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イズ 1389 @ Re:暁のヨナシリーズ、完結です!…外伝4『王の風』速報感想。(07/03) ヨナ終わってしまいましたね。とても満足…
2026.04.25
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赤毛のアンシリーズの中でも、 『アンの愛情』が モンゴメリさんの作家性大爆発! な感じで大好きです。
思う所あり、今作だけは村岡訳の他に、後続の翻訳家様たちの本も集めてみました。




とりあえず集められたものを並べてみました。壮観です!


◆翻訳本を比較したくなった理由

え~… 昨年、NHKアニメ『アン・シャーリー』放送開始に備え、赤毛のアンシリーズを完読し、すっかり大ファンになりました。
色んな翻訳があるのは何となく知っていたのですが、一番オーソドックスな 村岡花子さん訳 で読みました。(元々姉が学生の頃に購入した新潮文庫本が、数冊家にあったからです)

村岡訳は 「思わず声に出して読みたくなる日本語」 というか、美しくテンポの良い言い回しが非常に魅力的。特に重要シーンでは、原作(英文)の歯切れの良さ&テンションまで見事に日本語で再現されていると感じます。
特にこの『アンの愛情』のクライマックス:『黙示録』の章における、アンちゃんの独白場面の文体の勢いは凄まじく…!正直(コレ、この訳以外で読むと全然ニュアンスが変わっちゃうのでは?)という印象は受けていました。

普通は誰が翻訳したとしても、英語の原文が同じであれば同じお話筋になります ―普通は。
ただ、この『アンの愛情』に関しては、 村岡訳と後続の方の訳とでは、描いてるものが違ってるんじゃないかな~ …と。他の方の感想をちょっと見かけた際に感じることがありまして、気になって仕方なくなり…こうなりましたw


<村岡訳から、私たちは『アンの愛情』の大筋を下記のように読みました。>
本作は 「何が何でも結婚したい男」vs「是が非でも逃げきりたい女」の、命がけの壮絶なラブバトル(殺し合いレべル) である。

とにかく結婚したくてゴリゴリ来るギルバートを、アンちゃんが怖がって怖がって×10、ひたすら逃げまくってこっぴどく振って…それでもなおギルバートの存在が怖くて、彼の結婚願望を完膚なきまでに打ち砕こう&周囲にも「友達」と認識してもらおうと、主人公としては禁忌の技(読者に嫌われる)である「他の男とイイ感じ」アピール攻撃まで繰り出して、終いにはガチでギルバートを殺しかけるところまで追いつめてしまった…
『黙示録』の章でのアンちゃんの独白は、「一番大事にするべき人を拒絶することしか出来ないまま終末を迎えた、哀れな女の断末魔」ともいえる。しかし幸運にもギルバートは一命をとりとめ、彼女はこの「大後悔の念」を「人生の命題(この先を生きる指針)」に転じる事が出来た ―という話筋。

読み終わった後、 何でアンちゃんはこんなにギルバートの事が怖かったのかな… と考えました。
アヴォンリーの近しい人々、そして何より養母マリラが “ギルバートと一緒になって欲しい” と強く望んでいる事を重々承知していながら、どうしても、ど~しても “ギルバートと一緒になる未来” を想い描くことが出来なかったアンちゃん…
ーああ彼女は「家庭を築くこと」がどうしても想像出来なくて恐いんだな、「結婚のその先」が地雷・トラウマなんだな、 と思い至りました。彼女の生い立ち(※)を考えれば、そりゃそうだよな、と。
※両親の顛末は詳細までは明言されてないが、おそらく母親がアンちゃん出産後3カ月…体力が回復し切らない段階で熱病で重症化してしまい、必死に看病してた父親も道連れのような形で2人とも亡くなったと考えられる。出産と両親の悲劇との因果関係ははっきりとは言えないにしても、少なくとも両親は“幸せな家庭を築く”プロセスの初期段階…第一子出産直後に突如予期せぬ終わりを迎えてしまっており、独り残されたアンちゃんは両親の記憶を一切持ち合わせておらず、幼少期に“幸せな家庭”を享受できなかった。

そう考えると、求婚者たちに対する酷すぎる振り方も納得できるというか…ギルバートのみならず、親しい友達や理想の王子様でさえも、求婚してきた瞬間に “拒絶すべき敵” になっちゃってたんだろうな、と。

ここまで考えて腑に落ちたので、私たちはそういった感想(⇒ アンの愛情 村岡花子訳 )を書いて、スッキリしていました。

ただ… のちのち周りを見渡してみたら、 上記のように解釈してる方ってあんまり居ない?のかな? と。
結構一般的には 「理想の恋愛を夢見すぎて、ギルバートを振った ⇒ 理想の王子様出現も好きになりきれず、最終的にギルバートを選んだ」って筋道だと思われてるのかな…? と、正直すごく驚きまして。

ーだって少なくとも、 村岡花子さんの訳では「ギルバートの事が怖くて怖くて逃げて逃げて…」って描き方になってる んですよ。
「あたし、好きなことにかけては世界じゅうのだれよりもあなたがいちばんなのよ、ギルバート。あたしたち、お友達のままでいなければいけないわ、ギルバート」
ギルバートの求婚(1回目)を拒絶するこの悲痛な台詞は、「お前は理想の王子様じゃないから」なんて振り文句じゃないですよね!? と。

ロイ・ガードナーも、異常なまでに“没個性的・物語の中の王子様みたいな人”という、明らかに機能だけのキャラとして、あえて雑な描かれ方をしていて…
なによりアンちゃん自身が、ロイと交流しつつも、その実ずっとギルバートの方を牽制している。
ーいやコレ 恋愛モノとしての「当て馬」 でもあるけど、 「自分とギルバートは一緒になる運命じゃない」と言いたいがための “後付けの理由”  というか、 夢物語への逃避 というか… もはや「対ギルバート用の盾」扱い ですよね、と。


