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2022年3/4月号の「PRESIDENT」に東京慈恵医科大学の舘野渉先生の『精神科治療「最新」ガイド』と題する記事が8ページにわたって掲載されていました。なお、このビジネス誌は54期連続No.1の雑誌です。バックナンバーが用意されています。認知行動療法との比較で森田療法を分かりやすく説明されています。この記事によると、2017年には精神疾患により医療機関にかかっている人は400万人を超えているという。神経症や生きづらさを抱えながら、医療機関にかかることもなく、独りで辛い生活を余儀なくされている人は相当の数になることが予想できます。この記事では、森田療法が適応する病気と応用しにくい病気があると説明されています。森田療法は不安にとらわれやすい人や「かくあるべし」という観念が強い人が神経症に陥った場合は効果的である。また「生の欲望」が強いという気質の人に向いている。私が興味深く感じたのは、認知行動療法と森田療法の比較の部分でした。現代の認知行動療法は進化して、マインドフルネス認知療法(MBCT)やアクセプタンス・コミットメントメントセラピー(ACT)などと呼ばれるものがある。マインドフルネスとは、今の瞬間の現実に常に気付きを向け、その現実をあるがままに知覚して、それに対する思考や感情にはとらわれないでいる心の持ち方や存在のありようを意味します。第3世代の認知行動療法と森田療法は「あるがまま」という共通点があります。つまり、不安コントロールモデルから受容モデルへと変化してきている。違いがあるとすれば、森田療法の不安受容というのは、当然最初にとり組むべき課題としています。しかし、そこを最終目的としているわけではありません。最終的には「生の欲望の発揮」を目指しているというところです。森田療法は、課題や目標、夢や希望を常に射程に入れて、生産的、建設的、創造的な生き方を目指しているというところです。不安受容がゴールではなく、そこを出発点としてとらえているところです。そういう意味では、森田理論は静的で精神の安定的な世界を目指しているのではなく、常に動的な世界を視野に入れた理論であるということになります。実践や行動と森田理論が混然一体となって、活用できるようになることが肝心です。森田療法でいう実践・行動ですが、最も重視しているのは日常茶飯事を丁寧に行っていくということです。凡事徹底です。物そのものになって一心不乱に取り組んでいく。必要な時に、必要に応じて、必要なだけの行動を心掛ける。気が付いたら一時的に神経症のことを忘れていた。そういう体験を積み重ねるということを言います。そして神経症からある程度回復したら、自助組織などに参加して、神経質性格、神経症の成り立ち、認識の誤り、今後の生き方などを森田理論学習で深化させていくということです。
2022.03.31
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森田療法家の岡本重慶氏のお話です。高良興生院での話です。ある時、不安神経症の入院患者が、(物干しにする)竹を買ってくるように依頼されました。彼は竹を買って帰院した時、「竹を買いに行ってきましたが、不安は起こりませんでした」と嬉しそうに報告したそうです。これに対して治療者は叱りました。「君が外出した目的は竹を買うことであって、いかに良い竹を安く買ってくるかが目的であったのに、不安が起こりませんでしたとは何事だ」と。症状のことよりも、必要な役割や目的を果たすことが重要なのです。(忘れられた森田療法 岡本重慶 創元社 210ページより要旨引用)確かに森田療法では、症状を治そうとすることを目的とした行動を続けている限り、症状はなくならないし、むしろ悪化してくるといいます。それは、不安に対して意識や注意を強力に引き付けていくからです。つまり精神交互作用が神経症を蟻地獄の底へと落とし込んでいくのですが、行動がその後押しをしていると考えるからです。行動が全く滞っている人はともかく、少しずつ行動力が回復した人は、物そのものになって取り組むことが肝心だというわけです。森田理論で症状を克服するというのは、不安に対してのとらわれを、徐々に減少させて、頭の中をいっぱいに覆っていたその比率を下げていくということです。100%が90%80%・・・というふうに下がってきた分だけ、症状が治ってきたというふうに考えているのです。ですから神経質性格を持っている限り、不安にとらわれやすいという性格特徴は変わらないわけですから、0%ということは考えられません。完治することはありえないのです。それは欲張りというものです。比率が50%くらいになれば、完治と言ってもよいと思われます。どこに出して恥ずかしくないほど治っているのです。それくらいのところで、納得して欲しいのです。岡本先生は、行動療法ではそのような受けとめ方はしないといわれています。外出できなかった患者が、買い物をするという役割付きの外出を一応人並みに果たして、かつ不安もおこらなかったのなら、行動療法的には成果があったと評価するでしょう。行動療法は、行動を通じてのみ心を把握できるという考え方に立脚しているのです。森田療法も不安はそのまま横において、目の前のなすべきことを淡々とこなすことが大切であると言っています。その点では、行動療法と何ら変わらないように見えます。では何が違うのかという疑問が湧いてきます。認知行動療法では、暴露療法で不安を受けいれられる人間にしようとします。つまり不安を10段階くらいの階層に分けて、付き添い者の援助を受けながら、1の段階から不安に慣れさせて自信を持たせるというやり方をとります。自信をつけて、徐々に難度を上げて、最終的には不安を無くしていくというものです。これは確かに効果があります。ですから精神療法として認知されているのです。森田療法と違う点は、行動は明確に症状を意識しているということです。行動は症状を克服するという目標に向かって設定されているということです。これは、ハツカネズミが飽きることなく糸車を一晩中回し続けていることを連想させます。それでも一旦は症状から解放されるわけですからよしとされているのです。治療は成功裡に終わり、めでたしめでたしということになるわけです。退院した後、自助組織に参加して、理論的に後付けすることはありません。しかし考えてみてください。神経質性格者はちょっとしたことで不安にとらわれやすいという性格特徴を持っています。一旦治っても、また別のことにとらわれて、新たな神経症で苦しむことにはなりませんか。また、不安に振り回されて、一生涯生きづらを抱えて暮らさなければならないという悩みはどうするのですか。それは、別の問題ですから、ご自分で考えて対処してくださいということなのですか。森田では行動は、必要に応じて、必要な時に、必要なだけ行うというのがよいといわれています。日常生活に密着した行動こそが、症状を解放させるものであるし、そういう生き方を身につけた人がこれから先の人生に希望が持てるものであると言っているのです。症状を治すために行う行動は、基本的には邪道であるとみなしています。森田理論に取り組んでいる方は、そこのところを忘れないようにしていただきたいと思います。
2022.03.30
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初心者が森田理論の基礎を学ぶために最適な本があります。この本の中に、森田理論学習が、自分の人生に役に立つかどうか判定するテストがあります。当てはまる番号を書き出してみてください。(実践森田療法 北西憲二 講談社 202ページより引用)1. 私は今の自分では環境に適応できない。(仕事や家庭や学校でうまくやっていけない)のではないかと不安です。2. 私は今の悩みを非常につらく感じます。3. 私の今の悩みは、自分の性格と関係があると思います。4. 私はつらい場面がまた起こるのではないかといつも不安です。5. 私の悩みは、他の人にはない特別なものだと思います。6. 私はなんとか私の悩みを取り除きたいと思っています。7. 現在、私は自分の悩みしか考えることができません。8. 自分の悩みに注意を向ければ向けるほど、悩みは強くなってしまいます。9. 私はこの悩みさえなかったら、自分の望むことができると考えています。10. 私は今の自分を全くだめな人間と思っています。自己否定感が強いです。11. 私はこうありたいという自分の欲望のため、苦しんでいます。12. 私は自分の悩みを取り除くためにいつも努力しています。13. 私は内気で、ちょっとしたことでも苦にするほうである。14. 私は物事にこだわってしまい、なかなかそこから抜けだせません。15. 私は他の人のいうことが気になり、傷つきやすいと思います。16. 私は自分の体や体の調子が気になる性分です。17. 私は引っ込み思案で新しいことにとりかかるのが苦手です。18. 私は物事をきちんとしないと、気になって仕方がありません。19. 私は負けず嫌いです。20. 私は自尊心(プライド)が強い方です。21. 私は全く不安のない状態を望んでいます。22. 私は自分の気持ちや周囲の人たちを思い通りに動かしたい方です。23. 私は白か黒か、ゼロか100か、どちらかに決めないと気がすまないほうです。24. 私は内弁慶(外ではおとなしく、内ではわがまま)です。25. 私は理屈っぽく、頭でっかちのほうです。15個以上に○が付いている方は森田神経質といえるでしょう。森田理論学習があなたの症状や悩みの解決に役立つことでしょう。自助組織NPO法人生活の発見会に入会して、仲間の力を借りて、森田人間学を学ぶことを強くお勧めします。もしこれらの悩みで、勉強、仕事、家事、育児、親しい人との付き合いに支障がある方は、生活の発見会のホームページに森田理論に詳しい精神科医の紹介があります。生活の発見会のホームページこういう方は、アリ地獄から地上に這い出るための治療が優先されます。現在神経症の治療としては、薬物療法、カウンセリング、森田療法、認知行動療法をはじめとしたさまざまな精神療法があります。神経症は蟻地獄の底に落ち込んでいるような状態です。その段階では、地上に這い出るためにどんな方法を選択しても構いません。その方法である程度日常生活が回復したときに、あとは何もしないというのは、再発の危険性もあります。さらに、不安にとらわれやすいという性格傾向は変わらないわけですから、この先も生きづらさがついて回ります。この生きづらさを解消して、これからの人生を実りあるものにしてくれるのが、森田理論学習に取り組むことなのです。ある程度回復したときに、再発防止と生きづらさの解消を目指して、仲間とともに、森田理論学習を開始されることをお勧めいたします。森田理論学習によって人生観を確立した先輩達が強力にアシストしてくれるはずです。
2022.03.29
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私が症状で苦しかったころ、桜には関心がありませんでした。少し楽になったころ集談会に参加するために桜並木を歩いていました。桜が風に揺れて花弁が舞い散っていました。そのとき「ああ、桜はこんなにきれいだったのか」としみじみと思いました。今考えると、まだまだほとんど症状でのたうち回っていたのです。でも、少しだけ桜の美しさに気づくゆとりがでていたのです。今現在神経症で苦しんでいる方に伝えたいのです。症状から解放されるということは、100%症状で一杯だった状態から、3%でも5%でも、他の事に関心や興味が移ってくるということだと思います。それが10%、20%に拡大してくれば、前途洋洋です。あなたはきっと神経症を乗り越えることができるはずです。30%くらいまで拡大できたら、早々と神経症克服宣言をしましょう。そしてそこを出発点にして人生を謳歌していこうではありませんか。私はそういう人を末永く応援していきたいと思っています。
2022.03.28
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2019年の女性の平均寿命は87歳、男性は81歳となっている。健康寿命は女性74歳、男性72歳である。平均寿命と健康寿命のタイムラグは、女性で13歳、男性で9歳となっている。人生の終盤は、持病で病院通い、認知症、要介護、寝たきりの人が多い。メンテナンスを怠らず、心と身体の廃用性萎縮現象をいかに抑え込むか鍵となる。目標とすれば、よくテレビに出ていたきんさん、ぎんさんであろう。きんさんは107歳、ぎんさんは108歳まで元気溌剌で私たちに笑顔を振りまいてくださりました。きんさん、ぎんさんのようにピンピンコロリの人生を送るためにどんなことを心掛ければよいのか。1、よく笑うこと。2、感動すること。3、感謝の気持ちを持つこと。4、プラス思考でいること。5、高い志と大きな夢を持つこと。もう一つ付け加えると、6、きんさんぎんさんのようにお金を稼ぐこと。(笑いがニッポンを救う 江見明夫 日本教文社 189ページより引用)私の場合を振り返ってみました。1、川柳を作ってる。ユーモア小話作りと収集が趣味である。2、花を育て癒されている。家庭菜園でいろいろな野菜を作り楽しんでいる。収穫の時は大きな感動がある。加工食品で梅酒やラッキョウ漬けを作っている。至福の時を感謝している。田舎通いが楽しみである。3、毎日寝る前に仏壇に手を合わせて、ご先祖に感謝の言葉をかけている。日記に今日の感謝、今日楽しかったことを最低1つは書くようにする。4、愚痴は言わない。対人関係では、他人を非難、否定しないように心がける。傾聴、共感、受容、許容を心掛ける。感謝気持ちで生活する。5、このブログをあと20年は続けたい。そのために毎月10冊以上の本を読む。本を読んだ後は要点を書き出して、森田理論と突き合わせる。老人ホームの慰問活動を末永く続けていきたい。そのために、ドジョウ掬い、獅子舞、腹話術、楽器の練習を続ける。6、今はマンションの管理人の仕事を続けている。わずかながら収入になる。階段の上り下りを利用して、足腰を鍛えている。ウォーキングは無理なく5000歩以上を心掛ける。そのときはあごを鍛えるため、キシリトールガムを噛む。カラオケの練習を毎日行う。毎日大きな声をだすようにする。マインドフルネスを学んだので、正座瞑想を生活の中に取り入れる。ちなみに生活習慣病とがん検診は年1回行っている。以上、身体、精神、経済状態でじり貧にならないように気を配っている。
2022.03.28
