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こちら『山をはしる』も昨日同様に、大峯奥駆けの体験記です。ただこちらは、大峯だけでなく、八海山の奥影、羅臼岳登拝、富士山登拝についても記されています。大峯奥駆けは、昨日の者よりも短くて、8泊9日で、間で車移動などがあるのですが、それでも、前書で書かれていない部分の奥駆けに関する背景などを埋めてくれる程の内容で、私にとっては濃いかったです。更には八海山にも奥駆けがあることにも驚き、それを驚異の速さで突き進む山伏さんがいること。日々の訓練というか、修行というのは確実に身につくものなんだということを、今回の体験記を通して知ることとなりました。印象的だったのは、著者がアメリカを旅した時に目にした砂漠の荒涼とした風景と日本の車窓からの風景を比較してこのように語っているところ。引用します。砂漠しかない地ではそんなに多くの神々は存在し得なかった。そうした地での宗教が、白か黒か、是か非かの一神教になるのも理解できる。しかし、多種多様な生命と自然に道が我が国は違う。大昔には八百万の神々がいた。いまでは神さまも仏さまもいる。大みそかは寺で除夜の鐘の音を聞き、新年が明けると神社に詣でるという、ある種節操のない宗教感覚。しかしよくいえば、さまざまな変化を受け入れる、懐の深い寛容さに満ちた国民性ともいえる。忍耐強さともいえようか。日本人と日本の風土に組み込まれたDNAなのかもしれない。(p311)後半の日本に関する文章はどこでもよく聞くことではあるのですが、アメリカの車窓からの風景との比較というものにこれまでは出会ったことがなく、このように砂漠のことを解説されると確かに多様性というよりは、白か黒かではっきりとして欲しいと思わせるものなのかもしれないと思いました。また、著者は自分は登山家でも、プロの格闘家でもなければ、僧でも、神職でもないけど、万物に感謝し、山を畏怖し、己を見つめながら登ると記してある辺りは、とても共感しました。私自身修験の行いや教義など、関心を持ち、修験のお山を中心に登拝していますが、やはり僧侶でもないし、山伏でもないし、登山家(いわゆるピークハンター)でもありません。でも、お山に入らせてもらうようになって、万物に感謝するし、何よりも、今歩いているこの道を切り開いてくれた先人たちの空気を感じるのがとにかく楽しくてうれしくて、そして多くの犠牲を出した上を歩いていることに畏怖の念と共に感謝を持ちつつただお山を歩いているだけで、何者でもないんですよねー。実は著者と私は同い年。こうして、これを書いている今もどこかのお山に入られているのかなーと思うとちょっと親近感がわいてきます。にほんブログ村
2026年09月30日
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秋休み、明けましたー。また本日から宜しくお願いします。さて、秋休み明けの第一弾はフォトジャーナリストの著者が奥駆・逆峯を12日間かけて行った記録、『熊野、修験の道を往く』はお届けします。このようなのが読みたかったーーー。奥駆をした方の体験記!私が歩いたことのない箇所の奥駆け道がどのようになっているのか、靡にはどのようなものがあり、どのようなことを行っているのか、その時代背景や行はどのように行っているのか……。もう、私が知りたかったことがたくさん詰まっていて、震えるように読みました。巻末には、この行に参加した人に対して著者がインタビューしているのですが、当時52歳で鍼灸師の女性の方がこのようなことを語っていて、もう、激しく同意、共感でした。そのまんま引用します。山上ヶ岳の女人結界について聞いた。「個人的には登りたいと思っている。が、複雑」はじめは、なんでこの時代に、と思った。しかし奥駆を重ね、男の行者とも知り合いになると、最近は「ナンセンスだがそういう場所があってもいいかなと思う。」それに奥駆で、あれだけ歩いてみると、「大峯はもっと広いよ。山上ヶ岳にはこだわりません。なんでお琴はこだわるのかな」。優位性を保たれたうえで、叱られた気分だった。(p191)そうなんですよ。「そういう場所があってもいいかな」それに尽きるんです。この体験記って2004年の話なんですよねー。もう、その時にこのように思われている方がいらっしゃったってことは、案外大峯が好きな女性は同じような感覚を持っているのかもーーーと思ってしまいました。そうだったらいいなーー。私は山上ヶ岳に上がりたいというよりは、大峯山寺にいらっしゃる秘仏・役行者像を拝みたいだけなんですけどねー。それを拝めるのなら山上ヶ岳じゃなくても良いかも。奈良博までお出まししなくてもいいので、金峯山寺まで、再び日通さんにお願いして……と結構な願いかも。それから本書で特筆する点は、こお奥駆では事故が起こっていること。それについても、しっかりと触れていました。滑落した人は一命を取り留めましたが、先達がいて、安全を期しながらの行であっても、やはり事故は起こるんだなということを身に染みて痛感しました。だからこそ、単独で登拝する自分は、更に気を引き締めて参詣しなけらばならないと思ったのありました。にほんブログ村
