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五木寛之氏が心掛けている人間関係は「淡く長く」だそうです。「兄弟姉妹は他人の始まり」といいます。冷たい言い方ですが、つい生じる甘えを自覚するうえで、とても意味のある言葉だと思います。兄弟姉妹でも他人であると思えば礼節も尽くさなければなりません。そうしていると、密接なつながりを実感する瞬間があるものです。心の底から感謝の気持ちが湧き上がります。夫婦の関係もそうです。もともと生まれも育ちも違う人間が一緒にいるわけです。いくら長く一緒にいようともそれぞれがよく分かっていないことがあって当然なのに、いつの間にかわかっているはずだ、わかって当然だ、となってしまう。肉親だから助け合うのは当たり前、夫婦だから愛し合うのは当然だという前提になってしまうと、そこに欲が出てきます。でも他人だと思えばそんな欲は出てきません。友人関係でも同じことが言えます。困った時に友達に助けを求めても、他人なんだから助けてくれなくても当たり前です。ところが、思いがけず手を差し伸べてくれたとしたら、それはほとんど奇蹟と言っていいようなことでしょう。そう考えて、「なんてありがたいんだろう」と思う方がいい。ですから私は、この人はすごく好きだ、友達になれそうだと思うと、かえって気をつけて、距離を保つようにしてきました。親しくなるのはいいのですが、少し距離を誤ると、どうしても甘えが出てきてしまう。荘子は「君子の交わりは淡きこと水のごとし」と言いました。水のような付き合いでないと長くは続かない。人との交流というのは川のように流れていくほうがいいのです。そして遠くからお互いのことを思いやり、見守っているといった付き合いが一番良い友情の形ではないかと思うのです。大切に思う人ほど、他人であることを忘れない。親しき中にこそ礼儀あり。親しさの距離を間違えないようにしましょう。(ただ生きていく、それだけで素晴らしい 五木寛之 PHP研究所 30ページ)この人間関係の極意は、森田理論の「不即不離」の人間関係のことですね。必要な時に、必要に応じて、必要なだけの人間関係を心がける。時、場所、環境が変われば付き合う人がどんどん変化していく。コップ一杯の人間関係作りを目指していると、失敗する確率が高くなります。コップに少しだけの人間関係作りを心がけている人は、人間関係の悩みが少なくなるだけではなく、困った時の相談相手を数多く持てることになります。
2022.12.31
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白アリの被害があって大分工期が延びました。
2022.12.30
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人生で大切なことの一つは目標に向かって努力しているかどうかだと思います。元々日常生活は目標に向かって進行しているのではないでしょうか。その他、短期、中期、長期目標を設定している人もいます。そういう人は、毎日活き活きと生活しています。オーラが出ていて、周囲の人を幸せな気分にします。目標を持った生き方の特徴や心がけについて考えてみました。・目標を持った生き方は、積極的、建設的、創造的な生き方になります。前向きで、外向きなことを考えることが多くなります。注意や意識が自分に向かうことが少なくなります。神経症で苦しい時は、目標を見失って、注意や意識の内向化が起きます。消極的、回避的、防衛的な生き方になります。神経症を回避するためにも目標を意識することは大事になります。・目標を持ったら、絶えずその目標を意識する必要があります。1週間に1回とか、1ヶ月に1回というのでは、せっかくたてた目標が忘却の彼方へと飛んでしまいます。そして刹那的、惰性的な生活に陥ってしまいます。はずみがつくまでは、5分おきに目標を再確認するような気持が必要になると聞いたことがあります。あるいは机の前に貼っておくというのは如何でしょうか。・我欲型の目標よりは、貢献型の目標がよい。私利私欲を追い求めるような目標は、仲間の協力が得られません。そのうち行き詰まってすべてを失う可能性があります。家族の為、会社の為、国の為、人類の将来の為という目標は協力者が増えます。協力者、資材、資金、情報などがどんどん集まってくるようになります。末広がりで好循環のスパイラルに入ってきます。・目標に向かって努力している姿は、周りの人に大きな影響を与えます。その人たちのやる気に火をつける効果があります。このことをピグマリオン効果というそうです。集談会でも森田理論を生活に活用・応用している人は、大きな影響力を発揮されています。人のために尽くすことにもなります。そのような社会貢献もあるということです。次に日常生活や休日の目標管理の注意点について考えてみました。・日常生活の中での目標管理で心掛けること。最初はイヤイヤ仕方なくでもよいので、ともかく体を動かすことです。次に、ふと気付くと我を忘れて一心不乱に取り組んでいたという状態を作り上げる。しだいに弾みがついて、体と感情が動き出します。興味や関心、気づきや発見、アイデアや工夫を思いつくようになることが理想です。やる気が高まり、積極的になります。毎日の生活が楽しくなります。・土曜日、日曜日、祝日の目標設定で心掛けること普段の生活の中では時間の関係ですぐに手をつけることができないことがあります。また休日にやらなければいけないこと、やってみたいこと等などもあります。それらが頭に浮かんだらすぐにメモしておくことです。それらが10個以上あると、休日は活性化します。休みはゆっくり寝て過ごそうと思っていると後悔することになります。また当日になって、やることを考えればよいと思っていると、すぐには課題を思いつきませんし、抜け落ちることが多くなります。ポイントは、ウィークデイにあらかじめ休日の目標を設定することです。当日はやりやすいものからどんどん片付けていくという気持ちで取り組んでいることです。そのほか公的な行事や娯楽などが入りますので、休みの時の予定はすぐに一杯になると思います。休みの日に問題や課題が片づくと肩の荷が下ります。短期、中期、長期目標については、12月25日の投稿をご参照ください。
2022.12.30
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再び、中内玲子氏のお話です。私は20歳のころまで自分のことが嫌いでした。ある日エレナ・ポーターの書いた「少女パレアナ」という本を読みました。パレアナのお話で有名なのが「よかった探し(喜び探し)」です。「よかった探し」は、たとえどんなによくない状況にいても、その中から「よかったこと」を探すゲームです。実は、この「よかった探し」が私の人生を大きく変えたのです。ある日、パレアナの物語を読んだ私は、マイナス思考の自分を変えようと決心しました。当時のことは今でも鮮明に覚えています。鏡の前に立って自分を見つめ、「今日から、自分のことを好きになる」と決心した私は、その日からさっそく「よかった探し」を始めました。よかったことといっても、「今日はいい天気」「かわいい服をみつけた」「お花がきれいだった」など、ほんのささいなことです。そうして「よかった探し」を毎日続けてしばらく経ってからまた鏡の前に立ったとき、「自分が嫌い」だった私は、心から「自分が大好き」と思えるように変わっていったのです。それからまるで脳のプログラミングが変わったかのようで、もとの「自分が嫌い」な私には戻ることはなくなりました。ペンシルバニア大学のマーティン・セリグマン教授が提唱した「ポジティブ心理学」で、「毎晩寝る前にいいことを3つ書き、それを1週間続けると、幸福度が向上し、その効果が半年続く」という研究結果が出たことを知りました。これを引っ込み思案な次男に応用しました。すると少しずつ自分から「よかったこと」が言えるようになり、明らかに次男の表情が明るくなってきたのです。私はさらに「いいことを見つめると、それが磁石になってもっといいことが起きるんだよ」と言いました。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版 110ページ)私も「いいこと探し」を日記に書くようにしています。その他、「感謝さがし」「お役立ちさがし」を見つけるように心がけています。意識づけるために、毎日仏壇で手を合わせる時に、自分の信条として唱和しています。
2022.12.29
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感情には快の感情と不快な感情があります。この2つの感情にどう対応したらよいのか考えてみました。普通、快の感情はできるだけ多く、できるだけ長く味わっていたい。不快な感情はできればパスしたい。できるだけ早く逃れたい。これは人情ですが、感情は自然現象であるので難しいです。森田先生は、感情の取り扱い方は3つの段階があるといわれています。まず、不快であっても、必要なことはがまんして行動する。不快な感情に過度に振り回されないようにする。気分本位の行動には歯止めをかけるようにする。感情と行動は別ものであることをしっかりと理解する。感情は森田理論の「感情の法則」に任せる。行動は意思の自由がありますので、こちらの方に注意や意識を向ける。神経症を克服したい人は、まずこの段階をクリアすることです。これは努力すれば誰でも比較的早く達成できます。次に、観念中心の「かくあるべし」を前面に押し出さない。感情の事実を素直に認めるようにする。そのためには、森田理論の「かくあるべし」の発生とその弊害について学習する。さらに事実本位の考え方とそのメリットを学んでいく。理解できたら、事実本位の立場に立って、目的本位に行動する。森田理論では「思想の矛盾」の解消として説明されている部分です。コツを会得すれは、神経症的な葛藤や苦悩はなくなります。この段階のハードルはかなり高いです。なぜなら生まれてからずっと観念的な教育を受けてきたからです。森田先生が中学卒業程度、今でいう高校卒業程度の段階になります。観念主導の生活態度から、事実優先の生活態度への転換はすでに理論化されています。森田理論を学んでいる方はぜひとも克服して欲しい段階です。最後に、快の感情、不快な感情と区別しなくなる段階があります。湧き起こる感情に対して是非善悪の価値判断をしなくなる。不快な感情に対して、頭の中で敵対しなくなる段階のことです。不快な感情に振り回されている自分を客観的立場から眺めることができる段階です。しっかりと不快な感情に向き合い、味わうことができるという段階です。そして次々と変化してゆく感情に飛び乗っていけるようになる。森田先生が大学卒業程度と説明されている段階です。森田先生は「善し悪しとか苦楽という評価の拘泥を超越して、ただ現実における、「生命の躍動」そのものになっていく」ことだと言われています。森田理論では、不快な感情の対応方法は、この3つがあるといわれています。誰でもその気になれば、自分のものにすることができます。ただし、どの段階も、森田理論学習が欠かせません。その際、仲間とともに相互学習することが大切になります。さらにより効率的な学習が大切になると思っております。森田理論の学習方法の開発は必須と考えます。それらを身につける方法は、すでに整備されていると考えています。関心のある方はぜひ挑戦してみませんか。
2022.12.28
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瀬戸内海で獲れた牡蠣です。大粒の殻付き牡蠣はとてもおいしいです。電子レンジで約5分です。カバーは100均で売ってます。ゆずやレモンをかけて食べています。友人は年末になると餅つきをしています。いつも10名から15名の人が集まってきます。もちろん杵つきもちです。男女がペアになって、杵を打つ人とこねる人のかけ合いが見ものです。相性がよいカップルは、後で表彰されます。私は餅の中にあんこを入れたあんころもちが大好きです。できたては格別です。大福もちのようなものです。そのとき、焼き牡蠣、焼き芋、豚汁なども作って楽しんでいます。焼き牡蠣は保護眼鏡をかけてないと、殻が飛んできて危ないです。男性はビールなどを飲んで陽気にやっています。私も何回か参加しましが、集談会の仲間でこんなことができたら楽しいのにと思っています。以前は野外学習会でカレーを作ったり、ジンギスカン鍋を楽しんだりしてました。
2022.12.27