村岡花子さんは、基本的には原作に依拠した形で各章題を訳される方なのですが、後半の重要な下記2つの章には独自の題名を当て込み、 “表題である『アンの愛情』の答え ともいうべき定義づけを行っています。
・第三十八章  偽装した愛情  …ロイとの関係性の帰結
・第四十一章  真実の愛  …ギルバートとの関係性の帰結
このふたつ、対義語になっているようで、全くなっていないんです。

“真実” の対義語は “虚偽(偽り)” です。第三十八章が “偽りの愛” だったら、「そうだと思ってたけど真実の愛じゃなかった/誤った愛情だった」という、分かりやすく対義的なニュアンスになります。

ーでも村岡さんは、ここでわざわざ 「偽装した」という言葉を採用している。

◆「偽装」読み方:ぎそう[名](スル)
1 ある事実をおおい隠すために、他の物事・状況をよそおうこと。「心中に—した殺人」
2 周囲のものと似た色や形にして姿を見分けにくくすること。特に、戦場などで行うもの。カムフラージュ。

アンちゃんが一時自分に言い聞かせていた “ロイへの愛情 は、“カムフラージュ (本心を隠すこと・人目をごまかす行為)  だった と、村岡さんは書いているわけです。

ーでは、 彼女がそこまでしてごまかしたかったもの とは、一体何なのか?
それこそがまさしく 『黙示録』の章で炸裂した独白の全て
なのだと、私は理解しました。


村岡花子さんの↑上記の定義づけ&解釈を、 後続の翻訳家さんたちは踏襲しているのかな?
…この疑問が、今回あらゆる『アンの愛情』をかき集めるに至った経緯です。

そして えー… 結論から言うと、 この解釈を明確に拾い上げている後続の翻訳者さんは、一人も居ませんでした。 驚きました。

ただ… 後続の翻訳者さんたちもまた、村岡さんとは全く異なる 独自の解釈論を展開 されていて… 翻訳ごとに全然解釈&主張が違ってて、すごく面白かったんです‼

やっぱりこの作品の話筋、普通じゃないというか… めっちゃ難解な一作 だと思うんですよね。
アンちゃんは基本的には賢くて、身近にあるささやかな愛や幸せを大事に出来る娘です。それなのに今作では、一番仲が良くて信頼しているギルバートを「理想じゃないから(?)」と振って、ポッと出の無個性な王子といい感じになって婚約直前まで行って、でも手のひら返しで振って…その後1か月足らずで「ギルバートなしではなにも価値はない。あたしはギルバートのものであり、ギルバートはあたしのものなのだ!」と叫んでいる。そしてその気持ちの変遷については具体的な説明や振り返りがなされぬまま、ギルバートとのハッピーエンドを迎えるわけで。

物語筋を通す上で、翻訳家様たちが明らかに苦労されているのが見える というか…「この物語はこーゆー筋だろう」という独自解釈を、各々がなされている印象を受けました。



私の独断で 「物語解釈のポイントだな」と感じた部分をいくつか列挙し、比較 してみることにました。
※ちなみに今回比較対象にしたのは 「完訳・およびほぼ完訳版」 のものとなります。

◆比較する文面について


●ルーシー・モード・モンゴメリ(Lucy Maud Montgomery) 原文
『Anne of the Island』1915年 L. C. Page & Co.

<A>
38.False Dawn
40.A Book of Revelation
41.Love Takes Up the Glass of Time
第38章・第40章・第41章(最終章)の章題

<B>
I like you better than anybody else in the world,Gilbert.
And we must―we must go on being friends,Gilbert.”
第20章でアンちゃんがギルバートのプロポーズ(1回目)を断る一節。
ギルバートがあまりに辛い表情をするのに耐えられず、テンパったアンちゃんが思わず口走る本音…「世界じゅうのだれよりも好き」なのに、mustを2回も重ねて「友達のままでいなくてはならない」と強く求婚を拒絶する、おそらく本人も理由を説明できない“支離滅裂さ”のニュアンスが重要なシーンと認識しています。

<C>
the Cooper Prize
4年次末にギルバートが獲得した、成績上位者に与えられる超難関賞。
※直訳すると「クーパー賞」。ちなみにエイヴリー奨学金は “Avery scholarship”…そういった「誰かが必ず貰える奨学金」ではなく、より難易度の高い(5年間該当者なしだったくらいの)特賞であることを強調するため“Prize”が使用されているのだと考えられます。
ただ、文脈的には明らかに「賞金」であることが重要な要素であるため、これを“クーパー賞”と直訳するのか、読者が読む物語としての文脈筋重視の“クーパー奨学金”と訳すのかに、翻訳家さんのスタンスが見えるなぁ~と感じて面白かったので、ピックアップしました。

<D>
There is a book of Revelation in every one's life, as there is in the Bible. Anne read hers that bitter night, as she kept her agonized vigil through the hours of storm and darkness.
She loved Gilbert―had always loved him! She knew that now.
第40章の一節

<E>
″I persist in dreaming it, although it has often seemed to me that it could never come true.
I dream of a home with a hearth-fire in it, a cat and dog, the footsteps of friends-and you!"
第41章 ギルバートのプロポーズ(2回目)の台詞

↑上記を、日本の翻訳家様たちがどう訳されたか、比較してみました。





◆村岡花子『アンの愛情』1955年  新潮社
日本における赤毛のアンシリーズ翻訳の第一人者/全10巻刊行
+2008年には孫の村岡美枝さんにより補訳が加えられ、現代向けのほぼ完訳版としてリニューアル。また村岡美枝さんは、未発表だった『アンの想い出の日々 上・下』も翻訳・刊行されている。

個人的な所感:
勝手な思い込みですが…後続の翻訳者様たちは、おそらくほとんどが村岡花子さんの日本語訳を読んだ上で翻訳されているはず。そういった意味でも、 「村岡訳=日本における赤毛のアンシリーズのオリジナル」 と言って良いのではないかな、と思ってます。

