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こちら『山をはしる』も昨日同様に、大峯奥駆けの体験記です。ただこちらは、大峯だけでなく、八海山の奥影、羅臼岳登拝、富士山登拝についても記されています。大峯奥駆けは、昨日の者よりも短くて、8泊9日で、間で車移動などがあるのですが、それでも、前書で書かれていない部分の奥駆けに関する背景などを埋めてくれる程の内容で、私にとっては濃いかったです。更には八海山にも奥駆けがあることにも驚き、それを驚異の速さで突き進む山伏さんがいること。日々の訓練というか、修行というのは確実に身につくものなんだということを、今回の体験記を通して知ることとなりました。印象的だったのは、著者がアメリカを旅した時に目にした砂漠の荒涼とした風景と日本の車窓からの風景を比較してこのように語っているところ。引用します。砂漠しかない地ではそんなに多くの神々は存在し得なかった。そうした地での宗教が、白か黒か、是か非かの一神教になるのも理解できる。しかし、多種多様な生命と自然に道が我が国は違う。大昔には八百万の神々がいた。いまでは神さまも仏さまもいる。大みそかは寺で除夜の鐘の音を聞き、新年が明けると神社に詣でるという、ある種節操のない宗教感覚。しかしよくいえば、さまざまな変化を受け入れる、懐の深い寛容さに満ちた国民性ともいえる。忍耐強さともいえようか。日本人と日本の風土に組み込まれたDNAなのかもしれない。(p311)後半の日本に関する文章はどこでもよく聞くことではあるのですが、アメリカの車窓からの風景との比較というものにこれまでは出会ったことがなく、このように砂漠のことを解説されると確かに多様性というよりは、白か黒かではっきりとして欲しいと思わせるものなのかもしれないと思いました。また、著者は自分は登山家でも、プロの格闘家でもなければ、僧でも、神職でもないけど、万物に感謝し、山を畏怖し、己を見つめながら登ると記してある辺りは、とても共感しました。私自身修験の行いや教義など、関心を持ち、修験のお山を中心に登拝していますが、やはり僧侶でもないし、山伏でもないし、登山家(いわゆるピークハンター)でもありません。でも、お山に入らせてもらうようになって、万物に感謝するし、何よりも、今歩いているこの道を切り開いてくれた先人たちの空気を感じるのがとにかく楽しくてうれしくて、そして多くの犠牲を出した上を歩いていることに畏怖の念と共に感謝を持ちつつただお山を歩いているだけで、何者でもないんですよねー。実は著者と私は同い年。こうして、これを書いている今もどこかのお山に入られているのかなーと思うとちょっと親近感がわいてきます。にほんブログ村
2026年09月30日
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秋休み、明けましたー。また本日から宜しくお願いします。さて、秋休み明けの第一弾はフォトジャーナリストの著者が奥駆・逆峯を12日間かけて行った記録、『熊野、修験の道を往く』はお届けします。このようなのが読みたかったーーー。奥駆をした方の体験記!私が歩いたことのない箇所の奥駆け道がどのようになっているのか、靡にはどのようなものがあり、どのようなことを行っているのか、その時代背景や行はどのように行っているのか……。もう、私が知りたかったことがたくさん詰まっていて、震えるように読みました。巻末には、この行に参加した人に対して著者がインタビューしているのですが、当時52歳で鍼灸師の女性の方がこのようなことを語っていて、もう、激しく同意、共感でした。そのまんま引用します。山上ヶ岳の女人結界について聞いた。「個人的には登りたいと思っている。が、複雑」はじめは、なんでこの時代に、と思った。しかし奥駆を重ね、男の行者とも知り合いになると、最近は「ナンセンスだがそういう場所があってもいいかなと思う。」それに奥駆で、あれだけ歩いてみると、「大峯はもっと広いよ。山上ヶ岳にはこだわりません。なんでお琴はこだわるのかな」。優位性を保たれたうえで、叱られた気分だった。(p191)そうなんですよ。「そういう場所があってもいいかな」それに尽きるんです。この体験記って2004年の話なんですよねー。もう、その時にこのように思われている方がいらっしゃったってことは、案外大峯が好きな女性は同じような感覚を持っているのかもーーーと思ってしまいました。そうだったらいいなーー。私は山上ヶ岳に上がりたいというよりは、大峯山寺にいらっしゃる秘仏・役行者像を拝みたいだけなんですけどねー。それを拝めるのなら山上ヶ岳じゃなくても良いかも。奈良博までお出まししなくてもいいので、金峯山寺まで、再び日通さんにお願いして……と結構な願いかも。それから本書で特筆する点は、こお奥駆では事故が起こっていること。それについても、しっかりと触れていました。滑落した人は一命を取り留めましたが、先達がいて、安全を期しながらの行であっても、やはり事故は起こるんだなということを身に染みて痛感しました。だからこそ、単独で登拝する自分は、更に気を引き締めて参詣しなけらばならないと思ったのありました。にほんブログ村
2026年09月29日
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只今秋休み中です。29日に再開の予定です。ご了承ください。にほんブログ村
2026年09月18日
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間に「お知らせ」が入りましたので、一昨日の続きとなります。ミロコマチコさんの展覧会鑑賞前に、開場の筆の里工房より少し山の奥に入ったところにあるゆるぎ観音を参詣してきました。いつからここに観音堂があるのか不明なのだそうですが、正徳5年(1715)の「安芸郡神社仏閣古城控」にすでに記されているそうです。こちらは観音堂だけでなく、西国三十三ヶ所巡礼の石仏がお祀りされており、もともとはかなり大規模な寺院ではなかったのかと想像します。 これらがその石仏(摩崖仏)の一部。そして、ここの名前の由来となっている「ゆるぎ岩」。絶妙なバランス!ゆるぎ観音から更に奥にいくと、屏風岩があります。 ゆるぎ岩と変わらない位絶妙なバランス。屏風岩からもっと奥に歩いて行きます。赤穂峠です。この峠は江戸時代より前から、太平洋戦争頃まで広島市へ向かう主要な道路だったようです。この峠から右手に上ったすぐのところに展望台があります。広島氏内が一望。赤穂峠に戻り今度は右手の「城山」に向かうことにしました。いや、本当はここで引き返す予定だったんですけどね。城山まで1㎞とあったので、片道30分かーーと言うことになり、帯同していた妹の推しが「山城」ということもあり、行ってみることにしました(笑)。道中のこれまた絶妙なバランスの巨石。ゆるぎ岩どころじゃなく、あちこちにこのようなバランス感覚を持つ巨石に溢れている一帯でありました。やはり道中にあった巨石。行きはこの岩を迂回したのですが、帰りにこの巨石3つ(この裏に更に2つ隠れていた)をよじ登るルートを歩きました。更に巨石は続きます。この平たい巨石の上にある巨石は人工的に置かれたのが、それとも自然に出来たものなのか……。天綱岩という名前が付いていました。そして、城山山頂(592m)。この名前の由来の「城」ですが、自宅に戻って調べたところ、嵩山城というお城があった場所でした。道中にあった巨石を防御壁として利用していたようです。というわけで、帰りはピストンで……。いやいや、巨石のところだけは迂回せずそこを上って下りました。先に画像をあげた巨石の反対側、つまり下山で上った側が、こちら。写っている人物は妹。無事に下山した後に、一昨日アップしたミロコマチコさんの作品展を鑑賞したのでした。======明日から秋休みに入ります。再開は29日です。宜しくお願いします。にほんブログ村
2026年09月17日
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本日はお知らせを挟みます。昨日の続きは、明日お届けします。木下明美氏Blog内「kimuraの読書ノート」を更新して頂きました。(9月15日の記事)今回も戦争にまつわる書籍を紹介します。それが『昭和23年冬の暗号 』。もうね、こんなに戦慄を受けた著書は初めてですよ。著者の猪瀬さんは政治家になるよりは、このような形で戦争に関連するルポタージュを書くことの方が使命ではないかと思います。正直言って、「昭和16年夏の敗戦」以上に驚きの連続でした。日本人として、絶対に知っておくべき事柄が、この「暗号」です。是非手にして欲しい1冊です。にほんブログ村
2026年09月16日
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今回もお散歩の割り込み記事です。9月11日~13日まで、実家に帰省していました。そして、12日、実家から程近い筆の里工房でミロコマチコさんの原画展をやっていることを知り、鑑賞してきました。まだ会期中ということもあり、先に記事にします。ミロコマチコさんと言えば、私にとっては猫様の絵を描く人。そして、絵本作家さん。こちらは、デビュー作『オオカミがとぶひ』の原画。見開き1ページの画が大きい!これだけの大きさを十何枚も描くなんて、それだけでも体力が必要。彼女の作品は、ざぱーーーとしたタッチで、色も塗りたくっているように見えていたのですが、実際に原画を見ると、とても細部にまでこだわっていて、ある意味書道のような描き方をされているように思えました。やはり、印刷には限界があるなーという再認識すらさせてもらいました。 こちらが猫様の作品。そして、初めてミロコマチコさんは絵本以外にも様々なコンテンツにおいて作品を描かれていたことを知ったのでした。 これらは、ワークショップでミロコマチコさんが描いたものらしいです。ダイナミックな表現をされていて、圧倒されました。会期は23日まで。シルバーウイークの行き先としてどうでしょうかにほんブログ村
2026年09月15日
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聖徳太子のイメージががらっと変わったのは、山岳信仰に関心を持ちあちこちの寺社を巡るようになってから。つまりここ5年位の話。私の知っている聖徳太子は「冠位十二階」や「十七条の憲法」を作り、10人同時で話しても、みなそれを聴き分けて対応するという超人的な逸話。それから、一万円札の肖像。これらだけで、イメージを沸かせると成績優秀、品行方正というとっても出来た人間というイメージしかわかない。が、今は、「超腹黒だっただろう」と全く逆。というのも、この5年で拝観した聖徳太子像の表情は、何か心の中でたくらんでいるだろうというお顔で、決して柔和なお顔ではないんです。そんなことを、古代史を卒論に書いた友人に話したところ、善人としての聖徳太子を描いた作品『聖徳太子』(池田理代子・作)と、何を考えているか分からない聖徳太子を書いた『日出処の天子]』(山岸凉子・作)を一緒に貸してくれました。 ←私が読んだのは紙のものです。ということで、読み比べとなりました。両書とも共通しているのは、・聖徳太子をがエスパーとして描かれているところ。これに尽きます。もう、これしかない(笑)。それ以外は、ほぼ真反対ということで、なかなか面白かったです。どのように違うのかというと、『聖徳太子』は、史実かどうかは別として、聖徳太子が生きたその時代がどのようだったのかということを踏まえた上で、書かれているので、全巻通して、権力争いで血みどろの戦いが描かれています。そのような意味において、歴史的な流れを知りるには最適です。『日出処の天子』は全巻通して、ラブストーリーです。そもそも、蘇我毛人の扱いが、全く真反対で、前者だと、聖徳太子の敵ですが、後者だと恋人。後に聖徳太子に嫁ぐ、刀自子は兄弟関係に関してクールなのに、後者では毛人を愛するシスコン。同じ人物をモチーフにしているとは思えない程でした。ただ、面白いことに史実として伝わっている部分は両者ともきちんと帳尻があってくるんですよねー。それだけ、この時代はまだまだ余白が大きいということを物語っています。で、私としては後者の聖徳太子の方がイメージ的には合うのですが、時代背景を知るには前者の方が読みやすかったなーと思いました。それから、もう1つ両書を読んで分かったことは、想像以上に聖徳太子が生きた時代は血みどろの戦いが頻繁に起こっていたということ。その後の乙巳の変や壬申の乱の時にはそのように血みどろの戦いがあったおいうことは分かっていたのですが、そのもう1つ世代前、つまり聖徳太子の時代は、穏やかで安定している世界なのかと思っていました。蘇我氏と物部氏の神仏の戦いがあったのことは知っていたのですが、それ以前から一族同士の仲が悪かったようです。それから、とりわけ『聖徳太子』の方に描かれている蘇我馬子が、現政治家の〇生太〇氏にしか終始見えてしまって、どうしようかと思った位です(笑)。今も昔も権力を持った後は、どのようにして、権力を維持したまま、次の世代にそれを受け継がされるのかと言うことしか考えないのねーと思ってしまった訳です。読み比べてこそ分かることもあるので、聖徳太子について知りたいと思う方はおススメの2冊です。にほんブログ村
