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11月14日に行われた準々決勝・日本大ー東海大北海道キャンパスの録画を見ました。試合は日本大の圧勝でしたが、日本大の9番センター・千葉翔太(3年、花巻東)を見られて満足でした。「カット打法」で注目を集め、3年前夏の甲子園ではエース安楽智大(現・楽天)擁する済美に内野5人シフトをとらせた、あの選手です。ことごとくファールして粘り、四球を得るとガッツポーズで一塁へ駆ける姿を忘れられません。あれから3年、久しぶりに見る千葉は、ますますイヤらしくなっていました!(笑) 打席では両足を小刻みに動かし、バットを立てたり寝かせたり、とにかく忙(せわ)しない。実況アナ氏は「手で払ってもまた近寄る蚊のよう」と表現しましたが、これは言い得て妙。千葉を応援するボクでさえ、見ていてイライラしました。2ストライクまでバットを振る気がない様子ゆえ、相手投手はど真ん中に投げればいいものを、千葉の妖術にはめられたように球は上下左右に大きく外れるばかり。結局この試合では2四球を稼いで、チームの勝利に貢献しました。イヤらしさが進化を続ける千葉、来年はリトルと高校通じて1年先輩・大谷翔平の後を追って、プロ志望届を出したらいかがでしょうか?余談ですが、リトル時代は大谷がエース、この千葉が二番手投手だったそうです。写真:NHK、skyA(写真)花巻東時代の千葉翔太。身長157センチ、60キロ。(写真)甲子園を沸かせた「カット打法」。打球はこの後、三塁ダグアウトへ。(写真)済美高時代の安楽智大。(写真)日本大の3年生になった千葉翔太。(写真)とにかく動きが忙しない・・・
2016.11.25
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※この進路情報は、すでにマスメディアで報道された情報のみ紹介しています。サンスポによると、木更津の左腕・早川隆久が早大スポーツ科学部の推薦入試で合格したとのこと。早稲田のユニフォームに身を包む早川の姿を、早ければ来春に神宮で見られそうです。■三たび甲子園出場している早川ですが、最も印象的だったのは今年センバツの準々決勝でした。対秀岳館戦の9回裏、渾身のクロスファイヤーは打者の膝元にズバッと決まったように見えましたが、判定はボール。この判定が尾を引いたか、相手打線に連打を浴びてサヨナラ負けを喫しました。テレビで見ていてとても微妙な判定に見えましたが。■あの一球ーーー。対秀岳館戦の9回裏を振り返ります。8回までスコア1-0、木更津が1点をリード。それまで早川は被安打2、相手に得点を許さない投球を見せていました。でも完璧に抑えていたのではなく、相手打線に散々粘られた挙句に四球を出すシーンもあり、順調とは言えなかった。9回裏もそう。この回先頭の秀岳館2番・原田拓実がカウントを追い込まれるもカットして粘り、ついには四球を得て出塁(無死一塁)。次打者が送りバント、そして4番・九鬼隆平が一ゴロで凡退して二死三塁に。あと一人、あと一人をアウトにすれば勝利、ベスト4進出です。■そして秀岳館の5番・天本昂佑に対し、フルカウントから投じた6球目。それは天本の膝元にズバッと決まるクロスファイヤー。丹念にコースをつく投球術は早川の真骨頂。これが勝利を決める最後の一球に見えました。が、しかし、判定はボール。「えっ?」苦笑いする早川。【写真1】この一球が、早川にとって明暗を分ける分岐点になりました。続く6番・廣部就平に同点適時打を許すと、なおも二死一・二塁の場面で7番・堀江航平が低めの直球をすくい上げるようにしてバットを振り切り、左中間越えのサヨナラ打になりました。早川にとって決して失投ではなかったはずで、打者を褒めるしかありませんが。■返す返すも、あの一球は早川にとって不運でしたが、この敗戦で得たものもありました。それまでの球種は直球とスライダーが主体でしたが、より球種を増やすべくツーシームを覚えて投球のバリエーションを広げました。完封勝利を決めるはずの一球がボールと判定されて、その後に同点に追いつかれ、そしてサヨナラ負け。一瞬で天国と地獄を味わったた早川ですが、今度は神宮で成長した姿を見せてほしいものです。【写真2】秀岳館・九鬼隆平(ホークス3位指名)。U-18 日本代表でも4番を打ち、早川とバッテリーを組んだ。【写真3】秀学館・松尾大河(横浜3位指名)。打撃はもちろん、この選手は守備もうまい。難しいゴロをさばき、一塁へ矢のような送球。【写真4】スコア ※写真はすべてNHK