2026年09月29日
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只今秋休み中です。29日に再開の予定です。ご了承ください。にほんブログ村
2026年09月18日
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間に「お知らせ」が入りましたので、一昨日の続きとなります。ミロコマチコさんの展覧会鑑賞前に、開場の筆の里工房より少し山の奥に入ったところにあるゆるぎ観音を参詣してきました。いつからここに観音堂があるのか不明なのだそうですが、正徳5年(1715)の「安芸郡神社仏閣古城控」にすでに記されているそうです。こちらは観音堂だけでなく、西国三十三ヶ所巡礼の石仏がお祀りされており、もともとはかなり大規模な寺院ではなかったのかと想像します。 これらがその石仏(摩崖仏)の一部。そして、ここの名前の由来となっている「ゆるぎ岩」。絶妙なバランス!ゆるぎ観音から更に奥にいくと、屏風岩があります。 ゆるぎ岩と変わらない位絶妙なバランス。屏風岩からもっと奥に歩いて行きます。赤穂峠です。この峠は江戸時代より前から、太平洋戦争頃まで広島市へ向かう主要な道路だったようです。この峠から右手に上ったすぐのところに展望台があります。広島氏内が一望。赤穂峠に戻り今度は右手の「城山」に向かうことにしました。いや、本当はここで引き返す予定だったんですけどね。城山まで1㎞とあったので、片道30分かーーと言うことになり、帯同していた妹の推しが「山城」ということもあり、行ってみることにしました(笑)。道中のこれまた絶妙なバランスの巨石。ゆるぎ岩どころじゃなく、あちこちにこのようなバランス感覚を持つ巨石に溢れている一帯でありました。やはり道中にあった巨石。行きはこの岩を迂回したのですが、帰りにこの巨石3つ(この裏に更に2つ隠れていた)をよじ登るルートを歩きました。更に巨石は続きます。この平たい巨石の上にある巨石は人工的に置かれたのが、それとも自然に出来たものなのか……。天綱岩という名前が付いていました。そして、城山山頂(592m)。この名前の由来の「城」ですが、自宅に戻って調べたところ、嵩山城というお城があった場所でした。道中にあった巨石を防御壁として利用していたようです。というわけで、帰りはピストンで……。いやいや、巨石のところだけは迂回せずそこを上って下りました。先に画像をあげた巨石の反対側、つまり下山で上った側が、こちら。写っている人物は妹。無事に下山した後に、一昨日アップしたミロコマチコさんの作品展を鑑賞したのでした。======明日から秋休みに入ります。再開は29日です。宜しくお願いします。にほんブログ村
2026年09月17日
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本日はお知らせを挟みます。昨日の続きは、明日お届けします。木下明美氏Blog内「kimuraの読書ノート」を更新して頂きました。(9月15日の記事)今回も戦争にまつわる書籍を紹介します。それが『昭和23年冬の暗号 』。もうね、こんなに戦慄を受けた著書は初めてですよ。著者の猪瀬さんは政治家になるよりは、このような形で戦争に関連するルポタージュを書くことの方が使命ではないかと思います。正直言って、「昭和16年夏の敗戦」以上に驚きの連続でした。日本人として、絶対に知っておくべき事柄が、この「暗号」です。是非手にして欲しい1冊です。にほんブログ村
2026年09月16日