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引き続いて中内玲子氏のお話です。子どもを育てるにあたっては、どういう子どもに育てたいかという目標を明確にして取り組むことが大事になります。中内氏は次の3つをあげておられます。1、目標を立ててそれを達成する力を育てる。2、他者と協働する力を育てる。3、情動を制御する力を育てる。これらは小学校に入学するまでにその基礎を作り上げることが望ましい。0歳から2歳までは、ここにいれば安心という気持ちを持たせる。困った時にはすぐに寄港できる母港を持っているという感覚を育てる。3歳から4歳までは、やってみたい、見てみたい、触ってみたいという遊びをどんどん経験させる。同時に規則正しい生活を身に着けさせる。しつけです。毎日のルーティンを確立する。早寝早起き、着替え、食事、トイレ、歯磨き、お風呂など。5歳から6歳までは、 好奇心の発揮、興味や関心、学ぶことの楽しさ、探究心、困難にであってもあきらめないで最後までやり抜く力、友達や世代を超えた多くの人と接触する機会を持って社会的なスキルを身につけさせる。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版参照)ここでの3つの目標は、子どもが親から離れて自立するときに役立ちます。目標に挑戦する生き方、良好な人間関係を築く方法、感情に振り回されない生き方は親が子供に教え込んでいくべき大事な課題だということです。目標に沿って成長した子どもは、前途洋洋の人生に立ち向かっていきます。森田理論は、この3つの問題に対して、明確な指針を提供しています。目標に挑戦する生き方・・・目標は小さいものから大きなものまでさまざまですが、目標や課題に挑戦する生き方はその人の人生を豊かに彩ります。子どもの好奇心、挑戦する姿勢を高く評価して温かく応援していく。興味や関心を示したものを大切にしていく。しつけは必要ですが、「かくあるべし」を子どもに押し付けないようにする。子育て期間中は子どもに絶えず寄り添い、いつでも応援していく気持ちを持つ。良好な人間関係を築く・・・森田では、不即不離の人間関係をお勧めしています。必要な時に、必要に応じて、必要なだけの人間関係を築いていく。次に相手のよいとこ探しをする。感謝探しをする。相手へのお役立ちさがしをする。この3つを実践する。そして非難や批判は控える。不平不満もできるだけ控える。人間関係で食い違いが発生したら、お互い対等の立場に立って、話し合いによって乗り越えていく姿勢を身につける。人間関係は面倒でも、おっくうでも、絶えず調整、妥協、協調を目指していくことを伝えていく。感情に振り回されない人生・・・森田理論の感情の法則、不安の特徴、不安の役割、不安と欲望の関係を子どもに教えていく。感情は自然現象なので、人間に意思の自由はない。どんな不快な感情でも抵抗しないでそのまま受け入れるしかない。一方行動には意思の自由と責任が伴う。心の中をどんなに暴風雨が吹き荒れていようとも、つつきまわさなければ、いずれ収まってくる。森田理論学習でこれらのことを理解して、日々子育てに応用している人は、子どにとってとても良い親に巡り合えたことになります。
2022.12.27
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中内玲子氏のお話です。子供には明確なルールが必要だし、子供自身もそれを望んでいる。ルールに従い責任を果たすことが健全な心身の発達をもたらす。幼い子どもに「自分でルールを決めて守りなさい」というのは無茶です。子どもが自分の意志力を鍛えるためには、親が決めた枠組みが必要なのです。枠組みの中で自由にさせることで、その子らしい健全な自我が育ちます。私の敬愛するジェームス・スキナーさんのご両親は、子どもの自転車の乗り方について、守るべきルールと自由の範囲を決められていたそうです。まず、6歳までは自転車は買ってもらえません。6歳になったら買ってもらえますが、乗っていいのは家の庭の中だけ。しばらく練習したらどれだけ乗れるようになったか親がテストをします。そこでOKが出たら、家から外の道に出る許可が下りますが、「乗っていいのはこの角からあの角まで」と決められます。だんだんとその範囲は広がって行きます。そして、12歳になったらどこに行くかさえ親に告げれば、自由に自転車で外出できるようになります。これは、「自由は責任を果たすことで得られる」ということを学ばせるお手本のような子育てです。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版)子どもが自由に行動してよいのは、親が決めた範囲内で許されるのです。好き勝手になんでも自由にさせると、欲望が暴走して手に負えなくなります。親が幼い子どもに、自由にできる範囲を決めることは、子どもの欲望の暴走を防ぐことになります。親は子どもに、我慢力、忍耐力、自制心を育てるという大事な役割があります。欲望の暴走を防止することは、子どもだけではなく大人にも言えることです。社会にはしきたりや規則やルールや法律があります。それぞれの学校や会社には、独自の校則や決め事があります。あらゆるスポーツ競技は厳格なルールが規定されています。スポーツなどはルールがないと、そもそもゲームが成り立ちません。道交法などもみんなが守らないと、混乱を招き大変危険です。ルールの範囲内で自由に行動できるというのが社会の原則です。規則に縛られるということは、ストレスがたまります。しかし、ルールを守ることで、安全が確保され、混乱が防止されている。社会の秩序が保たれているという側面を忘れてはいけません。子どもが安心・安全に生きていくために、親は子どもに社会のルールを教える必要があります。子供の意見を尊重しながらも、親がルールを定め、それを守るように促す。どんなに窮屈であっても、勝手気ままな行動は許されません。元気のある子どもは束縛されることを嫌います。どこまでも自由な行動を求めます。それに安易に流されてはいけないということです。しつけには妥協が許されないという厳しい面があります。子どもを授かった途端、親はしつけの責任を果たす義務が生じます。きちんと責任を果たすと、子どもには欲望の自制心が育ってきます。しかしそれ一辺倒では子どはうまく育たないことも事実です。ルールの範囲内では、子どもにできる限り自由を与える必要があります。あまり口出ししないで暖かく見守ることです。子どもが、好奇心、興味や関心を持ったものに積極的に取り組み、自立した人間に成長するようにアシストしていくことも親の務めです。ルールの範囲内で自由に行動できるというのは、欲望は無制限に追い求めてはならないという森田理論の考え方に通じるものがあります。森田理論の精神拮抗作用という考え方では、人間の欲望の暴走は、欲望と同時に湧きあがる不安によって、制御されていると教えてくれています。
2022.12.26
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生活の発見会編の新版森田理論学習の要点の中に、「理想は高く、実行はこきざみに、小さな成功体験を積み重ねること」とあります。この言葉は、大きな目的や目標を持つことが大切であると言っている。但し、いきなりそれを目指すのではなく、手の届く実践目標を作っていく。実際にはそれを目指して努力していくことになります。できたという小さな成功体験は、喜びと自信をもたらします。それを積み重ねていくと自己信頼感、自己肯定感が持てるようなります。ここでいう目標には、短期、中期、長期の3つが考えられます。できれば、この3つをセットで揃えたいものです。私の場合を振り返ってみました。私の中期目標は、1年を目標にしています。これは元旦に立てています。その前に去年設定した目標を振り返ってみます。10年日記には最初のページに「1年のはじめに」というページがあります。過去の目標を見ていると懐かしさでいっぱいになります。これを参考にしながら今年の目標を設定します。たとえば自家用野菜作りの計画や加工食品作りがあります。老人ホーム慰問活動や趣味の目標もあります。パソコンの使い方、仕事、健康維持、自己啓発の目標もあります。その他実家の修理や今年のイベントなども計画に入れておきます。さらに今年新たに挑戦してみたいこともあります。そして最終的に重点項目を3つくらいに絞ります。これとは別に1年間の収支計画を立てています。予算の中でお金の有効利用を考えています。これはエクセルで表にして管理しています。長期目標は、5年くらいのスパンで考えています。5年先もこのブログを継続したいと考えています。5年と言わず20年先を見据えています。そして自分がどんな風に成長できるか楽しみにしております。そして森田理論のテーマ別の本を作りたいと思っています。但し製本はしません。希望者にメール配信を考えています。さて、目標の中で一番重点を置いているのは短期目標です。これは1週間ぐらいの期間を考えています。卓上カレンダーに予定が決まればすぐに書いています。またスマホの予定表にも打ち込んでいます。ここ1週間の予定は毎日しつこいくらい確認しています。短期目標は、凡事徹底に取り組む中で見つけ出しています。小さな問題点や課題を見つけることを意識しています。小さな問題点、課題、感動、楽しみの発見は宝の山だと認識しております。それらを忘れないために、いつでもすぐにメモするように心がけています。すぐにできることはその場で手掛けるようにしています。でも実際には、すぐにはできないことも多いです。それを1週間の短期目標の中に組み込んでいくのです。短期目標がたくさんあると生きがいにつながると思っております。みなさまの短期目標、中期目標、長期目標はどんなものでしょうか。集談会などで披露して参加者に刺激を与えていきたいものです。
2022.12.25
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・ある営業マンの名刺会社名と名前の下に、「今日の体温36.2℃です。ワクチン4回接種済み」と大きく書いてある。体温の数字は毎日変わるので手書きしているのがミソだ。コロナウィルスには感染していませんので、営業の話をさせてもらえませんかということらしい。こんな名刺は初めて見た。話の糸口としては申し分ない。うまいことを考えついたものだと感心した。つい長話をして、気がつくと買うことになってしまった。・2人のカメラマンアフリカで野獣の生態を写真に収めていた2人のカメラマンがいた。ついうっかりしているうちにライオンが近づいてきた。驚いた一人のカメラマンが逃げる準備を始めた。もう一人のカメラマン曰く。「君はライオンから逃げきれると思っているのか」「めっそうもない。せめて君よりは早く逃げようと思っているだけだ」「ライオンは2倍以上の肉付きをしている君の方を狙っていると思うが、それは考慮していないのか」「ええ、君はライオンの気持が読めるのか」
2022.12.24
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矢作直樹氏のお話です。大リーグに渡った大谷選手は短期間でバッティングフォームを変えました。右足を上げずに打つスタイルへと変えましたが、次々とホームランを打っています。大リーグの投手には有効だったわけです。これは置かれた環境への優れた適応力であり、とても柔軟な姿勢です。記者会見でも、大谷選手はネガティブなことは口にしません。打撃が振るわなくても「改善点が見えました」とコメントしています。(動じないで生きる 矢作直樹 幻冬舎 137ページ)「すべては流動的」という事実を知ることは大切です。生々流転という言葉がありますが、まさにこれ。鴨長明の「方丈記」は「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」で始まります。また、かの「平家物語」は「諸行無常の響きあり」と謳います。これらは「この世のすべては定まらず、常に移り変わる」と諭します。社会だって、短期間のうちにどんどん変わります。人の性格も思考も、気がつくと変わっています。身内や友人の考え方が変わって驚いたことはありませんか。すべてが流動的だからこそ、何かに執着し、いい人を装うとか、好感度を上げるようなことなどは、まったく必要ありません。そこに執着すればするほど、期待が裏切られたときのショックも大きくなります。肩の力を抜いて自然体でいることが大切です。(同書 92ページ)森田先生は、我々の日常生活は、どちらか一方に決めようと思っても、世の中は、決して思うようにできるものではない。周囲の事情で、どう変化してくるか分からない。何も絶体絶命とかいうような頑張りの心はいらない。この心の葛藤が起これば、仮に、どちらか、一方に決めてみる。すると、都合のよいときは、じきに解決案が浮かび出てくるし、都合の悪いときには、心はいつの間にか、他のことに流転して、前の執着から離れるようになる。(森田全集第5巻 423ページ要旨引用)森田理論では変化対応力を身につけることが一つの目標となります。神経症的な不安にいつまでも固執するのは変化対応不足ということになります。不安は欲望の反面として湧き出ているわけですから、その不安はそっとしておいて、生の欲望にのって行動の方に力を入れていくのです。そうすれば不安と欲望のバランスがとれて、万事うまく収まります。この態度は、目の前の変化をとらえて、絶えず変化の波を意識して生活するということになります。変化対応力を心がけていると、過度な自己内省性が弱まります。注意が前向き、外向きになり、建設的、生産的、創造的な生活に変わってきます。変化対応力を磨くことに力を入れてみるというのは如何でしょうか。
