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とある高学年男子3人組が私に見せてくれたのが、『深海魚摩訶ふしぎ図鑑』。この三人組よくつるんで1冊の本を読みながら盛り上がっているのだが、今日はそのテンションが半端ではありませんでした。1ページ事に掲載されている深海魚を見ながら、「キタ~、これだよ~」とすごいはしゃぎよう。サッコファリンクスという口がぱこ~んと開いたウナギの仲間に至っては、この3人萌えてました(笑)。いや、実は私も一緒になって萌えてしまったんですけど(爆)。このうちの一人は「深海2000」に乗りたいと完全本気モード。そういえばこの本って出版された時にかなり話題になったことを思い出しました。更にその時にパラパラっと見て、深海魚って面白いと感じたのも思い出し・・・。でも、すっかりそんなことも忘れてましたが、彼らのおかげで久しぶりに深海魚萌えな気分を味あわせてもらいました。そのうちにその中の一人は、同じ著者の『極限生物摩訶ふしぎ図鑑』も手にし始めて、この本の中の動物達も話題になったのですが、今一歩深海魚よりも盛り上がりに欠けます。で、どうしてかな~と思ったのですが、こちらの動物の場合、動物園で結構飼育されているので新鮮味がないんですよね。深海魚も水族館で飼育されて目にすることは可能なのですが、その割合は格段低い!というわけで、深海魚図鑑は未知との遭遇でもあるんですね~。そんなことを小学生から教えてもらいました。そうそう、この著者今リサーチして分かったのですが、これら以外にも関連図書をたくさん出版されていました。そして、著者はサイエンスライターであることも同時に知りました。道理で、研究者とはちょっと異なった本の構成になっているはずです。サイエンスライターとしては竹内薫さんしか知らなかったのですが、私の中で本日より要チェック人物(笑)。彼についてもっとアプローチしてみようと思います!にほんブログ村
2012年01月31日
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3回シリーズなので、まだまだ続く『花咲爺』。これはご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、講談社の「新・講談社絵本」シリーズ。昭和初期に出版されたものの復興版です。以前にも書きましたように、この絵本の特徴の一つは、画家さんにあるでしょう。写実的で当時の美人画や相撲絵を彷彿させる絵は、今活躍される画家さんからはなかなか観ることができません。美術品にすら感じます。前回の『はなさかじい』でも書きましたが、この昔話は犬が神として描かれている、そして死生観を語っているというものでありました。本書の解説でもそのことが付記されていました。引用します。東北地方ではこの昔話を「犬こむかし」と呼ぶ。つまり「桃太郎」や「瓜子姫」と同じように、犬は以上誕生する。それは神からの授かりものだったのだ。だから、神に選ばれた爺婆に幸運が与えられたのである。自在を物語の中心にすえると「花咲爺」になるが、犬を物語の中心にすえると「犬こむかし」になる。犬があらわれ黄金を掘り出す。その犬が死に、樹木が以上に生長する。臼が作られ黄金が出る。その臼が灰になり花を咲かせる。聞き手の子どもたちの興味の一つは、犬の一生・犬の発揮する呪力にある。もう一つの興味は隣の爺の存在である。欲深で真似をする爺は、犬を殺し、臼を燃やし、殿様の目に灰を入れる。三度の真似がすべて失敗に終わる。聞き手は、犬の一生(死後も含む)と重ね合わせながら、無欲で正直者の爺となんでも真似する隣の爺の対比を楽しんで聞いている。このような解説を読んでいると、昔話はこれに限らず「教訓」を語るだけのものではなく、もっと人が生きる根底をゆすぶるものを語っているんだと気づかされます。おそらく、子どもはそのようなことを説明しなくても、何となく感覚で分かってしまう。ただ、語り手の大人はつい、「だから欲深くなっては駄目なんだよ」なんて感想をいいがちですが、それってナンセンスなんでしょうね。語ったら、大人の感想はなしにそれで「おしまい」。それが正しい、物語の語り方(読み方)なのかも知れません。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2012年01月30日
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ようやく手元にやってきました『有事対応コミュニケーション力』。本書内のシンポジウムが行われたのが、震災から3ヶ月後の6月。書籍化されたのが12月。で、読んでだのが1月(ってもう終わりだけど)。シンポジウムも震災が起って3ヶ月と言う時間の流れで、「震災」直後のことから見ればかなり冷静になってその時のことを語っていると思いますが、震災から10ヶ月経った今、このシンポジウムの内容も含めて、さらに遠くからこの時期のことを眺めている自分がいました。その中で、印象深いことは「お金」の話。シンポジウムの面々も「結局行き着く先は『お金』なんだ」ということを語っているのですが、それは今になるとますます拍車をかけているような気がします。しかも、「復興」にお金をかけようというのならまったく問題ないのですが、それが全然違うところで、お金を混ぜ繰り返そうとしているところに、日本の思考停止状態にあるのかなと考えたりしました。一例ですが、内田センセーが震災直後に「疎開のすすめ」というタイトルのブログを書いたり、発言されたりしているのですが、それに関して政府筋から「首都圏の消費が低迷するからそのような発言はやめてくれ」と言われたとか。内田センセーは「命の話」をこっちはしているのに、「お金の話」かいということをここでは書かれているのですが、私はもっと別の事を思いました。経済学には疎くて、私の考え方が果たして正しいのかはよく分かりませんが、それでもとりあえず思ったことを書いておきます。政府筋は「首都圏の消費が低迷する」と発言したようですが、「首都圏の消費」ってそれほど大切なのかな~ということ。「首都圏」とは言え、それはあくまでも日本の一部。プラスマイナスで日本全体がプラスだったら、いいんじゃないのかなということ。例えば、あの震災の時、首都圏及び東日本がマイナスの受容だったら、被害のない、もしくは少なかった地域が今よりちょっとがんばって、黒のプラス部分をマイナスのところに補填し、日本全体では前年度と経済的には変わらない状態を意地する・・・では駄目なのでしょうか。こんなことがありました。娘がお友だちと買い物に出ていて、お友達が、「この洋服ほしいけど、高すぎるから親に買ってもらおう。そうすると、私のお小遣いは痛くない」と言ったそうです。それに対して、娘は「親に買ってもらっても、家での合計的な支出は一緒なんだから、それはやっぱり余計な支出だよ。買ってもらうなら、家計の違うおじいちゃんとかおばあちゃんにしなくちゃ」とアドバイスした模様。とんでもないことを子どもに教えてしまっているのがバレバレでお恥ずかしいのですが、日本経済を考えていく上で、一世帯の家計を日本に置き換え、子どものお小遣いがそれぞれの地方と考えることとはまったく異なったことなのでしょうか。震災復興のお金をさすがにおじいちゃん、おばあちゃん(他国にという意)に出してもらえということはさらさら思いませんが、一家の一部がこけると、別のところが補うという発想って考え違いなのかなと思ったわけです。この大震災直後において「首都圏の消費」の心配をしてしまう政府関係者に唖然とすると共に、今尚、自分のところの消費活動のみに主軸をおいていて政治をおこなっているそこそこの都市部。なんだか、結局この震災から少なからず政治家の方々は何も学んでいない?というがっかり感だけが残ってしまったのでした。にほんブログ村(↑ポチッと押していただければ嬉しいです)
2012年01月29日
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昨日はとある出版社独自の教材展示会へ行って来ました。前回は初体験でただ教材を自分の目で眺めて、自分好みのものをセレクトする作業のみとなってしまったのですが、後日塾長と話している際に、「その教材を作成した担当者を捕まえて、作成のコンセプトなどを聞くことも可能」ということを教えてもらいました。と言うことで、今回はこの出版社だけでなく、どこの出版社でも一律に私が持っている疑問点などを担当者にぶつけてみることにしました。残念なことに作成者の方はいらっしゃらなかったので、営業マンに尋ねました。私の一番の疑問点は★国語のテキストに引用する作品はなぜ古臭くて、教える身が読んでいてもうんざりするものを選ぶのか?この疑問について補足します。たいていの出版社の教材というのは、「教科書準拠」「中学受験対策」「その中間」というものに分けられます。「教科書準拠」というのは、子ども達が現在学校で使用している文科省の検定教科書をそのまま問題集にしているもの。「中学受験対策」というのは、過去の全国の中学入試の問題を解析して作成されたもの。「その中間」教材というのは、中学受験をしないけど、学校で扱った作品をまた塾でしつこくやるには飽きる、もしくは教科書以外の作品にも触れたいという場合にこれを選びます。私が勤める塾はこのパターン(これは塾側の理念)。で、この「その中間」というのがどこの出版社でも取り扱っている作品に私は疑問を呈するようなものばかりに思えるのです。「教科書準拠」は教科書に扱っている作品をそのまんまなので、こちらが口を出す余地はありません。また、「中学受験用」というのは、先にも書きましたように、過去の全国の中学入試で扱われた作品を分析しているため、結構「今」の子ども達に即した作品になっていますし、テキストへの並び順もとても全う。段階を追って内容だけでなく、時代も遡るような感じで作成されています。なのに、「その中間」になると、新学年のしょっぱなに戦後すぐの「今」の子ども達には分かりにくい作品があったり、説明文でも「今」はその説ではないし~という、そこに書かれていることをそのまま受け取ったらまずいんじゃないの・・・というのがあったりなわけです。私としたら、「中学受験用」の作品をそのまま「その中間用」にスライドさせ、問題の方を「中間用」に変えるというのがベストではないかと思ったんですね。ただ、これは私の個人的な見解で、作成者にはもっと別のことに主眼をおいているのかもしれません。そんなわけで、可愛そうに私に捕まってしまった営業マンにこの疑問を投げてみたわけです。営業マンの方、汗をかきかき「そのような疑問を投げかけられたのは初めてです。私は営業で作成者ではないので、申し訳ないが応えられない。同期がこれを作成しているので、伝えます」という応えとなりました。一言で書けば上記になるのですが、これのやり取りに結構時間をかけまして、その間とってもこの方誠実な対応。なんだか、それだけで十分でした。おそらく、作品の内容を突っ込む人って少ないんじゃないのかな~。私の周囲でも他の塾の講師達も営業マンを捕まえて話し込んでいましたが、どちらかというと教材代の話とか、パックになっている教材をばらして売ってくれとか、そんな話ばかりでしたから(爆)。(でも、経営者としては、それはそれでとっても大切なことです)まぁ、私は経営者ではなくお気楽な一介の講師ですので(でも、非正規社員ですのでいつでも人事は不安定:爆)、こんな突っ込みなるんでしょうね。どうも、展示会は経営者が多く集まるようだということも、これに参加して分かりました。この疑問に関しては、ともかくとして、営業マンさんからは他の塾がこれらの教材をどのように活用しているかということも教えてくださいましたし、知っている範囲で作成者が教材をただ解くだけでなく、様々な形(←この形を幾つか教えてもらいました)使っても構わないという思っているということも、教えてもらいました。それに関しては本当に目から鱗で、間違いなく私個人では出てこない発想。新たな指導法がそれを聞いただけで、うっすらと出てきたり。貴重な時間でした。インプットはやっぱり必要ですね~。にほんブログ村(↑ポチっと押して頂けたら嬉しいです)
