FLESH&BLOOD 二次創作小説:Rewrite The Stars 6
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
火宵の月 芸能界転生パラレル二次創作小説:愛の華、咲く頃 2
火宵の月 ハーレクインパラレル二次創作小説:運命の花嫁 0
火宵の月 帝国オメガバースパラレル二次創作小説:炎の后 0
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:幸せの魔法をあなたに 3
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 0
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月 昼ドラ大奥風パラレル二次創作小説:茨の海に咲く華 2
火宵の月 転生航空風パラレル二次創作小説:青い龍の背に乗って 2
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
火宵の月×薔薇王の葬列 クロスオーバー二次創作小説:薔薇と月 0
金カム×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:優しい炎 0
火宵の月×魔道祖師 クロスオーバー二次創作小説:椿と白木蓮 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:それを愛と呼ぶなら 1
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:黄金の楽園 0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳥籠の花嫁 0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:蒼き竜の花嫁 0
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
火宵の月 転生昼ドラパラレル二次創作小説:それは、ワルツのように 1
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師 1
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
火宵の月 現代ファンタジーパラレル二次創作小説:朧月の祈り~progress~ 1
火宵の月 現代転生パラレル二次創作小説:ガラスの靴なんて、いらない 2
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 吸血鬼オメガバースパラレル二次創作小説:炎の中に咲く華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:黎明を告げる巫女 0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:光の皇子闇の娘 0
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:闇の巫女炎の神子 0
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 昼ドラファンタジー転生パラレル二次創作小説:Ti Amo~愛の軌跡~ 0
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ハーレクインファンタジーパラレル二次創作小説:花びらの轍 0
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
火宵の月 千と千尋の神隠し風パラレル二次創作小説:われてもすえに・・ 0
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
火宵の月×天愛クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 0
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 2
火宵の月×ハリー・ポッタークロスオーバーパラレル二次創作小説:闇を照らす光 0
火宵の月 現代転生フィギュアスケートパラレル二次創作小説:もう一度、始めよう 1
火宵の月 異世界ハーレクインファンタジーパラレル二次創作小説:愛の螺旋の果て 0
火宵の月 異世界ファンタジーハーレクイン風パラレル二次創作小説:愛の名の下に 0
火宵の月 和風転生シンデレラファンタジーパラレル二次創作小説:炎の月に抱かれて 1
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 1
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 1
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
火宵の月 異世界ファンタジーハーレクイン風昼ドラパラレル二次創作小説:砂塵の彼方 0
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弘徽殿(こきでん)の火事から数ヶ月後、弘徽殿女御・總子(さとこ)は、元気な男児を出産した。「親王(しんのう)様でございますよ、女御様!」「そうか・・それはよかった・・」東宮誕生の喜びに浮き立つ女房達の声を聞きながら、總子は静かに息を引き取った。「女御様、しっかりなされませ、女御様!」「弘徽殿女御が死んだか・・これで主上はわたくしのものとなるな。」そう言って麗景殿女御(れいけいでんのにょうご)・絢子(あやこ)はほくそ笑んだ。「女御様、親王様はどうされますか?」「それは後で考える。今は死んだ弘徽殿女御の代わりを誰が務めるかだ。まぁ、悲しみに沈んだ主上をお慰めするのはわたくしの役目だが。」(弘徽殿女御がいなくなった・・これで後宮は妾の天下じゃ!)「總子が・・死んだか・・」帝―尊仁はそう言って産まれたばかりの我が子を抱いた。「主上、親王様はいかがいたしましょうか?弘徽殿女御様の乳母様はもう年老いておられますし、新たに探すのも・・」「桐壷に、若い乳母(めのと)がいただろう?その者に親王を任せる。」「では・・桐(きり)壷(つぼの)女御(にょうご)様に、親王様を・・」「ああ。麗景殿ではこの子は歓迎されぬ身。爵子ならばこの子を我が子のように可愛がってくれることだろう。」「では、そのようにいたします。」こうして産まれたばかりの親王は、桐壷女御・爵子(たかこ)の元で育てられることとなった。「可愛い子だこと。そうは思わなくて、遥?」そう言って爵子は女房達の中に遥の姿を探した。「女御様、遥はもう・・」「ああ、そうだったわね・・いつもの癖で、つい・・。」爵子は溜息を吐いて俯いた。「・・まだ信じられないわ、あんなに明るくて優しかった子が、もういないだなんて。」脳裏に、いつも自分達を楽しませてくれた遥の姿が浮かんだ。もう二度ととあの笑顔が見られないなんて、信じられない。だが、それが現実なのだ。遥は何者かの手によって惨たらしくその命を奪われた。「あの子がいないなんて、寂しいわね・・」「女御様・・」爵子は涙を拭い、親王をあやし始めた。「柚葉は、今どこにいるのかしらね・・無事だといいけれど・・」そう言って彼女は御簾の外を見つめた。空から静かに雪が降ってきた。「親王様が桐壷女御様に・・それはまことか?」「はい。」(妾があの女に代わり、親王をお育てしようと思ったのに・・桐壷女御に先を越されてしまった!おのれ・・どうすれば・・)總子の代わりに後宮の全権を握ろうと企んでいた絢子だったが、その企みは帝の考えによって潰されてしまった。(主上、何故わたくしに親王様を託してくださらないのですか!?何故、よりにもよって桐壷女御なんかに・・許さぬ!)「彩加、何処におる、彩加!?」「ここにおりますわ、女御様。」彩加はそう言って絢子の前に座った。「桐壷から親王様を攫(さら)って来い。女御は殺しても構わぬ!」「本気ですか、女御様?」「ああ・・親王様は、このわたくしがお育てする!」狂気の瞳を光らせながら、絢子は口端を上げて笑った。(桐壷女御などに、親王様を渡してなるものか!親王様はわたくしがお育てし、わたくしが国母(こくも)となるのだ!)かつて總子が抱いていた野望は、彼女亡き後、絢子へとそのまま引き継がれた。(この子はどんな大人に育つのかしら・・今から楽しみだわ・・)自分の腕の中で眠る親王を抱きながら、爵子は彼に微笑んだ。絢子の憎悪が自分達に迫るとは、知る由もなく。にほんブログ村
2011年07月24日
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柚葉は筝の前に優雅に座ったが、なかなか筝を弾く気にはなれなかった。郷愁の想いばかりが募り、宴で楽しい曲などを弾く気には全然なれなかった。「どうした、早う弾いてみせろ。」すっかり酔いが回ってしまった村長は、そう言って柚葉を睨んだ。「申し訳ございません、今は楽しい曲を弾く気分ではありません。」柚葉はそう言って村長に頭を下げた。「何だと!?田舎者だと思って馬鹿にしておるのか!」村長は柚葉にそう怒鳴って立ち上がると、柚葉の横面を張った。横面を張られた柚葉は、悲鳴を上げて床に蹲った。「何をなさるんですか、村長殿!」叡久は柚葉を抱き起こしながら、村長を睨んだ。「折角宴に招いてやっているのに、生意気な態度を取るからだ。早く弾かぬか!」俯き、屈辱に震える柚葉に、村長はその華奢な身体を扇で打ち始めた。(この男を今すぐ殺せば、どんなに気が済むか・・)都の名門貴族の“姫”として育った自分がこんな田舎者に馬鹿にされるとは。“殺してしまえばいいではないか。”もう1人の自分がそう言って柚葉の奥底に眠っている鬼の本能に呼びかける。だが、今はそんなことをしたくはない。「わかりました。」柚葉は顔をあげ、きっと村長を睨んだ。「宴に招いていただいたのも何かの御縁ですわ。」柚葉はそう言って筝の前に座り、それを爪弾いた。美しい音色に、叡久をはじめ、宴の客達は酔いしれた。しかし、村長だけは、始終不機嫌な表情を浮かべていた。筝を弾き終わった柚葉は、勝ち誇ったような笑みを浮かべて村長を見た。「村長様のご希望に添えませんでしたが、ご満足いただけましたでしょうか?」その言葉を聞いた村長は憤怒の表情を浮かべて立ち上がり、部屋を出て行った。「全くなんだあの態度は、人を馬鹿にしおって!」「どうなさいました、お前様?」寝所に入った村長を、出迎えていた若い側室が迎えた。「どうもこうもないよ。都から来た姫君が宴の席で辛気臭い音色を筝で奏でて、満足していただけたでしょうか?と言って人を小馬鹿にした笑みをわしに浮かべおった!都の名門貴族の出だからと偉そうにして・・鬼姫の癖に!」「鬼姫?弘徽殿を炎上させたあの鬼姫がこの邸にいらっしゃるんですの、あなた?」若い側室―伽耶(かや)は、何かを企んだかのような笑みを浮かべた。「ああ、そうだが・・何だ、興味でもあるのか?」「いいえ。ただ、是非会ってみたいですわ、その鬼姫とやらに。」伽耶はそう言って笑った。宴が終わり、柚葉は村長に与えられた部屋で休んでいた。(いつになったら京へ戻れるのだろう・・)溜息を吐きながら、柚葉は筝を爪弾いた。同じ頃叡久は、外に出て潮風に当たりながら歩いていた。宴で一緒だった友人達は部屋で休んでしまった。(これからどうしようか・・)東下りと洒落こんでこんなところまで来たものの、旅費が尽きてしまい、京にはどうやって帰ろうかと悩んでいた。溜息を吐き、笛袋から横笛を取り出し、吹き始めた。その時、宴に出ていた姫君が奏でる筝の音色が聞こえた。その音色は宴で聞いたものと同じ、物悲しい音色だった。(あの姫様も、わたしと同じ気持ちなのだろうな・・)事情は知らないが、あの姫も自分と同じ、京を想っているのだろう。筝の音に合わせて、叡久は笛を吹いた。郷愁の音色が混ざり合い、それは潮風に乗って京に届いた。(今、筝の音が聞こえたような・・)京の土御門邸では、有人が柚葉が奏でる筝の音を聞き、御帳台から飛び起きたところだった。(気のせいか・・)再び目を閉じようと思ったが眠れず、有人は和琴を取り出し、爪弾き始めた。何処かにいる柚葉に届くように。にほんブログ村
2011年07月24日
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柚葉が行方不明となって数か月が経った。有人は式神を使って柚葉の行方を捜しているが、めぼしい手がかりはなかった。柚葉は一体どこへ消えてしまったのか、誰にもわからなかった。(誰かが柚葉さんを攫って彼女を殺したのではないか?弘徽殿女御様や柚葉さんの父君を恨んでいる者や敵対している者の仕業かもしれない・・)柚葉の父、為人は宮中で権勢を振るい、貿易業も生業にしているので何かと敵が多い。だが為人を恨んでいても、彼らの多くは為人が恐くて何も言えない。そういった者達が為人の娘である柚葉を攫って殺すなどということはする筈がない。だとすると、為人を最も憎み、彼を破滅させようとしている者の仕業に違いない。だとすると、犯人は1人しかいない。藤原種嵩。為人と反目し、犬猿の仲である左大臣。彼ならば、人を雇って柚葉を攫い、殺すことなど簡単にできよう。 そういえば彼が雇っている陰陽師―灑実が数か月前から行方不明となり、未だ消息がわからないという噂が宮中で広まっていた。数か月前といえば、柚葉が突然姿を消した時期と重なる。(彼だ、彼に違いない・・)柚葉失踪の真相を確かめる為に、有人は種嵩の元へと向かった。「灑実が行方不明だと?それは確かなのか?」「はい、お館様。何でも、柚葉様も麗景殿のご自室からお姿を消したとかで、為人が慌てふためいております。」種嵩に長年仕えてきた男がそう言って主を見た。「そうか・・早く灑実の消息を掴め。柚葉が骸となって見つかる前に。」「かしこまりました。」男は種嵩に頭を下げ、部屋を出て行った。(困ったことになった・・灑実の奴、一体どこへ行った・・)「お館様、有人様がお館様にお会いしたいと申しております。」「有人殿が?」柚葉の許嫁である有人が、自分に何の用だろうか。「通せ。」「かしこまりました。」部屋を出て行く家人と入れ違いに、有人が険しい表情を浮かべて部屋に入ってきた。「有人殿、わしに話とは何かな?」「柚葉さんをどこへやった?」有人はそう言って種嵩の胸倉を掴んだ。「何のことだ、わしは何も知らん!」「とぼけるのは止せ!灑実に柚葉を攫い、殺すように命じたのだろう、違うか!?」「離さぬか、無礼者!」種嵩は有人を突き飛ばした。彼は茹で蛸のように顔を真っ赤にさせ、血走った眼で有人を睨んだ。「わしが貴様の許嫁を攫って殺すよう、灑実に命じただと?寝言も休み休み言ったらどうだ!?わしは確かに腹黒い男だが、そんな畜生にも劣る真似はせんわ!」「・・失礼いたします。」(種嵩は柚葉さんの失踪には関わってはいない・・だとしたら誰が?誰が柚葉さんを麗景殿から攫ったのだ?)やっと立てた仮説が立証できなかった有人は、牛車の中でまた柚葉を攫った犯人を考え始めたが、弘徽殿女御以外、誰も思い浮かばない。だが妊娠中の弘徽殿女御が、悪事に手を染めるとは考えられない。彼女はかつて柚葉を目の敵にしていたが、今は帝の御子を宿して柚葉への憎しみは消えてしまったようだ。(一体どうすればいいんだ・・どうすれば・・)柚葉を捜したいが、彼女を攫った犯人がわからない以上、手の打ちようがない。有人の中に、次第に焦りが広がっていった。にほんブログ村
2011年07月24日
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「貴様・・何を・・」 鮮血が噴き出す首から血を押さえながら、灑実は懐剣を握り締め、口元に笑みを浮かべる柚葉を見た。柚葉はもう一度懐剣を灑実めがけて振り下ろした。振り下ろす度に、柚葉は灑実への憎しみをこめた。何度も、何度も。砂浜に血が混じり、波がそれをさらっていった。柚葉は真紅の瞳で冷たくなった灑実を見下ろした。「ふふふ・・」口元を歪め、柚葉は笑い始めた。狂気の笑い声は、潮風に運ばれ、村中に響いた。「なんだ、あの笑い声は?」「不吉じゃな・・」「浜の近くに廃屋があっただろう?どうやらあそこには鬼が棲んどるらしいぞ・・」「怖いねぇ・・」村人たちはそう言い合いながら、浜辺の方を見た。浜辺では柚葉が灑実の身体を着ていた衣にくるみ、海へと流していた。(こいつなんて、魚の餌になってしまうのがお似合いだ。)潮の流れが灑実の遺体を沖の方へと流してゆくのを見ながら、柚葉はほくそ笑み、小屋の中へと入った。今夜は村長が催す宴が開かれる。遅れないようにしなければ。その夜、村長の邸で華やかな宴が開かれ、村長や隣村の有力者、そして都から来た貴族数人が来ていた。「今夜の宴には都から遥々この村に来た姫君が来られるそうだ。」村長は盃の中の酒を飲み干しながら言った。「姫君、ですか?」都から来た1人の公達(きんだち)がそう言って村長を見た。「ええ。浜辺に小屋があるでしょう?あそこには都から来た陰陽師が攫って来た姫君と住んでるらしいんですよ。その姫君とやらは宮中に災いを招き寄せる鬼姫だというのが村人たちの噂でしてね・・」村長がそう言って笑った時、御簾が乱暴に上げられ、家人に連れられて金髪蒼眼の姫君が部屋に入ってきた。「姫様を、お連れいたしました。」「そうか・・もう下がってよいぞ。」村長は気まずそうに家人を追い払い、姫君と目を合わせないようにしていた。「本日は宴にお招きいただき、ありがとうございます。」姫君はそう言って村長に頭を下げて笑ったが、蒼い瞳は冷たく、射るように彼を見ており、笑っていなかった。「紹介しよう。こちらが高司叡久(たかつかさのさとひさ)殿だ。叡久殿、こちらが山野裏為人の姫君様、柚葉様でございます。」「為人様の・・姫君様・・?」公達はそう言って姫君を見た。宮中で権勢をふるっている男の娘が何故、こんなひなびた漁村にいるのだろうー公達はそう思いながら姫君の顔を見た。「わたくしの顔に、何かついておりますか?」姫君の美しさに目を奪われていると、冷たく射るような蒼い瞳で姫君が自分を見ていた。「いいえ・・あなたがあまりにも美しいので・・」「そうですか・・」姫君はふっと笑って、公達の傍を通り過ぎた。「そなたは都では筝の名手として名高いとか・・神々をも涙するその音色を是非聞きたいものだ。」村長は家人達に目配せし、筝を部屋に運ばせた。「お招きしていただいた感謝の証として、拙いわたくしの音色をお聞かせいたしましょう。」 柚葉は衣擦れの音を優雅に響かせながら可憐な花弁が地に舞い落ちるように筝の前に腰を下ろした。にほんブログ村
2011年07月24日
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「しばらく外に出ていろ。お前の顔など見たくもない。」灑実に殴られた頬を擦りながら、柚葉は静かに小屋を出て行った。小屋を出ると、そこはどこかの漁村の近くのようだった。周りを見渡すと女達が獲れた魚を捌いている。しばらく歩いていると、村の広場のようなものが見えてきた。そこでは数人の子ども達が遊んでいた。「にいにい、待ってよ~!」「ここまでおいで~!」楽しそうにふざけ合う幼い兄弟を見ながら、柚葉は昔のことを思い出していた。(俺があいつらの年だった頃、俺もこうして兄上と遊んでいたな・・)まだ自分の出生のことについて何も知らず、無邪気に兄や妹と遊んでいた幸せな頃。だが、時はもう戻らない。柚葉は広場を後にして、海へと向かった。寄せては打つ波が、柚葉の衣と髪を濡らしたが、柚葉はそんなことは気にしなかった。(あの向こうには、京があるんだろうか?) たとえ無理だとしても泳いで京へと帰りたいーそう思いながら柚葉は海の中へ歩を進めようとした。だが、海の中に入ろうとしたとき、誰かに手を掴まれて浜に引き戻された。「こんなところで一体何をしているのですか?」明らかに都人だと思われる男が、そう言って柚葉を見つめていた。「海を、見ていたのです。」柚葉はそう言って男の手を振り払い、彼に背を向けて歩き始めた。男の視線が、小屋に入るまで纏わりついた。「あの男と一体何を話していた?」小屋に入ると、灑実がそう言って柚葉を睨んだ。「何も。」「生意気な口を利くのは慎んだ方がよいぞ。」灑実は柳眉を上げながら、柚葉の髪を乱暴に掴んだ。「お前の命は今、このわたしが握っている。お前を生かすも殺すもわたし次第。それを肝に銘じておけ。それと、今夜は村長が盛大な宴を開いてくれるそうだから、これを着ろ。」灑実は柚葉に向かって美しい衣を投げつけながら言った。「向こうには筝もあるようだから、ひとつ貰って退屈しのぎにここで弾くがいい。」灑実は何も言わず俯いている柚葉を満足そうに見ながら、小屋を出た。(どうして・・俺がこんな目に・・)灑実に京ではない遠い所に連れ去られ、いつ京に戻れるのかがわからない。何も悪いことはしていないのに、何故自分がこんな目に遭うのだろう。あの男が、灑実が憎い。あの男さえ、いなくなれば・・“あの男を喰ってしまえ。そうすればお前は自由になれるぞ。”頭の中から声が聞こえた。“お前は鬼、しかも鬼族の次期統領の血をひく高貴な鬼だ。あんな人間如きに虐げられることはない。”(人を喰らうなんて・・そんなこと、出来ない・・)“何を躊躇(ちゅうちょ)している?父と母を奪った人間どもが憎いのであろう?憎くて堪らない人間どもを傷つけてやりたいとは思わぬのか?”「俺はそんなこと・・考えたくもない・・そんなこと・・」“人を喰らうことでしか生きてゆけぬのだ、お前は。”もう1人の自分の声が頭の中で響く。血の海の中で息絶えている遥の姿が脳裏に浮かんだ。“お前は憎い相手に最愛の者を奪われた。今こそ復讐の時だ!”人間たちを殺さなくては。父と母を奪い、最愛の者を奪った憎い人間たちを、殺さなくては。俯いていた顔を、柚葉はゆっくりと上げた。いつも美しい蒼い光を放つその瞳は、狂気を孕(はら)んだ真紅に染まっていた。「皆殺しにしてやる・・俺の最愛の者を奪った人間たちを・・」小屋を出ると、柚葉は灑実を探した。彼は浜にいた。柚葉はそっと彼の背後に忍び寄り、持っていた懐剣で彼の喉笛を横一文字に切った。にほんブログ村