2022.12.24
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私は原付バイクで通勤しているのですが、信号機が赤に変わったので停車しました。すると急にエンジンが止まりました。慌ててバイクを押して横断歩道を渡りました。そして手動でエンジンをかけようとしましたがまったくかかりません。原付バイクは、キックして始動することもできますので、一杯にアクセルを回してキックしてみましたがこれも駄目でした。仕方なく長い登坂を汗だくになりながら押して上がりました。翌日バイク屋に持って行くと、キックするとすぐにかかりました。私にはそれがとても不思議に思いました。店主曰く。アクセルを回しすぎてはかかるものもかからなくなる。アクセルには遊びがある。そこなら1センチ程度回してキックしてみなさい。2~3回チャレンジしたら何とかかかった。なるほどそうだったのか。理屈が分からないときに、やみくもに動かそうとしても、労多くしてよい結果には結びつかないことがよく分かりました。理屈が分からない段階で行動しても、混迷の度を深めるだけだ。店主は、このバイクは空冷式なので、エンジンに煤のようなものがこびりついて、突然エンジンが止まることがある。本当はエンジンを分解して洗浄した方がよいと教えてくれた。ちなみに現在のバイクはすべて水冷式だという。理屈で故障の原因が理解できるようになることはうれしいものだ。この経験から得た教訓。森田理論も詳しい人から学習すると早く理解できるようになるのではないか。一人で学習するよりも雲泥の差があります。これはパソコンがフリーズしたとき、詳しい人に尋ねるとすぐに問題解決につながるようなものです。詳しい人は森田理論をより深く深耕されています。森田理論は通り一遍の学習をもう一歩掘り下げたところに、素晴らしい宝の山が眠っているように思います。それを掴んでおられるように思います。また森田理論を自分の生活に活用・応用されている人は、理解に留まらず、森田を自分のものとして血肉化されているように思います。私は森田理論には基礎編と応用編があると思っています。基礎編は、森の中に入って1本1本の木を細かく観察するようなものだと思っています。応用編は森から離れて上空から森全体を観察するようなものだと思います。この両面から森田療法を学ぶとより早くより深く理解できるように思います。基礎編・・・森田適応者の診断をした後は、神経症の成り立ち、神経質の性格特徴、感情の法則、認識の誤り、治るとはどういうことか、森田理論のキーワード、まとめなどを学ぶ応用編・・・「森田理論の全体像」の学習の必要性から入る。各論として、生の欲望の発揮、不安の役割、不安と欲望の関係、「かくあるべし」の発生とその弊害、事実本位・物事本位の生活態度を養う。この4本柱を深耕するとともに相互の関連性をしっかりと学習する。関連性については、図示することができます。これをしっかりと頭の中に叩き込んで学習することが効率的です。神経症の克服とはどういうことかがよく分かるようになります。無駄な間違った努力はなくなります。興味のある方は過去の投稿をご参照ください。実践編・・・森田理論で生活や仕事に活用できそうなものはないか探していく。先輩に実践や応用方法を教えてもらう。あるいは観察して取り込む。できるものからどんどん実践に移す。弾みがついてくるとどんどん成長してきます。そして器の大きな人間になれます。以上の項目に従って繰り返して学習する。1年目は基礎編、2年目は応用編、3年目は森田理論の活用に力を入れる。私は森田理論を自分のものにするのに約15年かかりました。それは学習方法が確立していなかったという結論に達しました。この順番で取り組めば約3年で森田理論を自分のものにすることができます。一旦自分のものにすれば、森田理論は一生使える大きな財産になります。
2022.12.23
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日本語、英語、中国語が話せる中内玲子氏のお話です。言語を習得するコツは、「インプット1、アウトプット3」を心がけて実行することが大事です。日本人が中学・高校の6年間、あるいはそれ以上英語を勉強しているのに話せないのは、圧倒的にアウトプットが足りないからです。イギリスのレスター大学のジム・キング博士は、日本の学生が第2言語で話すことを苦手とする理由について、自信のなさや恥をかくことへの恐怖、目立つことを好まない文化的背景、会話を重視しない授業内容にあると指摘しています。中内さんは英語が話せないまま渡米しました。語学学校に通っていましたが10か月間全く英語が話せませんでした。中内さんはある時「今まで学んだ英語は全部忘れよう。笑われてもいい。簡単な英語でいいからとにかく話そう」と決め、文法は気にせず、赤ちゃんが言葉を話すように単語一つから始めて、ゼスチャーを交えながらどんどん人に話しかけるようにしたのです。その結果、3~4か月後には、かなりの英語が話せるようになりました。言語を習得するには、最初はインプットが必要になりますが、その後話せるようになるためにはインプットの倍以上、アウトプットが必要になります。特に日本の英語教育はインプットを重視する傾向があるので、なおさら「インプット1、アウトプット3」くらいを目安にするのがよいと思います。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版 288ページ)この話は森田理論学習にも通じる話だと思います。森田では理論学習と実践・行動は車の両輪だといわれます。学習と行動のバランスを重視しているのです。現状を見ていると、学習の車輪は大きいものをつけていますが、行動の車輪は心もとないということはありませんでしょうか。バランスをとるためには、森田理論学習1、森田理論の応用・活用3くらいを目安にするのは如何でしょうか。そうするとやっとバランスがとれてくると思います。バランスがとれないとサーカスの綱渡りでいえば、地上に落下してしまいますので、注意が必要です。実際森田理論学習で最も大きな影響を受けるのは、森田理論を自分の生活や仕事に存分に活用し応用されている人のように思います。応用・活用している人は目の輝き、オーラを感じます。そういう人から影響を受けて、ともに成長していきたいものです。
2022.12.22
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私はこのたび傘踊りを始めました。仲間と5人で練習しています。これを老人ホームの慰問活動で披露する予定です。北島三郎の平成音頭と三波春夫の鳥取シャンシャン踊りの2つをほぼマスターしました。彩り鮮やかで見栄えが良くとても楽しい踊りです。関心のある方はyou tubeでご覧ください。「鳥取シャンシャン傘踊り」と「傘踊り基本踊りポイント」で大体のところが分かると思います。この踊りは傘をくるくる回す。足と手の動きの所作を覚えることがポイントです。最初はとても覚えられるような踊りではないと思っていました。執念は恐ろしいものです。何度も練習を続けているうちに、完全に覚えてしまいました。毎日の練習が楽しみで一杯です。傘踊りをマンターするコツについて説明します。・講師の指導を受ける。・講師の踊りをスマートフォンで動画撮影する。・家に帰ってスロー再生して覚えていく。・その際範囲を限定して繰り返して覚える。・最初のうちは手の動き、足の動きは別々に練習したほうがよい。・ある程度できるようになったら、音楽に合わせて通しで何回も練習する。・自分一人よりは仲間と一緒のほうが張り合いが出てくる。・先にできるようになった人が、できない人に教える。・仲間に客観的な立場からアドバイスしてもらい直すべきところを直す。・ある程度できるようになるとはずみがついて楽しくなる。・老人ホームで踊るという目標があると俄然やる気が出てくる。このコツは森田理論学習のやり方にも通じることです。・森田理論を深耕している人、森田を生活に応用している人に教えを請う。・学習は一人ではなく、仲間と一緒に取り組む。・時々まとめを行い、体験発表してアドバイスをしてもらう。・森田の基礎は「新版 森田理論学習の要点」などで学ぶ。・次に応用編として「森田理論全体像」の学習に入る。・応用できるところから、生活や仕事などに取り入れていく。・森田理論を踏まえて、森田以外のことも学習して視野を広げていく。・ブログやホームページなどで自分の考え方、応用方法を他人に紹介していく。・森田理論を学習する仲間を増やしていく。・仲間ができたら、学習以外の交流も楽しむ。
2022.12.21
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森田理論を学習するにあたっては多くの森田関連図書があります。これについてはホームページ「森田理論学習のすすめ方」にその一部を紹介しておりますのでご覧ください。今日は森田関連図書の活用方法について投稿してみます。会員になると月刊の「生活の発見」誌が月末に送られてきます。私は早速次の日に一通り目を通します。そのとき印象的な記事は、マーカーで色付けし付箋をつけていきます。全部読み終わるとその部分に戻って精読します。次にその記事に対して自分の体験や感想や考え方を余白部分に書いてゆきます。そして考え方がまとまったものはブログの投稿記事として取り上げています。毎月何らかの役立つ記事があります。また集談会で「今月の一押し記事」として紹介できるように心がけています。その月の発見誌で印象に残った記事を最低一つは見つけています。そのまま紹介しただけではわかりにくい面がありますので、自分の体験などを付け加えて、伝え方の工夫をしています。これが自己紹介や体験交流の話題として使えます。それから永久保存したいと思った記事はコピーをとります。あるいは切り抜いています。これを私独自のテキスト「これで納得!実践的森田理論学習」「すぐに役立つ!実践的森田理論活用法」の該当部分に挿入・貼付しています。あるいはキーワード毎にまとめているノートに張り付けています。森田正馬全集第5巻の活用方法をご説明します。この本は分厚いので3分割しています。持ち運びがよくなり、格段に読む回数が増えました。最初に通しで読むのは大変な努力が要りました。その後は弾みがついて楽しみの方が多くなりました。もう何回も繰り返して読んでいます。読むたびに新しい発見がありうれしい限りです。「噛めば噛むほど何とも言えない味が出てくる本だ」と思っています。読み方は、白揚社から「現代に生きる森田正馬のことば」という本が2冊あります。内容は森田理論のキーワードごとに森田先生の言葉を抜粋してあります。森田正馬全集第5巻からの引用が大半です。これを全集第5巻の該当部分にマーカーで色付けしてキーワードを書いておきます。この作業をしておくとポイント部分が分かっているので読みやすくなります。その部分を中心にその前後を合わせて読んでいくとよいと思います。より深く理解できるように思います。そんな面倒なことをするよりも、「現代に生きる森田正馬のことば」という本を直接読んだ方が効率的ではないかという話をされる人がいますが、実際にやってみると違和感があります。森田理論の核心部分を分かったうえで、その前後のやり取りをみていく方法は、回り道のようですが、実はその方が近道だと思われます。それからキーワード毎に5巻の内容を分類していくと後で役立ちます。これは記載ページ数をキーワード毎にまとめていくというものです。私が5巻の記事を引用する時は、このまとめが大いに役立っています。さらに気に入った内容を書き出すという作業も面白いものです。テーマごとに書き出していくというものです。たとえば、「不即不離」について書いてある部分をあちこちから拾い出して、集中学習をすると、言葉の意味がよく分かるようになります。その他森田関連図書の活用方法は無限にあると思われます。ぜひみなさんの活用方法を仲間に伝えてあげて下さい。そしてお互いに大いに森田理論を深めていきましょう。
2022.12.20