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自己肯定感を持ち、それを高めていくためにはどうすればよいのですか。集談会でこういう質問をよく受けます。その方は自己否定感で、自分を否定することが多くて、自分が好きになれないのだろうと思います。自分を好きになるためにはどうすればよいのでしょうか。どんな人間でも現実の自分とその自分を雲の上のようなところから眺めて非難・否定している自分がいます。観念が現実の自分を批判・否定しているのです。一人の人間であるにもかかわらず、二人の人間が住み着いているのです。この二人の自分を一つに統一することが必要になります。雲の上にいる自分が、現実で苦しんでいる自分に寄り添うことが大切です。自己肯定感の強い人は、理想の自分が現実の自分にすぐに寄り添うことができる人です。現実の自分がどんなに心もとなくても、ミスや失敗をしてみんなから笑いものにされていても、いたわり励ますことができている。どんな事態になってもあなたを守り抜いて見せますという態度が強い。そういう人は観念よりも、現実・現状・事実の方を優先できる習慣が出来上がっています。叱責、非難、否定していた自分がいなくなると、葛藤や苦悩がなくなります。そのためには森田理論学習をすることです。「かくあるべし」の弊害と事実本位の大切さをしっかりと学習しましょう。つぎに、神経症に陥るような人は、不安や恐怖にとりつかれて、生の欲望の発揮という本来の目標を見失っている傾向が強いようです。不安や恐怖を取り除いてからでないと、生の欲望に向かうことはできないと考えてしまうのです。しかし神経症的不安や恐怖はなかなか取り除くことができません。一旦不安にとらわれると、精神交互作用でどんどん増悪して神経症として完全に固着してしまいます。固着してしまうと自分一人ではどうすることもできなくなります。自分はダメ人間ではないか、生きていく気力も勇気もわいてこない。いっそのことこの世とおさらばした方がいいのではないかと考えるようになります。自己肯定感を持つためのポイントは、生の欲望の発揮を無視しないということです。そこに絶えず焦点を当てて欲望を見失わないようにすることが重要です。その中でも、日常茶飯事に丁寧に取り組むことです。凡事徹底のことです。雑事を軽視、無視している人のなかに、自己肯定感の高い人はいません。そうすれば一方的に自己否定の方向に向かうことがなくなります。つぎに自己肯定感が持てない人は、小さい頃から成功体験の少ない人です。何かに挑戦して、目標達成感や成功体験の思い出が少ない人です。これではいつまで経っても自己信頼感が育ってこないのです。成功体験は自信や勇気となって、人間としての器が大きくなります。自己肯定感は雑多な経験の積み重ねによって獲得できます。過保護に育てられた人や親の指示通り行動することを強要された人は、好奇心に促されての行動が少なくなります。こういう方は、今からでも遅くはありません。自分のやりたいこと、挑戦してみたいこと、好奇心のあるもの、興味や関心が持てるものに積極的に手を出していくことです。いきなり大きな目標を目指すのではなく、少し努力すれば達成可能な目標に挑戦していくことが大切です。この経験によって、小さな自信を積み重ねていくことです。私は集談会の世話活動によって、自分を肯定し、自分に自信が持てるようになりました。「自分もまんざらではない」と思えるようになった時、自己否定感はどんどん縮小し、自己肯定感が拡大していくようになるのです。
2022.03.27
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森田理論には「生の欲望」というのがあります。欲望というのは暴走しやすいので、「欲求」という人もいます。今日のテーマは、欲望や欲求が脳の中でどのようにして生まれるのか。そして欲望や欲求とどのように付き合うべきなのかです。欲望には生理的・現実的な欲望と観念的な欲望があります。まず生理的・現実的な欲望とは何か。おなかがすいたので何か食べたい。喉が渇いたので水を飲みたい。眠りたい。住む家が欲しい。自家用車が欲しい。便利な家電が欲しい。暑いので体温を下げたい。寒いので温まりたいなど。この中から「食べたい」という欲求はどのようにして生まれるのか。人間には不足すれば元に戻そうという仕組みが備わっています。このことを恒常性維持(ホメオスタシス)と言います。栄養不足になれば食べ物を摂取して解消しようとしているのです。多すぎる場合は、抑制して元に戻そうとしているのです。恒常性維持機能はバランスの維持ということになります。バランスの維持は森田理論の大きなテーマとなっています。人間の活動源は糖分です。脳のエネルギー源も糖分です。糖の原料となる炭水化物の摂取はとても重要です。血液中のグルコース(糖分)の濃度が一定に保たれているかどうかは生死にかかわります。ですから人間には血糖値を24時間休みなく監視するシステムが備わっています。生存脳と言われる「視床下部」で監視してコントロールされているのです。この視床下部の中に隣接して満腹中枢と空腹中枢があります。ここにはグルコース感受性ニューロンとグルコース受容ニューロンがあります。血糖値が下がれば、血糖値を上げるために食欲を出すように指令を出しています。逆に血糖値が上がれば、血糖値を制御するために、食事を制限しようとします。サーカスの綱渡りのように微妙なバランスをとりながら生活しているのです。人間の食欲という欲求は、視床下部で生み出されていると言っても過言ではありません。欲望というのは脳のシステムとして生み出されていると理解した方がよいようです。これは他の生理的欲求についても同様です。次に「観念的な欲望」を見ていきましょう。これは三重野悌次郎氏が分かりやすく説明されています。観念的な欲望は人間が言葉を操るようになって出てきた欲望です。ですから人間に固有なもので、動物にはありません。生理的・現実的な欲望は目標を達成すればすぐに消えます。だが観念的な欲望はそうはいきません。自分は腹いっぱいでも、人がうまそうな果物を食べていればそれを欲しいと思います。観念的な欲望は真に充足することがありません。仏教で餓鬼(がき)というのは、食っても食っても満腹することがなく、常に飢渇に苦しむそうですが、観念のとりこになった人間を象徴しているようです。動物はグルコースの濃度が元に戻れば、それ以上に食べようとはしません。ところが人間の場合は違います。「観念的な欲望」があるからです。観念的な欲望は、意識しないと、恒常性維持という心身の仕組みを無視して、利己的、攻撃的、暴走しやすいという特徴があります。欲望が暴走するととても厄介なことになります。食べ物でいうと、これは絶品だと思うと、生理的には十分に間に合っているのに、いつまでも食べてしまう。飽食三昧ということになります。食べ過ぎは体重が増加することになります。血糖値が高いと血管を詰まらせ、内臓を痛めます。特に飽食三昧で急激に血糖値を上昇させることの弊害は大きい。血糖値が上昇し過ぎるとインスリンの力で抑えにかかります。それが急激に行われると、今度は一時的に低血糖を招くことになります。高血糖と低血糖が大きな大波となって身体を襲います。最後に調整がきかなくなって糖尿病にかかります。深刻化すると内臓の障害を招いて人工透析するようにもなります。観念的欲望は、私たちの生活を豊かにし便利にしてきました。人間の文明や文化はこの観念的な欲望によって発達したとも言えます。しかしその反面で観念的な欲望が暴走して、争いや競争の絶えない人間関係や不平等で生きづらい社会を作り出してきました。しかし観念的欲望持つようになった人間は、その進化に逆行して言葉のない世界に戻ることはできません。現代人がバランスを維持するためには、暴走する欲望を意識して止めるしかありません。欲望は生理的・現実的な欲望を第一優先順位とする。観念的な欲望は第二優先順位として、それが暴走しないように絶えず意識して自制する。むしろ抑制的で謙虚な姿勢が人類に求められているのだと思います。森田を勉強した今では「少欲知足」「吾唯足知」「地産地消」「自給自足」「ないものねだりをしないで現在持っているものやあるものを活かす」という考え方になってきました。この方針で今後も生きていきたいと思っております。2つの欲望については、「森田理論という人間学」(三重野悌次郎 白揚社 128~137ページ)に詳しく書いてあります。その他欲望を抑える生き方として、良寛、老子、加島祥造、中野孝次、井形慶子さんの図書が参考になりますので推薦いたします。
2022.03.26
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2月号の生活の発見誌に「皮切り」という記事があった。外科の手術でも皮膚を切るときだけが痛く、その後は何ともないものです。熱いお湯に入るときもちょっとはじめがつらいだけであります。神経質のいろいろな症状に悩んでいる人にとっても、この「皮切り」が大事で、ちょっとはじめに思い切ってやってみれば、なんでもなくできることが分かるのであります。「めんどうだ」「おっくうだ」「やる気が起きない」「しんどい」「楽をしたい」などという気分本位に振り回されてしまうことがあります。その気持ちを押しのけて、我慢して行動すればよい結果が生まれることはよく分かっているのですがなかなか行動にふみきれない。朝からこんな状態では、その日が終わるときに何か物足りなさが残ります。第一日記に書くことが何もないという状態になります。どうすれば上手に「皮切り」ができるのでしょうか。森田先生は次の日が楽しみな遠足というときは、自然に時間になれば目が覚める。ただちに準備に取り掛かることができると言われる。作家の人などは、前の日に文章を途中まで書いて止めておく。例えば、「私は」と書いて、止めておくと次の日は早速筆が運ぶという。これらは、「呼び水」というやり方だと思います。井戸水を組み上げるときは、最初に呼び水を入れてポンプを漕ぎます。すると、呼び水がきっかけとなって、水を汲み出すことができます。私はこのやり方をまねしています。私は土日が休みですが、金曜日にはやるべきことややってみたいことを紙に書きだしています。その項目を無理やり10個以上になるようにしています。例えば、・本箱の整理整頓・ベランダの花の植え替え・カラオケの練習・サックスの練習・一人一芸の練習・米を搗きに行く・ブログの記事を書く・読みかけ中の本を読む・ホームセンターで買い物をする・you tubeでアジサイの手入れを研究する・近くの山にハイキングに行く・食材の買い出しに行く・図書館で本を返却するこのやるべきリストは普段から、土日にやってみたいこととしてリストアップしています。当日は身支度が終わると午前と午後に分けて、機械的にどんどん懸案事項を片づけていくといったイメージです。土曜日にやり残したことは、日曜日に回すこともあります。一日という時間は、充実感とともにあっという間に終わってしまいます。無為に過ごすと後悔が残りますが、リストアップしたことをこなしていると相当多くのことを手掛けたという気持ちになります。最初は気分本位になって腰が重いと思っても、今までの経験上行動した後には、やってよかったと思うことが多いように思います。
2022.03.25
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森田先生の言葉です。我々の日常生活は、実際において、まず第一に、時と場合における「感じ」から心が発動し、種々の欲望が起こる時に、それに対して、理知により、理想に従いて、自分の行動を調整して行くのであって、すなわち第一が「感じ」で、次に理想が働くのである。これを反対に、理想を第一にして、それから感じを出そうとするから「思想の矛盾」となり、主義の色合いにかぶれて、純白無垢の行いができなくなるのである。例えば時間がたてば腹がへり、御馳走を見れば食べたくなる。これが「感じ」である。(森田全集第5巻 405ページ)ここでは感情の事実を第一優先順位とすることが大切だといわれている。「好き」「挑戦してみたい」「食べたい」「行ってみたい」という感情や欲求が湧き上がってきたら、その気持ちを大切にすることが出発点になります。ここで「感じ」というのは、最初に湧き上がってきた素直な感情のことです。森田理論の中に「純な心」というのがありますが、まさにこの素直な感情のことです。ところが神経質者に限らず多くの人間は、高度に大脳が発達してきたために、感情の事実を軽視・無視してしまうようになった。森田先生が理想と言われているのは、観念優先の態度と読み替えられます。今や人間は観念を最優先してプライドだけが高い鼻持ちならない生き物になってしまった。自分の主義や思想や主張を他人や自然に押し付けるようになってしまった。さらに自分自身も、辛辣に批判や否定する生き物となっている。人間が人間を殺し合う戦争も平気で行う生き物になってしまった。このままではいずれどこかで核戦争が起きるのは時間の問題だ。核戦争が始まれば、相手も対抗措置をとってくる。そして人類は滅亡する。せっかく高度な文明や文化をはぐくんできたのに残念なことです。感情の事実を無視して、観念を優先する態度の弊害は計り知れない。森田理論はこの問題に警鐘を鳴らしているのである。感情の事実、人間同士の争い、自然災害、理不尽な不幸な出来事などを観念で是非善悪の判定をする態度はやめようではありませんか。それよりも、受け入れられない事実を受けいれる態度に切り替えませんか。事実から出発して、問題のある現状を少しでも改善できるようにみんなで力を合わせて努力することが大切なのではありませんか。言われてみれば当たり前のことですが、現実は観念が第一優先順位で、事実は第二優先順位どころか軽視・無視され続けているのです。森田理論は神経症を克服する理論として産声を上げましたが、今後の人類史を左右する理論としてとらえ直す必要があると考えています。
2022.03.24
