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阿字野との対面を果たしたパン・ウェイ。 その言葉のやりとりの中で、彼は新たな境地へと一歩を踏み出し、 これまで持ち合わせなかった「温かいピアノ」まで手に入れてしまう。 その演奏は、これまでの演奏者を遙かに凌駕、最早優勝決定ムードが漂う。 しかし、それはカイのピアノをより一層際立たせるためのものに過ぎなかった。 演奏直前、レフとの間に起こりかけた揉め事も、難なくクリア。 多くのサポーターたちに見守られながら、阿字野の元を旅立つ決意を固め、 世界に羽ばたくステージで、聴く者を圧倒する爆発の導入部を披露。それにしても、このお話しもいよいよクライマックス、もう一波乱、二波乱はありそうなものの、もうすぐ終わってしまいそうな雰囲気も漂い始めた。既に今巻で23巻目だから、いつエンディングを迎えても不思議はないが、まだまだ終わって欲しくない、今後のカイを見守っていきたいのが本音である。
2013.05.26
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著者の梅原さんは、格闘ゲームの世界ではかなりの著名人。 2004年開催のEvolution『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』部門における 「背水の逆転劇」は、伝説となっているとのこと。 以後、紆余曲折を経て、現在はプロ・ゲーマーとして活躍している。 読み始めると、書かれていることは「なかなかスゴイ」と感心させられる。 「極める」ためには、こういう姿勢こそが必要なのだと思わされる。 しかし、読み進めるにつれ、何か違和感も感じてしまった。 カスタマーレビューは相当な高評価なのだが……私が天の邪鬼?
2013.05.26
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本著は「お役所しごと」を扱き下ろすことを目的に書かれたものではない。 そこに見られる様々な弊害や問題点、課題を取り上げ、 それらがなぜ起こるのか、どうすれば防ぎ解決出来るのかを、 純粋に書き連ねたものである。 なので、読むべきは、役所勤務の人たちでなく民間企業に勤務の人たち。 それも、経営規模が大きく、官僚化が進んでいる企業勤務の人たちである。 そんな人たちに「お役所しごと」にも見習うべき点があり、 逆に、そうなってしまってはいけないところも、的確に指摘してくれている。 *** 私は以前に、トーマツという大きな監査法人に勤務していました。 そのころは、自分の会社を最悪の企業体、公認会計士集団だと思っていました。 なぜなら、自分は組織に対して多くの前向きな提案をして、 多種多様な仕事に取り組んでいたのですが、 自分の能力を最大限に活かしてもらえていないように感じたからです。(中略) ところが、その監査法人を退社して初めて、私の属していたのは日本一の組織だったという 驚くべき事実に気づきました。(中略) 私が辞めたとき、トーマツは業界4位でしたが、現在では1位になりました。 きちんと定められた監査手続きすら行われないケースが多かったなかで、 当たり前のことを当たり前にきちんとできる組織という強みがあったのです。 いかに私が「井の中の蛙」だったかわかりました。 業界の「常識」や「非常識」が外に出ないとわからなかったのです。(p.44)本著で、私が一番心に響いた部分。まさに「隣の芝生は青い」である。 よく言われる話ですが、人間がネガティブな行動に走る原因の多くは、 屈辱感と嫉妬です。(p.72)これも納得。 人に言うことを聞かないのがリーダーシップです。 基本的に全員の意見など聞かなくていいのです。 あるべき論をしっかりやり、あとは各論ベースで、どう解決していくかです。 各論をまとめても全体論にはなりません。(p.84)これは目から鱗。しかし、実際にどう事を運べばよいかは難しい。 ものごとが自分の思い通りにならない場合は、まず「自分のせいではないだろうか?」と 「内省」することが人間としての成長の糧だと思いますが、 組織の「やっかい者」の人はすでに成長を拒否しています。 だから言ってもムダなのです。(p.125)「じゃあ、どうすればいいの?」と言いたいところですが、そうすると「放っておきなさい」と言い返されそう。でも、そうはできないから、頭を抱えてしまうのです。ホント難しい。
