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村上さんの『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』を読んで、 これは、一度読んでおかなくては思ったのがカーヴァーの作品。 だが、これがなかなかの難敵だった。 読み始めてから読み終えるまで、かなりの日数を要してしまった。 しかし、考えてみれば、これは決して珍しいことではない。 村上さんが大好きで、翻訳までしている 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と『グレート・ギャツビー 』も、 読み終えたものの、どちらも、そこそこ時間がかかった。さらに、『ロング・グッドバイ』に至っては、読みかけたものの、途中で挫折、現在も読書は中断したままだ。私が村上さんの作品を大変好み、彼の作品ならスラスラ読み進めることが出来たとしても、村上さんの好きな作品を、私がスラスラ読み進めることが出来るとは限らない。それにしても、今回読んだカーヴァーの作品は、いずれも短いものばかり。なのに、読み進めるのに、相当な力が必要だった。これは、何故なのか?生活している環境の違いから来るものなのか、それとも文化的背景の違いからなのか?どの作品も、読み終えて感じるのは、「………?」。傑作とされている『大聖堂』ですら、同様。『ささやかだけれど、役に立つこと』は、多少感じるところがあったけれど、スッキリではない。このスッキリしない気分は、村上作品を読み終えたときの、スッキリしない気分とは全く別物。
2013.07.28
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「ブラック企業」という言葉も、世間で普通に認知されるようになってきた。 しかし、その実態や問題点を正確に知る人は、それほど多くないのでは? もちろん、私も、その一人。 そして、そんな人たちにとって、本著は有力な入門書となるだろう。 ブラック企業がブラック企業たる所以、その実態については、 著者がその相談に関わった実例を元に、多数詳細に紹介されている。 中には、超有名企業の例もあり、そのイメージのギャップに驚かされる。 そして、その辞めさせる「技術」についての記述は、本著の山場の一つ。しかし、本著の最大の肝は、ブラック企業問題を、個人レベルの問題で終わらせず、社会全体の問題として捉え、その社会的対応の重要性を提唱しているところ。放置すれば、医療費や生活保護、消費者問題等々にまで歪みが生じてしまうという。著者が述べているように、この問題については、まだまだ個のレベルの対応に終始している。社会全体の問題として、国民全体が認識し、取り組み始めるには時間がかかりそうだ。その象徴が、皮肉にも先日の参議院議員選挙の結果として表れてしまった。
2013.07.28
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本著の出版を知った時、正直なところ、 こういうものが商品として市場に出回るのは、如何なものかと感じた。 そう感じながらも、結局本著を購入し、読み終えた今、 本著が社会に提供した情報価値は、かなり高いものだったと思っている。 テレビのニュースや新聞でも、ひょっとしたら報道していたのかも知れない。 テレビのワイドショーや週刊誌なら、なおさら。 しかし、こうやって、専門家・当事者の立場から、 冷静・客観的に事実を淡々と記述されると、また違った印象を受ける。 ***被告人は、平成13年6月8日の池田小事件以前に、次のような犯罪を犯している。 ここでは本件犯行以外の記録に残されている犯罪歴を再掲する。 しかし宅間守はこれら以外の多数の犯罪行為について鑑定時に述べている。 診療録等にその一部が記載されていることなどから、ほぼ事実と考えられる。 それらは後に検討する。 1.昭和60年11月10日強かんで検挙(昭和61年7月31日大阪地方裁判所 懲役3年) 強かんは昭和59年11月21日。 2.昭和60年8月19日傷害で検挙(起訴猶予) JR新大阪駅前でタクシー運転手に暴力。 3.平成2年2月1日航空法違反で検挙(起訴猶予) ヤクザに追われて伊丹空港に逃げ込んだ。 4.