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この度、楽天ブログからBloggerへとお引越しすることにいたしました!【新装開店】 失われた【本質】を求めて、今。【アーカイブ記事は追々転載予定】ええっと、引越しを決めた理由はですね~、1. 数年前から追っかけている「マイケル・ティーチング」。チャネリング(自爆)されたメッセージに基づく教えの体系なんですが、これ、実にあやすぃ&面白い。まだ日本ではそれ程盛り上がっていないようです。ならばいっちょ、一人で自習して、ついでにそれを公開してしまおうか、と。新ブログでは「オンライン読書会」という形を取り、本の内容に沿いながら個々のトピック毎に記事を書いていきます。だから、楽天ブログのように字数制限と闘いながらのブログ執筆だと、あまりにも効率が悪すぎるんですよ。ま、私のようなダラダラ書きが癖になっているような奴には必要なんでしょうけどね、字数制限...。マイケル・ティーチング。早い話が「チャネリング本」+ グルジェフの教え(エニアグラムでもお馴染みの、3つのセンターが登場します)なんですけどね。その手のあやすぃ面白話がお好きな方、ぜひ一度遊びにいらしてください。http://onlinedokushokai-michaelteachings.blogspot.com/以下、新ブログ#1のタイトル部分より引用しますね。雰囲気、伝わりますでしょうか。魂の進化論 「マイケルからのメッセージ」を読む。「セスは語る」のセスシリーズ同様、アメリカでは1970年代からずっと 精神世界の探求者達に愛されてきた霊的集合体・「マイケル(Michael)」の教え。 その代表的著作を、ゆっくり、じっくり、噛み砕いていくオンライン読書会です。「私たちは知識を公平に伝えています。あなたがそれに同意する必要はありません。私たちが言うことは、どんなことでも拒絶していいのです。選択権はあなたにあります。」(チェルシー・クィン・ヤーブロ著、鈴木里美訳、 「マイケルからのメッセージ」 ナチュラルスピリット、 2010、 pp. 45-46 )【送料無料】マイケルからのメッセージ [ チェルシー・クィン・ヤーブロ ]こちらは参考図書。残念ながら邦訳が出ているのは、今のところここに挙げた三冊だけです。英語ではもっといっぱいありますよ。 【楽天ブックスなら送料無料】魂のチャート [ ホゼ・スティーヴンス ]【送料無料】惑星地球を癒す5つの魂 [ ジョヤ・ポ-プ ]価格:1,944円(税込、送料込)2.どうせBloggerでアカウント作るのなら、こちらの四方山話ブログ「失われた【本質】を求めて」も引越しさせて、一元管理した方が便利。ブログ作成の小技って、YouTube動画の取り込みとか、商品リンクの作成法とか、ホストする会社によって細かなところが違うんですよね。ただでさえ時間の無い毎日、ここは思い切って、一箇所に統一したいんですよ。定期的にチェックしてくださっている皆さんにはお手数をおかけします。昭和生まれのアナログ人間なもんで、笑って許していただければありがたいです。最後に...「ブログ」という、私にとっては新たな領域への挑戦をこれまでサポートしてくださった、楽天および楽天ブログの皆様。これまでにコメントをお寄せくださった皆様。そして、こちらを覗いてくださっていた皆様。今まで本当にありがとうございました。またご縁がありましたら失われた【本質】を求めて、今。魂の進化論 「マイケルからのメッセージ」を読む。でもお目にかかりましょう。皆様、お元気で!大丈夫。だって、音楽はこれからもずっと、響き続けるから。なんとかなるよ...。("It's Alright" by Pet Shop Boys)【楽天ブックスならいつでも送料無料】FOREVER YOUNG::イントロスペクティヴ [ ペット・ショップ・ボーイズ ]「捨て曲」が一つも無い、時代を超えた名盤ですね。今も時々無性に聴き返したくなる一枚です。(ご存知の方も多いでしょうが、これは彼ら自身のオリジナル曲ではありません。原曲はこちら。なるほど。かなり黒っぽい作りですね。でも、ペットショップボーイズによるこの"It's Alright"も、彼らの作品中ではベスト5に入る程の傑作だ!と、個人的には思います。絶望的な現実社会の姿。そして、あらゆる苦しみや哀しみを突き抜けた人だけが到達することを許される、カラリと乾いた感じの、ちょっと独特な解放感。ペット・ショップ・ボーイズにしか作れない、不思議な世界ですね。)
2014.04.19
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日本にいる義妹から聞いた話です。小学校低学年の甥っ子に、X君という同級生がいます。幼稚園の時から、一貫して負けず嫌い。同級生、その親たちにもそれは広く知れ渡っています。負けず嫌いなのはまぁ、いいんです。スポーツや勉強など、エネルギーを注ぐ方向性さえ間違えなければ、「できる子」「クラスのヒーロー」となって、「おっ。自分、なかなかいいじゃん!」と、肯定的な自己イメージを上手に築き上げながら、周囲から一目置かれる人として成長できる可能性がありますから。ただ、X君の場合、力を向けるベクトルがちと、おかしくなっているんですよ。例えば、甥っ子が「オレ、昨日、家族でディズニーランド行ってきたんだ!」と休み時間に同級生に話した、とします。そこで、周りの同級生も「あー、オレんちもこの前の春休みに行ったよ~!」「いいなー。」「うちは、来月の開校記念日の休みに行くってお母さんが言ってた~」と、反応。ここまでは大人の集まりでもよくあるやり取りでしょう。そこで件のX君が登場します。「オレなんかなー、昨日とおととい、ディズニーランドのところのホテルに泊ったよ。二日間連続でディズニーシーとディズニーランド両方周ったんだぜ!」しーん。最後の最後に出ました。X君のいつもの、「皆を圧倒する、人一倍どでかい自慢話」が。あぁ、またか。いつものアレだな。小学校低学年の男児たちは、うんざりした様子で軽くうなずき合い、お約束のように話の矛先をスーッとディズニーランドから逸らし、何事も無かったかのようにまた他愛の無い話を続けるか、「おぉ、ドッヂボールやろうぜ!」と、校庭へと駆け出すかするのだそうです。クリスマスが終わって、年が開け、学校が再開された時もそんな感じでした。「オレ、ポケモンYもらった!」(*昨年発売された任天堂の大ヒットゲームソフト。)「オレもさー、兄貴と一緒に使うからってことでWiiU(←ゲーム機。)と、マリオのソフト買ってもらったー!」「今度、やらせろよ~」「いいよー!」そして近付いて来たのが、X君。「オレなんかなー、ニンテンドー3DSに、ゲーム3個もらって、それから2月にプレステ4(←これも、ゲーム機。)買ってもらえるって約束してるんだぞー!」しーん。またかよ。男の子たちは、ちゃんとわかっています。適当に話をはぐらかし、かと言ってX君を排除するでもなく(その辺りがまだ低学年だけあって、みんなかわいいというか、心がやさしいというか。)、そのまま別の話や、別の遊びへと上手に移っていきます。小学校低学年とはいえ、甥っ子や、仲の良い友達は学校から帰った後も、習い事やらスポーツ少年団やらで、放課後も結構忙しいもの。「そういうのって、どーなのよ。」と、批判的な目を向ける方も大勢いらっしゃるとは思いますが、ま、今日はそのことは置いといて、と。ある日の午後。甥っ子が水泳教室から出てきて、迎えに行った母親(義妹)と会った瞬間、なんと例のX君が偶然通りかかる、ということがありました。習い事にほとんど行っていない(甥っ子談)というX君。いつものように、一人、暇そうに自転車で走り回っていたようです。義妹曰く、「X君の○○(甥っ子)を見る目に、なんともうらやましそうな、恨めしそうな、複雑なものを感じてしまった」そうです。X君には中学受験を控えた年頃のお兄ちゃんがいて、親の関心がほとんどそっちに行ってしまっているらしい、習い事らしきものもほとんどさせてもらっていない...という話を伝え聞いていただけに、義妹は「何の悩みもなく、嬉しそうに水泳教室から出てきた○○の姿を、親から放置気味にされているX君に見せつけたようで、ちょっと申し訳ない気持ちになってしまった、と言います。「あ、まずい所で会っちゃったな。」と思ったそうです。それからしばらく経った、ある日のこと。たまたまX君は近くにいなかったようです。ふと、一人が口にしました。「Xの話、うそばっかりだよ。」「そうそう、あいつ、うそつきだよな!」...みんな、口に出しこそしなかったものの、実は気付いていたんですね。X君の、辻褄の合わない自慢話が嘘だらけ、ってことに。気付いていても、上手にスルーしていただけ。(やるなぁ、小学生男子諸君!)今のところは以前と変わらず、みんな仲良く遊んでいる模様。でも、そのうち「あいつと遊ぶなよ」「あいつと口聞くなよ」という、村八分的な構図へと変わってしまうのでしょうかね。X君本人が「こんなことをしていては、みんなに嫌われる。やめなければ。」と気付かない限り...。最近、こちらの本の文庫版をようやく手に入れ、少しずつ読み進めています。【送料無料】平気でうそをつく人たち [ M.スコット・ペック ]子供が精神科の診療に連れてこられたときには、その子供は「見なし患者」と呼ばれるのが通例となっている。この「見なし患者」という名称を用いることによってわれわれ精神療法医は、その子が患者と呼ばれるようになったのは、両親やほかの人たちがそういうラベルをはったからであって、治療の必要な人間はほかにいる、ということを言おうとしているのである。(中略)障害の診断を進めるうちに、その障害の源が当の子供自身にではなく、その子の両親、家族、学校あるいは社会にある、ということを発見することが多い。(「平気でうそをつく人たち」M.スコット・ペック著、森 英明訳、草思社文庫、2011年、pp.110-111)参考過去記事:ある【自己愛母親】サバイバーの物語http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201310130000/本書を読みながら、私自身にもかつて、X君のように「うそに次ぐうそ」の得意な同級生がいたことを思い出しました。中学一年の時、同じクラスだった美少女・Kちゃん。ハーフかクォーターと言っても通じそうな、栗色のふわっとした巻き毛に色白の肌、そして舶来物のビスク・ドールのように大きな、少し憂いを含んだ栗色の瞳。アニメが好きで、イラストを描くのも上手。あんまり乗り気でない私をどうにかして「Kちゃん's ワールド」に引き入れたかったのか、SF小説の文庫本もいっぱい貸してくれました。今思うに、お姉さんがいたこともあって、早熟な子だったんでしょうね。Kちゃんは、私が引っ越してくる前に横浜の某所に住んでいたことを知ると、「私、あそこの駅の近くの幼稚園に通ってた。」と言いました。「え、何て幼稚園?」「☆☆☆幼稚園。」「へー!Kちゃん、☆☆☆幼稚園なんだ~!うちの親も、『一度あそこにいれようかな、って考えたことがある』って言ってたよー!結局、近いからS幼稚園にしたんだけど。」すると、そこからKちゃんの壮大なる虚言サーガが始まったのです。☆☆☆幼稚園は、実は国立の、入るのが難しい、とっても素晴らしい幼稚園。(嘘!横浜市内に国立の幼稚園なんて、昔も今も存在しません!!!)中の敷地はすっごぉーーーく広くって、木でできた遊具がたくさん置いてある。国立だけあって建物も立派で、(だから、国立じゃないって!)毎日子供達が思いっきり体動かして遊べるだけの運動施設も揃ってる。天国みたいに素晴らしい幼稚園だった。(ここまで来れば立派に脳内ファンタジーかな。)今と違い、あの頃はインターネットも無く、事実確認と言えば信頼できる地元民からのクチコミしか無かった時代。同じクラスのKちゃんが、いつも顔付き合わせているKちゃんが、平然と、しかも何度も何度も「☆☆☆幼稚園は国立。入るのに試験があって、落ちる人もいる。」という、嘘を吐き続けていたとは...。私が大真面目に「へー、そうなんだ!すごいねーーー!!」と、毎回感心する様子が、よっぽど面白かったんでしょうかね。彼女がどのような気持ちで嘘を重ねていたのか。私にはよくわかりません。このKちゃんの嘘に、私はなんと20数年間もだまされ続けていました。たまたま横浜市内の幼稚園情報を集めていた時、懐かしい☆☆☆幼稚園の名前が目に入りました。「なんだ、ごくフツーの私立幼稚園じゃないの。国立の幼稚園!だなんて、嘘八百もいいとこだ...。」あまりにも年数が経ちすぎていたせいか、もう怒る気にもなれませんでしたよ。12〜13歳の若さにしてほぼ完成の域に達していた、Kちゃんの嘘つき癖には呆れましたけど。その後、学年が上がってクラス替えをしたことで、Kちゃんとは疎遠に。新学年になって間もない、ある日のことです。突然、私と、それから数名の、「中一クラスの仲良しグループ」に属していた女子生徒が「ちょっと、相談室まで。」と呼び出しを受けました。当時の荒れ果てた公立中学において、「相談室」というのは、「取調べ&尋問室」「お仕置き部屋」と同義だったことは、校内の誰もが知っていました。「え”!?な、何も悪いことしてないけど...。」と大いにビビりつつ部屋に入って行くと...。一年の時の担任の先生と、そして、他のクラスに散らばっていった中一グループの友達が全員揃っていたのです。「絶対他の人には黙っていてね。実は、この一週間、Tさん(Kちゃんのこと)がずっと家に帰っていないの。あなたたち、去年仲良かったから、何かTさんから聞いていない?」いえ、全然。他の子も、同様。どうやら、Kちゃんは一週間程前から家出して、行方知らずとなっていたようです。その後、どういう経緯があって、Kちゃんが無事家に帰ってきたか、詳しくは知りません。もはや知りたいとも思いませんでした。あまりかかわりたくない、というのが正直な気持ちでした。Kちゃんが、足を踏み入れてはいけない、薄暗い世界へと行ってしまったような気がして。今はどうしているんでしょうかね。年端も行かない子供が執拗に繰り返す、嘘。そこに込められた意味を、大人はもっと真剣に探らなければならないな、と思います。悪を直視できなければ、人間の悪をいやすことなど期待できない。悪を直視するということはけっして気持ちのよい光景ではない。(中略)人間の悪をいやす戦いは、まず自分自身との戦いから始まるのがつねである。そして、自己浄化こそ、つねにわれわれの最大の武器となるものである。(「平気でうそをつく人たち」pp. 5-6)
2014.04.09
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前編はこちらです。(ノリさんの見合い相手は元・ミス・ユニバース日本代表の、あの方♪)仕事場では失敗の連続で叱られてばかり。パート女性の輪にも入っていけず、貴子は一人落ち込むばかりの毎日でした。息子の祐希や、客として精肉店を訪れ、知り合いとなった早苗(ノリさんの娘)の優しさが身にしみます。それでも、元々高くなかった彼女の自尊感情(=ありのままの自分にYes!と言えるココロ、ですね)を、プラスへと転じることはできませんでした。音大生だった貴子は、キヨさんの息子・健児との間に予定外(笑)に子供を授かり(それが現在高校3年生?の祐希。)、止む無く学生結婚。(だからまだ38歳という若いお母さんなんですね。なるほど。)以後、「いつかピアノ教室を開きたい」との夢を抱きつつ、専業主婦のままずっとこの年齢まで来てしまいました。若さ。男性に好まれる、可愛らしい外見。エリート銀行員のだんな様。イケメン高校生の息子。都内二十三区内の、広い土地付一戸建て・持ち家住まい ⇨⇨⇨ 将来、確実に転がり込んで来る、親からの資産。周りの「ちょい不幸せ気味」な中年女性達から嫉妬される材料ばかり、です。パート女性達があそこまで悪口で盛り上がったのも、そうした貴子の「外側から見える幸せ」への妬みゆえでしょう。もう一度、第6話予告編で見ましょうか、居酒屋での場面。「あの人が妬ましい」と認めてしまうと、自分たちのミジメな現状にも気付かざるを得ない。でも、それはあまりにも辛すぎる。やりたくない。ならば、同じようなミジメ者同士一致団結し、恵まれ過ぎている人・貴子を仮想敵とみなし、こき下ろせば良い。「自分達は時給分の仕事をまともにこなす、優秀な従業員だ。それに引き換えあいつは...」自分達が上だ。と確認し合えば、しばしの間、おのれのミジメさを忘れられる...。かつて「使えない新人」と呼ばれた時代が自分達にもあったかもしれないのに...。その場にいない人の陰口や噂話。決してほめられたものではありません。でも、職場によっては「ガス抜き」としての機能を果たしてくれるため、100%の根絶が難しい場合もあるのでしょう。必要悪、っていう奴ですね。一方、悪口には参加せず、「またとないカモ」として早くから貴子に注目していた【トモダチ詐欺師】の育代。彼女は、外側に表れた幸せな若奥様、ではない、もう一人の貴子も観察していました。捕食者ならではの鋭い観察眼でもって、貴子の内面を蝕む負の感情をも見透かしていたのです。「外で働いたこともない、世間知らず。」(自己評価、マイナス50点!)「ドンくさい。仕事がのろい。」(同じく、-20点!)「しょっちゅう失敗しては皆に迷惑かけっ放し。」(同上!)「みんなの輪に入りたいのに、それができない。」(-10点!)他人がどう思おうが、貴子自身にとっての自画像は【自己評価・マイナス100点(しかも改善の兆し全く見えず)の、ダメな奴】でしかありませんでした。(結末部分では、その【貴子=ダメな奴】オーラに清田家の全員が同調し、ますます強化する、という悪循環に、なんとキヨさん自身も巻き込まれていた、という事実が、克恵さんの言葉で明らかになります。家族から「ダメな奴」と思い込まれているようでは、「私、これでいいんだ!」という自尊感情が育たないのも当然でしょう。)貴子が放つ【ダメな奴オーラ】に気付きつつも、せいぜいストレス解消のサンドバッグとして使っちゃおう、というレベルで止まっていたのが、他のパート女性達。それに対し、育代は「こいつを弄(もてあそ)んで、甘い汁吸ってやるか。」と、ブラックな企みを実行に移してしまいます。「サイコパスはふつうの人より刺激にたいする欲求が強く、結果として社会的、肉体的、経済的、あるいは法的にリスクを冒すことが多くなる。特徴をあげると、彼らは人を惑わせて危険な冒険に引きずりこむ。共通して病的に嘘をつき、人をだます。あるいは”友人”に寄生虫のように寄りかかる。(...中略...)そしてつねに、いかなる問題にたいしても責任を感じない点は共通している。」(「良心をもたない人たち」マーサ・スタウト著、木村博江 訳、草思社文庫、2012年、p.17)【送料無料】良心をもたない人たち [ マーサ・スタウト ]育代はまさにこの「病的な嘘つき」でした。どんな嘘つきも、最初っから「特大級の嘘」をぶつけてくることは稀です。カモさんの警戒心の強さを確かめる意味もあって、まずは小さな嘘から出してくるんですよ。そこではっと気付くことができれば、被害は最小限にとどめられるんですがね。残念ながら、こうした海千山千的人間にあまり免疫が無いお人よしの貴子。長年、温かな家族に守られてきたことへの代償として、人生経験が不足してしまったことは否めません。育代の言葉をバカ正直に受け取ることしかできない貴子は、さらに大きな嘘へと巻き込まれていきます。「お茶しよう」と自分から誘う。ドーナツ屋のレジで会計、という段になって「あ、大きいのしかないや。次、必ず返すから」。平然と育代は嘘をつきます。次のお茶の時も、「大きいのしかない」の嘘。再度払う、貴子。またその次のお茶でも、「大きいの...」の嘘。性懲りもなく、また払ったそうです。職場が一緒なのですから、借りたお茶代を返す機会なんていくらでもあるはずなのに、おかしいですよね。そう。「おかしい」に目をつぶってはいけなかったんです。「いい人」をやめる覚悟を決めて、キッパリと相手のおかしな言動を問い正すべきだったんです。さっさと逃げるべきだったんです。さてさて。貴子が貸した金を請求して来ない。つまり、「いい人」イメージを捨てるだけの度胸が貴子に無い、と確定できた今、育代は「お試しモード」からいよいよ「本気の詐欺モード」へとギアチェンジします。そして給料日。お嬢さん育ちの貴子が「自分の力で初めてもらったお給料」です。それはもう、特別なお金に違いありません。あまりの嬉しさに、思わず家族全員にケーキを買って帰った程でした。気分高揚中♪につき、ただでさえゆるゆる~のガードが一段と緩くなっている貴子を、天性の捕食動物・育代が見逃すはずがありません。5万円貸して、あなたしか頼れないから...と、頼み込むんですよ。その理由がこれまたふるってましてね。磁気ネックレス買っちゃった,ですって(笑)。チラッと襟元から出したその品、どう見積もっても数千円以下...。「お願い。5万円貸して。次のお給料で必ず返すから。旦那に言えない買い物しちゃったの。代金払わないと明日取立てに来る、っていうの。もうクーリングオフできないって。旦那にばれたら殴られちゃう...。」もう、この言い訳ひとつに含まれる要素だけで「三振バッターアウト!」でいいですよね?距離を置きたくなりません?へそくりで払えないとわかっていて、高額商品を買う。しかも、支払いをズルズルと引き延ばし、取立て寸前。で、極め付けが「ばれたら殴る」ような旦那がいて、事を治めるためには他人を巻き込んでも構わない、と思っている。そう。聞いた瞬間に浮かぶ、「ん!?」「何それっ!?」「あらぁ~???」の、「?」=違和感。それをすぐに打ち消さない、無視しないことが非常に大切です。あなたが感じる違和感。それは相手が「今、嘘をついた。」という、直観からの警告サインかもしれません。「どんな種類の関係であれ、新たなつきあいがはじまったときは、相手の言葉、約束、責任について『三回の原則』をあてはめてみること。一回の嘘、一回の約束不履行、一回の責任逃れは、誤解ということもありえる。二回つづいたら、かなりまずい相手かもしれない。だが、三回嘘が重なったら嘘つきの証拠であり、嘘は良心を欠いた行動のかなめだ。つらくても傷の浅いうちに、できるだけ早く逃げだしたほうがいい。」(同書、pp.210-211)ドーナツ代金踏み倒し。加えて、よくもまぁ、毎回飽きずに...と呆れる程に次元の低い、パートの上司・克恵への中傷。そうそう。昔、運転免許の取得に失敗した、と貴子が漏らしたことに対し、「若い頃からちょっとどんくさかったのね~」と、さりげなく、でも失礼極まりない顔面パンチを食らわしてきた、っていう場面もありました。「庶民派ぶっちゃけ系キャラ」を前面に出しながらも、実は単にガサツで口の悪い、イヤな奴。視聴者にもはっきりと伝わりました。うまいです。この描き方。あーあ。貴子がマーサ・スタウトさんの「三回の原則」を知っていたらなぁ...。「三回違和感アウト→逃げろ!」のオキテに従って、育代との「お茶」を数回程度で打ち切りにしていたら、「5万円貸して」なんて大きな話に発展することも無かったでしょうに。渋々5万円を渡してしまった貴子。誰もが予想した通り、育代はその直後に精肉店でのパートを突然辞め、姿を消します。大切な初給料を取り戻すべく、店長から育代の住所を聞きだし、「5万円返して」と育代に直接詰め寄ったものの、貴子を待ち受けていたのはとんでもない「逆切れ」反応でした。「あなたがもっと前に『返して』と言わなかったから。あなたが金にルーズだったから、こうなった。それに何よ、家まで押しかけてきて!」「盗人猛々しい」って、こういう時に使います。一見、魅力的だが、うそをついて人をあやつり、空涙をながして同情をひき、追いつめられると逆ギレする。文庫版「良心をもたない人たち」の帯に付けられたキャッチコピーです。どこかの誰かに当てはまりそうな一節ですね。幸い、ドラマは勧善懲悪モノのセオリー通りに進行。最後は正義が勝つ!チャンチャン♪で、爽やかに終わります。フィクションですから。そうでもなけりゃ、とてもやりきれませんよ。嘘つきが高笑いをしている陰で、正直者が泣きを見るような世界。悲しいかな、私たち人類は未だにそのような世界から卒業できていないんです。
2014.04.02
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2014.03.28 タイトル・用語共に「隠れ自己愛」を「トモダチ詐欺」に差し替えました。【※ネタバレ注意!】テレビ東京系で1月から3月中旬まで放映された、「三匹のおっさん」(全8回)。久々に「次回が楽しみ!」と言えるドラマでした。古きよき勧善懲悪の時代劇の伝統が現代に甦る、ってね。主演の北大路欣也さん、毎回さすが!の華麗なる竹刀さばきでした。泉谷しげるさんも、喧嘩っ早いけど憎めない愛すべきおじさんを好演されていました。そして、頭脳派・ノリさん役の志賀廣太郎さん。素敵なお声と、必殺技の「エレクトリカルアタック」を使う時の嬉々とした表情、毎回楽しませていただきました。早く続編やらないかなぁ。「三匹のおっさん」番組HPhttp://www.tv-tokyo.co.jp/3biki.ossan/DVD-BOXの発売も決定しているようです。【送料無料】三匹のおっさん ~正義の味方、見参!!~ DVD-BOX有川浩さんの人気小説が原作とあって話がしっかりとしている上、俳優さん達も皆さん芸達者揃い。安心して見られました。(中田喜子さんと藤田弓子さんの共演、往年のNHK水曜夜7時半・「連想ゲーム」つながりで懐かしかったです。で、つい注文しちゃいましたよ、このソフト...。) 【中古】NHK紅白クイズ合戦ソフト:Wiiソフト/TV/映画・ゲーム普段ドラマは見ない私が、小学生の子供と一緒に楽しめた、大変秀逸なファミリー向けドラマでした。ごくわずかながら親としては冷や汗モノ、って場面はありましたけどね...。私自身、特に「うまいな〜、この話の描き方!」とうなってしまったのは、第6話・「最強の敵...おばはん登場!?」。今回、トラブルに巻き込まれたのは、キヨさん(北大路欣也/以下、敬称略)の息子の妻・貴子(西田尚美)。おっとりタイプで、ちょっと世間知らずな専業主婦の彼女が、姑(中田喜子)の挑発に乗ってしまい(?)、近所の商店街の精肉店でパートを始めます。ペースの速い仕事になかなかついていけず、上司・克恵(木野花)には怒られてばかり。他のパート女性達の輪にも馴染めないばかりか、冷たくされる一方で、落ち込む毎日でした。上の動画で展開されているのは、ちょうどそんな時期に開かれた精肉店のパート女性達の、飲み会風景。どうやら貴子は最初から誘われなかった模様です。シゲさん家族が経営する居酒屋・「酔いどれ鯨」で、いつものように一杯やっていたキヨさん・シゲさん・ノリさんの自称・「三匹のおっさん」でしたが、隣のテーブルから聞こえて来た貴子への悪口の数々に、居ても立ってもたまらず、つい口出ししてしまいます。ここでは、パート女性の一人・育代(藤田朋子)の言動に注目していきましょう。「サイコパスはだれかを恰好の獲物と見てとると、その相手をじっくり観察する。どのように相手を操作し利用すべきか、そのためには相手をどのようにうれしがらせ魅了するべきか、考える。」(良心をもたない人たち」 マーサ・スタウト 著、木村博江 訳、草思社文庫、2012、p.126)【送料無料】良心をもたない人たち [ マーサ・スタウト ]飲み会では、ひたすら相槌を打つ役に徹する、この育代という人物。悪口大会には加わらず、周囲の人々に思う存分しゃべらせて、ターゲット候補・貴子の情報収集に徹します。【隠れ自己愛】についての記事中に、「別名・ステルス自己愛」とも呼ばれる...と書きました。そう、「ステルス戦闘機」なんて言葉に使われている、あの「ステルス」。特殊な形状や製造技術を用いることで、敵のレーダーや見張りに引っ掛かりにくした戦闘機のことですよね。それと同じステルス性が、この【トモダチ詐欺】の特徴です。ほとんどの人の目には人畜無害な人物として映り、その場にしっくりと馴染んでいます。まるで空気のように存在感を「消す」ことができるんですね。だから、ほとんどの人の「要注意人物レーダー」には引っ掛かってこないんですよ。で、気が付いたら、目の前に迫って来て、ぴったりマークされている、と。そこで気付いても、時既に遅し、です。この飲み会の場面を見ても、育代のステルス性=自分を消す、という傾向がくっきりと浮かび上がっています。周囲がどんなに盛り上がっていても、自分はうなずくだけで発言はしない。後から誰かに突っ込まれた時に、「私は無実だ。悪口なんて全然言っていない。あなたたちが勝手に盛り上がっていただけじゃないか。」と、白を切るために予防線を張るんですよ。その辺はしたたかに計算し尽くしています。「口を慎む」という行動。表に出ている部分は同じに見えても、裏にある動機は人によって異なります。この時点ではまだ伏せられていますが、木野花さん演じるパート女性のまとめ役・克恵は、良心と正義感の強さゆえに悪口大会へは参加しないで静観する人。対照的に、「どうやったら貴子の弱点を少しでもつかめるか」に全関心を傾けている育代は、「有利な情報は一言足りとも聞き漏らすまい」という理由で、言葉少なになります。似て非なる二者...ですよね。そう。要するに、この育代という人物は「ズルい」んですよ。良心が乏しい上に、自分の損得しか考えていない。身体は大人になってはいますが、良心や責任感や思いやりといった部分は、発達段階の途中で止まったまま。そういう人物です。「...サイコパスは私たちが彼らを知っている以上に、私たちをよく知っている。私たちは相手に良心がないことをなかなか見抜けないが、良心を欠いた人間はだれが善良でだまされやすいか、即座に見分ける。」(同上)東京都23区内にあるゆったりとした作りの土地付二世帯住宅に住む「若奥様」で、貧乏とはおよそ無縁の人生を送ってきた、貴子。見るからにお人よしで騙されやすそう。しかも夫は大手銀行勤務のエリート、と来ている。獲物としてはまさにうってつけの相手です。状況が整ったと判断するや否や、育代は、貴子への「トモダチ詐欺」作戦をいよいよ実行に移し始めます。「...サイコパスは親近感を強めるこつを心得ていて、犠牲者に自分と似たところがあると言って近づく。犠牲者はサイコパスと縁が切れたあとまで、自分の心をつかんだ台詞をよく覚えている。『ぼくと君とは似た者同士だ』『あなたとは心が通じあえるの』などだ。」(同上)育代は、仕事が終わって従業員控え室にポツンと一人でいた貴子をうまく誘い出します。そして、「私はあなたの味方よ」とさかんにアピール。パートの同僚から貴子ひとりを隔離し、まんまとドーナツ屋でのお茶へと持ち込むや否や、育代はその場にいない同僚たちへの悪口独演会を始めました。落ち込んでいた自分に声を掛けてくれたことに恩義を感じた貴子は、つい、それに付き合ってしまうんですね。「悪口って疲れる...」と、内心うんざりしながらも。この辺りで視聴者も気付きます。あぁ、やっぱり。この育代っていうキャラクター、親切振りをアピールしているけど、実はただの腹黒二枚舌なんだな、と。仕事の帰りに貴子と立ち寄ったスーパーでは、山ほど買い物。「バイクで運ぶから平気~」と、背伸びや気取りとは無縁のぶっちゃけ系・庶民派キャラクター。どこのパート仲間にも、ママ友集団にも、必ず一人や二人はいそうですよね、こういう女性って。でも、「よくいるタイプの人」だからといって、ガードを緩めて、心の扉を開け放ってしまっていいか、というと、そんなことはありません。「よくいるタイプの人」。「親しみを感じさせる人」。「とっても話好きな人」。「親密なお友達関係、という雰囲気に持ち込むのがうまい人」。表ではそうしたキャラを巧みに演じ、「カモ」りたい相手の警戒心や疑いを、少しずつほぐしていく。でも、裏では「どうやってこいつから搾取してやろうか」と、始終計算し、損得勘定ばかり気にしているのが、【トモダチ詐欺師】という人種なんです。油断大敵。気を許してはなりません。表の「いい人面(づら)」という包装紙に騙されてはいけませんよ。ギャラこそもらっていませんけど、相手はプロの役者です。だって、もう何十年も同じ役柄をやっているんですからね。履歴書にこそ書けないものの、ベテラン中のベテランです。説得力だけはあります。でも、何もあなた自身がその共演者になる必要はありません。最後に必ず泣きを見る、そんな哀れな共演者の役なんて、引き受ける必要なんて無いんですよ。どうしたらこの手の人の術策にまんまとはまることなく、うまく逃げられるんでしょうかね。【後編】で見ていきましょう。
2014.03.26
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「おはようおじさん」。この言葉にピクッと反応した人、あなたはひょっとして神奈川県出身...とは限らないんですよね。むしろ、「沖縄の方ですか?」と、聞くべきなのかもしれません。つい数日前、この衝撃の事実を知りました。おじさんは、沖縄にいたのです。まさか、30年という長い年月を経て、「おはようおじさん」に再び会えるとは。感無量。あれは、遠い昔。中学3年生の夏休みのことでした。クラスの仲良しの友達グループと、「みんなと一緒でいーよね。」と、いい加減に申し込んだ、夏期講習。30分程電車に揺られて、みんなでくっちゃべりながら(どうせ、好きな男子とか、芸能人とか、他愛の無い話に決まってる。)通うのが、高校生活の先取りみたいに感じられて、中途半端に田舎な郊外住宅地の公立中学生だった我々にはなかなか新鮮でした。講習の会場は、今となってはかなりの進学校となってしまった、JR南武線沿線にあるS学園の校舎。駅から10分程だらだらと歩いていくのですが、そこで我々は出会ってしまったのですよ。あの方に...。当時は頭の上のお花も付けていらっしゃいませんでした。ごくシンプルに、ヘルメットだけ。また、バイクももっと身軽でした。今しがた新聞配達を終えた、って感じの、恐らくはホンダスーパーカブか、同等クラスの比較的地味な業務用二輪車だったように記憶しています。周りに荷物なんてあったかな。その辺はよく覚えていません。近年撮影されたおじさんの映像/画像中のお姿とは異なり、当時(1983年)、特にこれといった小道具は手にしていらっしゃらなかったですね。来日したマリリン・モンローを指圧し、「Shiatsu」の言葉を世界中に広めたことで有名な指圧指導者の故・浪越徳治郎先生(「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く...。」←名言!)のトレードマークとも言えるあの親指♪立て♪立て♪の状態で、リズミカルに両手を上下に揺すぶっていました。(2014.3.17訂正 立てていたのは人差し指だったそうです。下のリンク先の記事の写真通り。)浪越先生の手つき、下の動画の左端の写真でわかるかなあ?な、なぬっ?マリリン・モンローだけでなく、御大・ジャイアント馬場全日本プロレスリング社長まで施術された、と???そりゃ初耳だ。江崎グリコ株式会社&海洋堂新タイムスリップグリコ第4弾ジャイアント馬場選手【未開封】【メール便対応可】それにしても、まずいですよ、この歌。キャッチー過ぎて癖になりそうだ...。♪ナミコシ、ホンゴシ、ツライコシ...♪ だ、誰か止めて~~~!!!おじさんは、バイクの座席に横向きに腰掛けては、道行く中・高校生に向かって「おはよう、おはよう。おはようおじさんですよ。」と、ひたすら語りかけていました。何でも、他の子によりますと、「盆踊りは終わりましたか~」と話し掛けられたこともあったそうです。「おはよう、おはよう...」以外にも、話のバリエーションは多少あったんですね。夏期講習で訪れていただけの、「よそ者」に過ぎなかった私達中学生グループ。正直なところ気味が悪かったので、おじさんの側を通り過ぎる時はひたすら「見て見ぬフリ」に徹することにしました。まだ中学生でしたし、まともかまともでないか、よくわからん人(おじさん、ゴメンネ。)を下手に刺激して、自宅から遠く離れた川崎市内で厄介事に巻き込まれるのだけは嫌でしたからね。携帯電話なんて「ドラえもん」のひみつ道具と同じで、まるで夢みたいな話、という時代でしたから。親に電話かけるにしても、コイン式公衆電話が頼り、ってね。だから「触らぬ神にたたりなし」。これで行くしかなかったんです。結局、我々は一度たりともおじさんの挨拶や問いかけに答えないまま、講習最終日まで視線を合わせないようにしてスルーし続けました。その後、受験だの何だのと忙しくなったこともあって、おじさんのことはいつの間にか記憶の彼方へと飛んでいったのです。さて。その翌年です。無事試験も終わり、県央地区の公立高校に通い始め、そろそろ学校生活にも慣れたかな...という頃。国道246号線の高架下、薄暗い歩道上に浮かび上がる、一人の男性のシルエット。停めたバイクの座席に横座りした、あの丸顔の男性って、もしや...。おはようおじさん!前年のS学園近くで見かけた時と、いでたち、そして「おはよう、おはよう、おはようおじさんですよ...」という一方通行の挨拶、身振り手振り、その他何一つ変わったところはありませんでした。「なんだありゃ~」と当惑していた同級生達に、「あの人、去年、川崎のS学園のそばの道でも毎朝毎朝おんなじカッコして、『おはよう、おはよう、おはようおじさんですよ~』」って学生達に声かけてたんだよ!!! いろんな所に出没しているに違いないよ!!!」と、私は興奮しつつ皆にレクチャーしまくりました。川崎から我々の高校のある街までは随分と距離があるので、にわかには信じ難かったのですけどね。でも、間違いなく同一人物でした。...っていうか、あんなユニークな人、そうそういませんでしょ...。その後、「今朝はポンポンを振り回していた」との目撃談もちらほら。(残念ながら、私は見逃しました...。)今では「ポンポンおじさん」の名の方が沖縄では通りが良いようですが、そのポンポンという小道具、1984年の時点で既におじさんのパフォーマンスの一部となっていた模様です。宗教のことについては、まだ何も言っていなかったような...。まだ構想中の段階だったのかもしれませんね。沖縄B級ポータル DEE okinawa 2011.04.19 【緊急対談】ポンポンおじさんhttp://www.dee-okinawa.com/topics/2011/04/ponpon.htmlおじさん、神奈川県だけではなく、北海道を除く全国津津浦浦をバイクひとつで行脚してらしたんですか。しかも、実は「科学教会」を主宰する、「金城牧師」というプロの宗教者だったなんて...。「200歳まで生きる」ための科学、ですか。はぁ。死後の世界も無い、と、キッパリ言い切ってらっしゃる。ほぅ。「科学教会」の教義に関しましては、もうそれ以上私からは何も言いますまい。突っ込みどころは山ほどあるのですが...ここはぐっと抑えて。勇気あるA高校の男子学生が本人に直接アタックしたところによると、おじさんが路上に立ち続けるようになったのは、子供を交通事故で失くしたことがきっかけ、とのこと。悲しみがあまりにも深いため、全てを捨てて身一つで「交通安全祈願の旅」に出て、通学途中の青少年を見守ることに生涯を捧げたおじさん。そんな優しいおじさんには、あんまりケチつけたくないんですよね。それに、この「おはようおじさん」の話をハガキに書いて、当時、ラジオ日本で夜10時から放送されていた「サウンドプロセッサー」という音楽番組に出したところ、音楽評論家・大貫憲章さん(クイーンの日本デビュー・アルバム↓に、ぶっ飛んだすごい解説文を書いたことで、洋楽業界ではかなり有名な方。)に読んでいただけた、という、良い思い出もあることですし。(←プチ自慢。)【送料無料】 Queen クイーン / Queen: 戦慄の王女 【SHM-CD】えへ〜。ハガキ読みながら、憲章さん、笑い押し殺していたな〜なんてこと、今も思い出す度にニンマリしちゃいます。その後、何人かのリスナーから「私も見た!」「東京にも出た!」なんて反響もありましたっけ。北海道を除く全国を廻っていらっしゃったのですから、他県でも目撃情報があったのは当然だったのですね。インタビューを読み終え、あまりにも謎に満ち満ちたこの「おはようおじさん」/「ポンポンおじさん」について、更なる情報は無いかな〜、と、軽く検索したところ、何と!どひゃー。一体なんなんだ、これは〜〜〜〜!おじさんの英語、すごい...。鈍器でバコン!と一発殴られたような衝撃を受けました。1970年代まで米国統治下にあった沖縄のご出身だったとしても、ご本人曰く、米軍基地での勤務経験があるとしても、それにしても表現や言葉の選び方に確かな実力を感じさせます。おじさんの英会話。70代にして、アメリカ人を相手にしたこの自然なやり取り、すごすぎません???しかも、おじさん、大学時代に少し学んだフランス語ももっと頑張りたい、だなんて...。(唖然。)その昔、フランス語を大学で学び(+さっさと忘れ)、現在アメリカ在住十五年目に入ったにも関わらず、いざとなるとどもってしまう、怪しい会話力の自分は、おじさんの前向きな言葉、前向きな生き方にただただ、身の縮む思いであります...。おじさん、ごめんね。今までずっと色眼鏡で見てしまっていたこと、投稿ネタにして笑ったこと、どうか許してください。最近はあまり目撃情報が出て来ないので少々気がかりなのですが、沖縄のどこかでのんびり無事に暮らしていることを願います。どうかいつまでもお元気で!人を見かけで判断しちゃいけませんね。ホント。
2014.03.16
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以前こちらでもご紹介した、自己愛性パーソナリティー障害(Narcissistic Personality Disorder、略してNPD)の被害者カウンセリングを得意分野とする、臨床心理学者のリンダ・マーティネス=レヴィ博士のブログ。"The Narcissist in Your Life”(「あなたの周りに潜む、自己愛人間」とでも訳しましょうかね。)http://thenarcissistinyourlife.com/詳しくは過去記事をご参照ください。2013.08.252013.10.13Dr.リンダは、先日投稿された記事の中で【自己愛人間】との蜜月期間→一瞬にして奈落の底に突き落とされ...という、ご自身の恐怖体験を語られていました。その道の専門家でも、「あら、この人、ス・テ・キ...」となって、相手がキラキラ輝いちゃったりすると、判断を誤ることがあるんだな、っていう例ではないかと思います。いわんや素人をや、ですね。気を引き締めなければ。まずは、お読みください。2014年3月6日付の記事をご紹介します。原文はこちら。-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+【自己愛人間の原始的投影が引き起こす、痛みと被害。】自己愛人間は、自分自身が持つ心の毒を、他の人たちへと絶えず投影する。こういう事実を目の前に突きつけられたことは、私自身、数多く経験してきた。【※投影...「心理学で、考え方や行動に心の内面が表現されること。自分の性質を他人の性質にしてしまうこと。投射。」(goo辞書より) 例えば、「この人、本当はあまり好きじゃない...」と感じてしまう時ってありますよね。誰にでも。(人間ですからね。)そんな時、この「投影」という心のメカニズムが癖になっている人は、その「相手が嫌い」という本音が自分の中にあるのを認めることができないんですよ。認められないどころか、逆に、自分が相手から嫌われている、っていう具合に、立場を逆転させてしまうんですね。「あぁ、あの人、私のことを悪く思っているんだわ。嫌っているんだわ。」...と。そして、「自分はネガティブな感情なんかこれっぽっちも持っていない。汚いのは、もっぱらあの人の方。私は、清廉潔白そのもの。」...と、都合の良いこじつけをして、心の平安を取り戻そうとするのです。】自己愛人間ならではの、この種の振る舞いに関しては、どれほど声を大にして語ろうと、語り過ぎということにはならないだろう。彼らの無意識の奥底を探っても、そこにあるのは自己嫌悪。そして、耐え難い程の空虚さ。ただそれだけだ。実は、自己愛人間の心の中では自己嫌悪が激しく渦巻いている。そして、そうした負の感情は、そっくり他人の上へと吐き出されてしまうのが常である。犠牲者となるのは、配偶者、子供、兄弟姉妹、職場の同僚、知人など、自己愛人間と特に近しい関係にある人々だ。【投影】というのは、防衛機制の一種だ。自己愛人間は、内に隠し持つ、攻撃的で、耐え難く、自らを脅かすような類の感情や衝動を他の人へとぶちまけることで、それらを一瞬のうちに消し去ろうとする。無意識にやっていることなので、本人に全く自覚は無い。自己愛人間の口から放たれるこの劫火は、全く予期していない時に、あなたを襲う。攻撃を食らった側がたった一発で打ちのめされ、倒れてしまうのは、この「奇襲攻撃」という性質のためだ。自己愛人間の機嫌がだんだん怪しくなり、「これは逃げた方がいいぞ」とわかるような時は、実際、ある。「離れろ」と、直観が教えてくれることもあるだろう。しかし、全く前触れ無しに雲行きが怪しくなるような時も、やはりある。このような場合が最も始末が悪い。少し前のことだ。私は、とある知人男性から、はらわた直撃の心理的なパンチ(原始的投影)をまともに食らってしまった。【「原始的投影自分の内面にある受け入れがたい感情や欲動を、他者がもっており自分に向かってくるものとみなすのは、高次の「投影」と同じだが、背後に「分裂」がある場合の投影の場合、激しい感情や極端な思考を相手に投影させることになる。これが「原始的投影」である。投影した本人が受け入れがたい、極端な感情・思考を持つものと対峙した場合、投影した本人は迫害的な恐怖を味わうことになる。Wikipedia 「防衛機制」・原始的投影の項より。】...上で書いた「投影」よりも、さらにパワーアップして魔物化が進んだ状態、と考えればいいんですかね?当時、この人物との間柄は極めて良好で、彼と一緒にいる時、私の中では全てがバラ色、順風満帆、であった。会話をしている間も、「うん、なかなかいい感じ。私達、これからいいところ~、ね。」と好感触を得ていた。その間、この男性の気を引こうと躍起になっている第三者がいた。何か引っ掛かるものを感じてはいたが、私は敢えて「気にしない、気にしない。」と見過ごすがままにしてしまった。我ながら迂闊(うかつ)だった、と、思う。突然、何の前触れも無く...地獄のような砲火が、私を襲った。その男性の口から出たのは、私をののしる言葉の数々だった。私は完全に打ちのめされ、致命的なダメージを受け、息も絶え絶えになってしまったが、彼はまさにそれを狙ったのだ。衝撃におののきつつも、私はまず、彼の言葉に込められた原初的なメッセージをひとつひとつ解析していかねばという気持ちに駆られた。「お前が憎い。今すぐ俺の前から失せろ!」...それが、彼の言わんとしていることだった。この男性の中で煮えたぎっていた憤怒、そして相手を圧倒しようという執念。瞬く間に私を突き刺し、私はただ苦痛に悶えるばかりであった。何とか正気を取り戻すと、私は「もう、何を言おうと、何をしようと、無駄だ。」という結論を下した。そして、身の安全のため、その場を離れた。そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年 ルカによる福音書 23:34自分を守るためにも、あの時ああして立ち去ったのは賢明だった。今はそう思う。だって、あの人は、私の言い分を聞くつもりなど毛頭無かったのだから。おまけに、あちらには一緒になって口裏合わせてくれるような味方もいた。あの男性が放つ毒気から即刻、距離を取ること。それが、私にとっては最善の行動だった。ふらふらしとした足取りでともかく車に乗り込んだ私は、今しがた自分に起こったことと、その意味とを考え始めた。気分は最悪なままだったけれども。こうした体験をしたのは私一人だけではない。他にも大勢いる。結婚した相手が自己愛人間だったことで味わった、あの恐怖。自己愛的な母親、父親、兄弟姉妹との関わりで生じた、或いは今もなお生じている、精神的苦痛。そうした状況を実際に体験してきた大勢の人々と話すことで、「そうだ。これは絵空事などではない。実際に起こっていることなんだ。」と、私も日々再確認できている。自己愛性パーソナリティー...現代ならではのパーソナリティーの病...とその実情について、学べることはいくらでも学んでおこう。自分自身をいたわってあげてほしい。自己愛人間が用いる、あの忌々しい投影の罠に引っ掛かってしまってしまった自分を責めてはいけない。責めるどころか、逆に、その正体を見破ったのだから、「よくやったね。」と褒めてあげよう。...あなたが受け取ったのは、自己愛人間の無意識部分から放たれた、悪意に満ちたメッセージなのだ。勝ったのは、あなただ。勝利を祝おう。そして、今後、このような人物とは心理的にも、感情的にも、物理的にも、できる限り距離を置くことだ。毒吐きマシーンにずかずかと土足で踏み込まれることの無いよう、あなた自身の周りにもしっかりとした境界線(バウンダリー)を築き上げるように。付き合うなら、自らの内面をしっかりと見つめていて、簡単に投影の罠にはまったりしないような人々にしよう。「あ、またやっちゃった」という時でも、きちんと自分の非を認めることができるような、そんな人々を選んで付き合おう。あなた自身という人間が「傑作」であることは間違いないものの、まだ完成品ではない、制作の途上にある傑作だ、ということも覚えておこう。直観の声に注意深く耳を傾けよう。ずっと夢見ていたこと、やりたかったことを探しに行こう。そして、自分に言い聞かせよう。夢を現実のものとするもしないも、自分次第だ、ってことを。-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+「知識は力なり(Knowledge is power)」です。「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」という、お年寄りを狙った悪質な犯罪がありますよね。近年、マスメディアで何度も何度も取り上げてくれたおかげで、十年前に比べれば引っ掛かるおじいちゃん・おばあちゃんの数は減っているのではないでしょうか。【参考記事:Naverまとめ より『振り込み詐欺』に騙されない 大阪のおばちゃんが強いわけ】Copyright (C) Shimane Prefectural Police.(私・黒犬べーやんはこの動画の著作権、持ってませんから~。)あはははっ!島根県警、ナイス!!!それにしても、パワフルで陽気なおばちゃん文化には好感持てますねぇ。嘘臭さとか偽善とか見栄とか、そういう東京...っていうか、なりすまし東京人が作り出したメンドクサイこと、スコーンと笑い飛ばしてくれそう。私の故郷・神奈川は、その辺今一つパンチ不足かな~...と思いきや、最後の最後に懐かしいあの俳優さんがっ!!!【自己愛人間】を初めとする【あなたの近くの困ったさん】に対しても、「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」と同じやり方で立ち向かわにゃいかん、のではないでしょうか。上手に情報を仕入れておいて、避けられる事故ならば、避ければよい。何も痛い思いをして自ら体験する必要は無い。私は、そう思います。まずは情報収集から始めましょう。だって、あちらさんの特徴や、手口を知らなきゃ、見分けられないですもん。見分けられなかったら、逃げられない。逃げられなかったら、相手の毒をまともに食らって、泣くしかない...。そうなる前に、手を打っておきましょう。自分の身と心は自分で守らなきゃ、ですよ。
2014.03.12
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昨日、過去記事を読み返してみて気付いたんですがね。今年になってからの記事、やたらとポジティブ!健康的!な内容に満ち満ちているじゃないですか(笑)。おいおい、どうしたんだ、自分...。過去の記事、特に2011~2012年辺りの時期に書かれた記事(人間不信に陥り、「エイブラハム」にかぶれた後目が覚め、その結果、妙にひねくれた物の見方をしていた時期、ね。)と比べると、随分な変わり様です。えっとですねー、どうも最近はジメジメ、ウジウジした内容を書く気がしないんですよ。何年も前の出来事を蒸し返しては、悶々とした気持ちに浸る...という不毛なサイクルの繰り返しに、いい加減、嫌気が差したみたいです。で、最近、久々に思い出し、お気に入りとなっている一言が、こちら。「愛はただでさえ難しいから ラブソングまで難しくする必要はないんだよ」(エンペディアEnpedia・フレディー・マーキュリーの項より。)1991年・晩秋にAIDSでこの世を去った、クイーンのヴォーカリスト、故・フレディー・マーキュリーが、生前に語ったとされる言葉です。確か、原文はこういう感じの文脈ではなかったかと記憶しています。「現実世界の恋愛は、とかく複雑で、ややこしいもの。夢は破れるし、理想通りに進まないことだってしょっちょうさ。。だから、自分で書いて歌う歌ぐらいは、シンプルに、わかりやすく行きたいんだ。」フレディーが言いたかったこと、今ならば理解できるような気がします。これ、愛や恋の歌だけでなく、全てのことにも応用できるのではないでしょうか。私たちはみな、複雑で、先行きの見えない、現実世界に生きています。悲惨なこと、残酷なこと、何とかしたいけど、でも、どうにもならないことは、身の周りにいくらでもあります。ゼロになる日は恐らく来ないでしょう。少なくとも、私たちの存命中は。フレディーも、クイーンも、そうした現実から目を背けてはいません。じっと見つめています。観察しています。85年のLIVE AIDから、「悲しい世界(原題・Is This the World We Created...?)」。リアルタイムで見られて幸せでした。(日本語訳はこちらをご参照ください。)目を背けようと、耳をふさごうと、負の情報や負のエネルギーは容赦なく私たちを襲います。少しずつ私たちの心の平安を脅かし、私たちの身体をむしばんでいきます。世界が暗い話であふれていることはよくわかっています。逃げるつもりはありません。でも、こちらのブログは、それとは違う場所にしたい。立ち寄ってくれた人が、少しでも気分が晴れるような、そんな憩いのページにすることを、敢えて選択したいのです。敬愛するフレディーが、シンプルでストレートなラブソングを書き続けることを選んだように。既に十分なくらい汚染され、悪臭を放っている大気の中に、わざわざ進んで自分が臭い息を吐き出す必要は無いでしょう。そういうのは自分一人で、プライベートな空間で静かに処理すればいい。公の場に撒き散らさなくともいいのです。上のフレディー発言の出所は、こちらのCDのライナーノーツ(ブックレット中の解説)のはずです。ザ・フレデイ・マーキユリー・アルバムフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)楽天ブックスで詳細を見る元・ミュージックライフ編集長で、現在はフリーの音楽評論家の東郷かおる子さんによる文章でした。生前、フレディー・マーキュリーにインタビューした際、完成したばかりのアルバム「Mr. Bad Guy」を何度も、何度も繰り返し聴かされて困っちゃった~...ってな感じの、今となっては微笑ましいエピソードが入っていたように記憶しています。日本からアメリカに引っ越して来る時、CDプラケースも、小冊子も置いてきてしまったんですよね〜。正確な文章を引用できないのが残念無念、です。東郷さん、現在もお元気でご活躍中のようです。かつて、ダリル・ホール様【送料無料】セイクレッド・ソングス [ ダリル・ホール ](↑このLP、枕元に立てかけて毎晩幸せな気持ちで眠りについておりました...。うぅ、眼福〜。)を崇拝していた者の一人としては、ミュージックライフの編集後記で毎回堂々と「ダリル様命」を公言しまくる東郷さんには、親近感と共に「いいなー、取材と称して至近距離で会えちゃうなんてさー...ソレッテズルイヨナ~、ブツブツブツ...。」といった複雑な感情をも抱いていたこと、懐かしく思い出しました。お互い、残念ながらダリル様とはご縁がありませんでしたね。ははは...(苦笑)。いささか古い記事になりますけど、「東郷さんって、どんな人?」と思い出してみたい方のために、写真付きで、どうぞ。30年前とほとんど印象が変わっていないなんて、すごいお方だ...。2011・11.24 (フレディーの命日!!!) 映画.com 「“Queenの伝道師”東郷かおる子、F・マーキュリーに思いを馳せる」さて。話を冒頭のフレディーの発言に戻しますが...フレディー流の「ラブソングぐらいはシンプルに行きたい」という考え方。これ、エックハルト・トールの言う「ペインボディ」という、私たち人間誰もが心の奥底に持っている「魔物」に対して持つべき、きわめてまっとうな姿勢ではなかろーか、と思うのですよ。人間には古い記憶を長々とひきずる傾向があるから、ほとんどの人はエネルギーの場に古い感情的な苦痛の集積を抱えている。私はこれを「ペインボディ」と呼んでいる。。(「ニュー・アース」第五章 ペインボディ ---私たちがひきずる過去の古い痛み より)【送料無料】ニュー・アース [ エックハルト・トール ]誰にでも、辛い過去や、厳しい現実はあります。もちろん、将来への不安や心配も。「そういう生き方、辛いよ」と親切な誰かが忠告してくれたとしても、ついつい過去の苦痛へと意識が舞い戻ってしまい、その苦痛を追体験せずにはいられない。それが平均的な人間、つまり、われわれです。精神的苦痛から完全に解き放たれた人なんて、地上世界ではほとんどいませんでも、別の在り方もできるよ、ってことをエックハルト・トールさんは教えてくれています。何もわざわざ「ペインボディ」の方向へベクトル向けて、何度も何度も過去の苦痛や、過去が原因となった現在の不幸へとトリップしては、自分をミジメにすることはない、ってことを。そんなことする必要はありません。一体誰があなたに「そうしろ」って命令したんですか。あなたでしょ。あなた一人が、自分で決めてやったことです。だったら、止めるのも、あなたしかいませんよね。誰も助けてなんかくれませんよ。「楽だから、つい...」「つい、惰性でいつもの悪口大会に...」「相手の不幸話に刺激されて、『私の方がもっとすごいわよ!』と、無駄に張り合い、後味悪い...」こうしたエネルギーのダダ漏れ&無駄使い行為、そろそろやめませんか。過去や未来にばかり考えを馳せていないで、不純物のない、【今】この一点に集中する。静かに立ち止まり、自分の内側を観察することから始めましょう。一人ひとりの意識の在り方、少しずつ変えていきたいですね。これ以上、私たち一人ひとりのペインボディに好き放題やらせてはまずいですよ。日本という国全体のペインボディ、そして人類全体の集合的なペインボディを手の付けられない程に巨大な猛獣へと変えてしまわないためにも。トールさんの本を読んでいない人にもわかりやすい作りになっていますので、ぜひご覧になってみてください。素晴らしい動画をアップロードしてくださったsave100millionさん、ありがとうございます!