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私の経験から生きていくことが楽になる考え方を2つ紹介します。1、弱点や欠点に取りつかれて自己否定感が強い人へこういう人は劣等感に取りつかれている人です。絶えず自分の欠点や弱点を他人の長所や強みと比較して自己否定しています。この状態は、家の中に様々な不用品をため込んでいるようなものです。不用品を早く処分して、本当に必要なものだけにして、それを大切に使いこなすように心がけることをお勧めします。これがなぜ自己否定感の解消に役立つかということですが、ないものねだりを止めて、自分の持っているものに焦点をあてて、活用する方向に意識が変わるからです。ないものねだりをすることから、現在あるものをいとおしみ、工夫して楽しく生活していくという考え方です。森田理論の「物の性を尽くす」とは、自分が所有しているものに居場所や活躍の場を与えて生き尽くしてもらうということです。この考え方を取り入れていくと、自己否定感は急速に勢いが弱まります。自分が今持っているものを整理して書き出してみるというは如何でしょうか。人間誰でも長所や強みを持っていると思います。普段は持っているものは当たり前になっていて意識されていないのです。神経質性格も見方を変えれば貴重な財産になります。自覚できたら生活や仕事の場で活用していくようにしましょう。樹木希林さんは、自分の身体、所有物はすべて神様から借りているものだと考えている。借りたものだから、いずれはお返ししなければならない。借りたものを大切に扱うのは当たり前のことです。感謝の気持ちを持って取り扱っているかどうかは大切なことです。そして借りたものにケチをつけたりしないで、そのままの状態で存分に活用させてもらう。そして返すときには付加価値をつけてお返しをする。普通レンタルしたものは、借り賃を支払って使わせてもらいます。借りた時よりも、磨きをかけて価値のあるものに変身させてお返しする。そういう心がけをしていると、貸してくれた人は大いに喜びますよ。次はもっと良いものを優先的に貸してあげたいと思いますよ。2、後悔で悪夢にうなされることが多く辛いという人に対して長生きすれば誰でもミスや失敗、言わなければよかった、しなければよかったと思うことはどんどん増えていきます。それは人間がもともとミスや失敗を連発するように作られているからです。ですからミスや失敗の数が多いからと言って何ら恥ずべき事ではありません。むしろ自分の財産が増えて誇らしいことだと言えます。失敗の数が多い人は国から表彰状を授与してあげたいような人です。「あなたはミスや失敗の数が目標に達しました。全国民の模範として多大な貢献をされました。よってその栄誉を称え、永久にあなたのお名前を後世に伝えるために表彰いたします。文部科学大臣○○○○」表彰してもらうためには、過去のミスや失敗を貴重な財産として、その後に活用しているかどうかだと思います。忌まわしい過去を消去したいと考えている状態ではその資格はありません。ミスや失敗は今後回避しなければならないことを教えてくれているわけですから、宝の山のようなものです。過去のミス、失敗、後悔などは、「べからず集」として、必ず次に活かしていくという気持ちを持つことが大切になります。それが評価のポイントとなります。目標を持って挑戦している人は、ミスや失敗、後悔を次に活かしています。エジソンを見ているとよく分かりますが、失敗を成功の足がかりにしています。人生は山あり谷あり、乗り越えるべき困難な壁が次々に立ちはだかります。そのときに役立つのは。過去のミスや失敗、後悔の経験の積み重ねです。痛い経験は、二度とその失敗をしないように回避すれば、成功への道が早まります。後悔や悪夢でうなされるという人は、観念中心で「かくあるべし」を自分に押し付けている人です。森田理論でいう事実唯真の立場に立って、目的や目標に向かって日々努力している人は後悔で苦悩することは少ないはずです。
2022.12.19
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ワンタンスープ、おやつ春巻きの講習会でした。おやつ春巻きにはバナナとチーズが入っています。飲み物はジャスミンティーとプアール茶でした。講師は中国生まれで日本に帰化された栄養士の女性でした。作り方を覚えたので、自宅でも作ってみようと思っています。この講師は話がとても上手でした。中国語も教えてもらいました。草莓 タウメイ イチゴのことです。苹果 ピンゴウ リンゴのことです。香蕉 シャンジャウ バナナのことです。これを使って、ゲームをしました。とても楽しかったです。1月に入ると、味噌作りの講習会の受け付けが始まります。これはぜひ参加しようと思っています。
2022.12.18
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対人恐怖症の人は、絶えず他人の評価を気にしています。本当は自分の本音や要望を表明したいのですが、そんなことをすると相手が自分のことを非難して孤立してしまうのではないかという不安に振り回されています。確かに自分勝手なことばかりしていると、みんなから煙たがられ、最後には仲間内から排除されるようになるでしょう。でもそれを恐れて、自分の本音や本心を抑圧していると、ストレスがたまります。基本的には自分の要望や気持ちはできるだけ主張した方が望ましいと思います。しかし、対人恐怖症の人は、強い自己顕示欲を持ちながらも、力で抑圧しているのが実情ではないでしょうか。これは車のアクセルを踏み込みながら、ブレーキも力いっぱい踏み込んでいるようなものです。このようなことを続けていると、エンジントラブルを起こして車が使い物にならなくなります。この悩ましい問題を解決する方法はないのでしょうか。今日はこの問題を考えてみました。人間は生きている限り誰でも欲望や意思を持っています。そこに注目すると、他人と一緒に居るときや行動する時、自分の欲望や意思を優先する態度は問題ではないでしょうか。相手の欲求、気持ち、考え、意志を優先してあげることが肝心だと思います。そのためには、相手の要望や気持ちを、価値批判しないで、しっかり聞いて、正確に掴むことが大事になります。対人恐怖症の人はここで躓いているケースが多々あります。相手のことは無視して、一方的に自分の要望や気持をしゃべっている。あるいは、相手が十分に話し終わらないうちに、自己主張を始める。相手のことを無視して、自分の欲求、気持ち、考え、意志を前面に押し出しているのです。これでは相手が面食らうのは無理もありません。私の要望や気持ちは聞いてはくれないのかと不平不満で一杯になります。相手は欲求不満に陥り、猛烈に反発してきます。さて、この段階で何ら問題がないとすれば、次に段階に移りましょう。次の段階は、自分の欲求、気持ち、考え、意志を押し出すことです。対人恐怖症の人は自己主張をすると、人間関係が悪化するので、自己主張は極力抑圧しなければならないと考えている節があります。自分が我慢して耐えていけば、人間関係はうまくいくと考えています。これは大きな認識の誤りです。自己主張しなくなると相手になめられてしまいます。ここで正々堂々と自己主張しないと、相手は自分のことを意のままにコントロールできると解釈します。人間関係に上下関係が生まれるのです。親分子分の関係です。対等の人間関係が崩れると、いつもビクビクして生活するようになります。さらに相手は、その後どんどん無理難題を押し付けてくるようになります。相手の言いなりになって生きていくことは苦しいばかりです。人生が楽しいなどとは思えなくなってしまいます。さて、相手の欲求や気持ちをつかむことができ、自分の欲求、気持ち、考え、意志を相手に伝えることができるようになったら、今度は二人の間に横たわっている見解の違いをきちんと確認することが必要になります。さらにその溝を埋めるために、妥協点を求めて話し合いをすることになります。交渉ですから、譲ったり譲られたりの駆け引きになります。双方が対等の立場で交渉することです。むりやり相手を自分に従わせようとしてはいけません。すぐに妥協点が見つからないときは、無理をして決着をつけない方がよいと思います。禍根を残して、大きな問題に発展することが多くなるからです。一旦交渉を中止して、保留にすることです。冷却期間を置いて、再度話し合いを行うという余裕を持つことが大切になります。このステップをきちんと踏みながら相手と付き合うことは、わずらわしいと思われる方がおられるかもしれません。しかし、良好な人間関係を維持するためには、軽視することはできない問題だと考えています。実際人間関係が良好だという人を見ていると、無理なくこういうことができているようです。
2022.12.18
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10月号の生活の発見誌にガンジーとマルチン・ルーサー・キング牧師の記事がありました。インドのガンジーは、イギリスの不当な植民地政策に対して、非暴力という方法で、抵抗運動を推し進めて、最終的にはインドを独立に導きました。マルチン・ルーサー・キング牧師は、アメリカの黒人の市民権獲得運動の指導者でした。キング牧師もガンジーの手法に学び非暴力の抵抗運動を押し進めました。普通は暴力に対して暴力で報復という形で抵抗することが多いのですが、お二人はその方法はとられませんでした。暴力を甘受して、相手を恥じ入らせて、彼らの心を変化させるという方法をとられました。一見すると無抵抗主義に見えますがそうではありません。彼らには抑圧からの人民の解放という高い意志がありました。抵抗し戦っているのですが、その手段が普通とは違っていたのです。彼ら自身は凶弾に倒れましたが、賛同する人たちによって彼らの意思は引き継がれて、最終的な目的は達成されています。私利私欲ではない他人を思いやる高い目標は、どんなにいばらの道であっても、歴史のなかで必ずやその目的を達成しているということではないでしょうか。これに関して、日本では西郷隆盛という人がいました。ご存じのように、薩長同盟側の西郷隆盛は幕府側代表の勝海舟と交渉して、江戸城の無血開城を成し遂げました。このとき欧米の列強各国は、幕府側にも薩長同盟軍にも武器や資金を提供して、大いに内戦を煽っていたそうです。なぜそんなことを画策していたのか。それは日本全体が内戦で疲弊したときに、日本をアフリカ、インド、中国、東南アジアの国々と同じように植民地にしようとしていたのです。つまり自分たちの国益を満たすためだったのです。西郷隆盛と勝海舟は欧米各国の読みが手に取るようによく分かっていたのです。だから日本を窮地に追いやる内戦は何としても阻止する必要があると考えたのです。内戦を回避したことが、欧米列強による日本の植民地化を阻止できたのです。当時の緊迫した状況の中で、目先の自分たちの利益に固執しないで、血で血を洗う内戦を踏みとどまり、日本を救ったのはお二人の英断でした。森田先生は西郷隆盛について次のように語られています。西郷隆盛は、平常はどんな場合にも、決して言い訳という事をしなかったようです。西南戦争も、決して隆盛の意志からではない。自分の学校の生徒が、暴動を起こした事から、行きがかり上、そのようなことになったので、後にその前後策に対する幹部会でも、隆盛は自分では、意見を言わず、成り行きにまかせたような風であった。(森田全集 第5巻 595ページ)西郷隆盛は普段は自分の意見を押し通すという人ではなかったそうです。腕を組んでみんなにの意見に耳を傾けていた。衆目一致すると、自分には違った考えがあっても、その方向で先頭に立って行動する。その結果については、代表者としてきちんと責任をとる。普段はみんなの意向を踏まえて行動しているが、決して優柔不断ということではなかった。国家の行く先を左右する大事については、状況分析をきちんと行い、どんな困難な障害が待ち構えていても、勇猛果敢に自分の命を賭けて立ち向かっていく。こういう人を「男が惚れる男」というそうだ。私たちは神経症で苦しみ不器用で苦渋の生き方を余儀なくされてきました。西郷さんの生き方から何かを学ぶとすれば、神経症を克服するというのは、最終目的とは考えないほうがよいのではないか。神経質性格者としてこの世に生を受けた境遇を素直に受け入れ、神経質者としての人生観の確立という目標に向かって努力精進することが大事なことなのではないか。目標をそこに付け替えると、森田理論を学ぶ意義や活用方法は無限に広がってくるように思われます。森田理論はその要望に対して十分応えてくれていると考えています。
2022.12.17