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後悔するということは、過去をクヨクヨ思い悩むことです。反省するということは、過去から何かを学びとることです。何かをするたびに後悔をすれば、今も、未来も暗い気持ちで過ごすことになるでしょう。反省をすれば、明るい未来をより良く切り開いていくための知恵が生まれます。常に前向きにチャレンジする人は、後悔でなく、反省をするのです。(魔法の言葉 中井俊已 汐文社)この言葉は、まさに「魔法の言葉」だと思います。過去の不祥事、恥ずかしい思いをしたこと、他人に対して思いやりのない態度をとったこと、ミスや失敗などが悪夢となって自分を責めたてている人はいませんか。その状態は、森田理論でいうと、いつまでも過去の出来事を非難・否定しています。それだけではありません。そんなことをしでかした自分自身を否定して許せないのです。それらは悪夢となっていつまでも怨霊のように付きまとっているのです。森田理論学習で「かくあるべし」の弊害を何度も学習しました。そして現状や事実を素直に認めて受け入れるという事実本位の態度になれば、葛藤や苦悩から解放されると学びました。でも実際には「かくあるべし」が強くて、過去の忌まわしい事実を受けいれることができていないのです。こんな状態のまま生きていくのはしんどいばかりです。この感情をなくすることはできないでしょうか。結論からいうとそれは可能だと思います。後悔という言葉を別の言葉に置き換えることです。その方法は反省材料として活かすことです。後悔はしたくないと思っても、後悔の感情は自然に生まれるものです。それがエピソード記憶、長期記憶としてしっかり格納されています。決してその記憶を取り去ることはできません。一生付き合っていくしかありません。しかし後悔との付き合い方を変えていくことはできます。私たちは後悔は不快な感情ですから、それを目の敵にしています。後悔という不快な感情に対して、敵対していることが問題です。過去はもうすでに過ぎ去ったものです。いくら後悔したところで帳消しにはされません。でも後悔を今後のために活かすことはできます。反省材料として、反面教師として活用することはできます。そのためには、不快な感情と敵対しないことが大切になります。味わうと言ってもいいでしょう。とことん味わい尽くす。それだけでよいのです。それ以上のことをしてはいけません。これを森田では事実に従うと言います。事実に従うと「かくあるべし」で自分を責めたてることがなくなります。これだけでも精神的に楽になります。それだけではありません。そのエネルギーを他に転用することが可能になります。事実に従うと、そこを出発点として課題や目標に向かうことが可能になります。後悔を反省材料として活かすことができるようになるのです。後悔を補って余りある行動に転嫁することができるようになるのです。後悔は反省材料として活用することで初めて陽の目を見ることになります。人間はいくら後悔の多い人生を送ってきたとしても、責められることはないと思います。そもそも人間が生きていくことは後悔だらけです。ですから何ら恥じることはありません。後悔ではなく反省材料として取り扱うことです。その気持ちを持ち続ければ、夜中に悪夢でうなされることはなくなるはずです。もし自分をこの世に送り出してきた創造主がいるとすれば、その態度をきびしく査定しておられるのではないでしょうか。ですから過去の忌まわしい出来事はいくら抱えていても許されるということです。それを払拭して余りあうものに取り組んで来たかどうかが肝心です。後悔するより反省材料として今後に活かしていこう。これが結論です。どうか自分を責めることだけはしないようにしてください。
2022.03.23
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2022年2月号の生活の発見誌に臨床心理士さんの記事があります。この方は神経症と格闘しているうちに心理学そのものを勉強したくなったそうです。働きながらですから大変だったでしょう。まず放送大学に入り心理学を受講した。弾みがついて夜間の大学院に通って臨床心理士の資格まで取得された。生活の発見会にはすごい努力家がいます。私の知ってる人の中には、臨床心理士、精神科医、産業カウンセラー、一級建築士、公認会計士、司法書士、土地家屋調査士、社会保険労務士になった人がいます。向上心が半端ではないといった感じですね。そういえば森田先生の時代は、弁護士、外交官、検察官、陸軍幹部、新聞記者、医者、大企業の経営者、大学教授、自営業で成功した人などが目白押しでした。生活の発見会に入ると、そういう人たちと親しく交流でできるのですからたまりません。さて紹介記事に入りましょう。私の対人恐怖の症状がなくなったかと言われれば、決してそうではありません。苦手な場面ではいまも緊張します。しかし、これまではそれが人生の「最大の悩み」だったものが、人生の数ある中の「悩みの一つ」になりました。不安や症状に対する見方が大きく変わったからです。「悩み」は必ずしもなくならなくても、「悩み」を持ちながらでも人は十分生きることができる。それを森田から学びました。それは私にとって「治る」ことに匹敵するとても大きな変化だったのです。この記事は短いですが、神経症が治るということを的確に説明されています。治るということは、症状が跡形もなく消えてなくなるということではありません。そういう希望を持って森田理論学習を続けておられる方がいらっしゃいましたら、希望に沿うことはできません。最初は神経症の葛藤や悩みが頭の中を覆い尽くしていたと思います。森田理論学習と実践により、その比率が少しずつ下がってきます。その比率が下がってきた分だけが、神経症が治ってきたということになるのです。ですから、たとえばがんが治って元の状態に戻るような治り方はしないということです。神経症の火種というものは最後まで無くならない。不安にとらわれやすいという神経質性格は元のままです。10%、20%、30%・・・というふうに、治った部分に焦点をあてて、感謝できるようになった人が治った人ということになります。それが語弊があれば、治りつつある人と言い換えてもよいでしょう。普通は、治った部分は当たり前のことで、まだ苦しい治らない部分に注意を向けてどうしても根治を目指してしまうのです。その方向は、思いがかなえられることはなく、アリ地獄へ真っ逆さまに落ちてしまうのです。ですから短絡的に、神経症が治ったが治らないかという二者択一的な考え方をもつことは、百害あって一利なしということになります。治った部分に感謝しながら、日常生活の中で小さな楽しみや喜びを見つけ出していく。家事、育児、仕事、勉強、趣味、人との交流に課題や目標を持って取り組む。日々生活に丁寧に取り組むようになった人は、それだけで救われている人です。その理屈を森田理論学習によって理解し、実践行動に結びつけた人は魅力あふれる人になることができます。
2022.03.22
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今日は墓参りで田舎に帰りました。ジャガイモを植えました。このミニ耕運機は重宝しています。タマネギはすくすくと大きくなっておりました。墓の周りはスイセンが咲き乱れていました。
2022.03.21
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脳神経外科医の林成之氏のお話です。何かを「好き」と感じること、好きになることは思考や記憶など中枢的な脳の働きの一つの有力な起点となるのです。一般的にいっても、「好き」は興味の始まり、学びの起点となる大切なものです。ですから教育においては、子どもたちの「好き」を親や先生が絶対に妨害しないことが大切なのです。そこで思い出すのは、私の小学校時代の担任のことです。その先生は私たち生徒に「勉強しろ」と強制することは一度もなく、子供の学ぶ力を自然に引き出し、その能力を楽しく伸ばすことをしてくれました。たとえば私が授業中に窓の外を見ている。先生が「林、何をよそ見している」と叱る。私が「鉄道を通っている汽車をみていました」と答える。すると、先生は「よし。それじゃ午後から、全員であの鉄橋までの距離がどれぐらいか測りに行こう」などと言いだすのです。そうして生徒たちの歩幅をメジャーで測り、「鉄橋まで何歩かかるか、みんなで数えながら歩いてみよう」と実際に生徒たちを引き連れてミニ遠足に連れて行ってくれる。あるいは、「今日はみんな、夕ご飯を食べたら、もう1回教室へ集合だ」と呼びかけ、夕方遅く集まってきた子供たちに本を読んで聞かせたりする。夏休みにはクラス全員を近隣のお寺まで一泊旅行に連れて行ってくれました。暗いお堂の中でみんなと枕を並べながら、先生の話を聞くのがどんなに楽しかったことか。とにかく、そうした(奇想天外な)先生のアイデアやプランに子どもたちはいつもワクワクさせられて、学校に行くのが楽しくて仕方がありませんでした。先生は遊びだけではなく、学びの方もしっかりと生徒に教えてくれました。わずか22~23人のクラスでしたが、大学に行くだけで大騒ぎになるような小さな田舎の町で、その一つのクラスから大学進学者が5人も出、そのうち2人は大学教授になったのです。それは、その先生が子供が興味をもつことなら、勉強とは無関係なことでも邪魔することなく、むしろ、それを起点にして勉強も好きになるように仕向けてくれ、学ぶ方向へと導いてくれたからにほかなりません。小学校の先生は、決して子どもの「好き」の芽を汚いとかあぶないといった基準で摘まんだりしませんでした。そういう先生を子どもたちは当然好きになります。先生を好きになれば、その先生の言うことや教えることにも興味を持ちます。その結果、学ぶこと、考えることが好きになる。まさに教育の原点と言えるやり方です。それが何であれ、何かを好きになることが栄養物となって脳を活性化し、思考力や記憶力を高めて私たちの頭をよくしてくれるのです。(望みをかなえる脳 林成之 サンマーク出版 194ページより引用)
2022.03.21
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高良武久先生は「適応不安」ということを言われています。誰でも初めて取り組むことや、あまりやったことがないことに挑戦するときは、不安になります。それを振り切って、挑戦してみると、思っていたほどではなかった。挑戦してよかったと思えるかもしれません。あるいは、考えていていたよりも、案外難しかった。自分の今の力や能力では、目標を達成することは困難だということも分かります。「適応不安」というのは、実践や行動しないで、頭の中で否定的・ネガティブな考えが悪循環しています。観念上の悪循環です。将来への不安がどんどんと高まり取り、そのうち何も手につかなくなります。そうなると、神経症に陥る可能性が高くなります。たとえば、いまの心身の状態では、うまく職場に溶け込めないのではないか。今の自分の状態では、人間関係をうまくこなしていけないのではないか。みんなの前で楽器の演奏をする時、間違えてしまうのではないか。大勢の人の前で発表するとき、あがってしまって、頭が真っ白になるのではないか。こうした予期不安があると、頭で考えていた最悪の結果をおびき寄せてしまいます。そしてやはり考えていた通りのことが起きたと自分を納得させてしまう。楽器の演奏では、手が金縛りにあったようになり、練習では難なくできていたことが本番で急にできなくなります。失敗して恥をかきます。これだけは絶対に回避したいと思っていたことが、実際に目の前で起きてしまうのです。そういうマイナスの経験をすると、次からは手も足も出なくなってしまいます。逃げ回るばかりになります。そして益々観念的になります。そして、自信が持てなくなり、自己否定感で苦しむことになります。さらに他人の思惑に振り回されるようになります。まさに悪循環の始まりです。これを脳科学で説明すると、ノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が活性化している状態です。ドパミン主導の報酬系神経回路は休眠状態になります。この状態でいくら自分を奮い立たせようとしても、笛吹けど踊らず現象が起きます。本音は専守防衛です。逃げたい気持ちが強いのでどうすることもできません。これを改善する方法があります。報酬系神経回路の活性化に手をつけることです。どうすれば切り替えることができるのか。扁桃核で快、好き、楽しそうと選別した感情は腹側被蓋野に送られてドパミン神経を作動させます。次々と快楽神経、A10神経系、報酬系神経回路を動かします。目の前の出来事を、好奇心・興味・関心を持ってみることができるようになると、報酬系神経回路が作動するようになるのです。具体的には次のような流れになります。森田でいうと、対象をよく観察することで気づきや発見が生まれます。このとき、先入観、決めつけ、早合点は慎むことが肝心です。「かくあるべし」という観念優先の態度も慎むことです。それでも正確に事実を掴むことはできないかもしれませんが、事実によく深く近づくことはできます。事実が分かると、いよいよ快の感情が動き出します。ここがポイントです。好奇心が刺激され、興味や関心が深まります。心がうきうきしてきます。次々と改善点、工夫、アイデアを思いつくようになります。それを実際に試してみたくなります。行動したくなるのです。つまり気持ちが高まり、やる気や情熱に火がついてくるのです。こうなりますと、腹側被蓋野から側坐核などのA10神経回路が活性化されます。最終的に生産的、建設的、創造的な活動を演出する前頭前野が総力を挙げて応援してくれるようになります。防衛系神経回路も大切な役割を果していますが、神経症に陥る人は報酬系神経回路がほぼ閉店休業状態にあることが問題です。脳の仕組みを学習して、報酬系神経回路を活性化させるように心がけてみませんか。
2022.03.20
