不快感はもちろんだが、それよりなにより、日本の閣僚・官僚のあまりのふがいなさには腹立ちを通り越して、ただ悲しいため息をつくばかり。あの那覇地検の「国民への影響や今後の日中関係を考慮して(船長釈放を)決定した」というセリフは、絶対に言ってはならない失言だった。だいたい、よく考えてみれば日本の領海に不法侵入した中国漁船が100%悪く、日本のほうが対中国制裁を打ち出ししてしかるべきなのに、中国に逆切れされ、声高に日本が100%悪いと責められ、様々な対抗政策を次々と実施され、日本側が「日中関係を考慮して」譲歩した形にみえる船長釈放。沖縄地検のくだんのセリフは、「中国の制裁は日本国民へ多大な影響を与えます、 それに日中関係が悪化して困るのは日本のほうなんです、 中国様、どうぞお許しください」と言ったのと同じである。船長を船と共に即強制送還にしなかったことで中国につけ入る隙を与えた失態、中国の要求に屈して船長を釈放した事実はもう変えられないが、せめて、「日本の検察の法的手続きに一応の区切りがついたので、 船長を釈放する。中国側には二度とこのような問題を起こさないよう 厳重に申し入れる。再度このような問題が起こった場合、 日本はあらゆる対中制裁措置を取るかまえであり、 その一切の結果は中国側が負うべきである」ぐらい言っておれば、少しは格好もついただろうにと思う。自国の主権を犯されておいて、「将来にわたる互恵関係」も「日中関係」もあったものではない。目先のトラブル解決と、原理原則とどっちが大切だと日本の官僚は考えているのか。だいたい、「日中は互いに助け合う戦略的互恵関係を築きましょう」などというセリフは、中国側にしてみればただの外交上の聞こえがいいリップサービスに過ぎず、日本からもらえるものはもらいましょう、とは思っていても、将来にわたって日本と対等な関係を築いていくという気持ちなど中国側はちゃんちゃら持っていないのである。それを真に受けて、「将来の日中の互恵関係のために」などと言って船長を釈放した日本は、中国から見ればただの「馬鹿」にしか見えない。今後も何かあるたびに中国からこづかれ、ゆさぶりをかけられ続ける日本のなさけない姿が目に浮かぶようである。日本よ、それでいいのか。船長釈放後は、中国に「不法な船長拘留に対しての謝罪と損害賠償を求める」とまで言われているのである。そこまで言われて日本は悔しくないのか。「今回中国漁船が日本の領海に不法侵入した事件については、 日中関係を考慮して船長を釈放した。 にもかかわらず、中国が自国の非を認めず、 逆に日本に対して損害賠償まで起こすとは 日本の好意を踏みにじる許しがたい行為である。 日本はこれに対して強烈に抗議し、 日中閣僚級以上会議の無期延期および 中国に対して謝罪と損害賠償を請求する」と、中国に対して怒りを爆発させてもいいのである。いや、怒りを爆発させるべきなのである。でないとますます中国になめられるばかりだ。しかし。前原外相は中国の謝罪と賠償請求に対して「コメントは控えたい」と述べたのみ。実際の日中関係は、すでに対等というより日本が中国に依存する度合いがどんどん強まっている。すでに世界地図は塗り変わっているのである。日本が経済大国として強国であった時代はすでに終わった。中国は日本がなくてもやっていけるが、日本は中国がいないと非常に困る。だからこそ、中国に対してすでに大きな口がきけなくなっている日本。ああ、顔に思いっきり泥を塗られてなお、中国にこびへつらいながら日中関係うんぬんをうたった日本。「船長を即解放せよ、中日関係悪化の 全ての責任は日本がかぶれ」とどなられてその通りにした日本。日本よ、お前にはもうひとかけらのプライドも残っていないのか。今回日本を攻撃してみて、あまりにあっけなく日本が落ちたことに中国のほうがちょっとびっくりしているのではないだろうか。もうちょっと手ごたえがあるかと思ったのにもともと日本ってこんなに弱っちい国だったのか。よし、今後もこづき回してやろう。中国に変な自信をつけさせた今回の事件は、今後の日中外交関係にも影響を与えることだろう。上下関係はすでにはっきりしたのだ。今後も日本は負け続ける。だけど日本よ。プライドまで捨ててしまうな。いくら中国に対して物が言いにくい状況になっているとはいえ、主権を侵されてまで中国に対しておもねるな。そして日本よ。いざという時、中国に対する「切り札」をどれだけ準備できるか日ごろから十分に研究しないと、口先だけの「互恵関係」などありえないことを知ってほしい。外交的実力の釣り合いが取れてこその「互恵関係」、だからやられた時にはやりかえせる実力を身につけるよう努力してほしい。(といっても無理かもしれないが。。。)海外から祖国日本のふがいなさを見るにつけ、切実にそう願わずにはおられないつばめなのである。
2010/09/26
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今回の尖閣諸島(中国名:釣魚島)の問題は完全に日本の敗北で終わりましたね。那覇地検の鈴木次席検事は「船長が故意に船を衝突させたことは明白」としながら、「国民への影響や今後の日中関係を考慮して(船長釈放を)決定した」そうですが、中国は、「強い態度に出れば日本は屈服して言うことを聞く」という教訓を得たのではないでしょうか。今回の事件発生以来、つばめが思っていたのはただひとつ、「中国が今この時期に日本に対して『こと』を起こす理由はなにか」ということ。ここ数年日本に対して比較的友好路線をとってきた中国でしたが、ここへきて何かの理由で路線変更することにしたのか、あるいは今回、日本に対して強硬姿勢をとりたい何か別の理由があるのか。いずれにしても、今回の事件には何か「意図的」なものを感じるつばめです。だって、尖閣諸島が日本との領土問題を抱えていることは近隣の中国漁民も知っているはずで、普通だったら、わざわざトラブルになるのが分かっているところへあえて近づくことはない気がするのです。あの漁船は中国政府の息がかかった船でわざと尖閣諸島に近づいて日本側を挑発し、トラブルを発生させたのではないでしょうか。その後の中国の息の荒さといったらありません。事件発生直後から100%日本が悪いという超強硬姿勢で、毎日日本の対応を批判する記事が紙面を踊り、まるで中国国民の反日感情をあおるかのようです。中国政府は「全中国国民が怒っている」と言っていますが、その国民感情をあおっているのは新聞等のメディアをコントロールしている政府なのです。そして矢継ぎ早の対日制裁実施。日中間の閣僚級以上の会議延期や、中国が世界の生産量の90%を占め、ハイテク技術にかかせない希少金属であるレアアースの日本輸出全面禁止、観光立国を目指し、中国客の増加を期待する日本をあざわらうかのように中国人の日本訪問全面禁止など、日本にとって影響が少なくないことばかり。中国は、「日本は漁船船長を即解放すべき、 でないと日中関係悪化による悪影響の責任は すべて日本がとるべきだ」と声高に叫び、温家宝首相まで出てきて、更なる対抗処置の可能性にまで言及。中国を怒らせたら(←というか自分で火種を起こして怒るチャンスを作ったのだが)どんな目に遭うか思い知らせてやるとでも言わんばかりに日本にゆさぶりをかけているのです。今回の事件で思ったこと。日本ももっとしたたかになるべきです。何かあった時に、対中国交渉で「切り札」となるべき事項は何か、それを真剣に考えないと、今後も日本は負けっぱなしです。中国は、何もないところから「切り札」をどんどん作ることができる、ある意味すばらしく外交能力に長けた国と言えなくもないのです。常識のあるおとなしい国だけではこれからもっと巨大化していく中国には勝てません。日本にいる皆さんは、「中国っていうのはいつも 自国に都合のいい主張ばかりして、 よくそこまで勝手なこと言えるな。 ほんとに国際法や資本主義社会の常識が まったく通用しないわけの分からない国だ」という感想を持っているかもしれませんが、日本も中国を見習い、時々は「わけのわからない国」になって中国にゆさぶりをかけられるぐらいの駆け引きをやってほしいものだと思います。
2010/09/25
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先週の週末、チビちゃんを連れて北京経済開発区・亦庄のプルマンホテルに宿泊しました。さて夕食時。つばめは、日本のおいしいラーメンが食べたかったのですが、ホテル内に日本料理屋は1軒しかなく、しかもそこは鉄板焼専門店。どうしようかと迷いましたが、外に出るのも面倒なのでそこで夕食をとることにしました。店に入ってみると、中はALL個室で、鉄板をカウンターが囲む形。メニューはすべてコースになっていて、一人当たり288元から始まって、888元とか、1280元ぐらいのコースまでありました。もともとラーメン一杯食べたかっただけなのに、なんだか全然違うところに来ちゃったなぁ、と思いましたが、せっかく来たのだからコースをいただいてみることにしました。最初に、なんだか辛いきゅうりの和え物みたいなつきだしが出てきて、そこですでに「これは日本料理じゃない」と感じたつばめ。次は直径20cmもあろうかという大きな海老。塩コショウで焼いて、チリソースか、ステーキソースにつけて食べます。そして次はさわらのような魚。これも鉄板で焼きますが、なんだかパサッとしていて、いまいちでした。魚の次は肉。つばめは牛肉ステーキを、夫は骨付き羊ラムステーキ(フランス風と注記あり)を頼みました。メインの後は白くて浅い陶器の器に味噌汁が入って出てきました。れんげが添えてあります。鉄板のほうは、チャーハン。パサパサで、しかも胡椒がききすぎていて、チビちゃんには食べさせられませんでした。チャーハンの次は焼きうどん。もうこの辺で、夫もつばめもおなかいっぱい。焼きうどんの後には野菜炒めが出てきましたが、ほとんど手をつけませんでした。最後のフルーツが出てきて、おしまい。店員さんが、つばめが日本人と知り、「日本では、鉄板焼がお客様に対する 最高級のおもてなしなんですよね?」と聞かれましたが、つばめは???そんなの聞いたことがないけど。。。と思いました。中国では、日本料理の一ジャンルとして鉄板焼があり、高級なイメージが定着しているようですが、日本では焼肉はあっても、鉄板焼ってそんなにメジャーじゃない気がするのですが、どうでしょうか?関西出身のつばめなど、鉄板と聞くと、お好み焼きぐらいしか思い浮かびません。鉄板焼を食べてみて、おいしかったら、また接待とかに使おうか、と夫も言っていたのですが、食べてみた感想を聞くと、「味もいまいち、それにコースがどんどん出てきて 終わったらそれでおしまいでしょ。 お客さんと話もできない」と言っていました。実際、コックさんは早く仕事を済ませたいのか、こっちがまだ食べ終わってないのに、次々と新しいのを焼いて前に並べるので、こっちは食べるのに必死という感じでした。夫の上司は、神戸で最高級の和牛のステーキを食べて超感動し、「あの味が忘れられない、北京でああいう 本物の日本のステーキが食べられるところは ないのだろうか」と言っているそうですが、そんなところが北京にあるのかなぁ。北京在住の皆さん、もしご存知であればぜひ、教えてください。
