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大阪でのお墓参りも無事終わり、家族・親戚のみなさんに別れを告げて、東京へUターンだ。拙者の帰省先はもう一つあって、両親の住む相模原市がある。忙しいが、あちこち行くのはもちろん楽しい。 あべのハルカスを横目に出発!天下茶屋駅から南海電車に乗り、難波で降りた。南海難波駅の駅ビルの意匠をしばらく眺めて、そして近くの池田泉州銀行の店舗でパンフレットをもらって、道頓堀を歩いた。相変わらずここはえらい人だ。 心斎橋駅から御堂筋線へ乗る。朝ドラ「ごちそうさん」の一場面に登場した、ドーム型の地下鉄ホームを眺めて、レトロモダンな大阪を感じておく。 梅田へ着き、会社へのおみやげに「面白い恋人」を買う。阪急梅田の改札を入って「カフェ・リラ」で昼食!ひっきりなしに発着する阪急電車を眺めながらの食事も悪くない。いつも不思議なのは、ここまで大きいターミナル駅なのに、JRの駅のような騒々しさがないことだ。軽やかにBGMが流れてはいるが、心地よい音量だし、発車ベルもキンキン響くようなしつこさがない。この雰囲気が好きだから、わざわざ京都まで阪急電車で行く。9300系の車内は、色彩感覚から見ると新幹線より豪華だし、このまま東京まで行ってほしいよ(笑)。 さて、京都でブラブラして、時間になったから「古都の景観をブチ壊す京都駅ビルは完全スルーして」すぐに新幹線に乗り込んだ。外は次第に夕暮れに近づいていく。静岡県内は晴れていて、富士山は夕日を当てられて少し赤みがかっていた。武蔵小杉を過ぎて多摩川を渡る頃には、外は完全に夜景・・・東京宝塚劇場が見えたら、もう東京駅はすぐだ。 自宅の最寄駅で適当にラーメンでも食べ、明日の朝食の菓子パンでも買って、自分のアパートへ戻る。今年も終わった!札幌での生活を終え、北海道人の彼女と結婚の約束をするという「どえらいこと」をカマした。やることはやった。二人で寝る予定の、なーんにも置いてない畳の部屋に、布団をどーんと置いて大の字に寝る。 大晦日、眠かったから9時ぐらいに起きた。自室の部屋を掃除し、12月の運用成績(先月より少し下がった!)を確認し、そんなことをしているうちに夕方になる。まずいなと、着替えをカバンに詰め込み、アパートを出た。途中から横浜線へ乗り換え、相模原駅で神奈中バスに乗ること約20分(遠いでしょ!)、両親が住む実家にたどりついて、そこで今年はゴールインだ。 このブログも、とうとう10周年を迎えた。相模原在住時代、札幌赴任時代、そして東京での新しい生活・・・どういうきっかけなのかは正確に分からないが、このブログにアクセスいただいた41万数千人?の方々に深謝しつつ、この場はひとまずお開き・・。
2014.12.31
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大阪の家族・親戚宅は阪堺電車の沿線なので、いつも「ラッピング電車」の話題になる。大阪といえば、スーパー玉手のような「どぎつい看板」が多いが、阪堺電車の宣伝もかなりどぎつい。 要務先へ向かうため電停へ行くと、やってきたのは「マッサンの電車」だった!例の朝ドラ「マッサン」のラッピングを施しているのだ。車内は、登場人物の紹介やらストーリーの解説やら、マッサンの宙吊りばかりである。「マッサン」の大阪編も今年中に終わり、舞台はいよいよ北海道の余市だ。ちなみに、うちの彼女の出身があの街なのである。 電停を降りて、デジカメで撮ったのがの写真。場所を選べなかったのでうまく写せないな・・・。 帰りに住吉さんに寄った。住吉大社の参道は、昔の面影をとどめた場所なので、「マッサン」のロケに多用されている。印象的だったのは、住吉酒造の一人娘優子(相武沙季)が花嫁衣裳に身を包み、人力車に乗って嫁入りする場面だ。大正時代の雰囲気を気軽に再現できるからって住吉さん使い過ぎや、と思っていたが、人力車と石畳がよく似合っていることもあり、あれは名場面に仕上がっていたと思う。 参道近辺は、出店の準備が急ピッチで行われている。物資搬入のトラックが頻繁に出入りしていて、お正月シーズンの規模の大きさがよく分かる。 境内は、あちこちに「入口」「ここからは入れません」等の特大の垂れ幕がぶら下がっている。お正月の混雑はすさまじいらしく、「身動きできない」というより「人波に流されて立ち止まれない」のだそうだ。阪堺電車もこれで1年分稼ぐなどと言われている。いつかお正月の住吉さんも経験してみたいものだ。 閑散とした境内を後に、南海本線住吉大社駅へ行く。そういえば面白いニュースを聞いた。南海本線に隣接している阪堺電車「住吉公園駅」だが、朝ラッシュ時のみ数本が乗り入れるダイヤに変わり、「大都会の秘境駅」「日本一終電の早い駅」と話題になった。阪堺電車上町線は、住吉公園発着を削減し、「あびこ道」や堺市内へ直通するようになったのだ。幼い頃の記憶は、上町線のイメージといえば、「住吉公園行き」であり、住吉さんとの位置関係も理解していなかったが、南海本線から住吉さんまで歩いてすぐだし、その目の前の「住吉鳥居前」電停で上町線の電車に乗れるので、あまり問題も無かったのだろう。
