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膝サポーターの作り方の質問をいただいたので、思い出しながら書いてみます。ぶうは、麻痺の度合いが高かったため、膝にはまったく感覚がありません。足は、モモから下の太さが、とても細いのです。サポーターの目的は、ハイハイで膝をひきずるため。傷ができないようにガードするためでした。市販で子供用の膝あてで、年齢オーバーしてもしばらくは使えました。でかくなって、さすがに幼児用が使えなくなってからは、トレーナーの袖を切って使ってました(#^.^#)大人用だったら袖口を足先にして、切ったところにゴムを入れて。ゴムは、幅の広いものが良いようです。ずれないように、と強度の強い細ゴムを入れたら、ひどい跡になってしまいました。感覚あったら、痛いかかゆいかしたと思います。子供用は、袖口を落として袖の上下にそれぞれゴムです。膝部分に強度を付けるなら、手芸屋さんで大きなワッペンがあるのではないでしょうか。あとは、柔らかい布を裏からガシガシとミシンで縫いつける…かな。私も自慢ではないですが、手先は超不器用! 悩みながらテキトーに切ったり貼ったりしました。それから、大人の肘あてを買ったこともありますよ。これは、「肘用」を「膝」に使うのですから、当たり外れがありました。なかなか障害具合は、それぞれオリジナルなので、どうカバーをしようか迷いますねー。試行錯誤して、これで行こうと思ったときには、体が大きくなっていることも(ーー)。これからどんどん行動範囲が広がって行くと思います。迷い悩むこともあるかもしれません。でも「世界が君を待っている」です。応援しています(^^)v
2011年07月02日
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昨日今日と余震は感じられませんでした。 どうなんでしょう…、うちの方はこの後…。学者さんたちは、まだまだM7~8あるかも、と言いますが、終にしてほしい! そうは生活に影響を受けなかった自分は何ができるだろう、と思います。 私として、今出来ることは、こまめに安心なところに募金をする。(駅前などでは、あきらかにあやしい「東日本大震災支援募金、お願いしまーす!」があります。いろんな人がいますから、こちらも注意しないと) それからぶうが読まなくなった絵本を、ボランティア団体に持って行きました。 「ぐりとぐら」のいくつかのシリーズ、「エルマーの冒険」、「ぼくは王様」、スウェーデン(たしか)のベスコフの絵本(シュタイナー教育者ご推薦)等々、親の思い入れを跳ね返し、読み聞かせもむなしく、ぶうがまったく興味を持たなかった絵本の数々です。 もういいかげん、読んでみようか、と言えなくなった本のかわいそうなこと・・・。 これらは、もしもう一度見たくなったら図書館に行けば良いのだし、親戚のチビちゃんも新しい本を手にすることでしょう。 ほこりを拭いて、記念撮影をして、スーパーの片隅に「被災地に絵本を送ろう!」と活動してデスクを置いている団体に渡してきました。最終的に6千冊以上集まったようです。「ぐりとぐら」が、誰かの心を少しでも温かにできたらうれしいです。うちにいるよりこれらの絵本もずっとうれしい! それから、一番心に置いているのは「忘れない」です。今起きている事実も心もです。 3・11の未曽有の大災害のことはもちろん、計画停電、暗くて棚ががら空きのスーパー、200キロ先の福島原発の影響で水が大変、野菜も出荷停止といった自分の身の回りの生活のこと、これからどう復興するのか、原発はどうなるのか、等々見たことを、忘れずずっとしつこいほどに語るのです。うるさいばあさんだと言われても、伝えるのです。 これが出来るのは、高校生以上、被災していたら中学生まで。あとの世代へ引き継ぐ最重要責務を負っているのです。自分はもう忘れやすい世代だし、今の10代に超期待です。 そして、家族も家も失ったたくさんの方達の悲しみ、亡くなったたくさんの方達の無念、忘れない。 本当にあまりに失った規模が大きく、福島の原発は先行きどんどん不透明で、あんなに離れてるのに影響があったりで、まだまだ不安なのですが、とりあえず少し「出来ること」自分なりに、してみてるのでした。 そうそう、ぶうの学校にも福島から転校生がやって来ましたよ。ウェルカム! ともに歩もう!です。
2011年04月21日
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今年は咲かなくていい!という気持ちでしたが、否応なしに、季節は進みますね。桜、満開。いつもならちょうちんが飾られ、エンドレスの演歌が流れ、たくさんの人が集まって、飲めや歌えの大宴会・・・という桜の山。今年はひっそり、静かです。渡る風とうぐいすの声だけが聞こえてきます。停電は、暖かくなって中止になりましたが、実施中は、車の移動は怖いし、買い物と思ってもお店がやってるのかどうか(大きなスーパーは閉まってしまうので)わからず、住んでる地区から出られない、という感じでした。うちのところは、計画停電から外れて(大きな鉄塔がある?なにか重要らしい)、「あんな田舎の住宅地が停電しないなんて」とひんしゅくかってました。道一本むこうの小学校やショピングセンターが停電してるのに申し訳ない!と思いつつ、寒いとそーっと温かくしてしまいました。ごめんなさい!スーパーのペットボトル売り場はまだ、「水は一家族一本です」とか「母子手帳のある方のみ」。うちは、みんなでかいし、もう私なんか蓄積しても関係ないので、水、特には買いません。そのほか、ヨーグルト、納豆がだめですね。「納豆食いてー!と話したんだ」、とぶうが言うのです。高校生が、納豆食いたい…。21世紀で聞くとは…。野菜は、産地によってはやはり売れ残ってます。照明は暗いし、棚はすかすかで、昔のいわゆる「東側の国」みたいです。本当に戦時中みたいだと感じる今日この頃です。ぶうたちは、授業中、マナーモードにしてある携帯が一斉に「地震警報」を鳴らすそうです。教室中に、学校中に地震警報がなり、全員、先生も一瞬揺れを確認し、「ほーっ、大丈夫」。一度は部活中に震度5でした。ゴーッと最初の一音で、全員演奏やめ、シーン、グラッでざっと机の下へ入ったそうです。地震慣れ~!スーパーへの道で、歩いてる人みんなから警報が聞こえたこともありました。ドラマなんかでしか、もちろん見てませんが、まるで「空襲警報」みたいです。震度4や5では、電車は止まらなくなりましたね。揺れが日常でしょうか。学校は、普通に行っています。部活もあります。でも、いろんな行事が中止になり、この先も予定がわかりません。停電、夏が怖いです。福島原発、まだまだ先が長そうです。あの日の前と後、生活も心も私の周りは同じに見えて違う…不思議な日常です。
2011年04月16日
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ぶうは、2歳から市の肢体不自由児母子通園施設に2年間通っていました。 ここでは、母子でふれあう体操とか、大きなトランポリンとか天井からつるした巨大ハンモックに入るとか、わくわくすることがたくさんありました。 ただ、ぶうは、歩行はなかなかむずかしいものの、それなりの成長があり、同じ年頃の子の刺激がもっとほしいかな、と考えるようになりました。 3歳頃のぶうは、歩行困難に加えて言葉も遅れておりましたし、手先は二分脊椎児によく見られる不器用さを超えて「訓練が必要」とされるレベルの動きの悪さでした。 目で見て、それを手に伝える度合いが極端に阻害されてるのです。例で言うと、大きなリンゴの絵があると、「リンゴだ」とわかるのですが、これが2ピースにわかれると付けることができないのです。大きなリンゴの絵が二つに分けたらわからない・・・、大人には理解出来ない世界でした。 クレヨン持てない、ボタンの意味が分からない・・・影響は生活にも及びます。 通園施設も心理の先生も、 「やるべきことはたくさんある、まだまだ成長過程」と言ってくれてるのが救いでした。(でも中には『だいたい最初のレベルで決定する。このレベルの成長以上になるとは思えない』という心理の先生もいました。だから何人もの方に精神発達は診てもらいました) その「やるべきことのひとつ」は、保育所に入ることでした。 保育所は、いろんな年齢の子がいます。ぶうのように歩けなくても赤ちゃんがいるし、排泄障害のぶうのようにおむつの子もたくさんいます。 ハンディがあっても、違和感が少ないのでは、と考えました。 それからなにより、中にいる時間が長い。ぶうに重要なことは、生活力をつけることでした。 着替え=ボタン、ズボン、靴下そして靴も、大きな課題でした。これができないと、子供の最初の社会生活はひとりではできない、かなり手が必要になると感じました。 手の右へ左への動きがスムーズでない(本当に不思議です)ぶうには、たとえばボタンは片方から押して穴に入れて、もう片方の手の指で引っ張るという高等技術。わけわからないのです。麻痺した足に靴下・靴を自分で履くのはまたまた至難の技でした。 その他、いろんなこと…クレヨン持つとか粘土こねるとか、人の言う事理解するとか、その年令並みの普通のことが、届きそうで届かない、親からみるとはがゆい状態のぶうでした。 これらを、時間がゆったりある保育所で、周りから刺激をもらいながら習得したらよい、というのです。 リハでは、歩行訓練のPTに加えて、手先のことや目で認知する訓練のOTも受けていました。同じ年頃の子供たちの中ですごすことが一番の刺激で、訓練の効果も上がると期待されました。 それが、幼稚園だと、同じ年齢のしかも規定の枠に入る子供たちが集められています。理解のある園だとしても、幼稚園にいる時間は、保育所に比べるとかなり短いです。 よって、希望は保育所でしたが、当時うちのほうの自治体の保育所の状況は、障害児は軽度知的障害まで。肢体不自由は絶対だめ。クラッチでさえ認められない というひどいものでした。 肢体不自由児は、幼稚園もなかなかない・・・、受け入れてくれる、そして車でなんとか通えるところは隣町のカトリックの幼稚園だけでした。 というわけで、ぶうは、幼稚園に行ったのです。「愛」のあふれる園でした。 はっきり言って、つらかったです。つらかったのは、ぶうより母だったかもしれません。それはフリーページに書く予定です。 幼稚園で遊んだあと、よく遊ぶ約束をしていました、みなさん。ぶうは一度も誘われたこともないし、本人が「遊びたい」と言ったこともありませんでした。仲間になる、はなかなか難しい、と感じていましたから、園から出たあとは、他の園児と遊ばせたいとも思わなかったのですが、もう少し保育時間が長ければ、遊ばなくても、いるだけで刺激はもらえたと思うのです。そのへんも、ぶうには保育所がよかったなーと思うところです。 それぞれ、親の考えや思い、お子さんの状況、それに幼稚園でも保育所でも方針等ありますから、なんとも言えませんが、ぶうのような子には、少し長い時間の保育が欲しかった・・・でした。
2011年04月07日
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あの大地震、11日金曜日、14時46分からもう一週間がたちました。 あんなひどい揺れは初めて。 最初「ん?地震?」とゆら~と揺れ始め、ゆっくりゆっくり船のように傾くのです。すごく長く感じました。家中が悲鳴を上げるのを始めて聞きました。 テーブルの下が一番安全といつも言っていたのに、あわててるぶうは倒れるかもしれない本棚の影に行ってしまって、「ぶう!そっちじゃない!!!」と叫んで引き戻し、私も、まじでテーブルの下にもぐってガシャガシャ家や外が叫ぶのをぶうとしがみつきあって「信じられない!すごい!すごい!」と耐えていたくらい長かったのです。 能天気な関東育ちのうちの家族には、何もかも初めての体験です。幸運なことに、うちはライフラインも問題なく、家族も親族も無事でした。 11日は、ぶうはたまたま定期テスト期間中で早帰りでした。いつもでしたら、授業か部活動で学校にいる時間ですから、帰れなくなったら、彼に必要な排泄セット(カテーテル、紙パンツ)が足りず、私が徒歩で25キロの道を歩いて届けるしかなかったと思うと、本当にラッキーでした。 市内ではたくさんの生徒・学生さんが帰れず、学校に泊まったそうですから、他市他県の学校に泊まったお子さんもたくさんいたことでしょう。 おとうは、帰宅難民に。会社泊でした。おとうの勤め先は、地区一番の昭和のぼろビル、なんでもなかったのは奇跡です(^^;。ほとんどの社員が難民になりましたから、すぐコンビニに行って食料をキープし、まあまあ恵まれたほうだったと思います、帰宅難民のなかでも。 近所の女性でたまたま東京に用があった方は、東京駅の近くのビルの壁にもたれて座り込んでいたら、見かねたホテルがロビーに入れてくれたそうですが、みるみる人が増えて、殺気だってとても怖かったそうです。 津波の被害は、私の脳の理解の器をはるかに超えるものです・・・。さらに長野・新潟、静岡でも大きな地震。ここも震度4クラスの余震が続いています。さらに大きな地震の可能性もテレビでは、プレートの図を見せながら解説しています。 福島原発は次々と壊れるし。 いったいどうなるんでしょう・・・。地球規模の大陸大移動期なんでしょうか・・・。 スーパーは、入場制限が出るほどの買出しの人、ホームセンターでは災害に少しでも関係ありそうなものは何一つ残っていません。トイレットペーパーが高く積んであったのに、がらんと棚があいています。 今は、かならずお風呂には水をたっぷり入れた状態にし、キャンプ用18リットルタンクにも水キープです。懐中電灯も枕元においておきます。 月曜日からははじめて聞く「輪番停電」。おとうは、帰ってきたら今度は輪番停電の影響で「通勤難民」です。私鉄もJRも突然すべてストップ。会社に出勤できたのは5分の1くらいの社員だったようです。車もガソリンが足りず、出せないのです。 「次の日は、休むわけにはいかない」と電車が動いている駅まで20キロ、「自転車ででも行く!」と言ってましたが、朝8時まで~夜8時からという不思議なタイムテーブルで電車が動くことになり、通勤はしています。ぶうは、もうずっと休校です。 実際の停電がおきると、道路は怖いです。信号が止まります。大きな交差点はおまわりさんが立ちますが、小さなところはそのまま。ほとんどがゆっくり、譲り合いで進んでいますが、中にはカリカリ右折、左折突っ込んでくる車もあるんです。(男性が多いです) ガソリンは泣かされています。開店一時間前には並んでいます。おとうが並んで、貴重な満タンに一度しました。もうあとは大切に大切に、です。 家族は無事で、家もあります。被災されたり、原発の危機から逃げている方々のつらさ、悲しさには、言葉もありません。どうしたらいいんでしょう。 どうか少しでも暖かく!一人でも多く無事で! どうかこれ以上何もおきませんように! 少しでも良い方向に歩めますように!