2010/09/04
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昨日、狼と子羊の話を書きましたが、同じ本の中に、もうひとつおもしろいと思ったお話がありました。それは、「空を飛びたかった亀」というお話。昔々、自分が一番優れていると思っている気の強い小亀がいました。ある日、小亀は鷹が翼を羽ばたかせて大空を飛んでいるのを見ました。「ちょっと鷹さん、僕に空の飛び方を教えてよ」小亀は言いました。鷹は、「君は翼がないから飛べないよ」と小亀を諭しました。納得できない小亀は、鳥の羽を拾ってきて自分で羽を作りました。どんなに止めても聞かないので、仕方なく鷹は小亀を上空まで連れて行きました。小亀は大喜びでこう叫びました。「鷹さん、僕を放して!」ドスーン!小亀は岩にぶつかって死んでしまいました。おしまい。ハッピーエンドに慣れている日本人のつばめにとっては、何とも後味の悪い話。このお話の教訓欄には、「きかん気の強い小亀は、どうしても鷹から 空の飛び方を習うといって聞かず、最後に 悲劇が発生しました。このような子供に対して 保護者や教師は、『個人の能力には限度があり、 自分の能力を知った上で物事を行わなければならない。 自分には不可能なことをしようとしてはならない。』 ということを分からせなければなりません。」と書いてありました。なるほどね~。日本の子供はどちらかといえば、「縮み志向」で、できることもできないと言うような面がある気がしますが(自己を小さめに判断する)、中国で「小皇帝」として蝶よ花よと育てられた子供は、このお話の中の小亀のように、「自分は何でもできる」と自信たっぷりできかん気の強い子供が多いのでしょうか。自信喪失気味の日本の子供には、「自分はのろまで馬鹿だと思っている弱気な小亀さん、 でもやってみたら空を飛ぶことができた!やればできる!」というようなお話を聞かせるほうがいいかもしれません。お話を読みながら、そんなことを考えたつばめなのでした。↓ボール遊び。洗面器でボールをすくって ご満悦。大人が手伝おうとすると、 キーッと金切り声を上げて怒ります。
2010/08/26
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中国の第二四半期のGDPが、日本を越えたことが16日に判明しました。その内容は中国の新聞でも割合大きく報道されたのですが、世界第二の経済大国になって大喜びかと思いきや、結構冷静に現実を見ている中国にちょっと驚きました。8月17日の北京青年新聞では、アメリカCNNの「中国はなおアメリカには遠く及ばないが(※1/3程度)、 ある経済学者によると、中国は遅かれ早かれ、 アメリカの位置に取って代わり、 世界最大の経済体になるだろうと見ている。 当然、その変化には少なくとも十数年の時間はかかるだろう」という報道も紹介する一方、ニューヨークタイムズの「中国の生活水準はまだまだ低く(中略)、 その平均収入はアルジェリア、エルサルバドル、 アルバニアなどの貧困国と大差ない」という記事や、ウオール街日報の「中国人の一人が算出するGDPは約4000ドルで、 約日本の十分の一である」という記事も紹介しています。翌日にはこの件に関する中国商務部の記者会見が行われ、その主な内容は、「中国の一人当たり平均GDPは世界100位外であり、 わが国はまだ大量の貧困人口を擁する発展途上国である」というもので、まるで国民に、「ぬか喜びするな」とでも言いたげな内容でした。商務部責任者によると、中国は数字面だけ見るのではなく、より深い面での中国経済の質的・量的発展を待たなければならない。人民の生活レベルや科学技術、環境保護、その他教育、文化、衛生等の領域で、まだまだ大きく立ち遅れており、今後もそれらの向上に努力を重ねていかなければならないという認識らしい。そういう冷静な中国の態度を見るにつけ、「今現在で平均GDPが日本の十分の一ということは、 これからまだ10倍も発展する余地があるということ。 経済学者が言うまでもなく、 中国がアメリカを抜いて世界最大の経済大国になるのは すでに明らかだ。」と感じたつばめなのでした。↓割れたレンガを拾ってきては並べることに夢中。
2010/08/20
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中国に「言論の自由」はあるかと聞かれたら、「ない」といわざるを得ないだろう。一党独裁の共産党を表立って批判することはできないのだ。だけどちまたでは結構政府の批判など好きなことを言っている。ぶつくさ文句を言う程度なら体制に何の影響も出ないから別に問題なし、なのだ。メディアやネットなどでの共産党批判、政府批判関係には非常に敏感だが、それ以外の部分で言論を制限されていると感じる場面はほとんどない。いっぽう日本は言論の自由が保証された民主の国だというが、みんな好きなこと言ってしょうもないスキャンダルは飛び交ってもつばめは政府に自分の意見が反映されたと実感したこともないし、選挙で政治家を選ぶ時も、「よく分かんないな~、A氏の名前はよく聞くし、 なんか見た目もさわやかそうだから、これにしとこう」とか、「B氏は私の大学の同窓とかでしょっちゅう電話もかかってくるし、 こないだ街頭で握手までしちゃったし、Bに入れとこうか」とか、「どの党もいまいち選ぶ気しないし、 この際、無党派のこれにしとこっかな」とか、そんな適当なことで投票していた始末。「あなたの一票が政治を変えます」なんて言って国民を選挙に行かせようとするけど、一流知識人はさておき、多くの一般国民の意識はつばめと似たり寄ったりなのではないだろうか。だから名前や顔が通ったタレントが有利だったりする。よく考えもせず、適当に一票を投じる人が多数いるとすれば、それによって政治家が選ばれるシステムって間違っているんじゃないかとさえ思えてしまう。民主主義がその長所を発揮できるのは、「民」のひとりひとりが聡明である場合に限るのではないだろうか。ま、一党独裁じゃないことに意味があるといえばそうかもしれない。こっちの党が間違ったことをすればあっちの党が批判する、また逆もしかりで、多党が存在することでお互いに監視しあってよりよい政治をめざすことができるというその理念は分かる。だけど現実は、たがいに相手の足の引っ張り合い、しょうもないスキャンダルを見つけ出しては批判大会をしているという印象がぬぐえない。それでも多党政治だけが絶対無二のすばらしい政治システムだと言い切れるだろうか。確かに中国は共産党の一党独裁政権で、新聞もニュースも政府のプラス面しか報道しないので、それを毎日見ている国民は、ある意味マインドコントロールされているといえなくもないが、政府の目指す方向が間違ってさえいなければ多党であーでもないこーでもないとごちゃごちゃやっているより有効な政策をすばやく実施できるという利点がある。それにずっと政党が変わらない超安定政権なおかげで、政権争いにすったもんだして時間やお金をロスすることもなく、長い目で見た政策が打てる。それに一党独裁とはいえ、「人民共和国」というだけあって、人民の代表が集まる会議や、新聞、ネットなど、政府はいろんな方法でちまたの一般国民の意見を吸い上げるので、その気があれば、案外政府に自分の意向が届いた実感は日本より持ちやすい可能性だってある。つばめなど、中国政府が新聞の一面で保険制度や発表された政策の政府案について、たびたび市井の意見を募集しているのを見て驚いたものだ。ちゃんとメールアドレスや、意見書を送るあて先まで書いてある。市民と政府が直接つながっている感じがしてすごいなぁ、って思った。2ヶ月とか3ヶ月とか期限を切って意見を募集し、その後政府のほうで集計・検討して新政策の発表となるようだ。消費税増税にしても保険制度にしても、何年にもわたって改革の政策を話し合っては実行に移せず・・・ということがままある日本と比べて、数ヶ月単位でどんどん話が進むそのスピード感も面白い。日本を含め西側諸国は「民主主義は絶対で、社会政治は悪だ」と思っているふしがあるけど、中国だって民のために政治をする「民主の国」だと自負しているようだし、実際、大きな方向で今の共産党の舵取りは間違っていないと多くの中国国民は感じているようだ。独裁というとヒトラーなどの恐怖政治を連想しがち。一党独裁政権の世界に生きたことのない人は、知らないゆえにそれに偏見を持ちがちだけど、中国国民の明るい表情や、いきいきと暮らす様子などを見ると、一党独裁政権だから悪とは限らないんじゃないかな、と思うつばめなのであった。↓たんぽぽ見つけた♪
2010/04/27
