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数年に及ぶ札幌での赴任生活を終えて、相模原市の実家にたどりついた。窓から北の空を眺める。北海道に君を残したまま、とうとう帰って来てしまった。半年後追いかけて行くという君の言葉は信じるよ。だから拙者はワンルームではなく、2DKのアパートを借りておいた。これは人生の賭けだ。 9月27日、いよいよ新居の確認へ出かけた。横浜線で一路八王子へ出て、それから新宿方面へ向かう。新居はネットで探した。下見なんか何もしていない。都心に近過ぎず遠過ぎず、実家の相模原市へ抵抗なく行ける距離を基準に、あとは出張で都下をうろついた時の記憶を頼りに決めた。 さて、最寄駅の駅前にある不動産屋で鍵を受領し、新居へ出向いた。駅から15分くらいの距離で、まぁ運動がてら歩くのも悪くないか。東京と言えども、駅から15分も歩けば畑もちょいちょい見かける訳で、都会過ぎず田舎過ぎすちょうどいい。 新居は築20年以上のアパート。部屋に入って、その殺風景ぶりに途方にくれた。そりゃ、何も無いから殺風景に決まってる。和室の畳は全く新品だった。どうも長い間住んで無かったらしく、あちこちに蜘蛛さんが住んでいらっしゃる。ウチは蜘蛛は殺さない家なので、一匹ずつ手ですくって外へ出した。 まずは窓の寸法を巻尺で測り、カーテンを買いに近所の島忠へ。重たいが、気合で持ち帰る。駅前の100円ショップで気が付くものも買っておく。東京ガスの開通手続きをして、この日はそんなもんで終了。そもそも引っ越しの荷物も来ておらず、まだ生活出来ないので実家へ戻った。 翌日、昼前に実家を出た。新居までの道も大体覚えた。引っ越し荷物が届いたのは、けっこう夕方になってから。まずはシャンデリアを取り出して天井に付けた。灯りがついて、何だかほっとする。和室の電気は新たに買わなければならない。和モダンなペンダントをネットで探そう・・・。 夜になり、近所のファミレスで適当にグラタンなどを食べる。新居の風呂も使ってみた。和室に遠慮なく布団をだだーんと敷く。まだ何もない6畳間に布団だけ敷いて寝るというのも、ちょっと贅沢な気がした。静まり返った空間にごろ寝し、これからの将来を考える。半年間、ここで一人で住むのか・・・長いな。
2014.09.28
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職場のみなさんにお別れの挨拶をし、そして「阪神タイガースお好み焼きせんべい」を配った。今年も巨人の優勝かぁと半ばため息だ。職場を出たのは6時半ごろ。もう終わった、完全に終わった、最後の夕食を何処で食おうかと、札幌駅の方へ歩く。地下鉄の券売機で、札幌市交通局のICカード「サピカ」の残高を確認した。まだかなりの額が残っている。此の「サピカ」と云うICカード、残念ながら首都圏で使うことができない。だからなるべく此処で使ってしまう必要があった。札幌駅から大通へ向かって歩く。歩きなれた地下道も、もう歩き納めとなる訳だ。ぼんやりとしながら歩いているうちに、大通へ着いた。地下街の「銀座ライオン」でパスタとグラタンを食べ、代金をサピカで払った。是で残額はほぼゼロだ。サピカはこれで使用終了だ。地下鉄の改札口にかざすと、勝手に差っ引かれてしまうから。地下鉄には乗らず、大通からさらに地下街を歩き、すすきので地上へ出た。相変わらずネオンがキラキラ輝いている。中島公園の処で左折し、其処からさらに歩いて豊平川を渡る橋へ。相変わらず此処の夜景はきれいだ。北海道は既に秋本番なので冷え込んできた。彼女にメールを打つ~やっといろいろ終わったよと。再び歩き出してから、途中で記憶がまるで飛んでいる。マンションに戻り、最後のシャワーを浴びて、風呂場をちょっと掃除をして、小さくなった石鹸や古くなったスポンジをゴミ袋に詰める。ベッドは捨てたから、布団だけそのまんま床に敷いて、後は寝るだけだ。いよいよ引っ越し当日~セイコーマートで買っておいた最後の菓子パンを食べ、布団をたたみ、ゴミを捨てる。