2016.11.23
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元作新学院の部長・監督を務めた山本理さんが死去されました。享年83歳。前身の下野中時代から100年以上の歴史を誇る作新学院ですが、野球部が強豪の仲間入りしたのは、昭和55年秋に神奈川大を卒業したばかりのOB・山本さんが監督に就任してから。山本さん曰く、当時の指導方針は「俺についてこい」の精神野球。暗くてボールが見えなくなっても石灰をまぶしてノックを続けるというもの。現代ではなにかと批判の多い練習方法ですが、当時はそれが当たり前でした。山本さんの指導は、それを他校よりも何倍も何倍も厳しいものだったでしょう。しかしそれが功を奏して、昭和37年春にエース・八木沢荘六を率いて甲子園初優勝を果たしました。これは栃木県勢初の快挙。凱旋した作新ナインを宇都宮駅前で10万人のファンが出迎えました。雑誌『名監督列伝』(ベースボール・マガジン社)によれば、「帰りの列車が栃木県に入ると駅々でみんな手を振ってくれた。感動した」(山本さん)。続く同年夏も甲子園優勝し、山本さんは春夏連覇の偉業を成し遂げました。そして再び山本さんが脚光を浴びたのは昭和48年、怪物・江川卓を擁して春夏連続出場した時。この時はいずれも優勝旗に手が届きませんしたが、次の山本さんのコメントがとても面白い。「江川は本来明るい子なのに、あまりの取材攻勢で最後は親しい新聞記者とさえ話をしなくなりました」と言い、そして「江川をとにかく壊さないで上のレベルに送り出すことしか考えていなかった」(同上)と。最後の「とにかく壊さないでー」が、山本さんの偽ざる本音だったろうと、ボクは推測しました。合掌。(写真)NHK「高校野球ベストゲーム(栃木編)」より。画面は江川投手時代の対銚子商戦を振り返ってのコメント。「(銚子商は)他に負けてもいい。作新だけはつぶせっていう感じじゃないですかね」。(写真)高校野球『名監督列伝』より。(写真)高校野球『忘れじのヒーロー』(ベースボールマガジン社)より。以下も同じ。
2016.11.21
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※マスメディア等ですでに報道された情報のみ紹介します。スポーツ報知によると、作新学院・宇賀神陸玖(りく)投手が、岩手・富士大に進学するらしい。宇賀神は、エース・今井達也(西武1位)の控えとして甲子園でも登板した背番号「10」の投手。今夏の準決勝・対明徳義塾戦では6回から登板し、3イニングを無失点に抑えました。直球は130km半ばながら低めに決まるスライダーなど制球力が持ち味、そして何より面構えがいい。富士大は現在、北東北大学野球リーグ戦で6連覇中、先の明治神宮大会にも出場。その強さを支えるのは投手の育成力でしょう。2006年全日本選手権で準優勝した際には守安玲緒(現・三菱重工神戸)が、そして昨年は多和田真三郎が西武1位指名、今年は小野泰己が阪神2位指名でプロ入りしました。高校時代は控えであっても大学に入ってから大きく花開く例もある。宇賀神も富士大で活躍してほしいものです。他にも有力選手たちが富士大へ。東北高のエース・渡辺法聖もそう。甲子園では初戦で横浜高と戦い藤平尚真(楽天1位指名)の壁厚く敗れ去りましたが、あのテイクバックが極端に小さな投手が渡辺でした(法聖という名前から、大学は法政かと思っていましたが笑)。そして同じ東北高の5番打者・伊勢隼三塁手も。さらに鶴岡東の4番・佐藤要主将も富士大へ進みます。(写真)作新学院・宇賀神陸玖。~NHKより(以下も同じ)~(写真)難しい打球を難なくさばく宇賀神。遊ゴロを投ゴロにしてしまうフィールディングの良さ!(写真)東北高・渡辺法聖。対横浜高戦。(写真)東北高・伊勢隼。(写真)鶴岡東・佐藤要。ポジションはファースト。
