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活性酸素のことを簡単にすごく分かりやすく解説した文章がありました。酸化と還元とはいわゆる電子の受け渡し現象です。活性酸素による「酸化」は電子の奪い合いです。空気中にある酸素は三重項酸素とかいうらしいですけど、原子核のまわりに16個の電子を持っていて、それぞれの電子は2つのペアを組んで安定しているんだそうです。その2つの電子が何らかの原因で1つなくなり、ペアが壊れたものがいわゆる活性酸素です。⇒これをフリーラジカルというそうです。そしてこの活性酸素は失った電子を取り戻し安定するために、ほかの原子や分子から電子を奪うのです。狙った正常細胞の分子が、活性酸素と同じに電子が1つしかないなら問題はないのです。しかし活性酸素の狙う相手は電子が2つペアの安定したものからなんです。京都府立大の吉川という先生は、このフリーラジカルを「不倫ラジカル」と呼んでいます。つまり・・・どうしても結婚相手を見つけられなかったOLが(たとえですよ、たとえ話!)寂しさのあまり妻ある男性を奪い、自分のものにしてしまいます。ところが次にOLに夫を奪われた妻は傷つき、不幸にも寂しさのあまり他人の夫を奪って「安定」しようとします。こうして「不倫の連鎖」は果てしなく続いてしまうのです・・・・さて結末はいかに!乞う、ご期待。地震あったようですね?神奈川県、大丈夫でしょうか?
2006年08月31日
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参加と還元(飯山市は市長選です(3日告示)なのに、動きがない・・・)酸化と還元最近科学で証明できないといわれていたことにもずいぶん光があったって来たように思います。気功で水の「クラスター」を切断することなどが証明されつつあるようです。しかし重要なのは心をシンプルにして情報を得ることでしょうか。最初から疑っていると何事も信じられませんからね・・・
2006年08月30日
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遠い道もゆっくり行こう目と目をあわせて話しながらゆっくりでも休まないで長い間楽しもう長い愛だ幸せだLSD - Long Slow Distanceの略称 長距離低負荷運動のこと。
2006年08月30日
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真実はひとつではない。それはきっと太陽の回りを地球が回っているのが真実だとしても、私には太陽の方が回って見えるのも真実だということと同じようなものではないか?しかし「真理」というものはあるだろう。あるだろう、あるはずだと思った。私はなぜか真理を求めていた。私は、なぜか、真理を求めていた。真理と呼ばれるものを。真理と呼ばれるべきものを。その真理はつまるところ天上にあって崇高なものであろうと思われた。そしてその真理は争いを嫌い平和を尊ぶものだった。私はなぜか崇高なものを求めていた。私を高めてくれる何かを求めていた。私はその真理を、一人の男に託した。その男の言葉に従って自分の考えを入れる容器の形を変えた。その男の言葉が真理だ、と思った。思いたかった。しかし私は孤独だった。孤独だった、からこそなおいっそう男を求め男の言葉に従い自分の形を忘れ去ろうとした。忘れ去ろうとした。破綻は外からではなく自分の内部から起きた。その男に捨てられたのではなく、私がその男を愛することが出来なくなったのだ。というより私は愛してなどいなかったのだ。真理は幻だった。幻?真理は自らの中にある。それを求める孤独な心の中にこそある。真理は天上にあるものではなくこの薄汚れた地上にこそある。どんなみすぼらしい人にもどんな高慢な人にもどんなサディストにもその心の中に小さな一輪の花が咲く星があるように・・・高校の時息子が作った手製のハーフパンツ。私は不器用でこういうのは作ったこともありません。息子は私に似ず器用です。涼しくていいので私がはくことにした。今日も今日とて牛のパンツで家内労働。さすがにクロネコヤマトが集荷に来る時は着替えましたよ~ん。皆さんも普段は携帯入れて来てね。これではちょっと、会えませんしね?