2014.03.02
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小学校に入った時から「体育」「スポーツ」「運動」と名のつくもの全てが嫌いだったひと、手、挙げて。はいっ。私は間違いなくそういう子供でした。ほんとうに、ハンパじゃなく、鈍かったんですよ。マラソン大会があるとか、球技大会が近付いたとか、そういう時には、一体どうやってうまいタイミングで病気になれるだろーか、と、真剣に考えたことも一度や二度ではありません。仮病なんて高等技術は使えませんでしたし。(←余計なことしゃべり過ぎて自滅するタイプなもんで。)今、こうして毎週喜んでヨガのクラスに行き、週に4~5日は自主練習の時間を取っていることが未だに信じられないくらい。ヨガのみならず、最近ではツボやお灸などといった東洋医学/中医学、そして前回お話ししたような整体といった【カラダ】に関する分野の本ばかり読んでおります。あ、もちろん、エネルギー医学、代替療法といった分野も。これも立派な【カラダ】についての学びですよね。あそこまで体育大嫌い!運動憎むは我にあり!だった人間が、こうも変われるとは...。なかなか感慨深いものがあります。ま、要するに「日本の学校教育が推奨する、忍耐&ド根性系『運動』『体育』『スポーツ』が大嫌いだった」、ってことなんですね。別にカラダのこと全てが嫌い、ってわけじゃなかったんです。単に「楽しい!」と感じたことが無かっただけ。今日も一本、こちらのDVDで体温上げて、ひと汗かきました。ひゅー。気分爽快!この女性、アメリカのフィットネス業界ではちょっとした有名人の、レスリー・サンソン(Leslie Sansone)というお方。ヨガやピラティスのDVDも出していらっしゃいますが、本業(?)はフィットネス・ウォーキングの指導です。"Walk and Kick"というタイトル通り、基本は室内でのウォーキング。そうですねー、だいたい畳2枚分ぐらいのスペースがあればOKでしょう。動画をご覧になればおわかりかと思いますが、所々でキックやパンチといったキックボクシング風の動き、横歩き(サイドステップ)や腕の上げ下げといったアドオンをうまく織り込み、何とか飽きずに30分間体を動かし続けられるようなプログラムとなっています。1962年生まれ、ということは、私より少し年上ですね、レスリーさん。彼女のどこまで行っても陽気で明るいアメリカ~ン!な指導スタイル、私は好きです。時々飛び出す「ギャハハハッ」的な特大の笑い声を聞いていると、些細なことでクヨクヨしているのがアホらしくなります。なぜ、レスリーさんのウォーキングがいいのか。「簡単だから」。その一言に尽きます。基本的に、複雑な動きはゼロ。動きの変わり目にはちゃんとレスリーさんが絶妙のタイミングで必ず合図してくれます。「次に○○○が来るわよ~、4、3、2、1、それっ!」「外側に軽くつま先をタップ、タップ、タップ...これを8回やりましょう。さぁ、ここから。8、7、6、5、...」ってな具合に。後は、ひたすらWalk, walk, walk。"Come on, feet!"の掛け声も威勢良く。英語に自信が無い人でも、心配ご無用。画面の中の動きを見て、真似してりゃ、絶対できるようになりますよ。盆踊りと、ピンクレディー以外の「振り付け」には身体が拒絶反応起こす私だってついていけるんですから。大丈夫。昔、何を血迷ったか、うっかり取ってしまったベリーダンスのクラスのように、手の動きと足の動きはバラバラ、しかも先生からは次から次へと別の指令が...なんて事態を処理しきれなくって、とうとう脳味噌がショートしてしまった...なんて大惨事。(あれは悪夢だった...。ベリーダンスは見るに限る。)レスリーさんのDVDに限っては、まず、起こりません。たま~に「次、反対側でキック~!」と言い放っちゃってから、「あ~らいやだ、間違えちゃった!他のみんながちゃんと腿上げ(knee lift)やっててくれたから助かったわ!ヒャハハハッ!!!」なんて、サザエさん的うっかりをやることもありますけどね。そんなNGな場面も修整せずにそのままDVD化しちゃっているところが、また、ご愛嬌。自宅のリビングに居ながらにして、本当のフィットネスクラブに行って、生身のインストラクターと一緒に運動しているって気にさせられます。今年に入ってから、「やはりヨガだけでは汗をかく機会が足りなさ過ぎる。年取ってから一発転倒→骨折寝たきりにならないためにも、もうちょっと歩かねば!」と、痛感しましてね。自然療法医(ナチュロパス)の先生にも「一日30分歩くように。」と、昨秋の健康診断で言われたこともありますし。残念ながら当地の冬は雨が多く(今年はおまけにドカ雪まで!)、野外を歩くのにはあまり適していないんですよ。それに、湿気の多い、冷えた屋外を歩くと、膝や足首の調子がどうも思わしくない、ってこともだんだんわかってきました。後で「イタタタ...」ってなるんですよね...。情けないですが。で、レスリーさんのDVDを久々に始めてみたところ、今回は見事、ツボにはまりました。長く続けていけそうです。一回あたり2、30分のものが多いので、「あっという間に終わるんだからエクササイズする時間が無い、っていう言い訳は通用しない!」(レスリーさん談)...ですよね。はい。日本のアマゾンでは輸入版DVDが簡単に買えます。定番の"Walk Away the Pounds"シリーズならまず外れは無い、と思いますが。http://www.amazon.co.jp/Walk-Pounds-Ultimate-Collection-Import/dp/B00265T7O2/ref=pd_cp_d_0以前、この"Walk Away..."シリーズのDVD(上のリンクの品とは別物。こちらの2枚組セット。)を日本製のDVDプレーヤーでかけてみたら、難なく再生できたので、実はリージョンフリーディスクだったんだと思います。ただ、アマゾンの表記だと、「リージョン1(北米向け)」ってあるんですよね。どうなんでしょう。まずはYouTube動画でご自分に合うか、合わないか、お試しになってみてはいかがでしょう?初心者向きの、1マイル(約1.6km)ウォーク。21分。ちょっとスピード上がりますよ。2マイルウォーク。約33分。こちらは先日試しましたよ。中盤でウォーキングから離れてスクワット等の筋力トレーニングを取り入れている点が、私としてはイマイチかな~、と思ったのですが。でも、こういう方が好きって方もいるでしょうね。22分程で有酸素系も筋力もどっちもやりたい、って欲張りな声に応えたのかもしれません。こちらは3マイル。46分、と長めです。まだ「完歩」しきれる自信が無くって挑戦していませんが...。こういうハンドル付きのチューブを使うんですね。レスリーさん、時々こういう小道具使った筋力トレーニングを組み入れたウォーキングDVDを出しています。【期間限定】ポイント7倍☆3,150円以上ご購入で送料無料ギアマックス ハンドルチューブ 841GMT33HT-Pバンド状のでもOKかな。たたむとぺったんこになる点はいいですね。ヨガマットと一緒にしまうのも良し。お家で簡単シェイプアップ&ストレッチ!【1個までメール便可!】Salofix(サロフィックス)ストレッチバンド F7076(シェイプアップ/ヨガ/運動/腹筋/背筋)[M便 1/1]DVD版の1マイルウォーク、2マイルウォークにも登場しているこちらのお仲間たち。最後列の黒一点・ほっこり系おじ様がひそかにお気に入りだったりします。(クマさん系の人、好きなんです...)毎回見ながら「ん~、この前後に腰を揺さぶるような動きのアフリカ系の彼女は、やはり体癖五種、か?」「おぉ~、この人もねじりにねじってる動きしてるな~。」「首が長く、上下にスーッと伸びている感じが強くてあまり横揺れが見られないこの人は、やはり上下型体癖?」...などと、初心者の勝手さでいろいろと推測するのも楽しいものですよ。(そんな事でもしなきゃ、毎回同じ映像&せりふなんだし、すぐに飽きが来るって!)でも、こちらの本には飽きることはしばらく無さそうです。野口整体、まだまだ知らないことが多過ぎる...。【送料無料】体癖 [ 野口晴哉 ]自分の身体の声を聞くことができるような、そんな【カラダの達人】になりたいものです。レスリー姐さんと一緒に身体動かして、いい汗流して、んでもってヨガもしっかり練習して。で、ご飯もおいしくいただいて。さ、そろそろ立ち上がって、2匹の犬たちと一緒に森へ散歩に行くとしますか。
2014.02.28
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先月から通い始めた、「元・アヌサラヨガ → 現・ハタヨガ」の看板掲げる、Hヨガ教室。本教室のオーナーであり、主任講師でもあるL先生は、ヨガ歴30年以上の大ベテラン。お年は50代後半で、本格的にヨガを指導される前は、作業療法士occupational therapistをなさっていたそうです。作業療法士って、何?理学療法士physical therapistとの違いは?って疑問に思った方、こちらをクリック。専門学校・久留米リハビリテーション学院のHPです。http://kurumereha.ac.jp/subject/difference.htmlなるほど〜。よくわかりました。毎週水曜日、L先生のレギュラークラスへ出始めて、2ヶ月近くが経過。先月の「身体部位別ワークショップ/足・足首の回」では、L先生が、実に豊富な知識と経験の持ち主、ということがわかりました。参加者のあらゆる質問にテキパキと答えていくそのお姿、頼もしかったです。普段はふんわりと穏やかで、人を和ませる語り口の方なんですけどね。身体の機能回復を目指すお仕事をされていただけあって、ヨガに必要な解剖学や、各種代替療法についての知識をしっかりと身に付けていらっしゃるなぁ、という印象です。L先生、お見事。あっぱれ。脱帽です。それを認めた瞬間、この先生にしばらくついていってみよう、って、決心が固まりました。昨日、ふと気付いたんですね。あぁそうか。自分は、何を教わるにしても、この人にはかなわない、完敗だ、と実感し、一度おのれの鼻っ柱をへし折られるような経験をしない限り、他の誰かを【師匠】とは呼びたくないんだ。...ってことに。先生にしてみれば、一番イヤなタイプの生徒でしょう。一言で言えば、「生意気」。人を見れば「あなたは私より上ですか、それとも下ですか」と、つい本能的に問いかけてしまう、困った性癖。これまでにママ友絡みの話のなかで「けしからん!」と幾度も攻撃しておきながら、当の自分がちっともそこから抜け切れていない、という、この大いなる矛盾...。人の振りみて我が振り直せ。日本語にはいい言葉がありますね。...全くその通り(恥)。ま、生意気で挑戦的で、いけ好かない類の生徒(しかも万年初級者。)、との自覚はしております。でも、「はい先生、あなたの勝ちです。おみそれしました。」と、一度白旗を掲げてしまうと、後はおとなしく言うことを聞き、アドバイスをしっかり守り、とびっきりの模範生となるべく【気張る】(頑張っちゃう。)。そういう一面、確かに自分にあります。だからこそ、「可も無く不可も無く。」程度の指導者ではダメなのですよ。「これぞ!」と心から納得できる実力を備えた先生を、草の根分けても探さなくっちゃいかんのです、私の場合特に。そういう先生につかないと、いつか不平不満が爆発し、せっかくの習い事も途中で投げ出しかねないですからね。となると、時間も、お金も、無駄になってしまいます。野口整体の創始者であり、伝説的な治療家として知られる故・野口晴哉(はるちか)氏が提唱した体癖という心身類型論によると、こうした【強きに弱く、弱きに強い】という陰のいじめっ子気質。(うわ、「ドラえもん」のスネ夫みたいな性格〜。)「八種」の体癖に相当するようです。【送料無料】体癖 [ 野口晴哉 ]「...『立志伝』などを読んで発奮するなどというのは人間共通のものです。誰でもそういう中に特定の相手があると、その気張りが持続できるのです。特定の相手に対していつも気張っているとか、特定の相手の欠点が出た場合に、みるみるうちにペショペショとなってしまうとかいうようなことは八種体癖の特徴でありまして、それは逆に言うと、強い人には弱く、弱い人には強い、そういう性質が出てくるもとで、その強い人に対する自分の弱さを非常に強く感じるために気張りが出、捻(ねじ)れが出てくるのです。」(「体癖」 野口晴哉、ちくま文庫、2013、p.217)この、体癖という人間分別法。実に面白いですね~。私が長年凝っている性格分類の学・エニアグラムとはまた違った切り口から【人間】という生き物を徹底解剖していて、一度足を踏み入れるとずぶずぶと深みにはまります。野口さんという方は、いろいろな人が「天才型」と評しています。天才の呼び名にふさわしく、パッとひらめいて、物凄く真実を突いたことを言うのですが、残念ながらそれを誰も彼もが真似したり、奥義を伝授してもらったり、というわけにはいきません。「天才」というのはそういうもの。秀才や凡才が「なろう」と思ってもなれない存在なのです。一応、人前で講義や講演の形をとって野口先生が話す、教える、という形は取っているものの、それは先生が治療中にひらめいたこと、観察から導き出したことをパッ、パッ、とどんどん喋っていく、という感じ。変な言い方ですが、野口晴哉という人物が「ハイヤー野口先生(野口先生のハイヤーセルフ、ってことですよ。)」にあたる背後の存在から、チャネリングメッセージを受け取って、それを聴衆や、読者の前へと次から次へと差し出す...。読んでいて、そのような印象を受けました。待てよ。「ハイヤー先生」からのチャネリングメッセージの集大成...ってスタイル、どこかで見たような気が...。そう、この方!【1000円以上送料無料】自然現象と心の構造 非因果的連関の原理/カール・グスタフ・ユング/W.パウリ/河合隼雄今、シンクロニシティー(共時性:意味のある偶然の一致)について学びたくって、ユングのこの本を手に取る初心者はまずいない、と思います。研究者や論文書かなきゃいけない学生さんでもない限り。本家本元/元祖/家元だからといって、必ずしも説明が懇切丁寧でわかりやすい、とは限りません。野口晴哉さんの文章からも、ユングを読んだ時と同じ印象を受けました。基礎知識を仕入れてから読むと、実に優れた、人間性への洞察が見られる良書なのが、この「体癖」。でも、一読しただけでは「結局、何が言いたいの?」と、煙に巻かれた感が残ります。自分の体癖が知りたくて、この「体癖」を読んだのに、はて、自分の体癖はいったいどれか...?と、消化不良のまま終わるのです。で、こちらの電子書籍を購入。【送料無料】身体にきく 「体癖」を活かす整体法 [ 片山洋次郎 ]片山洋次郎さんの体癖は、必ずしも純粋な野口式とは言えないのかもしれません。ただ、こちらの本、体癖の判定法以外の部分も非常に読み応えある内容となっていまして、「読んで心が豊かになった!」という大満足の一冊でした。人間の心や身体、特にセルフケアに興味のある方でしたら、どなたにもお勧めできます。野口晴哉さん流の天才のひらめき集大成が【C.G.ユングご本人による著作集】だとすれば、片山洋次郎さんの本は、現代の日本に生きる私たちの状況に合わせて、わかりやすく噛み砕いてくれた【故・河合隼雄氏の手によるユング心理学入門書】...的な位置づけ、になるでしょうか。出版から50年近くになりますが、これを超える日本語のユング入門書はもう出ないでしょうね。 【1000円以上送料無料】ユング心理学入門/河合隼雄「わかる人にはわかる。わからない人は...好きにすればぁ?(←クレヨンしんちゃん調)」的な強引な喩えですけど。これ、八種体癖特有の「ねじり」「ヒネクレ」かなあ。人に伝える努力もせず、居直る、という。←体癖がひとつしか無い、っていう人はほとんどいないらしいので、他にも何種か混じっているはずです。さて、何?あ、そういえばヨガのポーズでも一番好きなのはねじり系の動きだったっけ。恐るべし、体癖。
2014.02.21
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今更...なのですが、エックハルト・トールさんに一発ガツーン!とやられました。「ペインボディ」という概念。おーーーっと、そういう説明で来るかっ!その手があったか!...衝撃受けました。シンプルですが、実に奥が深い。これ、時間をかけてじっくりと咀嚼していかねば。何でしょう、この、地味過ぎるんだけど、妙にパワフルな読後感...。ボディーブローのように後からじわ〜んと効いて来るような。禅仏教、インド哲学、キリスト教など、古今東西の宗教・思想から「いいとこどり」。それらの教えを援用しつつ、「昔から教えられてきた、ごく当たり前なんだけど、でも、とても大切なこと。」の数々を、彼独特の平易な言葉でもって、丁寧に説いていく。その結果生まれたのが、宗教と心理学とスピリチュアリティの全てをすっぽりと包み込む、エックハルト・トールの一大不思議ワールド...。彼の著作の特徴をまとめるならば、こんな感じでしょうか。(←雑っ!)いや、でも、宗教という、排他的で不寛容になりがちな存在につきものの棘(とげ)や毒を含んだ部分を取り除き、その後に残る、教えの中でも最も純粋な部分を抽出する...という作業。これ、意外とムズカシイと思うんですよ。そうした離れ業をいとも簡単に成し遂げちゃっている(ように見える)エックハルトさん、やはりただものではないです。すごいっ。そもそも、フツーの人の場合、特定の宗教に帰依した瞬間から、「うちらが一番!(=他の奴等は、邪道。)」という身びいきが、どうしても生まれます。この身びいき、往々にして、他宗教・他宗派へと向けた敵意や軽蔑の温床となりがちなんですね。後から退治しようと思っても、なかなかうまくいきません。また、歴史の長い宗教では、教えそのものが時代と共に変化することが避けられません。昔の聖者たちが残した言葉だって、後世の人々がいろいろといじり回したせいで、言った本人が聞いたらびっくりするような解釈を付けられている、ということもあるでしょう。例えば、仏教ひとつを取ってみても、「○○宗」と名の付く宗派が一体世界中にどれだけ存在するでしょうか。聖典と呼ばれるテキストの解釈や、弟子たちによる後付けのオプション教義の扱いで意見が分かれたことで、あそこまで枝分かれしてしまったのですよね。大元を辿れば、全てはお釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)という一人の言葉へと行き着くのに。エックハルトさん、ご自身では「スピリチュアルティーチャー」(霊性の指導者)であって、宗教家ではない、自分の本は宗教ではない、とおっしゃっていますが、私に言わせれば立派な宗教家ですよ。全ての教えに対して公平無私(Ego-less=無私)・中立の姿勢を貫けるという類まれな能力を備えた人であることは確かです。21世紀という新しい時代の幕開けに合わせて、出るべくして出た、従来の型には全く当てはまらない、新しいタイプの宗教家...だと思うんですけどね。以前ダウンロードしていた、これまたやはりすごい人・オプラ・ウィンフリー(過去記事をご参照ください。)との全10回・ウェブクラスに助けられながら[※ポッドキャストでの配信はまだ行われていますよ。https://itunes.apple.com/us/podcast/oprah.coms-spirit-channel/id275144300?mt=2 の、118から154までが「ニュー・アース」ウェブクラスの分。]こちらを読み終え、【送料無料】ニュー・アース [ エックハルト・トール ]【送料無料】A New Earth: Awakening to Your Life's Purpose [ Eckhart Tolle ]今はこちらを読書中。(邦訳本では内容の一部が省かれている、との情報に、英語版のみ購入。)【送料無料】The Power of Now: A Guide to Spiritual Enlightenment [ Eckhart Tolle ]The Power of Now。「今」の力。そう来たら、やはりあの先生の、あの一言が反射的に...って方。いらっしゃいますよね?上の動画はポッドキャスト・「ラジオ版 学問のススメ Special Edition」で2013.06.30に放送された、林修先生ゲストの回からのインタビュー(抜粋)です。インタビュー中に登場した林先生の「友達論」、とても興味深く拝聴しました。本ブログ、2014.01.21付の記事で取り上げました、蛭子能収さんの「友達"不要"論」とどこか共通する潔さ、感じますね~。勇気付けられるなぁ。25:40の部分からです。(こちらのHP、音声レベルがかなり高めの設定となっています。再生時にはご注意を。)「僕は非常に友達が少ないんですけれど。...友達が少ないことが、まぁ、自慢、というか。いや、本当に友達が多かったら絶対この本も書けなかったと思いますし。ホントに気が合う価値観が近い人が、世の中にそんな何人もいるわけがない。とすると、友達が多いと、どっかで『合わせてる』人達がだんだん増えてくる、と。そして、特に男性に多いんですけれども、ま、仮に、そういう[『合わせてる』]人がいたとしても、そういう人といると楽しいんで、いつもの仲間と、いつもの店で、いつもの話をし始めたら、これは人生の無駄、と。結構おんなじ話を何回もしたりする人達によく出会うんですよ。ま~たあそこ、同じ話している、と(笑)。例えば、高校野球仲間が集まると、いつまで経っても「あー、あの甲子園な~」...って、それ、もう38回目ぐらいだよ、と(笑)。1回減らしても、多分人生に影響無い。確かに、楽しいんでしょうけれどね。そういう時間がゼロにできる、と。ただ、たまに会う仲のいい友人達といろいろ相談したりとか、「あぁ、お前、そういう風にやってるの。あぁ、なるほどね。じゃ、それ、もらうよ。」って言って、ちょっとそういう友達にヒントをもらったのが、今度の黄色の本には入りました。【送料無料】今やる人になる40の習慣 [ 林修(予備校講師) ](インタビュアー・蒲田さん)友達が敢えて少ないことが、非常に...いいですねー。それは授業でもよく言います。友達は、少ない方がいい、と。で、生徒もアンケートで書きます。僕の授業を受けたら、現代文の点数が上がって、友達も減りました。先生ありがとう、って。(笑)ちゃんと感謝もされて...感謝もされて。いいことしたなー、と思いますねえ。精神世界と、受験やビジネスの世界。全く接点が無いかのようにも見えますが、「今」を大切にすることから全てが変わっていく...という点は一緒。まずは「今」と真っ向から向き合い、過去からの遺物や、行き過ぎた将来への不安や心配といった無駄を削ぎ落とす。「今」に全精力を傾けずして、充ち足りた明日はあり得ない、ということなのですね。...と、ありきたりな落とし方をしたところで。林先生は、「今、やる!(=DO)」で、エックハルト・トールさんは、「今(に)、ある!(=BE)」と、動詞が異なるんですよ。「やる」 と 「ある」。皆さんだったら、どちらの動詞でもって「今」と向き合いますか。
2014.02.12
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木のように生きていこう。地球上をあまねく照らしてくれる太陽の光や、全ての命をつないでくれる雨水のように、天界から降り注ぐ【神】/【大自然】/【サムシング・グレート】からの恵みだけを全身に受けながら生きる、木のような生き方をしていこう。そのような恵みを、たとえ一時ではあれ、共に地球上で修行している最中の【人間】に求めようとした。そんな自分の愚かさを、微苦笑とともに「まぁ、しゃ~ないな。」とようやく許してあげる気持ちになった。許し、そして、「もう同じことは繰り返すもんか。」と、前に進む勇気が出てきた。自分以外の【人間】には、期待なんかしちゃいけない。自分に何らかの恩恵をもたらしてくれるだなんて、そんな大それた期待、抱いちゃだめだったんだ。どんなに求めても、「無い袖は振れぬ」なのだ。助ける余裕が無い人に、「助けて!」と叫んでも、お互い、どうすることもできない。心の奥底の古傷を、作り笑顔や、その場しのぎの「仲良しごっこ」でごまかす一方、自分を厚遇してくれない、つれない【運命】に対しての静かな憤怒を抱き続ける。そして、嫉妬や恨みといった負の感情と真正面から向き合うことを嫌い、「どうして私の人生、あっちもこっちもうまく行かないんだ! どいつもこいつも、やな奴ばっかりで、あーっ、いい加減ムカつく!!!」と、常に不平不満のガスが全身から沁み出している。でも、その本音を他人に気付かれることを死ぬ程恐れている、という、大いなる皮肉。言葉にしなくても、周囲には全てお見通しなのに。もしそれが、この地球上に現在生きる【人間】の、ごくごく平均的なプロフィールなのだとしたら、そして、この自分もまた、そんな平均的な【人間】の狭い枠にはまり込んでいるのだとしたら、他の【人間】に心慰めてもらおうなんて甘い期待は、今すぐ捨ててしまおう。心穏やかでない【人間】が、同じように心穏やかでない【人間】の内面に安らぎを与えてくれることなんて、有り得っこない。無理だ。本当に長続きする心の安らぎを与えてくれるのは【人間】ではない。ただ、【神】/【大自然】/【サムシング・グレート】に目を向け、全身全霊でそこからの恵みを受け取ろう、と、決意した時にようやく気付く。「今まで自分が【人間】に失望ばかりしてきたのは、心の安らぎを全く間違った場所にばかり求めてきたからだ」と。横や、下や、後ろの方ばかり見ていた。天を仰ぎつつ、まっすぐ前向いて、確かな足取りで歩かなきゃいけないのに。「別の生き方もあるよ。もっと楽で、心が晴れやかになるような、そんな生き方が。私達を見てごらん。」ささやき声の主は、大空目指してすっくと伸びる、一本の老木だった。(我が家のすぐそばにある森の遊歩道です。小さな森ですが、とても優しいエネルギーで満ちあふれています。)木は、隣の木が何をしようと全く気にしない。周りの枝が、自分の幹や枝に触れても、ぶつかってきても、いつも涼しい顔。余計なことは何も言わない。激しい嵐に襲われ、力尽きて倒れ、寄りかかってくる木があったとしても、それでも、何も言わずにただ、支えてやる。「おい、重いからどいてくれよ。」なんて野暮は、言わない。相手にそれを期待しても無理だ、とわかっているから、ただ、無言でじっと重みに耐えてやる。相手だって、所詮、一介の木に過ぎない。自分のことをどうこうする力など、持ち合わせていないのだ。そう、無力の相手に向かって文句を言ったところで、何一つ変わらない。何百年もの間生きてきた老木はちゃんと知っている。そのうち、パークレンジャーのアンディが通りかかって、倒れた木を取り除いてくれるだろう。或いは、また次の嵐がやってきて、うまい具合に倒れた木を動かしてくれるかもしれない。まぁ、なるようになるさ。今までも、ずっとそうだったから。そうして木は、天界のはからいを信じつつ、どっしりと地中に根を下ろし、ひたすら全力で踏ん張り続ける。踏ん張るしかないのだ。全力で、自分のできる範囲でできることをやり続けるのみ。他の木がもたれかかってくることに異存は無いものの、自分は何とか自力で踏ん張ってみせる。いつも見守ってくれている、大いなる天界の創造主の助けを受けながら。いつの日か、この老木だって力尽きて命枯れ果て、大地へと崩れ落ちる日が来る。いつか必ずやって来る。倒れ、苔むし、葉や枝をむしられ、手折られ、大空目指してすっくと伸びていたあの頃とは似ても似つかない。みすぼらしく、低く倒れて、哀れな姿をさらし続けるかつての老木。でも、木は決して悲しまない。苦しまない。ただ、平然と、そこに横たわり続ける。肉体の死は、全ての終わりではない、と、知っているから。じっと目を凝らしてごらん。倒れた木の幹の中にできた洞(うろ)の中に、仔リスや、野ねずみや、小鳥たちといった、小さな森の仲間たちが、また新たな生命を吹き込む。落とした葉や、枝のかけらは、太陽や雨風の力を借りて、小さな虫や微生物たちの生命を育む、肥沃な黒土へゆっくりと変容していく。死してなお、我が身が自然界の大きな営みに貢献していることを学ぶ、老木。「あぁ、自分の人生にもちゃんとお役目が与えられていたんだ。自然界の一部分として、その時、その場所でできることをやる、というお役目が。そのお役目を果たすために、この世の全てをお作りなさった神様は、惜しみなく太陽の光と、優しい雨とを与えてくださっているんだな。必要なものは、全て与えられていたんだ。ただ、自分がその恵みに気付きさえすれば、それでよかったんだ。」全身が苔で覆われた上、キツツキがさんざん突いたおかげで、どこもかしこも穴だらけ。いささかみすぼらしい姿になってはいたものの、それでも、老木は誇らしい気持ちでいっぱいだった。♪.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜☆.:*:・'゜♪.:*:・'゜☆.:*:・'゜♪.:*:・' ♪.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜☆.:*:・'゜♪.:*:・'゜明治生まれだった祖母(福島県相馬市生まれ)は、若い頃小学校の先生をしていました。92歳で亡くなってから、早いものでもう20年になります。お葬式の日に、教え子のお一人で、卒業後も長きにわたって親交のあった男性が弔辞を読んでくださいました。「先生は、いつも、『自然に学ぶ』ということをおっしゃっていました...。」百坪を超える庭を、季節の花々や、野菜や、木々でいっぱいに満たし、その豊かな恵みを私達孫達に惜しみなく分け与えてくれていた、祖母。宅急便が普及する前の時代ですから、小包を送るには、わざわざタクシーで国鉄福島駅に重い荷物を持っていかねばなりませんでした。そのおかげで、神奈川県に住む私達のところでも、毎年、紫蘇の実の塩漬け、干し柿、そしてイナゴの佃煮(!)といった、福島ならではの季節の味を楽しむことができたのです。祖母は、私が知る範囲内では、誰よりも自然と対話し、自然の声に耳を傾けていた人でした。よく一緒に時代劇を見たものの、植物や庭いじりに全くといってよい程興味が無かった私は、そちら方面についての話をすることはほとんどありませんでした。もっとよく話を聞いておけばよかった。でも、祖母は、こちらが興味の無いことや、自分の価値観をを無理に押し付けるようなことは決してしませんでした。そういう人だったからこそ、教師の職を辞した後も、教え子さんや、地域の人々からずっと慕われ続けていたのだと思います。祖母がこよなく愛した、庭。その後、家を継いだ息子(私の伯父)が、ご近所でも評判のバラ園へと大変身させたものの、現在は、更地に近い状態となってしまいました。2011年の福島第一原発の事故による放射性物質が、伯父達が住む福島市内の某地区にも大量に流れ着いたからです。いわゆる「ホットスポット」として有名になってしまった地区なので、近くの方なら「あ、あそこ!」とおわかりになるかもしれませんね。伯父は、泣く泣く最愛のバラ園、そして祖母がこよなく愛し、毎年秋、有り余る程の干し柿をもたらしてくれた柿の大木や、その他、思い出のいっぱい詰まった植物のほとんど(門の脇にある松の木を除き。)を切り倒し、庭全体をよその土地から運んできた土や石で埋め尽くしました。愛する孫、そして地域の子供達全ての健康を第一に考えるのであれば、選択の余地はありませんでした。今もなお、故郷を荒らされて胸の張り裂けんばかりの思いをしている福島のみなさん。そして、福島と何らかの形でご縁があって、福島を愛する全てのみなさん。私は海の向こうにいて、これといって何かできるわけではありません。でも、ずっと応援しています。皆さんの明るい未来、そしてご健康・ご多幸を、ずっとお祈りしています。
2014.01.31
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昨年、ayafuyaさんがこちらの記事http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201309200000/へのコメントで、「精神医療ルネサンス」という読売新聞の連載記事を紹介してくださいました。一時は、「このままお蔵入りか...!?」と懸念されたものの、昨年末に無事、出版社を変えて新書化されました。 【送料無料】精神医療ダークサイド [ 佐藤光展 ]このような問題提起の本をきっかけに、今までは泣き寝入りするしかなかった、弱い立場の患者さんたちへの待遇が、少しでも改善されればいいな、と思います。少しずつ、でも、なるべく速やかに、闇が光によって駆逐されていきますように。それまでの間、私たちにできるのは、昔ながらの「口コミ」や、こうしたネット上で得られる情報網をフル活用して、自分から積極的に「いい先生」「いい病院」を選んでいくこと、ぐらいでしょうか。ただ、急病や突然の事故など、自分で選ぶことができない場合もままありますからね。そうなると、患者は非常に弱い立場に置かれてしまいます。ayafuyaさんが教えてくださった、こちらの事例のように...。http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=39068上の竹下雅敏氏の時事ブログでも頻繁に登場する、カナダ人ジャーナリストのベンジャミン・フルフォード氏。こちらを初めとする氏の著書では、非常に興味深い話が読めそうです。(読んでいないので、それ以上のことは言えませんが。)【送料無料】これが「人殺し医療サギ」の実態だ! [ ベンジャミン・フルフォード ]作家の五木寛之さんも、「医者に行かない」ことが健康法、と、帯津良一先生との対談で再三再四強調されていますよね。【送料無料】健康問答 [ 五木寛之 ]ただ、五木さんの場合は、もはや「健康&代替/民間療法マイスター」の称号を送って差し上げたい程のレベルに到達した方。日本人の患者さんに(残念ながら)多い、「先生のおっしゃる通りに。」「出された薬は全て飲む。」といった、判断停止・思考停止状態とは全く遠いところにいらっしゃいます。「医者はだめ!」「病院へ行くな!」といった論調に即、共鳴するのも結構ですが、自分でできることはとことんやる。調べる。試してみる。という五木さんの姿勢も同時に見習いたいですね。それに、世の中にはどうしても西洋医学やそれを修めた専門家にしか対処できない分野だって、あります。(例えば、交通事故で大量に出血しているのを止めなければいけない、とか。)嫌いなのは結構。受けたくない、と拒むのも、それもまた、結構。でも、「××は絶対、だめ!」というところまで行くと、それは単なる「反西洋医学教」という宗教=ドグマに囚われてしまった状態、ではないでしょうか。何事にも、何人にも、【囚われてしまう】のは、自由を愛する者としてはあまり望ましい状態とは言えませんよね。必要に応じて柔軟に、自由に動き、判断を下せるだけの心は持っていたいものです。この先生の本も最近気になっています。【送料無料】精神科は今日も、やりたい放題 [ 内海聡 ]考えさせられますね。患者さんがどんどん薬漬けになっていくという、内海先生の言葉。利権や、業界のしがらみ、悪しき慣行...。一筋縄では解決できそうにもありません。ただ、こうした医療がらみの頭の痛い話は、日本ばかりじゃないですよ。問題山積、なのは、いずこも同じこと。私が住むアメリカだって、勿論、問題だらけであることは皆さんご存知でしょう。今月初め、こんなニュースが目につきました。2014年01月06日付 らばQ より「盲腸の請求書を見てぶったまげた...」アメリカ人のありえない医療費に対する海外の反応盲腸の手術を受け、それに対して請求された金額が、約550万円(保険適用前)。幸い、保険に入っていたおかげで、最終的な請求額は約111万円で済んだようですが。この記事を読んでまず思ったのは、「あぁ、入院して、手術したんだから、その程度にはなるでしょ。」ってこと。皆さんもご存知でしょうが、アメリカの医療費、ハンパじゃなく高い!!!です。15年近くこちらで生活し、小学生の子供を持つ親の立場から、それはひしひしと実感しています。日本みたいに、ちょっとした風邪や食あたり程度でいちいち病院へ行っていたら、家計が破綻するのは必至です!!!(だから、できるだけ市販薬で治しちゃおう、って発想になるんですよ。すぐに病院行って、おくすり出してもらう...っていう日本とは全然違います。)2ヶ月程前、うちの子供が朝、学校に行く時、あわてながらブーツを履いていたところ、バランスを崩してガレージへと下りる階段を踏み外し、数段下のコンクリート敷きの床へとしりもちついちゃったんですよ。幸い、背中に中身がぎっしり詰まったバックパックを背負っていた上、落ちた高さもそれ程ではなかったため、頭の方は打たずに済みました。(ほっ。)でも、本人がしりもちついた所、尾てい骨の辺りが痛い、痛い、と、泣きながら訴えるもんで、「大事があっては大変だ。」と、すぐに行きつけの小児科医に予約をし、数時間後に診てもらいました。診察自体は15分も無かったと思います。単なる打撲。この後吐き気などが無ければ、骨に異常は無いとみてOK。問題無し...ということでした。その後数日で、本人、何事も無かったかのようにフツーに動き回るようになりましたけどね。一件落着、です。で、つい先週。忘れかけた頃になって、そのしりもち診察への請求書が郵便で送られてきました。127ドルですよ、127ドル(約13000円)...。たかが15分程の診察なのに。しかも、保険適用の後の金額でソレ、です。15分ちょっとで127ドルなんですから、先のらばQ記事の盲腸手術への請求が保険後で111万円、保険前で550万円...って聞いても、別に驚かない...でしょう?こんなケースばかり何度も経験していると、感覚だって麻痺してきますよ。何かがおかしい。それは確かだと思います。うちはパパさんの雇用主のおかげで、割と条件の良い医療保険に入れているはずなのですが、それでこの請求額、ですからね。企業に雇われていない人々、つまり自営業者や、フリーランスの立場でお仕事されている方は、自腹切って医療保険に入らねばいけません。そうした方たちの毎月のべらぼーな負担額を考えると、なんとも複雑な気持ちになってしまいます。さらに気がかりなのが、昨今の収入減のため、高い医療保険に入ることもできず、【無保険】状態を余儀なくされている人々のこと。小さな子供や、いつ悪化するかわからない持病を抱える人々は、毎日心休まる暇も無いに違いありません。支払いのことを考えると、子供を病院に連れていってあげることもできないなんて。そういう方の苦しい立場を考えると、心が沈みます。うかうか怪我も病気もできないこの国って、いったい、どこが豊かなんでしょうね。オバマ大統領が最近ようやく導入に成功した医療保険制度改革・通称オバマケア。そうした無保険者層や、生活に困った人々に希望を与えるものとして、期待されています。まだまだ始まったばかりですが、どうかうまく機能していって欲しい。祈ることしかできませんが、でも、祈り続けましょう。
2014.01.28
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前回の記事に対していただいたflowergreen8さんのコメント、お返事をこちらで続けさせていただきます。>2014年にかけてギアチェンジが起こったとのこと、>私も、そうなのか否か、>年明け早々人間関係にアクシデントが起こり>※私が言ったのが原因ですが、、>早くも疎遠者が出たんです、>年始から縁が切れるって気分悪いな~と思ったのですが>今言っておかないと、後々大きい問題になるな。と思い>言ったことが、そうなってしまいました。それは気持ちが晴れない新年の幕開けでしたね。世間で「おめでとう、おめでとう」と言い合っている時期だけに、余計、「何で自分は...(ハァ。)」と、ため息出ちゃいますよね。ただ、flowergreen8さんがおっしゃっている通り、「今言っておかないと、後々大きい問題になる」のであれば、やはりこれはどこかで誰かが(この場合、たまたまflowergreen8さんの方に、口火を切るお役目が回ったのでしょう。)何かしなければいけなかった、のでしょうね。思うに、人って、トラブルの原因と結果がきれいに一直線でつながる時の方が、一時はしんどいにせよ、そこから回復するのは早いのではないでしょうか。しばらくの間、ブルーな気持ちはつきまとうかもしれません。でも、今のflowergreen8さんのように、「問題発見。まずいと思った。だから、言った。」と、原因と結果がはっきりと見えていらっしゃるのならば、長い目で見て「薬」となる体験、になるのではないでしょうか。次に似たような境遇に陥っても、「あ~、こういう不穏な兆しが見えたら、こういう方向へこじれていって、結果的にガシャーン!」となるのか。」と、怪しくなりそうな雲行きをいち早く察知して、被害を最小限にとどめられる、と思うのです。そうしたパターンを自らの体験によって【学習】して、自分の中に取り入れることができた人は、強いですよ。持って生まれた自分の性質に合わせてオーダーメイドであつらえた「賢く生きるテクニック」を一つ実習して、そしてマスターできた、ってことですから。「他人がどう言おうと、私はこのような危険地帯=相性イマイチな人との付き合いには足を踏み入れまい。別のルートで行こう。」って、きっぱりと宣言できるようになる、ってことですから。この先起こり得えるかもしれない100の対人間トラブルを、限りなくゼロに近いところまで減らせる、人生操縦法をまた一つ手に入れたのですから。悪いことばかりじゃないですよね。えらそーな口きいてごめんなさい。でも、この、【原因→結果がきれいに見えている方が、立ち直りが早い】っていうのは、私自身の過去のいくつかのスッテン・コロリン・ドシーン!体験に照らし合わせての感想なんです。逆に、わけのわからない嵐に巻き込まれたようなトラブルは、質が悪いんですよね。先が見えない、出口が見えない...っていうのは、きついですよね〜。(ご存知ですよね。)実は私も、最近、人付き合いについて「いいのかな、これで。」と悶々と思い悩むことがありました。まさにシンクロしてますよ、flowergreen8さんの現状と...。(これもやっぱり、我々の共通点=数秘術ライフパスナンバー7!の成せる業なのかな。)昨年、大病を克服し、年末から「会いましょう!」と、メール上のやりとりでテンション高めに盛り上がっていた人がいましてね。その彼女と、なぜかつながらない(=相手からの応答ナシ)、ってなモヤモヤ状態に、ここ一週間程陥っておりました。あちらにも、何かしら事情があるのかもしれません。一応落ち着きを取り戻した今、冷静に自分達の間柄について考えてみると、「まっ、しょーがないか。そこまで万難排して場をセッティングする程優先順位が高くない相手、って見られたんだな、私は。」...と、素直に認めざるを得ませんね。ごくごく小規模ではありますけど、無言で【拒絶された】ようなものです。心が痛まなかったと言えば嘘になるでしょう。(←筆不精のあんたにだけはそう言われたくないよ!と、昔の友人達からの文句が聞こえてきそうですが...。)でも、よくよく考えてみると、私自身の方でも、「...彼女と会ったところで、一体何話すつもりだったのよ?自分がちょっとばかり聞きかじって仕入れた知識を、ベラベラと生身の人間相手に披露したいだけなんじゃないの?」と、極めて手前勝手な「理想の再会イメージ」を抱いていたことに気付きました。もちろん、困難を乗り越えて、笑顔が戻った彼女の姿をこの目で確かめたい、という気持ちに嘘偽りはありませんでしたけど。ただ...。病み上がりの、しかもいつ再発の危険があるかどうかわからない状態にある相手にとって、無神経な知ったかぶり・喋りたがりの素人、しかも特に健康に問題もなく、ピンピンしているような奴。おそらく、今、一番会いたくない人種かもしれません。今はその時機じゃない。そう解釈して、自分を納得させた以上、さくさくと忘れます。ご縁が無かったですね、ってことにして。彼女も、私も、自分の本心を多少押し殺してまでも、相手をがっかりさせたくなくって(=自分が「いい人」と見られたくって)、その気も無いのについついサービス過剰のラブコールを送っちゃうようなタイプなんですよ。似た者同士なんですね。でも、本心から楽しんでいない、表面だけのリップサービスでしか場を持たせられないのであれば、話していたって疲れるだけ。ここはどちらか一人が鬼になって、自分の本心に正直になり、「やめよう。」という結論を出すのがベストだったんでしょう。こちらの記事、たまたま昨夜SankeiBizの記事で目にしたのですが、「あぁ、よく言ってくれた。さすが蛭子さん!」と、すっごく嬉しくなっちゃいましてね。「中年に新しい友達って必要? 人間はひとりで死んでいく 蛭子能収さん」http://www.sankeibiz.jp/econome/news/140118/ecc1401181731007-n1.htm原文はこちらにも掲載されています。http://president.jp/articles/-/11403http://president.jp/articles/-/11403?page=2「強いて言えば、なにか頼まれても気軽に断ることができ、相手も仕方ないとあきらめてくれる、さらりとした関係がいいのではないでしょうか。うまくいっているときはいいけれど、ひとつ間違えれば、相手を憎んだり恨んだりすることになる。友達っていうと、どうしても相手に過剰な期待をしてしまう。人間はひとりで死んでいくのだから、もっとひとりの過ごし方、楽しみを覚えたほうがいいと思います。仕事関係者からしか電話がかかってこないというのは、きっと真面目に働いてきて、家庭も大事にしてきた証しでしょう。それはとても立派なことじゃないですか。」最後の一段落が、悩める質問者を気遣う蛭子さんの優しさをよく表していて、じ〜んと来ます。相手に過剰な期待をしてしまう。本当にその通りですね。他人には期待もしないし、執着もしない。結局は、それが一人でも心地良く人生を送るための早道になるのだな、と思いました。蛭子さんの言葉、くよくよしていた私を力付けてくれました。flowergreen8さん、そしてこちらをお読みになってくださっている読者の方にも、何かが伝わればいいな~、と、思います。昨年末から、突然このシリーズに大ハマリしましてね。テレビ東京系列で年間3回程放映の、不定期シリーズ、「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」。【送料無料】ローカル路線バス乗り継ぎの旅 松阪~松本城編【送料無料】ローカル路線バス乗り継ぎの旅 京都~出雲大社編現在16まであるシリーズのほとんどは制覇しました。(海外在住のあんたが、何故?どうやって?なんて野暮なこと聞かないでくださいな...。オネガイシマスヨ...。)真面目で責任感あふれるリーダー、でも、たまにその責務の重さに耐えかねてブチ切れする姿が実に人間らしくって微笑ましい太川陽介さん。そして、言いたい放題、空気読まなさすぎ+気遣い一切無さ過ぎ(笑)の、100%自然児・蛭子能収さん。年齢は太川さんよりも10歳以上年上のはずなのにね。小学校低学年男児がそのまんま身体だけ大人になったような方です。プラス、各回ごとに異なる、マドンナ役のタレント/女優さんたち。もう、この番組、好き・好き・大好き!!!過ぎちゃって本当に困ってます(笑)。行く先々の地元の人々とのやり取りや、田舎町で三人組が舌鼓を打つ、おいしそ〜なおそばや海の幸の映像など、見れば見るほど「あ〜、日本っていう国は、どこへ行ってもそれなりの『郷土の味』や『郷土の名物』があるんだな。文化的に豊かな国なんだなー。」って、感心させられることばかりです。温泉風景もたまりませんねぇ。次のシリーズ第17弾は春頃になるようですね。楽しみだなぁ~!今まで「困った人だ~。」と苦笑しながら見ていた蛭子さん。上の「友達"不要"論」を読んでしまった今となっては、蛭子さんの姿は「自分に正直に生きる強さを持っている、勇者」そのものに見えてきます...。伊集院光さん、私も全く同意見です!あの蛭子さんと、あの太川さんの二人が醸し出す独特の化学反応。他の類似企画では絶対真似できませんよねっ!!!