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みなさんはロシアのウクライナ侵攻はどうとらえておられますか。友人たちと話してみるとプーチン大統領は気が狂ったとしか思えない。我々とは関係のない話だ。それにしてもテレビの報道は痛ましい報道ばかりです。その中で世界中の多くの人がロシアの敵に回りました。そしてゼレンスキーウクライナ大統領が英雄視されてます。なぜプーチン大統領がこのような暴挙に出たのか。それを詳しく教えてくれているのは、You Tubeチャンネルしかないようですね。元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏、及川幸久氏、北野幸伯氏の話を視聴してみました。意外なことが分かりました。目からうろこ状態です。それによるとプーチン大統領が恐れているのは、2つあるようです。1、プーチン大統領は、「非ナチ化」「ネオナチ解体」を訴えています。ネオナチというのは、ナチズム復興、反ユダヤ主義を掲げて、特にロシア系住民が多い東部で紛争を起こしているグループです。アゾフ大隊というのが有名ですが、それ以外にも4つくらいグループがあるようです。ゼレンスキー大統領は、東部地域のドンバス戦争終結、腐敗撲滅、ネオナチ解体の公約を掲げて当選しました。ところがいつの間にかその公約を引っ込めて、ネオナチと手を結んだ。それどころかネオナチにウクライナの警備などを依頼している。反乱や騒乱の首謀者が政治の表舞台に出てきている状態です。そのネオナチは今や反ユダヤというよりも反ロシアで活動している。それを支援しているのが、ウクライナ最大のオルガルヒ(新興財閥)のイゴール・コロモイスキー氏だという。ゼレンスキー大統領とその側近たちは、彼から多額の賄賂を受け取っていたことがパンドラ文書で明らかにされているという。元々腐敗撲滅を目指していたのに、なんと言うことでしょうか。それだけではありません。今世界の政治・経済・金融・教育を牛耳っているのは、アメリカなどの先進国のネオコンと呼ばれる人たちです。ネオコンというのは国際金融資本と呼ばれています。ネオコンは国という枠組みは重視していません。全世界を一つの国とみなして、儲かることは何でもするというやり方です。新自由主義、グローバル社会の実現を目指しています。自由競争で弱者切り捨ての立場です。貧富の差はどんどん拡大します。ネオコンが世界を思い通りに牛耳っていますので、その動向をウォッチしないと真相は何も見えてこないということです。アメリカの政府は大統領以下閣僚のほとんどは回転ドアといって、グローバル企業と政治家の間を行ったり来たりしている。国民軽視で自分たちの私服を肥やすための政治を行っているのです。世界の富をすべてわがものにしようとして戦略を組んで、紛争や戦争を起こして兵器を売り込む。民主化と称して政権に反対する少数派を支援して傀儡政権を作る。民主化後は、復興と称して、政治のみならず経済・金融・教育・社会インフラ・監視社会をつくってほとんどの富をすくい上げていく。そのネオコンがウクライナを強力に支援しているのです。武器供与だけではなく、プロパガンダも徹底的にプーチン批判です。多くの人が洗脳されてしまうのも無理はありません。アメリカやNATOが武力行使をしないのは、ロシアを徹底的にたたくと、核攻撃に踏み切る恐れがあるからです。すでにそれらしいことをほのめかしています。まさかそんな暴挙はしないだろうという楽観的な考えは危ないと思います。2、プーチン大統領は、ウクライナの中立化を訴えています。ロシアは前政権のときに、西側とNATOは1センチたりとも東に拡大しないという確約を交わしていたのです。ところがNATOはこの約束を反故にして、エストニア、ラトビア、リトアニア、スロバキア、ルーマニアに拡大して現在30か国に増えました。約束を反故にされたロシアにとっては心外なことです。もしウクライナがNATOに加入すれば、アメリカが中心になってウクライナ東部にロシアを標的にしたミサイル網を敷いてきます。ウクライナからモスクワは目と鼻の先です。これが実現するとロシアはアメリカの言いなりになるしかありません。石油、天然ガスの利権がネオコンの意のままに支配されてしまうということになります。プーチン大統領はそんなことは元々約束違反だし、現実問題としてどうしても容認できないという気持ちが強いのです。アメリカから覇権奪取を狙っている中国の配下に入るかもしれません。ロシアが生き延びるためにはその道しか残されていないかもしれません。そして次はアメリカと中国の覇権争いが激化してくることになります。
2022.03.19
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ベランダが一気に華やいできました。ヒヤシンスとムスカリです。アジサイも若葉をつけてきました。桜ももうすぐですね。心がうきうきしてきました。今週はジャガイモの植え付けです。
2022.03.19
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宇野千代さんの著書に「幸福の法則 一日一言」というのがある。至極の言葉が散りばめられているので、書道の得意な人はこれをもとにして、日めくりカレンダーを作ることを実践されたらどうだろうか。今日はその中から、約束を守るということを取り上げてみたいと思います。8月23日人との付き合いの上で、守らなければならない最低の義務というものは何だと思いますか。私はね、時間を守ることだと思っているのですが、如何ですか。世の中にはね、時間にはルーズだけれど、ほかのことは几帳面で、誠実だという人がいるかもしれません。しかし、そんなことはごく稀でしょうね。約束というのは守るためにするものです。決めた時間を守る。これは人と人との付き合いの上で守らなければならない最低の義務であると同時に、文明人としての最低の義務でもある、と思われます。(同書135ページ)みなさんは人と約束したことは何が何でも守り通すように心がけていますか。それとも気が変わったらいつでもドタキャンすればよいと思っていますか。私は生活の発見会に35年以上関わってきて、人と約束をしたことを気にかけて万難を排して守り抜くという人が9割くらいだったと思っています。ほとんどの人は、人との約束事は大切に取り扱っておられるのです。約束した後で魅力的なお誘いがあっても、最初の約束は第一優先順位として守り抜く。当たり前の話で、ここで取り上げる必要がないことかもしれません。ところが1割くらいの人は、約束なんてあってないようなものという考え方をしています。特に約束した日がはるか先の場合は要注意です。そのうち、気が変わるのでしょう。気分に振り回されてしまうのでしょう。見苦しい言い訳をして断ってこられます。信頼を失いマイナスイメージを背負うことになりますが、本人にはその自覚はないようです。この人たちも発想力やアイデアは素晴らしいものがあります。ところが、移り気という特徴が強いために、実行力と持続力に欠ける。他人をけしかけるばかりで自分が先頭に立って行動することが少ない。抑うつ症状を持っている人が多かったように思います。そういう人は1度あることは3度あるという感じです。懲りずに何度でもその失態を繰り返しているのです。ですから宿泊を伴う旅行や研修会に参加を申し込んでこられた場合は、最初は除外して考えた方が無難です。宿泊の手配や交通費の手当てをしてしまうと、後の調整が大変になるのです。最後に再確認をして、申し込みを受け付けるようにした方がよいようです。そういう取り扱いをすると「やはりそうか」という感じで腹が立ちません。森田に「時間の性を尽くす」というのがあります。有限の時間を大切にして2倍にも3倍にも活かして使うということです。約束を厳守する気持ちの希薄な人は、時間は無限にあると思っている節がある。貴重な時間を何倍にも活かして使うという気持ちがないように思います。興に乗れば時間は無制限にいつまでも同じことを続ける。それが深夜に及んでも気にならない。その結果規則正しい生活が崩れる。時間の性を尽くすことを心掛けている人は、約束を破ると他人の時間を奪うことになるという意識が働きます。ましてドタキャンすると多大な迷惑をかけて申し訳ないと思っています。ずっと先の約束はカレンダーに書いて何度も確認しています。そもそも「時間の性を尽くす」という考え方は、「物の性を尽くす」「己の性を尽くす」「他人の性を尽くす」「お金の性を尽くす」ことにも通じる考え方です。その物や人が持っている価値をより多く引き出して、最大限の活躍の場を与えてあげるということです。その物が持っている潜在能力を発掘してできる限り活かすという考え方です。つまり「約束を厳守する」ことを徹底することは、森田的な考え方・生き方に大きくかかわっているのです。それが希薄ということは、森田理論学習の理解が不十分な状態ではないでしょうか。
2022.03.19
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柏木哲夫医師の話です。外泊許可をめぐって看護師との会話です。その1・・・85歳の大腸がんの末期患者が外泊予定日に38度の熱が出たので医師の立場から予定を取り消した。受け持ちの看護師がやって来て、「先生、Aさんは外泊すべきだと思います」という。私はその言い方にムカッとして「しかし、熱があるからな」と返した。それに対して「今日を逃せば、もう外泊はできないと思います」と反論してきた。私は「いや、またチャンスがあると思うよ」と言うと、「今の患者のニーズを満たすことがホスピスだと思いますが」と返してきた。私は「熱があるのに外泊を許可して何か起きたら私の責任だからね」と言い返した。看護師と私は険悪な状態になった。関係修復に時間がかかった。その2・・・82歳の前立腺癌で末期患者のBさんがいた。この方も外泊予定日に熱が出た。尿路感染だった。外泊予定を取り消した。別の看護師がやって来て「先生、Bさんが外泊できなかったのが、私、悲しくて」と言う。私は「せっかく一生懸命いろいろアレンジしてくれたのに、残念だけど、熱があったからね」と答えた。看護師は「もし外泊して何かあったら大変ですものね」という。私は「ただ、患者さんや家族の望みを満たすことがホスピスだからね。もう一度、検討し直そうか」と返した。看護師は「いえ、残念ですけど今回の外泊は見送った方がよいと思います。きっとまたチャンスがあると思います」と言う。私も看護師も「外泊許可が出せなくて残念だ」という気持ちでいっぱいだった。(人生の実力 柏木哲夫 幻冬舎 180ページより要旨引用)この2つは同じようなケースですが、その後の展開に雲泥の差が生じました。その1では、人間関係が険悪になりました。その2では、相手を思いやってやさしい気持ちになりました。どこが違っていたのでしょう。これは森田理論にもかかわることです。その1では、看護師も柏木医師も「自分の意見」をもとにして会話しています。自分の意見を述べ合うということは、自分にその気持ちがなくても、自分の言い分を相手に押し通すことになります。結果として相手の意見を非難・否定することになります。話は平行線をたどり、2人とも気まずい思いをすることになります。これを防ぐには、どちらかが自分の意見を取り下げることが必要になります。いづれにしても後味が悪くなります。それよりも、最初から「その2」のような対応を心掛けた方がよいと思います。その2では、「自分の意見」ではなく「自分の素直な感情や気持ち」をもとにした会話になっています。「自分の素直な感情や気持ち」は、相手に自分の主張を押し付けません。相手がどんな対応を取ろうと、それは相手の自由ということになります。これを森田では「純な心」と言います。「純な心」からの会話を心掛けると、相手は自分の素直な感情に対して、素直に応答してくるという現象が現れます。磁石のプラスとマイナスが引き寄せられるようなものです。これで人間関係が改善されるのでしたら利用しない手はないと思いますが如何でしょうか。
2022.03.18
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セロトニンのような働きをしているオキシトシンというホルモンがあります。オキシトシンの知識は、森田的な実践をするために役立ちます。オキシトシンは、他者と触れ合う、交流を図る、寄り添う、世話をする、スキンシップを図るなどによって精神的な安心感、安定感、幸福感、癒し効果をもたらします。セロトニンよりもさらに強力な効果があります。これは脳下垂体から分泌されています。赤ちゃんを産んだ母親は自分のことよりも、寝食を忘れて赤ちゃんの世話をしますので、オキシトシンが多量に分泌されています。多幸感に満ちて安定しています。親子関係、夫婦関係、友人関係、仲間の絆、コミュニティへの参加、ペットの世話、観葉植物の世話、野菜つくりなどによってオキシトシンは増えてきます。意識して取り組むことでオキシトシンは増えてくるのです。広くて薄い人間関係を広範囲に広げるという気持ちがあれば、たくさんのふれあいの機会が増えますのでオキシトシンが増えてきます。それに犬や猫、鳥や金魚を飼う。ベランダを花でいっぱいにする。自家菜園に力を入れる。生活の楽しみが増えてオキシトシンが増えてくるので一石二鳥です。オキシトシンの健康効果をまとめてみました。1、愛情ホルモンと言われています。「愛され感」「癒され感」「やすらぎ」「協調性」「共感や受容」「許容性」をもたらします。2、身体の健康にします。リラックス効果により、血圧や脈拍を下げます。免疫力、細胞修復力、自然治癒力が高まります。痛みが緩和されます。心臓疾患のリスクが低減されます。3、心の健康を増進します。ストレスホルモンのコルチゾールを下げます。扁桃体の興奮を抑制します。不安を弱めます。副交感神経の活動を高めてリラックス効果をもたらします。セロトニン神経系を刺激します。4、脳を活性化します。記憶力、学習能力を高めます。好奇心を刺激します。(3つの幸福 樺沢紫苑 飛鳥新社 87ページ参照)なお関連記事の投稿が、2015年10月6日、2017年3月8日にあります。特に3月8日の記事は男性によく出るバソプレシンというホルモンについても説明しています。子育てするうえで大切なホルモンです。関心のある方はご参照ください。検索方法は、新着記事(全○○○○件)を押すと「月別記事」ボタンがあります。日付順に並んでいます。ここからお入りください。
2022.03.17
