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中村区の、某電気工事店のガレージで、必ず、夏になると、伸びたようになって、寝ている犬が居る。この犬は、本当に、死んだように寝ていて、ピクリとも、動かないのだが、奇妙な事に私は、夏以外は、詰まり、春秋冬は、この犬の姿を、見た事が無い。或いは、もしかしたら、この電気工事店に、裏庭があって、そちらに、セカンド・ハウスの犬小屋が、あって、其処で、優雅な別荘暮らしをしているのかも知れないが、私が、気になるのは、そもそも、この犬は、春秋冬は、「存在」しているのか、と言う事である。此処から先は、勿論、一つの仮説に過ぎないが、この犬は、「確率的に存在」し、そして、また同時に「確率的に存在」しない。詰まり、気温の上昇に伴って、この犬の存在確率も上昇して、夏になると、ガレージで、伸びたようになって、眠っているが、秋口に入り、外気温が低下するに、伴い、この犬の存在確率も低下して、物理的に存在しなくなってしまう。言うなれば、「シュレディンガーの猫」の様な存在の仕方をしている。勿論、物理的にだが。また、「シュレディンガーの猫」は存在-非存在の確率では無く、「猫が生きているのか、死んでいるのかと言う生存確率が、量子力学的に決定される」と言う事をメタファ的に、モデル化したものである。さて、犬の話に戻るが、この犬が、その様な、「在-非在系システム内部の『存在』」であるとしたら、問題は、この犬は、「ニュートリノで出来た犬の形をしたモノ」ではないのか、と言う事である。「心の形。犬の形。」尚、この犬は、「実在!」する。少なくとも、夏は。他の季節は、どうかは、知らない。
Jul 30, 2006
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「どうなる事やら」等と、別に、冷や冷やもしなかった。まあ、淡々としたものですよ。システムが、数日に亘って、シグナルを出さない、等と言う事は、「此れも、システムの一部なのです。」うーん。何か、トレンド・スタッドのトム・バッソになったような気分。ふはははは...って馬鹿笑いとかも特に、しませんよ。ふっふっふっふっふ。って含み笑い程度ですかねえ。今日は前場:+10円後場:+200円で本日小計は、+210円。以上。 SmartTrader eBooks
Jul 27, 2006
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ジブリの『ゲド戦記』が、巷で話題になっているが、先ず、ジブリ繋がりで『もののけ姫』の台詞、及び、1シーンから。主人公アシタカが、恐らく、畿内の多々良衆の村で、多々良を踏む前後のシーンで彼が、村について、この様に言っていた。「女性が元気な村は良い村だと聞いています。」-尤も、この辺り、記憶に基づいて、書いているので、必ずしも、正確ではない。そうか。女性が元気な村と、女性が元気で無い村と、その中間の村が有るのか。そもそも、何時の時代の日本で女性が元気であり、逆に女性が元気でなかったのは矢張り、何時の時代をモデルとしてこの様な脚本が、書かれたのか。その時代設定が、中世室町と考えると、応仁の乱以前か。14世紀、或いは15世紀始め。テクノロジーとして、製鉄、そして、鉄砲の原型の様な兵器も出て来たから、当然、中国で火薬が、発明され実用化された後。と言う事は、元寇の時、元の兵士が、「鉄ハウ」-此れは漢字変換できないが、弓矢の鏃の部分に、火薬を付けたもの(今風に言うと、炸薬弾である)を使用していたので、当然、それ以降。また、元寇は、鎌倉末期である。と言う事は、鎌倉期の日本が江戸の18世紀から、19世紀始めと同様、大きく農鉱工業的にテクノロジーが、進んだ事を考えると、室町時代の恐らく、前期であり、14世紀半ばから、後半と目安をつけて、話を進める。さて、女性の社会的立場、役割、そして、一寸、単純化し過ぎてしまうかもしれないが、その時代の前後における、日本人女性の「幸不幸」の問題について、考えて見たい。前後とは、書いたものの、話が長くなりすぎるので、此処では、更に、単純化を押し進めて、特に、15世紀以降の日本のマクロ経済を、一つの切り口として見る。さて、15世紀始めの時点で、テクノロジカル・アドヴァンスが達成されたのは良いものの、その後、1467年以降は戦乱に次ぐ戦乱。織豊時代に、天下統一がなされ、南蛮交易により、畿内を中心に、経済的には、豊かになった。恐らく、其の儘の状況が、続けば、堺か、或いは、長崎か、その他の日本の港湾都市は、シンガポールの様に、交易で儲けて、独立した、と言うか、自治的な準国家的都市となっていたと、思われる。-時代が、少し遡るが「堺は、日本のヴェニスである。」と言われたのは、多少、皮肉っぽく感じられる。詰まり、ヴェネツィアが、地中海貿易で、儲けていたのは、新航路発見以前であり、新大陸発見とほぼ同時期、アフリカ喜望峰を下って、南回りで、ヨーロッパがアジアと直接、交易を始めたからこそ、彼等、ヨーロッパ人は、日本に遣って来れたのである。そして、当然ながら、新航路による交易で、地中海沿岸の都市国家は、(正確には国家では無いが、当時のイタリアは、ヴァチカンによる宗教的支配の部分を差っ引いてしまうと統一国家とは呼べない、寧ろ、分裂状態だったので便宜的にこう呼ぶ)没落してしまったのである。丁度、ルネサンス期が、最後の栄光だったのだ。そして、その後、植民地支配へと向かう、列強ヨーロッパが、現れるのは、19世紀のナポレオン戦争以降の事である。この記事では、話は、その時代までは行かない。-但し、イギリス、オランダと言う海洋国家は、また、例外ではあるが。そして、アメリカ大陸の状況については、スペインとルイ王朝期のフランスも加わってしまうので、此処では、アジアの植民地化と言う事に絞って、話を進める。・・・・・・・・・・・・・・・・高々、「名古屋嬢」について書くだけなのに、何故、こんなに、大風呂敷を広げて、話を進めているのか疑問に思う向きも、有るだろうが、実は、自分が「何故」今、名古屋に住んでいるのか、について、出来るだけ、徹底して考えて見たくなったので、この様に話を続けているのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・では、此処で、一旦切る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Jul 26, 2006