2014.01.21
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2014年。どうやら、【変化】を真正面からドーンと受け入れよ!っていうのが、今年の課題みたいです。変わらないことばかり選択していては、新しい発見もできないし、人間としての成長も無い。動かなきゃ。動いて、内側から外側から少しずつ変わらなきゃ。その衝動に素直に従わないと、澱(よど)んで、腐ってしまいそうです。美輪明宏さんもおっしゃっています。「変化は世の常」と。何一つ、恐れることはありません。なるようになるんです。元気出して前に歩き始めましょう。これ、「2014」という新しい年の数字に隠されたパワーの成せる業なのでしょうか。今年は「7」という数字の性質に支配される1年なのだそうです。7という数は、神や霊的な世界と深い関わりを持ちます。一人静かに内面世界と向き合い、人智を超えた神秘的な世界を探索するのにはぴったりな一年ですね。また、社会的にもスピリチュアルな事柄が大きくクローズアップされる、と言われています。☆数秘術の仕組みについては、占術・精神世界研究家の伊泉龍一さんのHPをオススメします。☆http://www.unmeinosekai.com/numerology/index.html年が明けてから、またもや自分の中での【ギアチェンジ】が静かに起こったみたいです。2013から2014へ、数のエネルギーが変化したからなのか。(私自身の年運は8のエネルギーなので、昨年の7とは打って変わって、「動く」「現実世界に出ていく」という要素が強いんですがね。)それとも西洋占星術で言う、惑星の運行状況が、地上の我々に影響を及ぼしているからなのか。...ざっと調べてみたものの、よくわかりませんでした。ただ、自分を取り囲むエネルギーの質が変わった。それだけは間違いなく感じます。まず、一番わかりやすい形での現れ方をしたのが、音楽の好み。昨年までの数年間は関心が薄れていたクラシック音楽への興味が、新年早々、再燃しました。昔から一貫して好きなのは、バロック音楽。明るく清涼感にあふれていながら、同時にざわめく感情を鎮めてくれるのがいいんですね。現実世界での激変に備え、音楽ぐらいは心安らぐジャンルを選んで聴けよ、ってことなんでしょうかね。ここ数年はスピリチュアル/精神世界系のポッドキャスト番組や、オーディオブックばかり聴きまくっていたのですが(憚りながら、白状...。)、この分野って本当に【玉石混交】なんですよ。基本的に、口さえうまければ誰にでも簡単に参入できちゃう。(ただし、成功するかどうかはまた別の話。)要は、「何でもアリ」「名乗った者勝ち」な業界ですからね〜。法的規制なんてあってなきが如し。その人が「玉」か「石」かの判定は、完全に受け止める側の私達の鑑識眼に委ねられてしまいます。残念ながら、相当数の「石」が、ごくごく少数の「玉」を圧倒している。それが現状のようです。(「悪貨は良貨を駆逐する」って、世界史で習いましたよね。「グレシャムの法則」っていうんでしたっけ。)みなさ〜ん! これから私、素晴らしいことを話しますよ~、話しますからね~、私、素晴らしいネタ持ってるんですよ~...と、さんざんこちらの期待を煽ったところで、「詳しくは、HPに来てくださーい♪」 と、落とす。(翻訳:ワタシに直接、お金をたんまり払ってくださーい♪♪♪積もる話は、その後に)...と、単なる自己PRが目的のインフォマーシャルでお茶濁すだけな人の、あまりにも多いこと、多いこと...。(←オイオイ、君!何を寝ぼけたことを...今に始まったことじゃないでしょ。)もう、いいです。そういう「玉」のフリした「石」の、必死な売り込みトーク聞かされるの、疲れちゃいました。「玉」が欲しけりゃ、少しずつ集めてきた書籍や、オーディオファイル、CDの中に、自信持って「これは本物だよ!」と言えるだけの珠玉のコレクションが手元にあります。既にここにあるものだけで、必要にして十分なんですよ。数増やせばいい、ってもんじゃないです。大事なのは量でも、数でもありません。質ですよ。数日前、思い切っていくつかのポッドキャストを購読解除しました。「もう、今の自分には不要なものだよ」とうすうす気付いていながらも、具体的な行動に出ていなかったんですね。解除したことで、気分がスッキリしました。面白いもので、無駄を削るという行動に出て、生活の中に隙間を作ってみると、そこにはまた別の、より価値あるものがちゃ〜んと新たに浮上してきます。(何だか話が妙に断捨離めいて来ましたな...。)今回浮上してきてくれたのは、クラシック音楽。古今東西の名人・達人が精魂傾けて作り出した音楽ともっと関わりたい!との気持ちが、最近また膨らんできましたのですよ。人間臭く、血が通った、それでいて天界の高みにまでも到達するような音の芸術。...そんな【ホンモノ】級のクラシック音楽を、もっと日々の生活に取り入れたくなりました。今も昔も変わらぬ「お気に入り」を3曲だけ選ぶならば...。言わずと知れた、J.S.バッハの代表作。若き日のグレン・グールドによる、1955年録音の「ゴールドベルク変奏曲」、冒頭部分だけどうぞ。ヨハン・セバスチャン父さんの次男坊、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハも好きなんですよねー。チェロ協奏曲イ長調Wq.172。2012年、惜しまれつつこの世を去ったベルギーの鍵盤楽器奏者で、古楽研究者として世界的に著名だったグスタフ・レオンハルト率いるOrchestra of Age of Enlightenmentによる演奏です。14:20からの第三楽章の、心弾むような開放感が、これまた最高なんですよっ。そして、バロックの作曲家ではないのですが、大好きなメンデルスゾーンのこの曲。20世紀を代表するバイオリンの巨匠・ヤッシャ・ハイフェッツほかの、熱のこもった演奏で。16歳の少年が書いたなんて...信じられます?完成し尽くされていますよね。フェリックス坊ちゃん、モーツァルトの陰に隠れてかすんじゃっていますけど、あなたも真の天才です。どうも、今はこうした心を落ち着かせるような極上クラシック音楽を心と身体が要求している時期のようです。そういう、音楽の好みの周期的な変化って、皆さんにもあるでしょう?ロックやポップスを嫌いになったわけじゃないです。でも...今は、「必要じゃない」って気がします。(ラジオで80年代懐メロを聴く程度でいいや~って感じ。)同様の変化は、ヨガの分野にも訪れました。教室を変えてみよう、と、年開け早々に思いついたのです。以前のアヌサラヨガ内紛に関する2013.09.20付の記事で、ほんのちょっとだけ触れた、現在は「ハタヨガ」とだけ看板を掲げたスタジオに突然、興味が湧いてきました。いえ、別にアイアンガーヨガが嫌いになったとか、うんざりしたとか、そういうわけじゃありません。ただ...ちょっとワクワク感(帯津良一先生流に言うならば、「ときめき」)が減ってきたかな、と。【送料無料】ときめき養生訓 [ 帯津良一 ]基本的にアイアンガーのクラスにはハズレは少ない、と思います。品質管理は行き届いていますからね。行けばそれなりに満足して帰って来ることは来るんです。が、昨年終わり頃から「よし!行くぞっ!」と、行く前に浮き立つ気分になることが徐々に減ってきたようにも感じていました。そういう時は、四の五の言わず、思い切って自分からアクションを起こした方がいいんですよね。嫌いになる前に。ピアノのレッスンにたとえましょうか。「ツェルニー30番」「ハノン」といった、カチッ☆と構成・順番が決まった練習曲集ばかりやっていると、たまには軽いジャズ系だとか、今時の流行り歌ピアノアレンジ版だとか、そういう物(邪道系)にも、手を伸ばしたくなるものです。「自由にやりたい、だなんてワガママは、もっと上達してから言え!十年早い!!!」真面目なアイアンガーヨガ一筋の方にはお叱り、受けちゃうかな。えーとですね、別に私、ヨガの専門家になろうとか、教師資格目指そうとか、分不相応な望みは持っておりません。生涯一ビギナー&一愛好家、という、自由に泳ぎまわれる気楽な身分のままでいるのが一番心地良いみたいです。よって、絶対にアイアンガーヨガじゃなきゃだめ、といった宗教的な忠誠心も無いです世にごまんとあるヨガの諸流派の中では、私のような身体の硬い万年ビギナーには向いている流派だとは思いますけどね。いくら頭の中で「ぴったり」「正しい」と納得したって、ハートが喜びを感じられないようでは、ヨガでも何でも、長くは続かない。続かなければ、身体や心にポジティブに作用することもできない。一日でも長く、ヨガを続けていこうと思うのであれば、たまにはときめき求めて違う流派・違う教室へと浮気してみるのは悪くないんじゃないでしょうか?(←人間のパートナー相手にそれをやるのは、絶対にオススメしませんけど。)またいつか、アイアンガーの生真面目なストイックさと、系統だった指導メソッドが恋しくなったら、戻って行きます。少し距離を置くことで、見えてくる良さってものもあるでしょうし。昨日、3回目のクラスを旧アヌサラヨガ・現ハタヨガのH教室で受けて来ました。行ってみて正解でした。また一人、良い先生に巡り会えたからです。「ときめきを求めよ」との直観の声に従って、良かった。教室オーナーであり、ベテランの指導者でいらっしゃるL先生。ご自身の指導スタイルを「heart centered(ハート中心主義)」と謳われるあって、あたたかみがあって、初めて参加したにもかかわらず大変くつろいだ気分になれました。教室の常連さんたち(おば様率高し)も、気さくで皆さんいい感じ。クラス終了前に、瞑想の時間を長めに取っている点もボーナスポイント!ですね。「おぉ、これはいいぞ!」とプチ感動したような場面もぼちぼち出てきています。その辺りは、また日を改めて書くとしましょう。
2014.01.17
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今回はひとつ、肩のこらない話と行きましょう。みなさんのお宅にねずみは出ますか?はるか昔、私が大学生だった頃、学生食堂の片隅にあった「皆様のご意見ボード」にこんな投書を見つけ、ぎょっとしたのを今でも鮮明に覚えています。「ねずみがでました。なんとかしてください。」...いかにも女子学生が書いた、って感じの几帳面な文字で、この二行だけ。それに対して、当時の学食の店長さん(俳優の三宅裕司さんを更に三段階気弱にした感じの、でも、とっても真面目そうな方でした。)は、「今後衛生管理をさらに徹底して...云々」と、平謝りの返答をされていました。そりゃそうですよね。そう言うしかないでしょう。相手がねずみさんじゃぁ、「今すぐ立ち退け」なんて通じませんし。前回の記事で、「うちの一階、隙間風が吹き込んですごく寒い」と書きました。築15年になろうという我が家は、二階建て一戸建て。この辺り一帯を牛耳っている、大手デベロッパーの分譲住宅なんですが、まぁ、使われている建材のグレードや当初の販売価格から判断し、良くも悪くも「中の中」ってあたり、でしょう。幸い、この地域の学校が評判・成績ともに良好なおかげで、次に売ることになってもそんなに値崩れはしないはずです...不動産バブル崩壊が起きない限り。3年前に購入しました。(*不動産価格と、地域の学校のレベルとの相関関係については、過去記事のこちらをどうぞ。http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201105130000/)【☆参考動画☆】ワシントン州最東部、アイダホ州との州境に近い街・スポケン近郊の売家広告です。めでたく「売約済」となったら消されるはずなので、その時はまた別のものと差し替えなければ。うん、雰囲気としてはこんな感じかな。うちと違って平屋ですけどね。間取りは4BR、つまりリビング・ダイニングエリアに加えて寝室が4つあって、ここがうちと同じ。映像を見る限り、建材のグレードや築年数もきわめて近そうです。高級でもなければ、かといって安物過ぎってわけでもない。中の中、って感じの家ですね。窓が多く、冬季でも明るい感じがする点については、大変気に入っています。点数をつけるなら、95点の愛すべき我が家、といったところでしょうか。ただ、日本のすぐれたハイテク窓枠と違って、こっちの窓枠って、正直いって作りが雑。スースー隙間風がひどいんですよ。それまで、左右&上階のあったかさの恩恵をたんまりと受けられたアパート暮らしだったため、一転しての「隙間風生活」、ちとこたえましたね。セントラルヒーティングはまともに働いているものの、温度を上げれば上げる程、二階ばかりが暖まり、昼間人のいる一階は寒いまま...という困った事態に。おまけに、先月の大寒波の時なんて、キッチンシンクのキャビネット下からも足元めがけてピューピューと冷風が吹き込む始末。「何でこんなところから!?」と驚いて、キャビネット内部を確かめてみました。すぐに「犯人」が判明。上水・排水パイプを通すために、内部の壁にぽっかりと穴が開いていて、そこから冷たい空気がキャビネットの内部に流れ込んで来ていたんですよ~。隙間を埋めようなんて、手間もお金もかかることはしなかった、という辺りが、この家が「中の中」たる所以ではないかと。(そこんところを自分で少しずつアップグレードしていくのが、アメリカ人の一つの趣味というか、得意技だったりします。マメにやる人はやりますよ~。玄人はだしの人もたくさんいます。)見にくい写真で恐縮ですが、右側の壁にある開口部、ご覧になれますでしょうか。ここから来ていたんですね。屋根裏、壁と壁の隙間から流れてきた氷点下の冷た~い空気は...。そうそう、この穴。一気に思い出しました。かつて、うちにもねずみさん軍団が毎日のように訪れていた時期があったことを。我が家がこの家を購入し、引っ越して間もない頃の話です。毎朝、見慣れない 1 5mm(2014.01.11訂正。そんなミジンコのように小さいねずみなど、いるわけがない...。)程の黒い粒々が、台所のキッチンシンク近くの床や、キャビネットの中に散らばっていたんですよ。お察しの通り、それがねずみの糞でした。(興味ある方だけ、「ねずみ」「ふん」の二語で、Googleの画像検索してみてください...。)何故、食料もほとんど入っていないような、空っぽに近い台所に、ねずみが?しかも、なぜ、戸棚の内部に大量の糞が???寝る時には必ず排水口にふたをする、食べ物はむき出しの形で外に出しておかず、必ず密閉容器に入れる...など、普段から気をつけてはいたので、なぜ、ねずみがキャビネットをこじ開けることができたので、不思議でなりませんでした。...こじ開けてなんていなかったんですよ。間もなくして、上の写真にあります、パイプ周りの微妙に大きな開口部に気付きました。確かに、これならねずみさん一家、余裕で出入りできますね。皆が寝静まった深夜の台所で、さぞや楽しく遊んでいたのでしょう。これは何とかしないと、まずいです。大体、夜、薄暗い台所でチョロチョロ...と走り回るねずみに出くわすなんて、真っ平御免です。寝室まで上がってこられたら、たまりません。何でも口に入れてしまう、ちょっとおばかさんで危ない老犬がいるため、殺鼠剤のような毒を置く、というのは問題外でした。ねずみの死体処理を考えると、伝統的なバネ式のねずみ取り器も、ちょっと、ねぇ...(ゴニョゴニョ。)はて、一体どうしたものか。そこで役立ったのが、アメリカに昔から伝わる「生活の知恵」を一般読者が投稿しているサイト、Dollar Stretcherにあった情報でした。元記事はこちら。http://www.stretcher.com/stories/06/06mar13a.cfmこの、Irish Springという、アメリカだったらどこのスーパーにでも売っている浴用固形石鹸。【Irish Spring】アイリッシュスプリング・デオドラント石鹸113g×3個パック 【オリジナル】 【RCP】【02P13Dec13】結構、「アメ~リカ~ン♪」な、強烈な匂いです。いかにも外国製の香料、といった感じ。好き嫌いははっきりと分かれるでしょうね。幸い、ねずみさんは明らかにこのニオイが嫌いみたいなんですね。だから、格好の撃退法として使える!というわけです。「Irish Springの固形石鹸をパッケージから外し、そのままねずみが出没する場所に大量に置いておく。場所の広さによって個数は加減すること。」効きました。(勝った!!!)キッチンシンク下部、醤油や調味料のビンの合間に気前良く一ダース程ゴロンゴロンとテキトーに転がしておいたところ、その日を境にねずみの糞を台所で目にすることはほとんどなくなりました。ごくたま~にではありますが、ニオイを物ともせず、侵入を試みる猛者ねずみもいるようなのですが、糞の量から判断する限り、長逗留はしていません。早々と退散してくれているみたいです。動物や小さなお子さんがいるご家庭で、ねずみの害にお悩みの方。今度、ハワイやグアムに行かれた時には、このIrish Springをた~くさん買い込んで来られてはいかがでしょう?ひょっとしたらひょっとして、輸入雑貨・日用品を扱っている地元のお店でも見つかるかもしれませんね。何種類かニオイのバリエーションがあるようなのですが、「オリジナル」と書かれた元祖版・Irish Springがやはりベストなようです。(比較検討したわけではないので、断言はできませんが...。)ご健闘、お祈りしております。
2014.01.10
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前々回の日記に、ayafuyaさんがまたもや美味しいネタを寄せてくださいました。ありがとうございます!>ちょうどサイモン・シン(代替医療のトリック)と、アンドルーワイルという相反するお2人の著書を読んだところでした…汗 【送料無料】代替医療解剖 [ サイモン・シン ]こちらは文庫版。中身は同じです。しかし...原題がハロウィンにやって来る子供達のセリフ・"Trick or Treat?"(お菓子くれないといたずらするぞ)をもじった"Trick or Treatment?"だなんて。正直、あまり笑えません。未読なのですが、アンドルー・ワイルと逆の立場と聞き、その論調、なんとなく予想がつきました。【送料無料】ワイル博士のナチュラル・メディスン増補改訂版 [ アンドルー・ワイル ]アンドルー・ワイル博士は、ハーヴァード大学の医学部という、西洋医学界の頂点のひとつとも言える場所で専門教育を受け、植物学(メディカルスクール進学前に専攻。)や代替医療の知識も取り入れつつ、現在に至るまで生身の患者さんたちを相手に医療行為に携わってきた方です。その事実は誰にも否定できません。長年の臨床経験だけは、サイモン・シン(物理研究者。のち、BBCの科学ジャーナリストに。)とエツァート・エルンスト(ホメオパシー寄りの代替医療専門家で、あまり東洋医学には詳しくなさそうです。)の二人をもってしても、どうしても追いつけない部分、じゃないかと思います。まぁ、勝ち負けをどうのこうの言ってもしょうがないんですが...簡単に白黒つけられない問題ですものね。だって、誰一人として、「どうやったらこの人の、この病気を治せるか」の正解は知らないんですから。特に、がんに代表されるような難病を前にすれば、「勝ち組」に見える西洋医学だって少しは謙虚にならざるを得ないでしょう。それに、「代替医療には好意的」と公言している人にしても、「大きな声じゃ言えないけど、あの療法だけはイヤ」「あれは...イカサマだな。」と、受け入れ難い療法だってあるかもしれません。治療者だって人間。個人的な好き嫌いを完全に消し去るのは至難の業です。結局、人間の体のことって、まだまだ未知の部分が多過ぎなんですよね。一昔前の健康常識が、今では正式にタブー認定された、なんてことも、数多く目にして来ました。例えば、真夏の炎天下、「汗になるから」と水分補給もせず、延々と重労働やスポーツに励むなんてことがごく普通だった30年前。今の人が聞けば、「あんた、それ、死ぬよ?」って、顔真っ青になりそうです。当時、無茶に無茶を重ねて健康を害した人はたくさんいたはず。でも、問題視されるようになったのは、ここ十数年の話ですよね。もう、何が〇で何が×なのか、長い目で見たら本当にわかりません。どうせ何年かしたらまた「最新の学説/研究によると...。」でもって、コロッと変わるんでしょうから。何十年か生きてきて、いわゆる「常識」というもののいい加減さを目の当たりに見てしまうと、「のめり込み過ぎるのはまずいな。」って思えてきます。「西洋医学の教育をばっちり受けてきたお医者さんの言うことには一応、耳を傾ける。でも、だからといって100%ありがたや~ありがたや~と盲信して受け入れるわけじゃないよ。」と、少しは懐疑的になるのも仕方ないでしょう。乱暴なたとえですが、「自分に効く療法/治療法」は、自分が好きなラーメンのタイプみたいなもの、なんじゃないでしょうかねぇ。(←乱暴過ぎるか?)家族でもバラバラかもしれないし、若い時・年取った時でもまた変わってくるかもしれない。(我が家の場合、私は太め・縮れ麺の札幌味噌ラーメンが好きなのですが、子供は細麺・あっさり醤油味の東京ラーメン、夫は断然「二郎」...といった具合に。)「私はこれが一番おいしいと思ってる。これが一番好き。」という、生まれ持った【食の好み】。誰が何と言おうと、これだけは自分自身が決めるものです。他人が口出しするもんじゃありません。西洋・東洋を問わず、どんな療法でも「これならばうまく行くんじゃないだろうか」という期待感無しでは、何をやっても効かないんじゃないでしょうか。(それを人はプラセボ効果と呼ぶのかもしれません。日本流に言うならば、「鰯の頭も信心から」。)「ここの店でうまいラーメンを頼めば、幸せな瞬間が持てるんだ!」ってな期待感と同じで、「これだったら治るんじゃないかな」と、祈りにも似た上向きな気持ちを抱きながら治療に取り組めるのであれば、西洋医学でも、代替医療でも、それなりに「有効な治療法」として認めてあげてもいいんじゃないでしょうか。その時、「博多ラーメンは、麺がしなしなと素麺みたいでイマイチ、やっぱり太麺に限るよね!」(博多の方、すみません。)とか何とか、後ろ足で砂かけていくような無礼は一切無用に願いたいですね。「次行こ。」と、さっと席を立てば良いのです。私にはこれが効くと思う。もし、あなたには、あちらが良いのなら、それは何より。行き着くところは以前のYouTube動画の形で引用した「ゲシュタルトの祈り」に近い境地、かな。ayafuyaさん>前者の本では鍼ってどやねん?と槍玉に挙げられてますが、お灸はあったかそうなイメージですね(´∀`)そーなんですよ。あったかくなりたい。それが全ての始まりでした。今、住んでいる家、台所&リビングに薪をくべるタイプの暖炉がついていたりして、日本から来た人が見ると、「あら、すてきー!」なんて惚れ惚れしちゃいそうなんですが、実は、煙突から暖炉に吹き込んでくる隙間風のせいで一階の部屋がすごく寒いんですよっ。(今はケチって巨大なダンボールでブロックしていますが...ちと貧乏くさいです。)窓枠から、建具の間から、とにかく隙間風が多くって。これって単にうちが安普請の建売住宅だった、ってことなのかもしれませんけど。で!「足先あったかくなりたい & もう少しシャキシャキ動きたい→でも、きつめの靴下で足首締め付けると、どうも体の調子が悪くなる。→ よし、お灸やるしかないか!」という流れになりまして。...「冷えとり」なんて日本で話題のムーブメントは全く知らなかったです。ayafuyaさんが取り上げてくださったおかげで初めて知りました。代替医療に話を戻しますと、「何が効くかどうかはやってみないとわからないから、何でも試せばいいじゃないか」という、帯津良一先生のがん治療ポリシーで行くしかないんじゃないかなぁ、って思います。西洋医学に限らず、医学は未だ発展途上の学問です。すべてに対して偏見を拝し、適材適所をモットーに、あらゆる療法を併用するのがいいでしょう。【送料無料】養生問答 [ 五木寛之 ]上のような「医者の見解」を出されている帯津先生ですが、一方でこんな興味深い発言もなさっています。(...)私が驚いたのは、講演後の控室で学生諸君からの「自分も帯津先生のような道を目指したいが、どうすればよいか」という質問に対し「まず徹底して西洋医学をきわめなさい」と答えられたことでした。ああ、この先生は本当に臨床家なんだなと思ったことを覚えています。【送料無料】人の哀しみがわかる医者になってほしい [ 帯津良一 ](「おわりに 患者さんのために何ができるのか 医師予備軍への助言がこの一冊の中に凝縮されている」駿台予備学校・医系小論文講師 上條晴史 氏によるあとがき より)なぜ、気功や鍼灸、ホメオパシーなどの代替医療に好意的な帯津先生が「まず徹底して西洋医学をきわめなさい」と学生達に忠告されたのか。そろそろ、私達一人ひとりが帯津先生の発言に隠された真意を読み取ろう、と努力した方がいいのかもしれません。賢明な患者・被治療者として命を全うするためにも。
2014.01.07
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前編はこちらです。...なんだか「せんねん灸」の回し者みたいなことばかり書いていますね。でも、「いいものはイイ!」って叫ばずにはいられないのが、「ブラボー屋」を名乗る者の哀しい性(さが)でして...。「せんねん灸」のHPには、お灸のやり方や、選び方、オンラインツボブック(いろいろな身体の不調から有効なツボを調べられます。)など、これまた情報が盛りだくさんですよ。興味ある方は、是非!「せんねん灸」。名前だけは昔から知っていました。毎週、金曜夜8時からは新日本プロレス中継(古館さんが実況の頃。アントニオ猪木 vs ハルク・ホーガン 戦なんて~辺りがメインの時代でした。)を見ていたので 、多分その時にさんざん「せんねん灸」の商品名が脳裏に刷り込まれたのではないかな、と思います。まさか、30年経ってそのサブリミナル効果がじわじわ効いてくるとは。このCM、確実に見た記憶、ありますっ!!!口数少ない角刈り(風)カットの男性。その首筋にキラリと光る金のネックレスが気になって仕方ないんですけど...。いわゆる「カタギ」の方なのか、それとも...(以下自粛)。いやちょっと待てよ。よく見ると男性の前面には製図台と思しき傾斜したテーブルが。...となると、これはバブリーな80年代にもてはやされた、いわゆるクリエイター系の職業を持つ男性、と解釈すべきなのでしょう。しかし、この女性、男性とどういう間柄という設定なのか...。夫婦って感じでも無さそうだし。広がる妄想はエンドレスです。はたと思い悩んでしまいました。「...この女優さん、誰だったけー???」女優さん...着物...和服...(←同じだろ~が。)。そんなキーワードをぐるぐると頭の中でこね回しているうちに、思い出しました。ミミーだっ!!!「宇宙刑事ギャバン」で、マスコットガール(?)のミミー役を演じていた、叶 和貴子 さん!!!0:31のところ、見てくださいよっ。上の動画の女優さんと確かに同一人物...で合ってますよね?(このOP、子供番組史上5本の指に入るぐらいのほんといい曲ですよ~。歌詞、丸ごと書き写ししたいぐらい。「♪若さ、若さって何だ/振り向かないことさ/愛って何だ/ためらわないこ〜と〜さ〜♪」富士サファリパークのCMソングでもおなじみ、アニメ/特撮ヒーロー番組主題歌の大御所・串田アキラさんが力強く歌います。)おまけ。関東・東海地方の人にしか「なつかし〜」と感じられないかもしれませんが...。(一時期、私の友人達の間では「富士サファリのCMは松崎しげるが歌っている」というガセネタが横行し、まんまと騙されました。今聞いてみると、間違いなく「キン肉マン」の主題歌で有名な串田さんの声ですよね。)あー、すっきりした。そう。「和服が似合う女優さん」として、80年代~90年代にかけてテレビドラマなどに出演されていた方でした。90年代に入ってから、関節リウマチという、一種の自己免疫疾患である難病に侵され、芸能活動から退くことを余儀なく強いられた叶さん。しばらくの間、表舞台からは遠ざかっていらっしゃったようですが、現在は健康や闘病生活に関するトークショーや講演活動などを中心に、お仕事を再開されていらっしゃいます。こちらは2012年のインタビュー。私自身も、「リウマチ=高齢者がかかる病」とばかり思い込んでいたので、己の無知を反省させられました。衣服の着脱もままならないなんて、本当に大変なご病気だったのですね。ギャバン(大葉健二さん)との久々のツーショット、オールドファンには嬉しい限りです。叶さん、少しお顔がほっそりされましたけど、でもやっぱりお美しいですね。2012年7月19日付 日刊スポーツ 宇宙刑事ギャバン「命がけでやってた」http://www.nikkansports.com/entertainment/news/-et-tp0-20120719-986249.html【送料無料】宇宙刑事ギャバンメモリアル 30年目の再会苦しい闘病生活を経て戻ってらした叶 和貴子さん、これからもどうぞお体を大切に。ますますの幅広いご活躍を祈念しております。(さすがに「ギャバン」のミミー役のコスチュームはもうお召しにならないでしょうが...。)宇宙刑事ギャバンという特撮ヒーローの存在が無ければ、ハリウッドの人気シリーズ「ロボコップ」は生まれなかった。そのことだけを考えても、もっと評価されていい作品だと思います。ロボコップ/ディレクターズ・カット(Blu-ray)ロボコップ、つまり、ロボットのコップ(おまわりさん)ってことで...ね、宇宙≪刑事≫つながり、あるでしょ?ついでに、ギャバンが変身する際の決めゼリフ・「蒸着!」の代わりに、「癒着!」を連発しまくるこちらのお方も。少し年の離れた弟がいる関係で、リアルタイムで「宇宙刑事ギャバン」を見て、主役の大葉健二さんのワイルドな熱っぽさに(ひそかに)あこがれていた私。(大本命は、仮面ライダーシリーズの「スカイライダー」役に扮していた、村上弘明さんだったのですが。…その後の村上さんのご活躍ぶりについては、もはや説明する必要はありませんね。)当時は、千葉真一さんが率いるジャパンアクションクラブ(JAC)の全盛期とも言える時期でしたからねー。真田広之さんや志穂美悦子さん(長渕剛さんの奥様)、黒崎輝さん(映画「伊賀野カバ丸」...修学旅行で訪れた京都太秦の映画村で、撮影しているところを目撃しました。共演者の武田久美子さんがあまりにも小顔で、華奢なのにびっくり仰天。)、そしてこのギャバン役の大葉健二さん...と、かっこいい役者さんが、テレビに映画に、大活躍中でした。あの頃の日本のテレビはまだ元気ありましたよね。そんな「リアルギャバン世代」だった私ですので、この「ケロロ軍曹」の宇宙探偵556(コゴロー、と読む。)を初めて見た時、バカ笑いが止まりませんでした。何がそこまでおかしいのか全く分からず、子供は思いっきり引いていましたけど。しかも、この556(コゴロー)、宇宙刑事の試験に落ち続けているため、やむなく宇宙探偵という身分を名乗ることになった、という...。元ネタはギャバンで決まり、でしょう。それに、556と常に行動を共にする可愛い妹の名前は、ミミーならぬ、「ラビー」ですよ、ラビー。(ミミー→耳→うさぎ→ラビット→ラビー...という連想が働いたと思われます。)ま、大人の元・テレビっ子にしかわからない笑いもあるってことで。
2014.01.07
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またひとつ、年が明けました。こちらにお立ち寄りくださる皆様(いつもありがとうございます。)、そして、たまたま間違いで本ページに来てしまった、という皆様。平和な2014年の幕開けをお過ごしでしょうか。100%バラ色、目に映るもの全てがキラキラ光っちゃって!!!(ワォ!!)...なんて新年から舞い上がってるようなラッキーな方はそういらっしゃらないとは思いますが。年末年始の疲労がまだ抜けないよー、なんて声も聞こえてきそうです。まぁ、何はともあれ、今日もこうしてほっと一息つける瞬間を持てるだけの幸せは手にしている。そのことだけは忘れたくないですよね。某大型ガールズユニットの大ヒット曲じゃありませんが、「人生捨てたもんじゃない」と思って、前向いて歩き続けていれば、きっとそのうち、いいことありますよ。うん。そんな具合に「人生捨てたもんじゃないよね」と、自分にハッパをかけつつも、気分・体調がいまひとつのそこのあなた。いいもんがあるんですよ、とびきりのいいもんが。お灸(きゅう)です。あの、「お灸を据えられる」ということわざ(= きつく注意したり罰を加えたりしてこらしめる。...goo辞書より。)でお馴染みにの、お灸、ですよ。日本でも実は静かにブームを呼んでいるらしく、最近では「お灸女子」なんて言葉があるみたいですね。(あるみたい、というよりは、誰かが密かに流行らせようと画策していると解釈すべきか...。)【送料無料】美容お灸 [ セネファ株式会社 ](こちらの本、タイトルや表紙のつくりからして男性は手に取りにくいかもしれません。でも、内容的にはどなたにもお勧めできます。帯の裏側に「無料お灸サンプルセット」の全員プレゼント(全プレ)応募券がついているので、すぐに捨てたりしないでくださいね。足の裏側の皮膚の状態から体の不調を見る、という視点、とても新鮮で勉強になりました!)あのマイバースディにも取り上げられているなんて、ねぇ。「じ~んわりリラックス お灸でプチ養生」http://mbhappy.com/topic.php?topic_id=MBTO00000543その昔、おまじない・占いにのめりこんで人生狂わし...じゃなかった、さんざん浪費しまくったかつての少女読者達もすっかり年を取り、体のあちこちに不調が出てくる時期にさしかかった、っていうことなんですね。かく言う私も40代半ば。ターゲットどんぴしゃりだわ。恥を忍んで告白しますが、以前は、専門の鍼灸師さんのところに出向いて、そして熱さにひたすら耐えながら施術してもらうもの...という、実に偏ったお灸観の持ち主だった私。痛いのイヤ、熱いのもやっぱりイヤ...ってことで、それ以上調べたり学んだりしようともせず、ひたすら拒否しまくっていました。無知とはコワいものです。(昔、四柱推命の先生に相談しに行った母が、「この人(黒犬ベーやん)は、鍼治療は絶対だめですよ」と言われた、ってことも影響しているかも。命式の中にあまりにも「金」の性質が多過ぎるから、金属製の鍼はよろしくない、って理屈なんでしょうね、きっと。)それが、去年の夏頃から、東洋医学やツボ・指圧の世界に興味を持つにつれて、少しずつですがその偏見が薄皮をはがすように取り除かれてきましてね。で、思い切って、こちらの「熱くない!火を使わない!」タイプの、一番とっつき易いお灸を試してみたんですよ。これが昨年の11月頃の話。せんねん灸 太陽 肩・足用 / せんねん灸 / お灸 火を使わない 温灸●セール中●☆送料無料☆せんねん灸 太陽 肩・足用(54点入)【せんねん灸】[お灸 火を使わない 温灸]【送料無料】使い捨て型カイロを使ったことがある方ならば、どなたでも抵抗なくこの「太陽」を利用してのお灸生活を始められると思いますよ。自分の症状に合ったツボを探して、シールはがして、ぺたんと貼るだけですから。そのまま外出しちゃってもかまいませんし、家事やオフィスワークを続けても一向に構いません。この上なく、手軽です。私の場合、足が冷えることで全身の動きが鈍くなるタイプなので、婦人科系統の不調によく効くと言われる「三陰交」の左右のツボに、「太陽」をぺたり。...これがびっくりするくらい効きましてね。急激な大寒波の到来、そしてそれに伴う日照不足がたたって、全身が重苦しくて、地を這うような低~いエネルギーでもって最低限の活動しかしていなかったところが、この貼るお灸だけで180度変わりました。むくむくと活力が湧いてきて、立ち上がって腕をブルンブルン振り回したくなるような、そんな「ファイトーイッパァ~~~ツ、おぉーーーーーっ!!!」状態へと豹変。これを体験してしまうと、もう後には戻れませんよね。どんどん究めたくなります。ちょうど日本へ里帰りしていた家人に頼んで、せんねん灸の火を使うお灸シリーズのお試しセットをいろいろと持ち帰ってきてもらいました。せんねん灸オフ 伊吹 / せんねん灸 / お灸 温灸●セール中●☆送料無料☆せんねん灸オフ 伊吹(380点)【せんねん灸】[お灸 温灸]【送料無料】「煙がイヤ~」という方もおいででしょうが、私は元々線香大好き!蚊取り線香もついでに大好き!という特異体質なもので(喫煙経験はゼロなんですけど。)、部屋の中がモグサの焦げるにおいで充満するのは全く苦になりません。むしろ大好き。とはいえ、集合住宅や、賃貸住宅、もしくはすぐに煙探知機が鳴ってしまうような建物にお住まいの方もいらっしゃるでしょう。そんな方には、もぐさを炭状にしてに固めた煙の出ないタイプのお灸(↓)、もしくは先の「貼るだけ」タイプのお灸・「太陽」(ツボ・ピンポイント用)か「世界」(シート状・広い範囲用)をどうぞ。エントリーでポイント10倍★セネファ株式会社せんねん灸の奇跡 煙の出ないお灸レギュラー50点入実は、今日も朝、部屋の中でDVDに合わせてウォーキングエクササイズをしていたところ、数年前から寒い時期になると痛む右の足首がまた、ずきんずきんと嫌な感じで悲鳴を上げ始めました。そんな冷えやこわばりから来るような症状こそ、お灸の出番なんですよね。数日前に見つけてブックマークしておいたこちらのページ を参考に、やってみました。痛む方の足(この場合、右足)の薬指の爪の付け根にある少陽胆経の端っこに位置するツボ・GB44 に、火をつけるタイプのお灸を数回、繰り返してみました。あら不思議。見事、消えてくれましたよ...。ものの10分かそこらで。嘘のように痛みが無くなりました。お灸さまさまです。【大阪市平野区の鍼灸治療院「はりきゅう中村」さんのHPを参考にさせていただきました。こちらのブログ、情報が盛りだくさんで、大変勉強になります。ありがとうございました!】http://mindedbody.blog108.fc2.com/~後編へと続きます。~
2014.01.07
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前回の続きです。いや~、正直言いまして、難解ですね。この、Cyndi Daleさんの2011年の著書・Energetic Boundaries。(「エネルギーの境界線」・邦訳未刊。)まだまだ修行が足りんわ。【送料無料】Energetic Boundaries: How to Stay Protected and Connected in Work, Love, and Life [ Cyndi Dale ]どなたかもAmazon.comのレビューで書かれていました。「自分自身がサイキック/エナジーワーカー(エネルギー療法のプロ)で、ある程度エネルギーを扱う術に長けた人じゃないと、あまり使えない本かも...。」全くもって同感です。多分、上級者・プロ向けに書かれた本なんでしょうね。私も、そのようなエネルギーが「見えない」陣営に属するフツーの人です。基本的には良い本だなぁと思っていますが、100%シンディさんの言うことを理解し、納得できたわけじゃないですよ。有益な情報も多々あったものの、それが絶対真実かと問われれば...う〜む。わかりません。それでも、個々のキーワードに、「おぉっ!うちの子と似てる!」と反応される方が、もしかしたら一人や二人くらいはいるかもしれない...と期待して、今回、公にすることにしました。(実は、我が家の親戚筋に、生まれた時から一貫してこの「クリスタル・ソウル」の特徴にドンピシャリ!!!と当てはまっている「愛すべき不思議ちゃん」がいます。今回、無謀にも素人訳しようと試みたのは、親御さんに紹介して、「あの時の○○ちゃんとそっくりな子供の話、アメリカの本にも載ってるよ!」と、少しでも不安を解消してもらいたかったから、なのでした。)具体的なエクササイズの手順や、イメージ誘導法など、専門的過ぎて私自身「???」と消化できなかった部分については、割愛させていただいています。予めご了承ください。☆。,・~~・,。★。,・~~・,。☆。,・~~・,。★。,・~~・,。☆。,・~~☆。,・~~・,。★。,・~~・,。☆。,・~クリスタル・チルドレンの中には、肉体面での境界線同様、感情面の境界線が著しく損われているタイプもいる。通常、霊性面に問題を抱えるクリスタル・チルドレンは、滅多にいない。だが、いくら霊的に安定していても、子供にとっては大して有難いものではない。子供にとって、日々の幸福度は、何といっても感情分野が安定しているかどうかに大きく左右されるからだ。感情面でうまく行かないことが増えると、それだけ満足感を味わう度合いだって減ってくる。感情の境界線があまりにもか細く、弱弱しくなってしまった子供の場合、知的部分はしっかりしている一方で、感情面に難あり、といった具合に、得意分野にムラが生じやすくなる。ムラのある状態が極端になってしまった子供達は、アスペルガー症候群などを含む広汎性発達障害を持つか、もしくはそのように「見える」ようになってくる。また、感情面の弱さゆえ、ある特定の思考パターンにばかり頼り切って、自分や他の人の気持ちに注意を払わなくなる、という表れ方をする子もいる。(...中略...)一部のクリスタル・ソウルを持つ子供には、不思議な現象が見られる。霊性面・感情面両方の境界線の隙間を通って、その子自身の感情が外に漏れ出してくることはあるものの、逆に、他人の感情は遮断されてしまう、という現象だ。これは、クリスタル・チルドレンの霊的部分は、一般の人々とは正反対の、特殊な作りをしていることが理由である。外側が鏡のようにエネルギーを反射する面となっていて、魂の本質部分は内側を向いた状態で、鏡の裏側にしまわれたままなのだ。だから、他人から放たれた感情は、文字通り鏡が光を撥ね返すかのように弾き返されてしまう。クリスタルの魂を持つ子供は、そうして他人からの感情エネルギーを弾き返す一方で、生まれつきの優しい性質の中に本当の自分を閉じ込める、ということをやっている。なぜ、このような現象が起こるのだろう。解明するには、本が軽く一冊書けてしまいそうな程複雑な問題なので、ここでは深くは立ち入らない。今は取り敢えずこれだけ考えてみて欲しい。「もし、あなたの皮膚が裏表逆になって身体に貼り付いていたとしたら、一体どんな感じがするだろう?超過敏、と言われるような反応を示すのも、至極当然ではなかろうか?---まぶしい光や、奇妙な物音、心を強烈に揺さぶられるような出来事、その他もろもろの神経を逆撫でするような刺激に対しては、どうしたって尻込みせずにはいられないのではないか?」...と。(...中略...)あなたのお子さんがこうしたクリスタル・チルドレンならば、どうか優しく接してあげて欲しい。色や図形を使ったヒーリングテクニックを学ぶことはお勧めである。彼らの魂の外側をやわらかな色調のグリーン、ピンク、パールグレイで取り囲んだイメージを親御さんが心に思い描き続けることで、お子さんの神経は安らぎへと向かい、お子さんの魂にとってとても必要な、すっぽりと覆い隠してくれる外套のような効果がもたらされることであろう。【送料無料】クリスタル・チルドレン [ ドリーン・L.ヴァーチュ ](ざっとGoogle検索したところ、「クリスタル・チルドレン」を扱った日本語HPの大半は上の本を引用しているか、もしくはごく微量の加工修整を加えた文章をUPしている模様です...だって表現/言い回しがみ~んな似通っているんですもの。エエ、ワカリマスヨ...。)(...中略...)また、上に挙げたのとは正反対の問題を抱えたクリスタルチルドレンもいる。霊的境界線はごく普通。だが、感情境界線が弱っているか、もしくは感情境界線が自分の感情を抑圧する方に働いてしまっていて、逆に外界にあふれ返っている思考のエネルギーが自分の中へとどんどん取り込まれるに任せてしまう、そういうタイプだ。この結果どういう症状が出るだろう?注意欠陥・他動性障害(ADHD)である。こうしたケースを見てみると、人間関係の境界線もうまく機能していないのが普通だ。みなさんはお気付きだろうか。ADHDの子供は、周囲の子供達のゆっくりしたペースに自分の歩調を合わせるのが非常に苦手である。ある情報が入る。が、それと同時に、ADHDの子はスイッチが切れる。彼らの頭は(時として行動も)、統御が難しく暴れ馬の如く勝手に動き回る。要するに、こうした子供達は、自分の言動がどれだけ他人にインパクトを与えているか、全く気付いていないのである。外からなだれ込んでくる知的エネルギーの勢いが激しすぎて、人間関係の境界線がぺしゃんこにつぶれ、うまく機能していないためだ。神経学的に語るなら、「脊髄の働くスピードが脳味噌の働くスピードに追いつかない状態」とでも言おうか。文字通り、自分のスピードに自分が追いついていけない。それがADHDの子供である。(...中略...)ADHDに近い症状を呈している子供には、心を落ち着けた上で、自分の足(feet)に注意を向けることを促して欲しい。「足に注意を」というのが、データ過剰になりがちなこのタイプの子供にとって大変に重要である。往々にして頭でっかちだが、身体のもう一方の端についてはほとんど目もくれない、という子が多いからだ。(...中略...)どのタイプにも共通して言えることだが、クリスタル・チルドレンにとって最も重要なのは、他人から吸い取ってしまった他人のエネルギーを上手に排出し、洗い流すという作業だ。(こんなすてきな歌が出ていたんですね。2008年ですか...。作者の方、間違いなく精神世界/スピリチュアルな分野に詳しい方なのでしょう。)【参考:全てのタイプの子供/大人に共通する、不要なエネルギーの浄化法】目を閉じて、神様が降らせてくれる光のシャワーを全身に浴びるイメージを心に思い描く。こうすることで、他人のエネルギーは洗い流すことができる。一日、数回ずつやってみよう。「神様、お願いです。光のシャワー/滝を私のところに降らせてください。」と祈ろう。子供には、このシャワー/滝によって、元々自分の中になかった、よそから取り込んでしまった余計なエネルギーを洗い流すのだ、と、教えてあげよう。できるだけ生き生きとした、美しい風景をイメージする。本物の滝の真下に立って、水に打たれて身体が清められていく...。実際をそれに体験しているかのような「ふり」をしてみよう。水浴びを終えたら、次はやわらかな草原へと移って日光浴する自分をイメージ。自然界の全ての物が、私達が持つ個々の境界線をより強固にしてくれる。赤や茶色の土の色が肉体面の境界線に。オレンジや黄色の花の色が感情境界線に。草の緑色、大空のブルーは、人間関係の境界線。白い雲の色が霊的境界線に、それぞれ対応する。自然界全ての物が作り出す色が、私達に癒しの力を与えてくれる。【※お願い※:お子さんの発達障害などの問題は、こうしたスピリチュアルな見地からの解釈だけに頼らず、必ず信頼出来る専門家にご相談くださいね。当方、あくまでも一介の素人です。「こんな事を言っている人もいますよ」との紹介しかできません。治療法などについての具体的な質問は、お近くの専門家に直接お尋ねください。】
2013.12.15
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ちょっと前のこと。ある知人にこちらの情報を紹介する必要が生じましてね。で、手元にあった英語版から翻訳してみました。【送料無料】Energetic Boundaries: How to Stay Protected and Connected in Work, Love, and Life [ Cyndi Dale ]シンディ・デイル(Cyndi Dale)さん。こっちでは、チャクラ、直観、ヒーリングなど、エナジー(エネルギー)・メディスンに関する本を多数著している著者として、結構有名な方です。生まれつきのサイキック(霊能力者)として、死後の世界や霊の世界の仕組みなどについての著作も何冊か書かれています。見るからに北欧系!って感じのプラチナブロンド美人です。(ノルウェー系なんですって。)明るく、チャキチャキとした若々しい語り口が印象的な方です。元々は地元ミネソタの大学や、民間企業等でビジネスを教えていたというだけあって、「いかにもスピ系」といった、あの独特の霞食ってほわ〜んと生きているような雰囲気とは無縁。お若く見えますが、今を遡ること50年前のJFK暗殺時に「5歳だった」そうで...。とてもそのようには見えません。実際、ラジオなどでインタビューを聞いても、本を読んでも、「どう?私、すごいでしょっ!」といった驕り高ぶりや、エゴの強さを全く感じさせないんですよ。どこまでいっても元気で、親しみやすいけど、とびっきり博識な隣のお姉さん的キャラクターしか出てこないんです。その普通っぽさが逆に「すごい」んです。この方。大好きなヒーラー/著者のひとりです。(エネルギー医療:ま、早い話が、東洋医学、特に中医学の気の流れや経絡といった考え方を、西洋人向けに噛み砕いて取り入れた分野...と言ったら端折り過ぎかな?「目に見えない世界を重視する」というのが基本姿勢なので、霊能力・超能力によるヒーリングといった分野も含まれます。レイキ、気功、手かざし療法、などが代表例ですね。)内容の真偽/是非についてはとやかく言わないことにしましょう。皆さんご自身が判断してください。私自身、あまり詳しくない分野の話も含んでいますしね。「ムー」の熱心な読者だったのは、かれこれン十年前の話だけに...。ま、それでも今、こうしてネット上に載せておけばば誰かのお役に立つことがあるかもしれません。素人訳ではありますがね。長いので、何回かに分けます。最終章からの引用です。本の前半部分に関わる内容で、文脈上削っても差し支えないと判断したところは「(...中略...)」と明記した上で、省略させていただきました。ご了承ください。☆。,・~~・,。★。,・~~・,。☆。,・~~・,。★。,・~~・,。☆。,・~~☆。,・~~・,。★。,・~~・,。☆。,・~"Energetic Boundaries"(エネルギーの境界線) by Cyndi Dale, Sounds True, Boulder, Colorado, USA, 2011. 翻訳:黒犬べーやん~外界との境界線(boundary)が活性化していない人は、外界から来るエネルギーの取捨選択ができない。その結果、霊的境界線以外の三つ(感情・肉体・人間関係)の境界線のうち、最も弱い部分が侵され、特有の症状を見せるようになってくる。~【クリスタル・ソウルの人々】その名が示す通り、霊感が強く、繊細な心を持つ人々。そうした特徴は幼い頃から現われる。才気煥発で、ダイヤモンドの如く多面的な表情を見せる彼ら。その素顔はあまりにも複雑で、一口で言い表すのは難しい。しかし、それ以上に難しいのが、クリスタル・ソウルのエネルギーを安定させることである。ごく幼い子供達から25歳前後までの青年達がクリスタル・ソウルの大部分を占める。しかし、それよりもずっと年長の世代に属するクリスタル・ソウルもいる。私自身も、これまでに直接会い、その存在を確認してきた。そうした大人達はたいていの場合、いわゆる「ニューエイジ」と称される人々になる。地に足が付いた実際的な物に関わるよりも、霊的な事柄へと引かれていく傾向が強い。「ニューエイジ」は、ある意味、クリスタル・ソウルの本質を突いた呼び名だ。私が考えるに、これらの人々はこの地球という星に来てから日が浅く、それ程数多くの転生を重ねていない魂なのだ。苛酷な人生の荒波にもまれた経験が少ないため、激しい気性を持つことはあまりない。クリスタル・ソウルの人々を外界から守る境界線のうち、最も強固なのが霊的境界線だ。この人たちの境界線の内側には、まるで銀の鈴音が鳴り響くかのような領域が広がっている。だが、霊的境界線をサポートする他の境界線(肉体・感情・人間関係)がしっかりと機能していないと、彼らの霊的な領域は外界から襲ってくるエネルギーをうまく取捨選択することができない。これが続くと、肉体・感情・人間関係のうち、最も弱っている領域からダメージを受け、結果的に不要なエネルギーの侵入を許してしまうこととなる。ぼんやりと今にも消えそうな境界線しか持たないクリスタルの子供達が世に出て行くと、往々にして「あの子、病んでる」とか、「敏感すぎる」という冷たい眼差しにさらされる。アスペルガー症候群や広汎性発達障害、ADHDといったレッテルを貼られ、生き辛さを抱える場合も少なくない。最も弱まっているのが肉体の境界線という場合、その人はしょっちゅう病気ばかりしていることになる。他人からの欲求や病気を跳ね返すことができないためだ。病気に加え、金銭面や生活面での問題を抱えることも珍しくない。以前私がカウンセリングした子供の一人は、一週間おきに病気にかかり、しかもかかる病気が毎回違う、といった状態にあった。その子と同じ週にやってきたのが、50歳の女性クライアントだった。女手一つで子供を育てていた彼女。生まれてこの方、病気と縁が切れたためしが一度も無かったという。先の子供クライアントよりもはるかに年長のこの女性は、この5年間で5種類の異なる種類の末期がんを患っていた。毎回化学療法を受ける度、すぐに効果が現われ、一旦は快方へと向かうのだが、如何せん、肉体はボロボロに疲弊し切っていた。子供、そして50歳の女性。年齢こそ全く違っていたものの、どちらもクリスタル・ソウルという点は一緒だ。どちらの魂も、霊性の部分では特に明るい輝きを放っていた。彼らは、私が今まで知り合った中でも、最も心優しい人々といってもよかった。いずれも、クリスタル・ソウルが闇のエネルギーに襲われて肉体が蝕まれた、典型的な例である。二人にはアルコール中毒の父親がいて、薬物乱用にありがちな霊的憑依現象をそれぞれ引き起こしていた。憑依を起こす霊は、薬物の種類ごとに決まった一定の周波数上に住み着いており、苦しみに蓋をしたくて薬物に手を出す人間を見つけては、たちまちその人間へと吸い付くのである。私が憑依霊とクライアントとの間にあったつながりを断ち切って、エネルギー境界線を回復することに成功するやいなや、二人の症状は速やかに快方へと向かった。また、肉体の境界線が既に傷つけられており、その上、患者自身の興味関心が霊的分野へと偏り過ぎると、アレルギー、環境への過敏症といった症状が出やすくなる。過度に活性化された免疫系によって引き起こされるものだ。そのような症状に悩む子供達は、ホリスティックな立場に立つ食物アレルギーの専門家、栄養士、ナチュロパス(自然療法医)などを探し、その指導を仰ぐといいだろう。上に挙げたような体質の子供達には、空想の世界を使って自分自身にエネルギーを送るというプロセスを学んでもらいたい。その際、親御さんには、子供さんの心を静めるための下準備をお願いしたい。心臓の鼓動のテンポ(一分につき60~90拍程度)の音楽をかけてあげたり、波の音や雨音などの自然音をフィーチャーした音楽を流してあげると良いだろう。そして、栄養士や自然療法医が薦めてくれた薬用植物については、ぜひその植物の写真をお子さんに見せてあげてもらいたい。例えば、かかりつけの代替医療の先生が肝臓浄化のためにタンポポのチンキ剤を処方してくれたとする。親はそこで、タンポポの写真を子供に見せながら、「このタンポポの中に詰まっているたましいが、○○ちゃんの弱った身体の、見えないほころび部分を治してくれるんだと想像してごらん。」と誘いかけてみるのである。このプロセスは「たましい植物療法」と呼ばれているのだが、クリスタル・チルドレンには特に有効な治療法である。クリスタル・ソウルの人々は、気圧の変化、惑星の運行、太陽の黒点といった自然や天体からの影響を受けやすい。地質上の変化や電磁波汚染によっても、変調をきたすことさえある。このような種々のネガティブな影響から子供の身体を守るためにも、部屋の飾りつけには充分な配慮と賢明さが必要だ。お勧めは、天井に銀河系の(銀河系が無理ならば、われわれが住む太陽系だけでも構わない)絵や写真を貼り、太陽系の全惑星と月とを含めたモビールなどを吊り下げる、といったような室内装飾である。子供には宇宙本来の正しい姿を見せてあげよう。それにより、宇宙から来るさまざまな現象に翻弄されがちな、クリスタル・チルドレンの身体の不調を少しでも減らすことができる。お子さんが地質上の変化や「レイライン」(*注)、電磁波汚染といった要素に反応しているようであれば、部屋のどこかに必ずピンク色のフェルト生地かウール製品を置いておくように。ピンクのフェルト地がこうした電気エネルギーを吸収してくれる。毎週一度は洗えるという利点を考えても、毛布のような小物を利用するのが一番簡単だろう。*レイライン:古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線のこと。レイラインが提唱されているケースには古代イギリスの巨石遺跡群などがある…Wikipediaより。また、部屋の中には一切電子機器を置かないよう注意したい。時計なら、電気コード式のものではなく、電池式のものを置いてあげよう。(以下、【2】へと続きます。)