2012年01月28日
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昨夜、NHKの「ブラタモリ 鉄道総研スペシャル」を観ながら読んでいたのが、『時刻表に載っていない鉄道に乗りにいく』。すっかり「鉄道時間」的空間。満たされました~。さて、鉄道総研、イメージとは違っていました。電車そのものの技術向上が目的だと思っていたら(新幹線とかリニアとか)、広く鉄道に関するもののほとんどに関わっていたんだ。印象的だったのは、座席の乗り心地について被験者を使った心理的実験。そこまで徹底して研究されているのね。鉄道好きの私ですが、まだまだ鉄道については入り口のところしか見ていないんだわ~。そんな入り口の部分の勉強になった本書。(もちろん、勉強するという感覚で読んでたんじゃなくて、結果的にほほぉ~と勉強になっただけなのですが)そもそも「時刻表に載っていない電車」って何ぞやねんということになるのですが、本書によると「保存鉄道」や「再現鉄道」のことを言うそうです。この両者の言葉の説明は本書にはなかったので、ウキペディアで調べてみましたところ、<保存鉄道>保存鉄道は、過去の鉄道路線を復活させもしくは継承して運行されている鉄道路線で、観光施設として運行される鉄道のことである。主に運営はボランティアで行われる(携わらなければ維持できないことが多い)。日本においては、路線そのものを復活・継承する場合ではなく、個々の車両の動態保存や静態保存を行っている場合であってもこの用語が使われることがある。<復元鉄道>に関しては、ウキペディアに掲載されてなくて、一般的には両者とも同義語みたい。(どなたか、これの区別をご存知の方は教えてください!)ともかく、京都でいうなれば、梅小路公園のSLだったり、嵯峨野~亀岡間を走っているトロッコ電車がこれにあたるようです。で、これを読んでいて知った事実。あれだけ足しげく通って乗っていた上野動物公園内にあるモノレール。あれって、動物園の遊具施設の一つとして作られたものでなかったんですね~。本書によると、昭和30年代に東京の都市交通をどのような方向に持っていくかと議論になった時に、実験線としてこのモノレールが作られたそうです。結果的には、地下鉄採用になり、このモノレールは必要なくなったのですが、実験線はご存知の通り動物公園内にあったので、そのまま施設の遊覧鉄道として運行されたというのです。そのような歴史があったんですね。これが、どこかで使われていたのが払い下げとなって動物公園にやってきたのではなく、ここで実験が行われていたということに、ますます魅力と歴史を感じます。鉄道もまた奥深いものの一つです。と、テレビと本を行ったり来たりしながら、楽しいひと時を過ごしていた時、ふと思ったのが、「鉄道マニア」ってもしや男を守るための言葉だった?とってこと。今は「鉄子」という言葉も出来るほど、「鉄道」が好きという女性は決して特別ではないような気がします。だって、電車一つとってもデザインもそれを背負う風景も異なり、男性だけが好きになるようなものではないと思うのです。女性でも好きになる要素は満載。でも、「鉄道マニア」というある種特権階級的な言葉を使って女性を寄せ付けないようにしていただけではないだろうかと思ったわけです。。しかも、このこの言葉、基本的に負の言葉。弱弱しい男の代名詞のようなイメージもあります。おそらく、弱弱しい負の男性のイメージを女性に植え付けて、すごい危ない世界なんだぞ~と思わせることで、男の砦となる趣味の世界を女性に開放しなかったのかななんて思ったわけです。でも、今や草食系男子が増加しているようで、その砦なんてどうでも良くなってきているのではないでしょうか。みんなが楽しいと思える趣味は男女問わずOK。そんな日本悪いところばかりじゃないぞなんてことまで思ったり。ゆるやかにいい方向に変化している部分もあるんじゃないのかな~、「鉄道総研」でタモリさんと一緒に喜んでいるNHKの女性アナウンサーを見ながら、ちょっとうれしくなったのでした。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけるとうれしいです)
2012年01月27日
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私が時々お世話になる図書館の館長は中西進という方であり、彼のコーナーもそこにはあります。が、彼が何者かということについて全く知らず(汗)。(とっても偉大な方であることを、読了後知りました…これまで知らずにごめんなさい)タイトルに惹かれて手にした『日本人の愛したことば』がまさに館長さんの著書というところに縁を感じてそのまま借りてみました。以前に紹介した『なぜ、日本はジャパンと呼ばれたか』にも書かれてあった縄文人の気骨が未だに日本人には流れている話など、著者が講演されたり、寄稿された「日本語」や「日本文化」というものを主軸まとめられていました。その中でいちばん食い入るように読んだのが最初の項。日本女子大学教養特別講義で1994年に話されたもの「情に生きる-理を超えようとする力」。こちら、憲法第九条のことが語られています。そこで知った事。そのまま引用します。どうして日本は軍隊を持たないことにしたのか。これにはふたつ説があります。ひとつは、時の総理大臣、幣原喜重郎がそう主張したという説です。もうひとつは、当時のGHQから押しつけられたという説です。調べてみますと、幣原喜重郎がそう発言しています。それに対してGHQのマッカーサー総司令官が椅子から転げ落ちんばかりに驚いて幣原の手を取り、「お前は素晴らしいことをいう」といって感動したという記録が残っています。マッカーサーも『自伝』の中に書いています。ところがそれにもかかわらず、世の中では、第九条はアメリカから押しつけられた憲法だといわれています。なぜか。のちに幣原喜重郎がこれを議会に上程して憲法にするとき、自らは一歩退いて、「アメリカからいわれてこうすることにする」という方針を採ったからです。そうしなければ、時の議会を通すことがむずかしかったのでしょう。(p11、12)この後、この憲法は「理」で作られたものではなく、日本特有の「情」を大切にした文化を背景とした憲法であり、「理」のみで動かせないことというのは「ある」ということ、そして万が一に敵国から攻められたとき、幣原はどのように考えていたのかというところまで綴られています。憲法九条がアメリカが勝手に作成したものでないということ、これまでまったく知りませんでした。この1冊のこの部分の記述で、それが「事実」と断定するには早計ですので、まだまだ関連図書を読んでいかなければならないのは間違いないことですが、なぜこれまで事実かどうかは別として、このような事柄を耳にすることができなかったのでしょうか。たいてい、過去の歴史を語っても、一つの出来事に対して様々な説が出てきます。しかし、九条に関しては「アメリカが作成した」ということが前提で話が進んでいたと思います。報道規制、言論統制というやつでしょうか。そんな言葉すら横切ってしまいます。そういえば、有名どころの歴代の総理大臣というのは、初代伊藤博文を筆頭にクイズ番組でもあちこち名前を目にしますが、「幣原喜重郎」というのは初耳。戦後の総理大臣なので、憲法九条はともかくとして、もっと名前を聞いても良さそうなのに。なんだか、いや~なバイアスがかかっているような気がしてなりません。憲法九条に関しても、論議するならこれに関わらず色んな説をひっぱりあげた上で検討する必要性があるでしょう。そういえば、昨年読み倒した、橋本治さん筆頭に「本から過去を学ぶ」とありますが、ともかく昨年の震災でも過去を十分に学ばなかったために、起こった2次災害もあります。その「過去」はまさに縄文時代(少なからず日本誕生から)から今この瞬間の直前まで必要で、そこから「見えるもの」「見えないもの」も全て明らかにしてからの、組み立てが必要なんだと、今回のこの論考を読んでますますその思いを強くしたのであります。もう、こうなったらマッカーサーに直接インタビューしたい気持ちだわ。そういえば、今朝のネットニュースに「日本 報道の自由度 22位に後退」なんてありましたな~。やっぱり、報道規制、言論統制が行われている…?にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたらうれしいです)
2012年01月26日