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まもなく10月1日、中国の建国記念日、国慶節がやってきます。最近は街の装飾も国慶節に向けきれいにほどこされ、十字路には花で作られた天壇や水立方などの花壇がお目見えし、お祝いムードを盛り上げています。最近は毎日、新聞に国慶節の特集記事が特別号として発行されています。さて、先週の金曜日は国慶節パレードの最終予行演習があり、北京全域にわたって大規模な交通規制が行われました。その日の晩、出張から戻った夫も、北京南駅からうちにたどり着くまで、かなり苦労したようです。天安門で行われるパレード、今までに何度も予行演習が行われ、北京オリンピック開幕式と同等か、それを上回る熱の入れよう。10万人を動員する超大規模なパレードとみこし、1000人の軍隊楽団、2500人の合唱団と200人の打楽器楽団、それに戦車や新型レーダー、戦闘機まで出頭するらしいから、すごい催しになりそうです。8万人の小中学生が参加する2万平方メートルの巨大人間絵画は49変化するというから、これも見ものです。天安門まで歩いていける距離に住んでいるつばめ、ぜひぜひこの目で国慶節60周年記念行事を見たいのはやまやまですが、なにせ出演者だけでもこの規模なので、一般大衆は天安門で実際に行事を見るというのは無理のよう。おとなしくテレビで見るしかなさそうですね。それにしても。建国記念日の行事に当然のように兵隊や戦車のパレードが組み込まれているというのは、日本人のつばめからすると違和感あり。夫に聞いてみると、国慶節のこの行事は、そもそも国家の最高主席が陸海空軍を検閲する行事なのだそう。すごい数の兵隊が参加すると思ったら、こっちがメインなので数が多いのが当たり前で、むしろ一般民衆のパレード参加のほうが行事の意味からすると付けたしのよう。過去のバレードといえば共産党の総書記であるとともに、人民解放軍の最高司令官であるトウ小平さんが陸海空軍の兵隊に手を振り、「同志の皆様、ご苦労である」と挨拶し、兵隊一団が、「人民のために働くのが当然です!」と応じる場面が有名ですが、今回、胡錦濤総書記はどんなパフォーマンスを見せてくれるのでしょうか。日本では軍隊や兵器を一般市民が目にする機会はほとんどないので、こういう中国の行事に接すると、違和感を感じますが、ブラジルやトルコ、インドなどいろんな国の建国記念日にも、兵隊パレードや戦闘機が空を飛んだりするパフォーマンスがあったりするよう。つばめは日本人だから、日本のほうが普通だと思っていたけど、世界を見渡せば、別に中国だけが特殊というわけではなさそうですね。ともかく、国慶節60周年に向けて日に日にお祭りムードが高まっている中国、どんな催しが見られるのか、つばめもとても楽しみです。
2009/09/21
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つばめ、いつもは8月15日の終戦記念日に四大新聞の社説を読み比べたりするのですが、今年はチビちゃんの育児に追われているうえに自分も熱を出していたので、そんなことすっかり忘れていました。それが8月17日の中国青年新聞をなんとはなしに見ていると、日本の記事が目に留まった。麻生首相が15日に靖国神社を参拝しなかったことを受け、「靖国神社問題に転機が訪れたか?(靖国神社問題出現転機?)」という見出し。まずへぇ~、と思ったのは、8月15日は、日本の第二次世界大戦無条件降伏64周年記念日だと書かれていること。なるほど、日本ではさらっと「終戦記念日」と一般に言われているが、降伏記念日といえばそれはその通りだ。そして麻生首相が靖国神社を参拝しなかったことに触れ、中国伝媒大学教授の意見として、「今回麻生首相が参拝しなかった理由として、 『靖国神社は国のために尽くした人を安らかに祈祷する場所であり、 政治やメディアの喧騒と切り離すべきだ』と言っている。 これはつまり、麻生首相はこれらの人はやはり祭られるに 値する人だと思っているということであり、 このことは麻生首相は過去の戦争に対して 反省しているわけではないということを意味する」という内容が書かれてあった。麻生首相の不参拝の理由から、ここまで深読みするのだとちょっとびっくり。でもあながち間違ってはいない、というかその通りなのでは、と思ってしまうつばめ。麻生首相は、過去の戦争を反省し、戦犯が祭られている靖国神社を参拝しないことにした、というわけではないだろう。だからこそ、不参拝の理由の中に、微妙に靖国に祭られている人たちへの尊敬を込めた言い方をしたのだ。記事は1978年に靖国神社に戦犯が祭られて以来、天皇・皇后が参拝しなくなったことに触れ、天皇・皇后が参拝できるような戦争で亡くなった人を追悼する新施設を作る案が検討されていることにも触れている。しかし、その大学教授は、「新施設を作っても、靖国神社が引き起こしている問題を 根本的に解決できるわけではない」と説く。「靖国神社参拝の政治ロジックは、侵略戦争で亡くなった 日本軍人を祭ることであり、日本政府が新祈祷施設を どのように説明するかが国際社会の注目するところと なるだろう。新施設には戦没者を祭るというが、 戦没者の中には、不幸にも戦争で亡くなった平民のほか、 かなりの部分が侵略戦争中に亡くなった軍人であり、 これに参拝するということは、祭祀侵略者である」と結ばれている。これを読んで、なんとなく暗たんたる気持ちになった。靖国神社に参拝する代わりに新施設を作って参拝しても、中に軍人が含まれているかぎり中国は納得しないのだ。平民、軍人というけれど、平民が軍人として駆り出されたというのがほとんどではないだろうか。軍人も妻子を持つ普通の平民だったのだが、赤紙ひとつで戦争に参加させられ、戦地で死んでいったのだ。しかし、被害国にとっては、そういうのは言い訳にしか聞こえないのだろうな。そういう平民あがりの軍人が、実際に現地の人を殺しているのだから。でも、日本人のつばめとしては、もし新施設に戦犯さえ奉納しなければ被害国も「軍人をひとりも奉納するな」とまでは要求しないでくれたら、と願うのであった。
2009/08/25
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ここ数日、北京は雨が続いていましたが、今日の北京は快晴。朝からチビちゃんを連れて9ヶ月の予防接種に行ってきました。空を見上げると、すっきりとした青空にうっすらと白い雲がたなびいています。今年はじめて秋を感じた日。雨上がりの朝の空気もすがすがしく、ちょっとひんやり感じるほど。昼間はまだまだカンカン照りの夏日ですが、これから朝晩は涼しくなっていきそうです。季節はいつも立ち止まらず移りゆくのですね。チビちゃんを産んだ実りの秋がひたひたとまたやってきつつあります。
2009/08/20
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北京はここ二日ほど、ひさかたぶりの雨。窓を開けると、雨を含んだちょっとひんやりとした空気が流れ込んできて思わず日本を思い出した。雨の日に日本を思い出すようになったのはいつの頃からだろうか。めったに雨の降らない乾燥した北京に住んでいると、日本の湿気を含んだ雨がちの気候がことさらになつかしく感じられる。春、ぽかぽか陽気にそよ風がほほを撫でるのどかさ。夏、昼下がり、誰もいなくなった公園に響き渡るせみの声。秋、渓谷の小川にはらはらと散るもみじの葉。冬、ひんやりした空気を感じて、初めて手袋をはめる日。日本の四季それぞれの美しさが、まるで絵のようにつばめの脳裏をかけめぐる。日本は自然がやさしい国だ。人も、町も、自然の中に溶け込んで生きている。中国の自然がダイナミックで荒々しいのに対し、日本の自然はおだやかで、どんな景色の中にも「静寂」がある。日々すごいスピードで変わり行く変化とパワーにあふれる中国に住んでいると、ふと日本の自然の持つその「静寂」がなつかしく思い出されるのである。
2009/08/19
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夫の勤める会社では、毎年、年末(春節前)にその年の優秀管理職を選定して海外旅行などの褒章を与えることになっている。去年は夫の上司Zさんや同僚Lさんが表彰され、5泊6日の日本旅行に出かけたそうだ。さて、その旅行、1人1万元(約15万円)の豪華ツアーだったそうなのだが、実際日本に着いてみると、別の旅行社から来ている中国人団体客と一緒に案内され、ホテルも食事もいまいちだったらしい。疑問に思って別の旅行社から来た人たちにツアーの値段を聞いてみると、なんと5000~6000元だという。自分たちの半額に近い値段ではないか。怒ったZさん一行は、ツアーに組み込まれた食事を食べずに街に繰り出し、神戸牛やふぐ鍋などをたらふく食べたそう。それを聞いて、なんて贅沢な、と思ったが、中国内で贅沢に慣れている彼らは、物価が高い日本に行っても、同じような消費行動を取る。いやむしろ、たまにしか行けない海外旅行ということで、より消費に歯車がかかると言っていい。昔は中国人というと貧しいイメージがあったが、今、海外旅行でもしようかという中国人は、平均的な日本人より、よっぽどリッチが身についている。たとえ所得が日本人の平均所得の数分の一だったとしても、中国は物価が安いので、生活必需品にかかるお金はたかが知れている。自然、給料のかなりの部分が自由に使えるお金となり、彼らのように大手企業の管理職だと、外車を乗り回し、不動産の2つや3つは普通に持っていたりする。そういう彼らが、日本に旅行に来て、いかにも節約しました、というような、辛気臭いホテルや、いまいち料理に納得するわけがない。これは別に日本側旅行社の手配が悪いというわけではなく、中国側の腹黒い旅行社が間でたっぷりマージンを抜いた結果だと思うが、そんなことで日本のイメージが悪くなってしまうのはとても残念。せっかく日本に遊びに来た中国人観光客には日本の心地よいサービスとおいしい料理を味わって帰ってもらいたい。日本の旅行社も、信頼できる中国の旅行社と組んで、ちょっと値段は高くてもいいからお客さんがまた日本に遊びに来たいなあ、とと思ってくれるような素敵なツアーを企画してほしいと切に思うつばめなのであった。
2009/01/30