2006年08月29日
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おやつに焼きもろこしを食べに行った。隣の信濃町、18号線沿いにある焼きもろこし屋は繁盛していた。気温23度。雲が出ていて黒姫山を覆っていた。ハモニカ食いをすると歯の隙間にどうしてもとうもろこしの皮がひっかかる。焼きもろこしには親切にも楊枝が1本付いてる。遅れてきた夏もそろそろ終わるか。ものすごく疲れていて眠い・・・今日もはよ寝ます・・・
2006年08月26日
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ミニトマトを「その美しさのままで包み込んで」みました・・・『私たち人間は、宇宙的見地からすれば、針の先でつついたような知識しか持ち合わせていない。そんなわずかな知識しか持ち合わせていないのに、既存の科学的知識で計り知れないものを“そんなものは存在しない!と否定してはいけない。ありのままに受け取るのが本当の科学者としての態度である』『人間はある統一的な全体の一部分である。この統一体をわれわれは「宇宙」(サムシンググレイト)と呼ぶ。人間は時空間に限定された一部分なのである。人間は自分自身や、自分の思考や感情を他から分離された「独立したもの」のように体験するが、それは人間の意識が視覚(肉体的な感覚)に惑わされた妄想に過ぎない。われわれはこの妄想にとらわれてしまい、個人的な判断や、そばにいるごく少数の人々に対する感情の中に自分を閉じ込めてしまう。われわれは自分自身をこの「とらわれ」から解き放たなければならない。そのためには、すべての生き物と自然全体をその美しさのままで包み込む、思いやりの輪を広げていかなければならない』by アインシュタイン遊んでいます。(音声アリ、注意!)千絵さんのところで教わったサイトで作りました。ア~ユ~ハッピ~? ^□^
2006年08月25日
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千絵さんから奇跡の水を送っていただいた。千絵さん、ありがとうございます。さっそくペットボトルで「繁殖」させる。息子が帰って来たので飲ませる。コップに入れて「奇跡の水だよ」というといぶかしげに飲み干した。「味は変わんないよ」と私がいうと思わず笑い出し、私も笑ってしばらく2人で笑い転げた。夫が帰ってきた。「ハイ、奇跡の水よ」と言ってコップを差し出すと飲み干した。スプレーにいてれおいたのを、あ、そうだ、と思って夫の脳天のかすかに薄くなったところへシュッシュッ笑い転げた。奇跡の水は別名「喜びの水」こんなものはあの人にもこの人にもあげたくなる。でももしこれが増えないこれだけのものだったらどうだろう。きっと独り占めしたくなるに違いない。世の中のほとんどのものはある意味基本的に「無限」にある。景色などというものは数えられないものだし。いくらでもあげられる。だけど私たちはおろかにも限りあるものを作り出し限りあると思い込み共有したり与えたりすることをやめ自分だけ、自分たちだけのものという概念を作り出した。お金とか権力とか、人に与えたらなくなってしまうものを愛する人がいる。前にも書いたけど私は愛ってなんだろうとこの場合の愛って異性愛だけど、ない頭で考え考えてたどり着いたところは土砂降り、、、ではなくて搾取だった。なぜそこに行き着いたかはもう覚えていない。だけど新宿歌舞伎町のインベーダー街を歩いていて私はとても孤独だった。女子供、それに代表される「弱いもの」その弱いものが「搾取」されていると感じた、この社会、特に都会。もちろん「愛」というものは多分その対極のところに位置している。与えること、それが愛の本質のような気がする。今更ながらだけど。奇跡の水は減らない、だからどんどん与えることができる。「あげる」という行為は、その誰かのために、たとえばその人が健康でいてほしいとか、悩みが解消してほしいとか、そんなことを思ったときにする無償の行為だ。奇跡の水は与えるということによって増えていく。これは水を与えるということを介して、喜びや思いやりの気持ちを与え増やしていくという喜びの、光の、増大スパイラル(マリィの造語)。これこそがシンプルにして本質的な愛じゃないの?あのとき、20代の私が時に苦しみ時に傲慢に時には涙の海に沈みながらも考えた。そのときのひとつの答えがいま手元できらきら輝いている。人は誰しも死ぬし、奇跡の水を顔にふりかけたって私が急に美人になるわけでもない。それは分かっている(笑)。人はこの美しい景色を壊すようなことばかりしてきた。人は、不老不死の薬を手に入れたがった。人は、富を自分のところへだけ引き寄せたがり、分配し循環させることを怠った。人は、なくなってしまうものを崇拝し、弱いものにもその考えを押し付けた。心を無にしてこのすばらしい自然の中にいると哀しいほどの透明な気持ちになれる。たとえ苦しいことがあっても、すばらしい自然の中でそれを感じる心だけは壊れないでいてくれる。そんな「人の本来持つ当たり前な生き方」を人は忘れている。忘れ去った人はいいんだよ、もう苦しくないからね。でも弱い人は、センシティブな心でかすかなかすかな電波を捉えている。違う、そんなはずじゃない、苦しい、助けて!感じる人には感じてしまうんだよ、そして苦しんでいる。人は当たり前に持つ生きる力を失った。いま力を振りまいているのは亡霊の仲間だ。借金を資産だなんていう頭の悪い爺亡霊もいる(笑)そして亡霊は人形の後ろに入ってそれをたくみに操りわれわれから搾取する、あるいはその手伝いをする。奇跡の水を増やして知り合いや友達にあげるという行動は一見、「物好き」という目で見られることかもしれないけどしかしその背後には、われわれの手にまた生きる力を取り戻し人生を、世界を愛で満たすという意味が隠れている。私一人には何の力もないけどでも私はこの世に「愛」があることを知っているしいま苦しみの底でもがいている人にその暗闇を懐中電灯の小さい光で照らしてあげることは出来ると思っている。あなたが私にしてくれたように・・・
2006年08月23日
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さわやかな風が吹いて、今日からは秋。毎日がピザ窯の前のような温度だったけど。昨日も涼しくて。そして今日からは秋。目にもさやかに見えちゃって、すすきも穂を伸ばしているし。とにかく空の色が秋。空気が秋。私の存在などありえないほどあいまいで不確定だけどだけどしっかり実感できるのはこのすばらしい景色の中にいるから。すべての人が私の存在を否定したら私は生きていることになるの?もしそんな悲しい思いにとらわれたとしても目は、耳は、肌は、脳は、心は、確かにこの美しい風を感じている。あいまいだけど、だけど確かに生きている。見て触れて匂いをかぐだけで幸せな気持ちになれる。私の住んでいるところってそんなすばらしいところ・・・来てみませんか?ご案内しますよ。
2006年08月23日
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辞書を引くと[leader]リーダーというのは「先頭を行くもの、案内するもの、指揮をするもの」という意味だそうだ。あと10日で圧倒的多数が選んだ長野県のリーダーとしての田中康夫がその席を降りることになる。リーダーという言葉の意味を考えていると、今度の知事になろうとしている者は、はたして「リーダー」という言葉にふさわしいのだろうか。リーダーにふさわしい選ばれ方だったのだろうか。あと10日です。今のうちによくHPを見ておきましょう!きっとこのHPもドラスティックに変わることでしょう、、、(使い方が変か・・笑)
2006年08月21日
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バッターボックスに立つ立って玉を待つバットを振る打てるか打てないか分からないだけどバッターボックスに立たなければヒットもなければ三振もないバッターボックスに立つバッターボックスに立つまでには見えないもがきがある苦しんで楽しんで好きな道を歯を食いしばって進んだ者だけがようやくバッターボックスに立つことができるのだ決勝戦2回、そしてどちらもすばらしい試合だった!面白かった!
