F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 8
天上の愛地上の恋 昼ドラ風時代パラレル二次創作小説:綾なして咲く華 2
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 0
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 0
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:最愛~僕を見つけて~ 1
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
腐滅の刃 平安風ファンタジーパラレル二次創作小説:鬼の花嫁~紅ノ絲~ 1
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 3
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 5
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 0
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・~ 1
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 2
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 2
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 0
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 5
黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 4
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 1
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 2
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 1
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
名探偵コナン×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 0
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※BGMとともにお楽しみください。「結婚式、ですか?」「ああ。お前が退院したらすぐに挙げようと思っているんだ。」「でも、結婚式は来年の6月末に挙げる予定じゃぁ・・」「お前が病気になって、俺は不安で堪らなかった。」歳三はそう言うと、千尋の手を握った。「いつお前が死ぬんじゃないかと思うと、辛くて堪らなかった。でもお前は、俺の元に帰って来てくれた。」「歳三さん・・」「俺の我が儘を一度くらい、聞いてくれてもいいだろう?」「わかりました。でも歳三さん、結婚式はいつ挙げるんですか?」「二週間後のクリスマスだ。それまでに、元気になれよ。」「はい。」 琴子の肺を移植した千尋は、心配されていた臓器の拒絶反応や術後の後遺症はなかった。「このままだと、明日退院できますよ。」「そうですか。」結婚式の日まであと数日を控えた日の朝、千尋は看護師からそんな言葉を聞いて思わず嬉しそうに笑った。「どうしたの千尋ちゃん、そんなに嬉しそうな顔をして。」「沖田先輩、お久しぶりです。」「久しぶり。今までの事は、全部土方さんから聞いたよ。」見舞いに来た総司は、そう言うとベッドの端に腰掛けた。「さっき看護師さんから、明日には退院できるだろうって言われたんです。」「へぇ、それは良かったね。結婚式は明後日挙げるんでしょう?」「ええ。沖田先輩、ひとつ頼みがあるんですが、いいですか?」「なに?」千尋は総司の耳元で、何かを囁いた。「わかった。」「有難うございます、先輩。」「土方さん、千尋の事を支えてくれて有難う。」「そんな、お礼を言われるほどのことはしていません。」荻野家のリビングで、歳三はそう言うと育子を見た。「あの子のことを、宜しくお願いしますね。」「こちらこそ、これから宜しくお願いします、お義父さん、お義母さん。」 2014年12月25日―クリスマス。横浜市内にあるカトリック教会で、千尋と歳三は永遠の愛を誓い合った。純白のウェディングドレスを纏った千尋は、まるで天から舞い降りた天使のようだった。「千尋、これから宜しくな。」「はい。」誓いのキスを交わした二人が教会の外に出ると、白い雪が二人の未来を祝福するかのように降っていた。『幸せにおなりなさい。』ふと聞き覚えがある誰かの声が背後で聞こえ、千尋は振り返ったが、そこには誰も居なかった。「千尋、どうした?」「いいえ、何でもありません。」そう言って再び千尋が礼拝堂の方を見ると、あの湖で会った女性が彼に笑顔を浮かべながら手を振っていた。(彼と幸せになります。助けていただいて、有難うございました。)―完―にほんブログ村
2014年12月17日
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千尋は、暗い森の中に居た。何処を歩いていても、動物や人の気配さえ感じられない場所を、千尋は何度もぐるぐるとまわっていた。(ここは、何処?歳三さんや、母さんたちは何処なの?)千尋がそんなことを思いながら森の中を歩いていると、森の合間から青く輝く湖が見えてきた。その湖を見たとき、何処か懐かしい気持ちに千尋は襲われた。『来たのね。』湖の奥から女の声が聞こえ、千尋が湖の方を振り向くと、そこには青いドレスを纏った一人の女が立っていた。(あなたは、誰?)『わたしはこの世とあの世の境の案内人です。あなたは今、この世とあの世の境目に居るのです。』女はそう言うと、船着き場に繋がれている船を指した。『この船に乗れば、あなたは天国に行けます。ですが、あなたはまだ天国には行けません。』(何故ですか?)『あなたの帰りを、待っている者がいるから。』女はそう言うと、千尋の手を握った。その時遠くで、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。『あの声が聞こえるでしょう?あなたは、もうここに居てはいけないわ。』千尋は女に向かって頭を下げると、湖から去り、再び森の中へと入っていった。暗い森の中を再び彼が歩いていると、徐々に闇が消えてゆくのがわかった。闇の代わりに、太陽に照らされた緑の木々の美しさが千尋の目を奪った。 森を抜けると、青い湖に映し出された白亜の城があった。『やっと戻って来たな。』自分の肩を叩いた“誰か”を振り返ろうとしたとき、千尋は現実の世界に戻ってきた。「千尋、俺がわかるか?」「歳三・・さん?」病室で意識を取り戻した千尋は、自分の手を握っている歳三が泣いていることに気づいた。「良かった、俺達のところに戻って来たんだな。」歳三はそう言うと、千尋を抱き締めた。にほんブログ村
2014年12月17日
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「千尋君を救えるのは、臓器移植しかありません。」「では、わたし達が千尋に肺を移植します!」「申し訳ありませんが、千尋君の肺の型と、ご両親の肺の型は一致しませんでした。」「そんな・・」千尋の養母・育子はハンカチを口元に押し当てて泣いた。「わたし達は、あの子が死ぬのを待つしかないのですか?」「まだ希望はあります。」千尋の主治医はそう言って彼の養父母を励ましたが、彼らは自分達の息子が死んでしまうという残酷な現実を突きつけられ、途方に暮れていた。「土方さん、お久しぶりね。」「お久しぶりです、荻野さん。」病院内にあるレストランで、歳三と真紀は荻野夫妻と半年ぶりに会った。「千尋が助かる方法は、臓器移植しかありませんと、さっき主治医の先生から言われました。」「そうですか。」「わたし、これからどうすればいいのかわかりません・・あの子がわたし達の前からいなくなるなんて思ってもみなかったから・・」育子の言葉を、真紀は黙って聞いていた。「俺が、あいつに肺を移植したら、あいつが助かるのに・・」「それは駄目だ。」「どうしてですか?」「千尋はお前にスケートをして欲しいと思っている筈だ。お前があいつの為に滑ったあのフリープログラムでの演技に込められた想いは、あいつにちゃんと届いていた。」歳三はそう言うと、震えている真紀の手を握った。「千尋は必ず、俺達の元に帰って来る。」「はい・・」「少しお腹空いちゃったから、何か頼みましょう。」「そうですね。」 四人が昼食を取っていると、彼らが座っているテーブルへ琴子の母親がやって来た。「歳三君、お久しぶりね。」「お義母さん、どうしてこんな所に?」「琴子が、事故に遭ってこの病院に運ばれたの。でも、あの子は助からなかった・・」「お悔やみを申し上げます。」「有難う。これを、あなたに渡そうと思って・・」琴子の母親は、そう言うと歳三にある物を手渡した。それは、臓器提供カードだった。「もし自分に何かあったら、あなたに渡して欲しいとあの子は言っていたの。」「そうですか・・」「歳三君、あの子はあなたや美砂ちゃんに酷いことをしてきたけれど、あの子のことを許してやって。わたしは、あなたにそれだけを伝えに来たの。」琴子の母親は歳三達に頭を下げると、レストランから出て行った。「荻野さん、千尋君の移植手術をこれから行うことになりました。」「先生、それは一体どういうことなのですか?」「先ほど、千尋君の肺の型と一致するドナーが見つかりました。これで、千尋君は助かりますよ。」「先生、有難うございます!」 千尋の肺移植手術は成功した。だが、千尋は未だに意識を取り戻さなかった。にほんブログ村
2014年12月17日
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「千尋、どうしたんだ!?」「申し訳ありませんが、面会謝絶です。」歳三が千尋の病室に入ろうとすると、彼は看護師に止められた。「一体千尋に何があったんですか?」「急に容態が急変して、危険な状態です。」「そんな・・」病室で倒れた千尋は、そのまま集中治療室へと移された。(千尋、一体何があったんだ?)歳三はガラス越しに全身を管で繋がれた千尋を見ながら、必死に泣くのを堪えていた。「先生・・」背後で懐かしい声がして歳三が振り向くと、そこにはスペインから帰国した真紀の姿があった。「真紀、いつ帰って来たんだ?」「昨夜です。千尋は?」「あいつは危険な状態だ。」「そんな・・」真紀は千尋の姿を見て涙を流した。「真紀、大会での演技を観たよ。お前は、千尋を励ますためにあの曲で滑ってくれたんだな。」「ええ。あの曲は、千尋との思い出の曲ですから。」「そうか。」「先生、千尋は助かりますか?」「それは、千尋の生命力次第だ。」(千尋、戻ってこい・・俺達の元に。)「経過は順調ですよ。」「先生、性別は判りますか?」「ええ。男の子ですよ。」 都内の産婦人科で健診を受けた琴子は、胎児の性別が男とわかり、安堵の表情を浮かべた。一度目の結婚は失敗に終わったが、今度の結婚は失敗したくない。「男の子でよかったな、琴子。」「ええ。きっとお義父様も赤ちゃんの性別を聞いてお喜びになると思うわ。」「きっと喜んでくれるさ。」他愛のない夫婦の会話を琴子と交わしながら、彼女の再婚相手・健吾は自宅近くにある見通しの悪いカーブを曲がろうとしていた。その時、一台のトラックが信号を無視して琴子たちが乗っていた車に突っ込んできた。 事故を起こしたトラックの運転手は無傷だったが、彼がぶつかった琴子達の車は電信柱にたたきつけられ、炎上した。「交差点で交通事故発生、乗用車に乗っていた30代の夫婦が心肺停止状態です!」 瀕死の重傷を負った琴子達は、千尋が入院している病院に搬送されたが、琴子の夫は死亡し、琴子は脳死状態になった。「先生、娘は・・」「残念ですが、娘さんはもう意識を取り戻すことはないでしょう。」琴子の家族は、琴子の生命装置を外してくれるよう医師に頼んだ。一方、千尋は未だに生死の境をさまよっていた。「このままだと、息子さんの意識は一生戻らないかもしれません。」「先生、息子を・・千尋を助けてください、お願いします!」にほんブログ村
2014年12月17日
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翌朝、歳三が寒さに震えながらカーテンを開けると、窓の外は一面雪で覆われていた。「おはようございます、歳三坊ちゃま。」「おはよう、宮田さん。今日は寒いな。」「ええ。こんなに大雪が降ったのは初めてですね。」「ああ。」 空から降る雪を眺めながら、歳三は千尋の事を想っていた。「おはよう、近藤さん。」「おはよう、トシ。最近顔色が悪いようだが、何かあったのか?」「それは後で話す。」「そうか・・」 千尋は病室の窓から降り積もった雪を見ながら、歳三が来るのを待っていた。死への恐怖に怯えながら、千尋の心の支えは毎日歳三の顔を見ることだった。彼の逞しい腕の中に居れば、死への恐怖や不安などが吹き飛んでしまう。(歳三さん、早く来ないかな・・)入院してから千尋は、左手の薬指に嵌めている婚約指輪を無意識に撫でていた。今日も千尋が婚約指輪を撫でながら窓の外を見ていると、病室に誰かが入って来る気配がした。「歳三さん、遅かったですね。」「お久しぶりね、千尋さん。」 千尋の前に立っていたのは歳三ではなく、琴子と見知らぬ男だった。「琴子さん、どうして・・」「お義父様から、あなたの事を聞いたのよ。あなた、難病に罹ってもう長くないんですってねぇ?」琴子の悪意に満ちた、鋭い棘が千尋の胸を深く突き刺した。「そちらの方は?」「この人はわたしの今の夫よ。ねえ千尋さん、トシと別れてくださらない?」「あなたと歳三さんはもう赤の他人同士の筈でしょう?それなのにどうしてわたし達のことを干渉するのですか?」「“歳三さん”ですって?あなたいつから、トシのことをそんな風に呼ぶようになったの?」険しい表情を浮かべながら、琴子は千尋に詰め寄った。「琴子、やめろ。」「あなた・・」銀縁眼鏡を掛けた男が、千尋を殴ろうとしていた琴子の手を掴んだ。「驚かせてしまって申し訳ないね、千尋さん。彼女は今妊娠中だから、余り彼女を刺激しないでくれないか?」「それはこちらの台詞です。用がないのなら帰ってください。」「わかったよ。琴子、行こう。」二人が病室から出て行った後、千尋は苦しそうに胸を押さえて床に崩れ落ちた。(少し遅くなっちまったな・・千尋、怒っているかな?) 歳三が千尋の病室に向かおうとしたとき、彼は医師や看護師が何やら慌ただしい様子で千尋の病室に入っていくのを見た。にほんブログ村
2014年12月15日
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リンクに曲が流れ、真紀は無心になって弟への想いを氷上で表現した。 歳三から千尋が肺高血圧症という難病に罹っていることをメールで知らされ、大会を放り出して弟の傍に居てやりたいと思った。 だがアンドレの言葉を受け、自分にとって最高の演技を弟に見せることが自分に今出来る事なのだと真紀は気づいた。 だから今回のフリープログラムでの演技は、ジャンプの回数は少なくして、ステップと表現力で勝負しようと思ったのだった。 彼の演技は、世界中を魅了した。『マキ、完璧な演技だったぞ!』『有難うございます、コーチ。』『得点が出ました、240.4!自己最高記録を更新しました宮下真紀選手、グランプリファイナルシリーズ2連覇達成です!』画面に表示された得点を見た真紀は、今まで堪えていた涙を流し、アンドレの肩にもたれかかった。『宮下選手、感動の余り言葉が出てこないようです。』『今までの彼の躍動感溢れる滑りとは違いましたね。』 病室で歳三とともにテレビを観ていた千尋は、真紀が自分の事を想って滑ってくれていたことに気づいた。「千尋、お前は一人じゃねぇ。」「はい・・」「なぁ、結婚式のことなんだが・・少し早めに挙げねぇか?」「そんなこと、出来るんですか?」「それはやってみねぇとわからねぇだろう。」歳三はそう言って笑ったが、結婚式を挙げる来年の6月末まで、千尋が生きているのかどうかさえわからず、歳三は常に千尋を失うのではないかという不安に襲われていた。「千尋、俺はもう帰るが・・一人で大丈夫か?」「大丈夫です。」「明日、また来るからな。」「お気をつけて。」「ああ。」歳三が病室から出て行くまで千尋は笑顔を浮かべていたが、彼の姿が見えなくなった途端、押し殺した声で泣いた。本当は不安で堪らないのに、歳三の前では無理に笑顔を作り、彼を心配させないようにしている。それが、とてつもなく辛い。ひとしきり泣いた後、千尋は左手の薬指に嵌めている指輪を見た。(歳三さん・・)歳三はいつも自分の事を考えて、守ってくれている。このままだと、自分が歳三の負担になってしまうのではないか―そう思うと、辛くて堪らない。(誰か、助けて!)にほんブログ村
2014年12月15日