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昨日、書いたイギリス人トレーダーやマイケル・コヴェルのブログを読んで、その後、日本人の個人投資家たちのブログを読み、そして、また欧米のプロフェッショナル達の、ブログを読むと、感じるのが、タイトルに有るとおり「彼我の差」である。これは、別に私が外国被れとか、そう言う事ではない。例えば、システムおぢさん氏も欧米の様な金融先進国と、日本のギャップは、10年以上、と言う様な記事を、書いていたし、実際に、英語が分かる人は、そう言う欧米のプロが書いているブログを読めば良いと思う。此れについて、私は、誰か他の者と、(恐らく日本人だろうが)喧々諤々の論争を、する気など、更々、無い。自分で実際に読んで見れば良いのだ。「論より証拠」である。尚、上記の内容は、システム・トレーディングについて、まともに考えている、日本人トレーダーは、当てはまらないし、当然、例外である。また、ファンダメンタリストに徹している、所謂「保守的」な日本人個人投資家も、当てはまらない。上記の内容に、当てはまるのは、銘柄探しに血道を上げながら、結局、株価の上げ下げに一喜一憂している様な、保守的投資家だか、トレーダーだか、分からないような、極めて、中途半端で、どっちつかずの奴等である。
Jul 25, 2006
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正確には、Eメールだが、本当に、久し振りだったので、懐かしかったし、嬉しかった。何よりも、彼が私の事を覚えていてくれた事、そして、彼には、私のメール・アドレスを、特に教えていなかったのだが、矢張り、共通の、アメリカ人の友人から、私のアドレスを知ったらしい。彼も、そのアメリカ人も、そして、私もトレーダーである。そう。こう言う友人達がいるからこそ、私は、或いは、私達はBEING A TRADERと言う事を、自分自身で認識する事が出来るのである。詰まり、自己認識の問題である。そして、その為に、自己のみでなく「他者」が必要なのだ。何か、ジャック・ラカンの「鏡像段階」みたいではある。ここ、一ヶ月くらいで、最も嬉しい出来事だった。今日は、一杯飲もう。久し振りに、美味い酒が飲めるぞ。 SmartTrader eBooks
Jul 24, 2006
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私は、此処に、一つの新しい概念を提示する。「個人常識」常識とは何か。或る特定の時代の或る特定の文化圏における或るコミュニテイ、詰まり、共同体内部で、複数の個人によって、複数の個人の主観を練り合わせて構成された明文化されていない、暗黙の一連のルールである。話が逸れるかも知れないが、これは、自由裁量トレーダーが「ここでの買いは常識でしょう。」等と言っているのと、良く似ている。それは、具体的に言って、どう言う時のチャート・パターンならば、買うのかそれを、明確に言語化出来ないが、そこで買うのは、何となくわかると言う事である。此れは、正しくは、そのトレーダー個人の感覚、詰まり、主観に過ぎないのだが、その様に、主観的に判断して、買ったトレーダーが、複数存在したとしたら、その複数の主観を練り合わせる事によって、「間主観性」が出来上がる。これが、即ち、「常識」である。間主観性は、昔、中村雄二郎の『述語集』の中で、簡略的に述べられていたが、「此れは、わかりやすく言えば、『共同幻想』である。」との、説明があり、現時点からすると、1980年前後のあの時代を感じさせる。さて、個人常識の概略について。先ず、先の主観的感覚、或いは印象だがこれを、明確に言語化する。此れは、当然の事の様でいながら、実は、多くの場合、この作業は放棄されている。「言葉にならない感じ、感覚、思い」等と言われているが、それは、その人間個人が、「言葉にする事が出来ない」だけであり、要するに、その人間の言語的表現力が低いというだけにすぎない。また、よく「右脳左脳」の違いについて言われているが、右脳の芸術的感性を通じて、自分が何を問題にしているかを言語化する事は、可能である。詰まり、人間の大脳には右脳と左脳をブリッジする部分が有り、実際に、右脳によって認識された情報を、左脳によって言語化すると言う、右脳から左脳への「翻訳」と言う作業は可能である。(この部分は実体験に基づいて書いている。)さて、此処までで、言語化された主観と言うのであれば、其れは、単なる個人の意見、主観的な意見に過ぎない。そこで、問題は、その個人的な意見を社会化しておくと言う事である。詰まり、「此れは、個人常識として言うのだが、AについてはBである。また、CについてはDである。此れが私の個人常識である。」と、最初の時点で明言してしまう。そして、他人が、「個人常識とは何か」と質問した場合、社会常識との対比の拠って、個人常識の何たるかを、答える事になるのだが、その説明は、後で述べる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・では、此処で一旦切る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Jul 22, 2006
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動かなかった一日だったぜ。値幅80円か。去年の4月か、5月みたいだ。今週は木曜日まで、ずうううううううううううっとノーー・シグナル。本日後場に、1回シグナルが出ただけ。それで、-10円。とゆー事で、システムパフォーマンスの公表についちゃあ、こりゃあ、やっても、やらんでもいいなあ。先週より、10円損しただけだからさあ。来週の金曜日に纏めて、パフォーマンス発表の予定。でも、土日暇だったら、今週分を発表しちゃうかも知れんが、結局、わからん!予定は未定だ!!じゃあねえええええっ!!