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今回もお散歩の割り込み記事です。9月11日~13日まで、実家に帰省していました。そして、12日、実家から程近い筆の里工房でミロコマチコさんの原画展をやっていることを知り、鑑賞してきました。まだ会期中ということもあり、先に記事にします。ミロコマチコさんと言えば、私にとっては猫様の絵を描く人。そして、絵本作家さん。こちらは、デビュー作『オオカミがとぶひ』の原画。見開き1ページの画が大きい!これだけの大きさを十何枚も描くなんて、それだけでも体力が必要。彼女の作品は、ざぱーーーとしたタッチで、色も塗りたくっているように見えていたのですが、実際に原画を見ると、とても細部にまでこだわっていて、ある意味書道のような描き方をされているように思えました。やはり、印刷には限界があるなーという再認識すらさせてもらいました。 こちらが猫様の作品。そして、初めてミロコマチコさんは絵本以外にも様々なコンテンツにおいて作品を描かれていたことを知ったのでした。 これらは、ワークショップでミロコマチコさんが描いたものらしいです。ダイナミックな表現をされていて、圧倒されました。会期は23日まで。シルバーウイークの行き先としてどうでしょうかにほんブログ村
2026年09月15日
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聖徳太子のイメージががらっと変わったのは、山岳信仰に関心を持ちあちこちの寺社を巡るようになってから。つまりここ5年位の話。私の知っている聖徳太子は「冠位十二階」や「十七条の憲法」を作り、10人同時で話しても、みなそれを聴き分けて対応するという超人的な逸話。それから、一万円札の肖像。これらだけで、イメージを沸かせると成績優秀、品行方正というとっても出来た人間というイメージしかわかない。が、今は、「超腹黒だっただろう」と全く逆。というのも、この5年で拝観した聖徳太子像の表情は、何か心の中でたくらんでいるだろうというお顔で、決して柔和なお顔ではないんです。そんなことを、古代史を卒論に書いた友人に話したところ、善人としての聖徳太子を描いた作品『聖徳太子』(池田理代子・作)と、何を考えているか分からない聖徳太子を書いた『日出処の天子]』(山岸凉子・作)を一緒に貸してくれました。 ←私が読んだのは紙のものです。ということで、読み比べとなりました。両書とも共通しているのは、・聖徳太子をがエスパーとして描かれているところ。これに尽きます。もう、これしかない(笑)。それ以外は、ほぼ真反対ということで、なかなか面白かったです。どのように違うのかというと、『聖徳太子』は、史実かどうかは別として、聖徳太子が生きたその時代がどのようだったのかということを踏まえた上で、書かれているので、全巻通して、権力争いで血みどろの戦いが描かれています。そのような意味において、歴史的な流れを知りるには最適です。『日出処の天子』は全巻通して、ラブストーリーです。そもそも、蘇我毛人の扱いが、全く真反対で、前者だと、聖徳太子の敵ですが、後者だと恋人。後に聖徳太子に嫁ぐ、刀自子は兄弟関係に関してクールなのに、後者では毛人を愛するシスコン。同じ人物をモチーフにしているとは思えない程でした。ただ、面白いことに史実として伝わっている部分は両者ともきちんと帳尻があってくるんですよねー。それだけ、この時代はまだまだ余白が大きいということを物語っています。で、私としては後者の聖徳太子の方がイメージ的には合うのですが、時代背景を知るには前者の方が読みやすかったなーと思いました。それから、もう1つ両書を読んで分かったことは、想像以上に聖徳太子が生きた時代は血みどろの戦いが頻繁に起こっていたということ。その後の乙巳の変や壬申の乱の時にはそのように血みどろの戦いがあったおいうことは分かっていたのですが、そのもう1つ世代前、つまり聖徳太子の時代は、穏やかで安定している世界なのかと思っていました。蘇我氏と物部氏の神仏の戦いがあったのことは知っていたのですが、それ以前から一族同士の仲が悪かったようです。それから、とりわけ『聖徳太子』の方に描かれている蘇我馬子が、現政治家の〇生太〇氏にしか終始見えてしまって、どうしようかと思った位です(笑)。今も昔も権力を持った後は、どのようにして、権力を維持したまま、次の世代にそれを受け継がされるのかと言うことしか考えないのねーと思ってしまった訳です。読み比べてこそ分かることもあるので、聖徳太子について知りたいと思う方はおススメの2冊です。にほんブログ村
2026年09月14日