2011年03月18日
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ここのところ、ぶうの部活ブログの整理でこちらがおろそか・・・。こちらが本家なのに(^_^;) 先週・今週とぶうのおなかに久しぶりに振り回されました。小学校以来かも・・・。 前日から「気持ち悪い~」。そして、洗腸してもどうも出が悪い・・・というような朝方、「おかあ!」の悲鳴! ぶうのベッドに行ってみたら、みごとな大ゲロッチョ。口の周りから回って耳の中、首の後ろ、パジャマ~下着~シーツ~毛布等々吐き散らかっているではありませんか!ワアォ! 「だずげで~」というぶうを、しばし遠くから見てしまいました・・・。我が子ながらきたないもの・・・。 急遽、お風呂を沸かして全身洗いましたが、背中からお尻までゲロリンが回ってましたよ。 熱も出てきて、近所の医者に行ったのですが、「感染性胃腸炎」とのことで、熱冷ましと吐き止め、胃腸薬等いただきました。 これは、2日ほどで熱もさがり吐くのも止まったのですが、今度はUNKOが出ない。「張って苦しい」というし、浣腸を使いました。 でも、出ない!なんで・・・。次の日、去年の「糞詰まり騒ぎ」を思い出して、午前中と夕方、二回チャレンジしました。3時間も4時間もトイレにこもって、褥創のほうが気になるくらい座っていましたが、本当に出ません。おなかがプンプンとはじけるくらい張っています。 熱もないし、とりあえず学校に行かせて、ぶうはおなかがつらいと、おへその上にサロンパス貼ってしのいで・・・。 ここはやっぱり、小児医療センターしかない、と緊急予約で連れて行きました。・・・と学校でポロッ、ポロッとコチコチの固まりが3個ほど落ちたそうです。(メールで「固い固まり3コ出た」と報告きたのです) 先生によると、感染性胃腸炎の症状として、胃から吐いて、その後腸が動かなくなってしまうことがあるのだとか。そうすると、浣腸などしても腸が動かず、なかなかすっきりはいかないのだとか。ガスがたまって苦しいのを、痛み止めとかでこらえて腸の回復を待つのだそうな。 その通りの症状でした・・・。でもやっと、3コが落ちて動く気配。「もうこれで出ると思うよ」と先生。ありがたや~。普通に近所のクリニックでも大丈夫な症状だったらしいのですが、忙しい先生に緊急に診察入れてしまっても、「大丈夫だよ。気にしないで」と言ってくださる!(だって、もういい加減でかいのに、申し訳ないのです) やれやれ・・・。 ところで、ここでも気になったのは、腸のたまり具合を見るのに撮ったレントゲンに映る背骨のひどい曲がり・・・。人間の骨がこうなる?というくらいひどい。いろは坂みたい・・・。 これはまた後で考えなければならない問題・・・と思われるのでした。
2011年02月24日
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冬の定期健診パート2は、ひとつは、6月に大問題になった排便。 何ヶ月にもわたって便が出てなくて中でコリコリになってた事件。入院を勧められたものの、絶食と洗腸パックからの下剤注入で何とか出して、その後、順調とは行かないけれど、ほぼ毎日の洗腸(2日飛ぶことも)で、「事件」のようなことは、その後なし。 1~2ヶ月おきにレントゲンで腸の状態をチェックしてきたけれど、今回、これにて釈放!後はいつものように半年に一度でよし、となりました。「排便記録」は、一応つけるんだけれどね。 何年も会ってなかった、二脊先輩ママ(ママの年はずっと下なのさ。二脊ママ歴が長い)たちに会いました。 ぶうの便のトラブルのことを話したら、それですんだのはラッキーだよ、と言われました。中には腸の中で石状態になって、手術に至った子もいるのだそうです。 ・・・そうか、まだよかったのでしょうかね。 話題になったのは、「膀胱拡張術」のこと。このとき会った高3の二人も、あの子もこの子もやってるんです。結構大変な手術と聞きますが、今ここでやっておかなかったら、先々膀胱~腎臓がだめになると予想されるケースが多いんですね。 感染を繰り返して、薬が効かなくなるとか、感染で何度も高熱出したとかいうお子さんが、中学~高校くらいで受けているようです。中には、まじめに導尿してて、一度も感染にひっかからず、もちろん熱も出したことのない子が、何年かに一度の膀胱検査で膀胱圧が高くなっていることがわかって、手術になったそうです。(まじめにやってて・・・とむなしくなります。本人は号泣だったとか。当然ですよね) 幸い、みんな術後の経過は順調で、熱は出さなくなったし、思ったほど後のケアも大変でなく、ドライタイムも長くなって「やってよかった」そうです。 この担当医は本心、『嫌い』なんですが、どうしても専門だし、腕はいいんだし、頼らざるおえない・・・んんん・・・やっぱりにっこり笑ってやりすごしかない、が結論です。 ただ、今は良い薬ができて、膀胱がひどくなるケースは減っていくと予想されているのだそうです。なんか、損な年代?ぶうはバップフォーとケフラールを毎日飲んでますねー。バップフォーは膀胱の状態を保つため、ケフラールは抗生剤です。どうなんでしょーねー。 心配で、診察のとき聞いてみたけど、2年前の検査で問題はなかったとのこと。今年中にどこかに検査を入れるように、とドクター。「はい、わかりました(^^)」と笑顔しました。なんかもっと、可能性とか言ってほしかったけど、あいかわずイライラマンなので、さっさと退散。 そうそう、膀胱拡張術のオプションで、盲腸(たぶん)のところに穴を開けて、そこから温湯を入れて腸の中を洗い流す、順流洗腸ができるようにする手術をやる子も多いのだとか。 んんんー、何もかにも「手術かよ」と思ってしまうー。 一生懸命高校に通って、部活と勉強とがんばってる生活に、一ヶ月以上の入院ー、側湾にしても膀胱にしてもー。 どうしたらいいのさー。
2011年02月01日
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1月、先日冬休みの間に「側彎外来」に行ってきました。 前回80度以上の曲がりで青くなり、今回はおとうもいっしょに。 結果は77度。微妙に前回より少ないけれど、なんら変わりなし。進まなかっただけまし? 前回手術したところは、予後良く問題なし。けれど、その上も下もくねくね。ゆがんだ骨盤の上にまっすぐの脊椎・・・そのバランスをとるためにその上は曲がっていく・・・? よって、勧められる手術は骨盤から胸椎までつなげてしまう。欠点は「下をむきにくくなる」だそうな。排泄はどうなるの・・・。 「たとえば40歳代の状態が今の状態だったら問題はない。でもまだ16,7歳では、これから先さらに曲がる可能性大。肺のダメージがあるだろう」と、ドクター。 「手術はもうしないよ。曲がっても大丈夫だ」と言ってたおとうも、「うーん」とうなるしかないのです。 一ヶ月以上の入院・・・。手術が解決してくれるのか。現に前回の側彎は、その場しのぎなだけだった・・・。すごく身も心も、お財布も大変な思いをした手術・入院だったのに・・・。 こうして、なかなか一般の人のペースで生活できないようになってるのかな、とちょっと悲しい診療結果でした。
2011年01月24日
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2010年の末に、ぶうの所属する吹奏楽部の「定期演奏会」がありました。写真は、そのポスターです。 みんなで撮っても、一目どこにいるかわかる! ラッキーなところかなー、車いすの。 もう47回を数える「定演」で、その歴史の中には、浮いているときも沈んでいるときもあったようです。ぶうたちは、沈んでいるときに「楽だよ」と誘われ入ったら、鉄人指導者がやってきて、とんでもないジェットコースターに乗せらた、という学年です。Bクラス中位から一挙にAクラス上位に上りました。 思ってもいなかった、「毎日部活」の生活になり、定期演奏会の前は、毎日、土・日も8時すぎまでの練習でした。(でも、テレビに出るような市F高校は金土日学校に泊り込んで定演は準備するのだそうです) 今年も、厳しかった・・・。そして、ぶうはそこそこの参加・・・。「全部やりきりました!」とか大声では言えません。でも去年は、気胸で「エア」参加でしたが、今年は全部音を出して参加できました。 演奏、ステージドリル、劇と、去年よりも格段に(去年もセンセイショナルな出来上がりだったのに)技術がアップしたと、大きな拍手をもらいました。その中に、形はどうであれぶうがいたことは、やっぱり感激です。すばらしい音のひとつはぶうが担っている、というだけでうれしい! やれやれ、ここまでやっと来たぶうです。どこかに合同練習で行くだびに、トイレのこと、移動のことで部員に世話になり、洗腸のために部活動を早退し、車いすのためにパーカッションなのに、ティンパニーもドラムも琴類もたたけず、「どうなの」という部員ですが、なんとか一員です・・・。あと一年だ・・・。(もうすでにさみしい母)がんばろうぜ。
2011年01月12日
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ぶうたちの高校の修学旅行、空港まで車で送ったついでに、搭乗まで見ていました。 ぶうの通う学校は、進学高ではなく就職する子が多い学校です。そのため、服装や頭髪にはことのほか厳しい。 入って感じたのですが、これは本当に正しい指導です。この学校で、「身だしなみは自主判断で」としたら、もうすぐ、マントヒヒと野猿の群れになることでしょう。 ズリズリの「腰パン」(半分さげてパンツみせるやつ)やパンクな髪、てんこ盛りの化粧、限りないミニスカ等々、こういうかっこしてる子たちは、だいたいが口半開きで、アンニュイなやる気のない表情をして、仲間と群れています。 これは、身に付いて染みつくのです。3年のさあ就職、というときに急に整えても、その表情、歩く姿勢ににじみ出てしまうんです。 だから、何度も服装・頭髪検査があるんです。制服に手を加えたら、家に連絡が行って、買い換えです。門から帰される時もあります。でも、それは受験案内で何度も「この学校は、規則は厳しいです」と言ってるんですから、承知で来てるはずです。「厳しい」のは有名だし。(でも、指導はするけど退学はさせません) よって、修学旅行は私服が許されてますが、事前に何度も「制服をきちんと着られない者は、連れて行かない」と検査がありました。髪型をどうしても学校と折り合わず(どんな?)「行かない」宣言した子、どうしてもズボンを下げたくて、「連れて行かない」と宣告された子、何人かいたそうです。 そういう厳しい指導を受けて羽田に集まった子供たちは・・・。 うわー!だぶだぶのジャージ黒の上下、やたらきっちりした髪型があちらの方を思わせる・・・。逆にぴったりした黒ジャージだけど、袖口・襟・ポケット、肩から斜めのラインがショッキングピンクでキラキラしてるー。ラメ?スパンコール?男の子が着てるんだけど、どこで売ってた? ずりずりのズボンにTシャツ、後ろに金で刺繍があるよー、龍かな、と思ったら「恐竜」だった…。 またこういう子たちは同じ趣味で群れるから、目立つのよー。 そして、なによりびっくり! あんなに厳しい頭髪検査を経たあげく、この日「モヒカン」で来たやつ。頭のまわりはカミソリで剃ったくらいぺかぺかで、頭の真ん中、日の丸みたいな丹頂鶴みたいな・・・直径10センチくらいに丸く 刈り残してあるんです! 「どうするんだろう」と思っていましたら、生徒たちに搭乗手続きのことや手荷物のことを説明している柱の陰で、先生5人くらいに囲まれて「何やってるんだよ!」「これですむと思っているのか」(たぶんこんなこと言われているのでは)とこづかれていました。すぐ彼は、生徒たちの中からつまみ出されたので、柱の陰の出来事を知らない生徒がほとんどらしいです。 もうここで帰されるのかなーと思いましたが、一応旅立ちました。後日聞いたところでは、到着してすぐ、那覇の床屋さんで「●」を刈りとったそうです。 なんかやってみたいんだなー。わからないじゃないけど、「ここでやれば、何も言われないだろう」は、なかったなー。 そんなこんなでも、無事に帰って来ましたよ。帰りは女子が、化粧してた!ピンクのミニスカはいてピンヒールのサンダルの子もいた。やってみたいんだねー。 まあ、次の日からはまた、市内一のださい制服姿になるんだから、つかの間のおしゃれだにゃ~。 ガラが良いとは言えない学校だけど、頭の良い子がたくさんいた中学よりこれが暖かいんだなー。ぶうにはあっているのだー。
2010年12月10日
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先月のことですが、ぶうは修学旅行に行ってきました。 目的地は沖縄! by飛行機です! 写真は羽田空港。集合前のぶうたちです。右のはじにいます。友達と楽しそうにおしゃべりしています。 おとうは半分(本当は8割くらい)、沖縄までもついていくつもりだったようです。中学の時は、ほとんど二人旅に近かったですし。でも、学校側は最初からまったく「親が」という声はなく、「連れて行きますよ」と元気に担任も言っていました。 沖縄は、新しい観光スポットはもちろんバリアフリーですが、大きなウエイトを占める「平和学習」は、実際こもった鍾乳洞に入りますし、飛行機は別行動ですし、自分の大荷物は持てないし、中学だったら当然親の手を求められ、皆と同じ行動がとれないのは、「迷惑」と言われていたことでしょう。 なんの不都合もなく、行ってきました。先生が撮ったスナップ写真は、みんなうれしそうに笑っていました。移動も、排泄もお風呂も、見学できない時も、先生と友達に助けてもらって、3泊4日を旅してきました。 わざわざのように、自由行動時間はすべてサイクリングだった中学時代とはなんと違う! 結局、仲間と思うかどうかなんだな、と思いました。(「仲間」に線を引くのは、やっぱり心が貧しいよ) 「仲間」かどうか・・・これは難しい感覚かもしれません。今、ぶうの環境が「良し」、よってうれしい。というところです。先は、わかりません。心を柔軟に。「絶対」はないんです。 サービスショット。ぶうの飛行機を見送くりに、展望台に出たら、たくさんの女の子。お目当てはこれでしたー。ぶうたちは、この隣の飛行機だったんですよ(^^)。
2010年12月01日
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21日は、ロッテの優勝パレードでした。 5年前、パレードは見たものの、紙吹雪は見逃して悔しい思いをしたリベンジ、かないました! マンション団地の中の通りをマリーンズの選手を乗せた車が通ると、上から自治会の「パレード実行隊」が準備した古新聞製の紙吹雪が大量にまかれました。 あらかじめ滞空時間を実験し 、求められた大きさというだけあって、見事!青空に散る散る~! これは西岡選手ですよ。日本シリーズ進出で泣き崩れたキャップテンです。次は大リーグ入りを宣言してますから、どうしても「行かないでー、ニシオカ!」「ツヨシー!戻って来いよー」とコールされるので、ちょっと寂しい顔。なかなか大リーグで日本人選手がやっていくのは大変だと思い知らさせてる昨今、剛にはがんばってほしい! よかったー、優勝パレードは、本当に華やかでみんな笑顔でいいものです。 こんな晴れやかなところへ、一番のファンのぶうは、来てません(-_-)。ひとつに、検定試験がありました。すでに一度落ちて、再チャレンジ(これは、またとてもできなくてすぐ再々チャレンジが決定しまいた)。そしてそのあと定期演奏会目指して激闘吹奏。(「パレード行きましたなんて言ったら殺される」とのことです) おとうは、職場の運動会。「何でこの寒くなった時に?」と思いますが、わかりません。でも、一度すたれた職場の交流復活戦略らいしです。 よって、私は野球大好きおばさんの友と二人、ロッテのユニフォーム着て、パレード、スタジアムとうろつき回ったのです。 でも、どこもかしこも満員電車並みの込みよう。ぎゅうぎゅう人の背をみながら、「優勝報告会」、グラウンドに降りてのトークステージなど、友達と堪能しました。こういうのって、ぐずる子供とか、ならぶのがいやなだんなと一緒だと無理。私も何度も「もう帰ろうかー」と言ったけど、友達の「ちょっとのぞいてみようよ、せっかくだから」の声に何度もひきずられ、結果大好きな里崎や渡辺俊介選手を間近で見られて、結局大感激だったのでした。(写真=左から大松、里崎、俊介、神戸) ぶうは、再来年(来年はやっぱり定期演奏会で忙しいでしょうから)に期待しましょう。 この日、9時半から4時すぎまで降りまして、つけていた万歩計は「20000」を記録してましたー(^_^;)。
2010年11月26日
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ここのところ、ぶうの吹奏楽部の応援父母の会の活動に追われています。 吹奏楽部のブログを、立ち上げました。会員のみが見るページですが、連絡事項やステージ、コンテストが続いて、けっこう大変。この一週間に、地区音楽祭、日本管楽合奏コンテスト、定期演奏会むけて父母の会打ち合わせ、プログラムに乗せる広告とり、なんだろ、この忙しさ。 定期演奏会は12月。ぶうたちは、前にもまして厳しく練習に追われています・・・でも、またすぐに不調。もう永遠の低空飛行です。 まあ、母が少しはそれをカバーしようと、がんばっている…の図でしょうか。
2010年11月09日
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ロッテが、まさかの日本一になりました(^^)。 パの3位にだって、日ハムと壮絶な争いをして、シリーズ最後の最後で決めたんです。消化試合なんて一つもなかったんです。 もう宿敵日ハムを倒しただけでも(マリンスタジアムに応援に行って、目の前で優勝を決められたことがある)「でかした!」だったのに、西武までやっつけてソフトバンクと対戦するなんて・・・。 去年は、バレンタイン監督やめるやめないで大もめ。外野席に「死」とか「殺」とかいやなカードを掲げる人たちもいて、西岡は「子供たちも見ているんだからやめてくれ」と涙ながらに訴えたら、激しい罵倒とブーイング。それを止めようとするファンもいて、厳しい警備の下でシーズンを終えた苦い年でした。 だから、ソフトバンクに勝利した時、西岡はその場でうずくまったんです。本人は「泣いてない」と言ってますが。 日本シリーズに出ると決まった瞬間、あまりの驚きで選手たちは、完投勝利の成瀬に駆け寄ることも忘れて、それぞれのポジションで泣き崩れていたんです。 今回は、ちゃんと締めの伊藤に駆け寄ってハグの嵐でしたね。 ファン仲間の友人に「パレード(優勝の)行こうよ」と、日本シリーズの前に言ったら「相手は中日だよ。落合さんには勝てないよぉ。西村さんはロッテの後輩なんだから・・・」と言ってたんですよ。この友人は、土曜の引き分けに疲れ果てて、日曜に4点ひきはなされたところで、「あしたあした。今日は決まらないわね」と早くに寝てしまったそうです・・・。 朝起きたら優勝してた! 土曜日は12時近くまでの延長、日曜も延長。部活で遅いぶうも、おかげで十分応援できました。 でも、月曜日は「ふらふらする・・・」って寝不足もいいところ。野球見てて、学校行けないなんて許されない!とっとと行け、と追い出しました(^_^;)。 ロッテのいいところは、苦労人が活躍してるところ。最後の決定打を打った岡田は育成だし、清田も社会人出身だし。 これからたくさんの選手が、FAや大リーグに行ってしまうらしいんだけど、それもよし。ロッテの雑草スピリットは、苦境に超強いのです。 来季はもっと楽しみ!
2010年11月09日
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あーーん、どんなに目をこらして見ても、一枝一枝チェックしても、いない(T_T)。 一匹もいなくなってしまいましたぁぁぁ・・・。 あれから、よーーく見たら、木に5匹もあおむしくんがいたんですよ! 木のそばに立って耳を澄ませたら「シャリシャリ」と、葉っぱをみんなで食べる音が聞こえたくらい。 でも、ある日、どうしても「3匹しかいない・・・」。 次の日、「二匹になってる・・・」。 雀やムクドリでは、大きすぎて食べられないと思うのです。ここ何日かで、モズの「キイーー」という鳴き声が増えてきました。(この声を聞くと秋が深くなった・・と感じます) 犯人は、やつらじゃろ、と思っています。 とうとう一匹になって、「おまえだけは無事にサナギになっておくれよ」と一日に何度も「いるいる」とチェックしていたのに、とうとうこの朝・・・。一個のフンも落ちていませんでした。サナギも見あたりません。 どこぞのモズの、朝食になったのでしょうか・・・。 さみしいわぁ・・・。
2010年10月25日
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うちの、ヤマボウシにいるでかアオムシくん、元気ですよ。 そして、今日、またまた大きな発見をしました、ワタクシ。 なんと、アオムシは、1匹ではなく2匹だったのです! 枝先にいたはずのアオムシが、あっという間に離れた葉陰にいて、「一瞬でワープ?」と思いましたら、まだ枝先にもいました・・・・。もしかしたら2匹でもないかも? でも、とりあえず、二匹確認です。 調べたところ、(これは大変でした。ネットでアオムシ、毛虫の画像を見続けたんですから。『ぎゃーっ 許せない!』の連続の中から探し出しました)「オオミズアオ(ガ)」の幼虫らしいのです。蛾の一種とはいえ、成虫は青白い絹の布のような羽の持ち主なのです。 ヨーロッパでは、「月の使者アルテミス」呼ばれてるとか・・・。 サナギで越冬するらしいのですが、町内の庭木への消毒剤散布もあるし、どうしましょう。ただいま思案中です。
2010年10月13日