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9月1日の夜、福田首相の辞任緊急記者会見があり、中国でも2日朝のトップニュースで報じられました。あまりにも突然だったので、びっくり。夫もニュースを見ながら、「日本の首相って、本当によく変わるね。任期3ヶ月なの?」と冗談ともつかないことを言っていました。あまりにコロコロ首相が変わると、国際間のトップ同士で話をするときも、日本のトップは、どうせすぐ変わるから話をしても仕方がないと、相手にされなくなりそうで心配です。日本も以前、与党が圧倒的に強かったときは政権も安定していたのでしょうが、今はどこが与党か分からないぐらいの状態。福田さんも、政策を進めたくても、野党の勢力が強く、やたらめったら反対の妨害に遭うので、まともに物事進められなかったのではないでしょうか。中国では、オリンピック開会式のスピーチをする人からも開口一番、「尊敬する温家宝総理・・・」とか言ってもらえるのに、日本の首相は、就任したとたんにあちこちから攻撃され、いじめられる対象となる。そして周りが辞めざるを得ないような状況に追い込んでおいて、いざ辞めるとなると今度は「無責任だ」と罵りを受ける。そんな大変な国で首相やって、ごくろうさんなことです。日本では支持率も低迷していたようですが、中国では、温厚なイメージの福田首相は結構人気があったようで、うちの義母も、「よさそうな人だったのに、なんで辞めるのかねえ」と残念そうでした。福田首相は一見親中派のように思われますが、別に中国に媚を売っているわけではなく、2007年度を最後に中国への円借款の打ち切りを決定したり、北京オリンピックの際は、中国人のスポーツ観戦時の態度に苦言を呈したり、ということもしている。また台湾独立にからむ問題についても、日本として「独立反対」との表現を避け、台湾に一定の配慮を示す立場を堅持している。だけど福田首相は、中国では結構まともな首相として好まれていたよう。せっかく日中関係が好転してきたところなのに、もう少しやってほしかった、というのが本音ではないだろうか。実際、中国は日本との関係を良好に保ちたいと強く望んでいるようで、中国のテレビや新聞でも、日本に対するマイナス報道はほとんど見られない。これには政府の意向が強く絡んでいるのではないかなー、とつばめは思っている。「次期首相最有力候補の麻生太郎とかいう人は、 なんか毒舌みたいだねえ。」と義父。義母も、また日中関係をこじらせるような人が首相にならないかと心配しているよう。私もちょっと気になって麻生さんの過去の発言等を調べてみると。。。2003.05「創氏改名は朝鮮人が望んだ」 (↑そんなこと、政治家が軽々しく言っていいの~? 韓国・朝鮮人の感情を考慮した上での発言ですか)2005.10「一文化、一文明、一民族、一言語の国は 日本のほかにはない」 (↑じゃあアイヌや沖縄文化は? 過去日本に強制連行されて日本に帰化して住んでいる 韓国朝鮮から来た人、中国から帰化した人等は 日本人の範囲には含めないということ?)2006.02「(日本が植民地台湾の義務教育に力を入れたと指摘した上で) 台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上した おかげで今極めて教育水準が高い国である」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるな と正直そのとき思った」(↑そういう部分があるにしても、 そんなに過去の日本をほめちゃっていいの? 台湾の人に植民地支配を正当化していると思われかねない)2006.03「(台湾について)民主主義が成熟し、経済面でも 自由主義を信奉する法治国家であり、 日本と価値観を共有する国」(↑台湾を「国」と呼ぶのは、政治家として問題発言でしょう。 それに麻生さんは「民主主義」が好きなのねー)2007.01「日本と韓国は、互いにとって最も近く、 基本的価値を共にする大切な民主主義国同士であります」 (↑じゃあ麻生さんにとって、社会主義国家の中国は、 基本的価値を共にしない理解不能の国と映っているのかな)う~ん、微妙に不安な感じ。福田さんと比べて、ついポロッと出てしまう発言の軽々しさが気になります。靖国参拝については、外相在任当時も、外務大臣は個人ではないという理由で参拝しなかったようなので、もし首相になっても参拝はしないと思うのですが、「中国が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」「(日本と韓国の緊張関係について)両国が靖国問題に あまりにも執着しているのが最も大きな問題だ」などという発言を聞くと、ちょっと疑問に思う。中国や韓国に(また日本のマスコミに)、問題を大きくするな、騒ぐなと言いたいようですが、中国韓国が、靖国参拝に反対するのは、A級戦犯が祀られている神社に日本の首相が参拝するのは過去の戦争肯定と映るからであって、それは小さい問題ではなく、歴史認識に関わる問題なんですよね。そこのところを十分に汲み取った発言とは思われません。外国にいると、つい政治家の外交戦略や歴史認識に目が行きがちですが、政治家の実力はそれだけではないのでまあ何ともいえませんよね。いずれにしても、日本にとって一番いい人が首相になることを望みます。中国では、胡錦濤主席は2013年までの任期が決まっていますし、温家宝首相も就任すでに5年になります。今度こそ「日本の首相の任期は何ヶ月?」なんて言われないよう、日本の新首相も、せめて数年は続けられる人が出て、政局的にも安定すればいいですね。
2008/09/04
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毎年終戦記念日、四大紙の社説やコラムをネットで流し読みします。それぞれの新聞社の立場がよく分かるからです。小泉首相の在職中は各紙議論が白熱していましたが、今年の社説を読む限りでは、靖国問題も沈静化して全体的にトーンダウンという感じですね。産経新聞のルポは、靖国に祭られているのは英霊であるから首相が参拝すべしという趣旨の論調を相も変わらず展開し、読売新聞は、パル判決(日本無罪論)を持ち出して、A級戦犯の判決の妥当性への疑問をあげ、これも堂々巡りの感を受けました。私としては、福田首相の、「国と国との関係で、相手の嫌がることをあえてする 必要はない」という考え方に賛成です。産経新聞は、靖国問題は日本側が一方的に白旗を揚げる形で引っ込んだというようなことを言っていますが、これは勝った負けたの問題ではありません。総理の公式参拝の定着を求めている遺族会も、もともとは天皇の参拝を望んでいたのが、昭和天皇がA級戦犯の合祀を境に参拝しなくなったので、代替策として首相の公式参拝を求めるようになったという経緯がある。A級戦犯の靖国合祀に不快感を示しているのは、中国・韓国などの被侵略国の前に、そもそも昭和天皇がそうだったのだということが、発見された資料から判明している。A級戦犯も死んだら分け隔てなく英霊だということで靖国に合祀されたようだが、この考え方に天皇は反対だからこそ、後年、靖国に参ることを拒絶し続け、それが現天皇にも引き継がれているのだろう。国のため、天皇のためといって死んでいった英霊を弔うというのならば、天皇の参拝を求めるのが筋であり、首相の靖国神社公式参拝を求めるのは法律が定める政教分離の原則にもかなっていない。福田首相は15日、戦没者墓苑に献花、また全国戦没者追悼式に参列して「私たちは、今日の平和と繁栄が、 戦争によってかけがえのない命を落とされた方々の 尊い犠牲の上に築かれたものであることを、 ひとときも忘れることはありません」と述べ、過去日本の礎となった人たちに弔いの気持ちを捧げている。私は国の首相の立場しては、それでいいではないかと思う。中国、韓国等の目から見ると、A級戦犯が祭られている靖国神社の首相公式参拝は、政府として過去の戦争を肯定していると映る。日本は過去の過ちを認め、公式に謝罪しているのに、どうしてそれと矛盾することをするのか、という思いである。いや、そうじゃないんだ、日本は神道の国で・・・、といくら説明しても、国際的に通用しない部分もある。過去の過ちを認め、本当に謝罪の気持ちがあるのなら、近隣国の気持ちを逆なでするようなことはすべきではないだろう。過去、中国等で戦った兵隊たちの中には、国のために命令に従ったこととはいえ、現地の人を殺戮したり虐待したりしたことに深い罪の意識を感じ続けている人もいると聞く。靖国に眠る兵士の中にも、そのような人がいることだろう。その人たちは、日本が近隣国と摩擦を起こすことを決して望んではいないはずだ。平和への思いを強く持っているはずだ。これを期に、今後日本の首相は靖国参拝をきっぱりとやめ、将来を見据えて、長期的に平和が保たれるように近隣国との友好的な関係を築いていくことを強く望んでいる。
2008/08/15
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2、3日前の新聞に、男と女の違いが載っていた。それによると、女性は「愛されること」を何よりも望み、男性は「尊敬され認められること」を何よりも望むとか。なるほどねえ。確かに、つばめは「愛されたい」という気持ちは人並みにあるが、「夫に尊敬されたい、認められたい」と思ったことはない。愛されていたらそれだけで十分という気持ちだ。だけど夫は違うのかな。愛されるよりもむしろ、尊敬されたい、認められたいって思っているのかな。確かに、自分が妻から低く見られるのはいやっていう気持ちはすごくあるかも。記事を読みながら思ったのは、日本の両親のこと。父はずっと亭主関白でいばりちらし、母はそんな父に歯向かうこともなかった。きっとどこかに父への尊敬の気持ちがあったのだろう。それが最近、とみに父への尊敬の念が薄れているよう。尊敬されなくなった父は、毎日いたたまれない気持ちで過ごしているのではないだろうか。女が愛されなくなったらさびしくむなしいのと同じように、男性は女性に認められなくなったら、とたんにシュンと元気がなくなるのでは?だから家で尊敬されなくなった男性は、夜の盛り場などに、お金を出してちやほやされにいったりするのかも。。。女が愛され続けるのが難しいように、男が「すごーい」と尊敬され続けるのも難しい。ここは演技で、女性が「すごーい」と言ってあげると、男性は、その女性に愛を感じるのかもしれないな。
2008/07/28
