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毎月1回1年間、石原慎太郎こと慎ちゃんの作品を語るというイベントをまとめた『石原慎太郎を読んでみた』を読了。私が好きなトヨザキ社長が慎ちゃんをどのように切り刻んでいくかとても楽しみだったのですが、結論から言いますと、7割がた社長は作品を誉めております。社長自身もこれは意外だったと驚いており、「慎ちゃんは人生のパートナー」と最後の最後には〆ているくらい。そして、慎ちゃんは現役で作家として最長で書き続けているのではないかという話もありました。たいていが、政治家になると(田中康夫とか、猪瀬くんも?)作家稼業を辞めてしまうのですが、彼はそれでも書き続けているという兵であるのが、本書の中心軸の1つともなっています。だからこそ、社長にメッタギリにされるほどの、悪文も多く出回るというのが、事の真相のようです。それにしても、慎ちゃんの悪文は、あきれるほどです。本書でもかなり引用されているのですが、1文が長いし、主語述語がはっきりしなくなるし、同じ言葉が1文に繰り返し使われるし、訳のわからないカタカナ言葉を連発するし……。慎ちゃんの作品をよく読んでいない私が申すのもおかしい話ですが、引用されている部分は確かにひどすぎます。小論文講座を受け持っている私でも、かなり朱入れできてしまいます(笑)。それはさておき、私が全編を通して興味を惹かれたのは、彼の悪文でも作文でも、政治家としての彼でもなく、彼の兄弟関係。つまり、故人となった石原裕次郎との関係ですね。私の親なんぞは、若かりし頃、石原裕次郎のファンで、映画館にもよく足を向けたとかつて話してくれたことありますが、私の知っている裕次郎は『太陽にほえろ』以降です。まあまあしぶい役者さんであり、石原プロの社長さんであり、ダンディーな紳士というイメージがそこにはありました。もちろん、彼の死においては、ワイドショーだけでなく、一般のニュースでも大きな話題となり、日本全国の親世代が哀しみに包まれた空気すら感じています。が、本書で初めて知った事実。この裕次郎は表舞台に出るまでは、いや、出てからもしばらくは、今の言葉でいうと相当な「やんちゃ坊主」だったようで、その尻拭いをしていたのが、慎ちゃん。どれだけ、裕次郎は悪い子だったのか!!!!!!慎ちゃんの偉いところは、その弟の更生のために、表舞台に立たせ他人の視線を浴びさせるたというところ。これは、自分しか軸を持っておらず、かつ「才能」を持っていた慎ちゃんだからこそなせた技で、おそらく一般ピープルな人は出来の悪い兄弟をこのような形で更生させるなんて出来ないわ~。つまり、慎ちゃんは自分がかわいい故に、自分に火の粉が降りかからずかつ、自分もそこそこ注目を浴びる方法を思いついたというか、社長たちに言わせるとそれを「素」でやってしまうから、慎ちゃんなのでありますが。それでも、慎ちゃんにとって裕次郎と言う存在は目の上のこぶだっただろうなと思います。裕次郎の死を小説のネタにして、美談のように語っていますが、その心のうちは案外サバサバとしていて、彼の死でようやく落ち着いたのではないかと思ってしまうくらい。慎ちゃんの大学生時代は、家が傾いていて、慎ちゃんはお金のかからない一橋大学に方向転換。そして、アルバイトをして家庭を支えたという苦労人。そのかたっぱしから散財していたのが裕次郎。慎ちゃん長生きして、好き放題やれて良かったねと、都政をめっためたにしていたはずなのに、思わず慎ちゃんに共感してしまう自分がいたりします。こんな風に慎ちゃんに思いをよせてしまうこの1年間のイベント。社長が「人生のパートナー」と叫んでしまう気持ちもよく分かります。そういえば、慎ちゃんには4人の息子がいますが、慎ちゃんの場合、子どもが4人でよかったねとつくづく思いました。そもそも父親である慎ちゃんがドンなので、兄弟関係があまり悪くなるような気がしないではないですが、兄弟のトラブルは分散させた方がいいと慎ちゃん潜在的に感じていたのではないでしょうか。兄弟関係以外のところで、本書を読んで気がついたのは、宮崎駿監督が昨夏公開した『風たちぬ』のモチーフとなっている堀辰雄の『菜穂子』が取り上げられていたところ。私が知らなかっただけで、この作品はサナトリウム文学の代表作品でもあるんですね。『風たちぬ』によって日の目を見たような報道のされ方をしていましたが、なんてことはない、かなり有名な作品であったわけです。あぁ、無知とは恥ずかしい。またメディアに踊らされていました、私。そして、慎ちゃん、今年で82歳。あまりにも、闊達なので年齢のことを忘れておりましたが、戦前、戦中、戦後を生きた人なのであります。なので、彼と交流のあった方々の名前が日本史(現代文学史)に掲載されている方も多くおり、何だか慎ちゃんは歩く日本史のような人でもあることに気がつかされました。「生きた化石」と言っても過言ではありません。それにひきかえ、今回都知事戦に出馬した細川くんの方が7歳も年下なのに、ちょっといい感じのご老人になられたなぁ~と感慨深く、7年後の東京オリンピックには、慎ちゃんの方が都内を闊歩しているような気さえ、かつ、それをネタに悪文ふりまきながら、まだ何かしら書いている気配も。今後の慎ちゃんの展開に目を離せなくなってしまいます、この本。なので、アンチ慎ちゃん派は読まない方がいいかも。社長や私のように、改宗しちゃうかも。=======【「徒然」を読んでくださっている、皆様へ】明日から1ヶ月(つまり、2月)、この「徒然」の更新をお休みします。冬休みというか、早い春休みというか。「KIMURAの読書ノート」は引き続き更新していただく予定になっていますので、それが更新されましたが、ここでも連絡する予定です。では、みなさん、寒い折、炬燵にはまって読書三昧いたしましょう!!!!にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月31日
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以前取り上げら田『図書館ラクダがやってくる』では、様々な国の図書館が写真で紹介されていました。今回はそれには掲載されていませんでしたが、コロンビアの図書館の様子が絵本で紹介されている『こないかな、ロバのとしょかん 』を紹介します。『図書館ラクダ……』はペルーの国がラクダを利用して本を届けていました。コロンビアはロバが本を届けています。ロバで子どもたちに本を届けてくれるおじさんは、読み聞かせもしてくれます。このような地域には学校もないため、おじさんは読み聞かせをしつつ、文字も教えてくれるそうです。ロバを通して、本や夢だけでなく、「学ぶ」ということも伝えてくれるこのロバの図書館。日本であまり考えられないようにも思えますが、地域よっては移動図書館があります。それと一緒と思えば、あまり不思議ではありません。そうそう、話はそれますが、移動図書館は過疎地域にあるように思われますが、京都市内も案外活用されています。それは山間部だけでなく、市内でも走り回って、かなり利用者があります。1km圏内に図書館があっても、それが遠いと感じる人も多くいます。なので、移動図書館の有効性は都市部でもあると私は思います。ましてや、アフリカの砂漠地帯、ペルーの山岳地帯。これは車では困難なところ。動物の運搬は古代から活用されていますが、今もそれが活かされているというわけです。でも、やはり学校が一つもない……ということを考えると、この動物たちの図書館が子どもたちにとっての命綱。「すごいね」とかおじさんたちが「立派」だとかそんな言葉で片付けられない問題・課題がそこにあるのは理解しておかなければなりません。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月30日
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まだまだ、塾では私立高校の過去問をあれこれと解かしていますが、もちろん私も解答解説をするため、自分自身でも解いております。前にも書きましたが、論述文は問題を解く以前に読みいってしまいます。で、今回もまだ本書としては未読ですが、もう試験問題として抜粋されている部分でくらくらした本を紹介!それが『数になりたかった皇帝』。全体像はよく分からないのですが、試験で取り上げられているのは、漢字の画数についてのこと。画数が配列方法の一つになったのは案外歴史が浅いらしく、漢字が出来上がった頃にはなかった概念なんだそうです。しかも、部首が先で、この画数は部首の内部での画数を配列しようとしたのが最初。総画の方が後なんですね~。いや~、勉強になります。もともと、この話の出発点は(試験問題としては)、姓名判断において「才」という字の画数が4画で表すのはなぜかというところ。結論としては流派によって画数はそれぞれで、「才」はもともと「てへん」を変形したものであり、「てへん」そのものは「手」が変化したということから「手」は4画のため、「才」も姓名判断では4画なのだそうです。「さんずい」も「水」がもとなので、4画で計算することもあるらしいです。興味深いことが書いてありました。姓名判断では、漢字から直接、運命を引き出すのではなく、画数を数えることで、漢字をいったん”数”へと還元する。そのこと字体がとてもおもしろいが、その還元の手続きの中に、”本来の語り”だとか”表している意味”などが入り込んでくるところに、文化としての”漢字”というもののもつ複雑さが現れているようにも思う。つまり、これは漢字をばらした時に、どのような形でその漢字が成り立っているのか、そのばらした漢字そのものにも意味を持たせているということなんですね。それを姓名判断にも使っていたなんて~。ちなみに、漢字の画数による姓名判断は中国ではなく日本で生まれたものだそうです。日本人って色んなものに意味をもたせるのが好き、いや得意なのかもね~。これ、全貌が知りたいので試験問題で終わらせるのはもったいない!読まなくっちゃ。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年01月29日