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この本は歌人長塚節の人生を扱った小説である。文庫本575ページの長文である。読むのに骨が折れる作品である。これは小説というよりも、残された資料に基づいた精密なドキュメンタリー作品である。この小説は、第20回吉川英治文学賞を受賞しているが、選考委員の言葉は一様に、この作品が節に関する事実問題の追及において、恐るべき執着を持って精密を極めていることに触れていた。藤沢周平氏は、「長塚節全集」「啄木全集」「佐千夫全集」「赤彦全集」などのほか、長塚節に関わるものはすべてを精読している。参考文献の数は63部に上っているという。さて長塚節は咽頭結核を患い37歳で夭折している。生家は裕福だったが、父親が茨城県の県会議員として活動をしているうちに散財し、家計は借金で火の車だった。節は長男として必死になって再興を企てたが叶わなかった。歌人としての長塚節は正岡子規門下である。写実を重視している。伊藤佐千夫とともに一目置かれた存在感を示していた。伊藤佐千夫はリーターシップを発揮するタイプであったが、長塚節は茨城県に住んでいたせいもありほとんど裏方であった。節の作品は、写実に徹し、肺結核に陥ってからの歌の評価が高い。その他、夏目漱石の推薦を受けて、朝日新聞に「土」という小説を連載している。節は肺結核を抱えながら、作歌の為各地を精力的に旅行している。特に晩年の九州の日向方面の旅行は圧巻であった。肺結核の療養を兼ねての旅行であったが、病気の為次々と宿泊先を追い出されている。この旅行は養子に行った弟順次郎の援助のおかげであった。相思相愛の黒田てる子という女性がいたが、肺結核のため結婚は叶わなかった。節の人生は、経済苦、病苦、結婚苦、歌人仲間の人間関係に翻弄された。それは20代で肺結核にかかり、教師の道をあきらめて療養生活に入らざるを得なかった藤沢周平氏の人生と重なる部分が多かった。藤沢周平氏の作品は、苦悩でのたうちながらも懸命に生きている人に光を当てている。俳人小林一茶という作品もそうだった。一茶はユーモラスな作品を数多く残しているが、一茶の人生は苦悩との戦いであった。様々な困難を抱えながらも、与えられた命をいとおしみ、命の続く限り生き抜かねばならないという核はしっかりしている。私はこの作品を読んで、藤沢周平氏の作品はすべて読破してみたいと思いました。今3分の1くらいです。これからの楽しみと目標ができました。
2022.12.16
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白か黒か、100点か0点か、0か1かのデジタル思考、全か無か、成功か失敗か、○か×か、上手か下手か、合格か不合格か、プラスかマイナスか、親友か赤の他人か、というような極端な考え方をする人は、二分法的な思考方法をとっています。0点と100点の間には、10点、20点・・・80点、90点という点数もあるのですが、中間の点は認めないというのです。10点から90点はすべて0点とみなしているのです。90点という高得点でも0点と判定しているのです。この考え方は100点と0点の2つしかないということになります。二分法的な立場に立つ人は、完全欲、完璧主義の傾向が際立って強く、「かくあるべし」を自分にも、他人にも情け容赦なく押し付けています。人間関係は絶えず対立関係にあります。自分が会社で誰もがやってしまうようなミスや失敗をしたとき、自分は何をやってもダメ人間だ。もうこの会社で自分の居場所はなくなってしまったと思いがちです。責任をとって辞めるしかないなどと大げさに考えてしまいます。自分の人生は終わったも同然だなどと短絡的に考えるのです。第3者から見て、とるに足らないミスや失敗が、あっという間に自分の一生を左右するような大問題に発展してしまうのです。この考え方が他人に向けられると、小さなミスでも重箱の隅をつつくように責めたてます。決して容赦しないので人間関係は悪くなるばかりです。白か黒という二分法的な見方・考え方は、自他ともに窮地に追い込みます。早急に修正していかなければなりません。どんな道があるのかを考えてみましょう。この問題の解決のヒントを玉野井幹雄氏が次のように教えてくれています。二分法的な思考をしている人は、現状をよくするためには、悪い部分を取り除けばよいと考えているようです。決して善いものを増やそうとは考えない。あくまでも悪いものを減らすことによって、結果的に善い状態になろうとしているのです。努力しないで、楽をして幸せをつかもうとしているのです。そういう意味では消極的な生き方をしているのです。実に虫のよいことを考えているのですが、その願いが叶うことはありません。これに対して積極的な考え方をする人がいます。問題を解決するためには、悪い部分はそのままにして、善い部分を積極的に増やしていけばよいと考えているのです。善いものを手に入れるためには、どんなに苦労してもよいと考えています。二分法的な考え方をとっている人とは、思考方法が180度違うのです。彼らが全く思いつかないようなことを考えているのです。(いかにして悩みを解決するか 玉野井幹雄 自費出版 252ページ参照)白か黒かという思考をする人は、白でない場合は、すべて黒とみなしています。グレーというのは存在しないと考えています。そして黒の部分を非難、否定し、自分の身の周りから排除し、不快感を払拭しようとしています。それが実現すれば、当然幸せを手にできるはずだと考えているのです。それに対してグレーを認めることができる人は、そんな理屈を押し通すのは無理がある。不快感をなくするよりも、別のやり方のほうが確実に幸せをつかむことができるじゃありませんか。つまり黒を否定するのではなく、白に近づくことで幸せを手に入れようとしているのです。幸せは山の向こうにあるのではなく、自分でつかもうとしなければ手に入らない。エネルギーの消耗を招いても、多少苦労をしても、努力して白を手にすれば幸せをつかむことができる。黒を否定するくらいなら、白を手に入れる努力をした方が先決だと考えているのです。こういう人は多少不平不満があってもグレーときちんと向き合っている人だと思います。
2022.12.15
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神経質性格者は、森田理論学習に取り組むことで人生観が確立できます。その際、生活の発見会という自助組織に属して相互学習することが最も効果が上がると思います。自己流が悪いというわけではありませんが、ものにするまでに途方もない時間がかかります。仲間の援助がないと、途中で投げ出してしまうことにもなりかねません。また理解不能に陥ることもあります。さらに誤った理解をしてしまうこともあります。確実に人生観を確立するためには、今ある資源を活用する方が効率的です。「守離破」という言葉があります。武道に取り組むときは、まず先生の型や考え方をそのまま真似る。完全コピー出来たら、自分の個性やスタイルに合ったものを模索する。最終的には師匠から独立して、自分独自の型を作り上げていく。森田理論学習もこの段階を確実に踏んでいきたいものです。ここでまず大事なことは、素直に学ぶという姿勢です。納得できないと思っても、反発しないで先生や先輩達の指導に従うことです。「守」を無視すると型なしになってしまいます。型なしのままだと、次の展開が開けてくることは難しいです。集談会の仲間の中には、森田理論を深耕し、生活に応用している人がいますので、そういう人から謙虚な気持ちで学ぶことです。私は森田理論を自分のものにするのに15年くらいの長い期間がかかりました。その経験を振り返ってみると、独りよがりのつまみ食い的な学習をしていたと思います。最初は森田理論の基礎的な学習は大切です。でもそれだけでは不十分なのではないかと思っています。基礎的学習が終わったら、引き続いて森田理論の全体像を俯瞰する学習が大事になると思っております。一本一本の木を詳しく見ていく学習と、森全体を俯瞰する学習をセットで学ぶということです。私は森全体を見る学習を森田理論の応用編と呼んでいます。この両方の学習に実践編を加えて3年くらいかけて取り組むことをお勧めしています。具体的には「森田理論学習の要点」の内容を理解するところから始まります。要点には、神経症の成り立ち、神経質の性格特徴、感情の法則、欲望と不安、行動の原則、「あるがまま」と「純な心」、森田療法の人間観、治るとはどういうことか、「まとめ」のしかたという9つの単元があります。この冊子は、学習のポイントがコンパクトによくまとまっています。内容もとても分かりやすい。安価です。私が参加している集談会では、初参加の人に必ず紹介しています。この冊子で森田理論に興味が持てればしめたものです。後は相互学習で肉付けしていけば十分です。できれば集談会に1年くらい継続して参加することをお勧めします。集談会は全国に100くらいありますが、最近コロナの影響で参加者が減少しています。近くの集談会が一番良いのですが、必ずしもそうとはいえない状況です。目安としては常時6名から7名以上の参加者がいるところをお勧めしたいです。発見会本部に問い合わせればわかります。会員なれば、最近はネットを介した全国組織のオンライン集談会も多くなっています。パソコンやスマートフォンで簡単に参加できます。これは現在ZOOMを活用しています。全国の学習仲間と家に居ながら一瞬でつながるというのは驚きです。食わず嫌いの一品になってはもったいないというのが私の実感です。森田理論学習の応用編は、このブログや「森田理論学習のすすめ方」というホームページで紹介しています。興味のある方はぜひ参考にしてみてください。森田理論を仲間とともに学習し、全国の神経質仲間と交流を深め、ともに大きく成長していきましょうというのが私からの提案です。
2022.12.14
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佐々木常夫氏のお話です。我が家は、私と長男、娘夫婦、娘の夫のご両親の3世代同居です。世帯ごとのプライベートは確保されていますが、同じ家で過ごすわけですから、注意しないといつ衝突が起きるとも限りません。これまでに大きなケンカもなく、むしろ仲がいい方だと思いますが、それはベッタリにならないよう、常に適度な距離を心がけているからです。一緒に食事をした後などもサッと切り上げて、後は用事がない限りあまり話もしません。傍目には他人行儀に見えるかもしれませんが、そのくらい距離を置いたほうが家族はうまくいくようです。(60歳からの生き方 海竜社 36ページより引用)家族というのは空気のようなもの、気を遣わなくてもいいのが家族のよさ。だから家族に対しては気遣い無用。そう考えている人が少なくないかもしれません。しかし、私はそうは思いません。むしろ家族こそマナーや言葉遣いに注意し、「親しき仲にも礼儀あり」を守るべきだと思います。家族のような近しい間柄こそ、心ない物言いや遠慮会釈のない態度をとってしまいがちだからです。家族とはいえ、身勝手やわがままがすぎれば、信頼関係は容易に壊れます。距離が近いだけに、一度壊れたら厄介です。殺人事件の半分は親族間で起きているそうですが、そのことからも、家族・親族関係がいかに危ういかがよく分かります。しかし、これはいいかえるなら、マナーや礼儀を守って付き合えば、家族の絆は相当強まるということです。心を許し合いながら、困ったときには助け合える、盤石の関係性を築けるということでもあります。(同書92ページより引用)付かず離れずの距離がいいのは、家族だけに限りません。兄弟姉妹にいたっては、他人だと思って付き合った方がいいと思います。むろん仲がいいに越したことはありませんが、兄弟仲がよすぎると甘えが生まれたり、負担になることもあるのです。他人なら遠慮して頼まないものを、兄弟だとつい気が緩んで頼り過ぎてしまう。そのせいで関係が悪くなり、顔を見るのも話をするのも遠慮したくなる。兄弟姉妹間ではこういう事が起きやすいと心得て、他人以上に節度を持った付き合いをしたほうがいいのです。(同書104ページより引用)森田理論の人間関係の基本は「不即不離」と言われています。付かず離れずの距離感を持ったあっさりとした人間関係のことを言います。引っ付く時は新婚当時のようにベタベタとくっつき、年数がたつと無視して全く寄り付かないという関係では困るわけです。普段はうっとうしくて、いざというとき全く頼りにならないというのは、人間関係が壊れているのです。普段は相手の気持ちを推し量って束縛しないで自由にのびのびと活動させる。包容力を持って、距離を置いて眺めているだけにする。家族団らんの時は集まって一緒に楽しく過ごす。何か問題が発生したときはお互いに助け合う。こういう家族の人間関係を築いていきたいものです。家族の人間関係が良好な人は、仕事や友人との人間関係も良好になります。
2022.12.13