2006年08月21日
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長野県HP、もちろん公式中でも注目したいのは左側にリンクしてある1、長野県における同和対策事業の見直し3、
2006年08月19日
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13日から14日にかけて時空がゆがみ裂け目ができた。14日の首都圏の停電もその現象の一つだった。その裂け目をふさぐべく立ち上がった何人かの者。今回その一人が、マリィと出合うことで、時空のほころびが直る。やっとのことで私たちは出会えた。そこですべてのものが一つのものになった。それには修験者や仁王の助けが必要だった。私の家は戸隠神社と小菅神社、どちらも修験の地として名高いところだが、その中間のトライアングルを形成する一角の場所にあり、露草とミントで結界を張ってある。しかしホームステイの人のタバコの煙でその結界が壊れ始めた。そして私はまた死の世界で悪霊と戦わなければならなくなった。(近寄って見てね、仁王さまです)私は一度死んだ。苦しんで死んだものでなければ、今苦しんでいる人を救えないのだ。私はお父さんやお母さんをなくして悲しんでいる子供を救うための仕事をしている。またの名を「マリア」という・・・壮大な経験をつんで一皮向けたマリィでした~~~(汗びっしょり!ここからは現実の話Aさんは心に長年の苦しみを抱いていました。私は知らなかったのです。ところがこの道を二人で歩いていると、急にAさんは泣き出しました。○○で悲しかった・・・そう言って・・・私はびっくりしました、だって私が聞いたわけでもないから・・映画になった阿弥陀堂の近くです・・・それから私はずっとAさんを抱いて「心配ないよ」と言い続けました。マリィがついているから大丈夫だよと・・・冷たい水の流れる音、鶯の鳴き声のほか何一つ聞こえない静寂の世界でした・・・私には苦しみをなくしてあげることは出来ないのです一緒に涙することしか・・・
2006年08月18日
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詳しくは18日の日記で
2006年08月17日
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この庭の椅子で星を見た久しぶりに星を見たうちの真上に天の川がかかっている都会から来たXさんが「ねぇ、マリィの家の上にかかっているの、あれ天の川だよね?一人で見るのが怖いから一緒に見よ」というので庭に出た。街灯もあるし真っ暗ではないけど、確かに今夜は夏空にしては星がよく見えるほうだ。Xさんはすっかり感動して一人でぺらぺらしゃべっている。私も久しぶりに椅子にかけて夜空を眺めた。涼しい夜風に吹かれながら・・・X「ね、森林浴っていうけど、これは星座浴だよね!」私「そうだね・・・」X「なんでこんなに星が近くに見えるの?標高が高いから?」私「空気がきれいだからだよ」星を見たまま、感じたままに受け止めよう。知識や情報を心の中から追い出した方が、人は幸せになれるんじゃないかと、星を見ながら考えました。でも赤ちゃんは星を見ても感動しませんね、多分。私が子供だった頃、小学生にはなっていたでしょうか。お盆やお盆が終わる頃に、2人の、時には3人の兄たちと一緒に、夜、ご飯の後、寝る前の時間の長い間、星を眺めたことを思い出します。あのころ、天の川の中洲もはっきり見えて、それどころか天の川を形成している一つ一つの星が数えられるぐらいはっきり見えて、兄の一人が大きい懐中電灯で星に向かって照らすと、いわゆるチンダル現象で目指す星の近くまでスーッと光の線が伸び、その星を指し示す。そしてその星の名前や星座の由来などを別の兄が話してくれた。確かに星というものを一人ではなく誰かと一緒に見る、そうすると自分を含めてその誰か、家族や友達が次第にいとおしいものに感じてくる。星の数とはよく言ったもので、数えていたら一生あっても足りないくらいだ。そんな一生を星を数えて過ごす人だっているだろう。しばらくぶりで星を眺めたけど、なぜか満ち足りた気持ちになった。星というものは宇宙からのすばらしい贈り物だ。星の輝きのようなすてきな贈り物である・・・いろんな星があるって、サンテグジュペリは言っている・・・酔っ払いのいる星星を乗っ取ったバオバブ満天の星が美しいのは、目には見えない花がどこかの星に咲いているからなのさ・・・とサンテグジュペリは「星の王子様」の中で語りますが、その話を思い出しながら見た星空も、私にとっては「満天の星空がきれいなのは、誰かと一緒に見ているから」と素直に感じました。
2006年08月16日
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昭和14年 母と伯父 靖国神社にて(父のアルバムより)今日は8月15日だそうだ。正直うんざりである。今上天皇、皇后の姿を戦没者慰霊祭で見たが、あの人が天皇になって18年、その「立場」をある種職業とみなしたら、たいへんな仕事である。なぜならその人生にはいつも、そしていつまでも「戦争」の二文字がついて回る。私は小泉総理が今日参拝したことに関して、なんか彼のすっきりした心を考えると、内外の批判に負けず(いや、負けたりもしたけど)今日参拝できて、よしっ、それでこそ小泉だ、というような気持ちにもなる(笑)ここ数日、靖国や戦争関連のTV番組をみたけれど、どう考えても「死んだら英霊となって靖国にまつられる」という文句でつって、戦争に参加させてただけじゃない。