2013.12.13
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※03.11.14 リンクをアップデートしました。(駐妻=駐在員の妻、の略です...。)先日はびっくりしましたね。まさかあんなお店の、それも同じ時間帯に予約が重なっての鉢合わせだなんて。奇遇としか言いようがありません。(これも「見えない世界からの粋なはからい」なのでしょう。おっと、すみません。つい、いつもの口癖が出まして...これだから精神世界にどっぷり浸かった奴はね〜。ははは。)ここ数年、いわゆる駐在組日本人の奥様&母親社会とは距離を置いているもんで、ミナさんにとって私はずっと「無愛想で変わり者の日本人」とうつっていたのではないかな、と思います。多分、他の駐在組の皆さんにも同様の印象を与えているのでしょうね。以前からずっと変わらぬ態度で挨拶してくれるのは、永住組の、ごく一部のママさんだけ、ですから。いくら鈍い私でも、さすがに気付きますよ。おかげで、人を見る目だけは随分養われたかもしれません。既に日本に帰国された駐在員の奥様、そしてその方の言い分を丸ごと信じ、悪口大会で盛り上がるのが三度の飯より好き、っていう方々が、我が家についてのあることないこと、拡散してくれたようですよ。ま、その手の人達とは、どれ程頻繁に会ったとしても、顔見知り以上に発展することはまず無いでしょう。混んだ電車で足踏まれたとでも思って、黙ってスルーします。気にするだけ無駄というものです。【参考記事:「海外のママ友トラブル 噂話を「申し送り」】http://dot.asahi.com/news/domestic/2012101500012.htmlあの日、誰にも聞かれる心配の無い安全な場所で、日本人社会特有の難しさについて、腹を割ってのお話ができたのは、私にとっても幸いでした。「あぁ、自分だけじゃなかったんだー。『何、これ!?』という衝撃を受けたのは。」ミナさんの体験談を聞き、私もまた、救われた気持ちになりました。素敵な偶然に大感謝!ですね。こんな風に、神様は時々、とびっきり粋な演出をなさいます。それにしても、随分とストレスを溜め込んでいらっしゃったんですね。「あまり他の日本人家庭と付き合い無いから...」と恥をしのび、私が告白するや否や、ミナさん、まるで堰を切ったように次々と当地の日本人駐妻社会への不満・疑問を語り始めましたよね。「駐在の奥さん達って、何でこんなに変な人ばっかりなんでしょう?」「どうしても『自分が上、相手が下』と格付けしなきゃ気が済まないんですかね」「お菓子や料理の持ち寄りパーティーで、なぜあそこまでベタボメしまくらなきゃいけないの。」「『○○ちゃん(ミナさんのお子さんのお友達)ね、こんなひどいこと言ってたよ』なんて悪口、子供を使ってうちの子に吹き込むなんて卑怯な真似はやめてほしい。親同士が仲違いしようが、子供同士の付き合いには全く関係無いのに。仲良しのお友達が悪者にされたのを聞いて、うちの子は悲しんでた。」...具体的なディテール(詳細)ひとつひとつが、あまりにも生々しくって、そして痛過ぎちゃって、聞いているうちに私まで一緒に泣きたくなってきましたよ。ほーんと、中学生以下、としか言いようがないですね。クレイジーな狭い人間関係の中で、好き放題やってるお子ちゃま連中の暴走ぶりが止まらない。見かけだけはイッパシの成人女性なもんで、彼女らを諌める人など誰もいません。日本人の母親、一体いつ頃からここまで嘆かわしいレベルにまで落ちたのでしょうか。ここまで来ると、当地の駐妻社会も立派な「カルト教団」と化していますね。まさに、私が「女王様教」と勝手に命名し、何回かに分けて文章にしたような、異常なママ友社会そのもの。今までずっと耐えて来られて、さぞやお疲れになったことと思います。永住組の我が家と違い、ミナさんの場合はだんな様のお仕事の関係上、完全孤立というわけにはいきませんからね。駐在員の奥様同士の人間関係、本当に厄介です。この先もいろいろとご苦労されるのではないか、とお察しします。それでも、思い切って集まりに行く回数を必要最小限にした、とのこと。「ごく少数の仲良しがいれば、それで十分。」...おっしゃる通り。心から拍手を送らせていただきます!特殊な価値観を持つ「駐妻カルト教団」に激しく揺さぶられたものの、「実は仕事を始めたい」と、ご自分なりの目標は忘れなかったミナさん。「私は、こうしたい」「これは譲れない」といった精神の太い軸をミナさんがお持ちだったからこそ、苦しい中でもブレることなく、賢明に判断されたのでしょうね。こちらにもコメントを寄せてくださっているブルーシャ西村さんが、以前、「嫉妬心のある人とは友達になれない」という趣旨の言葉を、ブログ上でお書きになっていました。(ブルーシャさんのブログ内を「嫉妬心」のキーワードで検索すると、考えさせられる内容の濃い文章がたくさんヒットしますので、興味ある方、ぜひ、お試しくださいね。)これ、噛めば噛むほど、深い味がじわじわ~んと出てくる「至言」だよなぁ、と、時々、心の中で反芻しています。ブルーシャ西村さんの最新刊、ただいま予約受付中です絶賛発売中! もちろん、私も買います 買いました(03.11.14追加)。【送料無料】神様に愛されたら、幸せな奇跡が起こりだす [ ブルーシャ西村 ]嫉妬心。自分と相手を見比べて上?下? という、比較をし、ランク付けをすることで湧き起こる、実に厄介な負の感情です。相手と自分を比べる。で、自分が上ならば、一件落着、それでおしまい。相手は自分の存在を脅かさない程度の「小物」ってことで、まぁ、近くに侍らせていても悪くはなかろう、ってな位置に落ち着きます。めでたしめでたし。でも、世の中広いです。そう、上には上がいるんですよ。私達の暮らす、狭いコミュニティの中にも。ただ、そういう人は往々にして謙虚で目立たないんですけどね。「実るほど 頭を垂れる稲穂かな」の言葉通り。人を見ればランク付けしたがる人が、そのような稲穂のような人を前にしたら、一体どうなるでしょうね。「うっ、負けた!」「悔しい!」「ねたましい!」そのようなどす黒い負の感情で、たちまち心が一杯になってしまうに違いありません。(かわうそ君のネタミは、ハワイ旅行にまつわる話題に限定されているので、実に分かりやすいんですがね...。残念ながら、日本人の奥様社会に巣食う嫉妬心の問題は、はるかに複雑かつ深刻です。)たとえば...話の流れで、つい、こちらが無邪気に漏らしてしまった、学生時代の友人との、実に他愛ない逸話。「ほんとのことだから隠す理由も無いし。」と、ポロリ話した過去の経歴や、家族の近況。...なにげな~く出した話題のひとつひとつに、相手が反応し、作り笑顔の裏でどす黒い嫉妬玉を心の中でドカンドカンと爆発させているとしたら、どうでしょうね。さすがに、相手の心の中の問題まではこっちとしても責任取れませんよ。何がきっかけで爆発が起こるか全く予測がつかないので、うかつに思い出話もできません。あ~、しんど。こんな地雷だらけの人間関係、嫌ですよね。いつかこっちがストレス性の病気にやられて、ぶっ倒れそうです。子供たちの成長を見届けないまま病に倒れたり、寿命を縮めたりするのを防ぎたいのであれば、そんな人間関係、い・り・ま・せ・ん。だって、所詮、駐在期間にたまたま近くに住む日本人同士、ってだけの共通項しか無い人達しょう?そんな通りすがりも同然な人達に、残りの人生も、健康も、メタクソに破壊されるだなんて、真っ平御免じゃないですか。ねぇ。ミナさんも当地にいらしてからたくさん目撃されたのですね。あの手の、メラメラと嫉妬に狂って、突然ブチ切れ・逆切れするような、自称「素敵な奥様」たちを。最近では人間の出来た若い人達が増えてきているせいか、40代の人達(同世代なんですがね...。)の人々の幼稚さ・ダメさ加減が一層際立ってきましたね。バブル景気の波に乗ってエリート男性をGET=新興貴族へと昇格!と勘違いしたまま、夢から覚めずに年取っちゃったのかな。ミナさん。そして、ミナさんと似たような、しんどい状況で頑張っていらっしゃる女性の皆さん。「あなた、私より上?下?」という基準でしか人を見られない、そんな心の貧しい人達に無駄なエネルギー費やすの、もうやめましょうよ。確かに、かわいそうって言っちゃぁ、まぁ、かわいそうな人達ですよね。横に手を伸ばした時に、同じ高さで手を伸ばしてくれて、がっちりと握り返してくれる。それが、本当の【仲間】というもの。その素晴らしさを一度も体験する機会が無いまま、年だけ取ってしまったんですから。放っておきましょう。多分、私たちの手に負える人達じゃないです。あの人達が持て余しているご自分の猛毒は、「噂大好き・ランク付け大好き」な似た者同士で、お茶会だの、ランチ会だの開いて、その中だけでシェアしてもらうとしましょう。互いの毒気に当たって、腹下して、共倒れ...と相成れば、おのれの嘘くさい生き方や、歪んだ物の見方に少しは気付く...かもね。外部の人に毒を撒き散らさないようにさえしてくれれば、こちらも一切口出しはしません。どうぞご自由に。地雷でも何でも、派手に爆発させまくってください。別れ際に言ったことの繰り返しになりますけど、...「お互いの足を引っ張って、陰口叩くばかりの人間関係なんて、いらない。あの手の人々が放つ毒気に当たりすぎると、こっちの心も、考え方も、知らず知らずのうちに腐っちゃう。あの人達が何を言おうが、気にしない。私たちは60になっても、70になっても、朗らかに笑っていられるような、好奇心旺盛な、おもろいおばちゃん--->おば~ちゃんを目指しましょう。制約だらけの海外生活。でも、今の環境だからこそできること・学べることだって、いっぱいあるはずです。子供たちの健やかな心のために。そして、将来の自分や家族のために。体力・気力ともに充実させて頑張りましょうね!」ミナさんとご家族が、残りのアメリカ駐在期間にたくさんの良い思い出を作られますように。陰ながらお祈りしています。
2013.11.24
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最近、書くペースが少し落ちてきました。標題からもおわかりでしょう。今、NHKの高校講座にはまりまくっている、というのがその理由であります。しかも、私にとって人生の鬼門であった(体育、と同じくらい。)理系科目の、数学、そして生物に一番時間を費やしているんですよ。もちろん、大好きな世界史(その回で取り上げる国ゆかりのゲストのお話が面白い☆)や、文系ではあったものの、苦手科目だった古典(ラジオ放送のみ)も時々はつまみ食いしていますけどね。きっかけは、こちらの村上和雄先生(筑波大学名誉教授)のポッドキャスト・「村上和雄のスイッチ・オンで生きよう!」に出会ったことでした。先生が提唱する「遺伝子のスイッチをオンにして生きる」をテーマにして作られたドキュメンタリー映画が、こちらの「SWITCH」。公式ホームページはこちらです。そもそも、村上和雄先生のお名前を最初に知ったのも、代替医療をがん患者の治療に取り入れている日本のホリスティック医療の第一人者である帯津良一先生のおかげなのです。帯津先生が、村上先生の「サムシング・グレート」という、人智を超えた創造主を意味する表現を引用されているのを読みましてね。「へぇぇ、日本の理科系の研究者にも、生命科学とスピリチュアリティの融合を真剣に追究されている方がいるんだ~!」と、うれしくなったのを覚えています。帯津先生はこちら。【送料無料】帯津良一の生きる力 [ 帯津良一 ]私がしつこく宣伝したのが功を奏して、今では横浜に住む義母も一緒に帯津先生の大ファンです。数ヶ月前、横浜駅上の朝日カルチャーセンターで行われた、先生の呼吸法講座に(私の分まで)出席してくれました。帯津先生、動画から受ける印象そのまんまの、見るからにお人柄の良さが表れているような、にこやかで、謙虚で、とても素敵な方だったそうです。次は絶対に仲良しの友人○○さんを連れて行くわ!と、張り切っていました。帯津先生、前回取り上げました本山博先生、そしてこちらの村上和雄先生...ってな具合に、どうも最近、日本人の理系研究者で、霊性(スピリチュアリティ)の問題に真剣に取り組んでいるような人にひかれるという流れに乗っかっているみたいですね。(単に英語で理科系の専門用語を読むのがツラい、ってだけかもしれません。日本語ですら理解できないようなモノゴトを英語でなんて...無茶ですから。)【1000円以上送料無料】良心の復権 21世紀における良心の諸問題/遠藤順子【RCP】(本山先生+村上先生の豪華競演ですねー。そして、あまり近・現代日本文学の小説は好まない私が、宮沢賢治・坂口安吾と並んで愛読してきた故・遠藤周作さんの奥様である遠藤順子さん。気になる顔ぶれが並びます。あ、精神科医の小田晋先生もいらっしゃいますね。この一冊は買わねば。)...で、どうせお話を聞くからには、高校二年までの怪しげな知識だけで立ち向かうよりも、基本的な用語や考え方ぐらいは押さえておいた方が楽しいよねぇ、絶対その方が自分にとっての栄養分になるよねぇ...。こんな風に思いまして、オンデマンドでいつでも・どこでも・海外でも(!)無料で見ることのできる、NHKの高校講座を使わせてもらうこととなったのです。何と言ってもおすすめは、お笑いコンビ・ハマカーンが、ポワンと可愛らしい紅一点の鈴木ちなみちゃんと楽しく掛け合って、見てて明るい気分になれる【生物】ですね。お笑いコンビなのに、東京農工大の大学院まで行っていたんですね。このお二人。理系男子を自称するだけあって、実験の手つきもさすが~とうなっちゃう程、手際が良いですよ!(物理&生物専攻。←この、メガネの生物男子の神田さん、まさか、あの 神田うのさんの弟さんだったとは...。)東京農工大は、高校の同級生も何人か行った大学なんですよね。だから、とっても親しみを感じます。【送料無料】下衆と女子の極み [ ハマカーン ]こちらの番組、来年度は改訂されて出演者も内容も一新されてしまう恐れがありますので、興味ある方は、ぜひ、ぜひ今のうちに視聴スタートされたし!ですよ。何度でも繰り返して見られるので、最終話まで制覇した暁には、高校で生物を教わったI川先生(酒が好きで好きで、東京農工大へ入って醸造学をやりたかった、という、今にして思えばとんでもない高校生だったお人です。)に、ちっとは顔向けができるかな。I川先生、私が高2の時、生物のテストを返してくれる時、哀れんだような声で、「...もうちょっと、勉強、しろよ。」って、小声でささやいてくれたっけ。(100点満点中の34点じゃ仕方ないというもの。)30年近く遅れましたが、今、ぼちぼちやり始めていますので、不届きな生徒だった私をどうか許してください。そして、数学I。こちらは高校卒業してから何十年間にもわたって、夢でうなされてきた程の「宿敵」ですね。三角関数の単元で引っかかってしまって以来、どうしても苦手意識を拭い去ることができずにいました。番組MCのお一人・小堺翔太さんのお顔を見た瞬間、「に...似てる!」と、しばし、爆笑。もちろん、日本にいる皆さんはご存知ですよね。そっ。小堺一機さんの息子さんです。相方の長谷川真優さん、「な、なにもそこまでおバカキャラに徹さなくてもいいものを...」と見ていていささか気の毒になりますが、でも、数学という拷問に苦しめられ、自尊心に大きな傷を負った私のような者にとって、その真優さんの徹底した間違いぶりは一種の救いになっています。それは事実です。真優ちゃん、あまり無理し過ぎないでね。サービス精神でバカやり過ぎちゃうと、後で辛くなるわよ。...なんて、おばさんからの余計なおせっかい、でした。いや~、「義務」「定期テスト」「入試」といった、コワイコワイ関門が目の前にドドーンと待ち構えていない時の「学び」は、楽しいですね。村上先生のご本も、この先少しずつ取り寄せてしっかりと内容を咀嚼していきたいものです。【送料無料】アホは神の望み [ 村上和雄 ]なぜ「アホは神の望み」なのか----。村上先生が、上方お笑いの元締め的存在である吉本興業とコラボして行った糖尿病の研究について、手っ取り早く知りたい、という方は、ぜひ、こちらの動画をご覧になってください。スティーヴ・ジョブスのスタンフォード大学卒業式での名演説・"Stay foolish"も、奈良県天理市出身(先生は熱心な天理教の信者だそうです。)の村上先生にかかれば「アホになれ」(笑)ですもんね。参りました。関東人にはこのセンス、ちょっと無いですよ。30年ぶりの理系科目再挑戦、「アホやなぁ。」と我が身の無謀さを軽く笑いながらも、楽しく行きたいもんです。
2013.11.10
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前回、flowergreen8さんからいただいたコメントに関連して、ひとつピン!と来た文章を思い出しましたので、お返事をこちらで書かせていただくことにしました。>>無理強いをしない のが日本。>>テキトーさというか、自由さを許してくれる。>>「何でもあり」>>あぁ、日本ってそうでした。。。>首をかしげてしまう昨今の日本現状に>幻滅している箇所ばかりを見ていました、いえいえ、私だって、一介の生徒という立場でしかないのに、随分ボロクソ書き連ねましたもんね。巷にあふれている、商業化されたヨガ。決して日本だけの話ではないものの、否定的なことばかり並べ立ててしまいました。>そうですね、争いが必要ないよようにするためには>なぁなぁ的に過ごすのが適策なのかもしれないですね>yes.noハッキリさせていては争いが起こりますものね。>↑私はハッキリさせたい派です。。、わかります。私も、宙ぶらりんな、どっちつかずの立場が苦手なので。(短気だった若い頃に比べれば、少しは我慢できるようになったかも...。年を取るのは悪くないです。)>>最近のヨガ関連HPや情報サイトからも、>>この「何でもあり。境界線が曖昧。」>>という日本的なごった煮的性質は見事に伝わってきますね。>>ほんとにそうですね~>何でもアリな感じが敷居が低く、>生徒さんを取り込みやすいのかな。と感じました取り込まないと、ですよね。まずはできるだけ大勢の生徒さんが入って来易いような形で「おいでおいで」をし、収入源を確保。でないと、ヨガを教えるどころか、ビルの賃料すらも払うことができない。そんな苦しい事情があるんでしょう。結局、我々がどっぷりと浸かってきた現代の資本主義社会って、精神性/霊性にまつわる教えを純粋な形で広めるのにはあまり適していないのでしょうね。flowergreen8さんからのコメントを読んだ瞬間、突然思い出したんですよ。本山博先生のご本の、とある一節を。2013.02.01の記事で陰ヨガ(インヨガ)について書いた際、この「陰ヨガ」のシステム自体はアメリカ人のヨガ教師・ポール・グリレィ(Paul Grilley)氏の考案だそうですが、その彼に大きな影響を与えたのは日本人の超心理学者であり、宗教家でもある本山博氏だそうです。そっか、インドというよりはむしろ、東アジア系ヨガなんですね、「陰ヨガ」というのは。本山博先生のお名前を知ったのは、この時が最初、でした。理屈よりも先に、陰ヨガ/インヨガを実際に試してみたい!という初心者の方には、こちらをお勧めします。(初心者でなくとも、静かな雰囲気のリラクゼーションヨガがお好きな方だったら、どなたでも楽しめると思いますよ!)【送料無料】今日から始めるインヨガ [ Gori宮下 ]アメリカ人考案による陰ヨガ(インヨガ)を気に入ったというのに、日本人である自分がその「ゴッドファーザー」的存在である日本人の本山先生を知らないのは、いかがなもんだろう...と思いましてね。夏の里帰りに合わせて、先生のご本を何冊か買ってみました。その中の一冊がこちら。目下、愛読書のひとつとして大事に読み返しています。横文字の、一神教文化(キリスト教文化)を前提にして書かれた精神世界モノばかりだと、ちょっと物足りなくなる時があるんですよね。やはり日本人なので、日本の歴史や文化を踏まえた上で書かれた本が、時々、無性に恋しくなります。スピリチュアリティの真実著者:本山博価格:1,575円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る(すみません。またもや絶版・品切れ本です...。PHPさん、何とか文庫本の形で復刊してもらえないもんでしょうか。)「今、テレビをはじめとして、さまざまなメディアにスピリチュアル・カウンセリングをする人が出ています。こうした現象への批判的な声は聞こえてきますが、霊的成長を促すきっかけになるという点では、どんなレベルの霊能者でも意味があります。人間は霊性を持っている、魂を持っているということは、仮にレベルの低い人、お金儲けに興味があるような霊能者でも、みんなに霊の世界を知らせているのですから、何らかの役に立っています。もちろん、テレビに出ている人はみなレベルが低い、と言っているわけではありません。」(「スピリチュアリティの真実」、本山博、PHP研究所、2008、p.145)どんなレベルの霊能者でも意味がある...。ならば、ヨガという、素晴らしい世界の存在に気付くきっかけになるという点では、上の引用部の「霊能者」を「ヨガ教室/指導者」に置き換えて、どんなレベルのヨガ教室/指導者でも意味がある。...とも言えますね。そっか。何事も、ケチつけてばかりいないで、そういう大きなとらえ方をしなきゃいけないんだなぁ、って、本山先生の言葉にはっと気付かされました。身の引き締まる思いです。本山先生の詳しい経歴や著作目録については、こちらをご覧くださいね。http://www.iarp.or.jp/moto.html>反対に、何でもアリな感じを好んでいない私にとっては>物足りない教室となってしまい、>またも先生を探す旅に出たのでありました、、>そして、良い先生がなかなか居ないので探し疲れて>DVDストレッチで済ませてしまっています。>教室は、ごまんとありますけれど>自分に合った所を探すのは難しいですね。これが「出会い」「縁」の難しさなんですよね。無理して手元に引き寄せよう!と、しゃかりきになっても、なかなかそううまくはいかない...。人間関係では、誰もがさんざん経験して、悩んでいる問題ですよね。学校や習い事の先生や師匠、気の合う友人、人生のパートナー、自分を引き立ててくれる上司...。欲しいよ~欲しいよ~と焦ってみたところで、なかなか現れる気配が無い。厄介なものです。あ!でも!今はとりあえずDVDヨガから入って、身体をやわらかくしておくという下準備に徹し(flowergreen8さんはピラティスもやっていらっしゃいますもんね。)、そのうち特に気に入った1枚/2枚が絞れてきたら、その先生に近い流派(指導法)に属する先生に当たってみる、もしくはその先生ご本人のクラスやワークショップに出てみる、というのもアリかもしれませんよ。かく言う私自身、自分の過去を振り返ってみると、最初の頃に好きになったYoga Zoneという今は亡きニューヨークのスタジオが出していたDVDと、今続けているヨガのスタイルは結構似ているような気がします。(解説が懇切丁寧、余計な小道具とかチャラチャラした雰囲気とは無縁でシンプルなスタジオ風景、終わった後には心も身体も洗い流されたようなさわやかな気分になれる...。と、書くと、今習っているアイアンガーヨガの説明そのまんまですね!今日も90分クラスでいい気分になって帰ってきました~!)こちらなんですけど。指導しているアラン・フィンガーは、現在、日本でも指導者が増えてきているイシュタヨガ(ISHTA)という流派の創始者です。(※↑上の動画に興味を持たれた方へ~アマゾンでなら、この一枚Conditioning and Stress Releaseを含む4枚組初心者用DVDセットがヨガクラス2回分程度のお値段で買えますよ。英語オンリーですが、わかりやすい映像ですので、心配要らないと思います。http://www.amazon.co.jp/Yoga-Zone-DVD-Import/dp/B00006G8HE/ref=sr_1_22?ie=UTF8&qid=1383173442&sr=8-22&keywords=yoga+zoneこちらはリージョンフリーDVDのはずです。以前、私がアメリカから持ち帰った時も、日本のパナソニック製家庭用DVDプレーヤーで問題なく再生できましたから。ただ、その後の製造分の仕様が変更されていたらスミマセンなのですが...。)flowergreen8さん。そして、ヨガに興味を抱いているすべての方。良いヒント、良い先生とのご縁がありますように。身体も、心も、すっきりさわやかになれるヨガの奥深さ、ぜひ堪能していただきたいです。今日もお読みくださりましてありがとうございました!
2013.10.30
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前回の記事、そしてflowergreen8さんからのコメントにお返事を書きながら、あぁ、日本っていうのは、「八百万の神様」という表現でも明らかなように、世界的に見ても稀な、宗教ゆるゆる国家なんだ~。と、改めて実感。無理強いをしないのが日本。テキトーさというか、自由さを許してくれる。「何でもあり」です。これは日本の素晴らしいところですね。だから、「西洋が良くって、日本がダメ」という結論は出したくありません。「ゆるゆる」だから悪い、ってわけではないのですよ。確かに、「もう少しシャキッとしなよ」と、歯がゆくなる時もあります。でも、それは自由でしなやか、という長所の裏返しですからね。揚げ足ばかり取っちゃいけません。一方、アメリカには、「こうでなければならない」「掟に背いたら、罪人として地獄行き確定!」という、星一徹(巨人の星)のようなガンコ親父の価値観が根強くあります。建国に大きく貢献した清教徒(ピューリタン)の、真っ直ぐで、正論言ってるんだけど、融通は利かない...という価値観です。例えば、私が暮らすアメリカ西海岸の某中規模都市。民主党支持者や、アジア系の移民が多い、リベラルな地域ではあります。それでも、キリスト教の世界観を守り続けている人々は、コミュニティの半数以上を占めます。もちろん、主流派に馴染めず、はみ出していく人々だって、います。無神論者になるとか、ヨガを通じて知った、ヒンドゥー系の哲学・宗教に走っていくとか。そういう「はみ出しっ子」を認めるだけの度量はある土地なんですよ。若い頃にヒッピーだった(元・不良)中年・熟年が結構いるから、「はみ出し」への理解はあるんですよね。お父さん的な、「まぁ、見守るか」的な理解は。とはいえ。やはり大本はキリスト教、というのがアメリカです。伝統的なプロテスタントの価値観で結び付いた(白人中心の)コミュニティの結束、ちょっとやそっとじゃ揺るぎません。一つの社会で多数派を占める「教え」。賛成するのも(礼拝行ったり、献金したり。)反対するのも(周囲を敵に回さねばならない。)どちらもそれなりに大変です。関わり続けるには、それなりの量のエネルギーを必要としますよね。伝統宗教(ここでは、プロテスタント系のキリスト教諸派)の価値観から来る無言の圧力が相当強いと、それに反発する力だって、自然と強くならざるを得ません。日本の「ゆるゆる~&何でもあり」は通用しないんですよ。 *PCだと無料で見られます。スマホだと有料みたいですね。「イエスは何を買うだろう?」ビリー牧師と無買聖歌隊の「買い物やめろ」伝道いや~、特定の教会に所属することはこの先も無いかな、という気がするものの、「買い物止めろ教(The Church of Stop Shopping)」には興味津々ですね。この、アホだか真面目だかよくわからない大真面目さって、最高ですね!町山智浩さんと小西克哉さんのおっしゃる通り、本物の牧師よりもよっぽどスピリチュアルなこと言ってますよ、このビリー(ニセ)牧師。(この回の「コラムの花道」のスクリプト、こちら↓に収録されています。大笑いしたい方、絶版・入手困難になる前にぜひどうぞ。)【送料無料】コラムの花道2007傑作選 [ 東京放送 ]フィットネスクラブのヨガクラスではなく、わざわざ専門のヨガスタジオに来てまでヨガを習う客層っていうのは、カジュアルそうに見えて、実は芯の強い人ばかり。それだけに、先生方はクラス内で使う言葉には細心の注意を払っています。無神論者や女神信仰の人、擬人化された存在を拝むなんて真っ平ご免、という人々は、「神(God)」という単語を聞いただけで「カチン!」と来ちゃいますから。霊的(スピリチュアル)な芯が各人の中にしっかりと、太く一本通っている。先生方にはちゃんと見えているんですね。言葉の選び方一つで、反感を買ってしまうこともある...と。逆もまた、真なりです。自分の霊的な芯(=主義・信条)は、誰にも傷つけさせません。攻撃してくる者がいれば、ためらうことなく立ち上がって、戦います。(←だから銃が無くならないのか、アメリカは。)この、【自分の霊的な芯を守ろう】という覚悟。個の尊厳を大事にする、一神教社会に育った人ならではの強さでしょうね。そうした芯の強さを感じさせる人、日本には少ないです。そもそも「これぞ、ザ・スタンダード」という宗教的価値観が存在しませんから。賛同するエネルギーも、反発するエネルギーも、必要無いんですよ。日本では、先生の方にも「ここから先は、宗教的に不可侵な領域だから、踏み入ってはならない。」という区別が希薄ですよね。キリスト教が多数派の父権的一神教社会に比べて、タブーと非タブーの境界線は曖昧になりがちです。最近のヨガ関連HPや情報サイトからも、この「何でもあり。境界線が曖昧。」という日本的なごった煮的性質は見事に伝わってきますね。自由で楽しそうな反面、ハズレも入り込みやすいんですよ。良心的で、質の高い教えも、金儲けonlyの腹黒な教えも、ぜ~んぶ「ヨガ」の名前の下、ごちゃまぜになってしまう。そうした危うさと背中合わせなのが、今の日本におけるヨガであり、スピリチュアリズムだと思います。この辺は、前回紹介した櫻井義秀先生(北海道大学大学院)の「霊と金」をぜひお読みください。今みたいに教室が乱立する状態では、ヨガは簡単に「金儲け主義」の餌食になってしまいますよね。お金を持っていて、パッパと気前良く払ってくれて、割高なウェアやグッズまでバンバン買ってくれるような若い独身の女性は、儲け第一主義のヨガ教室にとっては最高のカモ。そういう所に限って、見た目や小道具での演出ばかり重視しているでしょう?「仏作って魂入れず」を地で行くような教室で妥協しちゃって、本当にいいんですか?そして、【前編】で取り上げた、「自分を持ち上げたくって、生徒さんから尊敬してもらうことを欲する」タイプの指導者にとっても、今のような「何でもありヨガ」状態は、簡単に新規参入ができて、ビジネスを拡大し易いんですよね。金儲けが目的。先生のエゴ・マッサージ+自尊心アゲアゲが目的。本質的には同じです。生徒さんから、一方的にエネルギーを吸い取ろうっていうのが真の狙いですよ。結局は【エネルギーが欲しい!】だけのクレクレタコラが、「教室」「指導者」の皮を被っているだけです。歯止めが利かなくなると、生徒さん、癒されるどころか、逆にエネルギーを奪われて弱っていきます。...ヨガって、そんなものなんでしょうか?*参考:【ヨガマガジン】本に勝るものは口伝の教え~前編~ in India 【ヨガマガジン】本に勝るものは口伝の教え~後編~ in India ...ややもすると、ファッション&スポーツの一つとしてヨガをとらえがちな、今の日本人が忘れがちなこと、インドの人々が語る言葉で改めて考えさせられます。素晴らしい記事です。安らぎが欲しくって教室を訪れた生徒さんから、ヴァンパイアの如くチュルルル~っとエネルギーを吸い取り、先生だけ一方的に気持ち良くなる。わざわざ電車代払って教室へと出向いて、受講費払って、エネルギーまで吸われちゃって、「何だかあまり得る所が無かったな。」だなんて。生徒さんは踏んだり蹴ったりです。どうしたらこの、「スッキリしないヨガ」をうまく避けられるのでしょうか。それは、ひとえに自分自身の霊性面のメンテナンスができていて、人間を超えた、高い領域からエネルギーを補給できる指導者。を探せるかどうか、にかかっていると思いますエナジー・ヴァンパイアに化けないよう、霊性面で自分を高めようと日々努力しているような先生に習え、ってことですね。霊性の面で人間を超える、【大いなる存在】(「神」「宇宙」「ソース」「聖なる光」「サムシング・グレート」by 村上和雄先生...など、何でもいいんですけど。お好きなものをどーぞ。)...そうした【大いなる存在】を意識し、必要に応じてアクセスし、高品質のエネルギーをダウンロードして自らを充たす、ということを自然に行っているような指導者、です。自分というちっぽけな人間を大きく超える偉大な存在の力を知っている人。それを世間では「宗教的な人」と見なしますが、別に特定の宗教組織に入る必要はありません。他の人に公言する必要だって、一切ありません。自分の中に「霊的な芯棒」が、一本通っていれば、それで十分なのですから。そういう【大いなる存在】から充電する術を持たない指導者だと、教室に集まった生徒さんやら、取り巻きさんやらの「尊敬」という代替エネルギーでもって自分自身を充たすしか無いんですよね。尊敬されるのも悪くはないですが、所詮、出所が人間ですし、長持ちはしません。せっかくヨガという、霊性を磨くための優れた道具に出会ったのですから、霊性から切り離された単なるストレッチ体操ばかりでは、時間もお金も勿体無いですよね。どうせなら、「本物」をとことん探してみませんか?ヨガに限らず、良い先生を見つけ出すのって、手間もひまもかかるし、大変です。時間はかかっても、きっと「いろいろ回り道して、苦労しただけのことはあった。」と喜べる日が来ますよ。ぜひ素晴らしい先生に出会ってくださいね。簡単に妥協したりしないで。個人的には、指導者資格の基準審査が厳しく、真の実力と指導力とが要求されるアイアンガー流を名乗るヨガ教室は信頼できると思います。(まぁ、こればかりは相性の問題なので、ゴリ押しはできませんね。もっと動的なヨガが好きだ、って方もたくさんいらっしゃいますから...。)いかにもアイアンガーヨガ、って感じの、シンプルな無駄の無いスタジオです。日本に永住帰国した暁には、柳生先生のクラスにぜひ出てみたいなぁ。
2013.10.29
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前々回の記事にflowergreen8さんが寄せてくださったコメントから、どんどん妄想...じゃなかった、発想が膨らんでしまいました。「ヨガ教室の共依存関係」というお題をつけまして、「救われたい!」という生徒さんと、「救ってやって、尊敬されたい!」先生とが醸し出す、あまりよろしくないクラスの雰囲気について、考えております。まずは【前編】からお読みになってください。先生一人が教室の王様になって「仕切る」タイプの、ヨガクラス。「計画通りに進み、時間通りにピッタリ終わる」という、先生側の都合ばかりが重視されるあまり、生徒さんの身体的ニーズとか、一人ひとりが内観するための余裕とかは、二の次となっていそうです。生徒さんたちのマットでフローリングの床も見えなくなってしまった満員御礼の教室では、先生が全員の前で声張り上げながら、模範演技を見せるのが精一杯。一人ひとりの間を動き回って指導する、なんて無理でしょう。(↑これ、今年の夏至の日にニューヨークのタイムズスクエアで行われた「夏至ヨガ」だそうです。すごいですね~、この混雑ぶり。模範演技を見るどころか、「音声ガイドのみ」でセッションが進行しています。ま、みんなで一緒にヨガを楽しもうっ!というお祭りですから、先生にポーズを直してもらうとか、そういううるさい事言う人は来ないんでしょうがね。...でも、お金払って受けたクラスがここまで混み合っていたら、やだなあ。大都市ではそれも仕方無いことなんでしょうかね。)結局、満足して帰ったのは「今日の私、よかった!」「今日もつつがなく終了!」ってな先生と、その熱烈なる取り巻き生徒だけ...かもしれません。静かな不満を抱きつつ教室を出て行った多くの生徒さん達の存在に気付かない限り、この先生はどんどん「裸の王様化」していきかねません。コワイコワイ...。でも。「自分が」「自分が」とグイグイ突っ走る、体育会系(?)な、仕切りタイプのヨガの先生。実は、この手の先生こそ、心の奥底では「救われたい」のかもしれません。この前ご紹介した加藤諦三さんの言葉を借りるならば、未だ【安心】へと到達していない...のでしょう。【安心】へ。だから、自分の中にある不安を必死に鎮めたくって、他の人よりも優位に立つことばかり考える。人の上に立ち、尊敬の眼差しで見られていないと、たちまち不安が襲ってくる。《そこまでがむしゃらにやらなくてもいいんだよ。安心しなさい。君は君なりのペースで、リラックスしてやればいい。》そんな言葉でもって安心へと導いてくれる「誰か」を待っているのですが、残念ながらそこまで広い心の持ち主がおいそれと現実の世界に現れるはずはなく...。この手の先生、一見すると、周りを「救われたい」願望の強い生徒さんで固めて、相手を自分に依存させることで「救って」やって、その見返りに尊敬をもらっている」かのよう。残念ながらそうした共依存的な、不純物の多く混じったエネルギーのやり取りでは、真の《安心》は得られません。所詮、その場しのぎですからねー。空腹をごまかすために、水や清涼飲料水をがぶ飲みして、満腹になった気分だけ味わっているようなものです。長続きするはずがないんです。批判めいたことばかりってのも何ですので、今日は一つ提案するとしましょう。万年初級者の私が提案、っていうのも、僭越なんですけど...。一応、ヨガを始めてから10年以上は経ってますけどねー。日本の全てのヨガを愛するみなさんに呼びかけます。「ナマステ」の言葉に込められた、ヨガの基本精神。そして、その向こうにある、【聖なる光】/【神】と、自分との関係。決して簡単なテーマではありません。でも、今後もヨガと真剣に付き合っていきたいのであれば、ここいらでじっくりと見直してみませんか?ご自分の精神生活を振り返ってみませんか?...と。そう。ヨガの始めや終わりでほとんどの先生が使っている「ナマステ」という、あの挨拶です。 「ナマステ(Namasté )」は、人に会った時、別れの時に交わす、 インドにおける口語表現、および仕草のこと。 発音は「ナ・マ・ステイ」。 サンスクリット語由来の言葉であり、字義通りの意味は「私はあなたに敬礼する」。 通常、「私の中の聖なる光は、あなたの中の聖なる光を尊びます。」 「私の中の神は、あなたの中の神に挨拶をします。」 などの翻訳が当てられることが多い。 我々の誰もが平等な存在であり、共通の神性を分かち合う存在である、 と認める言葉。 それが、「ナマステ」である。【アーユルヴェーダの入門書以外に、神や宗教の分野でも数々のベストセラーを出している、インド人医師・ディーパック・チョプラ博士の「チョプラセンター」のHPから引用・和訳してみました。カリフォルニア州サンディエゴ近郊・カールスバッドにあるんですね。2年前に訪れたレゴランドの近くです。海も近いし、気候も最高だし、いいところですよ~。】【送料無料】スピリチュアル・ヨーガ [ ディーパック・チョプラ ]「ナマステ」に込められた意味を探る。それは、日本という国を故郷とする我々が、自分にとっての【神】とは何か、【宗教】とは何か、という、今まで考えたこともなかった問題へと向き合うこと、であります。たいていの日本人は、自分の中の「聖なる光」のことなんて、気にもかけちゃいません。神様なんて、願い事だけ叶えてくれりゃ、後は放って置いても平気、と考える人がほとんどでしょう。宗教なんて、冠婚葬祭の時だけ金払って呼ぶ、「ちょっとお金のかかる、サービス業の一種」としか見なされない国、それが日本です。「私の中の神」「あなたの中の神」なんて、ヘンな宗教にかぶれた人達に任せておけばよい、と多くの人が信じています。赤ちゃんのお宮参りや七五三は神社。結婚式はキリスト教の教会。週末アルバイトのガイジン牧師さんに「チカイマスカ」と言われて、最高に幸せ。死んだらお坊さん呼んでもらい、お手頃値段の戒名買って、葬式して、四十九日経ったら寺の境内にある墓へとGo!...。実に無節操で、中身がスカスカな、単なる「生活を彩るイベント」にまで成り下がってしまった、日本人の宗教生活。宗教が人々の精神生活に占める位置がここまで減ってしまった先進国って、他に無いんじゃないんでしょうか。(お隣の人口過多な超大国が唯一の良きライバル、って感じかな。)その辺の事情、こちらの本に詳しいです。統一教会などのカルト宗教から、神社や寺に代表される伝統宗教、果てはスピリチュアルの見本市・「すぴこん」に至るまで(櫻井先生のツッコミ、この章で冴えに冴えまくっています。一体何度吹いてしまったことか!)、様々な実例を取り上げながら、現代日本における宗教の姿をわかりやすく伝えている良書です。買って大正解!の一冊でしたよ。仏教寺院や、神社など、日本人の生活とは切っても切り離せない伝統宗教が抱える、苦しい台所事情など、「そう言われてみれば、確かに苦しいのは当たり前だよね...。」と納得できる部分も、多々ありました。「もっとしっかりしろよっ!」と檄を飛ばすだけでは解決できない、深刻な問題が山積しているんですよ。仏教自体にそれ程関心は無いものの、昔からお寺の建築や、お線香の匂いは大好きなもので、読んでいてしんみりしてしまいました。日本のお寺さん、何とか頑張ってもうひと花咲かせてくださいな。悩める人達の力になって欲しいものです。【送料無料】霊と金 [ 櫻井義秀 ](この本を知ったのは、こちらにも遊びに来てくださっているayafuyaさんが、Naverのまとめ記事で最初に紹介してくださったおかげです。ありがとうございます!さる信頼できる筋からの情報によりますと、著者の櫻井先生、穏やかな中にもピリリとユーモアが効いた文章から受ける印象通り、誠実な学者さんだとのことです。無知ゆえにコロリと騙される若い学生さんたちを、カルトや悪徳商法の魔の手から守りたい、という櫻井先生のまっすぐな思い、私もしっかと受け止めました!)...この話、なんと、まだ続くのです。
2013.10.25
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前回、flowergreen8さんからいただいたコメントの後半部分。またまた良い刺激をいただきました!>ピラティスの先生がおっしゃっていたのですが>ヨガを始める人って何かの壁にぶつかって>ヨガを始める人が多いよ~壁にぶつかって、ヨガを始める。そうした人々は、もしかしたらヨガに対して、一種の擬似宗教のようなはたらきを期待しているのかもしれませんね。「これをやれば、活路が開ける。救われる。」と、ヨガに期待しているのでしょう。どちらかと言えば、「身体オンリー」な要素の強いピラティスでは、あまりそういった話は聞きませんよね。(前回のクンダリーニヨガの動きと違って、実にゆっくりなんですね!これなら怪我の危険もかなり抑えられそうだし。思い切って、近くのピラティス教室に個人セッションの予約してみようかな?)「救われたい」といった期待を抱いて生徒がヨガ教室へやって来たとしても、先生が毅然とした態度で接してくれれば、それ以上に事は複雑にならない、という気がします。「自分は今、この場でヨガを教える役目を果たすだけの人間。それ以上でも、それ以下でも、ない。」このように、自らの職分をわきまえ、それを越える期待に対してはきちんとNoが言えるような先生だったら、生徒さんを自分に依存させるような過ちは犯さないはずです。心ある先生ならば、そうした「No」という線引きも上手。私はそれを経験から学びました。「チャクラについてもっと知りたいんですけど」と言った数年前の私に、M先生(元々アイアンガーヨガの訓練を受けた方です。地元のNBAチームに呼ばれて、現役のプロバスケットボール選手にヨガを指導した経験もある、ベテランです。)はこうおっしゃいました。「私が教えられるのは、身体面にフォーカスするハタヨガの部分だけ。そういった領域までは、とても教えられない。」先生はあの時、安易に私を喜ばせる方向へと走らず、ご自分にできること・できないことをはっきりさせるというプロ意識を見せてくださいました。おかげで、私も、時間かけて自分の力で一歩一歩学ぼう、との覚悟が決まりました。M先生には今でも本当に感謝しています。普段はジョーク連発の愉快なおばちゃんなんですけどね。でも、残念ながら、世のヨガ教室の先生方全員が、そうした高いプロ意識の持ち主だとは限りません。(別にヨガに限ったことじゃありませんけどね☆)往々にして、「人を導きたい!」「先生/グル(導師)と呼ばれて、尊敬されたい!」ってな欲望に突き動かされている人は、「教師」という肩書をGETすることにこだわるんですよ。(私自身にもこうした「教え好き」な傾向、大いにあります。ここは自戒の念を込めて書いています。)あれだけヨガを教える人の数が膨れ上がってしまうと、まぁ、いろいろな人がヨガ業界に参入してきますよね。玉石混交状態です。中には、こんなことを考えながらヨガ教師を目指す人もいそうです。ご本人が意識しているかどうかは、わかりませんけれど。 「スピリチュアル本を書いて、一発当てる」とか、 いきなり自己啓発セミナーを開くのはちょっと無理そう。 でも、カリスマヨガティーチャーとして、 小集団の導師(グル)的役割からスタートし、 徐々に知名度を上げていくのだったら自分にもできそうだ。 うん。やれる。 よし、まずはティーチャートレーニングだ! 「ベーシックからアドバンスまで、全部参加してお値段100万円ちょっと、か。 海外トレーニングの費用も入れると、150万は飛ぶな。 ま、初期投資と考えれば、しょーがないかっ。 どんなビジネスにも開業資金は要るものだから。...「人から見上げられたい。ただの無名ヨガマニアで終わりたくない。」という名誉欲・自己顕示欲の強い人。この手の指導者って、内心では「先生~」と生徒さんたちから頼られ、依存されることを望んでいたりします。 【共依存】(Wikipediaより) 共依存(きょういそん、きょういぞん)とは、 自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存する、 その人間関係に囚われている状態を指す。 一般的に「共依存」と言うと、病的な人間関係などを指すことが多い。 共依存者は自己愛・自尊心が低いため、 相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、 共依存関係を形成し続けることが多いと言われる。客の付かない不人気占い師が、「あなた、このままだと彼氏に別の女が近付いてくるよ。今のうちに対処しておかないとね...でも、それについては30分鑑定では無理だから、延長料金払ってもらわないと...。」と、相手の不安感を巧みに操って自分の稼ぎを増やすのと、基本的には同じメカニズムですよね。(同じじゃないって!? ま、たとえ話ですから、あまり深く考えないように...。)そうです。「先生、私、ヨガに救われたいんです~...。」と、「すがる」タイプの生徒さんは、依存されるのってまんざらでもないな、とほくそ笑むタイプの先生とは相性抜群。ソウルメイト決定~!です。両方揃って、はじめてドラマが成立します。片方が欠けては幕が開きません。ヨガ教室における「救われたいチャン」と、「救ってやって尊敬されたいチャン」の共依存関係。また一件、成立しちゃいました。【送料無料】共依存かもしれない [ ケイ・マリー・ポーターフィールド ]この共依存関係がエスカレートして、行き着くところまで行き着くと、先日取り上げた【堕ちたカリスマ教師】アヌサラヨガ創始者のジョン・フレンドにまつわるゴタゴタのような、醜聞劇が展開されるんですね。軽々しく加わってはヤケドしますよ。共依存的な、生徒―教師間の不健全な力関係がはびこるヨガ教室。エネルギーの質に敏感な人にとっては、きっと居心地の悪い、説明はできないけれど、薄気味悪い場所と感じられるのではないでしょうか。...そりゃ、行きたくなくなりますよね。スッキリしないヨガなんて、誰だってイヤですよ。>〇〇の精神を整えましょうとか、>そこから入っていくみたい、>それが苦手な人は止めた~! と言ってるよ~>とおっしゃってました。ひょっとしたらそのお話の生徒さん、「見上げられたい」「導師(グル)になりたい。」願望が先走った、自説押し付けタイプの先生に当たってしまって「な、何、これ!(キモッ!)」と、違和感を感じたのかもしれませんね。身体面の指導に専念するはずのヨガ教師が、うっかりとスピリチュアル臭の強い話を教室内で漏らしてしまった。それに違和感や反発を感じるのは自然だと思います。普段、ピラティスのニュートラルさに慣れている方であれば、特に。「散髪してもらおうと床屋に来たのに、椅子に座ったらなぜか口をこじ開けられて、歯周病予防についての説教をされてしまった。」...そんな違和感/不快感ではなかったか、と、推察いたします。そういう状況でしたら、生徒さんのお気持ちはとてもよく理解できます。「安易なスピリチュアルトーク」を連発するようなヨガのクラス、私もやはり気が進まないですねぇ。ヨガというのは、(こちらのブログでも既に何度か書いていますが)自分の身体と一対一の密な対話をするために行うもの。一応、教室の中で、他の十数名の参加者と共に行うという形はとっていますが、実はきわめて個人的な内観体験をしている、と、私は考えています。誰もが自分にしか分からないその時々の課題と静かに向き合う、”Moving meditation”(動く瞑想)を続けているのですよ。「せーのっ!」ってな音頭取りとは相容れないと思いますよ。小学校の運動会の初めに全校一斉にするラジオ体操じゃないんですからね。一人ひとりがそれぞれ違った自分の課題と取り組んでいるというのに、心の中身までああしろ、こうしろだなんて、それはもう「余計なお世話」の域に突入、って言えるんじゃないでしょうか。☆長くなったので、 【後編】【中編】へと続きます☆