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この日の数日前にSNSで流れてきたのが以前、京都市考古資料館での企画展があった展示がこの日限定で立命館大学の衣笠キャンパスで行われるという情報。同じ内容でも、その時にはうっかり見逃していたことなどがあるかもしれないと大学までふらふらーーといってしまったのでした。その前に、その道中で目に下のが、二条天皇香隆寺陵。住宅地の真ん中にあってビックリ。そして、大学キャンパス。大学のキャンパスって活気があって、私は好きな場所の1つ。何十年前の自分もこんな感じだったんだろうかーとかつての学生だった自分に思いを馳せます。考古学・文化遺産専攻のブースへ。京都市内の山岳寺院跡。考古資料館で見た時も思ったのですが、思った以上にかつては山岳寺院が多くあるんですよねー。それが今は埋もれてしまっているなんて。今と同じように途中で受け継ぐ人がいなくなり、衰退したお寺もありますが、明治時代の神仏分離政策及び廃仏毀釈の影響が多いような気がします。その辺りを尋ねるの忘れたなー。また、機会があれば聴いてみようっと。 赤色立体地図のパネル展示。これを目にする度に心震えます(笑)。学生さんや担当の教授の方に、現地見学会をして欲しいと要望したところ、「熊がーーーー」の一言。確かに新発見があったところは、春先に熊出没で新聞を賑わせたところ。冬にアイゼン持参でいかが?って伝えておきました(笑)。京都ってもっと雅なところだと思ってたんですけど、案外僧兵渦巻く混沌とした世界だったのかもしれないと、ちょっと京都を見る目が違ってきつつあります。にほんブログ村
2026年09月13日
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キュートな表紙に思わず連れて帰りました、『こねこのケイティ』。しかも、内容が本当に素敵。少しも悲しい場面がないんです。家の中で、飼い主さんのものかと思われるケイティはそこに眠ってます。ケイティはそこから目を覚まし、家の中の動物さんに会い、そして外へ。外でも動物さんと会ったり、自ら遊んで楽しんで、家に帰ってまた眠る。ただ、それだけなんです。そうそう、外遊びで水の入ったバケツに落っこちてしまう場面がそこには文章で、「かわいそうな こねこの ケイティ」とはあり、次のページでは「ミャーン ミャーンって ないてるよ」とはあります。確かに文章だけ読むと悲しい場面を想像してしまうのですが、「ないてる」場面のケイティの顔は笑ってるんです。文章はひらがなで「ないてる」とありますが、それは「泣いてる」ではなくて、「鳴いてる」ではないのかなーと私は想像しました。実際、その次のページをめくると、得意そうに体をふって水を弾き飛ばして感想させている場面になります。とにかく、近頃、とりわけ動物に関しては「泣かせる」場面が苦手になっている私。それだけにこの作品は本当にほっこりと安心して、可愛い猫様を愛でながら読むことができました。にほんブログ村
2026年09月12日
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この日は午後から所用があったので、トレーニング登拝と称して、上醍醐へ。と言うことで、撮った画像はわずか2枚(笑)。まずは、私がタイムトライアルのゴールとしている駒札の前にある推し(笑)。そして、そこから5分ほど歩いた先にある寺務所。こちらはいつもの定点観測。トレーニングなのでとりたてて、特記することないと思っていたのですが、女人堂から推し前の駒札まで目標の30分を切ることはできませんでしたが、ジャスト30分で上がることができました。約5年でいちばんの最速。それでも、なかなか30分を切ることができませんねー。ということで、タイムトライアルといいつつも、私にとってはそこが修行なのであります(笑)。本日は短い記事ですが、備忘録も兼ねているので。にほんブログ村
2026年09月11日
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以前にも触れたかと思いますが、現在私は職場で恐竜の粘土職人として子ども達に人気を博しています(笑)。もともと、恐竜を含む古生物が好物ですが、現在このような状況ですので、恐竜の最新情報を叩きこむのはこれまで以上に必須。というタイミングで目に飛び込んできたのが『会いにいける!恐竜・古生物図鑑』。日本国内で発掘された恐竜や古生物を集めた図鑑となっています。そんなわけで、国内限定ですので、ここで紹介されているそれらは、これまで刊行されている図鑑からすると、圧倒的に種類は少ないのですが、ここに紹介されている恐竜や古生物は国内の博物館などで実際に見ることが可能で、それがどこでなのかということも記載されています。これを読んで、ドツボにはまったのが、カムイサウルスでも、フクイラプトルでも、タンバティタニスでもなく、アンモナイト類でした。