2013.05.26
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正体不明のバスに乗せられて、どこか知らないところへ連れて行かれる。 その前に、五人の恋人たちに、別れを告げて回る男・星野一彦のお話し。 つまり、星野くん、五股をかけていたわけである。 もう、この時点で共感することの出来ない、イヤ~な男である。 伊坂さんの作品にしては、珍しいキャラ設定だなと思ったら、 巻末の「ロングインタビュー」で語られている内容から、 この作品が、太宰の『グッド・バイ』の基本設定を踏まえたものだと分かった。 なるほど、納得である。そして、星野くんが途中で逃げ出さぬよう、バスに乗せるまで監視するのが、謎の女・繭美。慎重190cm、体重200kg、アブドーラ・ザ・ブッチャーそっくりの体型で、肌は白く、ブロンドの髪で、顔は以外に可愛らしく、いつも日本語を話す白人のハーフ。常に、BALENCIAGAのスーツやジャケットを颯爽と身に纏っている。この星野くんと繭美との不思議な組み合わせの謎も、次の記述によって解明される。 「そこに行ったら、機械の身体がもらえる、なんてことはないのか」 僕は子供の頃に、従兄と一緒に見た、昔のアニメ映画のことを思い出して、言った。 空を飛ぶ蒸気機関車に乗り、謎めいた美女に連れられた若者が旅をする話だ。(p.284)なるほど、この作品、『グッド・バイ』だけでなく、『銀河鉄道999』まで、モチーフにしていたのか。主人公の名前が「星野」という時点で、気付くことが出来なかった私も迂闊だった。でも、「繭美」と「メーテル」との間には、まだ私が気付けぬ関連性があるのだろうか?さらに『バイ・バイ・ブラックバード』という曲も、このお話しのベースになっているようだ。この歌は、一般的に「売春婦稼業から足を洗い、母親のもとに帰る」内容と捉えられているが、「過去と訣別し、新しい世界に向かう」等々、様々な解釈がなされているようである。そして、演奏はマイルス・デイビス、歌はジョセフィン・ベーカーのものが定番?さて、読み始めた時点では、イヤな男だと思った星野くんだったが、読み進めるうちに「悪いだけのヤツでもなさそう?幼子みたいに純真すぎるだけ?」とも思えるようになってきたのだが、この「純真すぎる」というのは実は曲者。また、繭美の方も、最初はイヤな感じの粗野な女だったが、最後には多少感情移入できた。6つのお話しの中では、私は5つめの有須睦子のお話が一番好き。最後は、本当にジーンと来る。
2013.05.26
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遅ればせながら、やっとこの作品を読むことが出来た。 2011年のベストセラー1位にして、第8回本屋大賞1位。 TVドラマ化され、今夏には映画の公開も決定、大いに話題になっている作品。 読んでみて、この状況に大いに納得させられた。 個性的でありながら、親しみが持てる分かりやすいキャラクターたち。 スタンダードな王道ミステリーでありながら、一つ一つのお話しは簡潔。 ユーモアを交えた、読みやすい文章。 お決まりのパターンがくどく感じられず、逆に安心感に繋がっている。これなら、続編が二冊、既に世に送り出されているのも頷ける。もう、人気シリーズとして確固とした地位を築きつつあると言えるだろう。ただ、それらの続編も、私は文庫化されてから読むことになるとは思うが、それも遠い日のことではないだろう。
2013.05.12
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今巻から「キリストの勝利」シリーズ全3巻の始まり。 このシリーズで描かれるのは、最初にキリスト教を公認し、 「大帝」の尊称で呼ばれるようになったコンスタンティヌス没後の帝国。 大帝は、実子3人に甥2人を加えた5人に分担統治させようと準備をしていた。 ところが、甥2人は直ぐさま殺されてしまう。 詳細不明のこの粛正には、次男・コンスタンティウスが関わっていた可能性大。 結局、帝国はコンスタンティヌスの実子3人により、分担統治されることになる。 しかし、この状況も長くは続かず、やがて亀裂が。長男・コンスタンティヌス二世が、末弟・コンスタンスに北アフリカ割譲を要求すると、これが切っ掛けで軍事対立が発生、長男は殺され、末弟がその領地を得ることとなった。