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和田秀樹氏は、「適応障害の真実」という著書(宝島社新書)の中で森田理論について紹介されています。その中の「神経症と森田療法のかかわり方」という話が参考になりました。赤面恐怖という病気の患者は「顔が赤くなるから人前に出られない」「赤い顔では皆に嫌われてしまう」などと思い込んでいるわけです。その患者が「先生、顔が赤くなるのをなんとかしてください」といった時に、森田療法では「あなたはなぜ顔が赤くなるのが嫌なの」と問いかけることから始めます。「こんな赤い顔になっていてはみんなに嫌われますよ」「嫌われたくないということは、あなたは人から好かれたいのですね」「いや好かれたいけれど、こんなに顔が赤いのでは嫌われてしまいます」「私は30年も精神科医をやっているけれど、顔が赤くなっても好かれている人を何人も知っていますよ」「そんなの例外です」「そうでもありませんよ。それに、もっとたくさん知っているのは顔が赤くなくても嫌われている人です」そこでさらに踏み込んで「あなたの顔が赤くなるのを治せば好かれると思っているけど、それは甘い考えだと思いますよ」と指摘します。そして「顔の色に関係なく、好かれる努力をしない限りは好かれませんよ」と考え方や行動の変化を促していくのです。「あなたの顔が赤くなるのは治せないけれども、あなたが人から好かれるために、もうちょっと話術を磨くとか、普段からニコニコするとか、極力元気にあいさつをするというような、あなたが他人から好かれる方法であれば一緒に考えることはできますよ」このようなアプローチが森田療法的なカウンセリングの一例です。(同書194ページ)この例は赤面恐怖症の例ですが、これを自分の症状に置き換えると森田療法的カウンセリングでの治し方が明確になります。①具体的な症状を明確にする。②誤った行動を整理する。③その裏に隠れている自分の生の欲望に気づく。④生の欲望を達成するための具体的な方法を考える。⑤不安との格闘を中止して、生の欲望に向かって行動を開始する。例えば私の場合は対人恐怖症です。人から非難、否定、無視、からかわれることが極度に気になります。それが嫌でそんな場面になるといつも逃げ回っているわけです。その裏には人から高く評価されたいという強い欲望があるわけです。その目的を達成するためには、仕事でも集談会でも、人から評価されるような具体的な行動をとらない限り、いつまで経っても対人緊張はなくなりません。人の役に立つことを考えて、人の喜ぶ姿を見たいという欲望に向かって動き出すことです。そうすれば初期の目的を果たすことができます。老婆心ながら一言付け加えておきます。そこまでしても10人の人すべての人から評価されることはあり得ません。人間関係に完全主義を持ち込むと苦しくなるばかりです。2人の人から評価される。2人の人から非難される。残り6人の人はそのどちらでもない。これが普通の人間関係だと心得ておくことです。ほどほどのところを目指して行動することです。集談会ではこの方法は「ホドホド道」だと教えてもらいました。
2022.12.12
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you tubeで元メジャーリーガーの川﨑宗則氏と辻秀一氏の対談を見た。森田理論に関係する対談でしたのでご紹介します。川崎氏は鹿児島工業高校からドラフト4位で福岡ダイエイホークス(現ソクトバンク)に2000年に入団しました。入団してみて気づいたことは、周りの選手のレベルが想像以上に高かったことです。最初は一流選手の仲間入りをして、一旗揚げようと思っていた。ところが周りが凄すぎて、これではプロの世界で生き残ることはできないかもしれないと思ったそうです。それでなくても、毎年10人前後の人が入れ替わる過酷な職場です。とにかくクビにならないでついていくのが精いっぱいでした。そんなわけで、川﨑宗則氏は早々に一流選手になるのは諦めたそうです。そういう夢や目標を追い求めることは自分には無理だと判断した。簡単にいえば、当初の目標はあきらめたのです。しかし決して自暴自棄になって、退団したわけではありません。彼は身分は選手のままで、当初の目標を変更したのです。どんな目標に変更したのか。ライバルたちとの競争には勝てないが、契約期間中は、恵まれたプロ球団の施設を思う存分使って心ゆくまで野球を追求していく。ご機嫌に野球を楽しみたい。ライバルたちには勝てそうもないが、過去の自分には勝てるはずだ。自分の技術レベルを引き上げることはできるはずだ。技術の向上を目指して貪欲に努力する。さらにプロでやっていける精神力や体力をつける。その目標を設定するにあたっては、今までの野球の環境が影響していました。川﨑氏は甲子園に行ったことはなかったそうです。彼の高校は野球のエリート校ではありませんでした。高校時代の野球の環境・施設はお粗末なものでした。野球の技術を教えてくれる指導者もいなかった。それが思いがけずドラフトで指名されたのです。入団して入寮すると食事がすごく豪華だった。部屋も立派だった。練習グランドや練習設備には驚いた。運動器具は何でもそろっている。しかも思う存分、自由自在に使用することができた。痛みがあれば体のメンテナンスをしてくれる人もいた。プロのコーチから専門的な指導を受けることもできた。テレビでよく見る有名選手と話をすることもできた。プロ野球選手はすべて無料で思う存分使うことができるのです。プロ野球の選手を目指しても夢がかなわない人が多い中自分は運がよかった。こんな素晴らしい環境に入ることを許されたのだから、選手でいる限り、それを活用しないのはもったいないでしょう。彼はがむしゃらに4年間、野球漬けの生活を続けたそうです。もし彼が、最初の一流選手になるという目標を手離さなかったら、自己嫌悪、自己否定、うつ状態になってつぶれていったかもしれません。設定した目標にしがみついていると、それが「かくあるべし」になって、現実否定を始めるからです。あまりにも過大な目標を立てた場合、無理だと判断したら、早く設定し直さないと大変なことになるということだと思います。一般的には、一旦目標を立てたなら、達成するまで頑張らなければダメだ。途中であきらめてしまうのは、意志薄弱でだらしないといわれます。川﨑氏の話を聞いていると、そんなことはありませんよと言われています、自分の立ち位置と立てた目標があまりにもかけ離れていると、最初からやる気がそがれてしまいます。疑心暗鬼になり、悪循環を始めるのです。反対に少し頑張れば達成できるような目標だと、俄然やる気が出てきます。大きな目標を小さな目標に変更することはメリットが多いのです。むしろ、大きな目標を早くあきらめて、実現可能な小さな目標に設定し直す必要があるということです。幸い川﨑氏は4年目くらいで頭角を現し、WBCでも活躍できる選手に成長しました。そしてメジャーリーガになりました。いい方に出ました。でも、もし仮にうまくいかず途中で自由契約や解雇されたとしたらどうだったでしょうか。自分が再設定した目標は達成できたのですから、後悔はないと思います。プロ野球の世界に入り、自分の再設定した目標を果たしたわけですから、自分で自分をほめることができます。人間は、課題や目標に向かって努力することを宿命づけられていますから、そんな生き方ができたということは大変誇らしいことです。
2022.12.11
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今日はキャベツ、ラディシュ、ダイコンなどの収穫をしました。トマトは寒さで終わりです。今日は枯草を押切で細かく切りって畑にすき込みました。現在はタマネギがすくすくと大きくなっています。冬の間に土つくりをして来春に備えたいと思います。
2022.12.10
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人間関係がぎくしゃくしている人は次の3つのことをさがすことをお勧めしたい。1、相手のよいとこさがし2、相手への感謝さがし3、相手へのお役立ちさがし1は、相手への不平不満は横に置いて、相手は何かしらよいところも持っているはずですから、相手の長所や強みを探していくことです。それに気づいたらすぐに評価してあげるように心がける。できれば、相手のいとこさがしが見つかったとき、ノートに書いておくことです。相手のよいところが分かっていると、少々の問題点を抱えていても、許容できるようになります。2は、何かしてもらったら、すぐに「ありがとうございます」という習慣を作ることです。親切にしてもらったのに、それは当たり前のことだと、軽視してはいけません。特に親しい間柄で実践することです。たとえば家族の中などです。小さな好意を大きく取り上げて、お礼を言うようにすることです。何かをもらった時はすぐに感謝の気持ちを伝えることです。3は、相手が喜びそうなことを見つけて、即実践する習慣をつけることです。これは小さなことをコツコツと数をこなすことが大切です。相手に何かしてもらうことを期待する前に、自分の方から何かをしてあげるようにする。とりあえず笑顔で挨拶をすることから始めましょう。以上3つを自分のスローガンにして、普段の生活の中で即実践することです。大きなことをやろうと思わないで、ごく小さなことを継続していくことが肝心です。神経質性格者は、相手に「かくあるべし」を押し付けることが多くなりがちですが、この実践は相手を非難、否定することがなくなりますので、人間関係がすぐに好転してきます。これに加えて、森田理論でいわれている「不即不離」の人間関係を理解して実践する。引っ付きすぎず、離れすぎずの人間関係です。これを会得すると肩の荷が下りたような楽な気持ちになれます。それから、2022年9月13日に投稿した、「人間関係でやった方がよいこと、やってはいけないこと」を取り入れれば、人間関係でのたうち回ることはなくなると思います。人間関係が好転してくれば、人生を今までの2倍以上は楽しむことができるようになります。人間関係でそれ以上のことを期待すると、当てが外れることが多くなるような気がします。
2022.12.10
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東レで管理職を勤められた佐々木常夫氏の映画のお話です。主人公のベンは、定年退職後に妻に先立たれ、観劇や旅行を楽しもうとしますが、何をしても虚しい思いが拭えず、思い切って再就職します。自分よりも40歳も若い女性社長が経営する、若い人ばかりのファッションサイトの会社だったのです。彼はそこで、最初は雑用のような仕事ばかりさせられます。前職の企業で部長まで務めそれなりのキャリアを持つ人でしたが、それを活かせるような職場ではありませんでした。でも、ベンはそうした雑用を嬉々として引き受けます。「会社に貢献できるなら、若い人たちの役に立つなら大歓迎」と言わんばかりに行動します。そういう気持ちで仕事に取り組んでいると、職場の人たちから信頼されるようになり、最初はベンを疎ましく思っていた社長も相談事を持ち込んでくるようになります。ベン自身も、「人のため」に働くことを通して、自分自身のやりがいや喜びを見出すようになります。作品のラストでは、ベンの支えを得て会社の危機を乗り越えた女性社長が、彼にお礼をいおうと、公園で太極拳をするベンのもとに駆けつけます。そしてベンと調子を合わせながら、自らともに太極拳を舞いはじめ、二人で息を合わせながら太極拳をゆったり楽しむところで映画は終わります。(60歳からの生き方 佐々木常夫 海竜社 73ページ)この話を聞いての私の感想です。人間いくつになっても、目標や目的を持ち続けることが大切だと思います。これは別に仕事でなくても自分の好きなことや趣味などでもよいと思います。また人様に何らかの貢献をしていく活動をすることも必要だと思います。定年退職して、仮に目先の楽しみばかりを追い求めていると、むなしくなってくるのではないでしょうか。生の欲望が強いという神経質性格者はそれでは満足できないと思います。ベンは悠々自適の生活、消費一辺倒の生活から仕事をすることを選択しました。再就職ですから、今までの経歴は通用しません。一からの出発です。最初は掃除や小間使いのような雑用ばかりさせられました。もしお金儲けだけが目的ならイヤになって辞めていたかもしれません。また会社に対しても大きな貢献はできなかったでしょう。ベンは収入を得るだけではなく、別の目的を持っていました。今までの経験を活かして、会社の若い人たちの役に立つことをしたい。仕事を面白くこなす方法や仕事に取り組む姿勢を教えたい。恋愛に苦しんでいる人の相談に乗る。人間関係を良好に保つコツを教える。経営の問題を抱えている女社長には、どうすれば経営が好転するかを一緒になって考える。最後は女性経営者に太極拳まで教えている。ベンは与えられた仕事をこなすなかで、収入を得ること以外に、自分独自の課題や目標を設定していたのです。どんな仕事でも、仕事をより面白く楽しむためには、ここらあたりがポイントになるかも知れません。私はマンションの管理人の仕事を1日5時間しています。その目的の一つは、もちろんある程度の収入を得たいことです。2つ目は、この仕事は棟内を歩き回って体を動かすので、結構な運動になることです。万歩計の数字が上がるのはうれしいものです。3つ目は、居住者や管理人仲間や管理会社の人との交流があります。自分の仕事ぶりが役に立ち感謝されることはうれしいものです。4つ目は、小さな問題点や課題がいたるところで発見できます。これに取り組むと意欲的になれます。問題点や課題を見つけたらすぐにメモしています。ポケットにメモ帳、首からボールペンをぶら下げています。たとえば鳥の糞が落ちている。落ち葉が散乱している。電球が切れている。自転車置き場が乱雑になっている。居住者から苦情や伝言を頼まれた。エレベータの溝にゴミがたまっている。落とし物を見つけた。これらは自分にとって宝の山だと思っています。問題点や課題に取り組むことは、自分自身の行動意欲を高めてくれるからです。そのため無理のない範囲で、できる限り長く仕事を続けたいと思っています。何しろこの会社は定年がないのでうれしい限りです。現在最高齢者は82歳ですが、この会社で最年長記録を更新することが夢になっています。