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今日、たった今のこと。 うちのヤマボウシの枝に! いたぁ~! はらぺこあおむしくん。 すごくないですか? 体長優に6センチはありますよ。後ろの白いのはケイタイです。大きさがわかるかしら、と思いましていっしょにとりました。 どちらの子なんでしょう。 数日前から、なんかうちの前に黒い粒がいっぱい落ちていたんです。はいてもはいても。虫のフンにしては大きい・・・。なんかの実かなあ。でも、今実をつけるものがうちには見あたらないのに・・・と思っていました。 こいつのモノに違いありませんぜ。フンですな。 でも、すでにヤマボウシは、葉が枯れてどんどん落ちてる状態です。気候もいくら高いと言っても、間違いなく冬に向かっています。この子はこれからどうするんでしょう。 さなぎで越冬?こんなでかくて、寒い面積多そうだけど・・・。
2010年10月08日
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ぶうの部活が、東関東大会にでることになって、ただでさえあっぷあっぷだったぶうが、大波のなかの難破いかだのように「いつ沈むー!」状況になって、一か月。猛暑の時は、三日に一日はダウン。必死で朝から晩まで練習してるメンバーに「すみません、すみません」なんだけど、動けないくなっちゃうんだから仕方ないです。でも、ぶうとしてはがんばりましたよ。最後の一週間は、車で送り迎えしました。体力と洗腸の時間確保のため。 やっと終了しました・・・。 結果は銀賞でした。 「マーチング」初出場ですから、上出来です。同じ県勢は皆「金賞」でしたが・・・。 そして昨日は、学校に行ったものの、ひどい腹痛で授業に出ず、ずっとトイレ。日曜の大会のために前日から宿泊、帰りも遅くなりましたから、2日洗腸せず。それまでも、遅くなる帰りのため、とびとびで時間があまり掛けられてません・・・。月曜にしたものの、十分ではなかったかと、私は洗腸パック持って学校へ。 2時間以上、高校の車いす用トイレに二人でこもって、「だめだ。痛いまま」とぶう。洗腸の結果も思わしくなく、早退することに・・・。といっても朝のHRにも出てないんだから「欠席」よねー。 小児医療センターの二分脊椎症児の「排便担当」の先生が、人が良いことをいいことに急きょ診てもらおう、と決意。だって、またあの「大便秘」の始まりだったらこまるもの。 結果はね、便は詰まってないことがわかりました。ほーっと。 この一週間の生活を説明したら、「疲れすぎだよ」と一言。カルテに「早朝練習~文化祭~バス移動~宿泊~5時起き練習~大会~バス移動」と書き込んでいました。だけど気になる一言。 「体の歪みから腸の片側に便が溜まりやすい傾向があるかも」と。 レントゲンで見ても、まず背骨の歪みが無視できないほどすご! 一生懸命高校生活してる奥に、チクリと「みんなと同じわけにはいかないよ」と運命の神様が控えている感じです・・・負けないぞ、とも言えない。 こちらも、「運命」をうかがいつつ、できる限りやるのよ、今は。
2010年10月06日
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使われなくなった車いすを整備して、必要とされるアジアの人々に贈る活動をしている団体があります。 「希望の車いす」(http://k-kurumaisu.org/)というNPO法人です。 特に子供用車いすは、制度がまだ整っていない地域では手に入れることが難しく、必要とされています。 さらに、ヘッドレスト付き、リクライニングができるものとなると、「ぜひ贈ってほしい」と熱望されますが、なかなか寄付もない状況だそうです。 ぶうの2台の車いすを、置いてきました。 ぶうの小学校生活を支えた、思い出の車いすが、アジアのどこかの国で、必要とされる子のもとでまた活躍するかと思うと、ものすごくうれしいです。 本部は、東京の練馬区ですが、遠方の方も送る手段はあると思うので、ぜひ相談してみてください。 んんー、なんかすごっくいいことした人の気分。ためになる情報ですわ。
2010年09月16日
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アマゾンのジャングル探検並みの経験をした、うちの車です。ミニバン。 狭い日陰のうちのカーポートで見たときは、かすり傷がバンパーに付いただけに見えました。 傷をちょっと塗ればいい、と車と同色のペンタッチを求めて、トヨタのお店に行きまして、広く光り輝く駐車場に停めて改めて見てみますと、どーーーしても歪んでるんです…。 バンパー、隙間があいてる…。 それに光の下では、後ろのドアに新たなへこみも発見され…。 恐る恐る、見てもらいますと、おだやかに「バンパーはかなり歪んでます。ドアも少し歪んでますね。両方取り換えるとなりますと、15万円ほどになりますよ。追突されて、そのまま別れてしまったんですか?こちらが悪いということないですよ。前方不注意ですよー、あちらの」だって。 とほほ。 でも、あの激雨の中、私は心がすっかり折れていたのよ…。
2010年09月14日
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水曜日のこと、まさか台風9号がこんなに早く近づくなんて、思っても見ませんでした。もっと北の、東北地方を通る予定が、どんどん南にずれてる、とは知っていましたが、まさか直に中心がやってくるとは、当日だって知らなかったんです。 水曜日も、テレビの朝の予報は「東京は午後から雨」だったと思います。うちのほうは、「夜遅くには本降り」くらいでした。 でも、午後を待たずに雨は降り出しました。「けっこう降ってる」くらいで、のんびり買い物。ぶうから3時過ぎに連絡あって「今日は部活は5時になった。台風接近につき、完全下校だって」とのこと。 「あらあら」と車で出発しました。このとき、テレビでもパソでも「現在の雨雲の様子」を確認しておくべきでした。途中から雨は、一番早いワイパーでもはききれない、大量の超土砂降りになったんです。「あれ?こんなに?」 すでに県西地区では3時に「洪水警報」が出て、すべての学校が授業切り上げ、下校させていたそうです。 いつもの道を行くと、道路が浅瀬状態の箇所がいくつもありました。排水溝から噴水のように水が噴き上げているところもありました。「これってまずくない?」と思いましたが、こんなことはほんの序の口にしかすぎなかったのです。(写真は序の口の時「すごい」と思ってとりました) それでも、なんとか学校に着くと、気づいたのですが、私は傘忘れた。でも、大きな問題ではありませんでした。持っていても役にはたたなかったので。 ぶうを迎えに行くと、昇降口に一年の車いすの女の子が困り顔でいます。お友達も心配そう。この子は、障害は違うのですが、小さい頃近所に住んでいたので、ぶうの幼なじみです。県西地区に引っ越して、偶然、高校で「また会えたね」という子です。 その子の家のマンションの周りは水没してしまい、バスは運行停止、たのみのママの車も水に沈んでしまったそうなのです。しかも今日に限って、携帯持ってない! 「どうしよう!」 でも、その子のおじいちゃんの家が学校からそう遠くないところにあるので、「今日はそこに行きなさい、タクシーを呼んでもらって」と友達の携帯借りて電話したらママは言ったのですが、「1000円しかないんだよ、行けるかなあ。だいたいおじいちゃんちの場所、説明できないし」と彼女。 この外の状況でタクシー呼んだら、何時間かかるか・・・。先生たちも帰り始めてるし、事務の方たちも心配してやってくるし、担任もどうしたもんかなあ・・・とアイディアなし。 私は、軽く『彼女をこのまま置いて行けないじゃない』と正義感を燃やし、「私が送って行きましょう。ナビに住所を入れれば大丈夫ですよ」と胸を張って、申し出てしまいました。(だって本当にそれしかないですよ。先生は、生徒を絶対車に乗せてはいけないのだ、と聞いてますし、後から思っても、タクシー待ってたら日付が変わったと思います) 「大丈夫ですか?」と学校スタッフは言いつつ、『お願いします、やれやれ』的な雰囲気で、車いす3台(実はパンクして修理のため、どっちみち学校内用を取りに行く予定でした。外用、パンク中用、彼女のもの)積んで、出発しました。 雨は、車の中でラジオも聞こえない、会話もできないくらいの勢いで、滝の中を進んでいるようでした。 学校を出たとたんすでに、さっき普通に通った道さえ濁流に変わっていて、歩道と車道の区別がない状態にちょっとびっくり。でも、彼女の目的家は、ゆるゆるとずっと上り坂行って、台地にあります。だから平らなここをすぎれば大丈夫、と思ったのが甘かった! 大きな通りに出たら、渋滞で全く進みません。でも路地は危険と思い、抜け道はせず、がまん。じりじり進んで、突然その理由がわかったのです。長く続く坂道の途中に大きな大きな池(陥没?)が目の前に出現! そこをぬけるのに2車線が合流していたのです。しかも大池をよけても、ものすごい量の水が流れています。坂道だけに水の勢いは、激濁流です。 こっちは水没寸前の車状態。実際何台もテールランプちかちかなったまま、濁流に放置されてるんです。それをよけながら、進むのですが、もう車が浮きかかってるのを感じるんです! 「かみさまぁぁぁぁ!!!! どうか車を止めないでぇぇっっ! このまま通して!!! 車いすの子二人抱えて、ここで止まったらどうなるのよぉ!!!」と本当に私は絶叫したんですよ。 だけど、雨の音に消されて、ぜんぜん大きな声ではないんです。 子供たちは、(私から見ると)のんびり「わああ、すごいね。テレビでは見たことあったけど、実際見るの初めて」「本当だね」なんて言ってる。 車に乗ってる人はみんな同じ気持ちなんだと思うんですが、「ここでエンジン止めたら絶対二度と動かない、排気筒から水が入ってもアウト」、だから早く動きたいのに、先が信号、その先が動かない、となかなか思うように進まないんです。 本当にだめかと思いました。でも、なんとか脱出。「動いて!動いて!」と私は叫びっぱなしでした。 やっとやっと、彼女のおじいちゃんのおうちに近づいたら、静かな住宅地のポーチにご老人が二人、レインコートというより厳重な雨合羽着て、傘さしてよりそって立っていました。気のせいか手を合わせて祈ってたような…。 何度も何度もお礼を言われて、土砂降りの中車いすと彼女をおろし、にっこり笑って「ごめんくださーい」とそのおうちの前を去りました。だって、移動しなかったら、ずっとお二人がこちらに頭下げてるんだもの。 角を曲がって、すぐ止まって、ナビ。どうやって帰る? この調子だと一般道はどのルートもどこかしか水没している可能性大。高速に乗るのが一番安全だろう、と判断しました。 さて、入り口はどこ? ナビ様におすがりするしかなく、指図通りに行けば、途中何度もエンスト、トラブルの車は見ましたが、水没地区はなくなんとか高速入り口に近づいたのですが、初めての場所、入り口付近の大きな看板「こっちの方向が○○、あっちが△△、そっちは□□」がなんだかよくわからなくて、右と左を間違えて進んでしまったんです。予想外の大きな交差点に出て、思わずブレーキを踏んでしまったワタシ。 ガシャン!!! 「事故った!」 「え!何!何!」とぶう。 後ろの車も止まって、外に出ると「なんで赤でもないのに止まるの!!!!!」とおじさん大激怒。 そりゃそうだあ…。 (でも、幸か不幸か悪い感じの人ではなかった) 「どこ行くつもりなんだ!」「高速へ」「こっちは違うんだよ。どっか路地でUターンしなきゃ行けないよ。こっちが悪いことになっちゃうんだ」 とものすごく怒りながら、車を見るとちょっと擦り傷くらいだったんです。 「いいです」とワタシ。「本当に?うちもそうたいしたことない。うちはもういい。本当にお宅もいいいの?」、大声で言わなければ聞こえないほどの雨、もう「本当にいいです」とずぶぬれのばかなおばさんのワタシは言い、解散。 本当にもう、すぐ今、家に帰りたいよぉ…。 「どうしたの?どうなったの?心配だから言ってよ!」というぶうに答える気力もなく、路地に入り込み、停車…。かけてるめがねが水滴で前見にくいし。「ぶつかったけど、たいしたことないから、もうよし、とした」 「落ち着いて、落ち着いて」とぶうに励まされ、もう高速にも乗りたくなかったけど、さらに雨はひどく、帰る手段は「高速道」しかなし。 だけど、幸い、ここからは込んでいたけど、前の車について行けば高速入り口があり、速度規制のかかった高速は、逆に走りやすく、家のまわりもひどい水没はなく、無事に家に着いたのです。ぶうもワタシも無事だった………。 学校5時に出て、1時間弱のコース、着いたのは8時過ぎでした…。 テレビのニュースで知りました。ちょうど車が流されそうになっていた、まさにその時、雨はうちの市の一時間に降る雨量の記録を、更新中だったのです。 もう、泣きたいし熱出るかと思った…。けど、おばさんの目はカラカラで涙も出ないし、熱も出んかった…。 送っていった彼女のママからは、半泣き状態で連絡があり、「助けてくれてありがとう」と何度もお礼を言われました。ぶつかったことは内緒。 まだ、「あの激流の中で車が止まったらどうしたらよかったんだろう、119番かなあ、JAFかなあ」と気づくと考えていたり、ぶつかった瞬間の感覚がよみがえってぶるっとしたり、後遺症は続いています………。怖かった…。 しかしあのとき止まってたら………。
2010年09月10日
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とってもはしゃいだ気分の一週間…。神様が「何浮かれてんだよ」と思ったに違いないです。今は、夜も眠れないほどの悩みの底です。 半年ぶりの側わん外来。考えられないほど進んでしまって、81度。ものすごい曲がりようです。4年前の手術の前が90度。手術をしてのばした背骨の上がまた再び、見過ごせないレベルに。 先生も笑顔なし。こちらも思わぬレントゲンPの結果に、どきどきの動転が隠せません。 「今、何年生だっけ?何才?」と聞くのは、生活ぶりを聞いているのではなく、「手術の時期」を考えているのです。 再手術となれば、胸椎をいじることになり、前回より危険は何倍にもなるし、上から下まで金具を入れて固定するので、下を向いたりねじったりがしにくくなると言います。中学生であんなに大変だったのに、もう大人の体つきのぶうを介護するのは、どんなことになるのか・・。 「今は何にもおきないよ。でも問題はあと何十年も先に必ず起きる。40歳50歳になった時、呼吸器に不具合が起きるのはあきらか」と、ドクター。 「絶対手術なんていやだ」とぶう。 あるところまで曲がったらもう止めようがない、と前回経験済みです。 くらくらして、ひきつった顔で診察室を出ました。 泣きたい。なんでこんなんなっちゃうんだろう。 なんて意地悪な運命。まわりだって、大変な膀胱拡張手術を受けてる子は、ぶうと同じ年ごろでたくさんいます。入院期間は2カ月に及ぶ。内反、外反、イリザロフ等々何度も手術して院内学級や一年間療育施設に入っていた子も一人や二人じゃないです。 ぶうは、ぶうの障害レベルとしては運がいいほうなのかもしれません。 でも、側わんの手術、一回で大丈夫なはずじゃなかったの? 来年は大きな人生の進路を決める年、部活はおもしろい。そんな時に、この結果。 留年か転校か…。前より入院は期間がのびるということは、学校もそのままではいけないかもしれません。 背中上から下まで切り開く? 排泄はどうなっていくんだろう・・・。 帰りは、運転に集中する自信がなく、いつもの高速を使わず、一般道へ。山道を何度も登って下って、知らない町をいくつも過ぎて…、1時間かからないところを、2時間以上かけてやっとの思いで帰宅しました。 どうしよう。ただ次の診察を待っていても、何の展開もない・・・。 ぶうは、のうてんきに「ロッテの西岡、すごいぜ」なんて。
2010年09月03日
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思わぬ東関東大会進出で、部の保護者も学校も大慌てです。 緊急保護者会が開かれ、「とにかくシューズは買おう!県代表決定表彰に学年別カラーライン、名前大書の学校用上履きで立ってたのはうちの高校だけだ。部長、副部長さんがあまりにあわれだった」と。 「練習場所がないよ」が問題。学校体育館、グラウンドは体育系部活が当然使い、広い場所のいる「マーチング」はなかなか練習場所がない・・・これは各校頭の痛いところです。よって、週末は貸してくれる有料体育館で練習することに。時は秋近し。国体をはじめ、大きなスポーツ大会が目白押しです。どこもいっぱい。勝ち進む予定の学校(小・中・高とも)はあらかじめ押さえておくものだそうな。一回は、勝ち進むつもりが砕け散った中学さんが公共体育館の予約を譲ってくださり、そしてやっと顧問先生が2日分押さえたところは、県北部の「農業者トレーニングセンター」。どこ?最寄駅まで車で40分くらいかかる(すでに最寄とは言えないよ)ので、駅から送迎バスをチャーターするとのこと。これに乗り遅れたら、「今日の日はさようなら」だって。 資金もない。予定外の進出で、学校もうれしいやら痛いやら・・・。PTA関係者がバス会社だというので、安くバスを借りるよう頼み込み、前日夕方出発し夕食は高速のパーキングエリアで各自食べさせて、宿泊朝食だけにするとか、あらん限りの節約節約。 チケットも問題。たくさんの参加者と関係者が集まるのに、とても座席が少ない・・・。参加校に割り振り?とか。 でも、そんな騒ぎがはしゃいだ雰囲気で、うれしいのです。 部員も大喜び。OBさんがバーベキューに呼んでくれた、とか、パート、学年、気の合う仲間と集まって、ファミレス行ったとか。 母たちも、保護者会の後はランチしたり、急きょブログを立ち上げることいして、会員制の秘密ページを私が担当することに・・・なんてはしゃいでいます。 ぶうは?別に、普通。 マイペース。うれしいと思うけど、そうははしゃがない。部活の帰り、どこにも寄らないし、バーベキューも知らないうちに終わってた。 全員参加でなく、あっちの気の会う仲間、こっちのグループとわいわい分かれていくと、だいたいぶうは残る。仕方ないよ、これはね。「痛いなー」んて誰かに思われるのが一番痛い。だから、親も知らんぷり。 集団に元気よく入っていけないのは、性分だから仕方ない、今さら。一人祝いに慣れておくと、社会に出て孤独じゃないよ、だぶんね。 今日から新学期。気温35度、エアコンなし。厳しい!! 練習は、東関東大会、文化祭、イベントお呼ばれ、県内吹奏選抜演奏会が10月半ばまでにあるので、またまた過密。 ばてないように!目指せ全参加!これがぶうの当面の目標です。 あ、そうだ、合間に検定もある! …大丈夫かなあ。
2010年09月01日
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ぶうの吹奏部が、「マーチング」で県大会上位入賞となり、ブロック大会に出ることになりました。 びっくり! 親も先生も本人たちも。 2週間前に、練習に練習を重ね親も祈るような気持ちでのぞんだ「全日本吹奏楽コンクール県大会」にあえなく散って、すっかり「夏は終わり」の気分でしたが、前から少しずつ準備していた「マーチング」という分野の大会にもエントリーしていました。 歩きながら楽器を演奏して、その形やステップのそろい具合、音色を競うものです。ぶうたちの高校としては初のエントリーで、部門はB部門・フリースタイル。A部門は、ブロック・全国大会と上がありますが、Bはブロックまで。それだけに参加校は少なく、ほかの大きな大会の練習台とする高校もある部門でチャレンジには向いているのです。 参加校が少ないとはいえ、こっちは初参加ですから、「大恥かくかも・・・」のほうを心配したのに。 でも、顧問先生は「妥協」とか「ここまででいいか」の文字はないのです。「今、できる限りのところまでやる」のです。 たった2週間でしたが、基礎の歩き方(すり足のような、独特のもの)、フォーメーション、新たな楽曲の練習・・・前にもまして密な日々でした。 だがしかし「初参加」。 大きな旗(カラードというのだそうな)振り回す学校や、きれいなお嬢さん方が演奏と一緒に踊る学校あり、全員おもちゃの兵隊さんのような衣装で帽子い羽までついてるところあり。どこがどう評価されるのか「?」。 だって、シューズだってどう見てもみんな特別。ぶうの高校は、普段の上履きで学年別に色分けラインが入ってて、かかとのところに名前がマジックで大書してある、そんなシューズで臨みました。 結果発表で「ゴールド金賞!」と言われた時、ぶうたちの席はどよどよ・・・・。『え?なんで』『どっかと間違えてね?』という内輪の声。応援OB、父母も「何のこと?」、顧問先生「やば!」。 まるで「当り前じゃない」と流す常勝校のようで、いやみな感じにさえなってしまいました。 ぶうは、動き回る演奏で何してるかというと、「ピット」という役で、パーカッションの一部を担ったのでした。一応重要な(そうでもないか^^;)役。 評価のポイントは、何といっても「音」。これは吹奏コンで鍛えましたから。ステップ。もしかしたら、制服に布巻いただけの地味なコスチュームもかえってよかった? 大会の方針は「あるもので参加せよ」なので。(後で知ったことですが、派手な衣装の学校は、ほかのそういった大会の小手調べなんですね) 3年生のお母さんたちは、2週前に残念の涙を流した分、今度は盛大な喜びの「涙」。 「AだってBだって、部門なんてなんだっていいよ!少しでも努力が報われたらさ!高校最後でなんかもらえたね」と、抱き合っておばさんたち号泣したのでした。 うれしい!けどふと冷静になれば、シビアな現実が・・・。 夏休み前の成績は惨憺たるもの、教科の先生方から「大会終わったら、ガッと詰めて勉強しろよ」と、確か言われてた・・・。 「大会終わり」がないんですけど・・・。ブロック大会は10月だよ!