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昨年の秋に鬼籍に入られた元灘高校国語科の橋本武さんの著書。お亡くなりになった後出版されたものです『日本人に遺したい国語』。どれもこれも橋本さんからの贈り物として受け取りたい数々の言葉なのですが、これまで読んだ著書には書かれてない事で、あぁと感じたものがありました。それは、橋本さん自身は授業でスローリーディングに徹していらっしゃいましたが、普段の生徒たちの読書は「多読」をススメていたということ。分からなかったとばしてでも読んでいたら、また年月を経て読むと分かることもあると。分からないから立ち止まるのではなくて、どんどん色んな知識などを得るためにありとあらゆる書物を読みなさいということことでした。もうね、いや、なんでしょ。徹底したスローリーディング派かと思っていたのですが、子ども達の日常は多読で、指導者としては1冊くらい読み込んでいこう、多読へのサポートという感じで教示されていたのかなと少し分かったような気がしました。読み飛ばしていくことで、分かることもありますし、深いところにはまっておぼれてみて分かることもある。そのバランスを伝えたかったのでしょうね。どうしても、メディアで伝えられることは教示されていたスローリーディングばかりでしたので、もしかしたらそれは違うということをおっしゃりたかったのかもしれません。メディアへの最後の反旗(苦笑)?にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月28日
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エッセイマンガ『あいもかわらず毎日がおひとりさま。』をだらだら眺めておりました。何でも読んでみるものです。面白いことが一つ書かれていました。テレビのCMでよく流れています「ド○ホル○○クル」の化粧品。こちらを著者はふらふら~と電話で無料お試しの申し込みをしちゃったんですね。3日間のお試しだそうですが、著者曰く「お肌がよみがえった」そうで、効果がかなりありそうな予感。で、これを全て購入すると……とそろばんをはじいたところ、1ヶ月で「30000円」也~~~。普段月に2000円もかけていない化粧品が10倍以上の価格になることと、家賃と変わらなくなるという額に著者はお断りしたそうです。いや~、そんなにするのですか、あの化粧品。私もいくら効果があったとしても、そのような額出ませんわ。アラフォーになり、しわもホウレイ線もバリバリでてきただけでなく、頬もたるんで、ブルドック一直線であるのは真実。それが解消されたとしても、難しいです。ただ、よく分からないのが、本当に化粧品って高価なものほど、効果があるのでしょうか。まぁ、私の場合、乾燥時にお肌がつっぱって、日常生活に支障をきたつことさえ解消できればそれで満足なのです。でも、無料お試しの電話をして、3日間だけアンチエイジングなんぞをやってみるのも、案外楽しいかも。いや~、勉強になるわ~。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければそれだけでアンチエイジング:笑)
2014年01月26日
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何らかの書評に『少年弁護士セオの事件簿 1』の作者が、「ペリカン文書」や「依頼人」の原作者だということが書いてあり、しかもこの作品は初の児童書とも。「ペリカン文書」や「依頼人」は映画化され、日本でも結構ヒットしたのを覚えていて、何だかそれだけで「すごい!」と思って、読んでみました。ひと言で語ると「飽きさせない!」。児童書とは言え400ページ近くあるのですが、ワクワク感がずっと持続しています。おそらく訳者が小学生にヒットしている『黒魔女さんが通る!!』の作者というところも大きいかと思われます。内容は全く異なるのですが、テンポがとても似ています。半分以上が法廷の場面ですので、もしかしたら原作はもっと堅い文章になっているのかもしれませんが、小学生や中学生ではなじみの薄い法廷シーンについてかなり分かりやすく、かつイメージしやすい言葉で書かれています。もちろん、法律用語はそのままなのですが、そのフォローが無理なく会話文に入ってきています(これは訳者だけじゃなくて、作者も上手いのでしょう)。そして、両親が弁護士のセオが同級生の悩みを弁護士並みアドバイスしたり、やはり子どもだから手に負えないところなど、かなり身近に、かつ憧れや妄想の世界に読み手が導いてくれるように描かれていて、おそらく手をだすまでは時間がかかりますが(ちょっと表紙の画が日本の子ども達には受け入れがたいと思われます)、手にしたらあっという間に虜になってしまうだろうなと思いました。もちろん、大人も十分以上に楽しめます。日本とアメリカの司法制度の違いも分かりますし、アメリカ的なスケールの大きな事件そのものにも惹かれると思われます。そして、日本ではあまり触れることのというか、表立ってでてこない不法滞在の問題とその解決策など、そのような部分でも日本と比較しながら読むことができます。ただ、私としてはこの作品のラストシーンは??????な感じ。あっけなかったというか、まだ続きがあるような、ひっかかりを残して終わった感が否めません。2巻目も読む予定ですが、これがその続きなのか、それともまた新たな事件なのか……、かなり気になるところです。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月24日
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あくまでも私の印象としては、おそらく2000年に入ってからだと思うのですが部活がらみをモチーフにした本がじわじわと刊行されるようになって、それがドラマ化、映画化というパターンとして変化されることが多くなってきたと思います。しかも、文化系やマニアック系、これまで日のあたらない部活が一挙にお日様のもとに。これは、「笑えてこらえて」の影響も大きいのでしょうか。おそらく、その時に普門館やNコンという言葉を知ったと言う人もいらっしゃったのでは。というわけで、読んでみましたNコン『歌え!多摩川高校合唱部 』。これって、合唱部の入門編として読んだらとても役立ちます。夏のNコンにむけて合唱部がどのような活動や練習をしていくかが事細かに、時系列に懇切丁寧に描写されています。そこに登場人物をつけて、物語の肉をつけていっていると言っても過言ではないでしょう。実際この作品は多摩高校でのことをフィクション仕立てで書かれたようで、そのあたりの事情もあり、余計に一つ一つの練習技術などがリアルです。登場人物の青春を感じている風も十分に伝わってきて、物語としてもすごく楽しめるのですが、あまりにも私にとってはNコンへの過程がしっかりとしているなぁともうそこに釘付け。それにしても、文化系の部活って知られていないだけで(今でこそかなり知れ渡るようにはなりましたが)、体育会系以上に体を動かしているのでしょう(笑)。自分自身もまさにそのような経緯を歩んできていますので、未だに不思議。いや、体がしっかりしていないと活動ができないことは分かるのですが、ある意味、体をつくりながら文化的な肉体と思考も必要ということにおいては、身体だけでなく脳みそもフル回転と切り替えが必要。いやはや、ハードな部活ですこと。合唱部、吹奏楽部、演劇部、あっそうそう、競技カルタも文化系ですね。こちらは何とか制覇していますが、まだ古典部が未読です。本を通して、様々な部活の追体験をこれからもしていきたいと思います。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月24日
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昨日は、今年最初のブックトーク、お題は昨年に引き続き「日本の昔話」……となるはずでした。しかし、私が出勤して(昨日のことですよ)すぐに、とある担当者Aにつかまり、「ビブリオバトルするぞ!」。「誰と?」「あなたと私」「へぇ!?」となったわけです。もちろん、ブックトークは中止になったわけではありません。小学生にビブリオバトルがどのようなものか、Aは見せたかったようです。そして、私もしくはAのどちらかしかありませんが、チャンプ本を決めるとのこと。ただ、ブックトークの流れを変えるわけにはいきませんので、選書本は「日本の昔話」の中からということにはなりました。もう、年明けてから本に関しては「いきなり」が多すぎます。最初のブックトークですが、五大日本昔話を押さえた後、同じ題名の昔話の読み比べ。そして、外国の昔話との読み比べということで、以下のものを紹介、もしくは読み聞かせしました。さて、本題、いや問題のビブリオバトル。勝ったのは私!当然と言えば当然(えっへん)!いやいや、子ども達が花を持たせてくれたのは十二分に承知しております。間違いなく、私よりAの方がそそられる紹介をしていましたから。ちなみに、私は相も変わらず好きな昔話として、こちらを勝負本として用いてしまいました。もう少し進歩しても良さそうですけどね。Aはこちら。誰でも知っていそうなもので勝負するのですから、もうそれだけで私からすると完敗です。でも、即興のわりに、そして勝負師は2人、所要時間は2人合わせて5分もなくやったわりにはかなり盛り上がって、私も楽しかったです。Aに感謝です。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年01月23日