2026年09月14日
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この日の数日前にSNSで流れてきたのが以前、京都市考古資料館での企画展があった展示がこの日限定で立命館大学の衣笠キャンパスで行われるという情報。同じ内容でも、その時にはうっかり見逃していたことなどがあるかもしれないと大学までふらふらーーといってしまったのでした。その前に、その道中で目に下のが、二条天皇香隆寺陵。住宅地の真ん中にあってビックリ。そして、大学キャンパス。大学のキャンパスって活気があって、私は好きな場所の1つ。何十年前の自分もこんな感じだったんだろうかーとかつての学生だった自分に思いを馳せます。考古学・文化遺産専攻のブースへ。京都市内の山岳寺院跡。考古資料館で見た時も思ったのですが、思った以上にかつては山岳寺院が多くあるんですよねー。それが今は埋もれてしまっているなんて。今と同じように途中で受け継ぐ人がいなくなり、衰退したお寺もありますが、明治時代の神仏分離政策及び廃仏毀釈の影響が多いような気がします。その辺りを尋ねるの忘れたなー。また、機会があれば聴いてみようっと。 赤色立体地図のパネル展示。これを目にする度に心震えます(笑)。学生さんや担当の教授の方に、現地見学会をして欲しいと要望したところ、「熊がーーーー」の一言。確かに新発見があったところは、春先に熊出没で新聞を賑わせたところ。冬にアイゼン持参でいかが?って伝えておきました(笑)。京都ってもっと雅なところだと思ってたんですけど、案外僧兵渦巻く混沌とした世界だったのかもしれないと、ちょっと京都を見る目が違ってきつつあります。にほんブログ村
2026年09月13日
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キュートな表紙に思わず連れて帰りました、『こねこのケイティ』。しかも、内容が本当に素敵。少しも悲しい場面がないんです。家の中で、飼い主さんのものかと思われるケイティはそこに眠ってます。ケイティはそこから目を覚まし、家の中の動物さんに会い、そして外へ。外でも動物さんと会ったり、自ら遊んで楽しんで、家に帰ってまた眠る。ただ、それだけなんです。そうそう、外遊びで水の入ったバケツに落っこちてしまう場面がそこには文章で、「かわいそうな こねこの ケイティ」とはあり、次のページでは「ミャーン ミャーンって ないてるよ」とはあります。確かに文章だけ読むと悲しい場面を想像してしまうのですが、「ないてる」場面のケイティの顔は笑ってるんです。文章はひらがなで「ないてる」とありますが、それは「泣いてる」ではなくて、「鳴いてる」ではないのかなーと私は想像しました。実際、その次のページをめくると、得意そうに体をふって水を弾き飛ばして感想させている場面になります。とにかく、近頃、とりわけ動物に関しては「泣かせる」場面が苦手になっている私。それだけにこの作品は本当にほっこりと安心して、可愛い猫様を愛でながら読むことができました。にほんブログ村
2026年09月12日
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この日は午後から所用があったので、トレーニング登拝と称して、上醍醐へ。と言うことで、撮った画像はわずか2枚(笑)。まずは、私がタイムトライアルのゴールとしている駒札の前にある推し(笑)。そして、そこから5分ほど歩いた先にある寺務所。こちらはいつもの定点観測。トレーニングなのでとりたてて、特記することないと思っていたのですが、女人堂から推し前の駒札まで目標の30分を切ることはできませんでしたが、ジャスト30分で上がることができました。約5年でいちばんの最速。それでも、なかなか30分を切ることができませんねー。ということで、タイムトライアルといいつつも、私にとってはそこが修行なのであります(笑)。本日は短い記事ですが、備忘録も兼ねているので。にほんブログ村
2026年09月11日
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以前にも触れたかと思いますが、現在私は職場で恐竜の粘土職人として子ども達に人気を博しています(笑)。もともと、恐竜を含む古生物が好物ですが、現在このような状況ですので、恐竜の最新情報を叩きこむのはこれまで以上に必須。というタイミングで目に飛び込んできたのが『会いにいける!恐竜・古生物図鑑』。日本国内で発掘された恐竜や古生物を集めた図鑑となっています。そんなわけで、国内限定ですので、ここで紹介されているそれらは、これまで刊行されている図鑑からすると、圧倒的に種類は少ないのですが、ここに紹介されている恐竜や古生物は国内の博物館などで実際に見ることが可能で、それがどこでなのかということも記載されています。これを読んで、ドツボにはまったのが、カムイサウルスでも、フクイラプトルでも、タンバティタニスでもなく、アンモナイト類でした。私の知っているアンモナイトは、カタツムリがぐるぐると殻が渦をまいて巨大化したものというイメージ。しかし、それはいわゆる教科書的なアンモナイトであって、本書ではそうではない、いわゆる「異常巻きアンモナイト」が多数取り上げられていて、これに土肝を抜かれました。そもそも、日本はアンモナイト類の化石がざくざくと発掘される「アンモナイト大国」ならしいです。「異常巻きアンモナイト」を端的に表すと「平面螺旋状にぴったりとは巻かない殻」を持つアンモナイトとなります。まぁ、とにかくこれを多く紹介しているという訳。最初に取り上げられているのが、「ニッポニテス」という北海道で発掘されたアンモナイトなのですが、このアンモナイトは、右ターンと左ターンを交互に繰り返す巻き方で、これには数学的な規則性があり、それを「式」で表すことが出来るのだそうです。自然界のものは数式で表すことが出来ると言う話を数学に関連する本で読んだことがありますが、それを体言化したようなアンモナイトということになります。しかも、この名前「日本の石」という意味があり、日本古生物学会のシンボルマークのモチーフにもなっているとか。他にも、まっすぐに殻が伸びて、ある程度伸びたら、180度曲がって、殻の先端の方に向かって伸びて、そこからまた180度曲がって最初に曲がったところくらいまでまっすぐ伸びていくアンモナイト、もはや巻かないアンモナイトとか。こんな化石が出てきたら、素人はアンモナイトって分かんないじゃんというものばかり。アンモナイトと言っても奥が深すぎます。ってか、なぜアンモナイトなのに「巻かない」となるのか、タイムマシーンがあったら、そのアンモナイトにインタビューしたい気持ちなります。日本って火山の噴火でプレートが隆起した地形ばかりだから、山の奥深くの断層を掘ったらまだまだ色んな新種が出てきそうだなーと思うものの、その山奥に近づくのが国土が狭い割には難易度が高いという特徴がありますが、今後もこの業界の発展を期待せずにはいられません!にほんブログ村
2026年09月10日
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この日は、16日21:00~翌日の明け方まで歩くと言う夜間ハイクに参加。と言ってもただ歩くというのではなく、戦国の武将明智光秀が本能寺で織田信長を討った時の行程を歩くと言うもの。史料としても、夜間に明智光秀は亀山城を出発し明け方織田信長を討っているので、その時間に合わせたための夜間ハイク。これから、謀反を起こすということで、集合場所の亀岡駅で兵糧を渡されました(笑)。本当に謀反を起こしたのは、この方(↑)です。 左:亀山城大手門跡(現、亀岡中学校)。右:かつての大手筋。旧山陰街道を歩きます。篠村八幡宮。こちらは足利尊氏旗揚げの地でもあります。山城と丹波の国境の樋。その近くにある首塚大明神。 ここには、大江山の酒吞童子の首が埋まっていると伝えられています(右)。源頼光と四天王がこの酒吞童子を討ち取り、首を都に持って帰る途中、この場所(老ノ坂峠)で休んでいたところ、子安地蔵から「首は不浄のため、都に用いらないように」という進言があったのを、無視して持ちあげようとしたら、全く持ち上がらずに仕方ないからこの場に埋めたのが首塚の始まりとか。で、この首塚の前で休憩をとっていたところ(丁度日付が変わる頃)、数台の車がここで停まるではありませんか。しかも、車道はここで行き止まりとなっており、そこから先は人が通れるほどの山道。一体どうしたことかと思ったら、どうもこの首塚は心霊スポットになっているようで、そのマニアの方がやってきたようです。恐らく、私たちの団体を見て、マニアの方々驚いただろうなー。よっぽどこの時間帯にたくさんの人に出逢う方が、ミステリーですよねー(笑)。そして、老ノ坂峠。ここでは、松明がどの位明るいものなのかということを主催者側が実験をしてくれました。また、深夜の夜空がどれくらい明るいかというこを実際にこの目で見て、明智光秀はほぼ松明なしに本能寺に向かったのではないかという仮説を主催者は説いていました。 ←老ノ坂峠画像としては真っ暗で、光っているのは参加者のヘッドライト。沓掛分かれ。明智光秀は画像左方向の京都を選択。画面中央奥への道は山崎(天王山があるところ)方向への道。桂大橋。午前3:00頃。 ←本圀寺跡(六条大宮)1568年、織田信長の再上洛にともない、本国寺は室町幕府15代将軍・足利義昭の仮居所(六条御所)になっています。そして、5:00過ぎ。無事に謀反を果たします(笑)。この建物の左側にある緑のタイルが本能寺の南西角に当たります。この建物から左回りにぐるりと廻りながら住宅地を歩いて、もともとあった本能寺の敷地の広さを体感しました。これらの建物よりも手前に本能寺の碑があります。 そして、参加者全員で記念撮影して解散となりました。夜歩くことはほとんどないので、このようなイベントであればまた参加したいなと思います。それにしても、この夜の道中、明智光秀は何を思って歩いたんでしょうねー。本能寺の変がなく、織田信長が君臨してたとしたら、世代交代はどのように行われていたのか、久しぶりにそんなことを思ったイベントでした。にほんブログ村
2026年09月09日
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明らかにジャケに惹かれて連れて帰りました、『おひげピンピン』。どうで、この愛くるしい猫様。写実的でありながら、その猫のかわいらしさをきちんと切り取った表紙にめろめろです。この表情は誇張したものではなく、猫が偶然にも一瞬ウインクをしたように見せることがあるんですよねー。この作品は、おひげのある動物たちが出てくるもの。猫様だけでなく、犬もキツネもタヌキも。そして、それは海の中の生き物にも視点を移していきます。この辺りの流れが素敵だと思いました。地上の動物だけでなく、海に住む生き物にもおひげはあります。しかし、海の中にはおひげのない動物もいます。そこにも触れているところが、更にこの作品の良さを際立たせています。ただねー。本当に最後のページ。もっと描き方に工夫があっても良かったかもなんて、素人ながらに思ったり。なんだか、取ってつけたような言葉なんですよねー。せっかく、いい流れだったのにーーー。にほんブログ村
2026年09月08日