2011年07月24日
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柚葉は小舟に乗り、ゆっくりと運河を下っていった。橋の向こう側を見ると市場が開かれ、活気溢れた声が響く。 御所とは全く趣が違う尖塔(せんとう)や煉瓦(れんが)造りの建物がこの街の風情を出している。漕(こ)ぎ手が歌う歌は、魂を揺さぶった。「もうすぐ着きますよ。」そう言って漕ぎ手は自分に微笑んだ。宝石を散りばめた美しい衣を纏(まと)った柚葉は、ありがとうと言って漕ぎ手に微笑んだ。その首には、美しい紅玉の十字型の首飾りが下がっていた―(今のは・・)波の音で、柚葉は夢から覚めた。ゆっくりと起き上がって周りを見渡すと、小さい窓のようなものから海が見えた。 ここは麗景殿に与えられた自分の部屋でもなければ、洛中にある山野裏家にある自分の部屋でもない。一体自分は何処にいるのだろうか・・そう思っていると、誰かが小屋の中に入ってくる気配がして振り向いた。「どうやら気がつかれたようだな、柚葉殿。」「お前は・・」「やっと2人きりになれた・・」そう言って田淵ヶ浦灑実は口端を歪ませて笑った。「俺に何をする気だ!?」「それはお前次第だな。わたしを楽しませてくれるのなら、優しくしてやろう。」灑実はそっと柚葉の頬に触れようとした。だが彼の手が頬に触れる前に、柚葉が彼に唾を吐いた。「おのれ・・」怒りを露わにした灑実は、柚葉の美しい顔に向かって拳を振り上げた。鈍い音が、小屋に低く響いた。その頃麗景殿にある柚葉の部屋では、有人が床に突然蹲って苦しみ始めた。「兄上、どうなされたのですか、兄上!?」頼人は慌てふためきながら、兄の肩を揺すった。「大・・丈・・夫・・だ・・」頼人に微笑みながら、有人は意識を失った。「兄上、兄上!」脳裏に、京とは違う街の風景が浮かんできた。海に繋がっている運河の中を渡る1つの小舟。運河にかかる橋には、活気溢れる市場が開かれている。天にも届きそうになる尖塔を持つ建物が、威厳を持って聳(そび)え立っている。その建物から発せられる鐘の音を聞き、小舟に乗っていた1人の少女が、ゆっくりと振り向くー「柚・・葉・・さん・・?」「兄上、気がつかれたのですね!」ゆっくりと目を開けると、そこには涙を浮かべた弟の姿があった。「わたしは・・一体・・ここは・・」「陰陽寮ですよ、兄上。さっき麗景殿でお倒れになったので、陰陽頭様がわざわざ兄上をここにお運びになって・・」「そうか・・それよりも柚葉さんを・・彼女を探さなければ・・」起き上がろうとすると、激しい目眩が有人を襲った。「疲れが溜まっているんですよ、兄上。あまり無理なさらないでください。」「ああ、わかった・・」再び横になった有人は、夢で見た映像のことを思い出した。あれは一体、何の意味を持つのだろうか?あの少女は、柚葉に似ていた。彼女は一体何者なのだろうか?考えれば考えるほど、目眩が酷くなってゆく。有人はゆっくり目を閉じた。にほんブログ村
2011年07月24日
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「何故それをわたしに聞くのですか?」有人はそう言って灑実を睨んだ。「そんなに怖い顔をしないでくれ。ただわたしは柚葉様のお顔を見たいだけなのだ。」「その手はどうした?」生々しい火傷の痕が残る右手を見ながら、有人は灑実を見た。「事故でな・・それよりも、柚葉様の居場所は知っているのだろう?」「知っていたとしても、お前に教えるつもりはない。」有人は灑実に背を向けて、麗景殿へと戻った。 そこには頼人と何故か陰陽頭(おんみょうのかみ)の矢代里海(やしろのさとうみ)が彼の帰りを待っていた。「兄上、弘徽殿の様子はどうでしたか?」「酷いものだった・・女御様はあの火事で顔を酷く火傷して・・灑実殿は、あの火事は麗景殿の上空に集まっていた黒雲の所為だと言っていた。」「確か火事がある前に、黒雲が麗景殿を覆ってましたよね?それが何か?」「更に灑実殿は、あの火事が柚葉さんが引き起こしたものだと言った!」有人は陰陽頭の前で怒りを隠そうともせずに、柱を拳で殴りながら言った。「全く、あいつは藤原家の火事に遭って頭がおかしくなってしまったのではないか?柚葉さんが女御様憎さに弘徽殿を火事にするわけがなかろう!」「兄上、落ち着いて下さい。」頼人はそう言って兄を宥め、里海を見た。「陰陽頭様、陰陽頭様は今回の火事の原因が柚葉様の怨念によるものと思われますか?」「頼人、お前までそんなことを!」「わたしは、もっと別のものが原因だと考えておる。」いきり立つ有人を諌めながら、里海はゆっくりと口を開いた。「別のもの、と言いますと?」「最近灑実の様子がおかしい。もしかしたらあの火事は、あいつが起こしたものかもしれん。」里海の言葉に、2人は耳を疑った。「そんな、まさか・・灑実様は弘徽殿(こきでんの)女御(にょうご)様のことを日頃から快く思っていないという噂は聞いたことがありますが・・灑実様がそんなことをする筈は・・」「人の心とはわからぬもの。現に柚葉殿の兄君は、お前の兄上と柚葉殿との縁談が持ち上がったとき以来、人が変ってしまったかのように豹変してしまったではないか。鬼は結局、人の心に落ち着くのであろうな。」里海はそう言って御簾の向こうを見た。その中では、相変わらず眠り続けている柚葉がいた。その傍らには、火鶯が心配そうに我が子を見つめている。“柚葉、お前の傍にいてやれなくて済まぬ・・あの時、早まって自害しなければ・・”我が子の手を握ろうとしたとき、凄まじい殺気を感じた。「そなたが紅玉の主か・・わたしの右腕に醜い傷を残したのは!」闇の中から、男が現れた。“そなた、何者・・”間髪入れずに男は火鶯に呪をかけた。男は柚葉の首にかかっていた紅玉を紐ごと投げ捨てた。柚葉を覆っていた膜がその刹那なくなり、彼の身体は灑実の腕に抱かれていた。“柚葉をどうするつもりだ!?”「それはお前には関係のないことよ!」男はそう言って突風を起こし、闇の中へと消え去っていった。「これでお前はわたしのもの・・」灑実は柚葉の髪を愛おしそうに梳くと、口端を歪めて笑った。「何だ、今の風は!?」有人達は邪悪なものの気配を感じた。「誰か来てぇ、姫様がっ!」綏那の取り乱した声を聞いた有人達は、御簾の中へと入った。そこには、倒れた几帳と、床に転がった紅玉があるだけだった。「まさか、そんな・・」有人は恐ろしい事態が脳裏を過ぎり、床に蹲(うずくま)った。にほんブログ村
2011年07月24日
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“転換期とは、我ら鬼族が少年期から青年期へと変化するとき、霊力や生殖能力の強さなどによって、階級社会でどの階級に属するかが決まる。転換期は12~16歳までだ。”「では、柚葉さんは転換期の真っ最中だということですか?」“ああ。子を宿せる者と、宿せない者が選り分けられるのも、この頃だ。子孫繁栄の為、男女関係なく子が宿せるようになる。伴侶さえ得ればな。”火鶯(かおう)はそう言って蒼い瞳で有人を見つめた。「転換期のことはよくわかりましたが・・何故柚葉さんは眠ったままなんでしょうか?」“それはわたしがあれに遺した紅玉が、あいつを護っているのだろう。”火鶯は柚葉が胸に提げている紅玉を指した。“この紅玉は、鬼族の統領が代々受け継ぐ宝だ。わたしは鬼族の統領の長男だったから、この紅玉はわたしが父の後に受け継ぐ筈だった。”「受け継ぐ筈だった?いったいそれはどういう・・」その時、耳をつんざくような轟音(ごうおん)が弘徽殿から響いた。「一体、何の音・・」弘徽殿の方を見ると、うっすらと黒煙が立ち上っていた。“行くがよい。柚葉はわたしが護ってやる。”「すいません。」有人は火鶯に頭を下げて、弘徽殿へと向かった。「何だ、これは・・」弘徽殿に向かった有人の目に広がった光景は、まさに地獄絵図そのものだった。泣き叫ぶ者達や、黒焦げとなった遺体が地面に転がっていた。「有人殿、遅いですぞ。」気取ったような声がして振り向くと、そこには田淵ヶ浦灑(たぶちがうらさね)実(のぶ)がいた。「いったい何があったのですか、灑実殿?」「どうやら爆発は麗景殿を覆っていた黒雲が引き起こしたようだ。」「被害は?」「女御様付の女房が5人焼死した。女御様は重度の火傷を負っているが、腹の御子は無事だ。」灑実はそう言って、有人を見た。「そういえば麗景殿には、貴殿の許嫁がいるのであったな?」「はい・・そうですが、それが何か?」有人は灑実の言いたいことがわかっていた。「この爆発は柚葉さんが引き起こしたとでも?」獲物を狙う猛禽類のような目で灑実を睨むと、彼は気まずそうに自分の元から去っていった。(全く、嫌な奴だ・・)有人は溜息を吐きながら、目の前に広がる惨状を見た。「有人様、来て下さいましたか。」声を掛けられて振り向くと、そこには弘徽殿女御に仕えている女房の1人が御簾越しに自分を見ていた。「女御様のご容態はいかがですか?」「薬師様は大丈夫だとおっしゃっておりますが、あんなお姿になってお可哀想に・・」女房はそう言うと袖元で涙を拭った。「女御様に是非、お会いになって下さいませ。有人様がお顔を見せれば、女御様もお元気になられることでしょう。」柚葉を憎んでいた弘徽殿女御に会うのは気が進まなかったが、無下に断るわけにもいかず、女房の誘いを受けて有人は御簾の中へと入って行った。「女御様、土御門有人でございます。」返事はない。「これはこれは、有人様。ようこそお越し下さいました。」女御の乳母である老女が、そう言って自分に頭を下げ、御簾を開けた。顔の左半分が焼けただれた女御が、身動きもせずに御帳台に横たわっていた。「女御様、お可哀想に・・あの柚葉が女御様をこんな目に遭わせたのですわ・・憎らしいったらありゃしない・・」有人は乳母の言葉は聞かなかったことにした。「では、わたくしはこれで。」御簾を捲ると、そこには灑実が立っていた。「柚葉様はどこにいる?」にほんブログ村
2011年07月24日
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有人は呪符を懐から取り出し、呪を唱えて黒雲を睨んだ。“寄越せ、紅玉を!”“永遠の愛と力を寄越せ!”“その紅玉は我らのもの!”魑魅魍魎達が黒雲の中から姿を現し、有人に向かって口ぐちに叫ぶ。有人は柚葉の首にかかっている紅玉を見た。 紅玉はまるで柚葉を守ろうとするかのように、真紅の光を放ち、柚葉のまわりに膜のようなものを張り巡らしていた。「貴様たちにはこの紅玉は渡さん!行け、式神!」有人はそう叫んで黒雲に向かって青龍を放った。魑魅魍魎達の大半は青龍に喰われ、その大半は逃げ惑っていた。「やったか・・」有人は溜息を吐いて柚葉に近づいた。真紅の膜はまだ柚葉の周りに張っている。有人はそっと、柚葉の頬を撫でようとした。その時、激痛が有人の右手を襲った。「・・っ痛!」(この膜は一体・・まるで柚葉さんを守ろうとしているかのように張り巡らされている・・)“柚葉に触れるな。”頭の中から突然声が聞こえた。振り向くと、朱色の直衣を着た男が立っていた。「お前は何者だ?」“わが名は紅。柚葉を守ってきた。”男はそう言って有人を見た。「柚葉さんを護っている膜は一体何だ?」“それは紅玉に宿った魂魄が、柚葉を護ろうとして作ったものだ。この膜を破るのは、柚葉以外誰にもできない。”「そうか・・では、紅玉に宿る魂魄は一体誰のものだ?」“柚葉の父親で、俺の友人だった男だ。その男は鬼族の若君だった。”紅の言葉を聞いた有人は、衝撃を受けた。(柚葉さんの父親が・・鬼族の若君・・)ということは、柚葉には半分鬼の血が流れていることになる。何故為人が柚葉を邸に長年幽閉していたのかが、今わかった。知られたくなかったのだ、柚葉が鬼の子だということを。「紅、柚葉の父親とは話ができるか?」“さぁな。難しいかもしれないが、やってみるといい。”有人は柚葉の前に座り、目を閉じて呪を唱え始めた。すると柚葉を覆っていた真紅の膜が少し薄くなった。“俺を呼んだのは誰だ?”凄まじい殺気とともに、金髪蒼眼の男が膜の中からー正確に言えば紅玉の中から現れた。「あなたが、柚葉さんのお父上様ですか?」“俺の名は火鶯。この紅玉はかつては俺のものだった。お前は誰だ?”「わたしは土御門有人。柚葉さんとお付き合いさせていただいている者です。あなたと少しお話がしたいのですが、宜しいでしょうか?」男―柚葉の亡き父・火鶯はじっと有人を見た。“陰陽師が俺の息子に何の用だ?まさかあいつを殺そうというのか?”凄まじい殺気が、有人を襲った。「・・いいえ、わたしは、柚葉さんを助けたいんです。彼に今何が起こっているのかを、知りたいんです。」火鶯の蒼い瞳から険しい光が消えた。“そうか、よかろう。”火鶯はそう言って有人に微笑んだ。「柚葉さんに何が起こっているんですか?」“柚葉は、今大事な時期―転換期に入っている。”「転換期?」“知らないのか・・説明が長くなるが、それでもよいか?”「構いません。」にほんブログ村
2011年07月24日
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「柚葉はわたしのもの・・誰にも渡さぬ!」真紅の妖炎を纏いながら、頼篤はそう叫んで狂ったように笑った。「・・どうやらあの男は気が違ってしまったらしい・・」闇の中から眞佐乃はそう言って頼篤を見た。「だがあの男から出る妖炎は、我ら闇の眷属にとっては好都合だ・・あいつにはまだ利用価値がある。」眞佐乃はフッと笑い、闇の中へと姿を消した。(あの男・・確か柚葉様の兄君だったような・・何だか様子がおかしかったな・・)自分は陰陽生ではないし、霊感は余り強くないが、頼篤の全身から微かに邪悪なものを感じた。国葦はまだ、遥の死も、彼女を殺した犯人が自分の妹だということも知らずにいた。柚葉は一体何処にいるのだろうか?実家に帰っていないのなら、後宮にいるのだろうか。一目だけでもいいから会いたいー国葦はそう思いながら馬に鞭を打った。その時、白馬が何かに怯えたように嘶いた。「おい、どうした?」漆黒の闇の向こう側を、馬は円らな黒い目で怯えるように見ている。まるで、何か恐ろしいものが向こうからやってくるような。「何も怖がることはない、行こう。」そう言って国葦は馬を撫で、鞭を打ったが、馬は動こうとしない。国葦は諦めて馬から降りようとした。その時、背筋に悪寒が走った。向こう側から何か邪悪なものがやってくるのがわかった。元来た道を戻ろうとしたとき、陰の気と瘴気を孕んだ黒い風が、国葦を襲った。「・・・っ!」国葦は咄嗟に両腕で顔を覆った。指の隙間から覗くと、魑魅魍魎の黒い影が通りを歩いているのがはっきりとわかった。「・・なんだ、これ・・」麗景殿にいた柚葉と有人も、魑魅魍魎の気配を感じていた。「これは・・何ですか?」「わかりませんが・・とてつもなく邪悪なものの気配がします。」「一体どこからそんなものが・・」そう言った途端、柚葉は胸を押さえて蹲った。「柚葉さん、どうしました!?」「胸が・・」徐々に意識が遠のいていく。脳裏に、焦土と化した街が浮かんだ。黒雲が太陽を覆い隠し、その下では紅蓮の炎が悪魔のように家々を呑み込んでいく。(いやだ・・こんなの見たくない・・)「柚葉さん、しっかりしてください!」有人の声が遠くから聞こえる。彼の温かい手を握り締めると、柚葉は意識を失った。「助けて・・誰か・・」蒼い瞳から涙を流し、柚葉はゆっくりと目を閉じた。魑魅魍魎の群れはあっという間に都大路を覆い尽くすほどの数になっていった。彼らは柚葉が持っている紅玉を狙っていた。“あの紅玉を奪え!”“永遠の命と力を!”「柚葉さん、しっかりしてください!」有人は意識を失った柚葉を何度も揺さぶった。ざわざわと、生温い風とともに邪悪な瘴気と気配が近づいてくるのを有人は感じた。(来る!)懐から呪付を取り出し、有人は素早く呪を唱えた。麗景殿の上空に、黒雲が広がった。にほんブログ村
2011年07月24日
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「遥様が、亡くなられた?それは本当なのですか、父上?」藤原国葦はそう言って父親を見た。「ああ。なんでも頸動脈を誰かに切られて、御所の裏門に倒れていたとかで・・可哀想に。」そう言いながらも、父の顔には笑みが微かに浮かんでいた。「柚葉様はどうされているのでしょうか?噂によれば、妹君の遺体を見つけたのは彼女だとか・・」「ああ。なんでも有人殿の弟君と遥様を探していた折に、裏門で変わり果てた姿の遥様を見つけたそうだ。今は麗景殿の自分の部屋で寝込んでいるらしい。それよりも国葦、お前はあのことは本気で言っているのか?」父が射るような目で自分を見る。「はい、父上。わたしは柚葉様を娶りたいと思っております。その気持ちは今でも変わりません。」「たわけ!わたしと柚葉殿の父親であるあの男とは政敵なのだ!政敵の娘を喜んで娶る阿呆がどこにおる!」「ここにおります。」「・・そなたにはほとほと呆れたわ。」父はそう言うと、部屋を出て行った。(なんとでも言ってください、父上。わたしはもう決めたのです。)国葦は邸を出て厩に入り、愛馬に跨って山野裏邸へと向かった。「頼篤、今何と言った?」為人は自分の目の前に座っている息子を見つめた。「有人殿と柚葉との縁談を白紙に戻してください。遥が死んで間もないのですから、もうあの縁談はなかったことにしていただきたいのです。」「何を言う。2人の縁談はもう決まったこと。お前が口を挟むことではない。」「父上、わたしは柚葉を実の妹のように可愛がってきました。けれども気づいたのです、もうあいつを・・柚葉を妹のように可愛がることはできないと。あいつは、わたしにとって唯一愛せる人なのだと。」頼篤は自分の想いを父にぶちまけた。「柚葉はわたしが幸せにする!あんな陰陽師に渡すものか!」そう叫んだ頼篤の瞳は真紅に染まっていた。「頼・・篤・・?」為人は初めて息子の異変に気づいた。何かがおかしい。一体息子の身に何が起きたというのだろう?「お前は・・本気なのか?」「ええ。」頼篤はそう言って為人に微笑んだ。(お前は何故・・そんな顔をするんだ・・?)頼篤が寝殿を出た時、馬の嘶きが聞こえた。「誰か来ているのか?」「あの・・それが・・」頼篤が厩へと向かうと、そこには山野裏の若君がいた。「これはこれは、山野裏の国葦殿ではないか。何故このようなところに?」「柚葉様はおられませんか?」「妹に何の用だ?」敵意を露わにしながら、頼篤は目の前に立っている青年を睨んだ。「わたしは柚葉様を今宵、妻にしようと思って参りました。」「柚葉は誰にも渡さぬ!お前にも、あの陰陽師にもだ!」頼篤は真紅の瞳を光らせながら国葦を睨んだ。「・・出なおしてきます。」国葦はそう言って、馬に跨り邸を出ていった。「殺してやる・・柚葉はわたしのもの!」ぎりぎりと唇を噛み締めながら、頼篤は闇の中へと消えてゆく白馬を睨んだ。彼の全身から、激しい瘴気を含んだ真紅の妖炎が包んでいた。にほんブログ村
2011年07月24日
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「有人様、ずっとわたくしのお傍にいて・・お願いよ。」彩加はそう言って有人を抱き締めた。「ねぇ、柚葉よりもわたくしの方がいいと言ってよ、お願いだから。わたくし、あなた以外の人と一緒になるなんて考えられないわ。」彩加から感じる強烈な陰の気から避けようと、有人は彼女を突き飛ばした。彩加は悲鳴をあげ、床に蹲った。「酷い・・わたくしのことを突き飛ばすなんて・・」「彩加様、わたしはあなたのことは妹のようにしか思っていません。それ以上でも、それ以下でもありません。」有人は彼女に背を向けて、部屋を去っていった。「わたくしを捨てるなんて、許しませんからねっ!」彩加はそう言って去っていく有人の背中を睨んだ。柚葉はひとしきり泣いた後、帳台に入って眠った。目を閉じると遥の笑顔が浮かんでくる。幼い頃はいつも自分の後をついてきて、自分を慕っていた遥。有人との縁談話が来たとき、自分のことのように喜んでくれた遥。そして、血の海の中で息絶えている遥。もうあの笑顔を見ることはできないと思うと、柚葉はまた胸が苦しくなってきた。「姫様、お加減はよろしいですか?」綏那はそう言って主を心配そうに見た。「・・いいわけがないだろう・・」「なんてことでしょう、遥様があんな・・あんな惨い殺され方をされるなんて・・一体誰があんな酷いことを・・」「犯人の目星はついている。必ず俺は遥の仇を討ってやる。必ず・・」遥が死の間際に握り締めていた赤い布の切れ端を、柚葉は引き裂かんばかりにそれを握り締めた。「失礼、柚葉さんはどちらに?」「姫様なら、お部屋で休んでおります・・何せあんなことがあった後ですから・・」「あんなこと?」「ご存知ないんですか?遥様が、殺されたんですよ。」綏那の口からその言葉を聞いた時、有人の全身に震えが来た。脳裏に、狂気を瞳に宿した彩加の姿が浮かんだ。「遥様が・・殺された?」「ええ・・首を鋭い刃物で切られて、御所の裏門に倒れてましたよ。姫様が見つけたんですよ。何と姫様をお慰めすればいいのか・・」綏那はそう言って俯いた。「お悔やみ申し上げます。あんなに元気で明るかった遥様が・・信じられない・・」「わたしたちも辛いですけれど、姫様が・・血の海の中に倒れている遥様を見つけた姫様はとても精神的に参っていて・・」綏那の目からは大粒の涙が流れた。「少しだけでもいいから、柚葉さんに会わせていただけないでしょうか?」「・・ええ、有人様のお顔を見れば姫様の調子も良くなりましょう。」綏那はそう言って涙を手の甲で拭い、部屋を出た。「柚葉さん?」帳台の中に蹲り、押し殺した声で泣く柚葉の華奢な背中が揺れるのを、有人は見た。「遥様のこと、聞きました・・とても、残念です・・」有人の言葉を聞いた柚葉の背中がピクリと動いた。「遥様を殺した犯人を、わたしは必ず捕まえます。だからそれまでご自分の命を絶とうだなんてお思いにならないでください。」「・・命を絶つつもりはありませんよ。」柚葉はゆっくりと起き上がり、憔悴しきった瞳で有人を見た。「わたくしは必ず、この手で犯人を捕らえてみせます。そして・・遥が受けた以上の苦しみを、そいつに味あわせてやります。生き地獄の苦しみを、そいつに与えてやりますよ。」そう言った柚葉の瞳には、彩加と同じ狂気の色が滲んでいた。そして柚葉の全身から、瘴気が漂っていた。「柚葉さん・・」「冗談ですよ、冗談。わたくしはそんなことはするつもりはありませんよ。」柚葉は有人に微笑んだ。その瞬間、柚葉の全身から漂っていた瘴気はいつの間にか消えていた。(あれは、気のせいだろうか・・)にほんブログ村