2016.11.20
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先日行われた決勝戦は、明治大がスコア5-2で桜美林大を破り、通算6度目の優勝を決めました。東京六大学リーグ戦では粘り強いものの、全国に出ると淡泊なチームに変身するイメージでしたが、明治神宮大会6度目の優勝は最多記録なんですね。明治は全国でも強かった・・・ちょっと驚きです。■さて、この決勝戦は、明治の柳裕也(4年、横浜)、星知弥(4年、宇都宮工)や桜美林大の佐々木千隼(4年、日野)が話題でしたが、あらためてボクが注目したのは9番、1番、2番のつながり、いやらしさでした。9番・渡辺佳明(2年、横浜)、1番・吉田大成(4年、佼成学園)、2番・竹村春樹(3年、浦和学院)。このトリオが好きだな。投手力は優っているものの大砲がいるわけではない。しかしそれでも強いのは、こういった名脇役たちがいるからでしょう。打席に出るだけで、塁に出るだけで何かが起きそうな気になります。明治に連綿と続く強さの秘訣というか、他のチームはマネするのは容易ではない、きっと。■その昔、巨人のV9時代は黒江、柴田、高田、土井あたりが9番、1番、2番で王や長嶋につないで得点していたように、こういう打順の並びに気を配れること自体が強さの証明かもしれません。例えば高校野球の世界では、花巻東が毎年のようにこういった打順を構成しています。2009年は柏葉や佐藤涼平らがそうだったし(この時のエースは菊池雄星)、2011年は太田、大澤ら。そして2013年は大澤、千葉翔太など(この時のエースが大谷翔平)。あ、そうそう、先日の明治神宮大会では、カットマンの千葉翔太が日大選手として出場していたそうな。ぜひ録画中継を見たいものです(^^)/<関連記事>高山俊につなげ! 明治野球を支える「ちびっこトリオ」http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201410130000/千葉翔太はなぜ「カット打法」を続けなかったのか? http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201308230000/(写真)優勝した明治大ナイン ~BS朝日より(以下も同じ)~(写真)準優勝の桜美林大ナイン(写真)4回、9番・渡辺佳明がおっつけて打った左前安打が、明治反撃ののろしとなった(投手は佐々木千隼)(写真)4回、1番・吉田大成がすかさず送りバント(写真)4回、渡辺を二塁に置いて、2番・竹村春樹がしぶく中前に適時打を放つ
2016.11.18
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この半月ほどは日本選手権、早慶戦、社会人日本選手権、U‐23、明治神宮大会、そしてWBC強化試合など、興味ある試合が盛りだくさん! しかし大半の試合を録画してBRに撮り貯めているものの、まだろくに見られない状況ですので(-_-;) 今回は、いささか遅きに失した感がありますがドラフトのことを。■先日行われたドラフトで楽天に9位指名されたのは高梨雄平(川越東ー早稲田大ーJXENEOS)。彼の高校時代は、甲子園出場はなかったものの、埼玉県内では十分に知られた選手でした。2年夏は4回戦まで勝ち進むも花咲徳栄に完敗。そして翌年夏は主将(兼)エース(兼)4番打者としてチームをけん引し、準々決勝は強豪・春日部共栄を延長14回の末に1-0でサヨナラ勝ちで下し、ベスト4進出を果たしました。この試合、高梨はひとりで投げ抜いて約200球。14回裏の攻撃では安打を放って出塁するも、疲労からかヒザを痛めて臨時代走を送られました。その高梨の姿を見た女房役・山田義和捕手が「疲労困憊の高梨をもうマウンドに立たせない!」と心に誓いサヨナラ決勝打を放ったのが印象的でした。余談ながら・・・。当時、川越東監督は元ヤクルトの投手だった阿井英二郎さん(川越東監督ー日本ハムヘッドコーチ)でした。選手引退後は高校教員になりいくつかの高校野球部監督を歴任し、川越東に赴任して高梨に出会いました。