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海外では日本の文学がどのように捉えられているかを中国人で現在明治大学で教鞭をとっている張競さんの著書『海を越える日本文学』を読了。日本人以外の人が日本を語るというのは、やはり新鮮で驚きがあります。外から日本を語ってみたいと思ってますが、やはり日本人として生まれ、日本でどっぷり育って、海外なんて旅行でしか行ったことのない私にとってはどだい無理な話で、このような著書を読むしか、外から日本を見ることができないのはちょっと悲しい…。さて、最初は「村上春樹」がなぜ世界で読まれるようになったかという話。いちばんは、日本の風情が書かれておらず、登場人物の心情がメインのため、日本文化や社会を知らなくても感情移入しやすいそうです。もちろん、受け入れられ方も国によって様々で、中国とアメリカではまた「読み方」が異なっているということも書かれていました。ただ、私は『1Q84』に関して未読なので、著者が語っている全てを把握しきれないところがあるのですが、『ノルウェイの森』に関しては、流行った当時に読みましたので、著者の語るところが少々理解できました。それは、中国での出版での出来事。2001年にこれが中国で出版されるやいなや大ブレークしたのですが、その理由がこの物語の背景が当時の中国の様子と一致していたことと、中国(というか東アジアは他の国よりも)はまだまだ性に関して語ることがタブーとされていて、それが常識と思っていたところ、あっけらかんと明るい性描写が多く書かれており、それが中国の若者の心をとらえたということです。確かに余りある性描写だったと記憶しています。それがまた私からすると淡白というか、こんな淡白なのをこれでもかという位書かれていて、でもさすがに淡白なものが多いとお腹いっぱいでうんざりだった印象を未だにもっています。が、タブーとされる中国で、あのような記述はかえって性を明るいもの(かどうかは、読み手次第だと思いますが)、もしくは表に出してもいいものと捉えられることは想像しがたくはないでしょう。もしかして、村上春樹という作家は美味しいところをあえて狙っている?と本書を読んで思ったりしましたが、彼の著書はこれ以外には読んでいないので、そこに触れることはやめておきます(墓穴を掘るだけかもしれませんので)。村上春樹の論考以上に私が引かれたのは、翻訳の話。日本という国は駒をたくさん持ってるんだわ~と思いました。日本ほど世界各国の本を訳している国はないようです。それだけ、訳せる人がいるということですよね。それに対して日本の著書はあまり海外に流通していないようです。翻訳が難しいというのもその理由。なんどもここではとりあげている「日本語」の特異性がネックになっているようです。それこそ、川端康成の「雪国」の冒頭。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の「国境」がもうネックだとか。この「雪国」の冒頭はこの一文だからこそ日本語的に美しいのですが、海外の人から見ると、日本国内になぜ「国境」があるのかということになり、それを読者に理解させるために説明を入れてしまうと、美しさがまったくなくなるとか。そうそう、村上春樹さんの著書が世界でブレイクするのには、翻訳のしやすさというのもあるらしいです。あ~、ますます、村上さん計画的犯行?話は基。そんなこんなで、日本では名作と言われる文学はことごとくこれに引っかかるらしいです。「日本語」に関する著書をあれやこれや読んでたわりには、ここに取り上げられている事例を目にすると「え~、そんなところで~」と思わずのけぞってしまう私がいます。まさに、日本を外から見ている人にしか分からない細かなところかもしれません。そういえば、本書は「ちくまプリマー」から刊行されています。中学生向けの新書なんですよね。このようなことを中学生もしくは、小学校高学年から知ることが可能になった今、なんだか羨ましいぞとも思ったりしています(まぁ、読めば・・・という話ですが)。私がこの頃の時代にはまだなかったなぁ~。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければうれしいです)
2012年01月25日
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現在塾では「はなさかじいさん」シリーズを読み聞かせ中。ご存知の通り、「はなさかじいさん」は「ここほれワンワン」の犬が出てきて、隣の意地悪じいさんにその犬が殺され、犬が埋葬されたところに生えた木で臼をつくり、それをまたまた意地悪じいさんに燃やされ、その灰を撒いたところ、枯れ木に花が咲いたという話。が、今回読んだよしざわかずおさん再話の『はなさかじい』は、大筋は知っている内容なのですが、細かい設定が知らないことだらけ。まず、正直じいさんと犬の出会い。正直じいさん夫婦がなんと町へ子どもをもらいに行く途中。町で子どもがもらえなかったら、犬を子どもにするという。「え~、そうだったの~」ともうしょっぱなからびっくり。その後の犬の成長のくだりも面白い。子いぬは、おわんで、一ぱい くわせると 一ぱいだけ 大きくなった。二はい くわせると 二はいだけ、また 大きくなった。このシチュエーションは「ももたろう」にもあったぞ。私が知らなかっただけで、昔話の王道なのか?ごはん一はいごとに大きくなるのは?それから、犬は自分自身にくらをつけさせ、正直じいさんを乗せ山へのぼります。この山をのぼったところで、「ここほれ、わんわん」となるのですが、このように細かなところが自分の記憶とはほとんどと言っていいほど違うのです。(この先は実際に手にとってみてください。書き出すときりがない)また、これを再話したよしざわかずおさんが「はなさかじいさん」について巻末で解説しています。それによると、一般的にこの昔話は「正直じいさんと意地悪じいさんの教訓話」として伝えられているが、根底はその教訓話ではなく、死からの復活という思想があるというのです。それが、犬が死に、枯れ木に花が咲くと言う内容となって伝えられていると。あくまでも、意地悪じいさんの話は添え物程度だというのです。私はこの「徒然」で区別しやすいように「正直じいさん」「意地悪じいさん」と表記しましたが、口承文芸として伝わっているこの話には一切「正直じいさん」「意地悪じいさん」という類の言葉が出てこないのが、その理由の一つだそうです。(「じいさん」と「隣に住んでいるじいさん」となっている)また、柳田国男さんも犬は神の申し子であり、単なる正直じいさんの飼い犬ではないからこそ、最後に見事な花を咲かせて、死を生にかえていると考察されているそうです。灰が花を咲かせるプロセスを語るために、「意地悪じいさん」が登場しているだけだと。なるほど、言われればその通りにも思えます。もともと、日本の死生観には輪廻転生がありますから、このような解釈もあながち間違いとは思えません。こうして、一つ一つ紐解いていく昔話。まだまだ新たな発見ができそうです。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければうれしいです)
2012年01月24日
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木下明美氏HP内「KIMURAの読書ノート」を更新していただきました。今回は『エトランゼのすべて』を紹介しています。好きです。こういう青春ドタバタ劇。何やっても空回り。そんな時期があっても許される大学生の物語・・・とでも言っておきましょう。本書某帝国大学(←今更学校名を隠してみました)の書店に平積みでした~♪にほんブログ村(↑ポチッと押していただければうれしいです)
2012年01月23日
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出版されるやいなや、新聞でも取り上げられるほどの加熱ぶりを見せてくれました『タイガー・マザー』。私自身も新聞でその記事を読んでいたため、何となく内容が想像ついてつい後回しにしていたのですが、とりあえず読了。一言で語るとすれば、「予想通り」。と言いますのは、以前にもこの「徒然」に取り上げたのですが、NHKの「激流中国」で映し出されていた中国の子ども達の教育そのまんまだったものですから。この番組は2008年のものですが、何を隠そうその後の中国の教育に関するドキュメンタリーをこのお正月に放映されておりましてそれも観たのですが(NHK「新的中国人」)、まったく様相は変わっておりませんでした。「いや、すごいわ中国」と思ったばっかりで。なので、本書を初めて読む人よりはかなり衝撃は少なかったかも。しかし、本書では自分自身の子育て観を「中国式子育て」もしくは「中国の母親」とし、アメリカの子育てを「欧米式」もしくは「欧米の母親」と常に表記していますが、私はここに異議を申し立てます。確かに彼女は「中国式子育て」を中国の母親全員がやっているわけではないと注釈しておりますが、私からすると、この「中国式子育て」は中国の中のある特権階級のみの方法論だと解釈しています。つまり富裕層が集まった上海や北京、ごく限られた中国の中の都市のみということ。それはやはりNHKの番組を先に観てしまったからといういえることではあります。「激流中国」の方では、この都市の子ども達だけでなく、田舎・・・いや貧困層の子ども達にも商店をあてた回がありますが、間違いなくそこでは著者のいうところの「中国式」というのはあてはまりません。そこは割り引いて、本書を読むことが必要だと感じました。というわけで、この「中国式」の子育て論、都市部での話として限定していきますが、いや、本当に恐るべし中国です。PISAがいきなり上海1位になるのもうなづけます。この都市部の価値観というのは、常に「頭がいい」に限定されています。(性格がよくても、器量がよくてもダメなのです。人の価値判断が小学生でも「頭がいい」それのみ)それはNHKの番組でも子ども達がそのように発言していましたが、本書でも2人の姉妹に対して筆者はプロの音楽家になることを要求するだけでなく、常に成績もトップであることを要求しています。そのために、友人との遊びもシャットアウト。著者も綴っていますが、それには子どもだけでなく、親もかなりの体力、気力を消耗させます。そこまでして、著者いや、中国都市部の親を追い立てるのか。しかも、著者の家族にいたってはアメリカで生活しています。(著者は中国から幼い頃両親に連れられてきた。子ども達は純粋なアメリカ生まれ、アメリカ育ち)しかし、その生活に浸ることなく、子ども達に「中国式子育て」を押し付ける母。子育て方法はさておき、この「中国式」というのにこだわりを持つ著者の感覚に私は注目しました。彼女の家庭環境がそうであり、自分自身がそうして成功したという想いが強かったのだろうと思います。また、彼女自身の周囲の欧米人の子育てのゆるさに憤りを感じていたとも記述しています。それが、かえって彼女の「中国式」をゆるぎないものにさせてしまったというのは間違いないとおもうのですが、ちょっとそこから離れてみると、「家族病理」や「嗜癖」の問題があるようにも思えてきます。「問題」として捉えるというのはちょっと大げさかもしれません。しかし、間違いなく「中国式」というスパイラルにはまっていて、そこから抜け出せなくなってしまっている著者が浮かび上がってきます。私自身このスパイラルに関して一時学んでいたことがありますが、これを脱却するには本人がそれに気づくか、それに巻き込まれている他の人が何らかの形でアクションを起こすのみ。そうでなければ、沼底からこれに関わる全ての人が這い上がれなくなっていきます。で、著者はどうしたか。間違いなく、本書を出版したというところで、少しずつこのスパイラルから脱却できているということは想像できます。それはどのように変化していったかというのは、実際に本書を手にして欲しいところです。また、これを訳した齋藤孝さんは、「中国式」か「欧米式」かというのではなく、日本のような「中庸」の必要性について語られています。が、日本もまた流れからは「欧米式」に傾いており、それに関して危惧されています。どちらかが「正しい」ではなく、いいところを上手く活用して、子ども達のいいところを伸ばすというが、本来の日本のあり方なのでしょう。さて、中国都市部の子育て観(価値観)のすさまじさについて、著者の言葉を幾つか引用しておきます。