2011年07月24日
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「遥、起きてくれ、お願いだからっ!」柚葉は遥が死んでいると判っていながら、それを認めたくなかった。だから、冷たくなった妹の骸を何度も揺さぶった。妹の目は、冷たく虚ろな瞳をしながら自分を見ていた。それはまさしく、死者の目だった。「柚葉様、もう行きませんと・・」頼人はそう言って柚葉の肩を叩くが、柚葉はその手を邪険に払いのけた。「何故・・何故こんなことが?何故遥が・・妹が死ななければならないんだっ!」腹の底から絞り出すような声で柚葉は妹の骸を抱き締めた。すると、妹が何かを握っていることに気づいた。柚葉が妹の手を開くと、膝に赤い布の切れ端が落ちた。「これは・・」その布に、柚葉は見覚えがあった。有人は柚葉に会う為に、麗景殿へと向かった。「あら、有人様。」彩加はそう言って想い人に微笑んだ。「柚葉様はどこにおられますか?」「知りませんわ。それよりも有人様、柚葉よりもわたくしを見て下さいな。わたくしなら、柚葉よりもいい妻になれますわよ?」「突然何をおっしゃるのですか、彩加様。わたしはもうすぐ柚葉様と結婚します。だからあなたの想いには答えることはできません。」有人は彩加に頭を下げて立ち去ろうとしたとき、彼女が有人の腕を掴んだ。「いや、行かせない・・」ゆっくりと俯いていた顔を上げた彩加の瞳は、昏い光を放っていた。「彩加様?」「・・行かせない、柚葉のところには行かせないっ!」柚葉への嫉妬と激情の余り、彩加は懐から太刀を取り出した。遥の命を奪った刃を、愛する人に向けた。「彩加様、何を・・」「わたくしと一緒にいてくださいませ、有人様。わたくしには有人様しかいませんの・・だから柚葉のところなどに行かないで。」有人は彩加の全身から凄まじい陰の気を感じた。(一体、彩加様に何が・・)「わたくし、有人様のことを5つの頃からお慕いしておりました・・その気持ちは今でも変わりませんわ・・」親同士が仲が良く、有人達と彩加は実の兄妹のように育った。だが有人にとって彩加は妹のような存在でしかない。そして、それは今でも変わらない。「彩加様、あなたの想いには、応えられません。」有人は彩加に頭を下げて、ゆっくりと彼女から去っていった。「どうして・・?どうして、わたくしを見て下さらないの!?何で、あんな鬼姫なんかに・・」絶望に包まれた彩加は、自分の首筋に刃を当てた。「彩加様、おやめくださいっ!」自害しようとする彩加を、有人は寸でのところで止めた。「柚葉のところには行かないで、わたくしと共にいてっ!」彩加は有人を抱き締めた。(絶対離すものか・・有人様に柚葉を渡すものかっ!)陰の気を満ちた彩加は、有人に縋り付いて涙を流した。「柚葉様、お気を確かにして下さい。もうすぐ兄上が来られますから。」妹の突然の死を受け入れられずに部屋で呆然とする柚葉を、頼人は懸命に慰めていた。「今の悲しみは、誰にも癒すことなどできません。たとえそれがあなたの兄上様であっても。」柚葉は悲しみの余り、胸が苦しくなってきた。「しばらく1人にしてくださいませ。」「わかりました。」頼人はそう言って静かに部屋を去っていった。彼の足音が聞こえなくなるのを確かめた柚葉は、獣のような呻き声を上げて嗚咽した。にほんブログ村
2011年07月24日
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彩加は遥を連れて御所の裏門へと向かった。そこは人気がなく、鬼が出るという噂があるほどの、不気味な所であった。「わたくしにお話って、何かしら?」遥はそう言って彩加を見た。「ねぇ、あなたのお姉様、有人様と結婚するって本当?」「ええ、そうだけど・・あなたには関係のないことでしょう?」遥は彩加の様子がおかしいので、裏門を去ろうとした。その時、首筋に冷たいものが当たった。「行かせないわ。」彩加は太刀を遥の首筋に突きつけながら、口端を歪めて笑った。「あなた、邪魔なのよ。」「綏那、遥を見かけなかったか?」いつも自分の後ろをついてくる妹がいないことに気づいた柚葉は、そう言って乳母を見た。「いいえ、お見かけしておりませんけれど・・」「そうか。」柚葉は部屋を出て、遥を探しに行った。「遥はまだ帰ってきていないわね・・」桐壷女御はそう言って首を傾げた。「そうですか・・お手を煩わせて申し訳ありませんでした。」柚葉は女御に頭を下げ、桐壷を出て行った。(いったいどこへ行ったんだろう、遥は?)麗景殿へと戻ろうとしている途中、彩加と擦れ違った。彼女は柚葉と目が合った時、口端を歪めてにやりと笑った。(気持ち悪い女だな・・)その笑みを見たとき、柚葉の肌が粟立った。「柚葉殿ではありませんか。」背後から声を掛けられて振り向くと、そこには1人の陰陽生が立っていた。「あなたは、確か有人様の・・」「初めまして、土御門頼人です。兄をどうか、宜しくお願いいたしますね、柚葉様。」頼人はそう言って柚葉に頭を下げた。「こちらこそ宜しく。それよりも、妹を探しているのですが、どこにもいないのです。桐壷にも戻っていないというし・・一体何処へ行ってしまったのか・・」「先ほど藤原の姫君と裏門に向かっているところを見かけましたけれど・・何なら一緒に行ってみましょうか?」柚葉と頼人は、御所の裏門へと向かった。日が暮れ、漆黒の闇と白い霧が辺りを包み、そこは不気味な雰囲気が漂っていた。「遥、どこだ?」柚葉は妹の名を呼ぶが、返事はない。「遥、どこにいる?」柚葉が諦めて裏門を去ろうとしたとき、足元に何かが当たった。霧がやがて晴れてきて、柚葉は初めて自分の足元に遥が倒れていることを知った。「遥、しっかりしろ!おい、遥!」柚葉はぐったりとした遥を抱き抱え、彼女の身体を揺さぶった。だが、遥はビクともしなかった。「しっかりしろ、死ぬな、遥!お願いだから、死ぬな!」柚葉の空しい叫びは、絶望の闇夜に虚しく木霊した。彩加は、自分の部屋でじっと両の掌を見つめていた。脳裏に、首を切られ血の海の中でもがき、息絶えた遥の姿が浮かんでくる。「わたくしが・・殺した・・」ボソリと彩加は呟き、口端を歪めて笑い始めた。狂気の笑い声が、麗景殿を包んだ。「遥・・どうして・・」かつては妹であった冷たい骸を抱きながら、柚葉は蒼い瞳から大粒の涙を流した。にほんブログ村
2011年07月24日
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「・・うん・・」柚葉はゆっくりと目を開き、起きあがった。隣の有人は寝息を立てて眠っている。柚葉はそっと、彼の艶やかな黒髪を梳いた。以前会った時は大嫌いだったのに、今は何故か彼のことが愛おしい。何故こんな気持ちになるのだろうか。縁談が調い、彼と共に人生を歩むことになるのなら、本望だ。 彼と一緒になれたら、宮中での醜い争いの中にいることもなくなる。それに、帝も自分が結婚するとなったら、諦めてくれるだろう。彼の妻である弘徽殿女御は彼の子を宿しているのだから。「どうしました、柚葉殿?」「おはようございます。」「おはよう。今日のあなたはいつにも増して美しいですね。」有人はそう言って柚葉を抱き締めた。柚葉は照れ笑いを浮かべた。「これからあなたと共に生きることができるなんて、嬉しいです。これから、宜しくお願いしますね。」「こちらこそ。」有人は柚葉に微笑み、彼の唇を塞いだ。実家で有人と甘い時間を過ごした後、柚葉は遥とともに宮中へ上がった。「姉様、身体の方は大丈夫なの?」「ああ・・少し腰がだるいが。」「まぁ、姉様ったら!」姉妹が笑いながら麗景殿へと向かうと、そこには不機嫌な麗景殿の主がいた。「柚葉、何をそんなに騒いでおる?」「いいえ・・何でもございません。」柚葉はそう言って女御に向かって頭を下げた。「そうか・・そちらの者は?見かけない顔じゃが。」そう言って女御は遥を見た。「女御様、こちらはわたくしの妹、遥でございます。遥、女御様にご挨拶を。」「お初にお目にかかります、女御様。遥と申します。」「遥と申すのか。可愛い子だこと。そなたは桐壷女御に仕えておるのか?」「はい。」「そうか、残念だな・・」「ではこれで失礼いたします、女御様。」遥はそう言って、麗景殿を出て行った。「柚葉、そなたと土御門有人との縁談は聞いた。そなた達なら似合いの夫婦となろう。」「ありがたきお言葉にございます、女御様。」女御の言葉を聞いた彩加は嫉妬と憎しみに震えた。(柚葉と・・有人様が・・夫婦に?)密かに有人に恋心を抱いていた彩加は、柚葉に有人を奪われてしまうと思い、柚葉に対しての憎しみを一層新たにした。(柚葉・・許さないわ・・よくも、わたくしの有人様を!)どうやって柚葉を傷つけようかと、彩加は考えていた。絶対に許さない。柚葉を完膚なきまでに叩きのめすには、一体どうすればいいのか。(そうだ、いい考えがあるわ。)何かを考えた彩加は、口元に歪んだ笑みを浮かべた。遥は桐壷で姉の縁談を女御に話していた。「そう、柚葉が有人様と・・それはめでたいことね。」「ええ。でも有人様は人気がありますから、姉が有人様と祝言を挙げるまで無事でいられるかどうか、心配です。」遥はそう言って溜息を吐いた。桐壷を出た遥は、姉がいる麗景殿へと向かった。「あら、あなたはさっき、女御様に挨拶していた・・」後ろから声を掛けられ振り向くと、そこにはあの藤原の姫がいた。「わたしに何の用かしら?」「あなたにお話があるのよ。ちょっと来てくださる?」彩加はフッと口元に笑みを浮かべながら言った。にほんブログ村
2011年07月24日
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“やっと捕まえた。” 老女は緋色の衣を肩に掛け、鼠色の服を着ていた。銀髪は汚れていてところどころ縮れており、金色の瞳は柚葉をじっと見つめていた。「お前は何者だ?」柚葉はそう言って老女を睨んだ。“感じる・・お前には邪悪な気を感じる。いや、そうじゃないね。お前の周りにいる者の気だ。”「一体、何を言っている?」柚葉は老女から一歩、後ずさった。“その者はお前を自分のものにしようとしている。やがてお前が愛する男をその者が殺すだろう。”誰が有人を殺すのだろうか。「お前は何故俺を追いかける?お前の狙いは何だ?」柚葉は懐剣を抜こうとしたが、その手を老女が阻んだ。“邪気を持った者にはお気をつけ。腹の子を護る為にもお前が強くならねばならない。”老女はやがて霧の中へと消えていった。(なんだったんだ・・あの夢は・・)柚葉は寝返りを打ちながら、夢のことを考えていた。(俺は男なのに・・子どもなんかできるわけがない。何が言いたかったんだ、あの婆さんは?)余計なことを考えていないでさっさと寝てしまおうー柚葉はそう思い、また目を閉じた。「ん・・」目を開けると、有人が隣で自分に微笑んでいた。「お目覚めですか、柚葉殿?」「ええ・・」隣で寝ている有人を見た瞬間、脳裏に昨夜のことが浮かび、頬が赤くなった。「どうしました?」「昨夜のことを思い出して・・」柚葉はそう言って俯いた。「そうですか・・昨夜は、どうでしたか?」柚葉からの答えはなかった。「頼篤殿は、わたしとあなたとの関係を快く思っていないようです。」有人はそう言って柚葉の髪を梳いた。「そうですね・・兄上は、変わってしまった・・。」昨夜見た夢のことは、有人には言わなかった。夢に出てきた老女の戯言など、気にしない方がいい。「よく眠っていましたね。わたしは変な夢を見てしまって余りよく眠れませんでした。」「変な夢?」「ええ・・濃霧がたちこめる深い森の中を走っていて、1人の老婆がわたしに向かってこう言ったんです、“お前やお前の息子に危害を加えようとする者にお気をつけ。決して気を抜くんじゃないよ”と。」有人の言葉を聞いた柚葉は青ざめた。彼が見た夢の内容は、自分が見た夢と全く同じものだった。「そうですか・・実はわたしも、同じ夢を見たんです。」(一体彼女は俺達に何を伝えたかったんだ?)「まだ起きるのには早い。もう一眠りしましょう。」「ええ・・」あの老女に再び夢の中で会わないように願いながら、柚葉は有人の胸に顔を埋めて寝た。“また会ったね。”老女はそう言って柚葉を見てニタリと笑った。「俺は男だ、俺は子どもを産めない。」“お前はやがて愛する男との子を宿すだろう。お前は男であっても、子を宿せるんだよ。”謎めいた言葉を残し、老女は再び濃霧の中へと消えていった。にほんブログ村
2011年07月24日
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部屋を出た頼篤は、池を眺めていた。脳裏に浮かぶのは、あの陰陽師のことばかり。柚葉の純潔を奪ったのは、自分なのに。だが、柚葉は、柚葉の心は自分ではなくあの陰陽師に向いている。昨夜から柚葉の、自分に対する態度はガラリと変わった。自分が何か恐ろしいものに取り憑かれているような目で自分を見ているのだ。(何故、あんな目でわたしを見るんだ、柚葉?わたしはあなたのお前のことを愛しているのに・・)柚葉への愛を手に入れようとしたが、それは手に入らなかった。それどころか、柚葉はますます自分から離れていくばかりだ。(柚葉、わたしはお前のことが・・)頼篤は両手で頭を抱えながら、溜息を吐いた。「兄とは、話せましたか?」部屋に戻ると、柚葉が心配そうな顔で自分を見ていた。「ええ。ですが妹さんが、あなたとお兄さんとのことを知ってしまいました。」「そう・・遥が・・」今頃遥はどんなに打ちのめされていることだろうーそう思うと柚葉の胸は張り裂けんばかりに痛んだ。「・・わたしたち、元に戻れるでしょうか?いつも一緒にいて、仲が良かった頃に、戻れるでしょうか?」有人は柚葉の問いに答えなかった。頼篤は少し正気を失っている。彼は柚葉に執着し、彼女を手に入れる為ならどんなことでもするだろう。もう彼らは昔のような関係には戻れない。だが、そんなことは今、柚葉には言えない。「・・きっと、戻れますよ。昔のような関係に。」有人はそう言って柚葉を抱き締め、彼女の唇を塞いだ。柚葉の華奢な身体が有人の腕の中でビクリと震えるのを感じた。「大丈夫、わたしはあなたのことを傷つけたりはしない。」有人はそっと、柚葉を抱き上げて帳台の中に入った。「有人様・・」潤んだ瞳で柚葉に見つめられ、有人の理性は吹き飛びそうになった。だが、今は柚葉を安心させなければ。そう思いながら柚葉を愛撫していると、月光に照らされて真紅の宝石が煌めいた。「それは?」「これは、実の両親の形見です。わたしは産まれた時から両親がいないから、これだけが両親と自分を繋ぐ証なんです。」「そうか・・」有人は柚葉の額に軽く口づけながら言った。それから有人は時間をかけてゆっくりと柚葉を愛した。昨夜兄にされたことと同じなのに、何故か怖くない。全身に甘い疼きが走る。「柚葉殿・・愛しています。」有人は柚葉に口づけた。空を覆っていた雲がなくなり、愛し合う2人を月光が照らした。「わたしも・・」柚葉はそう言って、静かに目を閉じた。有人の逞しい腕の中で、柚葉は静かに寝息を立てていた。(わたしが、柚葉殿を守らなければ・・)頼篤を狂気から救い、柚葉を彼から護るのは自分しかいない。「柚葉殿、わたしがいつも護ってさしあげます・・あらゆるものから。」有人は柚葉の額に口づけた。柚葉は、夢を見ていた。白い濃霧がたちこめる深い森の中を、柚葉は走っていた。誰かが後ろから追いかけてくる。脇目もふらずに走っていると、柚葉は太い幹に足を取られ、転んでしまった。痛さに顔を顰めながら立ち上がろうとしたとき、誰かに肩を叩かれた。振り向くとそこには1人の老女が立っていた。“やっと捕まえた。”にほんブログ村
2011年07月23日
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「そんなことが・・」柚葉が兄に乱暴され、純潔を奪われたことを知った有人は、絶句した。頼篤は妹のことを目に入れても痛くないほどの可愛がりようだと宮中では噂になっていたが、まさかそんなことまでするとは。「兄は、最近変わってしまいました・・前は腹を割って話し合えたのに、わたしの縁談が決まってから様子がおかしくなって・・」柚葉はそう言って袖口で涙を拭った。「頼篤殿は今どちらに?」今すぐ彼と話さなければならないー今すぐに。「部屋におります。」「頼篤殿と話をしてきます。すぐに戻りますから、心配なさらないでください。」そう言って有人は部屋を出て行こうとしたが、その手を柚葉が掴んだ。「おやめください、こんなつまらないことであなたを煩わせたくありません。どうか、この事は聞かなかったことにして・・」「何故、彼を庇うのですか?彼はあなたに一生癒えない傷を負わせたんですよ?」「それは・・」柚葉は言葉に詰まった。あんな酷いことをされても、兄は兄だ。自分にとって優しい兄だ。「あなたを守りたいんです。だから、彼の元に行かせてください。」柚葉は有人の手を離した。「すまない、遥・・お前にあたったりして・・少し、苛々していたんだ。」頼篤はそう言って自分に怯える遥に微笑んだ。「兄様は、姉様と有人様のことを、祝福してあげないの?」「ああ・・祝福しようと思っても、何故か出来ないんだ・・今まで、柚葉はわたしだけのものだったから・・」「そう・・わたしもね、姉様が有人様にとられちゃうようで何だか悔しいの。なんだか複雑よね。」「ああ・・」その時、姉の部屋から有人から出てくるのを遥は見た。一体何処へ行くのだろうと思って見ていると、彼は自分達の部屋へと入ってきた。「頼篤殿、柚葉殿に何をした!?」有人はそう言って頼篤の胸倉を掴んだ。「有人様、兄に何を・・」「何故昨夜柚葉殿を手籠めにした!?何故だ!?」空気が一瞬、凍った。「兄様・・姉様に昨夜、何したの?」「・・お前は知らなくていいことだ。」「いいわけないでしょう!ねぇ兄様、姉様に何したの!?」詰め寄る妹に、頼篤は無表情で言った。「柚葉を抱いた。」「そんな、嘘・・」「本当だ。」頼篤はそう言って有人に向き直った。「わたしは柚葉を愛していた・・だから他の男に取られたくなかった・・だから抱いた。それだけだ。」頼篤の瞳は、狂気に侵されていた。彼を取り囲むように、黒い瘴気が纏わりついている。(これは・・一体・・)「わたしはお前よりも先に柚葉を抱いた。柚葉をわたしのものにした。だから、お前には渡さない!」頼篤はそう言って有人を睨むと、部屋を出て行った。「どうして・・信じられないわ、兄様が・・そんな・・」遥は呆然として動けなかった。「遥殿、この事は御両親には内密に。」「どうして?兄様が姉様に酷いことをしたのに、どうして黙っていろと?」「そのことを明らかにすれば、あなただけではなく、あなたが愛している兄上様や姉上様が傷つく。その前に、手を打たなければ・・」頼篤が狂気の淵へと落ちる前に、自分が彼を救わなければ。にほんブログ村
2011年07月23日
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互いに激しく唇を貪ったあと、柚葉は急に恥ずかしくなって、有人に背を向けた。「どうしました?」「いえ・・急に恥ずかしくなって・・」柚葉は頬を赤く染めながら言った。「可愛い人だ。」有人は柚葉を後ろから抱き締め、優しく髪を梳いた。「まぁ、そんな・・」柚葉はますます頬を赤らめた。「柚葉・・そんなにあの男の方がいいのか・・」頼篤は密かに2人の様子を見ながら、唇を噛み締めた。やはり自分では駄目なのか。昨夜のことは激しく後悔している。あの時は魔が差したのだ。だがどんなに謝っても、柚葉は許してくれないだろう。もう、以前のような関係には戻れない。だから、あの男より先に柚葉を手に入れてしまおう。「兄様?」振り向くと、部屋に遊びに来ていた遥が怪訝そうな顔をして自分を見つめていた。「何でもないよ、遥。」「ねぇ兄様、姉様と有人様、お似合いだと思わない?2人とも両想いみたいだし・・有人様が義兄様になったら嬉しいわ。」「そんなことをわたしの前で言うな!」「兄様・・?」温厚な兄が突然豹変し、遥は怯えた。「何を・・おっしゃてるの?」「お前も・・あんな男がいいと言うのか、遥!?兄であるわたしはあの男より劣るというのか!?」「そんなつもりで言ったわけじゃないわ、兄様・・」「ならどういうつもりで言ったんだ!?」凄い剣幕で捲し立てる兄を見て、遥は泣きそうになった。「兄様、どうしたの?どうして、そんな怖い顔をして怒鳴るの?」我に返った頼篤は、怯えた目で自分を見る妹を見た。「すまない、遥・・どうかしていた。」「兄様、最近変よ。姉様と有人様の縁談が持ち上がってから変になったわ。」「嫉妬だよ、可愛い妹を赤の他人に奪われる嫉妬だ。わたしは柚葉を誰よりも愛しているからね。」そう言って姉を見つめる頼篤の目は、少し狂気が宿っていた。「有人様、ひとつお聞きしたいことがございます。」「なんでしょう?」「もし・・もしわたしが汚れた身であっても、わたしを愛してくれますか?」「何をおっしゃる。あなたがたとえ鬼であろうと、わたしはあなたを愛します。この命に懸けてあなたを守ります。」柚葉を抱き締めながら、有人はそう柚葉の耳元で甘く囁いた。「あなたのことを、愛しています。」「有人様・・」蒼い瞳を潤ませながら、柚葉は有人を見つめた。自然と互いに口づけを交わした。軽い程度のものだったそれは、次第に濃厚になっていく。「んんっ」脳裏に頼篤に乱暴された夜のことが浮かび、柚葉は恐怖に駆られて有人から離れようとした。だが、有人は柚葉を抱き締めたまま離さない。「やめてっ!」「柚葉様・・?」突然柚葉に突き飛ばされた有人は、呆然と柚葉を見つめた。「すいません・・わたくし・・・」「何かあったのですね?わたしでよければ、お話を聞きますよ。」「では・・」柚葉はゆっくりと、昨夜のことを話し始めた。にほんブログ村