いえ、出会ったというのは正確ではなく、阿井さんが中学生だった高梨に惚れ込んで川越東に入学を勧めたのが正しいようです。※阿井さんは今、日本ハムのヘッドコーチとばかり思っていましたが、昨年末に辞め、現在は大学院に進み心理学を研究しているようです(wikipediaより)。■さて、高梨は川越東を卒業後は早稲田大に進学しました。ちょうど斎藤佑樹、大石達也、福井優也の三本柱と入れ替わりの入学だったため、さっそく1年の春季リーグ戦から神宮のマウンドに立つ幸運に恵まれ、そして3年春にはリーグ史上3人目の完全試合を達成して(対東京大2回戦)、一躍「時の人」になりました。「順風満帆」「前途洋々」の投手人生・・・といいたいところですが、実はそうでもなかった。早稲田大時代の通算成績は41試合、11勝5敗と、完全試合を達成した投手にしてはちょいと寂しい成績。原因は高梨の器用さにあったと思います。「器用貧乏」と言ったら語弊がありますが、打撃も優れていた彼は、投手として登板しない試合は一塁手として中軸を打つことも度々でした。そう「二刀流」です。しかも投手として先発をやると思ったら、今度は中継ぎ。投手専任かと思ったら今度は野手に。目まぐるしく要求される役割が変わり、ベンチは高梨をどう育てたいのだろう??? なんて疑問がボクの頭の中を駆け巡るうち、最終学年の4年になるといつの間にか彼の存在感自体が薄れてしまいました。大谷翔平ほどに傑出した選手なら別でしょうが、高梨にとって「二刀流」は災いしたようにさえ思えます。投手専任だったらもっと早くプロ入りしたかもしれない。そんな思いがあります。そんな早稲田大時代の苦労があった分だけ、高梨のプロ入りは嬉しい(^_-)-☆ たとえそれが9位指名であっても。(写真)2013年春、高梨雄平が完全試合を達成した際のスコアボード。~YOU TUBEより~下は同試合の動画です。
2016.11.14
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昨日行われた明治神宮創建90年記念試合、東京六大学選抜vsヤクルトの試合をテレビ観戦しました。結果はヤクルトが大勝しましたが、大学生にもキラリと光るプレーがありました。■まず、法政大の中山翔太(2年、履正社)。巨漢を活かしたスラッガーぶりを発揮して、第一打席、第二打席ともに左中間へ大飛球をかっ飛ばしました(いずれも記録は二塁打)。圧巻だったのは第四打席。2ストライク後にスライダーを器用に右へ弾き返しました。中山本人は「本塁打はもちろん、打率も残せる打者になりたい!」と云っていましたが、その言葉どおりに豪快さだけでなく、テクニックも魅せてくれました。放送席の解説陣は、この一打を「(フォロースルーで)手首を返さないのがいい」と絶賛していました。常にフルスイングゆえ長打ばかり注目されますが、そんなことはない。こういう打撃もできるのですね。これで来春、法政の4番は中山で決まりでしょう(^_-)-☆(写真)中山翔太。外に落ちるスライダーを器用に右方向に運ぶ。~BSフジより(以下も同じ)~■そして守備で魅せたのは、明治大の吉田大成(4年、佼成学園)。ふだんはショートを守る吉田ですが、今日はセカンド。しかし慣れないポジションながら、3つの併殺を完成させました。特に目を引いたのは5回無死一・二塁の場面。ヤクルト・川端の打球は平凡な遊ゴロで、6-4-3の併殺と思われましたが、あらら・・・これがなんと捕球後に三塁へ転送し、二走の西浦を刺したのです。とても珍しいプレー。解説の坂口雅規さんは「ショートからボールを捕球する時、身体の勢いが三塁側に行っていたから、そのままサードに投げたのではないか」と云っていましたが、はたしてどうでしょうか? 吉田は最初から6-4-5の併殺をイメージしていたと、ボクは思いますけど・・・。サッカーでいうところの「トリッキー」なプレーってやつですね、これは(^^)/この吉田、来春は明治安田生命に進んで、2年後のプロ入りを目指すらしいです(^^)/(写真)6-4-5の併殺プレー劇。脚本、主演ともに、この吉田大成でした(^^)/
2016.11.06