それから十年、コンスタンスは配下の蛮族出身の将・マグネンティウスにより謀殺される。これを受け、次男・コンスタンティウスは、ペルシアと休戦協定を結ぶ。その時点で、西には二人の皇帝が並び立っていた。コンスタンティウスは、そのうち一人を外交戦で凋落する。そして、マグネンティウスとの決戦を前に、ペルシアに備え副帝・ガルスを任命。彼は、かつて粛正された甥の叔父の息子で、それまで幽閉されていた人物だった。コンスタンティウスは、西方での決戦の末、マグネンティウスを自死に追い込むと、副帝・ガルスをも、皇帝暗殺を企てたとして処刑してしまう。そして、その弟・24歳のユリアヌスが、次の副帝に任命されると、彼は、兵力も資金も満足に与えられない状況で、北方蛮族の撃退に成功したのだった。ここでのユリアヌスの活躍振りは、このシリーズのお話しの中でも特筆ものである。ある意味、味方から酷い妨害を受け続けながら、その逆境を跳ね返し、運も味方につけながら、戦いに勝利するだけでなく、大胆な改革を実行して、ガリアに久々のパスクをもたらした功績は、拍手喝采ものである。久々に、読んでいて血湧き肉躍る一冊だった。
2013.05.12
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クール・ウィッチ・曾根崎理恵が主人公の『ジーン・ワルツ』と対を成す、 その母・山咲みどりを主人公とする、もう一つの『ジーン・ワルツ』。 『ジーン・ワルツ』は、理恵の行動に不信感を抱きながら読み続けたが、 『マドンナ・ヴェルデ』は、みどりに共感を覚えながら読み進めることが出来た。 ただし、最後の結末は、やはり個人的には、スッキリ納得とはいかなかった。 また、巻末に掲載されている松坂慶子さんの手による「解説」にも、 素直に共感は出来なかった。 まぁ、松坂さんとしても、ここで否定的なことを書くわけにはいかないだろうけど。NHKで制作されたTVドラマも、放映されることは知っていたが、結局、見ることも録画することもしなかった。海堂作品は、ほとんど読んできている(文庫化されたものは、多分全て)けれど、この作品とだけは、やはり私は相性が悪いようである。
2013.05.11
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元オリンピックのスキー選手で、現在はスポーツクラブで働く父・緋田宏昌と、 同じ競技で注目される新進気鋭の娘・緋田風美の物語。 そして、研究のためこの父娘の遺伝子に興味を抱き接近する科学者・柚木に、 柚木に才能を見出され、風美と同じチームで練習を開始した鳥越伸吾が絡む。 緋田宏昌が引退した夏に、妻・智代がマンションのベランダから落下して死亡。 そして、風美が6年生の時、智代の鏡台の引き出し奥に、新聞の一部を発見。 そこには、新潟の病院で生まれたばかりの女の子が連れ去られた記事が。 緋田は、妻の死と、その裏に潜む行動に疑問を持ち始める。 ***書き手は、スタートから息つく暇もなく、どんどん話を展開させていく。読み手は、グイグイその世界に引きこまれ、ページを捲る手を止められない。「さすが東野さん!」というしかないその筆力に、終始圧倒されっぱなし。これまでに私が読んだ彼の作品の中でも、エンターテイメントという点では最上級。ただ、読んでいて、犯人の見当が全くつかないなぁと感じていたら、私が読んだ東野さんの作品では、これまでにもあったのだが、真犯人の登場は、結構お話しも終盤にさしかかってからのことだった。まぁ、ミステリーの謎解きという点では、少々掟破りなのかも。それでも、お話しとしては十分面白いし、各キャラクターの心理描写も秀逸。最後の結末で、どのような読後感を抱くかは、読み手次第だろう。
2013.05.11
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「私たちの記憶は、過去の出来事を正確に再現するものではない。 実は、イヤな記憶に囚われている人は、 わざわざ自分が強く苦しむように、記憶を書き換えている。」 これは、本著の帯に書かれている一文。 そして、本文p.96にも 「私たちは記憶を自分に都合よく、ときには自分にわざわざ都合悪く書き換えて、 記憶していることも多々あるわけです。」とある。 記憶はウソをつくものであり、時に厄介なものになってしまうものらしい。悪いイメージや、ネガティブな考えが、頭の中を堂々巡りして離れない。考えれば考えるほど、悪い方へ悪い方へとイメージが膨らんでしまう。