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木下明美氏HP内「KIMURAの読書ノート」を更新していただきました。(京都で、着物暮らしpart2 → 1月22日の記事)今回は『ふしぎなもるもくん』。この作品は挿絵を見ないで、私の紹介文だけでまずイメージを膨らませていただきたいので、画像はこの「徒然」の最後に掲載しておきます。何て言ったらいいんでしょう。斉藤洋さん天才!!!!!!としか言葉が出てきません。彼の作品は本当に幅が広くて、彼の作品だけ読んでいたら、児童文学のすべてのジャンルが網羅できるのではないでしょうか。この作品に限らず彼の作品はどれもオススメです。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら、もるもな気分になります)
2014年01月22日
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私立高校入試日まで1ヶ月を切り、現在はひたすらあちこちの私立高校の過去問を解かせています。生徒たちは自分の志望校の赤本は持たせてありますので、直近の5年間は塾では行わず、それ以前のものを使用しているのですが、どの高校も私がほれぼれするほど出典の数々。とりわけ、論述文には私はくらくらと軽いめまい。私自身、中学生の時は全く気がつかなかったのですが、その時旬で、しかもその時代に即した内容のものがきちんと問題文として出されているのです。メインは現在平成18、19年(2006、2007年)になるのですが、この時に扱われている一部がこちら↓。(1) (2) (3) (4)(1)は今では公教育でもどこかでとりあげられている「メディアリテラシー」に関する論述文。私自身、かつて師匠から教えていただいて、『未来をつくる図書館』を読んだのが彼女の著書をその後追いかけることになったきっかけであり、そのため、とても彼女の書いたものが、出典として入試に採用されていることはとても身近に感じます。また、この頃徐々に「メディアリテラシー」という言葉が浸透してきた時期ですので、この大問にはこのような問題もあります。傍線5「メディア・リテラシー」とはひと言で言うと「情報を扱う能力」のことであるが、ここでは具体的にどのような能力を言っているのですか、適切なものを次の中から選び、記号で答えなさい。ア:メディアが形作る「現実」を真実として受け取るとともに、メディアを使って表現していく能力。イ:メディアが報道する「現実」を実際に起こったこととして受け取るとともに、メディアを使って表現していく能力。ウ:メディアが形作る「現実」を批判的に読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力。エ:メディアが報道する「現実」をウソとして読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力。こちらの正答は「ウ」なわけですが、これは文章を読まなくても十分解答できる問い。むしろ、「メディアリテラシー」が何かを今の中3生は常識として知っていなくてはならないもの。というわけで、この問いに対しては、「読解力以前に、知らなかった人は、常識として覚えておきなさい」と指導したわけです。(2)は「働くことに希望を持つことは、その多くが実現しない以上、意味がないのだろうか?」という問いかけのもの。(3)は私の好きな日高さんのエッセイからですが、明らかに論述文ですね。それぞれの個体は子孫を残すために競争を行い、結果種を残すという内容のものとなっています。(4)はキーボードをうって文字を記すということは、複雑な行程を得ているため、人が機械機能に従属した形になっているという内容。私個人としてはどれもこれも、出典をじっくり味わいたいものですというか、むしろ私の趣味、興味。そして、これらは義務教育を終える中3生には知ってもらっておきたい内容の数々であり、それが私立高校からのメッセージであることが、少なからず私には分かったりします(ちょっと、天狗!?)。それから、国語科の先生方、マニアックだなぁとも思ったり。よく本を読んでいらっしゃる。恐れ多くて、生徒たちより私の方が問題を解かせていただいているという心境。まだ、私自身解いていませんが、内田センセーや鷲田清一先生など、内田センセー周辺の方々の著書からの出典も多く、高校の先生、私と趣味一緒と実は喜んでいたりもします。と言うわけで、結構私が問題を解くのを楽しんでいる次第。私立入試が終わったら、公立高校編も紹介したいと思います。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月21日
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朝日新聞を購読しているわけではなかったので、「天声人語」にそんなに縁があるわけではありませんでした。しかし、小論文講座を担当し、かつ実際に時事問題を扱った小論文を出す学校にはここから、もしくは新聞の1面記事のいずれかから出題されるというところがあります。なもので、昨年1年間分の書籍となった「天声人語」を手にすることとなりました。で、今は『天声人語2013秋』が手元にあります。書籍化されたものを手にするまでまったく構成をしらなかったのですが、新聞で毎日掲載されているものに英訳をつけ、さらに日本語の方には全ルビがふられていることを知りました。まさに、「受験」のための「天声人語」。いや、受験のためではないのかもしれませんが、中学受験、高校受験、はては大学受験に対応しているとうっかり思ってしまうほどの丁寧な作り(笑)。基本、教育や若者に関係するものをピックアップしておりますが、こんかいのものでは、やはりひときわ目立っているのが夏に繰り広げられた「はだしのゲン」閉架の事件。「天声人語」はあくまでも朝日新聞社の社員、つまり大人目線で書かれたものですが、子ども達だったらどのような意見になるのでしょうか、とても楽しみです。小論文ではこれまで、「脱ゆとり教育」や「センター試験廃止」を課題に扱っていましたが、やはり子ども達は大人とは違った視線でその出来事を捉えていて、添削しながらもうなづいたり、笑ったりとこっそり楽しませてもらっているのが、現実。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月20日
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すでに3巻目が刊行していますが読んだのはその2『猫なんかよんでもこない。(その2)』。くすっと笑えるところは満載なはずなのに、なぜか切なさだけが余韻として残ってしまいます。著者が「猫なんてかわなければよかった」とつぶやくシーンがありますが、それは猫に関わらず知ってしまったからには、ほっておけないという人間の性がそこにあります。それを上手く猫に重ねてこの作品は仕上がっています。人の弱さを切なさとして表現するこの作品は、他の動物作品とは一線を画すような気がするのは私だけでしょうか……。作者のサイトはこちら。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年01月19日
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『テルマエ戦記』読了。ブログで書いたものを1冊にまとめたものです。日付が丁度『テルマエ・ロマエ』を出版社に送りつけるとこから始まっていて、まさに「テルマエ」一色のエッセイとなっています。私は作者に関してはテルマエ」以降しか存じ上げないので、もともとすごい漫画家さんだと思っていたのですが、まだまだ持込みをしていた時期だということを知り、安心したというか、ホッとしたといいましょうか。自分から行動を起こさねばということをここでも教えてもらったわけです。まぁこれはあくまでも本当に個人的な話でして、もっとこれを全体的に見渡せば、著者も語っていますように「テルマエ」一色でありながら、あくまでも異文化論が主軸のエッセイです。この1冊でどれだけ、あっちゃこっちゃと作者は移動していることか。前半はイタリアに住んでいたはずなのに、後半はアメリカに住まいを移しています。ブログでは細かな文化の違いに爆発していますが、全体からは彼女がかなり柔軟に各国の文化を受け入れていることが読み取れます。話はそれますが、本日、中3国語特別講座の授業を行いました。その論述文の出典が「文化」と「文明」の話。今から約150年前に日本は鎖国を終了して、開国したわけですが、日本は海に囲まれているため、海がクッションとなり、文明を受け入れ、文化を妨げる役割りがあったが、今はインターネットや航空機などの文明の発達のために、現代人は文明の土台となっている文化について振り返ることが薄れてきたという内容のものでした。でも、彼女のエッセイでは世界をまたにかけている割には、文化と文明の違いを明確にしつつ、他国の(メインは彼女が好きなローマになりますが)文明に今尚強烈に反応しているということがうかがえました。彼女のような気質を持っている人が世界でうろうろしながら、日本へ発信しているのだなぁととても納得した次第。「テルマエ」がブレイクしてくれたおかげで、彼女の存在を知り、彼女が語る世界を見ることができ、それは「テルマエ」以上に身体的な情報として自分の胸の中にすとんと落ちるのでした。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年01月18日
