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「マニュアル」と言うと、世間的にはあまり良いイメージがないようだ。 しかも、それが2000ページに及ぶと言われると、ちょっと引いてしまうかも。 ところが、この世間一般にイメージされるマニュアルと、 本著で紹介される無印良品のマニュアルは、少々異なる存在のようである。 私自身は、本著に記されている内容には、納得するところがとても多かった。 「その人でなければ出来ない仕事」が多い職場は、組織として弱い。 誰かがいなくても、仕事が支障なく回る職場・組織こそが理想である。 しかし、それは言うほど簡単に出来上がるものではない。そのためのマニュアル。これは、その職場・組織の知識と経験の蓄積、大いなる財産である。これが不十分な職場・組織は効率が悪く、行動がバラつき、エラーも出やすい。しかし、マニュアルどころか、過去の記録すら不十分な職場は、結構多いものだ。知識と経験の蓄積物となるためには、現在進行形の仕事についても、時々刻々、その知識と経験を、新たに書き加えていく必要がある。そう、常に更新されていくマニュアルこそが、実際に役立つのだ。こういうものを、何とか作ることが出来ないかと、強く思った。
2013.11.24
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チビッ子マユナシ、金髪のショートヘアの女が、 見知らぬ大男と共に、突然、希実の母・律子を訪ねてやって来た。 彼女は希実が、幼少の頃に預けられていた母の実家に住む従姉妹・沙耶。 かつて随分嫌がらせをされ、今になっても身構えてしまう存在。 彼女は、大男の安田と一緒に、広島から駆け落ちしてきたと言う。 もちろん、母は不在のため、沙耶は希実の部屋に居座ることに…… その後、沙耶が家を出てきた本当の理由が判明することになるが、 その理由のため、希実は様々な事件に巻き込まれてしまう。そして、その間に、希実の失われていた記憶の断片が蘇る。それは、遠い日の雨の日の出来事。幼い希実の前で言い争う母と美和子。そう、希実は美和子のことを、よく知っていたのだった。今巻、暮林の出番は少ない。それは、店を留守にしてまでも、秘密裏にある人物と会う必要があったから。そこに、あの大男・安田も絡むことに。最後は、希実がその人物と出会う決心をしたところで終了。
2013.11.24
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最初の1冊を手にしたのが3年前。 そして、遂に最後の一冊を読み終えました。 随分長い時間をかけて、読み続けたものです。 既刊のものを、こんなに時間をかけて読み切ったのは、勿論初めて。 恐らく、もっと勢いをつけて、どんどん読み進めることも出来たはず。 でも、少しでも長く、この『ローマ人の物語』の世界に浸っていたいという意識が、 ページを捲るスピードを、自然に緩めていたのでしょう。 そして、今、本著から得たものは、私にとって大きな財産となりました。 ***476年に西ローマ帝国を滅亡に追い込んだオドアケルは、テオドリック率いる東ゴート軍と戦うが、イゾンツォ河、ミラノ付近で連敗し、493年に講和を結んだ直後、殺害されてしまう。これによりイタリアでの権力を掌握したテオドリックは、526年まで生きながらえる。その死の翌年、東ローマ帝国では、ユスティニアヌスが単独皇帝となった。ユスティニアヌスは、旧西ローマ帝国領土再復のため、将軍ペルサリウスを北アフリカ、そして西方、さらにオリエントへと派遣する。ベルサリウスは、その後も悪条件の中で次々に勝利を収めたが、561年、ユスティニアヌスを批判したことで、全資産没収・自宅監禁を言い渡される。これについては、半年後に無罪となったものの、その翌々年、ベルサリウスは死去し、同年にユスティニアヌスもこの世を去った。一方、イタリアは、553年にナルセス率いるビザンチン軍がゴート族を一掃していたが、彼が死去した568年には、ロンゴバルド族の手に落ちるのだった。
2013.11.24
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最近読んだ本の中では、読み進めるのにかなり労力を要した。 最終ページのナンバリングは470と、かなりのボリュームがあることに加え 本著は、米国で出版されたものを、日本語に翻訳したものであり、 英文の構造を、日本語として読む際に、困難を感じることになったためだろう。 著者は、精神科医でカウンセラーのM・スコット・ペック氏。 彼は、診察室で出会った患者たちについて、その際立ったものを紹介し、 「悪」というものを心理学的に分析していく。 それには、個人の「悪」もあれば、集団の「悪」も含まれる。まず、邪悪な人間の行動の特徴について。こんな人にスケープゴートとして、罪を転嫁され、激しく攻撃されてはたまらない。 邪悪な人間は、自分には欠点がないと深く信じこんでいるために、 世の中の人と衝突したときには、 きまって、世の中の人たちが間違っているためそうした衝突が起こるのだと考える。 