そんな経験は誰にでもあるものなのだろうが、私もまさにそうであり、また、そういう傾向が、かなり強い方の人間なのではないかとも思う。だからこそ、帯に書かれた「自分を苦しめるイヤな気持ちを消すのは、とても簡単なことだ。」の一文は、とても魅惑的な響きを持つものとして、私の目に止まり、購入に至ったわけである。そして、本著はそんな期待に応えてくれる内容のものであった。 しかし、心はそもそも、鍛えたり強くしたりできるものではありません。 実際、心というものは存在していません。 私たちが便宜的に心といっているものは、脳の情報処理の状態のことであり、 科学的には現象というべきものです。 現象であるものを、テクニックで強くしたり鍛えたりすることができないことは、 はっきりしています。(p.12)何と明解でありながら、衝撃的な文章であることか!巷にあふれる多くの書物が、「心を強くする」方法や、「心を鍛える」方法を説いていくところを、全く真逆の結論でピシャリと一刀両断。でも、実際、脳の機能という観点から考えると、著者が述べている通りなのだと思う。という感じで、本著は脳の機能という観点から、人間の記憶、特に悪いイメージに繋がる記憶について、どのように扱っていけばよいのかを指南する一冊である。「記憶」というものを科学的、客観的に見詰めることが出来るのが、最大の売り。 結果というのは、いつまでも流動的なものです。 本人が満足できるかどうかは死の間際までわからないし、 本人への世間の評価はその後もわからないのです。 とすれば、「これが一番いいはずだ」と主体的に行った選択はすべてベストの選択であり、 ベストの選択の結果はベストの結果と考える以外に、この世にベストは存在していません。 そのベストの選択の結果の積み重ねとしての現在は、 「やはり最高!」と評価すべきなのです。(p.102)何とポジティブで、前向きな考え方であろう!まさに「人間万事塞翁が馬」。でも、本当に共感できる。こういう考え方で生きていかねばと思わされる。 現実の結果よりもいい結果を想像して後悔するというのは、 人間が抱くさまざまな後悔に共通しています。 典型的なのは、仮想の自分を想像して後悔するケースでしょう。(p.119)これも、納得の一文。現実には起こらなかった理想型を基準にして、そうならなかったこと、そうなれなかったことを後悔するというのは、考えてみれば、確かに、滑稽で意味のない行為・思考である。そして、まとめ。 記憶とのつき合い方の基本は、 ◇「結果論で過去の出来事を後悔しない」 ◇「前頭前野を働かせそれを評価する」 ◇「前頭前野側からの介入に上達する」 ◇「わざわざ自分に不利になるように統合しない」 ◇「後悔は無意味ということを知る」 ◇「過去の記憶はすべて娯楽にする」の以上6つです。(p.130)その他、トラウマやうつ病への対処、イヤな気持ちから自分を解放する方法についても述べられており、読み進めていくうちに、精神が安定し、スッキリした気分になることが出来た。繰り返し読みたくなる一冊だった。
2013.05.11
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万城目さんの作品を読むのは2作目である。 これまでに読んだのは『プリンセス・トヨトミ』。 『鴨川ホルモー』は、未だ読んでいないし、 『鹿男あをによし』は、TVドラマで見ただけ。 そして、本作を読み始めて直ぐに「へぇー」って思った。 万城目さんって、こんな文章を書く人だったんだ。 情景描写が、とても繊細。 世界観は『鹿男あをによし』っぽい?(読んでないけど……)スッキリ爽やかテイストで、読後感も良好。ただ、ピリッと来るスパイスや、ジワッと来るコクが、もう少々欲しかったかな。文庫本で200ページ余の作品に、そんな深みを求めるのは酷かもしれないが……。でも、それがあれば、直木賞だったかも。
2013.05.03