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「もしドラ」がブレイクして以来、女子高生が経済学を語る書籍が増えたような気がします。これもその1冊であろうかと『女子高生ちえの社長日記』。神奈川と愛知県に工場を持つ山本産業社長の令嬢(?)ちえちゃんが、お父さんが亡くなり、お母さんは体調不良、お兄ちゃんは研修医ということで、社長に持ち上げられ、奮闘する話です。が、あくまでも会社経営の入門書というスタンス。会社経営でも色々ありますが、この場合は製造業に焦点を当てています。私の場合製造業というのは決して遠い話ではないのですが、これを読んで運営がこのようになっているのかとふむふむとうなずきながら読んでしまいました。業界用語も文中で説明されてため、抵抗なく物語の一つの言葉として読めるので経済及び経営学に疎いわたしにはありがたいことです。業界の話としてはともかく、このちえちゃんのパワフルさに気持ちよさを感じます。学校が終わってからの社長業。しかもドラムのお稽古事も欠かしません。学校で授業を受けているのに、トラブル対応のため緊急で早退し、日曜日が唯一の休みなのに、お友達と渋谷で闊歩します。あぁ若いっていいなぁと読んでて思ってしまいます。もちろん、架空の話ですから、ちえちゃんが病気もせずに社長業をこなすことなんて、お茶の子さいさいですが、それでも日々疲れを感じるおばさんにとっては、高校生の元気よさを目で追いかけるだけで、気分がリフレッシュされてしまうのです。そんな意味でも、女子高生が登場人物の専門書っていいなぁと思うのであります。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければありがたいです)
2014年01月17日
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昨日のこと。緊急で本日100人規模の読み聞かせをして欲しいと言う依頼。しかも、たった1冊、他の本は必要なし。それが『はらぺこあおむし』。100人規模といえば、普通サイズでは小さすぎますので、大型絵本が必要となってきます。しかし、職場にはこの作品の大型絵本はありません。となれば、市立図書館にGO!と言いたいところですが、昨日は月曜日の振り替えでお休み(涙)。今朝、開館と同時に飛び込み、大型のはらぺこをゲト。それから、本番までの1時間ひたすら練習しましたとも。本来なら大型絵本は、持ち手と読み手の2人以上でするのが一般的です。また、一人の場合は、このような大型絵本を支えるためのスタンドを用います。が、私の場合、どちらも×!!!!仕込みの一つ目は、これを私が一人で読めるような装備をあれこれとしたこと。こちらの画像はないのですが、その一つとして、絵本の後ろに絵本の文章を書いた付箋をぺたぺた貼ってそれを読みました。大型過ぎて、反対の端にある文字はまったく見ることができませ~ん。そして、仕込みの二つ目がこちら↓。昨夜30分という荒業でチクチク「あおむし」を作成。この大型の場合、これに付属していたのか、別売りなのかは定かではありませんが、実際に絵本の中の穴にあおむしが通れるように、あおむしのぬいぐるみが売られています。そして、それを使って読み聞かせとなるのですが、さすがに公共図書館では人形を貸してくれるわけではないので、母さんは~夜なべ~をして~頑張ったわけです。功を奏して、読み聞かせは大成功(?)。100人がシーンと静まり返って見てくれました。そして、読み聞かせが終わった後、私の作成したあおむしがとっても人気だったこと!!!昨夜娘には、「きゅうりにミニトマトがくっついているみたい」と揶揄されたのですが。たった1冊、されど1冊。珍しく仕込みに時間がかかったのであります。頭を赤、体を緑にしておけば、なんとかあおむしに見れるようです。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月16日
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日本で刊行されたのが奥付を見る限り2013年4月となっているので、この作品『はだかのサイ』はこれまで邦訳されてなかったのだなぁと手にして知った次第。読み進めると、なんだか不思議な戸惑いを持たされてしまう作品でした。自分しか信じないサイは、頑強な体を持っているため怖いものなしでした。全てが敵という信念の持ち主。それに業を煮やした一体の動物たちが、どうしたものかと会議をするわけですが、その中の一匹が提示した、「サイの傍から離れる」という選択を最終的にはしてしまいます。周りに他の動物がいなくなったサイですが、ウシツツキという鳥だけが彼の傍にいました。と言っても、この鳥もまた他の動物から嫌われていたわけです。ウシツツキはサイに対して、他に敵なしとなったが、そのトップに君臨する者として、やり残しがあると言います。それはトップにしては「銅像がない」と。で、サイはウシツツキにだまされて自ら銅像になるわけなのですが……。という内容。サイ自身がタイトルの通りアンデルセンの「はだかの王さま」のように描かれていることがまず不思議です。分かりやすいという点で不思議な感じがします。そして、サイについて話し合う動物たちも変な違和感に包まれます。サイを非難するほどの動物たちなのかという点において。いや、普通の物語としてなら、まったくおかしくはないのですが、どうもエンデと言えば「人智学」のイメージがありますので、そこから離れているようないないような……。ただ、物語の結末に関してはとてもエンデらしくなっています。鎧から外れたサイが自らの鎧を置いてその場を離れるシーン。そして、そのサイがどこに行ったか分からないという台詞。でも、あまりにも不思議さいっぱいで、エンデ本来のメッセージが読み取ることができず……。と言うわけで、不思議すぎるくらいのエンデのこの作品の解釈について、どなたかお願いいたします。(解釈せずに物語を素直に楽しめばいいんですけど、どうもそこに落ち着けない自分がいます)にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年01月15日
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わっしーの著書を久しぶりに読みました。今回は『語りきれないこと』。東日本大震災以降、どのように当事者は傷をおぎない、その周辺の人々は支えていくかという話です。タイトルは「語る」という言葉が入っていますが、内容は「語る」というよりは「聴く」。わっしーが常に訴えていることでした。東日本大震災の被災者となった大人は周囲の人とそれを語ることで、傷を時間かけて浅くしていくことが可能ですが、大人そのものがまず語っている状態ですので、大人の支えが必要な子どもまで実は手がまわっておらず、子どもこそ、聴いてあげなければならない存在であるということを指摘していました。つまり、子ども達に語りなおしをさせ、その先を言葉で編み出すことが子ども達の心の傷を補う方法だとおっしゃっているのです。子ども達はそのように語りなおす場所がないと、案外黙って胸のうちにためてしまい、それがずっと心の棘になってしまうと。確かに大人は周囲の干渉なしにそこそこ行動でき、誰かと話すということが可能です。しかし、子どもは親や大人の許可を受け、その外からでなければなりませんが、あの状況下で、自由に行動ができるというと、まず考えられません。震災がなくても、その行動は大人と比べかなり制限されたものになってしまうのですから。こうして震災から約3年。まだまだこのことについては語りきれていないことを読んでいて痛感します。また、子ども達の「語る」ということについて、東日本大震災とははなれますが、このようなことも書かれていました。今子ども達の間では、語彙が貧困になっているということなのですが、わっしーはこのように解釈しているのです。引用します。言葉は、いみがあまり大事でない場合もあります。電車の中で女子高生や中学生が5~6人集まって話しているのを聞いていると、言葉数はものすごく少ない。「カワイー」とか「ヤバイ」とか、語彙が少ないにもかかわらず、合唱のように聞こえる。語彙が貧しいととらえることもできるけれど、むしろ合唱をしていると考えたら、音の肌理(きめ)を共有しているとも取れる。あるいは「うざーい」という語感が共有されていて、多用な意味がそこに込められている。「カワイー」という言葉に、ありとあらゆる意味が込められているように。どんな場合でも「カワイー」と言うのと同じで、「うざい」にもいろんな心の装と感情がある。とてもシンプルな言葉で表現するのは、うざいという言葉の肌理に共振できて、すっと腑に落ちるところがあるのかもしれません。音楽が、歌詞の意味ではなく、音そのものが我々の心を静めたりあおったりするのと同じように。(p86~87)言葉を音として、しかも共振するという発想。確かに、この言葉を発信する子の多くが、何かしらに悩みを抱えている思春期の子が多いという印象をもちます。この短いセンテンスをプラスとして捉えるということ。子ども達に送る視線にとても温かさを感じましたし、自分自身もその輪に一度加わって共振してみようと思ったのであります。あ~、時間がないので、これにて。まさに、「語りきれない」わ。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年01月14日