前述しましたが…村岡訳は、スラスラと英文学を読めてしまうご本人の英語力の高さは言わずもがなですが、「思わず声に出して読みたくなる日本語」というか、美しくテンポの良い言い回しが非常に魅力的です。
村岡花子さんはラジオでも活躍されていた方とのことで、個人的な印象は “海外文学を、分かりやすく情感豊かな抑揚をつけて朗読してくれる 物語の伝道師 というイメージ。唯一無二・奇跡の翻訳家だと思います。

あと個人的な注目ポイントとしては、 「アン⇔ギルバートのカップル間での敬語の多用」 を挙げたいです。
ギルバートは、普段は偉そうな物言いがデフォなんですが…特に「愛情」においてですね。①女神にお伺いを立てるモードの時とか、②自信がなくなってる時とかに、分かりやすく敬語が出ます。ラストのプロポーズ(2回目)シーンでは、ずっと敬語~からの⇒アンちゃんの色好い言葉を聞いた瞬間に敬語が外れる… という一連の描写が、彼の「お調子者&おもしれー男っぷり」を演出しています。逆にアンちゃんは、婚約・結婚後に「旦那を立てる上品な妻」として、ちょくちょく敬語を使う場面が目立ちますね。
使い分けは村岡花子さんのフィーリングによるものなのでしょうが、台詞の語尾の印象はキャラクターイメージに直結する重要な要素です。村岡訳から入ったので、私は自然と「アン&ギルバートは、お互いをすごく尊重し合う夫婦なんだな」という認識になりました。

<A>
第三十八章 偽装した愛情
第四十章 『黙 示 録』
第四十一章 真実の愛

<B>
 あたしたち、お友達のままでいなければいけないわ、ギルバート」

<C> 
クーパー奨学金

<D>
聖書に黙示録の書があるように、だれの生涯にも黙示録がある。アンは嵐と暗黒の中で身も世もなく、寝もやらずすごしたその苦悩の夜、彼女の黙示録を読んだ。
アンはギルバートを愛していた―今までずっと愛してきたのだ!それが今、わかった。

<E>
「何度か実現しそうもなく思われたが、僕はなおもその夢を追いつづけている。
 僕はある家庭を夢みているのです。炉には火が燃え、猫や犬がおり、友だちの足音が聞こえ
 ―そして、君のいる」





◆中村佐喜子『アンの婚約』1959年  角川書店 ※後に『アンの愛情』に改題 
~アンの夢の家+アンの友達まで(6作)を刊行
北海道出身の作家・翻訳家。こちらのシリーズも村岡花子版同様、何度も重版されるベストセラーになったとのこと。 唯一の「村岡訳と同年代の翻訳」 だそうです。

個人的な所感:
ときおり村岡訳の影響を感じる言葉選びがありますが、「ぎくんと」「めきめき回復」など擬音語が多用されていたりして、よりサバサバした印象を受けました。…読みにくい訳では無いですが、現代にそぐわない用語(めくら等)も使われているので、もし再販するとしたら微修正が必要かも。

<A>
第三十八章 いつわりの愛
第四十章 黙示録
第四十一章 愛は試練ののちに

<B>
「あたしは、あなたが誰にもまして一番好きよ。
 だからあたしたちは、今までどおりに友人としてつづけるべきなのよ、ギルバート」

<C>
クーパー賞

<D>
聖書にあると同じに、誰の生涯にも黙示録がある。アンは嵐と闇の中で、苦悶のあまり眠ることができぬこの過酷な夜に、自分の黙示録を読んだ。
あたしはギルバートを愛していた。―ずっと愛していたのだ。今それを悟った。

<E>
「もう何度か、その夢は決して実現しないと思ったけど、それでもまだ捨てませんよ。
 ぼくは一つの家庭を夢みる。暖炉の火が燃えていて、猫や犬がいて、友だちの足音がしてね、―そして、きみがいるんだ」


あとがきに、翻訳家さんの作品解釈が記されていました。(以下引用)
“常に真実を求め、それに敏感なはずのアンにも、やはり迷いがあります。 彼女の例の空想癖で、いつか現れるにちがいない理想の恋人が、頭の中にはっきり描かれます。 学生仲間のロイ・ガードナーに出あったとき、まさにこの人だったとのぼせ上り、自分はほんとに彼を恋していると信じて二年間付き合います。 しかし、いざ婚約という段になって、閃光のように、彼を愛していなかったと悟り、幼い日からアンを愛しつづけるギルバートに戻ってゆきます。

「ギルバートを振り、一時ロイに胸をときめかせていたのは、アンの空想癖による気の迷いだった」ー と、村岡訳とは全く異なる解釈で物語が紡がれていました。
同じ時代の訳文でありながらも、新潮版と角川版のどちらを手にするかで、全然違う話筋が提供されていた…ということですね。 面白いです!



今回調べていて驚いたのは、村岡訳から約30~40年後の 80年代後半~90年代初頭にかけて、新訳がバンバン刊行されていたこと
その他にも数多の関連書籍が発売され、90年には北海道に赤毛のアンモチーフのテーマパークまで開園していることから、本当に「赤毛のアン」は当時のトレンドだったというか… 「カントリーと言ったら、赤毛のアン!」 というくらい大人気だったんだな、と改めて感じました。




◆掛川 恭子 『アンの愛情』1990  講談社
※完訳版/完訳クラシック赤毛のアン 全10巻刊行
70年代~90年代にかけて英米の児童文学や絵本で活躍された翻訳家で、カナダの大学への留学経験もある方、とのこと。
「赤毛のアン」は本当に沢山の方が翻訳されていますが、3作目愛情までたどり着いている方は限られてきます。そして4巻目以降まで訳しているとなると、片手で足りる程に。その中でも村岡訳と同様に全10巻すべてを翻訳されているのは、今のところこの掛川さんだけになるみたいです。

個人的な所感:
全体的にちょっと言いまわしが回りくどいかな…と感じましたが、でも掛川さん自身も著作多数の有名な翻訳家の方だったようで、「ここまで村岡訳の影響を感じない文面も珍しいな」と感じるくらい、独自路線な翻訳スタイルの印象を受けました。