2013.10.23
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Too much of a good thingという表現が英語にあります。どんな良いものでも、取りすぎてはかえって害になる。日本のことわざで言うと、過ぎたるは及ばざるがごとし...に近いでしょうか。今回、それを地で行くような経験をしてしまいました。クンダリーニヨガを始めて、そろそろ10ヶ月近くになります。このスタイルのヨガについては、以前、こちらでも書きました。http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201305090000/http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201305100000/「うーん、これは精神面まで巻き込まれ過ぎないよう、警戒を続けた方がいいかな...。」と、もやもや感が依然として付きまとうクンダリーニヨガであります。ただ、上の記事に書いた通り、猫背矯正に抜群の効果を上げていることは確かなんですよ。この夏、一年ぶりで再会した義母にも、「背筋がすっと伸びてる!これ、続けた方がいいわよ!」と、励ましの言葉をもらいました。改善されてきているのは、姿勢だけではないのです。既に幾度もご紹介した、医療直観能力者(medical intuitive)・ヒーラーのマリー・マヌチェリさんが著書やHPで公開されている、「各チャクラを強化するためのエクササイズ」(こちらにあります。英語ですが)のうち、いくつかの動きはクンダリーニヨガの基本ポーズと似ているんですね。そのせいか、身体だけでなく、精神面にも少しずつではありますが、「シャキッ!」とエネルギーが戻ってきたような気がしております。自分を大切にする心=自尊心や、意思の強さに関わる第三チャクラには、特に効いている模様。私のような「人に好かれたい病」患者には、ここが弱い人が多いですよね。元気にしておきたいところです。ま、効き目が実感できれば、やる気だって当然湧きます。日本から帰って来てからは、こちらのYouTubeビデオや、購入したDVDに合わせて週に2、3回は練習していました。時間も40分弱、と、手頃でしたし。この中で、姿勢矯正に一番効いたのが15:32頃から始まる、上体ねじり(ツイスト)のポーズ。手元にある"Acu-Yoga"という本には、こんな画像で説明されています。(図版はアメリカ人指圧師である著者・Michael Reed Gach氏が運営するサイトAcupressure.comより拝借しました。acupressure=指圧、ですね。)手を写真のように両肩の上に置き、上体を左に回転させる時に息を吸いこむ。右に回転させながら、息を吐き出す。その連続です。以前、クンダリーニヨガについて書いた時にも引用したマヤ・ファインズさんのDVDでは、こんな動きです。これ、慣れると、抜群に気持ちいいですよ。やり終わった後の背筋というか、体幹なのかな?とにかく身体の中に「ビーン!」と芯が一本下から上まで通ったような、そんな感覚になれます。筋肉でコルセットを作るっていうのは、多分こういう事を指すのでしょうね。ただし、気持ちいいからどんどん行け~!もっとスピード上げて~!...なんて、自制心まで吹き飛ばしてしまうと、身体っていうのはきつーいしっぺ返しで答えるものです。この前の首の痛みのように。そして、今回のように...。9月に入った頃だったと思います。この、クンダリーニの中でも一番お気に入りの、上体ねじりのポーズ。調子に乗って、動画の中の人と同じくらいに、いや、ひょっとしたらそれ以上にブンブンと動きを速めていくことが当たり前となっていたところ、おへその右上、約7~8cmのところに「突っ張り感」といいますか、「筋肉が『イテッ!』と小さく悲鳴を上げた」ような違和感を感じることが多くなってきていたんですよ。急いでスピードを下げましたが、本来ならばここで「上体ひねりは一切禁止!」という強硬手段に出るべきだったのです。10月に入ったあたりから、その突っ張り感を感じる頻度が増してきたんですよ。場所が場所だけに、陰に内臓疾患が隠れていては大変です。意を決して、去年からお世話になっている自然療法のお医者様(naturopath)に診てもらったところ、3週間、ねじり(ツイスト)の類は、座位・仰臥(あお向け)の別を問わず、一切禁止。という、厳しい宣告が...。このショック、ねじりポーズ愛好家の方(結構多いと思うんですが。)にならば、理解していただけると信じています。ま、でも、これといって心配すべき病気が見つかった、というわけではないので、ここは純粋に喜ばなくっちゃいけませんね。ねじり運動で無理がたたって、単に外腹斜筋を傷めた。それだけのようです。(お腹の筋肉の名称なんて、今まで"ab muscle" と"six pack"以外の言葉、聞いたことありませんでしたよ...。勉強になりました。外腹斜筋。内腹斜筋。腹直筋。腹横筋...。こういう語彙を全部覚えて、その機能や場所にも通じていなきゃいけないんですから、医療職やマッサージセラピストといったお仕事の方はすごいですね。尊敬です。)幸い、週一回通っているアイアンガー流のヨガ教室では直線的な動きが多く、先生に「今、ねじりはNGなんです」と一言断っておけば、「じゃ、代わりにこっちを。」と、その場で別メニューを提案してくれるので、ヨガ自体は続けることができます。動きのスローなインヨガ(陰ヨガ)もありますしね。自然療法医の先生はインド系の女医さん。だんな様は頭にターバンが目印のシク教徒、という方なので、クンダリーニヨガには大変理解があります。「インドでは軍隊のトレーニングにも導入されているのよ」と、おっしゃっていました。(厳密に言うと、クンダリーニヨガはシク教とは分けて考えるべきなのだそうですが、創設者であり、カルト教祖化した指導者故・ヨギ・バジャンがシク教の伝統に基づいてクンダリーニヨガの体系を作り出したことは事実です。)参考記事:「クンダリーニヨガが生まれた町」先生:「本当はクンダリーニ専門の先生について習うのがいいんだろうけど...でも、いないのよね、この辺には。」私:「いくら好きでも、車で片道1時間近くかけてヨガに、なんて無理ですよー。」そうなんです。きちんとしたクラスか、個人指導の形で、先生から直接教わるのがベストっていうのはよ~くわかっています。でも...ひとつだけ問題が。それもとびきりの大物が。私の住む街で、クンダリーニヨガを教えている人っていうのは、十中八九、ヨギ・バジャンが作った宗教団体3HO(Healthy, Happy, Holy Organization)の信者なんですよね。ヨガ教室のHPを見れば、独特の名前といでたちで簡単にわかります。しかも、この街には特に比較的階層の上位にいる、要するに金と力とを握った教団の幹部たち(ヨギ・バジャンの遺族含む)が集まっているらしいです。そうしたハードコアな信者達でがっちり固められたようなヨガ道場/教室にふらりと迷い込み、「クンダリーニヨガ、いいですよね~♪」なんて腑抜けな態度でいては、資金集めと勧誘にかけてはプロ中のプロといった凄腕信者にあっという間に取り囲まれ、洗脳されて、有り金次々と差し出してしまうかも...。ここまで極端なことにはならないとしても、それでも、「これはイイ!!! ---> 信じやすい」という行動パターンに陥りやすい、のぼせ屋な自分は普通の人の二倍は警戒した方が良さそうです。触らぬ神にたたりなし。...多少の怪我のリスクはあるにせよ、クンダリーニヨガに関しては、YouTubeとDVDだけで自学自習することにします。初級者なんだから、スローで行けよスローで!!!と、常に心しながら行けば大丈夫でしょう。そうそう、上に挙げた「Acu-Yoga」の本もあったっけ。本屋さんでクンダリーニヨガの理解に役立ちそうな本をいろいろ探した結果、唯一、これだけがターバン頭&白装束に身を包んだ、わかりにくい名を名乗る西洋人の写真を乗っけていない教則本でした。他のクンダリーニヨガ本と違い、ここにはヨギ・バジャンへの「教祖愛」も、宗教臭さも、一切無し。題名の通り、ツボ・経絡といった指圧の考え方とヨガとを組み合わせた、期待を大きく上回る良書でした。(※おことわり:特定の宗教を信仰し、その宗教に特有な服装をする人々に対しての上の書き方、失礼極まりない表現だってことは百も承知しております。個人の主義信条や宗教を理由に、差別し、蔑もうとする意図は全くありませんので、どうかご理解ください。ただ、申し訳ないのですが、上で書いたような、ターバン&白装束で固めた非インド系信者の皆さんの姿、エネルギー的にどうしても受け入れ難いものを感じてしまいます。自分の身体にとっての「異物」という反応しか出て来ないんです。お一人お一人と接してみれば、きっと、優しくて人間的に好感の持てる3HOの信者の方だって大勢いらっしゃるのでしょうが。「うわっ、ダメ!」というこの強烈な違和感は、「そっちへ絶対行っちゃダメだよ!」という一種の危険信号なんだと思います。無視するわけにはいきません。)う~ん。宗教色100%フリーで、懇切丁寧にクンダリーニヨガを教えてくれる先生、どなたかいませんかね。うちの近くに。ちなみに、一番上のYouTube動画で行われているクンダリーニヨガのウォームアップ部分は、ほぼこちらに紹介されている一連の流れを踏襲しているようです。独習される際の参考となさってください。【送料無料】クンダリーニヨーガ [ シャクタ・カー・カルサ ]
2013.10.18
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以前、こちらで「おすすめ」として紹介した、アメリカ人臨床心理学者のLinda Martinez-Lewiさん(Ph.D)のサイト・The Narcissist In Your Life(身近なところにいる、自己愛人間)。【送料無料】Freeing Yourself from the Narcissist in Your Life [ Linda Martinez-Lewi ](すみません、本は買っていないんです...もっぱらブログの方、愛読しています。)アーニー(Ernie)さんと名乗る、中年の男性の方からのコメントです。あまりにも哀しく、そして、感動的な内容だったので、翻訳してご紹介します。原文はこちらです。* … * … * … * …* … * … * … * …* … * … * … * … * …* … * … * … * …* … リンダさん、ありがとう!(以前、違う場所に返信してしまったような気がするので、再投稿します。)この記事は、僕の母親をごく細部に至るまで完璧に描写していました。その母親の子供であるわれわれは、母を主役に展開するドラマの、単なる小道具にすぎませんでした。お察しの通り、僕の母親も身内や友人たちには愛され、尊敬されていた人物でした。よその人に対しては、もっぱら「美しい人」の顔でしか向き合っていませんでしたから。しかし、家での母は、人を操り、都合のいいように使おうとする、いじめ行為の加害者そのものでした。精神も、時には肉体も、母にはひどく虐げられたものでした。僕は母のいじめのターゲットとなった子供でした。ごく幼い時から母親の裏の顔を見抜いてしまい、面と向かってそれを問い正そうとした、というのが大きな理由だと思います。また、母は僕の中に、どこか父の面影を見ていたのかもしれません。何か問題が起こると、決まって犯人にされるのは僕でした。ベルトでひっぱたかれたり、心理的な虐待を受けたりといったことはしょっちゅうです。何ら悪いことをしていないのに、虐待されていました。そんな母を野放しにしていた僕の父親も、母から肉体的に虐待を受けるようになり、遂に家を出て行きました。母は、父が自分の気に食わない答え方をすると、平手打ちで返すようになったのです。それでも母は自分の責任をまんまと逃れたばかりか、逆に、「お父さんは精神に問題があるのよ。だから出て行ったの。」と全て父のせいにしました。これが僕の少年時代を通してずっと続きました。中学時代、僕は児童心理学の専門家のところへ連れていかれました。知能テストでは天才児の領域にも入るような点数を上げたにもかかわらず、学校の成績が振るわなかったからです。面談を終えると、先生は僕の両親だけ自分のオフィスの中へと招き入れ、ドアを閉めました。その間、僕は誰もいない待合室で、ドアの向こうから漏れてくる話し声を盗み聞きしていました。先生は父と母にいくつか質問をし、二人の答に耳に傾けました。すると先生は、僕の母親に向かい、声を一段と低くして「お子さんは、あなたのことを尊敬していませんよ。」と告げ、その理由を説明しました。僕達親子がオフィスを出る時、先生に言われたことで母がどんな反応をしているかが気になり、母の方をちらりと横目で見ました。その表情は、完全なる憤怒以外の何物でもありませんでした。それからの二ヶ月間、僕は、一言たりとも話しかけようとしない一人の女が全てを取り仕切る家の中で暮らさねばなりませんでした。母についての真実を公にしてしまった僕は、裏切り者でしかなかったからです。その日、全てが明らかになりました...これは全て、母の方に問題があるのだ!...と。心理学の先生のところで問題とされたのは、子供である僕から見た母親の姿の方であって、成績不振の僕と、その解決法ではなかったのです。後年、母が死んで、遺品整理のため家を片付けていたところ、あの日、心理学の先生が書いた報告書を発見しました。僕の記憶に間違いはありませんでした...「この少年は、女性に対しマイナスのイメージを抱いている。彼にとって女性とは、威張り散らし、人を操り、嘘をつくような存在である。」と、記載されていました。自分にとっては女性の代表格であった母親。あの報告書は、母親に対して僕が突き付けた告発文、と言っても過言ではなかったかな、と思います。そして、ここからはまさに「論より証拠」といった話になります。母親が育てた4人の子供のうち、1人は企業絡みの悪事に手を染める精神病質者。もう1人は、型で押したような、典型的自己愛人間(自己愛性パーソナリティ障害)。僕を含む残りの二人にも、自己愛的傾向が見られます。個人的な感情を一切脇に押しやって、客観的な目線で両親、きょうだい、そして自分自身を見つめ続けました。その結果、ようやくいろいろなことが理解できたとともに、真実へとたどり着けました。...これは僕にとって、子供時代の傷から回復するための第一歩でもあり、また同時に、自分を癒していくプロセスの始まりでもありました。母が亡くなり、後に残されたのは自己愛的な4人の子供たちだけ。でも、「何一つ欠点が無いのが、私の欠点。」と考えるような人々との間に、正直でオープンな関係を結ぼう、なんて努力は、やるだけ無駄なのです。これは全ての自己愛人間に共通して言えることですけどね。それに、僕の自尊心は本来あるべき健全なレベルにまで上昇して久しいので、これ以上のひどい待遇や、さげすんだ物言いをきょうだいに許すことは今後一切しないだろう、と思います。僕のそうした態度は、他のきょうだいたちにとっては非常に癪に障るようです。彼らの理屈によると、僕は本当のことをしゃべったばかりか、「いつまでも悪いことばかり覚えていて、そこにとどまり続けている」ことから、「毒になる」兄(弟)、なのだそうです。妹たちは、未だに亡くなった母のことを理想化し、ロマンチックな人物像へと仕立て上げていますが、僕に言わせりゃ狂気の沙汰でしかありませんね。【送料無料】毒になる親 [ スザン・フォワード ](「子供時代、あまり幸せじゃなかった」と感じる方、「家族みんなで楽しく笑い合った思い出が浮かんでこない」という方、一度こちらの本をお読みになってみてはいかがですか。ひょっとしたら、その理由がみつかるかもしれません。初めは辛すぎて、なかなかページも進まないかもしれなせんが...。)「毒」同然の扱いを受けている僕ではありますが、素晴らしい女性と結婚して既に24年目を迎えました。二人の子供も無事成長し、今、充実した大学生活を送っています。僕にとって、人生のお手本となってくれるのは、自然です。毎日、「無条件の愛」がどんなものかを身をもって教えてくれる、我が家の愛犬たち。厳しい条件にありながら、立派に成長し、美しい花を咲かせてくれる植物。長い人生の中で幾度となく雷に打たれ、風雪にさらされて枝を折られながらも、それでもなお高く、古く、そして賢くなろうとする、樫の老大木たち。自己愛人間の母親に人生を左右された全ての人が、どうか平和を見出せますように。* … * … * … * …* … * … * … * …* … * … * … * … * …* … * … * … * …* … 【送料無料】シック・マザー [ 岡田尊司 ]人の子の親として、我が身の生き方を振り返り、闇の力(ダークフォース)に呑まれていないか、未消化の怨念や怒りといった黒い感情をそのまま子供に丸投げしていないか、冷静に観察することって大事ですね。これ以上、子供たちの魂を傷つけないためにも。これ以上、哀しい大人たちを世に送り出さないためにも。
2013.10.13
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NAVERにて、面白くてためになるまとめ記事の数々を執筆していらっしゃるayafuyaさん。コメントに「あっ、そうか!」と気付かされた点がありましたので、改めて記事の形でお返事を書きますね。>笑いが不足ってすごく分かります~!>私も、生真面目すぎてマズイ…と思った時は、意図的にお笑いの動画を見てますよ。生真面目すぎる時って、「~たらどうしよう」ってな恐怖心とか、その恐怖心を必死に抑え付けたいあまりの「~ねばならない」といった意固地さとか、とにかく首から上に良くないエネルギーが集中し、にっちもさっちも行かなくなっている状態、だと思いませんか?個人差はあるのでしょうが、少なくとも、私はそうです。胸(ハート)も開かない。というか、エネルギー自体、流れ込んでこないので、閉じたまんま。そして、腹に代表されるような、おへそから下の部分にも、やはりエネルギーが流れていかない。そんな時は、大抵、PCの前に座って、じーーーーーっと同じ姿勢で凝り固まっていたりするのですよね。(だから首も痛くなるし、肩こりにもなります...。)そこで、エネルギーの「頭でっかち」というまずい状態を最も手っ取り早く解消できるのが、「笑い」なんですよね。声を出して「笑う」という動作をするためには、腹の筋肉を総動員しないと無理です。「うわはっはっはっは...」と、バカ笑いしている時、お腹をピクリともさせずに首から上だけで笑うなんて、できませんよね?絶対、無理、無理。この、岡山の笑いヨガ(ラフターヨガ)の先生が詳しく説明してくださっているように、「息を吐く」ということは身体の中にたまった澱んだエネルギーを外に出すってこと。吸う息の質を良くするためには、まず、しっかりと息を吐ききることから始めなければいけません。笑いヨガに限らず、どんなヨガでも(きちんとした先生であれば)クラスの中で教えてくれるはずです。「~ねばならない」「~したらどうしよう」の不健全な思考のループに囚われてしまった時、その鎖をガッ!とぶった切って、エネルギーを全身に回すのに一番簡単で、しかも自分も周囲も一緒に気分良くなれる(=ハートが開く、ということですよね。)方法、それが、「声を出して笑う」なんだ~...。体調や年齢を選ばずに、誰でも気軽にその恩恵にあずかることができるのが、「笑い」の素晴らしいところだと思います。先生ご自身の、身内の介護という辛いご経験が、笑いヨガという形で見事に実を結びましたね。ayafuyaさんのおっしゃる通り、>それも皮肉の効いた「頭のイイ」笑いじゃなくて、できるだけクダラナイのが一番最適!>自分が一人悶々とナンダカンダ小難しく考えている事全てがバカバカしくなるので…^^;くだらなければくだらない程良し、って、とてもよくわかります。その通りですよ!「頭のイイ」、小利口タイプの笑い(ウィットが利いた、という表現が似つかわしいもの。)だと、口元だけが「ふふん。」とちょっとゆるむ程度で、腹の筋肉が仕事するところにまでいかないんですよね。そう。口元だけじゃ、ダメ。美容院でシャンプーしてもらう時、「かゆいところはございませんか」と聞かれて、答えが一人ひとり違うのと同じで、何が笑いのツボとなるかも、やはり一人ひとり違うはずです。ドリフは大好きだけど、吉本系は全然、とか。(←それは私。)動画でも、マンガでも、落語のCDでも、とにかく「これだけは百発百中なんだ~!」と100%頼り切ることができるような笑いの素を持っている人は、強いっ!って思います。ピンチを乗り切るための武器は多いに越したことありません。私の場合、思いつくままに挙げてみますと...。んも、これ、「最高!」としか言いようがありません。やはりビートたけしさんは天才ですね。あわれご主人...。さんま、今年は高いんだからわがまま言わずにありがたく食べなさいよ。「世界一ダサい~」の動画は他にもたくさんありますが、これに勝る作品は出ていないのではないか、と思われます。婦女子が喜ぶ、懐かしのイージーリスニング仏人ピアニスト・リチャード・クレイダーマンを彷彿とさせるような男性歌手。【送料無料】星のセレナーデ(初回生産限定) [ リチャード・クレイダーマン ]...40代以下の人、知ってます?昔、ピアノを習っていた頃、ベートーベンなどのドイツロマン派・重厚タイプのクラシック音楽が好きな先生に無理を言って、「渚のアデリーヌ」とか、「星空のピアニスト」といった、キャッチ-な曲ばかり選んでちゃらりちゃらりと弾かせてもらったこと、たった今思い出しました。(先生、ごめんなさい...。)しかし、なぜ彼はフランス人なのに「リシャール」と名乗らないのでしょう。仏語履修者が多かった学生時代の友人たちと大真面目に話し合ったことがあるのですが、結論は出ませんでした。女性の方、こちらは時代的に言っても映画「グリース」の、いい子ちゃんバージョンのオリビア・ニュートン・ジョンを意識しているのかと...。そして、「自分のために書くブログ」についてですが...。>そうですよね~。好きな事書いて自分のために「うまく利用」できれば一番イイと思います☆一種のリハビリみたいなものでしょうかリハビリ的効果、大いにあると思いますよ。リハビリの更に上行く、「自己セラピー」だと、個人的には信じております。私のように、アメリカの平和な住宅地で、車に乗って子供を送り迎えしたり、買い物したりといった変化の無い「ただのおかーさん」としての毎日を送っていると、「面白いこと」は生活のひとコマというよりはむしろ、「読んだもの」「学んだこと」「感じたり、考えたりしたこと」といった【頭】の分野に偏りがちなんですよね。今のところ、わざわざランチ代と時間(と、作り笑顔。)とを捻出してまで交流を深めたいような面白そうな人も、生活圏内にはいませんし。そりゃ、いたらラッキー♪でしょうけど。まぁ、残念ながら今はその兆しも無いので、しゃーないか、と、日本にいる友人との旧交を温めつつ、半・隠遁生活ならではの贅沢な一人遊びを存分に楽しんでおります。そんな生活で出くわした「あ、この本、面白い...。」「そうか、こういう時って、こんな反応に出がちなんだな、自分...。」「なんかそそられるぞ、このニュース記事...。」一瞬のうちに心を横切っていく、小さな発見や感動。文字でつかまえないと、全部そのまま流れていってしまうんですよね。水のように。自分以外の人にはほとんど顧みられないような日記/ブログを書く、という、一見不毛な行為。私にとって、それは、水のようにあっという間に流れ去ってしまう小さな発見や感動を、文章の形にすることで氷/固体へと変えて、後からゆっくり触れるようにしたり、時にはノミを振るって彫刻作品へと仕上げてみたり...という、一種の創作活動、です。ただ流れるに任せていてはわからなかったこと、気付かなかったことでも、文字という氷/固体の姿で改めて見直してみると、自分なりの結論が浮かび上がってくる。「書いてみてよかった。」ってしみじみと感慨にひたれる瞬間です。>書いてるうちに、段々と気持ちが整理されることもありますよね。そう、それです!以前、こちらのブログで取り上げました、シェリー・ディラードさんの本。【送料無料】タイプ別超能力開発法 [ シェリー・ディラード ]私は「知的直観タイプ」が一番強いのですが、このタイプに一番お勧めとされているのが「自動筆記」(automatic writing)というトレーニング法なのですよ。とにかく、自意識を入れずに、書いて、書いて、書きまくる。書き終わったら、一息ついたところで、その内容をじっくり読み返す。直観が伝えてくれるものを、高速ダウンロードして、保存するって作業ですね。自分とはとても相性がいいようで、この方法で得られた情報には結構助けられています。二十代の頃から誰に教えられずとも、自然にやっていました。>(かといって、人っ子一人見てないとそれはそれで寂しいものもありますが…^^;)。そうなんですよね(苦笑)。「誰にも読まれなくたっていいや」なんて、前回粋がってみたものの、実は嘘ついてました。正直に認めます。だって、本当に誰にも見られなくてもいいんだったら、何も一般公開の形をとらなくってもいいですもんね。ホント、虚栄心という奴は、いつまでも私の心に居座る、ダイハードな牢名主みたいなもんだよなぁ...。(ため息。)>「ほめノート」 http://homediary.net/ や中山庸子さんの「夢ノート」っていう本がありますが、ああいう使い方もいいなと。へぇ。そういうのが出てるんですね。面白そう。ルイーズ・L.ヘイのアファメーションを思い出しました。頭でっかちになっている自分に気付いたら、素早くスイッチ切り替えて腹の筋肉を動かす。深呼吸をする。笑う。身体を動かす。お風呂でくつろぐ...といった具合に。そのスイッチの入れ時を逃さないためにも、少しペースを落としてゆっくり生きるっていうことが大切なのでしょうね。ありがとうございました。素敵な週末をお過ごしください☆
2013.10.11
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何もしなくてもいいのです。...笑うこと、微笑むこと以外は。一回でも、二回でも多く笑い、笑顔になる機会を作り出してごらんなさい。他には何一つ努力して引き起こす必要はありません。今、あなたが思いつくことといったら、「何をしたら良いだろう?」「これをやった方がいいんじゃないの?」と、全て頭=エゴ(Ego)の部分が苦労してひねり出す、お粗末なプランばかり。無理して実行に移しても、うまく行きません。そこには何の満足もありません。骨折り損のくたびれもうけ、です。だったら、放っておきなさい。その分、一回でも、二回でも、笑いなさい。笑顔になりなさい。そういう状況を自分で工夫して作りなさい。まずはあなた一人から。そして、周りの誰かと一緒に。それ以外、何一つ頑張る必要はありません。...家の片付けぐらいはもうちっと頑張った方がいいんじゃないかな、って気はしますけど。こちらは、本日、私の専属ガイドさんからダウンロードした一言であります。お気に入りの瞑想場所・我が家のバスタブの中にて受け取りました。文字にして読み返しても、今の自分に向けた、実に的確なアドバイスとなっています。すごい。あ、ガイドさんって言っても、バスガイドさんじゃないです。(←選挙のウグイス嬢と並んで、一度やってみたい仕事です。もう「嬢」って名乗るには無理があり過ぎですが...。)スピリットガイド。日本風に言うと、守護霊・指導霊、です。水のあるところ、家の中だとお風呂や洗面所。そういったところではスピリットガイドの声が届きやすい、と、私の大好きなエネルギーヒーラー・マリー・マヌチェリ(Marie Manuchehri)さんも、日頃からおっしゃっています。11月にはワークショップでまたお目にかかれるので、今からとっても楽しみです。もちろん、自然の水がたっぷりあるところなら、別に自宅のお風呂でなくたっていいのです。海、川、湖。行くだけで心洗われるような場所に腰を下ろし、一人静かなひとときを過ごすことができるならば、それが一番の贅沢ですよね。それが無理、という人は、とりあえずお風呂グッズに投資して、ゆっくり本や雑誌でも読みながら、誰にも邪魔されない至福のバスタイムを過ごすとしましょう。良質のバスソルトは欠かせませんよね。(クナイプ、ちょっとお高いのですが、大好きなんですよ...。)クナイプ バスソルト ユーカリ / クナイプ(KNEIPP) / 入浴剤 バスソルト☆送料無料☆クナイプ バスソルト ユーカリ(850g)【クナイプ(KNEIPP)】[入浴剤 バスソルト]【送料無料】COSTCO/コストコ/通販/KNEIPP/クナイプ/バスソルト/入浴剤/生活雑貨★即納★【COSTCO】コストコ通販【KNEIPP】クナイプ バスソルト 500g×3Pセット(ユーカリ/ハッピータイムアウト/アルニカ)↑日本のコストコではクナイプ3点セットが売っているんですか!!!い、いいなぁ!!!アメリカではクナイプは値段が高すぎるせいか、一部の健康マニアにしか知られていません。ここんところ、ちょっと肩に力入り過ぎて、「~でなくてはならぬっ!(意固地!!!)」「~は全部ダメなんだっ!!!(度が過ぎた独立独歩!)ってな感じの、白黒思考に陥っていたようです。確かに、笑いがちょっと不足気味でした。くそ真面目な顔ばかりしてました。堅苦しいのは、こちらのブログだけじゃなかったのです。生活のあらゆる面で、いろいろな思い込みと思い込みが衝突して、身動きが取れなくなっていたんですね。(でも、この前までのトピック・一連の【自己愛人間】シリーズは、自分の暗闇部分との間に交わした、「逃げないぞ~、目を背けないぞ~」っていう約束を果たす、という意味で、どうしても書かずにはいられなかったんですよ。ただでさえ少ない読者を失うことなんて、百も承知《笑》でした。だから後悔はありません。ま、ブログなんてそもそも他人様のために書くもんでもないですしね。自分が書きたいから、自分のために書いているだけ。)それにしても、口でキレイごと言おうが、文章でえらそーに大演説しようが、身体は本当に正直に現状を把握していますね。絶対に嘘をつかないんですよ。この知性をばかにしてはいけません。この前の土曜日のこと。晴れ渡って気持ちの良い朝、まだ客の少ないスーパーの駐車場で車を停め、ぽかぽかと日の差す運転席で瞑想していたところ(←これ、たった一人で集中できていいんですよ。家だと、邪魔が入ったり、「暴れん坊将軍」を家人が家中に響く大音量で見たり...、と、瞑想とは程遠いカオスになりがちでして...。)いつの間にか居眠りしてしまいました。目覚めていたら首~肩にかけての部分がイテテテ...な状態になりましてね。いわゆる寝違えです。ほんの30分程しか眠らなかったんですけどね。お恥ずかしい...。丸二日間、首を回すこともままなりませんでした。運転、特に高速道路での車線変更の時にはとても気を使いましたよ。その後、愛用のタイガーバーム・Extra Strength(日本の市販品よりも強力なようです。)をべたべた塗りまくったおかげで、月曜朝までには痛みも引きました。あーよかった。タイガーバーム様さまです。家族には「くさ~い!」と、散々嫌がられましたがね...。米出版界の大御所であり、ご自身もベストセラー作家として有名なルイーズ・L・ヘイ女史の説によると、首の痛みっていうのは、柔軟性を欠いた頑固さのあらわれだとか。納得です。迷ったら、笑顔と笑い声のある方角へと進め。それが幸せへの早道だ。...新しいことに挑戦する時も、人付き合いで悩んだ時も、これからはこの言葉に照らし合わせて賢明な判断を下していこう、と思います。いいこと教えてもらいました。ということで、今日は「めめたん」でも読んで、夜はさっさと寝ることにしましょう。そもそも、深夜にいつまでもダラダラネット遊びに興じているから睡眠時間が不足し、瞑想しようと座ってもすぐに居眠りして首を寝違える、なんてマヌケなことになるわけで...。【送料無料】こども刑事「めめたん」 [ 森山一保 ]今年の初め、iPod Touchを手に入れた時にたまたまダウンロードした無料4コママンガなんですけど、めめたんの愛らしさと、トホホな笑いの落としどころとに、すっかりはまっています。iPhone、iPad、iPod Touchの方は、iTunesからどうぞ。https://itunes.apple.com/jp/app/id425922457?mt=8https://itunes.apple.com/jp/app/memetan2/id472896822?mt=8https://itunes.apple.com/jp/app/memetan3/id550975731?mt=8アンドロイド版もありますよ~。もちろん、こちらも無料。https://play.google.com/store/apps/details?id=memetan.android.com.activityhttps://play.google.com/store/apps/details?id=memetan2.android.com.activityhttps://play.google.com/store/apps/details?id=memetan3.android.com.activity「西部警察」「太陽にほえろ!」「噂の刑事トミーとマツ」(←これだけちょっと系統チガクナイ?)など、取調室のアルミ製電気スタンドとカツ丼とが良く似合う、古き良き昭和の刑事ドラマと「テレタビーズ」の両方が大好きな人なんて、世の中広しと言えどそうそういないだろうよ、ふっ...、なんて思っていたら、なんと、いたんですね~。作者の森山一保さんっ!お目にかかったことは無いのですが、私、ソウルメイトの赤い絆を感じてしまいました。(←それ、森山さんには大迷惑だと思うよ...。)単行本のみ収録の、アフロヘアーでお馴染みの、あのインド人聖者ネタ、大受けしちゃいました。子供にはちんぷんかんぷんだったみたいですけど。(そりゃそーだ。)あと、ボディビルジムが舞台となった「筋肉児童 マッスルめめたん」(実はシリーズ中では一番好き)も、単行本でしか読めません。気になった方、ぜひぜひ本をお買い求めくださいまし。心が和み、顔面ゆるゆるになること請け合いです。
2013.10.09
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元早稲田大学教授であり、心理学・精神医学のエッセンスを随所に取り入れた人間哲学を説いていらっしゃることでおなじみの、加藤諦三さん。本来のご専門は社会学ですが、大学をお辞めになった今となっては、もはや「生き方指南」の専門家、とお呼びする方がしっくり来るかもしれません。みなさんも、一度はお名前をどこかで目にしたことがあるのではないでしょうか。書店やコンビニの店頭には、加藤さんが執筆した文庫本や、廉価版のお買い得な単行本(500円シリーズ)がずらりと並んでいますし、雑誌記事だってたくさん書かれていらっしゃいます。また、現在もニッポン放送(ラジオ)の人生相談コーナーのレギュラー回答者のお一人として活躍中です。たまたま乗ったタクシーの中でラジオを聞いた、なんて方もいらっしゃるかもしれませんね。下の著書を読んだことは、既にこちらのブログでも書きました。【自己愛人間】と出会い、彼らが放つ、毒のたっぷり効いた一言をまともに食らってしまった方。その結果、自己を卑下したり、人間不信に陥ったり...といった心の闇を体験された方。そうした方であれば、あの頃の惨めだった自分を振り返りながら、相手へのほろ苦い思いと共に、何度も頷きながら読める一冊ではないかと思います。【送料無料】ささいなことで傷つかない人の人間関係 [ 加藤諦三 ]ネット上で加藤さんの著作やインタビューなどを探していたところ、YouTubeで、こんな会話を発見しました。タイトルでぐぐっとそそられてしまった方は、ぜひ聞いてみてください。文化放送・「大竹まことのゴールデンラジオ」2012.4.13放送の回からの抜粋だそうです。加藤さん、大竹まことさん、そしてこれは恐らく(金曜日の放送なので)作家の室井佑月さんだと思うのですが。(加藤さんが「室井さんが...」と途中でおっしゃっているように聞こえます。)とにかく、このお三方がそれぞれ正直に、あまり正面切っては語りたくないような本音を吐露してくださったおかげで、非常に中身の濃い話となっています。いや〜、この手の話を平日お昼過ぎの、のどかな時間枠でやってしまうとは...。これ、ラジオだからできること、ですよね。高校生が放課後の部室でジュースでも飲みながらボソボソと人生について真面目にしゃべくっているような、そんな密な雰囲気があって、好きだな〜。(スタジオという、少数の人しか入れないような閉じた空間がそうさせるんでしょうかね。)「人に好かれたいという病気は、現代のペストである」という加藤さんと大竹さん二人のコラボによる定義、ずしん...と響くものがあります。なぜって、加藤さん、大竹さんと同じで、私自身も「人に好かれたい病」患者の一人を自認しているから。日本に比べれば対人間のしがらみがはるかに少ない国・アメリカで暮らしているおかげで、大分快方へは向かいつつあります。でも、残念ながら、まだ100%完全に解放された、という境地にまでは至っていません。日暮れて道遠し、です。「【ミンナ・ナカヨシ教】の教えに背く奴は、悪。」と叩き込まれて育った、日本生まれ・日本育ちの人間ならば、かからない方が難しいっていうのが、この「人に好かれたい病」。一度本気で取っ組み合いをして、見事克服するか、それとも逆に呑まれてしまうのか、白黒はっきりつけようとしない限り、日本人コミュニティ(子供の日本人学校など)と接した時に味わう居心地の悪さは、いつまでも私の奥底に付いて回ることでしょう。負けるもんか。時間はかかっても、何とかこの厄介な病とおさらばして、相手が日本人だろうが外国人だろうが、常にマイペースで涼しい顔して過ごせるようになるぞっ。よしっ。下に引用したのは、特に私が「いいな」と感じたセリフの数々です。あ、一部の語尾や言い回しなどは、ラジオでの喋り言葉を忠実に再現せず、読んで意味が通り易いように変えたこと、予めお断りしておきます。 「人になんか、好かれても嫌われてもいいんですよね。 それは大した問題じゃないですよね。 自分の信念、自分のやりたいことを塞(ふさ)ごうとする人がいたら、 やっぱりそれはどけなくちゃダメですよね。」(大竹まことさん) 「人に好かれようとすると、自分の本音を押し殺して、 我慢する。 我慢ばかりしていると、しまいには相手のことが嫌いになってくる。 相手が嫌いだということを隠そうとすると、 だんだん周りに好きな人がいなくなってくる。 で、自分のことも嫌いになりますから。周りの人だけでなく。」 (加藤諦三さん) 「自分のやりたいこととかをやっていると、 そこで初めて不安が消えるわけですよ。 安心。 安心を持ったら、人間は強いですよね。 もう、要らないもん。金も、名誉も。権力も。 ...でも、不安だったら、〔室井さんが〕まさにおっしゃっている〔通り〕、 人に優位に立たなきゃ生きていけないですもん。」(加藤さん) 「正義感に二つあると思うんです。 本当の正義感。 と、もう一つは、憎しみが正義の仮面をかぶって登場してくる。 人間の憎しみってのはですね、変装がうまいんですよ。 ...だって、人に対しての憎しみを憎しみとして表現したら、 嫌われちゃうもん。 (...)正義を持ち出すと、相手を責められるんですよ。」 (加藤さん) 「自分に正直に生きることです。 これも真意を理解してもらいたいのですが... 人に嘘をついても、生きていかれます。 だけど、自分に嘘をついたら、人生行き詰まります。」 (加藤さん)人に嘘をついて、要領良く「世渡りの上手い人」として生きることは、物理的には可能、です。望ましいかどうか、本人が幸せかどうか、それは別問題ですけどね。残念ながら、ズルい人は世の中にいます。実際。人が泣こうが、悲しもうが、「してやったり」ってな顔して、まんまと人の手柄を盗んでいくような良心の欠けた人、本当にいます。意識してそれをやっている人もいれば、「自分は善人。」と思い込む、「左手のすることを右手が知らない」タイプの無自覚なズルい人も、います。でも、自分に嘘をついたら、遅かれ早かれ、どこかでつまづく時が来る...と、加藤さん。自分に嘘をつくってことは、結局、自分以外の他人にも同時進行で嘘をつかないと、色々なことが辻褄合わなくなりますからね。嘘・嘘・嘘だらけの人生になるしかないんですよ。どっちを見回してみても「真実」「本物」が見当たらないような人生が、いつまでも順風満帆で行くわけがありません。いずれ行き詰まる、でしょうね。こちらの「ワンコインシリーズ・愛蔵版」(税込500円)も、時間のある時に手にとってはちょこちょこと読んでいます。【送料無料】いじめに負けない心理学愛蔵版 [ 加藤諦三 ] 「人から騙された体験を持つ人は、 まず自分の劣等感と淋しさを反省することである。 ずるい人は、あなたの劣等感と淋しさをかぎわける達人なのである。 そしてあなたをロボットのように言葉ひとつで操る。。 ロボットを動かすには電気代もかかるが、あなたは電気代もかからないで ロボット以上によく動く。」 (「いじめに負けない心理学(愛蔵版)」 加藤諦三、PHP研究所、2012、p.113)上の引用を読んでドキッとしたあなた。あなたのような人には、特によく効く「苦いけど、良い薬」だと思いますよ。...苦いから、私も一回につき少しずつしか読めません。一気に読破するタイプの本ではないな、と、個人的には思います。著者の加藤さんご自身もそのような読み方はあまり期待されていないでしょう...っていう気がするんですけどね。人生論的な要素が強いご本ですから、パッと目についたり、妙な引っ掛かりを感じたりしたところからかいつまんで読んでいけばいいんじゃないでしょうか。「頭も、心もフル稼働させた上で、左手のすることをしっかりと見届けようと努める」右手の持ち主でありたいんですよ。嫌なこと・聞きたくないことから目を背けて逃げることも、極力したくありません。それは、自分が抱えている現実に対して「嘘をつく」ことだ、と思うからです。嘘はつきたくありません。真正面から問題を見据えて、根気良く退治していくこと。心の平安へと到達したいのなら、そうした地道で時間のかかる作業を一つ一つ片付けていくことが、結局は一番の早道となるのではないでしょうかねぇ。そっ。王道なんか無い、ってことですよ。
2013.10.03
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その3からお読みになってくださいね。「フレンドは、教師養成マニュアルの中で長々と哲学について述べた上で、ヨガがスピリチュアルな側面に及ぼす影響は、身体面に及ぼす影響よりも重要だと主張している。デイル・カーネギーの著作や、いかにもアメリカ発の自己啓発本が元ネタ、という感じの言い回しと、ヒンドゥー哲学からの言葉とを同等に使いながら、読者に向けて自分の意図するところを訴える。」「全てのハートが自然と開き、みんなが元気になり、自己愛で満たされる、あの魔法の場所へと生徒を導いていかねば。それが指導者たる我々の務めだ。」(Yoga Mogul, by Mimi Swartz, New York Times Sunday Magazine, July 25, 2010)あらら...。「自己愛で満たされる(filled with self love)」と来ましたね。魔法...自己愛...どーも、最近どこかで聞いたような...。誤解があっちゃいけませんので、大急ぎで言いますよ。健全な、節度ある自己愛 は、生きていく上でとても大切です。必要です。私自身、この数年間で大いにそれを痛感してきました。それは、【自分にYes!しか言わない】、そして、自分が見たくない、嫌な物/人には【No!しか言わない】タイプの、【自己愛人間】に付き物の幼稚で不健全な自己愛とは、違います。その区別すらわかっていないのに、生徒に「自己愛で自らを満たせ~」なんて説教するヨガ指導者は、実に困った存在だ、百害あって一利なし、と、私は考えます。ヨガをやっている方、こんな思いを巡らしたことはありませんか。《今日よりも明日、明日よりも明後日...ってな具合に、少しずつでもいいから善い人間になりたい。だから、少しでも邪心を減らせるよう、ヨガで心と身体を浄化させよう。でも、自分の中には、どこか人と自分とを比べては優越感を持ったり、はたまた逆に持たなくても良い劣等感を不要に長引かせたりするところがやっぱり残っている。ひょっとしたら、永遠に消えることは無い...のかもしれない。う~ん...自分、まだまだダメだなぁ。No、だ。でも、ダメダメダメ...って、自分の至らないところを責め過ぎるのもどうかな。だって、自分の中に「ダメなところ」がひとつも無くなったら、次に取り組むべき目標も無くなってしまうから。ダメだと感じるところにもそれなりに意味があって、役に立ってくれているのかもしれない...うん、やっぱりYesにしとこう。》Yesに揺れ、Noに揺れる。いつまでも、ウダウダと。でも、やっぱりYesだよ!そうだ、Yes!で行くしかないんだ!ネガティブとポジティブが二つあったら、意識してポジティブを目指すしかないんだ!...と再度、決意も新たに一歩前進したたところ、何者かの力によってふわっと存在のレベルが更に一段高い所へと運ばれた。そして、よりはっきりと、美しく全体の景色が見えた...。という体験、したことあります?ヨガをやっていると、そういう瞬間って、割とちょくちょく訪れるんですけど。人生もヨガと同じです。「学ぶ」ってこと、「生きる」ってことは、こっちかあっちかで、ウダウダ足踏みーーー>勇気出して前進--->いつのまにか段階が上がって、視野が広くなっていることに気付く--->ちょっとだけ、生き易くなる--->また新たな悩みにぶつかり、またもやウダウダ足踏み...。まるで、永遠に続く螺旋階段のようです。だから、無理に何かを「引き寄せ」ようとしゃかりきになったり、「ネガティブは全て抹殺しなきゃダメ!」なんてポジティブ過剰の、頑張り過ぎてる人になったりする必要もないんです。潮の満ち干と同じで、寄せては返し、また寄せては返す...。慌てず騒がず、ただそんな自分の揺れ動くさまを見ていればいいかな、と。最近はそう思います。(そして、遠くの津波が見えたら、ガッとギア切り替えて、全力で丘の方へ走って逃げる!と。ただボーっとしているように見えて、実はそうじゃないってのがミソ。)Noがあるから、Yesもやって来るのです。光があるから、闇も生まれる。同じことですね。だから、100%【Yes!】しか言わない、自分を甘えさせてくれるような美辞麗句しか言わない精神的(スピリチュアル)指導者や、スピリチュアルな教えには、もう興味ありません。だって、そんな100%Yes!な世界なんて、魔法が全てを支配するようなファンタジー世界にしか存在しませんから。現実の世界には、No!もあるし、BIG NO-NO!だって、掃いて捨てるほど、ある。あって当たり前です。無くせっこないんですよ。そんな有り得ない世界を実在するかの如くに語る「師」なんて、私に言わせりゃ「嘘つき」ですね。ま、2012年初頭のアヌサラ問題の発覚は、「来るべくして来た」結末ではなかったか、と、個人的に思う次第であります。さて。ジョン・フレンドは若い頃アイアンガーヨガを学ぶため、インドまで修行に行っています。難関と言われる講師資格を取得し、一時は北米側でもアイアンガー講師として名の知れた存在となっていたそうです。指導の上手さには定評があるのも納得ですね。基礎はみっちりと学んできているわけですから。私がアイアンガーヨガ専門のSヨガスタジオに行き始めてかれこれ4年。(相変わらずレベルI=初級クラスでのんびり~です。)正直言って、「めっちゃ楽しい!」といった感じのヨガではないです。マジメですしね。それでも、個人的には大変満足しています。おばーちゃんになっても、ショルダースタンド(肩立ち)ができない身体になっても、末永く続けるつもりです。アイアンガーって、アヌサラの【Yes!のヨガ】とは逆で、簡単に【Yes!】って言わない、つまり、大変だとか、厳しいだとか、要するに上でジョン・フレンドが批判しているような「しんどい~。つまらん~。」な要素を排除していない、ある意味、とても現実的で、地に足が着いたヨガのスタイル、だと思うんですね。アイアンガーは、「あんなこともできます。こんな素晴らしいこともあります。」という、約束を連発しない。余計なことは言わない、寡黙でストイックなタイプのヨガなんですね。生徒を過度におだてていい気分にさせたり、なんてこともほとんどしません。したとしても、せいぜい、”Good job!”の一言程度。生徒のエゴを無駄に増長させるようなことも無いです。だから、【素晴らしい私/俺様をめいっぱい賞賛してもらいたい!】という欲求が人一倍強いジョン・フレンドには、さぞや面白くなかったことでしょう。アイアンガーの指導者資格を取得しながら、結局、自分の流派・アヌサラヨガを立ち上げたのも、アイアンガーヨガの一指導者ではどうしても満たされない部分(金銭欲、名誉欲...etc.)があったから、なのでしょう。それもうなずける話です。ヨガ講師と一口に言っても、いろんな人がいます。勿論、いていいんです...生徒さんの害にならない範囲内でなら。アイアンガーのストイックさを「つまらない」と感じる人もいるでしょう。でも、音楽も、キャンドルライトも、お香も一切無い、学校の体育館みたいに無駄を一切排除したスタジオで、ひとつひとつのポーズに取り組む、アイアンガーヨガならではの時間。私にとっては何にも代え難い、自分との身体とサシで対話する、濃密な時間であります。家で練習するのとはまた違った独特の魅力があるんですよね。それは、「うわー、これもできない、あれもできない。」という、自分の身体の限界を嫌と言うほど思い知らされる時間でもあります。そんな時、人はどうしたって謙虚にならざるを得ないんですよ。(家で練習する時って、どうしても好みのポーズを含むシークエンスに偏りがちなんですよ。苦手を避けて、楽な方、気分いい方、へと流れがちになります。)限界を発見し、真正面から向き合わねばならないあの時間が、もう、嬉しくって、楽しくって。スポーツ・体育系と無縁の人生を送ってきた人間にとっては、これが実に新鮮です。だって、限界があればある程、それをひょいと超えた瞬間に喜びも生まれますから。Yes/Noの間を行ったり来たり...ウジウジしていたら、ある時ひょいっと持ち上げられて、レベルがひとつ上がって、「うわっ、できる!」へ到達した...まさにその喜びなんですよね。人生と同じです。そう。「きつい...」の先に喜びが待っているかも~?と思うことで、練習も楽しくなります。いつ喜びがやってくるかはわかりません。ひょっとしたら、来ないかもしれない。でも、いつの日にかきっと私のところにやってきてくれるはず...。その瞬間が来ることを信じていられるから、続けられます。というか、続けたいのです。ヨガを。先生が「あれもできる!これもできる!君はやれる!」といくら横から叫んだって、そんなの単なる雑音でしかありません。先生の願望を、こっちに勝手に投影しないでよ、って反論したいです。黙っててくれた方がはるかに親切というものです。自分の身体の声を聞きたいのに、うるさくしないでよ、って思います。ヨガも、人生も、【No】にぶち当たるからこそ、小さな【Yes!】を得られた時の喜びをたくさん体験できるんです。【No!】の部分に蓋して、「なかったことにしちゃう」ヨガなんて、考えられませんよ。そんなの、ヨガじゃない...と思います。「ヨガ風味を加えた、お手軽スピ系☆ポジティブセラピー」に近いんじゃないですかね。...うーん、要らないなぁ、そういうの。先週末開催されたヨガフェスタ2013の講師陣の中に、GORI宮下先生の名前を発見。「あ~、一度取り上げなくっちゃ!」と思ったので、今日、ヨガ話のどさくさに紛れて、おすすめの一枚(+一冊)をご紹介しましょう。「なんちゃってヨガ」ではない、正真正銘の「ホンモノ」です。【送料無料】今日から始めるインヨガ [ Gori宮下 ]夏に日本に里帰りした時に買ってきたインヨガ(陰ヨガ)の教則本+DVDなんですが、も~、こんな優れた教材が1500円出してお釣りが来ちゃうだなんて、日本は何て素晴らしい国なんでしょうっ!間違いなく「買い」です。ハァハァ。(鼻息相当荒し...)1ヵ月半のブランクの後、バッリバリに硬くなっていた私の身体と、重度の時差ぼけをゆ~っくり、心地良~くほぐしてくれたGORI宮下先生。ありがとうございました!ずっと目をつぶったままでも次の動きがしっかりとわかる、懇切丁寧な指示が素晴らしいです。ヨガ初心者・インヨガ初心者でも安心して取り組めますよ。ぜひお試しあれ!