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元広島カープの監督の野村謙二郎氏は次のように言っている。最近の学生や若い人たちに一番欠けているのが目標だと思いますね。別の言い方をすれば「漠然と生きているな」ということです。「何をしたいか分かりません」と言う人が多いので、目標を設定して欲しい。そこがないというのが一番困ります。最初の目標が途中で変わっても構わないから、目標をしっかりと持ちなさいと言いたい。(自分にしかできないことは何だろう 越智光夫 PHP 177ページ)人間としていて生きている限り、目標や課題に真摯に向き合うことは欠かせないと思います。それに向き合うことで、初めて人生は活性化してきます。その目標や課題ですが、最初のうちはごく身近で小さいものになります。規則正しい日常生活を送り、凡事徹底を心掛けていれば、問題点や課題が見つかります。それらをしっかり意識して取り組んでいくことです。森田でいう実践・行動の原点と言われているものです。その段階がクリアーできたらステップアップした目標に付け替え変えましょう。自分のやりたい事、夢や希望に向かって努力することは楽しいものです。これが人生の醍醐味だと思います。森田では「努力即幸福」と言います。ここでは森田理論を学んでおられる方のために、森田実践の一つとしてどんな目標があるのか、そのためのヒントを提案してみたいと思います。1、規則正しい生活を送る。生活のリズムを大切にする。2、凡事徹底を心掛ける。物そのものになりきるということです。3、無所住心の態度を心掛ける。興味や関心、好奇心を発揮した生活を送る。3、物の性を尽くす。己の性を尽くす。他人の性を尽くす。時間の性を尽くす。お金の性を尽くす。そのものの持っている価値や能力を最大限に引き出して伸ばす。4、不安と欲望の調和やバランスを心掛ける。生の欲望を前面に押し出しながらも、不安を活用して暴走を抑える。また不安に振り回されて生の欲望を放り投げてはいけません。中庸、ホドホドを心掛ける。5、変化対応力を鍛える。行雲流水の意味するところと同じです。変化に意識を持って行き、変化に積極的に対応する力をつける。意識の外向化のことです。仮説を立てて行動力を高める。6、観念優先の態度を事実優先の態度に改める。事実、現実、現状を最優先して、頭で考えたことを最優先にしない。これらは森田理論の学習の中で聞いたことのあるものばかりです。知っているだけで実行しないというのは、とても残念なことです。注意点としては、これらは手あたり次第取り組むものではありません。「二兎を追うものは一兎も得ず」ということわざもあります。自分はこの分野だけは徹底して取り組んでみようと対象を絞ることが肝心です。私の学習仲間で森田の神髄に近づいているなと感じる人は、一つか二つに絞って何年にも渡って愚直に取り組んでいる人です。例えていえば、富士登山の入り口は吉田口、御殿場口、富士宮口、砂走ルートといくつもありますが、どの道を選んでも頂上に立つことができるのです。頂上に立った人は、晴れやかで自信に満ちた生活を送っています。いくら後悔でいたたまれない人生だったとしても、最後に報われればそれでよいのです。最後が満足感と感謝の気持ちになれるかどうかがポイントです。
2022.03.16
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2018年9月24日の投稿で「完全欲」は貪欲に追及していくことが大切ですが、「完全主義」はすぐに捨てる必要があることを説明しました。神経質者の場合はこれが逆になっている場合があります。つまり「完全欲」が放置されて、「完全主義」を追い求めている。「完全欲」は、たとえば銀行では3時に閉店した時に残高を調べます。その時例え1円でも合わなければ徹底的に調べます。1円ならポケットマネーでつじつまを合わせてOKというわけにはいきません。それを見逃せば、いつか大きな不祥事に発展する可能性があります。時々会社の経理担当者が公金を横領して刑事事件になることがあります。これは会社の内部統制、コンプライアンスの順守ができていなかったからです。会社の体質や姿勢に問題があったととらえるべきです。金銭を扱う従業員に対するマニュアルの順守と第3者によるチェック体制を日々実行していれば不祥事は防ぐことができたはずです。我々神経質者が目指すべき「完全欲」は何でしょうか。私が真っ先に挙げたいのは日々の日常茶飯事です。食事の準備、掃除、洗濯、整理整頓、隣近所との付き合いなどがあります。これらはできるだけ完成欲を発揮していく必要があります。神経症に陥ると、この部分が全部あるいはその一部が手抜きになります。余ったエネルギーは、神経症との葛藤や苦しみに向けられます。困ったことになります。その時に出てくるのが観念的な「完全主義」「理想主義」です。それが現実や事実の否定に向かいます。神経症で苦しんでいる自分を認めることができない。事実を素直に認めない。自己嫌悪、自己否定しています。観念の世界で、神経症の悩みや苦しみのない状態を妄想している。その段階に自分を持って行こうとしている。ここで問題になるのは、自分の立ち位置だと思います。目標が明確な人は、地上にしっかりと足固めをしている。そこから、下から上目線で目標や夢を眺めている。そこに近づきたいという情熱を持っている。グットタイミングを図っている。協力者や相談相手を持っている。資金を集めている。ノウハウを蓄積している。いくつものスモールゴールを持って挑戦している。そして小さな成功体験を積み重ねて自信をつけている。一方「完全主義」「理想主義」「目標達成至上主義」の人は、雲の上のようなところに自分の立ち位置をとっている。上から下目線で、事実、現実、現状に対して常にクレームばかりつけている。これは自分で自分をいじめているということです。理想や完全からは程遠い現実に我慢がならない状態でいつもイライラしている。現実と理想の間には大きな乖離があり、そこに葛藤や苦悩が生まれているという状況を把握できていません。自分の中にいる二人の自分が消耗戦を強いられているようなものです。どうしようもない現実を否定しているだけではなく、ともすると無理やり理想の状態に引き上げようとしている。そしていつも失敗に終わり、心身ともに衰弱している。そのうち人生に対して投げやりな態度を見せるようになっている。森田理論では雲の上にいる自分が、現実世界でもがき苦しんでいる自分に寄り添う態度が何よりも大切だと言っているのです。相対立していた二人の自分が手を携えて、目の前の課題に向き合うことを目指している理論です。そうなると心身ともに健康体となります。自分で自分を否定することほど罪作りなことはないと思います。
2022.03.15
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プロ野球の世界で「遅い球」を武器にして輝かしい成績を上げてきた人がいる。阪急(オリックス)から阪神で活躍した星野伸之さんだ。星野さんのストレートは130キロに満たなかったという。120キロ台はバッティングセンターで我々が対戦しているスピードある。つまり素人が気持ちよく飛ばしてストレス解消できるスピードである。高校生でも130キロ台が普通というのに、それを下回っていたという。星野さんはそれにもかかわらず176勝を挙げた。名球会の一流投手に近い成績を残している。100勝あげれば一流投手と言われるのにどうしてそんな活躍ができたのか。星野さんは、遅い120キロ台のストレートと90キロ台のカーブが持ち球だった。その緩急の差をつけることを心掛けていたという。それに加えて、投球フォームが最大の武器だった。投げる左手を身体の側面で隠して打者を幻惑させた。打者は握りが見えないから球種が読みづらい。腕の出所が分からないのでタイミングがとれないのだ。この変則的な投球フォームに自信を持っていたのである。それと、前向きで積極的な「逆転の発想」を持っていたことである。『以前は「よし、抑えてやる」と力んで投げていた。でも、結果が出ない。ならば「どうぞ打ってくれ」とね。ど真ん中の球でも打ち損じて野手の正面をつくことだってあるから』力勝負で相手バッターをねじ伏せてやるという気持ちは全くない。ただタイミングを外してバットの芯に当てられないことだけを心掛けていたのだ。こうなると気が楽になる。気持ちの上で優位に立てる。打者の方は草野球並みのスピードの球が打てないのでイライラする。(一流アスリートの身体能力 二宮清純 富家孝 青春新書 144ページ参照)今の時代120キロのストレートしか投げられない投手はドラフトとは無縁である。草野球でもやっていけるかどうかというレベルである。そういう方が、プロ野球の世界で素晴らしい成績を残して活躍していたというのは驚き以外のなにものでもない。いくら飯よりも野球が好きだと言っても、能力的に無理なものは無理だと思いがちです。星野さんを見ていると2つの球種のコンビネーション、球を見えづらくする投球フォーム、投球に対する考え方で一流の域にまで到達された。私たちは他人と比べて能力に雲泥の差があると、早々にあきらめてしまいます。星野さんを見ているとあきらめるにはまだ早いといわれているような気がします。弱点や欠点は視点を変えると、とてつもない強みや長所として活かすことができる。ただし、弱点や欠点を目の敵にして否定していると、そんな芸当はできません。その事実や現状を素直に認めて受け入れることが欠かせません。そしてそれを活用するための工夫を積み重ねる。その姿勢を持っていると、とてつもない成果をもたらすことがある。あきらめるのはその後にした方がよいということだと思います。
2022.03.14
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2022.03.13
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対人緊張の強い人にお聞きします。あなたがマンションのエレベーターに一人で乗って、「閉まるボタン」を押そうとしたときコツコツと足音が聞こえてきました。その時の対応です。扉を開けて、その人が乗り込むのを待ってあげようとしますか。あるいは、「閉まるボタン」を押して、早くエレベーターを動かそうとしますか。私は早くエレベーターを動かそうとする方です。知らない人と一緒になると、ついうっとうしいと思ってしまうのです。挨拶をしなければいけない。愛想を振りまかないといけない。他の人と一緒の時間を過ごすことを苦痛に感じるのです。集談会で対人恐怖症の人は、人と仲良くしたいという強い欲求を持っているのだといわれます。犬猿の仲になると、人間関係が最悪の状況になりますから、当然仲良くした方がよいのは分かります。しかし積極的に仲良くしたいという気持ちを持っているのかといわれると、それはどうかという気持ちがありました。私は父親から放任ぎみに育てられました。無視され続けたのです。自分を保護してもらうことがなく、非難・否定されるばかりでした。いつのまにか恐ろしい父親には近づかないようになりました。父親との関係が敵対関係になると、人間関係を学習することができなくなります。そのうち友達関係もうまくいかなくなりました。会社での人間関係もうまくいかなくなりました。他人に対する信頼感が持てなくて、いつも敵対してしまうのです。いつ危害を加えられるか分からないので、専守防衛の態度で他人と対応する。その状態はすぐに相手に伝わりますので、相手も近寄ってこなくなる。あるいは自分の気持を抑圧して付き合うのでストレスだらけになります。そのうち相手と仲良くしたいという気持ちはなくなり、一人で人生を謳歌できればそれでも良いかと思うようになります。仲間と群れて楽しむよりも、自分一人で楽しむ道を追求していく。その方が余計な気を使わなくて済むので気が楽なのです。その気持ちがエレベーターの対応に現れてくるのだと思います。それでは私は対人関係についてはどう考えていたのか。私は負けず嫌いです。対抗心丸出しです。他人と比べて劣っていることが許せない。全ての面で人の上に行きたい。常に優越感で満たされていたい。そして他人から一目置かれる人間を目指そうとしていたのです。称賛されてうらやましがられる人間になりたいと思うようになりました。実に思い上がった考えを持っていたのです。膨大なエネルギーや資金が必要になっても、艱難辛苦を乗り越えて絶対に手に入れようと考えました。努力を惜しまない強い執着性はあったのです。それが無謀ともいえるトライアスロンや国家試験の挑戦でした。努力の結果目標は次々に達成しました。しかし目標を達成しても、他人からまぶしい眼で見あげられ、尊敬される人間にはなれませんでした。それだけの情熱があるのなら、どうしてそのエネルギーを仕事に投入してくれないのかと皮肉を言われる有様でした。事実仕事では成果を上げることが少なかったのです。つまり無駄な努力とみなされて、むしろ軽蔑する材料として取り扱われました。私の当初の願いは無残にも打ち砕かれました。どうしてこんなちぐはぐなことになってしまったのか。尊敬される人間になりたい。他人から一目置かれる人間になりたいという目標を持つことは別に悪いことではないと思います。しかしそのやり方や手段は方向性が間違っていたのではないか。それよりは無理なくその目的を達成できる方法があることが分かりました。それは森田理論学習の中で分かりました。森田先生は人から良く思われる人間を目指すよりも、人の役に立つ人間になれと言われています。そのためには、相手が困っていること、興味や関心を持っていることを意識して掴む努力をする必要があります。忘れないようにメモしておく。それをたくさんストックしていく。できるものからどんどん手を付けていく。地味な作業ですが、これらを積み重ねていくとどうなるか。1年も愚直に取り組んでいくと、感謝されることが多くなる。そして信頼感が高まってくる。しだいに一目置かれて、尊敬のまなざしで見られるようになる。人ができないような大きなことを達成して、人の注目を集めることは至難の業です。例え目標を達成しても、思うような結果がついてこない。それに引き換え、この方法は、無理なく、確実に人心を掌握することができるようになります。どうしてこのあたりまえのことに気が付かなかったのか不思議です。私と同じように人のできないことをして人から注目を浴びたい。そして自己存在感を高めたいと思われている人は、早めに方向転換をされることをお勧めします。
2022.03.13
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私たちは自動車を買うと定期的にメンテナンスをします。家やマンションを購入した時も、修繕積立をして定期的に補修をしています。1年に1回は生活習慣病検診をして、問題が見つかれば治療します。神経症から回復した人も、その後メンテナンス、アフターケアが欠かせないと思います。最悪期を脱して、生活が元に戻ったとしても、再発しやすいからです。また不安にとらわれることによる生きづらさは簡単に無くならないからです。精神療法でアフターケアまで視野に入れているのは森田療法だけだと思います。精神療法には、精神分析、認知行動療法、自律訓練法、内観療法、箱庭療法、サイコドラマ、家族療法、交流分析、その他いろいろありますが、その後生涯にわたってアフターケアをしていることを聞いたことがありません。一旦治療が終われば基本的には以後かかわりを持ちません。森田先生は元入院患者を集めて形外会を開催されていました。水谷啓二先生も啓心会を定期的に開催されていました。現在回復した人たちの自助組織があるのも森田療法の大きな特徴です。集談会に参加する人たちのほとんどは神経症を克服した人たちです。神経症で苦しんでいる人たちの援助とアフターケアを兼ねているのです。私は神経症の蟻地獄から地上に這い出た後のアフターケアは欠かせないと考えています。ではどんな点に注意してアフターケアを行うとよいのか。・不安にとらわれて生活が停滞していないか。・不安と欲望のバランスはとれているのか。・日常生活に丁寧に取り組んでいるか。・規則正しい健康的な生活になっているか。・観念優先で事実軽視に陥っていないか。・自分の長所や強みを活かすようにしているか。・人間関係では傾聴、共感、受容、許容を心掛けているか。・自己実現を目指すための生涯学習を続けているか。・その他これらが守られていないとまた神経症が再発する可能性が高いと思います。また生きづらさを抱え込むことになります。そのならないためのアフターケアです。これらは自分一人で取り組むことは難しいと思います。集談会のような自助グループに参加して相互点検を行うことが有効です。実行することはしんどいかも知れませんが、これを継続することで、人生の最後を迎えたときに、後悔がなくなり、感謝の念で満たされると思っております。