死んだ兵隊たちの霊も(間違って生きている人も多くまつられているらしいが)いわゆるA級戦犯たちの霊も、もはや一つのものになっているから分けることは出来ないなどと、分かったような分からないようなことを(詭弁?)靖国サイドは言っているという。しかしだよ、死んだ人じゃなくて生きている誰かが勝手にまつったといって、なんのことはない「まつった」といっているだけのものだ。骨があるのでもなんでもない。それにすべての兵隊がまつられているわけでもなんでもない。確かに受け皿的なもの、お参りするための窓口は必要なのかもしれない。戦友を亡くして靖国にお参りに来ている人や遺族には、靖国は大変重要な場所だということも、理解できる。A級戦犯の戦争責任や有罪かどうかということも、そして靖国にまつるということも含めて、それはそれなりの議論も必要かもしれない。だけど、私は「靖国で会おう」といって死んだ人たちが、もし靖国にいるとしても、こう考えてもらいたい。英霊になって、と言って、国はいわゆる靖国というものをうまく利用して若者を兵隊にとったんだ。国に有事があった際は命をかけてでも国家を守るという精神を私は批判する気は毛頭ない。確かに多くの人たちはそういう気持ちで臨んだのだろうし。しかしやはり「操作」させられた、ということも否定できない。それが「靖国」に象徴されているのではないか?もし平和を望むなら、戦争へと駆り立てていった、駆り立てられていった時に、そのときに「靖国」が道具として使われた、そのことを考えると、遺族の方々など、逆に靖国におまいりしないほうがいいのでは?などと思うのです。小泉参拝が韓国や中国でも話題になって相当批判されているようだけど、私はこの点については「いいかげんにしろ!」といいたい。これも自国の中に目を向けさせないために他国を批判するという常套手段で、またそういう風に国民の関心を向けさせるという点ではまさに情報操作をしているんじゃないの?そういう意味ではマスコミのエスカレートした報道にも、腹が立つ。なんで高い金出してヘリを飛ばしてまで、車まで上空から撮影しなければならないの?おかしすぎる!報道しないというジャーナリズムはないのだろうか。そしていつもいつもアメリカの影、61年前終わった戦争もあれば、今戦争中のところもある。やすいという意味はチープではない、平安という意味なのであるよ!戦争で死んだ3人のおじさんに(会ったことはないけれど)、昨晩聞いてみた。もちろん、私は「霊」と交信できるというような者ではないけれど。でもおじさんたちに向かって聞いてみた。おじさんたち、どこにいるの?おじさんたちは会ったこともない姪の私にきっとこう言うだろう。『魂とはどこか特定のある場所にいるんじゃないんだよ、おれたちを思う人のそばにいつもいるんだ。』コメントお返事は後ほど・・・
2006年08月15日
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金曜日にヤッシーこと田中康夫と会ってきたのですが、記念撮影のあともらったかなりの量の資料に目を通すだけでけっこう時間がかかりました。それはそれとして昨夜見るともなく戦争関連の番組を見ていたんですけど、、、パソりながらだからよくよく見ていたわけじゃない、でもときどきはっとするような資料が出てきて、その説明を現在まだ健在でいる旧兵士の方がするところはちゃんと見たりしてしまいました。自分では昨夜は個人的に懸案事項があったものですから、遅くに寝たんですけど、朝になって、またぞろ「追体験」が始まってしまいました。もう私はテレビで戦争物は見ないことにします。今までだって映画や単なるテレビドラマでさえ、暴力シーンは見ない、見れない私でした。実際に映像で見なくても、いろいろな情報によって自らの脳の中に、自分が体験したのではないけれど「いやな悲しい出来事」を作り上げて追体験してしまう自分がいます。悲しくて悲しくて、涙が出てきました。だんなは「俺がいるから大丈夫だよ」と言ってくれましたが・・・もう新聞もテレビも見たくないです。「知る」ということは諸刃の剣ですね・・・今回の、というか田中康夫が記者クラブを廃止してからと言うもの長野のSM紙は反田中キャンペーンを、本当に良く続けてきました。長野県民に48万部も配布している新聞がそういうことでいいのでしょうか。金曜日の記者会見では、全然予定になかったのですが私は一番前に陣取って(っつーかそこしか空いていなかった)、ヤッシー話の後に「質問は?」と言われたのでつい質問もしてしまいました!公式に知事に直接質問したのは初めてです!質問の内容に関しては後ほど。会見中の様子普通に考えてもこんな場を設けることができたのも、田中康夫が知事になったから、つまりは私たちが田中康夫を知事にしたからなんですね・・・その記者会見の場で私の隣に座っていたのは、今はあまり見かけない「顔グロ」のギャルでしたよ、両肩もろ出しのかわいい服装でしたけど、そんな子がこの先こういう席に普通に出られるとは到底思えません。会見場の壁にはこんなものが貼られている。なおガラス張りの知事室は、何度も言いますけど、次の知事は廃止します。知事室の中から(はじめて入りました!)ぶたのぬいぐるみが置いてあるところが知事の座る場所です。知事室の外から
2006年08月14日
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これは「ガラス張りの知事室」の中から外を眺めたところです。撮影 まりぃ外から見るとこんな感じ。今日は小澤征爾氏が来ていて、帰りがけに握手しました!お~世界の小澤の手!続きは明日! ん、ムーミン?笑
2006年08月11日