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「千尋様が、そんなご病気に・・」「助かる方法は、生体肺移植が確実なものらしいが、それでも完治には時間がかかるらしい。」歳三はそう言うと、ベッドの端に腰を掛けた。「俺はまだ、どう千尋の病気の事を受け止めていいのかわからねぇんだ。」「歳三坊ちゃま・・」「千尋を失いたくないんだ・・」宮田はそっと、うなだれる歳三の肩を優しく抱いた。「宮田さん、トシは?」「歳三坊ちゃまはお部屋でお休みになられました。」「そう・・」「琴子さま、あなたはもうこの家にはお越しにならないでください。」「それ、どういう意味?」「お言葉通りです。あなたはもう土方家の人間ではありません。美砂お嬢様とも二度と会わないでくださいませ。」「使用人の癖に、わたしに逆らう気!?」「お言葉ですが琴子さま、わたくしは一度もあなたにお仕えしたことなどございません。」宮田から侮辱され、怒りで顔を赤く染めた琴子はそのまま土方家から出て行った。 上海の大会で優勝した真紀は、スペインの大会に向けて練習に励んでいた。そんな時、歳三から双子の弟・千尋の病を知らせるメールが届いた。『コーチ、お願いがあります。』『どうした?』『日本に帰りたいんです。弟の事が心配で・・』真紀がアンドレに歳三から届いたメールを見せると、アンドレは首を横に振った。『マキ、弟さんのことが心配なのはわかる。だが今の君に出来ることは、最高の演技を弟さんに見せる事じゃないのか?』『それは、そうですが・・』『君には世界中にファンが居るが、君の中で最も大切なファンは誰だ?』『弟です。』『マキ、君は弟さんの為に頑張るんだ、いいな?』『はい。』『じゃぁ、音楽を流して一回通しで滑ってみよう。』 スケートリンクにAIの「Story」が流れ、真紀は曲に合わせて氷上を優雅に滑った。『演技は完璧だ。ただ、ジャンプをするときの助走が少し足りない。』『わかりました。』『大会まで時間がないからといって、無理はするなよ。』千尋に最高の演技を見せる為に、真紀は大会に向けてトレーニングを積んだ。 スペイン・バルセロナで行われたグランプリファイナルのショートプログラムで真紀は1位に輝いた。そしてフリープログラムが行われる13日の夜、病室のテレビの前で千尋と歳三は真紀の出番を待っていた。「次だぞ。」歳三がそう言ってテレビを観ると、画面には宝石を鏤(ちりば)めた衣装を纏った真紀がリンク上に現れた。リンクに「Story」が流れ、千尋は昔真紀とカラオケに行った時のことを思い出した。(この曲、確か二人でカラオケに行ったとき真紀が歌っていた曲だ・・)にほんブログ村
2014年12月15日
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やがて手術室のランプが消え、中から担架に載せられた千尋が出てきた。「千尋、しっかりしろ!」「荻野千尋さんのご家族ですね?」「婚約者です。先生、千尋は一体どうして・・」「詳しいお話は診察室で致しますので、こちらへどうぞ。」 歳三達は診察室で、千尋が肺高血圧症に罹っていることを知った。「千尋は助かるのですか?」「それはわかりません。一番効果的な治療法は、生体肺移植しかありませんが、それには千尋さんの身体に大きな負担がかかります。」「そんな・・」 病院から出た歳三達は、近くにあるファミリーレストランで昼食を取った。「トシ、これからどうするつもりなの?」「千尋が助かる方法があるのなら、それに賭けてみようと思う。」「あなたがそう言うのならいいけれど、生体肺移植手術は簡単じゃないのよ?」「わかっているさ、そんなことは・・」歳三はそう言って溜息を吐くと、コーヒーを一口飲んだ。「姉貴、今日は有難う。」「家に帰ったらゆっくり休みなさい。」「わかった。」ファミリーレストランの前で信子達と別れた歳三は、車に乗り込んでも暫くエンジンを掛けずに千尋の事を考えていた。 千尋は倒れた日の朝、いつものように華道教室に行った。それなのに、何故こんなことになったのだろうか。車のクラクションで我に返った歳三は、エンジンを掛けてファミリーレストランの駐車場から大通りへと出た。「お帰りなさいませ、歳三坊ちゃま。」「誰か来ているのか?」「ええ。琴子さまが来ております。」「そうか・・」千尋のことを冷静に受け止められないまま、歳三は琴子と客間で会った。「久しぶりね、トシ。」「お前今更俺に何の用で会いに来た?」「美砂のことで話に来たの。わたし、近々再婚することになったの。」「へぇ・・相手はさぞや俺よりも金を持っている男なんだろうな?」歳三は琴子が着ている高級ブランドデザインのワンピースを見ながらそんな嫌味を彼女に言うと、彼女は少し苛立った様子で爪を弄り始めた。「ええ、まぁね。」「それで、再婚するから美砂を寄越せって言うのか?俺が親権をお前に譲る訳がないだろう?」「違うの。わたし、新しい彼との子を妊娠しているの。だから、美砂とはもう会わないことにしたの。」「簡単に自分が腹を痛めた子を捨てられるんだな、お前は。どうせ新しい男と上手くいかなかったらまたその子を捨てるんだろう?」「どうしてそんな酷いこと言うの?わたし、あなたに祝福して貰いたくて来ているのに・・」「俺は今、忙しいんだ。お前に構っている暇なんてないんだよ。」今にも泣き出しそうな顔をしている琴子を客間に残した歳三は、そのまま二階の部屋に入った。「歳三坊ちゃま、千尋様は?」「あいつは今、病院だ。」 歳三は宮田に、千尋の病気の事を話した。にほんブログ村
2014年12月13日
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クリスマスムードが街中に溢れている12月初旬、歳三と千尋は結婚式場であるホテルのチャペルを見学しに来ていた。「ようこそいらっしゃいました、土方様。」歳三と千尋がウェディングサロンに入ると、店員が笑顔で二人の方に近づいてきた。「ドレスの試着をしたいのですけれど・・」「どうぞ、こちらへ。」店員とともにドレスルームへと向かった千尋は、様々なデザインのドレスを見て目を丸くした。「ご希望のドレスをお選びください。」「はい。」 千尋がドレスルームでドレスを選んでいる頃、歳三はウェディングサロンの応接室で結婚式のプランを立てていた。「お色直しは、どうされますか?」「やっぱり、紋付袴と白無垢でお願いします。」「かしこまりました。」「何だか、色々と準備する事があって大変だなぁ。」「わたくしどもが全力でサポートさせていただきます。」 ウェディングプランナーとの打ち合わせを終えた歳三は、ドレスルームへと向かった。「どうですか?」「綺麗だな。」プリンセススタイルのドレスを纏った千尋は、まるで天から舞い降りた天使のようだった。「このドレスでいいです。」「そうか。なぁ千尋、お色直しはどうする?」「白無垢がいいです。」その日は結婚式と披露宴の衣装を決めたり、プランを決めたりと歳三と千尋は何かと忙しかった。「少し疲れたな。」「ええ・・」歳三とウェディングサロンから出た千尋は、突然めまいに襲われた。「大丈夫か?」「少し疲れが溜まってしまっているだけです。」「そうか。」この日から千尋が感じ始めていためまいや倦怠感を、彼は単なる風邪だと思い込んで病院にもいかずに放置していた。「千尋様、少し休まれた方がよろしいのではありませんか?」「大丈夫です。」学校が冬期休暇に入り、寒さが厳しくなりつつある12月中旬のある日のことだった。その日、千尋はいつものように華道教室で稽古を受けていた。「先生、来年も宜しくお願いいたします。」「千尋さん、良いお年を。」稽古の後、千尋が華道の先生に向かって挨拶して退室しようとしたとき、彼は突然呼吸困難に陥った。「千尋さん、どうしました?」「息が出来ない・・」「誰か、救急車を呼んで!」 歳三は千尋が華道教室で倒れたことを聞き、彼が運ばれた病院に向かった。「千尋は!?」「トシ、わたし達にもわからないの。」「どうしてこんなことが・・」にほんブログ村
2014年12月13日
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「あいつは、俺と同じ大学い通っていた久田真奈美っていうんだ。真奈美の家は資産家でな、父親が俺の親父と大学時代の同期だった。俺が真奈美と知り合ったのは、同じ剣道部の近藤さんに強引に誘われた合同コンパだった。」「そんなことがあったんですか・・」「ああ。真奈美は俺のことを一目で気に入ってなぁ、手作り弁当を剣道部に差し入れたり、俺と同じ講義を取ったりして、色々と俺の気をひこうとしていたが、俺には琴子が居た。」「そうでしたか・・それで、真奈美さんは?」「あいつは、琴子を殺そうとしてあいつが住んでいたアパートの部屋に行って、警察沙汰になった。」歳三はそう言うと、溜息を吐いた。「それから、あいつは大学を自主退学して、実家に帰った。俺は大学を卒業した。」「真奈美さんはどうして、今になって歳三さんの前に現れたんでしょうか?」「さぁな。姉貴の話だと、あいつは子供を連れていたんだろう?」「ええ。ちゃんと歳三さんに認知して貰うって彼女、言っていました。」「そうか・・」歳三が再び溜息を吐くと、彼の上着の内ポケットに入れていたスマートフォンがけたたましく鳴った。「もしもし?ああ、わかった、すぐ行く。」「誰からですか?」「大学時代のダチからだ。真奈美の奴、俺に会わせろと警察で暴れたらしい。」「そんな・・」「千尋、俺と一緒に来てくれるか?」「はい。」 数分後、都内にあるホテルのラウンジで、千尋は歳三と共に彼の大学時代の友人である佐野と会った。「トシ、久しぶりだな。この子は?」「俺のフィアンセだ。それよりも佐野、真奈美が警察で暴れたって、本当なのか?」「ああ。彼女は暫く塀の中に居るようだ。子供は、あいつの母親が引き取るってさ。」「その子供だが、そいつは本当に俺の子供なのか?」「その可能性は低いと思うぞ。DNA鑑定したら、すぐにわかると思う。」「そうか、有難う。」「トシ、困ったことがあったら俺に頼んできてもいいぞ。弁護士として、力になってやる。」佐野はそう言って歳三の肩を叩くと、ホテルから去っていった。「さてと、用も済んだことだし、指輪でも見に行こうか?」「はい。」ホテル内にある宝飾店で、歳三と千尋は婚約指輪を選んだ。「この指輪が可愛いですね。」「そうだな。お前、指のサイズは?」「7号です。」「そうか。すいません、これお幾らですか?」「これは300万円となっております。ですが、今は特別ご奉仕品ですので、ペアで120万円になります。」「120万か・・高いなぁ。まぁ、冬のボーナスがあれば大丈夫か。すいません、これをお願いします。」「かしこまりました。」「先生、こんな高価な指輪、本当に貰ってもいいんですか?」「今更何言っていやがる、嬉しそうな顔して。」 左手薬指に嵌められたダイヤモンドの指輪を眺めながら、千尋はそう言って嬉しそうな顔で歳三を見た。にほんブログ村
2014年12月10日
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「トシ、もう帰るのか?」「ああ。今日は千尋と一緒に指輪を見に行く約束があるんだ。」「そうか。気を付けて帰れよ。」「ああ、またな。」歳三が仕事を終えて車で帰宅すると、自宅の前の通りで彼はパトカーと擦れ違った。「ただいま。」「トシ、やっと帰って来たのね!」歳三がリビングルームに入ると、絨毯の上にはガラス片が飛び散り、千尋が今朝活けていた花がテレビ台の前で何者かに踏みつけられていた。「一体何があったんだ?」「お昼過ぎに、千尋さんと宮田さんの三人でピザとケーキを食べながら女子会をしていたら、あんたの知り合いだって女が訪ねてきて・・」信子はそう言うと、歳三に昼間あった出来事を話した。 インターホンの画面に現れた謎の母子連れを見た信子は、千尋に警察に通報するように言った後、通話ボタンを押した。「どちら様ですか?」『ねぇ、トシそこにいるんでしょう?』「弟は今出かけております。」『嘘つかないで、トシに会わせて!』「お引き取り下さい。」「お義姉さん、さっきの人はどなたなのですか?」「あの人は、トシのストーカーだった女よ。」「え?」「トシが高校生の時、突然家に勝手に入って来て、家の物を壊して暴れたの。その時はお父様が追い出してくれたから大事にはならなったんだけど・・」信子が千尋に歳三のストーカーの話をしていると、突然リビングルームの窓ガラスが派手な音を立てて割れた。「千尋ちゃん、怪我はない?」「はい・・」「ちょっとぉ、無視するんじゃないわよ!」女はそう信子と千尋に怒鳴ると、3歳くらいの男児を連れてリビングルームの中に入った。「あなた、警察呼ぶわよ!」「うるさい、うるさい!」女は千尋が活けた花を花瓶ごとひっくり返すと、その花をヒールで何度も踏みつけた。「トシに言っておいて、ちゃんと責任取ってこの子を認知しろって!」鼻息荒く女が二人に向かってそう言って立ち去ろうとした時、タイミングよくパトカーが土方家の前に到着したのだった。「みんな、怪我はねぇのか?」「ええ。」「歳三さん、あの人は・・」「千尋、それは今から俺が説明するから、一緒に俺の部屋に来てくれ。」「わかりました。」にほんブログ村
2014年12月10日
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「宮田さん、おはようございます。」「おはようございます、千尋様。今朝は随分お早いお目覚めですね?」「ええ。歳三さんにお弁当を作って差し上げたくて・・」「まぁ、そうでございますか。歳三坊ちゃまは食べ物の好き嫌いは余りありませんよ。千尋様は、歳三坊ちゃまに何をお作りになられるおつもりなのですか?」「普通のお弁当を作ろうと思って・・お弁当屋さんで売っているような、唐揚げ弁当とかハンバーグ弁当とかを。」「そうでございますか。冷蔵庫に昨日取り寄せた鶏肉が入っておりますから、それを唐揚げに致しましょう。」「はい、わかりました。」 歳三が土方家のダイニングルームに入ると、厨房の方から千尋と宮田の楽しそうな話し声が聞こえてきたので、彼はそっとその中を見た。「歳三坊ちゃま、お喜びになると思いますよ。」「そうですか?宮田さん、今日は有難うございました。」「いいえ。わたくしでよければいつでも千尋様のお力になりますよ。」「その言葉とお気持ちだけでも、励みになります。」 朝食の後、千尋は歳三に弁当を渡した。「これ、お昼にどうぞ。」「有難う。」「歳三坊ちゃま、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」「行ってらっしゃい、歳三さん。」「ああ、行ってくる。千尋、今日は帰ったら夕食を食べるついでに指輪を見に行こう。」「はい。」 学校が試験休みである千尋は、朝食を食べた後宮田さんと一緒に洗濯や掃除などの家事をこなした。「千尋様、そろそろお昼に致しましょうか?」「はい。」「ピザでもお取りしましょうか?」「宮田さん、ピザなんて食べるんですか?」「ええ。歳三坊ちゃまはわたくしが和食しか食べないと思っていらっしゃるようですけれど、実は脂っこいものが大好きなんです。」「まぁ、そうですか。」昼食に頼んだ宅配ピザをリビングルームで宮田さんと二人で千尋が食べていると、玄関のチャイムが鳴った。「わたしが出ます。」ピザの油で汚れた手を軽くウェットティッシュで拭いた千尋は、インターホンの画面のスイッチを押した。「どちら様ですか?」『千尋さん、あたしよ。開けて。』「はい、ただいま。」信子が有名高級菓子店のケーキを手にリビングルームに入ると、そこにはピザを美味しそうに頬張っている宮田の姿があった。「あら、宮田さんがピザを食べる姿を見るの、初めてだわ。」「まぁ、信子お嬢様、いらっしゃったのにおもてなしもせずに申し訳ありません・・今お茶を・・」「いいのよ、そのままで。ねぇ、お父様は?」「旦那様でしたら、地方へ出張に出かけております。」「そう。それじゃぁ、今は昼の女子会みたいなものね。」「そうですわね。」信子と共にピザとケーキを囲みながら千尋が彼女達と談笑していると、また玄関のチャイムが鳴った。「誰かしら?」信子がインターホンの画面のスイッチを入れると、そこには見知らぬ子供連れの女性が立っていた。「信子さん、どうかなさったんですか?」「千尋さん、警察に不審者が家の前に居るって通報して!」「わかりました。」にほんブログ村
2014年12月10日
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2014年11月、上海。 8月にアメリカで銃撃され、右肩を負傷した真紀は、リンクの上に立っていた。『マキ、本当に出るつもりなのか?』『この日の為に、過酷な練習に耐えてきたんです。やらせてください。』『わかった。』 銃撃事件後、真紀は懸命にリハビリをして退院した後、すぐにリンクで大会に向けて練習漬けの日々を送った。まだ本調子ではないのだから早すぎるのではないかという声が周囲から上がったが、大会に出るという真紀の意志は固かった。このまま大会出場を諦めて後悔するよりも、大会に出て優勝した方がいい―そんな真紀の考えをアンドレは尊重し、彼を全力で支えた。「おい千尋、始まるぞ。」「ええ・・」土方家のリビングルームで、千尋と歳三はテレビの前で真紀の演技を観ていた。やがて、リンクに『千と千尋の神隠し』の劇中で使われた曲が流れ、真紀が優雅に氷上を舞った。映画の中の登場人物をイメージした煌びやかな衣装を身に纏った真紀は、4回転サルコウを華麗に決めた。『4回転サルコウ、決めました。』『今度はトリプルトール、トリプルサルコウのコンビネーションジャンプです。これも決まりました!』『8月に銃撃され、右肩を負傷してからまた数ヶ月も経っていませんが、その怪我の影響を全く感じさせない演技ですね。』テレビの解説者の説明を聞きながら、千尋はいつの間にかクッションを握り締めていた。ショートプログラムで真紀は1位に輝いた。『マキ、よくやった。今度はフリープログラムだ。』『はい。』アンドレと共に記者会見場に現れた真紀は、マスコミは一斉にカメラを向けた。『ショートプログラム1位おめでとうございます。フリーでの演技も期待しております。』『有難うございます、これからも精進して頑張ります。』 会場を後にした真紀はホテルの部屋に戻ると、ベッドの上にあおむけになった。銃撃された右肩はリハビリのお蔭で事件前と少しも変らず動いているが、痛みはまだあった。彼がゆっくりと深呼吸していると、サイドテーブルの上に置かれているスマホがメールの着信を告げた。『1位おめでとう! 千尋より』たった一行だけの、実の弟からのメール―それだけでも、真紀の心は癒された。『おはよう、マキ。』『おはようございます、コーチ。』『右肩はどうだい?』『まだ痛みますけど、無理をしない程度に練習をします。』『今日はしっかりと休め。』『はい。』にほんブログ村
2014年12月08日