ただ “完訳  を謳う割には、非常に翻訳者様のオリジナリティに富んだ訳 というか…特に章題などは、ほぼ「○○、△△する」といった、原文からはかけ離れたフレーズに統一されていたりします。
ーいや、それ自体は翻訳スタンスのコンセプト次第なので全然良いんですけども!ただ、やっぱり “完訳” かと言われると… 疑問符だなぁ、と。

<A> 
38 アンの愛情、試される
40 アン、天啓の書を読む
41 アン、愛の王国に入る

<B>
「……世界じゅうで、あなたが一番好きよ、ギルバート」
※we must―we must go on being friends, に該当する訳文は無し

<C>
クーパー奨学金

<D>
聖書に神がその摂理を説く天啓の書があるように、だれの人生にも天啓の書があるものだ。アンも、嵐の荒れ狂う暗い夜を徹して苦しみにもだえているあいだに、自分の天啓の書を読んだのだった。
わたしはギルバートを愛しているのだ―これまでずっと、愛していたのだ!それが今わかった。

<E>
「必死になって、その夢を見つづけているんだ、とてもかなえられそうにないと思うことが、よくあるけど。家庭の夢なんだ。暖炉で火が燃えていて、犬と猫がいて、友人の足音にあふれていて
―そして、アン、そこには、きみがいるんだ!」


一番注目すべきは、<D>の A  Book of Revelationを『天啓の書』と訳している点。
村岡さんがわざわざ二重鉤括弧までつけて「これは『黙示録』そのものである」と強調した部分です。
ーというか、辞書で引くと、ここはどうあがいても『黙示録(新約聖書/ヨハネの黙示録)』としか訳せないところなんです。※Revelation…Rが大文字の場合は、黙示録のこと、と定義づけられている。
それを掛川さんは「revelation」の単語が持つ「天啓・黙示」の意を拾い、『天啓の書』という、そもそも一般的には普及していない造語を用いて、言い換えているわけです。

ここで、両者の単語の持つ意味合いの違いを調べてみました。

◆もくしろく【黙示録】(ヨハネの黙示録/アポカリプス)
1 新約聖書の最後の一書。この世の終末と最後の審判、キリストの再臨と神の国の到来、信仰者の勝利など、預言的内容が象徴的表現で描かれている。
2 転じて、破滅的な状況や世界の終末などを示したもののこと。

◆てん‐けい【天啓】
天の啓示。天の導き。神の教え。「天啓にうたれる」

前者(村岡訳)では、 「世界の終わり」が突き付けられた時に、自身の内側からあふれ出る大後悔 …という印象を受けましたが、後者(掛川訳)は「神のお告げ」、すなわち 「アンちゃんの独白=天から与えられたもの」 という印象を受けます。同一のものを指していたとしても、読者として受け取るイメージは全く異なってきますね。


正直、個人的な感想を言ってしまうと…
イヤ ここを“天啓 って訳したら台無しじゃないか? です。

確かに「アンちゃんの人生の指針を決定づけるシーン」なので、俯瞰的かつ結果論として見れば、言わんとすることは分からなくも無い…のですが…
このシーンに “神 なんて登場してないし、アンちゃんは過去の自身の行いに対する後悔の念しか叫んでないよ?  アンちゃんのハイテンションの心情筋が理解しにくかったからって、 それを全て 「外的要因」 として納得しようとするのは、あまりにも乱暴 では?
これ心情構成作家のモンゴメリさん、怒っちゃうのでは?
ー何より面白くない!
このモンゴメリさん渾身の一撃を「空から降ってきたもの」なんて解釈で片付けるなんて、面白くない‼ 
ここは『黙示録』じゃなきゃダメだろ‼ …と思いました。

すみません。私たちは最初に村岡訳を読んで、もう“そういうもの”だと思い込んでいるので…。

ーというのもですね、 私たちのような少女漫画原理主義者には 「心情構成こそ、物語の至宝!」という美学 がある んですよ!
一人の女の子の主観を軸として、様々なエピソードが積み重ねられていき、その先に(彼女にとっての)大きなハードルを飛び越える激情が描かれる物語…というか。
いち個人の「心を描く物語」、それが少女漫画だ! というか… そこがどんなジャンルよりも優れている特徴だと思ってます。

そういった少女漫画フリーク目線で観ると、 モンゴメリさんって本当に ザ・心情構成作家! というか、 少女漫画の始祖 にしか見えない んですよね。
『アンの愛情』なんてその極みで、「クライマックスのアンちゃんの叫びがどこから来ているのか」を、それまでのエピソードや彼女の生い立ち・キャラクター性の中に見つけに行くことが出来るような… 心情ミステリー として、無限に語りがいのある作品なんですよ。

だからクライマックスの独白を「天から与えられたものです(完)」と言われてしまうと…あれです。ミステリーの密室殺人事件モノで「犯人は魔法使いでした(完)」って言われる位、興醒め案件な訳です。ナンセンスなんです!

以上、何が何でも第40章を『黙示録』と直訳して欲しい勢の叫びでした!


ただ、当時の(おそらく)村岡訳一辺倒だった中に一石を投じるような、この掛川さんの「天啓」という解釈は非常にインパクトがあったようで、この先の翻訳家さんたちがかなりの確率で拾われています。

色々な翻訳本(今回取り上げなかった子供向けの抄訳版含む)を並べて比較していると、(…多分この訳者さんは、アンちゃんの心情筋を納得できるところまで考えることなく、分からないまま書いているんだろうな)と感じるような本もありました。

色々言ってしまいましたが… 「ご自身で納得いくまで考え抜いて、筋を通して訳す」という掛川さんの翻訳スタイル、私は大好きです!
…というか、基本「翻訳はかくあるべき!本を出すなら、納得してから書いてくれ!」と思ってます。

やはり赤毛のアンシリーズの翻訳の歴史をたどると、 掛川さんの存在は重要だなあ! と思いましたし、そもそもこの掛川訳がなければ、様々な翻訳本を比較する必要性も薄れるんじゃないかな~と感じました。