これらが、いいとか、悪いとかではなく、このような価値観が上海あたりでは主流になっているということを認識しておくことも必要かなと思ったためです。★私は自分が両親に払っていただけの敬意を娘2人にも示すことを要求しました。しかし、これが一番うまくいきませんでした。私が子どもの頃は両親に認められないことをひどく恐れていましたが、ソフィアと、特にルルは違っていました。アメリカは中国文化にないことを子どもたちに植え付けます。(p34)★「親なんて何をしても駄目です。何をしたって、子どもは大きくなれば親を嫌がるんです」と言う、欧米人の年老いた親が何とおおいことでしょう。それとは、対照的に、私があったアジア人の子どもは、親がどんなに厳しくしつけをしたとしても、自分が親に尽くすことに幸せに感じ、恨みや怒りを微塵も感じさせずに親に最大級の感謝の気持ちを捧げています。その理由は私にもわかりません。親に洗脳されているという言い方ができるかもしれません。あるいはストックホルム症候群と言えないこともないでしょう。しかし、欧米人の子どもが中国人の子どもが中国人の子どもより幸せであるとは言えない、ということは断言できます。(p128)★中国式子育ては失敗に直面したときにその弱さを露呈します。失敗する可能性を最初から計算に入れていないからです。中国モデルは目的の成就で成り立っています。それが自身と猛勉強の好循環を生み、さらなる成功につながっていくのです。(p180)★よく私にぶつけられる質問があります。「だけどエイミー、教えてくれ。これって一体誰のためなんだ。君の娘たちのためなのか、それとも君自身のためなのか」。しかし、これは典型的な欧米流の質問だと思います(なぜなら中国人は子どもは自分の分身だと考えているからです)。(p182)★中国式子育ては、考え得る中でもっとも難しいものの一つです。愛し、愛されていると思っているものからときには憎まれ、決して休めるわけでなく、あるときから急に楽になるものでもありません。それどころか、中国四季子育ては終わりのない苦難の戦いを覚悟しなければならす、1日24時間、週7日間、へこたれない柔軟さと狡猾さが求められます。恥を忍び、臨機応変に戦術転換ができなければなりません。そして創意工夫が必要です。(p197)にほんブログ村(↑ポチッとおして頂けるとうれしいです)
2012年01月22日
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『北朝鮮行ってみたらこうなった。』の前後に結構、旅関係の本をよんじゃったりしたものですから、現在心逃避行中(笑)。で、本日はその中でも私に強烈な印象を与えてくれてしまった『てくてく北京』を取り上げてみます。って言っても、特殊な著書ではありません。上記画像で分かるようにエッセイコミックです。著者が旅したところをイラストと言葉でまとめているという、それだけのもの。なのに、なぜ強烈な印象を与えたのか・・・。いや、これまでもこの手のものをたくさん読んでいたのですけどね、どこかで脳みそを通過していたようで、今回この北京に描かれている数々の品物の金額に目を奪われてしまったわけです。高い・・・(汗)。中国ってすごく物価が日本と比べて安いという印象を持っていたのですが、少なからずここに書かれているものは、日本と変わらないじゃありませんか!いわゆる日本で言うところの「拝観料」。これも日本と変わらない。もちろん、私憧れのマッサージももしや、日本の方が安いかもと思ったくらい。マクドナルド、もしや、日本の方が安くないかい?四川料理「麻婆豆腐」「エビチリ」「ご飯」で2700円って・・・。おそらく屋台とかはむちゃ安いと想像するんですよ。でも、高いところもあると認識していないと、万が一北京に行った時(いや、そんな話別にないんだけど)、気がつけば財布のなかがすってんてんという可能性があるということですよ。事前調査して北京に臨むべしということですね。う~ん、勉強になりましたわ。とそんな感じで「るるぶ」の『るるぶシンガポール』、『るるぶ香港・マカオ』なんかにも突入していた私(爆)。ここに掲載されている食べ物や土産物、その他諸々、シンガポールの方が安いということを発見!それにしても、この辺りは旅と言っても、買い物や食べることがメインになるようなので、あまり興味はないんですけどね。まぁ、そんな感じで脳みそだけトリップしている状態でございます。そうそう、『てくてくインド』もとりあえず読んでみました。それにしても気がついたらアジアばかりだなぁ~。何を私は欲しているのだろうか?にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2012年01月21日
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ごめんなさ~い。今週いっぱいはゆっくり本が読めないわ~と言うことで、すでに話題絶頂を通り越している慎ちゃんネタ。いや~、慎ちゃんのことで私がいちばんカチンと来たのは、綿谷りささん、金原ひとみさんが芥川賞を受賞された時のコメント。あの2人のあの年齢でしか書けない作品だと私は思ったんですよ。まったく正反対の内容ではありましたが。確かにまだ若かったので、表現力は稚拙なところもあったでしょう。それでも、まだまだこれから伸び盛りの2人に大御所としての広い心を持ってくれてもよかったはずなのに、一刀両断。なんかね~、慎ちゃんが芥川賞を受賞した時も、慎ちゃんがあの年齢だったから書けた題材だったはずなんですけどね。それを棚に上げるあたり、まぁ今振り返れば、慎ちゃんらしいといえば慎ちゃんらしいのですが。それから慎ちゃんに思わず注目してしまったわけですが、都政の会見での爆弾、暴言発言。何か言葉を操る人だけに、う~んと考えるとこあったわけですよ。そうしたら、一昨日でした。海堂尊さんがNHKのBS「旅のチカラ」でキューバを訪問された模様が放送されていたのですが、そこで医師をしているキューバ人から、「あなたは、人の体を救う医師でありながら、人の魂を救う作家でもあることは素晴らしい」ということを海堂さんに伝えていたんですね。それを慎ちゃんに置き換えると、「あなたは、人の生活を救う政治家でありながら、人の魂を救う作家」となるんですけど、あのような発言ですと、「人の魂を救う」には当てはまらないような気がするのは、私だけでしょうか~(「人の生活も救う」というのも、福祉の面から見るとかなり怪しいんですけど)。なことをつらつらと考えていたら、今回芥川賞受賞の田中慎弥さん言いえて妙。実際、この受賞時の会見が慎ちゃんの引退(選考委員のね)に影響与えたのかどうか分かりませんが、正直拍手を贈りたかったです。結局いい作品って「古典」と言われるようになるまで実際は分からないんです。こんなこと書いてて慎ちゃんの作品が100年後にも残るかもしれませんが、作品というのは、本人が決めるものではなく、それを受け継いだ人々が結果的に決めていくものだと思うんです。それを何だか慎ちゃんは全てを自分で決めなくては納得できないというのが、最大の弱点なのかな?『地雷を踏む勇気』で話題にした「マッチョ」と言う言葉が横切りました。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたらうれしいです)
2012年01月20日
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核問題、拉致問題…対日本との関係は決して芳しいものではありません、北朝鮮。しかし、すみません、今回はそれはこっちに置いておきます。おそらく不謹慎な記述満載になってしまうかと思います『北朝鮮行ってみたらこうなった。』。過去2回、謎のベールに包まれ北朝鮮と言う国をうっかり覗いてみたくなり、観光で行ってしまった著者の旅行記。ジャーナリストの「潜入ルポ」ではありません。本当にツアーを通して「行ってみた」観光。だからでしょうか、もう笑いどころ満載なんです。最初の北朝鮮への入国は、韓国が行っているツアーで、金峰山へ。こちらは、ご自身が書かれたエッセイが某コンビニで配本されており、それが北朝鮮にも出店しているということで、北朝鮮のコンビニにも小冊子を置いてきちゃえという「万引き」ならぬ「万置き」という任務がありましたが。それでも、その「万置き」以外は完全観光。どれだけ、自分達が監視下に置かれているのか試したくなり、写真撮影をしてはいけない場所でシャッターを押してみたり、金峰山トレッキングでは数百mごとに配置されている監視員(ここはカップル、いや男女ペアになっているらしい)に恋愛感情は持たないのかとインタビューしてみたり。とそんなことばかりやってるかと思えば、逆に監視員からナンパされてみたり。2回目は新婚旅行で中国経由で入国。メインは平壌です。ここでは、1回目とはまた様相が異なった北朝鮮の姿があります。著者いわく、治安がいい!入国審査もゆるく、スルーな感じ。金峰山とは異なり、どこもかしこもシャッターを押してもおとがめなし。普段日本で使用するビジネスホテルよりもいいホテルに滞在し、北朝鮮土産は日本円で200円という絶妙な値段。金日成の霊安室を見学に行き、外国人訪問者のための記名帳コーナーでは、案内人(もちろん、北朝鮮の人)がぼそっと「…適当でいいです」という発言し、他の観光客と違う観光をすることになった著者達に対して、これまた案内人が「どうやって他の人たちごまかしましょ」と著者達に逆に問う姿。ひたすら笑いが止まらない内容(いや、本人が意としたところではなく、実際にそのように体験してしまったらしいのですが)に、そりゃ行きたくなるわと思ってしまいました。しかし、あとがきに著者はこうも述べています。興味が高じ2年続けて謎の隣国を訪問してみた私ですが、今までのイメージがコロッと変わったかというと、そうではありません。私たちが動ける範囲も、接することができる北朝鮮の人々も限定されています。都合のイイところしか見せていないというのは確かでしょう。(p204)と同時に、でも、渡航したことで、お隣さんについて改めて気づかされたことはいっぱいありました。北朝鮮が中国系の人々の人気旅行先になっていること、日本語を勉強する気などまったくなかったのに、専攻させられる人がいること、ぴょうんやん旅行の添乗員さんや往復の飛行機の中で一緒だった人々、金剛山ツアーのアジュマたち、そして日本で生活する在日の人々にとって北朝鮮は「祖国」だということ。(p204)とも綴っているのです。このような抱腹絶倒の旅行記が出ていても、やはり謎の国には違いないのだなと思いました。あまりにも多面的でどこに真実があるのか。観光旅行客に優しいは、計画的なことなのかもしれません。でも、うっかり「…適当でいいです」ともらしてしまった北朝鮮の監視員の言葉が計画的なものとも思えません。潜入ルポとなると、かえってダークで裏社会の北朝鮮の姿が映し出され重々しいものとなってしまいますが、計画的に旅行者が操られているとしても、こうして正面から入って目にした旅行記、そこから漏れる北朝鮮の人々の言葉ももっと知ってみたいなと思ったのでした。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂けるとうれしいです)
2012年01月19日
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紆余曲折、踏んだり蹴ったり、右往左往の塾講師続行なのに、なぜか教材展示会に塾長より誘われ初めて行ってきました(苦笑)。でも、このような場は個人ではなかなか行けませんのでかなり私としては嬉しい事。元来の好奇心がムクムクと沸いてきます。そうそう、先に話はそれますが、紆余曲折での(ってまた繰り返し)塾講師なのに、以前私が現在使用しているテキストが今一歩!と訴えていたことを塾長が覚えていてくださり、来年度から変更予定となったようです。私の個人的意見が筆頭というわけではないのですが、それも変更の理由であることを知り、それもまた嬉しい事。で、1年間通しての教材はすでに塾長の方で心に留めているものがあるので、それのセレクトではなく、副教材になるようなものを私は探してきました。それにしても、塾用の教材を扱う出版社って想像以上に多いのね~。書店でも取り扱われているものもありますが、そうでないものがむちゃくちゃ多い。書籍も含めると出版業界ってどんだけ裾野が広いの????知っているようで全く知らなかったに等しいわ~、もう未知の世界。副教材というのは、主に私の場合、語句のみ、もしくは語句を中心に構成されているもの。読解以前に本当にボキャブラリーが少ない。熟語はとりあえず漢字で書けても、まったく意味がわかっていない・・・つまりそれを使って文章を組み立てられないということ、いや、それは分かっていたのですが、その「組み立てられない」が予想を超える状態だったということに最近気づき…。言葉のシャワーを浴びさせるだけでは、全く間に合わない状況なのでは?と心配になってきたところでありました。それにしても、語句だけを取り扱っている教材というのは、思ったよりも少ない(涙)。読解が中心なんですよ、たいていの場合。読解っていわゆる長い文章を読んだ後、問題に答えるというものですが、そもそも文章の中の一つ一つの単語の意味が分からなければ、元も子もないわけで(号泣)。意味を尋ねられた時、きちんと答えられなくても「こんな感じ」とだいたいの感覚で捉えられてたらいいのですが、それすらない子ども達・・・というのが現実(まぁ、たまたまそのような子が集まっただけかもしれませんが)。そんなわけで、言葉のシャワーを浴びさせながら、知識として覚えさせねばならぬと思い至ったわけです。で、展示会に陳列してあり、書店でも手に入り、かつ私としては「使えるな」と思ったのは、次の2つ。 『国語パズル道場(発展編)』『中学受験基礎ドリ国語「慣用表現・ことば」』しかし、私がいちばん目にひいたのは、都麦出版から出ている『ことばの達人』。(書店からは入手不可)これ、ことわざやら語句が見開きで説明がされていて、次の見開きでそれを用いた問題が解けるようになっています。それの繰り返し。一般的な語句の問題って(例えばことわざだったら)、「( )に入る言葉を入れなさい」●( )に小判。●( )に真珠。これのみなんですよ。語句の説明もなければ、使い方もなくていきなり問題。初めて触れる言葉に対して、これだと子ども達躊躇してしまいます。かと言って指導する側もこれに時間をとられたら、読解やら何やら他のことができなくなる~。というわけで、こちらが少しサポートするだけで、子ども達が最初の見開きを見ながら(理解しながら)、問題が解けるというこの教材はすぐれもの。おまけにこれは「発展」もあって、高校入試まで網羅されています。「高校入試」と言えば、まぁ社会人としてこの程度は知っとかないとね~という部分なので、これをマスターすれば日本人として言葉に不自由はしないレベル。しかも、これ1冊がすごく薄いんです。受験対策もさることながら、日常的に使うということにも注目しているように感じました。こちらは、パソコンから一部ダウンロードもできますので、興味のある方はどうぞ~。・・・にしても、こんなことを嬉々として書いている私。そのうち、教材作成の方の仕事をしていたりして(爆)。そう言えば、私が大学を卒業して入った会社はIT関連だったのですが、その時の面接で「会社で何をしたいか?」と聴かれた時、「小学校向けのパソコン教材を作りたい」って応えた記憶があるなぁ~。色んなことが過去から繋がっているぞ、やれやれ。最終的にどこに終着点を置くのだ、私は?にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければうれしいです)
2012年01月18日
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本の話はお休み。土曜日、日曜日、センター試験でしたね(関西では、中学受験の統一日でもありました)。受験生の皆様お疲れ様でした。と言っても、第一関門なだけで、3月の二次が控えていますが。ということで、毎年のことではないのですが、気が向くと(隔年かな?)この時期私もセンター試験を解いております。が、何分にも英語は現役の時から撃沈で、2次試験を蹴った(と言えば聞こえがいいのですが、点数足りず諦めた)過去があります。そして、数学は年を経るごとに公式はどんどん抜けていきますし・・・。と言うわけで、解いているのはいつも社会。私自身は、当時「地理」を選択して受験しました(共通一時最後の年です)。が、今回購読している新聞には地理が掲載されていませんでしたので、とりあえず「日本史B」をやってみました。この日本史、高校時代の必修は記憶が確かであれば、鎌倉時代までで、それ以降の時代を学ぶとなると選択科目で日本史を取らなければならなかったのですが、私は先にも書いたように「地理」。なので、ほとんど自分の持っている知識のみでのTRYとなりました。で、結果「62」点!!!!私としては大満足。ちなみに、河合塾の予想平均点は67点。代ゼミは、64点。駿台は、62点。となれば、受験勉強せずにだいたい平均点近くとれたということは「よし」としてもいいのでは?甘いのでしょうか?更に分析をしてみますと、平安時代まではかなりの高得点がとれていました。いちばん、宜しくなかったのが、明治時代から第一次世界大戦あたりまで。昭和は市川房江さんがらみだったのが幸いしてそこそこの点を出しておりました。今振り返ってみて、高校生時代の私は勉強の仕方が分かっていなかったような気がします。おそらく、今受験勉強するほうが、効率よく要領よくできる!と断言したりします。まぁ、それでも、英語の単語はやっぱり脳みそに入らないだろうな~(爆)。というわけで、時間があったら今年は、公民・倫理もやってみようかなぁと考えてます。そうそう、すでに指定校推薦で、中央大学法学部に合格を頂いていた同級生(←理系の同じクラスだったのに、法学部の推薦もらったので文系から反発をくらったんだっけ)は、願書を出していたので、やはり共通一時を受けたのですが、彼女は高校1年の時に軽く習った「倫理」を選択。まさに、ちょっと「やってみた」。そうしたら、「地理」よりも楽に点が取れたよ~という報告があったっけ。結構、この共通一次(今はセンター試験)の社会ってビギナーズラックってあるんじゃないかと思うのは私だけ~????にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたらうれしいです
2012年01月17日
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内田センセーのツイッターのリツートされて知った『地雷を踏む勇気』。ツイッターからの情報から本書はすっかり自己啓発本だと思い込んでました。が、まったく違ってました。その時々のテーマのコラムというかエッセイと言うか、論評というか。主に昨年の東日本大震災以降のことが書かれてあります。で、「地雷を踏む」というのは、ようは、表(メディア)では言ってはいけないとみんなが自主規制している意見をここでとうとうと述べているということでした。まぁ少なからず私も震災以降約10ヶ月、テレビなどでこの本に書かれているようなことは聞いたことありません(いや、内田センセーのラジオでは聴いたなぁ~)。が、おそらく心の中では、そこそこの人が思ってるんじゃないのかな。でも、語らない、いや語れないんですな。しかし、今回はその一つ一つについての感想ではなくて(私もほぼ同意見で、うっかりこの「徒然」書いたりしたこともあったような気がしますし)、これを読んでうっかり思ってしまったことを書かせていただきます(いきなり、改まってしまった:汗)。う~~ん、暴言になりそうだなぁ(ちょっと躊躇)。あのですね、震災関係いや、原発関係だけに絞らせていただきますと、これに関わる方々(となれば、男性に限定なのですが)って、精神構造が「マッチョで幼児」ってこと!?「俺は男だ~、だから先頭切ってガンガンやっていかなきゃいけないんだ~。細かいことや女々しいことなんかやるな~。真ん中突っ切ってやろう~」って感じでしょうか。本当に全員がそうとは思ってませんが、主軸になる人がこんな感じだったんだろうなというのを、著者の小田嶋さんが上手く言葉に表現してくれているような気がしてなりません。実際に「マッチョ」とか「幼児的」という言葉が使われている文章もあります。でも、そのような人の集まりだったと考えると原発の成り立ちとか歴史的背景がどうのこうのと語るよりもすんなりと腑に落ちたりします。小田嶋さんは記しています。原発を止めるための理屈は、「怖い」ではいけないことになる。マッチョな男たちの心をとらえるもっと魅力的な理屈を誰かが発明しなければならない。その言葉を見つけるのは難しい。(p24)小田嶋さんも語っていますが、マッチョな方はとにかく強いものが大好き。で、女々しいものは受け付けないんです、このような方々は。私の周囲にもいらっしゃいますが、アニメ好きの男性を指して「オタクだよね~」と奇異の視線を送られます。ここで、問題なのは「オタク」という言葉がアニメ(二次元の世界)にのみ該当すると思われていらっしゃること。今や「オタク」という言葉は、とりあえず何かに集中的に夢中になり、その専門性を高く持っている方にも該当し、マイナスイメージだけではないことが分かっていらっしゃらない。女性にもこの言葉は使われるようになっていますし。結局昔ながらの「男」のイメージから脱却しえなかったんですね。「男」がかっこいい。で、「幼児性」のほうですが、ここは私小田嶋さんとちょっと意見が違うのですが、マッチョな方々はイケイケドンドンなので、逆になにも計画性があるようでない。いきおいにまかせてしまうから、幼稚なことをしていると気がつかないのではと。だから、「九電のやらせ事件」なんてのも出てくるのではないかと。これが草食系男子だったら、何にでも及び腰的なことが多いので、ちょっと何をするのにも二の足を踏んでしまう。もしくは、デートだったら、マニュアルをしっかり読み込んでイメージトレーニングして…(笑)。きっともっと原発を作るにしても手厚くなっていたのかなぁと想像したりするんですね。本書を読む限りでは。とりあえず、今私が本書を読んで考えたのは、今後の原発をどうするか、継続するか、完全撤廃するかにしろ、今のマッチョな方々を第一線から退いてもらって、草食系男子におまかせしてみるというのは、いかがなものでしょうか。とこんなことを書きながら、日本がマッチョな人以外で国を動かしていた時期なんてあったのでしょうか?イメージ的には、平安時代?でも院政を見ているとマッチョな感じもしますけどね~。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたらうれしいです)