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後編で博物館以外に廻ったところをお届けします。最初に観海閣。1年前に訪れた時は改修工事をしていたので、改修後の観海閣を一目見ようと思って。こちらは徳川頼宣が建造。ここからは和歌の浦が一望。正面には、何と紀三井寺も!このお山の山腹が紀三井寺です。肉眼ではっきりと見えるのですが、画像を通すと……。観海閣のすぐ近くにある鹽竈神社。 1年前にも参詣しています。岩窟に御神体がお祀りされていて、元々自然崇拝だった匂いを感じざるを得ません!そして、和歌山城。でも、天守閣には上がらず、訪れたところは、西の丸庭園のみ(笑)。赤く線を引いているところと、絵図で丸した場所。かつて、この西の丸庭園に懸造りの茶室があったことが記載されています。絵図の場所と思われる場所に行ってみると、表千家のことが記された駒札がありました。その真下は斜面。 ここから眼下の池、そして見上げれば天守閣。そのような中でお茶を立てていたんだろうなと400年前に思いを馳せました。というわけで、駆け足で、一昨日のお散歩した場所をお届けしました!にほんブログ村
2026年09月07日
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またまたお散歩記事の割り込みです。昨日、和歌山県立博物館に行き、長沢蘆雪の襖絵を鑑賞してきました!今回展示されている襖絵は紀州三寺(無量寺・成就寺・草堂寺)及び高山寺にて蘆雪が描いたもので、これらのお寺が現在改修工事をしているため、博物館がこれらを預かった関係での特別展です。これまでも蘆雪の絵を観てきましたが、襖絵は初めてで、どうしても見たかったのです。会期を4つに分けており、展示物の入れ替えがその度にあるので、お目当ての襖絵を全て……というところまで行きませんでしたが、それでもどれもこれも圧巻で感無量でした。全て撮影NGでしたので、ポストカードで一部を紹介。上部:虎図右下:花鳥群狗図右下:薔薇図(今回の3期では展示されず。残念。猫様拝みたかったーーー)これらのお寺の改修工事が終わったら、お寺を参詣して、これら襖絵をもう一度拝みたいなーと思うのでした。会期は23日まで。で、せっかくなので、このまま昨日博物館以外のお散歩したところを、明日の「徒然」でお届けします。にほんブログ村
2026年09月06日
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新幹線の待合室に並んでいた幾つかの本の中で目についた『日本書紀に秘められた古社寺の謎』。分かっているようで分かっていなかったことがまず「はじめに」で書かれていました。飲用します。少し長いですが、引用します。一般的に神社や寺院は崇拝・信仰の対象として理解されている。しかし、古代における神社はまつりごと(政)、すなわち世の中を平安に納めるうえで重要な役割を担っていた。政の中枢には神社があり、古代の各氏族の首長である「氏上」は氏神を祀る者として重要な役割を担っていた。一報、寺院も同じことで、六世紀半ばに百済から日本のy公邸へ仏教画公伝すると、それは政治や権力の装置として機能するようになった。こうしたことを証言しているのかが、ほかならぬ『日本書記』である(p4)古代寺社が政のを担っていたとなると、確かに日本書記にはその関係として記されるということかーということに妙に納得。今のように信仰の対象だけではないからこそ、政の記録として残す日本書紀にも記されているということですねー。本書で扱われた寺社がどのように日本書記で書かれているかと言うことを中心に構成されているのですが、最後の章は逆に有名どころの大きな寺社でありながら、日本書記では扱われていない寺社も紹介されています。なぜ取り扱われなかったのかということなのですが、どうも、大和朝廷からは辺境の地に見なされていたり、記紀編纂の時には、まだ確固たる寺社の形に実はなっていなかったという話らしいです。でも、そんなものなのだろうか…と思ってしまう自分がいます。色んな説があるのが古代史。ますますロマンに磨きがかかってしまいます。にほんブログ村
2026年09月05日
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お散歩記事の割り込みです。昨日、「河鍋暁斎の世界」の特別展を観に行ってきました。河鍋暁斎の名前は全く知らず、ただ、今回展示されている「猫叉図」の猫様を何だったかの記事か、書籍で目にして、この猫様の存在だけを知っていたんです。そのため、この特別展の案内を観た時に、「あの猫様だーーー」というところから、「河鍋暁斎」という画家のことを知ったのでした。撮影が可能な作品でいちばん心を奪われたのは、こちらの「地獄大夫と一休」。私が幼い頃アニメ「一休さん」は再放送も含めて何度も観ました。その後、少し大きくなって、一休さんの生涯を知った時から、アニメの最終回に一休さんが「髑髏」を持って都を歩く姿が思い出され、そこから一休さんと髑髏は切っても切れないものと私の中ではなってしまいました。その髑髏がこの作品には描かれており、でも、その一休さんのこっけいな姿が何とも言えない味わいをもたらしてくれました。まさか、ここで髑髏と一休さんに出逢うとは! こちらは、「百鬼夜行図屏風」です。百鬼夜行は様々な絵師さんが描いていますが、今回の河鍋暁斎も含めてどれも個性的。ここでもくすりと笑わせて頂きました。他は撮影不可でしたので、私の中で印象深かったものをポストカード等で購入。全てやはり猫様です(笑)。右のクリアファイルが私が以前から知っていた「猫叉図」。今回の特別展で知ったのですが、この作品は連作で、この猫叉は踊っていますが、もう1作は踊り着かれて常夜燈の上で寝ている図なんです。可愛いったらありゃしない(笑)。左上のものが、「鯰の船に乗る猫」。私はこれが今回の特別展ではいちばんのお気に入りとなりました。鯰は政府(お役人)を表しているのだそうで、お役人が飲んだくれて、寝てしまっているのを猫が扮した芸子さん達が引っ張っているというものなのだそうです。そのような背景が分からなくても、ただ絵を観ているだけでこっけいで、でも愛らしくてとても印象に残る者でした。左下は、「猫の月見」。月見のアテが捕まえたネズミというのは、なかなかシュールだと思います(笑)。これらはイギリス在住のゴールドマン氏の所蔵したもので、1980年代から現代に至るまでの40年の歳月をかけて集めたものとのこと。これって、裏を返せば河鍋暁斎の作品は世界各国に散らばっているということですよね。どのような経緯で世界にこれらの作品が羽ばたいていったのか。ただ、その後の第二次世界大戦のことを考えると、世界に羽ばたいていて良かったのかもしれません。そんなことも、思いつつ、博物館を後にしました。今月23日までが会期ですので、関心を持たれましたら、是非お立ち寄りください。にほんブログ村
2026年09月04日
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本書『宗教研究フィールドガイド 』は、「宗教と社会」学会の創立30周年記念企画として約9カ月間にあっけてオンライン発表された内容を文字化したものです。で、この目次をたまたまぱらぱらとしてみると、修験道関係の発表もあったので、その箇所だけ読みました。本来なら全てを読んで読了とし、こちらにも記事をアップしなければならないという縛りを自分でも持っていたのですが、記事は自分のメモ代わりということもあり、この発表に関しての感想を書いていきます。で、その発表タイトルは「修験道と社会」というもの。修験道が現代社会においてどのような位置づけになっているのかということと、その課題について述べられていました。私がその中で関心をより持ったのは、文化の「保存」と「活用」について。二のバランスが保たれなくてはいけないのに、現在は「活用」に傾いているということ。この活用は、これまでは、博物館や美術館での展示を念頭においていたものが、文化財保護法の改正以降が事業者たちも巻き込んだ「観光活用」を求めれていることが次の担い手たちの負担を強いているのではないかとありました。確かに外部向けに㏚することによって、それなりのお金が入り、そこから文化の継承がこれまでよりも少し楽な方向に動くかもしれません。ただ、自分のこれまでのわずかな感覚からの意見だと、冷やかしでこられる人がいることで、文化の継承が違った方向に動いてしまうんではないかという懸念を持ってしまいます。また、このようなことで、本来の意図するものとは異なる、ビジネスを軸とした物語の編集が行われている点にも登壇者は危惧しておられました。私は推し活なので、グッズがあるなら購入したいという衝動が間違いなくありますが、そこに当事者とは異なった意味が生まれてくるのなら、それは本来の寺社の正解するものではないと思います。こうなると、ほぼ金銭的な話になるので、何とも言えないですが、現在ではこれらのことが修験道だけでなく、あらゆる場面でビジネス方向にシフトしていると感じます。わずか修験道の話なのですが、修験道だけでなく、あらゆる現在の場面で共通するテーマではなかったかと思いました。にほんブログ村
2026年09月03日
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木下明美氏Blog内「kimuraの読書ノート」を更新して頂きました。(9月1日の記事)今回は映画『開戦前夜』です。原作を読んで、ドラマ化を観て、そしてこの作品を観て、その1つずつに新たな気づきで、戦争へのピースが私の中で埋められています。それでも、まだまだこの戦争については分からないことばかりです。ただ、分からないことだらけでも、「戦争」「は起こしてはいけない」、これ1点だけは、「正解」だと強く断定します。そして、そう思える作品だと思います。にほんブログ村
2026年09月02日
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後編です。まだ帰りのフェリーまでには時間がありますので、汗を流すために温泉へ。温泉の後に参詣する神社の近くでと、グーグルさんに尋ねてみた所、いちのいで会館を示してくれましたので、そこへ車を走らせました。がですねー……。離合の出来ない道の先にそれはあったんですよ。なのに、正面からトラックがやってくるし……(涙)。由布岳は県道なのですが、とっても広い道沿いに駐車場があり、車の運転だけは楽勝だと思ってたのに、なぜこのような道にある温泉を選ぶ?←グーグルさんに問いたい!しかし、半泣きで車を動かした甲斐がありました。 こちらは「青い温泉」とも言われているようです。露天風呂のみ。右側の画像は更衣室。まさに青かった!別府温泉数あれど、ここは「秘湯」と呼んで過言ではありません!岩手県の八幡平の温泉を彷彿させます。硫黄の香りがぷんぷん♪超私好み!ゆっくり汗を流しながら、目の前の光景を堪能しました。ただねー、ここへ来たからには元来た道を戻らなければならず。対向車がこないことを祈りながら、坂道を下ったのでありました。そして、八幡朝見神社。こちらは懸造りの建物があることを教えてもらっていたので、参拝。こちらは社殿後ご神木の大楠(樹齢1000年)。こちらの神社は、建久七丙辰年(1196)十月九日に、大友能直により創建。 豊前・豊後の守護職として、鎌倉幕府の鎮守、鶴岡八幡宮からの勧請だそうです。ということで、フェリー乗り場に戻り、乗船。帰りのビュッフェ♪本当にサンフラワーのビュッフェが大好きな私♪翌朝、丁度明石海峡大橋をくぐるところに遭遇。下船後、ニュートラムでは最前列に乗り込むことが出来、ちょっとHappy♪何歳になっても、このような場所が大好き♪と言う訳で、船中2泊の修行の旅が終わったのでした。にほんブログ村
2026年09月01日
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中編です。由布岳の下山途中に寄ったのは、由布岳手前にある飯森ヶ城。「城」と名前についていますが、城跡ではなくただのお山らしいです。これがまた道が険しい。急登すぎます。山頂(1067m)。飯森ヶ城山頂からの由布岳。飯森ヶ城山頂からの由布岳。かっこいいなー。ここからようやく、登山口に戻りますが、一度谷を渡ります。その谷のところで撮った由布岳が更にかっこいい!雄大です!ってなことで登山口に戻って、登拝終了となりました。が、この後は、温泉とお参りしたい神社へGO!!!にほんブログ村
2026年08月31日