私の知っているアンモナイトは、カタツムリがぐるぐると殻が渦をまいて巨大化したものというイメージ。しかし、それはいわゆる教科書的なアンモナイトであって、本書ではそうではない、いわゆる「異常巻きアンモナイト」が多数取り上げられていて、これに土肝を抜かれました。そもそも、日本はアンモナイト類の化石がざくざくと発掘される「アンモナイト大国」ならしいです。「異常巻きアンモナイト」を端的に表すと「平面螺旋状にぴったりとは巻かない殻」を持つアンモナイトとなります。まぁ、とにかくこれを多く紹介しているという訳。最初に取り上げられているのが、「ニッポニテス」という北海道で発掘されたアンモナイトなのですが、このアンモナイトは、右ターンと左ターンを交互に繰り返す巻き方で、これには数学的な規則性があり、それを「式」で表すことが出来るのだそうです。自然界のものは数式で表すことが出来ると言う話を数学に関連する本で読んだことがありますが、それを体言化したようなアンモナイトということになります。しかも、この名前「日本の石」という意味があり、日本古生物学会のシンボルマークのモチーフにもなっているとか。他にも、まっすぐに殻が伸びて、ある程度伸びたら、180度曲がって、殻の先端の方に向かって伸びて、そこからまた180度曲がって最初に曲がったところくらいまでまっすぐ伸びていくアンモナイト、もはや巻かないアンモナイトとか。こんな化石が出てきたら、素人はアンモナイトって分かんないじゃんというものばかり。アンモナイトと言っても奥が深すぎます。ってか、なぜアンモナイトなのに「巻かない」となるのか、タイムマシーンがあったら、そのアンモナイトにインタビューしたい気持ちなります。日本って火山の噴火でプレートが隆起した地形ばかりだから、山の奥深くの断層を掘ったらまだまだ色んな新種が出てきそうだなーと思うものの、その山奥に近づくのが国土が狭い割には難易度が高いという特徴がありますが、今後もこの業界の発展を期待せずにはいられません!にほんブログ村
2026年09月10日
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この日は、16日21:00~翌日の明け方まで歩くと言う夜間ハイクに参加。と言ってもただ歩くというのではなく、戦国の武将明智光秀が本能寺で織田信長を討った時の行程を歩くと言うもの。史料としても、夜間に明智光秀は亀山城を出発し明け方織田信長を討っているので、その時間に合わせたための夜間ハイク。これから、謀反を起こすということで、集合場所の亀岡駅で兵糧を渡されました(笑)。本当に謀反を起こしたのは、この方(↑)です。 左:亀山城大手門跡(現、亀岡中学校)。右:かつての大手筋。旧山陰街道を歩きます。篠村八幡宮。こちらは足利尊氏旗揚げの地でもあります。山城と丹波の国境の樋。その近くにある首塚大明神。 ここには、大江山の酒吞童子の首が埋まっていると伝えられています(右)。源頼光と四天王がこの酒吞童子を討ち取り、首を都に持って帰る途中、この場所(老ノ坂峠)で休んでいたところ、子安地蔵から「首は不浄のため、都に用いらないように」という進言があったのを、無視して持ちあげようとしたら、全く持ち上がらずに仕方ないからこの場に埋めたのが首塚の始まりとか。で、この首塚の前で休憩をとっていたところ(丁度日付が変わる頃)、数台の車がここで停まるではありませんか。しかも、車道はここで行き止まりとなっており、そこから先は人が通れるほどの山道。一体どうしたことかと思ったら、どうもこの首塚は心霊スポットになっているようで、そのマニアの方がやってきたようです。恐らく、私たちの団体を見て、マニアの方々驚いただろうなー。よっぽどこの時間帯にたくさんの人に出逢う方が、ミステリーですよねー(笑)。そして、老ノ坂峠。ここでは、松明がどの位明るいものなのかということを主催者側が実験をしてくれました。また、深夜の夜空がどれくらい明るいかというこを実際にこの目で見て、明智光秀はほぼ松明なしに本能寺に向かったのではないかという仮説を主催者は説いていました。 ←老ノ坂峠画像としては真っ暗で、光っているのは参加者のヘッドライト。沓掛分かれ。明智光秀は画像左方向の京都を選択。画面中央奥への道は山崎(天王山があるところ)方向への道。桂大橋。午前3:00頃。 ←本圀寺跡(六条大宮)1568年、織田信長の再上洛にともない、本国寺は室町幕府15代将軍・足利義昭の仮居所(六条御所)になっています。そして、5:00過ぎ。無事に謀反を果たします(笑)。この建物の左側にある緑のタイルが本能寺の南西角に当たります。この建物から左回りにぐるりと廻りながら住宅地を歩いて、もともとあった本能寺の敷地の広さを体感しました。これらの建物よりも手前に本能寺の碑があります。 そして、参加者全員で記念撮影して解散となりました。夜歩くことはほとんどないので、このようなイベントであればまた参加したいなと思います。それにしても、この夜の道中、明智光秀は何を思って歩いたんでしょうねー。本能寺の変がなく、織田信長が君臨してたとしたら、世代交代はどのように行われていたのか、久しぶりにそんなことを思ったイベントでした。にほんブログ村