Jul 21, 2006
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前回の続きである。此処では、奈良の開業医の父親を批判して見ても、意味が無いので其れでは、具体的に、どの様にすれば良いか、をテーマとして、論を進めて行く。1:目標設定@1 息子に、具体的にどうなって欲しいか。A:医者になって欲しい。 所謂三流私大でも良いが、 自分の病院の跡を、 継がせたいので、国家医師免許 を、大学卒業と同時に取れる位の 大学で良い。B:国公立医大に進学させたい。 医者になって、良く判ったが、 三流私大出身者と、国公立大出身者では、 知的能力に歴然たる差がある。 単なる町医者として、クリニックを 経営して、さして流行ってもいないし、 儲かってもいない、というような 状態が続くのならば、一体、何の 為に医者になったのか、本人自身が 苦しむか、或いは悩む事になるだろう。 また、そのような人生は、QOL (クオリティ・オブ・ライフ)の 点からも、望ましいとは言えない。C:学閥の力の大きな所へ、進学させたい。 医者の世界と言うのは、結局は、学者の 世界である。息子を、一介の町医者で 終わらせたくは無い。出来れば、30代 前半までに、医学博士号を、取らせたいし、 行く行くは、国際学会にも出席し、 或いは、海外より招聘されて、 国際学会で、レクチャーが出来るくらいの 医学者になって欲しい。@2:自分自身はどうなのか。A:1;唯の町医者に過ぎない。 或る程度、クリニックは 流行ってはいる。しかし、 それ程でもない。年収は 1400万円から、1700万円 程度。10年後か15年後には 2000万円以上になるかも知れないが、 もし、3000万円以上になるとしたら、 それは、息子が、若先生として、 後を継いで、自分は、週3日程、 診察に出て、親子二人で、稼いで いればの話である。A:2;或る程度、大きな病院を経営 している。ベッド数は、20。 年収は4500万円から、5500万円。 息子は二人いるので、二人とも 医者にする予定。長男は、自分と 同じ科の専門になってもらうが、 次男は別の診療科でも良い。 また、息子が結婚して、嫁さんが 医者ならば、やはり、手伝って 貰いたい所だが、孫の代の 事を考えると、子育てに 専念するために、専業主婦に なったとしても、それは、 構わない。B:大学教員。既に、国公立大 医学部助教授。息子には 学究の道を歩ませる。 町医者など、言語道断。 大学は当然、東大。 或いは、学閥の力が あるのならば、京大を 始めとする旧帝大系でも よしとする。C:単なる勤め医。人口10万人に 満たない地方都市の、市立病院に 勤務中。もう、開業医になりたいと いう気も失せつつある。 優秀な医者は、40歳くらいで とっとと辞めてしまって、 自分のクリニックを、経営している。 自分は、それ程の器ではない。 先々代の病院長の息子が、 この病院の院長候補。 大学は5流私立医大。 医師国家試験にパスするのに 6浪か7浪したと言われている。 本当は10浪位しているのかも 知れない。こんな田舎では、 優秀な医者は、市立病院などに 残ってくれない。結果的に 病院長は、世襲制になる。 この街だけ、江戸時代みたいだ。 息子の教育について、考えると 頭が痛い。ど田舎では、 ろくな教育が受けられない。 どんなに頑張っても、2流半の 県立進学校から、1,2浪して、 新設校の県立医大程度だ。 俺は、国立旧一期校医学部出身なのに。 優秀な医者が出て行ってしまうのも、 自分の子供の教育が、田舎では 出来ないと言う事が、理由としては 大きい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・では、此処で、一旦切る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・じゃ、続きを。上に述べた内容を、父親-息子の組み合わせで考えて見る。しかし、それ以前に、それぞれの医者である、父親達が、どの様な人物であるかについて、その人物モデルを提示して置きたい。先ず、A1:極普通の開業医である。 国公立大出身若しくは、 ハイレヴェル私立医大出身だが、 医者としての力量、仕事能力は 並みのレヴェルである。また、この亜流として、A1’が存在する。A1’:医者の家に生まれて、 実家の医院を継いだ。 大学は、2流、或いは3流私立。 街に根付いているので、 患者は多く、それなりに、 流行っている。 本人は、或る程度、受験勉強も したし、医者になってからの、 勉強も普通にしているが、 苦労知らずで、ボンボン育ち。そして、A2:国公立医大、ハイレヴェル私立医大の 出身。或いは、2流私立医大の学閥の 強い所の出身。本人に実力がある。 医者の世界は、仕事能力と言う意味での 実力主義社会であると言う事を、 熟知している。一代で此れだけの 病院経営に漕ぎ着けたので、 自分の息子にも、そのノウハウを 伝授すれば、特に問題は無い、 と思っている。心配事が、有るとすれば、 患者の医療費負担の引き上げとか、 診療報酬のカット等の、国の 医療行政くらいである。この様な 変化については、息子の代には、 何とか対応できる術を、教えられるが、 孫の代では、どういう時代になっているか わからない。その孫の教育は、息子の 責任なので、息子に任せてしまう 積りで居る。そして、やはり、亜流A2’が存在する。A2’:実家は、中規模の病院経営を 行っている。父親から、経営の ノウハウを叩き込まれたので、 大体、仕事の運び方については、 心得ている。問題は、自分の父親が、 孫である自分の息子を、結構 甘やかしてきた事である。 息子も自分の家は金持ちと言う 意識を、幾分持ってしまっているので、 厳しい受験勉強に耐えて、医学部 進学が出来るか、また、医大卒業まで ちゃんと、勉強して、医師国家試験に パスしてくれるか、心配である。 多少は遊んでも良いが、人生を 棒に振る程の「遊び癖」が付く様だったら 大変困る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、此処で、一旦一休みする。
Jul 16, 2006