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3月に由布岳の周囲を巡って、由布岳の優美な姿に惚れて、登拝したいと強く思い、機会をうかがっていました。その思いからわずか2か月で願いが叶い、由布岳へ。時間が繰り上がりその前日。3月同様にフェリーに乗り込みました。 サンフラワーでのビュッフェ(笑)。そして、5月9日。別府の街並み。レンタカーを借りて、いざ由布岳へ。ここから登拝開始。かっこいいとしかいいようがない、この神奈備型。森林に突入。 相本はガレ場。巨石がごろごろ。 樹林帯を抜けると、由布院の街並みがくっきり。振り返ると由布岳の山頂。そして、由布岳の火口(マタエ)に到着。ここは最高峰・西峰と東峰の分岐となります。まずは最高峰・西峰に向かいます。西峰はここから鎖場の連続です。いきなりの鎖なのですが、この鎖、私が手を伸ばしても届きません。鎖をつかむために、まずほぼ垂直に近い岩場を上るという難行が待っています。でも、垂らされている鎖場はここ由布岳では大変ではあるのですが、苦行ではありませんでした。この西峰の苦行は、トラバースするための鎖場。垂直の岩壁でほぼ足をかけるところなく、岩壁と平行に設けられた鎖場はさすがに命をはりました。これまで、それなりの鎖場を体験してきましたが、過去一、命の危険を感じた鎖場でした。トラバースの鎖場を通過して一息。まだまだ鎖場は続きます。それから眼下には火口。由布岳は2200年前に噴火して以降の活動はないらしいのですが、今でも気象庁は活火山としています。そして、由布岳西峰(1583m)。ここから難易度の高い鎖場をピストンで下山。続いて向かうのが東峰。こちらは鎖場こそありませんが、ガレ場の急登でこちらも上るのはなかなかです。 ↑山道と東峰山頂(1580m)。山頂近くからの光景。西・東峰を登拝したのちはピストンで下山。その道中で人生で初めて野生のアナグマさんに出逢いました。さて、このまま登山口まで下山ではありません、途中の分岐で登山口とは異なる方向へ。この続きは中編で!にほんブログ村
2026年08月30日
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何だったかなー、記事なのか、たまたまネットサーフィンしている時だったかに、「過読症」という先天的な疾患があるということを知りました。そこにはざっくりと「幼いころから文字をすらすら読んでいて、片時も本を手放さない」などなどざっくりとしたことしか書かれていなかったのですが、興味がひかれたので、その言葉を検索したところ、本書『読めない人が「読む」世界 』がヒット。と言うことで、読んでみました。「過読症」とはハイパーレクレシアとも呼ばれ、識字障害の1つであり、いわゆる難読症(ディスレクシア)の対極にある障害ということでした。ディスレクシアはそこそこ認知されてきたかなーと思うのですが、一言で言い表すなら、「知的発達に遅れがないのに読み書きだけが著しく苦手になる学習障害(発達性読み書き障害)」となります。その対極にあるハイパーレクシアは、、ディスレクシアとは異なり、「文字や文章はすらすら読めるのに、その読んだ文章が理解できない障害」なのだそうです。はぁ、そうなのかー、読んでる文章が認知できない……ということもあるのかーと初めて知りました。つまり、私たち一般の人が「読む」行為は、このディスレクシアとハイパーレクレシアの間のグラデーションになっている部分のどこかの位置で「読んでいる」ということになります。本書は幾つかの障害(疾患)を通して、「読む」という行為はどういうことなのかということに焦点を当てるというものです。他にもここで取り上げられているものとして、「失読症(アレクシア)」、「共感覚(シナスタジア)」「幻覚」「認知症」がどのような読み方になっているのか、「読む」ことをどのように捉えているのあということが記されています。印象深かったのは、文字に色がついて見える共感覚の持ち主の場合、教科書など黒字で書かれていても多色刷りに見えるとか、文字を読むときは味覚がついてくるケース、認知症になると本が読めなくなるということなどなど、今まで考えたこともなかったこを知ることとなりました。その中で、更に私のツボにはまったのは、「夢の中では文字を読む行為はめったに起きない」というもの。本を手にして文字を読もうとする場面にまでは到達するのですが、そこから文字がぼやけてきたり、混在したり、消えていったりして、その行為からの場面がやがて別の場面に変わっていくようなのです。何がツボって、ほぼ毎日のように夢を見る私。確かに本を読んでいるような夢そのものを見たことないのですが、だったら、見てやろうと虎視眈々(笑)。これまで、本を乱読して来た私。本書を読んで、「読む」という行為について、ちょっと一歩引いた目で見るきっかけを与えてもらったかもしれません。にほんブログ村
2026年08月29日
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桜の季節は参拝客が超絶多いので、ゆっくりお参りをすることができません。そのため、毎年改めてGW中に参詣するのが恒例となっているのが、金峯山寺及びその周辺。おやっと思ったのが、電車を降りた時のこと。いつものGWよりも電車から降りた人の数が明らかに多い!が、まぁ気にせずにいつもの和菓子屋さんに立ち寄り、まずは腹ごしらえ。すっかりなじみ客になったようで、おかみさんから話しかけてくれて、「桜の時期が過ぎてもお客さんが途切れないのよーーー」。うん?金峯山寺のお堂内に入ったら、もう発露の間には長蛇の列。げげっ。はい、つまりこの時、奈良博で吉野の特別展があり、NHKも頻繁に番組で取り上げるということがあり、桜の時期以上に参拝客が増えたという訳。NHKと奈良博の影響強し!金峯山寺の蔵王権現は観光でもいいから、一度は目にしてもらいたい仏像とは思っていたので、嬉しいの半分、でも、ゆっくりお参りできない残念さもあり。なんて、自分ってわがままなんだろうとため息をついたのでした。この日は珍しく更にお山の奥に入る予定を立てておらず、久しぶりに門前町をふらりとしようと思っておりましたので、まさにぶらぶらあてもなく歩きかけたところ、それこそテレビ番組でよく取り上げられる葛きりの実演販売(予約制)をおこなっているお店の予約の空きがあることが判明。丁度お昼時の枠に予約を入れ、それまでの間吉水神社を参拝することにしました。桜の時期は一目千本のところで桜を愛でて、お山に向かったので、1年ぶりの参拝です。1ヶ月前は桜でピンク色だった山々もすっかり新緑の世界。吉水神社と言えば私の中では懸造り(笑)。今回の展示で私の中で印象深かったのは「蝉丸の琵琶」。百人一首でも私の中では異彩をはなっている蝉丸の琵琶を初めて拝みました。そして、私の推しは奈良博に出張中(笑)。これらが展示されている書院は診療がまぶしい!と言う訳で時間になりましたので、予約した中井春風堂さんへ。 実演というよりは「葛」に関するレクチャーでした。賞味期限が10分というのは盛った話ではなく、葛の性質から10分しか原型が保てないことを店主の説明で知り、一般に販売されているのは原型が崩れないよう他のデンプン質を入れるということでした。しかし、他のでんぷん質を入れるというのは、まがい物というのではなく、その場で食べれない人たちにも食べてもらいたいと言う職人さんたちの思いと工夫がそこにあるということも教えてもらいました。出来上がった葛を頂きました。すこしだけ、黒蜜や黄粉をまぶして食べたのですが、9割方、何もつけずに葛のみを頂きました。これがまたほんわりと優しい香りと味で、本来の葛とはこのようなものなのかということを初めて知りました。食べ物屋さんには一切関心がなかったのですが、たまたま予約枠が空いていたということ、番組に取り上げられるってどういうことだという興味もあり予約したのですが、これは貴重な経験と時間となり、予約枠に飛び込んでみて良かったなと思いました。続いて、参詣したのが、善福寺。とても久しぶりの参拝でした。和ある護寺院の中でここを参詣しようと思ったのは、ここには井光の井戸があるから(笑)。 井光の井戸は吉野の首長、井光と神武天皇が出会った場所とされています。(正確には神武天皇の前にこの井戸から井光が現れた)井光の井戸は川上村の井光地区にもあり、私もそこへも参詣していますが、どっちが正しいのかということではなく、2カ所もそのように言われている場所があるということは、それは伝説ではなくて、井戸のあった場所で、井光という吉野の首長と神武天皇が存在し、2人は出会っているということに真実味を感じています。そう思えることが、古代史のロマンでもあります。ここでは、甘茶の茶葉の販売があったのですが、この甘茶はヤマアジサイから採取するもので、今シーズン最後でした♪と言う訳で、春の吉野の参詣はこれにて終了。秋こそはゆったりとした参拝をしたいなーと思うのでした ←わがまま。にほんブログ村
2026年08月28日
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言葉遊びの本ではあるのですが……、『わらうことば あそぶことば』。これはかなりどのような本なのかを的確に言語化するにはかなり難易度の高い本で、いやーーーページをめくった時驚きましたよ。確かに笑える言葉ですし、その言葉で遊んでいるのは間違いないこと。一言で言い表すなら「面白い」。なのですが、どこがどう「面白い」のかがこれではさっぱりわかりません。これを的確に言語化できれば、もっと出世できたのにーと思える程、言語化するのが難しいです。この面白さには幾つかに分類することができるのですが、各項目のタイトルになっているものを文字の集合体で表しているもの。それを隣のページではその文字の集合体を絵で表しています。(もう、すでに何を意味するのか混乱しているのではないでしょうか)。続いては、タイトルを擬音語可した文字をその挿画に入れ込んでいるもの。最後は、タイトルに関連する詩。だけど、最後にオチがあります。と、一応は説明はしてみたものの、さて、これで伝わったのかどうなのか。しかし、この作品を手にしてもらったら、間違いなく私のいわんとすることが分かってもらえるかと ←他力本願(笑)。ただ、まちがいなく言葉を使った「面白さ」と、表現の幅広さに唸ることになるかと思いますので、是非一読を!にほんブログ村
2026年08月27日
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表紙がケーキを片手で掴んでいる画からして『にぎっちゃだめ! 』が何を表しているか想像できます。ぐちゃーーーとにぎった瞬間が描かれていて、普段見ていながらその瞬間って分からない状況をきちんとした静止画で表してくれていることで、このような感じに一瞬なるんだということがよく分かります。冒頭のケーキもそうですが、パンや野菜、くだものなどなど。その合間に、ぐちゃーーーとならないものを入れ込んでいて、緩急をつけて描かれているため、かえってそれが心を鷲掴みされます。にぎる中には、猫のしっぽも出てきますが、これはこのような展開にするのかと、顔がにやけます。この場面は猫好きにはたまらん場面になるかと。意外性が高いという意味では、猫様以上に、「虹」をにぎったらという場面でしょうか。これこそ、作家さんの創造力の豊かさが現れていると思いました。ダークな表紙に似合わず、案外ほっこりとさせてくれるこの作品を是非手にしてみてください。にほんブログ村
2026年08月26日
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現在職場では粘土職人として日々子ども達のリクエストに応えて恐竜を作成しています。もともと、恐竜は好きなのでとりたて問題ないのですが、そうなるとどうしても「恐竜」に対して感度が高くなります。で、今回目に入ってしまったのが『ティラノがにげた!!』。昆虫や植物をテーマにして日々作品を出されているまつおかたつひでさんが、恐竜ぅーーーー???というのが表紙を見ての第一印象。どのような恐竜を描いているのかとても気になりました。Tシャツに描かれていたティラノが自分の仲間を探すために、Tシャツから抜け出します。そして、木の上のカラスに話を聞いたところ、「池」にティラノに似た生き物がいることを教えてもらいます。そこで、ティラノは池にいきます。イモリさんではないかと、池に住む生き物たちから教えてもらい、実際にイモリさんに会うのですが、何となく、違う感じ。その次に会うのが、トカゲやカナヘビ。でも、違います。しかし、こうして探しているうちに、みんなと友だちになります。で、つばめがTシャツの持ち主の坊やがティラノがいなくなったと大騒ぎになっていると知らせてくれます。慌てて、自宅に戻るティラノ。坊やからもずっと友達と言われます。これがざっとした物語の流れ。いやーーー、確かにイモリやトカゲ、カナヘビは恐竜の仲間ではありません。しかし、私の持っている数少ない知識からすると、最初のカラスと最後のツバメは恐竜の進化系。つまり、恐竜の仲間のはずなのですが、全くそこには触れず、ティラノの仲間はいなかったことになっています。いやーーーー、そこはどうなのよ!と私は個人的に突っ込んだ作品となったのでした。まつおかさんが存じないわけはないと思いますので、そこに何かしらの意図があったのかと思うのですが、私は見抜けなかったーーーー。にほんブログ村