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元の木阿弥一度は良くなったものが再び以前の悪い状態に戻ること戦国時代の大名、筒井順昭が病死した際、声の良く似た「木阿弥」という盲人を薄暗いところに寝かせて筒井を訪ねてきた外来者などに死んだことをさとられないようにしたが、息子の筒井順慶が成人すると木阿弥はまたもとの身分に戻った、ということからその他いろいろな説がありますが・・・しばらく「批判」ばかりしそうです・・・私。知事公舎を作るらしいですね、新知事は。知事公舎というと元吉村知事の知事公舎は孔雀までいたというすばらしいものでした。また孔雀飼うんでしょうか・・・ぜひ自分のお金で買って飼ってほしいです。今まで知事の使うお金に対して用途や出所を逐一監視していたグループなどにはますますその目を光らせてほしいと言いたいです。そして燃えた帳簿の発見も期待します。全県48万のSMファンには悪いですけど、SMはいやです。SM紙もしあなたが長野県民だったらどちらに投票する?by Yahoo!ご存知ヤフー投票ですhttp://quizzes.yahoo.co.jp/quizresults.php?poll_id=3259&wv=1ちゃんと悩めば田中に入れる!北山県議のHPです。http://sanae.voicejapan.net/back/item/all/1155141200.html
2006年08月11日
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今日はお友達同士で結婚のお祝いパーティーがありました。花嫁さんがほんとにドレスで現れたのでびっくり!まるで本物の披露宴のように会は進んでいって(花嫁入場から始まり、スピーチあり、電報披露あり、余興あり、ブーケのトスありで・・・)、こちらも楽しませていただきました。末長くお幸せに!
2006年08月10日
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森と泉にかこまれて~♪森へ行きましょう、娘さん♪あるう日、森の中♪森といえばどんなことを思い浮かべますか?たとえば白雪姫3匹の熊などなど・・・森といえばなんとなくヨーロッパの雰囲気ですね。とくにドイツは人と森とのかかわりが深く、親友を選ぶには一緒に森を歩け、という言葉もあるそうです。いわば森友ですね、笑そのドイツに「クナイプ療法」という森林療法がある。簡単に言えば19世紀後半にカトリックの司祭だったセバスチャン・クナイプによって始められた自然療法とういうことです。クナイプは自らが重い結核に罹り医者にも見放されたのですが、冷水浴など当時の伝統的なヨーロッパの自然療法を試行錯誤して独自の治療法を考案、そしてかかっていた結核も治ったのだそうです。その療法がいまでも「クナイプ療法」として現在まで継承されていて、今では健康保険も適用されるということです。簡単にその内容を説明すると1、温水浴、冷水浴2、森の中の散歩3、栄養バランスの取れた食事4、アロマテラピー5、心と自然との調和を図るこの5つから成り立つ療法です。このクナイプ療法については私も知ったばかりです。でも私がこの間楽天で知り合ったmoimoiさんと一緒に行ったことが、まさにこれとほぼ同じだったので驚きました。■冷気ヒ~リング■♪心の旅■君はもうだいじょうぶだ■パスタコースで軽く本気でヒーリング森林セラピーというとまだまだ日本では知られていないようですが、実は「独立行政法人」というあやしげな組織ですが「森林セラピー」として認められた「森」がさすがに長野県内にはなんと5ヶ所、候補地まで入れると8ヶ所あるのです。そしてその8ヶ所の内1ヶ所は私の住んでいるところ、もう2ヶ所はすぐ近くです。
2006年08月10日
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先日はルモンド紙のサイトから、例の頭突き事件のその後を資料にフランス語の勉強をした。授業の内容一部報道にあったようにマテラッツィ[Marco Materazzi]選手が「人種差別的発言」をしたとされていたが、FIFAではその事実はないということでこの問題に終止符を打った。日本語だってひどい言葉は数々あれど、フランス語は本当にひどい言葉の見本市みたいなモンで、もちろんイタリアだって負けてないだろうし・・・(だって子供とかでも普通に「ちぇ、くそっ」といういみで「ピュイッタン」というんですけど、これはいわゆる「娼婦」という意味)だから心理的戦略で(といえば聞こえはいいけど)悪口を言うのは普通のことだそうです。だからこそジネディンヌ・ジダン[Zinedine Zidane](通称ズィズィ)が自らのキャリアの最後の最後、そしてその上世界選手権のフィナル(決勝)であの行動[le coup de tete]にでたのか不思議だ、ということです。マテラッツィが言ったのは多分「お前の母さんでべそ」ぐらいの言葉じゃないかということで、人種差別的発言があったとしたのは、ドミニクによれば、最初イギリスかどこかの新聞がそう書いたということです。まったく新聞、テレビっていうやつは。coup de~coup de tete 頭突きcoup de baguette 棒の一振り(魔法使いが杖を振って魔法をかけること)coup d'Etat クーデター
2006年08月09日
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7月29日のご来光です。デスクトップに設定しました。さ、これでいいことがドンドンあるぞ!