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今日新聞を見たら、福田首相に対する問責決議案とかいうのが可決されたという記事が出ていた。これを見て、夫が以前にふと漏らしたセリフを思い出した。中国は共産党一党独裁で大変だね、ってつばめが言うと、夫、「だけど日本の政治家は、何がなんだか分からないうちに コロコロ変わって、大変だね」と言ったのだ。そう言われてみれば、確かにそうかも。首相になっても、野党やらマスコミやらにもみくちゃに攻撃され、何の成果もあげないうちになんだかしょうもないスキャンダルでどこかに消えてしまうとかいうことが日本ではままある。どうせ短命なんだったら、長い目で見て、国の将来なんて考えても仕方がない。今を何とか乗り切って、みんなの機嫌を損ねないようにすることが最優先になったりする。だから年金問題も、健康保険の問題も、財源不足・消費税の問題も、ずーーっと前から言われながら、ずーーーっと先延ばしにされて今日まで来た。もう問題が表面化して、どうしようもなくなってからどうにかしようとすることになる。その点、中国は「こうすべき」と政策が決まったら即実行できる政治形態になっている。一党独裁だから、何でもし放題、と批判する向きも多いが、なにせ超長期政権。長い目で国の将来を考えた施策が打てるというメリットもあるような気がする。それに中国共産党も馬鹿ではない。国の運営についてはそれなりに真剣に考えているし、ある意味、日本よりいい線行ってるのでは?と思うこともある。日本人の中には、独裁政権に弾圧されて生きなければならない中国人はかわいそう、などと同情して、そんな政治形態を変えるべきだ、なんておせっかいなことを考える人もいるようだが、私が見る限り、当の中国人はそれなりに現在の共産党の国家運営に満足している人が多いように見える。そりゃ、文革の時代を生きてきた人々からすれば、今の中国の状況は天国みたいに感じられるのかもしれないけど!?あれあれ、いつのまにか中国の話になってしまいました。福田首相に対する問責決議案は、法的拘束力もなく、結局与党の多い衆議院では「首相信任決議」が可決されたので、実質的には意味なし、でしたね。福田首相に精神的ダメージを与えるのが目的だったのでしょうか。日本の首相は、あちこちからの攻撃でいろんな精神ダメージを受けながら政治運営を行わなくちゃならなくて本当に大変ですね。攻撃をかわすのにエネルギーの大半を使ってしまうから、大したことができずに退陣することになってしまうのでしょうか。日本の首相よ、自由な発言の許される国で政治をするのも苦労が多いことと同情いたします。
2008/06/12
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そうそう、26日に中国から日本に戻ってくる時、「燃油税」の高さにびっくりしました。航空券代 1100元(16500円)燃油税 1186元(18000円)ええー、燃料代がチケット代より高い!?旅行社との電話で、思わず耳を疑って値段を聞き直してしまいました。今回利用したのは、中国東方航空。最近、国内で社員のストライキにより、いったん離陸した飛行機が元の飛行場に逆戻りという事件があり、今この航空会社の信用はがた落ち。おかげでこのチケット代金なのだろう。この安さにもかかわらず、北京から乗った人は7人だけ。機内に入ったら地方から乗って来た人で結構満席に近かったけど、その人たちは経由地の青島でほとんど降り、日本まで行ったのは、北京から乗った7人と青島から乗った約20人だけだった。こんなので国際便飛ばさなければならない東方航空があわれだ。チケット代はこんなに安かったけど、燃料代のせいで、合計2286元。まぁ、それでもかなり安いですね。意外な点でよかったのは、この飛行機は青島を経由するため、北京で出国手続きをしなくてもよく、手続きがすごくスムーズだったこと。北京だと出国審査も厳しくなっているし、3時間前には空港に行ったほうがいいよ、と言われていたのでそうしたのだが、実際はカウンターでの搭乗手続きの後、5分で搭乗口に到着。ここで長いこと待つことになってしまいましたが、それでも妊婦の身で長い出国審査に並ばなくてよくて、ラッキーでした。青島での出国手続きも5分で済んだし♪帰りは煙台経由だけど、行きと同じようにスムーズだといいな。
2008/05/28
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地震が起こってからというもの、テレビは全てのチャンネルが地震一色。被災地の救助活動の様子と、胡錦濤さんの現地での視察・演説の様子が延々と流れている。こういう時、日本の報道は、問題点や不満などマイナス面に焦点を当てて報道することが多いが、中国の報道は、もっぱらプラス面に焦点を当てた報道となる。毎日、救助隊がどんなに頑張っているか、政府がどんなに適切な処置を行っているかという勇ましくも涙を誘う報道ばかりで、そこに問題提起などという要素は全く存在しない。まあ日本の報道も中国の報道も、偏っているという面ではどっちもどっちである。さて、それはさておき、中国人っていざとなると人助けの気持ちがほんとに強いんだなあ、と思ったこと。地震が起こってからの募金活動や献血活動がすごい。毎日、募金振込みのために、銀行には長蛇の列、献血車の前にも長蛇の列だそうである。そんなに並んでまで、被災地を応援しようという暖かい心を持った人がとても多いのだなと思った。うちの夫によると、会社でも募金活動をやっていて、みんな個人で結構な額を募金しているらしい。夫の妹の旦那など、会社の募金活動で300元(約4500円)を募金しようと思ったら、自分の部下たちがみんな500元(約7500円)募金していたので、慌てて自分も500元出したという。これを聞いて、日本とは募金の額が違うと思った。日本と中国の物価の差から考えても、中国人はずいぶん太っ腹、困っている人には思い切って人助けするのだなあ、とびっくりした。年金暮らしでいつも質素倹約の生活をしている義父母も、街角でそれぞれ100元(約1500円)ずつ募金したというから、全体が募金に熱心なお国柄なのだなと思った。一般庶民だけではない。株式市場に上場しているような会社はどこも、1000万元(約1億5千万円)~100万元(約1500万円)以上の募金をしたようだ。国民がこれだけ熱心なのに、企業が知らんぷりはできないだろう。義父が、最初発表されたアメリカの義捐金の額を見て、「一国の義捐金にしては少なすぎる」と言ったとき、「もらっておいて文句言うなんて・・・」とちょっと思ったが、他の募金活動の現状を知るにつけ、そう思うのもさもありなん、という気もしてきた。中国人は金額で気持ちを判断するところがあるから、金額が少ないと、援助の気持ちも少ないと誤解される面もある。「少なすぎる」と中国の一般市民に思われるなんて、世界のアメリカの面子も丸つぶれだな。その後アメリカからは、赤十字などを通じて追加資金援助や物資援助などが相次いであったようだ。その他、世界各国や各団体からの支援も続々届いている模様。今回の地震では、5万人以上の犠牲者となる見込みという。神戸の震災でも7000人弱であったのに、どうして何万人もの多大な犠牲が出ることになったのだろう、と不思議に思っていたが、地震の規模自体が全然違って四川の地震のほうが規模がはるかに大きいようですね。多くの人が犠牲になり、これから復興にも相当の時間がかかるだろうが、様々な義捐金と政府の援助などを通じて、少しずつ状況改善していくのだろう。なんだかんだ言っても、結局頼れるのは政府、だから政府の援助隊が来たら、被災者はつい拝んでしまうのだと思う。実際、中国政府も頑張っている。
2008/05/16
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流産しかかって自宅安静になっている間、毎日ベッドで本を読んで過ごした。本を読む以外にすることがないので、1日文庫本1冊のペースで読んでいける。ダンボールに詰まった本の中から、最初は江国香織の「きらきらひかる」や吉本ばななの「キッチン」や、藤堂志津子のエッセイなど読みやすい本を読んでいったが、4日目からユン・チアンの「ワイルド・スワン」を読み始めた。ユン・チアンは、四川省生まれの中国人で、共産党支配化での大躍進運動とその後の大飢饉、文化大革命の元での両親迫害や農村下放を経験した後、選ばれてイギリス留学し、そのままイギリスに残ったという経歴の持ち主。「ワイルド・スワン」はイギリスで英語で執筆・出版された後、大きな話題を呼び、世界三十カ国以上の国で翻訳・出版され、多くの人に読まれた。物語は著者の祖母の満州での日本支配時代から始まり、国境内戦、そして文化大革命と著者の母、そして著者と三代にわたる20世紀の中国の歴史の現実を生々しく描いている。この本を読んで改めて、中国ってすごい国だ、と思った。私たち日本人が想像もできないような過酷な歴史の数々をくぐりぬけて、今日の中国がここにあるのだ。もう10年以上前に出版され、多くの人が読んだことがある本だと思うが、中国の歴史を知りたい人でもしまだ読んでいない人がいたら、ぜひ手にとってみてください。講談社文庫から上・中・下巻が出ているはず。歴史はひとつでも、歴史観(どのように歴史を見るか)というのは国によって、人によって千差万別であるが、一人の女性の目を通して見た中国の歴史というのも非常に参考になると思う。
2008/04/10