2026年09月09日
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明らかにジャケに惹かれて連れて帰りました、『おひげピンピン』。どうで、この愛くるしい猫様。写実的でありながら、その猫のかわいらしさをきちんと切り取った表紙にめろめろです。この表情は誇張したものではなく、猫が偶然にも一瞬ウインクをしたように見せることがあるんですよねー。この作品は、おひげのある動物たちが出てくるもの。猫様だけでなく、犬もキツネもタヌキも。そして、それは海の中の生き物にも視点を移していきます。この辺りの流れが素敵だと思いました。地上の動物だけでなく、海に住む生き物にもおひげはあります。しかし、海の中にはおひげのない動物もいます。そこにも触れているところが、更にこの作品の良さを際立たせています。ただねー。本当に最後のページ。もっと描き方に工夫があっても良かったかもなんて、素人ながらに思ったり。なんだか、取ってつけたような言葉なんですよねー。せっかく、いい流れだったのにーーー。にほんブログ村
2026年09月08日
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後編で博物館以外に廻ったところをお届けします。最初に観海閣。1年前に訪れた時は改修工事をしていたので、改修後の観海閣を一目見ようと思って。こちらは徳川頼宣が建造。ここからは和歌の浦が一望。正面には、何と紀三井寺も!このお山の山腹が紀三井寺です。肉眼ではっきりと見えるのですが、画像を通すと……。観海閣のすぐ近くにある鹽竈神社。 1年前にも参詣しています。岩窟に御神体がお祀りされていて、元々自然崇拝だった匂いを感じざるを得ません!そして、和歌山城。でも、天守閣には上がらず、訪れたところは、西の丸庭園のみ(笑)。赤く線を引いているところと、絵図で丸した場所。かつて、この西の丸庭園に懸造りの茶室があったことが記載されています。絵図の場所と思われる場所に行ってみると、表千家のことが記された駒札がありました。その真下は斜面。 ここから眼下の池、そして見上げれば天守閣。そのような中でお茶を立てていたんだろうなと400年前に思いを馳せました。というわけで、駆け足で、一昨日のお散歩した場所をお届けしました!にほんブログ村
2026年09月07日
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またまたお散歩記事の割り込みです。昨日、和歌山県立博物館に行き、長沢蘆雪の襖絵を鑑賞してきました!今回展示されている襖絵は紀州三寺(無量寺・成就寺・草堂寺)及び高山寺にて蘆雪が描いたもので、これらのお寺が現在改修工事をしているため、博物館がこれらを預かった関係での特別展です。これまでも蘆雪の絵を観てきましたが、襖絵は初めてで、どうしても見たかったのです。会期を4つに分けており、展示物の入れ替えがその度にあるので、お目当ての襖絵を全て……というところまで行きませんでしたが、それでもどれもこれも圧巻で感無量でした。全て撮影NGでしたので、ポストカードで一部を紹介。上部:虎図右下:花鳥群狗図右下:薔薇図(今回の3期では展示されず。残念。猫様拝みたかったーーー)これらのお寺の改修工事が終わったら、お寺を参詣して、これら襖絵をもう一度拝みたいなーと思うのでした。会期は23日まで。で、せっかくなので、このまま昨日博物館以外のお散歩したところを、明日の「徒然」でお届けします。にほんブログ村
2026年09月06日