自分の悪を否定しなければならないのであるから、他人を悪と見なさざるをえないのである。 自分の悪を世の中に投影するのである。(p.134)ストレスを受けているときの方が、悪に走りやすい。それは、ストレスに直面したときには、退行を起こすのが普通で、邪悪性やナルシシズムが、前面に現れ出てくるから。では、善とストレスとの関係はというと、次のようになる。 真の意味で善良な人とは、ストレス下にあっても自分の高潔さ、成熟性、 感受性、思いやりを捨て去ることのない人のことである。 高潔さとは、状況の悪化に反応して退行することなく、 苦痛に面して感覚を鈍らせることなく、苦悩に耐え、 しかもそれによって影響を受けることのない能力である、 と定義することができるかもしれない。(p.375)私が、本著の中で最も興味深かったのは、ベトナム戦争にまつわるエピソード。それらから導き出される「集団の悪」についての記述は、目から鱗であった。 集団が失敗し、それが集団の自己批判をうながすようなことになると、 集団のプライド凝集性が損なわれる。 そのため、国を問わず時代を問わず、 集団の指導者は、その集団が失敗したときには、 外国人つまり「敵」にたいする憎しみをあおることによって 集団の凝集性を高めようとするのがつねである。(p.382)
2013.11.10
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あの「人造人間キカイダー」を、松岡さんが小説化。 裏表紙には「2014年映画化」の文字が躍りますが、詳細はまだ不明? そして、かなり期待して読み始めたのですが、ちょっとがっかり。 「本当に松岡さんが書いた作品?」と疑ってみたくなるほど。 「千里眼シリーズ」では、見事なアクションシーンを描いていた松岡さん。 でも最近は、「Qシリーズ」や「αシリーズ」のような、 「人が死なない」が売りの、穏やかな作品が続いていました。 だからこそ、期待していたのですが……ただし、このガッカリ感は、アクションシーンがどうのこうのと言うよりも、この作品の、お話しとしての深みや味わいの希薄さに起因していると思います。まぁ、この作品は、原作があって、それを小説化したものですから、ある部分、原作の方にその責があると言えるのかも知れませんが……。ただし、次の一文を読んだときには、私はかなりの衝撃を覚えました。 ヒトは誕生の瞬間から、生命への驚異を抱える。 自身が理解を越えた存在ゆえ、死に対しても、まだ謎を残している。 いわば不思議があればこそ、死後に期待が持てる。 ヒトはそれを不滅の魂と仮定したり、あるいは死後の世界、輪廻転生などと解釈してきた。 宗教に傾倒せず、神仏の存在を否定し、 医学的に人体が物質にすぎないと諦めていたとしても……。 不思議がある限り望みは消えない。 いかに現実主義者であろうとも、ヒトである以上、最終的に不滅を信じられる。 宇宙、恒星、惑星、自己、自然のつくりだしたすべての存在が神秘であり奇跡だ。 だからヒトは、いずれ死を迎えると知りながらも、心に安定をつくりだせる。 今際の際にも恐怖を緩和させられる。(p.94)私は、この作品を読む直前に『ヒトは死なない』という書物を読んだのですが、その書物で述べられていたことと、この一文があまりに似ていたからです。この偶然の一致に、何か不思議な因縁めいたものを感じてしまいました。ただし、これに続く、自我が備わったロボットの死に対する恐怖の感情についての記述については、SF小説の設定とはいえ、ちょっと理解し難いものがありました。 たとえ修理により機能を回復しようと、部品の大半が新しい物に入れ替わったら、 仮想生命は維持されない。 これはロボットの自意識でなければ理解できないことだった。 同一の設計であろうと、複製品に備わるのは自分の知覚ではない。 ただのクローンだ。 機械として五十一パーセント以上を破損する日、それが死にほかならない。 己が失われる。消えてなくなってしまう。奇跡はない。死ぬのは怖い。(p.96)
2013.11.10
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副題は「ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」。 著者は、臨床医として多くの患者に関わり、その生と死を見詰めてきた方。 そこで行われる様々な医療行為についての記述は、かなり専門的で難しめ。 が、だからこそ、各場面がリアリティーをもって読む者に伝わってきます。 そんな医療現場の最前線で活躍してきた著者が述べる 「生命とは我々が考えるほど単純なものではなく、 自然科学としての現代医学が生命や病気について解明できているのは ほんのわずかな部分でしかない」(p.031)という言葉は、実感なのでしょう。そして、著者は現在の自然科学では説明できない別次元の、いうならば霊性の領域に関する事例を、次々に紹介していくことになります。自分の中に入り込む他者、体外離脱、そして交霊等々。そこには、著者自身の体験も、多分に織り交ぜられています。さらには「霊」に関する研究にも言及し、最後に、自らの考えをまとめて記しています。医療の最前線で、数多くの患者に接し、その限界とともに、その視点からだけでは説明できない、数多くのことに関わってきた著者が辿り着いたのが、「人は死なない」という境地だったのです。