2011年07月23日
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綏那は先ほどから柚葉の様子がおかしいことに気づいた。いつもは自分や女房達と雑談する柚葉が、今日に限って何も言わずに塞ぎこんでいる。頼篤がこの部屋に来てから、ずっとだ。それに頼篤と柚葉の間に緊張した空気が流れていた。一体2人の間に何があったのだろう。「柚葉様、どうなさいました?頼篤様と何かあったのですか?」「・・お前に隠し事はできないな・・」諦めたようにフッと柚葉は笑うと、綏那の耳元で昨夜起きたことを話した。「まぁ・・そんな・・あの頼篤様が・・」綏那は絶句して、そっと柚葉を抱き締めた。「お可哀想に・・なんてこと・・」「俺はもう大丈夫だ・・」他の女房達に気づかれぬよう、綏那は袖口で涙を拭った。「柚葉様、とてもお美しいですよ。」「ありがとう、綏那。」そう言って柚葉は乳母に微笑んだ。寝殿では、有人が為人と雑談していた。「有人殿、柚葉のことはどう思われますかな?」「美しいけれど、どこか翳がありますね。強そうに見えても、実は脆い一面を持っていたりする。ですが柚葉様とわたしとはうまが合いそうです。」「そうですか・・柚葉も貴殿のことを気に入りましてな。有人殿となら幸せな家庭を築けそうですな。」為人はそう言って豪快に笑った。その時、華やかな衣を纏った柚葉が冬の陽射しを受けながら寝殿へと入ってきた。「有人様と何を話していたのですか、父上?」「お前のことを話していたのだ。お前がいかに聡明で美しいかをな。」「まぁ、そんなことを・・照れてしまいますわ。」柚葉は観音菩薩のような笑みを浮かべ、有人を見た。「有人様、会えて嬉しいですわ。」「わたしも、会えて嬉しいですよ。今日のあなたはいつになく美しいですね。」「まぁ、上手いお世辞だこと。」口元を檜扇で隠しながら、柚葉は有人に微笑んだ。「この前、藤原の若君に文を送られたとか?」「ええ。夜中に麗景殿に友人と忍び込んで、わたくしのことを見に来たようですわ。嫌な方達ですこと。それに比べて有人様は紳士ですわね。」「そんなに褒められると、照れてしまいます。」頭を掻きながら有人が頬を染めていると、柚葉は急に胸が苦しくなった。「どうしました?」「大丈夫です・・」痛みが去るように願いながら、柚葉は無理に笑顔を作った。だが痛みは去るどころか、ますます酷くなっていく。「柚葉様、休まれた方がいいのでは?」「大丈夫です・・すぐに治まります。」柚葉がそう言って立ち上がろうとしたとき、彼の意識は闇の淵に沈んだ。「またお前か、寧久。父親に妾の機嫌取りにでも行くように言われたか?」「そんな、お祖母様。わたしはお祖母様に会いたくて参った次第でございます。それに、ひとつ報告しておきたいことがございまして・・柚葉のことで。」「妾の前でその名を出すでない!」菫乃はそう言って孫を睨んだ。「申し訳ございません、お祖母様。柚・・ではなかった、あの者はもうすぐ転換期を迎えます。」「転換期じゃと?まだ早すぎるのではないか?」転換期とは、鬼族の子供が少年・少女期から成人へと変化する期間のことで、12~16までにそれが訪れる。転換期を境に、彼らの霊力や生殖能力の強さなどによって、鬼族の階級社会の一員となる。謂わば人間の世界でいえば思春期に当て嵌まる。「何をおっしゃいます、あれはもう16。なんでも陰陽師との縁談が調っていると聞きます。それに、転換期を迎える頃には丁度いいでしょう・・あれは子を宿す能力を持つ可能性があるのですから。」「それはどういう意味じゃ?」「お忘れになりましたか?転換期は破瓜、即ち男を知ることによって訪れるのだということを。」「では、あれはもう男を知ったということか?」「はい。男を知ったとなれば、あれは男であれども、子を宿すことができます。一族繁栄の為に我らが祖先の時代から自然に宿った能力ですから。」寧久はそう言ってフッと笑った。「ん・・」柚葉が目を開けると、そこには心配そうに自分の顔を覗き込んでいる綏那と有人がいた。「姫様、お目を覚まされましたのね!」「俺は・・一体・・」「突然倒れられて・・今薬師を呼びに参りますわね。」綏那はそう言って気を利かして部屋を出て行った。「体は、もう大丈夫ですか?」「ええ。少し目まいがしたので・・」「そうですか・・」有人は柚葉を抱き締めた。「あなたはとても、いい香りがしますね。」「香り?」香をつけた覚えはないのだが。「あなたからはとても甘い花のような香りがする。」有人はそう言って柚葉の唇を塞いだ。その瞬間、甘い疼きが柚葉の全身に広がった。「すいません、つい・・」「謝らなくてもいいです。」柚葉は唇を離そうとする有人の直衣を引っ張り、自分の方へと引き寄せた。「もっと・・わたくしに口づけを・・」頬を赤く染めながら、柚葉はそう言って潤んだ瞳で有人を見た。冬の冷たい朝靄の中、恋人達はいつまでも互いの唇を貪っていた。にほんブログ村
2011年07月23日
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頼篤は隣で自分に背を向けて寝ている柚葉を見た。昨夜は激情に駆られて柚葉に己の欲望をぶつけてしまった。今は自分の行動に激しく後悔している。だが、過ぎ去ったことは二度と戻ってこない。今まで築いてきた柚葉と自分の信頼関係は、今夜自分がした行動で大きな亀裂が入ってしまった。そしてそれを修復するには、何年もの歳月がかかるだろう。頼篤はじっと柚葉の波打つ金髪と、その隙間から見える雪のような白い肌を見た。この手であの金髪を梳き、あの白い肌に薔薇色の痣をつけた。「済まない、柚葉・・」頼篤は柚葉を抱き締めた。柚葉はそれを拒絶するかのように、頼篤の手を乱暴に払いのけた。(わたしは一生柚葉に許してもらえぬのか・・だが一生許されなくてもいい・・この想いが、伝わるのなら・・)夜明け前、柚葉は身支度をして兄の部屋を出た。歩くたびに、下半身に鋭利な刃物で内側を抉られたような激痛が走った。太腿からは生温かい真紅の血が流れている。痛みに顔を顰めながらやっと部屋に入った柚葉は、声を押し殺して泣いた。何故、兄はあんなことをしたのだろう。いつも自分に優しくしてくれた兄が、獣のように激しく自分を貪るだなんて、思いもしなかった。(綏那に見られたら大変だな・・)血で汚れた衣を細かく千切って柚葉はそれを裏庭に埋め、身体を清める為に全裸となって池で水浴びをした。皆寝静まり、邸では柚葉が動くたびに撥ねる水音だけが聞こえた。(兄上・・どうして・・あんな・・)必死に兄が自分にした行為を忘れようとしても、目蓋を閉じれば忌まわしい光景と激痛が甦る。柚葉は両腕で自分を抱くような仕草をして、また声を押し殺して泣いた。(酷い顔だな・・)鏡に映った顔を見て、柚葉はそう思いながら綏那と数人の女房達に髪を梳いて貰っていた。昨夜は泣いた所為で、両眼の下に黒い隈ができ、頬は少しこけている。それに、先ほどから何故か身体がだるい。「どうなさいました、姫様?有人様がいらっしゃられるというのに、何だか浮かない顔をしておりますわね?」綏那はそう言って主を見た。「ちょっと身体がだるくてな・・」「柚葉、いるか?」兄の声がして、柚葉は身体を強張らせた。「頼篤様、どうなさいました?」「みな席を外してくれぬか?柚葉と2人きりで話がしたい。」「わたしは兄上とは話したくはありません。」柚葉はそう言って兄にそっぽを向いた。「柚葉・・」「今日は有人様がいらっしゃるので忙しいのです、お引き取り下さい。」「昨夜は、すまなかった・・」それだけ言うと、頼篤は部屋を去っていった。「姫様、一体何があったのですか?」「何でもない・・」綏那は心配そうに柚葉を見たが、手を再び動かし、柚葉の髪を梳いた。「柚葉様、有人様がお着きになりました。」女房がそう言って部屋に入ってきた。「わかった。寝殿へお通ししてくれ。」「かしこまりました。」昨夜の出来事は忘れてしまおう。今日は有人が来るのだから。有人に会ったら、身体のだるさも、最愛の兄に辱められた痛みも消えることだろう。にほんブログ村
2011年07月23日
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その夜柚葉は、久しぶりに兄の部屋へと向かった。兄の部屋を訪れるのは、半年振りだ。 これから先―土御門家との縁談が完全に調い、有人と夫婦になれたら、もう今までのように兄の部屋に訪れることはないだろう。今夜、兄と雪で白く彩られた庭を見ながら楽の音を奏でるのは、これが最後かもしれない。「兄上、失礼いたします。」柚葉が部屋に入ると、頼篤はブツブツと何かを呟いていた。「兄上?」兄の様子がおかしいと思った柚葉は、彼の肩を叩いた。「柚葉、来たのか・・」そう言って振り向いた兄の顔を見て、柚葉は絶句した。彼の目は真紅に染まり、優雅な雰囲気を纏っていた彼は今、狂気を纏っていた。「兄上?」「柚葉、お前は有人のことをどう思っているのだ?」「何故、そんなことを聞くのですか?」「お前が今幸せかどうか、聞きたいだけだ。」なんだか様子がおかしい。「有人様は俺に新しい筝を贈って下さいました。あの火事で焼失した筝の代わりに、素晴らしく美しいものを。有人様とは上手くやっていけそうな気が・・」頼篤は柚葉を突然抱き締めた。「そんなにあの男がいいのか、柚葉?わたしでは駄目なのか?」「何をおっしゃいますか、兄上。この縁談については兄上も賛成してくださっているじゃありませんか。何を今更・・」「あの男にお前を渡すわけにはいかぬ・・いや、お前を誰にも渡さぬ・・」柚葉は頼篤から離れようとしたが、頼篤は柚葉を抱き締めたまま離さない。「柚葉、あの男には抱かれたのか?お前はあの男に汚されたのか?」「何をおっしゃっているんです?それよりも兄上、久しぶりにあなたの弾く琵琶の音が聞きた・・」「話を誤魔化すな!」怒気を孕んだ声が、部屋の空気を震わせた。いつもは温厚な兄が激することなんてめったになかった。何故こんなに様子がおかしいのだろう?「兄上・・?」「誰にもお前を汚させぬ・・お前の肌を味わうのはわたしだけだ。」柚葉の背中に回されていた頼篤の手が突然柚葉の衣に伸びたかと思うと、それを乱暴に引き裂き始めた。「何をなさるのですか、兄上!おやめくださいっ!」「わたしはお前のものだっ!」真紅の瞳で柚葉を見下ろしながら、頼篤は柚葉に馬乗りになった。「愛している、柚葉・・わたしだけの、柚葉・・」激情に駆られた頼篤は、強引に柚葉を組み敷いた。灼熱の楔を全身に打ち込まれたような激痛が走り、柚葉は悲鳴を上げた。「兄上・・何故、何故こんなことを・・?」「お前を愛しているからだ、柚葉。」悪夢のような時間が過ぎ去ったあと、頼篤はそう言って愛おしそうに柚葉の髪を梳いた。「お前が女であったのなら、わたしの子を宿すことができたのに・・愛の結晶をこの世に生み出すことができたのに・・」柚葉の前にいる男は、自分に優しくしてくれた兄ではない。今自分の髪を梳いているのは、魔に取り憑かれた獣だ。もうあの優しかった兄はいない。自分のことを愛し、慈しんでくれた兄は、もういないーにほんブログ村
2011年07月23日
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新しい年を迎える前に、柚葉は綏那を伴い実家へと里下がりした。「柚葉、久しいな。」「兄上、長らく家を留守にしてしまい、申し訳ありませんでした。」頼篤はこの前見たときよりも少しやつれているようだった。「何を言う。宮仕えをしているお前もわたしも、容易に里下がりできぬことも知っている。だからそんなのことなど気にするな。」頼篤はそう言って柚葉に微笑んだ。「兄上、最近やつれましたか?」「そうか・・仕事が溜まっていて、疲れが取れなくてな。」「そうですか・・」柚葉が兄を見ると、彼の周りに黒い影が取り囲んでいた。(あれは・・女御様の周りについていたものと同じ・・)黒い陰の気―瘴気。瘴気の中から無数の顔が浮かび上がってきた。それらは生気のない目で柚葉を睨みつけ、頼篤の顔を皺がれた手で触っている。「柚葉、どうした?」突然険しい表情を浮かべた妹を怪訝そうに頼篤は見た。「いいえ、なんでもありません・・」兄には黒い瘴気が見えないらしい。「縁談の事は聞いたぞ。有人様とは何度か会ったが、優しい人だ。きっとお前を大切にしてくれることだろう。たとえ、お前が男だと知ってもな。」兄の言葉を聞き、柚葉は少し胸がズキンと痛んだ。「ええ、そうでしょうね・・」「こんなところではなんだから、今夜わたしの部屋に来ないか?お前が奏でる筝を久しぶりに聞きたい。」「わかりました。」柚葉はそう言って兄の元を去り、自分の部屋に入って行った。頼篤はその背中を静かに見ていた。“可哀想になぁ、可愛い妹が他の男のものになるなんてよ。”頭の中で何かが聞こえた。(誰だ?)誰かいるのかと思って振り向くが、廊下には自分以外誰もいない。(気の所為か・・)頼篤はそう思いながら自分の部屋に向かおうとしたとき、再び頭の中で声が聞こえた。“お前だって気分の気持ちに気づいているんだろう?ならば、妹の純潔を奪ってしまえばいい。”(柚葉の純潔を奪う・・?)今まで、そんなことは考えたことなかった。自分にとって柚葉は、大切な“妹”だから。それ以上でも、それ以下でもなかった。だが最近―土御門家の嫡子との縁談が柚葉に持ち上がった時から―頼篤の心に何かが巣食うようになった。恐ろしい“何かが”。“柚葉に男の味を教えてやれ。”そんなこと、したくない。妹を傷つけることなんて、嫌だ!“お前は自分の気持ちに嘘を吐いて、優しい兄を演じている愚か者だ。もういい子ぶるのはやめたらどうだ?”そうだ、自分は今まで自分の―柚葉への想いに蓋を閉じていたのだ。柚葉が誰かに汚されてしまう前に。あの陰陽師に純潔を奪われる前に。自分が奪ってしまおう。(柚葉をわたしのものにする・・)ゆっくりと顔を上げた頼篤の周りには、漆黒の瘴気が纏わりついていた。「・・今宵が、楽しみだ。」そう言って口端を上げて不気味な笑みを浮かべた頼篤の瞳は、狂気の紅に染まっていた。(柚葉をわたしのものにしてやる!あの陰陽師などに渡すものか!)にほんブログ村
2011年07月23日
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国葦は帰りの牛車の中で、御簾越しに見た柚葉の姿を思い出した。月光に仄かに光輝く金髪。雪花石膏のような美しく肌理の細かい肌。そしてこの世の全て見透かしそうな、美しく澄んだ蒼い瞳。 去年の夏、水浴びをしている柚葉を見初め、彼女が自分と敵対する家の娘だとわかっても、柚葉に対する想いは変わらなかった。もしも彼女と結ばれるのならば、今にでも柚葉に求婚する。だが、彼女には縁談がある。その縁談の相手はー脳裏に、あの自信家の嫌味ったらしい陰陽師の姿が浮かぶ。聡経の友人である土御門頼人の兄であり、絶大な呪力と人気を持つ土御門有人。切れ長の瞳と艶やかな漆黒の髪、そして引き締まった体躯を持つ彼と柚葉が並ぶと、さぞや美しいことだろう。国葦は自分の容姿に多少劣等感はあるものの、あの陰陽師よりもいい方だと思っている。だから柚葉があの陰陽師のものになるのが、我慢ならなかった。「絶対に、あいつから奪ってやる。」ボソリと呟いた国葦は、恋敵・有人への敵愾心(てきがいしん)を燃え上がらせた。 翌朝、麗景殿では昨夜の騒動のことで持ちきりとなり、柚葉に求婚した者が藤原家の若君―彩加の兄だということがわかり、柚葉はたちまち後宮中に“男を惑わす鬼女”という不名誉かつ侮辱的な呼び名がつけられた。後宮での生活は快適どころか、息苦しくなっていくばかりで、柚葉は以前よりもますます息を潜め、いつしか自室に引き籠るようになっていった。「姫様、部屋に引き籠ってばかりいるとお身体に悪いですよ。」「俺が部屋に引き籠っていると、あの藤原の姫が何かと俺の嘘を女御様に吹き込んで俺の悪口に花を咲かすことはないだろう?鬼姫だの、男を惑わす鬼女だの、そう呼ばれるのはもう慣れた。」自嘲めいた笑みを浮かべながら、柚葉は書物を開いた。「弘徽殿で女御様のご懐妊を祝う宴が今宵あるそうです。行かれますか?」「行くわけがないだろう。あの女は俺を敵視している。いや、それどころか俺を激しく憎んでいる。なぁ綏那、俺はさっさと土御門殿と結婚して蛇のように陰険で、狐のような狡猾な女共の根城から出て行こうと思うんだが、出て行く時はお前も一緒についてきてくれるか?」そう言った柚葉の冷たい光を放つ蒼い瞳に、綏那は少したじろいだが、すぐに笑顔を作った。「勿論でございますとも、姫様。わたくしは姫様といずれ離れる日が来るまで、お供いたします。」「そうか・・それを聞いて安心した。」その時、1人の女童(めのわらわ)が柚葉の部屋に入ってきた。「どうした、何か用か?」「あの・・藤原の若様がこれを・・」そう言って女童は柚葉に椿の枝を渡し、部屋を出て行った。椿の枝をよく見ると、小さい枝に文のようなものが巻かれていた。(敵対している家の姫君に文を送るなど・・恐れ知らずとはこのことか・・)柚葉はそう思いながら文を読んだ。そこには、こう書かれてあった。“天女と人間の恋は決して成就せぬものですが、少なくともわたしは呪力も霊力もない凡庸な男です。なのであなた様が天女であろうが鬼女であろうが気にいたしません。”文を読んだ瞬間、柚葉は思わず噴き出しそうになった。「どうなさいました、姫様?」「いや・・なんでもない。」そう言って柚葉は文を文箱にそっと仕舞った。先ほど暗い表情を浮かべていた主が、急に笑顔を見せたことで、綏那の心が少し明るくなった。「藤原の若様に何をいただいたんですか?」「秘密だ。」その夜、柚葉の脳裏には何度もあの粋な恋文が浮かんだ。「なんだ、わしに話とは?」「父上、わたしは柚葉姫と結婚するつもりでおります。」 突然政敵の娘と結婚すると言われた宮中の権力者・藤原種嵩は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。にほんブログ村
2011年07月23日
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「あなた達、一体何の目的で麗景殿に忍び込んだのですか?」 帝から受けた行為のことばかり考えて睡眠不足な上に、体調が少し優れなかった柚葉は、そう言いながら御簾越しに2人の少年を睨みつけた。「申し訳ございませんでした、柚葉殿。わたしたちはあなた様のお噂をお聞きして、是非ともそのお姿を垣間見たいと思い、麗景殿へと忍び込みましてございます。」「わたくしの噂ですって?どこかの意地悪な女御様かそのお付の女房達がわたくしを鬼姫だと話すのを聞いたからわざわざこんな夜更けにあなた達は来たというのですか?」“鬼姫”である自分の姿を見たいがために後宮に忍び込んだというのか、この少年達は。怒りが柚葉の中で嵐のように渦巻いた。「綏那、起きて。」「なんですか、姫様?」目を擦りながら綏那はそう言って主を見た。「外に曲者がいます。衛士を呼びなさい。」「待ってください、わたしたちそんなつもりは・・」直衣姿の少年はそう言って御簾を捲ろうとした。「この無礼者!ここは後宮ですよ!綏那、早く衛士(えじ)を呼びなさい!」「しかし、姫様・・」「早く衛士を呼びなさい!この曲者(くせもの)達を後宮から追い出しなさい!」「何を騒いでおるのだ?」凛とした声がして、少年達が振り向くと、そこにはこの国の王が立っていた。「主上、清涼殿へお戻りくださいませ。すぐに衛士が来てこの曲者達をここから追い出してくれますから。」「一体何があったというのだ、柚葉?」「主上の手を煩わせることではありません。」ピシャリと撥ねつけるかのような口調で柚葉はそう言って帳台へと戻って行った。「つれぬな、柚葉。そなたと余は契りを交わそうとした仲だというに。」帝は愛おしそうに柚葉に呼びかけながら、御簾の奥にいる彼女を見ようとした。「契りを交わそうとした仲ですって?白々しい嘘をお吐きになりますのね!あなた様はわたくしを押し倒し、操を奪おうとしたではありませんか!わたくしがどれだけ怖かったことか、主上にはお分かりにはなりませんのね!」帝の一言一句が気に障る。帝がもし自分より身分が低い男であったならさっさと帰れと怒鳴りたい気分だった。「余の天女はご機嫌斜めのようじゃ。天女の逆鱗(げきりん)に触れぬうちに帰るとするか。」帝は溜息を吐いて麗景殿を去っていった。「あのぉ~、俺達はどうすれば?」存在を完全に忘れられた少年の1人がそう言って御簾の奥から柚葉を見た。「まだここから出て行っていないのか、お前達は!衛士に引っ立てられて牢に繋がられるか、自分でここから去るかどちらかにしなさい!」柚葉に怒鳴られた少年達は肩を竦め、麗景殿を去っていった。「どうやら、天女様はご機嫌斜めらしいな。」国葦(くによし)はそう言って隣でブスッとした表情をしている聡経を見た。「ったく、お前に付き合った所為でとんだ目に遭った。明日みんなになんて言われるか・・」聡経(さとつね)は溜息を吐きながら歩いた。「それにしてもあのツンケンとした女がお前が見た天女様だっていうのか?俺には鬼女のように見えるぜ。だって御簾の奥で彼女、じっと俺達のこと睨んでいたんだから。」「1人で会いに行けばよかったかな。」国葦はボソリと呟いて聡経の前を歩いた。「今なんて言ったんだよ!?」「何も言ってない、空耳だよ。」出逢いは最悪だったが、これから柚葉の関係が好転するのは、自分の行動次第だー国葦はそう思いながら御所の裏に待たせてあった牛車に乗り込んだ。「じゃあな。」「おい、俺は歩きかよ!?」聡経の怒声を聞きながら、国葦は目を閉じて眠った。にほんブログ村
2011年07月23日