2010年08月30日
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ぶうが、小さい時に車いすを作った時のことを書いておきまーす。 作ろうかと思う時、迷うのはメイカーはどこがいいのか・・・、「すごく考えられている」と思える外国製か、日本製かとかでしょうか。 私なら、作るときに相談する機関に「かっこいいやつ!一番デザインのいいのにする!」と強く言うかな。 たぶん、その機関が使ってる業者さんから、値段も手ごろな「デザインに優れた」メーカーを選んでくれると思います。 ぶうは、見た目も医学的にも自力歩行は無理でした。でももし、歩行できるのか、早くから自分で移動のために車いすが必要なのでは、と迷う方がいたら、まずリハビリの専門家に相談して、あせらないで、と言いたいです。 迷うレベルだと歩行がどうか、って言えるのは「3才」じゃないかな、と見てきて思うのですが、どうでしょう。すこーしだけまわりが見えだすころ、「あそこに行きたい」手段をその子なりに体が選ぶのでは、と思います。それまでは、基礎練かな。ほかの子とは違う。あせると結局心にも体にも無理させるかも。 とにかく、車いすを選ぶ時に考えることは、まず体に合うか、それはもう一番重要です。メーカーによって得意不得意分野がありますから。 ぶうの場合は、腰回りがきちんと収まるものを考えます。 それから、もっと実は重要なことがあります。 「車に積めるか」です。つまりいかに早くコンパクトにたためるか、です。 外国製は、多くがこれがネックです。 日本製は、だいたいがクッションをはずして真ん中のシートを引っ張り上げると幅がパシンと縮まります。縦の高さが問題になります。 枠がきちんと固定されてるタイプは、たたむとしたら、多くのタイプが車輪をはずします。つまり使う時は、いちいち車輪をつけるのです。でなければ、そのまま車に乗せます。 車いすのために、車いすごとのれる車にする・・・まったくの車いすライフのぶうでも、しようと思ったことはありません。とてもとても重度で、ベッドタイプで移動する友達が、体重が増えて車からスロープが出て、車いすごと乗り降りできるタイプにしました。 車いすでスペースをとると、ほかの荷物が入らないことになります。体が小さいうちは、家族とシートに座るでしょ。車いすだけが大きくスペースをとる、固定しないと車内で危ない等問題多いです。 外国では、外からそのまま車いすで入る(靴脱がないってこと)生活なので、外国製はコンセプトが違います。床をハイハイは、衛生的でないのかも、欧米は。 家の中でも車いすにするのは、うちは側わんの手術をして「はいはい」はいけないと言われた時から、ほかのうちでは思春期のころとか、ずっと家の中では基本はいはいという方もいます。ぶうも、よその家に行けば、はいはいです。 家の中に車いすを入れないのは、悪いことではない、とPTさんは言ってました。腕の力を使うし、体が伸びるし、車いす特有のジョクソウも減ると。 車いす時間が長くなると、思わぬ弊害が出るのだ、と感じています。(車いすの形に体が固まるとか) 私は、片手にぶうを抱いて、ベビーカーを引っ張りおろして蹴飛ばして広げるような荒業をやっていました。こういう母に、車輪を取り外しするのはお試しだけで「無理」でした。 メンテナンスをすぐ受けられるかどうかも問題です。 車いすを作る時は、装具と同じように通ってる病院やリハビリ関係の施設に相談して作ります。不具合は、成長による時もあるし、部品が「?」の時もあります。見慣れてる車いすならPTさんがアドバイスをくれたり、すぐ業者さんが対応してくれたりしますが、めずらしい車いすメーカーだと施設通しての修理がなかなか時間が合わなかったり、自分で対応しなければならなかったり。 作り慣れてれば、個人で後のことの対応は可能かもしれませんが、福祉制度も自分で調べて業者さんとやっていくのは、いきなりはなかなか大変のように思います。 もちろん、そうやって施設を通さず、自分の思う車いすを手にしてる方も大勢いますが。 ぶうの通っていた療育センターでは、一時アメリカ製の某メイカーに、みんな魅了されました。私もです。何人か作ったのですが、車いす自体は確かによいのです。でもメイカーの対応の悪さに、スタッフやドクターが激怒して、「うちでは今後ここでは作らせない!」とお出入り禁止になりました。ここでは、当時一番小さなサイズの車いす用クッションを扱っていて、それをうちでは取り寄せたのですが、使いたい制度が自治体によって違うことにむこうが対応してくれず、手にするまでとても時間がかかりました。 値段もあります。 子供は、すぐに大きくなります。膝が上がらないようにきちんとした体形で使います。けっこうすぐ大きくなります。3~4年おきに作るとしても、中学まで5台は作ることになります。 学校用と外用2台保有する場合もあります。けっこうたくさん作るんです。 日本製でも、すごくデザインが良く値段もよく、パラリンアスリートが多く利用しているメーカーがあります。 だけど、ぶうには不適。一時お金出しても乗せたいと、作っていたのですが、腰回りがぶうには合わないのです。 今、ぶうに車いすを考えてくれているのは、療育センターから離れたので、自分も車いすを使っている車いす卸屋さん、というか仲介屋さんというか、メイカーとの間を取り持つ形の車いす屋さんです。センターもこの車いす屋さんも、車いすにお金がかかることにとても慎重です。生活の中で、それだけの価値があるか、と問われます。 ぶうたちは、車いすが絶対必要です。だから、選びます。今までに失敗も何度かあります。だから、さらに選びます。 使い方として、日常生活は自力歩行やクラッチ等使用、だけど遠くに出掛ける、長時間移動するというときだけ車いすを使う子もいます。その場合は、おさがりや安いものを使っているようです。 ぶうも形の良いある外国製の車いすにあこがれました。 でも、値段と車移動がネックでやめたのですが、今、大人の車いすの方を観察しています。オフィスで働いてる方は、「長時間疲れない」が自慢の外国製の方もいますね。ただ、車で動き回る方は、圧倒的に日本製ですね。休日見かけるアクティブな方も日本製が多いです。思うに、オフィスに置きっぱなしにする車いすに折りたたみしない外国製を使い、外はコンパクトになる日本製を使うってことかな?と思いいたったのですが、どうかな・・・。 使うのは「子供」。何のために使うのか、この子に何が必要か、ゆっくり考えましょう。
2010年08月19日
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暑い暑い! ぶうは、4日だけ夏休みができて、この暑い中「ずっとやりたかったこと」を実現しました。 なんのことはない、「電車を撮る」です。毎日自分が使ってる駅で、です。「そんなの、行き帰りにいくらでも撮れるじゃない」と思うのですが、いつもは駅員さんに付き添われて乗換してるので、とても「あ、ここでちょっと待ってください。××系電車が来ますから」とは言えないのだそうです。 そして、「今回は一人で行くよ。少し粘りたいし。ついでに、吹奏で使うデジタルメトロノームも買ってくる。駅前のデパートの中の楽器屋さんにあるって、先輩から聞いたから大丈夫」と言うのです。 ワォー。一人で駅員さんに「写真撮りたいので、駅の中にしばらくいます」と伝えるわけね。一人でデパート行って、エレベーター乗って楽器屋さんで買い物するのね。 これだけのことなんだけど、16歳で初めてのこと。もちろん何度もそのデパートも行ったことはありますが、家と学校の間のルートを一人ではずれたことのない(駅員さんがいるからはずれられない)ぶうが、「一人で行く」と。 「ふーん、じゃあ、行っといでー」と気のない風に言ったものの、本当は涙もの。 「わあー、ここまで成長したんだ」「これからどんどん一人で行動できるだ」と。 ぶうが車いすを作ったのは、3歳すぎでした。絶対歩行無理組は、だいたいそのくらいに作って、保育所や幼稚園にそなえ、「歩行いけるか、どうだ?」組は、バギー(障害児用)にしてました。車いすに乗ったら、移動が自分の思うようにできてうれしいのですが、最初自分で動けるのは建物の中だけでした。外の世界は、大人ではわからないほど子供にとってバリアでいっぱいだったんです。 ほんのわずかのでこぼこでも、力もまだ十分でない軽いぶうでは飛び跳ねてしまうのです。歩道は、少し車道に傾斜してると、ぶうの小さな車いすで初めてわかりました。 道路を普通に走れるだけでも、結構大変だったんです。道路を走るには、アスファルトのでこぼこを吸収できるだけの力と体重が必要だったんですね。なんどもころびました。だからどこに行くにも一緒。ちょっとアップダウンがあったら押して・・・。それがついこのあいだまでのことです。 そして16歳。やっと一人で電車に乗って買い物までこぎつけました。 もちろん、気力、好奇心のある子は、もっと早く映画やカラオケやなんやかやと楽しんでますけど、ぶうはぶうなのです。「今」なんです。 結局、朝8時ごろ出かけて、12時過ぎに帰ってきました。駅員さんは、快く「撮り鉄」を許してくれたそうです。2時間以上、いたんですよー駅に。お目当ての電車を、やっと間近に見て感激なんだとか。撮ってきた写真を見ても、ほかの電車とどこが違うのかわかりませーん。 それと、うちのほうのローカル線て、東京あたりの電車のお古がばんばんまわってきます。何年か前、もう東海道は走らないと、涙ながらにファンに見送られた古緑と橙色の車両、ここで普通に走ってますもん。それらは、ぶうにとっては、「おめでとう!ローカルデビュー」なわけで(車両の気持ちは都落ちで、つらいかも)、「はい、一枚」と撮ってあげなければ、となるのです。 よくわかりませんが、新しい車両やらお古デビューやら、「まだ待つのー!」などとうるさく言う人もなく、思う存分鉄ちゃんを堪能した、成長の夏の一日でしたー。 デパートでの買い物も、車いす用のトイレに入るのも、「なんとかなった」んだって。
2010年08月18日
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ぶうたちの吹奏楽部は、予選大会は通過。県大会には、去年同様進出しました。 東関東大会には7校が選ばれます。ここ数年同じ高校が行っています。 上位4校は、動かしようがないほどの力があります。枠はあと3校。といってもこれもほぼ決まってるようなもの・・・、そこに なんとか入りこみたいぶうの学校。予選の成績は、ブロック大会進出の線を踏んでる状態と・・・。「強い気持ちの学校が行けるのだ」と顧問先生。 去年も県大会までだった、今年こそ!です。 ステージを借りての練習も急きょ入り、ティンパからハープまで父母の車9台で運び入れました。 はるか上の実力校が、時間を譲ってくれたのです。見学しましたが、五時間休みなし、顧問先生やパートごと指導してくれた先生方も細かくダメだし。(ぶうは、それは体にいけませんから、途中消えてトイレタイムですよ)見学の親のほうがくたくたになりました・・・。 すでに大会を終えた学校から、300万円の新品ティンパを「お貸ししましょう」の申し出あり。またまた母たちが出動し、「300万!新品!」と国宝運搬車なみの緊張で(チビ車なのに)運びこみ、練習練習練習!!!!! それで、結果は・・・・・残念でした。母たちも手を握り合って発表を聞いたのですが、ぶうたちの高校の次の番号が呼ばれました。 今までとは一校だけ顔ぶれが変わりました。でも、それはぶうたちの高校ではなかったんです。 私たち親も涙が出るほど残念でした。でも先生は「泣く場面じゃぜんぜんない!やるべきことはまだまだある! だいたい、東関東大会に出る高校を祝福しなきゃ。涙は見せるな!」と言ったそうな。 本当、その通りだわ。だって、ステージ練習を譲ってくれた学校は、学校に 泊り込んだって。朝の集合時間も早いし、いつもの終了時間も遅い。ここぞの時は、学校泊まりで午前様で練習やりこむのだというのです。 その高校も、次のステージに進んだものの、狙った順位ではなく、ものすごく厳しい顔での退場でした。あそこまでやっても、「夢」はなかなか遠いのです。 実は、ぶうだけじゃなくて普通の子たちもばててしまって、体の不調を訴える子が何人も出てしまったんです。移動の楽器荷造りは、もたもたで、ほかの学校の父兄から眉をひそめられたことも。「さらに上へ」は簡単にはいかないのです。総合力アップが必要なのでしょう。 10年以上東関東大会に出ていた高校が、一校行けませんでした。会場を後にする姿は甲子園で敗れたチームのようでした。泣いて泣いて、男の子も女の子も顔が真っ赤。歩けないほどの子もいて、這うようにしてバスに乗りこんでいました。 次のステージに進めた高校の一つは、喜んで喜んで先生も飛び跳ねてみんなで抱き合って、感動の涙、涙。 ぶうの仲間は、そそそと人ごみまぎれてあっという間に撤退でした。 ぶうたちは次のこと。進学校ではないので、3年生はまだまだ続く部活動です。 次のステージに進んだ高校は、さらに合宿で「音」を極めていきます。 ぶうたちの応援は、母もなかなか面白いのです。
2010年08月18日
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8月入って休まることのない猛暑!今年は暑い! ぶうたちの「部活」も熱いですよ。 大会目指して、声に出しては「県大会出場!」、心の中では『ブロック大会出場!』、そしてよもやの“全国大会出場”・・・これはいくらなんでもないですけど。 先週は合宿がありました。幸い、うちから車で20分くらいのところです。合宿センターに吹奏はひっきりなしだそうで、ぶうの高校の使う施設は、直前まで♪強豪校が使っていましたし、平行して別の施設で ♪ライバル校が合宿していました。 3泊4日、当日も早朝集合、楽器がトラックで着くやいなOBも手伝って、即搬入~即練習。PM10時までびっしりやりこんで、施設消灯~先生の車のライトで道を照らしてもらって宿舎に。朝は5時45分起床6時20分集合、朝食後練習開始・・・、こんなふうです。 写真は合奏練習です。若者達の燃える(臭い)シューズ。そしてびっしり書き込まれたパート別練習予定表。これでも午前中の分です。 ぶうは、どこにいるでしょうか。ここでーす。男子トイレでーす。2時間近くこもってまーす。 いつもいつも、ぶうのUNKO問題は頭が痛いのです。大問題です。 打ち合わせで、去年同様2日目の練習終了後迎えに行っていったん帰宅。午前中洗腸して12時までには戻り、昼食合流の予定にしました。 8時に始めても3時間もあれば十分、と思いましたからね。 本当に夜の10時まで手加減のない練習の後、帰宅。 次の朝、洗腸。そうするとまた「出ない。中にいっぱいあると思う」と。「このまま練習に戻っても集中できないから、もう思い切って浣腸液を使う!」 「え~っ」と言っても、もうこのことは自分にしか分からない、とこのごろは主張するぶう(確かにね)なので、病院で指導されてる、浣腸液を作って入れてみました。 1時間たって、「あんまり効果ないなー。でもお腹は痛い」と言うのです。 1時間たって何にもないなら・・・。それに約束の時間が迫っています。 むこうでも、まめにトイレに行こうかな、ということで切り上げ、合宿所にUターン。 簡単に状況は先生に説明したけど、まあわからないよね、忙しいし、と思う、けど一応はね、言っとく。 そして家に帰る・・・やいなや電話、fromぶう。「どうした?」 「今合宿所の3階のトイレなんだけど、出ちゃってさ、下着やTシャツまでよごれちゃって。着替えは宿舎だからここにはないんだ。みんな練習中だし、どうしよ・・・」 「なんと!」 携帯あってよかったよー。「わかった、すぐ行く」 そしてまたまた合宿所に、ビューン。とんぼ返りってやつ。 着替え持って、建物に飛び込んで三階に向かいました。 顧問先生は偶然練習場の外にいらして「どうしました!」「すみません、トイレからSOSで・・・」と私。「どうぞ、行って下さい!時間は気にしないで!」「了解!!」、そして男子トイレ突入!(といっても練習時間だから誰もいないけどね、ぶうしか) 半泣きでトイレに座ってるぶうとご対面。 急いで汚れ物脱げば、トイレの中で裸。背中まで上がった汚物を拭いてやって、いつもトイレバッグに入れてる消臭スプレー(いつ役に立つかわからないわ。入れててよかった!)シューッ!! それからも「まだ出る感じ」と、しばし雪隠詰め。 母は男子トイレに様子を見に行ったり、外で合奏聞いたり。休憩時間にはいきなり半分出しながら入ってくる男子と遭遇。ごめんよ!だ。 こもってる間も、練習は何度も何度も細かくダメだし、繰り返しが聞こえてきます。ここで一人参加してないぶう。したくてもできないんだし、「体調と相談しながらでいい」と顧問先生が言ってくれるから、部員でいるんだけど、複雑・・・。「一人だけ違う」気持ちは、ぶうにしかわからないよなー。 だけど、こうしてみんなとは違った一人でも「いる」、あのとき「いた」という経験は、ぶうにはものすごく貴重だよ。 だけど、今自分が欠けた合奏の音が響く中、こうしてトイレで母といるって経験、そりゃあやっぱりつらいよね。 結局、2時間後「大丈夫だと思う」というので、母も解放されて、帰宅。 合宿の建物は3階建てで、そこまで男子生徒が負ぶってくれるんです。3階でものすごく出てしまってたんだけど、負ぶった人、後ろから車いすを担いだ人、どうだったんだろう。着いたとたんなのか、それとも階段の途中でー。 もういい、それは考えないことにしよう。 どうかこんな苦労も、報われる良い結果が出ますように!!