平成2年5月13日傷害で検挙(罰金5万円) 平成2年5月10日駐車場において男性の顔面を手拳で殴打。 5.平成5年9月2日強かんで検挙(不起訴) テレクラで知り合った女性と性交渉を持ったが金を払わなかったと告訴された。 6.平成9年8月13日傷害で検挙(不送致) 同じマンションの住人に暴行・傷害。 7.平成10年8月13日傷害で検挙(罰金15万円) 同日××職業安定所で3番目の妻I子に対し、手拳で殴打。 8.平成11年3月14日傷害で検挙(起訴猶予) 平成11年3月12日当時勤務していた××小学校で精神安定剤を炊飯器の米飯に入れ、 入院を要する薬物中毒を教師4人に負わせた。 9.平成11年9月8日住居侵入・器物損壊で検挙。(起訴猶予) 平成11年9月7日かつて養子縁組をしたM子宅の風呂場ガラス戸を角材で叩き割った。 10.平成11年11月24日器物損壊(不送致) 交通トラブルから喧嘩。 11.平成12年10月14日傷害で検挙(本件犯行とともに起訴) ××ホテルの正面玄関で、運転中のタクシーの逆走を注意したホテルドアマンに頭突きし、 手拳で殴打し、暴行・傷害。 12.平成13年2月1日暴行で検挙(本県犯行とともに起訴) 交通トラブルで暴行。 13.平成13年5月8日器物損壊(本件とともに起訴) 5台の車のタイヤ13本をアイスピックで突き刺してパンク。(p.89)冒頭にあるように、これ以外にも多数の犯罪行為、迷惑行為、トラブルを起こしている。このような状況の人間が、普通に町中で生活をしているという事実に、ごく平凡な一般人は、衝撃を受けずにおれない。また、彼の職歴についても、ある意味、驚きを禁じ得ない。 ある程度長く勤め得た仕事は二つしかなかった。 航空自衛隊(昭和56年11月15日~同58年2月10日)は、 ××県青少年保護育成条例違反をきっかけに依願退職した。 市バス運転手、クリーンセンター、小学校用務員と 異動した××市役所(平成5年7月1日~同11年4月12日)は、 ××小学校薬物混入事件で分限処分となった。 他の職は、トラック運転手、タクシー運転手などで、 記録に残っているだけでも15ヵ所ほどあるが、いずれも数ヵ月以内であった。 退職理由は、自ら退職とか無断欠勤のまま退職ばかりではなかった。 警察沙汰や逮捕をきっかけに解雇、スピードの出しすぎなどのクレームがあり退職勧告、 客からの苦情や同僚に怒鳴るなどがあり解雇処分、 現場からのクレームで解雇、さらに偽の診断書を提出したこともあった。(p.87)さらに、彼の結婚歴、養子縁組にも驚かされる。 1番目の妻S子とは、平成2年6月14日入籍、同年9月25日離婚。 離婚訴訟となり宅間守は和解金120万円を得た。 2番目の妻K子とは、平成2年10月12日入籍、同6年9月21日離婚。 そのときは円満な離婚であった。 M子と養子縁組したのは、平成7月11月27日であり、同9年1月17日離縁。 そのときは円満な離縁であった。 3番目の妻I子とは、平成9年3月30日入籍、同10年6月5日離婚。 離婚調停で200万円の和解金を得た。 しかし同11年12月24日離婚調停無効確認訴訟を起こした。 4番目の妻H子とは、平成10年10月18日入籍、同11年3月31日離婚。 これらだけから異性関係を語ることはできないが、 ただ比較的期間を置かずに次の結婚や養子縁組をしているという印象がある。(p.88)ものごとへの拘りが大変強く、特に女性や金銭への執着は想像を絶する。そこに、妄想癖や衝動を抑えきれない性向が一体となり、さらに、事件直前には、かなり自暴自棄な状況となっていた。この事件を食い止めるには、どの段階で何をすることが最善だったのだろう。
2013.07.28