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絢奈の婚約者・那沖の母に不倫疑惑。 そして、那沖は元官房長官の父ではなく、その不倫相手の子だとの報道まで。 この壱条家の大ピンチに、絢奈がラテラル・シンキングを駆使して大活躍。 那沖と共に「真実」へのツアーを敢行し、難事件を見事に解決する。 ただ、真相が明らかになった後も、 個人的には、那沖の母の行動には、あまり納得がいかない。 夫の政治家生命を奪い、息子の将来を閉ざすような状況になったときに、 これは、黙秘し続けねばならないような事情なのだろうか?それはさて置き、私は、今回のお話しの舞台となった場所が、個人的に馴染み深い場所が複数あったことで、とても嬉しかった。ひとつはイスタンブールで、これは私が先日読んだ『ローマ人の物語(37)』の舞台。コンスタンティヌスが、ビザンティウムに築いた新都である。もう一つは、岡山の湯原温泉郷。ダムを見上げる砂湯は、全国露天風呂番付で西の横綱に選ばれており、私も、ここには何度か出かけたことがある。かつて歩いた温泉街の景色を思い浮かべながら、読ませてもらった。
2013.05.03
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結構刺激的なタイトルを背負う本著ですが、 中身の方は、抑制がきいた落ち着いたムードの良著です。 著者はハンブルク大学で教育学と心理学を専攻し、 対話術のトレーナーとして20年以上活躍しているドイツの方。 私は、これまで、欧米の人たちには論争を好む傾向があると思っていたので、 それを避け、人間関係を穏便に保つことに重点を置く本著の記述には、 かなり日本的な姿勢を感じ、驚かされました。 また、その方法論も、納得できる部分がとても多かったです。「癪に触ることを言われたら、どういう態度をとったらいいのか?」本著では、この質問に対して「やまびこトーク」「にぎやかな沈黙」「ひとことコメント」「褒め言葉」「迂回トーク」「場ちがいなことわざ」等々の「返し技」が示されていきます。そして、その総括として「おわりに」に示された5つの柱が、これ。 1.他の人がしたり言ったりすることは、ただの申し出だと考える。 それに関わりあう義務はない。 2.反射的に浮かんだ考えをよく観察し、否定的で攻撃的な考えについては、 本当にそうだろうかと考えてみる。 3.巻き込まれることなく、距離をとって問題を眺める。 4.優先順位をつける。自分の生活や健康でいることのほうが、 他人とやりあうより大事だと自覚する。 5.他人のことは放っておく。自分の思うように変えようなどとは思わない。(p.214)その他、私が印象に残ったのは、次のようなもの。 相手がくどくどと言っているとき、その中の役立つ情報と具体的なものだけを取り上げ、 嫌みや不快な発言は無視すればいいのです。 相手が感情的になってきたら、反論せず、質問もせず、訂正もしません。 そのとき絶対に自分のコースから逸れてはいけません。 つまり、役に立つ、ためになる、あるいは具体的なものだけを取り上げるということです。 とどめは沈黙です。(p.45) ポイントはひとつ。挑発に乗るか乗らないか、それだけです。 相手と同じ土俵に乗ってしまったら負けです。(p.55) 相手の不愉快な言葉を真に受けるのはトラブルの始まり。 憂鬱、不平、腹立ちなど、あらゆる不快な気分の始まりなのです。 そんなものは放っておきましょう。だって、マジじゃないんですから。(p.73) 第二に、相手を審査員にしないことです。 つまり、相手からどう思われようと、そんなことは気にしなくて良いのです。 そもそもあなたは審査される対象ではありません。 馬鹿なことを言われたら、いつもの反応をすれば十分。 腹を立てたり、ショックを受けたりしないことです。(p.126) ひどく侮辱されたり、場合によっては暴力に訴える気配があったりしたら、 その場ですぐに話を打ち切ります。 対話というのは、最低限の善意と、 ほんの少しでも歩みよろうという姿勢があってはじめて可能なのです。 それがなかったら、もう話はできません。 そういうときには時間をおくといいでしょう。(p.152)近いうちに時間を見つけて、もう一度読み直し、これらのテクニックを、しっかりと身に付けたいと考えています。
2013.05.03