2026年08月25日
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読書とは言わないかもしれませんが、少し前に『鉄道路線乗りつぶし旅地図帳 』を購入。私は乗り鉄でもありますので、鉄道は好物の1つ。世の中には色々な本が出てるのねーと感心して購入したのですが、なんと、妹は15年前にJTB出版から発売された同じようなものを購入しており(つまり15年前に購入)、せっせと色塗りをしているということが判明。その当時、私は全く気が付かなかったーーー。いや、血は争えないってこのことだわ。しかも、今やあちこち、とりわけ都心部で私鉄が延伸しているのですが、それも書き込んでいるとか。そして、今は廃遷となった路線がこの15年前のには掲載されていると威張られました(笑)。とりあえず、二拠点生活となったので、あれやこれやとこれまで以上に鉄道に乗る機会が増え、これに色塗りすることがより楽しみになったのは事実。色んなことを楽しみながら日々過ごしていきたいです。にほんブログ村
2026年08月24日
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修行2日目、後編です。瀞峡を後にして、向かったのが玉置神社。前回こちらを参詣した時は、国道168号線(十津川村)から向かったのですが、今回は169号線(熊野市)側から突入。つまり、玉置神社を挟んで、右側と左側に道路があるということです。この道路はほぼ山頂に近いところで合流し、玉置神社(駐車場)に向かうことになります。が、この169号線からアクセスする道は168号線側よりも更に道が狭く、離合できない場所もたくさん。しかも思った以上に通行車両が多い!マジに冷や汗と涙を流しながらの運転となりました。なんですけどね、168号線よりも見どころが満載で。ただ、全く狭い道なので、正直車をその見どころの場所に停車して……ことができないのが、難点。唯一カメラに収められたのがこちら。巨石が御神体だとは思うのですが、ぎりぎり道路に出ずに踏みとどまってる状態。他にはたくさんの滝もあり、車から降りらえないのが残念なくらい。お昼を過ぎていたので、玉置神社駐車場渋滞にあいましたが、なんとか駐車場に潜り込むことができました。ちゃちゃっと本殿をお参りして、私の推しが財宝を隠したと言う玉石社へ。あっ、その前に改修工事中の寺務所。懸造りが見れなくて残念。そして、推しの玉石社。ここが玉置神社の要とも言われています。 丸い多摩市が敷き詰められていました。その足で、玉置山山頂。大峯奥駆け第10靡。今回は奥駆けというほどがっつりと歩くことなく、ここから駐車場へ向かう道が丁度奥駆道になっているので、そのルートで駐車場に行きました。玉置神社からの帰りは十津川村方面に下りました。ドライブをしながら、北上。すると「歴史民俗資料館」の看板を見つけましたので、見学。修験とは切っても切れない関係なのが良く分かります。また、十津川村がどのように出来てきたかという解説もありました。十津川村はかつて「郷」と呼ばれていた地区がたくさんあり、それが合併して今のような大規模の村になったそうです。そして、修行の旅最後は、こちら。谷瀬のつり橋。かつては、川の対岸の人が利用する生活道路でした。長さ297メートル、高さ54メートル。恐る恐るの人もいたのですが、私は駆けだしたいくらいにるんるん♪川岸はキャンプ場になっていることを知りました。で、対岸まで渡って、もう一度引き返して駐車場に戻ったら、今回の修行の旅は終わりと思ったんですよー。そうしたら、この谷瀬のつり橋の全景が見える展望台があるということを教えてもらってしまい(笑)、そちらに行くことになりました。が、またこの地図の縮尺のいいかげんなこと(笑)。実施30分以上の山登り。しかも、山頂にある森山神社の反対側、山の山腹まで下りるとようやく展望台なんですよー。下ると言うことは帰りは上り返すという作業がまっております。まずは森山神社。 展望台からのつり橋。確かに全景を見ることができますが、つり橋までの距離が半端なく、「展望台」といえるのかというと微量。でも、達成感はあります(笑)。展望台への道中はこのような風景が連なります。幻想的で好みではあります。そして、つり橋に戻って来て、展望台はどこのお山だったんだろうと、探しましたよ(笑)。↑中央のお山がそれ。クローズアップします。↓左側のお山です。綺麗な神奈備型。ここのお山の山腹に展望台があります。よく頑張ったわ、私…と思わず褒めましたよ。と言う訳で、2日目の修行は全て終了。この後はゆるく温泉に浸かって、自宅に戻ったのでありました。にほんブログ村
2026年08月23日
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修行2日目。ホテルを出てまず向かったのは「丸山千枚田」。棚だ百選に選ばれています。棚田がいつ頃造成されたかは不明ですが、西暦1601年(慶長6年)にはすでに2.240枚の田があったという記録があるそうです。また、ここは丸山千枚田を後世に残すために平成6年に全国初の千枚田条例が制定されており、全市民が一体となってその保護に努めています。田植え直前で、田には水が張っていてとても綺麗でした。が、目的はこの棚田ではなく、こちら!丸山千枚田のほぼ真ん中に位置する大岩。地元の方の話だと、ここが田んぼになる前からここに鎮座し、棚田造成時から丸山千枚田の御神体となっているそうです。想像以上に大きい!次に向かいます。紀州鉱山跡。こちらは昭和の初めに解説され、昭和53年(1978年)に閉山しています。が、これはあくまでも「紀州鉱山」としてという話。この鉱山自体は700年から採掘がはじまっていて、東大寺大仏殿が造営される時に銀をここから提供しているということでした。当時は銀でしたが、現代に至るまでに様々な鉱石が採掘されています。修験のお山近郊には、間違いなく鉱山があるというほぼ法則(笑)。この鉱山を推しが見つけたかどうかは分かりませんが、私としては大峯山系周辺に鉱山があるというだけで、にんまりしてしまいます←気持ち悪ぅーーー。この鉱山跡近くに熊野市紀和鉱山資料館がありましたので、見学しました。資料館の天井にあったのが、これ!これは鉱脈なんです。実は人生で初めて鉱脈を目にしました。推しが大峯山系で鉱脈をさがしていたということは分かっていましたが、私自身鉱脈というものを見たことなくどんなものか分からないまま「鉱脈」と口にしていたのですが、ようやく言葉と物体が一致しました。史料館内はどのように鉱山で採掘されていたかと言うことも再現されていました。車を走らせ向かうは瀞峡!前回は3月にここへきたので、人は全くいませんでしたが、今回は駐車場が8割方埋まり、ここでのアクティビティを楽しまれていました。が、私の目的は、かつての瀞ホテル別館。ここへ渡れる手段が現在ないとのことなので、このまま朽ち果てていくのでしょうか。そこに至るまでに何度も足を運びたい場所の1つです。この続きは、後編で!にほんブログ村
2026年08月22日
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知りませんでした、元旭山動物園の職員であり、絵本作家のあべ弘士さんが北極圏に探検してたことを。たまため、目にした『こんちき号北極探検記 』。実は創作だと思ったんですよ。いや、まじの絵がふんだんに用いられた随筆でした。あっ、絵日記に近いです。もともと、野生のほっきょくぐまに会うという野望の準備を着々と進めていたんだなーということが冒頭から行間ににじんでいるのですが、それが北極圏に渡るまでにどの位時間を要したのかということは定かではありませんし、「ヨットがチャーターできた」という一報と「よし分かった。仕事を全てキャンセルしよう」というやりとりだけで、そこには熱い思いがあったことだけは分かります。が、それ以降の話は意外や意外、アルコールについてのことで結構埋め尽くされていて笑えます。日本からは持ち込めないので、現地調達となる訳ですが、アルコールに厳しい国は世界中にたくさんあります。1ヶ月の航海で、これだけじゃ足りないとぶつくさ言う著者に吹き出してしまいました。動物園の職員だった著者でも、野生のほっきょくぐまをはじめ、様々な野生動物の生態には驚かされる一方だったようで、絵日記のひとつひとつにそれが伝わります。ほっきょくぐまのこと以上に私が印象に残ったのが、ほっきょくぐまが食べているもの。なんと、2年前に死んだクジラの肉。北極圏は寒さのお陰で、死んでも腐敗が進まないために、2年前のものでも、ずっとそこにある限り食べられるらしいです。知らんかったーーー。それから、航海に使ったヨットは、ヨットと言っても、人が寝泊まりできる程の大きさのようで、ベッドが幾つもあったり、ダイニングも装備されていて、料理を専門にやってもらうスタッフも乗り込んでもらっていました。ヨットって、私の中では競技で見られる1人か2人が立って乗るものしかイメージなくて、それ以上になると、漁船とか……。この辺りは私にとってまだ未知の世界だわーとそんなことまで思ったのでありました。にほんブログ村
2026年08月21日
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後編です。獅子岩からすぐのところに鎮座されているのが、花の窟神社。ここは神々の母であるイザナミノミコトが火神・カグツチノミコトを産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵と言われています。テレビでもちょいちょい取り上げられる神社なのでご存じの方も多いかと思います。有名どころですが、ここは自然崇拝のあった場所なので、私は参拝しなければなりません。メインの御神体にたどり着く前にどーーーんとこちらが鎮座。御陵以前に、こちらの場所は玉石信仰があった場所。この玉石は南紀熊野地域では最大のものなのだそうです。もしかしたら、玉置神社へ玉石を奉納するようになったのも、ここが起源なのかもしれません。 左が御神体で。イザナミノミコトがお祀りされている岩壁。右も磐座でカグツチノミコトがお祀りされています(王子の窟)。カグツチノミコトの御神体も半端ない岩壁で、映像ではイザナミノミコトの御神体の方が多く目にするのですが、私的はこちらの方が圧倒されたかも。お綱掛かけ神事の縄幡。縄幡の端っこ見つけてしまって、ちょっとにんまり。この端っこに、厳粛な神事なのに人間味を感じてしまいました。ここの神社でいちばん驚いたのは、御神体が岩なのに、神社を一歩でると、すぐ目の前に海。岩が御神体の場合、これまで私が拝んできたのは、全て山の中。こんなに近くに海だなんてー。まさに映像からは分からない部分だなーとしみじみと思いながら、参拝できて良かったと心から思うのでした。この後は産田神社へ。こちらは、カグツチノミコトを生んだがためにイザナミノミコトが亡くなったとされている場所です。本殿。この丸石の場所は土足厳禁でスリッパが用意されていました。ここも丸石信仰なんですねー。めちゃ、しみじみしました。 本殿両サイドにある神籬。説明文によると調査分析の結果2000以上年前からのものらしいです。この周辺では祭祀に関するものが出土しているとのことでした。私としてはこのようなきちんとした神籬を初めて拝して、それだけで十分な参拝となりました。これにて、修行の旅1日目の修行は終わりのはずだったのですが、GWということで、熊野市市街地の日帰り温泉施設は宿泊者のみの開放で、そこで宿泊をしない私は呆然。いちばん近場の日帰り温泉場所を尋ねると、尾鷲市になると(涙)。もう、こうなれば修行なのですから、車を飛ばして40分、尾鷲市の温泉施設まで行ってきましたよ。こちら、海洋深層水が源泉らしいのですが、これを果たして温泉と言うのかは謎。でも、たくさんの入浴客でにぎわっていました。もう、この時点で晩御飯を食べていなくてはならない時間。お腹ペコリんで、温泉を出た後、高速道路に乗る手前に見つけた「レストラン三紀」。郷土料理を食べさせてくれるというのぼりが立っていたので、即入店。郷土料理、さんま寿司を頂きました(ビールはノンアルです)。私にしては珍しくレストランのことを書いたのかと言いますと、書いている途中に地震が起きたんですよー。しかも、緊急地震速報がなってしまう位の。思わず、テーブルを抑えちゃいましたよー。他のお客さんたちやスタッフの皆さんとも顔を見合わせ、納まった時に、みんなで口々に「大きかったねー」と声をかけあい、安全であったことを確認し合ったのでした。スタッフの方々もすぐに「大丈夫ですか」と声をかけてくれ、大勢でいることの安心感を抱きました。その後の高速道路状況についても、地元民ならではの「大丈夫」というお墨付きを頂いて、宿泊する熊野市のホテルへともどったのでありました。さんま寿司はとても美味しかったです。因みに震源地は翌日参詣を予定している玉置神社近くの断層のようでした。ということで、最後の最後まで修行の旅の1日目でした。近日中に修行の旅、2日目を更新予定です(笑)。にほんブログ村