2010年08月06日
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「今すぐ、ここで入院」の状態は、クリアしたものの、排便管理のチェックに今までになく頻繁に小児医療センターに通うことになりました。 担当は小児外科の先生で、今までは1年に2,3回、それが6月は4回、7月2回と通いこんでいます。管理表を見てもらい、現状報告です。 毎回お腹のレントゲンを撮ってますが、ドクターは、「なかなかいいよ」と言うんです。でも、ぶうは不満。いつも「まだある気がする」なんです。 今、先生との意見の到達点は、日常はなるべく毎日(今の状態だったら1、2日あけても問題なくらいすかすか)普通のぬるま湯で洗腸をし、気になるようなら時間のある土・日にでも効果のあった浣腸液を作って(浣腸液+オリーブ油+温湯=500mlだと思う)出してみて、ということになりました。 8月は部活中心になるし、これで一ヶ月様子をみます。 本当に何年かぶりに、本人連れて頻繁にこども病院に行っていると、ぶうを見つけて、なつかしい看護士さんたちが声をかけてくれます。ぶうの変わりように、みんな驚きです。だって、みなさんのイメージは、小さくて細くてピーピー泣きわめくぶうです。先日、声かけてくれた看護士さんは、 「オー! ぶうじゃないか?ぶうだな!! 私を覚えてる? 私は覚えてるよ。今は病棟担当だから外来はみないからねー、久しぶりだねー、もう青年の顔だね。でも、面影ある。すぐわかったよ」と、変わらない笑顔でした。 何度、この方にぶうは注射や点滴を打つために体を押さえ込まれたでしょう。「ギャワ~!!!!」と処置室の外まで響き渡るぶうの声。でも、笑顔のまま「うーん、大丈夫だよ」と押さえ込むのが上手な方です。 一度目撃したシーンは、処置室(診察室ではやらない医療処置をするとこ)で、まだ小さかったぶうをだっこして医師を待っていたとき、どうしても絶対体のために注射が定期的に必要らしい小学生(たぶん3~4年生)の男の子が、絶叫・大暴れで引きずり込まれてきました。もう捕まった野生動物のように、看護士さんたちと乱闘騒ぎですが、そこにあの看護士さんが登場。「やー、来たね。ちゃっちゃとやっちゃおうよ。どうしてもやらなきゃだめなんだよー」なんて、ニコニコしながら言ったかと思ったら、『えいや、それ』っと目にもとまらぬ早さでベッドに倒して、馬乗りになり、ハラリッっとネットをかけて上から押さえつけ、「今よ、先生」って。 注射はすぐ終わって、猛獣は無事廊下に解き放たれたのです。 もう、処置室中が「おみごと!」の賞賛の嵐でした。 そんな猛獣使いの看護士さんにも覚えてもらえてて、光栄の元プチ怪獣です。 今日来たのは、「便が・・・」とちょっと説明しただけで、ベテランの看護士さん、すぐ「レントゲンに、大腸に詰まるうんこのかたまり、見たんでしょ」と、正解。「ある、ある。よくあるよ。出た?それならいいや」。「おしっこは、きれい?」とこの子達特有の体調のこと、学校のこと、たくさん心配してくれて、「が、は、は・・・」と元気な笑いで母もエネルギーもらったー! また、すごくうまく管理できてる方(たぶん)だったので、そんなに話すことのなかった総合管理をしている看護士さんも随分心配してくれました。 今回のトラブルの前後のぶうの状態を見てると、物理的な管理だけでなく思春期の「心」がとても大きいと、感じられたようです。 ただ、あくまで「こども」を扱うこの病院では、思春期あたりから不得意になるのだ、と。でも、学校では欠席がとても重要視されるし、部活動もぶうとうちの生活には今ものすごく大きな部分を占めてるなど、たくさん、ぶうの「生活」の部分を聞いてくれました。 今、私の不安は、学校の「保健」で事細かにやる「体の変化」がぶうにはないことです。それも新たな障害かもしれないし、ぶうはぜんぜんわかってない。どう折り合いをつけていくのか。 以前泌尿器科で体の変化について質問したとき、あっさり「他行けば」と言われて大泣きしてしまった(赤ちゃんから今日までおしっこ持って通ったことが頭を巡って)ことなども、初めて病院側の人に話しました。 誠実に「これからもっと成長して、ぶうくんが悩んだときにどこに相談したらいいか、ちょっと探してみましょう。待ってもらえますか?」と看護士さん。 「お願いします!!」ともちろん言いました。でも、複雑。ものすごく悩んで、医師にけんもほろろに「ちょっとおかしいおかあさんだよ・・」くらいの扱い受けて、もう二度とこの病院で大人になってからのことは聞くまい、と思っていたのに、今回の不調のおかげで何人もの看護士さんと話して、先の形が何かしか見えるなんて・・・。 元気だったら、ほったらかしだよ、このけっこう大きな悩みも。 ぶうは、十分でかいんだけど、相変わらず道は霧がかかって、スカーっとは晴れない。でも、こんなんでも「ま、いいさ」と全然おもえるところが、年くったってことかな。
2010年08月02日
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あつい!暑い!熱いー!!!!ものすごく暑いです。日中、家の中にいたら息苦しくなるほど。日陰になってる窓からも熱風が入ってきます。月さえねっとり、だいだい色で発熱ですよ。こんな酷な暑さの中各地で甲子園の予選、高校野球地方大会が行われていますね。ぶうの高校も、もちろん、出ましたよ。そう、すでに過去形、やっぱり今年も二回戦までの「夢」でした。でもね、「今年は、いつになく仕上がりがいい」とか「40年ぶりの甲子園を目指す」とか、新聞の「地方大会出場校紹介」に書いてあったし、吹奏の顧問先生も「あんなに頑張ってるやつらなんだから、結果がほしいよね」と言ってた。だから、4回戦までの予定をカレンダーに書き込んだし、その日に予定は入れないようにしたんですよー。3回戦は日曜だし、おとうももちろん、たくさんの生徒、父兄、OBが応援に駆け付ける予定でした、たぶん。ま、それも夢でおわり。 ぶうも吹奏楽部の一員として、地方大会には毎回参加します。ただ、楽器として出るのはまさにブラス(金管)+マーチング用打楽器=ブラスバンドです。肩にかけるマーチング用が使えないぶうや木管の子は、タンバリンなどを使うものの今年は人数も増え、それでは足りず、急きょおもちゃのお鍋のふた二つをタンバリンのように鳴らして応援しました。なんとなく「あーぁ」と思うのは、二回戦の相手は勝てない相手じゃないはずだったし、応援だってこっちはベンチ入りしなかった野球部員がきっちり仕切って、場面場面で応援コールも決まってて、ブラスもバトン部もそれいけGO!GO!なのに、相手はざっくばらんにジャージのにいちゃんねえちゃんが叫ぶだけ。こちらでは思っても絶対しない、失敗した選手への「罵倒」さえあり。こんなところに負けちゃうのかよー。 3対2・・・、野球部の父兄団の叫びもむなしく逆転することなく、期待の長打もなく、入れられた点は全部ミスからで、今年の「夢」への挑戦は終わったのでした。新聞には負けたチームがよく取り上げられますが、2回戦ではたくさんのチームが負けるので、写真一枚載るわけでなく、「いつになく仕上がりがいい」「ものすごく頑張ってる」高校の「夢」は終わり。野球部に関係あるわけでないので、「あー、終わっちまったー」だけど、その中に身を置けば、たくさんの「実り」があるのだと思います。ぶうの高校に勝ったチームも、次には負け。高校生が必死に打ち込んで、それでもだめで、そんなところが心ひかれるわけだけど、やっぱりもうちょっと、応援したかったなー。
2010年07月23日
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ぶうの体の不調は一つは排便で、これは原因がはっきりしたので、まあひと段落。でも、もう一つ、しょっちゅう訴えるのが「頭痛」。このごろ気にして、テレビで特集があればチェックしたり、ネットで調べたり図書館で本借りたりしたけど、これで一発解決はないようです。何事もなく快適な時間もあり、現に期末試験週間の今は何も訴えないのです。よって、なにか重篤な病気とか水頭症のシャント不全とかは違うと思うのです。(ドクターもそう言ったし)ぶうの頭痛は「緊張性頭痛」と思われます。ストレスや疲れ、筋肉の緊張からくるらしいです。ここ1週間、学校は早く終わり、昼寝も睡眠も十分、なんの不調もありません。その前はひどかった・・・。病院の看護師さんは、ぶうの肩を触って「右がすごくこってるね。首までこりこり」と言いました。やっぱりー。部活かなー。授業プラス毎日の活動は、ぶうには無理なのかな・・・。このタイプは、体の緊張をほぐすこと、とどのテキストも言っています。簡単なストレッチの方法もダウンロードしました。でも、床に座ると不安定なぶうは、なかなか難しい。両手をあげればばたりと倒れてしまうのです。とりあえず、本屋さんでストレッチの本とつぼ押しの本(頭痛解決の項目があったものを選びました)を買って、研究中です。本でじっくり見ると、けっこうぶうでもできるストレッチがあるし、つぼ押しは、背中から首、肩、頭の付け根と、寝る前にぶちぶち母が押して、少しはいいかも・・・。スーパーの片隅などにも、手もみコーナーがあるのですが、いつもおばさま方でいぱっぱい。ニキビ面の車いすの高校生を連れていく勇気はなし。それに、部活が始まれば、お店や鍼・マッサージ院が営業している時間には帰ってこられません。よって、しばしストレッチと「母の手」のつぼ押し。音楽はぶうが好きなことの一つで、それを「吹奏」でとことんやれる機会があるのは、やっぱり幸運だと思うのです。ほかの部員もいることだし、ちょっと「ブレーキ」になってると思うし、ぶうの体も悲鳴を上げてる・・・だけど、ここはやってしまおう、と迷いつつぶうを押し出すのです。だって、耳がいいしリズム感もセンスもなかなかと思う。大勢の仲間と一心に「音楽」をつくっていく、この「無我夢中」の行動って、10代の今だからこそ、と思うのです。なんとか参加させたい。肝心なぶうの気持ちは・・・「そりゃ、やりたいよ、でもー」というところ。親が「無理だからやめとき」と言ったら、簡単に「残念だけど、そうする」と言いそう。親のエゴかい?なんでも答えのない「とりあえず」だけど、この夏の吹奏三昧にチャレンジして、後また考えよう。 ストレッチ・価格:円(税込、送料込)ホントのツボがちゃん価格:円(税込、送料込)買ったのはこんな本でしたー。
2010年07月07日
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うっとうしいどんよりの空。梅雨だわー。 ぶうは、まだ「排泄日誌」をつけて、ドクターの監察下にあるけれど、一応好調です。でも、毎日洗腸のため一時間のトイレへのおこもり、この先どうしようか・・・。病院に行く前は、2~3時間もこもっていたから、それを思えば時間は随分の短縮なのですが。他の二分脊椎で洗腸してる子は、3~40分しかかからないケースもあるとか。 今は定期試験中で、先週から試験準備につき部活はお休みなので、なんとか時間はあるけれど・・・。 部活は、これから一年中で一番練習をやりこむ時期に入ります。去年と今年では、部の性質が違ってると感じています。去年までは、「なんとなく」入ってきた部員。今年からは、はっきり顧問先生に指導してもらうため、より「上」を目指すために入ってきた部員です。 新学期になって、ぶうの練習不足は明らかです。。 今年は部員が増え、夏の大会に全員は参加できません。(去年は三学年合わせて規定ギリギリでした) 地方~全国を目指す大会に参加できない部員は、「ジュニア」と呼ばれる会に参加します。今のところ、一年生の一部がこちらに参加すると聞いています。 本人は、やっぱり大会に参加したいのです。でもぶうの練習の状態では、大会参加はまわりも納得しないのでは、と思います。「今年は県大会以上を」と部員も親も熱くなってるのを知っています。私も参加させたい・・・。でも、2年だから来年もあるし、みんなの足かせになっては・・・。「ジュニア」ならなんとか・・・。 顧問先生は「本人の気持ち」を優先とおっしゃってくださいました。体調のことを気にしてあげられなかった、「無理させたかな」とも。 ぶうと時間をとって話し合って「大会に出ましょう」と言って下さいました。 ありがたい~。「音」最優先の学校だったら、「今回は」といくらでも理由を付けて出るのを遠慮させるところ。まわりの部員には「外からは分からなくても、本人は今ちょっとつらい体調にある。わかってあげて」と伝えているようです。 部員にも納得させ、本人の気持ちをくんでくれた・・・このへんが噂の「カリスマ」たるゆえんかも。 12月の定期演奏会も直前でつまずき、また今回も、で 自信がなくなってしまうのも心配でした。いつも肝心なときは何か体が不調になって、最後までやりきることができない、と。 やれやれ、大会には参加できる。ってことは厳しい練習が待ってる、望むところだ!と言いたいけど、排泄。ネック。どうしたもんだ。 そうそう、これから甲子園目指す野球の地方大会が始まります。この応援がまた問題。去年は、たまたまプロが使う球場が試合会場に入っていて、トイレも移動も心配なかったのですが(早く負けたし)、今年はそうはいきませんでした。ぜんぜん行ったこともない地区の球場にエントリーされています。1,2回戦は数をいっぺんにこなすよう、かなり小さな球場まで会場になっています。こういうところは問い合わせても、球場に応援に行く人が車いす、専用トイレが必要という状況を分かってもらえません。 奥の手は、車の中でする。ペットボトルなどにカテーテルで出す・・・です。 どうするか、今週中に会場までがんばって行ってみるか・・・。事前調査です。 それから、部の合宿。去年と同じ場所なのですが、人数が多くなり、練習会場が変わりました。階段は部員に頼むしかありません。問題は、やっぱりトイレ。専用はないにしても、洋式があれば・・・。これも事前調査かなー。 定期試験は、中学ほどではないけれどやっぱりアップアップ。手を抜けばすぐ、一番後ろ・・・。 ひとつひとつ、手探りでやっと進むってかんじ、今も。どこまで親が手を貸す?これも悩み続けて、今回もテストにかなり指示を出してしまいました・・・。 でも、今は点数のみでばっさり切られて「努力してるってねぇ、こんな点数、提出状況を努力とは言わないんですよ」なんていいう意地悪な先生はいないので、気持ちは全然楽かなー。 こんな「テスト」に追われることも、あと少し。たぶん一年。貴重な時間でもあります。だから手伝っちゃう、でもそれじゃ自分で苦しくてもやる、その結果も引き受ける体験がないよ! 葛藤。
2010年07月06日
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もうよかったー。 昨日、病院でレントゲンをとり、「経過良好。食事制限を解く」とドクターから言われました。 一週間前は大腸が便でぎっしりの映像でしたが、すっきりしぼんだ大腸になりました。 でも、二度とこんなことがないよう、洗腸に使った水量、トイレに入っていた時間、等を記録する宿題がでました。しかも毎日。先週から引き続きの「排便日記」です。 この一週間、パックに水と浣腸液とオリーブオイルを指示の割合入れて、混ぜ混ぜ・・・、サラダのドレッシング状にして500cc、毎日洗腸しました。最初はコロっと一個二個出ただけ。やがて怒濤の・・・。 三日三晩どころか五日五晩出ましたよー。寝てる間も出ましたよー。でも、今回ばかりは、梅雨空でも汚れ物が出た悲しみより「ブツが出た」喜びのほうが 大きかった! 週末に「決戦」を持って行ったので(朝晩2回のトライです)、学校には普通に行きました。 ランチは経口栄養パックとカロリーメイトです。 写真=これが高校生男子のお昼!さみしい~。 朝・夕食だっておかゆに歯ごたえのないおかず。肉も魚もありません。一番のごちそうははんぺんにチーズを挟んで焼いたものでした。 今までおかゆは大嫌いだったのに「おかゆはいけるね」と3日目くらいから言い始めたぶうです。 こちらはネットや「家庭の医学」といった本を調べて、だんだんいろんな「病気」が考えられて、夜も眠れないほど心配になってしまいました。『腸にポケットができてる…?』とか『巨大結腸症かも・・・。手術で治るっていうけど、入院はどれくらいになるだろう…』とか。 でも、「それは画像から一目で違うとわかるから、大丈夫。ぶうくんの症状は違います」ときっぱり言われて、ホッ。 (たぶん、ドクターにはばかばかしい質問だったと思うけど、きちんと聞いて答えてくださいました。ドクターによっては、「はあ?言ってることがわからないけど?」と意地悪く切り返してくるので、聞くに聞けないのです) ただし、多くの二分脊椎の子の頑固便秘の場合、直腸から詰まっていて、摘便(指を入れてみる)するとすぐ塊が触るのですが、ぶうの場合大腸の中なので、わかりにくい。今後も十分注意が必要・・・なのです。 むなしくなる一瞬です。ずーーーーーっとまじめに、排便管理に努めてきたのに。洗腸に行きつく前だって、浣腸で吐いたり下剤でつらい思いをしたり。洗腸にしてからは、ずっと母が洗腸キットの先を抑えてぬるま湯を入れてやって、やっと自分でできるようになった・・・と思えば、水量入れすぎ、今度は十分出てなかった・・・。気付かない親も親だよなー。 しぼんでる私を気遣ってか、前回も今回も看護士さんが、細かに対応してくれました。昨日は休み時間に入ってる看護士さんも、「出たんだって!よかったねえ!」と飛んできてくれました。「心の問題」だと思ってた等の話に、「そうだよね、そうだよね。わからないよ。微妙な年頃だしさ、いろいろ考えちゃうよね」なんて、言ってくれるだけでうれしくなっちゃう。 しかし、こんなに手厚くされたのって何年振りでしょうか。ぶうは、ほとんど「小児外来卒業組」扱いで、本人が行くのは年に2,3回、それも顔見世興行で、先生方に「元気です」の証拠を見せるだけ。それが「今回はけっこう緊急だったなー。これで出てなかったら、次どうしようか、って思ってたんだよ」と、ドクター。思っていた以上に「重症」だったのかも。 ここの病院、新患は中3までで、それ以上の「患者さま」は「キャリーオーバー」と言うんだとか。18歳から先は、診察はできても処置はできないとか、いろいろ不都合がでてくるのです。ずっと先のことだと思ってたのに、もう押し出されてしまう年齢です。なのに、やっぱりトラブルがあればここしかないんです。(だって、近所の胃腸専門クリニックではぶうの便秘はわからなかった) これから先の「進路指導」が必要ですよ、私たちには。 大人なりかけの障害児(者かな)の親として、ありがたいけど、やっぱりこの先心配と改めて感じた今回のトラブルでした。 これから、一時間以内でトイレで洗腸しきる「水量」を見つけていく作業です。 ドクターは「毎日が基本」と。でも、実際生活では毎日1時間からトイレにこもっていたら部活動などはできないのです。3~40分ですむならいいかな。本当は、二日に一度、一時間ですませたいところです。(それが詰まった原因かなー) しばらくは、「排便」とむきあって、学校生活との折り合い点を見つけることになりました。
2010年06月24日
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もう障害「児」という年はないぶう、だけれどやっぱり「障害」は病気じゃないので、生まれたときからずっと体の一部。二分脊椎で水頭症シャント入り、感覚・運動麻痺で歩行困難、排泄障害、側わんあり。 16年つきあってきました。管理できてるかなー、このままいい調子でいけるかな、と思うと、時々思わぬところから、トラブルに襲われるのです。 春からなんだかわからない、もやもやとした不調が続いているぶう。一つは「おなかが痛い」。 便は、小学校の1年生の時から洗腸で、出しています。成長とともに、微妙に使う水量を変えていく必要がありました。 また、神経質になりすぎて水量オーバーの時もあり。 だから、今回も「気にしすぎ」では、とずっと思って、母の心は本当は「もう少し頑張れよ」でした。 トイレにこもって「出ない」と水量を少し(禁じられてる量より少ない)足す・・・でも出ない、と3時間もすわりっぱなし・・・。 あんまり続くので、近所のクリニックに行ったら、偶然神経性胃腸炎の中学生が二人も(近所の子)。ぶうもそんなとこだろうなーと私。ドクターは「腸はぐるぐると動いていますね。これはやはり痛いかもしれません。洗腸で『善玉菌』も洗い流してるケースもあるんです。とりあえず、整腸剤で様子をみましょう。それでだめだったらまた考えましょう」と。 せっせと与えられた整腸剤「ミヤBM」を飲みました。まじめに学校にも持って行って。 だけど、だめ。 あんなにがんばってた部活もまったく行けなくなり、学校も「やっとだ」。 んん・・・。これは洗腸のやり方が間違ってるのかも。また神経質にやりすぎてるかも。ト思い、小児医療センターの洗腸指導医へ。 (とても人柄のいい先生で、母のぐたぐたの相談も聞いてくれます。ただものすごく忙しいドクターだし、抱えている患者さんたちは重篤なケースが多々ありなので、気軽には悪くて定期以外にはお願いできません) 本当にこのままだと、不登校になる、いつ「もうおなかが痛くてがまんできない、帰る」と連絡あるかと気が気ではない、等母もさすがにまいってきました。はっきりさせなくては。 ドクターに「おなかが痛い」現状を話し、ぶうは「洗腸してもここのところうまく出た感じがなく、猛烈に『出したい』という痛みばかりがある。3時間ねばってもだめ。次の日もこの痛みは続く」と。 (生まれてからずっと通ってる病院だけど、自分で説明できるようになったわー) ドクターはしばし「……」。「症例がないなー」。 んんん…、なんと正直。「わからない」ということだわ。 「とにかく、腸の動きをチェックしましょう」と肛門からバリウム液を入れてレントゲンをとることに(バリウムってあの健康診断の?と思いましたら、ものすごく薄くて水と同じなんですって) そして、病院で洗腸をして再び、レントゲン。 そしてわかった新事実…。ぶうの大腸の中は、こりこりうんこでいっぱいだったのです。 あんなに洗腸やってたのに…。映し出されたうんこの行列・・・。 大腸の中のS状結腸(直腸からカーブをするところ)が細い、なぜか。腸はものが流れてくれば対応して膨らむけれど、それが膨らまないところがあるのです。そこから便が一度出なくなったらもうダムのようにせき止められてうんこ、うんこ、うんこ・・・・。 なんてこった。 いつから「細い」のか、どうして「細い」のかは、わからないのだそうです。おなかの中がうんこでいっぱいという事実があるのみ。 せき止められてるのだから、刺激のある下剤や浣腸はNG。七転八倒するのみだそうです。 少しずつ低刺激で落とすしかない、とのこと。直腸部分なら指で掻きだすことも可能ですが、とても届かない部分です。 ドクターと看護士さんのおススメは「即入院」コース。徹底管理のもと、少しずつ便を落として、管理の方法を考えるのです。 でも、私もぶうも「入院はいやじゃー」。学校の「出席」は大切だし、期末テストは、一応中間テストの不備を回復する気でぶうはいるし。そしてなにより部活動は、夏の大会に向けてエンジン全開にしつつある・・・。この病院は「小児」専門につき、いったん入院したら「監禁」状態で、ピーピー泣いてるベビーと一緒いすごすことになるのです。遅くまでバラエティー見たり、プロ野球のラジオ放送に熱くなったりはあり得ません。半分大人のぶうには耐えがたい…かも。 すごく穏やかな先生が「だめです。学校だって試験だって部活動だって、体が基本です。体を整えて、その上に成り立つものです」とやけにきっぱり・・・。 だけど幸か不幸かベッドも空きないし、先生しばし出張。 それで、おまけの自宅管理になりました。学校も無理じゃなければ行くですよ。 毎日決められた薬剤を入れた溶液をつくり洗腸すること、絶食(!)することが条件です。 絶食!! 「便」のもとをつくってはいけない。便が出てしまうまで、世間でいうところの「体にいいもの」は、食べてはいけない。特に牛蒡、サツマイモ、こんにゃくなど。 その代り、経口栄養のレトルトを毎食飲む・・・。 ようするに胃腸系の病気や手術をした人のように暮せ、と。 おかゆはOk。カロリーメイトOK。とろとろシチュウOK。 まあ、母もダイエットと思って付き合うかなー。 「つきあえない!」と訴えるのは、家に約一名。おとう。 もし、自宅管理がうまくいかなかったら今度こそ「入院」だって。 部活は先生と相談しなければならないし、担任の先生にももちろん伝えて・・・。 ぶうは、障害原因の久しぶりの「病人」になりました。先生の説明書に(汚い字だよ、この人も)「確かに聞きました」のサインをしたのです。 見込みは・・・、わかりません。 ドクターも「こういう例はないなー」と言うし。(同じ障害の子でひどい便秘だと、直腸から詰まっているのだそうです) 梅雨の始まりとともに、重い雲がやってきて、とんでもないわー。 だけど、まあこんなこともあるのよ、この子たちには。肝心なときにトラブル発生の星の下かもー。 梅雨の合間の星空に、「どうかうんこが出ますように」と祈りまーす。
