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開幕前に賭博などのゴタゴタがあって、「今年もプロ野球なんか見ないぞ!」とボクは固く心に誓っておりました。が、しかし、ついにその禁を破ってプロ野球を見に行ってしまいました。6月17日、ヤクルトの二軍・戸田球場へ。■事前に予備知識をもたず、そして特別な目的もなく、ただただ試合を眺めていました。すると真っ先に目に飛び込んできたのは、ロッテの平沢大河(仙台育英)でした。まだ記憶に新しい「18Uワールドカップ」の彼の雄姿。堅実な打撃で、常に日本代表の3番を任されていました。しかしドラフトのアヤというか、志望した楽天には入団できず、代わって楽天に入団したのが日本代表の同僚だったオコエ瑠偉(関東一)。連日オコエの(一軍での)活躍が報道される中、平沢の心境は穏やかでないかもしれません。この日の試合も快音は聞かれず、表情は常に曇っているように見受けました。そんな平沢にかける言葉をボクは探しました、必死に。そして見つけた答えは「人生は長い!」(苦笑)でした。ただあまりに稚拙なため声に出すことは憚れて、結局心の中でつぶやきましたよ。「野球人生、短いようでまだまだ先は長いぞ!」と。 (写真)平沢大河。あ~~~空振り? いえいえファールチップです。まだ三振ではありませんよ! (写真)ショートを守る平沢。「野球人生、短いようでまだまだ先は長いぞ!」。目指すは同郷の小坂誠か!? ■次に目についたのが、ヤクルト・西浦直亨(天理ー法政大)。ヤクルトの5番・サードで出場していました。背負った背番号は「3」。ヤクルトの「3」といえば、かつては荒川堯(早稲田実ー早稲田大)の番号でもあり、球団の期待の大きさがわかろうというもの。「なぜ背番号3が戸田にいる? キミがここに居てはいけない!」と、 この時も心の中でつぶやきました。この試合の5回裏、西浦は三塁に走者を置いて逆方向に適時打を放ちました。それはそれは見事なバッティングでした。しかし、実はこの時、ボクはポテンヒットを打ってくれ!と念じていたのです。きれいな安打など要らない!と。その理由を説明するためには、彼の法政大時代のことを書かなければなりません。天理高時代に「8割打者」などともてはやされた西浦は、大学入学も若い学年の頃から4番を任されることが度々でした。しかしなかなか結果が残せません。4番という重責にもがき苦しんでいるようにさえ見えました。そして迎えた大学4年の春、打順は下位打者に降格されました。でも、ここで西浦は開眼しました。きっかけはポテンヒットです。2013年4月27日の対慶應義塾大1回戦でした。いつものように4打席を凡退し「あー、今日も西浦はダメか・・・」なんて思って見ていた5打席目、彼の打った打球はフラフラと上がってセンター前にポトリと落ちる適時打となったのです。一塁塁上の西浦のホッとしたような安堵の表情と言ったら・・・(笑)。この一打を機に、西浦は確実に変わりました。ポンポンと本塁打が飛び出すようになったのです。ちょっとしたきっかけが転機になることは往々にしてありますが、西浦は特にその傾向が強くて、スランプが長い。2014年3月28日の開幕戦で記録した史上8人目の「初打席・初球・初本塁打」から早2年余り。西浦の復活のきっかけはポテンヒットにある。ポテンヒットが出たら西浦の復活と思え! そうボクは信じることにしています。 (写真)西浦直亨の見事な逆方向打ち。でもボクはポテンヒットを見たかった・・・。 (写真)西浦。この試合ではサードを守る。
2016.06.24
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全日本大学野球選手権の2回戦、関西国際大と明治大の一戦(6月8日)。■タイブレークになった延長10回裏、1点差を追う明治大はなおも二死一・三塁のチャンス。打席に4番・牛島将太(4年、門司学園)が打席に立ちます。そして、初球でした。真ん中に入った直球(140キロ)を豪快に叩くと、打球はぐんぐん伸びてレフトへ。背走して追いかけるのは、この回からレフトに入った関西国際大2年の藤原朋輝。そしてフェンスに達すると、身体を「く」の字に曲げてジャンプ一番、目いっぱい上にグラブを差し出して好捕しました。このファインプレーが飛び出したことで3アウト、関西国際大の勝利が決まりました。打球はフェンス上部まであと50センチ程度の高さだったでしょうか。もし捕球できなければ明治大の三塁走者はもちろん、一塁走者も生還して逆転サヨナラ負けのケース。紙一重のところで、藤原のプレーが関西国際大に勝利をもたらしました。■この藤原朋輝はPL学園の出身です。部員の不祥事(暴力事件)に端を発した監督の辞任、対外試合の禁止。さらに廃部問題にまで発展したPL学園野球部ですが、そのさまざまな問題が渦巻く最中、主力選手として奮闘していた選手のひとりが、この藤原でした。