2026年08月20日
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山の修行から続いては、海の修行へ(笑)。向かった先は「鬼ヶ城」。ここは昭和の初期に国の天然記念物に指定されているのですが、私の聖地関連の世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されていたのは、知らなかった―。まだまだ詰めが甘い私です。こうして鬼が対で並んでいると、前鬼・後鬼と思ってしまうから、推し活って怖いよねー(笑)。遠望に見えるのが、マブリカ(魔見ヶ島)。童子が鬼ヶ城に立て籠った海賊の気を逸らせたためこの島で踊り、その間に坂上田村麻呂は無事海賊討伐を果たしたという言い伝えのある島だそうです。鬼ヶ城本丸に画像を戻します。 意外や意外、遊歩道になっていますが、崖っぷちのところも多く、高所恐怖症とおぼしき方々は前になかなか進みづらかったようです(それで渋滞が起こってました)。こりゃ、確かに修行だわ。 岩壁はこのようにぼこぼこの穴が開いています。これは、鬼ヶ城が凝灰岩からできていて、風化と波による侵食で大小の多くの空洞(タフォニ)をつくり出すのだそうです。また、タフォニは岩盤や岩塊の表面に形成される風化の穴で、平面形は円または楕円形ですが、それが拡大し連結すると鬼ヶ城のように複雑な形状になるとのこと。因みに3枚目は行者窟という名前がついています。鬼ヶ城は片道約1㎞で、1時間程度かかります。いちばん先端に行くと、ピストンで戻ることも可能ですが、車道横に旧トンネルがあり、そちらを歩く方が早く駐車場につくことができます。トンネルがそこそこ長いので、日差しを遮られ体的にも楽。そのトンネル。 旧トンネルですが、現在も車が通れますので、歩行には要注意です。このトンネルを出て、駐車場に向かう途中の民家の軒先に次のような写真が展示されていました。1979(昭和54)年に台風が来た時の鬼ヶ城の画像だそうです。高波が打ち付けている様子がよく分かります。このような波などが岩壁に当たって、今のような光景を生み出しているんですねー。それにしても、想像をはるかに超える波の高さ!次の場所に向かう途中の獅子岩とこいのぼり。 こちらの画像はこいのぼりのある方とは反対側から見た獅子岩と七里御浜と鬼ヶ城。この七里御浜は日本一長い(22km)砂礫海岸で、まん丸い石ばかりです。玉置神社の玉石社に埋め尽くされている丸石はこの周辺の漁師さんがこれを持って玉置神社に奉納したという話を以前地元の人から伺ったことがあるのですが、まさにそうでした。やはり伝承というのは、軽んじてはいけないなーと思いつつ、次の参詣場所へ。後編に続きます。にほんブログ村
2026年08月19日
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GW後半戦に入ってすぐに、熊野市界隈に1泊2日の修行の旅を行いました。まずは、修験道の聖地の1つ、大丹倉。大丹倉展望台から見た画像です。この後、この山頂に登拝します。雨滝。 日照りの時、近くの寺から釣鐘を滝つぼにつけ、雨乞いすることからこの名が付いたらしいです。普段なら滝壺近くまで行けるみたいなのですが、この日は水量が多くて滝壺までいけませんでした(左)。落ち口はちょっとした登山みたいなところに行ったら辛うじてその付近が見えましたが、木々が茂っていてなかなかでした。ここまでも大概な道でしたが、更に離合できない林道を進んでいったところに鎮座されている丹倉(あかくら)神社。以前映像で目にしたことがあったため、一度直接参詣したいと思っていてようやくその機会を得ましたが、御神体の巨石を前にただただその圧に押される感じでした。古代からの自然崇拝の場所と言われていますが、とんでもないこの山奥に鎮座しているこの御神体を見つけてしまった人って一体誰なんだろうという思いも抱きました。現代科学が発展した今でも圧倒されてしまうのですから、何千年も前の人たちがこれを見たら、今以上にひれ伏すしかないだろうと感じさせてくれる空気感です。更に離合できない道を進んでいくとですねー、なんと関所跡があるんですよ。いや、もうこんなところが人の生活道路?と驚くばかり。更に先に半泣きになりながら車を進めると、先の大丹倉・丹倉の登山口です。この駐車場界隈は近藤兵衛の屋敷跡で、熊野市の説明によると、兵衛のことについては詳細は不明であるが、武士であると共に修験者でもあり、この場所で鍛冶を職とし、別名天狗鍛冶とされ、新宮の権太吉久・吉兵衛、久兵衛は兵衛より矢の根の技術を伝授されたという。また、豊臣秀吉に度々矢の根を献上している。その他、槍、刀など、数は少ないが現存している。ここから20分くらい山の中を歩くと(但し、険しく渡渉もありなので、装備必須)、表丹倉(599m)山頂。岩が赤い!その名の通りだなーとなぜか感慨深かったです(笑)。修験に丹生は付き物なので。一度、下山して駐車場に向かい反対側の上り口へ。そこには鳥居が。まずは、裏丹倉。 左:高倉剱大明神右:裏丹倉の天空の亀向かい側の山の上部に同じような岩壁とその下に滝。続いて、大丹倉。先の裏丹倉と共に修験の行場。左:この岩をよじ登ります。右:いわば奥からの光景。左:下を覗くと沢が。右:岩場上部。ここでは、大峯山系山上ヶ岳で行われるような修行を行っていたのかなーと勝手に妄想しました。風も気持ちいいし、光景は絶景だし、このような中での修業は何か悟りを開けそうな気持ちになります♪丹倉界隈を堪能した後は、一路、海へ車を走らせます!それは中編で。にほんブログ村
2026年08月18日
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書評で気になり手にしてみたのが、『こうやって作家は言葉を紡ぐ 』。作家である著者が多くの作家さんや言葉を生業とする人との対談をまとめたもの。12組の作家さんとの対談集なので、いや、もうそれは私の思考があっちへいったりこっちへいったりで一言でまとめられないだけでなく、どこに自分自身が重心を置いて詠んだらよいのかという軽い混乱すらあったのですが、いちばん印象にのこったのが、万城目学さんとの対談。しかもその中でインパクトがあったのが、2人の言葉の紡ぎ方よりも、全く別方面の事柄。その1つが、小川哲さんから万城目さんへ「万城目さんの得意分野で、古い本と最近の本を指定してくれ」という依頼に、万城目さんが選んだ1つが『豊臣家の人々』という作品だったこと。確か、この本は、現在放送されているNHKの大河ドラマ『豊臣兄弟!』の基になった作品ではなかったですっけ?それが話題になる前に、読む人はきちんと読んでいるんだなーということを感じました。また、2人が司馬遼太郎に対して語っているのですが、まぁとりわけ万城目さんはまぁ、それはなかなかの言いようで(笑)。彼の言葉を借りると、司馬遼太郎は「女性の描き方が最悪(p123)」なのだそうで、それをフォローする小川さんは「戦国時代や明治維新といった、女性にちきんと権利がなかった時代がなかった時代を描いていたからこそ、その価値観で書きと通せた説はあります(p124)」このような視点があるんだなと知ることができました。その反面、この頃の時代の人の男性って司馬遼太郎傾向があったのではとも。ただ、文豪の世界ではどうなのかはわからないのですが。そんなことを知りながら、思いながら、他の人との対談もつらつらと読んだのでした。にほんブログ村
2026年08月17日
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ご存じの方も多いとは思いますが、わたしは「恐竜」も大好物です。その研究の代五銭で活躍されている小林快次さんの新刊『恐竜とぼく 』を読了。これまでのエッセイ以上にアメリカでの学部生、院生の生活が細かく綴られていました。読んでいて、アメリカの教授たちって学生のすごく近いところにいるんだなーということをイメージしてしまいました。私は院には出ていませんが、学部生の時の教授ってあくまでも「先生」という感じ。だけど、研究者同士、対等と感じたのです。それには、著書の様々な要素がそうさせてしまうだけで、実は違っていたというこもあるでしょうが、まだ自分が何をしたいのか分からない時にでも、優しくもまっすぐに助言していた先生というのは、著者にとって代えがたいものであるだろうなーと感じました。著者が福井県立恐竜博物館の学芸員になった時に、まだ博士論文を提出していなかったというエピソードも記されており、人生何が起こるか分からないということも実感しながら読み進めました。今や小林さんの次の世代がばりばりに研究者として第一線で活躍していること、その下の第3世代、第4世代も育ってきていることに、恐竜好きの私としては朗報にも感じました。これには、深い理由があり、著者が留学する時、恩師から「アメリカで博士号まで取ったら、日本に戻って活動し、後進を育ててほしい」という言葉を受け取っていたから。でも、本当にそれは実現し、次世代が育っているだけでなく、間違いなく日本が恐竜王国と世界に認知されるほどになってきています。古代って本当にロマンあふれていますが、妄想の世界だけでなく、実際に土の中から色々と出土されているのは、事実。ロマンと科学的なことが結びつきながらも、わくわく感は全く冷めないこの世界。もっと、発展して欲しいなーと願うばかりです。にほんブログ村
2026年08月16日
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木下明美氏Blog内「kimuraの読書ノート」を更新して頂きました。(8月14日の記事)今回は『ぼくは風船爆弾 』です。戦争のこと、まだまだ知らないことがありました。「風船爆弾」初耳でした。作者は実際にこの風船爆弾を学生の時に造っていた人です。恐らく、軍からの命令で作らされていたとしても、敗戦国になったとしても、恐らくこれで人が亡くなっていると考えたら、戦後ずっとそのことに責任を感じて生き続けていたのではないでしょうか。そう思うと、それだけで身につまされます。今日は終戦の日。きな臭いがここ何年も漂ってきていますが、どうか世界中の人たちが安心して暮らせる地球でありますように。にほんブログ村
2026年08月15日