◆石川 澄子 『大学生アン 上・下』  1991年  東京図書
翻訳者の石川さんは、他にも「不思議の国のアリス」「すばらしいオズの魔法使い」など著作があるようです。
「登場人物たちの心の機微まで、きちんと訳した大人のための完訳本」 と銘打ち、赤毛のアン・アヴォンリーのアン・大学生アン の3部作をそれぞれ上・下巻で刊行されたシリーズみたいです。
同時期の刊行ですし、「完訳版」をアピールしている点からも、コンセプトとしては前述した掛川版と同様に、対抗・村岡訳…というのは語弊があるかもですが、“もっともっと赤毛のアンへの理解を深めたい大人読者に向けた本”というマニア層を狙った企画なのだろうと感じました。

個人的な所感:
大人向けということでルビもほとんど無く、挿絵もアーティスティック&尖った印象を受けました。
…なんというか、本当に私の勝手な印象ですが、言葉のチョイスも結構トゲトゲしいというか…他の方の訳に比べて、所々 アンちゃんの言い回しがすごく可愛くない んですよw!
そしてギルバートは逆に大人しめというか、強引さが和らいでいる気が… 見比べると同じ事を言ってるんですけどね。言い回しの違いでこんなにもキャラクターの印象が変わってくるのか!と、一番感じた翻訳本でした。面白かったです!

<A> 
第38章 スタートを誤ったアン
第40章 黙示録
第41章 長い廻り道のあと

<B>
「あたしは世界中で一番あなたが好きなのよ、ギルバート。あたしたちは―ずっと友だちでいなければ、ギルバート」

<C>
クーパー奨学金

<D>
聖書のなかに黙示録があるように誰の生涯にも黙示録があるものだ。アンは夜っぴで悶え苦しんだその夜、吹きまくる風と暗闇のなかで自分の黙示録を読んだ。
アンはギルバートに恋をした―ずっとギルを愛していたのだ!それがやっとわかった。

<E>
「ぼくは一つ夢を描いています。ぼくはその夢を見続けています。その夢は決して実現しないと思われたことも何度もありましたがね」
ギルバートはじわりじわりといった。
「ぼくは一つの家庭を夢見ているんです。その家庭には暖炉があって猫と犬がいて、訪れる友だちの足音がして―あなたがいる」


<A>の章題について、第38章を「スタートを誤ったアン」としているのが面白いですね。
ここの原文の章題は “False Dawn”、直訳では “誤りの夜明け” です。調べたところ「一時的な希望の兆し/幻想的な前兆などの比喩的な表現として使用される言葉」…「あてにならない期待、良いことが起こりそうで起きないこと」といったニュアンスで使用する言い回しだそうで、ロイからのプロポーズそのものへの拒絶と失望感を指しているものだと思われます。

しかし石川さんは “夜明け=恋のスタート地点” とし、最終章でも “廻り道” と結んでいます。 「進むべき恋愛ルート間違えました‼でも最終的にはちゃんとゴールに辿り着けました‼」 という筋立てですね。
ここまで「間違えた‼」を強調している訳は他に無く、清々しさを感じました。





◆谷詰則子『アンの愛情』1992年  篠崎書林
 New Montgomery Books 24 
全30巻で、モンゴメリさんの短編集や日記まで含めた著作を日本語訳で発売したシリーズのうちの1冊みたいです。

個人的な所感:
言い回しは非常に村岡訳の影響を感じますが、 ひたすら 直訳
シリーズの存在意義的にも、とにかく「モンゴメリさんの作品をそのまま訳す」を信念とされた翻訳だと感じました。表紙にはモンゴメリさんの写真を掲げ、作中にも挿絵は一切なし…という、独自解釈をとにかく入れないようにする徹底ぶりです。正直 面白味は無いのですが、当時の赤毛のアン人気を知る上でも、また他の訳者さんたちのオリジナリティを検証する上でも、貴重な1冊だと感じました。

<A>
第38章 偽りの夜明け
第40章 『黙示録』
第41章 愛は時のグラスを飲み干す

<B>
「私は、世界中のほかの誰よりもあなたが好きです、ギルバート。
 そして、私たち―私たち、ずっとお友達でいなければならないのよ、ギルバート」

<C> 
クーパー賞

<D>
聖書と同様、万人の人生には黙示録がある。その辛い夜、嵐と暗闇の何時間もの間、アンは苦悩で眠れずに、自分の人生の黙示録を読んだ。
ギルバートを愛している―ずっと愛していた!それが、今わかった。

<E>
「しばしば、決して実現するはずがないように思えるけど、その夢を見続けているんだ。
僕は、家庭を夢見ているんだ。中には炉が燃えていて、猫と犬が一匹ずついて、友人たちの足音が絶えず―そして、君がいる!」


<B>のギルバートを拒絶する一節… ほとんどの翻訳家さんが「we must go on being friends」を「お友達のままでいたい」など和らげて表現するなか、「友達でいなければならない」と “must” を 強い“義務/禁止” としてしっかり直訳しているのは、(完訳版では)村岡訳と、この谷詰訳のみでした。

しかし、あとがきでは “そんなアンに、遂に天の黙示とも言うべき瞬間が訪れたとき、その傍らに、今まで共に歩み来て、そしてこれからの人生を共に歩み続けるべき人が、大きく腕を広げて待っていたのです。 と記載があります。言い回しなどは村岡訳の影響を受けつつも、解釈としては掛川訳の「天啓」の意で理解されていたことが伺えますね。





◆茅野美ど里『アンの愛情 上・下』1992年
 偕成社 
児童向けだがほぼ完訳?/3作目まで刊行 帰国子女の翻訳家様とのこと。

個人的な所感:
上下巻で文字も大きく、児童向けを考慮してか適度にルビもふってあり、小難しい単語は言い換えてあるので非常に読みやすいです。そしてお洒落で上品な挿絵が光っていて…何と言うか「すごくバランスの良い本だな」という印象を受けました。
(挿絵…凄く良いんですが、ギルバートを振るシーンのアンちゃんのものすごく嫌そうな顔、そしてロイを振った時のアンちゃんのものすごくスッキリした顔がまた良かったですW)