10時に引っ越し屋さんが来た。大した荷物ではないので、作業はさっさと進む。ただ一つ、時間がかかったのはシャンデリアの梱包だった。なんでシャンデリアだけこんな大きいのよ、とスタッフさんは困った様子。六畳一間にシャンデリアとは馬鹿だが、ちゃんとしたのを買って良かったと思ってる。次の新居は狭いながらもリビングがあり、其処で重要な役割を果たすだろう!地下鉄御堂筋線が昭和初期に開通した際、天井が馬鹿に高くて豪華なシャンデリアが吊るされていたのも、きちっと将来を見据えていた訳だ。搬出は1時間ほどで終わり、トラックに積まれたJRコンテナを確認する。もちろん、貨物列車で青函トンネルをくぐって行くのだ。コンテナを見送り、其の後はガス屋の立ち会いがある。それもすぐに終わり、後は不動産屋への引き継ぎを残すのみ。時間があるのでお昼を食べに行った。東光ストアの前のモスバーガーで適当に食べる。不動産屋への引き継ぎも、すぐに終わった。台所も大した汚れもなく、家具を置いた跡が残っているくらいで、特別問題もなし。そらそうでしょ、掃除は欠かさずやったからな。鍵を引き渡して、マンションを出た。何度か振り返ってみる。もう此処に来ることはない。いろいろあった。君と過ごした日々のことは忘れない。飛行機までまだ時間がある。何となく豊平川の方へ行ってみる。土手を上がると、ひまわりとコスモスが健気に咲いていた。♪あーあーあああああー(もう最後)幌平橋を渡り、中島公園へ出る。そうだ、市電に乗ってみようかと最寄りの駅から市電に乗った。札幌に住んでいて、まだ乗ったことが無かったのである。市電でのんびりと大通まで出た。大通から札幌駅までは、地上を歩いた。天気もいいからだ。札幌駅から快速エアポートに乗る時は、胸が震えた。→新札幌→北広島→恵庭→千歳・・・目に入る車窓は全て目に入れた。さらばだー最後の株主優待券で切符を買い、時間が余ったので展望デッキに登る。此のような景色も見れるか分からないので、記念にいろいろ写しておく。全日空機に乗り込むと、席は満席だった。機は夕日を追いかけて一路羽田へ。君を置いてとうとう札幌を出てしまった。かもめ見つめながら連絡船に揺られることも、上野着の夜行列車に夜通し揺られることもなく、やっぱり飛行機はあっと言う間に羽田に着いてしまった。もう日が暮れたので、何だかお腹が空いてくる。空港内の店は何だかよく分からないので、ひとまず京急に乗って横浜へ。横浜駅もごちゃごちゃしててよく分からないので、さらに相鉄に乗ろうとしたが、何両目かに乗った車両は御婦人ばかり。相鉄に女性専用車があるのか!と狼狽して場所を移った。で、結局大和駅で降りて、駅前でとんかつ定食を食べる。食べながら君にメールを打った。大和市つっても君は分からんだろうなぁ。ようやく相模大野までたどり着き、実家へ。両親にこれまでの経緯を話して、そして旧自分の部屋のベッドに寝っ転がる。見慣れた天井を見つめながら、相模原を出て札幌に渡ったのが、ほんの数日前のように感じた。実家は全く時間が止まったままのように感じた。では遠く離れた君へ、おやすみ・・・。
2014.09.26
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事前に仕入れたお菓子は「宝塚ホテル」のスポンジケーキ詰め合わせ。大阪在住時代の名残りで、つい「阪急カラー」が出てしまうのは相変わらずなり。さて、札幌駅の「ガラスのドーム」前で彼女と待ち合わせた。場所が分かりやすいので何度も此処で待ち合わせた訳だが、恐らく此処で待ち合わせるのは最後になるだろう。三日後、拙者はこの駅から快速エアポートで反対側の新千歳空港へ向かい、東京へ戻る運命なのである。札幌駅から、とりあえず小樽行の列車に乗る。列車は途中から石狩湾に沿って走って行くが、此処は何時見ても絶景だ。小樽に到着すると、今度は別の列車に乗り換えねばならない。待っていたのは2両編成の気動車、小樽から先は列車の本数も激減し、非電化区間となる。