新監督のなり手がいない中で、野球未経験の正井一真校長がベンチで陣頭指揮を執る異常事態であるにもかかわらず、2014年夏の大阪府大会では大体大浪商や関西大北陽をなぎ倒して決勝進出したニュースは記憶に新しい。惜しくも決勝では、香月一也(現・ロッテ)や青柳昴樹(現・横浜)のいる大阪桐蔭に大敗しましたが、藤原は1番・センターでこの試合に出場していたようです。原因は部員にあったとしても、オトナの事情も絡まって問題が複雑化する中で、野球に集中することはとても難しいことだったと想像します。たしか田中将大が駒大苫小牧を卒業する際、甲子園で連覇記録を作る一方で不祥事、甲子園出場辞退などの経験を振り返り、「まるで天国と地獄をジェットコースターで往復しているようだった」と心情を吐露していたのを思い出します。天国と地獄。藤原にとっては高校時代の経験が仮りに「地獄」だったとすれば、全日本大学野球選手権という晴れ舞台で見せたファインプレーは、野球の神様が特別に用意してくれた「天国」だった、と言えるかもしれません。 藤原にとって天国がこれからも続くことを祈りたいと思います。 (写真)勝利決定直後の関西国際大ベンチ前。中央が藤原朋輝(だと思います。背番号が見えないため確信はありませんが)。~J-SPORTSより(以下も同じ) (写真)藤原のファインプレーを目の当たりにして、まだ敗戦を信じられない表情の明治大・柳裕也。
2016.06.22
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今年の全日本大学選手権もすでに決勝戦を残すだけとなりました。あまりに速いスピードでスケジュールを消化するため、ボクの録画チェックが追いつかない状況です、残念(*_*)。ま、そうではありますけれど、まずは取り急ぎ、2回戦の亜細亜大vs富士大(6月8日)を。■亜細亜大のユニフォームを見ると思い出すのは、元近鉄バファローズの大石大二郎です。たしか1979年の日米大学野球だったかな? セカンド・大石(当時、亜細亜大4年)のキビキビしたプレーを見て、ボクはテレビに釘付けになったものでした。打撃がどうとか、守備がどうとか言う以前に、プレーヤーとしての姿勢やセンスが、他を寄せ付けない圧倒的な存在に見えました。■さて、6月8日の試合ですが、2回表に珍しいプレーが飛び出しました。ホームスチールです。三塁走者の体重91キロの巨漢捕手、宗接唯人(むねつぐ、4年、神戸国際大付)が見事に決めました。この回の先頭打者、宗接が四球を選んで出塁すると、送りバントで二進後、すぐさま三盗に成功。そして打者・山本卓弥(1年、神村学園)の初球、勢いよく三塁ベースを飛び出した宗接はその勢いのまま本塁へ突進してホームスチールを成功させました。驚いたのは富士大バッテリーだったでしょう。右腕の小野泰己(4年、折尾愛真)が投球動作に入った瞬間、三塁走者のスタートが目に映ったはずですからフォームが崩れて、ボールはワンバウンドしてあらぬ方向へ放られてしまいました。注意して見ないと単なるワイルドピッチによる生還に見えたプレーですが、これは正真正銘のホームスチール。富士大の快速投手・小野を攻略する作戦のひとつでした。 ■実はこのプレー、用意周到に練られた亜大の作戦でした。スポーツ報知が詳しく書いています。最速151キロ右腕の小野泰己攻略へ、チームは前日(7日)に異例の本盗特訓を敢行した。投球動作開始から捕球までを2・2秒とはじき出し、50メートル6秒4とそこまで足の速くない巨漢・宗接もホームまで1・8秒。勝負できると確信した。「ノーヒットでも点が取れるのが亜大」とヒーローが言えば、生田勉監督(49)も「ドキッと揺さぶろうと思って、(三塁に)行った瞬間やると決めた」としてやったりだった。(以上、報知)富士大 100 000 000 =1亜細亜 010 002 10X =4■さらに、野球とは関係ありませんが、こんな記事が続きます。この日の朝、合宿所にナインの歓声が響き渡った。大島正克野球部長(68)のゼミ生で、重体だった冨田さんが意識を取り戻したニュースが食堂のテレビに映し出された。同じ学部で同学年の嘉陽宗一郎は「チーム全員の気持ちが上がった。冨田さんの分まで頑張ろうと思った」。今季リーグ戦で完投ゼロの右腕が、全国の大舞台で1失点完投勝利と気迫満点の快投劇を演じた。(同上)冨田さんとは、先月21日に東京都小金井市で発生したアイドル刺傷事件の被害者、冨田真由さんのことですね。
2016.06.11