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「おいミキ、さっさと帰れ。」「何よ、冷たいわね。」女はそう言うと、歳三に背を向けて土方家から出て行った。「歳三さん、さっきの人は?」「ああ、あれは俺の昔の知り合いだ。」「そうですか。」「それよりも、姉貴から聞いたんだが・・静がお前に色々と嫌がらせをしていたんだな。」「ええ。彼女は先ほど、土方家から出て行きました。」「そうか・・千尋、飯にするか。」「はい。」 歳三と千尋が二人きりでディナーを取っている頃、アメリカでは真紀が中国・上海で開催される世界選手権大会に向けて過酷なトレーニングを受けていた。『また4回転サルコウが回りきっていない、これで何度目だ、マキ!』『すいません!』リンクサイドからアンドレの怒鳴り声が聞こえ、真紀は彼に謝りながら、再び4回転サルコウに挑戦した。今度は、失敗しなかった。『いいぞマキ、その調子だ!』練習が終わり、真紀はアンドレとともにリンクの近くにあるダイナーで昼食を取った。『よく食べるな、マキ。』『そうですか?』口元についたケチャップを舐めた真紀は、肉汁が溢れ出ているハンバーガーを頬張った。『まぁ、余り食事制限をし過ぎるのも、ストレスの原因になる。食べたい時は思う存分食べればいい。』『有難うございます、コーチ。』『ただし、間食はするなよ。どうしてもしたいというのなら、ダークチョコレートとアーモンド、ドライフルーツを食べなさい。』『わかりました。』『フィギュアスケートは見た目が重要視されるスポーツだ。痩せすぎても、太り過ぎても駄目。常に中間の体型を維持しなくてはならない。』アンドレはクラブハウスサンドイッチを頬張りながら、そう言うとコーラを一口飲んだ。『ここで少し休んで、リンクに戻って練習再開だ。』『はい。』 練習が終わり、真紀がいつものようにアンドレにホテルまで送って貰う為に彼の車に乗り込もうとしたとき、突然真紀は右肩に激痛を感じた。『誰か、警察を呼べ!』『救急車!』男達の怒号が駐車場内に響き渡り、真紀は朦朧(もうろう)とした意識の中で自分が何者かに撃たれたことに気づいた。 千尋がダイニングルームで朝食を食べていると、テレビのニュース番組で、真紀が何者かに撃たれて負傷したことを知った。「何てこった・・真紀が・・」「歳三さん、真紀は無事なんでしょうか?」「あいつはきっと大丈夫だ。俺達に出来ることは、あいつの無事を祈ることだけだ。」にほんブログ村
2014年12月06日
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「静さん、お話があります。」「今手が離せないので、後にしていただけませんか?」千尋が土方家のリビングで掃除をしている静にそう声を掛けると、彼女はそっけない口調で千尋にそう言った後、リビングから出て行こうとしていた。「生憎わたしも暇じゃないんです。」「何よ、偉そうに!」静はそう言うと、千尋を睨んだ。「歳三さんの婚約者であるわたしに、使用人の癖に口答えする気ですか?」「あんたみたいな小娘、歳三様の婚約者と認めるわけにはいかないと言ったでしょう!?」「そうですか・・では、この箏(こと)の絃を切ったのはあなたですか?」千尋は静の腕を掴み、彼女を無理矢理ソファに座らせると、袋から絃が全て切れた箏を彼女に見せた。「何よ、そんなもの知らないわ!」「あなた、わたしが今日教室に行くことを知っていましたよね?知っていて、わたしが部屋に居ない間に箏の絃を切ったのですか?」「だから、知らないっていっているでしょう、しつこいわね!」「どうしたの、二人とも?」「信子お嬢様、この人酷いんですよ、あたしが箏の絃をわざと切ったって酷い言いがかりを・・」「あなたのことは千尋さんから聞いているわよ。あなた、千尋さんをこの家から追い出そうと、食べ物の中に虫を入れたりして、色々と嫌がらせをしていたそうじゃない?」「信子お嬢様は、こんな方をわたしより信じるっていうんですか!?」「千尋さんはあなたとは違って、心が綺麗な子なの。」歳三の姉・信子は、テーブルの上に置かれている箏を見た。「これ、亡くなったお母様の箏じゃないの!」「そんな・・奥様のものとは知らなくて・・」信子の言葉を聞いた静は蒼褪めながら、箏と信子を交互に見た。「あなた、もうこの家から出て行って頂戴。」「そんな、信子お嬢様、お願いです!ここから追い出されたら、行くあてがありません!」「こうなったのは、あなたの自業自得でしょう。今まで働いてくれた分のお給料は、退職金と一緒にお支払いするから、今すぐ荷物を纏めてここから出て行きなさい、わかったわね?」静は今にも泣きそうな顔をしながら、リビングルームから出て行った。「信子さん、有難うございます、助けてくださって・・」「歳三から、あなたの様子が少しおかしいから見に来てくれないかと頼まれて来たのよ。まさか、静さんがあんな人だったなんてね・・」信子はそう言って溜息を吐くと、テーブルの上に置かれていた箏を手に取った。「この箏は、専門の業者さんに修理して貰うわ。捨てるには惜しい物ですもの。」「信子さん、今日はお泊りにはならないのですか?」「ええ。千尋さん、またね。」 その日の夜、千尋が歳三の帰りをリビングルームで待っていると、玄関のドアが開く音がした。「歳三さん、お帰りなさい・・」「この子、誰?」 玄関先に立っていたのは、赤いワンピースを着た派手な化粧を施した女だった。「そちらこそ、どなたですか?」「先にそっちから名乗るのが礼儀じゃないの?」女はそう言うと、千尋を睨んだ。にほんブログ村
2014年12月03日
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『コーチ、今日はご馳走していただき、有難うございました。』『余り根詰めるんじゃないぞ、マキ。一流のアスリートにとって最も大事なのは、ストレスのない生活を送ることだ。』『わかりました。』アンドレと宿泊先であるホテルの前で別れた真紀は、そう言うと車に乗り込むアンドレを見送り、ホテルの中に入った。 カードキーで部屋の中に入った真紀は、スポーツバッグの中からタブレット端末を取り出して千尋からのメールを読んだ。そこには、歳三の実家で花嫁修業することになったことや、性別を偽って女子校に転校したことなどが書かれていた。自分が知らない間に千尋が色々と苦労していることを知り、真紀は今すぐにでも弟に会いたいという衝動を必死に抑えながら、彼のメールにすぐさまこう返信した。『千尋、お前も色々と大変だろうけれど、努力すればきっと報われる。土方先生と幸せになれよ。今すぐお前に会って抱きしめたいけれど、その代わりに励ましの言葉を贈るよ。 愛を込めて、真紀より』 土方家で用意された部屋で真紀からのメールを読んだ千尋は、真紀のメールを読んで明日も頑張ろうという気が湧いた。ノートパソコンをシャットダウンさせた後、千尋はベッドに入って熟睡した。「千尋様、起きていらっしゃいますか?」「はい、起きています。」「朝食をお持ちいたしました。」 宮田が朝食を載せたトレイを押しながら千尋の部屋に入ると、彼は既に制服に着替え、鏡の前で髪を櫛で梳いていた。「宮田さん、いつも有難うございます。」「いいえ。それよりも千尋様、ここでの生活はもう慣れましたか?」「はい。宮田さんはいつから、ここで働いているのですか?」「そうですねぇ・・歳三坊ちゃまがまだ赤ん坊の頃からお仕えしておりますから、30年近くになりますかねぇ。」「そんなに・・色々と、大変だったでしょう?」「奥様は歳三坊ちゃまをお産みになった後、産後の肥立ちがお悪くて、歳三坊ちゃまの百日祝いをする前にお亡くなりになられました。わたくしは奥様の代わりに、歳三坊ちゃまを育てたようなものです。」「そうなのですか・・」「歳三坊ちゃまの事はわたくしが良く存じ上げておりますから、千尋様のお力になれると思います。」宮田はそう言うと、千尋に頭を下げて一階へと降りていった。「随分とあの子と仲良くしているじゃないの、宮田さん?」厨房で宮田が昼食の準備をしていると、静が彼女に馴れ馴れしく話しかけてきた。「あんた、もしかして歳三様に取り入ろうとして、あの子に良くしているんじゃないの?」「馬鹿な事を言わないでください。静さん、あなたこそいい加減に千尋様への態度を改めたらいかがですか?」「うるさいわね、家政婦の癖に偉そうにしないでよ!」「おい、そこで何を騒いでいる?」歳三が厨房に入ってくると、静は舌打ちして厨房から出て行った。「宮田さん、あいつと何かあったのか?」「いいえ、何でもありません。歳三坊ちゃま、静さんに気を付けてくださいませ。あの人、また千尋様に嫌がらせをなさるかもしれません。」「わかった。」 放課後、千尋が箏曲教室に入り、土方家から持参した箏(こと)を袋から出して組み立てようとした時、箏の絃が全て切れていることに気づいた。にほんブログ村
2014年12月03日
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※BGMとともにお楽しみください。『マキ、少し休憩しよう。』『まだいけます。』『君は無理をしすぎることがある。余り根詰めると、君の実力が本番で出ないよ。』『・・わかりました。』 千尋が土方家で花嫁修業に励んでいる頃、真紀はアメリカでオリンピックの為にトレーニングや練習に明け暮れる日々を送っていた。『マキ、君が今どんな思いで練習をしているのか、僕は知っている。』『わかっています、コーチ。』コーチのアンドレからスポーツドリンクを受け取りながら、真紀は溜息を吐いた。『休憩した後、一度音楽に合わせて振り付けをして、今日の練習は終わりだ。』『わかりました。』リンクのベンチに座り、真紀がスポーツドリンクを飲んでいると、スポーツバッグの中に入れてあったスマートフォンが鳴った。「もしもし?」『兄さん、久しぶり。』「千尋、久しぶり。急に電話くれるなんて何かあったの?」『兄さん、僕今土方先生の家に居るんだ。』「土方先生の家に?どうして?」『色々と込み入った事情があって・・それは、メールで書くね。』「わかった。」千尋との通話を終えた真紀は、リンクの上に立ち、練習を再開した。『今から音楽を流すよ。』『はい、お願いします。』スケートリンクに、『アナと雪の女王』の主題歌『Let It Go』が流れ、真紀は曲とともに氷上を華麗に舞った。 何度も失敗した4回転半ジャンプと、トリプルサルコウとダブルフリッツのコンビネーションジャンプも成功した。『オーケー、今のは上出来だ。だがまだまだ改善点があるから、夕食の時に話そう。』『はい、わかりました。』 真紀が練習を終え、アンドレと共にスケートリンクから出ようとしたとき、入り口の自動販売機の前に一人の女が立っていた。赤いハイヒールを履いた女は、アンドレの姿に気付くと彼の方へと駆け寄ってきた。『アリス、君がどうしてここに居るんだ?』『あなたが連絡してくれないから、わたしがあなたに会いに来たんじゃない。』女はそう言ってアンドレを見ると、彼の隣に立つ真紀の姿に気付いた。『アンドレ、この子誰?わたしというものがありながら、浮気しているの?』『誤解するな、アリス。この子は・・』『あんたって、最低ね!』女はアンドレの頬に強烈な平手打ちを喰らわせると、そのまま彼に背を向けて去ってしまった。『コーチ、あの人は・・』『あいつはアリスといって、僕の元フィアンセだった。』『彼女を追いかけなくていいのですか?』『ああ。彼女は、僕とはもう関係のない人だからね。』真紀はスケートリンクの近くにあるダイナーでアンドレと夕食を取った。『ジャンプだが、後半のダブルフリッツはトリプルサルコウに変更した方がいいと思うんだ。』『そうですね。』『練習はこれからきつくなると思うが、余り無理をしてはいけないよ。ピョンチャンまで、時間はたっぷりとある。』『わかりました、コーチ。』『さてと、固い話は止めて、食事にしよう。この店は、Tボーンステーキが名物なんだ。』『じゃぁ、Tボーンステーキを頂きます。』そう言ってアンドレに微笑んだ真紀は、一流のプロスケーターから10代の少年の顔になっていた。にほんブログ村
2014年12月01日
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「一体どうして、こんなに飲んだんですか、歳三さん?」「歳三坊ちゃまは、下戸なのに付き合いでお酒をお飲みになることがありますからねえ・・」「それでこんなに酔って・・」千尋は宮田さんと泥酔した歳三をソファに寝かせると、彼の吐瀉物で汚れた階段を雑巾で拭いた。「どうした、一体何の騒ぎだ?」「旦那様・・」「千尋さん、歳三は何処に?」「歳三さんなら、リビングのソファに寝ています。酷く泥酔していて、二階のお部屋に行く前に吐いてしまって・・」「全く、人騒がせな奴だ。」歳信はそう言って舌打ちすると、千尋を見た。「歳信さん、どうして歳三さんは泥酔するまでお酒を飲んでいたのですか?」「それはあとで本人から聞けばいいだけのことだ。わしはもう寝る。」歳三の様子を確かめもせず、歳信はそのまま自分の寝室へと向かった。 翌朝、千尋がダイニングルームで朝食を取っていると、二階から歳三の唸り声が聞こえた。「うるさい奴だ・・」「僕、様子を見てきます。」千尋が歳三の部屋に入ると、ベッドの上で彼は苦しそうに呻いていた。「歳三さん、どうしたんですか?」「水・・水。」「どうぞ。」サイドテーブルに置かれていたミネラルウォーターの蓋を開けた千尋は、その中身を歳三に飲ませた。「済まねぇな。」「二日酔いですか?」「ああ。今日は仕事を休んだ方がよさそうだ。」「ゆっくり休んでください。」 千尋が歳三の部屋から出ると、千尋の制服を切り裂こうとしていた女中・静が彼の部屋に入って来た。「歳三様、入りますよ。」「何の用だ、出て行け。」「わたしはあんな小娘、歳三様の婚約者だとは認めませんから。」そう言うと静は、帯紐を緩めた。「お願いです、わたくしを抱いてください。」「さっさとここから出て行け!」歳三はベッドの傍に置いてあった目覚まし時計を掴むと、壁に向かって投げつけた。「あなた、そんなところで何をしているの!?」「何でもありません。」「歳三坊ちゃま、静が何かいたしましたか?」「いや、何でもない。」「そうですか・・」 歳三から拒絶され、プライドを傷つけられた静は、土方家の裏庭で煙草を吸っていた。「静、その顔だとまぁた歳三坊ちゃまから振られたんだなぁ?」「放っておいて頂戴。それよりもあんた、こんな所で何しているわけ?」「別に。」土方家の厨房で働いている静の幼馴染・月村修は、そう言うと不貞腐れている静を見た。「歳三坊ちゃまの婚約者って、可愛いんだろう?」「あたしは絶対、あんな子歳三様の婚約者だって認めないから!」静はそう言うと、煙草の吸殻を草履で踏みつけた。にほんブログ村
2014年11月29日
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「ねぇ、荻野さんは部活何にするかもう決まった?」「いいえ。でも薙刀部には入りたいと思っているわ。」「そう。それじゃぁ、今度見学に行きましょうよ。」音楽室で千尋はクラスメイトの橋本あゆみとそんな話をしていると、音楽室に一人の男性教師が入って来た。彼は長身を仕立ての良いスーツに包み、切れ長の紅の目を千尋に向けた。「ねぇ橋本さん、あの人だれ?」「音楽の樫田先生よ。うちの学校、女子校で、先生も女の人ばかりでね、男の先生は樫田先生しかいないのよ。」「へぇ、そうなの・・」「君が、荻野千尋さんだね?」「はい。」「放課後、音楽室に来てくれないかな?君に話したい事があるんだ。」「わかりました・・」 放課後、千尋は明美たちと教室の前で別れ、二階の音楽室へと向かった。「樫田先生、居ますか?」千尋がそう言って音楽室のドアをノックしようとすると、中からピアノの優雅な音色が聞こえてきた。そっと彼がドアを開けて音楽室の中に入ると、そこにはピアノでショパンの幻想即興曲を奏でる樫田の姿があった。「荻野さん、来ていたのかい。済まない、つい演奏に夢中になって忘れていたよ。」「いいえ。とても素晴らしい演奏でした。あの先生、わたしに話って何ですか?」「君に渡したいものがあるんだ。こっちに来てくれないか?」「わたしに、渡したいものですか?」千尋がそう言って樫田の元へと近づくと、突然彼は千尋の手を掴んで自分の方へと抱き寄せた。「樫田先生?」「あの土方君が婚約したと聞いて、どんな子かと思えば・・まさか、男と婚約するなんてね。」樫田の言葉を聞いた千尋が思わず顔を強張らせると、その隣で樫田は口端を歪めて笑った。「どうして、わたしが男だということに気づいたのですか?」「どうしてって・・色々と君の事を調べたからね。君の母親のことも、君の双子のお兄さんのことも。」「どうしてわたしの事を調べたのですか?」「それは、君に興味があるからさ。」樫田はそう言うと、千尋の唇を塞いだ。その直後、乾いた音が音楽室に響いた。「わたしに気安く触らないで!」「土方君から僕に乗りかえるつもりはないということか・・まぁ、それもいいだろう。」千尋に打たれた頬を擦りながら、樫田は口端を歪めて再び笑った。「お話がないのなら、もう帰ります。」「残念だよ、君を音楽部に勧誘したかったのに、すっかり嫌われてしまったようだ。」「樫田先生、さようなら。」千尋はそう言うと音楽室から出ていった。「お帰りなさいませ、千尋様。」「ただいま。宮田さん、土方先生は?」「歳三様は今日、信子お嬢様のところに出かけております。少し帰りが遅くなると、先ほど連絡がありました。」「そう・・」その日の夜遅くに、歳三は泥酔した状態で帰って来た。「土方先生、大丈夫ですか?」「おれぁ~、よってなんかねぇぞ~」そう言いながらも、歳三は千鳥足で二階へ上がろうとして段差につまずき、激しく顔面を床に強打した。「本当に大丈夫ですか?」千尋がそう言いながら歳三の方へ駆け寄ろうとしたとき、彼はうつぶせになったまま激しく嘔吐した。にほんブログ村
2014年10月21日