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奈良県で、悲しい事件が起きてしまった。この事件の直後、私は、大学受験指導に10年以上携わってきた者として、具体的に、どうやれば、もっと上手く出来るか、そして、この様な悲惨な事件を、99%回避出来る方法について、とことん、判っていたのだが、当の開業医である父親が遺族と言う立場で、残っているために彼の心情その他を考慮して、或る程度、時間を置いてからこの様な記事を、書こうと、思っていた。そして、事件から、ほぼ1ヶ月が経過したので、現時点でこれを、書いている次第である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先ず、事件の概要についてはマスメディアの報道その他で知らされているとおりなのだが、この本質的問題点は、何処にあるかと言うと、受験教育と言うプロに任せるべき領域の事柄を例え、医者とは言え、素人が「生兵法」で対応してしまった事にある。成る程、医者は確かに、専門職であり、プロフェッショナルである。成ればこそ、「餅は餅屋」と言う事の重要性を当然知っているべきであり、プロの受験指導者に、当然、高額の報酬を支払う事を前提に、任せるべきだったのである。例えば、予備校講師であれ、トレーダーであれ、自分はこの業界では、トップレヴェルであり、年収は5千万円以上だ。だから、こんな優秀な自分が、そこいらの偏差値65くらいの医大を出た程度の医者にも出来るのだから、「今日は、一寸、気分転換に心臓外科手術でもやってみるか。」等と言う気は、絶対に起こさないのに、受験教育において、素人に過ぎない一部の医者は、何故だか、知らないが、プロフェッショナルの領域に、その黄色いか、黄色く無いかは知らないが、「素人の分際で嘴を突っ込んでしまう」のである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・では、ここで、一旦切る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・では、続きを書く。この事件は、開業医の父親がどういう目標設定をしていたか、そして、その目標地点まで、子供を到達させるには、具体的にどうすれば、良かったのか、という「戦略性」の問題、正確に言うと、「戦略的プランニング」に於いて、明らかに、欠陥があり、戦略性及び、計画性の甘さの問題が、今回の事件の遠因と言うか、結局、大学進学に関しての学力不足が直接要因になった訳なので、単なる遠因だけではなく、事件の本質的な原因であると言える。先ず、父親自身は医大進学の経験者である。通常の状態ならば、父親は、自分の歩んできたような、教育的履歴を振り返って、時代の差や、地域差が多少はあれ、ほぼ同様の初等中等教育を受けさせて、医学部受験をさせれば良い。今回の奈良の様な事件が珍しい、と言うようりも、医者の家庭での事件として、頻発していない事を考えると、たいていの開業医の父親は、子供を医者にするには如何すれば良いか、判っているか、或いは、疑問点があれば、やはり、同業の医師の友人と、子供の教育について、意見交換なり、情報交換なりをするのが、通常状態だと思われる。具体的には、大学時代の友人、当然医学部を同期で卒業した友人が居る訳だし、勤務医時代の同僚、先輩もやはり、同じ様に子供の教育では、苦労している筈である。奈良の、この開業医の医者がその様な医者同士のネットワークを、持って居なかったと言うのも、奇妙な事では有るが、更に、論を進めるならば、この開業医の父親は、医者になったあと、子供が更に出世できるように、或る程度、レヴェルの高い大学の医学部へ進学させたがっていた、と報道は伝えている。先ず、或る程度勉強させて、県立進学校から、国公立医大と言う事になると、あの近辺で、手近と言うか、妥当な所だと、奈良県立医大である。しかし、この様な、戦後の新設校の場合、学閥と言う事では、余り、と言うか、殆ど有利では無い。となると、京都府立医大、或いはレヴェルの高い所で、京大、阪大、神戸大の各医学部と言う事になる。その次に、関西に近い所となると、広島大、金沢大、名大の各医学部である。この様に、旧帝大系、或いは旧医専系ならば学閥と言う事では、特に問題は無い。そうして見ると、目標設定として、子供を何処の大学に行かせるかと言う事になってくる。入試の偏差値ランキング順にグループ別に並べると、1京大、阪大、名大2神戸大、金沢大、広島大3京都府立大、岡山大、三重大奈良県医大、和歌山県医大こんな感じである。先ず、その開業医は何処を目標に設定していたかと言うと、息子に、奈良県屈指の私立進学校T大寺学園を、中学受験で、受けさせ、息子は合格したもののその後、成績が伸び悩んでいたと言う事から、恐らく、京大、或いは最低でも、阪大と考えていた可能性が高い。もしかしたら、東大だったかも知れない。ここで、遺族となった開業医には、酷かも知れないが、此れが、高望みに過ぎなかった可能性について、考えて見よう。先ず、父親自身は、大学は何処なのか。高校は、県立の進学校か。大学には現役で合格したのか。或いは浪人か。そして、中学校は公立か。自分自身に、中学受験の経験はあったのか。例えば、父親本人が、1中学受験をしなかった。2公立中学校から県立進学校へ進んだ。3奈良県立医大のような新設校へ進み、卒業した。と言うようであれば、これは、はっきり言って無いものねだりである。詰まり、「蛙の子は蛙」なのだから、息子もほぼ、同じ様な人生航路を歩ませれば良いのだ。しかし、そうは言っても、学閥を考えると、或る程度良い大学へ行かせたいと希望するので有れば、これは、県立進学校から大学受験勉強を、「戦略的」に、実行する事で、現役ならば、神戸大レヴェル、一浪程度ならば、京大、阪大、名大レヴェルに対応できるし、東大合格も不可能ではない。では、それ以前の、小中時代をどうもって行くかについてだが、この部分はさして、重要ではない。子育て全般と言うよりも、医学部進学と言う長期戦略の中では、此処は、親が子供を力ずくで教育する事が出来るので、矢鱈、弄繰り回したがる時期では有るが、一番放っておいていい時期なのである。寧ろ、この小中学生時代に子供の調子が、完全に狂って仕舞うほど、弄繰り回したがる親が、極めて、沢山いすぎる事の方が問題であり、今回の奈良の開業医の父親もその例外ではない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・では、再び、此処で一旦切る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・では、続きを。