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昨日は、南関東予選・第3代表決定戦を観戦しました。対戦カードはJFE東日本ーホンダ。すでに第1代表は日本通運(さいたま市)、第2代表は元ロッテの渡辺俊介がいる新日鉄住金かずさまマジック(君津市)に決定しています。南関東から都市対抗本選(東京ドーム)に出場できるチームは3つですから、第3代表はいわば「最後の砦」。両チームにとって、この試合はいわば「崖っぷちの戦い」でしたが、JFEがスコア7-5で勝利し、東京ドーム最後の切符を奪取しました。2016年6月6日(於:県営大宮公園球場)ホンダ 000 200 120 =5JFE東 040 030 00X =7(ホ)福田勇ー福田大ー吉越ー福島、(J)中林ー幸松 ■勝利したJFE東日本の先発投手は、左腕・中林伸陽(慶應高ー慶應義塾大)でした。以前、神宮でよく見た投手です。プロ野球界では「悲運のエース」と呼ばれる投手がいますが、この中林は「アマチュア球界における悲運の投手」、そんな印象がボクにはあります。なぜなら、どんなに好投しても味方打撃陣に得点能力が乏しく延長になることが度々、そしてとうとう中林が力尽き1点を失うと、そのまま慶應が敗退する。そういった試合が連日続いたような記憶があります。そして迎えた2009年ドラフトでは悲しいかな、どの球団からも指名がありませんでした。きっと相当に落ち込んだことでしょうが、ドラフト翌日の早慶戦1回戦に先発すると、そんな悲壮感をまったく見せずに早稲田・斎藤佑樹(現・日本ハム)に投げ勝ち、通算20勝目を飾りました。ボクはこの試合を神宮で見ていましたが、中林には頭の下がる思いで見ていたものでした。その時の記憶があり、今日この試合を見に行った目的は、この中林を見ることだったのです。 (写真)先発して勝利投手となったJFE東日本・中林伸陽。だいぶ貫禄がついて、遠目には山本昌に似て見えました。 (写真)慶應義塾大時代の中林。~『早慶110年史』(ベースボール・マガジン社)より。 ■そして中林や幸松司(敬徳高ー九州産業大ー九州三菱自動車)とバッテリーを組み、投手を支えたのが土屋遼太捕手(早稲田実ー早稲田大)でした。土屋は2回裏にラッキーな先制打(記録はレフトエラー)を放つなど4打点を叩き出して、いわば「打」のヒーローでもありました。そして勝利確定後、ひとりだけ歓喜のあまり立ち上がれない選手がいましたが、それが土屋でした。彼の頭の中でどんなことが去来していたか、ボクに知る術はありませんが、とても感動的なシーンではありました。 (写真)JFE東日本・土屋遼太。 (写真)早稲田大時代には、現・日本ハムの有原航平らとバッテリーを組んだ。ほかに同級生には現・ロッテの中村奨吾がいた。そして一学年下には、現・巨人の重信慎之介や現・楽天の茂木栄五郎ら。~sky-Aより。 (写真)ホンダの投手コーチ・真壁賢守さん(東北高ー東北福祉大)。
2016.06.06
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去る5月30日、当ブログは250万アクセスを超えることができました。ここ1ヶ月ほどは1日あたり約2,000アクセスで推移しています。これもひとえに読者の皆様のご愛顧によるのものと存じます。今後も地味にコツコツと続けていくつもりですので、これまでと変わらぬご支援ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。 ■さて、今日は都市対抗・南関東2次予選を観戦しました(於:県営大宮公園球場)。南関東地区の第2代表を狙う一回戦2試合があり、それぞれホンダ(狭山市)16-0オールフロンティア(春日部市)、そしてJFE東日本(千葉市)12-1YBC柏(柏市)と、とても大味なものでしたが、出場選手を見ているだけで楽しい心持ちになりました。まず第一試合、ホンダの先発・福島由登(大阪桐蔭ー青山学院大)。ボクにとっては、彼の大学よりも高校時代のほうが印象深い。2008年夏、甲子園の優勝投手です。準決勝で筒香嘉智(現・横浜)のいる横浜高を9-4で下すと、決勝では常葉菊川を17-0で破って優勝を決めました。チームメイトには現・西武の浅村栄斗や萩原圭悟(関西学院大ーヤマハ)がいましたね。福島は現在26歳、もっと早くプロ入りすると思っていましたが、なかなかそうはならないようで。あ、そうそう、ホンダの投手コーチは真壁賢守さん(東北ー東北福祉大)です。東北高でダルビッシュ有に次ぐ二番手投手として活躍した、あのメガネの・・・。 (写真)ホンダ・福島由登。身体がかなり大きくなった印象。 (写真)途中出場した篠塚Jr. 篠塚宜政(桐蔭学園ー青山学院大)。 ■そして第二試合は、JFE東日本の中島啓喜(桐蔭学園ー明治大)が7番・センターで出場していました。明治大の4年時には主将を任されたものの、打撃は不振を極めた印象が強くあります。しかし今日は絶好調、長打をポンポンとかっ飛ばしていました。ほかに長谷川裕介(常葉菊川ー法政大)と大澤裕介(作新学院ー法政大)の法政コンビもいました。 (写真)JFE東日本・中島啓喜。4回、三塁に走者を置いて右中間を破る二塁打を放つ。 (写真)同じく中島。 (写真)JFE東日本・ショートを守る長谷川裕介。 (写真)JFE東日本のファースト、大澤裕介。
2016.06.03
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