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「ねぇ、噂で聞いたんだけれど、千尋さんはあの土方歳三様と婚約していらっしゃるんですって?」「ええ・・どこから聞いたの、そんな噂?」 聖桜学園内にあるカフェテリアで昼食を食べながら、千尋は明美の言葉に思わずハンバーグを喉に詰まらせそうになった。「わたくしの従姉のお姉様が、婚活パーティーに行って、あなたのことを見たとおっしゃって・・」「そうですか・・」千尋の脳裏に、自分に詰め寄って来た女性達の顔が浮かんだ。あの中に、明美の従姉が居たのだ。「土方先生・・じゃなくて、歳三さんはモテるんですか?」「ええ、モテるわよ。あの美貌の持ち主で、スポーツ万能、更に名家の御曹司と聞いたら、歳三様のことを放っておく女性は居ないと思うわ。歳三様がバツイチでも、そんなことは皆さん気になさらないわ。」「そうなの・・」千尋は明美の話を聞いて初めて、歳三が女性にモテることを知った。「この学校でも、歳三様のファンは大勢いるわ。気を付けた方がいいわね。」「わかりました。」「ねぇ千尋さん、もう部活は何処に入るか決まっているの?」「いいえ。前の学校では剣道部に入っていたけれど、この学校にはどんなクラブがあるの?」「文化系の部活は音楽部や文芸部、軽音楽部、茶道部、華道部、箏曲部があるわ。体育会系の部活は陸上部や水泳部、ラクロス部にサッカー部、テニス部に弓道部、そして薙刀部があるけれど、残念ながら剣道部はないわね。」「そう。松田さんは何部なの?」「わたしはラクロス部よ。最初はきついけれど、次第に慣れてくるわ。」「何だか面白そうね。でも、薙刀にも興味があるし・・」「焦らなくてもいいわ、入部届の締め切りにはまだ時間があるんだし。」「松田さん、色々と教えてくれてありがとう、助かるわ。」「いいのよ。」 昼休みが終わり、千尋が明美とともに教室に戻ると、何やら自分の机の前に人だかりができていた。「一体何があったの?」「明美さん、これ・・」「酷い・・」千尋の机には『死ね』と刃物のようなもので彫られていた。「誰がやったの、こんなこと?」「わたし達が教室に戻った時には、もう・・」「担任の先生に報告してくるわ。」 明美はそう言うと、教室から出て行った。「ねぇ、このクラスに土方歳三様の婚約者の方が転入してきたって聞いたけれど、あなたなの?」 教室に数人の女子生徒が入って来たかと思うと、その中からリーダー格と思しきポニーテールの女子生徒が千尋の前に立った。「ええ、わたしが歳三さんの婚約者よ。」「あなたみたいな方が、歳三様の婚約者ですって?しかも、歳三様を“さん”づけで呼ぶだなんて・・すっかり女房気取りだってわけ?」「あなた、誰なの?」「わたしは佐々木エリカ。歳三様のファンクラブの会長よ。言っておくけれど、あなたみたいな方を歳三様の婚約者だとは認めないわ。」突然初対面の相手からそう宣戦布告され、千尋の負けん気に火がついた。「そう、望むところだわ。」「まぁ、何ですって?」「あなた達、もうすぐ授業が始まりますよ、早く教室に戻りなさい!」担任の教師が入って来たのを見たエリカたちは、舌打ちをしながら教室から出て行った。「あの人たちから何か言われなかった?」「いいえ。ただ、売られた喧嘩を買っただけよ。」「そう。」にほんブログ村
2014年10月21日
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「千尋、どうした?」「いえ、何でもありません。」千尋はそう言ってごまかそうとしたが、歳三は彼の嘘を見抜いた。「おい、千尋のスープに虫の死骸を入れたのは誰だ?」歳三がそう言って女中達を睨みつけると、彼女達は無言でダイニングルームから出て行った。「あいつらにガツンと言ってくる。」「やめてください、先生。」彼女達の後を追おうとする歳三の手を掴んだ千尋は、彼を見た。「お前、あんな事をされて腹が立たないのか?」「ええ。でも大声で騒ぐよりも、こういう陰湿な嫌がらせは毅然とした態度を取った方がいいんです。ほら、いじめっ子って、相手の反応が楽しいからますます虐めたくなるでしょう?でも全く動じない相手には飽きてしまうから・・」「千尋、お前は強いな。」「先生のためなら、いくらでも強くなります。」 朝食の後、千尋が着替えの為に部屋に戻ると、部屋の中で人の気配がした。「誰ですか、そこに居るのは?」千尋が部屋のドアを開けて中に入ると、そこには鋏を持った一人の女中が千尋のキャリーバッグの前に立っていた。「あなた、一体そこで何をしているんです?」「何よ、あなたには関係ないでしょう!」「人の部屋に勝手に入って、何をしているのかと聞いているんです!」千尋がそう言って女中を睨むと、彼女の手に聖桜学園の制服が握られていることに気づいた。「一体何の騒ぎだ?」「歳三様・・」「そんな物騒なものを持って、千尋に何をする気だ?」「わたしは、この方が婚約者だとは認めませんから。」女中はそう言って歳三に向かって千尋の制服を投げつけると、部屋から出て行った。「先生、あの人は・・」「ああ、あいつは最近うちに入って来たやつだ。あんまり気にするな。」「はい・・」千尋にそう言っても、歳三はあの女中が自分の目が届かないところで千尋に危害を加えるのではないかという一抹の不安を抱いていた。「早く着替えろ、転校初日に遅刻なんてみっともないことしたくないだろう?」「はい。」 千尋が転校することになった聖桜学園は、明治初期に創設されたカトリック系の女子校であり、名門お嬢様学校として知られていた。「ねぇ、今日から転校生がいらっしゃるそうよ。」「転校生?もう一学期も終わろうとしているのに、変ね。」「色々と事情があったのではなくて?」「そうね。」教室で生徒達が転校生の事を噂していると、担任がその転校生を連れて教室に入って来た。「皆さん、今日から皆さんと一緒に学ぶことになった、荻野千尋さんです。」「荻野千尋です、宜しくお願いいたします。」千尋が緊張しながらそう言って挨拶すると、教室内に拍手が響いた。「ねぇあなた、前は何処の学校に居たの?」「白百合女学院です。」「横浜の?あなた、どうして転校したのかしら?」「家庭の事情がありまして・・」「まぁ、うちの学校でも、色々と家庭に事情がある方はいらっしゃるわ。自己紹介が遅れたわね、わたくしは松田明美よ、宜しくね。」「こちらこそ、宜しくお願いいたします。」「お昼休みに、校内を案内するわ。」「はい。」昼休み、松田明美とともに学校のカフェテリアに入った千尋は、メニューの豪華さに驚いた。「これ、本当にここで食べられるんですか?」「ええ。でも、ここでお昼を食べるには、カードを作らないと駄目なの。」「カード、ですか?」「事務局に行って、学生証を事務員さんに見せたらすぐにカードを作って貰えるわ。一緒に行きましょう。」「はい。」にほんブログ村
2014年10月20日
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「あなたが、荻野千尋君ですね?わたしは土方家の顧問弁護士をしている、西田と申します。」「初めまして・・」「歳信様は書斎に居られます。」歳三と千尋が一階の書斎へと向かうと、そこでは歳信が朝刊を広げて読んでいた。「親父、俺達に話とは何だ?」「千尋君、今日からこの家で歳三と暮らして貰うぞ。」「え・・」「君の荷物はもう部屋に運んである。」「あの、ひとつお聞きしたいことがあります。」「何だね?」「あなたは、僕が土方先生と結婚することに賛成しているのですか?」「愚問だな。」歳信は千尋の言葉を鼻で笑うと、椅子から立ち上がった。「この家に居る間、君は土方家の嫁として相応しい教養や知識を身につけて貰う。わたしからは以上だ。」「はい・・」歳信が書斎から出て行った後、千尋は緊張していた所為かその場に座り込んでしまった。「大丈夫か?」「はい。土方先生、僕この家でやっていけるのでしょうか?」「大丈夫だ、俺がついている。」「有難うございます。」その日の夜、千尋は歳三と歳信とともに夕食をとることになった。「千尋君、余り緊張しないでくれ。」「はい・・」そう言われても、千尋のフォークを握る手は緊張で震えていた。「大丈夫か?」「はい、大丈夫です。」「親父、千尋をこれからどうするつもりなんだ?」「千尋君には、この家で花嫁修業をして貰う。」「花嫁修業ですか?」「英会話や茶道、華道・・土方家の嫁に相応しい教養をこれから君には身に着けて貰わないと、君を歳三の嫁だと一族の者達に紹介できないからな。」「わかりました。これからお願いします、歳信さん・・いえ、お義父様。」「君からそう呼ばれる筋合いはない。まぁ、せいぜい頑張る事だな。」歳信は千尋を睨むと、そのままダイニングルームから出て行った。「おやすみなさい、先生。」「おやすみ。」 夕食の後、千尋は歳三と別れ、二階に用意された部屋に入った。まるでホテルの部屋のように清潔感に溢れ、美しくベッドメイキングされたベッドの端に腰を掛けた千尋は、そのまま着替えもせずにベッドに寝転がった。「千尋様、失礼いたします。」ドアがノックされ、部屋に土方家の執事・太田が入って来た。「初めまして、土方家の執事、太田と申します。」「初めまして、荻野千尋です。」「歳三様がお連れになられた婚約者の方とお聞きしておりましたが、お幾つなのですか?」「今年で、16になります。」「そうですか。何かお困りの事があったら何なりとお申し付けくださいませ。では失礼いたします。」 翌朝、千尋がダイニングルームに入ると、朝食の給仕をしていた女中達が自分の方を時折見ながら何かを話していることに気づいた。「千尋、どうした?」「いいえ、何でもありません。」そう言って千尋が味噌汁を飲もうとしたとき、中に死んだ虫の死骸が入っていた。にほんブログ村
2014年10月18日
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「歳三、本気なのか?お前は、男と結婚するつもりなのか?」「ああ、俺は本気だ。あんたが宛がったお嬢さん方と再婚する気はねぇ。」「そうか・・ならばわしにも考えがある。」「考え?」「西田、例の物は用意できたか?」「はい、こちらに。」土方家の顧問弁護士・西田はそう言うと、歳信に茶封筒を手渡した。「それはなんだ、親父?」「荻野千尋の戸籍謄本だ。」「何だって!?」歳信の手から千尋の戸籍謄本を奪い取った歳三は、そこに書かれている千尋の性別が変わっていることに気づいた。「おい、これは一体どういうことだ?千尋の性別が変わっているじゃねぇか!」「お前と荻野千尋との結婚をスムーズに進める為ならば、まずは戸籍の整理からだ。この国で同性婚なぞ出来ぬことを、お前は知っているだろう?」「そうだが・・」何処か勝ち誇ったような顔をした歳信を見ながら、歳三は自分の父親が一体何を考えているのかがわからなかった。「親父、ひとつだけ聞いていいか?」「何だ?」「親父は、俺達の結婚に賛成なのか?」「ああ。ただし、条件がある。」「条件?」「それはな・・」 翌朝、千尋が登校しようと自宅を出たとき、歳三が彼の前に現れた。「土方先生、おはようございます。」「千尋、少し話がある。今、いいか?」「ええ、構いませんが・・」 千尋は怪訝そうな表情を浮かべながら、歳三とともに黒塗りのリムジンに乗り込んだ。「お話ってなんですか、土方先生?」「昨夜、親父にお前と結婚することを話した。」「お父様は、何とおっしゃったのですか?」「俺達の結婚を許す代わりに、親父はある条件を出してきた。」「ある条件?」「お前に、俺の妻として・・いや、それ以前に女性として生きて欲しいというものだ。」「そんな・・それじゃぁ、学校はどうなるのですか?」「誠学園は男子校だから、今日からお前は聖桜学園に転校することになった。」「そうですか。」「千尋、俺との結婚を止めたいのなら、いつでも止めていいぞ。」「いいえ。先生のためなら、どんなことでも耐えられます。」「そうか・・」 千尋が突然転校したことを知った総司は、そのことを歳三に聞こうと職員室へと向かった。だが、そこに歳三の姿はなかった。「近藤さん、土方さんは?」「ああ、今日は何か用があるみたいで、トシは休みだぞ。」「そう・・千尋ちゃんが急に転校したから土方さんにそのことを聞こうと思って来たんですけれど・・」「まぁ、それはだな・・色々と事情があるようだ。」近藤は総司と目を合わさないようにしながら、そう言うと職員室から出て行った。(近藤さん、何か僕に隠している・・)にほんブログ村
2014年10月18日
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「あんた、わたし達によくも生意気な口を利いたわね!」「一度痛い目に遭わないと気が済まないようね。」「ちょっとお手洗いまで来てもらおうかしら?」女性達の中でリーダー格と思しき振り袖姿の女性がそう言って千尋を無理矢理立ち上がらせた。「てめぇら、俺の恋人に手を出すんじゃねぇ!」歳三は女性達に囲まれている千尋を見るなり、彼らの間に割って入った。「歳三様、その方は本当に歳三様の恋人なのですか?」「ああ。何度も言わせるなよ、恥ずかしい。」「こんな女のどこがいいのですか?」「じゃぁ逆に聞くが、てめぇらは俺のどこがいいんだ?」「そ、それは・・」「俺は土方財閥を継ぐつもりはねぇ。もしてめぇらが土方家の財産目当てで近づいて来たんなら、さっさと帰りな。」歳三はそう言って千尋を自分の方に抱き寄せると、女性達を睨んだ。「大丈夫か、千尋?」「ええ。」「もうここには用はねぇな。」「歳三様、お待ちください!」千尋の手を掴んだ歳三は、そのまま彼とともにパーティー会場を後にした。「先生、僕に話したいことって何ですか?」「それは部屋についてから話す。」 歳三とともにホテルのエレベーターに乗り込んだ千尋は、そこで吉田と会った。「おや、荻野君じゃないか?どうしたんだい、その格好は?」「吉田先生・・」「土方先生、教え子と二人きりで何をしていらっしゃるのですか?」「そんなこと、お前には関係ねぇだろう。」「おお、怖い、怖い。」吉田は大袈裟に両肩をすくめると、そのままエレベーターから降りた。 エレベーターがゆっくりと上昇する中、千尋と歳三は終始無言だった。「あの、先生・・」「何だ?」「こうして先生と二人きりになるのは、久しぶりですね。」「そうだな。」 ホテルの部屋に入った後、千尋はベッドの端に腰掛けた。「千尋、俺と結婚してくれねぇか?」「先生?」突然歳三からプロポーズされ、千尋は驚愕の表情を浮かべながら彼を見た。「あの、本当に僕、先生と結婚してもいいのですか?」「馬鹿、いいに決まっているだろう。」歳三はそう言うと、千尋を抱き締めた。「ですが・・」「お前は何も心配することはねぇ。」「はい。」その日の夜、歳三と千尋はホテルに泊まった。「先生、家まで送ってくださって有難うございました。」「ゆっくり休めよ。」「わかりました、さようなら。」 翌朝、歳三の車から降りた千尋が帰宅してリビングルームに入ると、育美がキッチンで朝食を作っていた。「ただいま。」「お帰りなさい、ちーちゃん。パーティー、楽しかった?」「うん、まぁね。母さん、お風呂入って部屋で休むね。」「そう。」 浴室に入った千尋は、首筋に残るキスマークに気づくと頬を赤く染めた。にほんブログ村
2014年10月17日
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「土方さん、こちらのお嬢さんはどなたかな?」「ああ、この子は招待していないのにパーティーに勝手にやって来たのですよ。警備の者を早く呼んでください。」「違います、ちゃんと僕は招待状をあなたから受け取って・・」「嘘を吐くな!」歳信は千尋を睨むと、彼を突き飛ばした。「親父、乱暴は止せ!」「ここは貴様のような者が来るような所ではない。追い出される前に、さっさと帰りたまえ。」「いいえ、帰りません。」「強情な奴だ。少し痛い目に遭わないと自分の立場がわからんらしいな?」歳信と千尋が睨み合っていると、受付のスタッフが会場に入って来た。「土方様、こちらの方の招待状です。」「見せろ。」歳信はそう言うと、スタッフの手から千尋の招待状をひったくった。「土方さん、すぐに人を疑うのはよくないですよ。」宗木からそうたしなめられた歳信は、千尋の手に招待状を渡すと、そのまま会場から出て行ってしまった。「すいません、ご迷惑をおかけしてしまって・・」「いいえ。それにしても、あなたは歳三君の恋人ですか?」「え?」「宗木さん、こいつは千尋といって、俺の大事な人です。」「ほう、そうか・・じゃぁ、わたしの娘と君が結婚するのは無理だね。」宗木はそう言って笑うと、歳三の肩を叩いた。「この子を決して離さないようにしなさい。」「わかりました。」「お父様、あの子は誰なの?」「帰るぞ、真理亜。もうわたし達はここに居る必要はない。」「そんな、お父様!」慌てて父の後を追ってパーティー会場から出た真理亜が見たものは、歳三と楽しく話している一人の少女の姿だった。「痛っ・・」「どうした?」「いえ、何でもありません。」千尋はこの日の為に慣れないハイヒールを履いた所為で、時折爪先と踵を襲う激痛に悩まされていた。「ちょっと見せてみろ。」「いいです。」「いいわけねぇだろう。」会場の隅に置かれている椅子に千尋を座らせた歳三は、彼が履いていたハイヒールを脱がせた。彼の両足の踵には、痛々しい靴擦れが出来ていた。「これでもう大丈夫だろう。」「有難うございます。」「今日は部屋を取ってあるから、パーティーが終わったら一緒に行こう。」「はい。」「飲み物取って来るから、ここで待ってろ。」「わかりました。」千尋が飲み物や料理が置かれているテーブルから歳三が戻って来るのを待っていると、突然振り袖やドレスで着飾った女性達が彼に詰め寄って来た。「あなた、歳三様の何なの?」「わたしは、歳三さんの恋人です。」「嘘よ、あなたみたいな小娘、歳三様が相手にする訳ないでしょう?」「そうよ、どうせ土方家の財産目当てで歳三様に近づいて来たに決まっているわ!」「“悪口は自己紹介”とは、よく言ったものですね。」「何ですって!?」千尋の言葉に、女性達の美しい眦がつり上がった。「自分が気にしている、コンプレックスを抱いていることをそのままそっくり他人に悪口として返すことですよ。つまり、あなた方は土方家の財産目当てで歳三さんに近づいたのでしょう?」千尋がそう言って女性達を見た時、左頬に突然熱が走った。にほんブログ村
2014年10月16日