2012年01月16日
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何であんなに話題になったのかまったく理解できなかった『星守る犬』。図書館においてあったのでとりあえず借りてみました。やられましたよ~。表紙からはまったく想像できない内容。裏をかかれてしまいました。あの表紙からだったら、生ぬるいファンタジーかありがちなお涙頂戴の物語だと思ったんですね。でも、そんなものではなかった。一人の男性の第2いや、第3の人生をとつとつと描いたものでした。表紙の「犬」は確かにその中で重要な位置づけではありますが、それでもそれはあくまでもそこに「柔らか」な香辛料を与えるため。そこに「犬」がいなければ、「絶望」的な物語になってしまっていたでしょう。そして、後半はそのサイド物語。これも、前半の物語と上手く絡めさせています。私が知らないだけで、人って本当にひとりひとりがドラマなんだなと思います。と、ブレイクした時にまったく見向きもしなかったので、今更なのですが、続編もでている模様。ただ、私はこの1冊で十分に満足しましたので、続編でこの厚みのある本を壊していないかちょっと心配。とりあえず、読んでみるかな。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたらうれしいです)
2012年01月15日
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所属NPOの事業あっとまーくかふぇ。今回は下は5ヶ月から上は4歳までの子ども達が多数集まってくれました。いつものお昼前の絵本は『りんごくんがね…』。このりんごくん、なんと忍者。りんごの木から抜け出して旅をします。カラスによって空を飛んだりもしますが、何分カラスですので、食べられてはならない!というわけで、自らスルスルパラッと飛び降りて落ちたところが、水の入ったボウルの中。とこの場面、文章としては、ボッチャ~~~~ンジャブ ジャブ ジャブ ジャブ ジャブだけなんですけどね、満場一致で子ども達が大喜び。いわゆる爆笑なんです。これが、5ヶ月の赤ちゃんから笑っているから読んでいる私もびっくり。以前はこのかふぇには、2歳児前後の親子の参加が多かったのですが、ここ最近は子どもの年齢の幅が広くなり、絵本選びのポイントは、(1)お弁当を食べる意欲をかきたてるもの。(2)低月齢の子どもでもたいくつしない長さ。の2点ではありますが、さすがに1歳以下の子ども達は、(1)(2)を満たす絵本でも理解はしていないはず。ですが、ちょっと年齢の高い子ども達の歓喜に触発されるんでしょうね。まさにそんな現場を目の当たりにしました。さて、りんごの忍者がなぜお弁当に繋がるのかは、本編を見てのお楽しみ♪大人視線では「ほほ~、こうなりますか~」ととっても納得いたしました。だから、「忍者」ねっ。========追記塾講師の引退宣言を昨日いたしましたが、事態が急展開。あと、1年授業を持つことになりました。明日が読めないというのは、まぁ我が家にとってはいつものことではありますが。私としてはラスト1年という気持ち。(ですが、どうなるか分からない)誠実に子ども達とこれからも向き合っていきま~す♪にほんブログ村(↑ポチッと押していただければうれしいです)
2012年01月14日
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以前から気になっていた『マイマイ新子』。何が気になっていたかといいますと、結構国語の問題集の出典での使用頻度が高いんです。で、そこの部分を読んでいると続き読んでみたいなという気持ちを持たせてくれるんです(子どもはどうかは分かりませんが、私は)。で、ようやく読む機会に恵まれたというわけです。新子は9歳。彼女の周辺で起る様々な出来事を新子視線で26話となって描かれています。まだ未読ですが、おそらく橋本武さんがスローリーディングに使用した『銀の匙』と構成が似ているように思われます。異なる点を上げるとすれば、『銀の匙』の章立てに見出しがなかったのが、『マイマイ新子』では一つ一つにつけられているところでしょうか。で、この見出しが面白い。それだけで、新子の性格が読み取れます。例えば、3章「レンアイ室の扉は怖かった」。内容は伏せますが、これなんかはとても新子ちゃんの様子を的確に表しています。24章「青ひげなんか怖くないもん」なんて、思春期前の背伸びした感じが表れています。どの章も新子ちゃんの天真爛漫さがページからあふれんばかりで、確かに国語の問題的も作りやすい素材ではあります。が、一方の見方がありました。この作品、なんと舞台が昭和30年(山口県)。まだ戦争の残り香がぷんぷんに残っています。新子ちゃんが防空壕に入り、そこで生活している人に出会う章。お母さんの兄弟が原爆でなくなり、そのなきがらを広島に探しに行く章。とりわけ、防空壕で生活している人、そしてその人がお祭りになどで傷痍軍人に化けて施しを受ける話などは、おそらく今の子ども達には想像つかないと思います。まだ、私が小学生くらいの時は傷痍軍人らしき人が参道にひざまずいて施しを受けている場面を目にしていたのですが、少なからず高校生になった頃にはなりをひそめていました。これは、直接目にしなくても、映像なりで目にしておかなくてはまったく理解できないものだと思います。またこれら場面と対照的に描かれているのが自然の豊かさ。昭和30年の山口県です。おそらく、今の言葉で語ると「日本の原風景」がそこにはあります。豊かな自然と田園風景。そこで走り回る小学生。これをただの読書として読むのであればまったく問題はないのですが、これが国語的になると今の子ども達にこのような風景が本来の日本であるといわんばかりの押し付けが見えてくるのです。梨木香歩さんなどの作品も国語の問題として取り上げられますが、同じ小学生の女の子が題材になっていたとしても、そこには時代の溝がくっきりと現れます。とっても楽しんで読める作品なだけに、大人のノスタルジーを問題集として扱うのは、ちょっと違うかなと私は思ってしまいました。=========ちょっと、ご報告。国語的な話をしてきたのですが、諸所の事情で2月いっぱいで塾講師の仕事を一時引退することにしました(詳細を知りたい方は、メールでご一報ください:笑)。ちょっとスローリーディングを着手し始めたところで、気持ち的にはちょっとだけ残念。3月以降は子どもとの直接的なやり取りを書くことはここではできなくなりますが、教育界にはまだまだ身を置きますので、(国語的な話は)今度は外から国語の問題集の分析など、機会がありましたらこちらに書いていこうと思います。にほんブログ村(↑ポチッと押していただければうれしいです)
2012年01月13日
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私の橋本治さんの著書のスタートは以前も記しましたように、高校生の時の『桃尻語訳枕草子』。しかし、読んでいて当時の「今時の言葉で書かれている」とありながらも、今一歩ピンとこなくてそのままフェードアウト。それから、約25年の月日を経て、師匠達から進められたのが論評。すっかり私のツボ。これが橋本治さんの世界かと納得したのですが、天才と言われる所以はそこではなかったような気がします。それは『花物語』。以前から手元に積読にはなっていたのですが、ようやく着手。本の裏には、小説の名手・橋本とさべあのまの美しいイラストでおくる、「サクラ草」ではじまり「旅立ち」で終わる14の物語。揺れ動く心の動きとせつなさを、季節の花々や自然に託し見事に語った、みずみずしい物語。とあります。全ページオールカラーのイラストが、橋本治さんの文章を際立たせています。年明けに私が「装丁」の話を語ってしまいましたが、まさにそれ!本全体が作品となっています。それだけでも価値アリと言う1冊ですが、やはり文章が違います。おそらく、著者名を隠したら少なからず私の知識からは「橋本治」いう名前は出てこないでしょう。いわゆる短編の童話に近いものがあります。「心情を語っている」とありますが、私はどちらかというと、その風景を際立たせるために、心情を綴っているという印象を持ちました。物語の大半は心情なのですが、読後感はその風景しか残ってないという感じです。幼い子どもから思春期の子ども達を中心に書かれているので、児童文学という括りでもいいのかもしれませんが、時折大人が主人公になって描かれているので、やはり「児童文学」という枠にはおさまりません。中には、いわゆる「不倫」をしている女性が中心のお話もあるのですが、この作品全体から「不倫」という言葉がまったく似合いません。言葉を選んでここに示すとしたら、「道ならぬ恋」と言った方がよいでしょうか。そのような言葉がとてもしっくりくるほど、とても優しい文章で満載です。「桃尻…」のような、ギャルっぽいでも、どことなく卑屈な一面をもつ文章、そして常に自分の想いを思いっきり槍のように突きたてたまま、まくし立てる論評。どちらも私としては、「動」のイメージがあるのですが、この作品は「静」。先に記しました「道ならぬ恋」をしてしまい、失恋したミチヨさんのお話にはこのような一節が出てきます。でもその日は、紫陽花がきれいでした。窓の外に降る雨もきれいで、まるでそれが光を浴びた小さな水晶のように輝いて、いつまでもきらきらと振り続けていました。(p29)特別な難しい言葉を使っているわけでは決してありません。でも、「道ならぬ恋」をしてしまったミチヨさんも読者も含めて丸ごと包み込む文章ではないでしょうか。言葉の組みあわせでこんなに優しい文章が出来上がってしまうんだということを実感した次第です。にほんブログ村(↑ポチッと押していただければうれしいです)
2012年01月12日