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「ん・・」柚葉は、何かの感触がして目を開けた。「目を覚ましてしまったか・・寝ている間にそなたと契りを交わしたかったのに・・」何処かで聞いたような声がして、上を見ると、そこには帝が自分の上に乗っていた。「主上、何故こんなところにおられるのです?」「さっきの余の言葉を聞いていなかったのか、そなたは?余はそなたと契りを交わしに来たのだ。」「それはできませぬと、この前おっしゃったではありませんか。それにわたくしには縁談がございます。わたくしのことはどうか、諦めてくださいませんか。」「嫌だ。」帝は柚葉の顎を持ち上げ、唇を塞いだ。「んんっ・・」帝の背を押して自分から彼を離そうとしたが、ビクともしない。それどころか、帝は右手を柚葉の背に回し、もう片方の手で柚葉の衣を脱がしにかかった。「おやめくださいませ!」柚葉はそう言って帝を突き飛ばし、衣を整えた。「そなたは何故、余に触れられるのが嫌なのだ?ここにいる女達は皆、余の腕に抱かれることを願うのに・・」「わたくしは主上の腕に抱かれても、子を宿すことはできません。わたくしは国母にはなれぬ身なのですよ。ですから、わたくしのことはお諦めになってください・・」柚葉は帝に背を向けた。「そなたの気が変るのを待っている。」「たとえ天が地に変わろうとも、わたくしの気持ちは変わりません。満ち欠けをする月のように。」帝は何も言わず、部屋を去った。彼が去った後、柚葉は恐怖で身体を震わせながら灯台の蝋燭(ろうそく)に火を灯した。乳母が微かに寝返りを打つ気配がした。そっと、指で唇に触ってみた。先ほど帝に情熱的に口づけられた唇を。(何故、主上はあんなことを・・)一介の女房に過ぎぬ自分を、何故これほどまでに帝は執着するのだろうか?帝が自分に想いを寄せているなど、考えたくもないが、あの情熱的な口づけが帝の想いを物語っていた。“余はそなたと契りを交わしに来たのだ。”柚葉は眠ろうとしたが、なかなか眠れなかった。目を閉じれば、帝の自分を熱く見つめる目が何度も脳裏に浮かぶからだ。何故今頃になって、帝のことが気になるのだろう?もうあの陰陽師との縁談が調いつつあるというのに。あんな男のことは忘れてしまおう・・そう思いながら眠ろうとすればするほど、帝の顔が浮かんでしまう。柚葉は溜息を吐いて帳台を出て、御簾(みす)越しから部屋を見た。そこには、自分と同じ瞳をした、蒼い半月が空に浮かんでいた。(まるで、刃の切っ先のように鋭い月だ・・)もっとよく月を見ようと御簾を捲(めく)ろうとしたとき、人の気配がした。「そこにおられるのはどなたです?」懐剣を握り締めながら、柚葉は闇に向かって呼びかけた。「やっぱ見つかったじゃんか。お前が大きな声を出すからだよ。」「何を言う。先に声を出したのはお前の方だろう。」茂みの中から2人の少年が出てきた。浅葱(あさぎ)色の水干を着た少年は、臙脂(えんじ)色の直衣を着た少年を睨んでいる。一体この2人は何者なのだろうか・・そう思いながら柚葉は御簾越しに2人の姿を見ていた。「名を名乗りなさい。わたくしは山野裏為人娘(やまのうらのためひとのむすめ)、柚葉です。そなた達は一体何者です?そんなところでヒソヒソと話していないで、早くわたくしの元に来なさい。」鞭(むち)のような声で柚葉が言うと、2人の少年は慌てて御簾の前にやって来た。にほんブログ村
2011年07月23日
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「總子が余の子を?それはまことか?」尊仁(たかひと)はそう言って藤原種嵩(ふじわらのたねがさ)を見た。「まことでございますとも、主上。我が姪である弘徽殿女御様は主上の御子を宿しております。」歓喜の表情を浮かべながら、種嵩は帝を見た。「そうか・・ではこれから總子に会いに参ろう。」(ふふ・・これでわしら藤原家は隆盛を極める・・これからが勝負だ!)「弘徽殿女御様が、帝の御子を宿していると・・」「ええ、あと四月過ぎたら赤子が産まれるそうです。それに、女御様はあの憎き種嵩の姪であるそうですよ。」「あいつの姪、か・・成るほど、だからあの彩加と彼女が昵懇(じっこん)の仲だったのか・・」親類同士であれば、うまがあいそうだ。しかも利害が一致するとなれば、尚更だ。「これで良かった。暫く主上は俺のところにも、麗景殿女御様の所にも来ないだろう。これで一安心だ。」「悔しくは無いのですか、姫様?わたくし達の敵の女が、帝の御子を宿しているのですよ。」「悔しくも何も・・俺は男だ。子を宿すことなど出来ぬ。だから今は、あの女の幸せを願うだけだ。彼女が闇に呑まれぬようにと、な。」「姫様・・?」「・・いや、なんでもない。」柚葉は寂しげな笑みを浮かべながら、綏那に微笑んだ。「それにしても、姫様はこれからどうなさいますか?」「さぁ・・」柚葉はそう言って、帳台の中へと入っていった。(あの女が帝の子を宿しているとなると・・俺と土御門家(つちみかどけ)との縁談が調(ととの)えば、残るのは遥だけとなる・・遥は、俺の代わりに辛い目に遭うのかもしれない・・)血は繋がってこそないが、自分にとっては愛しい妹であることは変わらない。弘徽殿では總子が満面の笑みを浮かべながら、帝を見ていた。「お珍しいこと、主上がこちらにお越しになられるだなんて。」「そなたが余の子を宿しているなどと聞いたら、そなたに会いたくて仕方がなくてな。」帝はそう言って、愛おしそうに總子の下腹を見た。「あら、うまいことをおっしゃいますのね。それにしても主上、柚葉とかいう女にはもう興味はございませんの?」「柚葉・・あの天平の舞姫か。柚葉は今、どうしておるかのう?」「噂によれば、あの土御門家の若君とのご縁談が持ち上がっていらっしゃるとか・・天平の舞姫と平安の貴公子、絵になる2人ならば、さぞやお似合いでございましょうねぇ。」總子は帝の反応を見ながら言った。「土御門家の若君といえば・・あの陰陽師か・・何故柚葉のような美しい姫が、あんな凡庸な男の妻となるのだ?」「それは彼女が鬼姫だからですわ。」「柚葉が鬼姫じゃと?」帝の表情が険しくなったのを見て、總子の周りにいた女房達が息を呑んだ。だが当の本人は気づかない。「ええ、柚葉は美しいですが、恐ろしい鬼姫ですのよ、主上。」總子は帝に微笑みながら続けた。「なんでも、柚葉は産まれてすぐに山野裏(やまのうら)家の裏門で捨てられてたんだとか。哀れに思った家人が柚葉を拾った途端、嫡子の頼篤(よりあつ)が病に倒れてしまったんだとかで・・そのうえ柚葉は山野裏家に不浄の魔物を呼び込んだんだとかで・・家人達はいつも、“柚葉姫が禍をもたらした”と噂しているようですわ。あの弘徽殿の火事も、柚葉の仕業に違いありません。なんて言ったって、あの禍々しい金髪と、猫のような気色の悪い瞳をした娘ですもの・・」總子の言葉は最後まで続かなかった。乾いた音が、弘徽殿に響いたからだ。帝が、總子の頬を打ったのだ。「2度とと柚葉を侮辱するでない。産まれてくる御子がお前のように心根の歪んだ人間にはならぬだろうな。そなたの性格が腹の子にまで似たらこれ以上の悲劇はない。」尊仁は不快そうに鼻を鳴らしながら、妻の下腹を冷たく見下ろし、弘徽殿(こきでん)を去っていった。「主上・・」打たれた頬を、總子は擦った。信じられなかった、あんな事を愛する男が言うとは。(主上・・まだ柚葉のことを・・)自分が帝の子を宿せば、彼は柚葉のことを諦めるだろうと思っていた。だが、帝はまだ柚葉のことを想っている。(どうすれば・・妾はどうすればいいのじゃ・・)總子は両手で頭を抱えた。その時、下腹を蹴る感触がした。「妾を・・慰めてくれるのかえ?」總子はそっと、下腹を撫でた。(主上の御子が、妾の胎内(なか)におる・・この子さえおれば、妾は生きてゆける・・)「早よう、産まれておいで・・」(妾にとってお前は希望の子・・妾の心の闇を照らす唯一の光じゃ。)弘徽殿を出た尊仁は、その足で麗景殿へと向かった。「あら、主上、お珍しいこと・・」「そなたに用はない。」自分に愛想笑いを浮かべる絢子に冷たく言い放ち、尊仁は柚葉がいるであろう部屋へと向かう。部屋の中に入ると、そこには柚葉が帳台の中で眠っていた。尊仁はそっと帳台の中へと入り、柚葉の寝顔を見た。彼女の寝顔はまるで天女のように清く、美しい。尊仁は己の唇を、柚葉の桜色の唇に押し当てた。にほんブログ村
2011年07月23日
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弘徽殿女御(こきでんのにょうご)・總子(さとこ)があの火事から半年後、漸(ようや)く意識を取り戻した。自分が意識を失っている間、後宮では自分に代わりあの絢子が権勢を振るっている。もはや自分は過去の人間だ。そう頭では分かっているが、心ではまだ帝の愛を得たいという気持ちがあった。「女御様、傷のお加減はいかがでしょうか?」「ええ・・」そう言って、總子は溜息を吐いた。「傷の手当をいたしましょう。」女房は總子の背中に残る、醜い火傷の上に傷薬を塗った。「のう、紀代乃。」「なんでございましょう、女御様?」「主上は、今でも妾を愛していらっしゃるかしら?」「主上は女御様のことをお忘れではありませんよ。この傷薬だって、主上からわざわざ賜ったものでございますゆえ。」紀代乃の言葉は、傷ついた總子の心には響かなかった。「あの姫は、どうしておる?」「姫というのは?」「前に妾に仕えていた右大臣家の鬼姫じゃ。何でも、あの陰陽師との縁談が持ち上がっているようじゃが・・」「そうでございますか。ですが女御様、あの姫のことはお気になさいますな。最早あの姫は女御様の敵ではなくなるのですから。」「そうじゃな・・」適当に相槌を打った總子の瞳は、暗く淀んでいた。紀代乃に慰められても、總子の心は晴れなかった。たとえ土御門家の嫡子であるあの陰陽師と、柚葉が結婚しても、帝は必ず柚葉を手に入れようとするだろう。彼は自分が欲しいものは手に入れるまで諦めない性格だ。それを証拠に、帝が柚葉に文を頻繁に送っていると聞く。總子はちらりと自分の下腹を見た。そこは、風船が中に入っているかのように、膨らんでいた。總子はそっと、下腹を撫でた。すると、内側から胎児が自分の腹を蹴る感触がした。(この子はいずれ、次の帝となる。)帝の子を宿しているのは、あの憎い絢子でも、柚葉でもない、自分なのだ。腹の子が男子ならば、国母となり、自分の地位は揺ぎ無いものとなる。たとえ帝が浮名を流し、柚葉と絢子に心を移しても、自分にはこの子がいる。やがて次期帝になるであろう子が。「早う、産まれておいで・・」總子は、口元に笑みを浮かべながら下腹を撫でた。「女御様、いかがなさいましたか?」「紀代乃、喜べ。妾は・・主上の子を宿した。」「まぁ・・それはようございました。」「これでわたくしは国母になれる・・麗景殿女御など、妾の相手ではないわ!」弘徽殿の主はそう言って笑った。「・・女御様が帝の御子を宿された・・これは一大事じゃ・・」紀代乃は麗景殿へと向かった。「お前は、弘徽殿の・・」「絢子様、お話がございます。」「わたくしに話しじゃと?」「はい・・わが主のことでございます。」「ほう?」絢子の瞳が、キラリと光った。柚葉は筝を弾きながら、有人のことを思っていた。彼に贈られた筝は、とても良い音が出た。それでも柚葉は、亡き母の筝が恋しかった。麗景殿は弘徽殿より居心地が悪い。いつ家に帰れるのかー柚葉はそう思いながら筝を弾いていると、綏那が慌てた様子で走ってきた。「どうした、綏那?」「姫様、一大事でございます!弘徽殿女御様が、帝の御子を・・」 前の主―弘徽殿女御・總子が帝の子を宿したという知らせは、柚葉にとって晴天の霹靂(へきれき)だった。にほんブログ村
2011年07月23日
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有人は溜息をつき、仕事の手を止めた。 管弦の宴が行われていた山野裏邸へと戻る牛車の中で、柚葉と一夜を過ごしたいと何度思ったことだろうか。宮中の有力者である娘でありながら、柚葉にはどこか翳(かげ)がある。それは自分が山野裏為人の実子ではないという出生ゆえではないか、と有人は思っていた。出生の負い目は、自分も度々感じていた。 陰陽道の大家であり、宮中でも一目置かれている土御門家の嫡子としてこの世に生を享けた有人であったが、自分を産み落としてくれた母の顔を知らない。幼い頃父に母のことを尋ねても、適当にはぐらかされるだけで、家人達も母のことになると何も話したがらなかった。父と母との間に一体何があったのか、未だにわからない。だが父や家人達が口を噤んでいるということは、何かこの家にとって都合の悪いことなのだろう。有人は柚葉に対して、何か運命的なものを感じていた。初めて桐壷で彼女と出逢った時、全身に電流が走ったような気がした。今まで浮名を流してきた有人だったが、柚葉との出逢いは何かが違った。父に柚葉との縁談を持ちかけられた時、有人は父の権勢欲にうんざりする反面、これをきっかけに柚葉といい関係になるのではないのかと思った。不純な動機だが、有人はもっと柚葉のことを知りたくなった。彼女との出逢いは、神が与えてくれたものなのだろうと、有人は思うようになった。「兄上、まだ起きていますか?」背後から声がして振り向くと、そこには控えめに部屋に入ってくる頼人が立っていた。「どうした、頼人?」「柚葉様との縁談、お受けしたんですか?」「まだわからんが、受けるつもりだ。管弦の宴で柚葉様にお会いして、この縁談を断ったら後悔すると思ってな。」有人はそう言って部屋の隅に置いていた和琴を引っ張り出してそれを弾き始めた。「珍しいですね、兄上が和琴など弾かれるなんて。いつもは横笛をお吹きになられるのに。」「たまにはいいと思ってな。それにしても頼人、弘徽殿が火事になったことは知っているか?」「ええ。」「その火事で柚葉様愛用の筝が焼失してしまったらしい。その筝は柚葉様の実のお母上の形見だったらしい。そこで柚葉様に筝を贈ろうと思うのだが・・」「いいではありませんか?柚葉様もきっとお喜びになられるでしょう。」「ありがとう、頼人。」数日後、柚葉のところに美しく見事な桐の筝が届けられた。「一体どなたなのでしょうね、こんな素敵な贈り物をなさった方は。」綏那は筝の弦を触りながら言った。「さあ、見当もつかないな。」柚葉はそう言いながら文を呼んでいた。―あなたの美しい音を、また聞きたいものです―誰が書いたのか知らないが、柚葉には自分に筝を贈った人物が誰なのかわかった。「粋なことをするな、あの男は。」柚葉はフッと口元に笑みを浮かべた。「何かおっしゃいましたか、姫様?」「いや、なんでもない。」真新しい弦に手を伸ばした柚葉は、それを爪弾き始めた。「・・あら、あの音は確か・・」「柚葉様だわ。」「美しい音だこと。」 柚葉が奏でる音を聞き、厨で仕事をしていた家人達は仕事の手を止めて、しばしその音に聞き惚れた。にほんブログ村
2011年07月23日
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数日後の夜、山野裏為人邸で管弦の宴が華やかに開かれた。宴に集まった者達は皆飲み騒ぎ、楽の音を楽しんだ。 皆が浮かれている気分の中、この夜初めて互いに顔を合わすことになる未来の夫である有人と、その妻となる柚葉は浮かない顔をしていた。「姫様、どうなさいました?お身体でも・・」「大丈夫だ・・ただ、乗り気がしなくてな・・」柚葉はそう言って溜息を吐いた。「姫様のご縁談の相手は一体何処の何方なのでしょうね?お優しい方だといいのですけれど。」「ああ・・俺が男だと知っても受け入れてくれる奴だったら結婚してもいいと思っている。」投げ遣りな口調で柚葉はそう言って、御簾越しに見える月を眺めた。その時、衣擦れの音が廊下でした。「姫様、お相手がお越しになられました。」「では、わたくしはこれで。」綏那は心配そうに柚葉をちらりと見て、部屋を出ていった。「初めまして、山野裏柚葉と申します。」「“初めまして”ではないでしょう、柚葉姫?」凛とした声が、御簾越しに響いた。その声を聞いた瞬間、柚葉の顔が強張った。(まさか・・縁談の相手は・・)「土御門有人と申します、柚葉姫。」御簾の向こうで、そう言って有人は頭を下げた。「縁談の相手はあなたでしたのね。それなら納得がいきますわ。」「一体何の話でしょうか?」「わたくしのような不吉な鬼姫を貰ってくださる殿方など、この世で有人様しかおりませんものね。道理で父様がこの縁談に乗り気だった理由がわかりましたわ。」柚葉は棘を含んだ言葉を有人に放ちながら檜扇を開いた。「何をおっしゃいます、柚葉姫。あなた様はご自分のことをそんな風に思っておられるのですか?」「あら、わたくしが宮中で何と言われているのかご存知の筈でしょう?それに、この家では家人達がわたくしがこの家の裏門に捨てられた時、家に災いを呼び寄せたとそれは大騒ぎをして・・父と母はわたくしを嫌っておりますし。厄介払いとして父はあなたとの縁談を組んだのでしょうね。」御簾越しに聞こえる棘を含んだ言葉とは裏腹に、柚葉の声は震えていた。上辺では強がっていても、本当は両親や周囲の自分に対する態度に深く傷ついているのだろう。かつて幼い頃、自分が母のことで傷ついたように。「・・何故、そんなに強がるのです?あなたは、わざと人を傷つけるようなことを言って、人を遠ざけようとする。そして、自分が傷つかないように自分の殻に閉じ籠ろうとする・・それが、かえって周囲から誤解されることに気づかないのですか?」「あなたに・・わたくしの何が判るというのですか?わたくしは所詮、この家に捨てられ、お情けで拾われ、育てられた厄介者。わたくしは・・」柚葉は涙を必死で堪えようとした。「柚葉姫?」「いえ・・なんでもありませんわ・・」「本当に、大丈夫なのですか?」「ええ・・大丈夫・・」柚葉が涙を拭おうとすると、不意に誰かに抱き締められていた。「柚葉姫、あなたはご自分にもっと素直になってください。そうしなければ、あなたの心が壊れてしまう。」華奢な柚葉の身体を抱き締め、有人はそっとその場を離れて行った。柚葉は帳台に寝転がりながら、溜息を吐いた。有人のことは嫌いなのに、彼のことばかり考えてしまう。(俺は一体、どうしてしまったんだろう・・)有人も、自分の部屋で物思いに耽っていた。脳裏に、柚葉の涙が浮かぶ。(あの方は・・泣いていた・・)出会いは最悪だったが、何故か幼い頃の自分と柚葉の姿を重ねてしまう。 結婚などする気はないつもりだったのに、柚葉とだったら結婚してもいいとさえ、有人は思っていた。にほんブログ村
2011年07月23日
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「山野裏為人様の、姫君様ですか・・?」有人は動揺が父に知られないように俯いた。「そうだ、柚葉様といってな。年は16だ。柚葉様には遥様という妹御がおられるが、お前とは柚葉様だったら年が近いからいいと思ってな。それに山野裏様は今や飛ぶ鳥を落とす勢いだしな・・」康人はそう言って口元を歪めた。(また始まった・・)父の銭勘定がまた始まった・・有人はそう思ってうんざりした。「父上、何度も申し上げておりますように、わたしは結婚する気はございません。」「そう言うな、今度山野裏様の邸で管弦の宴がある。そこで柚葉様とお会いするように。わしからはそれだけだ。」康人は一方的に用件を伝えると、また酒を飲み始めた。「兄上、父上と何を話していたんですか?」「縁談のことだ。お相手は山野裏為人様のご息女、柚葉様だ。」「柚葉様って・・雪見の宴で天女のような舞を舞ったあの姫君ですか?」頼人はそう言って目を丸くした。「ああ。だがわたしは結婚する気はない。」「何故ですか?」「それはお前でも言えないな。」有人は溜息を吐きながら、自分の部屋へと戻って行った。(父上の権力欲は尽きることがないな・・)宮中内で権勢を振るう貴族の娘と結婚し、姻戚関係となれば、土御門家の格も上がるということか。(父上の気持ちはわからぬわけではないが・・)有人は現在23、結婚適齢期の真っ只中だ。星の数ほど女達から文を貰うが、どの文も有人の心を響かせるものはなかった。結婚して家庭を持つなどという人並の人生は、何故か自分には似合わないような気がする。(結婚などせずに一生独身でいられたら・・どんなに楽か・・)だが権力欲に取り憑かれている父の息子として生まれてきた以上、結婚は避けられないだろう。有人は溜息を吐き、帳台に入って目を閉じた。麗景殿にある自分の部屋で、柚葉は帳台に寝転がりながら、縁談の事を考えていた。自分は男で、帝の子を産んで国母となることもできなければ、誰かの妻として平凡で幸せな家庭を作ることもできない。そんなことをわかっていながら、父は本気で自分に縁談を持って来たのだろうか?柚葉は溜息を吐きながら、髪を梳いた。一体父は何を考えているのだろう?(俺は宮中に居ても、あの家に居ても何の利益も生まない役立たずだ。だから、別に結婚してもいいか・・)そう思いながら柚葉は目を閉じた。「本気ですか、父上?本気で柚葉を・・」「何だ、頼篤、その顔は?お前の妹のめでたい話に目くじらを立てるとは。」為人はそう言って頼篤を見た。「父上、あなたは何故、柚葉を自分の出世への踏み台になさろうとするのです?柚葉が男であるということを隠して入内させたり、あんな騒ぎが起きて柚葉を厄介払いしたくて土御門家の若様に輿入れさせようとして・・次は遥を踏み台にしようとしているのですか?」為人は答える代わりに頼篤の頬を打った。「煩い、お前なぞにわしの事がわかるものか!」頼篤は溜息を吐き、口元の血を袖口で拭った。柚葉はこの縁談に乗り気なのだろうか。だとしたら、兄として妹の幸せを祝福しなければ。たとえ、心を偽ってでも。にほんブログ村
2011年07月23日