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「先生、さようなら。」「さようなら。」「お前ら、寄り道するなよ!」 翌日、教室から出て行く生徒達を見送った歳三は、溜息を吐きながら職員室へと戻った。「トシ、今日は早いな。」「ああ。ちょっと野暮用があってな。」「そうか。また見合いをするのか?」「まぁ、そんなところだ。ったく、俺は再婚する気はさらさらないっていうのに、親父には困ったもんだぜ。」「またな、トシ。」「じゃぁな、近藤さん。」 歳三が学校から帰宅すると、彼を家政婦の宮田さんが出迎えた。「お帰りなさいませ、歳三坊ちゃま。」「親父は?」「旦那様は一足先にホテルへ向かわれました。」「そうか。」 土方歳信主催のパーティーが行われているホテルの宴会場では、政財界の名士達や代議士らが集まっていた。「歳信さん、歳三君はお元気ですか?」「ええ。」「実はうちの娘が歳三君にぜひともお会いしたいと申しておりましてね。真理亜、ご挨拶なさい。」「初めまして、真理亜です。」宗木代議士の愛娘・真理亜はそう言って歳信に挨拶した。「真理亜さんはお幾つかな?」「今年で27になります。」「そうか。では歳三とは余り年が違わないな。」「そうでしょう。真理亜は保育士をしておりましてね・・」「ほう、それはいいですね。」宗木と歳信がそんな話で勝手に盛り上がっていた時、会場に歳三が入って来た。「歳三様だわ。」「いつ見ても素敵ね。」会場に入るなり、振り袖やドレスで着飾った女性たちが一斉に自分に熱い視線を送っていることに気づいた歳三は、ばつの悪そうな顔をして俯いた。(親父の奴、一体何を企んでいやがる?)「歳三、よく来たな。」「絶対に来いってあんたが言うから、来てやっただけだ。」「紹介するよ、こちらは宗木代議士のお嬢さんの、真理亜さんだ。」「初めまして、真理亜です。」「どうも。」また新たな見合い相手を父から紹介され、歳三がうんざりしていると、会場に一人の少女が入って来た。 瑠璃色のドレスを身に纏い、金色の髪を美しくカールさせた少女は、誰かを探しているようだった。(まさか・・)「歳三さん、どうしたのですか?」「すいません、少し失礼します。」歳三はそう言うと、少女の方へと向かった。「千尋、どうしてお前こんなところに?」「先生・・実は、昨日先生のお父様から招待状を頂いて・・」「親父に?」「まさか君がこんな格好で来るとは思わなかったよ、千尋君。身の程知らずもいいところだな。」二人の背後から、氷のような歳信の声が響いた。にほんブログ村
2014年10月15日
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「おはよう、母さん。」「ちーちゃん、おはよう。」「父さんは?」「パパは、ちーちゃんが起きる前に会社に行ったわ。何でも、大きなプロジェクトを抱えて今大変なんですって。あ、これちーちゃん宛にさっき届いていたわよ。」「有難う。」育美から郵便物を受け取った千尋は、ペーパーナイフでその封を切った。中身は、ワープロ打ちの招待状だった。『明日夜八時に、下記の場所にてパーティーを開催いたしますので、是非ご出席くださいますようお願いいたします。』千尋が差出人の住所が書かれている封筒の裏を見ると、そこには土方歳信の名があった。「母さん、これ誰から渡されたの?」「さっき、黒塗りの車が家の前に停まって、そこから出てきたスーツ姿の運転手さんに直接渡されたのよ。それ、誰からだったの?」「土方先生のお父さんから、パーティーの招待状が来たんだ。是非来て欲しいって書いてあった。」「まぁ、そうなの。じゃぁちーちゃんの為に素敵なドレスを用意しないとね。」「母さん・・」千尋が嬉しそうにはしゃぐ育美の姿を見て溜息を吐いている頃、土方家のダイニングルームでは信子達が別居することで歳信と口論になっていた。「家を出て行くことは許さん!今まで一緒に暮らしていたというのに、急に家を出て行くとはどういうつもりなんだ!」「父さん、あたし達は今まで父さんの世話になったけれど、子供達も大きくなって色々とお金がかかるし、ここからじゃ子供達を幼稚園や学校に通わせるには遠いのよ。数日前下見したマンションは駅や学校にも近いから、片道30分もかからないの。」「運転手を雇って、送り迎えさせてやればいいだけだ。」「今友香が通っている幼稚園は、普通の幼稚園なの。わたしは幼稚園のママたちと普通のお付き合いをしたいの。」信子はそう言うと、椅子から立ち上がった。「まだ話は終わっておらんぞ、戻ってこい!」「もう話は終わったわ。」「姉貴、本気なのか?」「ええ。もうこの家に住むのは嫌なのよ。もう父さんに色々と子供達の教育の事で干渉されるのはうんざりなの。」「義兄さんとも、よく話したのか?」「ええ。駿弥さんも、もうこの家から出たいと前から思っていたそうよ。トシ、あんた一人で大丈夫なの?」「ああ。姉貴、明日のパーティーには出るんだろう?」「まぁ、一応土方家の一員として出席はするけれど、仲のいい親子をお客様の前で演じたくはないわ。」「いつ、ここから出て行くんだ?」「もう荷物は引っ越し先のマンションの部屋に運んであるの。子供達を迎えに行って、その後すぐに引っ越し先のマンションに行くわ。」「そうか。」「別にあんたとは姉弟の縁を切った訳じゃないんだから、気軽に遊びに来てもいいのよ。」「わかった。」 ダイニングルームに戻った歳三は、コーヒーを飲みながら歳信を見た。「何だ?」「明日のパーティー、姉貴は出るってさ。」「そうか。歳三、明日のパーティーは一応わしの健康と長寿を祝うパーティーとなっているが、お前の嫁探しがメインのパーティーになっている。」「またその話か・・いい加減、俺を無理矢理再婚させるのは諦めたらどうなんだ?」「お前は土方家の跡取りだ。それ相応の家柄のお嬢さんを嫁として迎えるのは、当たり前だろう?」にほんブログ村
2014年10月14日
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「違うって!こいつは俺のダチで、千尋。」「嘘つかないでよ!」背の高い少女は、そう言うと拓馬の隣に立っている千尋の胸倉を突然掴んだ。「あんた、うちの拓馬に手を出したら承知しないからね!」「初対面の相手に掴みかかるとは、穏やかな挨拶じゃありませんね。」千尋は少女を睨み、彼女の手を乱暴に振り払った。「あんた、あたしに喧嘩を売ろうっての!?」「いいえ、あなたのその乱暴な挨拶を改めようとしただけです。」「エミ、もう行こう。」「畜生!」少女は千尋達に背を向けると、そのまま雑踏の中へと消えていった。「拓馬、あの子達は?」「ああ、あいつらは中学の時のダチ。さっきお前に掴みかかって来たのはエミってやつで、ちょっと厄介なんだよな。」「そう・・」「その話は後でするから、今は花火を楽しもうぜ!」「うん。」やがて花火が始まり、色とりどりの花が夜空に咲いた。「楽しかったな、花火。」「うん。拓馬、今日は誘ってくれてありがとう。」「いや、いいんだよ。なぁ千尋、こうして二人きりで歩くのって、久しぶりだよな?」「そうだね。確かこうして拓馬と河川敷を二人で歩いたのは、小学校5年の時だったっけ?」「お前、よく憶えてんなぁ。」「記憶力はいい方だから。拓馬、家まで送ってくれてありがとう。」「じゃぁ、また塾でな。」「うん。」 家の前で拓馬と別れた千尋が家の中に入ると、玄関先には男物の革靴が置かれていた。「母さん、ただいま。」「あらちーちゃん、お帰りなさい。」「君が、千尋君かい?」リビングのソファに座った眼鏡を掛けた男は、そう言うと千尋の前に立った。「ちーちゃん、こちらパパの学生時代のお友達で、滝岡さん。」「初めまして、千尋と申します。」「いやぁ、可愛いね。君みたいな子が居たら、家の中が賑やかになるだろうな。」「滝岡さん、主人はもうじき帰ってきますから、コーヒーでも如何ですか?」「いいえ、もうお暇いたします。」「そうですか・・」「千尋君、またね。」養父の友人・滝岡は千尋に向かって手を振ると、リビングから出て行った。「母さん、あの人は一体何の用でうちに来たの?」「さぁ、それはわたしにもわからないわ。」 荻野家を後にした滝岡は、その足で土方家へと向かった。「荻野千尋の義理の父親には会えたか?」「いいえ。彼は仕事で留守にしていました。それよりも土方さん、何故わたしにこんなことを頼むのですか?」「君にしか、頼めないことだからだ。」「そうですか・・」滝岡は土方家のソファに腰を下ろしながら、歳信を見た。「あなたは何故、荻野千尋に対してそこまで執着しているのですか?」「それは君が知らなくていいことだ。」にほんブログ村
2014年10月13日
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背景素材提供:RUTA様「お前ら、夏休みだからって浮かれるなよ!」「はぁ~い。」「先生、さようなら!」一学期の終業式を終えた生徒達は、教室から出て行った。「土方先生、さようなら。」「千尋、気をつけて帰れよ。」「はい、わかりました。」教室の前で歳三と別れた千尋は、学校から帰宅するとリビングに入った。「ただいま。」「お帰りなさい、ちーちゃん。あなた、今日拓馬君と花火大会に行くんですって?」「うん、そうだけど・・それがどうかしたの?」「ママね、昨日あんたに浴衣を買ってきたのよ。」「え、本当?」育美は笑顔を浮かべながら、千尋に昨日買ってきた浴衣を見せた。「ほら、可愛いでしょう?」「母さん、僕男だけれど・・それ、女物じゃないの?」「あ、そうだったわね。じゃぁ返品しようかしら?」「いいよ。」「花火大会までまだ時間があるから、ママがお化粧してあげるわね。」「有難う。」 拓馬との待ち合わせ場所に来た千尋は、彼の姿に気付いて手を振った。「あのう、どちら様ですか?」「拓馬、僕の事忘れちゃった?」「何だ、誰かと思ったら千尋じゃん!化粧しているからわからなかったぜ!」「拓馬、そいつお前の彼女?」「馬鹿、違ぇよ!こいつは小学校からの俺のダチで、千尋だよ。前に話しただろうが!」「ってことは、男!?」「マジ!?」「こんな顔をしているけれど、男です。」千尋がそう言って拓馬の友人達に微笑むと、彼らは一斉に頬を赤く染めて俯いた。「お前ら、ここでいつまでも突っ立っているつもりか!?」「拓馬、そんなに怒らなくても・・」千尋が友人達に向かって怒鳴っている拓馬をそう宥めていた時、彼は背後から鋭い視線を感じた。「どうした、千尋?早く行こうぜ?」「うん、わかった・・」(気のせいか・・) 拓馬達と屋台が立ち並ぶ場所を歩いていた千尋は、再びあの鋭い視線を背後に感じた。「千尋、さっきからどうしたんだ、後ろばっかり見て?」「誰かが、僕の事を睨んでいるような気がしてさ・・」「気のせいじゃねぇのか?」「そうだね。」千尋はポップコーンの屋台の前で巾着袋から財布を出すと、ポップコーンをひとつ買った。「それだけで足りるのか?」「うん。これ、今日おろしたばかりの浴衣だから、汚したくないんだ。」「そうか。その浴衣、良く似合っているぜ。」花火が始まる10分前、千尋が拓馬達と河川敷の前に行くと、そこには見物客がまだ集まっていなかった。「ラッキーだな、俺達。」「そうだね。」やがて花火が始まり、千尋達の前に色とりどりの浴衣を着た少女達がやって来た。「拓馬、その子があんたの彼女?」「ユキ、お前何か勘違いしてねぇか?こいつは・・」「言い訳なんかしないでよ!」少女達の中から、一番背が高い少女がそう言って拓馬と千尋を交互に睨みつけた。にほんブログ村
2014年09月01日
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「先生、さっきの人は・・」「ああ、あの人はわたしの義理の妹です。」「義理の妹?」「ええ。実は、わたしには去年結婚した弟が居ましてね。その弟の嫁と色々と話していたんですよ。」「そうですか・・」千尋は吉田の話を聞きながら、買ったポテトを頬張った。吉田と彼の義妹が何の話をしていたのか、容易に想像できた。別れ際のあの険悪な雰囲気からして、決して良い話ではないだろう。「荻野君は、塾の帰りですか?」「ええ。小腹が空いたので、ポテトを買いました。」「そうですか。それじゃぁ、わたしはこれで失礼しますよ。」「先生、さようなら。」 翌日の昼、歳三がデスクワークを終わらせて腕時計を見ると、もう12時を回っていた。「土方先生、お昼はどうされるんですか?」「何かコンビニで適当に買って食べます。」「そうですか。じゃぁ、わたしと少しお昼を付き合ってくださいませんか?」「ええ、いいですけれど・・」「それじゃぁ、お店が混む前に行きましょうか。」 吉田に連れられ、歳三は学校の近くにあるとんかつ屋に入った。「ここは、500円のランチが人気なんですよ。」「へぇ、そうなんですか・・」二人が暖簾をくぐって店の中に入ると、テーブル席と座敷席はほぼ満席状態だった。「女性客が多いですね。」「まぁ、女性に人気の店っていう口コミがネットで広がりましたからね。」吉田はそう言うと、店員にランチを注文した。「インテリアも結構いいし、店の中も清潔ですよね。店員さんも明るいし。」「そうですね。ここの店は全国展開しているチェーン店ですが、そういったところだと店員の接客態度や料理の味が店ごとに違ってくるでしょう?でもここは社員教育がしっかりしているから、店員の接客態度もいいし、料理もおいしいですよ。」「結構詳しいんですね、吉田先生。」「わたし、ここの常連客ですから。」「へぇ、そうなんですか。」二人が話している内に、ランチが運ばれてきた。「今日のランチはハムカツ定食ですね。」「美味そうだなぁ。いただきます。」歳三はそう言ってハムカツを一口頬張ると、サクッとした衣と厚みのあるハムの旨みが口の中に広がった。「美味いですね、これ!」「そうでしょう?」吉田と歳三がランチを食べていると、信子がママ友たちと店に入って来た。「あらトシ、あんたこんなところで何しているの?」「何って、飯食べに来たんだよ。姉貴こそ、こんな店にランチしに来るなんて珍しいなぁ。」「いつも高級な店でランチなんて食べていたら、破産しちゃうわよ。最近ママ友とランチするときは、ショッピングモールのフードコートにしているのよ。」「へぇ、そうかい。」「土方先生、そちらの方は?」「ああ、こいつは俺の姉貴です。」「お姉様、初めまして。土方先生の同僚の、吉田と申します。」「こちらこそ初めまして。いつも弟がお世話になっております。」信子はそう言って吉田に微笑むと、ママ友たちのところへと向かった。「土方先生にお姉さんがいらっしゃるなんて初めて聞きました。」「こんなところで姉貴と会うなんて、思いもしませんでしたよ。」歳三が煙草を吸おうとすると、吉田がここは全席禁煙ですよとやんわりと注意してくれた。「何だか最近、全席禁煙の店が多くなりましたね。」「そうですね。我々愛煙家にとっては肩身が狭くなることばかりが多くなりました。」ランチを平らげた吉田は、ミントガムを歳三に渡した。にほんブログ村
2014年08月31日
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背景素材提供:RUTA様「荻野君って、学校あの誠学園なんだよね?」「うん、そうだけど・・」休憩時間、千尋は突然他校の女子生徒からそんな話を振られて戸惑った。「じゃぁ、沖田先輩の事は知っているの?」「知っているも何も、僕剣道部に居るし・・」「わぁ、ラッキー!」千尋の言葉を聞いた彼女達は、そう言うとバッグの中から綺麗にラッピングされた袋を取り出した。「これ、沖田様に渡しておいてくれない?」「え?」「沖田様と知り合いなんでしょう?」「おい、千尋が困っているじゃねぇか、ブスども!」千尋が彼女達の勢いに面喰っていると、窓際に座っていた千尋の友人・拓馬がそう叫んで千尋達の方へと駆け寄って来た。「何よ、あたし達は別に、ねぇ?」女子生徒の一人が、そう言って隣に立っている友人の顔を見た。「お前ら、千尋と初対面の癖に、よくもそんな図々しいこと頼めるよな?」拓馬はそう言うと、彼女達の手から菓子が入った袋を奪い取った。「ちょっと、何するのよ!」「俺がお前らの菓子を憧れの沖田様の代わりに貰ってやるよ。」「酷い、最低~!」彼女達は拓馬を罵倒すると、教室から出て行った。「拓馬、助けてくれて有難う。」「別に気にするなって。千尋、困ったことがあったら何でも言えよ。」「うん・・」「もうすぐ夏休みだけど、千尋はどうするんだ?」「どうするって、剣道部の練習に出なくちゃならないし、塾の夏期講習も受けないといけないから、休んでいる暇ないよ。拓馬は?」「俺も似たようなもんさ。サッカー部の合宿には全員強制参加だから、休めねぇんだよな。」「それに、学校の宿題もしなくちゃいけないしね・・」「ああ、それもあったんだ・・だいたいさぁ、40日間も休みがあるのに休める時がないなんておかしな話だとは思わないか?」「そうだねぇ。」「つーかさぁ、今度の金曜日、花火大会あるじゃん?お前も一緒に行かないか?」「いいの?」「いいって。中学ん時のダチも来るし。」「そう。」塾の前で拓馬と別れた千尋は、自転車で帰宅する途中、あのファストフード店で吉田と女性がまだソファ席に座っていることに気づいた。(吉田先生と話している人、一体誰なんだろう?)そんなことを思いながら千尋が店の前に自転車を停めて店内に入ると、女性が勢いよくソファから立ち上がり、吉田の頬を平手で打った。「あなたがそんな男だとは思わなかったわ、最低!」女性はショルダーバッグを掴むと、ヒールの音を響かせながら店から出て行った。「まったく、乱暴な女だな・・別れの挨拶代わりにアイスコーヒーをぶっかけた挙句、平手打ちとはね。」怒り狂った女性とは対照的に、吉田は少し醒めた口調でそう言うと、ハンカチで濡れた眼鏡を拭いた。「吉田先生・・」「荻野君、見苦しいところを見せてしまったね。」にほんブログ村
2014年08月30日