2006年08月09日
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♪癒しの歌が~♪聞こえてくるよ~♪けろ けろ ケロ ケロ♪癒してけろ けろ くゎっくゎっくゎ癒し癒しというけど、どうもこの癒しというのは heal、 healing という語の訳語として広まったようですね。このヒールという語はカリフォルニアあたりから出てきたといわれていますが、実際は病気を治すという意味ですけど、もともとは自分の力で直すという意味合いが大きいそうです。ここ何年か「癒し」とか「癒し系」とかわけわかんない活用が増えた「癒す」という言葉ですけど、どうも癒しをほしがっている人の多くは「癒してほしい」「この苦しみを分かってほしい」「幸せを与えてほしい」・・・という、どうも受動的な気持ちが多いような気がしてきました。なんかさ・・ふざけろ!甘えるんじゃねぇ!っつー気もします。アハハ、誰に言ってんだ?自分かぁ・・・すみませんでした!やはり人生は自分の手で切り開かないと!な!
2006年08月09日
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若い時つまらないことをちょっとかじっていた。そのことを知り合いなどが聞くと「今俺の考えていることが分かっちゃうんだろ?」なんて言うんです。分かることもありますが(笑)分からないことのほうが多い。そういう風に言われるのがいやで私は自分の専攻を学校の知り合い以外にはあまりしゃべらなかった。なぜなら自分の気持ちだって分からなかったから。何でこんなに苦しいのにあの人を好きなんだろう?それが不思議で苦しくて苦しくて元気になれる魔法のレシピ携帯メールマガジンですけどパソコンからもOKです。しかしこのカテゴリーがまたすごい!■カテゴリ>サブカテゴリ: 暮らし/美容>心理/哲学暮らし、美容の中の哲学!元気な人にはあんまし必要ないんですけど、よかったらどーぞ!笑ここのところほかのメルマガも発行始めたんで“ネルマガ”ない!追記夕方になってやっと!30度を下回りました。サーティディグリーズ!
2006年08月08日
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perform=(仕事を)行う(約束を)成し遂げる(実験を)する(演劇を)上演する(役を)演じる演奏するperformance=遂行実行公演、上演演技、演奏performer=実行者役者演奏者英訳せよ彼は自分の仕事を実行した彼は自分の役をうまく演じたしかし彼の演技は評価されなかった 遊んでみました~ ^□^
2006年08月08日
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今日ひとつはっきりしたことがあるじじいは嫌いせいぜいベニヤかなんかで覆って、決してお金をかけないでほしい。自分が知事だったらどうだろうと考える。そう思うと透明性をシンボライズするガラス張りの知事室なんていうのは画期的な手法だ。しかしそういう画期的な方法を嫌う人がいる。そういう人の中でもとくにjijii(年寄り)と呼ばれる人とは、私は相容れない。幸せって降ってくるもんじゃない。県民自身が自分たちのために知恵を絞ってあるいは汗を流し傷つき妥協して作り上げていくモンじゃないのか?お上に「垂れ流し」されるのを待つ人がどれだけ多いことかコバンザメがどれほどいるのか・・・しかし知事というのは「リーダー」であることには違いない。私たちきちんとリーダーを選ばないと!