2014.12.31
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先週末で仕事も終わった。会社から帰る途中、ラーメン食いながら札幌にいる彼女にメールを打つ。向こうも同じ日に仕事が終わったそうだ。転勤で札幌から東京へ移り住んで数ヶ月経ったが、札幌時代の余韻はまだ自分の多くを占めている。翌日、大阪の家族・親戚へ会うため家を出た。早朝出たのだが、東京も一丁前に寒い。札幌時代に買ったジャケットは、此処でも大いに役に立っている。札幌転勤前は相模原市に住んでいたので、大阪へ行く時は新横浜駅を利用していた。東京駅から新幹線に乗るのは初めてとあって、子供みたいに興奮している。気持ち的にこんな感じ。それにしても関東はいい天気で、平塚を過ぎたあたりから富士山が見え始めた。三島を過ぎたら、富士山全身がすっきりと見える。「右手をごらんください」と車内放送もやっていた。時代の移り変わりを示しているのは、みんなスマホで撮影していること。10年くらい前は、車窓の風景をいちいち写しているのは「拙者のような物好きな観光客」ぐらいだったような。彼女と結婚したら、大阪の家族に挨拶するために新幹線に乗るのだろう。富士山の絶景?、水面上を浮かんでいるような浜名湖近辺、北海道ではあり得ない鉛色の屋根瓦の家々、関ヶ原で雪でも降っていれば「いいムード」だろう、なーんて将来の旅のことを勝手に想像しているうちに、京都に着いた。JR京都伊勢丹は、中身がよう分からんのでトイレだけお借りして外に出る。本願寺はまだ工事中か。四条河原町はえらい人。阪急百貨店が閉店した後のマルイを一周して阪急電車に飛び乗った。寄り道は長岡天神駅からスタート京都も冷え込んでいて雪もチラホラ。暖を求めて駅前の阪急そばへ入る。ソバ屋と云っても食べるのはうどんだ。やっぱり此のだし汁は関西やーと鼻水垂らしながらうどんをすすった。体も温まり、まずは長岡天満宮へ。年末の神社は閑散としていた。庭園を歩いたが、もみじも全て無くなり寂しい景色だ。時季が時季だけに仕方がないことと割り切って神社を出た。此処から阪急京都線沿いに幹線道路を歩く。目標は平成25年12月に開業したばかりの西山天王山駅である。駅間距離の長い阪急京都線では近年新駅の設置が相次いでいる。西山天王山駅は、京都縦貫自動車道の真下に作られた。それには訳がある。高速道路上にバスストップを設置し、高速バスと乗り換えもできるようにしたのだ。このような試みは拙者の知るところでは九州の甘木鉄道ぐらいで、関東では聞いたことがない。かなり前だが、こんなことがあった。東京‐大阪間の夜間高速バスに乗ったことがある。確か山崎あたりから渋滞が激しくなり、大阪到着がとんでもなく遅れたことがある。うむ、あのとき西山天王山駅があったら、拙者は間違いなく電車に乗り換えただろう。西山天王山駅は、近代的な高速道路の真下にありながらデザインは和モダン。ここだけ精一杯の自己主張と云うべきか。さて、ホームに上がったら向かい側にピカピカに磨き上げられた阪急電車が。車体番号を見てびっくり、2300系と云えば車齢は半世紀に及ぶはずだ。もうお目にかかることは無いかもしれない、と急いでシャッターを切ったので、ちょっとボヤけてしまったが。西山天王山駅は、普通と準急しか停まらない。とりあえず来た電車に乗った。京都線は駅間距離が長く、普通でも猛スピードで走る。茨木市で特急に乗り換えた。次の停車駅は淡路、高架工事が着々と進んでいる。千里線との平面交差がダイヤ上のネックになっているため、二層式にするらしい。京浜急行の蒲田要塞に匹敵する大工事である。淀川三複線で宝塚線や神戸線の電車を眺めながら、電車は大阪梅田駅へ到着。いつも不思議なのは、此処まで巨大なターミナル駅にしては、騒々しさがない。阪急の駅は何処でもそうだが、駅の放送も騒々しさがない。今日はさらに不思議な光景が。なんと御婦人の方々が電車を撮影していらっしゃる。女性が電車にカメラを向ける光景は、観光地なら珍しくもなくなったが、さすがに阪急電車となると渋すぎる。でも理由を知って納得、電車の正面には宝塚歌劇100周年のヘッドマークが。久々の梅田に着いて嬉しいから付近を散策。池田泉州銀行のパンフももらった。阪急うめだ本店にも入る。何時見てもここは壮観だし、外装も内装もセンスがいい。デパチカで札幌の彼女へお菓子を送った。阪急うめだ店限定!と云う文言にそのままつられる。その後、阪神百貨店のタイガースグッズ店を物色。もういい時間なので、地下鉄谷町線に乗って大阪の家族の元へ帰った。