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「血と肉」「冬の旅」は確か、ともに在日コリアンの作品。なぜこのような本に興味を持って購入したのかは忘れたが、思うにつばめ、昔からなぜかマイノリティー問題に興味を持っていたように思う。発端は小学校の道徳の時間。部落問題や在日韓国・朝鮮・中国人問題などを習い、子供心に非常に興味を持ったのを覚えている。うちの父は戦前生まれで、中国人や韓国・朝鮮人のことを「チョンコ」「チョーセン」と呼んで、明らかに差別していた。小学校で差別はいけないと習って帰ったつばめ、このことで父と激しく討論したのを覚えている。私が通った大阪私立大学というのも、川をはさんで向かい側に部落があり、また多くの在日コリアンが住んでいる市だけあって、「部落問題論」「民族問題論」「障害者問題論」などの一般教養科目が充実していた。そこで朴一教授に民族問題を習い、大学を卒業し、社会に出てからも市が主催の野村進さんの「コリアン世界の旅」を読んで、毎回ゲストから話を聞く会などに参加したりしていた。そのゲストの先生に、朝鮮族の中国人の方がいらしたのだが、先生に、「ご自身では、自分のことを何人だと認識していらっしゃるのですか」なんていうぶしつけな質問をしたりもしていた。その頃からずーっと持っていたのが、「人間のアイデンティティーはどこから来るのだろうか」という疑問。日本に生まれ、日本で育ち、日本国籍を持っている人は、ごく自然に、自分は「日本人」というアイデンディディーを持ってそれを疑いもしないと思うのだが、世の中そんな簡単じゃない境遇に生まれた人も少なくない。日本で生まれた在日コリアンもそうだし、中国の朝鮮族なんかも微妙である。日本では在日コリアンはマイノリティーに入ると思うが、なぜそんなところに興味を持ちつづけたのだろう、と考えるにつけ、「どこかで、『自分はマイノリティーだ』という認識があったのだ」という気がしてくる。もしくは、将来外国で、マイノリティーとして暮らす自分を、どこかで予測していたのかもしれない。実際、つばめは中国人と結婚して、中国で暮らしており、こっちでは日本人はある意味マイノリティーと言える。それでもつばめ自身は、「日本人である」というアイデンディディーははっきりと持っているが、もし子供が生まれたらその子はどういうアイデンディディーを持つようになるのか、というのが、目下つばめの興味の赴くところ。マイノリティー(少数派)というのは、何かにつけ差別されやすいが、結局、みんな一人一人違うのだから、みんなマイノリティーと言えばそうとも言えるのだ。今中国で暮らし、今後もおそらく中国で暮らしつづけるであろうつばめにとって、在日コリアン達の置かれている立場というのは、結構身近に感じられる部分もある。それにしても。私は大阪に生まれ育ち、コリアン問題にもそれなりに興味を持ってきたが、「血と肉」を読んで、私の知らない大阪を突きつけられた気がした。毎日大阪の空気を吸っていたのに、全然見えていなかった世界。自分が見ているものだけが世界ではなかったのだ、と思い知らされた気がする。どん底に生きる人間の生活のすさまじさとそんな中にも伝わってくる人間の暖かさ。あー、なんかまとまりなく書いてしまいましたが、お許しください。なんだか今日はちょっと、感慨に浸りたい気分なのでした。
2007/12/11
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日本から持ってきた本は、ほとんど読んでしまって北京に置いてある。済南には、まだ読んでいない本を持ってきたのだが、それがこれ。「血と肉(上)(下)」(梁石日)「冬の旅」(立原正秋)買ったはいいけど、タイトルのおどろおどろしさにずっと手をつけていなかった2冊。なんにもない週末に、ふと手にとって読み始めたら、これが面白い。いけないと思いつつ、授業準備も終わっていないのについ本を開けてしまう面白さ。とはいえ、暗い内容。「血と骨」は、戦前に韓国の済州島から大阪に出稼ぎに渡ってきた在日韓国人の話。ヤクザも怖がる蒲鉾職人、金俊平が主人公だ。この金俊平のキャラがとにかくすごいのだ。日本社会の最底辺で生きる悲しさなんて、吹き飛ばしてしまう強烈さなのだ。金俊平は蒲鉾職人を辞めてから、無理やり妻にした英姫からお金をむしりとっては、女遊びや生活費にしていたのだが、後に、自分で蒲鉾会社を創立し、大成功を収める。お金は腐るほどできたのに、苦労させた女房子供にはビタ一文やりたくないという無数のケチぶりを発揮。そんな金俊平も、年を取り、身体の自由がきかなくなってからは、元浮浪者の妾に足蹴にされ、財産を持って行かれ、子供にも見捨てられ、不遇の死を遂げる。人間の郷の悲しさ、というのをこれほど痛切に描き切った作品もなかなかないと思う。家族すら信じることができず、守銭奴となった金俊平、結局、お金も、家族の愛も得られず、生まれたままの状態で、ひとり孤独にあの世に旅立っていった彼に、結局人間は何のために生きるのか、そんな根本的な問題を考えさせられた。「冬の旅」は、無実の罪で少年院に入った行助という少年の話。この少年のまっすぐさ、そして、少年院の中で生まれる友情などが描かれていて、凛とした生き方の気高さと悲しさが香ってくる作品。こんな高潔な生き方をする意味とは?突き詰めていくと、これもやはり人間の根本の問題に行き着く。「血と肉」も「冬の旅」も、過酷な環境の中で必死に今を生きる人間の姿が描かれていて、最近単調な生活にぼーっとなっていたつばめには、胸に迫るものがあった。やっぱりいい本っていうのは、人の心に波風を立てる。皆さんは最近、どんな本を読みましたか?
2007/12/10
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国慶節休暇明けの今週いっぱい、なぜかとーっても寒かった。禁を破って裏毛付きの下着を着込み、セーター着てるのにまだ寒くて、事務所内でコートにマフラーしてガタガタ震えてたぐらい。私が冷え症なせいもあるけど。。。金曜日の晩、道端でヤキイモを買って帰る。ほかほかヤキイモ。冬の味。冬がやってきた。この間までサンダルに半袖の夏だったのに、冬がやってきた。秋はどこへ行ったの~?素足にサンダル履きはちょっとかな~と思って、ストッキングを履いてた、9月最後のあの1週間が、今思えば秋だったのかしら?あつい→さむい へ、済南の季節は、あっという間に移り変わる。日本のちょっとひんやりとしたすがすがしい空気、キンモクセイの香りがどこからか流れてくるあの季節感がなつかしい。季節が移り変わるたび、日本を思い出す。済南に、秋の戻りはあるのかな。
2007/10/14
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今日、友達のTさんがお子さんを連れて遊びに来てくれた。Tさんとは、日本での出身地がとっても近いことで最初に会ったときから、親近感が持てた方。話す言葉が同じって、とっても親しみが湧くものだ。ご本人はとっても明るく、気さくな方。日本で中国の方と出会って結婚され、2人のお子さんを育てていらっしゃったのだが、3年前にご主人の仕事の都合で、中国にお引越し。中国語が全く話せない状態でこちらにやってきたのに、ぜんぜんくじけたりせずに、元気に明るく子育てをされていて、ほんとすごいなーって思う。私の大先輩だ。お子さんのほうは3年で中国語はネイティブレベル。特に4歳で中国にやってきた下のお嬢さんは、日本語よりも中国語のほうが話しやすいらしい。「私は中国人だもん」って、女の子が中国語で言ったのでびっくり。国籍は日本でも、自分は中国人だって思っているらしい。へー。中国語は北京訛り、日本語は大阪弁。時々両方が自然に混じって出てくる。話をしていて、とっても面白かった。子供って、エネルギーにあふれていますね。Tさんのご主人はご自分で会社を持っていらして、とっても忙しく、週末しかうちに戻ってこないらしい。「さびしいですね」って言うと、「でも、よく連絡を取ってるから案外寂しくないよ」とTさん。Tさんのご主人、お忙しいだろうのに、いつ電話をしても「今忙しいから後にして!」などと言われることなく、電話を取って、いろんな話を聞いてくれるらしい。家族思いのやさしい旦那さん。旦那さんも、こんな明るいお嫁さんをもらって幸せだろうな。私もTさんご夫婦を見習って、元気に中国生活を送りたいなーって思ったものだった。
2007/10/07
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この間、タクシーの運ちゃんに、日中の関係について聞かれたことを書いたが、友人から、「1972年に周恩来首相と田中総理が乾杯をした。 だから今、私は中国にいる。 私は日本の総理大臣を信用しているが あなたは周恩来のことをどう思っているのだ? 戦争は不幸なことですが、既に歴史です。 政治のことは日中両政府に任せませんか?」と言えばよい、とアドバイスを受けた。このように言えば、大概の中国人は沈黙するらしい。「政治のことは日中両政府に任せたい」というのはつばめも同感ですが、この中国人の沈黙には、何が隠されているのでしょうか。例えばアメリカ人が広島に来て、原爆碑の前で「アメリカの原爆投下は歴史的に見て正しかった」とすっきりと言い切り、「アメリカ人は、原爆投下して戦争を終わらせ、 その後の日本発展にも貢献したのだ」と開き直ったような態度でいられると、日本人としては、やっぱり何か心に引っかかる気がするのです。これがたとえ事実であったとしても、被害者の前でそれを堂々ということは、配慮に欠けています。こういう問題は、理屈ではなく、感情の問題なのでしょう。1972年に日中の代表が乾杯したことも事実だし、歴史はすでに過去のもので、変えられないことも事実です。でも、こういう理屈を日本人に堂々と言われると、中国人にとっては、何かすっきりしないものを感じるのではないでしょうか。理屈では言い返せませんが、感情的になんとなく納得しがたいのです。日本人だからといって、中国人に会うたびに過去の歴史を謝罪し続けることは必要ないと思います。ですが、「日本が中国を侵略したのはすでに過去だ」とか、「自分が中国にいて何が悪い」的に開き直るような言動は、やはり中国人の気持ちを逆なでするものであり、相手の感情への配慮に欠けていると思います。逆に中国人の人には、「過去の侵略者のくせに、なんで堂々と中国にいるんだ」とか、「過去の歴史について懺悔せよ」とかいう風に、中国にいる日本人をいじめないでほしいと思います。「日本人は嫌いだ」などと言って、日本人をブルーにさせたり、日本人に悪意を持って接する人は、今もいます。過去、日本が中国に悪いことをしたのかもしれませんが、だからといって、今、日本人をいじめていい理由にはなりません。「嫌いだ」という感情を訴えられても、日本人としてはどうしようもないし、そこからは何の交流も生まれないのです。「嫌いだ」と思うな、とは言いませんが、それを日本人の前で堂々と口に出すのはどうなのですか、と言いたいです。友人の言うように、日中の代表が仲直りの乾杯を交わし、国交回復を果たしたから、日本人が中国に来られるようになったのです。別に日本人が中国にいるからといって、日本が過去を反省していないわけでもありません。友好関係があるから、人の往来があるのです。中国に来ている日本人の多くは、中国に興味や関心を持つ人たちです。そういう日本人に、悪意を向けるのはやめてほしいです。日本人は、卑屈になる必要はありませんが、開き直るのはやめましょう。中国人は、過去の歴史問題を持ち出して、個人的に日本人を攻撃することはやめましょう。国と国との問題は、利害関係もからんできますので、簡単にはいかない部分があります。でも、個人同士のお付き合いで、国と国とのことをことさら大きく持ち出す必要はないのではないでしょうか。相手に笑顔を向けると、相手からも笑顔が返ってきます。中国人も日本人も同じ人間です。お互いに交流を求める気持ちでお付き合いができたらいいなあ、と思います。