2010年06月16日
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結局5月は、雨が多く寒くてぶうは、低空飛行のままでした・・・。(本人は、体調不良は天候不順のせいだと、申します) 今週は、なんとかさわやかに晴れてるし、ぶうは学校も部活もなんとか行っています。 今週は泌尿科のみ、母がぶうのおしっこミニボトもって、行ってきました。 そしたら病院で久しぶりに、赤ちゃんの時から知っている青年に会いました。もう大学生です。 心理とか社会学とか(おばさんにはよくわからない)学んでいるんだとか。お母さんによると、「考えること」が好きなのだそうで、何を考えるかというと、物事の真実とか、人の喜怒哀楽は何を持って感じるのか、とか・・・らしいです。静かな思考型青年、って感じ。 小さい時を知るおばさんとしては、「あんた、なんでそうなった?」と思ってしまう。 だって、こいつ3,4才のころは、いつでもALL TIME何か食べてないと気が済まなくて、次から次へとお菓子を口に入れて、あげくに吐くほど食べてた。ストップする能力に欠けてるんじゃないかと思うほど。 そして超活発。病院の廊下でリハ用の歩行器を同じ二脊の男の子と奪い合って、つかみあいの大げんかしたことも。二人ともクラッチ、装具なんだけれど、「これは僕のなんだよ!!」「僕が使ってるんだよ!!」とギャアギャア泣いて、体のバランスうまくとりながらお互い攻撃・反撃の大騒ぎ。当時の院長先生が通りかかって、「いいぞ、どんどんやれ。ずーっとそこでけんかしてろ!」と一喝された少年です。 そのころ、ぶうは世の中すべてが恐ろしく感じられて(たぶん)、何かに付け泣いていました。とっくみあいするBOYSを見て、「同じ二脊でも、随分気質が違うのだ・・・」とうっとり見ていたおばさんです。 患者会の集まりで、母達はおしゃべり、お兄ちゃんや元気な子供達は外に遊びに行くとなると、必ずクラッチついて、追いかけていきました。(ちなみにぶうは、ずっと後までママのそばから離れない子でした) 体型は大食だけあって、ポテチン。 それが目の前の青年は、伏し目がちで静か。その活発さから「将来はきっとパラリン目指すアスリート?」などと言われていたのに、全くのインドア派で「なんか考えてるのが好きなんだよねー」だなんて、誰が予想した?それに、なんといってもやせてる!顔は面影あるのに、まるで別人みたいだわー。 子供は、本当に変わる! 大げんかの相手は、泣き虫で人見知りの子で、小学校の頃は「こんにちは」と言っても絶対知ってるのに、無視。今は愛想がいい好青年。春休みにぶうが診察室に呼ばれたのに姿が見えなかったら「僕が探してきましょう」などと言うので、びっくり。 ぶうと同い年の車いすの女の子は、小学校の頃まで同じ学年とは思えないほど大きく、1年生の頃はぶうは細くて小さくて、この子の三分の一くらいのサイズに見えました。性格は明朗活発、力強し。ぶうは比べたら赤ちゃん。まったくお話しにもなりませんでした。でも今は、対等よ。不思議と相手のことを、自分の子供のサイズから眺めるから、「なんて大きなお嬢さん」と思ってたけど、今は「きゃしゃねー」なんて言っちゃう。 (ぶうには内緒だけど、この子って、すごくいい子だと思うの、母は。だから、この間ばったり病院で会ったとき、病院内携帯禁止なのに『ぶう、メルアド交換しなさい、今すぐ、ここで』と言ってヒンシュクをかいました・・・) 近所の子だって、小さな時自分の遊ぶ世界しか見えてなかった少年が、ある日「おはようございます」と言って挨拶したり、やんちゃばっかりだった子が、静かな恥ずかしがり屋になったりしてるです。ぶうの中学時代の学年トップのなんでもできるスーパー優等生は、幼稚園に入る前は、近所あちこちの家に黙って入って、冷蔵庫の中味を点検しては捕まってたし。「ん?物音?」と思って台所に行ってみると、チビちゃんが冷蔵庫開けてのぞき込んでるんですって。 ぶうだって、このごろは泣かないし、大きい小さい関係なく大嫌いだった「子供」も、いつの間にか平気になって、同じ年頃の「人間」といるのはなかなかおもしろいことだ、と思うようになっています。 ぶうが小さかった頃、先の予想はつかず、爆発してる性格の子は爆発した大人になるのだろう、人嫌いのぶうは団体生活は無理かもしれない、と思っていました。 だけど、成長の過程は二転三転、変わるんですねー。 ぶうも、まだ変わるでしょうかー。悩み多き青春のまっただ中・・・かな。さらなる成長を期待したいところだわー。
2010年06月03日
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今年のロッテ・マリーンズは、去年とは違う! 去年は、連敗はあっても連勝はなかった・・・。 今年はなんと、首位争いの主役ですぞ! 開幕前の批評家達の大方の予想は、Bクラス、最下位予想だってあったぞ。日ハムが盤石だろうと。オリックスは「台風の目」、ロッテはそこまではならない等々。 ところがどうだ! 見よ! 交流戦で、Gに負けたのはなんともくやしいけれど、昨日は、中日をぴしゃ!。俊介のアンダースローがさえ渡りましたぞ。藪田も小林宏もほれぼれ! 美しい・・・。 と、うちも見に行きたい・・・、でもぶうは忙しい。 だがしかし、マリスタ開幕日、行ってしまいました。もちろん内緒です。「家の所用」です。 そして、この連休、ぶうの中学時代の数少ないロッテの友達が「ぶうとは一度は一緒にマリスタ行きたいよ」と言ってくれ、彼も部活動で忙しい中から二人で「5日」と決めました。 なのに、ぶうはその2週間前から低空飛行。部活どころか学校もおぼつかないのに、野球の応援?ちょっとそれは・・・。 ぶうには、「連休中に部活に行けないようなら、マリスタはだめだよ。部活にだって筋ってものはあるのよ」と、伝えました、きりっと厳しく。 調べると車いす席はとっくに売り切れ。自由席の身障者優先席を狙うしかありません。しかもぶうはまったく立位が取れませんから、ずらっと一列優先の中の通路際じゃないと出入り介助はできません。身障者優先席は、自由席の中でも見る位置が良く出入りも便利なので、「優先」といってもすぐ取られてしまいます。そこを「どいてください」というのも気分の良いものではありません。 開場とともに入って、優先席を奪取する必要があります。 また、自由席は当日券がほとんどですが、どうも「五日」は特別らしく、新聞屋さんの「招待券」のくじ引きにも外れてしまいました。仕方なく「自由席前売り券」を買いました。当然この日指定の券で、入場が確保されると思っていたら、「入場券引換券」なのです。やっぱり当日窓口で、入場券に替える必要があったのですー。 これは早く出なければ。午後1時試合開始。10時がぶうの入ってるファンクラブのチケット販売時間。一般は10時半から。窓口が違うので、二手に分かれて並ぶ必要があります。 ぶうは大丈夫なんだろうか。 でも、何時に出るか。最初9時到着と言ってた。でも、スムーズに駐車スペースに入れるのか、入り口はよく渋滞してる。そんなしてて、チケット売り切れたら元も子もないぞ。 そこで、7時出発に。なんか学校行くのと変わらない時間設定。 「ぶう、だめだよ、行けないよ」と、言いながら「早く出るようにしないと、チケット取れないかも」と人数分の、マリーンズのユニフォームを用意し、タオル、フラッグも忘れてはいけない、7回裏に飛ばす風船も残っていたはず。 「もー、ぶうは行けないよ」と、言われながら当日はぶうは「もううれしくてドキドキして眠れなかった」などと言い、うちとしては珍しく時間厳守どころか前倒しで、友達をピックアップ、マリスタに向かったのです。 いつもは通勤ラッシュの時間。さすが休日、がらがらで、1時間もかからず到着してしまいました。8時前に着いたら、人いないんじゃない?と思ったら、とんでもない、もうどんどんスタジアム周りのお店の準備をしているし、すごい勢いで駐車場も埋まっていきます。早かったけれど、「早すぎ」ではけしてなかったのです。 チケット売り場は、人影がない・・・、「これはうちらが一番だぜ」と窓口前に行ったら、ファンクラブ専用窓口も一般用窓口も、すでに場所が取ってあったのです! それは、コンクリの地面に人の立ったくらいの大きさの枠をガムテープでとって、そこにマジックで「○○(氏名)6名」とか「△△3名」とか書いてあるんです。こういう手があるとは。すでに10枠くらいガムテ予約が入っています。 早く並ぶには、ガムテとマジックが必須アイテムだったのです。「一つ学習だね」と、世間知らずのぶうたちと確認したのでした。 ファンクラグ窓口にぶうと友達、一般に私。おとうはフリーでふらふら。 「あー、これから2時間以上並ぶ。文庫本ひとつ持ってこなかった」と呆然と立っていましたら、後から来た若いお姉さんが「貸しましょうか?」と言って下さいました。お姉さんは、慣れた手つきでガムテで四角を作り、真ん中にも一枚貼って、名前と人数を書きました。ありがたい! ガムテをありがたく借りて、やっとしばしフリーに。ぶうたちとかわってやって、ぶうたちはスタジアム周りを初めて一周し、すごい外車が並んでるスペースを発見して「これらは選手の車?」と想像したり、相手チーム(この日は日ハム)の応援団が続々集結するのを見たり、早く来ても退屈することはなかったのでした。 でも、ひとつ困ったこと、トイレが外にない。普通のしかも狭いトイレのみ。車いす用は、スタジアムの中の、たった一個しかなかったのです。 えーー!ちょっとこれは困る。ぶうも友達の手前があるし・・・。でも、「スタジアムの中のトイレを特別に使っても良いよ」とはどの係員からも言われず、結局体にも悪い、と久しぶりで車の中でしたのでした。 おとうが一緒に付き合って、急遽ペットボトルを一本空けて、それにカテで入れたそうです。「飲まないように気をつけろよ」って、中あけて捨ててくれよー。 まあまあ、車いすで来る人がいるとは思わないで作られた施設は、こんなものです。 入場券は、無事ゲット。優先席は、スタジアムスタッフが取ってくれて、ぶうと友達二人座って、私たちはうまくすぐ後ろの席が取れ、ずっと心配だった「観戦」は、なんとか果たされたのでした。 話題の、「キムチバーガー」安売りの期待のかかる、キム・テキュンはこの日、残念。からぶりでした。 私は、ここまでで疲れてしまって、実は肝心な試合はうとうと・・・。 おちつきのないおとうは、買い食いの鬼。お弁当食べてポテトだジュースだアップルパイだ・・。 本当は「筋」を通してこういうところに来てはいけないぶうと、その友達だけが、真面目に熱心に、気持ちとぎれず応援していたのでした。 結果は残念。日ハムにやられてしまいましたが、ここまでで7勝1引き分け。初めての「勝」を譲ってやった、という余裕の気持ちで、そんなに「がっかり感」はありませんでした。だって、去年はボロボロ。大差だったんですから。 ぶうたちは、「叫びきった」と、連休最後の一日をロッテに捧げた満足感と、一敗でもくやしい、と次のへの闘志で、おおいに盛り上がっていたようです。 ぶうとその友達は、「自分のために時簡を使うのは、今日が最後。あとは部活!」だそうです。彼も、違う高校の吹奏部です。これから、夏の大会にむけて一直線の青年たちでした。 結局ぶうは、その次の日から土曜日までは参加して、日曜日はバテ・・・。低空飛行だなー。
2010年05月19日
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ぶうが低空飛行ながら部活に参加した日、こちらは畑仕事です。 虫にやられたコマツナとカブですが、一週間たってみると、けなげにも残った葉っぱがちょぼちょぼ成長していたのです。今度こそ紗で覆って、防虫対策ばっちり、出直しです。がんばれ~。 タマネギとニンニクは、プロの畑に比べると玉が大きく成らないし、途中でダウンしてしまったものもあり、かなりざっくばらんな出来映えではありますが、もう少しで収穫に行きつけそうです。 ビニールトンネルにしたのは、トマトです。今年は気温の上がりが十分でなく、苗屋さんから「まだビニールかけといた方がいいよ」とアドバイス受けました。それにトマトは、水を与えない方がおいしくなるとか。もっと大きくなってきたら、支柱をたてて、ハウスの枠の上をビニールで覆う予定です。 ナスも3本植えましたが、早くも一本ダウンの兆し。しっかりしてくれ~。 ジャガイモは、半分寒さにやられた(種芋の切り方が悪かった、とも言える)けど、後は順調、たぶん。 その横にスイートコーンの種を蒔きました。本当は遅い・・・。もらった(思い出したくもないクビになった職場で、たまたま)ものだから、なんとしても蒔く、目の前から種を消すのだ、と土の中にぶち込みました。だけど、これは虫に襲われる代表選手。「自主独立」が基本の我が家の作物としては、モノになるのは難しいかも・・・。 ソラマメは、先週アブラムシをニギニギして、虫が嫌がって逃げる「自然素材」とい農薬をシュパーっとかけたので、今週は順調。遅く蒔いたのがかえって4月の寒さにちょうど良かったかも。一段目が大きくなって、空から少し頭を下げだしました。 もう枯れてしまうと思った三月豆(エンドウ)も、手のひらくらいの高さしかないのに、気丈に花を咲かせ、一つ二つと実をならせています。えらい! サツマイモ苗、25本埋め込みました。芋は自分ででかくなるから、我が家向き。期待してるよ。 植えっぱなしのアスパラが、この2週間くらいが旬で、収穫逃すとあっという間に伸びて葉を広げてしまいます。自家製のアスパラ、オリーブオイルで炒めて塩、パッパッは何とも美味!ですよ。伸びてしまっても、葉は細く繊細で涼やかなので、プライド高げな存在感はあるのよね。 なんと10種を越える作物が、我が家の畑で成長してるなんて、前代未聞かも。 春の収穫に夏の準備、という時期ではありますが、定番の芋類、ナス・トマトに加えて、種ものが今回多いです。コマツナもカブも初挑戦。スイートコーンは何年か前に惨敗以来の再挑戦。 さてさて、どうなることやら・・・。 って、去年は中国野菜とか蒔いて、大失敗だった・・・。 そんなことも乗り越えて欲しい、君たちには! ファイト!! では、また一週間後に。 あ、一週間後には新しいお友達、落花生君が入る予定なので、よろしくね。
2010年05月12日
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やっと風が変わりました。光満ちる季節! ぶうと近くの公園に、八重桜を見に行きました。 連休中ですから、ぶう君は学校も部活もお休み? いいえー。全部キャンセルです。ただいま絶不調・・・心が。 本当は今日も部活、あります。学校はー、連休前2日休みました。その前から部活は参加できてませーん。 一週間前くらいからかなー、いつもの「頭痛い」「おなか痛い」に加えて「吐きたくないけど気持ち悪い」「体が重い、だるい」「熱がある気がする」「暑いのか寒いのかわからない」等々、すばらしい不調のバリエーション。 間一日、登校したら、もう「頭痛くてがまんできない」と、それでも授業時間までクリアして帰宅。薬も今ひとつ効きません。 なんだろねー。クラス替えがあった、今までよりやんちゃ系、チャラ系が増えて落ち着かない、先生が怒りがち、部活ではすごく気があった先輩が卒業してしまった、今までとは違う気力実力十分の後輩がわんさか入ってきた・・・。 学年が上がればこういうことは、当然ありがち。 そして、それに「心」が対応しきれないのも、ぶうにはよくあるのです。 「車で一緒に学校行って、外で待ってようか?」 「それじゃあ小学校と同じだよぉ」 と、ぶうは言うけど、症状は小学校2年生の時と同じ。 そして、それは大なり小なり繰り返して起きる。「行かなきゃ」と心は思うのに、体は言うことをきかない、不調の嵐。でも、熱はないし、夕方にはけっこう元気になるのです。 今までの経験から、「どうして?」と聞くのは無意味、「コントロール不能」は自分でも説明できないことなのです。怒っても体調は改善しません。 熱もないし、顔色悪いわけではないので「今休んだら、授業についていけなくなるし、部活も迷惑がかかる!!!」と、布団から引きはがしてでも学校に蹴飛ばして送り出したいところなんだけれど、それは本人がよく分かっていること、こちらはがまん、がまん。 光り輝く季節到来。ぶうを誘って散歩。途中スーパーでお弁当買って公園で食べることにしました。 まだ若葉は白く、風に八重桜の花びらが舞い、なんて美しい! 午前中最低だった体調のぶうは、しぶしぶなのにお弁当抱えてがんがんと車いすすっ飛ばして行きます。そして、携帯で今年は好調のロッテのデイゲームの経過チェック。「あー!だめだ」とか「やった!」とか一人大盛り上がり。 母は、「ふーん、打順はだれ?」と話を合わせるけど、本当は「なんだよ、そのギャップ」と涙が出ちゃうよ。 ベテラン臭く、「待つのです」などと言ってますが、学校に行けない状態、いつだって心配ですよ、慣れませんよ。「このままだったらどうしよう」の繰り返しです。 今日は、とりあえず外に出て五月の風に吹かれました。「どうか元気が心に満ちますように」、こちらも「何でも受け入れる広い心を持てますように」と、思うです。
2010年05月03日
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かつてない厳しい4月でした、人間にも植物にも・・・。 4月に入ってから、経験ないほどの長い低温期間、そしてつかの間の晴れは真夏。あられや雪が中旬にもなって降りました。 わずかに植えた野菜、さんざんです(--)。 こういう時は、細かい対応が求められるのに、それができない我が家、当然と言えば当然の報いなのでしょう。 じゃがいもは、40コ近く仕込んで、3分の1がそのまま腐ってしまいました。イモ類だけは、毎年ちゃんと芽が出てしっかり収穫できてましたから、がっかりです。ショック。たぶん、この地区にありえない低温~遅霜にやられたのだと思います。マルチがけとか必要だったなあー。 コマツナとカブの種を蒔きました。小さな芽が出てから続いた低温、雪もありました。だからチェックした時は、けなげに双葉をのばす姿に安心したのです。ところが、一週間の間に、真冬もあったけど真夏もあり、二日ほど。その二日の間のことと思われるのですが、次に見た時はすべてマルボウズ!! 「葉っぱが一枚もない!」 特にコマツナ・・・。あわれにも1センチくらいの細い茎が一列にならんでいるだけ・・・。悲しすぎる。 カブは少し成長が早かったからか、ちぎれてもいくらか葉が伸びてたけど、この後モノになるんだろうか・・・。 虫たちも、寒さに閉じ込められて身動きできなかった、そこに「夏」がやってきた!「それ、食ったるぞ!」とむしゃぶりついたのかな・・・。 トマトやナスの苗が出てるけど、今一つ手が伸びません。 一日二日暖かくても、また雨だもの・・・。晴れた日でも、風は暖まってないし。 まわりの田んぼは、2週間前に吹雪だったのに、もうどんどん田植えをしています。早場米の地域ですから遅いくらいなんでしょうけど、大丈夫なのかなあ。 波乱の春だわぁ・・・。
2010年04月27日