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「土方先生、熱中症で入院したって、本当ですか?」「はい。土方先生は暫く入院されるので、それまでわたしが土方先生の代わりを務めます。」副担任の吉田は、そう言うと千尋を見た。「荻野君、あなたには後で話があります、放課後書道教室に来るように。」「はい・・」 放課後、千尋が書道教室に向かうと、吉田はノートパソコンの前に座って書類仕事をしていた。「吉田先生、荻野です。お話とは何ですか?」「君の双子のお兄さんが、あの宮下真紀選手だったなんてね・・」吉田はそう言って肩を震わせると、千尋の方を見た。「先生?」「双子の兄が有名人になって、君も色々と辛いだろう?」「いいえ。あの、話がないのなら僕もう帰ってもいいですか?」「わかった。」千尋の言葉を聞いた吉田はそう言うと残念そうに彼を見送った。「ただいま。」「お帰りなさい、ちーちゃん。」「母さん、僕が帰って来るまで、何かあったの?」テーブルの上に置かれている来客用のティーカップを見た千尋がそう言って育美を見ると、彼女はエプロンの端で涙を拭った。「実は、さっきあなたの本当のお母様のご両親が、またここに来たのよ。」「そう・・二人は何て?」「どうしてもちーちゃんを跡取りとして引き取りたいと言っているの。日曜日、向こうのご両親と会ってくれる?」「わかった。」実母の両親と日曜日に会うことになった千尋は、嫌な予感がした。「ちーちゃん、入るわよ?」「どうぞ。」千尋が自室で寛いでいると、育美が部屋に入って来た。「向こうのご両親と会うのは、嫌?」「嫌だけれど・・いつまでも向こうを避けてはいられない。一度二人と会って、今後の事を話し合うよ。」「わかった。」「それじゃぁ、塾に行ってくるね。」「気を付けて行ってらっしゃい。雨が降るから、折りたたみ傘持っていきなさいね。」「わかった。」 自転車で塾へと向かった千尋は、その途中にあるファストフード店で吉田の姿を見かけた。(吉田先生、何でこんなところに?)千尋が暫く吉田の様子を見ていると、彼の隣に女性が居ることに気づいた。(あの人、誰なんだろう?)「千尋、そんなところで何してんだ?」「平助こそ、こんなところで何してるの?」「ちょっと小腹が空いたからさぁ、ここで飯でも食おうと思って。千尋、お前も一緒にどうだ?」「塾に行かないといけないんだ。また今度。」「わかった、じゃぁな!」ファストフード店の前で平助と別れた千尋は、再び自転車に跨った。「先生、おはようございます。」「荻野君、おはよう。随分と早く来たね。」「ちょっと前の授業でわからないことがあったので、少し復習をしたくて・・」「そうか、勉強熱心でいいことだ。」「有難うございます。」にほんブログ村
2014年08月29日
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「先生、さようなら。」「さようなら。」期末テストが終わり、あと一週間で夏休みになるという7月中旬のある日、歳三がいつものように教室から出て行く生徒一人一人に声を掛けていると、そこへ副担任の吉田が通りかかった。「土方先生、ちょっとお話があるのですが、いいですか?」「いいですけれど・・」「土方先生、この前お見合いされたそうですね?」「ええ。それが何か?」「実は土方先生が見合いされた相手は、わたしの従妹なんです。従妹は一度結婚しましたが、離婚歴がありまして・・」「ええ、知っています。」「土方先生は、従妹と再婚する気はないのですか?」「ありません。俺は娘が成人するまで育てる義務がありますし、自分の事は娘が成人してから考えます。」「そうですか。従妹にはわたしの方からそう伝えておきます。」吉田はそう言うと、書道教室から出て行った。「ただいま。」歳三が帰宅すると、リビングの方から何やら賑やかな笑い声が聞こえた。「お帰りなさいませ、歳三様。」「誰か客が来ているのか?」「ええ。友香お嬢様が通っていらっしゃる幼稚園のお母様方と信子お嬢様の茶会がありまして・・」「そうか。」 信子と駿弥との間には、三人の子が居り、末っ子である友香は今年4月に幼稚園に入園したばかりである。ママ友同士の親睦を深めようと、信子はお茶会を開いたのだろう―そんなことを歳三が思っていると、リビングのドアが開いて信子が玄関ホールにやって来た。「あらトシ、あんた帰ってたの?」「さっきな。姉貴、ママ友をほったらかしにして大丈夫なのか?」「大丈夫よ。それよりもあんた、この前の見合い話、断ったんだってね?」「ああ。俺は美砂が成人するまで独身を貫く。」「そう。」「部屋で休んでくる。」「わかった。」二階にある自室に入った歳三は、書類が詰まった鞄をベッドの上に置くと、机の前に置かれているノートパソコンの電源をつけた。階下からは、賑やかな笑い声が時折聞こえてきた。「じゃぁ、またね~」「今日は有難う。」ママ友達を玄関ホールで見送った後、信子は歳三を呼びに二階へと上がった。「トシ、もうすぐ夕食が出来るから、そろそろ降りてらっしゃい。」「うん、わかった・・」仕事を終えた歳三がそう言って椅子から立ち上がろうとしたとき、急に視界が暗くなった。「トシ?」部屋の中から返事がしないことを不審に思った信子がドアを開けて部屋に入ると、床に意識を失った歳三が倒れていた。「トシ、しっかりして!」「どうしたんだ、信子?」「あなた、救急車呼んで!」救急車で病院へと搬送された歳三は、そこで熱中症と診断された。「姉貴、たかが熱中症なのに、大騒ぎしてみっともねぇったらありゃしねぇよ。」「あんた、熱中症を舐めていると怖いわよ。暫くゆっくり休んでなさい、いいわね!」「ああ、わかったよ・・」にほんブログ村
2014年08月28日
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「佳奈子さん、その子は?」「わたしの息子です。」「むっちゃん、ばぁばとお外で遊びましょうね。」佳奈子の母親はそう言うと、男児を抱き上げて個室から出て行った。「実はお恥ずかしいことですが、わたしには離婚歴がありまして・・別れた主人とは、結婚前にわたしが妊娠したのと同時に籍を入れたのです。」「まぁ、そうですか・・実はうちの倅も、結婚前に別れた嫁を妊娠させましてなぁ・・色々と価値観が合わずに離婚したのです。」「そうでしたか・・」佳奈子に離婚歴があり、3歳の息子がいることを知った歳三は、自分と同じ境遇にある彼女の事が少し気の毒になった。「佳奈子さん、子供の父親とは何故離婚されたのですか?」「別れた主人は、些細な事で機嫌を損ね、わたしや子供に暴力を振るっていました。」「そうですか・・」「今日はあなたにお会いしてよかった。」佳奈子はそう言うと、椅子から立ち上がって個室から出て行った。「まさか、コブつきだったとは。まぁ、お前とは気が合いそうだから、よしとするか。」「俺は再婚はしねぇと言っただろう?彼女と再婚することを前提に勝手に話を進めるな!」「歳三、お前は土方家の人間だ。お前が再婚するかしないかは、わし自身が決めることだ。」個室から出て行く父の背を、歳三は睨みつけた。(あ~、疲れた。) ホテルのエレベーターで地下駐車場に降りた歳三は、そこに停めてあった自分の車に乗り込むと溜息を吐いた。再婚など当分考えていないというのに、歳信は自分の世間体だけの為に歳三に再婚を急がせようとしている。彼は利用できるものは何でも利用する。それがたとえ、自分の息子や娘であっても。「ただいま。」「お帰りなさいませ。」「姉貴は?」「信子お嬢様は、駿弥様と只今外出しております。」「そうか・・美砂は今、どうしている?」「美砂お嬢様は、先ほどミルクを飲まれてお休みになられました。お夕飯は如何なさいますか?」「夜はさっぱりとした物にしてくれ。」「かしこまりました。」 歳三がテレビを観ながら夕飯を食べていると、帰宅した姉夫婦がリビングに入って来た。「トシ、あんた今日お見合いしたんでしょう?どうだったの、相手の方とは?」「別に。俺は再婚しねぇと言っているのに、あの人は聞く耳を持たないから困っちまう。」「まぁ、父さんは昔から一度こうと決めたことは決して譲らない頑固な性格だからね。」信子はそう言って歳三に微笑むと、リビングから出て行った。「お義兄さん、今日は姉貴と何処へ?」「実は、近々この家から出て行こうと思ってね。今日は新居探しの為に色々といい物件を見て回ったのさ。」「そうだったんですか・・」「この家でお義父様と同居するのはいいんだが、僕たち夫婦の生活にあまりも干渉してくるから、少しお義父様と距離を置きたくてね。」「色々と大変なんですね、お義兄さんも。」「まあね。」歳三と駿弥がそんな話をしていると、信子がリビングに戻って来た。にほんブログ村
2014年08月27日
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「真紀、オリンピックまで日本に居るの?」「まぁね。スポーツイベントが終わったら、渡米してコーチの家に下宿しながらオリンピックに向けてトレーニングをしようかと思っている。」「へぇ・・」「土方先生、わざわざ来てくださって有難うございました。」「別に礼を言われるほどのことでもねぇよ。」「奥さんの事、聞きました。色々と大変だったみたいですね?」「ああ・・周りからは色々と言われたよ。今は実家に帰って、居候生活を楽しんでいるよ。」駅前のショッピングモールのフードコートで、歳三は真紀達とアイスクリームを舐めながらそう言うと溜息を吐いた。「宮下、お前も色々と大変そうだな?」「ええ・・毎日忙しいけれど、俺にとってはそれが楽しく思えます。」「そうか。」「今日は久しぶりに二人に会えて楽しかったです。それじゃぁ俺はこれで。」「真紀、またね。」「千尋、元気でな。」真紀と抱擁を交わし、彼と別れた千尋は、歳三とともにショッピングモールを後にした。「真紀が元気そうでよかった。」帰りの車中で、千尋はそう言うと運転席に座っている歳三を見た。「そうだな。」「土方先生、これからどうなさるんですか?」「まぁ、一度結婚に失敗したから、再婚したくないな。美砂の事もあるし・・」「そうですか。」「親父からは再婚しろって煩く言われているが、そのうち諦めてくれるだろうよ。」「先生、今日は有難うございました。」「じゃぁな。」 千尋を家まで送り届けた歳三は、そのまま帰宅した。「ただいま。」「トシ、お帰りなさい。父さんがあんたに話があるって。」「あの人が?」「ええ、何でもあなたに縁談を持ってきたって。」「ったく、あの野郎・・」歳三はそう言って舌打ちすると、父親の書斎へと向かった。「親父、俺は再婚はしねぇと何度も言った筈だが?」「歳三、お前はそれでいいかもしれんが、世間の目というものがある。一度結婚に失敗したからといって、怖気づく必要が何処にある?」「俺は美砂の事だけを考えて生きていたいんだ。」「いずれ美砂も母親が必要になる。それに、あの子は土方家の娘に恥じぬような振る舞いを身につけさせねばならん。」「美砂を家の道具として使うつもりなら、今すぐ俺はあんたとの縁を切る。」「そうは言っておらんだろう。早とちりをするな。」歳信はそう言って溜息を吐くと、吸っていた葉巻を灰皿に押し付けた。「今週の日曜、横浜グランドホテルに来い。一度相手を会ってみるだけでもいいだろう。」「ああ、わかったよ。」 日曜日、歳三は歳信とともに横浜グランドホテルへと向かった。「お待たせいたしました。」フレンチレストランの個室に入ってきたのは、見合い相手と彼女の母親だった。「こちらがわたくしどもの娘の、佳奈子です。」「初めまして。」そう言って歳三に頭を下げた女性は、彼と目が合うと頬を赤く染めた。「佳奈子さんは、ご趣味は何をされていらっしゃるのですか?」「お茶とお花をしております。土方様は?」「俺は小学校の時から剣道をしています。今は学校の剣道部で顧問をしています。」「まぁ、そうなのですか・・」佳奈子が歳三の話に相槌を打った時、個室に3歳くらいの男児が入って来た。「ママ~!」「むっちゃん、お家で留守番していなさいって言ったでしょう!」個室に乱入してきた男児に、佳奈子の母親はそう怒鳴ると彼を個室の外へと連れ出そうとした。にほんブログ村
2014年08月26日
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「あなたが、宮下真紀さんの双子の弟さん?」「ええ、そうですけれど・・菱田さんは、兄の事を知っているんですか?」「知っているも何も、わたしの弟はあなたのお兄さんとはライバルなのよ。」菱田樹里はそう言うと、千尋に弟の写真を見せた。「菱田凌介って、確かオリンピック出場候補から外れたって聞きましたけれど・・」「ええ、今回弟は怪我をしてオリンピックに出場できなかったけれど、次のオリンピックには出場するつもりよ。だからあなたのお兄さんに、余りいい気になるなと伝えておいて頂戴。」樹里はそう言って弟の写真をバッグの中にしまうと、千尋に背を向けてカフェから去っていった。「千尋君、済まないね。樹里さんは君のお兄さんの事をあんまりよく思っていないんだ。」「そうですか。あの、どうして駿弥さんはこのホテルに樹里さんといらしたんですか?」「今度、横浜で大きなスポーツイベントがあってね、その大会にお義父さんと後援会の皆さんがお手伝いをすることになったから、大会の関係者の方達とちょっとした会合を開いていたのさ。」「へぇ、そうですか。義兄さんもあの人の使い走りをさせられるなんて、苦労が絶えませんね。」「そうでもないよ。それじゃぁ千尋君、またね。」「ええ・・」 夜7時、千尋と歳三はカフェから出て、真紀との待ち合わせ場所であるイタリアンレストランへと向かった。「千尋、会いたかった。」「兄さん、さっき菱山選手のお姉さんにカフェで会ったよ。」「ああ、凌介の姉貴に会ったのか。何か嫌味を言われなかった?」「別に。兄さん、あの人の事を知っているの?」「まあな。俺は凌介とは仲が良いんだけれど、あいつの姉貴が勝手に俺をライバル視してさ。オリンピックの出場を凌介が辞退したのだって椎間板ヘルニアが悪化して、ドクターストップがかかったからだ。」真紀はそう言って溜息を吐くと、グラスに入っていた水を一口飲んだ。「そんなことがあったんだ・・」「片方だけの意見ばかり聞くと、それが嘘でも真実のように捻じ曲げられて報道されてしまうから、厄介だよな。今はネット上で書いてあることが本当だって信じ込んでしまう連中も居るし・・」「確かに。それに最近バイト先で悪ふざけした写真をツィッター上に載せて炎上した人もいるよね?」「あいつらは目立ちたいだけの馬鹿だよ。世の中の善悪の判断がつかない奴なんて、いい年した大人でも結構いるさ。」「兄さんはツィッターとかはしないの?」「SNSの類はしていないし、する気もない。まぁ、ブログは月に一度くらい更新はしているけどね。」「そう。」三人の前に前菜のコーンスープとマリネのサラダが運ばれてきた。「ここのレストランには、よく食事に行くの?」「まぁね。よく宮下の両親と誕生日の時に食事をしていたんだ。」「そうなの。」「土方先生、これから千尋の事を守ってやってくださいね。」「わかった。宮下、オリンピックに出場するんだったんなら、学校はどうするんだ?」「今日、休学届を出しました。土方先生たちには、ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません。」「いいんだよ、謝らなくても。それよりも余り無理をするなよ。」「わかりました。」 久しぶりに真紀と過ごした時間は、とても楽しかった。「ねぇ千尋、アイスでも食べない?」「うん、いいよ。」にほんブログ村
2014年08月26日
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「なぁ、如月先生って何で急に学校を辞めたんだろうな?」「さぁ・・何でも、学校と相性が合わなかったからだって聞いていたよ。」「まぁ、あのきつい性格だと解るような気がするけどね。」家庭科の授業が始まる前、千尋達は如月の退職について色々と憶測を話していた時、家庭科室のドアが開いて長身の青年が入ってきた。「皆さん、今日から如月先生の後任として皆さんに家庭科を教えることになる、藤島葵と申します。」如月の後任となった藤島葵は、そう言うと黒板に自分の名を書いて教壇の上から生徒達を見渡した。「それじゃぁ、今日から被服の実習に入ります。」藤島葵はちらりと千尋を見た後、授業を始めた。「後任の先生、良い人そうで良かったな。」「うん。」「なぁ、今度千尋ん家で勉強会やらねぇ?」「何で僕の家で?平助の家でもいいじゃん?」「だってさぁ、千尋の家居ると何だか落ち着くんだもん。」「なにそれ?」「荻野君、すぐに生徒指導室に来て。」「わかりました。」学年主任の上田に呼ばれ、千尋が生徒指導室へと向かうと、そこには藤島が椅子に座っていた。「藤島先生、僕に何か用ですか?」「君、何処かで僕と会ったことがある?」「いいえ。」「そう・・」藤島はそう言うと、口に咥えていた煙草にライターで火をつけた。「確か、君の双子のお兄さんは、あの宮下真紀なんだって?」「ええ。それがどうかしましたか?」「有名人のお兄さんを持って大変だねぇ。しかも双子だから、街を歩いていてもお兄さんと間違われて、何度か嫌な思いをしたんじゃないの?」「しましたが・・それが藤島先生と何の関係があるんですか?」「別に。今日君をここへ呼び出したのは、君と少しお喋りがしたかったからさ。もう教室に戻っていいよ。」「わかりました。」 放課後、帰宅した千尋はクローゼットからスーツを取り出した。「父さん、ネクタイの結び方教えて。」「わかった。」「そんなにかしこまった格好をして、何かあるの?」「真紀からメールがあって、横浜グランドホテルで今夜会う約束をしたんだ。」「そう。気を付けて行ってらっしゃい。」「うん、行ってきます。」 自宅を出た千尋が駅に向かって歩いていると、後ろから車のクラクションが聞こえた。「乗れよ。」「有難うございます。」「スーツ姿、似合っているぞ。」「そうですか?」千尋と歳三が横浜グランドホテルに着いたのは、夕方の6時過ぎだった。「約束の時間までまだ一時間もあるな。あそこでお茶でもしていくか?」「そうですね、そうしましょう。」ホテルの1階にあるカフェで二人がコーヒーを飲んでいると、一組のカップルがカフェに入ってきた。彼らは二人が座っている席の前を通り過ぎ、歳三はカップルの男が義兄だと気付いた。「義兄さん、奇遇だな。こんなところで会うなんて。そちらのお嬢さんは?」「この人はお義父さんの後援会長の菱田さんのお嬢さんで、樹里さんというんだ。樹里さん、こちらは義理の弟の、歳三君だ。」「初めまして。」駿弥の隣に立っていた連れの女性が、そう言って歳三に挨拶した後、彼の隣に座っている千尋の方を見た。(え、なに・・)見知らぬ女性から敵意に満ちた視線を送られ、千尋は戸惑った。にほんブログ村