此の先は完全に未知の世界だ。今日の出来事は生涯忘れることはないだろう。さて、列車はすぐに山の中へ入って行く。暫く山の斜面に多くの家々が連なっている光景を目にした。次第に家々は少なくなっていき、ついにほとんど家が見当たらない山岳地帯を通り抜けること約20分、急に開けたと思ったら余市駅へ着いた。余市駅はなかゝゝ立派な建物だった。いよゝゝ来たか!とまずは深呼吸する。ご家族の方がクルマで迎えに来られて挨拶する際、予期せぬネタが飛び出した。駅前ロータリーに、ちょっとした庭園があった。橋の入り口にハートマークの付いたモニュメントがあって、其処を潜れば幸せになれると云ふのだ。緊張したまゝだったので、云はれるがまゝに彼女と其処を潜った。其の直後に目についたのは、塗装がはがれ放題の橋!ちょっと近くのホームセンター行ってペンキで塗り直したい気分だ。♪あーあーあああああー・・・クルマでいよゝゝ彼女の実家へ・・・北の国からの世界を地でいったような展開になってきた。ご両親への挨拶について、拙者はあるイメージが湧いていた。其れは、二人で観に行った東宝配給の映画「風立ちぬ」で、二郎さんが菜穂子さんの父親へ、交際の許しを請う場面だ。声優さんは誰だか知らないけど、恐ろしくセリフ棒読み口調なのだが、あの朴訥とした雰囲気こそ、本日のように時代感覚が麻痺するような地の果てまでやって来たシチュエーションに相応しく感ずる。処が、事前のイメージもあやふやな程頭一杯いっぱいで、此の時も結局、頭一杯いっぱいで、結局何だったのかと云ふ感じであったが、とにもかくにも拙者の決意は何とか伝わり、そして了承をいたゞいた。既に食事会の手配も済んでいるとのことで、時間が来るまで市内観光でもすることに・・・。「円山公園」の展望台に登った。此処から日本海が一望できる。ニッカウヰスキー創業者(例のマッサン)は、本場スコットランドとよく似た気候である此の地に蒸溜所を開いた訳だが、景観もよく似ているのだろう。ふと足元を見ると、小さなバッタが小休止していた。拙者はバッタの鮮やかな色彩に見入ってしまう。エメラルドグリーンの体に、後ろ足はスカイブルーと赤のツートンカラー。自然はなんて美しいんだろう!町内の料理店でご家族のみなさんと食事をした。お父様が元消防士だったこともあり、「こんな処で消防設備士の小ネタが使えるとは思ってもみなかった」訳である。会食も無事終わり、そして我々は午後4時頃、帰路についた。札幌駅ビルの喫茶店で、彼女とコーヒーを飲んで一息つく。北海道の地方都市から帰ると、地下鉄があり、百貨店が林立する札幌は別世界であることを感じる。彼女とは、今日を最後に暫く会えないことになる。彼女は11月頃を目途に東京に泊まりに行きたいそうだ。何時でも待ってますよ。地下鉄の改札で彼女と別れた。自分のマンションに辿りついて8時30分には寝てしまった。起きてた時間は短いけれど、独身時代の最も長い一日がこうして終わった。★ニッカウイスキー余市蒸溜所は、時間の関係で見学できなかったので、彼女が撮影した写真をこちらで並べています。
2014.09.23
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折りたたみベッドも処分、結局使わなかったこたつ布団も処分、くたびれた日用品も東京都内の百円ショップで新しく買うべとバッサリ処分。それでも段ボールはまぁまぁの数になった。札幌生活もあと僅か、引っ越しの日まで、朝はコンビニの菓子パン、夜は外食で済まそうか。作業が一段落して、ちょっとヒマになった。だから何となく外へ出てみる。豊平川を渡ってすすきのまで歩き、近くのセイコーマートで日糧の菓子パンを買って、休憩コーナーでガキのようにパンをほおばる。店を出て、特に目的もなく南の方へ向かって歩いてみた。街中をひたすら歩いて、何となく着いたのが月寒公園。へぇー、こんなところに公園なんてあったんだーと今更気が付く。池があって、鴨が泳いでいて、ただそれだけだったが。公園を後にして、もうちょっと歩くと札幌ドームが見えてきた。