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タイトルの冒頭に小さく「300年まえから伝わる」という枕詞がある『 とびきりおいしいデザート 』。ただたんに、300年間継承され続けたお菓子という意味かと思ったら、全く異なりました。いや、このような表現を絵本ではできるのだということを学びました。というのは、300年続くスイーツであるという点では間違いないのですが、これは300年前、200年前、100年前、そして現在と、そのお菓子を作っていく行程が簡素化されていくということを表しているものでした。例えば、ホイップクリーム1つに関しても400年前は朝、しぼった牛の乳から夕方にクリームの部分を掬い取ることから始まりますが、現在ではスーパーで低温さっきされた生クリームを購入します。そして、原材料をまぜたものを冷やす段階では300年前は丘にある藁の敷き詰められた穴ぐらに冬に出来た氷でひ一晩冷やします。しかし、現在では家の中にある冷蔵庫で冷やすだけ。どれだけ、料理することが簡単になってきているかということをこのように視覚で見せられると、便利になったなーというだけでなく、そのようにさせてくれた先人の知恵と技術の獲得の著しさも感じます。が、実は話はこれだけではありません。しっかりと読んで、見ているはずのこの作品でしたが、大きく自分の中で抜け落ちている視点があったことに巻末の「作者より」を読んで気が付かされました。それは、200年前の話です。このスイーツを作っていたのは、奴隷の親子。当時の社会的背景が描かれていました。作者の言葉を読んで、この頃のスイーツを造るのは家族というよりは、奴隷が創るものだったのだということ。ただ。作者はそれにとどまらず、このように、言葉を続けています。並たいていではない苦難と不条理がまかり通日々の暮らしの中にあっても、手作業による物づくりやデザートに喜びを見出す人々について書きたかったのです。スイーツの沼も深いようですが、確かに味覚としての甘さはそれだけで、至福の時間を与えてくれる魔法のようでもあります。そのこと自体が歴史の名毛で受け継がれているというのも、とても不思議で素敵なことだなーと感じました。にほんブログ村
2026年08月14日
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猫本に加えて、内容が「山」に関わるものなら、手を出すようになってしまいましたよー。推し活の影響は果てしないです。ということで、今回手にしたのが『山に木を植えました』。山に木を植えるとどうなるかということが描かれています。それは最終的には海の森も育て、それが雨となり、森が育つという自然の循環を示しているのですが、この作品のトピックは、「フルボ酸鉄」。初めて聞きましたよ、「フルボ酸鉄」。これは、この作品によると森の腐葉土に含まれているフルボ酸鉄。これを地下水が川や海に連れて行くのですが、このフルボ酸鉄の言葉が出てくるのは、そこから12ページ後。ここでようやくフルボ酸鉄の役割が発表されます。なんと、海に住む植物プランクトンや目に見えない小さな生き物は自らの力では栄養を取り込むことができないとか。それを手助けするのがフルボ酸鉄!まて、森の中で生まれるフルボ酸鉄の役割は海まで流れ着いた後にそこで生きている目に見えない小さな生き物たちが栄養を取れるようにするためとか。とっても、果てしない旅路を得て、それを必要とする者の下にやってくるなんて。思わず、なんて非効率的な!って思ってしまいましたよ。でも、この非効率的なやり方がこの自然界ではリスクを軽減させる方法の1つなんだろうと思います。空気の循環にしろ、水の循環にしろ、知っていると思いながら似たような類の本を手にしても、必ず知らないトピックスを見つけては、また自分の無知さを思い知らされるのでした。にほんブログ村
2026年08月13日
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4月29日のお散歩後編です。Bプランとは、貴志川線の貴志駅、猫駅長に会う事!せっかく貴志川線に乗ったのですから、猫駅長にあってなんぼ(笑)。というわけで、自宅に戻るなら貴志川線を西に向かうのですが、更に東へ。 これらは、伊太祁曽駅にあった展示車両。これだけで、ご飯3杯食える(笑)!そして、実際に乗った電車はこちら。 これだけ車両が可愛くて、インパクトがあれば、猫駅長と相まって、そりゃ、乗降客増えるわ!電車に揺られ、終点貴志駅へ。ホームにたま神社がありました。そして、歴代の駅長のお墓。こちらが駅舎正面。そうしたら、何とですねー、よんたま駅長の誕生会が駅前で行われる日でして、たまたまなんですけど、私もお祝いすることができました。 左:和歌山電鐵の社長さんに抱っこされてるよんたま駅長。右:見習いのろくたまちゃん。 駅舎内も猫様であふれていて、ここまで来て良かったとしみじみと思いました。と言う訳で、この日のお散歩は終了♪にほんブログ村
2026年08月12日
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この日は、以前から気になっていた伊太祁曽神社・奥宮へGO!!!最寄りの伊太祁曽駅から本社とは反対方向を北上します。 伊太祁曽駅は貴志線になりますので、貴志駅の猫駅長のグッズが販売されていました。ひたすら歩くこと40分。奥宮である丹生神社へ到着。こちらは、伊太祁曽神社の奥宮とされていますが、一般的に「奥宮」や「奥の院」は「はじまりの地」を表しますが、ここは全くそうではないようで、根来寺との関係で創建された模様。神社の名前が「丹生」とありますので、この近郊で水銀、もしくは鉱石が採掘できたのではないかと推測します。しかも、根来寺は当時はかなりの力があった寺院。鉱石が採掘できる場所を囲っておくための神社だったのかも勝手に妄想しました。で、この神社参詣への目的はもう1つ。すでにお分かりかと思いますが、懸造りの建物があるのではないかという情報を得て。割拝殿が懸造りとなっていました。本当に関西南部は割拝殿が多いことと言ったら。懸造りはともかく、過去にも何度も独り言のように呟いていますが、なぜこの地域は割拝殿が多いんだろう。丹生神社の南にある傳法院。丹生神社と同じ時期にやはり根来寺との関連で建てられたという話もあるようで、丹生神社の神宮寺として建てられたのかなとも思います。ここを後にして、駅の方向に戻ります。本社を参詣する前に寄ったのが、「亥の森」と言われている伊太祁曽神社の旧社地へ。それこそ、ここがこの地の始まりの地ではないかと想像します。しかし、この亥の森のまでは辿りつけたのですが、この森の中に入る場所が全く分からずうろうろしながら、途方にくれておりました。 たまたま近くの畑で作業をしている方を見つけて、教えていただいたのですが、これは地元民以外は分からない。そして内部に入り参拝。 外から見た亥の森は人を寄せ付けない畏怖を感じたのですが、内部に入ると、とても気持ちのよい空間で、森に包まれているようでした。こちらを後にして、本丸ともいえる伊太祁曽神社・本社へ。……なのですが、亥の森からだと、正面から境内に入らず、脇道から。そうなると、最初に出くわすのが、ときわ山古墳。 神社の境内に古墳なんて、いろいろと妄想してしまいます(笑)。磐座も。但しこの磐座は、奥出雲・船通山に出土したものを移管したのだそうです。そして、拝殿。ここも割拝殿。そして、割拝殿から廊下で結ばれた常盤殿は、懸造り。 さて、この日は本殿にて「昭和祭」という神事が執り行われました。 巫女さんの舞は神社ごとに異なりますが、ここの舞も厳かで、神秘的でした。因みに、伊太祁曽神社は木の神様をお祀りする神社で国内から木材を扱う関係者が参拝に来られるそうです。伊太祁曽神社での参拝が終わった後、時間がありましたので、Bプラン発動です(笑)。それは後半で。にほんブログ村
2026年08月11日
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好きな作家さんによる家を建てた時のことを綴った『ありふれた家を建てる 』を読了。我が家も家を建てた身としては他人事ではなく、かつ、間取り好きとしてはよそ様のお家には関心ありということで、わくわくしながら読みました。結論から言うと、我が家と趣味が完全に異なったために、自分と重ねることはほぼなく、どちらかというと、興味本位で楽しく読むことができましたーーー(笑)。そして、笑えたのは、著者としては一般的な「ありふれた家」をイメージしていたらしいですが、工務店さん側から言わすと「全くありふれた家」ではない状況。そこのギャップがなかなか埋まらないんですよー。私も読んでいて全く「ありふれた家」ではないと思います。だって、室内のインテリアにもかなりこだわりがあり、それに見合うような壁紙を探したり、とにかく仕事で本の所蔵が増えるからあちこちに作り付けの本棚を造ったり(いや、本棚は私としても羨ましいが)、猫好きの私としてはそれはアリだと思うけど、一般的でない最大の箇所が「猫のためのテラス」。脱走防止のために、テラスを覆うメッシュパネルを覆うというもの。ここだけをピックアップしても、「ありふれて」ない(笑)。でも、これらと真剣に向き合う著者と、工務店さんの掛け合いがなかなかのものです。唯一自分の重ね合わせることができたのは、注文建築の場合、一つ一つを工務店さんと打ち合わせしながら、自分たちが決めなけらばならないということ。間取りはともかく、壁紙から床材、水道の蛇口の細かいところまで。ぶっちゃけめんどくさくて、そして、こだわりがないので、「誰か決めてーーー」というのが正直なところ。本書は作家さんとしての仕事場を覗き見できるという点でもとても楽しいものでした。にほんブログ村
2026年08月10日
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上橋菜穂子さんの新刊が出ているのに気が付かず今に至ってしまった、『神の蝶、舞う果て 』を読了。いきなり作者のあとがきの話になるのですが、この作品は30年前に連載として書かれたもので、新作ではないのだそうです。しかし、連載が終了した後、本としては上梓していないと記されていました。その理由を幾つか挙げられていましたが、その中で「この物語は熟していない」と感じたのが理由の1つだったとありました。これを読んですごく納得しました。素人の私がこのようなことを書くのは恐縮なのですが、この作品は上橋菜穂子作品なのに、これまで読んだ作品よりは内容があっさりしすぎていて、正直「もう終わった?」という印象を持って読了しちゃったんです。なので、「熟していない」という言葉を読んで、作者もそのように感じていたんだーと思いました。30年の年月を経て手直しをした部分があるそうですが、それでもその「熟していない」未熟な部分もそのままにして描かれた作品も間違いなく上橋菜穂子作品であることは間違いない舞台設定とそこに生きる人たちの物語ではあります。この物語では、生き物がどのようにして命を繋いでいくかと言うこと、そして、ぶっちゃけ、「老害」についても触れられています。30年前にすでに「老害」をテーマにしていた作者の先見の明。未熟ながらも、作者が伝えたいことは十分に伝わっている作品でした。にほんブログ村
2026年08月09日
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まだ会期中ですので、お散歩の割り込み記事としまーす。美術館に向かった日の2日前に知人より、このような展示会をやっているよーと教えてもらい、急いで時間調整をして細辻伊兵衛美術館に行ってきました。創業400年余で木綿の手ぬぐいを扱う最古の企業、永楽が運営する美術館です。そのため、展示はその手ぬぐいにまつわるものとなっています。20年以上前までは今の場所よりも少し東側に会社などがあったらしいのですが、今は役行者山を出す、役行者町にこの美術館を建てたことにより、山鉾町である役行者町と関わることになり、今回このような展示となったそうです。 手ぬぐいに染められた役行者山とその屏風。 そして、何よりも今年の後祭・宵山の時に行われていた護摩焚きの映像が流されていて、思わず食い入るように見てしまいました。今年の後祭は夫の引っ越しと重なり参詣できなかったんです。1階では別のテーマで手ぬぐいが展示。 昭和初期を中心に、江戸時代後期までのものが展示されていました。近江絵などを模したものは1階の別のテーマで展示。 画像にはないのですが、海外の服飾デザイナーによる手ぬぐいなどの展示もあり、それはこれまでに見たことのない雰囲気を醸し出す手ぬぐいで、それは手ぬぐいと言うよりは、もう、1つの芸術作品のようにも感じました。これらの展示は8月18日までですので、ご関心がある方は、是非足を向けてみてください。にほんブログ村
2026年08月08日