<A>
第三十八章 いつわりの夜明け
第四十章 アンにとっての黙示録
第四十一章 愛が砂時計にみちて

<B>
「それにギルバート、あたし、世界じゅうのだれよりも、あなたが好きよ。
こ、これからもずっと友だちでいたいわ。ずっと、ずっと―」

<C> 
クーパー賞

<D>
聖書に天啓の書である<黙示録>があるように、誰の人生にも、その人の黙示録というものがあるものである。その苦しい夜、嵐と闇のなかでまんじりともせずに、ひと晩じゅう起きていたアンは、わが心の深淵をのぞいて啓示を受ける思いだった。
自分はギルバートを愛している―むかしから愛していたのだ。いま、それがわかった。

<E>
「けっしてかなわないだろうと何度も思ったけど、しつこく夢みるんだ。
暖炉に火が燃えていて、ネコと犬がいて、友だちの足音がして―そしてアンがいる家を!」


基本的にはすごく直訳型の訳者さんなのですが、分かりにくそうな部分には丁寧に補足を入れ込むなどの配慮をされています。

<D>の『黙示録』の章に関しては、掛川訳の『天啓の書』という解釈も盛り込みつつ…、しかし「わが心の深淵をのぞいて啓示を受け…」と、 「“天啓 って言っても、天から降って来たものじゃなくて、アンちゃんの心の中にあったものだよ!」を強調する書き方 になっていますね。
やっぱり…何と言うか、冷静かつバランス力のある訳者さんだなぁ~ と思いました。





◆松本侑子 『アンの愛情』2008年  集英社
※完訳版 3作目まで刊行
⇒2019年~文春文庫より全8巻(アンの友達/アンをめぐる人々以外)を刊行

(アンが登場しない2作を除いた)シリーズ8冊分をすべて訳されているので、 「赤毛のアンをシリーズとして読みたい!」という方は、前述した 村岡訳・掛川訳 ・そしてこの 松本さんのいずれかの本 を手にする形になるかと思います。
小説家 兼 翻訳家の方で、アンシリーズにおいては、当時のカナダの文化的背景・価値観を大事にされ、 また “英文学からの引用” についての象徴主義的な観点での指摘を得意とされているようです。

本著も、490Pのうち約100Pが巻末の注訳「訳者によるノート―『アンの愛情』の謎とき―」+あとがき となっています。それを受けてか、後述する河合祥一郎さんは松本さんの訳を「参照した先行訳」の文学作品としてではなく、「参考とした研究書」として紹介されていました。

個人的な所感:
新しく、また小説家の方の文章なので、とても読みやすい文面でした。
…ただ本当に注訳が多く、それがまた非常にマニアックな雑学なので…かなり 「赤毛のアン玄人向け」 というか、「物語をよく知っていて、さらに深掘りしたい方」が一番楽しめる一冊なんじゃないかな、と感じました。

<A>
第38章 偽りの夜明け
第40章 天啓の書
第41章 愛は砂時計を持ち上げる

<B>
「……世界中の誰よりもあなたが好きよ、ギルバート。
 私たち……これからも友達でいましょう」

<C>
クーパー賞

<D>
聖書に天啓の書があるように、誰の人生にも、天啓の書がある。アンは、大嵐と漆黒の闇のなか、苦悩に一睡もしなかったこの痛恨の夜、天の啓示を受けたのだった。
私はギルバートを愛している―今までずっと彼を愛してきた!それが今、わかったのだ。

<E>
「かなうはずがないと、いくども思いながら、それでも胸に抱き続けてきた。
ぼくは、ある家庭を夢見ているんだ、暖炉に火がゆらめき、猫と犬がいて、友の訪れる足音が響き……そして、きみがいるんだ!」


松本さんは、基本的には直訳をされたいタイプの訳者さんなんだろうな~と感じたのですが、そんな中で<D>について、 掛川訳の『天啓の書』という解釈をとことん突き詰め、 「天の啓示を受けた」とかなり振り切れた翻訳 をされている点 が非常に印象的 でした。

ーというか、他の部分ではすごく細かい所まで「この一節は○○の引用」と列挙されているにも関わらず、クライマックスの重大すぎるド直球引用については、注訳においてですら『黙示録』の記述が無いのが、非常に不自然に感じたというか…
どうしてそんなに頑なに、『ヨハネの黙示録』じゃなく『天からの啓示』って訳したいんだろう? ーと、正直疑問に感じました。

ただ、あとがきの「五、キリスト教文学としての『赤毛のアン』シリーズ」を読み、何となく納得できた気がしました。
ここで松本さんは、モンゴメリが牧師の妻としてキリスト教を説く立場であったことを挙げ、
“最後のギルバート危篤の夜、アンが「天からの啓示」を受けて真実に覚醒し、一夜が明けて聖書の一節をつぶやく感動的な場面も、キリスト教の信仰に裏うちされています。 と記されていました。

成程~ と思い、ちょっとキリスト教の定義について調べてみました。

キリスト教は自ら 啓示宗教 (revealed religion)であるとしています。
※「啓示」とは、神または超越的な存在より、真理または通常では知りえない知識・認識が開示されることをいう。天啓、神示ともいわれる。啓示によって真理が開示され、それによって信仰が成立する宗教を、「啓示宗教」と呼ぶ。ーとのこと。

『アンの愛情』を「キリスト教を基軸とした、宗教文学作品」と捉えるのであれば…確かにこの「突如、超越的な存在より人生の心理=天啓を与えられる」という解釈は、クライマックスを飾るにふさわしい筋立てなのだろうな、と。

私(&姉)はどこまでもキャラクターの心理描写・心情構成フェチなので、「この重要な場面に、いきなり “神” を持ち込む解釈は面白くない!」と感じましたが…
作品が生み出された文化や時代背景、作者の教養などをどこまでも語りたいタイプの翻訳家の方からすると、 この重大な場面で “日本人にはなじみのない、天啓(神の声)が登場すること  こそが、語りがいであり、面白さなのかなぁ…  と感じました。