2007/08/06
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今日、日本の友達から、「日本は紫陽花の美しい季節、 今日も東京はシトシト雨が降っていました。」という書き出しのメールをもらった。とたんに、雨の湿った空気の中、色とりどりの紫陽花がたたずむ風景が目に浮かんだ。日本。いつも湿った空気感とともに、四季折々の美しさを持つ日本という国を思い出す。日本にいるときは何も思わなかったのに、離れてみると、想像の中の日本はなぜかいつも美しい。済南の黄河のそばに住んでいるつばめに宛てて、友達はこう言う。「中学か高校の地理の時間に習った土地が 実際に目の前に存在し、そこにあることに、 僕は驚きと感動を禁じ得ません。」なるほど、そう言われてみれば、そうかも。つばめもまさか、教科書で習った黄河の雄大な流れのそばに身を置くことになるとは、社会の授業で勉強している時には思いもしなかった。そんなふうに考えると、この毎日がすごくワクワクしたものであるはずだ。悠久の歴史のそばに、今、たたずんでいるのだから。人間の想像っていつも、現実より美しい。
2007/07/05
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今日、北京の「中国国際放送局」に勤めている友人から、今年3月に放送された「中日インターネット対話」というインターネットラジオ番組の案内をもらった。番組第1回目のテーマは、「中国人と日本人、どう付き合えばよいか」。http://japanese.cri.cn/other/07chi-jpnこのテーマについて、北京と東京、ネットでつないだ2つのスタジオにスタンバイした中国人・日本人パネラーが、いろいろ意見を交わす。その中で、特に面白く思ったのは、北京在住4年の日本人女性パネラーさんが後半でおっしゃった「恋愛するように異文化交流すればよい」という意見。なるほどー!確かに、男と女は、思考回路が全然違うところがあるけど、違うから好きで、違うからおもしろく、分からないから、もっと知りたいと強く願う。異文化交流も同じように考えたらいいんだ。中国人は日本人と思考回路が全然違う。違うから好きで、違うからおもしろく、分からないから、もっと知りたい。そう思えれば、とっても素敵な関係が築けるのでは?文化の違いが交流の支障となるかどうかは、その人の心の持ち方ひとつなのだ。違うから嫌い。分からないから嫌い。と思ってしまうと、そこから交流は生まれてこない。恋愛のように、「好き!」という気持ちがあれば、自分と違うものを持っている相手のことをもっともっと知りたくなって、どんどん素敵な交流が生まれてくるのだと私は思う。男だって女だって、日本人だって中国人だって、みんな人間だもの。違うものを「好き!」って思える気持ちを大切にしたい。
2007/05/29
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今日、道端で写真を撮っている人を見かけて、ふと、「あの人、何したはんねやろ」とつぶやいている自分を発見。最近、単語が徐々に中国語に塗り替えられていっているのを感じていたが、考え事をするときは、やっぱり関西弁でものを考えているらしい。これからどんなに長く中国に住んでも、頭の中にインプットされた関西弁は、一生抜けないんだろうな、たぶん。
2007/05/24
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暑いと聞いていた済南も、今の季節はちょうどよい気候。何の花か分からないけど、花も咲いて、春うらら。日本は今、桜が咲き誇っているころかな。春のやわらかな光の中、桜がはらはら散っているのだろうか。つばめは中国で暮らしていて、ほとんどホームシックを感じることはないが、ふとなつかしく思い出すのが、日本のやさしい空気。春のおだやかな光、雨の日のしっとりと湿った空気、秋の済んだ空、お正月の凛としたすがすがしさ。こういったものが、ときどきなつかしく思い出される。済南ももちろん春のいい季節なのだが、空気のやさしさが違う。日本の四季折々の風情は、人にしっとりとした情感をもたらしてくれる。さくら。さくらの到来とともに1年をスタートする日本という国は、きっとやさしく恵み深い神が住んでいるのだという気がする。
2007/04/06
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今日は久しぶりの予定のない土曜日、開発区に遊びに行くことにした。pigretsちゃんが、裏山に案内してくれた。景色はやっぱり大連。海があって、山もあって、建物の感じも市内とよく似ている。開発区はちっちゃい大連だね。山上からの景色を見た後は、喫茶店でお茶しながら、いろいろおしゃべり。Pigretsちゃんは、最近大学院に行き始めたとのこと、楽しそう!私も関心があるので、入学試験のことや学校の授業の様子など、真剣に聞いてしまいました。入試はやっぱり中国語が大変そう。Pigretsちゃんは中国語学科だったし、中国語ペラペラだけど、私のなんちゃって中国語だと、特に書き言葉は厳しいかなーって感じ。でも、中国語習いに行くより、一気に大学院に入れたら、専門勉強しながら中国語も勉強できるから、一石二鳥だね。大学院に行くと、クラスメイトもかしこくて、すごい先生もいっぱいいるそうな。大学院、いいなー、と思ったつばめでした。(そこにふさわしい人しか入れないって!笑)↓開発区の山上からの眺め
2007/01/20
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みなさんは、自分が会社で好きなお仕事してて、夫が転勤することになったら、どうします?夫の転勤についていけば、自分は好きな会社をやめなければならない。これって難しい問題ですよね。仕事を取るか、夫を取るか。どっちもかなえられればいいけど、どちらかを選ばなければならない時、どうするか。男性なら間違いなく仕事を取るだろうけど、女性の場合は悩むだろうなあ。こんな問いを友達にすると、「つばめの場合は、仕事より夫、 もっと言うと自分より夫、で行かないとダメだよ」って言われた。でも「仕事より夫」はまだしも、「自分より夫」という言葉に、考え込んでしまった。そうか。結婚したら、自分だけの人生じゃなくなるんだ。今は独身気分で、自分の好きなことしてるけど、夫がいるようになれば、夫がいる人生、子供ができれば、子供のいる人生、自分だけの人生じゃなくなるわけだ。これは、男でも女でもそうだろう。そういえば、自分だけの人生歩んでいいのって、学生時代までなのかもね。社会に出れば、会社のために(社会のために)働くし、結婚すれば、家族のために生きていく自分がある。思い返せば、父も、母も、そうだった。大人はみんな、そうして誰かのために生きている。誰かのために生きていくことが、自分の義務でも喜びでもあるのが、成熟した大人の証なのだろう。こんな簡単なことに、今やっと気づいた。でも、「自分よりも夫(他人)!」かあ・・・。自分勝手に生きてきたつばめには、なかなかドキッとする指摘だ。人のために生きていくって、どういうことだろう。人のために生きて、それで自分を殺さないで自分も生かして生きていけたら、一番いいのだろうけど。。。自分と他人のバランス、なかなか難しいな。さて、皆さんは仕事を取る?夫を取る?
2007/01/12
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今日、(株)フューチャー・クリエイションのセミナー&事務所移転パーティーに参加した。中国人と結婚して、中国に移住することになったつばめは、日本で国民保険もかけてないし、自分の将来は自分で守らないといけないという思いが強く、お金の勉強しないと、とファイナンシャルプランナー講座や簿記3級講座など、いろんな勉強をしていた時期がある。その時期に受けたセミナーのひとつが、フューチャー・クリエイションのSMMSセミナー。とても分かりやすく、セミナー参加者には後日無料カウンセリングをしてくれて、社長の前川さんが、ひとりひとりのファイナンシャルプラン作成のお手伝いをしてくれるのだ。今回のセミナーは2回目だけど、誠実であたたかい人柄の前川さんにぜひまたお会いしたいなぁと思っていた折に、事務所を拡大移転し、新事務所でセミナーとパーティーをするということで、迷わず申し込んだ。セミナーの内容も大変勉強になったが、その後のパーティーには、いろんな人が来ていて、本当に楽しく、元気をもらえた。前川さんの誠実で真面目な仕事態度が、いい人間関係をひきつけ、事業も発展していっているし、奥さんや子供さんも応援してくれるのだなーって、すごく暖かい気持ちになったパーティーだった。最近仕事で落ち込んでいたつばめだけど、みんなからパワーをもらえた一日だった。フューチャークリエイションHPhttp://www.f-cre.com/main/(6000円のSMMSセミナー、おすすめです!)