2014.12.31
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消防設備士の資格者は、免状交付から2年後に講習受講、その後は5年後に再び講習受講の義務がある。久々に都内の消防署へ出向き、講習の申し込みと受講料の支払いを済ませた。札幌赴任から戻って、前とは別の街に住んでいるから、手続きした消防署も初めて行くところだった。でも講習会場は昔と同じ、秋葉原の消防技術試験講習場である。講習当日・・・はじめの消防法令関係の講義は面白かった。消防行政というものは警察とは違い、ローカル・ルールがまかり通る役所なのだそうだ。消防行政は各市区町村に委ねられているのであって、その地域の実情に応じた運営や住民への指導が行われる。ま、ある意味当然なのかも知れない。札幌在住経験で散々学んだことだが、東京と北海道では、家の作りや暖房の使い方がまるで違う。気候・風土が違えば、消防署の見解も違って当然なのだ。 さて、それでは東京はどうなのだろう。拙者の地元は典型的な多摩地方なのだが、街で見る消防車は全て「東京消防庁」である。改めて考えるとこれは不思議だった。「庁」が尾ひれについてると威厳が格段に増す訳だが、やはり首都東京だから別格だというのだろうか?でも多摩地方は、神奈川や埼玉と大して変わらない中小自治体の集まりである。 この問題も、講師の説明で目からウロコであった。東京消防庁という組織は、東京23区を「一つの市」と考え、この地区の消防を担う組織として作られたのだという。多摩地方の市町村は、元々は自前で消防行政を担うことになってはいるが、実際は東京消防庁と契約を結んで「消防行政をやってもらっているだけ」なのだという。ここまでの説明なら「へーそうなのかー」で終わりだが、その次の話は衝撃的だった。「稲城市はですねえ、契約を結んでいないんです。だからあすこだけは東京消防庁じゃないんです!」(H26.12現在)そ、それは知らなかった!ちなみに、伊豆諸島のような島も東京消防庁ではないという。首都東京の特殊性故か、大規模な消防業務は大組織に委託した方がいいという流れが定着、続々と東京消防庁に業務を委託するようになった。気が付いたら、独自に消防行政を実施しているのは離島各地と稲城市だけになってしまったのだ。稲城市のやっていることは、むしろこっちが正当と言うべきなのである。稲城市消防出初式はこんな感じということで、どうも気になる稲城市の消防。ここで消防出初式を見物した時の様子をご紹介する。会場となっているのは小学校の校庭。その性か、やたらと小学生が多いというのもある意味自然な流れか。会場で配っているおしるこ目当て、という見方も出来なくない。偉いさんの長々とした訓示なり挨拶なりが続いている横で、子供らがジャングルジムで歓声あげている、という訳である。整列する稲城市消防本部のみなさんその式典もいつの間にか終わり、「続いて、チーム●●の皆さんによる、よさこいソーラン節の披露です!」とアナウンスがかかるやいなや、校庭にいた人々がゾロゾロ集まり出した(笑)。ソーラン節の本家、北海道余市町出身の彼女が、「ヨサコイソーランブシ」と聞いて「意味がさっぱり分からん!」と言ってた。よさこいとソーラン節は全く別物なのだ。うーん、確かに見ていてどこまでが「よさこい」で、どこからが「ソーラン節」なのか理解できなかったが、分からなくてもちっとも困らないというのも事実。 一斉放水も終わって式典は終了だ。消防団の車両を拝見したが、なかなか綺麗に整備されていた。物足りないなーと思ったのは、稲城市消防本部の車両の参加が一台も無いこと。独自行政を実施しているのであれば、PRも兼ねてせめてポンプ車の一台ぐらい参加があってもいいと思った。消防をしょぼい知識で語るコーナー 冷やかし半分ご覧を・・・相模原市消防出初式 ・綾瀬市消防出初式 ・消防設備士乙種6類・粉末ABC消火器を批評する ・消火器訓練
2014.12.20
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