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麗景殿へと入ってきた柚葉と綏那に、麗景殿女御・絢子とその取り巻きである女房達が氷のような冷たい視線を送った。「女御様、あれが鬼姫ですわ。」彩加はそう言って絢子を見た。「お主が鬼姫か?」絢子は冷たい目で柚葉を見ながら言った。「お初にお目にかかります、女御様にはご機嫌麗しく・・」「挨拶はよい。妾の質問に答えよ。そなたは鬼姫か、否か?」「・・鬼姫の柚葉にございます、女御様。」「そうか・・妾を呪い殺すなよ。」絢子は満足したような笑みを浮かべながら柚葉を見た。「姫様、大丈夫ですか?」部屋に入って荷物を解きながら、綏那はそう言って主を見た。「大丈夫だ。あれくらい、どうってことない。」「そうですが・・それにしても女御様はまるで姫様が總子様に呪いをかけたような言い方をなさって・・」「人の噂はなんとやらだ。どうせその噂も、あの藤原の姫が流したのだろう。」柚葉は溜息を吐いて脇息にもたれかかった。「失礼いたします、柚葉様。」柚葉付の女房・春日がそう言って部屋に入ってきた。「春日、どうした?お前が来るなんて珍しいな。」「あの・・旦那様から柚葉様宛に文が・・」「父上から?」春日から文を受け取った柚葉の表情が、文を読み進んでいく度に険しくなっていく。「どうなさいました、姫様?」「あのクソ親父・・父上が、俺に縁談を持ってきた。」「旦那様が柚葉様に、ですか?お相手はどなたですか?」「さぁ、知らん。どうやら父上は俺のことを見限ったらしいな。」柚葉は父からの文を破り捨てながら言った。「なんですって、父様が姉様に縁談を持ってきたですって?それは確かなの?」桐壷にいた遥はそう言って春日を見た。「はい・・旦那様は陰陽師と相談して改めて柚葉様とそのお相手と会う日取りを決めるとおっしゃって・・」「相手は誰なの?姉様やわたしが知っている人?」「それが・・旦那様は何もおっしゃらなくて・・」「姉様はどうなの?縁談には乗り気ではないの?」「ええ・・柚葉様は旦那様からの文を破り捨てておりましたから。」「そう・・」遥は溜息を吐いた。柚葉は結婚適齢期を迎えており、父は何としても柚葉にいい相手を探そうと躍起になるだろう。 利害条件が一致している相手と良縁を結ぶことこそが、山野裏家を繁栄させる為の手段なのだから。結婚する当人同士の気持ちを無視して、この縁談は進んでいくだろう。「ねぇ春日、わたしもいつかは父様と決めた相手と結婚しなければならないのかしら?」「そうでしょうねぇ、きっと。遥様ならばきっといいお相手が見つかると思いますわ。」「でもわたし、結婚する相手は自分で決めたいわ・・」そう言った遥の瞳は、少し憂いを帯びていた。土御門邸で有人が横笛を吹いていると、弟が自分の方に走ってくるのが見えた。「どうしたんだ、そんなに急いで?」「父上が・・お呼びです・・」有人が寝殿に入ると、そこには酒を飲んで上機嫌な顔をした父・康人がいた。「おう、来たか。」「わたくしにお話とはなんでしょうか、父上?」「実はな・・お前に縁談があるんだ。」「縁談でございますか・・申し訳ないのですがそれは丁重にお断りして・・」「相手はな・・聞いて驚くなよ。なんと、山野裏家の柚葉姫様だ。」父の言葉を聞いた瞬間、有人の脳裏に怜悧な美貌を持つ姫君の姿が浮かんだ。にほんブログ村
2011年07月23日
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「お休みなさいませ、姫様。」「お休み、綏那。」柚葉は帳台の中に入り、目を閉じようとしたが、なかなか眠れない。あの時―弘徽殿で火事が起きた時、自分はどこで何をしていたのだろうか?總子を襲った犯人は一体誰なのだろうか?綏那は弘徽殿から火が上がったとき、金の髪と真紅の瞳をした鬼を見たと言ったが、もしかしたらそれは・・(変なことを考えるのはよそう。)柚葉は無理矢理目を閉じて眠ろうと努めた。やがて柚葉は眠りの淵へと落ちていった。まるで地獄にいるかのような熱さを感じて、柚葉は帳台から出た。「綏那、どこにいる?」柚葉は乳母の姿を探したが、彼女の姿はどこにもない。「綏那、一体どこに・・」綏那は血の海の中に倒れていた。「綏那?」柚葉は綏那を揺さぶったが、何の反応もない。虚ろな目が、ただ柚葉を見上げているだけだ。「綏那、しっかりしろ、綏那!」柚葉が何度も呼びかけても、綏那は何も答えなかった。周りを見ると、部屋は紅蓮の炎に包まれていた。早く部屋を出なければ・・そう思いながら柚葉が御簾を捲ろうとしたとき、黒煙の向こうに誰かの人影が見えた。「誰だ・・?」人影は、柚葉に向かって手招きしている。柚葉は何かに操られるかのように、人影の方へと歩いてく。「誰なんだ、一体・・」周りの空気がやけに熱く感じる。その時初めて、自分以外誰もいないことに気づいた。「やっと、会えたな。」「お前は・・」柚葉は、自分の前に立っている男を見て、絶句した。「夢、か・・」柚葉は溜息を吐いてゆっくりと身を起こした。綏那を見ると、彼女はすやすやと寝息を立てている。(一体あの男は・・誰なんだ?)弘徽殿の火事から一夜明け、宮中は騒然としていた。弘徽殿女御・總子は意識をまだ取り戻してはおらず、連日連夜僧侶たちによる加持祈祷が行われている。總子に仕えていた女房達は、里帰りする者と、麗景殿女御・絢子に仕える者がおり、後者が大半を占めていた。「姫様、お邸に帰りますか?」綏那はそう言って柚葉を見た。このまま宮中に留まるか、それとも邸に帰るかは、柚葉はまだ決めていなかった。邸にも、宮中にも自分の居場所がないことはわかっていた。だから、まだ決められないのだ、今後のことが。邸に戻っても、両親に腫れ物のように扱われるだけだ。「宮中に留まることにした。お前も一緒にいてくれるか、綏那?」「勿論でございますとも、姫様。」「・・その答えを聞いて、安心した。」柚葉はそう言って長年自分を支えてくれた乳母に微笑んだ。それから柚葉と綏那は荷物を整理して、麗景殿へと向かった。(夢に出てきたあの男は、一体誰だ?)麗景殿へと向かう途中、柚葉の脳裏にはまだ夢に出てきた謎の男の姿が浮かんだ。一体誰なのだろう、あの男は?「姫様?」柚葉が我に返ると、綏那が心配そうな顔をしていた。「何でもない・・」2人が麗景殿に入ると、氷のような冷たい視線が2人の全身を包んだ。にほんブログ村
2011年07月23日
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「そなた、妾の為に死んではくれぬか?」總子は真紅の瞳を光らせながら、柚葉に刃を向けた。「女御様?」「そなたさえいなくなれば、妾は主上に愛される・・そなたさえ、いなくなればっ!」總子はそう叫んで柚葉に向けて刃を振りかざした。柚葉は咄嗟に両腕で顔を覆い、目を瞑った。目を開けると、そこには燃え盛る弘徽殿と、その主が血塗れになって倒れていた。「一体・・俺は・・」柚葉はそっと、女御の元に駆け寄った。總子は低く呻きながら、柚葉を睨んだ。「おのれ・・鬼姫・・」總子はそう呟き、血を吐いた。「女御様・・」“人が来る。離れた方がいい。”紅がそう言って柚葉の衣の裾を噛んだ。「わかった。」衛士が来る前に、柚葉は總子の元から立ち去り、自分の部屋へと戻った。弘徽殿へと戻ると、突然の火事で皆気が動転しており、怒号や悲鳴が飛び交っていた。「綏那、綏那、どこにいる!」柚葉は自分の乳母の名を叫びながら、必死で彼女の姿を探した。「姫様、ご無事でしたか!」綏那は泣きながら柚葉に抱きついた。「ああ、今まで外にいたからな・・お前はどうだ?怪我はないか?」「ええ。それにしても酷い火事でございますね・・柚葉様の筝は焼き焦げてしまいました・・わたくしが取りに行こうとしたときには、もうどうすることもできませんでした・・申し訳ございません・・」「筝など、どうでもいい。それよりもお前の命の方が大事だ。」本当は実母の形見である筝を失ったことに対して心が痛んだが、今はそんなことで綏那に怒鳴る事はできない。「女御様のお姿がないのですが・・一体どうなされたのでしょうかね?」柚葉の脳裏に、自分に刃物を向けた女御の姿が浮かんだ。「さぁ・・それよりもこんな状態じゃあ、実家に下がるしかないだろうな。」「ええ・・弘徽殿が火事になりましたし、それに御所に鬼まで現れたとあってはね・・」綏那の言葉を聞いた柚葉の顔が少し強張った。「鬼?鬼だと?」「ええ・・火事があったとき、とても恐ろしい形相をした金髪の鬼が、弘徽殿に炎を・・目はまるで紅蓮の炎のような真紅で・・もう恐ろしくて恐ろしくて・・」(俺が・・やったのか・・?)自分が弘徽殿に放火し、その主を襲ったのだろうか?もしそうだとすれば、自分は綏那や、妹達のところには居られなくなる。(俺は・・一体何者なんだ?)柚葉は両腕で自分を抱くようにして、自分の両肩に腕を回した。「姫様、どうなさいましたか?」「いや、なんでもない・・少し疲れたから、休む。」「お休みなさいませ。今日は大変な一日でしたものね。」部屋に入ろうとしたとき、柚葉は背後に強い視線を感じて振り向いた。だがそこには、誰もいなかった。「姫様、どうなさいました?」「変だな・・誰かに見られていたような気がしたのに・・気の所為か。」柚葉はそう言って部屋に入って行った。「あれが火鶯と人間の女との一粒種か・・あの美しさは鬼ではなく、天女のようだな・・」寧久は茂みから顔を出し、柚葉の姿を垣間見ながら言った。「あの女は使い物にならなくなったし・・次の策を練るとするか・・」彼はそう呟き、闇の中へと消えていった。にほんブログ村
2011年07月23日
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「妾に話とはなんじゃ?」總子はそう言って自分の前に立っている青年を見た。「あなた様はどうやら柚葉のことを気に入らぬ様子。実はあれはわたしの従兄にあたります。」「そなたの従兄が心配になって、妾に妙な気を起こさぬようこうして妾の元を訪れたという訳か。そなたや柚葉に妾の夢を邪魔されてなるものか、去(い)ね!」總子は険しい表情を浮かべて寧久を睨んだ。「いいえ、わたしは女御様の邪魔をする気などさらさらありませぬ。それどころかわたしは女御様に協力したいと思いまして。」「妾に協力だと?それは真なのか?」「先ほど申しましたでしょう?女御様にとっても、わたくしにとっても有益な話になると。」真紅の瞳を煌めかせ、寧久は女御を見つめた。「あなたは柚葉が邪魔で、わたしも柚葉が邪魔。利害が一致しているわたし達が手を取り合って力を合わせれば、あなたの野望が叶えられると思いますが?」「そなたと手を組むことで叶うと?妾の野望が?そんな言葉、妾が信じるとでも思っているのか!?」「女御様、あなたは権力の亡者となりつつある。あなた様は帝の心を他の女に奪われたくない筈。わたしは柚葉が持っている“あるもの”を奪いたいのです。」「“あるもの”じゃと?」「ええ、それはわたしにとっても、わたしの家にとっても重要なものなのです。協力して下さいますね?」「何がなんだかわからぬが・・そなたに協力すると妾は必ず得をするということか?」「ええ。損はしませんよ。だから・・わたしの言うことはなんでもききなさい。」「一体それはどういう意味で・・」總子はそう言って青年を見た。その時、自分の脳内を何かが支配した。邪悪で恐ろしい何かが。「・・わかった。」總子はそう言って静かに頷いた。その瞳は、真紅に光っていた。「ん・・」柚葉はゆっくりと目を開け、けのびをした。隣では、綏那がすやすやと寝息を立てている。柚葉は彼女に衣を掛けてやり、部屋を出て庭を出た。「紅、いるか?」“ああ。”雪で白くなった藪の中から紅が柚葉に尻尾を振りながら出てきた。「この紅玉は一体、どういうものなんだ?鬼族の次期統領の証のほかに、どんな力がある?」“俺達の先祖に伝わる話によると、その紅玉は不老不死の妙薬にもなり、それを手にした者は天下を取るという。だが、それを手にした人間は、非業の死を遂げるという。”「非業の死?じゃあ俺も・・」“お前は大丈夫だ。非業の死を遂げるのは人間だけだ。己の利益ばかりを考えて、眼先の欲ばかり満たす為に人を殺すことをも厭わぬ人間だな。そう・・お前が仕えている主のように。”真紅の双眸が深い闇の向こうを見た。「弘徽殿女御様が?」“ああ・・彼女は今・・”「妾を呼んだかえ?」黒い瘴気とともに、總子が滑るようにいつの間にか柚葉の近くに忍び寄っていた。「女御様、どうされました?このような時間に・・」柚葉はそう言って總子を見た。總子はゆっくりと顔を上げた。「そなた、妾の為に死んでくれぬか?」そう言った彼女の手には、鋭利な刃が握られていた。黒曜石の瞳は、狂気の紅へと染まっていた。にほんブログ村
2011年07月23日
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眞佐乃と寧久は、菫乃に会いに彼女と夫が住む寝殿に入ってきた。「北の方様はいらっしゃいますか?」「申し訳ございません・・北の方様は体調が優れないようで・・誰ともお会いしたくないと・・」菫乃付の女房がそう言って2人に頭を下げた。「どうしますか、父上?例の計画、私達だけで進めても・・」「それは駄目だ、寧久。この計画には母上にも協力して貰わねばならぬ。お前は次期統領の証が欲しくないのか?」「欲しいですよ、とっても。」寧久は真紅の瞳を煌めかせながら言った。「父上はどうなのです?火鶯叔父上がお亡くなりになったから、順番でいえば叔父上の弟君である父上が次期統領にこそ相応しいと思いますが?」「母上は、わたしのことを次期統領とは認めてくれぬ。」「そうですか・・」寧久は祖母と父との間に何があったのか知りたかったが、父は何も語ろうとしない。「寧久、お前の考えを聞かせよ。いったいどんな計画なのだ?」「それはですね・・」寧久は父の耳元で何かを囁いた。「ほう・・柚葉を殺さずに紅玉を奪う方法があると?」「ええ。これなら確実にあの忌み子から紅玉を奪えますよ。」父と別れた寧久は、その足で祖母がいる寝殿へと向かった。「お祖母様、失礼いたします。」そう言って御簾を捲りあげて部屋の中に入ると、帳台の中で眠っている祖母が鬱陶しそうに前髪を掻き上げながら自分を見た。「今は誰とも会わぬ気がせぬと申したであろうが。」「それは存じ上げております。ですがお祖母様、どうしても聞きたいことがあるのでこうしてお伺いしたまでで・・」「妾に何を聞きたいのじゃ?」菫乃はそう言って孫を見た。「どうやら父上には次期統領の地位を譲りたくないようですね。何か父上とお祖母様との間に、あったのですか?」寧久の言葉を聞いた菫乃の顔が強張った。「お前にだけは話そう・・何故妾がお前の父に次期統領の地位を譲らぬかを。お前の父は・・かつて人間の女を愛したことがあった。」「人間の女を?」「ああ。その女は今、後宮で権勢を振るっておる。柚葉もそこにおる。」祖母の言葉で、父がかつて愛した女が誰だか見当はついた。「何故父上はその女と別れたのです?」「その女は生まれつき権力に取り憑かれておった。幼い頃から家族や周囲の者にいずれは帝の寵を受け、国母となるよう言われてきた女だ。穢土に生きる妾達の存在を快く思わなかったのであろうな。何せ妾達鬼は災いを運び、天変地異を起こすこの世の厄介者に過ぎぬからの。」「そうでしたか・・それでは、失礼いたします。」祖母の部屋を出た寧久は、ある事を企んだ。その頃弘?殿では、總子が帝の様子が最近おかしいことに気づいた。自分を抱いている最中や、自分と話している時でも、帝はいつも上の空だ。柚葉のことを考えている。自分よりも家柄も身分も低い癖に、聡明で楽の才能があって美しいだけで帝の心を奪うなんて・・。(許さぬ、柚葉!妾から帝を、妾の国母となる夢を奪おうというつもりか!どこまで妾の邪魔をする気なのじゃ!)總子の心を黒い炎が少しずつ焦がしてゆく。「なんとかしてあやつを・・柚葉を始末しなければ・・」「そういうことなら、わたしが手を貸しましょうか、女御様?」闇の中から声がして振り向くと、中から翠の直衣を着た青年が出てきた。「そなた、何者じゃ?」「初めまして、弘?殿女御様。昔わたしの父がお世話になりました。わたくしは寧久と申すものです。わたくし、女御様にいいお話をしたくてこうしてあなた様の元に参りました。」「妾に話を?」「ええ・・女御様にとっても、わたくしにとっても大変有益な話ですよ。」にほんブログ村
2011年07月23日
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綏那はじっと自分の主人を見た。さっきから柚葉は溜息ばかり吐いている。どこか体調が優れないのだろうか?「お加減でも悪いのですか?」柚葉にそう言って声をかけると、柚葉は少し憂いを帯びた蒼い瞳で自分を見た。「いや・・なんだか気が滅入ってな・・」柚葉は帳台の中に入りながらまた溜息を吐いた。身体の調子が優れないのではないのだとしたら、柚葉は誰かを想っているのだろうか?柚葉はもう15だ。誰かに恋をしてもおかしくない年頃だ。「柚葉様・・わたくしめがこのようなことを言ってもいいのかと思っておりますが・・柚葉様にはどなたか想っていらっしゃる方がおありなのではございませんか?」そう言って15年間手塩にかけて育ててきた“姫”を見ると、柚葉は口端に笑みを浮かべた。「そうかもしれないな・・俺は今、誰かに恋をしている・・」「それはどなたなのですか?まさか土御門様ですか?」「馬鹿言え。あんなインキチ野郎に誰か惚れるものか。俺が今恋をしているのは・・俺の本当の両親だ。」「は?」拍子抜けした声を出して、綏那は柚葉を見た。「あの・・それはいったいどういう・・」「綏那、お前は知っているのだろう?俺が・・山野裏為人の“娘”ではないということを。」柚葉は射るように綏那を見た。「ええ・・ですがわたくしは柚葉様の本当の御両親がどこのどなたなのかは存じ上げません。」「そうか・・」柚葉は溜息を吐き、寂しそうな笑みを浮かべた。「俺は本当の両親のことを知らない・・何処の誰が、誰と出会い、愛し合い、俺が産まれたのかを、俺は全く知らない・・最近俺は本当の両親のことが知りたいんだ・・」「姫様・・」綏那は虚ろな目をしながら外を見る柚葉を見て、彼を守ってやりたいと思った。思えば、桜の方から柚葉の養育を任された時、自分は今日まで彼を育ててきた。天よりも高く、海よりも深い愛情を柚葉に注いだ筈だった。だが柚葉の心はそれだけでは満たされぬらしい。我が子のように育てても、柚葉には柚葉を産んだ実母がいる。所詮柚葉とは赤の他人なのだ。「柚葉様、わたくしではご不満ですか?わたくしは柚葉様を我が子のように思うてここまでお育てして参りました。ですが柚葉様はあなた様をお産みになられたお母君のことが恋しくて堪らないのですね・・」柚葉にとって自分を産んでくれた実母の方が大切なのだと知った綏那は少し寂しく思った。「綏那、済まなかった・・お前の気持ちなど考えずに・・」柚葉は帳台から出て、年老いた乳母の手を握った。少し皺がれた彼女の手で、自分は育てられたのだ。自分を産んでくれた実母に想いを寄せるよりも、今自分のことを実子のように愛情を注いでくれた育ての母に感謝しなければ。「よいのですよ、柚葉様。わたくしも言い過ぎました。柚葉様、今宵は昔話などに花を咲かせましょう。」「ああ。」雪が空から静かに舞い散る夜、柚葉と綏那は昔話に花を咲かせて眠りに就いた。帳台の中で寄り添うように眠る彼らの姿は、まるで本当の母子のようだった。同じ頃、弘徽殿では尊仁が總子を抱いていた。身体では彼女を抱いているつもりなのに、心では何故か柚葉を抱いているような奇妙な感覚に彼は襲われていた。「主上、どうなさいました?」怪訝そうに自分を見つめる妻の姿が、彼の目には柚葉に映った。にほんブログ村
2011年07月23日
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帝が柚葉の部屋に夜這いに行っていた頃、弘徽殿では總子が寝ずに帝が来るのを待っていた。だがどんなに待っても、帝は来なかった。(主上がわたくしのところに来ないなんて・・そんなこと今まで一度もなかったのに・・)失望と驚きで身を震わせながら、總子は一晩中眠れなかった。帝は毎晩自分の元に訪れて来てくれた。だが今夜、帝は自分の元に来なかった。(どうして・・)自分に飽きたのだろうか?今まで帝の寵愛を受けてきた總子は、いつ帝の愛が自分から移ってしまうことが不安で堪らなかった。帝は浮気性で、これまで何度も自分以外の女と関係を持っていた。その度に總子は、女達を闇に葬ってきた。帝の子を宿し、国母となるのは自分だけだ。他の女に邪魔はさせるものか。總子は和琴を取り出し、静かにそれを奏で始めた。和琴は彼女が唯一奏でられる楽器だった。奏でながら、總子の脳裏に金髪碧眼の姫君の姿が浮かんだ。あの姫君は筝の名手だった。憎んでも憎み足りぬ、鬼姫―柚葉。(もしかしたら、主上は柚葉の元に・・)黒い感情が徐々に總子の心を染めていく。輝くような金色の髪。夏の青空をそのまま映し取ったかのような、美しく澄んだ蒼い瞳。柚葉は自分にはない魅力を持った姫君だ。帝がその姿に見惚れ、いつ心が自分から離れていくのは時間の問題だ。何としてでも帝の心を引き留めておかなければ。そう思いながら總子は感情に任せて和琴を一晩中弾いた。翌朝、彩加は女主人の顔色が悪いことに気づいた。「女御様、お加減でも悪いのですか?」「いや・・」そう言った總子はけだるそうに脇息に己の腕を預けた。彩加はそんな女主人を心配そうに見つめていた。その時、帝が弘徽殿へと入ってきた。「女御様、主上が来られました。」「そう・・」女御はそう言って帝を見た。「總子、顔色が悪いな。いかがしたのじゃ?」帝―尊仁は心配そうに自分の妻を見た。「わたくしがこのようになったのは、どなたの所為です?わたくしは一晩中和琴を弾きながら、あなた様のことをお待ちしておりましたのに、あなた様はわたくしのところにいらっしゃらなかったので、よもや他の女に心をお移しになられたのではないかと気を病んでおりましたのよ。」總子は帝に満面の笑みを向けながら言ったが、心の底では柚葉へのどす黒い嫉妬と憎悪が渦巻いていた。「そうか・・そなたはなんと健気な女じゃ。それならば今宵、余はそなたの望みどおりにそなたの元へ参ろう。」「まぁ、嬉しいわ。是非いらしてくださいませ。」帝と女御の会話を聞きながら、彩加は安心した。(女御様があんなに落ち込まれていらっしゃるのは初めて見たけれど、あれはきっと気の所為なのよね・・きっとそうだわ。)「彩加、和琴を持って参れ。ついでにそなたの和琴も持ってくるがよい。」「かしこまりました。」彩加は帝と女御に頭を下げた。女御が酷く冷たい表情を浮かべて彼女を見下ろしていることなど知らずに。その頃柚葉は溜息を吐きながら筝の弦を弄っていた。「どうなさいました、姫様?」「いや・・なんでもない。」柚葉はそう言ってまた溜息を吐いた。にほんブログ村
2011年07月23日