2013.09.28
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前回の記事 を受けまして、アヌサラヨガというヨガの一流派に昨年降りかかった一大スキャンダルの話を続けます。事情を詳しく知らない人には「コップの中の嵐」にしか見えないような、このアヌサラヨガの内紛劇ですが...誰を 人生の師として 《信頼》 すればよいのか。その人生の師への 《信頼》が裏切られた時、どう行動すればよいのか。といった、「師匠」への《信頼》についての、重大な問題を提起してくれました。精神世界/スピリチュアルな分野に関心を持ち、「師匠」として仰ぐ人物を一人や二人持つ人であれば、決して見過ごせない問題です。明日は我が身、かもしれませんよ。私自身、一応ヨガを学ぶ者の端くれです。十年やっても大して上達していないですが。そして、エニアグラムなどのスピリチュアルな学びの分野において「師」と呼べる人々を持つ者でもあります。また、一時期「引き寄せの法則」でおなじみ、ヒックス夫妻による「エイブラハムの"教え"」なんて〜のにハマり、そして深い幻滅を味わったという黒歴史を持つ人間でもあります。だから、弟子達がこのジョン・フレンドという師匠に対し抱いていた《信頼》が、一気に砕け散ったこのアヌサラスキャンダル、とても他人事とは思えないんですよ。「この人はホンモノ!」と見込んで信頼し、忠誠心を捧げた相手に裏切られた時のショックがいかに辛いかってこと、よくわかっていますから。ヨガ指導者に全くふさわしくない行いを重ねたジョン・フレンドご本人に対しては少しも同情しません。自業自得です。でも、師匠として仰いできた彼に深く失望し、長年親しんだアヌサラヨガに背を向けざるを得なかった弟子の皆さん、そしてそんな流派内の激変に翻弄されたヨガ学習者の皆さん。本当に気の毒でなりません。一番の被害者は彼らでしょう。では、簡単にこのジョン・フレンドという人物の歩みをおさらいしてみましょうか。元々、大学では会計学やビジネスを学んだ彼。金融アナリストとして働く傍ら、様々な流派のヨガを学び、そのエッセンスを吸収。アイアンガーヨガの指導者として活動した後の1997年、彼はアヌサラヨガを立ち上げました。ちょうど、若い女性を中心とした世界的なヨガブームが幕を開けるところ、という、絶妙なタイミングでしたね。時代の追い風にうまく乗りました。ピーク時には「ヨガ界のロックスター」と称される程の人気を博した人物でした。カリスマ指導者の呼び名にふさわしく、集客力も抜群。正にアメリカのヨガ界をリードしていました。...2012年初頭、匿名の告発により秘密が明るみになるまでは。(詳しくは前回記事を参照してください。)英文ですが、全盛期のジョン・フレンドとアヌサラヨガの姿をよく伝えている文章ですので、リンク、貼っておきます。2010年7月25日付・New York Times日曜版に掲載された記事です。“The Yoga Mogul”, by Mimi Swartz 例のスキャンダルに先立つこと約2年前。記事では、「カリスマヨガ指導者」というよりはむしろ、「世界各地を飛び回り、一大ヨガ・ビジネスを率いる経営者」としてのジョン・フレンドが描かれています。「これ、ビジネスマン向け自己啓発セミナーの講師だよ」と言われても、わかりません。記事によると、ジョンさん、目の前の相手が自分の話に引き込まれているな、と判断するや否や、「スイッチON」状態となって、その後は「独演会」よろしく喋りまくっていたそうです。【自己愛人間】の可能性が大、ですね。顕示型というよりはむしろ、自分を超えた何者かに吸い付いて、そこからエネルギーを得て、【やっぱり俺はすごいんだ】と、回りくどいやり方で自己愛を満足させる【隠れ自己愛】っぽいかな、という気がします。きっと、彼にとっては「スピリチュアルなヨガ指導者」の顔が隠れ蓑、なんでしょう。(今度から、【隠れ自己愛】を、【コバンザメ型】って呼ぶことにします。自分よりもでかくて、立派な「何か」に貼り付いて、「どーだ、俺はすごいんだ!」と思い込む、っていうあたりが、コバンザメ的だと思いませんか?)しかしねぇ。ヨガよりもビジネスプランを語っている時の方が熱いだなんて...。いやはや。その辺りから、彼の目指す「ヨガ」は、私達素人愛好家の予想を超えた方向へと進み始めていたのでしょう。騒動の後も、彼は「ヨガ指導者」の顔を捨てませんでした。今なお現役でバリバリ活動中です。事件から1年半程経った今、彼は「アヌサラヨガ」のブランドこそ捨てはしましたが、Sridaivaという 新たなヨガブランドを女弟子と共に立ち上げ、精力的に北米大陸をツアー中です。ううむ。あまり懲りてないみたいですね、この方...。この、New York Times紙の記事を書いたミミ・スワルツさん(Mimi Swartz)という方、Texas Monthly誌で今も編集主幹を務めていらっしゃいます。ジョン・フレンドがまだ無名だった頃、地元・テキサス州ヒューストンの公立短大を会場に行ったヨガのクラスに、筆者のミミさんは一生徒として参加していたんですね。当時、彼女は「どちらかといえば、厳しいとされる流派」(←アイアンガー流でしょう。)のヨガを習っていたのですが、ジョン・フレンドの教え方に接し、大きな衝撃を受けたそうです。(ジョン・)フレンドがジョークを連発しつつ、こちらの度肝を抜くような離れ業をやってのけるあの姿は、私にとってある種の啓示体験だった。あれ、ヨガって...楽しくやっても、いいんだ?当時、フレンドの助手を務めていたのは、元・教え子の、郊外に住む中年女性といった感じの人々が大半だった。ヨガ自体は私が実践していたスタイルと難易度に関しては似たり寄ったりと言ったところだったが、助手の女性たちが身体にタッチしてくれたり、励ましの言葉をかけてくれたりすることで、私の心は落ち着き、やる気も出てきた。あるポーズができなくたって、それはそれ。次はうまくいくかもね、ってことに過ぎないのだ。フレンドは我々受講者をポーズからポーズへと導きながら、やさしい口調で話した。「誰もが心の奥底には神のような性質を隠し持っています。私たちは、内面の善良さを発見し、外へ向かって表現していかなければなりません。そうすることで、世界をより良い場所へと変えていくという、私たちの責務を果たすことができるのです。」じゃあ、どうやったらそれを実現できるのか。その点に明確に言及されることはなかった...ヨガの練習に励め。もちろん、その程度の事ならば言っていたけれど...。ともかく、身体も、頭も、心も全てすっきりさわやかになり、私は晴れ晴れとワークショップの会場を後にしたのであった。("The Yoga Mogul", Mimi Swartz)この記事が掲載されて以来、ジョン・フレンドの教え子(当時)を名乗るヨガ講師や生徒から、「これはジョンを不当に貶める、悪意ある記事だ!」と、彼を擁護する意見がネット上のあちこちに出回りました。(ちょっとカルト宗教っぽいかも...。)筆者は、実際のクラス体験を正直に書くことで、「ヨガは楽しくても構わない!」ってことを初めて自分に教えてくれた、指導者としては卓越した存在であるジョン・フレンド像も、きちんと提示していますよ。細かい仕組みはわからない。でも、終わった後は、身体も心もスッキリ爽やかになった!と、確かに効果があったことをはっきり書いているのです。これ、ヨガ指導者に対しては「ほめ言葉」になるのでは、と思うんですけどね。どうなんでしょう。ただ、「どうやって、我々の内側にある神のような性質を表に出していくか」という疑問に対し、明快な説明を与えてもらえなかった、と引っ掛かりを感じたのは、敏腕ジャーナリストならではの鋭さですね。目の付け所がいいなぁ、と唸らざるを得ません。さすが。「(アヌサラヨガは)同じポーズを何度も何度も、毎回のクラスごとに繰り返せ、と要求してばかりいるような堅苦しい流派とは全然違うよ。生徒が天狗になるから、教える立場の人間はあまりほめ過ぎないように、なんてことも言わない。アヌサラはポジティブなんだ。」フレンドはそう言って、椅子の背もたれに頭を乗せ、心ここにあらずといった感じで、脇のテーブルの上にあった、ピカピカに磨き上げられた球状の置物を撫で回していた。『〔アヌサラは〕入りやすいんだよ。発展させるのだって簡単だ。その上、深くて、洗練されていると来てる。』一部の宗教には、罪と罰、そして規律ばかりに注目し、喜びはないがしろにするという傾向があるが...「あの手の連中は、”No”と言うのが基本だ。だけど、アヌサラはね、”Yes”なんだよね。(...中略...)我々がやっているのは、【Yesヨガ】だよ。」 フレンドは顔を輝かせた。(同上、Mimi Swartz)これ、2011年に公開・発売された「アヌサラヨガ」のドキュメンタリーDVDの予告編だそうです。インド風音楽をバックに、マンハッタンの喧騒が写され、「疲れきった現代人、癒しと救いを求めてヨガへ...(←思いっきり意訳)」といった、ベタベタな演出で始まります。後はお約束通り、「アヌサラヨガで私は幸せになりました!」といった体験者の声がずら~り。「ポジティブで、楽観的で...」とご本人が言うだけでなく、参加者にまで「楽しくって、身体に優しい」」「血圧やコレステロールを下げ...」と語らせるなど、とことんいいことづくめなんですね。ここまで行くと、カルト宗教の勧誘ビデオ級の「やらせ感」すら漂います。締めが、「アヌサラヨガへいらっしゃい」という男性の声、ですからね。おいおい、ヨガと一口に言っても、体質や既往症や、過去の怪我とか、人によって合うヨガ・合わないヨガは違うのだから、そんなに無理してアヌサラに引き入れようとするんじゃないよ。つい、突っ込みたくなります。そう。耳障りは抜群にいいんです。「耳にも、心にも、Yes!しか入れない」タイプのヨガ、ってわけですね。いわゆる「お手軽スピ系」と一括りされるような、「あなたはあなたのままでいい」「いまここに注目するだけで全てが変わる」...といった「教え」と非常に近いものがあります。だから、「癒しが欲しい~!」という人、「旦那との別れ話がこじれまくって、毎日ヘトヘト。元気が欲しい~!」という人、「厳しいこと、難しいこと、いらな~い。楽しくって気持ち良いヨガだけ欲しい~!」という人。そういった人達には、まずウケるでしょうね。(つまり、平均的なアメリカ人にはまずウケる、ってこと。)こうした【Yesヨガ】がパッと目の前に出されて、拒否する人なんてそうそういないでしょ。「気持ち良い」を却下して、わざわざ「しんどくて厳しくてつまんない」を選ぶ、なんてMな(マゾヒスティックな)人、ごく少数派...でしょう?でも、「...それだけ?本当に、"Yes"だけでいいの?」という疑問は、どうしても拭い去れません。本当はきちんと向き合わなければいけない、「暗い部分」「キツイ部分」「しんどい部分」に無理やり蓋をして、全てをポジティブであるかのように信じ込み、現実否認をしている...そういう胡散臭さ、感じませんか?私は感じました。思いっきり。...以下、その4へと続きます。
2013.09.26
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(2013.09.28...ジョン・フレンドの経歴や事実にいくつか誤りがありましたので、削除・訂正しました。)前回取り上げました、ドクター・ハラスメント(ドクハラ)。Wikipediaにちゃんと項目として載っている ほど、日本では広く知られた言葉だったのですね。ネット上で見つかるいろいろな方の体験記にざっと目を通しましたが、読めば読むほど気が滅入ってきます...。こちらは、「ドクター・ハラスメント」の呼称を最初に世に広めた外科医・土屋繁裕先生の本。残念ながら、入手困難です。 ストップザドクハラ著者:土屋繁裕価格:1,400円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る2005年、50歳という若さで急逝されたそうです。福島県郡山市のお医者さんだったんですね。今の福島にこそ、放射線の被害におびえながら子供達やその親達が毎日を過ごしている福島にこそ、業界の悪しき現状に異議を唱えてくれる土屋先生のようなお医者様が必要なのに...。残念でなりません。ドクハラに限らず、「私(隠れ自己愛人間)が上、あなたが下。」と、最初っから上下関係がはっきりしていて、ちょっとやそっとでは立場がひっくり返らない業界って、多いですよね。医療以外には、宗教や、教育。そういう業界にこうしたパワーハラスメント(パワハラ)がはびこりやすいのは当然なのかもしれません。自浄作用もあまり期待できなさそうですし。「私はすごいんだ!」「先生なんだ!」という自己像を、日々の仕事で何度も確認できちゃう業界って、【顕示型(overt)】(=誰が見ても自己愛性格だとはっきりわかる)、【隠れ型】を問わず、自己愛人間の要素を多分に持った人々を引き寄せやすいみたいですね。一部の心無いドクターによって医療界全体の評判が損われるのは、何とも残念です。患者さんの幸せを第一に考える立派な先生方もたくさんいるのに。ドクハラタイプの先生や、次に挙げる3番目の【隠れ自己愛】は特定の人に憑くというよりはむしろ、他人よりも一段上の「社会的ステイタス」にとり憑き、そこで得られる人々のエネルギーを奪い取って生きているタイプではないか、と、思います。2・「献身的な親」タイプのように、一見「人に憑く」ように映るタイプでも、実際はその相手が持っている社会的ステイタスとか、華麗なる人脈とか、財力とか、とにかく自分にとっての損得勘定で「得!」と判断した何かを持っている人にしか憑きません。結局、「人」の内面は見ていないのです。見るのは、外側の包装紙だけ。要は、「私、すごい!」と、自己愛を気持ちよ~く愛撫してもらう機会をできるだけ多く作り出すことだけを目指して生きているんですよ。【自己愛人間】の方々は。そのために必要な仕事を選ぶとか、配偶者を選ぶとか(エリート幹部候補生に早々と目を付けるとかね)、天才児を育てるとか、己の野望実現に必要な条件を作り出すダンドリ力だけは、天才的にうまいですよね。特に、他力本願が基本の【隠れ自己愛】タイプは。いいですか。あなたの「人間性」「人柄」「個性」なんぞは、見ちゃいないんですよ。【自己愛人間】は。そういう人と親しくなりたいですか?生涯を共にしたいですか?喜びや悲しみをシェアしたいですか?次も、この「私はすごい!」との自己暗示に酔いながらも、普段は謙虚で控えめな仮面(ペルソナ)で巧妙に隠している【隠れ自己愛】です。【隠れ自己愛人間ファイルその3・ヨガ・ディーヴァと、愉快なスピ系仲間たち】これはですね、以前にリンクを載せましたアメリカ人臨床心理学者のLinda Martinez-Lewi 博士のブログの記事に基づく人物例です。英語ですが、興味ある方は原文ものぞいてみてくださいね。http://thenarcissistinyourlife.com/covert-narcissists-hiding-in-holiness-yoga-divas-spiritual-gurus/http://thenarcissistinyourlife.com/covert-narcissists-holier-than-thou-kind-3/私も相変わらず細々と続けておりますが、それにしても最近のヨガ人気はすごいです。何でも、今週末はパシフィコ横浜にて恒例の「ヨガフェスタ」が開催されるとか...。一昔前の、怪しげなアシュラムに集まっては、奇妙なサンスクリット語の文言を唱える、という、新興宗教のようなヨガはすっかり陰をひそめました。例のオウム真理教事件が残していった「ヨガ=あやしい」というイメージを払拭するために、何が一番有効だったかというと、きれいなおねーさんたちを大量に誘い込み、「これが次のトレンドだ!」と既成事実化。おねーさん達は、渋谷109ギャル系ショップのカリスマ店員のようにヨガの広告塔として大活躍。「あ~、私もあんな風になりた~い 」「やっぱLOHASだよね~」と、いとも簡単に流行に踊らされる客層は、ドドーッとヨガ教室へとなだれ込む...。という、昔からよくあるトレンド操作によるマーケティング戦術、でした。ま、単にアメリカの流行が数年遅れでやって来た、というのがホントのところなんでしょうけどね。ただ、LOHAS云々のところにだけは、裏操作めいたものを感じます。街のフィットネスクラブや、おしゃれなビルの一角にオープンしたヨガスタジオでのクラスが増えていくにつれて、いろいろな人がヨガの先生としてこの業界に入ってきました。男性もいれば、女性もいます。でも、全体としては圧倒的に女性の業界ですよね。私が地元のヨガ教室数ヶ所を観察した限り、生徒の8~9割は女性。先生となると、9割5分が女性、との印象です。「この[ヨガ・ディーヴァという]人種は、ヨガを教え、ヨガを利用するだけの自己愛人間だ。弟子の指導やトレーニングの時には、謙虚で、純粋で、徳高いヨガの先生/トレーナーという顔を前面に出している。ヨガの歴史やその目指す境地、個々のポーズ(アーサナ)に関する知識は身に付けているだろうし、技術的なことを理解した上でそれなりにクラスを指導することはできる。だが、彼女らの関心はヨガ本来の目的とは全く別のところにある。真の狙いは、ビジネス。それ以外はどうでもいいのだ。」ヨガ・ディーヴァと言いながら男性の話というのも何ですが...去年、「アヌサラ」というアメリカ発・ヨガの一流派内で大問題が勃発しました。創始者のジョン・フレンドという男性指導者。彼が多数の既婚者を含む弟子の女性達とふしだらな関係を持ち、自らの教えと全くかけ離れた不品行を重ね(大麻の使用など)、自ら率いる「Anusara Inc.」(←株式会社...。やっぱり「ビジネス」ですか。)の従業員達が積み立てていた企業内年金を凍結した、との事実が発覚したのです。これが内部告発の形で明るみに出て以来、米国内ではアヌサラヨガの看板を返上し、師弟関係を絶ったヨガ講師が多数出ました。雑誌やメディアでも取り上げられ、信頼を裏切られた弟子達の痛々しいコメントがあちこちで見られたものです。うちの近くにも(行った事は無いのですが)アヌサラスタイルのヨガ教室が一軒ありました。現在では米国内の他の多くの教室の流れに合わせ、特定の流派との関連を感じさせない、ジェネリックな「ハタヨガ」の教室、と名乗っています。ま、このジョン・フレンドさんという人、昔から「グル願望」が強烈に強かった方みたいですね。教師としては大変優れていた、と評価する声もある一方で、アイアンガーやアシュタンガといった、既存のスタイルをはしごしてはいいとこ取りをし、1997年に「アヌサラ」というブランド名で売り出しただけ、という批判も少なくありませんでした。こういう方です。アメリカ人にいかにも好まれそうな、「気さくで、謙虚なnice guy」アピールを感じます。彼が【自己愛人間】かどうか。それはわかりません。私は精神医学や心理の専門家ではありませんので。ただ、その可能性は高そうだ...という、素人の勘は働きます。ニオイます。だって、あれだけ多くの、世界中の弟子達の信頼を裏切り、「ごめんなさい。過ちがあったこと、認めます。」の懺悔文を発表してからわずか半年かそこらの2012年9月。涼しい顔して、全米の各都市を「ハタヨガ講師」としてツアーして回っているのですよ。どうも「恥」に対しての感度が常人とはいささか違うようです。日本でもアヌサラヨガのティーチャートレーニングを経て「アヌサラヨガ」の看板を掲げて教えている先生方はいますので、(上の動画でも日本人、たくさん映ってましたね...。)、あまり大声上げて語る話ではないのかもしれません。でも、一年以上経ったことですし、「アヌサラ」「問題」でGoogle検索すればすぐに情報は得られますので、後はご自分で確かめてください。そして、ヨガ・ディーヴァから一歩進んだところにいるのが、一部の「スピ系」の先生達。...と来たところで、スペースが足りなくなったようです。続きは次回に。
2013.09.20
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【女王様教】シリーズに始まり、不定期集中連載(?)として【自己愛人間】を取り上げてきました。今回は、前々からお約束していました通り、【隠れ自己愛人間】を取り上げます。アメリカ人ソーシャルワーカー・エリノア・ペイソン(Eleanor Payson)女史の著書を参考にしつつ、具体的にどのような人物像が【隠れ自己愛】に該当するのか、ご紹介していきましょう。【隠れ自己愛】とは何ぞや?という方は、ぜひこちらの 過去記事 をお読みになってからこちらのページに戻ってきてくださいね。今回取り上げていますのは、アメリカのAmazon.comで2013.9.16現在、全230件のカスタマーレビュー中、なんと194人の読者が5つ星をつけたという(全体の84%!)名著・”The Wizard of Oz and Other Narcissists"です。映画などで誰もが一度は目にしたことがある「オズの魔法使い」のあらすじを絡めつつ、【自己愛人間】(Narcissists)と、その周辺に生きる人々の姿、そして問題への対処法を説いていく、という一冊です。私も書店、図書館...と、自己愛人間/ナルシシストを扱った本は一通りパラパラっと目を通してみましたが、やはりこれがダントツ一位ですね。とにかく、読ませます。しかも、情報量が多い。著者は1983年から夫婦・家族間のカウンセリングの専門家として活躍。かなりのベテラン療法家ですよね。http://www.eleanorpayson.com/index.htm長い臨床経験の中から浮かび上がってきた、エリノアさん流の【隠れ自己愛人間】像、順を追ってご紹介していきましょう!(話をわかりやすくするため、筆者・黒犬べーやんがかな~り肉付けした部分もあります。予めお断りしておきますね。)【隠れ自己愛人間ファイル・その1 〜 医療・カウンセリング等の「先生」 編 〜】目立たないけれど、いかにも「できた人」「優秀な人」という雰囲気が漂う。静かなる自信に満ちた専門家、という印象。その社会的な地位の高さゆえ、医療職に多いタイプなのだが、教会の牧師や神父、学校の教師といった、いわゆる「聖職者」と呼ばれる人々の中にも少なからず、いる。一応こちらが話せば、耳を傾けてくれる...ように、見 え る。基本的に治療は先生のペースで。患者の希望などはあまり聞かない。それでも、テキパキとやるべきことはやってくれているので、「いい先生だ。」と喜び、全面的に信頼を寄せていく患者さん。だが、「先生の言うことに従う良い患者」から少しでも逸脱するや否や、事態は急転直下。質問をした途端、「私のやり方に不満があるのか!」と、普段冷静な先生が、ガッと鬼のような形相に。「いえ、そうではなく、別のやり方も探ってみたいんですが。」と、恐る恐る患者さんが自分の希望を伝えると、先ほどまでの「沈着冷静ないい先生」だったはずの人が、打って変わって取り付く島も無いような冷淡な態度に。「私のやり方に従う気が無いのならば、今後症状が悪くなっても一切責任は持てない。それでも従わないというのであれば、今回限りで治療は打ち切りだ。時間なので、これで。」...何が医者/カウンセラーの逆鱗に触れてしまったのか。全く事情が飲み込めなくて、パニック状態に陥る患者さん。信頼していた先生に一瞬で見捨てられた...。しかも、一番助けが必要な時に...。 *****************************************私の敬愛するがん治療専門医・帯津良一先生の著書に、まさにこの事例が載っていました。これ、「ドクター・ハラスメント」、略して「ドクハラ」というそうです。知りませんでした。【送料無料】人の哀しみがわかる医者になってほしい [ 帯津良一 ]「主治医が患者さんを突き放してしまう瞬間です。患者さんにとっては、これほど残酷な対応はないでしょう。 たとえば、みなさんがホテルを訪れて、フロントからいきなり『あなたは来ないでください』と断わられるようなことは、まずないでしょう。仮に断わられたとしても、別のホテルを探せばいいわけですから、たいしたことはありません。 しかし、これが病院となると、事情は一変します。なぜなら一つの病院で一度断わられたとしたら、別の病院に行くというのがとても困難になるからです。 (...中略...) 『ドクハラ』を受けた患者さんは、当然のことに、非常に不愉快になりますよね。不愉快になると、それだけ免疫力が落ちますので、病状はよくなりません。というより、悪化します。 こういった類の『ドクハラ』が、医療の現場では日常茶飯に起こっているんですよ。」(「医学部進学教室 熱血講義 人の哀しみがわかる医者になってほしい」 帯津良一、イースト・プレス、2012年、pp.117−118)相手が患者さん等の弱い立場にあり、反撃してくる恐れが無いと分かった上でする、非常に悪質な「鬱憤晴らし」ですね。帯津先生の言葉からもわかるように、これは決して珍しいケースではないそうです。アメリカの悩み相談では、【自己愛人間】との関係に悩む相談者に対し、「カウンセリングを受けるのはいいけど、【自己愛人間】のカウンセラーやセラピストだけは絶対に選んじゃダメよ!」というアドバイスもよく耳にします。「自分が悪かったのだから...」と泣き寝入りしている被害者は多いのでしょうね。実にお気の毒です。【隠れ自己愛人間ファイル・その2 〜 身を粉にしてわが子のために尽くす、「献身的な親」 編 〜】(※日本では、圧倒的に女親がこの役割を演じることが多いため、以下の例では「母親」を取り上げますね。)控えめで落ち着いた人、というのが第一印象。子供の教育のためなら、自分の楽しみや服飾費を削ることも厭わない。外見は地味。「今日、4時起きしちゃって」と、うっかり口を滑らせたように見せかけて、周囲の母親を牽制する。誰が見ても、「自分は二の次、子供が一番」という生き方は明らか。「非の打ち所の無い、立派なお母さんだ」と、大半の人は好意的に解釈する。他方、子供の学校の役員やボランティア活動にはしょっちゅう(半ば強迫的とも言えるほど)顔を出す。「熱心な母親だ」と、先生方へのウケは抜群。可能性を伸ばしてやりたい、という麗しい文句の下、息子は毎日、休む暇もなく種々の習い事へと追いやられている。塾だけでは飽き足らないらしく、英検、漢検、算数オリンピック...と、小学生を対象とした各種資格試験も片っ端から受験。もちろん、体操教室やテニススクールなどのスポーツ系習い事も外さない。それでも「まだまだダメ」と不満気なのが、この「母の鑑」。夫の姉夫婦には優秀な娘たちが二人いて、それぞれ世間では難関とされる中学へと進学。姪たちが恵まれた環境で学校生活を謳歌している話を聞くと、普段感情をあらわにしないこの「母の鑑」もさすがにムシャクシャを抑えきれなくなる。そんな時には、家に帰るやいなや、菓子類をドカ食い。夫の姉夫婦一家はもちろんのこと、孫娘達の話を自慢気にする舅姑にも我慢がならないので、夫の実家とは疎遠。「田舎者」の実家の親とも、やはり疎遠。ますます【閉塞的な母と息子の親子心中状態】に拍車がかかる。お坊ちゃん育ちの夫は頼りにならない。全て母親に任せる、という暗黙の掟に従うだけの父親。そう。この母親、身内以外の人の目に触れることはほとんど無いにせよ、我が子の「受験」に関しては、異様な闘志というか、執念を抱いているのだ。義姉一家を見返してやりたい。舅姑に「参りました」と言わせてみたい。大っ嫌いなんだけど、情報収集のため時々ランチに誘って縁を切らずにいるママ友の○○さんに「うわ〜、息子くん、すっごい!」の一言を言わせたい。だが...息子の中学受験は、親子での奮闘もむなしく、全敗に終わってしまった。それからの日々は、息子にとって生き地獄となる。「お母さん、あなたのためにあんなに一生懸命頑張ったのに...。何もかもあなたのために我慢して、毎日毎日お弁当もちゃんと作って、精一杯支えてきたのに...。」と、ネチネチ、いつまでも子供を責めまくる。合格に浮かれる同級生を尻目に、誰よりも落ち込んでいるのは当の子ども自身だというのに。どうやらこの母親の頭には、「私の努力が全部パーになった」という悔しさしか無いようだ。子ども自身の落胆とか、悲しさとか、そんなものはどうでもいいらしい。結局、子どもはこの自称・「献身的な」母親にとって、単なる自分の野望実現のための【道具】に過ぎなかったのだ。あらゆる習い事も、びっしり詰まった休日ごとのテストも、そして、週6日体制で通っていた私立中学受験対策用の塾も、「一流校に通う優秀な息子」という、他人に大いに自慢できるステイタスシンボルを手に入れたいために巧妙に築き上げた、矯正/強制収容所だった。「一流校に通う、優秀な息子を立派に育て上げた、最高の母親」ただ、その肩書だけが欲しかった。「あなたのためなの。」という、母性愛ヅラした大嘘で騙された上、偽りなき母への忠誠心をまんまと利用されたことに気付いてしまった息子。思春期を目前にした多感な少年にとっては、あまりにも辛すぎる事実である。彼はこれからどちらの道を行くのだろう。何にも気付かなかった振りをして、魂があげる悲鳴や、心の傷は全て闇に葬る。欺瞞だらけの女でも、それでも自分にとってはこの世でたった一人の母親だ。そんな大切な母の期待に応えるべく、今度こそは!と雪辱を果たそうとする孝行息子→→→俺ってスゲェ〜!な、真性【自己愛人間】へと成長。という道を選ぶか。それとも、もう母親の野望実現の道具にはならない。操り人形になるのはごめんだ。どんなに苦しくても自分の力で事を成し遂げ、嘘やごまかしでは絶対に手に入れることはできない、本物の幸福を目指す--- という道を選ぶか。全ては彼次第である。********************************************【隠れ自己愛人間】の具体例、まだまだ続きます。
2013.09.17
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flowergreen8さん、こんにちは。書き込み、重ね重ねありがとうございました。>そうゆう人達は自己嫌悪はないのだろうかと不思議に思います>普通あれがいけなかったのかな、こうすべきだったかな>と反省すると思いますが開き直るどころか攻撃ですもんね「反省しない」というのが、こうした人々一番の特徴なのだそうです。自己省察ということをしないんですね、この人たち。二歳児がそうしないのと一緒で。一度、自分の内側を見つめてしまうと、あまりにもいろいろな黒感情が詰め込まれていることに気付いて、パニックになってしまうんじゃないでしょうか。だから、見ないよう、気付かないよう、必死に蓋をして閉じ込めているみたいですよ。以下はあくまでも私自身の、個人的な見方に過ぎませんが、ちょっとお話しさせてくださいね。こうした【自己愛人間】と呼ばれる人達は、心の一番深い部分に長年積もり積もった 人間社会全体への恨みつらみを宿していながら、全く気が付いていない人達、だと思うのです。自分を優遇してくれない、冷たい人達に対しての巨大な恨みつらみが、全ての行動の根本にある...。そう考えると、困った行動の数々への説明がつくんですね。今回の元・ご近所さん女性の場合も、過去世でもそうした「恨みを晴らしたい→怒りをぶつける/悪意ある行動で鬱憤を晴らす→人に嫌われる/裁かれる→恨みがますます膨れ上がる」という悪循環を繰り返してきたんだろうな、なんて、ふと、感じました。(見えない世界から、直観という形でヒントをもらいました...。)そこで思い出したことがあります。第二次世界大戦終わり近くの1944年夏、連合国軍はナチスドイツの支配から首都・パリを奪還。再びフランス人民の手に自由が戻ります。その後、ナチスに協力した(=男女の仲になったり、密告したりなどして「点数稼ぎをした」)フランス人女性達は、売国奴として頭を丸刈りにされ、街中を引き回され、人々の容赦ない罵倒や嘲笑にさらされる羽目になりました。ちなみに、男性協力者の多くは処刑されたそうです。全て身から出た錆、と言ってしまえば確かにそうなのですが。それでも、こうした女性達の中には、言葉では言い尽くせない程すさまじい、人間社会への怨念というものが生まれたのではないでしょうか。街の人々からの嘲笑。そして、屈辱に耐える女性の顔。写真は実に雄弁ですよね。警察署の中庭で衆人環視の中丸刈りにされた後、自宅へと向かう女性の姿を、ハンガリー生まれのユダヤ系報道写真家・ロバート・キャパ がとらえたものだそうです。 画像はこちら。サイズが大きいので、お手数ですがリンク先でご覧ください。http://www.anorak.co.uk/wp-content/uploads/2013/06/PA-14275908.jpgこの写真は、「文藝春秋」2013年4月号に掲載された、沢木耕太郎さんの連載「キャパの世界・世界のキャパ」第三十二回 を目にしたことでその存在を知りました。たまたま義母がこの号を日本からの荷物に入れてくれていたおかげで、知ることができた。偶然、と片付けても良いのでしょうが、私にとっては「必然」だったように思えます。この出会い。舞台となったのは、パリから一時間程で行ける距離にある小さな街・シャルトル(大聖堂で有名ですよね)。沢木さんは、現地に赴かれて街の様子や、関係者にまつわる逸話を取材されました。丸刈りの女性に抱かれた赤ちゃんの運命が気になって調べたところ、既にドイツのテレビ制作者が、ドキュメンタリー番組制作のため追跡調査を行なっていたそうです。「...赤ん坊は三ヶ月の女の子だったという。女性は家に戻ったあとで収容所に入れられ、シャルトルを十年間離れることになる。十年後にまた戻ってきたが、町の人に相手にされないまま四十代の半ばで死ぬ。その後、娘はパリに去ったが、いまでも『そのこと』についてはひとことも語ろうとしない、という。」(「文藝春秋」 2013年4月号、p. 239)同様の写真がこちらにもいくつか。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Bundesarchiv_Bild_146-1971-041-10,_Paris,_der_Kollaboration_beschuldigte_Franz%C3%B6sinnen.jpghttp://www.anorak.co.uk/358341/news/flashback/1944-in-photos-french-shave-heads-of-women-who-collaborated-with-the-germans.html/こちらの動画では、様々な思いを噛みしめている丸刈り女性達の表情が、よりはっきりとわかります。最後のカットでは、額にナチスの鉤十字を描かれた(?)女性も登場します。こちらは7分以上の長い動画。http://collections.ushmm.org/search/catalog/fv4292人間とは、どれだけ残酷で、卑劣で、そして哀しい生き物なのでしょうか。戦争一つが、どれだけ人類全体の魂に深い傷跡を残すのか、我々は二度の大戦を経てもまだ理解していないようです。私は、魂の輪廻転生を物心ついた頃から一貫して信じています。(読者の方に同意していただこうとは思いませんよ。何を信じるかは各人の自由ですもんね。)過去、このような屈辱的な体験をし、それに対して「自分にも非があった」と認めることができないまま恨みつらみを抱えて死んでいった人々は、今の世の中にも少なからず生まれ変わってきている。そう確信しています。既に魂の中に人間社会全体への恨みつらみを蓄積させている赤ん坊が、それを清め、浄化してくれるような親や、環境に恵まれないまま大きくなってしまうと、【自己愛人間】的な大人になるのではないでしょうかね。些細なきっかけで大爆発することで、自分をさんざんいたぶった人間社会に対し、復讐を果たす。しかも、自分が一体何に対して爆発しているのかは、本人も全く理解できていない...。そう思えてなりません。本人自身が、いつか、どこかで目覚めて、「このままではいけない。自分の生き方を変えねば。」と決心しない限り、原因不明の爆発を起こすことで恨みつらみを他人にぶつけていく、という負の行動パターンは止まらないでしょう。子供達にも、そうした恨みつらみが根っこにある生き方は受け継がれていってしまう可能性が大です。負の連鎖ですね。...あくまでも仮説、です。私にとっては納得が行く仮説、に過ぎませんがね。>そして悪い事をすれば潜在的に、、なのですが>私もびっくりしたのですがそうらしいのです!>凶悪犯でも自分は悪くないと思っていたとしても>潜在意識に刻まれて自分を好きになれず>自分を好きにはなれないから人も愛せず、>信頼出来ない人生を歩むのですあぁ、この「潜在意識」、スピリチュアル業界の人達がよく使う「アカシック・レコード」 という表現に置き換えてみたら、すんなりと理解できました。アカシック・レコードっていうのは、要するに、地球上の、ありとあらゆる人間の全ての過去世や、今生での行動や「魂の活動」(上のウィキペディア・リンク先の記事より)が記録されているという、巨大なデータベース...って言っちゃっていいのかな。ま、そういうことになっているらしいです。「魂の活動」が全て刻まれるのですから、実際にやった凶悪な行動、それから、「嫌いだ!」「ぶっ壊してやる!」「憎い!」といった負の感情を魂に刻んでいけば、それがどんどん「自分自身に関するデータ」とごちゃ混ぜになっていって、結果的にはどんどん黒ずんでいく。本来持っていたはずの「大好き!」「大事にしたい!」「幸せ!」という好感情だって、どす黒い感情と混ざることでどんどん汚染されていきますよね。だから、他の人にばかりでなく、自分自身に対してもそうした好感情を抱くことが難しくなってくる。...わかります。実に筋が通っていると思います、この説明。補足してくださってありがとうございました。今、私達にできることは、【他人の人生の負債の責任まで取る必要は無い。自分の人生だけに集中せよ。】これを肝に銘じて生きること、でしょう。つまり、仮に【自己愛人間】や、それに類するヴァンパイアさんたちが私達に向かって魂のゴミを投げようと、こちらに近付いて来たら、逃げる。爆発の被害が及ばないところまで、全力で。間違っても、「真心を尽くせばいつか相手を変えられるはず。」なんて勘違いしないことです。私のように、元々心理療法家/カウンセラーになりたい!なんて願望が強く、そういう思い上がった考えを抱きがちな人は、特に注意しなければいけません。「神様でもイエス様でも仏様でも大天使さまでも、このン十年間ずっと改心させられなかった」人なのです。そういう難物中の難物を、自分がしゃしゃり出て行ってどうにかしよう、なんて、それこそ傲慢の極地でしょう。(←これ、深い自戒の念を込めて書いています。自分は傲慢な人間だ、という事実を直視しながら。)無差別爆弾テロが今にも起きそうなとき、「私も力になれるかも...」なんて、警察の特殊部隊や爆発物処理班を差し置いて、いそいそと近付いていく人はいないですよね?それと同じで、内面に爆発物を秘めた人からはとにかく逃げることです。あなたの生活圏内に置くべき人ではありません。他にもっと付き合うべき人は、いますから。そして、安全なところまで逃げることに成功したら、自分の中にも、【自己愛人間】の双子的要素が無いかどうか、じっくりと内観する。彼らと同じで、どこか自分を「冷遇」(←思い込み、ですが。)する社会に対して、ひねた感情を抱いてはいないだろうか。「周囲が悪いんだ!」的な発想に陥っていないだろうか、と。自分の汚い部分、そう、【魂の暗闇】を直視するのって、苦しいですよね。しんどいですよね。でも、そこで安易な方へと逃げて「私には非は無い。悪いのは、あいつらだ!」と言ってしまったら、おしまいですよ。そう言った瞬間、「実は私は【自己愛人間】の双子でした」と認定することになりますから。【魂の暗闇】から逃げない。目を背けない。偽の人生へと逃げてはいかん。2013.03.08 の、直観養成クラスについての記事でも書いたこの一節、どうも私の今年のテーマみたいですね。今年だけでなく、来年、再来年...と、多分、死ぬまでずっと離れないテーマとなりそうです。また長くなっちゃいました~(汗)。不安定な気候、どうぞお元気で乗りきってくださいね。
2013.09.09
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flowergreen8さんへのお返事に刺激を受けての【後編】、続きます。前編は、こちら。>そして悪い事をした自分は好きになれないそうです>多分、その方も自分の事は根底からは>好きにななれないだろうな~=人にも愛されない>かわいそうだなと思いましたそうですね。本当におっしゃる通りだと思います。向ける対象が誰であろうと、嫌いだ!憎たらしい!ぶっ壊したい!という気持ちを溜め込んでいる、ってことは、猛毒を排出せずにずっとお腹の中に抱え込んでいるようなものですからね。そういう人って、外から見ても異様な雰囲気を放っていると思います。そこそこ健全な人々に囲まれている、まぁ健全な心の持ち主ならば、内側で何かがくすぶっていてあぶない感じのする人には、普通近付いていきませんよね。牙をむき出しにして「ウゥゥゥ~~~ッ。」ってうなっている状態の犬には近付いていかないように。「あ、あの人、ちょっとやばいかも。」と、早めに気が付くだけの健全さを持った人が多い環境だと、毒抱えちゃっているご本人は誰とも近しい関係にならず、自然と孤立するようになります。そうなると、鬱憤晴らしをする相手がいない、ってことで、ますます毒素が自分の中にたまってきて、やりきれない状態になってくる。仕方が無いので、「狙いやすくって、壊してスッキリ気分になれるような、手頃なカモ」をわざわざ自分から出掛けて行き、あらゆるテクニックを駆使しながら捕獲する必要が出てくるわけです。さて。現在では、ほぼ、「完治」したと思っていますが、たった一つ、気になっている後遺症があります。あれ以降、日本人学校に出入りするお母さん方に対しては、完全に心を閉ざす癖がついてしまいました。できれば、一切係わり合いになりたくない。こっちに来ないで。親切そうな人が向こうから話しかけて来ても、反射的に身構えてしまいます。この人も裏に魂胆があって、後で豹変するんじゃないか、って、自分の判断に自信が持てなくなってしまったんですね。「親切そのものに見えた人」の仮面を見破ることに失敗してしまった、という挫折感。そう簡単にはなくなりません。自分の奥から「この人だったら大丈夫じゃないの?」とささやく声が聞こえて来ることは来るのですが、それでも、どうしてもよそよそしい態度に出てしまう。日本人女性が集まる場からは、どうしても遠のいてしまう。狭い海外の日本人社会、特に女同士のつながりなんて、裏で誰と誰がどういう風に通じていて、また、作り笑顔の裏で一体どんな陰口叩いているもんだか、全くわかったもんじゃない。だから、アメリカ人やその他外国の人たちと話す方がずっと楽だし、くつろげます。言葉や出身地が違うと、趣味や関心の似た人たちとしか長話はできませんしね。根強い人間不信。これが【自己愛人間】が残していった中で、一番厄介な置き土産ですね。インターネットで同じような体験をなさった方々の話を読むと、「あぁ、他のみんなもやっぱり同じなんだな。」と安心させられます。でも、いつまでもそうした人間不信を理由に、引きこもってばかりいるわけにはいきません。つい先日も、そうした私のつれない態度に悲しい思いをされた(と、明言されたわけではないのですが...)ある日本人のお母さんから、「最後に会って直接お話ししたかった。」というメールをいただきましてね。現在、闘病中とのこと。病変が急で、こちらも知らなかったこととはいえ、びっくりしました。近い将来、場を設けてゆっくりと会いましょう、ということにはなりましたけど。辛いのは自分だけではなかったのだ。まだまだ自分よりも辛い思いをしている人は、たくさんいる。もしこんな自分でも、誰かの役に立てるのであれば、ぜひ役に立ちたい。そして、少しでも励まし合い、笑い合い、お互いのくさくさ気分を吹き飛ばして明るく元気に生きなければ。家族や、大切な人々のために。何よりも、自分のために。深く考えさせられました。陳腐な言い方ですが、「人は人によって癒される」。これは真実です。少しずつ、恐怖心を乗り越えて、外へと出て行かないといけませんね。自分に出す処方箋としては、こんなところでしょうか。★ 人とは時間をかけて距離を詰める。特に、陰でどんな悪口叩いているか、誰がどこでどうつながっているかわからない日本人母親社会では、人付き合いを腹三分程度にとどめておく。腹三分のチラ見せでも気にせず、態度を変えないような人ならば、少しず~つ、時間をかけてお互いを知るようにする。その過程で脱落していくような人とは、所詮それまでの間柄。去るものは追わず。人間関係に関しては、断然、「量より質」です。★ 子供の学校で自分の友達を探そうだなんて、絶対に期待しないこと。(万が一見つかったら、それは宝くじ当選並みのラッキー!と解釈する。可能性ゼロ、じゃないですよね。)これはよく聞く話です。大人と大人の会話がポンポン弾まない人、「子供」をネタにしての話ばっかりになってしまう人とは、長続きしません。「知り合い」程度の人ですから、べらべらとしゃべり過ぎないで、さっさと帰ってきましょう。★ 自然と対話する時間を大切にする。 動物、植物、(信頼できる)人間。あらゆる生命からのサポートを受け入れる。私の場合は、いつも変わらぬ愛いっぱいの態度で接してくれる、二匹の愛犬と森や野原といった自然の中を歩くことかな。「犬」の姿をまとった、愛情いっぱいの天使ちゃんたちが傍にいてくれたおかげで、この3年間はどれ程慰められたかわかりません。動物たちが私達のためにしてくれていることって、絶好調!と感じ、人付き合いで忙しく外を飛び回っている時にはついつい忘れがちなんですよね。あのような苦い体験をしたおかげで、身近にあった大きな愛と献身とに気付くことができた。それを学べただけでも、今回の一件には意味があった、と言えるかもしれません。flowergreen8さんへのお返事という形で始めながら、またもや、便乗してぐだぐだと吐いてしまって。すみません。でも、こうして書いて、見つめること自体(と、日々のヨガ!)が私にとっては何より効き目のある心理療法なんですよね~。ここまで辛抱強く読んでくださった少数派の皆様、ありがとうございました。最近、近くの本屋の店頭で見つけた一冊です。【送料無料】ささいなことで傷つかない人の人間関係 [ 加藤諦三 ]【自己愛人間】との接触で受けたショックからまだ十分に立ち直っていない、「あいつのせいでこんなひどい思いを...」「悪いのは全てあいつだ!」の段階にある方には、はっきり言ってお勧めできません。加藤諦三さんは、長年、ニッポン放送の人生相談を担当されている方だけあって、日本人ならば「あるある、こういうシチュエーション。」「いるいる、こういう人。」と感じるような事例の使い方がとてもお上手です。半分近くまで読んできましたが、主張されている事の大筋には私も同意できます。ただ、この本は、ある程度底を打った、と自覚している【回復期】にある方向けという気がしますね。「どうしてあんな理不尽な目に...」「あいつのせいで...」という傷が生々しい段階にある方が読んでも、冷静な気持ちではいられないでしょう。まず、ご自分が【自己愛人間】から奇襲攻撃を受けて、どれ程自尊心が傷付けられたか、そこんところをしっかりと見つめる必要があります。これは経験者としての意見です。そうして「絶望と落ち込みのどん底」から逃げないで、「どん底」を這いつくばっているうちに、相手の卑怯さへの怒りがふつふつと湧き上がってくると思うんですよ。その「怒り」、抑えこんではいけません。日記に書きなぐるとか、無料ブログサービスなどで匿名で書きまくるとか(公開・非公開はお好きなように。)、セラピストに聞いてもらうとか、とにかく、自分の中から出すことを最優先してください。抑え込んでいた怒りを言葉にし、何度も読み直し、「あぁ、自分はずっと怒りたかったんだな。ブスリと心を一刺しされて、そのまま逃げられたことに対して、本当に怒っていたんだな。」とすっきり認められるはず。その時、どん底から再び這い上がって、光の方へと力強く上昇していくためのパワーが出てくることに気付くことでしょう。そう、一度本気で怒るってプロセスを経ないと、そのパワーに出会うことはできないんです。この手の陽気なバカロックを大声で歌うっていうのもいいですね!ここまで来たら、後はひたすら上へと上がるのみ。暗闇しか無かった深い深い海の底から離れ、光の方向へ、上へ上へと泳いでいくうちに、だんだんこれまで体験したことの全体像が見えてきます。確かに、自分は深く傷ついた。あまりにもおめでたい世界観のおかげで、痛い目にあった。でも、傷つくことでしかつかめない智恵というものが、この世には存在している。ハッピー★ゴー★ラッキー!!!なだけの毎日からは決して学べない智恵というものが、あった。もうどん底へは戻りたくないですよね。だから、光へ向かって力強く泳ぎ続けていきましょう。そして、助けが必要と感じた時には、どうか、すぐにためらうことなく他人の助けを借りてください。信頼できる友人。病院の先生。プロの心理療法家。インターネットのサポートグループ。溺れる前に、誰かの差し出すロープをつかんでください。でないと、【自己愛人間】の放った毒気が全身に回って、そのままどん底で息絶えることとなりますよ。そんな悲しい運命に自分を委ねないでください。相談に乗れることがあったら、こちらに書き込んでくださってもいいですし、もし、人に見られるのが嫌だったらいつでも気軽にメールをください。アドレスは左上にあります。会ったことはないあなたのこと、私も微力ながら応援しています。
2013.09.08
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2013.08.16の記事 にflowergreen8さんが寄せてくださったコメント。読んでいて、「おぉ!」と、改めて気付かされ、そしてこちらの心に響くお言葉が多かったので、改めてこちらの記事面でお返事させていただくことにしました。(コメントだと、2000字までという字数制限もありますしね。)【自己愛人間】と関わって似たような経験をされた方、もしくは、その寸前まで行きそうになっている方が、偶然こちらのブログに来てくださり、私や(先日コメントしてくださった)ayafuyaさん、そしてflowergreen8さんの言葉からヒントを得て、速やかにダメージから回復されることとなれば、これ程嬉しいことはありません。>とてつもなく、、恐ろしい経験をされたのですね~>読んでいてヒーッ!(怖)と声を上げるほどでした。。>しかもピラミッドの上層階にいらっしゃるような方ですよね。>(語弊があるので少し比喩ってます)ありがとうございます。まぁ、私の場合、一緒に暮らしたり、結婚したりといった密な関係ではなかったため、致命傷にならずに済んだんですけどね。世の中にはもっと辛い思いをされている方がたくさんいることも、よく承知しております。えぇっと、まず、「何、これ!? こんなタイプの人、生まれてこの方見たことない!(驚愕!!!)」という衝撃が物凄かったんですよね。ブルーシャ西村さんのブログ でも何度かコメント書かせていただいたのですが、それ以前の人間関係では、バンカラ気質というか、あまり女オンナしてはいないけれど、他者を思いやり、ユーモアを忘れず、前向きに生きる...といった感じの人々に恵まれてきました。ブルーシャさんの表現をお借りするならば、【花園】に暮らしていました。あの女性と知り合ってからの約1年半。控えめで働き者で、ボランティア活動にも熱心に参加し、「子供思いの良妻賢母」そのもの、ってなイメージを一貫して保っていた人だったのに、突然態度が激変。そして、煮えたぎって抑えきれなくなったすさまじい怒りと憎しみとを、私に向かってダイレクトにぶつけてきたのでした。あそこまで破壊的なエネルギーって、心理療法のプロや精神科の医療に携わる方でもない限り、素人だとそうそうお目にかかれるもんじゃない、と、思いますよ。flowergreen8さんのおっしゃる通り、「ピラミッドの上層階」から来た人だったに違いない、という気がしています。この大爆発、【自己愛憤怒(英語:narcissistic rage)】という専門的な呼び方があったんですね。つい最近知りました。ウィキペディアの説明です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%84%9B%E6%86%A4%E6%80%92あの瞬間、それまでの自分の「自分って、まぁまぁ人を見る目があるよね。」という、(今にして思えば)思い上がりというか、自信が、根こそぎひっくり返されて、木っ端微塵になりました。これが、衝撃の第一波。さらなる衝撃の第二波は、その大爆発の後、何ヶ月もかけてじわじわと押し寄せてきました。大爆発から一週間程経ったある日。向こうがこちらのことをどう思っていようと、一応、ご近所さんで、子供が通う学校の保護者同士であることに変わりはないので、道でバッタリ出会ってしまった時に「こんにちは。」と、5m程先から挨拶をしたのです。そういうオープンな姿勢をこちらが見せ続けていれば、いつかほとぼりが冷めた頃、「あの時は言い過ぎた。今度、落ち着いてまた話をしましょう。」なんて殊勝な言葉の一つや二つを引き出せるかもなぁ~、なんて期待がどこかにあったんですね。全く、しょーもない甘ちゃんでしたよ。(だって、近所で鉢合わせする度に、スーパーで買い物する度に、子供の学校ですれ違う度に、いちいちいや~な気持ちにさせられるなんて、勘弁してくれよぉ全くもう!!!です。しこりとストレスだらけの日常生活なんて、誰だって嫌ですよ。改善できるものならばそれに越したことないですから。)それに対しての、彼女の反応が想像を絶するものでした。「余は非常に不愉快であるっ!」と叫ばんばかりのすっごいふくれっ面でもって、上体は踏ん反りかえったまま、首部分だけをブィン、と、乱暴に一振り。こっちの方には視線すら向けませんでした。もちろん、一言も発することなく。...何、これ。40近い、いい年した大人の、しかも「人の子の親」である大人が取る態度かねっ、これが!?一度「グシャッ!」と壊した水たまりの氷ですから、あちらさんにとって私は、もう用の無い「ゴミ屑」扱い。無視しようが、挨拶をスルーしようが、視線そらして「気付いていないフリ」しようが、所詮「ゴミ屑」なのですから、アフターケアなんて一切無用、ってわけです。そう、「捨ててヨシ!」(笑)。目の前で爆発された衝撃よりも、こちらの方がずっとこたえましたね。他者に対してこんなお粗末な態度しか取れない人と、1年半も付き合って、「友達」と思い込んでいたいた自分の見る目の無さが、ほとほと嫌になりました。いろいろなところで、「性格タイプがどーのこーの」だの、「健全な人になるためには...」などとエニアグラムや心理学の本から仕入れた知識を受け売りしては得意になっていた自分が、つくづく情けなくなりました。救いようのないバカだな、って、自分を罵り、さげすむ声が止まらなくなりました。それからの経緯は既に書いたことなので、省略します。ありがたいことに、全ては遠い過去のこととなりました。後遺症も、たった一つを除いては、ほぼ完治した...と、自信持って言えます。たった一つを除いては。それが何か、は、また後ほど。>その方の感想↓>心が貧しく、かわいそうですね。>人の薄氷割ったって爽快感はつかの間>そうゆう人は、>次はもっと大きな水溜りの薄氷を割りたくなるでしょうそうですよね。「グシャッ!」と割ったことで、鬱憤をぶちまけられて短期的には楽になるかもしれません。でも、いずれまた鬱憤は心の奥でフツフツと煮えたぎってくることになると思います。アルコールに溺れた人が、ビールとか、カクテルとか、そういう軽いお酒ではだんだん物足りなくなってしまい、どんどん強いお酒をあおらずにはいられなくなるのと、仕組みは一緒ですよね。強いお酒と一緒で、その方が痛めつけているのは、最終的には他の誰でもない、自分自身のたましい...なのだと思います。それに気付かない限り、ずっと同じようなパターンを繰り返し続けるのでしょうね。>ご存知だと思いますが、心理学で>悪い事をすれば潜在意識に"悪い事をした"と刻み込まれるのだそうで>自分は悪くない。と思っていたとしても>負い目を背負っていくのだそうですその「悪い事をすれば潜在意識に...」という部分、初めて聞きました。教えてくださってありがとうございます。とても興味深いです。「神様は見ていらっしゃる」といった昔からの教えは、こういう角度からも説明できるのですね!ここを読んで、ちょっと鳥肌立ちました。まさにシンクロニシティー!(←この言葉、最近では安っぽく使われ過ぎるので、意識して使うのを控えているんですが...。)シンクロニシティーと言えば、ポリス。【送料無料】シンクロニシティー [ ザ・ポリス ]ポリス、と言えば...湯川れい子先生による日本語歌詞の、これを聴いとかななきゃね!日本語を母国語とする者としては。(←何て強引な。)1:50からの「空しいものデヨ」という微笑ましい発音にご注目を!《春秋社》ジーン・シノダ・ボーレン 湯浅泰雄監訳 渡辺学ほか訳タオ心理学 ユングの共時性と自己性 【中古】afb(↑シンクロニシティーについて詳しく知りたい方、これは名著ですよ!一読の価値あり、と、自信を持っておすすめいたします!)つい先程聞いたポッドキャスト番組(Georgina Cannonという、カナダ人の前世退行催眠療法家がゲスト)で交わされていた会話と非常に近いものを感じましてね。「人間は、見たもの、聞いたもの全てを、自分の中に溜め込んでいく。だから、自らの力で浄化し、処理していかなければいけない。それを怠ると、後々問題が生じて、にっちもさっちも行かなくなってくる。」「心の中に何をしまっておくべきか。何を処分すべきか。それは、自分で決めて取捨選択していかねばなりません。」長くなってしまったので、【後編】、まだ続けます。
2013.09.08