2006/12/23
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週末、「硫黄島からの手紙」を見に行った。この映画の新鮮なところは、何といってもこれがアメリカ人が作った映画だということ。徹底的に日本側の視点に立った描き方は、日本人の監督ならある意味当たり前の視点だが、アメリカ人監督が、ここまで相手側の立場で物語を描き切るというのは、なかなかできることではないだろう。投降し捕虜になった日本兵をアメリカ兵が殺してしまうところなど、普通だったら、自国のことを美化して、なかなかこういう場面は描きたがらないものだと思うが、全くにパラダイムの変換が成し遂げられていて、感心した。そして、イーストウッド監督はお国のために散っていった日本人の大和魂、その一人一人に大切な家族があり、国や家族を守るために必死に戦ったことなど、ここまで日本の立場を理解してくれてるんだ、と、好意を持った。さすがアメリカ、懐が深い。日本にこれと同じことができるだろうか。南京大虐殺を、日本人監督が、徹底的に中国人の視点で描き切ることができれば、中国人は、「日本人は自分たちの痛みを理解してくれている」と、好意を持つのではないだろうか。先日読んだ「7つの習慣」という本の中には、「理解してから理解される」という原則が書いてあった。美しい国、日本の立場を理解してほしい、といろいろアピールすればするほど、相手の国も、自国の立場を理解してほしい、と強く主張するだろう。これでは平行線だ。日本人が自分の国をかわいいと思うのと同じく、相手の国の人も、自分の国をかわいいと思っている。それをまず、認識しなければならない。「理解してから、理解される」のだ。相手のことを一生懸命理解しようと努力すれば、相手のほうもこちらを理解しようという気持ちになる。こちらの立場を分かってよ!と先に自分の立場ばかりを押し付けると、相手の反発は避けられないだろう。これは国と国との間だけではなく、個人対個人の関係にも応用できる法則だ。「硫黄島からの手紙」を見て、イーストウッド氏の、日本の立場を理解しようとする姿勢に、頭が下がる思いがした。
2006/12/19
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「愛国心」が盛り込まれた改正教育基本法が成立したそうだ。私も海外に出て、自分が全く愛国教育を受けてきておらず、「日本は間違った戦争をした、日本は悪かった」ということ以外に、自国を擁護する何の言葉も持たないことにあ然としたクチなので、今叫ばれている愛国心を盛り込んだ教育には一概に反対というわけではないが、愛国心が間違った方向に走ってしまうと自国の立場ばかりを正当化する人間が増えないか、心配でもある。そもそも、「愛国心」とは何なのだろう。自国に誇りを持つっていうけど、どうしたら自国に誇りを持てるようになるのかという根本的なことが議論されていないように思う。なんだか今言われている愛国教育の真のポイントは、「日本は間違っていた」という戦後の歴史観をくつがえし、自国を弁護・正当化する歴史観を持つことにあるような気がするのは、私だけだろうか。歴史はひとつでも、歴史観(史実に対する見方)は国の数だけある。自国としての歴史観を教えることも、もちろん必要だと思う。だけど、相手国への配慮を同時に教えないと、ごう慢な国民になってしまう。自国を愛する心を教えるなら、同時に他国の人も、あなたと同じように自身の国を愛しているのだということをいつも忘れないように、という教育をすることが、次世代の子供たちが世界のいろんな国の人と仲良くおつきあいができるようになるために、必要なことだと思う。
2006/12/16
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今日、仕事の帰り道、ふとシュークリーム屋を買おうと思って店に入った。家に帰って母と食べよう。マロンシュークリームとあずきシュークリーム。ヤッター^^店を出て、家に向かって歩き出したとき、心の中で「老公(ダーリン)!」って呼んでる自分を発見。意味もなく、無意識に。やっぱり好きなんだな。おいしいものを食べるとき、夫のことを思い出す。
2006/12/15
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会社の帰り道、ふと見上げると、きれいなイルミネーション輝く吊り広告が目に入った。ん、ルミナリエかな?って思ったら、そうではなくて、老舗百貨店の広告。「あなたの愛で、心斎橋ラルーチェが輝いています」というキャッチフレーズと、ライトアップされてキラキラ輝くウィンドウが、ほんわかしたあたたかい気持ちを呼び起こす。この輝きは、愛に満ちた光なのかな。ちょっと下に小さめの字で、「恋人、家族、友人・・・大切な人がたくさんいる幸せ。」って書いてある。ステキなフレーズだけど、私だったら「たくさん」とは書かない。だって、大切な人をたくさん持っていない人だって、いるかもしれない。一人孤独に、この広告を眺める人だって、いるかもしれないのだ。でも、たったひとりでも、そういう人を心に抱いている人は、愛に満ちた幸せな人だと思う。たとえそんな人が一人もいなかったとしても、暗い夜に明るくともる光は、人にささやかな幸せを運んでくれるのではないだろうか。その心斎橋ラルーチェとやらに、行ってみたくなった。
2006/12/14
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今日、通勤途中で、つばめが勤める学校の会長に会った。一緒に学校の門の前まで来たとき、ふと会長が立ち止まった。「君は先に行って」とおっしゃったが、ちょっとためらって後ろを振り返ると、会長が門の前に散らばるごみを拾っていた。やはり経営者というのは違うものだな、と感心した。学校を愛しているのだ。私だって学校が好きだけど、朝バタバタと出勤するときに、足元のゴミなんて、目に入ったことがなかった。ときおり表情が消えた恐ろしい表情で事務所を歩き回る会長だが、ふとしたときに見せる素顔に、私は心魅かれる。やっぱりすごいなー、って思う一瞬を持っている不思議な方だ。
2006/12/11
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今日は、友達と市内のワインバーでおいしいワインと食事をいただいた。しあわせ。たまにはゆっくりまったり、おいしいものを食べるのがいい。それにしても。やっぱり、友達に元気ないねって言われた。そう。つばめ、最近パワーダウン気味。仕事の悩みもあって、元気が出ない。今日思ったのは、元気出ないときはゆっくり休もうということ。元気出ないときに、無理にカラ元気出してがんばろうとすると、結果はよけいよくない気がする。運気の流れに身を任せて、低空飛行のときは、あんまり頑張らず、できることを地道にやろう。これを機に、忙しくて勉強できなかったことを勉強したり、好きな趣味をしたりして、パワー回復するまで、静かな生活をしよう。これだって素敵じゃない?ちょっと立ち止まってゆっくり考えてみたら?っていう神様の声なのかもしれない。
2006/12/10
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最近ちょっと弱り気味のつばめに嬉しかったこと。今週は、たくさんの友達から、たくさんのメールが来た。・・・というのも、ある中国語コミュニティーに登録したら私の友人たちに勝手にメールが送られちゃったみたい。友達には迷惑かけたけど、久しぶりにいろんな友達と連絡が取れたことは、よかった。日本のあちこちに友達がいて、海外のあちこちにも友達がいる。上海や、香港や、アメリカの友達とも話ができてみんな頑張ってるんだなーって、励まされた。フィンランド人のパウリからも連絡が来た。パウリは私が7年前に北京に短期留学していたときの友達。1999年。私が最も低空飛行だった年。仕事に挫折し、自分が信じられなくなり、次の就職先を見つける気力もなく、ただただ、中国に行きたいという一念で北京にやってきたあの年。ブルー全開のつばめは、日本人留学生ともつるまず、ただただ、ストイックに中国語を勉強していた。クラス行事で万里の長城に行くことになったバスの中、私は一人、座席に座っていた。その隣に座ってきたのが、当時まだ高校生だったフィンランド人のパウリ。ナイーブで繊細で、シャイな笑顔でたたずむ彼、そんな雰囲気が私の気分にしっくりマッチし、それから彼と、友達になった。パウリは中国文化をこよなく愛しており、中国POPSにはまり、中国料理を好み、中国の羽根蹴りに夢中になっていた。彼は私の持つ欧米人のイメージと違い、静かな人だった。でも、心には中国文化に対する尽きない興味があり、いつも新しい発見に、胸をときめかせていた。彼は、中国語が上手な人だった。きれいな発音に、なめらかな話し方。面白がって漢字を書く彼は、非漢字圏から来た学生にしては、よほど珍しいほうだったろう。あれから7年。彼はまだ中国に魅せられている。アジア全般に興味があるようで、日本の古代文化にも触れたいし、韓国のキムチにもはまっているそうだが、やっぱり一番彼を惹きつけてやまないのが、中国。そんな彼と、いつか中国で再会する日がきっとあるに違いない。
2006/12/09
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12月。もうすぐクリスマスがやってくる。街もキラキラと輝きだす季節。一緒に街を歩いて、きれいだねーって、ほほえみかけたい相手が今年もそばにいない。日本の12月の雰囲気って、特別だ。クリスマスに浮き立った街と、師走の押し迫った空気。日本の12月は、こんなに素敵なのよって、教えてあげたい。感動するたび、その気持ちを伝えたい人が心に浮かぶようになったのは、いつごろからだろう。いるべき人がそばにいない。心にすーっと風が吹く一瞬。でも、感動を分かち合いたい人が心に住んでいるって、あたたかい。
2006/12/06
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先日、母がある求人広告を手に持って言った。「ほら見て、これ。年齢65歳までだって」とうれしそうに顔をほころばせている。「これで店辞めても行くところできたわ」うちの母は今年57歳。長年自営業の父を手伝ってきた母は、自分で働いて、自分でお給料というものを手にしてみたいという。店をやめても働こう(働かざるを得ない)と思っている母をけなげに思うとともに、それをうれしそうに話す母の明るさをさすがだと思った。でもほんと、求人広告見てると、30歳、40歳ぐらいまでっていうのが、多いですね。若いって財産だ。そして、その財産って一秒一秒減っていくのだ。何もしないでいると、稼げる能力って減っていくのだなあ。でも若さより大切なのは、明るさだ。最近乗馬に夢中になっている母の生き生きした様子を見ていると、人間、明るいことが大切だと思う。
2006/12/03
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