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コミックエッセイで「日本語」そのものについてのものは結構読んできましたが、「漢字」限定というのは今回がはじめて『意外に知らないけっこう間違いやすい漢字』。子ども達に国語を教えている関係上、そこそこは知っていると思っていたのですが、勘違いでした。深く反省。まず驚いたのが、字体そのものをこの本で知ったというもの。音読みの漢字で「シュク」「ショク」「キュウ」と読むのですが、今こうしてパソコンで漢字変換しても出てきませんが、とても字体は簡単なもの。「玉」という字の点は2番目と3番目の横棒の間に点が打たれていますが、はじめて目にした漢字は1番目と2番目のそれの間に点が打たれています。まさに、そんな漢字があったのねという状態。本書によると、後者のものは、「きずのある玉」「玉の細工人」という意味をもち、「たま」を表すもとの字「王」にきずを表す点を加えたものなのだそうです。それに対して「玉」という字は、こちらももともとは「王(おう)」でしたが、「王(たま)」と区別するために「玉」にしたとか。最初から打ちのめされます。そして、どんどん読み進めると、丁寧な言葉を表す接頭語「貴」や「御」について。「貴社」などにつかうと敬語になりますが、「貴方」などは対等かもしくは、下位の者に使用。で、これについてはそのような使い方になるということそのものは知っていたのですが、本来はこの言葉も目上の人に対して使われていたとか。そして、それが時間と共に薄れていき、立場が下になってしまった言葉を、「敬意逓減の法則」と言うのだとか。これって法則なっていたのか~、と膝から崩れ落ちてしまいました(涙)。そして、国字についてですが、この国字が案外、漢字発祥の中国に逆輸入されているという話。それ自体は、ちょこちょこ小耳には挟んでいたのですが、この数が思った以上に多いみたい。しかも、その逆輸入された字が今では中国の辞書に載っているとか。例えば「畑」。中国の辞書では、「日本人の姓に用いる」。読み方は「田」と同じ。と書かれているようです。そして、驚いたのが「働」。これも国字ですが、これは中国ばかりか韓国にも逆輸入。で、日常的に今や使われているのだそう。さらにびっくり仰天は、引用します(p123)。現在中国で使われている社会科学用語の70%近くはこの和製漢語と言われている。国名の「中華人民共和国」の「人民」も「共和国」も和製漢語だとか!!そうそう、まだまだ漢字が中国から輸入されている奈良時代。長屋王邸宅跡から「鰯」という字が刻まれた木簡も発掘されているようで、漢字を輸入しながら、すでに国字も日本では増産していたという事実。恐るべし日本人。好き放題やっているように見えますが、それが1500年以上日本の文字としてそのまま受け継がれているというのは、ロマンがあります。わずか150ページ余りのコミックエッセイ漫画に、ここまで打ちのめされたことはありましょうか。ということで、本を読めば読むほど、自分の無知度が顕わになる1冊がまた増えてしまったのでありました。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月13日
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久しぶりに3連休。無理矢理休みを頂きました(爆)。というわけで、今年初の図書館。そんな時にまず目に付くのは癒し系。で、思わずこんな本を借りてみました『ねこりん&ねこたん』。完全カラーのエッセイ漫画ですが、雰囲気はかつて刊行されていた雑誌「小学○年生」とかさらに低年齢の「めばえ」とか「幼稚園」という雑誌に連載されていそうな漫画です。でも、ここまでくると完全に癒されて、ぼ~~っとしながら眺めることができます。なにせ、タイトルが「ねこりん」に「ねこたん」ですから。何書いてあっても許せますよね~。それにしても、このイラストはどこかで見たような気配が……と思っていると、ファンシーグッズのねこちゃんたちでした。著者はかつてサンエックスという会社に所属しており、そこでこのねこりん達を生み出し、本より先にグッズとして市場に出て、それが本にという過程を歩んでいます。こちらの会社で生まれた代表作としては「リラックマ」がありますが、こちらも確かに本になっていますね。そのような類の本というわけです。が、自分自身、どんなものでも癒されたらOK。ただ、このような本の場合、純粋に癒される人と、馬鹿馬鹿しくて、ケッっと思って終了してしまう人といらっしゃいますので、手にするかしないかは自分自身の趣向にまずはお問い合わせの上、ページを開いてくださいませ。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月12日
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タイトルがどうしても以前から気になり読む機会をうかがっていました『さようなら、ドラえもん』。すっきりしました。結論を先に伝えると、のび太は弱い子だけど、一つの強い武器(ドラえもん)を持っている。それはみんなにとって魅力的なものであるかもしれないけれど、のび太が自分で苦労して手に入れたものではない。苦労しないで手に入れたものや、人から恵んでもらったものに頼ってはいけない。ということで、「さようなら、ドラえもん」というタイトルになっておりました。最後の部分だけを切り取ってここに書いてしまうと、すごく浅いもののように思われてしまうのですが、実際は「哲学」とはなんぞや?というところから始まり、哲学の中でもカントの考え方を授業方式(まさにサンデル教授)で構成されたもので、カントを知る上ではとてもまとまっていたのではないかと思いました。私自身、カントの哲学は大学時代に「教育史」でチラッとふれただけで、そんなに知っているわけではなかったので(なので、前述の「思いました」になるのですが)、カントの考え方の根本が「真理」は普遍的ということと、「道徳的に」というところに落としどころがあったということは、本書で初めて知ったことでした。しかも「道徳的」というのがどういうものなのか、あくまでもカントの考え方ですが、それは私が知っている学校で学ぶ「道徳」とは一線を画していて、その違いについて多面的な角度からこれは記されています。多面的というのは、講義形式の5つの授業からということになるのですが。章立てはこのような感じ。第1章 なぜ、死んではいけないの?第2章 なぜ、ウソをついてはいけないの?第3章 なぜ、人に親切にしなければならないの?第4章 なぜ、勉強しなければならないの?第5章 なんのために、生きてるの?その中の第5章はドキっとしました。「何のために生きているのか」、じつはだれにもわからない。でも、みんなわかったつもりになって、いや、それを考えないようにして生きているんだ。(p136)自殺しないで、投げやりにもならないで、「自己ぎまん」にもおちいらないで、しかも生き生きと生きられる道はないのだろうか?ぼくお考えでは、一つだけあるんだ。それは、「そういうことの全体を考えるために生きる」という道だよ。(p136~137)何にって、これって「アンパンマン」のオープニングの歌詞ですよね。アンパンマンのこのオープニングがそもそも、生きていく本質をついているということは、さまざまな記事を目にして知ってはいたことだったのですが、もしやこのカントの考え方が根源になっているのか?と納得してしまうほどでした。おそらく、やなせたかしさんはカントに傾倒していたとは全く思いません。あの戦争をくぐりぬけ、そして今に至るまでの経験値であの歌を作ったのだと思うのですが、それにしても、どんぴしゃり。そもそも人の根源なんて、2000年も3000年も前から考えられてきたものなので、目新しいことはないと言ってしまえばそれまでなのですが、それでも、まさか「ドラえもん」に出会う予定が、「アンパンマン」に出会ってしまうなんて。ちょっと本書を読んであらためて「アンパンマン」を読むと違った世界が浮かんでくるのではないかと思ってしまいました。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月11日