我が阪神タイガースと日ハムとのオープン戦を観戦したことがある。震災直後だったので、黙祷をささげた後、鳴り物も自粛という印象深い試合だった。いつか、日ハムとの日本シリーズを夢見ていた訳だが、それは叶わなかった。福住駅前のイトーヨーカドーで休憩して、もう歩く気力も無くなって、東豊線で帰宅する。時間はまだ16時30分。東光ストアの中にあるレストランで定食を食べながら、青い空をうち眺める。明日は彼女のご両親に挨拶する日である。部屋へ戻り、彼女の実家がある街のことを調べた。余市郡余市町といえば、あの有名なニッカウヰスキーの工場がある町である。スコットランドを模した瀟洒な工場群をホームページで見た。スコットランドと聞いて、拙者はバグパイプの意味不明な旋律よりも、メンデルスゾーン:交響曲第3番スコットランド(相模原市立図書館で借りたCDからダビングしたMDが幸いにも捨てずに残ってた!)に親しみを感じる訳だが、ウチの彼女はあの街(≒スットコランド)の一般的なイメージとして、「ヤーレンソーランソーラン ヤレン ソーランソーラン ハイハイ! 男度胸は五尺のからだぁドンと乗り出せぇ波の上チョイ!」が先に来るのだそうだ。泥臭ぁーいニッポン丸出しのイメージだが、なるほどソーラン節はあそこから生まれた訳ですな。メンデルスゾーンだなんて場違いも甚だしい訳であります。
2014.09.22

執権殿の命により、拙者はとうとう北海道の地を離れることになった。期限は9月30日までだ。次に移封されるのは江戸市中で、任地の場所を考えて東京都内のアパートを借りることになりそうだ。 拙者はここで決断をせねばならなくなった。札幌の地で見初めた彼女のことだ。もう早いうちに、これからの俺たちをどうするのか、決めておく必要があった。それによって、借りるアパートの部屋の広さが違ってくる。一緒に来る!あるいは近いうち来る!となれば、せめて2DK以上の部屋を借りる必要がある。もう別れましょ、サヨナラ!ということになれば、ワンルームの部屋を借りるしかない。 サヨナラとなった時の辛さは想像したくない。津軽海峡冬景色の真逆コースになる訳だが、カモメ見つめながら未練に耐えねばならない連絡船は無いし、上野着の夜行列車を使う必要もない。飛行機でさっさと羽田へ着いてしまうだけ楽だが、札幌を離れるまでにやらなければならないこと=アットホームかスーモでワンルームの部屋を検索したりする行為が惨めだ。 早速、北二十四条に住んでる彼女に会い、事の次第を伝えた。もう話すことは一つしかない。拙者と結婚し、東京へ行くことだ。まぁ彼女にしてみれば、並みの決断で出来ることではないと思う。道民にとって「内地=海外」であり、文化の違う別の世界へ行くようなものだ。恐らく、北海道に戻ることはもう無いだろう。元々ファイターズには興味ないそうだが、拙者と一緒にタテジマのユニフォームを着て阪神タイガースを応援し続ける人生を歩むことになる訳だ(^-^;)。 いつかはこうなることを、あっちも予想していたのか、事の次第と拙者の意向については概ね了承してくれた。よく、「プロポーズの言葉は何ですか?」と聞いたり聞かれたりすること、世の中多いそうだが、結局なんだっけ?と数時間前に言ったこともはっきり覚えていない。現実のところ、そんな格好つけてる場合ではなく、何とかしなければ、という必死な思いで何かを伝えたって訳だ。 さて、こっちは一刻も早く移動の準備をしなければならなくなった。が、彼女は「半年待って欲しい」と条件をつけた。札幌での仕事が残っていて、今すぐ退職して引っ越しの準備は正直難しいという。まぁ当たり前と言えば当たり前だ。身一つで赴任してきて数年の拙者と、二十年近くこの地に住み続けている彼女とは、身軽さが違う。 半年後、追いかけていくという君の言葉を信じるよ。早速、「2DKぐらい」のアパートを探すとしよう。
2014.09.15
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