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面白かった。 ガリレオらしくなかったけど。 『容疑者Xの献身』より、数倍楽しめた。 ただ、最後の結末は……人それぞれ、受け止め方が違ってくるかも。 ところで原作では、警視庁で動くのは草薙・内海ペアだったんですね。 原作通りだったら、映画観に行っても良かったんだけど…… このお話しにおける内海の役割を岸谷が果たすのは、どうもイメージが違う。 まぁ、『容疑者X』では「なぜ湯川・草薙ペアじゃない!」と言ってた私ですけど。 *** 君たちは完璧な環境保護を要求している。 この世に完璧なものなどない。 存在しないものを要求するのは難癖以外の何物でもない(p.88)これは、湯川先生による「心に響く名言集」その1。続いては、湯川先生による「心に響く名言集」その2。 君は環境保護の専門家かもしれないが、 科学に関しては素人だろう? 海底資源開発について、どれほどのことを知っているというんだ。 両立させたいというのなら、 双方について同等の知識と経験を有している必要がある。 一方を重視するだけで十分だというのは傲慢な態度だ。 相手の仕事や考え方をリスペクトしてこそ、両立の道も拓けてくる(p.200)ただし、次の言葉は、イイコト言ってはいるんだけど、お話しの流れにおいて、私の中では「心に響く名言集」には入らない。 どんな問題にも答えは必ずある。 だけどそれをすぐに導き出せるとはかぎらない。 人生においてもそうだ。 今すぐには答えを出せない問題なんて、これから先、いくつも現れるだろう。 そのたびに悩むことには価値がある。 しかし焦る必要はない。 答えを出すためには、自分自身の成長が求められている場合も少なくない。 だから人間は学び、努力し、自分を磨かなきゃいけないんだ。(p.461)
2013.07.14
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遅ればせながら、話題の一冊を読んでみた。 レビューには、一部批判的なものも見られるが、いまだに売れ続けている。 そして、今回実際に読んでみて、その事実に大いに納得。 何と言っても、とても読みやすいのだ。 とにかく、引っ掛かるところがない。 とてもリズム、テンポが良く、スイスイと読み進めることが出来る。 村上さんも言ってるように、これはとても大切なこと。 阿川さんの文章は、読んでいると言うより、お話しを聞いている感じ。 *** こんな具合に、表情や動作とともに言葉が伝わってくるのと、 画面の文字だけの場合とでは、ずいぶん印象が違うはずです。(p.38)これは、メールによる情報伝達の不十分さについて述べた部分。それを補うべく、絵文字が使われるらしい。確かに、短文で、事実関係だけでなく、自分の感情まで表現することは難しい。さらに、話し言葉においても、語り手の表情・動作の情報は、実は極めて重要な意味を持っている。 過ぎ去った不快なできごとは、当人が思い出さないかぎり、 黙っているに越したことはないという教訓も、重々、学びました。(p.117)なるほど。これは、そういうものかも知れない。次の一文も、同じく、そういうものかも知れないと思わされた 人は皆、自分と同じ顔で、喜んだり悲しんだり寂しがったりするとは限らない。 私が「楽しくなさそう」に見える人だって、 心のなかで跳び上がるほど楽しいと思っているかもしれない。 だから勝手に決めつけるのはよそうと。(p.120)本著を読んで、私自身は、インタビュアーとしての阿川さんよりも、文筆家としての阿川さんに対し、大いに興味を持つことになった。機会があれば、また別の作品を読んでみたいと思う。
2013.07.14
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短編集を2巻挟んでの、久しぶりの長編作・推理劇。 短編集でも、それぞれのお話しに継続性はあるものの、 こうやって読み比べると、やはり違いがあるものだと実感。 作品としての奥行きや深みは、こちらが上。 今回は、ヨーロッパ各地やアメリカが舞台となっており、 ちょっとした旅行気分が味わえる。 おそらく、αシリーズやこの作品のために、、 松岡さん、実際にあちこち出かけて来られたんでしょうね。 *** 錦織は瑞穂のテーブルを見やった。 早くも粘土を丸くこねだしている。 細い鉄製の芯棒のみを支柱にして頭像を立てる気らしい。 錦織は手もとの道具類を眺めた。 「中身となる芯材、ほかには用意されてないな」 瑞穂がぶっきらぼうにつぶやいた。 「芯棒だけ軸にして、あとは粘土の塊。日本じゃそれがふつうでしょう」 たしかにそうだ。 たとえばアメリカでは、頭像といえばフットボールほどもある大きな石を丸ごと芯材にし、 表層に粘土で肉付けをしていくのが常識になっている。 乾燥しがちな土地柄、型崩れを防ぐためのネイティブの工夫が受け継がれた結果ときく。 