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新幹線の待合室に並んでいた幾つかの本の中で目についた『日本書紀に秘められた古社寺の謎』。分かっているようで分かっていなかったことがまず「はじめに」で書かれていました。飲用します。少し長いですが、引用します。一般的に神社や寺院は崇拝・信仰の対象として理解されている。しかし、古代における神社はまつりごと(政)、すなわち世の中を平安に納めるうえで重要な役割を担っていた。政の中枢には神社があり、古代の各氏族の首長である「氏上」は氏神を祀る者として重要な役割を担っていた。一報、寺院も同じことで、六世紀半ばに百済から日本のy公邸へ仏教画公伝すると、それは政治や権力の装置として機能するようになった。こうしたことを証言しているのかが、ほかならぬ『日本書記』である(p4)古代寺社が政のを担っていたとなると、確かに日本書記にはその関係として記されるということかーということに妙に納得。今のように信仰の対象だけではないからこそ、政の記録として残す日本書紀にも記されているということですねー。本書で扱われた寺社がどのように日本書記で書かれているかと言うことを中心に構成されているのですが、最後の章は逆に有名どころの大きな寺社でありながら、日本書記では扱われていない寺社も紹介されています。なぜ取り扱われなかったのかということなのですが、どうも、大和朝廷からは辺境の地に見なされていたり、記紀編纂の時には、まだ確固たる寺社の形に実はなっていなかったという話らしいです。でも、そんなものなのだろうか…と思ってしまう自分がいます。色んな説があるのが古代史。ますますロマンに磨きがかかってしまいます。にほんブログ村
2026年09月05日
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お散歩記事の割り込みです。昨日、「河鍋暁斎の世界」の特別展を観に行ってきました。河鍋暁斎の名前は全く知らず、ただ、今回展示されている「猫叉図」の猫様を何だったかの記事か、書籍で目にして、この猫様の存在だけを知っていたんです。そのため、この特別展の案内を観た時に、「あの猫様だーーー」というところから、「河鍋暁斎」という画家のことを知ったのでした。撮影が可能な作品でいちばん心を奪われたのは、こちらの「地獄大夫と一休」。私が幼い頃アニメ「一休さん」は再放送も含めて何度も観ました。その後、少し大きくなって、一休さんの生涯を知った時から、アニメの最終回に一休さんが「髑髏」を持って都を歩く姿が思い出され、そこから一休さんと髑髏は切っても切れないものと私の中ではなってしまいました。その髑髏がこの作品には描かれており、でも、その一休さんのこっけいな姿が何とも言えない味わいをもたらしてくれました。まさか、ここで髑髏と一休さんに出逢うとは! こちらは、「百鬼夜行図屏風」です。百鬼夜行は様々な絵師さんが描いていますが、今回の河鍋暁斎も含めてどれも個性的。ここでもくすりと笑わせて頂きました。他は撮影不可でしたので、私の中で印象深かったものをポストカード等で購入。全てやはり猫様です(笑)。右のクリアファイルが私が以前から知っていた「猫叉図」。今回の特別展で知ったのですが、この作品は連作で、この猫叉は踊っていますが、もう1作は踊り着かれて常夜燈の上で寝ている図なんです。可愛いったらありゃしない(笑)。左上のものが、「鯰の船に乗る猫」。私はこれが今回の特別展ではいちばんのお気に入りとなりました。鯰は政府(お役人)を表しているのだそうで、お役人が飲んだくれて、寝てしまっているのを猫が扮した芸子さん達が引っ張っているというものなのだそうです。そのような背景が分からなくても、ただ絵を観ているだけでこっけいで、でも愛らしくてとても印象に残る者でした。左下は、「猫の月見」。月見のアテが捕まえたネズミというのは、なかなかシュールだと思います(笑)。これらはイギリス在住のゴールドマン氏の所蔵したもので、1980年代から現代に至るまでの40年の歳月をかけて集めたものとのこと。これって、裏を返せば河鍋暁斎の作品は世界各国に散らばっているということですよね。どのような経緯で世界にこれらの作品が羽ばたいていったのか。ただ、その後の第二次世界大戦のことを考えると、世界に羽ばたいていて良かったのかもしれません。そんなことも、思いつつ、博物館を後にしました。今月23日までが会期ですので、関心を持たれましたら、是非お立ち寄りください。にほんブログ村
2026年09月04日