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春の診察巡礼、小児医療機関では、泌尿(これは毎月ですが)、脳外、小児外になります。 泌尿は、今のところ問題なし。毎月使い捨てカテーテルを一箱50本×4箱もらって、細菌感染予防に「ケフラール」、膀胱の壁を柔らかくする「バップフォー」を3ヶ月分処方してもらいます。カテーテル用にグリセリン、消毒液「ヂアミトール」のボトル をもらう月もあります。 使い捨てカテーテルがどうしてもいるので、毎月来ますが、「導尿指導料」として八千円近くとられるのは痛いし、大きな声では言えませんが先生にも会いたくない・・・。マイクで次に診察室に入る人の受付番号を呼ぶ声さえ、機嫌の悪さビシビシ。ここに来るときは、笑顔のみ、と固く決意してるので、「わけのわからないお母さんだ」と言われようが何しようが、へらへら笑っておりますが。 いつもは検尿持参するだけだけど、今回他科診察のついでで、一緒に来たぶうに、「どう?元気でやってる?そう」と、気のない励まし。はいはいありがとさんでーす。 脳外では、頭痛の相談。ぶうは、以前から何かに付け頭痛になるんです。シャントのトラブルと紛らわしいけれど、そういう大変なところから来ている感じではない、いつも。続けて飲んでも影響ないと、市販薬「タイノール」を勧めてもらって、痛いときは飲んでいます。 でも、数日続いたときには、「さすがに病院に来ようか迷いました」と言ったら、ドクターは、「今元気なんだから、シャントや何か他の重大な病気ではないよね。頭痛は、コントロールの仕方を見つけて付き合うしかないかもしれないね」と。そして体の筋力の緊張をとるタイプの薬を勧められました。「また薬・・・」と思ったのですが、続けて飲むんではなく、痛みのコントロールとして一つの方法なんだとか。タイノールは弱い薬なので、プラス合わせて試してみたら、と言うのです。しかも「私も疲れが溜まると頭痛に襲われることがあって、体の緊張をほぐすために飲むんですよ」とおっしゃる。「ひとつの方法のお試し」として、結局5粒だけ(頭痛5回分)処方してもらいました。いつもの頭痛薬ではちょっと効かないとき、試すことに。 この「頭痛」は、何か重篤な病気の前触れとはやっぱり区別がつく感じがします。だって食欲は落ちないし、「頭痛い」と言いつつまあまあ元気だし、「いつものタイプ」と自分で判断できるし、です。それに、幼稚園くらいまで「頭痛いと訴えます」と、何度か緊急CTを撮ってもらっているんです。毎回シロ。こんな前からの「体の癖」というか、シャントのためというか手術後の影響というか、おつきあいなので、区別がつくようになったのかな。 小児外科は、排便の問題。 ぶうは、最初のおじいさま先生は「センナ」という煎じ薬をほんのわずか飲ませる方法を勧めました。それとぬるま湯浣腸。100ccくらい。この先生が定年退職して、次の先生は「ラキソベロン」。1滴2滴だったと思います。これは、他の病気のお子さんも処方されてました。ただ、いつ出るか分からない。「出そう」という感覚がないので、次の日外出ができなかったり、コントロールが大変でした。漏れストッパー付きの浣腸を使うお子さんも多かったのですが、うちはなぜか体に合わず、必ず上にオエーッ。 なかなか、体に合って管理も楽な排便方法がなく、小学校入学の時に、洗腸を始めました。うちの病院では、多くのお子さんが就学(早い子は4才くらいから)前後から始めます。ぬるま湯を適量、肛門から流し入れて中の便を出す方法です。 洗腸パックキットを購入して、病院で指導を受けてから家庭で管理していきます。これでずっと排便しています。 体の成長とともに必要な水量が変わったり、水を入れたパックをつるす高さで排便の出方が変わったり、うまく出なかったり、いろいろありますが、うちはこれでこれからもコントロールするしかない、と思っていました。 ところが、このキットを作っていた会社が、突然製造中止。形を大きく変えてしまったんです。次はストマ専用になってしまって、とても肛門からは入れられない形。でも、仕方ないからこれを使え、とドクターや看護士さんは言うんです。 使いにくい。使えない。私たちは口々に訴えるけど、状況変わらず。今はどこにも旧型はないので、昔のものを大切に大切に使っているのです。ドクターに「お願いしますよ。前の形を復刻するよう業者さんに掛け合ってください」と、今回も言います。人の良い先生は「んんん・・皆さんそう言うけど、なかなかねええ」とやっぱり同じ返事。 困っている人は、全国たくさんいるのに改善されない。 毎日の生活に影響するだけに、「どうしたらいいの」と思う問題です。 側わんの進行、頭痛との付き合い、洗腸キットの絶滅、問題はいろいろあるんだけれど、とりあえず決断を迫られるような身に迫る危機はなかったので一安心。 問題は持ち越しー、となりました。 しかし、アンテナを張ってなければ、と思うことばかり。しかも広く。 洗腸と側わんの情報、ありますかー。
2010年04月16日
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この春休みも恒例の二分脊椎系外来巡礼をしました。 皮切りは「側わん外来」。診察科は整形ですが、「側わん外来」は別の病院です。設備、スタッフ等いつも通う小児専門では間に合わないらしいのです。 レントゲン撮影の結果は、△。Xに近いかも。曲がりが50度を越えてしまいました。 3年前の手術の経過は良好なんだけれど、やっぱりその上が・・・。 場所は胸椎になってしまう・・・。 ドクターは「ううんん・・・。場所は大変だよね。ひどく進めば呼吸に影響が出てくるし、手術と言っても危険は前回よりずっと大きいし、術後の生活への影響も大きい」 こちらは、あいかわらず「手術はいやです」のみ。 結局は何も変わらず、「経過を見ましょう」ということに。 前回も進行するときは、どどどと曲がって、なんとしても止めることはできなかった・・・。 このへんが、症例の少ない地方病院の限界かも。この障害に多い合併症のひとつにもかかわらず、他の病院に行かざるおえないし、行った先ではごくまれな症例で、先のことがいまひとつ読めないように思えるのです。そして違う病院に行ってしまえば、いくつも診てもらってる病院のカルテに側わんの症例は記入されず、ぶうの体の中に起きてる事々の中に入ってない・・・。ぶうにとっては重要なことなのに、横のつながりがないのはなんとも不安です。 じゃあどこって、それも情報が取り切れない・・・。おとうがちょっと調べた情報では、ぶうの股関節から問題だろうと。 そりゃあ股関節は、はずれっぱで、骨盤もゆがんでいる。そこから伸びる背骨は、当然ぐらぐら。ここから手を付けましょう、と仮に言われたとしたら・・・、どんな大手術?どれだけの入院? 次はまた夏休みの最後のころだし、「いよいよ大変」とは言われなかったので、やっぱりこのことはしばしふたをして考えないんだけれども、今、一番身に迫るのは、この「側わん」の問題かもしれません。 整形でも考え方は、積極的に手術をして形を整えていこう派、社会生活、生命維持に影響なければ、多少の不便・見た目は受け入れて手術はしない派の2つに別れるように思います。 症状もいろいろだから、どっちもとっちなんだけれど、今、生活は「障害」とのつきあいよりも「社会」での生活のほうがウェイトは断然重いと思うと、多少の不便はあってもそれに合わせた道具なりを使って、社会生活はとぎれさせたくないです。 とにかく、これ以上進まないで、と祈るのみ。(ああ、前回の手術の時もそうだったけど・・・)
2010年04月15日
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桜、今年は満開が続きました。 それだけ寒かった・・・。「花冷え」というより「冬はまだ終わってない」という感覚のこの何週間かです。 先週の日曜、夕方。「今行かないと、今年の桜をゆっくり見るチャンス、なくなる」と思い、近所の公園の「お花見広場」に行ってきました。 おとうは仕事。ぶうはもちろん部活で、しかもみんなで「お花見」にも行くんですって。(ちぇっ) 日没間近の公園は、もう散歩の人もまばらで、日中のにぎわいの余韻もありません。 静か、です。 そしてまた日曜日。花吹雪が始まりました。今日は、古い桜が並木をつくる高校に、夜桜吹雪を浴びに行こうと思っています、一人で。 静かだなー。
2010年04月11日
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ぶうは、吹奏をやっているのですが、ポチポチやってた中学とは違い、春休みももちろん毎日行っています。 定期演奏会は、ものすごく密度濃くて、よくこんなに曲を用意したと、しかも演奏のレベルも高い、と感激しました。どれだけ練習したんだろうと、涙ぐむ親ばかでした。 でも、ちゃんちゃら笑っちゃうレベルなんですって! 今までなかった「親の会」が発足するらしいです。 「毎日の練習の風景を見てください」と、親の見学会がありました。 親の顔合わせだったわけですが、そこでの親同士の話では、顧問先生はまだ本気ではないというのです。前任校から聞くと、本当にやり始めたらこんなものではないのだとか。 7時までが練習時間ですが、県大会から上に進む高校でこんな時間で終わらせる高校はないのだそうです。 定期演奏会も、前年から比べたらはるかに質が高い演奏ではあったけれど、一度評判の高校の演奏会を、父兄も見たほうがいいと。せめてDVDででも。どんなに差があるか、親も認識すべきだって。 全国レベルの吹奏部だった中学から来た(何人かいるんです)生徒さんは、周りの「仲良しクラブ」的雰囲気に、気力がなくなっているのだとか。・・・・・十分ばりばりやってるように思えるのは、へぼな中学から来たから。 上を目指すなら、親がサポートしないと無理なんだそうです。 はあ・・・。夏の大会に向けての練習などは、ものすごく過酷だったと思うんです。 でも、それでは生ぬるかったのかあ・・・。 私もおとうも経験ない世界だわ・・・。 親も団結!サポート!って何するんだろ。 ただでさえ、へたばってるぶう。この先どうなんだろう。 新入生は、2・3年生合わせた数の倍以上入るのでは、と予想されてるようです。すでに「練習に参加したい」と、問い合わせがたくさんあるのだとか。 ちょっと部室のぞいて、「君も入りなよ」なんて勧誘されたのは、ぶうたちが最後なのかも。ぼちぼち組は、「今でもばてばてなんだけどー」と肩寄せ合ったのでした・・・。 ぶうが卒業した次の年、きっと全国大会にまで行くくらいに出来上がるのでしょう。 すでにちょっとさみしい気分だわ。
2010年03月31日
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「暑さ寒さも彼岸まで」と言いながら、今日は「真冬だ」とテレビでもラジオでもさかんに言っています。 昨日も今日もものすごいく寒い。桜もちらっとほころんだまま、震えています。 田舎の庭のモクレン、ここのところの激しい天候に翻弄されて、あっという間に咲いて散ってしまいました。 お彼岸準備の一週間前は初夏。半そでになりたいくらいの日差しの中、田舎家の周りの今年初草むしりをしたのですが、その何時間かの間に、ポッポッと花ほころび、3分から一気に満開になる勢いで咲いて行きました。目の前で、季節が進んだんです、すごい体験かも。 モクレンの花は大ぶりで華やか。満開になると、まるで大きな花束のようです。 それなのに、お彼岸の大あらし。家もころがるかという大風に襲われて、あわれ散る散る・・・。写真は、散り急ぐモクレンをあわてて20日に撮り、左が2日後の変わり果てた姿です。 「ハラハラ~」ではなく「ボコボコボコ!!」っと、むしり取られるように花ひと固まりでちぎれてすっとんで行きました・・・。 またまた目の前で季節が飛んで行く~。 そして、冬カムバック。激しいー!!! 暑さも寒さも彼岸気にせずですよー。
2010年03月28日
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先日、田舎のおじいちゃんと温泉に行ってきました。じいちゃんは、栃木に住んでいて、北部は温泉の宝庫なんですよ。調子が悪かったばあちゃんはお留守番で、雪の残る温泉町へ。一泊した朝。お散歩へ。平地では雪の気配もない時でもさすが「北部山沿い」、幹線から少し外れたらまだまだ雪がたくさん。ぶうのすむ町では絶対見られない、雪原の謎の足跡なども発見。ウサギ?狐?狸? ぶうとじいちゃんは、とことこ歩いて行きました。ペンションが並ぶ道からそれて、静かな林の中に入る道、「こっち行ってみっか」とじいちゃんとぶう。あとからおとうとおかあ。自動車も通らず、う~ん、林を抜ける冷たい風が気持ちいい。と、その時、「ここは、立ち入り禁止区域です。もとの道路まで戻ってください」の放送。どこから?こ、これはもしかしたらあれかも!!!おとうとおかあは、「ピン!」と来てすぐUターン。先に行ったじいちゃんもぶうと戻ってくると思ったら、全然意に介さず、のんきにとことこ。再度マイク。「そこの、散歩されてる方。立ち入り禁止区域です。車いすと一緒に歩かれてる男性!これ以上は進めません。戻ってください」と、少し大きな音量になって放送。確実に見られてる。監視されてるよ。でも、自覚のない二人は全然平気。さすがに「じいちゃん!! 注意うけたでしょ。戻るよ」「は? 何?」じいちゃんもぶうもきょとんとしてるんだから、もう。「あの方の別荘地内に入っちゃったんだよ。ここの道は別荘に入る道なんだよ!」何百メートルか先に、小さく鉄柵と護衛詰所らしきものが見えます。近寄ったらすごく大きいのかも。林の道からは何も見えないけれど、たくさん監視カメラもあるのかもしれません。私たちは、「静かな林の中の散歩道」ではなく、「御用邸」への道に入りこんでいたんです。もちろん、入り口に「ここは・・・」などという看板はありません。ただ気づけば「立ち入り禁止」とか木の上に監視カメラとか、それなりのサインはあったのです。へえ、こんなになんでもなく道が分かれて入り口があるなんて。ちょっと意外。でも、建物はずっと先で、影も形も見えなかった・・・。だからこうやって能天気に観光客が迷い込んでくるのね。それでカメラに写ったら、「戻りなさい」と放送するわけだわ。それにしてもじいちゃん、おそるべし。「車いすと一緒に歩いてる人」と言われても、ぜんぜん気にせず。ぶうといっしょに、山々にむかって放送されるたあ、いい思い出じゃあ・・・。
2010年03月16日
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高校の合格発表がありました。 ぶうもこの高校に入学が許されて、一年たったんです。 これからずうっと後になって「あの時が人生、最初の時だった」と振り返るであろうことが、この一年いろいろありました。 初めて経験したことは、まず一人で「電車通学」。大人の人(駅員さん)に「お願いします」と頼んで「ありがとうございました」と、自分で伝えます。 コンビニで、飲料水や食べ物を買う、スーパーの文房具売り場で必要なものを買う、こんなことも初めて体験しました。 それから、自分の障害「二分脊椎症」の一番大変でほかの人に理解してもらいにくい「直腸膀胱障害」を、自分と年の近い同じ吹部の部員に伝えました。 つまり、自分は「おむつ」を常時つけてる、ということを「カミングアウト」したのです。 ばりばりの二分脊椎症のぶうは、排泄の感覚神経が麻痺してるので、尿は「カテーテル」(シリコンの管)を使って出します。「自己導尿」と言われます。 このため、車いすのぶうが自分でトイレに入って尿を出すには、車いすからトイレに移ってズボン脱いで、紙パンツ破って、消毒カット綿、グリセリン、カテーテルを出して、消毒して、カテをグリセリンに浸して尿道に入れて尿を出す~ビニール袋にパンツ、使い捨てカテ、消毒綿を入れてしばる~新しいパンツ+ズボンをはきつつ車いすに移る~身支度整えー終了…ここまで15分はかかってしまいます。 尿や便が「溜まった、今出す、出さない」という感覚がないので、定期的に自分でカテで出すだけでなく、漏れやすいので、いつも「紙パンツ=おむつ」をはいている必要があります。いつも自分の荷物として、紙パンツ、使い捨てカテーテル、ビニール袋、消毒綿、グリセリンボトルを必要数持っていなければなりません。一日パンツは最低6枚、カテ6本。かなりのかさばりようですが、これをいつも袋に入れて、持ち歩いています。 小・中と車いすですから、足が悪いということは一目瞭然なのですが、「おむつをつけてる」「尿がもれる」は、言ったことがありません。 「排泄」のことが、いじめの一番マトになりやすい、と患者会で聞いたし、小学校で担任がかわるたびに相談しましたが、「とてもデリケートな問題。100%の子供が理解できるとは思えない。これから先、学年が上がる、中学になる、新しいメンバーと出会う・・・その時何か曲がった形で誰かが伝えることは大いにありうる。子供たちへの説明は外見的なことにとどめましょう」が、いつも結論でした。「うんち、おしっこの問題を笑ってはいけない」と理解するには、かなり高度な精神が求められます。ぶうの気持ちもまだまだ成長途中でした。 だから、排泄は「車いすだから遅い」ですませてきました。泊りとなれば、紙おむつにカテーテルの荷物はものすごくがさばります。重さはないものの大きさは一人分の旅行カバンほどにもなります。そして、洗腸もあります。宿泊のあった中学の修学旅行、自然教室等は親が付いて行きました。親が排泄セットの荷物を持ち、風呂は親と別に入いり、寝るまでの身支度を見られないようにして、眠るときはみんなと一緒、朝親が起こして連れ出し、その日の服に着替えて…と、おむつを見られないよう、学校と打ち合わせをし、非常に気をつかいました。 高校に入って初めての「宿泊」は、部の合宿でした。 たまたま、合宿所はうちから車でそう遠くない場所。3日や4日位、送り迎えを頑張れば、参加できると、安心しておりましたら、顧問先生が、「一緒に泊まれませんか? 修学旅行も行くんでしょ。これから先、友達と泊まることもあるんじゃないかなあ。部のメンバー、すごくいい奴らだし、親と離れて泊まるいいチャンスだと思うんですよ」と、おっしゃるのです。 親なしで、泊まる・・・・。着替える時におむつを見られる。宿泊分のおむつの入った大きなバッグを、普通のバッグ以外に置かなければならない。風呂は各部屋のユニットバス。ぶうの排泄障害を、伝えなければ「宿泊」は成り立ちません。合宿は、大会に向けて集中するのに、練習場所から宿泊場所への移動介助だけでも大変な作業、一緒の部屋になった人は、さらに面倒くさい・・・。 「おむつ」を知られることは、ぶうはどうなんだろう・・・。 親はいろいろ迷ったのですが、結局自分の気持ちが一番。 去年までのぶうは、自信なげに「できたら、おとうかおかあか、どちらか付いてきてほしい」と、いつも言いました。 ところが、今回は 「参加したい。練習も話し合いもあるから、泊まりたい」と、言うんです! これは正直驚き。 そこで、顧問先生と相談し、自分で一緒の部屋になる先輩や同級生に、「一緒に泊まりたい」ことと、自分の障害のこと、おむつのこと、それにともなう荷物や排泄の時間のことなどを伝えることになりました。その時、相手に動揺や「えー・・・ちょっと・・・」という反応があった時は、顧問先生の出番と。 ぶうの告白は、先輩の「大丈夫だよ。いっしょに行こうぜ!」またまた「よっしゃ、まかしとき!」で、あっさり受け入れられまいた。 親のどきどき結果待ちは、あっさりスルーだったのです。 これだったら中学の時だって、とは決して思いません。やっぱり「今、高校生の時」だからできたんだと思います。ぶうも相手も、精神年齢がそういうことも受け入れられるところに達したから、あっさり「OK」だったんです。 部屋に大きな「おむつバッグ」を置いて、そこから一日分をマイ袋に取り出し、階段の多い移動を介助してもらい、時間になったらトイレにこもり、風呂はユニットバスで、あらかじめ見学して考えた大き目バスマットを入り口に敷くことで着替えも浴室(夏だしシャワー)に入ることも自分でやって、なんとか3泊4日、無事に終えたのです。(ただし、洗腸は自分ではこのときはまだできず、半日家に戻りました) 最後の夜、隣の部屋の男子部員もやってきて、部屋に布団を敷きつめ、夜1時2時まで話し込んだんだそうです。ぶうが初めて体験する密な時間です。先輩たちの恋の話を、おもしろおかしく聞いたそうです。 本当にこんなこと、ぶうが体験できるなんて!! この時間のためだけに高校に入ったとしてもよかったと思えるくらい、うれしいことでした。 顧問先生は、「私の出番は全くありませんでしたよ」と、おっしゃいました。 そうですねー、余計なことを考える暇がないくらい、練習させた、とも言えますね。朝6時の食事の時にも楽器持参、食事後楽器持ちながら行進してマーチを体に叩き込み、終了時間は夜の10時。全身全霊、音楽の濃密な時間でした。その中にぶうがいたことは、なんて幸せなんでしょう。 そしてこの後、自分のことを告白してもけっこう大丈夫という自信を得たぶうは、親も先生も知らない間に、学年の校外学習「東京を歩く」で一緒のグループになった仲の良いクラスメイトに、排泄が特別なこと、おむつのことをあっさり伝えて、「『わかった』って言ってた」と、事後報告をしたのでした。 びっくりです。中学の時「誰も一緒に行こうというクラスメイトはいませんよ」と担任に言われるし、すぐに親に「付いてきてほしい」と言っていたぶう。それは、小学校の時より激しかったです。先生は小学校では、ぶうの「自立」を考え、一人で行けるよういろいろ考えてくれましたが、中学は「自分で」以外ありません。周りも自分も「恥ずかしい」頂点の年頃で、ぴりぴりした時代でした。 なんだか、一つ成長の階段を登ったように思われます。 自分で、話しても大丈夫だと、安心できる関係が作れたんです。 おむつだとか、排泄の障害とか、「ふんふん、そんなこともあるんだね」と受け入れる心に、周りも成長したんです。 校外学習は、東京駅集合で、同じ路線を使う友達が「一緒に行こう」と声をかけてくれて(ぶうは一人で向かうつもりでした)、無事、グループで上野・浅草という渋いところを回ってきました。「雷おこし」のお土産も買ってくれました。 初めて親なしで友達と電車乗って、町を歩いたんです。 去年の今頃、合格した喜びと卒業の解放感で、わくわくしていましたが、こんなにめいっぱいぶうが学校生活を楽しめるとは、ちょっと予想外でした。担任の先生も「最初、いろいろ心配しましたが、何もありませんでしたね」と、笑っておっしゃいました。 ずうっとあとになって、「あの時は・・・」と思いだす大切な一年だった、と予感がするのです。 ぶうは「あのつらい中学時代があったから、今があるのかもね」と、言いました。おお!おとなじゃん!