2014年08月11日
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「駿弥君、それは一体どういう意味だ?」「歳三君には、心に決めた相手が居るのですよ。」駿弥はそう言うと、歳三に向かって笑った。「その相手とは誰だ?」「歳三君が働いている学校の生徒ですよ。確か名前は千尋君といったかなぁ・・」「義兄さん、どうしてあなたが千尋の事を知っているんですか?」「どうしてって・・今日、千尋君と君がショッピングモール内のレストランで食事をしているのを見たからさ。」義兄の言葉に、歳三は内心臍を噛んだ。あのショッピングモールに時折彼が視察に来ていることを歳三は知っていたが、まさか千尋と居るところを彼に見られていたなんて、迂闊(うかつ)だった。「千尋という生徒は、男か、それとも女か?」「歳三君が働いている学校は男子校ですよ、お義父さん。」「義兄さん、ちょっといいですか?」歳三はそう言って駿弥の腕を掴むと、彼を自分の部屋に連れていった。「一体どういうつもりなんですか、あの人に千尋の事を話すなんて・・」「別に君は悪いことをしていないのだから、お義父さんに千尋君の事を隠さなくてもいいだろう?」「ですが・・」「二人とも、どうしたの?」歳三と駿弥が廊下でそんなことを話していると、そこへ信子がやって来た。「何でもないよ、信子。」「もしかしてあなた、千尋君の事を父さんに話したんじゃないでしょうね?」信子はそう言うと、駿弥を睨んだ。「そうだけれど、何かいけなかったかな?」「歳三の私生活には余り詮索しないで。」「どうして君まで怒るんだい?」「どうしてって・・二人に傷ついて貰いたくないからよ。駿弥さん、二階の部屋に来て。」「わかった。」 翌朝、千尋がリビングで朝食を取っていると、玄関のチャイムが鳴った。「どちら様ですか?」『すいません、こちらは荻野千尋さんのお宅でしょうか?』「はい、そうですけれど・・」『わたくし、土方駿弥と申します。千尋さんに少しお話があるのですが、お宅に上がっても宜しいでしょうか?』「ええ、構いませんけれど・・」歳三の義兄を名乗る駿弥という青年をリビングに通した千尋は、彼が何の目的で自宅に来たのかがわからずにいた。「あの、コーヒーいただきますか?」「いいえ、結構です。」「そうですか・・あの、駿弥さんは僕に何か用ですか?」「実は昨日、君と歳三君を駅前のショッピングモールで見かけてね。もしかしたら、君達は恋人同士なんじゃないかと思って・・」「そんなことはありません。」千尋はそう言うと、駿弥を見た。「そうか。じゃぁわたしの方から君にひとつ、忠告しておこう。君と歳三君が仮に恋人同士だとしよう。君達の関係が公になる前に、歳三君と別れてくれ。」「もし嫌だと言ったら?」「その時は、考えるよ。それじゃぁ、わたしはこれで失礼するよ。」駿弥は不敵な笑みを口元に浮かべると、荻野家を後にした。「おはよう、平助。」「おはよう千尋。明日から中間テストだな。」「そうだね。」「中間テストが近いと宿題が山ほど出るから嫌だなぁ。」「それは仕方がないんじゃない?」「それもそうだよな。」千尋と平助が中間テストのことを話していると、教室に歳三が入ってきた。「お前ら、HR始めるぞ!」にほんブログ村
2014年08月10日
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「今日の部活動はここまで!」「有難うございました。」部活を終えた千尋は、更衣室で制服に着替えて道場から出ると、歳三が待っている駐車場へと向かった。「すいません、お待たせしてしまって。」「それじゃぁ、行くか?」「ええ。」歳三が運転する車で、千尋が彼と向かったのは、駅前にある大型ショッピングモールだった。「ここで何か用ですか?」「ちょっと、お前とデートしようと思ってな。」「え・・」「嫌なら、家まで送るが・・」「いいえ、付き合います。」「そうか。」歳三はそう言うと、千尋の頬にキスした。「まだ夕飯食ってないだろう?」「ええ。両親は法事に出席していて留守です。」「じゃぁ、二人で何か食べようか?」「いいですね。」 ショッピングモール内にあるイタリアンレストランで、歳三は千尋と久しぶりに二人きりで夕食をとった。「こうして二人きりで食事をするのは、久しぶりだな。」「ええ。確か最後に二人きりで食事をしたのは、昨年のクリスマス・イヴでしたね。」「ああ。実は、お前に渡したい物があって、今日お前をデートに誘ったんだ。」「僕に渡したい物って、何ですか?」「これだ。」歳三はスーツの内ポケットから有名宝飾店のロゴが入ったベルベッドの箱を取り出した。千尋が箱を開けると、そこには四葉のクローバーの形をしたダイヤモンドのネックレスが入っていた。「これ、今一番人気のネックレスですよね?高かったんじゃないですか?」「値段なんて聞くな。俺は、お前の喜ぶ顔が見たくて、これを買ったんだ。」「有難うございます、大切にします。」「今つけてやろうか?」「いいんですか?」「いいに決まっているだろうが。」歳三はそう言って千尋に微笑むと、ネックレスを彼の首につけた。「良く似合っているぜ。」「美砂ちゃんは元気にしていますか?」「ああ。ベビーシッターに任せきりだが、元気に育っているよ。」「そうですか。」「なぁ千尋、お前は進路のことをどう考えているんだ?」「まだ、考えていません。」「まだ1年だから、しょうがないよな。まぁ、自分のことを決められるのは、自分だけだ。焦らずにじっくりと将来の事を考えろよ。」「わかりました。」 夕食の後、歳三は千尋を自宅まで送り届けた後、帰宅した。「遅かったな。今までどこに行っていた?」「あんたには関係ねぇだろう。」「お前に、縁談を持ってきた。」「俺は再婚はしねぇ。」「一度目の結婚が散々なものだったからといって、二度目も失敗するとは限らんだろう?」「別に俺は一生独身でいいと思っているぜ。あんたの世間体なんてクソ食らえだ。」「ふん、いつまでわたしに向かってそんな口が聞けると思っているんだ?」父と息子との間に険悪な空気が流れている時、リビングルームに駿弥が入ってきた。「お義父さん、只今戻りました。」「駿弥君、お帰り。」「お義父さん、歳三君に再婚を勧めても無駄ですよ。」にほんブログ村
2014年08月09日
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あれは、歳三が22歳の時、彼は大学を卒業したその日の夜に、歳信と激しい口論をした。「歳三、わたしはお前が教職に就くことには反対だ。」「長男の俺には、あんたの跡を継いで国会議員になれと?」「そうだ。」「悪いが、あんたの跡を継ぐ気はねぇ。」「そうか。ならば、この家から出て行け。」「わかったよ。」売り言葉に買い言葉で、歳三は歳信と口論した次の日に、実家を出た。それ以来、実家とは音信不通だった。 琴子と結婚した時も、歳三は適当な言い訳を作って彼女と実家に結婚の挨拶には行かなかった。「おはようございます、歳三様。」「おはよう。」 翌朝、歳三がダイニングルームで朝食を取っていると、そこには信子と彼女の夫である駿弥がトーストを齧っていた。「歳三君、久しぶりだね。最後にこの家で会ったのは、君が高校生の時以来かな?」「お久しぶりです、義兄さん。今日もお仕事ですか?」「ああ。これから京都に行かないといけないからね。選挙が近いから・・」「お役に立てずに、すいません。」「君が謝ることはないよ。それよりも歳三君が結婚していたなんて知らなかったな。」「子供が出来た後結婚したし、この家とは絶縁状態だったので、挨拶に行きませんでした。」「そうか・・済まないね、余計な事を聞いてしまって。」「いいえ。」「それじゃぁ、僕はこれで失礼するよ。」「お気をつけて。」リビングから出て行く駿弥を見送った歳三は、コーヒーを一口飲んだ。「歳三様、行ってらっしゃいませ。」家政婦の宮田さんに見送られ、歳三は実家を出て職場へと向かった。「近藤さん、今回の事で色々と迷惑を掛けてすまねぇな。」「そんなことを気にするな。」「ああ・・」職員室で近藤と話していた歳三は、如月の姿がないことに気づいた。「近藤さん、如月先生は?」「ああ、彼女なら異動したよ。何でも、うちの経営方針と自分の考えは合わなかったから辞めますとこの前俺に辞表を出したんだ。」「そうか。」「それよりもトシ、千尋君が無事でよかったな。」「ああ。」歳三が数学準備室でコーヒーを飲んでいると、千尋が部屋に入ってきた。「土方先生、今お話ししても宜しいですか?」「千尋、どうした?」「さっき、真紀からこんなメールが届いたんです。」「お前の兄さんから?」「ええ・・」千尋はそう言うと、真紀から届いたメールを歳三に見せた。『明日夜7時に、横浜グランドホテルで待っています 真紀』「兄さんには電話してみたのか?」「ええ。メールを送ったことを聞いたら、確かに送ったって言っていました。」「そうか。俺も行く。」「有難うございます。」「千尋、今日は部活には出るのか?」「はい。」「ちょっとお前と行きたいところがあるんだが、付き合ってくれねぇか?」「わかりました。」にほんブログ村
2014年08月09日
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「お前は、實小路さんから何もされなかったか?」「ええ。實小路さんは、交通事故で死んだ娘さんの代わりを僕に演じて欲しかっただけだったようです。それに、僕は真紀と間違えられて拉致されました。」「そうか・・」「土方先生、一ヶ月もみんなに迷惑を掛けてしまってごめんなさい。」「いいんだ、お前が無事に帰って来たんだから、お前は何も気にするな。」 歳三が運転する車で一か月ぶりに帰宅した千尋がリビングに入ると、育子が涙を流しながら彼を抱き締めた。「千尋、無事でよかったわ!」「母さん、ただいま。」「疲れたでしょう?お風呂沸いたから入りなさい。」「わかった。」 自宅の湯船に入りながら、千尋はゆっくりと目を閉じて溜息を吐いた。「土方先生、千尋が真紀君と間違われて拉致されたって、本当ですか?」「ええ。誘拐犯は、真紀君を拉致してオリンピック出場を断念させようとしたみたいです。」「犯人に心当たりはあるんですか?」「ええ。俺にパーティーの招待状を送って来た實小路光忠です。實小路家と宮下家は敵同士ですから、真紀君を拉致して宮下家を困らせようと實小路は企んでいたのかもしれませんね。」「そうね。」「じゃぁ俺はこれで失礼します。」「土方先生、お気をつけて。」 荻野家を出た歳三が実家に帰宅すると、渋面を浮かべた歳信がソファに座って酒を飲んでいた。「只今帰りました。」「歳三、實小路さんから先ほど苦情の電話があったぞ。」「苦情の電話・・ですか?」「ああ。お前が實小路さんの娘を拉致したとな。」「俺は拉致などしていません。それに、千尋を誘拐したのは實小路が・・」「黙れ。歳三、先方は娘を返さないつもりなら法的手段に訴えると言ってきた。裁判沙汰にでもなったら、土方家の名誉に傷がつく。」「俺にどうしろと言うのですか?」「娘さんを實小路さんに返せ。」「それは出来ません。」「お前はわたしの言うことを聞かんな。あの時と同じだ。」歳信はそう言って歳三を睨むと、ソファから立ち上がってリビングから出て行った。「また父さんと喧嘩したの、トシ?」「喧嘩じゃねぇ。姉さん、實小路家から苦情の電話がうちに来たって本当か?」「ええ。ねぇトシ、今回起きたこと、ちゃんとあたしに解るように説明して頂戴。」「わかった・・」歳三はそう言って溜息を吐くと、スコッチを一口飲んで姉に今回千尋が巻き込まれた誘拐事件のことを話した。「そう。千尋君は真紀君と間違われて拉致された挙句、實小路さんに監禁されていたなんて、大変な目に遭ったのね。それなのにどうして、實小路さんはあんたに千尋君を自分の元に返せなんて言ったのかしら?」「さぁな・・姉貴、この話はあの人にちゃんと伝えておいてくれ。」「わかった。ねぇトシ、あんた父さんといい加減仲直りしたら?」「あの人と一生分かり合えることなんざ、出来ねぇよ。あの人と俺は違う人間だ。そんなこと、姉貴だって解っているだろう?」「そうだけど・・」「お休み。」 リビングを出て自分の部屋に入った歳三は、そのままベッドに横になった。“いい加減、父さんと仲直りしたら?”(ガキみてぇに、簡単に仲直りなんざできるかよ・・)歳三は目を閉じて、歳信と口論した日の夜の事を思い出していた。にほんブログ村
2014年08月08日
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歳三は会場を見渡しながら、ここだけが時間が明治時代から止まっているような感覚に陥った。「おや、土方さん。来てくださったのですね。」「ああ、實小路さん、本日はお招きいただいて有難うございます。」「いいえ。それよりもあなたの会社は年々急成長しておりますな。」實小路光忠はそう言いながら、歳三を見た。「わたしは会社の経営に携わっていないので、詳しいことはわかりません。」「確か、土方さんは学校の先生をなさっておられるとか。」「ええ。父から教師になることを反対していましたが、父の反対を押し切って教師になってから、実家とは絶縁しております。」「そうですか。色々と大変だったのですね。」「それに、妻との離婚で色々と実家で揉めましたし・・」「土方さんは良い男ですから、必ず運命の人にまた出会えますよ。」光忠はそう言って歳三に微笑むと、他の招待客のところへ向かった。(つまらねぇから、もう出ようかな・・)歳三がそんなことを思いながらシャンパンを飲んでいると、会場に一人の少女が入ってきた。彼女は瑠璃色の美しいドレスを纏い、首には美しい真珠のネックレスをつけていた。その少女は、千尋に瓜二つの顔をしていた。「漸く来たんだね。やっぱり、そのドレスが一番似合っているよ、千尋。」「實小路さん、その子は?」「この子はわたしの娘で、千尋というのですよ。千尋、土方さんにご挨拶なさい。」「初めまして。」千尋はそう言って歳三に挨拶すると、彼の手に何かを握らせた。「この子は身体が弱くてね、今まで伊勢にあるわたしの別荘で療養していたのですよ。」「そうですか。千尋、他のお客様にご挨拶を。」「はい、お父様。」光忠と千尋が会場の隅に行ったのを確認した歳三は、彼から渡されたメモを開いた。“夜8時半に、ホテルの屋上で待っています 千尋” パーティーが終わったのは、夜の8時過ぎだった。「千尋、わたしは千草と少し出かけて来るから、部屋で大人しくしているんだよ。」「わかりました、お父様。」光忠と千草が部屋から出て行くのを確認した千尋は、バッグの中からスマートフォンを取り出し、歳三にメールを打った。『今すぐ屋上に行きます。』千尋はドレスから普段着に着替えた後、そのまま部屋から出てエレベーターで屋上へと向かった。 同じ頃、歳三はホテルの屋上で千尋が来るのを待っていた。「土方先生!」「千尋、無事だったのか!」千尋は息を切らしながら、歳三の胸に飛び込んだ。「僕、實小路さんの別荘に今まで監禁されて・・一ヶ月の間、スマートフォンを取り上げられて、連絡が出来なくて・・」「お前が無事でよかった。家まで送る。」「はい・・」「千尋・・わたしから逃げたのか・・」部屋に千尋の姿がないことに気づいた光忠は、そう言うと手に持っていたキャンディーを握り潰した。にほんブログ村
2014年08月08日
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「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」「何だい?」「さっき、千草さんは僕の事を、“お嬢様”と呼びましたが・・」「わたしと居る間、君にはわたしの娘として振舞って貰おう。」「そんな・・」「大人しくしていれば、君をご両親のもとに帰してあげるよ。」光忠はそう言うと、千尋に微笑んだ。「旦那様、失礼いたします。」「おう、やっと来たか。」 夕食の後、千尋は浴室で湯船に浸かりながらこれから自分がどうなってしまうのかが不安で堪らなかった。「千尋お嬢様、失礼いたします。」「千草さん、實小路さんには娘さんがいらっしゃったんですか?」「ええ・・ですがお嬢様は、3年前に交通事故でお亡くなりになりました。お嬢様が生きていらっしゃれば、千尋様と同じ年でした。」「そうですか・・」「千尋様、わたし達はあなたに危害を加える気はありません。事故でお亡くなりになったお嬢様の代わりに、旦那様の心を慰めて欲しいのです。」「そうすれば、僕を家に・・両親のもとに帰していただけるんですね?」「はい。」「わかりました。」「これから、宜しくお願いいたします、千尋お嬢様。」「こちらこそ宜しくお願いします、千草さん。」 千尋が何者かに拉致されてから一ヶ月が経った。「土方先生・・」「お母さん、警察の方から連絡は?」「いいえ。ごめんなさいね土方先生には迷惑をおかけしてばかりで・・」「謝らないでください。」荻野家を訪ねた歳三は、そう言うとソファに座っている育子の手を握った。「千尋は必ず見つかりますよ。きっと、俺達の前に帰ってきます。」「そうね・・」 帰宅した歳三が実家のリビングに入ると、そこには仕事人間で滅多に家には帰って来ない父・歳信が不機嫌そうな表情を浮かべながらソファに座っていた。「父さん、帰っていたんですか。珍しいですね、あなたがこんなところに居るなんて。」「自分の家に居ちゃ悪いか?」「いいえ。」「歳三、さっきお前宛にこんなものが届いた。」「はぁ・・」歳信から實小路家の蜜蝋が捺された招待状を受け取った歳三は、ペーパーナイフでその封を切った。『土方歳三様、今宵8時に横浜グランドホテルにて舞踏会を開催いたしますので、是非ご出席お願いいたします。』「實小路家といえば、戦後の華族制度廃止の憂き目に遭った旧華族の資産家でしたね。そんな方が、俺に何の用でしょう?」「それはわたしにもわからん。まぁ、舞踏会にはわたしの名代として出席してくれ。」「わかりました。」 その日の夜、歳三は横浜グランドホテルで開かれている實小路家の舞踏会に出席した。 舞踏会場になっている宴会場の扉を開くと、そこには鹿鳴館時代のドレスと燕尾服を着た男女がワルツを踊っていた。にほんブログ村