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■野茂英雄の近鉄退団劇。それは、1994年契約更改時のことでした。野茂は複数年契約を望むも、近鉄球団は拒否。数度にわたる両者の交渉も決裂し、最後は球団が「野茂よ、もう辞めてくれ!」と匙を投げて、野茂は退団を決意しました。そして海をわたってメジャーに挑戦した、その後の活躍ぶりは説明するまでもありません。メジャーの勝利数123(勝)は日本人投手として最多記録、そしてノーヒットノーランを2度も達成。さらに日本人選手のメジャー挑戦の先駆けとなったこと、それこそが最大の功績と云えるでしょう。■テレビ東京『アスリート波乱万丈 崖っぷちからの大逆転』~激白!野茂英雄 禁断メジャー移籍裏側~を見ました。残念ながら、内容はタイトルほど野茂の激白もなかったし、裏側を深く掘り下げたものでもなかったけれど、1995年頃のことを思い出すには十分でした。面白かったのは、野茂が近鉄退団・メジャー挑戦を決意した頃、マスコミが野茂に対して数々のバッシングを浴びせ様子を紹介したこと。『なにが大リーグや、野茂よ、なめたらあかん!』、『野茂英雄は米国で絶対に成功しない』『野茂よ、ワガママはいかん』などなど。各新聞はこういった見出しをつけて、野茂=ヒール役に仕立てました。思い出しますね、当時のことを。たしか野茂の出国時、見送りのファンはわずか数人だったとか。多くのファンは、マスコミの論調と同様に野茂に対して批判的だったはずです。では、近鉄ファンだったボク自身はどうだったか。実は、ボクも野茂を批判したい一人でした。「辞めたいなら、勝手に辞めればいい!」ただそれだけ。野茂の近鉄退団劇には、(番組は伝えていなかったけれど)彼のメジャー志向や鈴木監督との確執などが背景にあって、当時は非常識といわれた「複数年契約の要求」は、いわば球団との交渉決裂、近鉄退団、メジャー挑戦を狙った取引材料に過ぎないーーーと、そんな認識でしたから。また、近鉄球団に対してわずかながらも信頼を寄せていたことも理由の一つでした。■しかし、この番組で腑に落ちないこともありました。それは当時を振り返る古田敦也氏のコメントです。「日本の野球を守るためには、日本で育った人材を海外に出してなるものか!という、日本のプロ野球界だけを見た、世界を見ていない、いわゆる『鎖国』状態でしたね」と、日本球界を痛烈に批判していました。『日本の野球を守るため』『世界を見ていない』『鎖国』。それのいったい何が悪いのだ? 発言を聞きながら、そんなことを思いました。今年は広島カープの躍進や大谷翔平の活躍で日本球界(NPB)に注目が集まりました。一方でメジャー人気も高まり、当たり前のようにメジャーに挑戦する日本人選手が増加し、数々の話題が日本国内でも報道されるようになりました。でも、NPBとメジャーは、現在たまたま絶妙なバランスで両者の均衡が保たれているだけと思うのです。この絶妙なバランスは永遠に続くことはないはずです。NPB=メジャーからNPB<メジャーへ。いずれNPBは廃れるとしか思えません。そうならないために、現在であっても『鎖国』は必要ではないでしょうか。かつて古田氏は「ファンのため」と云って、涙を流してまで前代未聞のストライキを仕掛け、『拍手はいらない』という名の書籍を著しましたが、この番組ではそれをすっかり忘れた「選手のため」発言に聞こえ、そこに矛盾を感じました。東京五輪を巡っては「都民ファースト」か「アスリート・ファースト」かと論議を呼んでいますが、どちらも並び立つことはあり得ません。NPBは「ファン・ファースト」をべースに物事を発想しないといかんのでは? 野茂の一件、古田氏の発言を通じて、そんなことを思った次第。旧い考え方だとか、張さんに似ているなどといった批判もあると思いますが、そう思った方はどうぞスルーしてください。お願いします(^^)/(写真)近鉄時代の野茂英雄。~『近鉄バファローズ球団史』(ベースボール・マガジン社)より~(写真)古田敦也氏。~テレビ東京より~
2016.11.03
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