この後の論考は、開業医の父親批判的になってしまい、遺族である父親の心中を考えると心苦しいのでは、有るが、医者であれ、医者で無かれ、愚かな親がまた、同様の悲劇を引き起こさないようにするために、論を進めていく。此処でのテーマは、「蛙の子は蛙」と言う事、或いは、その逆に、「鳶が鷹を産む」と言う事である。先ず、須らく、世の親達は、客観的に見て、自分がどの程度の「代物」であるかを客観的に、そして「強烈に」認識すべきである。先ず、1.大学は何処か。その偏差値ランキングは。2.或いは、高卒か。短大卒か。或いは、大学中退か。或いは、高校中退、若しくは中卒か。3.高校入試では、苦労したか。中学校の定期テスト、学力テストでは、学年3番以内だったか。或いは、10番以内、或いは、20番以内、或いは、100番以下だったか。4.中学は、どの程度のレヴェルだったか。地方の公立中学校だったか。都市部の、県立進学校に、高い実績を誇る、その地区で評判の公立中だったか。それとも、ある程度のレヴェルの地方国公立大付属中だったか。或いは私立だったか。その入試の偏差値ランキングは。そもそも、親自身に中学受験の経験はあるのか。5.小学生の時は、どんな子供だったか。ホリエモンの様に楽勝で、オール5を取ってしまう様なタイプだったか。その小学校は公立だったか。レヴェルについて、現時点で客観的に考えると、どの様であったか。そこでは、まともな授業が行われていたという記憶はあるか。田舎町の地方公務員に過ぎない小学校教師達は、適当な世間話で、貴重な授業の時間をやり過ごしてはいなかったか。或いは、教師が、授業を私物化して、全く自分の趣味として、例えば、国語の授業だけを、夕方6時くらいまで延々と続けてしまうような事はなかったか。こう言った事、全部を「棚卸」してみる必要が有るのである。勿論、親自身が自分の個人史、パーソナル・ヒストリーに向き合う必要が有ると言う事でもある。そして、自分がどのような教育を受けてきてしまったかに、ついて理解できたら、その目で自分の息子を、見てみるべきなのだ。確かに、ゆとり教育の弊害や学力低下、学級崩壊と言った、今日的な問題は存在する。しかし、子供の側の能力の問題と言う事を、考えると、幾ら、学習環境を整えてやってとしても、結局は本人が、壁にぶつかると言う事である。奈良のT大寺学園で、勉強の壁にぶつかって、悩んでいたあの長男を見たまえ。T大寺学園は、確かに東大進学者が、1年に30名程度の、一流半の進学校である。レヴェル的には、県立湘南の調子の良かった頃と、大体、同じではあるが、県立トップの、浦和、千葉当たりの、一学年東大合格者、40~50名、時には、浦和など60名近く東大に行くが、その辺りには到底、及ばない。また、関西の方は、既に、ご存知と思うが、T大寺学園は、中学受験のときも、高校受験のときも、灘中・灘高の滑り止めの学校である。この程度の、高校で、勉強が出来ずに悩んでいたと言うのは、息子本人の出来が、それ程、大した事は無く、その意味で、父親である開業医は自分の息子の力量を見抜く目を、持っていなかったと言う事であり、此れは、大学受験を目標とする子育てでは、酷な言い方では有るが、致命的なミスであったと言わざるを得ない。続く。
Jul 15, 2006
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今週は4営業日続けて、1日に1回ずつシグナルが出て、合計4回トレード。小計・・+520円。本日は、久し振りにノー・シグナル。此れだけ儲けちゃうと、今日は、もう、鮨はいいや。簡単に質素な夕食にしちゃおうっと。あと、パフォーマンスの発表は、例によって、本日深夜か、土日に行う。じゃああねええええっ。ついてるついてるついてるついてるついてるついてるついてるついてるついてるついてるついてる。へへへへへー。今週末は、気分が良いぜ。
Jul 14, 2006
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前場ノー・シグナル。後場160円を取る。累計損益+1440円。84営業日。114回トレード。ついてるついてるついてるついてるついてるついてるついてるついてるついてるついてる。へへへへへー。ばんざーい。よし!飲みに行こう!
Jul 13, 2006
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うーん。システム絶好調!!本日後場で130円を取る。前場は、ノー・シグナル。これで、累計損益+1280円。83営業日。113回トレード。良し!鮨喰いに行こうっ!!
Jul 12, 2006
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清水真砂子先生お久し振りです。もう、30年以上、お会いしていないのですが、『ゲド戦記』の翻訳以来の御活躍振りについては、折に触れ、私も伺っております。先生が、以前、静岡県に住んでいらっしゃった頃、地元の中学生に、英語を個別指導で、教えていらした。その時の、生徒の一人が私です。確か、毎週火曜日と、金曜日の、午後7時30分から、午後9時までの授業だったと記憶しています。私の家から、先生の家まで、自転車で、5,6分だったと思います。私は、当時必ずしも、塾や、家庭教師の様な、学校以外の、授業の必要性は、感じていませんでした。先生の所へ通う切っ掛けと言うのは、単なる、私の母の虚栄心に過ぎませんでした。当の、私はと言うと、レヴェルの低い田舎の公立中学校程度の定期テストで、満点を取るくらいの事ならば、一人で、どんどん出来るから、その必要も無いと思っていました。何が、楽しみだったかと言いますと、夜8時55分くらいに、先生が、入れてくださった、紅茶でした。夏は、麦茶だった様な気もしますが、記憶も定かでは有りません。ただ、紅茶については、良く覚えています。何故か、いつも、レモンティーでした。この続きは何れ、また。明日も、相場が有りますので。
Jul 11, 2006