2022.03.12
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岩井寛先生が「人はなぜ悩むのか」(講談社 203ページより引用)の中で次のようなエピソードを紹介されている。63歳になるK子さんのことである。私は30歳のごろから、お姑さんとうまくゆかなくなって、自分自身の不安ばかりに目が向くようになり、苦しみ続けました。手の汚れが気になって、1時間も2時間も手を洗い続けなければ納得できなかったり、鍵をしめたかどうかが不安になって、100回以上も確かめないと納得できなかったり、そのために生活がめちゃくちゃになってしまったのです。しかも、そのこだわりがおかしいとわかっていながら、どうしてもやめられません。約30年間、あちこちの精神科に通いながら、死の苦しみを味わってきました。ところが先生をお訪ねしてから、胃癌だと知らされ、そのときから私の人生が変わったのです。私は先生から不安を「あるがままにうけ入れる」ように言われました。だが、そんなことはできるものかと思っていたのです。ところが、胃癌だということであれば、どうあがこうと、数年の命しかないではありませんか。ですから、うけ入れるも、うけ入れないもなく、自分の生命はまもなく終わるという事実が、自分の前につきつけられたのです。このとき、私はどう不安にさからってみても、しかたがない。自分の事実を認めるしかない。だとすれば、数年間は私の生命があるということも事実だ。だからその限られた時間を思い切り大切に生きてみようと思うようになりました。すると、あれほどまでに苦しんでいた強迫行為が、噓のように少なくなったのです。この大切な時間を、手洗いやその他の確認行為に使ってしまってはつまらない。この一瞬一瞬を最高に大切にしなければ、と考えるようになり、昔やっていた染色などの趣味を積極的にするようになり、夫や息子のために懸命に家事に励むようになりました。するとどうでしょう。これまでにない幸福感が、私の身の内に湧きあがってきたのです。私は、自分の生命の有限なことを癌によって知らされ、それによって強迫のとらわれから解放されて、人生の真の大切さを知りました。一日一日を最高に大切にして生きられれば、数年後に死がやってきても、さらに大きな力に自分をまかせて、後悔することなく、死に自分をゆだねることができると思います。このエピソードには感動しました。ガンになられた人が心機一転され強迫行為から解放されました。普通なら、確認恐怖に加えて胃癌という現実的な疾患を抱えて、自暴自棄になってもおかしくないケースです。ところがこの方はそうはならなかった。それどころか、人生の悟りのようなものを掴まれました。どういう心境の変化があったのでしょう。これを森田理論に当てはめて考えてみましょう。森田理論では不安は欲望の反動として発生するとみています。ここがポイントになります。不安に神経を集中して、取り除く・逃げ回ることは事態をさらに悪化させる。欲望のほうに焦点をあてて行動することが大事であると教えてくれています。不安と欲望がヤジロベイのように釣り合ってくれば万事うまくいくようになる。不安に大きく片寄っているときは、不安は放置して、欲望の発揮に全力投球する必要があります。そうすれば何とかバランスがとれるようになってくるのです。この女性はまさにそれを実践されて、短期間で強迫行為から解放されたということです。普通は強迫行為の苦しみから解放されるために、その原因を探し当てて取り除けば問題が解決すると考えるのです。その方向は精神交互作用で症状はますます悪化していくのです。これは森田理論学習を続けると、しっかりと理解できることなのです。私はいろんな精神療法を漁りましたが、こういう考え方をしているのは森田理論以外には見当たりませんでした。森田理論に出会えたことに感謝です。
2022.03.11
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我が家から東の空を見ています。この山並みを見ていると生駒山を思い出します。時刻は6時25分です。6時50分ころには朝日が差し込んできます。私は毎日体いっぱいに朝日を浴びます。これがセロトニンを作り出してくれます。今日もよい一日が始まります。
2022.03.10
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群れで生活している動物は、群れから離れることは死を意味します。アフリカのサバンナで暮らすシマウマなどを見ているとすぐに分かります。人間もそれ以上に社会的な生き物だと言われます。社会から孤立して仙人のような生活はできません。自由で勝手気ままな暮らしはできません。社会の中で、相互依存関係の中で生命が維持されています。厳しい社会の目を気にしながら生きていかざるを得ません。人間は社会のしきたりやルールに従うことで、延命できる生き物です。その一方で、人間は誰でも自己中心的な面も持ち合わせています。困難を乗り越え、人を押しのけてでも生き残るのだというたくましさを兼ね備えた人が、生き永らえるためには有利です。でも、自己中心的な側面が、あまりにも強くなると、仲間内から排除されます。この相反する2つの側面とどう折り合いをつけていけばよいのか。ここが思案のしどころです。対人恐怖症の人は、常に相手の思惑を忖度しながら生活されていらっしゃると思います。私もそうです。これはまともな考え方だと思います。でも相手の思惑に振り回されるのは、耐えがたい葛藤や苦悩を生み出します。ここで肝心なことは、どちらを優先するかという事だと思います。神経質性格者は、強い欲求や欲望を持っていると言われます。確固たる自分の感情、意志、気持ち、欲求をもっているのです。これを第一優先順位にすることが大切になると思います。それを後回しにして、他人に合わせようとするから、苦しくなるのだと思います。順序が逆になってしまうと、ストレスでのたうち回るようになります。頭で考えると、そんなことを押し通すと人間関係はうまくいかないと考えがちです。それは認識の誤りではないでしょうか。むしろいつも相手の気持ちを忖度していると、相手の言いなりになってしまいます。相手になめられてしまいます。ますます苦しくなります。ですから、自分の感情、意志、気持ち、欲求を大切に取り扱うことが必要になります。でもそれをストレートに相手にぶっつけるのはいただけません。自分の立場をしっかりと持ったうえで、相手の気持ちや考えをよく聞いてみることが大切になります。そして二人の間に横たわっている食い違いを確認する。食い違いが分かれば、相手と話し合いや交渉をする必要があります。譲ったり譲られたりのギリギリの交渉となる場合もあります。人間関係を良好に保つためには、どんなにしんどくても話し合いや交渉は欠かせないのです。それを力で押さえつけることがあってはならないと思います。そんなことをすればまともな人間関係を築くことはできません。自分の意思を明確に打ち出して、その次に相手の気持ちもある程度はくんであげる。面倒な作業ですが、これを避けて人間関係は改善できません。これ以外に、人間関係を改善するために次の2点を提案いたします。一つは、森田理論の「不即不離」を応用して、カチンときたときは、正面からの対応は控えて、距離をおいて付き合いましょう。ベタベタし過ぎない、また離れすぎないという広くて浅い人間関係作りです。対立していても、いずれ時間の経過が解決してくれるはずという理論です。もう一つは、自分の専門分野、得意分野を持つということです。つまり、これは誰にも負けないという自分の聖域を持つことです。これがあると自己信頼感、自己肯定感が生まれてきます。自分が信じられないと相手の思惑に振り回されます。現在はなにもないという人は、今からでも遅くはありません。仕事でも趣味でも何でも構いませんので努力して身につけることです。高良先生は一つのことに10年くらい打ち込めばその道の専門家になれると言われています。これを持っていると、少々他人から手荒な仕打ちを受けても、自己信頼感に支えられて、何とか乗り越えていけるはずです。ぜひ試してみてください。
2022.03.10
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昨年「強迫症を治す」という本が幻冬舎新書として出版されました。亀井士郎氏と松永寿人氏の共書です。強迫性障害とは何か、その克服方法についての本です。至れり尽くせりの本です。強迫性障害の人は一見の価値があります。それ以外の神経症の人にも役に立ちます。亀井士郎氏は、京大医学部を卒業されて、精神科医をされている方です。この方は確認恐怖、加害恐怖、感染症恐怖でまともに仕事ができなくなりました。兵庫県医科大学で薬物療法と認知行動療法(CBT)に取り組むことで症状を克服された。症状は2年かけて重症化し、CBTの開始から2年かけて回復したと書かれていました。2年というのはとても早い方だと思います。この本を読んでの私の感想です。強迫神経症の専門医は残念ながら京大医学部にもいないと言われています。重症の強迫性障害は、適切な第三者の介入が必要にもかかわらずです。また認知行動療法は保険適応になっていますが、1回30分以上の施術をおおむね16回以下で行うことになっている。これでは個人病院の経営としては成り立たない。個人病院では、一人10分以内で診察を行い、回転率を上げる必要がある。医者は道楽で診療をやっているわけではない。もっともなことです。私は神経症が症状として固着した方は、アリ地獄の底に落ちた状態だと思っております。とりあえず、アリ地獄から地上に這い出ることが先決です。そのためには、薬物療法、カウンセリング、30もあるといわれる精神療法のどれを選択しても構わないと思っております。もちろん認知行動療法でも、森田療法でも構いません。どちらもそれなりに実績があります。ただし、神経症はいったん症状が治ってもそこで安心してはいけないと思います。なぜなら強迫神経症にかかりやすい人は、不安、恐怖、違和感、不快感にとらわれて、増悪しやすいという神経質性格、体質を持っているからです。火山の噴火のように、マグマだまりには、弱い地層を探し当てて機会があればいつでも噴火を待ち構えているような状態にあるのです。一つの症状が軽快して安心してしまうと、別の神経症として再発する可能性が高い。それ以上に、いつまでも生きづらさから解放されない。さてCBTの目玉は暴露療法です。この本でも取り上げられています。暴露療法は対症療法です。これは不安を対応しやすいものから順に10個ぐらいの階層に分ける。助言者の指導や付き添いのもとに、不安を乗り越えやすいものから一つ一つクリアして、成功体験と自信をつけていくというものです。そして最終的な課題を乗り越えて症状を克服するという方法です。つまり、CBTの特徴は、不安、恐怖、違和感、不快感を真正面から取り組むと必ず乗り超えられる対象としてとらえていることです。西洋医学の特徴です。このやり方は森田療法と大きく違うところです。森田療法で症状を克服した者からすると、不安と敵対してはうまくはいかないという気持ちが強いです。むしろ再発は免れないと思います。さらに神経質者特有の生きづらさはなくなりません。森田療法は神経症的な不安は、欲求や欲望の裏返しとして発生しているという考えです。ですから不安を退治することは、欲求や欲望も封じ込めることになる。人間から欲求や欲望を無くしてしまうことは、人間をやめてくださいということになります。ですから安易に不安を退治する方法で治療に取り組んではならない。不安は無二の親友として扱う必要がある。不安には手を付けないで、欲求や欲望の方に手をつけるという考えです。不安と欲望のバランスをとることが大切になるという考えです。車でいえばアクセル(欲望)を踏み込まないと、目的地に着くことはない。でも、ブレーキ(不安)が故障した車は、事故を起こし車は大破する。運転していた人も下手をすると死んでしまう。アクセルを踏み込むことを優先しながら、適宜ブレーキをかけて制御する態度が大切になると言っているのです。では具体的にはどのようにして、症状を無くしていくのか。森田でも同じく行動を大事にしています。しかし、ハツカネズミが一晩中糸車を回すような行動は百害あって一利なしという考えです。必要な時に、必要に応じて、必要なだけの行動を一心不乱に取り組むことを目指しています。つまり何よりも生活に密着した行動を重視しているのです。自分の日常生活を豊かに充実させることを目指すということです。ですから行動はいかに生活に密着しているかどうかが厳しく問われるということになります。症状を克服するための安心行動は厳に戒めているのです。ここが大きなポイントとなります。森田療法はアリ地獄から地上に這い出た後が大切であると言います。オリンピックでいえば国内予選を勝ち抜いて、国の代表として選抜されたことで安堵してはいけない。そこはやっとスタート地点に立っただけのことである。そこから人生観の確立に向けて学習が必要になってくる。これから人生100年時代に向けた指針を持たないと社会の荒波には立ち向かえないでしょう。ここでの眼目は2つあります。一つは不安の特徴や役割、不安と欲望の関係をしっかりと学習する。つまり不安をのけ者にしない。不安を人生のパートナーとして扱う。そして次に生の欲望の発揮に邁進する。二つ目は神経質者は認識の誤りをしっかりと理解する。神経質者は頭でっかちです。観念優先で事実を否定する態度が強すぎる。それが神経症を作り出す大きな原因になっています。観念で事実を抑え込むことが、生きづらさを抱える原因となっている。事実を優先して、観念は補助的に活用するように態度を改める。この態度を身に着けて、生活面に応用できるようになると生き方が変わります。これを森田理論学習によってしっかりと理解して、実践として活かしていく。尚、森田療法から強迫性障害の解放を扱っている名著がありますのでご紹介しておきます。「強迫神経症の世界を生きて」 明念倫子 白揚社です。強迫行為で苦しんでおられる方はぜひご参照ください。私は、アリ地獄から脱出するためには、有効な精神療法なら何でもよいと思います。ただし、そこで安心していると、別の神経症を再発する確率が高い。再発を防ぐためには、そこが出発点だと認識して、森田理論学習に取り組むことをお勧めしたい。