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現在40代半ばの筆者・黒犬べーやんは、いわゆる「バブル世代」の最後の方に属します。中学生の頃、こんな歌が流行っていました。女性デュオ・あみんによる、「待つわ」。そのお一人は、現在もご活躍中のシンガーソングライター・岡村孝子さんです。当時、この曲を聞いても特に違和感は感じませんでした。切ないメロディーと、美しい女声ハーモニーが印象的で、「あぁ、これは売れるのも当然だな。」と思ったものです。今改めてこうして歌詞だけ読むと、実に湿っぽくて重たい...(さすが昭和)。私がこの歌の中の「あなた」(男性)だったら、正直、引くなぁ。黙って耐える、健気で一途な私!をアピールしてはいるけれど、彼女、実は夜な夜なロウソクの炎に向かって「さっさと振られろ~、一刻も早く振られちまえ~。」と呪文唱えてるんじゃないか。そんな疑念すら頭をよぎります。(岡村さん、ごめんなさい。)「いい子にして受け身で待ってさえいれば、魔法のような奇跡が起こり、いつか望みが叶う。」これは立派な「呪術的思考」(英語:magical thinking)でしょう。自分から行動起こして事態を変えるのではなく、ひたすら受け身で、待つ。で、「楽して夢見て、はい、実現!」って期待して、待つ。占いやおまじないの専門誌・マイバースディ読者の元・少女達や、最近では「引き寄せ信者」の一群も、この呪術的思考に乗っ取られやすい人々、ですよね。(アイタタタ…。)「呪術的思考」だと、さすがに字面が不気味ですので、今回は【魔女っ子思考】といった表現でキュートに行きます。魔法。魔法使い。魔女っ子。この手の言葉、昭和のある一時期、猛烈に流行っていました。ちょうど私の幼児期~小学校低学年と重なりますので、1970〜1975年頃になるでしょうか。当時は、再放送枠も含めると「魔法使いサリー」「魔女っ子メグちゃん」「魔法のマコちゃん」「魔法使いチャッピー」「ひみつのアッコちゃん」「ハクション大魔王」(←あ、これは違うか?)など、いわゆる「魔法(少女)モノ」が5、6種類はテレビで放映されていました。実写の「好き好き魔女先生」、洋モノで「奥様は魔女」もやはりこの時期の放映でしたね。あのー、いくら何でも多過ぎやしませんか?(チャッピーねぇ。ツインテールの髪型にバトンを持って赤い服着た子、という印象しか残ってないなぁ...)当時のマスメディアが執拗に「魔法少女モノ」ばかりゴリ押ししてきたのって、ひょっとしたら、年端の行かぬ少女達を早々と「洗脳」し、白痴化しようという意図があったんじゃ?って思えてならないんですが...。「さぁ、君たち女の子は、『魔法でラクして願いがかなっちゃう☆』という夢の世界で永遠に遊んでいるがいい。賢くなんてならなくていい。余計な知識なんて付けなくってもいい。おじさん達の言うこと黙って聞くんだ。従順にしてりゃ、悪いようにはしないから。」...なんてね。もちろん、番組のスポンサーである玩具メーカーからの猛プッシュが一番の理由でしょうけど。このように、子供達をすっかりとりこにした魔女っ子思考。その後、TVアニメ以外の分野へもどんどん広がっていきます。当時の小学生女子は、魔女っ子アニメを卒業すると「りぼん」「なかよし」といった、付録付き月刊まんが雑誌へと移っていったものです。中でも、常に高い人気を博していたのは、ハッピーエンドの、いわゆる「学園ラブコメ」といったジャンル。平凡で何の取り柄も無いドジっ子女子が、貴公子のようにかっこいい転校生の男の子に求愛され...というのが典型的な筋書き。ドジで、平凡で...っていうのがポイント。要は「お子様版・シンデレラ・ストーリー」です。大ヒット作「キャンディ・キャンディ」も、前半に限ればまさにそういう路線でしたっけ。そう。日本の少女マンガも、魔女っ子アニメも、元を辿ればすべて、「シンデレラ」「白雪姫」「眠れる森の美女」といった、西洋おとぎ話のお姫様ファンタジーへと行き着くんですよ。ヨーロッパのローカル伝承に過ぎなかったはずの物語が、ディズニーのアニメ映画化によって猛烈な速度で全世界へと波及していきました。日本の少女マンガも、韓ドラも、「ハーレクイン・ロマンス」も、全てはそうしたお姫様ファンタジーの変形に過ぎません。現代の少女達、そして元・少女達にとっては、こうしたお姫様物語こそが「神話」なんですね。覚えにくい名前の神様しか出てこないギリシャ・ローマの神話と比べたら、こっちの方がはるかに親しみやすく、かつ、感情移入し易いですもん。ところが、80年代の後半ともなると、他力本願で受け身なヒロイン全盛時代にも徐々に翳りが見え始めます。「受け身で、ただ控えめに待つだけの夢見る少女像」に飽き足らなくなった作り手が、逆の方向性を目指し始めたんですね。その代表格は、武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」。宮崎駿さんによる、「風の谷のナウシカ」。同じく、「千と千尋の神隠し」。いずれの作品にも、優しいだけでなく、強さと賢さとを併せ持った魅力的なヒロインが登場します。(つい先日、長編映画製作からの引退を発表した宮崎駿監督。ありがとう。本当にお疲れ様でした。監督の作品はこれからも世界中の人々に愛され続けることでしょう。)最近では、「他力本願で受け身なお姫様」を最大の売りにしていたディズニーですら、「黙って待っているだけの受け身で弱々しいお姫様は、もう要らない。」といったアメリカ人保護者たちの声に応え、強くて賢い、新時代にふさわしいヒロイン像・メリダを投入せざるを得なくなったみたいですね。2012年の作品、原題は【Brave】。アニメ・マンガのヒロイン像が時代によってどう変わっていったか、というテーマについては、きっと専門家の方々が多々論じていらっしゃるはず。門外漢は、この辺で口をつぐむとします。でも、よくよく考えてみると「白雪姫」も「眠れる森の美女」も、かなり奇妙な話じゃありませんか?森の奥、あるいは茨だらけの荒れ果てた古城の中で死体のように転がっている女性に、運命的な偶然でたまたまそこを通りかかった高貴な身分の美しい若君が近付き、やさしく接吻。魔法が解けて目を覚ました姫と、若君とはたちまち恋に落ち...。な〜んて不気味な話、現実にありっこないです。その若君が死体マニア(ネクロフィリア)の変態さんだった、なんてオチでも付かない限り。そうすれば、「おぉ!きれいな、状態のいいフレッシュな娘の死体がここに!(←げげげ。)」なんて興奮しながらチュッ♪チュッ♪してくれる、っていうのも不自然ではないですけれど。(こ、怖っ...。)一見、いい事だらけなファンタジーの世界。一皮剥けば、案外そこはエロ・グロ・邪悪に満ち満ちているのかもしれません...。【送料無料】大人もぞっとする初版『グリム童話』 [ 由良弥生 ]ただ、たとえ一時期の娯楽用はいえ、除菌済・消毒済のおめでたいマジカルファンタジーを子どもたちに与え、その世界へと引き入れてしまったからには、最後の最後まで面倒を見る必要があります。グロくて酷いこともある現実社会の方にも、ゆっくりと目を開かせてやる。現実を直視するにあたっての、心の準備を手伝ってあげる。こちらを忘れてはなりません。それが親や、先生といった立場にある大人の責任だと思います。たとえば、こんな具合に。「あのね、あれは、昔の人が子供に一時の夢を見せてあげようとしてこしらえた、作り話。ホンモノの世界では、いくら待ってたって王子様は来ないの。自分から歩いていって、何かきっかけを作らないと、待ってるだけで人生あっという間に終わってしまうよ。自分から行動起こして、賢い選択をして、目の前の現実を自力で一つ一つ変えていかなきゃね。来ないかもしれない王子様を待ち続けても仕方ない。あるかどうかもわからない魔法の力をあてにしたって、仕方ない。失敗しても、しんどくっても、いいじゃない。まずはやってみようよ。きっと後になればそうして良かった、って思えるから。怖がらなくても大丈夫。あなたならきっとできるよ!」何度も何度も、やさしく励ますような調子で応援の言葉を繰り返すのです。彼女たちが本来持っているような【自信】を、外部からの圧力という強風から守りつつ、大きく育てるための手伝いをしてあげるのです。そうして「周囲の大人たちにしっかり支えてもらった」との実感を得られた子供達なら、時機が来れば自分の翼を広げて、力強く羽ばたいていくに違いありません。でも、そうした機会に恵まれず、大人になってしまう人って、結構いるんですよね。残念ながら。それは、「失敗してもいいから、まず、自分の力でやってみなさい。」という励ましをもらって、自分の力で何事かを達成するという醍醐味を知らないまま、身体だけ大人になってしまった人達。子供時代の夢物語=魔女っ子思考が支配する世界から卒業できないまま、大きくなってしまった人々なんですね。頭の中はこんな独り言でいっぱいです。「いつか、松潤顔した王子様が・・・」「アイドル並に可愛くて俺の全てを受け入れてくれる癒し系の子が...」「精霊ジーニーのように、何でも願いをかなえてくれるお金持ちが...」「リモコン一つで自在に操れる、最強無敵の鉄人28号が・・」「実家が金持ちで、同期の出世頭No.1のエリート独身男性社員が...」「天才子役タレントとして大売れし、贅沢三昧の毎日を保証してくれるような子供が...」大人になっても、夢を一気にかなえる魔法の力=魔女っ子思考の甘い味を諦められなかった。青少年期の終わりと共に醒めなきゃいけない夢から、醒めるタイミングを逸してしまった。そういう人は、【隠れ自己愛人間(Covert narcissist)】という人種へと変貌する危険性・大です。次回こそ、こちらの本の中身に入りますね。(※楽天市場内での取り扱いが無かったため、Amazon.comの画像を拝借しました...。)
2013.09.04
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隠れ自己愛人間。英語だと、covert narcissist。(covert=隠れた、ひそかな)もしくは、closet narcissistか、stealth narcissist。(←レーダー等の探知機に引っ掛かりにくい「ステルス戦闘機」のstealthですね。)これだけ読んで、みなさん、すぐにイメージ湧きます?私、全くもって見当が付きませんでした。実はこれ、前回・前々回にご紹介したこちらの本で遭遇したフレーズなんですよ。結局、自分のことしか考えない人たち著者:サンディ・ホチキス価格:1,575円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るこの本の30ページに、何の前触れもなく【隠れ自己愛】という表現がひょっこり出てきた時、「え~~~っ!? 自己愛を ☆隠す☆ だなんて、そんなの、有り得ないでしょ〜。(「宴会好きの人間嫌い」なんて人種が存在し得ないように...。)」と、しばし、戸惑いました。だって、自己愛人間(ナルシシスト)と言えば、【聞かれなくても、自ら進んで『私はすごい!』を周囲にアピールしたがる人】で決まり、でしょう!? 少なくとも、私はそう理解していましたけどね。しばらく前にこちらに書いた【女王様】シリーズも、そうした「逃げも隠れもしない」タイプの自己愛女性の像を念頭に置きながら書いたつもりです。従来型の自己愛人間さんたち。確かに傍迷惑な行動は多いものの、よく目立つ分、避けて通るのも簡単です。「あ、この人と関わったら厄介な事になるぞ。それ、逃げるが勝ちだ!」と、付き合いの浅い段階で気付き、早めに自衛策を立てられますからね。職場や家族などのしがらみ上、どうしても「切れない」「避けられない」場合(ご愁傷様です...)を除けば、毒気を浴びる前に逃げ切ることだって難しくはありません。このタイプは【顕示型】、英語だと、overt narcissist (overt=あからさまな、明白な)の自己愛人間、と呼ぶそうです。まだ数は多くありませんが、ネットで検索するとぼちぼち出てきますよ。素人ブロガーである私としては、一応、その分野の専門家の手によるしっかりした情報をご紹介するのが筋だと思いますので、おすすめサイトを一つ。自己愛性パーソナリティ障害の専門家である臨床心理学者・リンダ・マルティネス=レウィ博士のHP(英語)です。【隠れ自己愛人間】(covert narcissist)についての記事が特に充実しています。http://thenarcissistinyourlife.com/ここ数年、パーソナリティー障害の本や、それにひとひねり加えた一般向きの概説書(エモーショナル・ヴァンパイア・心の吸血鬼、エナジーヴァンパイア、サイキックヴァンパイア...など、呼び方は著者によりそれぞれですが。)も随分読みましたが、そこで話題となっているのは、もっぱら【顕示型自己愛人間】の方。そうした解説本のほとんどが「アメリカ人が書いた、アメリカ人読者向けの本」だ、っていう現状では、記述が【顕示型】にばかり偏るのも致し方ないと思いますね。アメリカ、特に戦勝国となり、「世界の学級委員長」としての地位を確立してからのアメリカは、誰が何と言おうと【外向きアピール自己愛人間】輩出率ナンバーワンの国。ハリウッドのエンタメ業界、プロスポーツの世界でどういう人材がもてはやされるのかを見れば、一目瞭然です。だから一般向きの概説書を書く場合も、数の上では圧倒的に多い【顕示型】についての記述が多くなるのでしょう。でも...。この著者のサンディ・ホチキスさん(Ph.D.を取られたのですから、ホチキス博士、と呼ぶべきですね。)だって、アメリカ人で、心理のプロとして長年活躍されている方...ですよね?ということは...単に私が知らなかっただけのようです(苦笑)。カウンセリングや心理療法など、臨床の現場にいる人々は、以前からこうした一群の人々の存在に気付いていたのでしょう。一度引っ掛かりを覚えてしまったからには、見過ごすわけにいきませんよ。もう少し詳しく調べるとしましょう。まずは、どういう文脈でホチキス博士がこの【隠れ自己愛人間】という表現を使っているか。上の本から引用します。「理想化された世界に依存する人たちがみな、自分を幻想の中心に据えたいわけではない。一部の人たちは脚光を浴びるのを極端に嫌い、他者が放つ威光の輝きに浴する。」「自分は、主役にならない。陰の存在に徹する。」これが【隠れ自己愛】タイプ最大の特徴です。自分マンセーのおめでたい脳内世界を現実世界でも再現したい、という点は、基本的に【外向きアピール】の自己愛人間と一緒なんですがね。でも、そうした本音部分は絶対表に出しません。徹底的に隠し通します。うっかりボロを出した現場を誰か(ごく親しい人限定)に目撃されない限り、外に漏れることはありません。【隠れ自己愛】さんたちは、最初に「輝いている誰かさん」を巧みに捕まえるか、自らの手で好み通りに育て上げる(←相手が子供の場合など)かします。なかなかのやり手なんですね。そして、捕獲した相手を自分の手足のように使い、彼らがすごい事を成し遂げるのを目の前で見届ける。ただ、「こんなすごい人と一緒にいる私は、何てすごい人間なんだ。」と、自分自身に酔いしれたいがために。「いわゆる『隠れ自己愛人間』は、自分が相手の自尊心をふくらませられる、その相手と結びついて、自分自身の誇大感ーーー自分は強大な力を持ち、何でも思い通りになるという感覚ーーーを維持する。」なるほど。つまり、【隠れ自己愛人間】は、正太郎少年がリモコンを手に入れて鉄人28号(ふ、古いよ...。)の偉大な力を自分の分身のように自由自在に操れるようになった、というあの万能感が病み付きになった人。あの快感が忘れられず、何度も同じパターンを繰り返す人々、ってことですね。(↑これは最近のリメイク版。声優さんの顔ぶれから判断して、2004年版かな?)「鉄人28号」は子供向けの作品ということもあり、正太郎少年が正義のために鉄人28号の力を使い、人類の平和に貢献。めでたしめでたし...とまとまるのですがね。この【隠れ自己愛】さんたちの場合、強大な力を備えた(と、彼らが値踏みした。)相手をGETして関係を結び、影の黒幕として相手を「使う」わけですが、それは全て「自分の利益のため」。つかまえた相手が幸せになろうがなるまいが、はたまた辛い思いをしようがしまいが、そんなことどうでもいいのです。単なる「玉の輿願望の強い人」と「自己愛人間」とを見分けるカギは、その辺にあるでしょうね。相手にも、自分同様幸せになってもらいたい、という気持ちがあるかどうかーーー。この気持ちが欠落している人とは、「知人止まり」にしておくのが無難でしょうね。←余計なお世話。「彼らはお世辞の達人であり、忠実な恋人や友人となるーーーだがそれも、理由が何であれ、選んだ相手が特別だという錯覚が支えきれるあいだだけだ。錯覚が支えきれなくなれば、前触れもなく相手への称賛は消滅し、新たな崇拝の対象へと移る。」(以上、「結局、自分のことしか考えない人たち」 サンディ・ホチキス著、草思社、2009年、p.30)それまで「あなたは素晴らしい!」「君が世界一!」と散々褒めちぎり、多大な時間と労力を投資してきた相手でも、一度幻滅を味わってしまったら、ハイ、それまで。見限って、捨てて、別の相手へと心を移すのなんてあっという間です。で、【隠れ自己愛人間】から突然「捨てられた」方の相手は、一体何が起こったのかわけがわからず、いきなり奈落の底へと突き落とされたような衝撃を味わう。その結果、深刻な人間不信に陥り、長期間にわたって苦しむことも珍しくない...と。(そのような体験をされた方、本当にお気の毒でした。心中、お察し申し上げます。ゆっくり養生して傷を癒してくださいね。)さて、話を戻しましょうか。サンディ・ホチキスさんの本には、他にも【隠れ自己愛人間】についてこんな記述が。「隠れ型は、理想化できる相手を触手を延ばして探る控えめなタイプだ。彼らは自分の自尊心を保つために恋愛対象を崇拝しなければならない。というのも、もし相手が素晴らしく、その相手をものにできたなら、自分の不安がきれいに消え去るからだ。(前掲書、p.169)あらまぁ。自分の不安をきれいに消して欲しいから、そのために誰かをGETして、ダーティーワークをやらせる、ってわけですか。自分の心の闇に向き合いたくなくって、他人を巻き込むだなんて、たまりませんね。相手は汚物処理係じゃないんですから。嫉妬心からムシャクシャしたり、自尊心がぐらついても心がもやもやした時は、一人で山にでも登るか、海岸沿いのハイウェイをドライブしながら大声で叫ぶかなどして、何とか自家処理してもらいたいもんです。...まぁね、それができないから、何度も何度も懲りずに周囲を巻き込んでトラブル起こしているんでしょうけど...。結局、見かけはどうあれ、「自分ってすご〜い!」を外向きにアピールする【従来型】の自己愛人間と、その根本をたどれば同じ問題にぶち当たるんですよ。「自分の闇部分なんて、見たくない。」っていう、逃げ腰な生き方に。さて。ここまで読んでくだされば、【隠れ自己愛人間】の恋愛・結婚パターンについておおむね理解していただけたのではないでしょうか。でもね、私、ふと思ったんですよ。「いや、恋愛ドラマだけが【隠れ自己愛人間】の棲息地ってことはあるまい。『俺様男』『女王様』みたいに、典型的なパターンがいくつかあるはずだ。」って。いい本を見つけましたよ。次回から少しずつご紹介していきますね。
2013.08.25
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前編はこちらです。『健康な自己愛は真の自尊心の上に成り立つが、概して自己愛人間(ナルシシスト)にはそれが欠けている。』 結局、自分のことしか考えない人たち著者:サンディ・ホチキス価格:1,575円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るここでようやく目が覚めました。人生の折り返し地点とも言うべき四十代前半になるまで、健全な自己愛、そしてその基盤となる【真の自尊心】を十分に築き上げて来なかった。直視し辛いこの事実に。しかも、自己愛人間(ナルシシスト)と自分とが、意外に近い立ち位置にあったとは。やれやれ。いえ、別に自尊心の問題から逃げてはいませんよ。そこは真性自己愛人間さんたちと違います。20代の頃はアダルト・チルドレンや機能不全家族に関する本を読み漁っていました。その時から「低い自尊心はダメだ。」と、頭では理解していたつもりです...頭では。特にこの二冊には慰められました。【1000円以上送料無料】アダルト・チャイルドが自分と向きあう本/アスク・ヒューマン・ケア研修相談室【RCP】【送料無料】 才能ある子のドラマ 真の自己を求めて 新版 / アリス・ミラー 【単行本】結婚し、子供が生まれ、日常の雑事や育児に時間に翻弄されてしまうと、自分の内面の課題なんてどっかに行ってしまうんですよ。サボるつもりは無かったんですがね。でも、結果として【魂との対話】が疎かになっていました。自分自身という存在を慈しむ、ということも。そんな時、目の前に現れたのが、例の人。わざわざ車を路肩に寄せ、犬を散歩させていた私に向かって、窓から「こんにちは。」と声を掛けて来ました。(←はっ。私、少し前に「(この人の話は)もうこれでおしまいにします。」と書いたのに。早々と前言撤回です。まっ、いいか!)引っ越して来たばかりで、顔見知りもほとんどいなかった頃。「お友達候補」として向こうから指名してくれた、という喜びで、有頂天になったのでしょう。「どうぞどうぞ、お上がりください。今、ごちそう用意しますから!」ってな感じで、相手の素性も、動機も、何一つ疑うことなく奥の間へと招き入れていたように思います。待望のソウルメイトが来た!にも似た、軽い興奮状態にあったのかもしれません。...全く、どこまで心が「貧乏性」だったんだろう、自分(苦笑)。「子供同士の年が近い、近所の日本人ママ」。それ以上でも、以下でもなかった人でした。出身地や子供の習い事など、いくつか共通点はあったものの、今思えば「だからどうした」という程度。もっと時間をかけて人となりを観察し、「知人」止まりとするか、「友達」とみなすかの判定を下すべきでした。この方、熱心に話に聞き入るフリをしつつ、実は【黒犬べーやんが隠そうとしている、心の古傷】の場所を必死に探していたのです。「どこを一撃すれば、コイツは一番ダメージを受けてへこむだろう?」を突き止めたくって、仕方がなかった。こちらがどういう人間で、何に興味あるかなんて、どーでも良かったわけで。...はぁ、アホらし。そういう人物であったにも関わらず、「好かれ、信頼され、必要とされている。」と信じ込んだ自分。まぁ、彼女、「私は善人!」という自己演出も実に巧妙だったし、出会った最初の頃に「意地悪な人々に責められたかわいそうな私」の話も涙浮かべて披露していたし(←これ、自己愛女性の得意芸らしいです!)、世間知らずの私がコロリと引っ掛かったのもやむなし、なのかもしれません。プロ中のプロなら、素人騙すのなんて簡単ですよね。ある朝、その人から「今日、時間ありますか?」との電話。長めのランチを済ませ、子供が学校から戻るまでの間、他愛の無い話をしていたところ、「その瞬間」がやって来ました。数時間前には「仲の良い友達」を装って「会いたい」と言ってきた人が、一瞬にして豹変。正義の鉄槌を手にした聖女、とでも言わんばかりの顔をして、こちらの弱いところを叩きのめしにかかってきました。怒りを爆発させながら。しかも、その後、極力大人として友好的に接しようとする当方の努力も虚しく、返って来たのは派手なふくれっ面や、あからさまな無視。関係修復なんて望んでいないようでした。要するに、あの日私は「使い捨てられた」のです。あちらさんのお誘いにきっぱりと「ノー」で返すような、そんな使えない奴なんて「ゴミ屑同然、捨ててヨシ。」ってこと。それ以前にも脆弱で頼りなかった私の自尊心。たちまち粉々に砕け散りました。あれから3年近く。今なら冷静に全体を俯瞰できます。【ほぼ常時低空飛行】だった自分の自尊心が、ああいうタイプの人間をおびき寄せた。それは間違い無いでしょう。ゆえに、相手を責めるだけでは何一つ解決しません。【真の自尊心】が足りない、という根深い自分の病を治さない限り、何度も似たような試練が来るはずです。自己愛人間。直接体験したことのない人にとっては、「ああ、単に自分の外見に見とれるナルシーな奴?」程度の認識でしょう。私も、かつてはそうでした。でも、「知らない」 イコール 「存在しない」 と早合点するのは危険です。悪意を持った自己愛人間は、現にいます。 絶対に。「善意そのもの」「魅力そのもの」「謙虚そのもの」といった種々の仮面をうまく使い分けながら、今日もカモを物色中。「いじりがいがある古傷を持った奴はいないかな。」「次は誰をこき下ろして、その鼻をへし折ろうかな。」と、最高にスリリングで甘美な計画を練りながら。人の不幸は蜜の味...ですから。子供の頃、水たまりに張った薄氷にジャンプして、「ぐしゃっ!」という感触を楽しんだことはありませんか?温暖化が一向に止まらない最近の日本(関東地方)では、冬の薄氷も珍しい光景となったようですが...。どうせやるからには、直径20センチとかの小物ではなく、直径1メートルぐらいの大物を狙いたいもの。その方が、音も、感触も、威勢が良くって割りごたえがありますからね。一発で割れる程度に薄く、そこそこの達成感を味わえる程度に大型で、体重を載せた瞬間「ぐしゃっ!」と、派手に音が出る氷。どこにあるかな。...あ、見つけた。せーのっ!(跳躍)「ぐしゃっ!」大きな音を立てて、目の前の氷が粉々になればなるほど、愉快、痛快、気分は爽快。割れた氷にはもう用はありません。さっさと別の氷を探しに行きます。自己愛人間にとって、カモとなる人間はそうした水たまりに張った薄氷のような存在に過ぎません。「ぐしゃっ!」と踏み付け、ひびが入り、粉々に割れるさまを見て楽しむ。割れたら、「さ、次。」とまた新たな標的を探しに行く。誰だってあの人達にカモられるのはご免ですよね。だったら、これまでの人生で築き損ねた【自尊心】という積み木の塔を一ピース、また一ピース...という具合に地道に積み上げていく。それが最良の自衛策です。孤独でしんどい作業ですが、続けていればいつかきっと希望の光が見えてきます。最後に一つだけ。結局、自己愛人間も、低自尊心人間も、【自分はつまらない人間。】という呪いに、人生を狂わされている点では同じです。違いといえば、自己愛人間が「ほらっ!私って、こんなにスゴイんだから!」と、強引な外向きアピールにばかり走り、結果的に他人を粗末に扱うのに対し、低自尊心人間は「全くその通り。自分はやっぱりつまらない人間だ。」という呪いにかかり、完全に洗脳され、自分を粗末に扱い過ぎること。自己愛人間と、低自尊心人間。両者は、同じ母親から生まれ、生後間もなく離れ離れになってしまった双子のようなものかもしれません。
2013.08.16
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日本への里帰りも残り数日、となったある日。某古書店にてこちらの本に出会いました。800円ねぇ。古本にしてはちょっと高いな、と一瞬躊躇したのですが、「これはどうしても買わなきゃ...」という内面の声に促され、即、レジへ。結局、自分のことしか考えない人たち著者:サンディ・ホチキス価格:1,575円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るここ数年、エモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)や、パーソナリティ障害といった「あなたの隣の困った人々」について、いろいろな本を読み漁ってきました。「サンディ・ホチキス(Sandy Hotchkiss)」という著者名も、頭の片隅に引っ掛かっていたんですよね。こちらがその英語版 'Why Is It Always about You?: The Seven Deadly Sins of Narcissism" です。日本語版の副題にある「自己愛人間とどうつきあえばいいのか」の、この「自己愛人間」。少し前のシリーズ記事【女王様教】をお読みくださった方々には、改めて繰り返す必要は無いでしょうが...一応、おさらいしておきましょうか。【いつだって可愛いのは自分だけ。自分が一番!でないと気が済まない。お互いを支えあい、励まし合う人間関係とは無縁。常に自分がワンランク上で、他人が下。だから、たった一人で孤独に生きていくことには耐えられない。素敵な自分を絶え間なく褒めて称えてくれる誰かがいないと、ダメなのだ。ストレスへの耐性が弱い彼らは、八つ当たり的に毒のあるセリフを吐いたり、破壊的な行動に出たりすることがある。それにより傷付くのは、彼ら本人ではなく、丸腰で接してきた周囲の人々の方。】自己愛人間と関わり、痛い目にあった人々の体験談は、読売新聞の「発言小町」で読むことができます。レス数が500を超えるという長大なスレッドですが、被害状況の生々しいエピソード、そしてそれらに対するコメントも真面目に書かれたものが多く、非常に読み応えがあります。「自己愛性人格障害者の被害に遭った方、教えてください。」http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0621/246924.htm?o=0&p=0さて、本題の「結局、自分のことしか...」に話を戻しましょう。著者・サンディ・ホチキス女史は、カリフォルニア州公認臨床ソーシャルワーカー(Licenced Clinical Social Worker[注])として、個人のクライアントを相手に心理療法・カウンセリングを行う、心の専門家です。2008年にはNewport Psychoanalitic Instituteというフロイト派・新フロイト派といった精神分析(psychoanalysis)の流れを汲む大学院大学(米カリフォルニア州)にて、心理学博士(PsyD)号も取得されたようですね。[注:アメリカでは、心理学で修士号・博士号を取得する以外に、臨床ソーシャルワーカーで修士号を取得し、心理療法家として独立開業、というコースも一般的です。私見ですが、ソーシャルワーク専攻出身の専門家には、夫婦・家族間のカウンセリングや、依存症克服、虐待によるトラウマからの回復といった領域を手がける人が多いように思います。〕この本一番の目玉となるのは、原題にもあるように、自己愛人間が犯す【七つの大罪】を詳しく分析した部分。以下、二重カギカッコ(『』)内の文章はすべて「結局、自分のことしか考えない人たち」 サンディ・ホチキス 著、江口泰子 訳、草思社、2009年からの引用です。【自己愛人間の七つの大罪】1. 恥を知らない「恥ずかしい」「みじめ」という感情を自分の中で健全に処理できない。なので、そういった境遇に陥ることを徹底的に避ける。2. つねに歪曲し、幻想をつくりだす何が何でも「恥」を避けたいと思うあまり、本人にしかわからない「脳内俺様伝説」「脳内あたくし伝説」を作り上げる。その伝説が揺らぎそうになると、すかさず別の人を攻撃してモヤモヤ解消。(鏡の中の自分にうっとり〜。ワンちゃんなら許せます。)3. 傲慢な態度で見下す自分の優越性を脅かすような人は「あぁ、あんなの雑魚だから。」 「あんなの大したことない。私の方がすごいんだから。」と一蹴。4. ねたみの対象をこき下ろす『ねたみは、最善の防御が攻撃だと直観的に知っている。』 (p.41)『だが、自己愛人間のねたみは、優越感を得たいというせっぱつまった要求によって増幅され、ずっと濃い闇をはらんでいる。彼らの心にうごめく他の感情同様、ねたみもまた意識されないか否認されて危険度を増す。』 (p.42)...自己愛人間が自分の闇から目を背ければ背ける程、他人への攻撃が激化するのですね。おぉ、こわっ。5. つねに特別扱いを求める『重要なのは自分の気持ちと要求だけ。欲しいものは何でも手にいれられて当然」『相互関係や助けあいにはまったく無縁。なぜなら彼らにとって他者はただ、自分に同意し、自分に従い、自分をほめそやし、自分を慰めるために存在する(...)。』『わたしの要求に応えられないならあなたに価値はなく、それ相応に扱うし、わたしの意向に逆らうのなら、わたしの憤怒を覚悟しなさい。』『要求を拒まれた自己愛人間ほど恐ろしいものはない。』 (以上、すべてp.44)6.他人を平気で利用する怒りや攻撃性を爆発させるのは、他者の気持ちや欲求を汲み取ったり、共感したりする能力を十分に育てられなかったことに起因する。だから、他人を搾取しても良心の呵責を覚えることはない。『情緒の発達にかんしていえば、彼らは一、二歳児の発達段階に固着している。』(p.49)7, 相手を自分の一部とみなす人には誰でも「ここから先は進入禁止」という心理的・物理的な境界線(バウンダリー)があるものだが、自己愛人間にはそれがわからない。境界線をずかずかと踏みにじり、入って欲しくないところへと入ってくる。「他人は、別個の人格や価値観を持つ、独立した存在として尊重されねばならない。」という基本的なマナーが自己愛人間には、理解できない。ホチキスさんによると、【自己愛人間(ナルシシスト)】一番の特徴とは「健康な自己愛の欠如」だそうです。彼女自身に詳しく説明してもらいましょう。『健康な自己愛は、幼少期に芽生え、精神的に豊かで生産的な成人期に満開を迎える。健康な自己愛があってこそ、わたしたちは自分自身や自己の欠点を笑いとばしたり、内面を深く探って独自のものを創造したり、この世に優れた足跡を残したりできる。』そうか。自虐ネタで笑いを取り、周囲の空気を和ませるのって、健康な自己愛を備えた人ならではの「高等技術」なんですね。ま、度を超えると悪趣味になりますが。人間関係の潤滑油として時々使う程度ならばOkでしょう。『健康な自己愛とは、あらゆる感情を感じられ、他者の感情も共感できる能力であり、夢見る力をもち続けながら現実と幻想を区別する知恵であり、激しい自信喪失に陥らずに夢の実現を積極的に追い求めて楽しむ才能である。』感情豊かで人の気持ちに寄り添える。それが大人。でも、大人になる、イコール 夢を諦める、とはなりません。成熟した大人なら、「目の前の現実に合わせて、上手に夢の形を変えられる」はず。そういう人の視線は常に「現在」」「現実」へと据えられています。美化された過去や、はるか彼方の未来へと逃避したりはしません。例えば、ロックの世界でビッグになりたい!という大望を抱いていたギター少年がいたとしましょう。バンド活動に明け暮れていた彼も大学生となり、迷いながらの就職活動を経た後、そこそこ満足できるような職場に無事収まると「まぁ、いっか。」と、いつしか音楽から遠ざかってしまいます。でも、社会人として余裕が出てくると、「やっぱり俺は音楽が好きだ!」と、かつての情熱がムクムクと復活。売れようが売れまいが関係ないさ、と、吹っ切れたところで仲間を募り、オヤジバンドを結成。週末にライブハウスなどで公演を重ねるうちに、地元ではちょっとした有名人となる。そのうち、CDデビューの話も来るかもしれません。こういう「日々の現実を大切にし、あるがままを受け入れ、最大限に活かす」という生き方とは対極にあるのが、自己愛人間(ナルシシスト)なんですね。何歳になっても、現実がどうだろうと、過去の体験に基づく「脳内俺様伝説」「脳内あたくし伝説」にひたすら固執し続ける。哀れさを通り越して滑稽にすら見えます。『健康な自己愛は真の自尊心の上に成り立つが、概して自己愛人間(ナルシシスト)にはそれが欠けている。』 (「結局、自分のことしか考えない人たち」 サンディ・ホチキス 著、江口泰子 訳、草思社、2009年、p.17)ここを読み、私ははた、と立ち止まってしまいました。真の自尊心。自分自身の中にそんなもんあるのか?と聞かれたら、「さぁ、どうだろう...。」と言葉を濁すしか無いんですよ。どうも、この辺りに自己愛人間と、私自身との関係を読み解くカギが潜んでいそうです。続きはまた後編に。
2013.08.10
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超特大ラブラドライトハート綺麗です。(マダガスカル産)↑一家にひとつ欲しいわぁ...。蒸し暑い横浜から西海岸の我が家に戻ってそろそろ一週間。時差ボケがひどくて、回復までに要する時間が年々長くなっているのを感じます。あちらにはおよそ6週間滞在しました。6週間、と言えば長いように聞こえるでしょう。でも、その中には先祖の墓参りやら、地方に住む親戚宅の訪問やら、両家の爺婆たちとの思い出作りを兼ねた小旅行やら、とにかく外すわけにはいかない行事予定が結構入って来るんですよ。年にたった一度の里帰りですしね。過密スケジュールはやむ無し、です。しかも、「この年になって、生まれて一度もディズニーランドに行ったことが無いのは、クラスでも自分だけだ!」「原宿に行ってクレープ食べたい〜!KIDDYLANDも行きたい〜!」...なんて、小生意気なこと言うようになった子供の希望にも、適度に耳を傾けねばなりません。で、そのような、いかにも「人酔い」しそうな場所に行ったら行ったで、翌日はどっと疲れが出るのが当然。そこで無理しちゃいけません。ビッグイベントの後には、何もしない、どこへも行かない、というぐうたら日だって挟まなきゃ。後の方にもたくさん予定が控えていますから、途中で体調崩すわけにはいかないんです。このような調子で密にスケジュールを組んでいくと、否応無しに「会いたい人」の数をぐぐぐっと絞り込む必要が出てきます。小学生の子供を一人残して半日出かけるわけにはいかないので、ベビーシッター役をお願いせねばならない義母の都合も考慮して予定を決めないと。義父が亡くなってから数年が経ち、あちらこちらに居心地の良い人間関係の場を築いている彼女は、多忙ながらも元気いっぱいの、出たり入ったりの毎日を送っているからです。これは実に喜ばしいことですよね。...そうなると、子供抜きで大人同士のおしゃべりが楽しめるなんてチャンスは、6週間いてもせいぜい3、4回がいいところ。(世間の人が思い描く嫁姑像と全く違い、義母と私はとても気が合うのです。本当に良くしてもらっています。ただ、一応私にも遠慮というものはありますよ。)で、日本へ発つ前に考えました。じっくり、時間をかけて。さて、誰に声掛けようかな?って。「今度、日本に里帰りするんだ。会えない?」...と。何人かの学生時代の同級生の顔がすぐに浮かんで来ました。ただ、残念ながら...どうも、彼女たちとは ☆今☆ 人生のこの時点において 会うのをやめておく方がいいんじゃないかな…。そのような重苦しい予感がどうしても消えないんですよ。まぁ、これも一種の直観なのでしょう。経験上、そうしたメッセージが告げていることには素直に従った方が良いと信じているので、結局、そのように感じた人々にこちらから連絡を取ることはせず、電話やメールでも、facebook上でも、ずっと沈黙を守り続けてこちらへ戻って来ました。限られた日数の里帰りを前にして、誰にコンタクトを取るか。そして、誰に会うか。この厄介な問題、故郷や旧友達から遠く離れたところに長く暮らしていらっしゃる方になら、きっと理解していただけるのではないかと思います。旧友と久々に再会するっていうのは、ある種の博打(ばくち)みたいなもんで、「吉凶どっちに転ぶかわからない」というスリルとサスペンスをはらんでいるものですよね。「やっぱり、彼女と話していると楽しい。元気になれた。連絡取って大正解!!!」という大吉、が出るか。それとも、「...会ってみて悪くはなかったけど、でも、昔のネタを掘り起こして再利用するようなだるい会話ばかりで、正直、疲れた。」という凶、が出るか。いや、ホント、博打(ばくち)ですよっ。その場に赴き、相手と会って、実際に話してみるまでは、どう転ぶか全然わからないんですから。(←あの〜、これって、日頃から互いの家族の近況報告メールとか年賀状とかをマメに交換している律儀な人には理解できないでしょう。この、筆不精者だけが味わうハラハラドキドキ感... 。)何度も言うようですが、限られたスケジュールですからね。しつこく浮かび上がってくる直観メッセージに逆らってまで、「今、会わない方が良いかも...」組の人々との再会を強行するより、「会いたい!」という気持ちにさせられる人々の方を優遇するのは当然、じゃありません?数年前の自分だったら、「昔、さかんだった人間関係」の方に過度に義理立てするあまり、本当に楽しい時間をみすみす逃していたはず。もうそういう無用な義理立てや、しがらみに縛られるのは止めました。少しはズルくなることを覚えましたので。冷たい言い方と思われるかもしれませんが、人間関係にも賞味期限ってある。そう思いません?今回、「今、会わない方が良いかも...。」と、あまりその気になれなかった昔の友人達っていうのは、ひょっとしたら、今、その【関係の賞味期限切れ】状態にあるのかもしれません。...そう感じる原因が私にあるのか、それとも、あちらにあるのか。それはわかりません。将来、また昔のように親しく行き来できる間柄になるかどうか、ということに関しても、今は何も言えません。 「縁」ですからね。こればかりは何とも。最近、義母(76歳)が同窓会に行った時、こんなセリフを耳にしたそうです。「あぁ、彼女んとこの子供さん?...よくは知らないけれど、どっかの大学出て、働いて、元気でいるみたいよ。で、最近あなたはどうしてるの?どこか海外旅行とか行った?」いいですね、こういうの。互いの家族の近況報告をここまでテキトーな次元で片付けてしまえる年代になれば、元同級生同士の付き合いは実に気楽で、心地良いものとなるのでしょうね。一方、私の年代(四十代半ば)は、同世代の女性が集まると、「誰の旦那さんは今どこでどういう仕事をしていて、上の子供さんはどこどこの学校を受けて落ち、結局滑り止めの女子校で、下のお子さんはN塾に通い、御三家狙っているらしい...」なんて、話の探り合いばっかり。それを「情報交換」と称して、ね。うんざりしますよ。どーでもいいよ、そんな当事者以外の話なんか、って、思います。で、結局、私はどうしたかって言いますとですね、今回は「会えて良かった!!!」というリターンを確実に見込めるような、大吉組の人々(後述します】にだけコンタクトを取り、その全ての方々ととっても充実した対話のひとときを過ごすことができました。「誰それの立ち位置がどーのこーの」といったゴシップネタはさらりと流して、「今の私」「今のあなた」...つまり、【今、この瞬間に生きる我々。】に話のピントを上手に合わせられる方々との話ですもん。楽しくならないわけがありません。いつ会っても明るく前向き、ユーモアあふれる会話で和ませてくれる同じ幼稚園のママ仲間だったCさんにMさん。遠くから駆けつけてくださり、とても初対面とは思えない程濃ゆーい(笑)話と笑いとをいっぱいシェアしてくださったTさん。義母とは昔から家族ぐるみでお付き合いをされている、とびっきり博識でチャキチャキの江戸っ子気質の大工さん・Aさん。いつも朗らかに笑い、少女のように純粋なところは還暦を迎えた今も全く変わらないNさん。そして、海外からポッとお邪魔した私を、共にエニアグラムの知恵を学ぶ仲間としてあたたかく迎えてくださった東京・新宿周辺で活動するグループ・エニアグラムアソシエイツの中嶋真澄さん、および当日参加された各タイプの皆さん。【送料無料】本当の「私」が見つかる心理テスト [ 中嶋真澄 ](自己保存・性的・社会的というエニアグラムの「本能のサブタイプ」理論をベースにしたご本ですよ。)人生いろいろ、光も陰もそれなりに経験してきたけれど、決して苦しさから逃げたりせずにしっかり前見て明るく生きている...。このような共通項を持つ素敵な大人の人達との出会いに恵まれた今回の里帰り、実に思い出深いものとなりました。人間って、そんなに悪くない。それどころか、結構いい、かもしれない。改めてそう思えるようになったのは、皆さんのおかげです。ありがとう。光と陰とを織り交ぜながら、全体では何とも表現し難い複雑な、深みのある輝きを放ち続ける素敵な大人たちにはぴったりの石、それが【ラブラドライト(Labradorite)】。今、一番大好きな石のひとつです。日本滞在中もポケットに入れてずっと一緒に歩いていました。「ラブラドライト長石の仲間。一見地味な青灰色の表面に、まるで蝶の羽のように幻想的な青や黄緑が輝くパワーストーン。光の干渉作用によって生まれるきらめきは、ラブラドエッセンスと呼ばれています。霊的な波動の強い輝きから、インスピレーションの向上や、テレパシー交換のために役立てる人もいます。」【送料無料】パワーストーン大事典 [ マダム・マーシ ]こちらのp.169より引用しました。
2013.08.05
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日本におけるホリスティック医療の第一人者で、中医学と西洋医学との融合に尽力されてきた医師・帯津良一先生の言葉です。【送料無料】いい場を創ろう [ 帯津良一 ]人間は本来、明るく前向きにはできていません。ひとりで電車に坐っていたり、ひとりレストランで食事をしている人の姿を見てください。なんだかみな、かなしそうに見えます。別に悲しいわけではないのでしょうが、わたしにはそう見えます。だからわたしは、いつも患者さんたちに、人間はかなしくて寂しいものだと決めようじゃないかといっています。「寂しくてかなしい」のが人間の本来の姿なのだと思えばいいのです。そうすれば、それより下に落ちようはありません。「明るく前向きに」と思っていると、一気に奈落の底へ突き落とされるようなことも起こりますが、はじめから人間とは寂しくてかなしいものだと思っていれば奈落の底まで落ちることはありません。 しかし、寂しくてかなしいだけでは生きてはいけません。そこで「希望」や「生きがい」が必要になってくる。患者さんにとっていちばん大事なのは希望です。 どんな状況にあっても---もう明日死ぬという人にも、希望は必要です。たとえまったくの健康体に戻る希望はなくても、「今日よりもよい明日を、明日よりもよい明後日(あさって)を」という希望がなくては、人は生きられません。いまより少しでもよくなるという希望がどんな患者さんにも必要なのです。(「いい場を創ろう」帯津良一、風雲舎、2005、p.141)病と向き合う人、人生の難題に行く手を阻まれたように感じている人、方向性を見失った人...。あらゆる境遇の私たちの心の内側に直接訴えかけてくるような、あたたかな励ましの言葉ですね。帯津先生、素晴らしい一冊をありがとうございました。これからも大切に読み返します。しかし、帯津先生がまさかこちらの「セスは語る」をお読みになっていたとは...。本書の要となる部分で半ページ以上のスペースを費やし、引用されているのですよ。腰が抜けそうになりました。【1000円以上送料無料】セスは語る 魂が永遠であるということ/ジェーン・ロバーツ/ロバートF.バッツ/紫上はとる(アメリカ人女性作家・ジェーン・ロバーツが霊媒となり、トランス状態でしゃべった言葉を記録した「セス・マテリアル」を代表する一冊。本ブログ2013.05.03の記事をご参照ください。)知人から薦められてぱらぱらとお読みになった、と、さらりとお書きになっていますが、まがりなりにも「チャネリング本」ですよ、この「セス」シリーズは...。帯津先生の柔軟な脳味噌(うちの父と同じ昭和11年生まれだなんて!)、そして「良い物は素直に良いと認める」潔さがこんなところにもしっかりと表れていますね。先生、とっても素敵です。ますますファンになりました! わたしはあまり肉を食べませんけれども、旅に出たり、町を歩いているとき、無性にメンチカツが食べたくなることがあります。ナイフを入れると肉汁がジュウジュウいっているメンチカツを頬張ると、とにかく幸せな気分になれます。そんなときは何をおいてもメンチカツを食べます。自分が食べたいわけですから、幕内さん(*注)に何といわれようと、その場合はメンチを食べる。それでいいのだと思っています。(前掲書、p.202)(*注:幕内さん=「粗食のすすめ」などのベストセラーで知られる管理栄養士・幕内秀夫氏のこと。埼玉県川越市にある帯津先生の病院・帯津三敬病院で食事指導を務められている。)【送料無料】粗食のすすめ [ 幕内秀夫 ]...私も帯津先生派ですね。幕内さんのお説、長年のご飯党としてはまぁ、理解できなくもないですし、賛同できるところも多々あるのですが。(朝、パンで済ませてしまうと調子悪くなるんですよー。おやつとしてなら喜んで食べますけれど。)でも、揚げたてメンチカツの肉汁ジュウジュウを前にして黙っているなんて、無理。本で読んだことなんて全て吹っ飛ばし、パクッ!と行ってしまう...と、思います。で、行き着くところはバカボンのパパ流開き直り。高い山の上にあって、ひょっとしたら永遠に辿り着くことができないかもしれない理想郷よりも、まずは目の前にある揚げたてメンチカツがもたらしてくれる幸せを選ぶ。そして、作ってくれた人に、メンチの材料となってくれた「いのち」に、その「いのち」を育んだ大地の恵みに感謝しながら、「いただきます」と深々と頭を垂れる。遥か彼方のゴールを目指すばっかりが良い人生、良い生き方だとは限りませんよね。俗人っぽい、ささやかな幸せ。そういうものを馬鹿にしたり粗末にしたりする人生は、どこか虚しいよな、嘘くさいよな、って思う自分は、やはりまだ人間界でもまれるのが分相応の未熟者なんでしょう。でも、どうやらそれでいいみたいです。背伸びせずに、自分を偽らずに、自分で決めたペースで歩いていきなさい、ってことみたいです。不完全な自分像を「まぁ、いいか」と認め、受け入れ、最終的には肯定すること。この不完全な人間世界全体を「まぁ、それでよし」と認め、受け入れ、そして最終的には肯定すること。この二つは表裏一体、コインの裏表のように切り離せないものなのですね。つまり...自分に対して、「このままじゃダメだよ!」と厳しい目線を向けているうちは、自分の外の世界にも「あー、ありゃぁダメだよ!」という批判的な姿勢を抱かずにはいられない。逆もまた真なりで、外の世界や他人の言動にケチばかりつけているうちは、結局、自分に対してもチクチクと攻撃の矛先を向けてばかりいる、ということになりがちです。自分への態度、イコール 外的世界への態度なんですよ。「そんなばかな。ちゃんとセルフケアはできている。自分のことは大切にしている。」...そういう方もいるでしょう。でも、よ~くご自分の日常を振り返ってみてください。案外、無意識のうちに自分に対して「そんなんじゃダメだろう。全然なってないよ。」と、ダメ出しすることが多いのではありませんか?「セス」と名乗る霊的存在がそのメッセージの中で繰り返し強調している「人は自分の現実を自分で作り出す。」(You create your own reality.)という言葉。少しずつではありますが、身近な例に引き付けてみることで、理解できるようになってきました。凝り固まった思い込みや世間の常識から一度離れ、ほんの少しだけ視点や立脚点をずらしてみることが大事ですね。ほんの少しの工夫で、「世の中ってそう悪くない」「自分ってそんなにひどくはない」と思えるのなら、やってみる価値はあると思います。その心境の変化を引き起こすきっかけとなるのが、俗人っぽい、ささやかな幸せだって、いいじゃありませんか。八世の中よ、あはれなりけり。常なれどうれしかりけり。山川に山がはの音、からまつにからまつのかぜ。「落葉松」 北原白秋↑「軽井沢観光ガイド」というホームページへとリンクします。
2013.06.19
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※前回の【5】の続きです。併せてお読みくだされば幸いです。もうひとつ。【女王様】の歪んだ世界観が、周囲の人の道徳観をじわじわと蝕んでいく様子が垣間見られた実話を紹介しましょう。これ、私が実際に経験した会話です。黒犬べーやん:「日本人学校の宿題、やってもやっても終わらなくって、 金曜日の夜は寝るのが遅くなっちゃって可哀想なんだよねー。 [黒犬べーやん・注:当地の日本人補習校は毎週土曜日が授業日です。] 漢字の学習帳とか、ただ機械的に 埋めるだけなんだけど、時間ばっかかかってねぇ〜。」上級生のママさん:「あぁ、そうですよねー。低学年のうちはきついですよねー。」黒犬べーやん:「まぁね、早いうちから始めなきゃダメって頭ではわかっているんだけど、 つい、他の習い事とか現地校[=アメリカの小学校]のこととかが 出てくるもんで、後回しになっちゃって。 これじゃぁいけないよね〜...。」上級生のママさん:「そんなに大変なようだったら、 漢字の学習帳ぐらい、 親が左手で[=ヘタな字で]書いて手伝ってやればいいじゃないですか。」(何の後ろめたさも、ためらいも感じさせず、「至極当然!」ってな顔をして言われたこのセリフには、こちらの背筋が逆に寒くなりました...。)この上級生ママさん、【女王様】のお子さんと子供さんが同学年で同じクラス。母親同士の出身地も近く、私が知り合いになる前から頻繁にランチやお茶を共にしている間柄でした。私の個人情報は、彼女を通じて【女王様】へと全て横流しされていた模様。(...あぁ。「私の話を楽しんでくれているんだな。話、合うなこの人。」とメガトン級の勘違いをして、何でもべらべら喋り過ぎた自分ったら。ほんとにほんとにアホでした。実は【女王様】とその仲間たちの娯楽ネタを収集されていただけなのに〜。)一人の大人が「あの人、トンチンカンな事言ってるよ」、ってだけなら、単なる笑い話で済みます。でもね、冷静に考えてみてください。こうした「親が左手で書いて手伝ってやればいいじゃないですか。」といった発言をしている女性。子育て中の母親なんですよ。母親のトンチンカンな考え方によって歪むのは、まず、子供達です。今は、明るく無邪気な笑顔を見せている子供でも、母親の歪んだ思考や物の見方をそのうち真似るようになります。徐々に「本来どうあるべきか」という正しい道を見失い始めます。子供、特に小学生ぐらいまでの子供というものは、母親のやることを正しいと信じて疑いませんからね。そのけなげな献身ぶり、絶対的な忠誠心には、傍で見ていて涙さえ出てきます。どんな母親でも、ある時期までは「世界一のママ」なんです。だから、何か問題が発生しても、実はおかしいのは自分の母親で、まともなのは他人や世間だった、などと疑ったりはしません。母親の言葉を丸ごと信じます。母親が【女王様】とその仲間たち流の「その場さえしのげればいい」「自分さえ良けりゃいい」といった思考法に毒されちゃっているうちは、「人としておてんと様に恥じない生き方」を示すのは、無理です。親以外の他の人間関係から「何がまともか」を学ぶチャンスに恵まれないと、後々成長して子供さん自身が生き辛くなります。世間とぶつかることが増えていくにつれ、幸せを実感するのが難しくなりますよね。【送料無料】シック・マザー [ 岡田尊司 ] 「一例をあげれば、子どもが先生に注意されたという話をしたとき、 母親が被害妄想的に解釈し、その先生を悪魔の手先か迫害者のように語ったと すると、子どもはそうした認知を刷り込まれることで、先生からの注意に対して、 自分を顧みるという方向には向かわず、先生の方がおかしいという態度をとって 信頼関係を結びにくくしてしまう。 本来は、母親が『お前の行動のこういう点がいけなかったから注意されただけで、 その点を改めればいいことだし、その先生は、お前のことを考えて、 注意してくれているんだよ」と諭すことで、その子も傷つきから立ち直ることが できやすくなるのだが、そうした回復的なプロセスが阻害されてしまいやすい。」(岡田尊司「シック・マザー」、筑摩書房、2011、pp.234−235)モンスターな親がモンスターな子どもを産む。そして、モンスターな親子は他の優しい、無抵抗な親子を食い物にして、ますます狂暴化する。親一人ひとりの意識が変わっていかない限り、日本社会を蝕むこの流れは止まらないでしょう。そして、【女王様】やモンスターペアレントといった人々特有の歪んだ道徳観や価値観に判断力を麻痺させられた人々を待ち受けているのが、3. 孤立化という問題です。(賢明な読者の皆様は、1,2,3,がそれぞれ密接に絡まり合っていることにお気づきだと思いますが。わざわざ番号付けて箇条書きにするほど、それぞれが独立してはいないんです。)他の集団とはちょっと違う、独特の雰囲気を持つ幼稚園〜小学校のママ社会。そんな中でも【女王様ルール】に洗脳されない、まっとうな判断力を備えた人は、ちゃんといます。むしろ、数の上ではそちらの方が多数派だといって良いでしょう。まぁ、あまり目立つ存在ではないかもしれませんけどね。「まっとうであろうとする」人達は、【女王様】の洗脳テクニックに触れると即、違和感を覚えるはずです。エネルギーの質が、その方がこれまで経験してきたような人間関係のそれとは違いますからね。気持ち悪い、嫌な感じ、どす黒く見える...その感じ方は、人それぞれ。でも、危険を察知した時点で、これら「まっとう組」の人々は「うわっ、何、この人!?」とすぐに【女王様】とその取り巻きたちから離れることができます。【女王様】は、そのような「まっとうな判断力」を持った人が嫌いなんですよ。「自分に絶対に近付いて来ない人」「自分から離れていく人」が嫌なのは、自分にはない、「まっとうな判断力」を相手が持っているから、なんですね。なんたって、【女王様】が立派にその一員でいらっしゃるエモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)という人種の【包装紙】をペラリとめくれば、そこにいるのは二歳児レベルの自己中わがまま娘ですから〜。人が持っているおもちゃが自分の手に入らない。そのストレスに耐える力を育てられないまま大人になってしまった、ある意味気の毒な人です。(過度の情けは不要ですけどね。)ですから、離反者、もしくは離反の動きをちょっとでも見せた「生意気」な人々に対しては、2013.05.27の記事で書いたように「あんたがワンランク下ってこと、思い知らせてやる。逆らおうなんて思わない方がいいんじゃないの?」と、相手の自信を凹ませるようなキッツい、でも、その場では言われた本人以外にはわからない程度の微毒を、そっと盛る。それで相手がシュンとすれば、しめたものです。ただ、中にはどうしても【女王様】の歪んだ世界から逃れたくって、脱出を決行する勇者が出てきます。残念ながら、そうした人たちの行く手を阻むのは、ゴシップや誹謗・中傷といった、【女王様】陣営からの復讐。発信源のほとんどは【女王様】、もしくは大臣クラスの取り巻きランク上位の家来でしょう。脱出を試みた勇者に関するあることないことてんこ盛りの噂話を、まずは取り巻き内でスパークさせて、大いに盛り上げる。また、尾ひれをつける。そして、そのうち、離反者の周囲の人々(あまり親しくはないが同じクラスのママとか、ご近所の人々とか)に事あるごとにポロッとそうしたネガティブな噂話を漏らし、徐々に離反者の生活環境を悪意でもって蝕み、じわじわとその人が生き辛くなるように仕向けてやる。当然、離反者に近付こうとする人はほとんどいない...ということになります。そうした陰湿な制裁を恐れるあまり、【女王様】の支配下から抜け出せず、諦めと欺瞞の日々を送る人はたくさんいます。「死ぬわけじゃないし、何が何でも抜け出す」というオプションだって残されてはいるのですが、恐怖心に囚えられてしまい、身動きすら取れません。まさに、カルト宗教にはまった状態。元・統一教会信者の女性が、信者だった頃の様子を語ります。タイトルは、「脱会することに恐怖感を持つ信仰」。...もはや説明の必要は無いでしょう。母親が子供と一緒に過ごす時間なんて、お互いの人生から見ればほんのわずかな年月です。無駄にしたら勿体無いではありませんか。時期が来れば堂々と子供一人で歩いていけるよう、出来るだけのことはしてあげたいですよね。社会の荒波に立ち向かえるだけの健全な自尊心を育ててやりたいですよね。完璧な親になるのは無理だとしても、その時その状況で最善を尽くそうという気持ちだけは持っていたいですよね。限りある貴重な時間です。【女王様教】のようなつまらないカルト宗教に吸い取られないよう、私たち一人ひとりが前向いて、しゃん!と背筋伸ばして、「カモられるのはお断り!」という強い決意と共に生きて行くことが大事です。それが一人の大人として、親という使命を与えられた者として、子供達に対して取るべき責任ではないかな、と思うのです。...そして、陰ながら祈らずにはいられません。一人でも多くの子供が親やその周りの大人からかけられた洗脳状態を解き、幸せで明るい人生を歩んでいって欲しい。大人たちを麻痺させている毒なんかエイヤッ!と力強くはね退けて、まっすぐに生きていって欲しい。...祈ることくらいしかできませんが。ホイットニーの歌も素晴らしいですが、ジョージ・ベンソンのオリジナル版もいいですよ!長い長い取り留めのない文章となってしまいましたが、ここまでお付き合いくださいまして本当にありがとうございました。(来週からは日本に里帰りしてきますので、更新のペースはゆっくりとなります。毎度のお立ち寄り、本当に感謝しております!)