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「そういうわけではなくて・・」柚葉はそう言って気まずそうに帝から目を逸らした。「ならば、どういう訳なのだ?」帝はじっと柚葉を見ながら彼の答えを待っている。(どうしよう・・“自分が男であるから”と答えられない・・)ここで自分が男だとバレてしまったら、自分も、あの憎い父も無事ではいられまい。それに、自分を亡き者にしようと企み、自分の失脚を虎視眈々と狙う弘徽殿女御に格好の攻撃材料を与えてしまうことになる。それは何としても避けなければならない。「主上(おかみ)、今までわたくしには言えなかった秘密がございます。」「秘密だと?」帝の目が驚きで大きく見開かれる。「実は・・わたくしは子が産めませぬ。ですから、主上と契りを交わしても、未来の帝となる御子をこの身に宿すことができません。お許しくださいませ。」柚葉はそう言って、帝に頭を下げた。「なんと・・そなたにそんな秘密があったとは・・」帝は柚葉の秘密を知り、衝撃を受けたようだった。「いままで誰にも言えず、悩んでおりました。わたくしは女としての幸せを一生掴めないのだと思うと悲しくて・・もし主上のご寵愛を得ても、わたくしはこの身に主上の御子を宿すことができないのかと思うと口惜しくて夜も眠れませんでした・・」柚葉は嘘泣きをしながら項垂れた。「そうか・・そなたは今まで苦しんでおったのか。余はそなたの気持ちを無視してそなたと契りを交わそうとした・・なんと愚かなことじゃ・・」帝はそう言って柚葉の手を握った。「柚葉、余を許して欲しい。そなたの苦しい思いも知らずに己のことばかり考えていた余を許して欲しい。」「主上、どうかわたくしなどに構わずに、弘徽殿女御様を大切にしてくださいませ。女御様は美しく賢く、心優しい御方でございます。女御様は主上のことをとても愛しておいでです。」「わかった、そなたの言う通りにしよう。」帝は柚葉から手を離し、部屋から出て行った。「姫様、なんとか乗り切れましたね。」いつの間にか起きていた綏那がそう言ってほっと胸を撫で下ろした。「ああ・・帝には俺のことを構うなと言っておいた。これで俺のことを忘れてくれればいいが・・」自分の寝所がある清涼殿へと戻った帝は、さきほど柚葉と交わした会話を思い出した。“主上、どうかわたくしなどに構わずに、弘徽殿女御様を大切にしてくださいませ。女御様は美しく賢く、心優しい御方でございます。女御様は主上のことをとても愛しておいでです。”蒼い瞳を涙で潤ませながら、柚葉は自分のことを忘れてくれと言った。だが自分は柚葉のことを諦めきれなかった。總子―弘徽殿女御は確かに美しく賢い女性だ。妻にするには申し分のない女だと思う。だが、彼女は権力という名の魔物に取り憑かれている。あの美しい顔の皮を一枚剥がすと、そこには自分と権力に対する凄まじいほどの執着がどす黒く渦巻いている。帝の寵姫という地位に長年彼女が君臨し続けてきたのは、自分の寵を得た公卿や大臣の娘、もしくはその女房を闇へと葬り去ったからだ。国母となる為だけに、彼女が犯してきた罪の数は数え切れないほどだ。帝はそんな彼女にほとほと嫌気がさしていた。もしも彼女と出会う前に、柚葉が早く生まれてきて、彼女と出逢ったのなら、自分の心はもっと晴れやかになるのではないかー帝は最近そう思い始めていた。彼女のことは到底諦めきれそうにない。 何故ならあの春の夜、筝を弾いている柚葉を一目見て、自分は心を奪われてしまったのだから。にほんブログ村
2011年07月23日
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柚葉は雪で彩られている桐壷の庭で舞を舞っていた。その彼を、桐壷女御・爵子(たかこ)と妹の遥がほうっと溜息を吐きながら見ていた。「姉様、綺麗・・」遥はそう言って溜息を吐いた。「こんなの少しかじっただけだ。」「それでも凄いわ、姉様。わたし、あんな風に舞えないわ。」遥は尊敬の眼差しで柚葉を見た。「姉様、さっき弘?殿へ有人様がいらっしゃってたわよ。」「有人?ああ、あのインキチ陰陽師か。」柚葉はそう言って遥の隣に腰を下ろした。「姉様は有人様のことが嫌いなのね。後宮の女達はわたしや桐壷女御様も含め、夢中なのに。」「俺はあんな無礼な奴、大嫌いだ。もう戻る。女御様によろしく伝えてくれ。」「ええ。」柚葉は桐壷を出て、弘?殿へと向かった。(全く、みんなどうしてあんな男に夢中になるんだ・・)陰陽師で美男子だが、柚葉はどうしても彼を好きになれない。(あんなインキチで癪に障るようなことを平気で言う奴のどこがいいんだ、どこが!)絶対に彼のことは好きになれないだろうーそう思いながら柚葉は弘?殿に戻った。「あなた、遅かったわね。」1人でゆっくりしたいのに、彩加と会ってしまった。「妹の所に行っておりましたの。何かわたくしに用ですか?」「あなた、有人様のことどうお思いになってらっしゃるの?」(こいつもか・・)「わたくしは彼のことは何とも思っておりませんわ。」「あら、そう?有人様はあなたに想いを寄せていらっしゃると聞いたけど?」「それはただの噂でございましょう。誰かが退屈しのぎにばら撒いた事実無根のものですわ。」柚葉はそう言って彩加の隣を通り過ぎ、自分の部屋へと入って行った。「あ~、疲れた。」「いかがなさいましたか、姫様?」綏那が怪訝そうな顔をして柚葉を見た。「さっき藤原の姫から、なんでもあのインキチ陰陽師が俺に懸想しているという噂が広まっていると聞いた。俺も向こうも全然その気はないのに、全くいい迷惑だよ。」柚葉はそう言って帳台に寝転がった。「姫様、お髪を梳きましょうか?」「頼む。」綏那に髪を梳いて貰った柚葉は、ゆっくりと眠りに落ちていった。物音に気付いて起きたのは、もう夜が更けた頃だった。何者かがこの部屋に侵入している。(もしかして・・あの鬼か?)柚葉は手探りで枕元に置いてある懐剣を手に取り、それを握り締めた。衣擦れの音を響かせながら、誰かが柚葉がいる帳台へと近づいてくる。(一体誰なんだ、俺の部屋に入って来たのは・・)緊張と恐怖で、柚葉の顔が強張る。柚葉が懐剣を抜こうとしたとき、帳台に誰かが入ってきて柚葉の手から懐剣を弾き飛ばした。「そのような物を余に向けるつもりか?」そう言って帝は柚葉を押し倒した。「主上(おかみ)、何故ここに?」「決まっておるであろう、夜這いに来たのだ。」帝はさらりと平気な顔でそう言って、柚葉に微笑んだ。「柚葉よ、今宵余と契りを交わそうぞ。」「あの・・わたくし、今日は気分が優れなくて・・」「何を言う、こんな夜に。余は人目を忍んでそなたに会いに来たのだぞ?ここで余を追い返すつもりなのか、お前は?」柚葉は、じっと自分を見つめる帝から、目を逸らすことができなかった。にほんブログ村
2011年07月23日
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翌朝、帝が柚葉と一夜を過ごしたという噂が、あっという間に宮中に広まった。 それは口がさない連中の嘘だったが、弘?殿女御はその噂を聞いて柚葉への憎しみを一層強くした。(許さぬ・・主上と一夜を過ごすなど・・主上に愛されるのは、この妾だけだだというに!)「彩加、おるか?」「はい、ここに。」彩加は今日も主人の機嫌が悪いことに気づいた。原因はわかっている。「昨夜はわたくしの乳母がとんでもないことをいたしまして・・」「それはもうよい。それよりもそなた、土御門有人を知っておるか?」「はい・・それがどうかいたしましたか?」「ここに呼んで参れ。」宮中に出仕した土御門有人は、藤原の姫から文を貰った。「また恋文ですか、兄上?」隣で弟の頼人がそう言って文を見ようと覗きこんだ。「いや、仕事だ。」有人は頼人の頭を小突き、弘?殿へと向かった。「ようこそお越し下さいました、有人様。」彩加はそう言って有人に微笑んだ。「これはこれは、彩加殿。お久しゅうございます。」有人は彩加に頭を下げた。「女御様はもうすぐ参られます。しばらくここでお待ちくださいませ。」彩加は頬を赤く染めながら、嬉しそうに去っていった。(一体どうしたというのだ、彩加殿は?あんなに嬉しそうにして・・)有人は弘?殿女御を待ちながら、何故自分はここに呼び出されたのだろうと考え始めていた。仕事ということは、呪詛や占いに違いないのだが、もし前者の仕事だとすると、女御は一体誰を呪いたいのだろうか?今や帝の寵姫として後宮で権勢をふるっている彼女を脅かす敵はいない筈だ。それなのに、何故―「よう参ったな、土御門有人。」凛とした声とともに、弘?殿女御が部屋に入ってきた。「女御様にはご機嫌麗しく・・」「堅苦しい挨拶などよい。そなたを呼んだのは、ある姫を呪殺して欲しいからじゃ。」「ある姫?その姫はどなたでございますか?」有人はそう言って弘?殿女御を見た。御簾越しに幽かに見える彼女の美しい顔は少し嫉妬と怒りで歪んでいた。「そなた、山野裏為人を知っておるだろう?あの男の姫が、わたくしから主上の御心を奪おうとしているのじゃ。わたくしはこの国の国母となる女。邪魔をする者は誰であれ・・殺す!」女御がそう言葉を発したとき、突風が弘?殿の中に吹き荒れた。「女御様・・」「あやつを・・柚葉を必ず殺せ!主上の御心は妾のものじゃ!」有人は女御の目が一瞬赤く光ったように見えた。「承りました。」「女御様、有人様に柚葉を呪殺できましょうか?なんだか不安ですわ。」彩加はそう言って女主人を見た。「あやつは腕のいい陰陽師じゃ。あやつは決して妾を裏切るまい。」「ですが・・有人様は柚葉に懸想しておいでです。」有人のことを密かに想っている彩加は、そう言って唇を噛み締めた。「それなら好都合じゃ。」有人は弘?殿を出て、柚葉の姿を探した。桐壷の庭で、柚葉は美しく舞っていた。その姿を見ながら、自分は本当に柚葉を殺せるのだろうかと思った。弘?殿女御は、何としてでも柚葉を殺そうとするだろう。昨夜柚葉が帝に呼ばれた際、柚葉の盃に毒が盛られたと聞く。恐らく女御の息がかかったものの仕業だろう。脳裏に美しくも恐ろしい女御の姿を思い浮かべながら、有人は後宮を後にした。にほんブログ村
2011年07月23日
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頼篤は母が放った言葉の意味を考えているころ、舞を終えた柚葉は帝に頭を下げた。「わたくしの拙い舞は、主上を御満足させるものでしたでしょうか?」柚葉はそう言って帝に頭を下げた。「ほんに美しい舞だった。昼に見たお前の天平の舞は美しかったが、今余が見た舞は美しく艶やかなものだった。」帝は柚葉に微笑みながら、盃に口をつけた。「ありがたきお言葉、ありがとうございます。」柚葉はそう言って再度、帝に頭を下げた。「近こう参れ。そなたの顔がもっと見たい。」衣擦れの音を響かせながら、柚葉は帝の隣に座った。月光で仄かに映る少し切れ長の目をした顔に、しなやかな体躯。これが、日本国を治める帝王の姿。彼の機嫌を損ねるか損ねないかで、貴族達の運命を左右する。この世の権力を生まれながらに持った男。柚葉の主である弘徽殿女御は、帝の権力を奪い、彼の子を産んで国母になろうとしている。恐らく弘徽殿女御は、今夜帝に呼ばれている自分のことを快くは思っていないだろう。盃の酒に毒を盛られているのではないかー柚葉はそう思いながらチラリと自分の前に置かれた盃を見た。「どうした、飲まぬのか?」「ええ・・今日は飲む気分ではなくて・・」柚葉はそう言って俯いた。帝は側にいた男に盃を下げるよう命じた。「柚葉、そなたの舞を堪能したあと、そなたが奏でる筝の音を聞きたい。」「かしこまりました。」柚葉は乳母に愛用の筝を持ってくるよう命じた。(まずいことになった・・女御様に何と言い訳をすればいいか・・)柚葉の後ろに控えていた彩加の乳母は、強張った顔をしていた。女御から渡された毒入りの盃を柚葉に飲ませるつもりだったのだが、失敗してしまった。弘徽殿女御は自分の思い通りにならない邪魔者は殺すだろう。それは自分も例外ではない。彼女はそっと弘徽殿へと戻った。「どうだ、今頃柚葉は苦しんでのた打ち回っておるか?」弘徽殿の主は、そう言って老女を見下ろした。蝋燭で仄かに照らされている美しい顔が、老女にとって鬼女に見えた。「それが・・失敗いたしました。」老女は弘徽殿の主に向かって頭を下げた。「失敗した、だと・・?」静かな声とは裏腹に、目の前の女は恐ろしい形相を浮かばせていた。「この馬鹿者が!」柚葉の筝を抱えながら清涼殿へと向かおうと弘徽殿を出ようとしていた綏那は、怒鳴り声がした方を見た。そこには弘徽殿の主と、彼女の前で項垂れている老女―彩加の乳母がいた。「柚葉を殺せと申したであろうが、この痴れ者が!心の臓の病と見せかけて毒殺しようと思ったものを・・お前の所為で妾の作戦は台無しじゃ!」女御はそう叫びながら老女を扇で打ち据えた。「申し訳ございません、女御様!」老女は泣きながら女御に頭を下げ続けた。綏那はそっと清涼殿へと向かった。女御は柚葉を毒殺しようとしていた。その柚葉は清涼殿で帝と2人きりでいる。もし帝の心が女御から柚葉へと移ったら、女御は柚葉を殺すつもりなのだろう。(何としても姫様を・・姫様をわたくしがお守りしなければ・・)綏那は筝を抱き締めながら、柚葉の元へと急いだ。(遅いな、綏那・・)柚葉は乳母の帰りが遅いことが気になり、弘徽殿へと向かおうと立ち上がろうとした。「どこへ行くのだ?」「乳母の帰りが遅いものですから、迎えに行こうと思いまして・・」「帰りが遅いほうがよい、余にとってはな。」帝はそう言って柚葉の手を握った。「何故です?乳母の帰りが遅くては、わたくしの筝の音が聞けませんよ?」「筝の音など、余にとってはどうでもよい。余はわざと、そなたと2人きりになりたいと思うてわざと言ったのじゃ。」「お離しくださいませ。」「嫌じゃ。」帝はそう言って柚葉を抱き締めた。「何をなさいます、お離しくださいませ。」「嫌じゃ。」(やばい状況だな、これは・・)柚葉が冷や汗をかいた時、綏那が筝を抱えて息を切らしながら自分達の元へと走ってきた。「遅くなりまして申し訳ございません、姫様。」「筝が来ましたので、早速筝を奏でましょうか?」「いや、いい。またの機会にいたそう。」帝はそう言って柚葉に微笑んだ。「では、わたくしはこれで。」柚葉は綏那とともに帝の元から去ろうとしたときだった。「余は絶対、そなたを手に入れる。」帝は柚葉の耳元でそう囁き、悪戯っぽい笑みを浮かべながら去っていった。にほんブログ村
2011年07月23日
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「あやつはどうしておる?」菫乃はそう言って自分と向かい合っている男を見た。「あやつ?誰のことでございましょうか?」「このうつけ者が!あやつと言うたら我が鬼族の血統を汚した柚葉以外の誰を言うのじゃ!」「申し訳ございませぬ、母上様。わたくしはそんな者、存じ上げませんでしたから。」男はそう言って菫乃に頭を下げた。「まぁよい。あやつなどわたくしの孫ではないからの。火鶯はあのような最期を遂げたし・・息子と呼べるのは眞佐乃、お前しかおらぬからの。」菫乃は男に微笑みながら言った。「そのお言葉、嬉しゅうございます。」男―眞佐乃はニッコリと笑って母に頭を下げた。「のう眞佐乃、そなたあやつをどう思う?」「どう思うとおっしゃられましても・・わたくしはそのような者、存じ上げておりませんので、何とも言えませぬ・・」「そうか、そなたはあやつの存在など知らなかったからの。そなたに頼みたいことがある。」菫乃はそう言って眞佐乃の耳元で何かを囁いた。「それはまことでございますか、母上様?」驚愕の表情を浮かべながら、眞佐乃は母を見た。「そやつから紅玉を奪いたいとは思わぬか、可愛い息子よ?」「はい、母上。」そう言った眞佐乃の瞳は、真紅に染まっていた。山野裏邸では、桜の方が頼篤を北の対へと呼び出していた。「わたしにお話とは、なんでしょうか、母上?」「お前、柚葉のことをどう思っているの?」頼篤は琵琶を奏でる手を止めて母親を見た。「柚葉は大切な妹だと思っておりますよ。」「嘘を吐くでないよ、頼篤。お前はもう、柚葉と血が繋がっていないことに気づいているのだろう?」「それは・・」頼篤は桜の方に図星を指され、口篭った。「お前もそろそろ結婚しなければね。お前には良い妻を探してあげるわ。そうね、わたくしの従弟の娘はどうかしら?名前はたしか、静とか言ったわね・・」「母上、わたしは結婚など考えておりません。どうかお節介はやめていただきたい。」頼篤はそう言って母を睨んだ。「お前は柚葉を娶ろうと思っているのかい?それは出来ないよ、頼篤。あの子は鬼の子だからね。娶った途端に喰われてしまうよ。」「母上、仮にも柚葉はあなたの“娘”ですよ。そんな言い草は・・」「あの子はわたくしの子ではない!」桜の方は恐ろしい形相で頼篤を睨んだ。「母上・・?」「お前はどうしてあの子を好きになったのだ、頼篤!」「母上・・」「許さぬ、許さぬぞ!お前まであの子に奪われてたまるものか!」桜の方はそう言って胸を押さえて床に蹲った。「母上、しっかりしてください!」頼篤は母の背中を撫でた。「許さぬぞ、頼篤・・柚葉を娶ろうなど、決して許さぬぞ・・そなたの幸せを、あの子に壊されて堪るものか・・」息子の手に爪を立てながら、桜の方は意識を失った。(母上、何故柚葉のことを憎んでいるのです?)柚葉と母との間に、何か因縁があるのだろうか・・部屋に戻った頼篤は琵琶を抱えながら物思いに耽っていた。“お前まであの子に奪われてたまるものか!”母の言葉は、一体何を意味しているのだろう。にほんブログ村
2011年07月23日
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弘徽殿女御(こきでんのにょうご)・總子(さとこ)は、隣で柚葉の舞に見入っている帝を見た。「主上、何をご覧になっておりますの?」「そなたに仕える女房達は美しい者達ばかりだな。」帝―尊仁はそう言って艶やかに舞う1人の舞姫を見つめていた。結いあげた金の髪に真珠の釵を挿し、白い紗の布を天女の羽衣のように操るその姿は、とても美しい。尊仁はその舞姫の名を知っていた。山野裏柚葉―宮中で権勢をふるっている右大臣家の姫。巷では金髪蒼眼の容姿から彼女は“鬼姫”と呼ばれているらしいが、自分にとっては彼女が天女に見えた。「總子よ、あの者を余の元に呼んでくれまいか?」そう言った時、總子の美しい顔が少し引き攣ったように見えた。「主上のお望みとあらば。」衣擦れの音を響かせながら、弘徽殿女御は帝の元を去っていった。總子は帝の前で浮かべていた笑みを消し、恐ろしい顔をしながら彩加の姿を探した。「彩加、彩加はおらぬか?」「こ、これは女御様・・」彩加付の女房・葭野は慌てて頭を下げた。「葭野、彩加はどこにおる?」「姫様は今席を外しております。」「そうか・・ではそなたに頼みたいことがある。」總子はそう言って葭野に何かを渡した。「これはなんでございましょうか?」「お前が知らぬともよいものじゃ。よいか、主上が柚葉の所に参られる時に、柚葉の盃にこれを入れるのじゃ。」「かしこまりました・・」葭野は震える手でそれを受け取った。再び帝の元へと戻った總子は、庭で踊る柚葉を睨んでいた。(おのれ鬼姫、妾から主上を奪う気か・・そうはさせぬ、妾は必ずや国母となる!お前如きに邪魔されてなるものか!)強い視線がして、柚葉はチラリと帝がおわす清涼殿の方を見た。帝の隣にいた自分の主である弘?殿女御が、恐ろしい形相で自分を睨んでいる。(どうやら俺は、また彼女の恨みを買ってしまったらしいな・・)自分はそんなつもりはないのに、向こうは違うらしい。半年前に自分を宮中から追放しようとした女である、今回もまた何か企んでいるのだろう。(あの女には用心しないとな・・)柚葉達が舞を舞い終わると、帝は大層ご満悦の様子で手を叩いていた。柚葉は溜息を吐いて庭を去ろうとしたとき、誰かに肩を叩かれて振り向いた。「柚葉殿、主上がお呼びです。」「わかった。」柚葉がそう言うと、帝の使いは彼の元から去っていった。「姫様、主上から文が。」部屋に戻ると、綏那がそう言って帝からの文を柚葉に差し出した。そこには、今夜清涼殿で会いたいと書いてあった。「やばいことになったぞ、綏那。」柚葉は溜息を吐いて帳台の中へと入って行った。「そうでございますね・・主上は姫様が男だと知りませんし・・」「せいぜいバレないようにするよ。」その夜、柚葉は身支度を整えて綏那と数人の女房達を連れて清涼殿へと向かった。「待っていたぞ、天平の舞姫よ。」そう言って帝は柚葉に微笑んだ。「それほどわたくしの拙い舞を気に入っていただけて嬉しゅうございます。」柚葉は帝に愛想笑いを浮かべながら彼に頭を下げた。「そなたは楽だけでなく舞の才能もあるようだな。一差この場で舞ってみよ。」「主上のお望みとあらば。」柚葉はそう言って立ち上がり、楽士が奏でる音に合わせて舞い始めた。帝が柚葉の舞に魅入っている隙に、葭野は弘徽殿女御から渡された毒を柚葉の盃の中に入れた。その頃、菫乃はある人物と話をしていた。にほんブログ村
2011年07月23日