日本では頭像に“芯石”を使う習慣はない。 サルディーニャの空気が日本に近いことを祈るのみだった。 剥離や変形はご免こうむりたい。(p.127)全国から腕利き贋作師たちが集められて行われた「周正天主催、海外芸術能力選定ツアー」。ここで勝ち抜き、その能力が認められれば、高収入と共に過去を帳消しにしてもらえるという。ヨーロッパ各地を転々とし、そこで粘土を材料にした彫塑で、有名人の頭部を次々につくる。そんなミステリーツアーの一場面がこれで、本巻の肝となる部分。こんなふうに、ちゃんと肝となる部分を、予めお話しの中に、しっかり提示しているからこそのミステリー小説。物語の終盤になって、実はこんな人もいたんです、こういうこともあったんです、なんて言われても、読み手としては、戸惑うしかないわけで……そういった基本的なことを、きちんとやってくれているからこそ、松岡さんの作品は、いつも安心して読むことが出来るんですね。
2013.07.14
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話題の本である。 売れ行きも上々で、評判も悪くはない。 電子書籍も発売されており、そちらの方が安かったが、 『街場の文体論』を読んで色々考え、今回は紙媒体のものを購入した。 読み始めると、1時間ほどで読了。 う~ん……、これなら紙媒体に拘ることはなかったかも…… 書いてあることは、いたってシンプル。 まぁ、それがウケているのかも知れないが…… ***本著で紹介されている、主な技術は次のようなもの。「ノー」を「イエス」に変える3つのステップ1.自分の頭の中をそのままコトバにしない2.相手の頭の中を想像する3.相手のメリットと一致するお願いをつくる「イエス」に変える「7つの切り口」1.相手のすきなこと 「驚くほど旨いパスタどう?」2.嫌いなこと回避 「住民のみなさまのご協力で、チカンを逮捕できました。 ありがとうございます。」3.選択の自由 「A案とB案がありますが、どちらがよろしいですか?」4.認められたい欲 「きみの企画書が刺さるんだよ。お願いできない?」5.あなた限定 「他の人が来なくても、斉藤さんだけは来てほしいんです」6.チームワーク化 「私もいっしょです」 7.感謝 「トイレをキレイに使っていだだき、ありがとうございます」「強いコトバ」をつくる技術1.サプライズ法 「そうだ、京都、行こう。」2.ギャップ法 「これは私の勝利ではない。あなたの勝利だ」 3.赤裸々法 「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」4.リピート法 「さいた さいた チューリップのはなが~♪」5.クライマックス法 「ここだけの話ですが、~」 ***ところで、本著で示された例の中には、思わず「?」と首を捻るようなものも。例えば、「ごゆっくり、お支度ください」(p.67)とアナウンスされても、私は「気を使ってもらってサービスをうけた感じ」には恐らくならないし、「ボランティアなんて偽善だ!」(p.77)の部分も、「……?」だった。
2013.07.07
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『赤朽葉家の伝説』。 赤朽葉家の万葉、毛鞠、瞳子の女三代を、 歴史小説・少女漫画・青春ミステリーと色合を変えながら描いたこの作品は、 間違いなく、桜庭さんの代表作である。 この作品が発表される際、毛鞠についての物語は、ごっそりと削られ、 赤朽葉家一族の物語を増やし、第一部にあわせて文体も統一されていた。 その削られた「暴走族のぶっとんだ説話」に加筆して、 後日刊行されたのが、本作品である。毛鞠は小豆に、蝶子は菫にと、登場する各キャラの名前は変更されているものの、お話しとしては、『赤朽葉家の伝説』の第二部と全く同じ。鳥取の山間部にある製鉄会社の長女として生まれた一人の少女が、鉄を操る不思議な能力を駆使し、レディース総長となって、中国地方を制圧していく。本著で描かれているのは、大半が暴走族の抗争、暴力シーンのオンパレード。地元のレディースを一蹴し、島根、岡山、広島、山口でも大暴れ。最後に謎の青い服との因縁の対決にケリをつけ、小豆はどこに向かうのか……最後のオチは、どうなんでしょうかねぇ?