2013.06.13
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五回目となりました、この【女王様教】シリーズ。今回、なぜ、私がカルト宗教という物騒な響きのある言い回しを敢えて使ったのか。シリーズ終盤となりました今、その辺りをもう少しお話ししておこうと思います。【女王様教】という、ママ社会に時折出現する奇妙な現象。外側から観察してみると、いわゆるカルト宗教と共通する点がいくつも浮かび上がってきます。1.支配と服従の問題。 【女王様】を頂点とするヒエラルキーを作り出すことにより、 本来平等・対等であってしかるべきのお母さん同士の付き合いに、 暗黙の上下関係(カースト制)のようなものが生まれる。 そうした不健全な関係が一度固定しまうと、後から崩すことはきわめて難しい。 2.マインドコントロールの問題。 【女王様】に都合の良い現実世界をキープするために、周囲の人々が自分の 本音を殺し、精神を鈍麻させることに慣れ切ってしまう。その結果、取り巻きを長くやれば やる程、【女王様】のプライドを脅かさない程度の骨抜き人間と化してしまう。 【女王様】やその取り巻きの人々の価値観に完全に取り込まれてしまうと、 普通の人々と価値観がズレまくってしまっていることにすら自分で気付かない。3. 孤立化の問題。(価値観・人間関係ともに) 【女王様】とその一座の歪んだ価値観に違和感を覚え、離れようとする者、 あるいは、離れていった者に対しての、容赦無い誹謗・中傷。 悪意に満ちた陰口を周囲に撒き散らすことで、離反者が新たな人間関係 を作りにくくする。 (引っ越して環境を変えられれば一番良いが、それができずに苦しむ人は多い。) 取り巻きの人々は、そうした【女王様】陣営からの執拗な攻撃の様子を見て身震いし、 多少の不満があっても【女王様】の傍にとどまるという道を選ぶ。 そこには、恐怖心によって繋ぎ止められているだけの、不毛なつながりがあるのみ。(こちらの女王様はこんなに笑えるというのにねぇ。こ、殺し屋女王...)まず、1の支配と服従の問題について。ここはひとつ、イメージ重視で直観的に見てみましょう。思い出してみてください。あなたが人生で遭遇した【女王様】風のあの女性、この女性。通りすがりの人から見れば和気あいあいと話に花を咲かせている仲良しグループと映ったかもしれませんが、今、冷静に振り返ってみると、その構図、「【女王様】とその取り巻きたち」というオーラがもわ〜〜〜っと立ち上がっているように感じられませんか?長い時間じっくりと観察する必要はありません。パッと視界に入ったその構図、パッと思い出した人々の様子から受けた印象を大切にしてくださいね。直観に関することは何でもそうですが、あまり頭でっかちに考え過ぎないのがポイントです。常識とか、社会的な地位とか肩書きとか、左脳からの情報は一旦黙らせてください。集合写真を取る時も、決して【女王様】は端っこの、誰かの後に隠れて、顔半分だけちょこっと前の人の肩の後から覗いている…なんて立ち位置にはなりません。必ず、写真の中で中心を占めるか、それか、周囲の人が気を遣って「さ、さ、もっと真ん中に」なんて彼女を目立つ場所へと押しやったりします。もちろん、彼女がその誘いを断るなんてことは有り得ません。【女王様】なんですから。周囲の人は単なる引き立て役。彼女という大輪の花の周りに添えられたかすみ草程度の存在です。少なくとも、彼女の脳内では。そうした【女王様】に引っ張られているようなママ友グループや、女同士のグループと行動を共にしていて、あなた、本当に幸せでしたか?「楽しいな、もっとこのままでいたいな」なんて感じたこと、ありましたか?「一人でいるよりはマシだから」と、楽しげな振りこそしていたものの、本当は家に帰ってくるなりドーーーーっと疲れ切って布団に倒れ込んだり、はたまた、アイスクリームやチョコレートなどの甘いものや、炭水化物系の食べ物(ご飯やパンなど)をドカ食いしたりしていたのではないでしょうか?【送料無料】Emotional Freedom: Liberate Yourself from Negative Emotions and Transform Your Life [ Judith Orloff ](こちらのジュディス・オルロフ先生の本からの受け売りです。)あるいは、家族、特に子供のどうってことない仕草に対し、イライラと当たり散らしてしまい、後で激しく後悔した、とか。思い当たるフシがあれば、あなたは既に【女王様】から毒を盛られている可能性がありますね。そして、本来誰もが持っているはずの【幸せ感知器】が既に狂い出しているかもしれません。母親であるあなたの【幸せ感知器】が壊れている状態で、一体どうやってあなたの子供やあなたの配偶者の幸せ・不幸せを敏感にキャッチすることができるでしょうか?できっこないでしょ。【幸せ感知器】って、理屈とか、世間の常識とか、親の教えとか、そういう左脳的な部分とは全く関係無く、誰もが生まれたときから与えられている直観、つまり「内なる声」を聞くことで精度が上がっていくんですよ。だから、【女王様】のご意向に沿おうとするあまり、「内なる声」を殺し、本音をぐっと飲み込み、やりたいことも我慢して他者のためにご奉仕ばかりしていると、感度が鈍ってくるのも当然。そうなると怖いですよ。今、自分が本当に何をするべきなのか。何が自分にとって最良なのか。そんなことすらも判断できなくなってしまうのですから。運転席に誰も座っていない車が公道を走っているような、そんな恐ろしい状態のまま生きていくなんて、あなた、本当にそれでいいんですか?【女王様】、困ったことに、そういう心が弱まった状態の「カモさん」をいじって遊ぶのが大好きなんですよね。こうした「いじり」は、上記2.の「マインドコントロールの問題」へとつながっていきます。一例を挙げましょう。梅代ママ:「最近、十年ぶりにまた喘息の発作が戻ってきちゃって...。 もうすっかり治ったとばかり思っていたんですけど。 何なんでしょうね、一体。」竹美ママ:「うわぁ、お気の毒。私は喘息は無いんだけど、夫の弟がやっぱり喘息持ちでね。 辛いよね。一刻も早く何とかしたいよねー。 それで、お医者さんには行ったの?」梅代ママ:「うん、松子女王様がね、『今はドラッグストアでもいい喘息の市販薬が買える』 って教えてくれたんで、近いうちに試してみようかな、って、思って。」...あのぉ〜、十年間ご無沙汰だった喘息がある日突然復活して毎日辛い、なんて場合には、市販薬とかでごまかしたりしないで、とにかく「医者に行った方が良い」と勧めるのが筋ではないかな、と思うのですがね。それが友達同士の間柄...でしょう?(あ、そうか。「友達」じゃなく、主従関係でしたっけ。)この方、【女王様】お得意のその場しのぎのテキトーな「アドバイス」を真に受け過ぎちゃいましたね。「ヘタに自己診断するよりは、まず専門家に」という基本中の基本すら見えなくなっている模様です。【女王様】に日頃から毒盛られ過ぎたんですよ。だから、「私のようなつまらない者など、わざわざお医者さんに診てもらう値打ちすら無い」とすら信じていらっしゃるのですね。今、手を打たないと後々さらに厄介なことになるかもしれないのに。【女王様】のアドバイスなんて、所詮、本音は「あんたがどうなろうと、私には関係無い」なんですから。まともに耳を傾けるだけ、損ですよ。自分の身体や心を守り、必要な対策を講じられるのは自分しかないんです。ご自分のために、そして、愛する家族のためにも、勇気を出して目覚めましょう。
2013.06.13
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これまで本シリーズをお読みになってくださった方の中には、私・黒犬べーやんが【女王様】と呼ぶ、特定の女性達を一方的にやっつけているだけじゃないか、実は単に恨みを晴らしたいだけなんじゃないか、と、突っ込みたくなった方もいるかもしれません。まぁ、こうしたタイプの女性とはあまりお近付きになりたくない。それは本音です。素直に認めます。でもね、別に恨みを晴らしたくなる程の被害は受けていませんよ。学んできたことを忠実に実践し(笑)、必要最低限の会話しかしないよう、接触を避けていますからね。唯一受けた被害、といったら、先日、その手の【女王様】タイプと顔を合わせた時に、イヤ〜な気を送られているのを感じた程度でしょうか。(※注意!※「気」とか「エネルギー」とか、こういう話を「アホくさっ!」と思う方はどうぞ他へいらしてください。しばらくその手の話題、続けます。)その女性と挨拶を交わした直後は特に何も感じなかったのですが、帰りの車を運転しながら、「やだな、妙に胸の辺りが重苦しい。気分がすぐれない。今日は疲れがひどいな。」と、普段と違う体調が気になっていました。するとその時。突然パッ!と、数時間前に挨拶を交わした【女王様】タイプの女性の、誇らしげに笑う姿が脳裏に浮かんだんですね。頭の中で電球がパッと点灯。「あーーーーっ、そうか! あの人と至近距離で接触してから、調子狂いだしたんだ!」胸の重苦しさが、一瞬で遠くに消えていきました。次に押し寄せてきたのは、驚く程の解放感。あまりにも瞬時に楽になったので、「これは絶対に見えない世界のガイドさんたちが、『その通り!』と教えてくれたんだ。」と、信じるしかありませんでしたね。誰が何と言おうと、私はそう信じます。...すっごく不思議な体験でしたよ。(;´∀`)…うわぁー…こんなこと、本当に起こるんだな、って。だから、あなたにだって、きっとわかります。霊も見たことない、金縛りにもあったこともない私にだってわかったのですから。直観を大切にしてください。身体の声、心の奥底から発せられる小さな、小さな声に耳を傾けてください。それが、大切なあなたを助けたくって、見えない世界から一生懸命はたらきかけているガイドさんたち(スピリットガイド/守護霊)から届けられたメッセージです。直観とは...とても小さな声です。とても微妙な感覚です。常に不安や恐怖で頭をいっぱいにしていては、せっかくメッセージが届いてもあなたの心の中に響くことはありません。常に誰かとのお茶や買い物などで予定をぎっしり詰め、せわしなく街中を走り回っているようでは、メッセージには気付けません。そう。認めようが、認めまいが、私達が生きているこの地上世界には、目に見えない「気」『エネルギー」「霊」といったものが絶えず飛び交い、私達の生活に影響を及ぼしています。そうした世界をうまく泳ぎ渡っていくために、私達誰もが直観を磨かなきゃいけないんですよ。現代日本における、ホリスティック医療の第一人者・帯津良一先生がおっしゃっている通りです。他人の意見も、みんなの噂も、マスコミで言っていることも、みんないい加減だってこと、東日本大震災後の世論や政府の発表が雄弁に物語っていますよね。時が移れば、コロリコロリと白黒反転しますから。真実を自分の力で追求することを諦め、自分以外の誰か&何かを過度に信頼すると、とんでもない方向へと運ばれてしまい、一番嫌な場所でいきなりドスンと落とされてしまうかもしれませんよ。それとは対照的に、他の誰でもない、あなたのことを守ろうと、一生懸命働いてくれているのが、見えない世界の優しい導き手(ガイド)たち。どうか粗末にしないでください。疑ったり、頭っから否定したりしないでください。見返り求めず、忍耐強く、我々を支えてくれている彼らにだって「悲しみ」という感情はありますから。そうした導き手(ガイド)からの合図に気付くには、まず、瞑想を日々の暮らしに取り入れてみませんか。ヴィパッサナー瞑想や、禅瞑想などの仏教系。それから、ヨガの瞑想やTM瞑想など、インド/ヒンドゥー文化圏から伝えられてきたもの。この他にも、中国からは「動く瞑想」とよばれる太極拳や気功、そして西欧文化圏からは修道院を中心として受け継がれてきたキリスト教の瞑想など、世界各地に昔から伝えられてきた瞑想テクニックがありますよね。一番抵抗の少ないものから入られてみてはいかがでしょうか。私自身試して良かった!と思ったのは、シアトルエリア在住の直観能力者であり、エネルギー療法の専門家でもあります、マリー・マヌチェリ(Marie Manuchehri)さんのラジオ番組で知った方法。この時の放送です。英語オンリーですが、もし、ご興味を抱かれた方がいらっしゃれば...。イギリス出身で、貧しい子供時代を過ごしながらも、裸一貫から努力と創意工夫でもって製薬会社を立ち上げ、大成功。億万長者となった今も、新しい目標に挑戦し続けている実業家であり、作家であるトレバー・ブレイク(Trevor Blake)さんがゲスト出演した時に紹介していた、誰にでもできる瞑想法です。【送料無料】Three Simple Steps: A Map to Success in Business and Life [ Trevor Blake ]価格:1,276円(税込、送料込)実に簡単なんですよ。宗教も、マントラも、道具も、一切必要ありません。朝、目覚めたらすぐ、布団の上に座る。足は組んでも伸ばしても構いません。そして、20分間、何もせずに、ぼぉ〜〜〜〜っと心静かにそのまま座っている。これだけです。(もっとも、早起きが苦手な人間としましては、その「起き抜け・20分のゆとり」を捻出するってーのが一番難しかったりするんですが...。ほほほ。)できる限り、毎日続けてください。あなたの中の何かが静かに、ゆっくりと、変わり始めます。そして、静まった心の状態で、直観が意識の表面に浮上しやすくなった時に、「身体の感覚や、感情の変化が告げているサインに敏感になる」という次のステップに取り組めばいいのではないかな、と思います。2013.05.25の記事での引用と重複してしまいますが、ここは肝心かなめの内容なので、ジュディス・オルロフ先生が挙げている注意点、もう一度繰り返しましょうね。【相手や状況に関するネガティブな直観】★ みぞおちに不快感があったり、胃酸が増したり、不快な既視感がよぎる。 [筆者注:「あ、これ以前にも体験したような...」って意味で解釈してください。]★ 鳥肌が立ち、相手に触れられると本能的にパッと身を引いてしまう。★ 肩こりがし、胸のあたりや喉が締めつけられる。痛みが悪化する。★ 首の後ろが身の毛立つ。★ 倦怠感、暗さ、重苦しさ、動揺を感じたり、エネルギーを吸い取られるように感じる。(「ポジティブ・エネルギー」p.265)そして、こちらもお忘れなく。良い状態って、どんなだったっけ〜?の答は、身体に覚えさせるのです。【相手や状況に関するポジティブな直観】★ 相手に親しみや輝きを感じて安らぐ。 旧来の知人のように感じたり、既視感(デジャヴュ)がある。★ 呼吸が楽になり、胸や肩がリラックスして、腹部の緊張感がない。★ 腕組みして自分を守ったり、少しずつ距離を置こうとせず、 自分が身を乗り出しているのを感じる。★ ハートが開く。安らぎや活力を感じ、開放的になって、生き生きとする。★ 握手、抱擁、愛の行為のさなか、相手に触れられるとくつろぐ。(「ポジティブ・エネルギー」p.265)ポジティブ・エ...著者:ジュディス・オルロフ価格:1,890円(税込、送料込)古本屋さんで探してください。自分を守るための「逃げろ!離れろ!」というサインは、意外にしょっちゅう出ているもの。私達がそれに気付くだけで、大難も小難に変えることができます。まずは、場数を踏んで、練習を重ねないと、ですよね。
2013.05.28
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シリーズ3回目、あなたのすぐ近くにいる【女王様】キャラのあの人を理解するためのヒントを書き綴っています。【1】はこちら。【2】はこちらからどうぞ。凹んだ顔など絶対に外部の人には見せない。いつも一座の華としてのポジションを崩さない。そんな【女王様】にとって、一番嫌なことって、一体何なのでしょう?それはね、「人に背を向けられること」なんですよ。 誰かが自分に背を向け、自分から離れていく。あるいは、相手が明らかに自分の「上」を行っていて、ライバル視すらしてくれない。自分に向かって賞賛の眼差しや言葉を投げかけてくれないのですから、どちらも同じくらい不愉快。【女王様】の目には、そう映ります。【女王様】は、この記事のカテゴリ名が示す通り、エモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)です。「心の吸血鬼の人間的未熟さを理解すれば、闘う上で最大の武器になるはずだ。彼らの突拍子もない行動の多くは、二歳児の行ないだと考えるとたいがい納得がいく。実際の年齢や社会的地位にごまかされてはいけない。少なくとも常軌を逸した行動に出ているときの吸血鬼は、二歳児なのだ。吸血鬼との闘いでは、子供に対するのと同じように接することがもっとも効果的な戦略となる。つまり、『これ以上はダメ』と限度を設定し、突発的事態にもあわてず、ダメなものはダメと一貫して押し通し、簡単な言葉で説明し、よい行ないはほめて悪いことは無視し、場合によっては『一時行動停止』のおしおきを与える。」(あの人はなぜあなたを疲れさせるのか」 アルバート・バーンスタイン、実川元子・訳、角川書店、2001年、p.27)【増補改訂版】Emotional Vampires: Dealing with People Who Drain You Dry [ Albert J. Bernstein ]あの人はなぜあなたを疲れさせるのか / アルバ-ト・J.バ-ンスタイン、実川元子【中古】afbなるほど。二歳児レベルをアクティングアウト(行動化)している人、ならば、「おひとりさま」状態が耐えられないのも当然でしょう。外面とは裏腹に、「ひとりにしないでよ〜(泣)」と内心では叫んでいるんですね。幸い、うまくしたもので、そこそこ長く生きてきた人間が集まれば、中には危険を察知して早めに遠ざかるだけの賢さを備えた人だって、必ずいます。過去に似たようなタイプの人と関わって痛い思いをしたのかもしれませんね。そうした少数の賢明な人は、【女王様】とは一定の距離を置いて付き合います。ばったり鉢合わせしても、型通りのあいさつや、当たり障りの無い話で済ませ、決して会話を長引かせません。見習うべきはこうした人々の行動パターンです。実は、「カモられない」人々が一定数いることは、【女王様】にとってはストレスの種なんですね。彼らが視界に入るたびに、面白くない気分になります。それを解消するため、「ああ、どうせあの人たちは雑魚(ざこ)だから。」と、一蹴する。イソップ物語の「すっぱいぶどう」のキツネの論法、ですね。心理学でいう「合理化」(負け惜しみ)を繰り返すごとに、心の奥には【毒】が蓄積していくこと、彼女は気付いていません。二歳児ですから、ストレスへの対処法も、まぁ、年齢相応です。相手がこちらになびいて来ないのですから、不本意ながらも作戦変更です。もっと簡単にコロッと自分の魅力に参ってしまうような、「カモ」を多く集める方へと自分のエネルギーを向けるのです。「質」が手に入らなきゃ、「量」で勝負するしかない、と。こうして、一人、また一人...と、前回書いたような手順でもって、取り巻き...つまり、ちょっとやそっとでは自分から離れそうもなさそうな、簡単に【素敵な包装紙】の魔法(マジック)に引っ掛かりそうで、自分のプライドに脅威とならない程度の「ワンランク下」と見込んだ人々を、周囲に増やしていきます。それでもやはり、周囲の人全員を取り巻きにすることはできません。カモり損ねた相手に対しては、「あんなの、雑魚だから。」と毒づいて、うっぷん晴らし。それが頻繁になると、素敵な笑顔をキープするのもしんどくなります。だから、溜まった毒は他人に押し付けてスッキリしちゃいましょう。プチッと不愉快にさせられた人々に、プチッと小出しに復讐してやればいいのです。所詮、二歳児ですからねー。毒々しい心の闇と真正面から向き合い、自分の中で処理するなんて、無理、無理。さあ、ここからが吸血鬼としての本領発揮ですよ。巧妙に、しかも、人目につかないところで。じわじわと相手を弱らせるに充分な毒を、ちゃちゃっと盛る。そりゃーもう、名人芸と言って良いほど、手慣れたものです。得意技、その一。「きわめて微妙なこき下ろしでもって、こちらの自尊心を凹ませ、『お前はワンランク下』とのサブリミナルメッセージを送る」、です。女王様:「あらー。お久しぶりね。元気?○○くん(子供)は?」Pさん:「こちらこそ、お久しぶりです。おかげさまで、まぁ、何とか。元気に学校に行ってます。」女王様:「受験したんでしょ?X中学って言ってたような...」Pさん:「...あの、X中はダメだったんですよ。でも、何とか第二志望のY大附属に引っ掛かったんです。今は『ここで良かった』ってすっごく楽しいみたいです。★★ちゃん(女王様の娘)も、受験したって確か...。」女王様:「そういえば、Y大附属って、最近クスリで逮捕された芸能人の××川××太郎の子供がいるって話じゃない?いや~よねぇ、最近は物騒なニュースばかりで。...あ、バスが来ちゃった。それじゃ、また。」Pさん、一方的に情報むしり取られ、しかも、子供の学校にネガティブな事を言われ、質問への答もはぐらかされました。逃げ際に毒針でもってチクリ。刺されたみたいです。(後日談。実は女王様の娘は私学受験したものの、全て不合格。もはやこれまで、と思われたところを、無名私立校の追加募集試験で救われ、毎朝片道2時間もかけて通っている...ということを、風の便りに聞きました。プライドが邪魔して、地元公立中学にだけは行かせたくなかったんですかね。)こちらは昔からの友人・Qさんから聞いた話。少し前まで大手メーカー勤務のご主人の駐在で、某国(本人の希望につき、詳細は伏せます)に住んでいた彼女。その時に遭遇した【女王様】の「自尊心凹ませテクニック」です。Qさん 「もしもし、あの、こちら、××小学校で子供がお世話になっています、○○(名字)ですが...」女王様 「はい...?(当惑した様子)」Qさん 「あの、☆☆☆の母の○○です。」女王様 「あ~~~ら、☆☆☆くんの!(破顔一笑、って感じの声で) ○○なんて名前、聞いたことなかったから『誰なんだろう...』ってわかんなかったもんで!はい、何でしょう?」会話だけ文字にすると、「これ、どこがまずいの?」と言われそうですよね。これだけでは微妙なニュアンスが伝わりにくいとは思いますが...。電話を掛けた側のQさん、「○○なんて名前、聞いたことなかった」この部分に「がーん。」と来たそうです。「あんたみたいな注目度圏外の雑魚、いちいち名字なんて覚えているはずないじゃないの。」そう言われたような衝撃を受け、しばらく落ち込んだ、と言います。【女王様】とはそれ程親しくない間柄だったものの、一応、子供が同じ学校(現地校・日本人補習校)に通い、名簿の類も数種類配布されているので、名字を全く知らない、という言い訳には少々無理があります。共通の知り合いもたくさんいたそうですし。しかも、【女王様】からは、「ごめんなさいね」「失礼しました」など、一切フォローの言葉、無し。せめて、「ごめんね〜!」の一言さえあれば、全く違った印象となったのに、と、Qさんは話してくれました。この方、それまでにも学校行事等で顔を合わせても「目に入らなかった振り」して挨拶しない、声も掛けてこない、という前歴があっただけに、Qさんは、ああやっぱりな、という感じたそうです。直観的に感じていた印象は間違っていなかったな、って。健康な心の持ち主だったら「あ、やっぱり、この人って失礼!ふんっ、無視無視。」で済ませられたのかもしれません。ただ、その会話が起こった頃、Qさんは現地の暮らしに疲れ、半ばホームシック状態。しかも、子供の勉強や受験に関するストレスが加わります。あいにく、仲良くしていた人達は数ヶ月前にみんな帰国してしまっていて、鬱々とした日々を送っていました。そういう時って、ちょっとした無神経な一言が実にこたえるんですよね。「あんたなんて、☆私☆の関心にも引っかからない、つまんない人間よ」っていう、微毒の効いたメッセージ。沈みがちだったQさんの、最も敏感な傷口を直撃してしまったようです。言葉にすると消えてしまうような微妙な心理操作でもって、こちらの自尊心や「いい気分!」に毒を注入していく、というのが、エモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)の常套手段。負けないで。たくさんの人が、あなたと同じ状況を経験しています。そして、乗り越えていますよ。でも、我慢し過ぎないでください。人間、自分がそうありたいと思っている程、強くないんですよ。誤作動起こして、一番大切な家族を悲しませないためにも、信頼できる第三者に打ち明ける機会をぜひ、作ってください。遠くの信頼できる友人。家族。そして、プロの心理療法士やカウンセラー。精神科や心療内科の医師。助けを求めることは恥ずかしいことではありません。自分と、家族を大切にする母親なら誰でもやっている、立派な自己管理(セルフコントロール)です。くじけそうな時にこそ、心をいたわる言葉や本にたくさん接したいものですね。
2013.05.27
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※【1】はこちらです。「ヴァンパイアが患者としてやってくると、私は直観的にそれに気づく。数分以内に、まるで流砂に吸い込まれるように恐ろしく体が重くなるのだ。どんどん沈んでいき、頭がぼんやりしてくる。まぶたがどんどん重くなる。すべてがスローモーションに見えてくる。永遠に思える五十分間の後は、疲れ果てていることもある。(...)私がエネルギーを吸い取られていると感じるなら、他の人たちもそうであることはほぼ間違いない。そして私はひとたび直観的に診断を下したら、自分を守ることを躊躇(ちゅうちょ)しない。」(「ポジティブ・エネルギー」ジュディス・オルロフ、矢鋪紀子・訳、サンマーク出版、2006、p.287)ポジティブ・エ...著者:ジュディス・オルロフ価格:1,890円(税込、送料込)古本屋さんで探してください。【女王様】。この、厄介なエモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)にどう向き合ったらいいかを考えるシリーズ、第二回目です。復習になりますが、【女王様】は基本的に「私って、とっても素敵。だから、下々の者たちは、私からの寵愛を受けることをありがたく思わねばならない。」という催眠術を自分に、そして狙ったカモさんたちにかけ続ける人、です。自己催眠の術を使っている【女王様】は、このように見えます。静かな自信に満ちた顔。おろおろしたり、不安顔でいることは無い。どの角度から見られても「かっこ悪ーい!」「だっさ~。」とは無縁。モデルさんのように完璧に近い身づくろいや、しぐさの数々。常に誰かの視線を意識しているかのよう。でも、あまり人間的なあたたかさとか、自然な伸びやかさは感じられない。深みが無く、どこか人造人間っぽい。特に最後の部分、つまり、「あたたかさ」「自然な伸びやかさ」の無さ。ここ、しっかりと注目しましょう。これだけは、数値化したり、具体的なデータとして捕らえたりすることはできません。直観で把握するしかない領域です。日頃から直観を研ぎ澄まし、上のオルロフ先生のように【女王様】を至近距離から観察する。その後、自分の身体的反応をもって判定するしかありません。こちらも、「ポジティブ・エネルギー」からの引用。【女王様】タイプに限らず、「近付くと危ないよ!」というエモーショナル・ヴァンパイアどのタイプに対しても有効な判定法です。【相手や状況に関するネガティブな直観】★ みぞおちに不快感があったり、胃酸が増したり、不快な既視感がよぎる。 [筆者注:「あ、これ以前にも体験したような...」って意味で解釈してください。]★ 鳥肌が立ち、相手に触れられると本能的にパッと身を引いてしまう。★ 肩こりがし、胸のあたりや喉が締めつけられる。痛みが悪化する。★ 首の後ろが身の毛立つ。★ 倦怠感、暗さ、重苦しさ、動揺を感じたり、エネルギーを吸い取られるように感じる。(「ポジティブ・エネルギー」p.265)常識、周囲の評価といった「頭」の部分から出てくる声は一旦黙らせましょう。大切なのは「あなた自身の反応」です。自分の心(感情)、それから身体に相手の身体が放つエネルギーを直接さらし、どういう反応が起こるか、観察するのです。さもないと、【包装紙】だけが素敵な人と【素敵な中身の輝きがそのまま透けて見える人】この、似て非なるタイプを取り違えて、痛い目にあいますからね。直観の磨き方(...私自身も、まだまだ発展途上なんですが...。)については、また後ほど。【女王様】の特徴、続けましょうか。「自分はワンランク上。」という、不動の信念を抱いている点。これも気を付けたいポイントです。基本的にご自分と同格の人間はいない...はずなんですが、【女王様】のご機嫌を損ねない、「使える奴」として認められる時だけ、例外的にランクアップする場合があります。ま、アップしたと言っても、せいぜい大臣級止まりですけどね。ロイヤルファミリー入りするなんて夢は最初から見ない方が幸せというもの。さっさと諦めてください。例えば、カモさんの配偶者が医者や大学教授など、社会的に地位が高いとされる職業に就いている場合。もしくは、ご本人がそうした方の場合。海外では、大使館・領事館関係者、政府関係者が日本人社会カーストの上位にいますよね。そうした人々は「使える」とみなされ、重宝がられるでしょう。「この人たちは自分を愛するというより、自分に溺れてしまっている。自分の欲望に没頭するあまり、ほかのことに注意を払う暇がない。この種の人格障害者の心理状態は、まるで望遠鏡をのぞいているようだ。自分の欲求は拡大する方向から見ているので大きく映り、ほかのことは反対側から見ているので豆粒のような景色でしかない。ほかの人より自分のほうが優れていると考えている以上に、ほかの人のことをほとんど考えないために小さくしか見えないのだ。ただ、他人に何か求めているときは別だ。」(「あの人はなぜあなたを疲れさせるのか」 アルバート・バーンスタイン、実川元子・訳、角川書店、2001年、p.199)あの人はなぜあなたを疲れさせるのか著者:アルバート・J.バーンスタイン価格:1,680円(税込、送料込)すみません、こちらも古本屋さんでどうぞ...。【話は少し脱線しますが、私・黒犬べーやんの親戚には長らく海外駐在生活をしていた一家がいます。以前からその家のおば様を通して、海外日本人社会におけるカースト制(序列)の存在は聞かされていました。大使館・領事館や政府関係者が上で、銀行がその次。それから、大手商社、大手メーカー...などと続き、航空会社とか飲食店などのサービス業は、末端の方に位置...なんですって。ちなみに、ブルーシャ西村さんが記事でお書きになっていた通り、現地企業に勤めている人や、現地の人と結婚した女性や留学生などはカースト外とみなされるそうです。こんな時代錯誤な序列がもう何十年も続いているんですよ~。ネットで愚痴を吐くことも許されなかった当時の奥様達、さぞや辛い思いをされていたことでしょう。】でも、そこまであからさまに序列化された、ある意味「わかりやすい」社会に暮らす【女王様】なんて、日本人全体から見ればごくごくわずか。周囲のママさんたちを見回しても、【女王様】にとって「使える」レベルの配偶者を持つ人もいれば、持たない人もいる。いろいろな業種の、いろいろな境遇の人がいる。それが世間というものです。なので、ここは【女王様】も百歩譲るしかありません。【女王様が号令かけたら、万障繰り合わせてお茶会に駆けつけ、楽しい『おしゃべり』(←これが曲者なんですが...後述しますね。)に興じる】程度の貢献度でも、まぁOK、とされます。「使える」、いや、「仕える」には変わりが無いことですし、大目に見てやるとしましょう。さてさて。自分がワンランク上と信じ、その素敵な自分に奉仕してくれる「使える(仕える)奴」を常時募集している【女王様】にとって、一番許せないことって、何だと思います? 答は、また次の機会に。この、「名前をなくした女神」という2011年放映のドラマ。ウィキペディア上のあらすじを読む限り、特にこれといって強烈な【女王様】キャラは出ていなかったようですが、どろどろしたママ社会の膿が随所で噴出するような、怖そうな話です...。私は全然見ていないんですけどね。母親達のエゴから生まれる醜いいざこざ。それが幼い子供達の心に与える長期的な影響。決してばかにできないですよね...。いたたまれない気持ちになります。
2013.05.25
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前々回、クンダリーニヨガについて取り上げた際、久々に「カルト宗教」というものの存在について考えてみる機会を得ました。仕事や将来への不安から、恐怖やいら立ちなど負の感情を抱えた人が一向に減らない、そんな最近の日本社会。「気持ち良くなりた〜い」「心癒された〜い」の一心でヨガや瞑想に入る人はたくさんいるのでしょうが、お気楽感覚☆だけ☆で飛び込まず、少し冷静になりましょうよ。カルト宗教がその素性を隠し、ヨガ教室を装って若い人を誘い込み、知らぬ間に入信させた、というニュースもありましたからね。http://news-plus-matome.ldblog.jp/archives/26526446.html(読売新聞の元記事は既に削除されてしまいました。残念。)書店の精神世界・スピ本のコーナーで「ヨガ、やりませんか」と声をかけられても、スルーしてくださいね。まともな教室やサークルはそんなキャッチセールスみたいなことしませんから。相手にしない。関わらない。それが一番です。じっくりとリサーチして、まともな教室・先生を探し出してください。...そんなこんなで、カルト宗教や、3HOという教団が絡むクンダリーニヨガの教えと、さて、どんな具合に折り合いを付けていったらいいものか、などとこの一週間、いろいろ考えていたところ、「なんだ。【ママ友地獄】って、要するにカルト宗教の一種じゃん!」と、ひらめきましてね。きっかけとなったのは、愛読していますブルーシャ西村さんのブログで紹介された「ママカースト」についての二記事でした。(ブルーシャさん、断りなくリンクさせていただくこと、どうぞお許しくださいね。)http://plaza.rakuten.co.jp/bruixanishimura/diary/201304250000/http://plaza.rakuten.co.jp/bruixanishimura/diary/201304280000/こちらのNAVERまとめ・「侮れない階級闘争”ママカースト”」もご参考にどうぞ。http://matome.naver.jp/odai/2136895303333571501ドロドロした話ばかりでうんざりしますが、これらは、嘘偽り無い、真実の記録だと確信できます。脚色・加工はされていないと思いますよ。ええ。実際、私の知人からも、「実家の父親が医者だとどこかから聞きつけてきたらしく、『お父様の出身大学はどちら?』と、自称・『お嬢さん育ちの歯科医の娘』であるママさんから詰め寄られた。一方的に競争相手と目されているらしい。」「配偶者が医者もしくは大学教授、ママ本人がそうした専門職に就く『カースト上位』に位置する人にばっかり話し掛け、親しくなろうとしているママさんがいる。」などの話がぼろぼろ出てきました。こうしたママさんたちって、ブルーシャさんの表現をお借りしますと【包装紙】、つまり、肩書きとか社会的立場や財力といった、外から見てわかりやすい尺度で他人を評価するのが大好きなんですね。そういう人って、悲しいかな、現実にいるんですよ。たくさん。近くの幼稚園。公園。小学校のPTA。同じマンションの中。決して異次元空間の話などではありません。熱中できる趣味や、達成したい目標、「母親役」を超えて、人としていかに生きるべきか、といった視点を大切にしている女性ならば、そういう【包装紙】だけを競い合う、不毛な人間関係には時間を割かないはずです。もっと前向きな、別の人間関係を選ぶでしょう。一方、対照的なのが、子育てと、その周辺の人間関係にしか関心が無い、という【包装紙】グループ。この手の女性達が集まり、群れを成すと、たちまちそこに【包装紙】による序列(カースト)を付けたがるような、歪んだ格差社会の縮図が出来上がってしまう。どうやら、そういう事のようです。【包装紙】好きの人達には、「自分は自分。」という確固たる信念や意志がありません。または、希薄です。本来、我々誰もが持っていてしかるべき「自分ならではの尺度」を育てることを若いうちに止めてしまった彼女たち。ですから、「他人の立ち位置」「他人の幸せぶり」といった自分の外にある尺度を使って、この複雑怪奇な現実世界という魔物に対処せざるを得ません。【『他人』=外にある尺度】でもって現実に向き合う、という生き方が定着してくるにつれ、彼女らは心の奥底で頼れる、力強い親分的存在の登場を渇望するようになります。表向きはどうあれ、誰かに何もかも決めてもらいたいというのが彼女らの本音。ですから、こうしたタイプの女性に向かって、「自分の頭で考えろっ!」とガンコ親父風に一喝しても「え〜、わかんない...みんなはどう思っているの?」と当惑されるのがオチ。で、その「みんな」にしたって、結局「類は友を呼ぶ」で、同じように「あなたはどう?」「主人に聞いてみないと...」と、どうも歯切れが悪い。人任せなんですね。さぁ、そこで待望の【女王様】の出番です。「みんなはどうなの?」が口癖の迷える子羊ちゃんたちを頼もしく引っ張っていってくれて、諸々の難題を一刀両断してくれる【女王様】。満を持しての御降臨です。もう安心ですよ。だって、今後は「子供が学校に行った後の退屈な昼間の時間をどうしよう」という(ふざけんな!級の贅沢すぎる...)悩みも、それから、「誰とお付き合いしたら良いか」という人間関係の迷いも、ぜ〜んぶ【すべて女王様の御心のままに。】というマントラ唱えて一発解決。あー、ラクチン。救い主現れた、ってこういうことなのでしょう。...実は救い主どころか、とんでもなく破壊的なカルト教祖かもしれないんですけど...。【女王様】は、一見、とても魅力的な人。「女王」という表現がまさにピッタリで、VERYのグラビアから抜け出てきたみたい。成金趣味に走らず、かといって決して安っぽくはない素敵な装いと、隙のない完璧なヘア&メイクで登場します。「あぁ、この人、学生時代はきっとJJの女子大生スナップ写真に何度も載ったことあるんだろうな〜。」と、ろくにその人柄を知りもしない段階で「憧れの人」「スタァ」の地位へと祭り上げられることだってしょっちゅうです。外見以外も負けてはいません。【女王様】は、私生活だってとっても素敵。「ママカースト」では中の上〜上位にランクされるような(そこそこの)エリート男性と結婚。そして、お勉強も習い事もとっても良くできる優秀な子供達に恵まれ、誰が見ても幸せファミリーオーラ満開!って感じです。高級住宅街に住み、高級外車をさっそうと乗り回す【女王様】。その女王様が自信たっぷりに言う言葉に間違いなんてあるわけないと思うの。【女王様】とのお茶会に同席している他の人だって、きっとそう思っているはず...。あーあ。また一人、【女王様】ご本人の催眠術にコロリとやられてしまいました。可哀想に。うますぎる話には裏があるかどうか確かめたり...など、一切やっていなかったんでしょうね。「あの人、いつも素敵な格好してる。」「あんな風に私もなりたい!(でも、自分には絶対無理なんだけど...)」「笑顔が素敵でおしゃれでお話も上手。もう、非の打ち所なんて無いって感じ!」上のセリフに共通する点は何でしょう?そうです。すべて、「上っ面=包装紙の部分」だけの印象にとどまっていますよね。それ以上奥深いところへ踏み込んだ観察、つまり、内面の美しさとか、努力家だとか誠実であるとか、人間としての素材部分にまで深く踏み込んだ評価はひとつもありません。「みんなはどうなの?」ばかりを気にする迷える子羊ママさんたちは、特にそうした【包装紙】のまやかしに引っ掛かりやすい。長年修練を積み、「教祖」としての腕前に大いに自信を付けた【女王様】には、こんな事ぐらい全てお見通しです。理屈じゃないんですよ。「カモ」が視界に入ると本能的にそうした「迷える子羊センサー」が瞬時に作動するのです。で、狙った獲物に向けてセレブで素敵なママ光線をビビーッと放てば、はい、信者誕生。チョロいもんです。【女王様】という、実に厄介な人物像。これをドラえもんの世界に置き換えると...外側・出木杉くん。内側・ジャイアン。それも、かなり陰湿な。内村航平さん、お似合い(笑)。もはや説明の必要は無いと思いますが、出木杉くんは勉強も運動も人間性も非の打ち所無し!と、のび太とは正反対です。(←でも私、のび太くんの涙もろくって優しいところ、大好きですよ。)そして、ジャイアンは言わずもがな、「日本一のいじめっ子暴君キャラクター」ですよね。「俺のものは俺のもの。お前のものは、俺のもの。」という迷言=「ジャイアニズム宣言」は永久に不滅でしょう。出典はこちら。【送料無料】ドラえもん(33) [ 藤子・F・不二雄 ]【女王様】が熟知していらっしゃるように、世の多くの人って【女王様】が身にまとっていらっしゃる「素敵なひと」という華麗なる包装紙の表面しか見ていないんですよ。薄っぺらい包装紙一枚の下に隠れされた、その人間の本質的な部分にまで目を光らせる人は、残念ながら少数派のようです。本当はもっとたくさんいた方がいいんですけどね。《知り合う人々の人間性とか、中身だとか、いちいちそこまで突っ込んだ話するの、面倒臭い。それに、いざ中身を開いてみたとしても、「わかんな〜い」というもやもや感が残るだけで、後味悪いだけ。だから、中身なんてどうでもいい。難しいこと、考えなくって済むから。学歴、住居、年収、職業、子供の進学先、親の職業...。包装紙だけ見てるのが、一番楽でわかりやすくっていい...。》【女王様】歴が長ければ長いほど、この、「面倒くさいから包装紙だけで判断しがち」というフツーの人にありがちな悪癖をよく把握しているもの。その動物的とも言える勘には、カルト宗教の大物教祖だって叶わないかもしれません。【女王様教】という、脱会が極めて困難で破壊的なカルト。引っ掛からないためにできること・やれることを、次回考えていきましょう。
2013.05.24
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