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柚葉と遥が入内して半年が過ぎ、京に冬が訪れた。灑実に拉致され、燃え盛る藤原邸から逃げだした柚葉は、あの後高熱を出して寝込んでいた。藤原邸はあの火事で半焼し、彩加は大火傷を負った父親の看病のため、里帰りした。同じく火事で火傷を負った灑実は、自宅で療養していた。(おのれ・・よくもわたしを傷つけたな・・)痛々しい火傷の痕が残る右腕を見ながら、灑実は柚葉へ復讐を誓った。柚葉を罪人に仕立てた弘?殿女御だけが得をしていた。(愚かな者どもじゃ。欲に目を眩ませ、私利私欲で動くから痛い目を見るのじゃ。)總子はフッと口端死をを歪ませながら笑みを浮かべた。(あの柚葉という姫、なんとかせねば・・帝の寵姫である妾の地位をいつ脅かすとも限らぬからな。)總子が次の企みを巡らせている時、柚葉は自宅で療養していた。半年前の藤原邸を脱出した際に背中に負った火傷は完全に癒えたが、灑実にかけられた呪は今も柚葉を苦しませており、時折体調を崩すことがあった。「柚葉、入るぞ。」頼篤はそう言って柚葉に微笑んだ。「傷の具合はどうだ?体調を崩しているときくが・・」「もう大丈夫です、兄上。ご心配をおかけして申し訳ありません。」「謝らなくてよい。それよりも柚葉、お前はこれからどうするのだ?宮中に戻るのか?」頼篤の言葉に、柚葉は静かに頷いた。「何故だ、何故あんな女の元に仕えようと思うのだ?お前はあの女の所為で濡れ衣を着せられ、酷い目に遭わされたのだぞ!?それなのに宮中に再び上がるなど・・」いつもは温厚な兄が激しい口調で捲し立てるを見て、柚葉は呆然と兄を見ていた。「宮中になど行くな、柚葉!わたしはお前のことを愛している!」頼篤はそう叫んで、柚葉を抱き締めた。「兄上・・?」一瞬何が起きたのかわからず、柚葉は動揺した。「お離しください、兄上。私は・・」「嫌だ、離すものか!お前をこのまま離したら、お前が遠くに行ってしまうような気がしてならぬ。」頼篤は柚葉の顎を掴んで、柚葉の唇を塞ごうとした。だが我に返った彼は、柚葉を突き飛ばした。「すまぬ・・わたしというものが、何ということを・・」「兄上・・一体どうなされたんですか?」柚葉の問いに、頼篤は俯いて何も答えず、部屋から出て行った。それから数日後、柚葉は再び宮中へと上がった。「ほら御覧なさい、山野裏様のところの・・」「鬼姫・・」「どの面下げてまたここに来る気になったのかしら?」「厚かましいにもほどがあるわ・・」ヒソヒソと囁く女達の声を無視して、柚葉は弘?殿へと入った。「柚葉、久しいのう。背中の傷はもう治ったのか?」總子はそう言って柚葉を見た。「はい。」「早速だが、宮中で雪見の宴が近々あることはお前も知っておろう?」總子は挑むような目で柚葉を見ながら言った。「ええ・・それが何か?」「宴では古き良き天平の舞姫としてお前に舞を舞ってもらいたいのじゃが、無理か?」「天平の舞姫、でございますか?わたくしにそのような大変なお役目が務まりますかどうか不安ではございますが、承りました。」柚葉はそう言って總子に頭を下げた。「そうか・・では稽古に精進するがよい。」總子は悔しそうに口端を歪めながら、柚葉を睨んだ。「柚葉様、いいのですか?これは罠かもしれませぬのに。」綏那はそう言って心配そうに柚葉を見た。「人前で俺に恥をかかせようっていう魂胆だろ?だとしたら俺がその魂胆とやらを打ち砕いてやる。綏那、俺はこれから稽古に行くぞ。」「ですが姫様・・」「舞うと決めた以上、美しく完璧な舞をあの女に見せつけてやらないと。」それから柚葉は、桐壷の庭で毎日夜遅くまで稽古に励んだ。雪見の宴は、宮中で華々しく開かれた。山野裏の“鬼姫”が舞を舞うということがあっという間に宮中に広まり、それ見たさに多くの公達が庭がよく見える欄干を埋め尽くし、女達は御簾の奥で柚葉への陰口を叩いていた。「女御様、あの鬼姫が舞など舞えるのかしら?」「鬼姫が大恥を掻くところをとことん見物いたしましょう、女御様。」「ああ・・」總子はそう言って庭を見た。庭は数日前から降り続いた雪で美しく純白に彩られ、色鮮やかな天平衣裳を纏っている5人の舞姫達が際立って見えた。 その中でも一際目立っているのは、翡翠の襦裾(ころも)を纏い、結いあげた金色の髪に真珠の釵(かんざし)を挿した柚葉だった。雅楽の音に合わせて、雪で彩られた庭で舞い踊る天平の舞姫達の色鮮やかな袖がひらひらと空を舞う。柚葉が舞など舞えるはずがないと思い、たかをくくっていた總子とその女房達は悔しそうに柚葉の舞を見ていた。公達は柚葉の美しさにほうっと溜息を吐いた。その中の1人、藤原国葦は、庭で美しく艶やかに舞う柚葉を見ていた。彼の脳裏に、去年の夏水浴びしていた柚葉の姿が浮かんだ。今舞っている柚葉の姿は、天女そのものだった。(運命の巡りあわせなのかもしれない・・彼女と出逢ったのは・・)国葦は溜息を吐いた。「柚葉・・」頼篤は複雑な想いを抱えながら柚葉の舞を見ていた。「柚葉・・」頼篤はチラリと柚葉をじっと見つめている帝を見た。帝は柚葉を自分のものにしようとするだろう。その時、自分はどうしたらいいのだろう?にほんブログ村
2011年07月23日
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「ん・・」柚葉はゆっくりと蒼い双眸を開いた。(ここはどこだ・・俺は一体・・)あたりを見渡すと、高価な几帳や屏風などがあり、どこかの貴族の邸であることはわかる。ゆっくりと身体を起こした柚葉は、身につけていた紅玉がなくなっていることに気づいた。一体どこで落としたのだろうか?柚葉の脳裏に、獄吏から連れ出された時のことが甦った。あの時、あの陰陽師に奪われてしまったのだろうか。だとしたら、取り戻さなければー柚葉はそう思い、部屋を出た。田淵ヶ浦灑実は、寝殿で主―藤原種嵩と話をしていた。「よくやったぞ、灑実。今為人は慌てふためいておるだろう。」「そうでしょうね。為人が邸に幽閉していた“姫”が、実は男でその上鬼の子であることは本人としては何としても隠し通したいでしょう。そのことがバレてしまったら彼の命はないのですから。」灑実はそう言って口元に笑みを浮かべながら、柚葉から奪った紅玉を指先で弄んだ。「それは何だ?」「“姫”―柚葉から奪ったものです。色といい、形といい、大きさといい、このような美しく良質な紅玉を見たことがありません。」「貸せ。」種嵩はそう言って紅玉を手に取り、眺めた。「美しい・・これをあの“姫”が持っていたとはな。あれは邪魔だが、この紅玉は欲しいな。」「では“姫”は亡き者にしてもよろしいのですね?」種嵩は灑実の言葉に静かに頷いた。「“姫”を始末して参ります。」部屋を出た柚葉は、寝殿へと向かった。そこには自分を拉致した陰陽師と、父の政敵がいた。「・・“姫”が実は男で、鬼の子だったとは・・」彼は自分の正体を知っていたのだーそう思った柚葉は身体を強張らせた。柚葉は、灑実が紅玉を持っているのを見て、息を呑んだ。何としてでもあれを彼から取り返さなければ。柚葉は息を殺し、静かに灑実の背後に忍び寄った。「種嵩様、弘?殿女御様はどうなさいますか?」「あの女は藤原家にとって邪魔者いがいの何者でもないわ。呪詛でも何でもかけて殺してしまえ。」種嵩がそう言って灑実の方を向いたとき、懐剣を彼に向って振りかざしている“姫”の姿が見えた。「紅玉を返せ!」柚葉が刃を振り上げるのと、灑実が印を結び呪を唱えたのはほぼ同時だった。「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」灑実が呪を唱えた瞬間、柚葉は胸に激しい痛みを感じて床に蹲った。乾いた音がして、懐剣が床に転がった。柚葉は痛みを堪えながら灑実の手から紅玉を奪い取った。「お前には呪をかけたぞ、鬼の子よ。」勝ち誇った笑みを浮かべながら、灑実はそう言って柚葉の髪を掴んだ。「お前には悪いが、ここで消えて貰おう。」灑実は太刀を抜き、その切っ先を柚葉の首筋に当てた。刃が柚葉の柔らかな雪のような肌を傷つけ、真紅の血が紅玉に滴り落ちた。(もう・・駄目だ・・)そう思った時、紅玉が突然紅い光を放った。「何だ・・?」灑実が紅玉に手を伸ばそうとしたその時、閃光と紅蓮の炎が邸を覆った。柚葉が顔を上げると、灑実と種嵩は負傷して呻いていた。紅玉を拾い上げ、柚葉は邸から脱出した。自宅が見えてきたとき、力が抜けた柚葉は裏門で力尽きて倒れた。かつて自分が捨てられた裏門で。にほんブログ村
2011年07月23日
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頼篤は妹・遥からの文を繰り返し読んでいた。 そこには柚葉が弘?殿女御と藤原の姫に嵌められて牢に入れられたことなどが書いてあり、何としてでも姉を救いたいという妹の訴えが記されていた。柚葉が帝の寵姫である弘?殿女御の櫛を盗んだという知らせを聞いた頼篤は、何かの間違いではないかと思った。 産まれてすぐに山野裏邸の裏門に捨てられた柚葉のことを家人達は口々に“鬼の子がこの家に凶事(まがごと)を運んでやって来た”という酷い噂を邸中に流し、その結果両親は柚葉のことを蔑ろにした。その所為か柚葉は、少し捻くれて人から距離を置くようになってしまった。今までは自分や遥や幼い弟の雅介に囲まれ、邸の中ではあるが幸せな日々を送っていた柚葉だが、入内すると同時に柚葉の存在を快く思わない藤原の姫と、寵姫の地位を柚葉に脅かされるのではないかと危惧した弘?殿女御が結託したのではないかと、頼篤は薄々と勘付いてはいたが、まさかそれが当たるとは。 柚葉の罪を一刻も早く晴らさなくてはならないが、柚葉が弘?殿女御の櫛を盗んだという証拠がある。柚葉の罪を晴らす為には、女御と藤原の姫が結託した証拠を掴まなければならない。そんなことはとうに解っているのだが、証拠をつかむのは至難の業ではないかと頼篤は思っていた。弘?殿女御は帝の寵姫で、自分の邪魔をする者は排除するという考えの持ち主だし、藤原の姫の父親―藤原種嵩とは敵対関係にある。2人が結託している証拠を掴むなど、自ら火の中に身を投じるようなものだ。(一体どうすれば・・)頼篤がそう思いながら溜息を吐き、庭を見ると、黒い犬が真紅の瞳を光らせながら自分を見ていた。(あれは・・柚葉を襲おうとしたもののけ!)頼篤は腰に帯びていた太刀を抜いた。“物騒なものはしまえ。俺はお前を喰らうつもりはない。”頭の中に直接、犬の声が響いてきた。「お前は何者だ?何故ここに入った?」“柚葉は・・お前の“妹”は陰陽師・田淵ヶ浦灑実に拉致された。“田淵ヶ浦灑実。確か彼は、藤原家に仕えている陰陽師だった筈だ。その彼が雇い主の政敵である“姫”を拉致したとなれば、弘?殿女御と藤原家が結託している確たる証拠が掴めるかもしれない。「田淵ヶ浦灑実の邸に、わたしを案内しろ。」“それはできない。”「何故だ!」“敵に動きを悟られてはまずい。それにあいつは京で名を馳せている陰陽師だ。何をされるかわからんぞ。もしお前が柚葉を助けようものなら、呪詛をかけられるやもしれん。”やっと手がかりが掴めたというのに、このまま邸でじっとしているなんて頼篤は耐えられなかった。脳裏に柚葉の笑顔が浮かぶ。何としてでも柚葉をあの陰陽師から救いたい。時が来れば、必ずー「そうか・・では慎重に動かねばな。」頼篤はそう言って溜息を吐いた。“お前、柚葉のことをどう想っている?”黒犬は真紅の瞳でじっと頼篤を見ながら言った。「柚葉はわたしの大切な“妹”だと思っている。それ以上でもそれ以下でもない。」“嘘を吐け。お前は本当は柚葉が男であると知っている。それを知っていて、お前は柚葉に恋心を抱いているのだ。”図星だった。柚葉が男であることや、自分達とは血が繋がっていないことを知りながらも、頼篤はいつの間にか柚葉に恋心を抱くようになっていた。入内前夜、筝を奏でる柚葉を見ながら、もし彼を独占できたならどんなにいいだろうと思った。この想いを叶えられるのなら、どんなにいいだろうと。だが自分の恋は決して叶うことはない。柚葉は入内し、性別を偽りながら生きていかなければならない。勿論、自分とは兄と“妹”として接していかなければならない。「わたしは何故、こんなに苦しまなくてはならないのだ?」“柚葉に想いを伝えたら、それまでお前と柚葉が築いてきた関係に亀裂が入る。想いを忍ぶこともいいものだ。”黒犬はそう言って、闇の中へと姿を消した。にほんブログ村
2011年07月23日
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柚葉は薄暗い牢の中で寝返りを打っていた。 總子と彩加の策略により濡れ衣を着せられた彼は、筵を敷いた石の床に身を横たえながら、むっとくる熱気を忘れようと何度も目を閉じて眠ろうとした。だが空気が遮断された牢獄は、夏は蒸し風呂のように暑く、冬は吹雪のど真ん中にいるように寒くなる劣悪な環境だった。そんなところで安眠できる者など誰1人としていない。柚葉は汗で張り付いた前髪を鬱陶しそうに掻きあげながら、ゆっくりと身体を起こした。「早くここから出たいな・・」“俺もだ。”舌を出しながらハァハァと荒い息をしている紅は、そう言って冷たい床の上に横たわった。「お前は俺に付き合わなくてよかったのに、何故ついてきたんだ?」柚葉はそう言って黒犬の背中を撫でた。“お前を守ると友に誓ったからだ。それよりも柚葉、あの女には気を付けた方がいい。”「あの女?弘?殿女御様のことか?」“ああ。俺は茂みに隠れてあの女を見たが、あの女は何か恐ろしいものに取り憑かれている。”「恐ろしいもの?怨霊か何かか?」“いいや、俺達鬼族よりも恐ろしいものだ・・あの女からは死の匂いがする。”「死の匂い?それは一体どういう・・」その時、獄吏が牢内に入ってきた。獄吏は柚葉の牢の前で足を止めた。「お主の罪が晴れた。出ろ。」柚葉が怪訝そうな顔をしていると、獄吏は牢を開け、柚葉を牢から出した。「一体どういうことです?わたくしの罪が晴れたとは?」柚葉の問いに、獄吏は何も答えない。女御の櫛が自分の唐櫃の中にあったのだから、女御と彩加が共謀して自分を罠に掛けたという証拠が出ない限り、身の潔白を証明するのは難しいと柚葉は思っていた。だがこんなにあっさりと潔白が証明されるとは、何かがおかしい。柚葉はちらりと獄吏の顔を見た。牢に入れられて何日か経ち、獄吏の顔は大体知っているが、自分の隣を歩く獄吏の顔は知らない。彼が本当に獄吏なのかどうかもわからない。なんだか胸騒ぎがして、柚葉は回れ右をしてもと来た道を戻ろうとした。その時獄吏が彼の腕を掴んだ。「どこへ行く?」「牢に忘れ物をしてしまって・・取りに行こうと思いまして・・」「そのような勝手な真似は許さぬ。」獄吏は有無を言わさず、柚葉の腕を引っ張って牢獄から出た。外はもう夜の帳が下り、辺りは漆黒の闇に包まれていて、ここがどこなのかわからない。獄吏は柚葉の腕を掴んだまま、無言で歩きだした。どうやら柚葉達が歩いているのは貴族達が住む地域とは反対方向にある寂れて治安が悪そうな地域で、人通りが少ない。そんな寂れた路地には似つかわしくない貴族の牛車が路地の中央を占領するように停められてあった。獄吏はやっと柚葉の腕を放し、牛車の前でひざまづいた。すると牛車の中から闇色の直衣を着た男が優雅な動作で出てきた。その顔は柚葉は見覚えがあった。桐壷女御に挨拶に行った時に、あの嫌な陰陽師・土御門有人とともにいた陰陽師だ。「よくやってくれた。もう戻ってよいぞ。」そう言って陰陽師・田淵浦灑実(たぶちがうらのさねのぶ)は、獄吏に向かって手を叩いた。すると、ポンという弾けた音がして、獄吏がひざまづいていた場所には1枚の紙切れが落ちていた。「人を使うより、式神(しき)を使った方が効率が良いな。何しろ人は金を積まなければ決してお前を牢の外には出さぬだろうしな。」灑実はそう言ってニヤリと笑った。柚葉は灑実に背を向けて走り出した。「待て!」後ろから灑実が追ってくる気配がした。何故彼は自分を牢から連れ出そうとしたのだろうか。そんなことを考えている暇は、今はなかった。ただひたすら、彼から逃げることだけを柚葉は考えていた。息を切らし、闇の中をしばらく走っていると、見慣れた建物が目に入った。(あと少し・・あと少しだ・・)そう思いながら走ろうとしたとき、突然金縛りに遭ったかのように、柚葉の身体が動かなくなった。足を踏み出そうとしても、足が動かない。「俺の呪が効くとは・・やはりお前は・・」灑実はそう言って柚葉に近寄り、彼の鳩尾を殴った。「う・・」柚葉はくずおれるようにして地面に倒れた。「手間をかけさせる奴だ。」灑実は柚葉を抱き上げながら牛車の中へと入っていった。やがて牛車は闇の中へと消えていった。その一部始終を見ていた紅は、山野裏邸へと疾走した。にほんブログ村
2011年07月23日
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柚葉が女御の櫛を盗んだとして検非違使に連行されたという知らせを聞いて、遥は居てもたってもいられず弘?殿へと向かった。「女御様、姉は盗みなどする人ではありません!姉は誰かに嵌められたんです!」「何故そうだと言い切れる?現にわたくしの櫛はあの者の唐櫃から出てきたのだ。確たる証拠がある限り、お前の姉はわたくしの櫛を盗んだ犯人だという事実は存在しているのだ。」總子は冷たい目をして遥を見た。「わかったら下がるがよい。」「女御様、どうかわたくしの話を・・」「下がれと申したであろう。」總子はそう言って遥を睨んだ。遥は涙を流しながら桐壷へと戻った。「これで厄介払いができますわね、女御様。」隣に座っていた彩加が總子の耳元に囁いた。「声が大きいぞ、彩加。」「すいません・・」彩加はそう言って總子を見た。「みな、下がれ。彩加と2人きりで話がしたい。」總子は他の女房を下がらせ、周囲に誰もいないことを確かめると、彩加に向き直った。「例の計画は進んでおるか、彩加?」「はい、女御様。上手く柚葉の唐櫃に櫛を入れました。柚葉の部屋に入ったときはわたくし1人でしたから、誰もわたくしの仕業だと気づかないでしょう。」彩加はそう言って口元に笑みを浮かべた。「わたくしの櫛をわざと懐に隠して、それを柚葉の唐櫃に入れ、柚葉を犯人に仕立てた・・柚葉が騒ぎを起こしたことによりお前の父の政敵は重大な打撃を受け、この世はお前の一族とわたくしの一族のものとなる。完璧な計画だ。」總子はふっと笑い、檜扇を開いた。「厄介なのはあの妹ですわね。彼女は愛しい姉を救う為ならばどんなことでもするでしょう。いずれはわたくしたちに行きつくやも知れません。そうなる前に手を打たなければ。」「わかっておる。だが今は慎重に動く時。お前は下手な真似はせぬようにな。決してわたくしたちの仕業だとわからぬようにするのじゃ。」「はい、女御様。」「もう下がれ。わたくしはこれからやらねばならぬことがある。」「承知しております。」彩加はそう言って女御に頭を下げ、弘?殿を出て行った。「いずれこの国はわたくしのものになる・・その時は女御様には消えていただくわ。」總子は誰かに文をしたためながら、彩加は利用価値はあるだろうかと考えていた。彼女は飛ぶ鳥を落とす勢いの男の娘。そして自分はその男と密接な関係にある一族の娘。父の政敵・山野裏為人を何とかして失脚させたいという彩加と自分の利害は一致しているから、彼女は利用できる。だが、彩加が黙って自分の下でいつまでも働く気はなさそうだ。あの娘は欲深で、野心家だ。いずれは自分を脅かす存在となるだろう。山野裏を葬り去った後、彩加のことを始末しなければならぬ。国母となるのは自分1人。彼女は自分を殺して国母となる野心を持っている。今は利害が一致して共に行動しているが、いつ彼女が自分にとって脅威になるかもしれない。害悪の種は、摘み取らねばなるまい。この国に2人の国母は要らない。(この国を治めるのはわたくし1人だけでいい。彩加はわたくしのただの駒。利用できる者は利用するだけ。得をするのは妾だけじゃ。)總子は口元を歪めて笑った。その顔は、闇に生きる魔物のように見えた。にほんブログ村
2011年07月23日
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柚葉は溜息を吐きながら畳の上に寝転がった。その拍子に、紅玉が懐から転がり落ちた。柚葉はそれを拾い上げながら、それを見た。桐壷からへの帰り道に鬼に襲われそうになったとき、これが自分を護ってくれたのだ。一体これは何なのだろう?何故夢に出てきた男は、これを自分に渡したのだろう?“考え事か?”ゴワゴワした毛皮の感触がして振り向くと、犬の姿をした紅が柚葉を心配そうに見ていた。「紅、これが何だかわかるか?」柚葉はそう言って紅玉を紅に見せた。“それは鬼族の次期統領の証で、鬼族の家宝ともいってもいい。何故お前がそれを持っている?”「夢の中である男に会い、そいつからこの紅玉を渡された。さっき兄上と桐壷で会った帰り道に鬼に襲われそうになったとき、これが俺を護ってくれた。」柚葉の言葉を聞いた紅は、考え込んだように低く唸った。“お前に紅玉を渡した男は、お前の父親だ。多分その紅玉には、お前の父親の魂が宿っているかもしれん。それは肌身離さずに身に付けた方がいいかもな。”「わかった。」柚葉は唐櫃から1本の紐を取り出し、紅玉にそれを通して首に結んだ。「紅、俺の父親はどんな奴だった?」“いつか話してやろう。”紅はそう言って柚葉の胸に乗っかり、目を閉じた。「重いぞ・・」翌朝、柚葉は身支度を済ませて寝所から出た。「姫様、女御様が姫様のことをお探しになっておいででした。」「女御様が俺を?」女御のところに行くと、みな一様に険しい顔をして自分を睨んでいる。「女御様、お呼びでしょうか?」「そなた、わたくしの珊瑚の櫛を知らぬか?」「珊瑚の櫛、でございますか?」柚葉はそう言って女御を見た。「そうじゃ。あれは主上から賜りし大切なもの。それが昨夜、なくなっていたのじゃ。皆が手分けして探しても見つからぬ。昨夜弘?殿の外に出たのはそなただけ。」「お言葉でございますが、わたくしは女御様のお櫛を盗むようなことはいたしておりませぬ。」「そうか・・ではその身を検めさせてもらおう。」有無を言わさず、女御の女房に柚葉は衣を脱がされた。だが珊瑚の櫛は出てこなかった。「これで気がお済みになりましたか、女御様?」「疑って済まなかったな。」女御はそう言って柚葉に頭を下げた。これで疑いが晴れたと柚葉がほっと胸を撫で下ろした時だった。「女御様、柚葉の部屋に珊瑚の櫛がございました!」興奮した様子で女御に駆け寄る彩加の頬は喜びで紅くなり、黒真珠の瞳は爛爛と輝いていた。「それはまことか?」「はい、女御様。先ほどわたくしが柚葉の部屋を調べましたところ、柚葉の唐櫃に女御様のお櫛がございました。」「わたくしは盗みなどは働いてなどおりません!わたくしは何もしておりません!」「お黙り!」女御はそう叫ぶと柚葉の両頬を打った。「早くこの者を捕らえよ。」女御の女房に捕らえられた柚葉は、彩加と目が合った。彩加は口元を歪め、醜い笑みを浮かべた。その笑みを見た瞬間、彼女に嵌められたのだとわかった。「彩加殿、あなたは他人を蹴落としても何の痛みもありませんのね?」「あら、何のことかしら?」「それはこういうことです。」柚葉はそう言って彩加の頬を打った。彩加は打たれた頬を擦りながら怒りの目で柚葉を睨み、柚葉の頬を打った。柚葉は怒りのあまり彼女に爪を立てようとしたとき、何者かに鳩尾を殴られ、気絶した。にほんブログ村
2011年07月23日
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