2022.12.09
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9月号の生活の発見誌の記事です。ある精神科のクリニックの院長さんのお話です。私のクリニックの外来では、4、5年前くらいから、「私はHSPだとおもうんですが」と打ち明ける患者さんが増えてきており、悔しいですが今や神経質性格よりも認知度が高い状況にあります。この言葉は、日本語では「とても敏感な人」「繊細さん」と訳されています。HSPの人は、表面的には神経質性格者と非常によく似ています。繊細で心ない言動に傷つきやすい。しかし決定的に違うところがあります。繊細だけれども生の欲望が乏しい。あるいは自己内省力が乏しい。これは性格という面よりも、成育環境による影響が大きいのではないでしょうか。神経質性格は性格というぐらいですから、先天的、遺伝的に受け継いでいるものがあります。神経質性格者は、生の欲望が強いのが特徴です。欲望が強すぎるが故に不安も強く出てくるという関係にあります。その葛藤の中で、ことのほか不安を意識している。不安を取り除こうとし、逃げ回るようになると、第3者から見ていると、とても繊細でとても弱弱しい人間に見えてしまう。私たち神経質性格者は、感度のすぐれたレーダーやソナー(魚群探知機)を標準装備しているようなものだと思います。天体望遠鏡でいうと、感度のよい赤外線望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡を標準装備しているようなものです。でも神経質性格者は感度がよいということを、むしろマイナスに捉える傾向があるのではないでしょうか。細かいことに過度にとらわれて始末がつかないものだと毛嫌いしている。繊細なことをあっけらかんと笑い飛ばす発揚性気質のような人にあこがれて、できるものならば取り換えてもらいと考えている人もいます。でも残念ながら、神経質性格は生まれた時からその人に備わっている性格であって、一生涯その性格と付き合っていかなくてはなりません。森田理論の神経質性格の特徴を学習した人は、それとは別の考え方をしています。それを補って余りある優れた性格であるという認識を持たれているのではないでしょうか。神経質性格者は、まず感受性が強いという特徴があります。音楽、映画、小説、演芸、ミュージカル、絵画、華道、茶道などを存分に味わうことができる。集談会に参加しているとそれぞれに多彩な趣味の話をされます。以前クラッシックのコンサートに出かけて驚いたことがあります。申し合わせたわけではないのに、集談会の仲間と出会ったのです。それも何人もの仲間がきていたのです。私はベートーヴェンの第9合唱団に所属して歓喜の大合唱に参加していましたが、会社でお誘いしても誰もこの話に乗ってきませんでした。ピイチク・パーチクとドイツの歌のどこがよいのかと馬鹿にされる有様なのです。鋭い感性は後から鍛えて身に着けられるものではなさそうです。神経質の感受性が強いという特徴は、もっと評価して、鍛えていかなければならない。不安にとらわれて、生の欲望が蚊帳の外になることは大きな問題です。最終的には生の欲望を全面展開させて、欲望が暴走しないように、不安を抑止力として活用するという方向を目指したいものです。繊細な性格の活かし方は、森田理論と学習仲間が教えてくれています。
2022.12.08
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生活の発見誌の12月号に「平凡道を非凡に歩め」という言葉が紹介されていました。次郎物語を書いた社会運動家の下村胡人の言葉です。森田理論学習をしている私たちにはなんとも味わいのある言葉です。下村胡人は佐賀県で教師をしておられましたが、その後東京に出て「煙仲間」運動を始めました。煙仲間というのは、佐賀鍋島藩の「葉隠」からきており、名もない若侍たちが、武士としての生き方を語り合った集まりだったそうです。下村胡人はその精神を受け継ごうとしていたようです。全国から青年団OBを集めて社会教育をされていたのです。その弟子に同じ熊本の五高出身の永杉喜輔が加わりました。永杉喜輔は後に群馬大学教授になりました。永杉喜輔は生活の発見会の名付け親です。生活の発見会の生みの親である水谷啓二と同級生だったのです。水谷啓二は下村胡人の機関誌「新風土」の影響を大きく受けています。「平凡道を非凡に歩め」というのは、なんでもないあたりまえのことを丹念にやれという意味です。下村胡人は自ら研修所のトイレを徹底して磨き上げていたそうです。凡人道を実践していないと生活はうまく回っていかなくなります。手を抜いて楽をしたり、人任せにしていると、生活のほころびが出てきます。生活のほころびは、心のほころびに波及します。一旦坂道を転がり落ちるようになると、勢いがついて途中で止めることは難しくなります。水谷啓二氏は、「我々神経質者は風雲に乗じて成功を遂げるタイプではない。毎日の生活を丁寧に行うことで成果を出すように心がけるべきだ。そういう生活を20年30年と積み重ねると非常に非凡な成果を生み出す」と言われています。これは「平凡道を非凡に歩め」という下村胡人の教えだったのです。三重野悌次郎氏は人生は雑事の積み重ねであるといわれました。雑事、雑仕事に丁寧に取り組み、小さな成功体験を積み重ねて、ささやかな喜びを味わう。それが人生を豊かに彩る基本だと心得て凡事徹底に邁進しましょう。神経質者は、ここが抜け落ちると後悔の多い人生になってしまいます。平凡を大切にした生活を心がけていると、「我が人生に悔いはなし」という心境に至るのではないかと思われます。
2022.12.07
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沢庵和尚は、「不動智神妙録」の中で、「もし1か所に心を止めて置くならば、そのことにとらわれて動きが用を成さなくなるし、考えれば考えにとらわれてしまう。だから、考えも判断もきれいに捨て去って、心を心の中の、1ヶ所に止めずに全身に行き渡らせることが必要だ。そうすることで一瞬一瞬の状況に応じた自在な動きがかなう」と言っています。武道の達人は相手が攻撃をしようと考えたとたんにわかってしまうといいます。どこを攻撃しようとしているかも瞬時にわかるので、達人はちょっと体をかわすだけです。それで凡人はあらぬ方向に飛ばされてしまいます。達人は、凡人と見方がちがうのです。どのように違うのでしょうか。凡人は視線を一点に向けます。対象の全体ではなく部分に注意を向けているのです。そのため相手の体のどの部分から動きが始まっているのかが分かりません。やっと大きく動いたところに気がついて「アッ、こう来るぞ」「よし、こう動こう」などと考えます。その間に軽々1本とられてしまうのです。達人は、見るでもなく見ないでもない見方で見ます。このような見方は、実は平常心で見る見方です。平常心とは、読んで字のごとく、平常であたりまえのことをあたりまえに、ありのままに見る心です。凡人は、相手のちょっとした動きに対して「こう来るぞ」などと注意を払う。これを武道では「居付き」というのだそうです。心がその場に居付くと、自由自在な動きができず、相手の動きに翻弄されてしまいます。私たちの日常生活でも、絶え間なく新しい出来事に遭遇します。そのつど「居付いて」いては人生ままなりません。世の中がままならないのではなくて、自分の心がままならないのです。これは特別のことではありません。誰でも毎日の生活の中であたりまえやっていることなのです。例えば、主婦が食事を作るとき、メニューが決まって台所に入れば、野菜を切りながら、考えもせずに味噌汁の火加減を調整しているでしょうし、野菜に衣をつけながら油に入れ、次々とてんぷらを揚げていく、その間にテーブルに食器を運ぶ。めまぐるしく、忙しく立ち回っているときは、流れるように心と体は協調して動いています。(セロトニン呼吸法 有田秀穂 高橋玄朴 地湧社参照)これは森田理論の「無所住心」の世界のことではないでしょうか。私たちがいったん何かに注意を向けてとらわれるのは日常生活の中では当たりまえのことです。行動に際しては、一旦真剣に注意を向けることは大切なことです。うわの空で他の事を考えながら注意を向けているとうっかりミスを起こします。ところが一点に注意や意識を固定し、いつまでもとらわれていると心と体の流れが止まります。これが問題なのです。自然はめまぐるしく流動変化しています。注意や意識を昆虫の触角のように四方八方に向けて、流動変化の兆しを掴み、変化に同調した動きをとるように心がける。気になる問題点をそのまま抱えて、変化の流れに乗り遅れないようにする。その流れの中で解決可能な問題を処理し、解決不可能な不安はそのまま持ち越していく。これが森田が目指している生き方となります。
2022.12.06
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医食同源、身土不二、地産地消という考え方があります。聞きなれない言葉ですが、森田理論に通じる考え方です。健康で長生きするためには、その土地で獲れたものを、工夫して料理をして感謝を込めていただくというのが基本であるという考え方です。欲しい食材を世界中から集めてきて、飽食三昧という考え方は、あまりにも短絡的であり、人間の進むべき道としてはお粗末ということではないでしょうか。世界の人口が90億人に迫るという予想がある中で、開発途上国から食料をかき集めるという考え方は如何なものか。こうした考え方や行動が、最後には自分たちに跳ね返って来て、八方ふさがりの閉塞状態に追い込んでいくのではないかと思っています。熊本県菊池市にある公立菊池養生園の竹熊宣孝医師は、「医は食に、食は農に、農は自然に学べ」と言われた。これこそ身土不二、医食同源、地産地消の考え方ではないでしょうか。健康問題は食事内容が大きく影響しているように思います。バランスのとれた食事内容になっているか。偏った食事や過剰摂取の問題はないか。旬の野菜や果物や穀物を取っているか。肉食などの動物性食事に偏ってはいないか。脂肪過多になっていないか。有害添加物を避けているか。私は家庭菜園を楽しんでいる。野菜との付き合いの中で、自然との付き合い方については考えさせられることが多い。種まきや定植の適期を誤ると作物は育たない。特にニンジンやほうれん草などは発芽しない。適期を間違えるとせっかく立派な苗を植えても枯れてしまう。霜の時期の見極めが大切になる。霜にあたるとすぐに枯れる。輪作体系を組まないと病気になる。あるいは収量が半減する。特にナス科の野菜は3年は空けないと連作障害が出る。土つくりには発酵鶏糞や発酵牛糞などの堆肥の投入が不可欠である。土は管理機やスコップで掘って団粒構造を作ることが肝心である。肥料では苦土石灰の投入が不可欠である。これを入れると酸性土壌が修正される。また、これらはマグネシュームやカルシュウムの補給につながる。窒素、リン酸、カリだけの化学肥料だけではダメなのである。カボチャやサツマイモなどはものすごく伸びる。それを考慮しないと野菜同士が込み合う。野菜には仲が良くて相性の良いもの同士の組み合わせがある。これを共生作物という。たとえばジャガイモのあとにネギを植えるとネコブ病菌が死滅する。ナス科のあとにイネ科の植物を植えると土壌改良になる。水やり、土寄せ、わき目かき、誘引、追肥、ネット張り、雑草退治をしないと育つものも育たなくなる。特に水やりは必須である。つまりペットと同じで、付きっきりで世話をしないと野菜がへそを曲げる。白菜、キャベツは寒冷紗で覆いをしないとほとんど虫に食べられてしまう。大規模単一作物の産地では大量の農薬散布で防虫している。農薬がふんだんに振り掛けられていると思ってほぼ間違いない。里山が放棄されるようになってイノシシ、猿、鹿、熊などが畑を荒らすようになってきた。囲いをしないと一晩のうちにやられてしまう。森田理論に「物の性を尽くす」という言葉がある。これはそのものが持っている能力や可能性を見つけ出して、居場所と活躍の場を与え、命ある限り精一杯生き尽くしてもらうという考え方です。私はこの考え方を自家用野菜の育て方に応用して、野菜の持っている力を存分に引き出してあげられるように心がけたいと考えている。野菜たちはものは言わないが、成育具合でそのことを伝えてくれているように思う。
2022.12.05