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もう少ししたら、小学校の図書ボランティアに行ってきます。ついに私の念願だった「おススメコーナー」が誕生します。今日はその設置のため。一応、名目上は「図書ボランティアのおススメコーナー」なのですが、完全に私の独壇場。かつて、本の書評を仕事として書かせていただいていた書店でも、私がセレクトするコーナーを設置する話は出たり消えたりしたのですが、結局は実現しませんでした。なので、仕事ではないとは言え、私のコーナー(←完全に私物化)ができるのは、とっても嬉しい!もちろん、名目上がありますので、私の個人の名前は出ませんが、その時のテーマを決めて本をセレクトしてそれを誰かが手にしてくれるというのは、本当にうれしい~。目指せ、松丸本舗です!=======さて、その第1回のおススメコーナーのテーマは「松岡達英」さん。別の作家さんを最初考えていたのですが、小学校の図書室で本をセレクトしている時に、目に飛び込んできたのが、彼の著作の一つである『震度7』。昨年3月11日の東日本大震災はまだまだ記憶に新しいところ。そして関西では1月17日は阪神淡路大震災があり、学校の多くがこの日に避難訓練をします。しかし、同じように大きな震災がこの両者を挟んで中越地方でもありました。関西人にとっては、この震災は記憶が薄れているのではと思いました。と、同時にこの時期だからコーナーに置くと、もしかしたら読んでくれるかな~と思ったのです。松岡達英さんのアトリエはこの震災の震源地のほぼ真上にアトリエを構えており、震災時はまさに九死に一生をえています。その話はかなりリアルです。が、彼の作品をご存知の方なら、想像つくかもしれませんが、あの写実的かつこっけいな絵がそのリアルなどぎつさを緩和させてくれ、かえってゆとりを持ってしっかりと現実を受け止められます。そこから子ども達が何を得るかは分かりませんが、手に取りやすいかなと思うのです。他には、彼の真骨頂、「だんごむし」や「かえる」などが主人公の絵本を据えることにしました。=======『だんご博士の観察記』研究室を持っているだんごむしのだんご博士。自分の研究室にオタマジャクシを持ち帰ったり、水中観察のためにビンのふたで、観察船を作ったり…。日本に世界一小さなトンボがいたの知ってた~?=======『だんごむしそらをとぶ』空をとびたいだんごむし。筋力トレーニングをして、羽根を作って、空を飛んじゃいます。だんごむしの空の旅はどんな感じかな?=======『あまがえる先生みつけてたべよう!野いちご教室』いちごジャムが食べたいのねずみさんたち。あまがえる先生と一緒に野いちご摘みからスタート。ヘビイチゴに、クサイチゴ…初めて耳にする名前の野いちおがいっぱ~い。そしてジャムだけじゃないいちごのスイーツのレシピも紹介♪=======『 恐竜たんけん図鑑 』恐竜の図鑑として見るもよし!恐竜が描かれた絵本として読むもよし!でもおススメは、各ページ下にある漫画!海底水族館に恐竜が泳いでいるぞ~。========『ジャングル』ジャングルって知ってる?行ったことある?ジャングルジムじゃないよ。ジャングルに住んでる動物や植物ってとってもきれいな色しているんだよ。ここには、世界最大のイトトンボがいるよ。=======各作品の下に表示した水色の文章は、作品と一緒に並べるそれぞれの本の紹介文です。あまり、上手くない…(涙)。他にも紹介文なしの彼の著書を何冊か一緒に配架します。上記の作品を見ても、松岡達英さんの作品にピンと来ない方!↓を描いた人・・・と言えば、子育て世代の方はご存知なのではないでしょうか。『ぴょーん 』是非是非、彼の作品を手にしてみてください。小さな小動物の見る目が変わってきます!さぁ、これから設置に行ってくるぞ~!!!!にほんブログ村(↑ポチッと押していただけるとうれしいです)
2012年01月11日
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待ってました~。灘中・高の伝説の教師橋本武さんの授業に関して、元教え子が書いたり、それがドキュメンタリーになってまとめられたものは出版されていましたが、本人が書かれたものが読みたい~とずっと思ってました。そうしたら昨年11月、橋本武さん自身がどのような授業を行っていたかということをつぶさに書かれた『灘校・伝説の国語授業』が出版されました。即効で購入しましたよ。でも、手元に置いたら安心して、読むのがこのお正月になってしまいました(汗)。具体的にどのように指導を行ったかというまさに教材研究の本。丁度塾で子ども達を教える事柄をスローリーディングに切り替えているところだったので、ありがたかったです。具体的にひとつずつ上げていくときりがないのですが、感嘆の声を思わず上げてしまったのは、「行燈」という言葉から漢字の音読みと訓読みについて授業内容が流れていくという1コマ。訓読みというのは、ご存知のようにその漢字に対して日本読みにしたもの。そして音読みというのは、もともと中国の読み方をそのまま真似たもの。しかし、音読みには3種類読み方があるということを橋本先生は子ども達に説明をしています。それは、中国と言っても、時代により読み方が異なり、その時代時代の読み方が日本に入ってきたことを表します。これ、私が昨年度、子ども達に音読みと訓読みを説明する時にも話したんですよ。伝説の教師と同じ授業内容を行っていたというのは、本当に嬉しい。でも、このことを調べるのに随分と時間がかかって、なんてマニアックなとリサーチしながら自分自身を笑ってしまったのですが、おそらく橋本先生も同じ時間かけて調べられたんだろうなと思うと励まされているような。本のページ数にするとわずか6ページばかりのことなんですけどね。ただ、すごくこの本では簡潔にまとめられていて、私のまどろっこしい授業よりはよっぽど分かりやすいです。先にこの本が出版されてたら~とちらっと思ったり(笑)。そんなわけで、ともかく教材研究には持って来いの1冊です。もちろん、そうではない方にも、物語をこのように読むことが可能なのかという開眼があると思いますし、それぞれ一つ一つを物語を切り離して、知識として入れることも可能。ますます国語・・・ってか日本語の奥地へ踏み入れた感じです。と同時に、教えるということの何倍も時間をかけて教材研究をしなければならないということを改めて教えてもらった1冊でもありました。あ~、手抜きはできないわ~。にほんブログ村(↑ポチッと押していただければ嬉しいです)
2012年01月10日
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水木しげるさんの次女が書いた『お父ちゃんのゲゲゲな毎日』読了。白川静さんのように間違いなく過去にタイムスリップをしている、もしくはその世界が見えているという人は少数かもしれませんがいらっしゃると私は思っています。そういう意味では水木しげるさんもそのお一人、いや、正確には彼の場合、見えてはなくとも「信じきっている(妖怪の存在を)」という人ではないかと思います。本書は本人ではなくその娘さんであり、水木プロを切り盛りしている次女の水木悦子さんが、父親としての水木しげるさんについて、自身が幼い頃から今までを思いつくままにあれこれ書いているエッセイです。子どもの目から映った水木さんというのは、本人の自叙伝とはまた違った様相を見せてくれます。と書けばとっても美しい出来事かと思いますが、これがまったく違う。悦子さん以上に子ども心、いや、子どもなままの父。はまったものは長期間それを毎日繰り返し、下ネタを語り、時には妖怪にとりつかれている水木しげるさん。これを作風通りととるか、作風とは違う一面なのかは読み手次第。しかし、あのような作品を次々と生み出していく背景はあの世界を「見ている」というよりは、「信じきっている」ということであることは悦子さんの書かれた様子から知ることとなりました。ある意味「見える」よりも「信じる」ということの方が難しいような気がします。どこまでも、どこまでも「信じる」ことによりそれを超越するものが生まれてくるその瞬間というのを本書から垣間見ることとなりました。それにしても、「信じる」の幅の広いこと。「妖怪」と一括りにすれば簡単ですが、水木さんはそれを一つにせず妖怪単体一つずつを「信じている」ようです。そうなると、彼の作品から考えてもどれだけ存在を信じているねん!そのキャパは半端じゃないくらい広い。信じすぎて、もしかしたら水木さん自身が妖怪へ徐々に成り代わっていっている?憑喪神的存在にまもなくなられるのではないかとすら。そんなことを子どもっぽい、可愛い言動を起こしている水木さんの日常からうっかり思ってしまうのです。にほんブログ村(↑ポチッと押していただければ嬉しいです)
2012年01月09日
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ずっとラノベの中でも気になりつつ、でもなかなか食指が伸びないというか、私が先に読んでもね~なんて思ったりしながら時が来るのを待ってましたところ、ついに娘購入!してやったり!と言うわけで、『生徒会の一存』。生徒会長筆頭に女の子4名、男の子1名の生徒会。話の流れはこの男の子の1人称でかかれてます。ここの生徒会、人気投票で行われるため、生徒会を運営するための能力は皆無。ただし、成績優秀者でかつ生徒会に入りたい人用の特別枠があり、この男の子ことキーくんは特別枠で入ります。理由はハーレムを作りたいから(笑)。いいな~、ハーレムですか。とにかく口説いてますわ。でも、お姉さま方たち、それを上手にあしらっております。人気投票といいながら、能力的にバッテンなのは生徒会長だけで、他は容姿端麗、成績優秀もしくは何らかに秀でている人がなってるんですけどね。ストーリーの方はほとんど生徒会室の中のことだけに終始していて、しかも内容がないようなあるような。誰かが暴走した発言に突っ込んだり、引いてみたり。それだけで1冊が終わってます。ってか、シリーズで今現在15巻。こんな生徒会あるかいなと思いながらも、すごくキャラクターがのびのびしていて、読者はきっとこんな高校生活送ってみたいなという気持ちを重ねてしまうんですね。それが人気になっているものだと思います。こんな生徒会が日本に一つでもあったら紹介して欲しいくらい。結局のところ、学園ものって現実では行なわれないけど、こうだったらいいな~という妄想のもとで成り立っていますので、こういうのはアリだと思います。更に現在では物語だけでなく、ここに描かれている制服やらグッズが商品になっています。制服がブランド力を持つようになっておそらく20年近くになると思いますが、それでも現実は制約というか暗黙の縛りがあるのですが、それをとっぱらってくれているのが、このラノベのイラストではないかと。それでもう~~ん、これから残り14冊私は読みきることが出来るのかはまた別問題ですが、キーくんが結局のところハーレムを作るのかそれだけは気になります。=========追記ですが、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のDVDを最後まで観ました~。ラストがもう納得できる終わり方。素直にこのアニメの出来に感心してしまいました。これは1クール完結のアニメで長々とは続きませんし、DVDですとCMも入りません。ぶっ続けで5時間あれば観終わりますので、映画2本分観る感覚で観ていただきたいなと思います。ジブリを超えたと言っても過言ではないかも。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2012年01月08日