◆河合祥一郎 『新訳 アンの初恋』2017年  角川文庫
※完訳版 3作目まで刊行
シェイクスピア研究の第一人者で、東京大学の教授さんだそうです。赤毛のアン~愛情、シェイクスピア関連の新訳、その他様々な物語の新訳を刊行されるなど、著作多数。完訳版としては、現段階で唯一の 男性翻訳家 さんですね。

個人的な所感:
巻末に、翻訳されるにあたり参考とされた研究書などがズラっと記載されていて、圧巻でした。
(今回、歴代の「アンの愛情」翻訳を集めるにあたり、非常に参考になりました!)
前述の松本さんの本でも感じましたが、 2000年以降の日本における「赤毛のアン/モンゴメリ作品」は、ある意味「古典文学・研究対象」になっている というか…先人たちの残した膨大な訳本や研究を踏まえたうえで、「筆者はここで○○さんの説を採用し、こう解釈しました!」みたいなフェーズに入っているのだろうな、と感じました。

<A> 
第38章 偽りの夜明け
第40章 悟りの書
第41章 愛の時が動き出す

<B>
「あなたのことは、世界じゅうの誰よりも好きよ、ギルバート。
だけど、あたしたち―お友だちのままでいなきゃ、ギルバート」

<C>
クーパー奨学金

<D>
聖書に黙示録という啓示の書があるように、どんな人の人生にも、悟りの書があるものだ。アンはその夜、何時間もの嵐と暗闇のなか、苦しみながらまんじりともしないかったこの痛恨の夜に、いわば自分の悟りの書を読んだのだ。
あたしはギルバートを愛してたんだわ―ずっと愛してた!今ならそれがわかる。

<E>
「決して実現しないようにたびたび思えるのだけれど、ずっと夢見続けてきた。
ぼくは夢見るんだ、暖炉のあるお家、ネコと犬、友だちの足音……そして、君を!」


『アンの初恋』という題名を選択した理由として、河合さんはあとがきにおいて下記のように語られていました。↓
“本作の最大の山場は、アンが果たしてメランコリックで謎めいた“麗しの王子様 からのプロポーズを受けてしまうのかという所にある以上、本作のテーマは「愛情」よりは「初恋」(ないし恋愛)にあるように思われる。新訳の新味を主張する意味もあり、勝手ながら改題させていただいた。
また河合さんは、作者モンゴメリにとって悲恋に終わった燃えるような初恋物語に触れ、作者とアンのキャラクター性を重ねたうえでの「初恋」という言葉の採用であったことを述べられています。

河合さんの解釈論に関しては、(いつも男性的な観点から物語を楽しむタイプの)姉に語ってもらいました。↓
どんな読者であっても“アンの愛情の話筋 にはまず戸惑うと思うが、 特に男性に、顕著な拒絶反応を示す方が多い気がする。 女性はギルバートを振るくだりを疑問視することが多い反面、 男性の場合は“ロイ・ガードナーと付き合うアンちゃん がどうしても許容できない印象 を受ける。

おそらく男性目線から見ても、ギルバートは“優秀で優しく、ひたすら一途。金銭的に恵まれていなくとも文句ひとつ言わず誰よりも努力する、落ち度のないヒーロー であり、とにかく彼が評価され&報われないと気が済まないのでは。ギルバートの求婚を邪険に扱ったうえで金持ちのボンボンに現を抜かすアンちゃんは、あまりに価値観と齟齬しており、とにかく気分が悪いのだと思う。
※アニメ「アン・シャーリー」を60代の父親と一緒に鑑賞していましたが、ロイ登場時の拒絶反応はやはり非常に大きかったです。

河合さんの主張(新解釈)も、基本的には「 アンがロイと結婚も見据えた親密な関係になったことは事実だが、 心揺さぶる真の恋愛(初恋)はギルバートだけだから!」という、アンちゃんの中のギルバートの価値を浮上させたい(ロイとか本当は存在ごと抹殺したい)意図を感じる。
根拠としてモンゴメリさんの日記等(作者の恋愛観が見て取れるところ)を引用してくるところは学者さんっぽいと思うが、基本的には感情的な主張だし、物語筋の直接的な解釈ではなく、あくまで 受け手の心持ちの話(=こう考えれば傷が浅く済む!というレクチャー) だと思う。 

正直、村岡訳の描写のニュアンス(アンちゃんが重要視しているのは終始ギルバートだけ&ロイとの交際はカムフラージュだった)をきちんと捉えて&採用していれば、河合さんの主張の前提(※上記黄色マーカー箇所)も“ギルバートに帰する というか、“アンちゃんがギルバートを重要視しているが故の行動 と解釈できるので、 そもそもモンゴメリさんを引き合いに出して “真の恋愛はギルバートだけ!”を強調する必要はない。本編自体、まさしくそこが“一番の面白味”としてしっかり描いてある。

河合さんは、モンゴメリさんとアンちゃんを同一視する観点から話を進めようとされているけど、私的には本来着目すべきは、アンちゃんとモンゴメリさんとの“違い …アンちゃんが“立場が不安定な天涯孤独な娘”で“非常に臆病な娘/潔癖な娘”であるという部分の方だと思っている。
結婚後、表立った執筆活動等は行わず、ひたすら家族(ギルバート&子どもたち)に尽くしきる“聖母・アンちゃん”をもっとちゃんとかみ砕いて、“モンゴメリさんご自身とはまったく異なるアンちゃん像 をきちんと捉えるべきだと思う。

姉の言うように、 男性読者=ギルバートに感情移入しがち は、私もすごく感じるところです。

今回は取り上げませんでしたが、 ポプラ社文庫より1983年に出版された白柳美彦さんの『アンの愛情』※小学生中級~向けの抄訳版 の訳者あとがきで、白柳さんは下記のように語られています。
“もって生まれた夢見る心は~年ごろになったとき、奇妙なことを起こしてしまいました。 アンは心にもなく、恋人として王子さまのような青年を夢みるようになってしまいました。 ギルバートという青年がいたことは、アンにとってほんとうに幸せでした。 アンはどんなにギルバートに感謝したら良いかわかりません。
…要約すると、「マジでロイになびくアンの思考回路は意味不明だが、ギルバートはマジでかっこいい一途な男なので最後は上手くいった。アンはギルバートに感謝した方がいいマジで!」…というかなりギルバートびいきの愚痴のような見解で、同じ男性訳者である河合さんと似た価値観を感じて面白かったです。

赤毛のアンシリーズが男性にも支持される理由として、やはりギルバートの存在が大きな役割を果たしているのだなぁ…と感じました!