2022.03.09
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冬の暖房ですが、私は足先が冷えるのが一番つらいです。今年はこの足先暖房のおかげで、大変助かりました。足元さえなんとかなれば、少々の寒さは我慢できますね。というよりも、快適そのものです。足から上は着こむことで何とかなりますからね。この中に足を入れると、電熱でポカポカです。私にとっては手放せません。
2022.03.08
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2月13日にセロトニン神経を活性化する方法をご紹介しました。今日は私が実際に取り組んでいる方法をご紹介します。1、私は1年を通して朝6時20分に起床しています。すぐにカーテンを開けて太陽の光を浴びます。最近は晴れているとすぐに光が差し込んできます。東向きのマンションでよかったと思っています。2、すぐにブログに取り掛かります。今日アップされたブログを外付けハードディスクに保存します。そのときに誤字脱字が分かりますので修正します。次に明日投稿予定の記事を読んで問題があれば修正ないしは別の投稿に切り替えます。1ヶ月くらい寝かせておくと客観的な判断ができます。そして昨日決めたテーマに沿って投稿記事を作成します。時間は7時50分までです。未完成の場合は夕食後に完成させます。3、それから高知のしば天踊り、安来のどじょう掬いの稽古をします。さらに、8つの種類のストレッチ体操をします。これは固い筋肉をほぐす効果があります。とても気持ちがよい。4、朝食は石焼き芋かバナナを1本食べます。ニンジンリンゴジュースとヨーグルトは欠かせません。ご飯やパンは食べません。これは問題だとアドバイスされています。これからの検討課題です。5、仕事場には自転車で駅まで行きます。そこからウォーキングです。いずれも12~13分くらいです。往復でその日の運動量をこなしています。その時腹話術の口上の練習をします。その後キシリトールガムを噛んでいます。噛むことで、セロトニンが活性化されるそうです。6、仕事はマンションの管理人です。エレベータは極力使わないで、階段を利用するようにしています。一段飛ばしはよい運動になります。巡回の時は自分の持ち歌を練習しています。「お岩木山、祝い船、南部蝉しぐれ、君が好きだよ、四万十川、あやめ雨情、千代田の女よ、栄冠は君に輝く」の8曲です。歌詞は1番だけはすべて覚えています。自由時間は図書館で借りた本を読んでいます。常時10冊ぐらいはストックしています。昼食の時ニュースをチェックしています。その後、30分くらい仮眠をとっています。7、仕事から帰ってくると、皿回しとけん玉の稽古をしています。それから、観葉植物の手入れをします。食事前にはアルトサックスの練習を2日に1回行います。時間は20分程度です。練習する曲は30曲くらいあります。すべて老人ホームの慰問で使うチンドンミュージックです。8、夕食時は必ず晩酌をします。ただし量は少ないです。焼酎、清酒、ワイン、ウィスキー、梅酒とそれぞれお好みの酒がそろっています。トリプトファンを含むチーズがつまみです。その他納豆や豆腐の大豆食品、ビタミンの豊富な野菜、炭水化物、肉や魚など片寄らない食事を心掛けています。9、テレビはニュース番組程度です。you tubeプレミアムで広告なしの音楽を楽しんでいます。朝やり残したブログの作成や本を読んでいます。疲れて1時間くらい仮眠をとることもあります。10、お風呂では腹式呼吸を心掛けています。「鼻から吸う息は短く、吐く息はできるだけ長く」を心掛けています。マインドフルネスの正座瞑想を学びましたので、それを応用しています。就寝時間は12時ころです。メラトニンは2時ころ盛んに分泌されるようです。以上が1日の流れです。せわしないと思われるかもしれませんがすべて習慣化しています。何も考えなくても体が自然に反応しています。これで無理なくセロトニン神経を活性化しています。土日は別メニューです。金曜日のうちに土日にやるべきことをリストアップしています。日頃からやるべきことをストックしていると10個くらいはあります。定番のウォーキング、アルトサックス、カラオケの練習は欠かせません。冬場を除くといずれか1日は田舎に帰り野菜の手入れ、草刈りがあります。神経症のことを考える隙がないような感じの生活です。
2022.03.08
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2022.03.07
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私のところには、明らかに詐欺のようなメールが毎日届きます。Amazonや楽天やメルカリ、ETC、銀行やクレジットカードを装ったようなメールです。妻のスマホには、偽の宅配業者を語ったメールが届いています。私は以前うかつにもAmazonを装った詐欺に引っ掛かり、大変な目に遭いました。現在は怖くてAmazonではクレジット決済することはありません。コンビニ支払いか手数料がかかっても代引きにしています。現在この手のメールは迷惑メールに振り分けるようにしています。そのままにしておくと14日すれば自動で削除されます。それにしても、新手の詐欺メールがどんどん増えています。油断しているとまんまと引っかかってしまいます。詐欺メール業者の手口は、だいたい決まっています。現在あなたの登録情報、アカウントに問題があり使用できない状況です。至急更新をお願いします。普通はそのような状態が続くと困ります。何とか使えるようにしたいと思う。ここが落とし穴なのですが、詐欺にあったことのない人は気づきません。詐欺業者はここにあるURLをクリックして登録の変更をしてくださいと指示する。そこにアクセスして指示された個人情報などを書き込むと一巻の終わりです。その日の夜中にクレジットカードから現金が引き落とされてしまいます。頭が混乱している時に行われるのでどうしようもありません。これはオレオレ詐欺とよく似ています。滅多に会わない孫を装った人から、不祥事を起こしたので、現金が必要になった。何とか助けてほしいと電話がある。子どもには厳しい親なのに、孫のことになると、目に入れてもいたくないという人が多い。何とか力になってやりたいと思う。現金で済むことならとつい詐欺話に乗ってしまう。騙された人は、まさか私がそんな詐欺話に騙されてしまうことはないと思っている。まだそんなにもうろくはしていないという。いざとなると気が動転してまんまと詐欺に引っ掛かってしまうのか現実なのです。クレジットカードで始末に悪いのは、個人情報が拡散されてしまうことです。詐欺の場合はクレジットカードをすぐに使用不能にするしか手がありません。クレジット会社も悪徳詐欺業者はある程度は把握しているようです。次の日に電話がかかって来て、クレジットカードの不正使用が確認されると、なんとか引き落としは防ぐことができます。しかし、日ごろから不審な電話は出ないことにしていると、かなり厄介なことになります。もしその間隙をぬって引き落とされることがあると、気づかないうちにすべて持って行かれます。全てを抜き取られて決済されると後の祭りです。不安や恐怖に振り回されやすい神経質者は特に注意が必要です。これは悪徳新興宗教の洗脳手法と同じようなものです。食事制限をする。狭い部屋に何日も隔離する。厳しい修行をさせる。家族から引き離す。日常生活の楽しみを根こそぎ奪う。孤独に追い込んで、楽しみや生きがいは新興宗教と教祖様だけという状態に追い込んでいく。そのやり方で精神的なダメージを与えておいて教祖様が救いに入る。そして時々教祖様からご褒美をいただく。次第にのめりこんで、財産のすべて奪い取られ、教団に奉仕することで自分は救われるという気持ちになってしまう。普通に考えると異常なことですが、それが正しい選択だと思ってしまうのが怖いところです。日々症状と格闘していると、生活の中に潜んでいる危険やリスクには疎くなります。ウクライナ問題などは対岸の火事でその原因に関心を寄せることもなくなります。森田理論学習の中で、あらゆるところにアンテナを張り、精神を緊張状態に保つ生活が大切であると学びました。こういう話が集談会の中で共有されることも必要だと思っております。
2022.03.07
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私が本を読む時の台を紹介します。これは楽譜を置く時の譜面台です。これが本を読む時に大変役に立っています。1000円くらいのものです。椅子に座って高さと傾斜角度を決めます。自由自在です。ページを固定するための譜面止めが役に立ちます。それから100均で買った大きなクリップどめで片方を止めます。これでフリーハンドで快適に本が読めます。ちなみに写真の本は、3分冊した森田全集第5巻652、653ページです。マーカーや鉛筆は台の上に乗せられます。これを利用すると本を読む時の姿勢がよくなります。本好きの人に参考のためにご紹介しました。
2022.03.06
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ネガティブでマイナス感情には次のようなものがあります。不安、恐怖、不快、怒り、退屈、批判、否定、悲観、欲求不満、当惑、嫉妬、ストレス、孤独、弱気、疲労困憊などがあります。その時、脳の中はどんなことになっているのか。扁桃核で不快と判定されたマイナス感情は、ノルアドレナリンによって青斑核に運ばれます。青斑核は防衛系神経回路を司る司令塔です。そこから大脳全体に自分の心身を守るために緊張感を持って準備するように指示しています。消極的な情報が拡散されて、積極的で前向きな行動はできなくなります。真っ暗な夜道を一人で歩くような気持になります。ススキがザワザワと音を出すだけで気が動転して生きた心地がしなくなります。消極的で悲観的な気持ちが悪循環し始めるのです。そのまま放置しておくと、心身に計り知れない悪影響が起こります。でも心配はいりません。人間にはホメオスタシスという恒常性維持装置が標準装備されています。この場合、急いでドパミンを出して、報酬系神経回路を作動させるのです。快の感情を作りだして、不快の感情を和らげるための仕組みがあるのです。不安に押しつぶされないようにバランスを取ろうとするのです。どんなことをするのか。おいしいものを食べる、酒を飲む、ギャンブル、ネットゲーム、薬物依存、趣味三昧、観劇や観戦、ネットサーフィン、ネットでの買い物、風俗、旅行や温泉に入るなどです。その他快の感情をもたらすものは星の数ほどあります。これらに取り組むことで、ドパミン主導の快楽神経系が作動します。最悪の精神状態を回避できるのです。しかしこれらは一時的なカンフル剤のようなものです。しばらくすると、また不快の感情で苦しくなってきます。そこでまた、これらに手を出して、快の感情を作りだそうとします。しかし、以前と同じ程度のことをしてもドパミンの出が悪くなります。そこでより多くの快の感情をもたらすために、使用頻度がどんどん増えてきます。それが習慣化すると依存症になるのです。依存症は脳の仕組みを変えることですから、基本的には、一人では解消できません。その時、なんとか依存症から抜け出したいと思っても、今度は離脱症状で苦しむことになります。離脱症状というのは、イライラしていてもたってもいられなくなる症状です。依存症にはまると、どんどん蟻地獄の底に落ちていくのです。依存症の人は、瞬間的、刹那的、享楽的な快感情を作動させて、不安やストレスの解消を図ろうとします。神経症に陥る人は、苦しさに耐えかねて、アルコール、ギャンブル、摂食障害、ネットゲーム、ネットサーフィン、トレードなどへ依存しやすい傾向があります。神経症からの回復を目指よりも、一瞬の心の渇きを癒そうとするのです。私たちは神経症からの回復を目指すとともに、日頃から依存症に陥らないように注意して生活することが大切になります。普段の日常生活や仕事の中でささやかな成功体験を積み重ねることが大切です。小さな快感情を作りだしていく習慣を作ることです。凡事徹底の生活の中で、たくさんの気づきや発見を見つけ出すことです。行動することで、成功体験の数が増えて、快感情が生まれてくるようにしたいものです。そのためには集談会の学習仲間で励まし合って、依存症を防止することが大切になります。
2022.03.06