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「工学部ヒラノ教授」のシリーズは本当に面白いです。今回読んだのはヒラノ教授と関わった秘書さん達のお話『工学部ヒラノ教授と4人の秘書たち』。大学教授には公費なり私費なりで秘書がつくらしいのですが、この「秘書」、肩書きはカッコいいですが、思った以上に待遇は悪いということが作者から暴露されています。正規に公務員扱いの秘書というのもいるらしいのですが、多くが時給生活(しかも、最高でも1000円)。しかも、国立大学の秘書に関わる規定があり(文科省が定めた)、週に20時間以上働いてはいけないということで(1日8時間、週5日働くと雇用保険から、退職金からもろもろ出さなくてはならないから。これって私が今自治体の嘱託職員として働いているのとまさに同じ)、秘書さん以上に教授達が四苦八苦している姿が赤裸々に綴られています。雇用を増やせとか、待遇を良くしろとか国が言っているわりには、規定を作っているのはお上であり、もうパラドクスだらけ。私は大学の教授でも秘書でもありませんが、行政の世界も腹黒よのぉ~、ふぉっふぉっふぉっと笑わずにはいられませんでした。そうそう、日本とアメリカの大学における秘書の条件というのが書かれてありまして、これがまた面白い。【日本の場合】1.口が固いこと。2.身持ちがいいこと。3.頭がいいこと。【アメリカの場合】1.口が固いこと。2.頭が切れること。3.タイプが上手なこと。「身持ちがいい」と言う条件が両国の思考を顕著に表しているなぁととても納得してしまいました。アメリカの場合、エリート校の秘書になること=パートナー探しというところがあるため、「身持ち」うんぬんなんて言っていられないそうです。ともかく、仕事ができれば、プライベートにまで干渉しないといったところでしょうか。それに対して日本は……、おそらく私が想像するに、本来なら干渉しなくてもいいところなのでありましょうが、お国柄、学校と言う場で個人の不祥事が起こると、たいていの場合は学校側が会見を行ったり、メディア攻撃にあったりします。それがめんどくさいんでしょうね。日本の大学現場でも、犯罪さえ起こさず、頭脳明晰で仕事をこなしてくれれば、秘書が何人ものパートナーや恋人を持っていても感知せずでいきたいところなのだと思います。また、本書は、東工大を退官した後の中央大学での10年間についても書かれています。国立と私立の違いや、教授でありながら、研究よりもお金の算段の毎日が綴られ、はては、パートナーが難病のため、その介護のあれこれまで書かれています。これ1冊だけ読んだら、大学教授はお金の話しかしていないのではと感じます。研究にはお金がつきものですが、これだけの事務的雑務が多いと、本来の研究に手をつけることができず本末転倒かと。事務官もいますが、どうもこのあたり、教授たちと合いまみれないところがあるようで、一般的に教授(とその秘書)が雑務をこなしているようです。初等、中等教育の先生方が子ども達の教育、指導以上にペーパーの処理に時間をとられているという現実がありますが、高等教育においてもそれは全く同じようです。そういえば、かつて名古屋大学の教授で、作家の森博嗣氏もそれがいやで、早期退職され、作家活動をフェードアウトしながら、組織外で自身の研究を現在されているようですが、本書を読んでいたら、嫌になるだろうなというのがよく分かります。この辺り、何とかならないのかと常々思っているのですが、ますますこれを読んで唖然とするのでありました。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月10日
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ついでなので、今日も本日の1冊『ちいさな死神くん』。これはまさに西洋的発想の絵本です。日本の作家さんでは、なかなかここまで「死神」という概念を絵本として簡潔に分かりやすく表現することは難しいのではないでしょうか。そもそも、「死神」というのが、西洋的です。日本の場合、人が亡くなるときは「死神」がやってくるというよりは、自分がふと体から精神が分離され、三途の河に自らいくというのが相場になっていますので、日本の場合得意分野は、閻魔大王ということになるのかもしれません。この作品は、まさに死にゆく人とこの「ちいさな死神くん」とのかかわりを描いています。しかし、死にゆく人にとって「死神」くんがかわいい顔をしていても、決してかかわりたくないものです。死神くんはなぜ自分がそのように扱われるのか分かりません。そこで少女と出会います。この少女は、死神くんにあえたことを喜んでいます。そこに彼女の現状というのが行間から漂ってきます。そこがまた、上手い!!!!!!!裏を返せば、この死神くんの役割は「ホスピス」と言っても過言ではないでしょう。そして、少女は旅立ちます。今度は死神くんが彼女を失ったことで、空虚感を残してしまいます。が、再び彼女は死神くんの前に現れます、天使として。もうね、これはまさに西洋の宗教観を存分に表した作品です。でも、表紙の絵を見てもらったわかると思うのですが、子どもでも受け入れられるかわいい絵です。そこに宗教観は微塵も感じさせません。ブラボーとしかいいようがありません。もちろん、このような読み方をするのは大人だけで十分。小さな子は、これを死神くんの初恋物語くらいに感じればいいんです。ただ、ここまで解釈させてしまうこの作品は、手元においておきたくなりますね。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月09日
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本年初の図書勤務。ここ最近、注目の絵本作家さんがtuperatupera。「ツペラツペラ」と読みます。ふざけたような名前(いや、決してふざけているとは思いませんが)ですが、こちらは、亀山達矢さんと中川敦子さんのユニット名です。(絵本ファンならご存知の方も多いかと思われますが、記しておきました)その中でも1年半前に刊行された『しろくまのパンツ』は一押しです。現在でも本屋さんの絵本コーナーにいくと平積みにされていることが多く、目にしたことがあるかたもいらっしゃるのではないかと思います。これはしかけ絵本ですが、「しかけ絵本」として装丁にもこだわりがあります。こちら、ケース入りです。しかも中途半端な(笑)。赤いパンツがまさにそれなのですが、ここには注意書きとして、「パンツをぬがしてからおよみください」とまで書かれています。タイトルとパンツケースをリンクさせているだけでなく、ケースを外すのではなく「ぬがせる」あたり、子どもも大人も発達に合った妄想を駆り立てられます。これだけでも、すでに私は一押し!!!!!ただし、自宅でならともかく、図書館など、公共の場所でのこのケースの取り扱いにはかなり苦慮するものと思われます。この本のスタートはぬがすところから始まるのに、公共の場での蔵書としてケースとともに貸出しなどを行うのは難しいからです。私自身も自治体で図書関係の仕事をしており、この本は入手。もちろん、苦慮したのですが、私の場合、ケースとしてそのままというわけにはいきませんが、なんとかこの本の良さの雰囲気は残したいと思い、ページをめくる側の部分を裁断。他はそのまま表紙にパンツをはかせ、その上からブッカーを無理やり張りました。「ぬがす」ことはできませんが、赤いパンツをはいたしろくまさんが表紙にそのまま残りました。でも、ケースが分厚いので、ちょっとページを開いたとき、背から裏表紙にかけて異様な盛り上がりができてしまいました。まぁ、そこら辺りはご愛嬌。冒頭のしろくまくんはユニークです。困っているしろくまくんに、ねずみさんが心配して、「どうしたの?」と声をかけます。すると、しろくまくん、「パンツがなくなっちゃった」というではありませんか。さらにねずみさんは「どんなパンツはいてたの?」と尋ねると、「わすれちゃった……」と言い放ちます。おそるべし、しろくまくん。でも、これが2、3歳の子どもだと想定すれば、ありえない話ではないですよね。おそらく、この人気はそこにあるものと思われます。そして、それを馬鹿にせずに、「きっとみつかるよ」と親身になって一緒に探すねずみさん。こんな心強い味方はありません。安心感がありますよね。ここから先はしかけ絵本の王道をいきます。楽しむだけで、OKの世界。そして、最後はどうなったのか、これも意外性があります。tuperatuperaは、絵本だけでなく、イラストレーションや立体作品なども手がけていますので、色彩感覚がとても豊かです。意外性という意味ではそちらの方が大きな割合を占めました。ちょっとこれからもこの二人には注目していきたいです。なんだか、これ以上のしかけ絵本を編み出してくれそう!にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年01月08日
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お正月に書店に行ったところ、出版取次店のTOHANが作成したリーフレットが置かれていました。それが、「ミリオンぶっく2013年度版」。裏表紙によりますと、この「ミリオンぶっく」を作成し始めて7年目になるようです。ミリオンと冠が付いてますので、刊行されて100万冊以上となった絵本がこちらでは掲載されているというわけです。栄えある発行部数第1位は『いないいないばあ』。私も持っています。こちらが出版されたのは、1967年。実は私のよりもこの本は年上なのですが、2013年8月時点で528万部発行されています。45年かけての偉業。第2位は更に有名な『ぐりとぐら』。こちらは453万部で、刊行年も同じ1967年。正確にはこちらは『いないいないばあ』より3ヶ月早く出版されていますので、あきらかに一人勝ちということになります。『いないいないばあ』についてはこのような言葉が綴られています。67年当時、本格的な乳児絵本は日本にありませんでした。「あかちゃんにわかるわけがない」と考えられていたのです。が、松谷みよ子さんは自身の子育ての中で「あかちゃんにも絵本がわかる。その絵本こそ、美しい日本語と最高の絵でなければ」と確信し、この絵本をつくったのです。すごいわ~。ちなみに、このリーフレットによるといちばん古い刊行年で掲載されているのが、1954年4月に邦訳され出版した『ちいさいおうち』。114万部です。ちなみに、直近で刊行されたものでミリオンになったものは、1999年に刊行された『そらまめくんのベッド』。ミリオンになるのに、10年以上はかかるんですね。リーフレットに掲載されているミリオン絵本は全部で95冊。おそらく、これが全てかなぁと思います。来年度はまたミリオン入りしている絵本があるのでしょうか。とっても楽しみ。皆さんも書店に行ったら、このリーフレット、フリーで書棚に積まれていると思いますので、是非手にしてみてください。今まで知らなかった私は書店の何を見ていたのか……。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月07日