2013.11.10
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楽天ブックスでも「ご注文できない商品」と表示されているように、 一般の書店では、もう販売されていない一冊。 そして、ちょっと前なら、古書でもそう簡単には手に入らなかったのだが、 現在は、わりと容易に入手できるようになったので、早速購入、読書。 これも、著者の右肩下がりの兆候の一つかと、感慨深いものがある。 本著に示された様々なテクニックを駆使して、世論を味方につけ、 自身が思い描く理想を実現すべく、様々な変革を大胆に断行してきたが、 彼の本業は、こういう仕事だったのだからと、思わず納得してしまった。さて、本著で示される交渉のテクニックは、一読の価値があることは間違いない。巷にあふれる、交渉のマニュアル本とは一線を画す、実践的内容。ただ、掲載されているテクニックを使いきることができるのは、著者のような人間だけだということは、肝に銘じておいたほうがよい。
2013.11.04
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『ナイチンゲールの沈黙』が2006年、 『ジーン・ワルツ』と『マドンナ・ヴェルデ』が2009年、 『モルフェウスの領域』が2012年~15年、『夢見る黄金地球儀』が2013年、 そして、この作品が2022年を舞台としたお話しということになっている。 『ナイチンゲールの沈黙』で登場した時、佐々木アツシは5歳だったのに、 その16年後を描いた本作では、17歳の高校生として登場している。 その矛盾の辻褄合わせのために書かれたのが『モルフェウスの領域』。 5年間のコールドスリープ(人工凍眠)の結果、年齢に齟齬が生じたとする。そして、『ジーン・ワルツ』『マドンナ・ヴェルデ』に登場した曾根崎理恵の夫が、本作に登場する、世界的なゲーム理論の権威者・曾根崎伸一郎。また、理恵の母・山咲みどりが代理出産したのが、本作の主人公・曾根崎薫と、双子の妹・忍ということになる。 私は、曾根崎理恵が、なぜああまでして代理出産を強行したのか、その理由を知りたくて、彼女に関する情報を少しでも得ようと、本作を読むことにしたのだが、彼女の過去はもちろん、夫・伸一郎とのエピソードも全く描かれていない。彼女は薫の母として名前が登場するだけで、お話しとは全く関わりのない存在。要するに、本作は他の海堂作品との関連性は極めて薄く、一つの独立したお話し。父親が「潜在能力試験」というものを作成する際、その手助けをした中学生が、学校でその問題を受験することになり、調子に乗って全国一の成績をおさめ、その結果、大学の医学部で学ぶことになってしまったというもの。理恵の子供なら、かなりの潜在能力を持っていてもおかしくないのだが、薫の学校での成績は、歴史以外あまり芳しいものではない。そのため、優秀な級友の力を借りて、何とかその場その場を凌いでいくのだが、そんな中、世界的注目を集めるに値する実験結果をはじき出してしまう。そして、その実験結果をもとにした論文を、研究室の教授が発表すると言い出したことから、事態は急速に悪展開していく。お話しは、中高生向けに書かれただけに、他の海堂作品に比べると単純明快。ただ、三田村君や進藤さんは、あまりにも優秀すぎると思うけど。
2013.11.04
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踊り娘ヴァイオレットは、ドンキホーテファミリーの一員だった。 彼女に騙され、サンジは絶体絶命の大ピンチに追い込まれる。 だが、彼の裏表のない純粋な気持ちが、ヴァイオレットを動かす。 そして、彼女からフラミンゴの本当の狙いを知らされることになる。 一方、サニー号は、ドンキホーテファミリーのジョーラに襲われ、 モモの助、ナミ、ブルック、チョッパーは、アトアトの実の能力の餌食に。 また、フランキーは、オモチャの兵隊から、ドレスローザの秘密を聞かされ、 ウソップとロビンは、小人たちとコロシアムの地下「闇の工場」へと向かう。 さらに、武術大会Cブロックで奮闘を続けるルーシーことルフィーは、祖父ガープに恨みを抱く、元八宝水軍第12代棟梁チンジャオを破り、見事決勝進出。その直後、地下の獄舎で、コロシアム専属剣闘士レベッカに命を狙われるが、難なくかわし、彼女の仲間から、彼女が、フラミンゴがやって来る前の先代国王の孫だと聞かされる。反フラミンゴ勢力が、いよいよ結集し、決戦の時を迎えつつある。
2013.11.04
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