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私たちが不安に振り回されている状態は強迫神経症と言われています。みなさんは、強迫観念とは何かと尋ねられた時、どのように答えておられますか。森田先生は次のように説明されています。強迫観念の定義は、自分の欲望、目的に対して当然起こる取越苦労を、取越苦労しないように、思わないようにとかいうふうに、自分の心を押さえつけようとするために、当然心に起きる葛藤の苦悩について名づけたものであります。すなわち自分の心配ごとに対して、これを心配しないようにとすることが強迫観念です。すなわちあなたはどんな細かな複雑な取越苦労でもそのまま先へ先へと心配していくならば、どんなことがあってもけっして身体に、さわることはありませんが、この苦しみから逃れる工夫をすればするほど、幾年でも果てしなく強迫観念に苦しまなくてはなりません。(現代に生きる森田正馬のことば1 生活の発見会編 白揚社 78~79ページ)ここで取越苦労と言われているのは、不安、恐怖、違和感、不快感のことです。ここでいう不安は、神経症的な不安のことです。不安というのは現実的な不安もあります。これらは神経症的な不安とは取り扱い方が全く違います。混同しないことが大切です。それらに対しては、迅速かつ積極的な対応が欠かせません。たとえば地震の時の津波です。警報が発令されたら、すぐに高台に避難しなければ命が危なくなります。これが意外と難しいのです。軽視することがあるのです。神経症の人は、現実的な不安を放置して、神経症的な不安を問題視している。何ともちぐはぐなことをしている場合があるのです。ここでは神経症的な不安について考えてみましょう。これらに対して、取り除こうとするか逃げるかのどちらかだと思います。闘うか逃避です。どちらも対応方法が間違っています。なぜなら、そんなことをすると不安、恐怖、違和感、不快感はどんどん増悪して、追いかけてきます。イメージとしては、アフリカのサバンナでライオンやチーターに追い掛け回される小動物です。逃げれば逃げるほど、ライオンやチーターは勢いづいて追いかけてきます。そして最後には力尽きて捕らえられてしまいます。神経症的な不安は取り除こうとしない。逃避しないことが一番です。不安の相手をしなければ、最初の勢力はどんどん失われて小さくなっていくのです。不安の方は、相手が敵対してこないので、やる気をなくしていくのです。ナメクジに塩をかけたときのように小さくしぼんでいきます。もし余力があれば、不安のしたいようにさせてみるのはどうでしょうか。たとえば、不眠症で悩んでいる人は、寝ることを断念して、その時間を利用して読書などをするようにするのです。これは仕方なく不安を受けいれているのです。そして自分のやりたかったことに取り組むようにすると、不安があなたを襲ってくることはありません。むしろ、読書をしているといつの間にか睡魔が襲ってきて、朝までぐっすり寝てしまったという現象が起きます。神経症的な不安は解決のめどが立たないようなものに、あえて挑戦して不安を無くそうとしているのです。一人で相撲をとって、勝った、負けたと一喜一憂しているようなものです。周りから見ると実に滑稽なことに取り組んでいるということになります。強迫観念の苦しみは、最初は小さな不安の対処を誤り、ことさら増悪させて、独りで派手な相撲を取って、最後に自滅して嘆き悲しんでいるようなものです。森田理論学習によって正しい対処の方法を学び、実践することが大切です。
2022.03.05
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ダルマさんは手がありません。手がないとボクシングでいえば相手と闘うことはできません。森田でいえば、症状と闘うことができないということになります。好むと好まざるにかかわらず、あるがままに受け入れるしかありません。ダルマさんは足がありません。足がないということは、逃げることができません。森田でいえば、気分本位で、すぐに逃避行動をとることができません。好むと好まざるにかかわらず、あるがままに受け入れるしかありません。しかし、ダルマさんは、衝撃を加えられて、一旦は倒れますが、自らの力ですぐに起き上がってきます。「七転八起」という特徴を持っているのがダルマさんです。さまざまな災難が降りかかってきても、復元力があります。森田理論でいえば、劣悪な境遇や自分に降りかかってきた理不尽な災難を振りのけて、たくましく乗り越えていく生命力を感じさせます。最初は片目しか墨が入れられていません。墨を入れられた目はしっかりと見開いています。問題のある現実、境遇、性格、生活をしっかりと見つめています。「かくあるべし」を押し付けるのではなく、真実を観察しようとしている。観念と事実の葛藤は起きていない。森田でいう事実本位の世界に生きている。ダルマさんは、困難を乗り越えると、もう片方にも墨が入れられます。両目になったダルマさんは、今まで以上に、事実観察を徹底して、問題点や課題を見つけることができるようになる。目標が次第にレベルアップされて、器が大きくなる。「生の欲望」に向かって、さらに努力精進するようになる。ダルマさんは、考えていることが裏目に出たときに、私を側に置いて意識づけとして活用しなさいと言われているような気がします。私の机の前にはダルマさんとヤジロベイがにらみを利かしています。
2022.03.04
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萩原一平さんの話です。私たちの意思決定や行動の多くは脳の指令によって無意識に行われています。95%の意思決定は無意識に行われているといいます。もちろん、すべてが初めから無意識でできるわけではなく、たとえば、自動車の運転方法を習い、教習所で教官に怒られながらも何回もブレーキを踏むタイミングや強さを学習しているから、とっさの場面で迷わず対応をとることができるわけです。もしブレーキを踏むという方法を学習していなければ、脳は的確な判断ができず、身体が動かなくなってしまいます。実際に、皆さんもとっさに身体が固まって何もできなくなってしまうという体験はありませんか。それでも、多くのことは、最初は意識しながら行っても、何回も反復しているうちに、無意識に行うことができるようになります。そして、私たちは生まれてから毎日、いろいろなことを経験し、反復して学習し、その結果、多くのことを無意識に行うことができるようになっているのです。(ビジネスに活かす脳科学 萩原一平 日経プレミアムシリーズ 36ページ)私は行動する時は、100%前頭前野で検討していると思っていました。萩原さんはそれはわずか5%に過ぎないといわれています。反復して手順を覚えたものは、前頭前野を経由することなく、記憶中枢から直に指示が出されているということです。つまり私たちの日常生活は無意識に行われているものがほとんどであるということです。無意識にまかせて日常生活を送っているということをもっと意識した方がよいと思います。たとえば、私は老人慰問活動でアルトサックスを吹いています。運指はとても複雑です。ところが何10回、何100回と練習を繰り返しているとそれは記憶として定着してきます。それに任せていると、意識しないで、無意識のうちに指がテンポをとって正確に動いているのです。それは経験するととても不思議な感じがします。なぜなら、私の頭の中には、前頭前野から指示命令されたことが、行動のもとになっているはずだという先入観や決めつけが頑としてあったからです。この考えは、脳の機能から見ると完全に間違っています。もっと無意識の行動を評価してあげることが必要だと思います。時々本番でうまく演奏できるだろうかと不安が湧き上がってくることがあります。そういう時は、出てこなくてもよい前頭前野がしゃしゃり出てくるのです。前頭前野がその不安をどうしようかと考え始めるのです。すると、ここで間違えてはいけない。なんとか無難に乗り越えたいと思うようになります。その結果、練習の時のような、無心な気持ちが遠のいて、手がぎこちなくなり、考えた通り間違えてしまうのです。その対策ですが、・練習段階では120%の成功確率に高める。・本番前には、「よし、これで大丈夫」と士気を高める。・そして自分を鼓舞するいつものゼスチャーをとる。・拍手喝さいを受けてさっそうと退場するイメージを持つ。・イチロー選手や羽生結弦選手のようにルーティン作業を黙々とこなす。この5つを、しっかりと持って臨むようにしております。
2022.03.03
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宇野千代さんの言葉です。「忙しい」というのは追いかけられるということではない。朝から晩まで、何かに追いかけられているような気持で、暮らすことは禁物である。いつでも、こちらから追っかけるような気持でいることである。それがどんな仕事であっても、仕事を追っかけていると、とても気持ちがよい。ストレスを感じるような暇がない、という状態になったら、しめたものである。(宇野千代 幸福の言葉 海竜社 45ページより引用)確かに自分のキャパを越えたたくさんの仕事を抱えているとイライラします。またどこから手を付けてよいのか分からない難しい仕事も困ります。指示命令されて仕事を強制されるとやる気が出てきません。この点に関して、以前「仕事を追いかける人と仕事に追われる人」の違いを投稿しました。(2013年1月12日 仕事を追う人、仕事に追われる人)その内容は、毎日細かい仕事をていねいにこなしていくことで、しなくてもよい仕事を極力作り出さないということでした。キャパを越えた仕事を抱えている人は、上から無理やり能力以上の仕事を押し付けられて、反発しながら焦りまくっている場合もあります。この場合は、上司に相談して仕事の量を調整してもらうことが必要になります。そうしないと、最後は火山の大爆発のような悲惨な状況が起きます。双方にとって問題になります。私は以前買掛金の管理の仕事をしていました。仕入れ先から来た請求書と弊社の仕入額を照合して、仕入先に支払額を確定させる仕事でした。今振り返ってみるととても面白い仕事でした。それはコツが分かっていたからです。100件以上の仕入れ先のうち半分くらいはぴたりと一致します。ところが大口の仕入れ先などをはじめとした残り半分くらいは差異が出ます。それは、割引交渉、返品交換が絡んでいるからです。営業マンの段階で日常的に発生しているのです。たとえば、担当営業マンが仕入れ先に対して、値引きを要請します。この場合、一旦本来の正規の伝票が届くことが多いのです。その後、数日して、正規の伝票を取り消して、新たな値引き後の伝票がきます。一つの商品に対して3枚の仕入伝票が来るのです。事情があらかじめ分かっていないものが、こうした伝票を扱うのですからとても厄介です。営業マンが相手の承諾がないにもかかわらず、値引き後の金額で仕入額を確定している場合は、必ず差異が発生します。私が取り組んだのは、売上伝票と仕入伝票をきちんとメーカー別にきちんとファイルする事でした。売上処理伝票を連番別にきちんと並べておく。次にメーカーごとに仕入伝票を日付順に並べておく。これは、買掛金管理の仕事の中では、手間ばかりかかる雑仕事になります。ところがこの雑仕事をきちんとしていると、問題の売上伝票や仕入伝票を即座に取り出すことができるのです。私はどんな伝票も1分以内に取り出せることを目標にして取り組みました。これは無駄な仕事を作り出さないという面で大きな成果がありました。同じ仕事をしている仲間の中には、一旦チェックが終わった伝票を段ボールの中に放り投げている人もいました。そうすると、問題が発生した売上伝票と仕入伝票を探すのに30分以上もかかることになる場合があるのです。いくら時間があっても仕事に追い回されることになります。それでもどうしても金額が合わなくて、一旦保留にして支払額を確定することがありました。その場合は、仕入れ先に事情を説明しました。次月中には必ず違算を解消することを約束しました。2か月後にはそれまでの違算をゼロにすることを目標にしました。過去の違算を放置していると釣り糸が絡まったようになります。処理することが困難になるのです。そして、その違算を弊社が負担することになると後始末が大変になるのです。仕事に対する情熱がなくなるのはこんな場合です。これは森田理論学習の中の、人生は雑事の積み重ねである。「雑事こそ我が人生」という考え方になると思います。平凡な仕事に心を込めて丁寧にするということです。別の言葉でいえば「凡事徹底」です。私の座右の銘です。この仕事をしていると1枚1枚の伝票をお金を取り扱うような気持になりました。今考えると雑仕事の積み重ねは、とても大きな威力を発揮するのです。
2022.03.02
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「かくあるべし」が強いと、自己否定感がでてきます。事実本位になると、自己肯定感がでてきます。今日は、自己肯定感と自己否定感を取り上げてみたいと思います。自己肯定感にはどんなものがあるのでしょうか。自尊感情・・・自分には価値があると思える感情。唯我独尊の立場。自己受容感・・・ありのままの自分を認めることができる感覚自己効力感・・・自分にはできると思える感覚自己信頼感・・・自分を信じられる感覚自己決定感・・・自分で決定できるという感覚自己有用感・・・自分は何かの役に立っているという感覚自分は自分の味方であるという絶対的な感覚を持っている。注意や意識が外向きで、意欲的で積極的な行動がとれる。自己内省一辺倒ではない。バランスが取れている。小さいときから雑多な経験を積み重ねている。特に成功体験の積み重ねが今の自分を支えている。少々の困難な状況は手を尽くして乗り越えることができる。親子の関係が良好であった。親が心の安全基地としての役割をきちんと果たしていた。他人との人間関係は、尊敬・信頼・協調関係で成り立っている。自己否定感で一杯の人はどんな感じでしょうか。自責感情・・・自分には何の価値もないと思える感情自己否定・・・ありのままの自分を認めることができない感覚自己無力感・・・自分は何もできないダメ人間だというという感覚自己嫌悪・・・自分が嫌で仕方がない感覚。内部分裂している。依存体質・・・絶えず他人に頼る。自分で決断できない。自己中心・・・絶えず自分に意識が向いている。悲観的否定的である。観念優先・・・頭でっかちで、事実を軽視・無視している。自分のなかに現実の自分とその自分を非難・否定する二人の自分を抱えている。注意や意識は内向きで、意欲が乏しく消極的、悲観的である。小さいときから雑多な経験が不足している。社会体験不足。成功体験がほとんどないので、やる前から懐疑的、逃避的である。親子の関係が、過保護、過干渉、放任状態であった。他人との人間関係の距離感が持てない。信頼関係が持てない。他人を見ると自分を攻撃してくるように見えてしまう。自己否定感で一杯の人はどうすればよいのでしょうか。森田では、二人の自分を一つに統一することだ言われています。雲の上のようなところにいる観念的な自分が、現実の世界で苦悩している自分のところに降りてきて、寄り添うようにするということです。どんなに問題を抱えていても、現実の自分を擁護していく態度に転換することです。事実本位の生活態度を身に着けて、観念や理知は補助的に活用していく態度を身につけることです。その手順は森田理論ですでに確立されています。社会体験不足と心の安全基地の確保ですが、長らく集談会に参加した経験からすると、集談会の中で雑多な役割を果たすことでかなりの社会体験ができます。また、集談会の仲間は心の安全基地として頼りになる存在です。これを継続することで、自己否定感が遠のいてゆき、自己肯定感で満たされていくと確信しております。
2022.03.01
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