本当は、児童向けの抄訳版やコミカライズにも触れたかったのですが…あまりにも長くなりすぎるため、今回は割愛します😿



最後に…
翻訳本のくくりからは外れますが、まさに「アンの愛情」の話筋を独自解釈&映像でアウトプットしていたのが、今回私たちがアンシリーズにはまるきっかけとなった TVアニメ『アン・シャーリー』 です。




◆アニメ『アン・シャーリー』2025年  NHK
監督:川又浩 シリーズ構成:高橋ナツコ
脚本:高橋ナツコ、平見瞠、リンリン(林賢一)

全24話:赤毛のアン(10話)~アンの青春(5話)~アンの愛情(9話)で、小説3冊分を駆け抜ける構成です。話数の割り振りを見ても感じるところですが、一番描きたいのはやはり『愛情』パート…1979年の世界名作劇場では描かれなかった“ラブストーリーとしてのアンシリーズ”をアニメーションにしたい!という意欲を感じる作品でした。

本作は“原作は村岡訳(新潮文庫版)”と明記していましたが、 特に『アンの愛情』パート(の後半、ギルバート1回目のプロポーズ頃から)は、私たちの捉えていた原作(村岡訳)の筋道とは全く異なる筋道を描いていたもの と認識しています。アニメの基本軸は“「空想上のロマンス・幼い恋愛観」を経て、「真実の愛・結婚観」を見出す物語”の筋道ですね。

ただやはりここでも納得のいかない物語筋をなんとかしっくり来る形にしようと、 脚本家様たちの手により、ギルバートやロイの表層面のキャラ変、恋愛のニュアンス改変、アンちゃんのモチベーション筋作り…と、非常に多くの思い切った改変が加えられていました。
こちらの記事↓で、原作筋・アニメ筋の比較をまとめてます(2人がかりで書いた超渾身記事)。
アニメ『アン・シャーリー』と原作『アンの愛情』との相違点について

アニメーション作品は大勢のスタッフ様で制作する一大プロジェクトです。“物語筋が分からないもの”では、演出家様も何を演出すれば良いのか分かりませんし、アニメーター様や声優様も何を表現すれば良いのか分かりません。
「アンの愛情」という難解な物語の映像化に際し、納得のいく筋道を通すための練り込み・仕掛け(改変)の多さは、数多の翻訳本の比ではありませんでした。

アニメの真摯な姿勢に感動すると同時に、私たちの中では 「ここまでの改変を加えないと納得いく筋道にならないということは、やっぱり原作が描いてるのは“「空想上のロマンス・幼い恋愛観」を経て、「真実の愛・結婚観」を見出す物語”ではないよね」 と話し合ってました。

とにかく、 今回ここまで私たちがアンシリーズにのめり込んだのは、本アニメーション作品のクリエイティブな挑戦(※)あってこそのものです。 大変感謝しています‼
※おそらく世界的に観ても、本作が『アンの愛情』本編&その強烈なクライマックスシーンの映像化に​本気で真正面から取り組んだ、いちばん最初の作品なのではないかと思います。



ーはい、たくさん引用させていただいてしまい、めっちゃ長くなりました‼
ここまでお付き合いくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。

いやぁ『アンの愛情』…分かってはいましたがホント沼でした‼
翻訳者様毎の観点をとことん比較させていただくと、最終的に自分自身の観点がどこを向いているのかもよく分かってきますね。楽しかったです!


最後に。
勿論モンゴメリさんが亡くなられている以上、解釈に正解はありません。

そしてそもそも私、結局どうしても分からないんです。
『黙示録』って結局何ぞや? と。

辞書で引くと、真っ先に「世界の終末が描かれている書」と出てくるので、基本的には天変地異など破滅的な怖いイメージを纏っています。
ーでも、もっと詳しい解説を読むと「いやいやこれは破滅の後の希望の書だ!」と言っている方もいる。「啓示の書」「予言の書」色んな単語で説明されているけど、結局何なのかわからない…。

そして最終的には 「極めて難解な書。ヨハネの黙示録はクリスチャンの中でも解釈が分かれており、永遠に議論され続けている」 ということで、要するに誰にも明確な答えが出せない経典のようでした。

作者のモンゴメリさんは、上記の “論争を巻き起こす” 意味合いも込めて、第40章を「A Book of Revelation」と名付けたんじゃないかな~  と思っています。

世界中で愛されるヒロイン:アン・シャーリーが、人生を決する夜に読み上げた『彼女自身の黙示録』。
この激情はどこから来たのでしょうか…? 読者の皆様 、うら若き 乙女心の超難問を、大いに悩み&議論を尽くしてくださいね‼  ーという、読者に向けた究極の謎かけなんじゃないかな、と。

そう考えると… 翻訳者様毎に様々な解釈がなされて、受け手も独自の観点で納得のいく解釈を一生懸命模索して…という状況は、まさに本作(&強烈なクライマックスシーン)のあるべき形だと思っています。

『アンの愛情』、やっぱり超 面白いですね‼大好きです‼

by妹(一部解釈:姉)


アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917
炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939
その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921
その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921
アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912
アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920

◆モンゴメリ著 小説 感想リンク
果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910
ストーリー・ガール(The Story Girl)1911
黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913
可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923
エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925
エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927
青い城(The Blue Castle)1926

◆赤毛のアン 関連本 感想リンク

赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて
赤毛のアンシリーズのコミカライズについて







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最終更新日  2026.07.10 00:34:11
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