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こういうのが読みたかったかもとツボにドンピシャはまった『神と仏の人文地質学』。地質学と史料の両面から、とりわけ地質学的な話6~7割と形で構成されています。興味深かったのは、古事記の変遷の時代には、今のように科学的根拠を持っていたかどうかは別として、今の科学では通説となっていることが当時から先人たちは「知っていた」ということ。とりわけ驚いたのは、日本は縄文時代の約1万1000年前からわずか1000年の間に海(現在の大阪近郊)が急激に広がったらしく、人々は山の方に追いやられたらしいのですが、これを先人たちは記紀に「国うみ」の物語として残しているのだそうです。「国うみ」はイザナミとイザナが点に浮かぶ橋から天沼矛で下界をかき回し、その矛についた最初の一滴が淡路島になったと記されていますが、地質学的には、この時期に海がひろがったために、突如淡路島田出現したとか。著者はこの突然の島の出現が「国うみ」のモチーフになったのではないかと考察しています。これにはもう呆然としました。恐らく、先人たちのそのまた先人たちが、文字のない時代から口伝として受け継がれていたのが、ようやく記紀の時代に文字として残されたからこその、現在の科学的根拠と一致するということが分かるわけで、そしてそれは決してただのフィクションではなかったということですよねー。となると、私が推しの役行者は山に入る理由の1つに鉱脈探しがあったのですが、これまでは1300年前から凄ーーいとしか思っていませんでしたが、もしかしたら、鉱脈のある場所も役行者が開拓したというよりは、それよりも前の先人たちからの言い伝えがすでに彼の時代にも蓄積されていたということなのかもしれません。それを実行したかどうか…というだけの話。いや、それでも、あれだけの山深いところに入っていく実効性には頭が下がるのですが。なぜ飛鳥周辺に都ができたのかということを地形の成り立ちから詳細に説明されているだけでなく、私の好物の山岳信仰と鉱脈の話、それからなぜ日本は神仏習合となったのかということも先にも書いたように、科学的な根拠を挙げながら考察されていて、どのページも気の抜けない大切なことがぎっしりと詰め込まれていました。私のバイブルの1つになりました!にほんブログ村
2026年08月07日
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昨日の続きです。黒滝山下山後、三原駅まで送ってもらい、その足で……と言いたいところですが、以前からどうしても拝みたかったものが、三原駅にはありました。それがこちら。 駅の支えに三原城の石垣を活用している稀有な駅なんです。新幹線に乗って帰省する時に、ここでは降りず、通過するだけなので、石垣は見たことがなく、ようやく石垣と初対面(笑)。ホームの横が、三原常天守台跡。堪能した後、続いては新幹線に乗るために、在来線で福山駅へ。しかし、ここですぐに新幹線に乗る訳ではありません。いつも新幹線から眺めていた福山城に足を延ばします。↑ こちらがそれ。行きの新幹線内から撮ったもの。いやーーー、直接行って分かりましたよーーー。福山城のお風呂(湯殿)と言われていますが、この御湯殿は天守閣とは全く分離されており、単独の建物でした。 カッコいい懸造りです。思った以上に大きくて、ぼーーーぉと見上げていました。こちらが表玄関からの御湯殿。そして、天守閣と天守からの一望画像。 同じく天守から。実は福山城は御湯殿以外はあまり関心がなくてーーー(爆)。それでも、天守まで上がったのは、天守からのこの光景を画像に収めたかったから。画像の左の建物が懸造りです。天守からの画像が撮れたので、急いで駆け下りて、神社に向かいます(笑)。その神社は、福山護国神社。先の懸造りは能舞台です。 備後護国神社は「備後神社」と「阿部神社」を合祀して昭和32年3に創建されたそうです。備後神社は明治元年旧福山藩主阿部正桓公の設立で防長の役石見国益田の戦及び渡島国(北海道)函館の戦に戦死した40柱の英霊を祀ったのが始まりだとか。そして、阿部神社は建立は文化9(1812)年建立となっています。ちなみに、福山城は1622年創建なので、お城が創建された後に敷地内に神社を建てたということになります。私の中ではお城を創建する際には、すでに寺社がその場所にあるか、同時に創建するものというイメージがあったのですが、こちらの神社は比較的新しい部類に入るのではと思っています。が、この福山城にはもうひとつ神社があります。それが三蔵稲荷神社。こちらの神社が水野勝成公が福山城を築城する時に、守護神として祀ったもので、圧倒的にこちらの方が古社であり、お城と抱き合わせの神社です。この神社には、石鎚神社福山城遥拝所がありますが、社殿は愛媛の石鎚山方向を向いておらず、福山市内の幾つかの石鎚神社のどれかを遥拝するようになっているのではないかと推測しました。と言う訳で、この日の修行の旅を終え、一路福山駅から新幹線に乗り、自宅に戻ったのでありました。にほんブログ村
2026年08月06日
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帰省最終日は、朝っぱらから妹と黒滝山へ。こちらも懸造りのある建物が目的だったのですが、想像以上にお山が素敵でした。ってか、修行のお山でした(笑)。何せ、山頂には石鎚神社が鎮座なさっております。広島は石鎚信仰のあるところですが、典型的なお山です。江戸時代の黒滝山周辺の地図。説明板にこのような古地図があると、めちゃ萌えます♪そして、駐車場すぐにあったのが、目的の懸造りの建物。さくら堂。お堂かと思いきや、お休み所でした。建物の中は、このように黒滝山のお山にある西国三十三ヶ所巡礼の磨崖仏の案内がありました。目的の懸造りをしょっぱなに目にしてしまいましたが、、石仏など点在しているこのお山。わくわくしかありませんでした。その摩崖仏。 乃木将軍の腰かけ岩。ここからこの瀬戸内の海を乃木将軍は眺められたのでしょうか。幸福の鳥居。ぎりぎり通れました(笑)。山腹から見る頂上。観音堂。いい感じに岩に接しています。この岩に観音様が下りて来たんだろうなーということが想像できます。 その近くから鎖場です(笑)。う回路がありますが、もちろん上らせていただきます。 ←妹がいるので、上っている所を撮ってもらえる(笑)。石鎚神社。 石鎚神社の奥に見えるのが、黒滝山山頂。祠は本家本元愛媛県の石鎚山方向を向いています。その景色が右が画像。大峯神社・出雲神社及び黒滝山山頂(266m)。 山頂からの光景。中央のあるのが石鎚神社です。ここからは、周回コースを通って下山予定でしたが、かなり遠回りになることに気が付いて、周回途中まで歩いていたのですが、引き返して、ほぼピストンで下山しました。そして、三原駅まで送ってもらって、妹とは別れました。その続きは後編で!にほんブログ村
2026年08月05日
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前日の4月16日から2泊3日で帰省していました。実家の諸々のことと、カープの応援が目的。で、今シーズンのカープのことはちょっと書くまい(笑)。で、翌日17日はその諸々のことを母の実家(つまり私にとっては亡き祖母の家)でした帰り、懸造りのお寺があるらしいという情報を得ていたので、母にも付き合ってもらい萬願寺へ。母は腰が悪いので、駐車場でお留守番。山門。萬願寺は真言宗単立寺院で、浄土真宗が多い広島としては珍しい寺院です。生まれた時からずっとこの地域に住んでいる母ですら、このお寺に通ずる道を知らず、人生80年にして初めて知り、「こんな道があるのねー」と感心しておりました。駐車場に母を置いてますので、駆け足で急登の階段を駆け上って、ちゃっちゃとお参りをすます予定でしたが、住職さんが境内及び五重塔を案内して下さるということで、母に連絡を入れ、そのありがたいお言葉をお受けさせて頂きました!境内ですが、情報を得ていた懸造りとは別に懸造りのお堂を発見。それが文殊堂。コンクリ造ではありますが、がっつりと懸かっております。それから、五重塔の舞台(懸造り・コンクリ造)と五重塔。 そして、五重塔からの景色。わが町ふるさとの典型的な光景(笑)。住職さんのお話ですと、先に文殊堂を懸造りで試用として建て、その後で五重塔に取り掛かったそうです。他にもここの地域のこと、お寺であった不思議な話など貴重なお話をたくさん伺いました。私の地元ではありますが、まだまだ知らないことばかりだなと痛感しました。そして、母が待つ駐車場にダッシュしたのでありました(笑)。にほんブログ村
2026年08月04日
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新たな資格を取得する際に、印象がいちばん変わったところの1つに精神科病院があります。それに関連した本『精神科医おどおど日記 』を読了。全く「おどおど」していません。精神疾患と言われる病状をエピソードと共に分かりやすく記されており、各疾患がどのようなものなのか、そして、どのように治療をしていくのかというところが軽快な筆力ながらも丁寧に記されています。本書を読んでいて改めて感じるのは、どの科のドクターもそうではあるのですが、とりわけ精神科医は気が長くないと、できない職業だなーと思います。いや、気が長くなるのかもしれません。そうしないと、患者とは向き合えない、そのように思えます。著者が自分自身、客観的に見ればあきらかにアルコール依存症だったなーと断言しているエピソードも綴られているのですが、そこからの脱却は仕事があったことと、仕事以外で意識が別のところに、たまたま変わったことにあるようです。それが著者の場合は、筋トレだったみたいですけど。ご自身のエピソードとは別に患者でのそれも記されているのですが、やはりアルコール以上の強い関心事がないとそこから難しいのだと思います。いわゆる「推し」を見つけることなんだろうということを思いました。ともなると、「推し活」は犯罪に触れなければ、1つは持っておいた方がいいということなのかも知れません。あとがきに、著者はこのように書いています。「精神科医になれば、人の心がわかるようになりますか?」と聞かれることがある。正直に言えば、この仕事に関われば関わるほど、人の心はますますわからなくなるばかりだ。(p204)納得できます。「人の心」というのは、破綻的に言ってしまえば、「脳の機能」なのですが、余りにもこの機能は複雑で繊細で、かつ十人十色。1つとして同じものがないため、ある意味教科書通りに行くことの方が皆無であろうと思います。しかも、ドクター側はその「心」であったり、「脳の機能」を診察の時に視覚化できないので、まさに手さぐり。ドクターではありませんが、カウンセラーの友人が、とある患者さんと10年近く付き合って、ようやく個人の過去を話してくれたんだけど、そのような過去があったとはこの10年見抜けなかったと吐露していました。ようやく、ここから本当のカウンセリングが始まるわーとも。高齢化社会になればなるほど、人生で1度はお世話になるであろう、精神科医。知らない世界である人は、是非一読をおススメします。にほんブログ村
2026年08月03日
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1日予定より早いですが、夏休み終了!夏休み明けの最初は、木下明美氏Blog内「kimuraの読書ノート」からスタートです。(8月1日の記事)8月と言えば、やはり「戦争」というイメージが私には付き纏います。そのため、今年の「読書ノート」も戦争に関係のある本をとり上げます。それは、『ラスト・チェリー・ブロッサム』。本文にも書いたのですが、外国に住む、外国籍の作家さんが、たくさんの資料を読み解いて、自分のイマジネーションで原爆についての物語をようやく描ける時代が来たなーというのが、正直なところ。ありがたいことだと思っています。こうして、民間には、「原爆を使ってはいけないもの」と認知され、「戦争はしてはいけないもの」という認識が整ってきたにも関わらず、それらの国のトップは率先して「正義」の名のもとに戦争をしているのが現実。政治家って本来は一般人の意見をくみ上げて、施策を行っていくものなのに、己の価値観で全てを動かしていいという勘違い政治家が世界中に転がっている状況で、ぶっちゃけ地球はどうなるのよと思う次第。それでも、一般人がぽつぽつと積み重ねていくしか今のところ、手立てがないのが現状。その一助となる作品です。にほんブログ村
2026年08月02日
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