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私が尊敬する書評家のひとりトヨザキ社長の『ガタスタ屋の矜持(場外乱闘篇)』を猛烈な勢いで読ませていただきました。相変わらず素晴らしい。まず書評家の人の多くが、海外文学もがつがつと読んでいるところが私には真似できません。私の弱点ですね、海外文学に弱いというのは。まぁ何よりも、書き出しから一気に魅了させられ、ドンドン本の世界にのめりこませてくれます。だから、あえてマイナスと言えば、書評を読んだだけで、もうその1冊を読んだ気にさせてくれるというところでしょうか。これだけ、書評でお腹いっぱいになったら、その掲載本を読まなくてもいいんじゃないかと思うわけです。さらに、書評家というお仕事はその本についてだけ書けばいいものではありません。そこに関連するトピックスも絡めて論じるわけですから、様々な知識を要します。それも半端じゃないんです。でも、トヨザキ社長の素晴らしい点はそこではなく、批判するところはきっちりと、はっきりとダメ~と書ききってしまうところでしょうか。もちろん、本の感想なんて主観的なものなので、それが正しいとか間違っているとかというものではありません。トヨザキ社長としては納得できないというだけのことなのだと思います。今回も幾つか掲載されていましたが、爆笑させてもらったのは、本書で唯一取り上げられた「第百四十二回芥川賞」について(他はきちっとした本の批評です)。こんな書き出しから始まります。十一年ぶりに受賞作なし。第百四十二回芥川賞は、そんんあ盛り下がることはなはだしい結界に終わってしまったわけですが、輝かしい日本文学会の選ばれし者たる選考委員の皆さんが下した結論ですから、一介のくすんだ三文ライターが異を唱えたtころで、しょせん「弱い犬ほどよく吠える」的な卑小な光景しか生み出しません。そんなこたあ、重々承知しています。が、しかし、それでもなお、千行員代表の池澤夏樹氏の講評だけには「ちがう!」と反論したいんですの。池澤夏樹氏の講評に上がった作品と言うのが、松尾スズキさんの『老人賭博』。最後にこのようにトヨザキ社長は〆ています。池澤夏樹ほどの読み巧舎が、なんで!?というわけで、不肖トヨザキが次回、松尾作品の”正しい読み方”を芥川選考委員のセンセイ方に伝授いたします。首を洗って待たれよ。……待ってませんか、そうですか。しょぼん。(p208、209)そして、この落とし前を次に書いているわけですが、なんでしょ。批判しながらも愛があり、おそらく誰も傷つかない書き方。そして、なぜか笑いをさそう。これぞ、批評と言うものを書くに値する才能と言っても過言ではないでしょうか。そうなると、私がこうしてここで綴っているのなんて、お子ちゃまの戯言であることは重々承知。自分だけでワアワア騒いでいるのがわかります。学ぶことは「真似ぶ」から来た言葉ですので、トヨザキ社長を真似てみればいいのですが、人柄もあるでしょう。実績が物を言うのかもしれません。そこが欠如している私には真似ぶことすらできない状況であります。というわけで、何が言いたいのか。私の「つれづれ」読んでいるよりはトヨザキ社長のこのブックガイドを読んでいるほうが、早く詩文自身読みたい本に出会うでしょうということです、はい。にほんブログ村(↑ポチッと押していただけれたら嬉しいです)
2014年01月06日
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科学絵本の中でも、数学や化学、物理学の分野においては、日本国内の作品よりも海外の作品の方が秀逸なものが多いと感じます。その一つが『100万ってどれくらい?』。国内のものと比較してどこが優れているのかというと、「数学」とか「化学」「物理学」という枠を上手く外して純粋な読み物として楽しめるというところです。どうしても、それらの部分が目に付いてしまうと、読めば面白いはずなのに、まず子ども達は倦厭してしまいます。この作品は100万に限らず大きな数の概念をとらえるというのが目的のものとなっています。最初のフレーズはここから。もしも、100万人の子どもが、おたがいのかたにのって、人間やぐらを組んだとしたら……。このように聞かれたら、数の概念を知るという目的を知っていたって気になるではありませんか。もしも、100万びきの金魚が入る金魚ばちがあったとしたら……。で、この回答がまたユニーク。その金魚ばちは、クジラが入るくらい大きなものになるんだよ。私としては衝撃的だったのは、もしも、、1、2、3、……と100万まで休まずにかぞえたら……。およそ23日くらいかかるんだ。これに関しては、概算で計算してこの答えを出していることがあとがきより分かるのですが、(このあとがきも小学生でも分かるような書き方になっています)、大きな数を「数えてみる」という表現に魅かれます。そして、これは100万だけにとどまりません。10憶でも、1兆でも繰り返されます。1兆なんて、休まずに数えたらどれだけの時間を費やすか気になりませんか?繰り返すと言う手法は昔話の王道。それをたくみに取り入れながら、回答は今の生活に接し、想像しやすいものになっていて、かつとても明るい色彩の画。シリーズとしてがあります。是非手にとってご覧下さい。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月05日
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広いぞヨーロッパを痛感しました『ヤマザキマリのリスボン日記 』。イギリス、ドイツ、フランスというのがヨーロッパの全土を占めるようなイメージを私は持ってしまうのですが、リスボン(ポルトガル)となるとまた違った顔がてんこ盛り。あぁ、著者は「テルマエ」のヤマザキマリさんです。まだ、本書は「テルマエ」に取り掛かる以前の話ですので、「テルマエ」onlyに特化されるものでありませんので、あしからず。もう、彼女がポルトガルに住んでくれてよかったというくらい、ヨーロッパのイメージが覆されます。ひとえに、ポルトガルが変わった国というよりは、たまたま彼女を取り巻く環境が奇異だというに過ぎないのですが、1日に何回も義母が息子(つまり、著者のパートナー)に電話をしてくる話とか、正月には豚の半身が台所にあり、そこからソーセージを作るとか。そうそう、ポルトガルに限ったことではないようですが、ローマ法王の動向をテレビで常に流されているようです。日本ではコンクラーベの時位しかあまりメディア露出はありませんが、さすがカトリックの総本山。日本に重ね合わせると皇室をおっかけるようなものかしら?しかし、ヨーロッパって王国が多いので、それと同じ土俵に上げてはいけない神の国???私個人としてはローマ法王よりもバチカンという国にすごく興味深々なのですが、日本ではなかなかお目にかかることはできません。なので、ダン・ブラウンの作品に飛びついてしまうんですね。そして、やはり海外から見た日本というのも記されています。それは著者から見たというよりは、著者の友人の発言を掲載しているわけですが、衝撃の2点をここに引用。このあいだうちに来たポルトガルの若者に、「に本ってどんなイメージ」って聞いてみたところ、こういう答えが返ってきました。「満員電車に乗ると無口なサラリーマンが女性のおしりを触る」「女性はお金がなくあんったら、はいていたパンツを売ればいい金になる」信じられませんが、ヨーロッパでは痴漢は存在しないそうです。というより、もしこっちの女性にそんなことしたらキルビル状態で殺されること間違いなしで、首を締め上げられ、乗り物の外へ引きずりだされ暴行を加えられたあと、裁判で莫大な慰謝料を払わされるそうです。日本女性は耐えるから、痴漢もありなんだなと思いました。パンツの件では、「どうしてそんなものを買う人がいるのだ」と聞かれましたが、返答に窮しました。っていうか、いいんだろうか、この程度の認識で……(p43、44)このイメージは案外根深いですね。実際そうですから否定できませんが。サブカルなどの文化発祥の聖地とすら言われている日本ですが、このようなイメージも持たれているということですね。本当に「どうしてそんなものを買う人がいる」のでしょうか。私も知りたい。が、衝撃はこっちの方がもっと強いです。まずは日付を確認しましょう。2007.1.16の著者のブログです。前から不思議に思っていたことがあります。機能、旦那がBBCのニュースを見て、「に本のフクイってとこにある原発で事故が起きたって出てるよ!?放射能を含んだ液がスプラッシュして作業員4人にかかったらしい!!」