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こう言う分かり難い動きをした日であっても、あれこれ、余計な事を考えずに、トレード出来る、と言う事である。勿論、ノー・シグナルならばトレードしない。淡々としたものですよ。「トレンド・スタッド」のトム・バッソが、何故「静かなる男」- Mr. Serenity-と呼ばれているか。 勿論、彼自身の人と成りも有るのですが、彼自身がシステムの男である、と言う事も当然、大きい。 或いは、トムは、自分が何者であるか、判っていたので、最初から、システムの道を歩き始めた、と言っても良いだろう。私のシステムは、本日後場20円を取った。前場は、ノー・シグナル。これで、累計損益+1150円。82営業日。112回トレード。安倍川の花火大会、楽しみだなあ。前に、ハムハム7さんの所で、書いた、静岡県の花火大会と言うのは実は、これ。伊豆辺りに、行っても良いが、遊びすぎると、相場師生活に影響がある。遊ぶ時は、長期休暇を取って、ヴァカンスに出掛ける様にする。重要なのは、TEMPERANCE-『節制』である。
Jul 11, 2006
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81営業日目にして達成。本日後場のトレードで210円を取った。これで、累計損益は1,130円。日経先物1枚に付き。81営業日。トレード数111回。手取りでは、1130*1000=11300001130000-1785*111=931865従って、93万1865円である。これは、トレイダーズの手数料での計算。年換算では、931865/81*240=2761081.48147従って、予想される年収益は276万1081円である。(日経先物1枚に付き、トレイダーズで、売買を続けた場合。)勿論、この後、また、でっかいDDも有るだろう。しかし、重要なのは期待値プラスのシステムで、実売買を、続けていく続けていく続けていくと言う事である。以上。
Jul 10, 2006
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予言めいた作品。実際の現代史の方がSFかも知れない。25年前に読んだ。当時、サンリオSF文庫より出版されていた。ル・グィンの有名な『闇の左手』系列の宇宙史SFとは、完全に独立した作品。本編で、注目すべきは、異星人によって、本土攻撃を受ける合衆国オレゴン州のシーンで、オレゴン在住の、ル・グインが、「オレゴン州は、合衆国で、本土攻撃を体験した事のある唯一の州」と、述べている事である。勿論、2001年9月のテロ以前に、執筆された作品であり、この本土攻撃とは旧日本軍の伊号潜水艦に搭載されて、オレゴン州の山の中に、小さな爆弾を投下してきた、旧日本軍戦闘機の事である。そして、今世紀になって、WTCを崩壊させた、テロ攻撃。本作の中で、人類は一度、世界戦争で、滅びかけている。原因は中東危機。その世界戦争の最中で、主人公オアは、瀕死の状態で、絶望の中でまどろみ、夢を見て、人類を救ってしまうのだが、その後、このオアの能力が、作品世界の問題を解決させるどころか、ますます、混迷を深めさせて行く。人間と言うのは、生きている限り、問題が起き続け、生きている限り、問題に対処し続けなくてはならないと言う、そういう姿が、描かれている。21世紀の現実世界の混迷を考えると、作品世界よりも、現実の方の錯綜振りが、余りにも、強烈過ぎて、「悲劇的」を通り越して、「喜劇的」な感すら、ある。本作で描かれたジョージ・オアの様に、夢に「力」が有るのならば、この現実世界は、一体、誰の見た夢なのか。そして、もう一人の、大統領ジョージは、今、どんな夢を見ているのか。或いは、大統領ジョージは、嘗て酒浸りで、どんな夢を見ていたのか。
Jul 9, 2006
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タイトルが、ふざけている様に思うかも知れないが、割かし、真面目な話です。知っている人は、知っていると思いますが、このル・グィンの『ゲド戦記』は、地方国公立大医学部の学生にとっては、もう、20年以上前から、ロングセラーになっているんですなあ。特に、第一巻辺り、よく読まれていて、その女子医大生は、如何か知りませんが、男子医大生の、坊ちゃんがたにとっては、まあ、御自分の境遇と、若きゲドとの境遇が、これまた、非常に良く似ているもんですから、かなり、感情移入して、読んでらっしゃったりする。まあ、あれですよ。ゲドも、そうだったのですが、生まれた場所が、片田舎。そして、少年ゲドに、一寸した魔法の才能が、有った様に、自分も、田舎の中学校じゃ、一寸、勉強が出来た。その、「一寸」ってのは、ゲドが、アースシーきっての魔法アカデミーで学べるようになったのと、同様、自分も、難関である、国公立大学の医学部に合格できたくらいの、レヴェルでは、ある。そして、学生時代のゲド同様、医学部の学生である自分自身も「慢心」している。そして、物語の方では、慢心したゲドは、「影」を呼び出してしまう。影と格闘して、顔に大きな傷を負ったゲドは、アカデミーを、卒業してから、辺境の島に渡り、魔術師の生業を始める。そして、ある男の子供が、命の危険に見舞われ、その子供を救うべく、魔法使いとして、全力を尽くす。しかし...。「この子供は、今、俺の腕の中で、死んでいこうとしている。」その時、ゲドは、強烈な「怒り」を感じ、尋常ならざる程の能力を発揮する。医学生の坊ちゃんたちが、一番感動する場面だと思いますよ。まるで、将来の自分を見ているかのような。そして、魔法アカデミーで、禁呪の魔法を使って、「影」を召喚してしまった辺りの「慢心した若僧」ゲドは、まるで、現在の自分のカリカチュアの様でも、ある。彼等に受ける要素が、テンコ盛りなので、80年代から、読まれ続けているのも、当然だと思います。それでですねえ。まあ、親父が開業医だったので家の医院を継ぐべく、三流私立医大に行きました、或いは、現在、行ってますと言う様なタイプの医者、医学生は、或いは、もしかしたら、「慢心」のせいで、ゲドと同じ様な人生を経験しちゃった、或いはこれから、経験するのかも知れませんが、まあ、そう言う人たちがですよ、自分の人生における、大いに有り得る可能性について、考える切っ掛けとして、『ゲド戦記』を読むと言う様な事は、此方の方の、「偏差値低い」系集団の人達の場合は、あまり、有りそうも無いですなあ。基本的に、毎週の様に行われる、大学のテストの勉強しているか、金は有るんだから、それ以外の時は、遊んでいるか、どっちかって処だと思います。まあ、例外の人も、そりゃあ、当然居るでしょうけれどねえ。おっと、話が逸れましたが、それじゃあ、『ゲド戦記』を学生時代に読んだ医大生が、皆、その後、ゲドみたいな内面的成長を遂げて、良い医者になるのかどうか、については、また、「次回のココロだあっ」と言う事で。今日は、此処まで。