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『「世界征服」は可能か?』 これが、私が読んだことのある岡田さんの唯一の著書。 『いつまでもデブと思うなよ』等々、世に知られるものは他にあるものの、 私は、それらを読んだことがない。 それに対し、内田先生の著書は、結構読んできた。 『下流志向』を読んで、衝撃を受けて以来、 最近読んだ『昭和のエートス』まで、その数は30に迫り、 我が家の書棚における占有率は、かなり高い。そして本著は、そんな岡田さんと内田先生が、2011年9月に、とあるレストランで行った対談をまとめたものである。まえがきには、「内田樹ファンの内田斗司夫が、内田さんに直に話を聞く機会を得て、大はしゃぎでいろんなことを聞くという内容になっています」とある。 イワシって小さい魚だから、普段は巨大な群れになって泳いでいる。 どこにも中心がいないんだけれども、うまくまとまっている。自由に泳いでいる。 これは見事に、いまの日本人なのではないかと。 そのときの流行とか、その場限りの流れだけがあって、 価値の中心みたいなものがなくなっているんじゃないかと思いますね。(p.24)対談開始早々の、この「イワシ化」についての岡田さんの発言には、「なるほど!」と唸らされ、以後のお話しの展開に、俄然期待が高まった。しかし、残念ながら、それ以後については、私の心に引っかかる発言は、ほとんどなく、付箋を貼ったのは、次の一言を除いては、内田先生の発言ばかりになってしまった。 ぼくも講演会で「どうやれば決断力が身につきますか」って聞かれたときに、 「決断を迫られてるのはもう負け戦だから」って答えています(笑)。(p.198)さて、それでは、内田先生の言葉の中で、印象に残ったものをご紹介。まずは、これ。 よく一九六〇年代高度成長の時代、日本社会は希望にあふれていました、 なんてことしらじらと言うけど、あれは嘘だよ。(中略) いつ核戦争が起きて、世界が滅びるのかということが当時の日本人にとって、 いちばん切実な心配事だったんだ。ほんとだよ。(p.53)そう、当時はまだ茶の間で、戦時中のことや東西冷戦のことがよく話題になり、私も子供心に、また戦争が始まったらどうしようと、真剣に心配していたのだった。 親族を解体し、地域共同体を解体し、終身雇用の企業のような中間共同体も解体して、 最終的にみんな孤独になってしまったのは、 「ひとりでも生きていける」くらいに社会が豊かで安全になったからです。(p.103)しかし、こんな状況は歴史的に見ても例外的なもので、もう、そんなのんびりした時代は終わってしまったという、内田先生の発言には納得。 家族制度の基本て身体性でしょ。 だから、テクノロジーの進化とはあんまり関係ないと思う。 とりあえず、同じ空間に寝起きして、「同じ釜の飯」を食う。 「おはよう」「おやすみ」「いただきます」「ごちそうさま」 「いってきます」「いってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」 その八語を家族全員が適切なタイミングできちんと口にできるだけで、 家族制度は十分持つと思うけど。(p.111) だから、いろんな教育理念があって、いろんな教育方法があって、 いろんなタイプの先生が同時並行的に子供の前に立っているという環境が 学校教育には不可欠なんです。(p.134) 学校教育の必要条件は「気長に待つ」ということ、極論すればそれだけなんです。 それこそ二十年待つ、三十年待つ、という忍耐力がなければ教育は成り立たない。(中略) いまの日本の大人たちにかけているのは、若い人たちの成長を「気長に待つ」と言う姿勢です。 忍耐と敬意ですね。それが足りない。(p.218)本著全体を通じて、岡田さんと内田先生の意見が食い違う場面は結構い多い。そのやりとりを見ていると、二人の格や質の違いを感じてしまう。そして、その中で強く感じるのは、内田先生は教育者であり、岡田さんは、当然のことながら、そうではないということ。それでは、最後のシメの一言を。 競争社会では、人間はそういうふうに 「誰が見てもすぐに優劣がわかる能力」を基準に格付けされる。 でも、人間の能力の九十%は「外見からだけではわからない」ものなんです。 さっき「生物としての強さ」ということを言いましたけれど、 「なんでも食べられる」とか「どこでも寝られる」とか 「誰とでも友だちになれる」というのは、 生き延びるためにきわめて重要な能力ですけれど、数値的には示せない。 そもそも人と比べるものじゃない。(中略) 若者がいま閉塞感を感じているというのは、 文字通り「閉じ込められている」という身体実感があるからじゃないかと思います。 外側だけしか見られていない。 学歴とか資格とか免状とかTOEICのスコアとかいう外形的な情報だけで 中身を計量されていることにつよい身体的な不快を感じているんじゃないかな。(p.221)
2013.05.03
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