でも私が日本のサイトで探しても、どこにもそんな事件の見出しは見当たりません。そういえば、前にもこの「日本の原発トラブル」に関しての記事がBBCに出てたけど、日本の新聞の見出しには見当たらなかったので、「ってことはさ、たいしたことないんじゃない」と思って済ましてしまったことがありました。あんまりたいしたことない、っていう気分じゃなくなってきました。なぜ日本の新聞には出てこないのでしょう。調べてみたら、東京新聞にだけ出ていました。外国にいたほうが日本のそういうヤバイ情報がよくわかるときがあります。(p202、203)東日本大震災の4年前の話です。ドイツに住む友人があの時も海外メディアは日本のそれよりもはるかに多くの原発に関する情報を流していると教えてくれました。だから、これ読んでも衝撃というよりは、あぁ、って感じでしょうか。ますます、東日本大震災で起きた福島の状況はこの時に始まったことではないということが再認識されます。原発に関してはチェルノブイリの一件があるので、ヨーロッパではかなり敏感になっていると友人から教えてもらっています。ヨーロッパは陸続きですから、隣国の火事は対岸の火事ではなく、直巻き込まれるものであるのだと思います。海の孤島化している日本、情報統制するくらいなら、鎖国しましょう。と思わず思ってしまうのでした。さて、今日は仕事始め。本年もがんばりましょう!にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月04日
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私らしく年をまたいで読んでいたのは内田センセーの『街場の文体論』。内田センセーが大学に勤務されていた時の最後の授業を再録したもの。講義が本にまとめられた場合、たいてい大幅に改訂され、講義したことの内容がほとんど変わっているそうですが、今回は60%くらいそのまま残っているとか(笑)。それくらいこの授業では憑依したように語ったそうです。本書でも、開眼するべき箇所がありました。まず第1章。どのように文章を書いていくかという話なのですが、そもそも日本の教育(文章を書くという)は、幾ら点を取れるか、ということに主軸を置いていて、相手あったの文章と言うのが欠落しているということ力説しておりました。「こんくらい書いたのだから、○点くらいはくれるよね」というメッセージが文章の中にありすぎると。読み手に敬意がないとまでおっしゃってます。現在高校入試に必要な小論文の講座をかかえている私としては、これらの箇所はありがたい助言です。かろうじて、内田センセーがご指摘されているような指導法はしていないと思っていますが、それでも「敬意」というのは肝に銘じておかなければなりません。小論文の講座は7名が受講しているのですが(最初の基本的なことは一斉授業で行い、あとは個別対応)、もうね、自分のことを相手に伝えようとする気持ちが空回り(笑)。謙遜しすぎて、「自分は勉強がまったくできないので」と書いたり、逆に「全国大会に行くこと」そのものだけが目的が学校を選んだという内容だったり。後、1ヶ月半あるので、どのように自分をアピールしながら、「敬意」を示せる文章を書いていくか上手く助言できたらと思います。そして、次に魅かれたのが、「エクリチュール」という概念。第7章に書かれているのですが、こちらはロラン・バルトの概念を提示して話しています。少々長いのですが、引用します。バルトは言語を三つの層に分けてとらえようとしました。「ラング(langue)」「スティル(style)」そしてエクリチュールです。ラングは英語のlanguage。日本語とか英語とかフランス語とか、人間はある言語を共有する手段に生れ落ちます。そのとき親や周囲の人々が話している言語が「母語」です。それがラングです。「国語」と言ってもいいんですけど、「国民国家」という政治概念はウェストファリア条約前には遡りませんし、国民国家を形成してはいないが、周囲と異なる言語共同体を形成している集団の言語もありますから、ここでは「ラング」で通したいと思います。ラングについて言えること。それは、僕達はラングを選ぶことができないということです。生まれたときに両親がしゃべていた言語ですからこちらに選択の自由はありません。人間は「母語の中に投じられる」という詩かで生まれてくる。ラングには手出しができません。~中略~もう一つは「スティル」。辞書的な訳語は「文体」なんですが、日本語で言うところの「文体」とはずいぶんニュアンスが違います。むしろ「語感」でyそうか。言葉に対する個人的な好悪の感覚のことです。個人的なものです。~中略~エクリチュールは日本語という大きな枠の中に散在している局所的に形成された方便のようなものです。「方言」というのは生まれ育った地域の言語ですから、ラングに分類される。でも、社会的に形成された方言は職業やライススタイルを選択したときに同時についてくる。そのかぎりでは選択することができる。大阪の町のおばちゃんの離し方、「やんきい」中学生の話し方、 ~中略~ いろいろんあ種類があって、僕たちはそれらのsy回言語のどれかを選択する自由がある。ラングやスティルには選択の自由がないけれど、エクリチュールには、ある。(p118~121)で、ここから、日本におけるエクリチュールは「やくざ」や「おばさん」など、ある意味水平の位置で多様化しているが、ヨーロッパにおけるそれは、上下に階層化しているという話につながります。そして、ヨーロッパで使われている言葉「文化資本」。文化資本と言う言葉は、日本では「教養」として使われ、そこには政治的な力はを感じないが、ヨーロッパではそこには、日本でイメージする「教養」にプラス、「お金」「人脈」も含まれると言及しています。ここから日本とヨーロッパの違いが語られているわけですが、ちょっとここで一歩踏みとどまった私がいます。ここ数年「情報化社会」に拍車がかかり「情報格差」という言葉まで出てきています。果たしてその部分において日本とヨーロッパを分けて考えていいのか?確かに、ヨーロッパほど早い時期に学校の選択があり、職業の区分が幼いときに決定されるわけではありません。しかし、その後にも内田センセーは書かれています。ヨーロッパの場合相手に説明する時に「分かりやすい」と言うことは、話しては「簡単なことしかいえない」ということで低く評価されるそうです。つまり、専門家が分かるように話せば他の階級の人が分からなくても問題ないという解釈のようです。日本では逆に「分かりやすい」は誰でも対等に理解できるということで評価されているというのです。それは確かにそうです。分かりやすく説明する人が卑下されるような社会ではありません。が、果たして本当に分かりやすく話しているのか?いや、話してではなくて、聞き手にも課題があり、幾ら噛み砕いても伝わらないという場面に私は幾つも出会っています。私の説明が下手ということは確かにあるのですが、それ以外のところにも理由があるような気がします。その点において、ヨーロッパは目に見える階級社会ですが、日本は目に見えない階級社会になりつつあるように感じ、そちらの方が怖いような気もするのです。この章では、このように内田センセーは締めています。知的な階層差をつくりたくない。そういう社会的な要請が「レベルの高い学術情報を摂取したい」という要求と同じくらいにつよい。日本は知的に非階層的な社会であってほしいと願っている人が少なからず存在する。これはフランスでは感じられない傾向だと僕は思います。僕自身、社会はできるだけ高い流動性を維持するべきだと思っています。エクリチュールというのは、本質的には集団を固定し、流動させないための装置です。それをできるかぎり自由で、流動的で、生成的なものであってほしいということで僕はこの授業をしているわけです。困難な課題であることはよくわかっています。でも、それを追求することに僕はどうしてもこだわりたいんです。流動的な、行き来とした、自由なエクリチュールに可能性はあるのか。この問いは来週も続きます。(p140)微妙に日本も変わってきているということを示唆している文章です。後の章もこのエクリチュールについて語られているのですが、言葉の「縛り」というのは、「文化」として根付いてしまった場合、かなり深いところにもぐりこんでしまいますので、この課題は普遍的な課題に変換されることは間違いないのではないかと思います。もちろん、意識しなければ通り過ぎるだけの課題でもあるのですが。この辺りも小論文を書かせる私としては一つのキーワードになるような気がします。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年01月03日
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新年最初の本は『たまごボーロのように』。こちらは、新春第1段として木下明美氏内HP「KIMURAの読書ノート」に掲載していただきました。(京都で着物暮らしpart2 → 2014年1月1日の記事)私としては、2014年幕開けにふさわしい1冊となったなと自負しております。ちょっとほろ苦いエッセイですが、10代の方は純粋に楽しんで、それ以上の方は懐かしく読んでもらえたらと思います。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです。ご祝儀ということで)
2014年01月02日
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