2010年03月11日
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この間の日曜日、おとうもあの、「東京マラソン」に参加しました。 ジョギングが趣味のおとうは、毎回応募して、今回初めて当選! 何週間も前からワクワクドキドキ、楽しみにしている様子(^^;。寒い予想はあったので、寒さ対策のウエア、上下買い込み、ルートを確認し、準備万端! 「ひゃー、マジで!? もう無理しないで、やめとけば」が姉弟親族の声です。 「父の頑張る姿なり」を見せたいと思ってたぶうは「ああ、ごめん。部活。卒業式近いから練習しないと」とあっさり。 おかあだけが、応援に行きましたよ、どうせ暇だし。 それにしてもなんと、当日は雨時々みぞれ。予報にあわてて前日、100円ショップのレインコートを買い込み、おとうは朝早い電車で出陣。 私はぶうを高校に車で送ってから、上京。 スタートから2時間たってやっと、あらかじめ決めていた中間地点手前の日比谷公園沿いへ。おとうからは、途中おなかがすいたら食べたいビスケットと雨が止んだ時の着替え、タオルを頼まれていました。いるいるいるいる、びっしり人。沿道は傘でいっぱい!道路の交差点は封鎖されてて、道の向こう側に、と思うと地下鉄の通路を使って行かなければなりません。地下は地下で、またまた人がいいいっっぱぱぱいいい!!! どの辺を走っているかは、携帯で5キロ刻みで通過タイムを見ることができます。それはびっくりのさすが「TOKYO」のマラソンだ、と思いましたが、どうも予想時刻より遅い・・・。周りの人の話でも、走る人数が多いせいかどうもアップするまでに時間のずれがあるのだとか。 地下で人をかき分けかき分け、地下道図を頼りに予定の日比谷公園沿いに着いても、人垣は二重三重・・・、おまけに傘。歩いても歩いても入り込む隙間はありません。 仕方なく、後ろについて前の人が飽きてどく、応援の目当ての人が走っていった等でじーーっと待って、やっと前列へ。 いやいや・・・走ってる人もたくさんだ!! 切れ目なく次から次へと群れをなして走って来るですよ・・・。おとうは、早く走る人ではなく、5時間切るくらいのペース。中間地点をそろそろ通過?と思うものの、ぞろぞろ目の前を通り過ぎるランナーからおとうを見つけられるのか、この傘の山の中から「私」を見つけられるのか・・・。 ランナーは、厳しい寒さと雨・みぞれで顔は皆さん、きつい!しかめっ面で闘う姿勢で走っています。 まだなのか、走り去ったのか、携帯にメールを入れたら連絡有り。「まだ手前」というので場所を確認し、とりあえず、いくたの困難乗り越え、私たちは「ここで会えたねー」でした。 おとうは、帽子を手荷物に入れたまま忘れ、さみしい髪はかわいそうにグショグショ、100円コートは、破れつつありました。雨の中、とてもビスケットは食べられません。 スタート合図の号砲がなってからスタート地点まで行くのに、10分もかかったのだとか。 このあと、銀座~浅草~再度銀座~歌舞伎座~お台場と走って行きます。 日比谷から銀座、歌舞伎座は歩いてたいしたことはないので、また折り返してからの銀座で応援することにして、あと1時間ちょっと久しぶりの銀座のデパートでも見学して・・・。 なんて、これは甘かった・・・。銀座中がマラソンの交通規制で、どこへ行くにもいったん地下にもぐらなければなりません。ぶうを連れてこなくて良かった・・・。これでは、ぶうは身動きできない。 銀座は、さらに人、人、人。地下も人、人。どこもかしこも案内の人が「あっちだこっちだ」と声を枯らして大声を上げ、ロープをひっぱり、誘導に必死です。 メインストリートはいつ果てるともない、マラソンランナーの群れ。浅草に向かう流れも浅草から戻ってくる流れも、いいいいーーーっぱい。 とてもデパートを覗く気にはなれず、早めに35キロ手前の歌舞伎座付近へ。 ちょっとした隙間に入って見ておりましたら、応援が増えて、「台湾加油」の立て看のお嬢さんたち、その隣はブラジル国旗。写ってませんがオーストラリアの旗もありましたよ。 台湾のお嬢さんのところには、へろへろになった男子ランナーが「%&$'#・・・」とやって来ましたが、お嬢さん達、きりっと「ガイヨー!!!」(加油はこんな風に聞こえました)「さっさと走れ!」的に檄を飛ばし、蹴飛ばすようにして送り出しました。 ブラジルの旗のもとには、陽気なお嬢さんが「ヒャッホ~」と軽く走ってきてハイタッチ。 などという風景も、一時間以上流れていくランナーを眺めていると、ぼーーっと視線送るのがせいいっぱい。寒さしんしん・・・。雨は午後になって止んできましたが、寒い!!寒い!! 予定よりまたまた遅れて、おとうと再会。もう100円コートは、襟周りがボロボロで不思議な形態のビニールになっていました。あちこちでランナーに差し入れがあるそうで、あんパン一個、持っててきてくれました。これが私のランチ、銀座の・・・。しっとりしてた、雨で。 一番左のさみしいおじさんランナーがおとうです。 結果は、目標の5時間は切れず。原因は、トイレ。 スタート地点にむかう前の新宿駅さえ長蛇の列だったそうで、途中のトイレは臨時設営場所も協力コンビニも10分以上の待ち時間だったのだとか。この寒さだものね。 でも、大勢で東京を走り抜けるのは、「超気持ちいい!!」のだそうです。 走るランナーを二時間以上、私は眺めていたわけですが、テレビで紹介されるような「有名人」「芸能人」、一人も分かりませんでした。 必死の形相の3万人走る中から、テレビで見たことのあるような人を探すのは、私の「目」では無理。100人いたって1パーセント以下だしね。 そして、帰りのこと、この日のもう一つの出来事。 「津波」。 東京駅に行ったら「次の電車をもって、運行を見合わせます」のアナウンス。 「うちは山の中なんだけど・・・」。どうも、沿線に海がある線は次々とストップしてるらしいのです。 「次の電車」まで、掲示板を見ればあと3分。走る、走る、さすがに私も。 「東京マラソン」は、寒くておなかすいて歩いて走って・・・応援も覚悟がいると、学びました。テレビで紹介されるような劇的なシーンは、私の目の前にはありませんでした。 結局、津波の影響を受けたのは東京駅を使った、私のみ。おとうもぶうも、なんのことなく電車を使って帰ってきました。 やれやれ。そんな日曜日でした。
2010年03月03日
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ぶうの調子は、んん・・・どうなの?というところ。 先週は、一日おきに「頭痛」で、土曜日には本当に脳外科の主治医が出勤してたら診てもらおうかな、と小児医療センターに電話したくらいです。幸か不幸かお休みだったです・・・。とにかく様子を見る・・・が続くのでした。 まあ部活動の疲れがたまってきたのかな、と思うのです。今までも「がんばるぞ!」「あ・・エネルギーきれるー」とか、自分はやってるつもり、大勢の中にいたらかなりやれてない組・・とか、そんなところでした。 そもそもね、入学して「部活はどうしようかなー」と迷っていたとき、中学で楽しかった吹奏楽部をのぞいてみたら、「活動は、放課後は5時基本。時々4時。土曜はないことが多いけど、やっても3時までだよ。日曜は練習はなしさ。夏休みには合宿があるよ。海の近くになると思うよ。練習の後は、海で泳いだり、スイカ割りもすると思うな。バーベキューしたりそうめん流ししたり、楽しい部だよ」と、説明があったというんです。だから「まあ、いいか」と。 この時、身に迫る大変革に、先輩たちも気づいてなかったんですねー。 「お楽しみサークル系」吹奏楽部に、新しい顧問先生の登場。 毎日の活動時間の変更はもちろん、夏の大会にむけての合宿は場所は山の中の本格合宿所に変更。起床6時から夜10時まで、みーーっちり練習でした。後から聞くと、2,3年生が「これはもう今までとは違うんだ」と、強烈に感じたのはこの夏の合宿だったようです。朝の食事にも楽器を持ち、朝食後、リズムを体に刻むために楽器を持って行進、練習終了は夜10時、そのあとお風呂で就寝でした。 結果、ピーピーと雑音だらけだった素人集団は、たった3ヶ月で地区大会から県大会に進んだのです。 「カリスマ」とはこういうものか、と目の当たりにした思いです。生徒たちは、生活がすべて部活になってしまった変化がいやではないんです。むしろ喜び。もっともっと先生に教えてもらいたい、うまくなりたい、心を合わせてよりよい演奏ができたら、それが感動、と心も変化してしまったんです。 ぶうも、たまたまその中にいるのは、本当に幸運だと思います。 うちが、この顧問先生が「ただものではない・・・かも」と思ったのは、転任してきたばかりだということも、すごい指導者だということも知らなかった一学期。部活動の指導からではありませんでした。 体力がないし、体の管理でどうしても早く帰らなければならない日があるし(洗腸は2~3日に一度)、入部したら迷惑かけてしまうのでは、と親としては随分躊躇したのです。でも、顧問先生が「仮入部で、ぶうくんは楽しそうに演奏に参加してますよ。体の調子をみながらでいいですから、参加してみませんか?」と言ってくださったんです。 --なんか練習もあんまりきつくないみたいだし、先生がそう言って下さるなら、大丈夫かな。 しかし実際の活動となれば、自分の学校の校舎の中はバリアフリーだからいいものの、他校との合同練習、野球部の応援、御呼ばれのイベント会場etc、階段が2段あったらもう車いすは介助一人では足りません。専用のトイレも必要です。「車いす介助」は、学校教育の場ではない部活動の中で、そうそう頼むわけにはいかない、と思っていました。中学の時は、みんなが乗ってるバスの後ろからぶうは車ですべてついて行きましたし。 顧問先生は、「大丈夫ですよ。もう高校3年生なんて大人の体格ですよ。ぶうくん一人くらい、なんとでも運べますよ。バスもOK、階段もOK。本人がいやでなければ、どこにでもみんなと行きましょう」と、言ってくださいました。 でも、やっぱり中学の苦い思いがあります。 一回、二回は珍しいし、いいことやってあげてるという気持ちから、喜んで手を貸してくれていても、一緒に過ごす時間が長ければ、それが日常になるんです。 「またかよー。回数おおくね?」 「なんか甘えてない?」 「お礼もないよな」 「毎回毎回、やってもらって当たり前と思ってる態度がむかつく」等々介助する側は思ってくるし、介助してもらう側も感謝の気持ちが「当たり前」に流れたり、自分のために時間と力を使ってくれてる相手を思う気持ちを忘れたり・・・。 気まぐれで「やめた」と、そっぽを向かれたら、こちらはもう身動きができなくなってしまうんです。 ぶうを見てると、ぶうなりにすごく迷惑かけないようにと気を遣っているんです。だけど、ぶうは介助する立場になったことがない、いつも介助してもらう側なんです。だから、他の人がどう思うか、ちょっとにぶいところがあるように思います。 それを、「いい気になってる」とか「横柄だ」と責められても、どうしていいかわからない・・・。もし先生が「それくらいわかるのが当たり前。みんなに嫌われて当然。自分で考えて反省しろ」という立場をとったら、ぶうはわからないものはわからないし、見えないものは見えない、よってその集団の中にいられなくなってしまいます。 学校の中だったら、親が先生と話し合うこともあるでしょうが、部活動だったら辞めるしかないでしょう。とても好きな音楽活動なのに、仲間になれなかったら悲しいです。 だから、親としては好きなことをやっていこうという部活動では、なるべくみんなの手を借りるのを必要最小限にしようと思っていたんです。 でも、そんな心配、軽々とふきとばしてくれました。 「手を貸すのがいやだなんていう生徒がいたら、私が締めてやる。体のハンディは、誰もが一生のうちには何らかの形で絶対関わるんですよ。ぶうくんは、これから先社会に出るんでしょ。そうしたらやっぱり手を借りるでしょ。ぶうくんも他の生徒も、私も勉強ですよ」と、言うのです。 ええええ・・・・「みんな勉強」だなんて、なんて素敵な言葉! それから本当に、一度も躊躇することなくぶうには必ず、手が差し出されたんです。 それを「当り前でしょ」と言ってくださる先生、これはすごいよ!とすっかり親も「カリスマ」に心奪われたのでした・・・。 生徒も、やっぱり「高校生」。ハンディがある、弱い立場ってどういうことか、考える力があるというか、世界を一つ広く見る力があるように思いました。 だけど、ですねー、そうはいってもだんだん活動は内容濃く、時間もぎっちりかけるし、なかなかぶうにはきつい。いったん中に入れば、音を構成する部員の一人になりますし、みんなが打ち込んでる中、どうしても体調管理(洗腸)のために抜けて帰らなければならない。「弟」として、喜んで面倒見てくれていた3年生は引退、卒業です。 「勉強」は、時々苦い。いろんな場面があって、環境はいつも同じではないのも勉強です。うまくいくときもいかないときもあり。今、ぶうを見てると、まあまあ後から「あの時は、時間に追われて練習きつくて大変だったけど、ものすごくおもしろかった」と思い返す気がするんです。 健常な人たちとは同じようにはいかない自分の体と、うまく折り合いをつけて、自分なりに楽しむさ。 今週、ものすごく寒くて、時々雪。でもなんとか学校の授業も部活も出ました。 もうすぐ高校一年修了。ぶうの貴重な青春の一ページが、楽しい出来事いっぱいでうまってます。
2010年02月19日
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先日、車いすの不具合を直してもらうのに車いす屋さんと会ったら、「ぶうくん、ポスターに写ってたでしょう。見た人、けっこういるよ。あの高校には車いすの子が通ってるのかとか、知りあいか、とか聞かれるよ」と言われました。「ああ、演奏会のポスターだ!」知らないところでぶうが話題になったなんて、ちょっとうれしいぞ・・・・。 ・・・・だがしかし、ちょとここのところ、ぶうは失速気味かもしれません。 「頭が痛いから今日は部活は休む・・・」「朝から頭が痛いよ。学校休む」 「おなかが痛いんだ、部活はしないで帰る・・・」 「頭が痛い」は、もう小学校のころから、いやもっと前から、体の癖。睡眠不足、ストレス、風邪の初期も必ず頭痛です。脳外の主治医も、「シャントのことがあるし、体調の変化が頭痛に出るのかもしれないね」と言います。「頭が痛い」と言われると、「シャントトラブル」がすぐ考えられて、ちょっとドキッとするのですが、何度も「もしや」を繰り返して学習、「頭痛」はぶうの体の癖なのです。 そして、腹痛。便を洗腸で出しているのですが、環境が変わるたび、便が出きったかどうかが次の日まで悩みの種になるんです。医師が「心配しなくても大丈夫。次の日出ることはない」と言われても、「出そうな気がする」その程度がどのくらいなのかは、誰にもわかりません。怪我の跡が天気が悪いと痛む、というように、ぶうは「頭」や「おなか」が痛むんです。 やれやれ、また始まったのかな・・・。 夜9時近くに帰ってきて、朝は5時45分には起きないと間に合いません。まあまあぶうには、続けるには厳しいスケジュールです。疲れは溜まるよねー。 近所のクリニックにも行って、「軽い風邪」としてたくさんの薬もらって、学校は一日おきに休んで、部活は出ずに一週間すごしました。 「少しくらい我慢して、がんばれよ!」と言いたいところですが、これもこれまでの経験から、ぶうはそう強い心の持ち主ではないんですね。「がんばらねばー、でもできないー」と心がこんがらがって、さらに迷路に入り込んでしまう傾向があるんです。 「我慢できないの?」とは一応聞くけれど、あとは深追いせず、「休」です。「何かあった?」と聞いても絶対言わないし、「どうしてか」を説明するのは、ぶうは苦手。自分でもわからないところもあると、思います。ここで休んで元気になれば、それでいいんです、たぶん。 本当は、授業だって訳わからなくなるし、欠席は先々の調査書を考えれば少ないにこしたことないし、吹奏での新しいパートは身に付かないし(これが大きいストレスかも?)、いろいろあるけど、「頭痛い」状態では、何もできないのです。 こんな状態とつきあいつつ、一般健常社会と折り合いつけていくのも、先の社会生活の練習のように思います。 私は、超健常者。ぶうの障害児、今は障害者としての体のこと、心のことは経験がない、わからんです。たとえ同じ障害名でも、体の具合も環境も違うし、モデルパターンはなく、彼が一人でいろんなこと受け入れてオリジナルルートを進んで行くしかないんです。それは、健常の人だって、一人一人違うんだけど、道の厳しさはぜんぜん上。 つらいかなあ・・・。 昔は、つらい時はぎゅうっとハグ。「おかあはぶうが大好きだよ」となでまわしたけど、今はそれはできない。 ゆっくり行くのさ、ね。
2010年02月04日
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朝、外を点検しましたら、天気予報通り昨夜雪が降って、うっすら道路も白くなっていました。 止んだばかりのようで、凍結はしてないし、幸運にも電車に遅れも出てないようでした。 「雪が降ったら移動は電車」が、ここら辺の合い言葉です。一年に一度雪を見るかどうかの地域なので、ちょっとでも降ったら交通はパニッック。特に車は、のろのろで大渋滞になるのです。 車いすも雪は大変。深く積もれば、全く進むことができず(小学校の時はこれで一日休み)、凍結すればすべって車輪を操作できなくなってしまいます(中学の時は、友達と二人がかりでガリガリ道を車いすおしました)。高校は、ちょっと区域が違うので(山と海)どうなってるか想像が付きません。 なので、今日は久しぶりに駅までおとうに車で送ってもらって、ぶうに付いて登校しました。ついでに、いつも介助してもらってる駅員さんにお礼も言いたいし。 駅員さんたちは、「いつもありがとうございます。お世話になっています」と言うと、皆さん本当に明るく「いいえ、いいえ。とんでもないですよ」と言って下さいました。毎日、スロープを電車に出してもらって、乗り降りを見守ってもらってるので、安心してぶうを出しているんです。 乗り換えの駅では「お母さんと会うのは3月以来です」と言われました。あはは(^^)、受験の時の駅員さんだったんです。去年の受験が、電車通学のデビューだったんですね。確かに、二人で学校に向かうのは、それ以来です。ずっとぶうは一人で通っています。 電車の中は、やっぱりどこにいてもぶうは、じゃま。車いすで、混雑の人混みに埋もれています。すみません。見ず知らずの人たちに、少しずつがまんしてもらって、社会システムの中でくらしてるのを、満員電車の中では感じます。きついとこ、さらに我慢してくれてありがとうございます!だけど、別に卑屈にはなりません。こういう人もいるんです。それだけ。小さな声で・・・ぶうだってみんなの迷惑になることはつらいんですから。 幸い学校の周りは、雪は大したことありませんでした。 高校に向かう途中も、小学生のために立ってる旗振り担当のお母さんが「坂は気をつけてね」と声をかけてくれて、なにげにみんなぶうの車いすを気にしてくれてるのを感じたし、おかあの朝の遠出は、ちょっと安心の「三文の得」だったかな。 それにしてもね、こここからまた山の家にもどるべく電車に乗ったら、町並みが終わったとたんにどっさりの雪。駅から家までだってしゃりしゃり。もうー、うちの地区は明日は凍結が問題だわ!
2010年02月02日
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