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緩和ケア医の大津秀一先生のお話です。解決困難な大きな病気を抱えて、「先生どうにか治る方法はありませんか」と聞かれた場合、「大丈夫です。そのうち治ります。一緒に頑張りましょう」と嘘をつくのはいけません。いつしか患者さんが現実と虚構のギャップで猛烈に苦しむことになるからです。またその人に寄り添って受容するだけでは反発されることがあります。例えば、回復不可能な相手との復縁を求めている場合などです。もちろん最初は相談者に寄り添い傾聴することが基本です。問題はその後です。「結局私はどうしたらいいのですか」「先生は何でも相談に乗ると言ったじゃないですか」と言われるような場合です。「その答えはすぐには見つけられないかもしれませんが、そのうちいつかあなた自身で見つけられるはずですよ」とアドバイスしても相手は納得してくれません。相談者は「なんだ結局何も教えてくれないじゃないか・・・」と反発してきます。救いを求めているこの方には、求めている答えと著しく違ったのでしょう。解決することができないような難しい問題の場合、正攻法で解決しようとすると、益々袋小路に入ることになります。神経症もこれと同じで、正攻法で対応しようと考えているならば、思ったような効果は期待できません。このような場合は、目標指向型アプローチを採用するとうまく作用します。「現実的な目標を立てて、それに向けて行動していきましょう」というアプローチをとるのです。大津先生の医療現場では、特に余命がかなり限られている方には、もはや問題解決を重視するやり方を推し進めると、その方の生活の質、生命の質を下げてしまうことになりやすいと指摘されています。問題解決を全く無視するわけではないのですが、それよりも上位に「目標指向型アプローチ」を置いたほうがうまくいくのです。「治ってほしいと私たちも願っています」「その一方で、今できることを考えてみませんか」「何をすれば一番いいと思いますか」「したいこと、やるべきことはありますか」「治るという希望も大切ですが、別の考え方も取り入れながら、並行してやっていきませんか」とお伝えし、その方のQOLを改善する目標を立てるのです。結果として、問題解決を重視した人よりも長生きした人を私は何人も知っています。「目標」を立てることが、生きる希望につながるのです。目標を持つことは、目の前の問題が解決できないというジレンマから苦悩者をすくいあげることにつながり、希望を抱くことができるようになるのです。(傾聴力 大津秀一 大和書房 参照)この考え方は、神経症の解決策を求めてやってきた初心者への対応方法として留意したいことです。最初は傾聴、共感、受容で信頼関係を作ることが大切です。その後ですが、「治ってほしいと私たちも願っています。それについては最大限の協力はさせていただきます」「その一方で、今できることを考えてみませんか」「何をすれば一番いいと思いますか」「したいこと、やるべきことはありますか」「治るという希望も大切ですが、それとは別の方法も並行してやっていきませんか」「2本立てでQOLの改善を図るというのは如何でしょうか」という流れに持って行くのです。私も初心者の頃、実践課題を作ってその結果を次の集談会でお聞かせくださいと何度も言われました。その当時は、神経症の克服と関係のないことをなぜしつこく言うのだろうと思っていました。今考えると、神経症に正面から向き合うよりも、QOL(生活の質、生命の質)を上げることにエネルギーを投入した方が、よほど治りがよいように思います。
2022.12.04
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ひすいこたろう氏のお話です。日本ではちょっとエッチな色ってピンクですよね。ピンク映画と言いますし。でも、これ、国によって違うんです。アメリカではエッチな色は青、ブルーになります。だから「ピンク映画」は「ブルーフィルム」下ネタは「ブルージョーク」と言います。スペインでは緑がエッチなるそうです。中国では黄色がエッチ。だからアダルト映画は「黄色電影」です。インドでの「イエス」のジェスチャは、日本の「ノー」のように首を横に振って、「ノー」のジェスチャは、日本の「イエス」のようにうなずきます。(常識を疑うことから始めよう ひすいこたろう サンクチュアリ出版)日本で常識とされていることは、世界では非常識とされている場合があります。私はシンガポールへ旅行したことがあります。驚いたことは日本で寒い冬がありますが、シンガポールでは1月2月でも30度の暑さです、その汗臭さを消すために、人の集まるところに行けば、香水の匂いがします。ホテルから外出する時はベットメイクをしてくれる人の為に、枕元に必ずチップを置いておく必要があります。これを忘れると大変なことになる。ガムを噛んでいて道端に吐き捨てると逮捕される。当然のことですが、自動車の通行は日本とは反対です。時間帯によっては通行制限があり、自由に乗り回すことは出来ない。その車が異常に高価だという。中古車でも日本の新車並だと聞きました。誰でもが手にすることは出来ないそうです。ほとんどの家には、主にインドネシア国籍のメイドがいるという。洗濯物は、物干し竿を家の窓から外に伸ばして使うのが常識である。日本のように夜一人で自由自在に出歩くことは危険である。シンガポールでは日本では考えられないことがあるのです。海外旅行に行くときは事前に予備知識を学習する必要があります。知らなかったでは許してもらえないことがあるからです。日本の常識を振りかざしても馬鹿にされるだけです。常識を過度に信頼するのは考えものだと思います。たとえば時代が変われば、全く通用しなくなることがあります。戦時中の日本人は、戦争反対を唱える人は非国民と言われていました。特高警察に逮捕されて拷問を受けていたのです。言論の自由が憲法で保障されている現代では考えられないことです。森田先生が講演される集会には特高警察が張り付いていました。もう少しのところで逮捕されそうになるところでした。森田先生は太平洋戦争が始まる前に亡くなられました。もし開戦後まで生存されていたとすれば、特高によって逮捕されていたかもしれません。本を出版しようとしても、検閲で削除される。出版を引き受けてくれる会社が見つからないなどということがあったのです。今現在常識とされていることは、国や時代が異なれば、非常識とみなされる場合があるという意識を持っておいた方がよいということだと思います。常識に振り回されていると、「かくあるべし」人間になってしまいます。
2022.12.03
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中谷彰宏氏のお話です。人生は1コマ1コマ撮影するアニメーションのようなものである。アニメーション映画は、止まっている写真をつなぎあわせることで、動いているように見えます。1枚撮って、少し動かせて、また一枚撮る。そういう作業を24回繰り返して、ようやく1秒です。たった1分の映像にするにも、1440回繰り返さなければなりません。他人から見て、とんとん拍子に成功している人も、1コマ1コマ、止まっているものを、コツコツつなぎ合わせているだけなのですね。(人を許すことで人は許される 中谷彰宏 53ページ)1分の映像が1140枚の写真から作れているのは初めて知りました。細かいこと、面倒なこと、根気のいる仕事を丁寧に積み重ねによって、人を感動させる作品が生まれているのです。この話は私たちでいえば、雑事や雑仕事を、わずらわしい、めんどうだ、やる気が起きないといっていい加減に取り扱っては、生活が停滞して、生きがいがなくなってしまうということだと思います。三重野悌次郎氏は、人生は雑事の積み重ねですと言われていました。自分の目の前の雑事の他に人生はありません。雑事の代表は家事です。炊事、洗濯、掃除、整理など家事は雑事の集大成です。時々、「こんなつまらないことばかりしている自分が情けない。社会から取り残されているようで肩身が狭い。社会に出てバリバリ働きたい」という人がいます。社会に出て働くことに反対ではありません。だが、家事を「こんなつまらないこと」という考え方には反対です。そういう人は、社会に出ても、雑仕事をつまらない仕事と思うでしょう。雑事に真剣に取り組めば、必ず興味が湧いてきます。森田先生のいうお使い根性で働けばすべてがつまらないのです。ともあれ、雑事に喜びを見出す人は幸せな人です。(森田理論という人間学 三重野悌次郎 白揚社)野球でいえば豪快なホームランを打つ人は世間の注目を浴びます。しかしこれはボールを遠くに飛ばす能力がなければできません。そんな能力がなくても、ヒットを積み重ねることは出来るかもしれません。打力は非力だが、守備ではめったにエラーをしない人もいます。あるいは、チームの士気を鼓舞することができる人もいます。自分の能力に応じて、毎日コツコツと努力を継続することが大切なのではないでしょうか。広島カープに今年引退した白濱裕太捕手がいました。打撃では実績はないのに、19年カープに在籍していた珍しい選手です。1軍の試合に出たのは80試合くらいしかない。その間、社会人野球からオファがあったが、カープ球団が断ったという。どこに魅力があるのか。興味が尽きない。白濱捕手は、ほとんど2軍です。その原因は打てないからです。でも解雇されない。華々しい活躍はないのに、なぜ契約してもらえたのか。彼のキャッチング技術は1軍レベルにあるからだそうです。2軍で調整する一流ピッチャーは白濱捕手を指名する。彼は物おじしないで、適切なアドバイスを送ることができる。そしてコーチと選手の間に入って、若手ピッチャーの相談にのっている。例え打力が非力でも、こういう選手は貴重なのです。自分の持っている能力や技術にコツコツと磨きをかけて、チームに貢献していく心がけは立派なものだと思います。
2022.12.02
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林成之氏のお話です。われわれ日本人は、幼いころから100点は満点だという教育を受けてきました。仮に、あるテストで80点を取れば、「あと20点も足りない。もっと努力しなさい」と言われて育ってきています。それゆえ日本人には、いつも満点から自分の現状の「点数」を引いて、あと○○が足りない」という判断をする「引き算思考」でものを考える習慣が根付いています。そのせいで、失敗すると過剰に落ち込んだり、前向き思考が弱いために他人の欠点を批判するものの、その解決策を考えられない、などの弱点を持っているように思えます。ですから、私は「足し算思考」を持ってほしいと思います。最初の出来が30点でも、次は50点、その後は70点となるようにレベルアップして欲しいものです。仮に100点が取れたとしても、そこは単なる通過点で、さらに目標を引き上げて挑戦し続けてほしいものです。(勝負強さの脳科学 林成之 朝日新聞出版)林氏の指摘は、森田理論で学習した内容と似ています。100点を理想として、自分のとった点数を見ると、間違えた部分が大きくクローズアップされてきます。普通は80点を取った人は、成績優秀な人だとみなされると思います。それなのに本人は、間違えたことが許せないのです。私はこういう考え方をする人のことを、「減点主義」と呼んでいます。減点主義は、換言すれば、現実否定主義のことです。自分を完全・完璧の考え方で塗り固めて、上から下目線で現実の自分を見下ろすと、欠点だらけに見えてしまいます。不足部分や問題点に焦点を当てて、非難、否定、軽蔑することは辛いものがあります。自分の不快な感情を払拭して、雲一つない日本晴れの青空を求めているようなものではないでしょうか。少し考えてみるとすぐわかることですが、生まれてこの方、親や学校や社会で教えた貰った教育が、観念優先の「かくあるべし」教育だったために、その考え方に芯から染まってしまっているのではないでしょうか。森田では、このことを思想の矛盾といって、神経症に陥る原因とみています。また葛藤や苦悩を抱えて辛い人生を生きていくことになるとみています。森田でお勧めしているのは、「減点主義」ではなく「加点主義」です。今現在は30点でも、50点でもよいのです。極端にいえば、箸にも棒にもかからない0点でもよいのです。そこを出発点と心得えて、目線を上に向けて、行動を起こしていけばよいのです。現在の問題点を見つめていると、課題や目標が明らかになってくるはずです。そういう気持ちで目標を追い求めていると、弾みがついて、100点を通り越して、120点、130点を目指していくことも考えられます。努力精進していく態度は、無限に広がってくるということになります。この場合は注意や意識が物事に向いていますので、自己嫌悪、自己否定することはありません。この考え方は、森田では「事実本位」「事実唯真」の考え方になります。森田理論の核心部分です。ぜひとも「加点主義」の考え方を、自分のものにしていただきたいと思います。
2022.12.01
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