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本書『宗教研究フィールドガイド 』は、「宗教と社会」学会の創立30周年記念企画として約9カ月間にあっけてオンライン発表された内容を文字化したものです。で、この目次をたまたまぱらぱらとしてみると、修験道関係の発表もあったので、その箇所だけ読みました。本来なら全てを読んで読了とし、こちらにも記事をアップしなければならないという縛りを自分でも持っていたのですが、記事は自分のメモ代わりということもあり、この発表に関しての感想を書いていきます。で、その発表タイトルは「修験道と社会」というもの。修験道が現代社会においてどのような位置づけになっているのかということと、その課題について述べられていました。私がその中で関心をより持ったのは、文化の「保存」と「活用」について。二のバランスが保たれなくてはいけないのに、現在は「活用」に傾いているということ。この活用は、これまでは、博物館や美術館での展示を念頭においていたものが、文化財保護法の改正以降が事業者たちも巻き込んだ「観光活用」を求めれていることが次の担い手たちの負担を強いているのではないかとありました。確かに外部向けに㏚することによって、それなりのお金が入り、そこから文化の継承がこれまでよりも少し楽な方向に動くかもしれません。ただ、自分のこれまでのわずかな感覚からの意見だと、冷やかしでこられる人がいることで、文化の継承が違った方向に動いてしまうんではないかという懸念を持ってしまいます。また、このようなことで、本来の意図するものとは異なる、ビジネスを軸とした物語の編集が行われている点にも登壇者は危惧しておられました。私は推し活なので、グッズがあるなら購入したいという衝動が間違いなくありますが、そこに当事者とは異なった意味が生まれてくるのなら、それは本来の寺社の正解するものではないと思います。こうなると、ほぼ金銭的な話になるので、何とも言えないですが、現在ではこれらのことが修験道だけでなく、あらゆる場面でビジネス方向にシフトしていると感じます。わずか修験道の話なのですが、修験道だけでなく、あらゆる現在の場面で共通するテーマではなかったかと思いました。にほんブログ村
2026年09月03日
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木下明美氏Blog内「kimuraの読書ノート」を更新して頂きました。(9月1日の記事)今回は映画『開戦前夜』です。原作を読んで、ドラマ化を観て、そしてこの作品を観て、その1つずつに新たな気づきで、戦争へのピースが私の中で埋められています。それでも、まだまだこの戦争については分からないことばかりです。ただ、分からないことだらけでも、「戦争」「は起こしてはいけない」、これ1点だけは、「正解」だと強く断定します。そして、そう思える作品だと思います。にほんブログ村
2026年09月02日
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後編です。まだ帰りのフェリーまでには時間がありますので、汗を流すために温泉へ。温泉の後に参詣する神社の近くでと、グーグルさんに尋ねてみた所、いちのいで会館を示してくれましたので、そこへ車を走らせました。がですねー……。離合の出来ない道の先にそれはあったんですよ。なのに、正面からトラックがやってくるし……(涙)。由布岳は県道なのですが、とっても広い道沿いに駐車場があり、車の運転だけは楽勝だと思ってたのに、なぜこのような道にある温泉を選ぶ?←グーグルさんに問いたい!しかし、半泣きで車を動かした甲斐がありました。 こちらは「青い温泉」とも言われているようです。露天風呂のみ。右側の画像は更衣室。まさに青かった!別府温泉数あれど、ここは「秘湯」と呼んで過言ではありません!岩手県の八幡平の温泉を彷彿させます。硫黄の香りがぷんぷん♪超私好み!ゆっくり汗を流しながら、目の前の光景を堪能しました。ただねー、ここへ来たからには元来た道を戻らなければならず。対向車がこないことを祈りながら、坂道を下ったのでありました。そして、八幡朝見神社。こちらは懸造りの建物があることを教えてもらっていたので、参拝。こちらは社殿後ご神木の大楠(樹齢1000年)。こちらの神社は、建久七丙辰年(1196)十月九日に、大友能直により創建。 豊前・豊後の守護職として、鎌倉幕府の鎮守、鶴岡八幡宮からの勧請だそうです。ということで、フェリー乗り場に戻り、乗船。帰りのビュッフェ♪本当にサンフラワーのビュッフェが大好きな私♪翌朝、丁度明石海峡大橋をくぐるところに遭遇。下船後、ニュートラムでは最前列に乗り込むことが出来、ちょっとHappy♪何歳になっても、このような場所が大好き♪と言う訳で、船中2泊の修行の旅が終わったのでした。にほんブログ村
2026年09月01日
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