Jul 9, 2006
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-本編はポルノグラフィです。18歳未満の方の閲覧は保護者の同意が必要です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「愛液弾道弾」整列する半裸の美少女の群れ。「雫組」と呼ばれる、特殊部隊の、美しき娘達は、下半身も、露わにして、海岸線に沿って、並び、東の海へと、その股間の秘めやかなる花芯が、敵国の目標物の「真正面」を向く様に、慎重に狙いを定める。美少女達は、将軍様の愛撫を思い出す。将軍様の指と、唇と、舌先とそして、将軍様の、一番偉大なる部分を思い浮かべて、海岸に並び、いっせいに、自慰を始める。見よ。少女達の花芯より、放たれた、その、さらさらとして、僅かながらの酸い匂いを、放つ、その麗しき飛沫が、東に広がる海を越え、大いなる弾道放物線を描いて、敵の目標地上物を穿つ。見よ。敵国の原子力発電所を、穿ち、資本主義者達を放射性物質の汚泥の中に沈める少女達の祖国愛。戦乙女達よ。大いなる歓喜と悦楽の中で、果てるが良い。乙女達よ。汝らの歓喜こそが、正に正義。汝らの悦楽こそが、正に勝利。身も心も果てるまで、撃ち尽くせよ。大いなる祖国愛の愛液弾道弾。
Jul 8, 2006
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「ミサイルと言うのは、当たらないから、ミサイル、詰まり、ミスするのミスですが、当たるようなミサイルならば、ヒッタイル、詰まり、ヒットするミサイルと言う意味で、そう呼ばれると。それで、まあ、世界中のミサイル研究者にとっては、そう言うヒッタイルを開発して、実用化するのが、夢なんですが、どこの国も現状では、それ程、上手く出来ないんですなあ。」「有難う御座いました。では、CMの後は、続けて、今日の列島各地のニュースです。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大尉に向かって、中佐殿は言葉を、続けた。「その様な、特殊攻撃が行われた事は、君も知っている筈だ。」 「はっ。人民軍高級将校大学で教わっております。」「では、日本人に出来た事が、何故、我々に出来ない。」「出来ないわけ有りません。我々は、世界で最も優秀な民族ですから。」「そうだ。技術力と言う点では、60年前の日本人よりも、我々の方が、上だ。後は、パイロットの問題だ。」「志願致します!自分が、志願致します!」「うむ。君が、先陣を切ってくれ。後に続く者たちの手本となってくれ。」「はっ。光栄であります。」・・・・・・・・・・・・・・・・・二日後、大尉は、弾道弾ミサイルの「コクピット」へと、乗り込む。彼の気持ちは、高揚していた。自分が「操縦」するのだ。この我国が誇る弾道弾ミサイルを。資本主義者の軍隊の様に、電子計算機が、操るのではない。人間が「操縦」して、地上目標物に正確に命中させる。全ては、我等が偉大なる・・・。
Jul 8, 2006
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5営業日で、3回トレード。他は、完全にノー・シグナル。損益は1;06/07/04・・・+10円2;06/07/06・・・-50円3;06/07/07・・・+70円小計・・・+30円儲かった事は、儲かった。しかし、暇だったなあ。でも、苦痛でも無いし、退屈で、厭になっちまうと言う事も、全然無い。トレーダーになる(BEING A TRADER)とは、こう言う事だ。今日は、港区の鮨屋に予約を入れて置いたので、例によってッ!急がんとッ!間に合わんッッ!!パフォーマンスの発表は、本日の深夜、若しくは土日のココロだあっ!じゃあねえええっ。
Jul 7, 2006
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25年前に読みました。先ず、戦争論から語らせてもらいますが。昭和一桁生まれの父親を持った世代としては、21世紀始めの現時点においても、究極的なカタストロフは、第二次大戦に刻まれていると、認識しています。理由は、それを超えるテクノロジーが、まだ実用化されていないから。「それ」と言うのは、当然、核爆発です。戦争の形態を考えると、弾道弾ミサイルを開発した近隣の某国の、何が脅威かと言えば、核弾頭搭載を予定している、と言う事です。これが、通常爆弾なら、それ程、と言うか、ナチスのV号ロケットの空襲を体験したロンドン位の被害を想定する事になるでしょう。戦略的ミサイル防衛網等と言うものを、本気で考えなければならなくってしまっているのは、核搭載ミサイルに対処するためで、「実体弾を実体弾で撃ち落す」と言うナンセンスさを、大金を投じてまで、克服して研究しなければならない、極めて中途半端に、ハイテク化しているのが、現在の戦争の「絵姿」の様です。(素人考えだと、光線兵器の実用化を研究した方が早い様に思うのですが、どうやら、そちらの方が却って、遠回りになるらしいです。)さて、ヴォネガットの本作についてですが、「ドレスデン空襲は通常爆弾によるものだったので、ヒロシマ程ではない。」とか、「ドレスデンとヒロシマでは、どちらの方が死者が多かったか。そして、その中に占める非戦闘員の割合は。」とか、等と言う事を問題にしたいのでは、ありません。(国家対国家、民族対民族、そして、個人対個人の「不幸自慢合戦」くらい無意味なものはないですから。)一つの視点としては、ヴォネガットが地上にいて、爆撃される側の立場で、戦争を体験した事であり、例えば「キャッチ22」のジョゼフ・ヘラーが、爆撃機乗りの恐怖とストレスから、狂っていく戦争の「絵姿」を描いたのと、対照的です。要するに「殺す側」から描くか、「殺される側」から描くかと言う事ですが、「殺す側」の視点は「殺し合い」を描くのに対して、ヴォネガットは、「一方的に殺される立場」を描いたという事です。(ヴォネガットは、ドレスデンで竹槍も持っていなかったし、上空を飛ぶ爆撃機と精神力で戦おうともしませんでした。)徹頭徹尾、パッシヴ(受動的)に戦争を体験した作家はインタヴューの中でも、こう述べています。「人間は、本当にどうしようもなくなった時は、泣くか笑うかしかありません。それでも、笑えば、笑った様な気分になりますからね。」尚、冒頭に書いた「カタストロフは、過去の時点に穿たれている。」と言う事が感覚的に分かるのは、1960年代以前に生まれた人間(日本人の場合は)だと、思います。それは、ヨーロッパ人にとって、栄光はルネッサンス期にあり、それ以降は黄昏の時代である、と言う感覚に近いと思います。