2013.07.07
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皇帝となったヴァレンティニアヌスは、 10年間、帝国西方全域に渡る蛮族侵入を撃破、阻止し続けた。 彼が急死すると、東方は、引き続き共同皇帝の実弟ヴァレンスが、 西方は、息子のグラティアヌスとヴァレンティニアヌス二世が統治した。 四世紀後半、蛮族中の蛮族、フン族がオストロゴート族を襲撃。 これによって、オストロゴート族が南西へ逃げ、 さらにそれによって、ヴィジゴート族が行き場を失うことに。 ヴィジゴート族は、ローマ皇帝にドナウ河南に居住地を懇願する。彼らは、武装放棄し、軍務に適したものはローマ軍に入って兵士となり、その他の男女、子どもは、その地で農耕に励むという条件を提示。そして、ヴァレンスは、彼らのローマ領内移住を認め、大量移動が始まった。が、他の民族まで便乗し、移住者は当初の予定数を遙かに超えるものに。結果、移住者が期待した生活面の保証は進まず、彼らは武器を捨てない。不満の高まったゴート族は、周辺の村を襲い始める。ヴァレンスは、その鎮圧に腰を上げるが、ハドリアノポリスの戦闘で完敗、命を落とす。残るは、西方を治める19歳のグラティアヌスと、7歳のヴァレンティニアヌス二世。グラティアヌスは、スペインから武人・テオドシウスを呼び寄せると、自分と同格の皇帝として帝国の東方全てを託し、帝国再建に助力を求めた。テオドシウスは、ゴート族の反乱を平定、移住について新協定を締結する。そんなグラティアヌスとテオドシウスに、多大な影響力をもったのがアンプロシウス。ミラノ司教であった彼は、二人の皇帝をコントロール、キリスト教徒以外の異教排斥に、本腰を入れさせる。その最中、グラティアヌスが、司令官マクシムスの反乱により殺されると、テオドシウスが、実質一人で帝国全土を治めていくことに。テオドシウスは、マクシムスの反乱を鎮圧するとローマに赴き、そこで、ギリシア・ローマ宗教の廃絶を発議、元老院にこれを受け入れさせた。その後、アンプロシウスは、テッサロニケ暴動鎮圧時に起こった軍による虐殺について、テオドシウスにミラノ教会前で公式に謝罪させるのである。このようにして、キリスト教は、ローマ皇帝を介し、帝国を支配するに至った。今シリーズのタイトル『キリストの勝利』は、まさに言い得て妙である。さすが、塩野さんだと感心させられた。さて、最後に、私が今巻で最も印象に残った箇所をご紹介。 ただし、強引な論法とはしばしば、 スタートしたばかりでいまだマイナス面が明らかでないからこそ、 可能で有効な戦術でもあるのだが。(p.107)最近の日本の政治家にも、思い当たるところが多々ある。
2013.07.06
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ペルシア軍にメソポタミアのアミダを攻略されると、 正帝コンスタンティウスは、自らの軍を率いてのペルシア遠征を決意し、 副帝ユリアヌスにも、選抜軍団を東方に派遣するよう命じる。 ところが、蛮族兵たちは、これに従おうとしなかった。 そして、ユリアヌスは配下の軍団に「アウグストゥス」に擁立される。 これを知ったコンスタンティウスは、ユリアヌス征伐のため西方に向かう。 ユリアヌスも東方へ向かい、両者の激突は避けられぬ状況に。 しかし、その最中、コンスタンティウスが43歳の若さで病死する。自らの手を血で汚すことなく皇帝位を手に入れたユリアヌスは、首都コンスタンティノープルに入ると、皇宮改革を断行すると共に、キリスト教への優遇策を撤廃、ギリシア・ローマ宗教の再興を図る。そして、ペルシアとの戦争の再開。二度にわたり勝利を収めたものの、補給路を確保できずメソポタミアから退却、その行軍中にペルシア軍の襲撃に遭い負傷すると、その夜には死去。帝位について1年9か月、31歳7か月の人生だった。そんな彼の著書『ミソポゴン』について、塩野さんは次のように記している。 私個人の感想としては、痛ましい感じしかもたなかった。 最高権力者は批判にさらされるのが常であって、 批判は、権力をもっていない者たちに許された 唯一の反撃の手段でもあるとでも思って諦観し、 ペリクレスやユリウス・カエサルがしたように、 放って置くしかないのだと進言したとしても、 壮年を謳歌していたアテネの政治家やローマの将軍とちがって、 いまだ三十代に入ったばかりのユリアヌスには通じたであろうか。(p.121)新帝ヨヴィアヌスは、皇帝の護衛隊長を務めていたキリスト教徒。前皇帝が定め実施した政策を、精力的に次々に無効にするが、7か月後には死体で発見された。その後を継いだのは、北方蛮族出身の武人・ヴァレンティニアヌスだった。