2006年08月07日
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田中康夫が知事として長野に与えたものは大きかったと思います。きっともう県知事としてヤッシーの名があがることはないのかもしれません。今回の選挙では村井もやだけどヤッシーもなぁ~という人の票が多かったと思います。それが投票しないことにつながった。私の周りには田中康夫嫌いという人もけっこういた。嫌いでも県知事として長野を変えようということに託したんだと思う。それが前の選挙。特に年寄りの男性はあんなやつ生理的に嫌いだろうな~(笑)でも県職や市職の仕事は基本的に「サービス」つまり奉仕であるということは確かなので彼の「サーバント」という言い方はとてもいいと思った、私はね。だって役所って居丈高だったもの!役人てほんとやなやつ多い!言い方ひとつとってもなんだ?と思うこともあったし・・・でもいろいろなことで反感を買ったなぁ~(内部でも給料カットされて、タバコもすえなくなって怒っている人も多いとは思うけど!)目先のことにとらわれたり、声の大きさにとらわれたりする人は多いっていうことは確かだし。どんなに理想が良くても、実際評価される方向で形に表していかなければ結局最初担いでいた人たちも離れていく。私の個人的に知っている人たちの多くがそういう人たちだった。たとえばうちのまん前に例の木製ガードレールが設置されている。その設置方法だって、実は疑問に感じるところもあった。県の「課」をチームにして「課長」をチームリーダーというように呼び名を変えたことなどはいいことだと思うけど、彼一流の「パフォーマンス」を良しとしてとらえていない人も多かった。私には確認できないけど「本当だとしたらちょっとなぁ」というようなかなりやばい情報をいくつか聞いたこともある。今回はそういう意味でもとにかく選択肢がなかった。どっちもやだ。笑そういう人に選択肢がないんだったらがまんしてもう一期といいたかったのだが・・・私ら方など田舎では誰が来ないとか来たとか分かっちゃうくらい小さい村の投票所で、隣のおやじさんが立会い人してたり、受付の市の職員が仲いい人だったりするとこでは、とてもとても「票を持ち帰る」なんてことは出来ない。(へたすりゃなんて書いたか後姿で分かっちゃう!笑)そんなことを投票前に知り合いと話した。それに地元の新聞は「公共性」ということにかけてはかなり疑問を感じるほど明確に「反ヤッシー」の立場で書いていて、いいんだけど(よくはないか)見る新聞がそれしかないのでその記事を真に受けていたら「ヤッシーどうなのよ」ということにもなりかねない、というかなったし!(笑)この先いつか「燃えた帳簿」が現れる日も来るか知れない。(このことを自分なりに考えたけど、本当にそんな大事なものを人は燃やしてしまえるのか?私だったら燃やさない、どこかへ封印して「燃やした」というだろう、あるいは原本は燃やしてもコピーは必ずとっておく!)この先日本は年寄りばっかになって県の歳入を増やそうとも増やせないことになる、すぐなる。建設関係の公共事業ばかりに頼る体質を変えなければということが分からなければどうなるのか、そんなこと火を見るよりも明らかだよ。あとはどうなるか。まずは県議会の長老の大物I議員を県会から葬り去ることを(過激な言い方だが!)実行すれば、かなり変われるんじゃないかと言う人もいて。ヤッシーは大きな足跡を残した、そのことに感謝してご苦労様といいたい。
2006年08月07日
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8月になると決まってTVは「戦争物」のオンパレードだ。今日もなにげにつけた番組で「生体解剖」のことをやっていた。やられたからやり返すやるかやられるかそんな言葉。暴力はいやだ、作り物であっても目をそむける。女が性的に蹂躙されたことは別に戦争の時ばかりじゃないだろうけど「戦争」という狂気が正義としてまかり通るときそんな時に犠牲になった女達がいた。特に兵隊の性欲を満足させるために「拉致」された女性たち(慰安婦)のことを知ったとき、私はほとんど追体験といっていいほど衝撃を受けて、知ったときというよりそれがそういうことか考えた時だ、セックスを拒否する気持ちになってしまった。でもそのことを私は自分に対して「被害妄想」「強迫観念」ではなく「人の痛みを知る」「繊細」な心の持ち主と認識してあげたい。
2006年08月06日
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夏らしくさっぱりと。カニとトマトのパスタ(冷製)私の中でふつふつと湧き出るものがある。それは今までなかったものではなく、あったけど気がつかなかったもの。それは与えるということと受け取るということ。リンクしてくださっている大久保さんがとっても幸せな日記を披露してくださって、私は幸せのおすそ分けにあずかりました。そして思ったんです。苦しいとき、そんな時は笑えないし、誰かの幸せを喜ぶことも出来ない。与えることも、そして受け取ることすら出来ない。私は誰かの幸せを素直に喜ぶことが出来て幸せだな~と思ったんです。今この瞬間にも何かで苦しんでいる人がいて、そういう人は苦しみにとらわれていて幸せだなんて思うことが出来ない。受け取ることが出来ないんです。そう思ったとき昨日の「特製パスタ」を書きました。与えることは幸せなことです。受け取る事だって幸せなんです。誰だって本当は幸せになりたいんです。それに気づくかどうか。感じてほしいんです。一人で苦しむことはないよと。私のパスタはあなたと喜びを分かち合うパスタなんです。それに気づかず苦しんだこともありましたが、もう大丈夫です。みなさん、ありがとう。大久保さん、ありがとうございます。--------------今回の知事選についてはうまくコメントできません・・・
2006年08月06日