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本年最初の「KIMURAの読書ノート」を更新していただきました。私としては新年最初の本にはふさわしいと思っています『なぜ、日本はジャパンと呼ばれたか』を取り上げました。昨年末知人のブログに紹介されており、興味引かれて手にいたのですが、日本人の精神的DNAが縄文時代には形成されていて、それが現代まで受け継がれていることが書かれてありました。それはどのようにひっくり返しても変わるものじゃないんだなということが本書を読んで再認識。すでに縄文時代において世界のガラパゴスしてますわ、日本。にほんブログ村(↑ポチっと押していただけたら嬉しいです)
2012年01月07日
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一応海堂尊さんFANを自認しているので、新刊『極北ラプソディ 』以外は読んでいるつもりです(現在図書館で80人待ち~)。が、ちょっと年末に不安になって図書館のオンラインで検索をかけたら『オール・ミステリー 『このミステリーがすごい!』大賞作家書き下ろし』に海堂さんの名前がありました。これは、読まねばと思い予約をして昨日手元に来たのですが・・・、「このミス大賞」作家でありながら書き下ろしの作品ではアリマセンでした(涙)。なんと、綾辻行人さん、藤田宜永さんと共に「このミス」大賞杯の麻雀大会を繰り広げておりまして、誌上にその様子が掲載されていたのです(爆)。そういえば、海堂さん『ジェネラル・ルージュの伝説』に麻雀を学生時代にやっていたということをチラッと書かれてましたっけ。本書では麻雀大会の詳細が牌まで乗せて詳細に書かれているのですが、麻雀の分からない私にはその牌が何を意味するか全く分かりません。が、編集者の茶木さんを含めた4人がまじめにかつ真摯に雀卓を囲んでいる姿を見ていますと、なんというのでしょうか、作家さんであることをうっかり忘れてしまいます。4人の風貌が・・・というところもあるのでしょうが、堅気の人に思えません(爆)。それだけ、白熱している様子が分かると言いましょうか。この後、4名の座談会が掲載されているのですが、かつては文豪による対局が真剣に大規模に行われ、誌面をにぎわしていたようです。それが廃れていったのを残念がった編集者の茶木さんが綾辻さんに声をかけたのがこの対局のきっかけになったとか。しかも茶木さんと綾辻さんの接点はこの麻雀しかないという可笑しな関係。まぁ、それから海堂さん、藤田さんが釣り上げれらたようです(笑)。この座談会の後は、さらに4人の麻雀に対する熱い思いがエッセイになって書きとめられていますが、みなさん作家のはずなのに、なぜか自身の作品よりも語り方が熱いです!燃えています。麻雀激戦記以降は本当に雀士以外の「このミス」関係者(中山七里さん、七尾与史さんなどなど)の書き下ろし満載なのですが、いやもうここは省略してもいいかも。今後、この対局が作品に活かされるのか否か?それがもしかしたら最大のミステリーかも(笑)。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2012年01月06日
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更にお正月の我が家について。いつもはバタバタのお正月なのですが、昨日も書きましたようにゆったりとしたお正月。そんなわけで、TSUTAYA以外では、こちらではBOOK・OFFと同じくらい君臨している古本市場へ。この大型チェーン店の古本屋さんに関してはあまりここでおおっぴらに書きたくはないんですが、(知り合いに何人も作家さんがいらしてですし、その方々のことを考えると・・・)今回はちょっと見逃してくださいな(汗)。基本、私はここでは絶版になった本をメインで探します。が、いつも金欠病の娘は、じーちゃん、ばーちゃんから図書券が贈られてこない時は、こちらでお目当ての本を物色しております。で、娘のお気に入りの本の中に『ひぐらしのなく頃に』シリーズ、『うみねこのなく頃に』シリーズがあります。 これ、講談社BOXから刊行されておりまして、1冊が定価ですと1000円から1500円するんです。で、シリーズ全てだと約20巻で完結。当然娘にとってはとうてい手に出ない品物で(いや、私でも買いきれないわ:汗)、図書館から借りて全シリーズ完読しておりました。が、今回なんとこれらが105円で売られていたわけですよ。お年玉をもらった娘は狂喜乱舞したまでは良かったのですが、そこで娘ふと考えたんですね。これらのBOXを購入しても置き場がない・・・と。それだったら、現在これらが文庫になって刊行されているので、それが古本屋で105円で並ぶのを待ったほうが良いのでは・・・と。そんなこんなを悩んでおりまして、珍しく相談されました。ここは、保護者としてではなく、本に身を置く仕事人として応えましたとも!最初に出る単行本は、文章だけでなく装丁も作者はこだわって作られているのだが、文庫になるとそれの部分が削除されて文章のみのものとなる。これが定価だったらまだしも、今回このような値段になっているのであれば、この単行本を購入するべし。この作品、BOXで刊行されていることもすでにこだわりがあるのですが、中もすごい。とある場面では文字が赤色になっていたり(血塗りだったり・・・苦笑)、手紙風に書かれている部分ありと、この作品のイメージを思いっきり装丁に表しているんです。これが、文庫になると、その部分が欠落しちゃいますからね、面白み半分になるし、作者の意図まで失うことになるんですよ。この作品は、人によっては目を覆いたくなると思いますので、手にしてこの装丁のこだわりを見て~と大きな声ではいえませんが、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』や梨木香歩の『 裏庭』も単行本と文庫では中の装丁がまったく異なっていることが分かりますので、こちらを参考にしていただければと思います。 もっと突っ込んで記述しますとこのお2人に関しては、シュタイナーの人智学に基づいて描かれた作品なので、似たような装丁になっています。ファンタジーの王道のような装丁が、この装丁の意味するところでもあるのです。=======と、単行本装丁の話を書きましたが、文庫は文庫で単行本にはない良さもあります。それは、巻末に解説やあとがきがあること。本来でしたら、お気に入りの作品に関しては両者を購入して手元に置いておくといちばんいいのですが、まぁ普通なかなかですわ。私の場合は、その本によってどちらを購入するか取捨選択しています。最終的には読み手の好みになるんでしょうけどね(爆)。さて、私のほうですが、今や版権が別の出版社に移って装丁ががらっと変わってしまった桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を旧出版社(富士見ミステリー文庫)で見つけたのでそれを購入!これもですね、今の角川から出ている装丁よりも断然いいんですよ。(↓こっちが今の装丁)内容とのバランスなんですけどね。・・・ってなわけで、お正月の出来事からつい装丁について語ってみました。私のこだわり・・・と言ったところでしょうか。にほんブログ村(↑ポチッと押していただければ嬉しいです)
2012年01月05日
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ここ数年でいちばんゆっくりしたお正月を迎えることができました。そんなわけで、これまでやったことがなかったのですが、TSUTAYAでDVDを借りてきて視聴。それが『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(公式HPはこちら)。昨春、フジ系列の深夜に放映されていたようなのですが、その時は知らないでその後雑誌やネットなどで取り上げられているのを読んで、これは是非観なければと思っていたんですよ。そんなわけでぽっかり空いた今年のお正月はこれの鑑賞会となったわけですが、1クール放映が6巻に分かれておりまして、TSUTAYAにあったのは4巻まで(5,6巻は借りられておりました)。話題になっていただけあって、きれいな作りになっていました。 ZONEの「secret base ~君がくれたもの~」がベースになっているだけあって、この曲が本当にいい役割をしています。 ただ、夫はこれを観るやいなや「つまらん」と行って寝室の方へ引きこもり(リビングのテレビしかDVDが使えないので)。 おそらくこの作品はマッチョな性格の人には向かないだろうな~(爆)。さて、その内容はというと、「超平和バスターズ」を結成してつるんでいた小学生6人組のその後(高校生時代)の話です。この6人組の一人、通称めんまがみんなと遊んでいた時に事故にあい亡くなってしまいます。それを残り5人が引きずりながら成長し、高校生になった時にはみんなばらばらにそれぞれの生活を送っています。そんなところへ、めんまがじんたんのところに現れます。それをきっかけに5人が行きつ戻りつしながら集まり、めんまの願いを探していきます。結末はまだ視聴していないので、何とも言えませんが何となく想像はつきます(苦笑)。でも、それはまさに「そうだったらいいな」と願う感じで、「ネタがすぐに分かるぜ」という安っぽさを感じさせないのです。それを上回るほどの切なさが常に付きまとっていて、本当にみんなHAPPYになって~と祈る想いで見入ってしまいます。映像もきれいなんですよ。公式HPを見ていただければ分かるのですが、人物は今流行の萌え系と言ってしまえるものかもしれまんせんが、背景がとっても写実的でそのギャップがかえって全体を引き立たせていると言いましょうか。この舞台の秩父市がブームになるはずです。これだけ背景を美しく描かれてたら、秩父市も総出をあげて応援したくなるのは共感します。市長さんもブログにこれについてコメントされておりました。めんまを通して、思春期のもやもやと過去のあれこれの壁をもがきながら前へ進もうとしている超平和バスターズのを期待しつつ、自分のこの頃の心情をつい重ね合わせてみたりしました。切ないのになぜか清清しさすら感じるこの作品、早くラストまで観たいわ~。それと、日本のアニメの技術はすごいと再認識。サブカルとして世界には発信されていますが、「サブ」じゃなくても「メイン」でも問題ないんじゃないかしら?深夜アニメ番組なのに、手抜きなくここまで制作してしまうスタッフの意気込み。もっと、自信を持っていいぞ、日本!にほんブログ村(↑今年もみなさんに楽しんでもらえる記事にしていきます!お年賀代わりにポチッと押していただければ嬉しいです:笑)
2012年01月04日
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