2013.07.06
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内田先生が神戸女学院大学で行った最後の講義を再現。 「クリエイティブ・ライティング」という科目で14回に渡り展開されたお話は、 さすがに大学の講義だけあって、かなり専門的。 それを、いつもの語り口で惹き付け、理解に至らせてしまうのはスゴイ。 だからこそ、教室に入りきれないほど多くの学生が講義につめかけ、 皆が食い入るように先生の話に耳を傾け、ノートをとり続けたのだろう。 単位欲しさだけで集まった学生たちを聴衆とする講義とは一味違う、 大学本来の授業というものが、そこには強く感じられた。 ***まず、衝撃を受けたのは、電子書籍に関する次の一言。私自身も、電子書籍を購入し、何冊か読んでみたものの、未だに、何かシックリ来ないものがある。その原因を、内田先生は見事に説明してくれたのだった。 僕は紙の本はなくならないと思います。 というのは、iPad で読んでも、面白さが「何か」足りない気がするからです。 いろいろ考えました。 そのあと、友人の平川克美君と会ったときにも、彼からも同じことを訊かれました。 「iPad で本読んでる?あれ、読めないだろう?」 その理由として彼が挙げたのは、僕が考えていたこととほとんど同じことでした。 それは本の厚みがないということです。 だから、残りページがわからない。 残りページがわからないと、本ってすごく読みにくいんです。 第一の理由は、自分が本のどの部分を読んでいるかによって、 言葉の解釈が変わってくることです。(p.55)この後に展開する、ミステリーを例にした説明には、ものすごく納得。手に持った本の頁をめくりながら、手触りや重みなど、意識されないシグナルに反応しながら、無意識的に自分の読み方を微調整しているというのは、本当によく分かる。デジタルで「残り何頁です」と表示されても、これと同じ反応は示せないのだ。次は、フランス人が「知りません」という言葉を口にしないのは、それを口にすると、人に侮られ、いらぬ借りを作ってしまうと信じているためで、その背景に、フランス人の階層社会があることを述べている際に出てきたもの。これは、どこの国とかにかかわらず、教育の根幹に関わる言葉だと感じた。 でも、僕たちが社会的な上昇を果たしたいと思えば、 現実的には方法は「それ」しかないんです。 自分が何を知らないか、何ができないのかを正確に言語化し、 自分に欠けている知識や技術を有している人を探し出して、 その人から教えを受ける。 「知りません。教えてください。お願いします」。 学びという営みを構成しているのは、ぎりぎりまで削ぎ落として言えば、 この三つのセンテンスに集約されます。(p.128)次は、外国語を学ぶことについての言葉。これも、目から鱗。外国語を学ぶという行為について、何がその出発点となっているのか、どこを目指していけばよいのかを、再確認する必要があると感じた。 本来、外国語というのは、自己表現のために学ぶものではないんです。 自己を豊かにするために学ぶものなんです。 自分を外部に押しつけるためではなく、 外部を自分のうちに取り込むために学ぶものなんです。(p.244)そして、最後は、たまたま自分が授かった能力を、どのように使うか。自分が人として生まれて、自分が何を為すべきかについて考えさせられた言葉。 みんながそれぞれに個別の能力を持っている。 それは競い合うものではなく、お互いに融通し合って、 みんなでその成果を享受すべきものじゃないんですか。(p.273)こんな授業を、実際に体験できた人たちは、本当に幸運だと思う。とっても羨ましい。
2013.07.06
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