Jul 7, 2006
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本作を読んだのが、もう、23年も前の事だが、10年に一度のくらいの感動を覚えた。その3~4年前に、ヴォネガットの「猫のゆりかご」や「タイタンの妖女」、「スローターハウス5」、バージェスの「時計仕掛けのオレンジ」、ハクスレイの「素晴らしき新世界」、オーウェルの「1984年」、ザミャーチンの「われら」、その他を読んでいたのだが、感動と言う点では、ストルガツキー兄弟の「ストーカー」が突出的であった。地獄。SFの世界で描かれた、この世の地獄。たった一言の言葉を口にするために、実に300ページ近くの地獄の底を這いずり回る話。最後に口にされるその言葉はこうである。「欲望」当時、本書を読了したとき、構造主義精神分析のジャック・ラカンに関する解説書に次の様なエピソードが挙げられていたのを、連想した。悪魔主義者が、悪魔を召喚する。悪魔は、部屋の窓から、その駱駝の顔を入れて、人間にこう問う。「汝、何を望むや。」(この後、有名な「母の欲望」の話になっていくのだが。)もし、人が悪魔と戦って、勝つのならば、本作のラストで主人公のストーカーは一つの勝ち方を、示したと言って良いと思う。少なくとも、負けない方法を示している。それは、「馬鹿のイワン」とは、また異なった戦略だが、人が、どうしようもないほど強大な悪のパワーと戦って、捻じ伏せられている様でいながら、人の心と言うか、魂の中には、それを超えるくらい強靭な部分があって、決して屈する事はない、と言うロシア的な物語である。尚、ノーベル賞作家が本作をパクッて書いた「治療塔」については、私は死ぬまで、決して読む心算はない。本作の私にとっての、最も貴重な読書体験のひとつが、汚されてしまうからである。
Jul 7, 2006
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まず、世代論で、切って行く。それが、1950年代か、或いは昭和30年代か、その頃だろうが日本史の中で、高高、ワン・ディケイド(つまり、10年間)続いた程度の、共同体を、余りにも、強烈なノスタルジー故、それを、「日本人の、永遠の心の故郷」であると、思い込んでいる人達が、団塊の世代を中心にして、大量にいるらしい、と言う事がこの本が、300万部以上売れた事から、分かるのである。その当時、何故だか知らないが、日本人が、後生大事にしている世間様と言うのは、うまく、機能していたらしい。(日本人にとっては、神様よりも、世間様の方が、偉いらしい。)そして、著者の言い方では、世間によって、個人の脳が作られるので今、中途半端に、ぶっ壊れている、日本の世間の中では、古きよき時代の世間様によって、脳を作ってもらった、大人達は、生きづらさを感じている様である。別に、それ程、大した問題でもない。そもそも、団塊世代の人達が学園紛争の頃、やろうとしていたのは、既成社会の変革を、強力に推し進める、強硬派とは、別に、穏健派は、どうすれば、人間が人間らしく生きていく社会が出来るだろうと、思って、コミューンの方へ、つまり、共同体運動の方へ行ってしまった人も、多い。しかし、その後70年代後半から、80年代終わりに掛けて、日本の景気が猛烈に良くなっていったので、そういう、日本版ヒッピーのような生き方をしていた人達も、経済社会に、飲み込まれていき、90年代後半からはリストラの嵐で、首を切られまくっていた訳である。要するに、世間様なんて身勝手なものなのだ。世間様が、自分の脳を作ってくれたのだから、少なくとも世間様に合わせて生きていけば、そんなに、酷い目に遇う事はないだろう、と言うプリミティブな、信仰心が、見て取れるのである。極めて幼稚で、原始的である。これが、旧世代日本人の、素朴なと言うか、悪い意味で超純朴なナイーブ過ぎる、原始宗教、「世間様教」である。彼らにとって、問題なのは、例えば50年前の世間様が、自分の脳を作ってくれた。しかし、50年後の現在、世間様は、変調し或いは失調し、また、場合によっては、ぶっ壊れかかっている為に、自分達に余りにも、酷い仕打ちをする。世間様、何故この様な惨い事をなさるのですか。ってんで、病める神を、再生させようとデスペレイティブな、絶望的な、努力をしようと言う気持ちにはなっているのだが、具体的に何をしたらいいのか、分からないでいる。何しろ、生きていくためには稼がなくちゃならん。定年退職した奴は、もう、疲れ切っちまっているので、世間様の為に何かしてやるのは、面倒で堪らん。それに、もうじき、寿命だ。自分の残り少ない人生は、もっと、別の事に使いたい。具体的に何をやるか、これから、ゆっくり考えるが。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先の共同体論に戻るならば、定年を迎えた旧世代人は自分達で、高齢者のコミューンを、作っていけばいいのではないかと思う。エスタブリッシュの、つまり、既成の世間様が、もう、再起不能なくらいまで、ぶっ壊れているのなら、そんな物は、放っておいて、新しく自分達で、ハンドメイドの世間様を、作って快適に暮らして行けばよいと思う。何も、山の中に篭もって、新興宗教団体紛いの生活をする、必要も無い。共同体とは人間関係の事である。従って、新しい付き合いと新しいネットワークで、勝手に「社会変革」やっちゃえば、良いではないか。それで、そのまんま、若い時の夢が、叶っちゃった、と言うことになる訳である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・尚、20年前に、新人類と呼ばれた、間の世代、所謂ビトゥイーン世代としてはこれからの世間様って奴を、どうしていくか、或いはどうもしないのか、どうもしないとしたら、どの様に生きていくかについては、また、この続きのレビューで書く。
Jul 6, 2006
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