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ちょっと逃げておいで何も聞かないから。景色のいいところへ行ってぼ~っとしよう。少し歩こういいところがあるんだ。暑いね、汗もかいたし、お腹がすいた?何か作るよ、パスタでいい?君が来るっていうから、野菜をネ実家の畑から採って来たんだ。さっとゆでてマリネしておいたの。冷たいトマトのパスタにのせて・・・まりぃ特製パスタだよ!おいしい?・・・幸せって、それに悲しみも伝染するんだよ、心と心の間にある見えない電線でさ!うふ、笑ったね。君の笑顔が見たいんだ。おしいね、一緒に食べるとほんと、おいしいよね!うれしいな、君に会えて・・・・余談こんなすばらしい長野の自然を大事にしましょう。世界はつながっています。明日は知事選投票日です。
2006年08月05日
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今朝地元の新聞の1面には、昨日の試合結果は載っていなかった。スポーツ面にいわゆる「地元ジャッジ」ということが書かれていた。まんまさんのコメントにあるように「心の金銭」に触れてしまったのだろうか・・しかし私は一銭ももらってないから(笑)はっきりいうけど、あれはテレビ局が悪い。大人は汚い!金、金、金。視聴率かなんかしらんが感動だったら昨日素直に負けていたほうがしただろう。感動だったら漫画の方がよっぽどする。立つんだジョー!だいたい素直な子供をスポイルするのは汚い大人じゃんか!今まであの兄弟の番組とかちゃんちゃらおかしくて見たこともなかったけどひたすら打ち続ける昨日の彼にはちょっと感動した。ただ一流の選手に仕立て上げようとするなら「常識」と「礼儀」をも教えてあげる必要があると思う。「拳闘」って元はイギリスのスポーツでしょ?リングの外でもかっこよくてはじめて彼はヒーローになれるのです。その拳で観客の心を打ち抜いてこそボクサーはヒーローになれるのです。
2006年08月03日
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判定負けと思いました、今夜の試合あれで勝ち・・・ん~彼、頑張ったとは思います。でもダウンしてるし・・・まぁ世の中頑張ったって負けることもあるでもいいじゃないか、もう一度やれば!人生あきらめずにチャレンジだ!そういうのは別にして殴りあうってはっきし言ってスポーツじゃないじゃないけどスポーツだ人はこらえ切れない何物かが体内で膨れ上がった時殴りたい、と思うでも殴れないよってスポーツで発散する人はスポーツによってうまく発散したりする術を学ぶべきだと思う楽しむスポーツを身に着けることが必要だ私の場合見るのは子供の時⇒プロレス学生⇒野球するほうは中学⇒スキー大学時代はキャッチボールが好きだった結婚してから⇒自転車発散は私の場合とにかく音楽、とくにロックとクラシックずっと歌っていた音楽はスポーツだ!爆発だ!ということで?
2006年08月02日
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けいたいかいたいけ?携帯かえた P701iDメルアド、番号はそのままこれでやっとサイトが見れる・・携帯用サイトと携帯のメールマガジンも発行します~
2006年08月02日
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目、というものは非常にいい加減で、、、見えたものを自分の都合のいいように「見てしまう」特技があるそうな、、これは「目」ではなく「脳」ですけどね、目はきっとちゃんと見てるんです。でも「脳」が・・・バカですね~脳って!(私のだけではなさそうですケド)でもまぁ見るということで「目」ということにしておきますけど、その目がつまりは心の目が曇っているとうまく画像が結ばない。そんなよごれたレンズを通してものを見ると、物も汚れて見える。そんな時はレンズを拭けばいい。結局は「自分の心」という「曇ったレンズ」で事象を捉えている、事象そのものは単なる出来事であっても、ゆがんだレンズを通してみるとゆがんで見える。そしてその曇ったりゆがんだりしていることがまた自分の心を傷つけたりする・・・去年の日記を読み返すと、今「確実に変わった」自己を見つけ出すことが出来る。去年の10月、私はまだ苦しかった・・・さしずめダジャレ界の太宰治だ、その名も「ダジャレお寒」とかね、ありありと苦しみが表れているよね・・・(え?表れてないって?・・・)存在の否定だれだって自分の皿の上に自分の描く絵を描きたいんです。かなり長い間休んだものなぁ・・・ずいぶんレンズの掃除も出来ました。ひとつ言える事はこれはリンクしてもらっている皆さんのおかげです、皆さんの存在は私にとっては大きいです、おおきいです~(大きくしてみました)
2006年08月01日
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涙にはその中に人がストレスにであったときに分泌する成分が入っていると言われています。涙を流すとそれらの物質も排泄される、つまり文字通り「洗い流してくれる」。笑いのない家庭や笑顔のないカップル、特に何があった訳でもない、そんな時、そんな人たちにおすすめできる映画があります。チャップリンのサーカス、です。昨日テレビで見たのですが、今朝も思い出して笑ってしまいました。涙が出るほど笑いましたよ!これで解決するでしょう!ただただ悲しいだけの物語もありますよね、古今東西、手を変え品を変え、でもつまりは素直に泣ける物語。人が欲しているからなのでしょうね。泣くことは人の心にとって大切なことなんです、ケチケチしないでたくさん涙を流しましょう。泣いてください。泣くことが人類を救うのです。でも私としてはあまり悲しい話よりもおかしくて笑って涙を流すほうが好きです。ということで一家に一本!見てもらえば分かるのですが、、、、この映画でチャップリンがしている綱・・・いやいややめとこうっと!見てのお楽しみということで。この写真のシーンがなんといっても抱腹絶倒!とにもかくにも♪笑いましょう~泣きましょう~涙を流しましょう!笑顔の花を咲かせましょう~
2006年08月01日
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