2014年08月07日
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「どうぞお嬢様、こちらです。」 燕尾服姿の青年―千草に案内され、千尋はダイニングルームに入った。「千草、晩餐の準備を。」「かしこまりました、旦那様。」千草はそう言って小太りの男に頭を下げると、ダイニングルームから出て行った。「あなた、誰なのですか?それに、ここは何処なのですか?」「お前は、いきなりここに連れてこられてきて混乱しているだろうね。」男は千尋に優しく微笑むと、椅子から立ち上がって彼の手を握った。「ここは伊勢にあるわたしの別荘で、わたしは實小路光忠(さねこうじみつただ)だ。」「實小路って、あの實小路グループの創業者一族の・・」「話が早くて助かるよ。」男―實小路光忠は、そう言うと自分の席に戻った。「君の事を千草に少し調べて貰ったよ。君の双子のお兄さんは、宮下財閥の御曹司なんだってね?」「ええ。それが、どうかしたんですか?」「うちと宮下家は、長い間いがみ合ってきた敵同士でね。人を雇って、君のお兄さんをここまで拉致するよう命じたのはわたしだ。」「どうして、そんなことを?」「君のお兄さんを拉致して、オリンピック出場を諦めさせようと企んでいた。しかしわたしが雇った連中は、間違って君のお兄さんではなく君を拉致してしまった。」 光忠は、そう言うと千尋を見た。「君たちが双子の兄弟であったことを、すっかり忘れてしまったよ。まぁ、弟の君でもわたし達の役に立てるのなら、わたしの望みが叶うまでここに居て貰うよ。」 千尋に向けた光忠の笑顔は穏やかなものだったが、その瞳の奥には冷たい光が宿っていた。 一方、東京の荻野家のリビングには、数人の刑事とともに歳三達が千尋を拉致した犯人からの電話を待っていた。「犯人から電話は?」「ありません。」「一体犯人がどんな目的で千尋さんを拉致したのかはわかりませんが、犯人たちが乗っていた車のナンバーを照合したら、犯人たちの身元が判りました。」「犯人たちには会えますか?」「それは出来ません。今署で彼らを取り調べている最中ですので。」「そうですか。」育子は刑事の言葉に落胆すると、茶を淹れにキッチンへと向かった。「お母さん、俺も手伝います。」「ありがとう、土方先生。」「今は千尋が無事に帰ってくることだけを考えましょう。」「ええ。」「お茶は俺が運びます。」「わかりました。」歳三が育子から紅茶が入った盆を受け取りリビングに入ろうとすると、扉越しに刑事達が何かを話していた。「先ほど連絡が入ったのですが、どうやら犯人たちは千尋君ではなく、彼の双子の兄の、宮下真紀を拉致するよう命じられたそうです。」「そうか・・それで、犯人たちに宮下真紀の拉致を命じた人物はわかったのか?」「それは、まだ調査中です。」「警察の威信にかけて、何としてでも千尋君をご両親のもとに帰すぞ、いいな!」「はい!」にほんブログ村
2014年08月07日
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歳三がリビングでテレビを観ながらこたつの前に座っていると、こたつの上に置いていたスマートフォンが振動した。「もしもし、土方ですが・・」『土方先生?わたくし、千尋の母の、育子と申します。あの、うちの子がそちらに来ていませんでしたか?』「いいえ。どうされたんですか?」『実は・・千尋が塾から帰って来ていないんです。心配して塾に連絡したら、事務員さんがあの子は20分前に塾から出て行ったって・・』「そうですか。警察には連絡しましたか?」『はい。』「お母さん、俺も千尋君を探します。」歳三はテレビを消すと、部屋着の上にダウンジャケットを羽織ってそのまま部屋から出て行った。千尋が誰かにさらわれたのかもしれない―そんなことを思いながら、歳三は車のエンジンをかけ、荻野家へと向かった。「なぁ、こんなことして俺達捕まったらどうするんだ?」「そんなこと、今は考えている暇はねぇ。この餓鬼を雇い主の別荘まで送り届けたら、俺達の仕事は終わりだ。」車を運転していた男は、そう言うと後部座席に居る仲間の男達を睨んだ。彼らは互いに面識がなく、インターネットの闇サイトで知り合った。『高報酬のアルバイトがある』という広告に惹かれた彼らは、互いの本名も知らずに、塾帰りの千尋を拉致し、車で伊勢志摩へと向かっていた。「なぁ、こいつ大丈夫か?さっきから静かなんだが・・」「クロロホルムを嗅がせたから、暫く寝ているさ。それにしても、夜中に伊勢志摩まで休憩なしのドライブはきついな・・」運転席の男は、そう言うと欠伸をしながら眠い目を擦った。「お母さん、千尋から連絡は?」「ないわ。一体あの子、何処に行ってしまったのかしら?」荻野家のリビングで、育子はテレビの前で右往左往しながら千尋から連絡が来るのを待っていた。「このことは、ご主人には・・」「言ったわ。でもあの人、今仕事で名古屋に出張中なのよ。わたし、千尋の身に何かあったら生きていけないわ。」「落ち着いてください、お母さん。千尋は必ず無事に帰ってきますよ。」「そうね・・」歳三が育子を励ましていると、玄関のチャイムが鳴った。『警察の者ですが・・』 遠くで波音が聞こえ、窓の隙間から潮風が入ってきた。「う・・」千尋は低く呻いた後目を開けると、自分が見知らぬ部屋のベッドに寝かされていることに気づいた。(ここは、何処だろう?)レース付の天蓋に覆われたベッドの周りには、沢山の縫いぐるみが置いてあった。ベッドから起き上がろうとした千尋は、自分が女物のドレスを着ていることに気づいた。「やっとお目覚めになられましたか。」涼やかな声が頭上から響き、千尋が俯いていた顔を上げると、ドアの近くには漆黒の燕尾服を着た長身の青年が立っていた。「あなたは誰?」「お嬢様、ダイニングルームで旦那様がお待ちですよ。」「え・・」状況が把握できないまま、千尋は青年とともに部屋を出た。「ここは何処なのですか?」「ここは、お嬢様と旦那様の家ですよ。」「あなたは誰?」「この屋敷の執事を務めております、千草(ちぐさ)と申します。」にほんブログ村
2014年08月06日
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「じゃぁな千尋、また明日!」「平助、バイバイ。」 放課後、校門の前で平助と別れた千尋は、その足で歳三が住むマンションへと向かった。「土方先生、今お忙しいのに連絡もせずに伺ってしまってすいません。」「別に構わねぇよ。学校ではどうだった?」「マスコミが校門の前に張り付いていました。暫く自宅で謹慎されると聞いたんですけれど、これからどうなさるつもりなのですか?」「ここを引き払って、実家に帰ろうと思っているんだ。」「そうですか。学校の方はどうなさるんですか?」「辞めるつもりはねぇよ。それよりも千尋、お前の方は大丈夫か?」「ええ。美砂ちゃんは?」「美砂は実家の姉貴に預けている。千尋、塾まで時間があるんなら、引っ越しの準備、手伝ってくれねぇか?」「わかりました。」 千尋は歳三とともに引っ越しの準備に取り掛かった。「荷物、少ないんですね?」「まぁな。琴子の荷物はあいつの両親が引き取っていったし、美砂の物は姉貴が実家まで取りに来たから、段ボール箱に詰めるのは俺の私物だけだ。」「そうですか。あれ、これは?」テレビの横に置いてある本棚の中からアルバムを一冊抜き出した千尋は、その中に入れてある写真を見た。 その写真には、7歳くらいの振り袖姿の少女が映っていた。「この子、誰なんですか?」「こいつは・・俺だ。」「え?」「今は何ともないが、ガキの頃俺は身体が弱くてな。家にいるよりも病院に居る時間の方が長かったんだ。俺の身体を心配した親戚がインキチ霊能者に俺を霊視させたとき、そいつは俺に狐の霊が憑いているから、成人するまで女の恰好をさせろと親戚に抜かして、俺は中学に入るまで女装を強いられたんだ。」「それは、災難でしたね。」「ああ。今となっては笑い話だが、当時の俺にとっては大問題だった。」「可愛らしいじゃないですか、この時の土方先生。」「お前ぇにそんなことを言われたかねぇよ。」歳三はそう言うと、千尋の手から写真を取り上げた。引っ越しの準備は、数分で終わった。「それじゃあ、僕はこれで失礼いたします。」「引っ越しが終わったら、メールする。」「わかりました、さようなら。」 千尋がマンションから出ると、彼の前に一人の男が駆け寄って来た。「ねえ君、さっきあのマンションから出て来たでしょう?」「あなた、誰ですか?」千尋がそう言って男を睨むと、彼は馴れ馴れしく千尋の肩に手を置いた。「君、確か荻野千尋君っていったよね?土方歳三先生とは、どういう関係なのかなぁ?」「それ以上僕につきまとうと、警察呼びますよ!」「綺麗な顔をして、怖いねぇ~」男はそっと千尋の肩から手を放すと、そのまま彼に背を向けて何処かへと立ち去ってしまった。「こんばんは。」「荻野君、今すぐお家に帰りなさい。」「何かあったんですか?」 千尋が進学塾の受付でそう言って事務員に尋ねると、彼女は数分前、この塾を爆破するという爆破予告メールが届いたことを千尋に教えた。「たぶんメールを送って来たのは愉快犯の仕業だろうけれど、塾長はあなた達の身の安全を確保するために、今日の授業を中止することに決めたのよ。」「わかりました。」 数分後、進学塾から出た千尋が自宅に向かっていると、一台の黒いバンが彼の前に急停車すると、車の後部ドアが開いて、あっという間に千尋は車の中に引きずり込まれた。にほんブログ村
2014年08月06日
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「土方先生、一体どういうことなんですか?」「俺が琴子に離婚を切り出したのは、あいつが実家から帰って来てからすぐのことだ。もうあいつと暮らすのが限界だったんだ。」「でも、奥さんは土方先生と離婚したくなかった・・だから、美砂ちゃんを人質に取って、先生の帰りを待っていたんですね。」「ああ。俺の家庭の問題なのに、お前を巻き込んでしまってすまない。」「謝らないでください、土方先生。美砂ちゃんを病院に連れて行ってよかったです。あと少し遅ければ死ぬところでした。」「そんなに、美砂の状態は酷いのか?」「ええ。お医者様によると、極度の栄養失調で、食事も満足に与えられていないと・・」「俺の所為だ。俺がもっと早く琴子と別れていれば、こんなことには・・」歳三がそう言って唇を噛み締めると、そこへ美砂を保護した警官とマンションの管理人がやって来た。「じゃぁ、僕はこれで失礼します。」千尋はそう言って歳三に向かって頭を下げると、そのまま病院を後にした。 翌朝、千尋がリビングで朝食のトーストを齧っていると、テレビのニュースで琴子が児童虐待の容疑で逮捕されたことを知った。『警察の調べによりますと、琴子容疑者は娘の美砂ちゃんに母乳を与えず、奥の部屋に閉じ込めていたと・・』「この人、土方先生の奥さんでしょう?我が子に対して何でこんなひどいことをするのかしら?」育子はそう言うと、リモコンでテレビのスイッチを切った。「母さん、行ってきます。」「行ってらっしゃい。」 自転車で千尋が学校に向かうと、校門の前に大勢の報道陣が誰かを待っていた。「ねぇ、あなたここの学校の生徒さん?」記者の一人が千尋の姿に気付き、彼にマイクを向けた。千尋が記者を無視して学校の中に入ると、警備員がすかさず校門を閉めた。「千尋、さっきマスコミに取り囲まれていただろう?大丈夫だったか?」「うん。平助は?」「俺はちょっと早い時間に登校したからマスコミに絡まれずに済んだけど、土方先生の奥さんが起こした事件の所為で、職員室の電話が鳴りやまなくて仕事にならないって、先生たちがぼやいていたよ。」「そう・・」朝のHRの時間になり、教室に入ってきたのは新任の男性教師だった。「土方先生は、どうしたんですか?」「土方先生は暫くの間、自宅で謹慎することになりました。」「事件の所為ですか?」「それは生徒集会でお話します。なおこの時間は自習としますから、時間内に課題のプリントを解いておくように。」男性教師は課題のプリントを生徒達に配ると、そそくさと教室から出て行った。「土方先生が自宅謹慎って、どういうことだよ?」「だってさぁ、奥さんがあんな事件起こしておいて、平気で学校に顔を出せるわけがないじゃん?」「それもそうだけどさぁ・・子供は助かったんだし、土方先生は何も悪くないじゃん。」 千尋達は、課題のプリントをこなしながら歳三の身を案じた。 一方歳三は、自宅マンションの部屋で散らかったリビングの片づけをしていた。ごみ袋を両手に抱えながら、歳三がエレベーターに乗り込むと、丁度同じ階の住人と乗り合わせた。「おはようございます。」「おはようございます。」その住人は歳三の挨拶に対して普通に返してくれたが、彼と目を合わさなかった。歳三がごみを捨てている間、エントランスの近くで立ち話をしている数人の主婦たちがちらちらと歳三に向かって時折嫌な視線を投げかけていた。にほんブログ村
2014年08月01日
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「母さん、ちょっと出かけて来るね。」「何処に行くの?」「すぐに帰ってくるから!」琴子から電話を受けた千尋は、再びリュックを背負って自転車に跨ると、自宅を出て歳三が住むマンションへと向かった。 千尋がマンションの駐輪場に自転車を停めると、マンションのエントランスの前に立ち、歳三たちが住む部屋番号を押してロックを解除した。「随分早かったわね。」「あの、土方先生はどちらに?」「主人なら奥で休んでいるわ。早く上がって頂戴。」「はい・・」 琴子に部屋に招き入れられた千尋は、リビングが足の踏み場がないほど散らかっていることに気づいた。「奥さん、本当に先生は奥の部屋でお休みになっておられるのですか?」「そんなの、嘘に決まっているじゃないの。」琴子はそう言うと、千尋を睨みつけた。「あの電話ですが、あれは一体どういう意味ですか?」「あんたの所為で、主人はここから出て行ったわ。お前とはもうやっていけないって、美砂の親権は俺がもつって言って・・」「今、先生は何処に居られるのですか?」「あんた、主人が何処に居るのか知っているんでしょう?」「そんなこと、知りません・・」「嘘つかないで!」琴子は血走った目で再度千尋を睨むと、キッチンから包丁をとるとその切っ先を千尋に向けた。「奥さん・・」「あの人の居場所を教えなさいよ!」琴子がそう叫んだ時、奥の部屋で赤ん坊の泣き声が聞こえた。「美砂ちゃん、泣いていますよ?」「うるさい、そんなことあんたに言われなくてもわかってる!」琴子は包丁をキッチンの流しに置くと、美砂が寝ている部屋に入った。彼女が部屋の襖を開けると、排泄物と吐瀉物が混ざり合ったような凄まじい悪臭がリビングに漂ってきた。 千尋が美砂の部屋に入ると、布団の上に寝かされている美砂のおむつは、排泄物でパンパンに膨らみ、彼女が着ている寝間着は垢で汚れていた。「酷い、どうしてこんなことを・・」「あたしにだってあたしの人生があるの!この子になんて構っていられないわよ!」「あなたは、美砂ちゃんの母親でしょう?どうしてこんなひどいことができるんです?」「うるさい、あんたに何がわかるのよ!」琴子がそう言って千尋に向かって拳を振り上げようとしたとき、玄関のドアを誰かが叩く音がした。「土方さん、いらっしゃるの?」「助けてください、子供が死にそうなんです!」 マンションの管理人が部屋に入ると、奥の部屋には育児放棄され、排泄物と吐瀉物に塗れた美砂の姿と、ヒステリックに泣きわめく琴子の姿があった。「あなたは、どなたなの?」「土方さんの教え子です。美砂ちゃんを早く病院に連れて行ってあげてください。」「わかったわ。」 夜明け前、歳三は警察から美砂が入院したという連絡を受け、彼女が入院している病院へと向かった。「土方先生・・」「千尋、お前どうしてここに居るんだ?」「奥さんに、マンションの部屋まで呼び出されたんです。そしたら、美砂ちゃんが奥の部屋で・・」「琴子に呼び出された?」「ええ。奥さんは、僕の所為で自分の家庭が滅茶苦茶になったって、僕を責めて・・」にほんブログ村
2014年08月01日
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「おい、ちょっといいか?」 塾の帰りに千尋が駅前のコンビニで雑誌を立ち読みしていると、そこへあの男がやって来て千尋に話しかけてきた。「あなた、義母さんの別れた旦那さんなんですってね?」「俺の正体を知っているのなら、話が早いな。」男はそう言うと、千尋の手を掴んでコンビニから出て行った。「僕を何処に連れて行くつもりですか?」「つけばわかるよ。」 男が千尋を連れてきたのは、ショッピングモールのフードコートだった。閉店時間が近いので、客は千尋達のほかには誰も居なかった。「僕にお話ししたいこととは、何ですか?」「俺と育子がどうして別れたのか、お前は知っているのか?」「ええ。子供が出来なかったから、別れたって聞きました。」「あいつと俺がまだ夫婦だった頃、結婚してなかなか子供が出来なくてな、お袋があいつの身体に何か欠陥があるんじゃないのかって、一度産婦人科で不妊検査を夫婦で受けてみたんだ。そしたら、身体に欠陥があるのはあいつではなく、俺の方だった。」男の話を千尋は黙って聞きながら、彼の顔を見た。「男性不妊症って知っているか?」「いいえ。」「簡単に言うと、俺は子種がないんだと。」「無精子症というものですか?」「ああ。検査の結果はちゃんと俺がお袋に話した。そしたらお袋はそんなものは嘘に違いない、あの女がわたしを陥れようとしているだけだって言って・・何が何でもお袋は、子供が出来ない責任を育子に押し付けようとしていたんだ。」「それで、あなたはどうされたんですか?」「育子は俺に愛想をつかして別れた。風の噂であいつが再婚したって聞いて、あいつに会おうとしたんだ。そしたら、坊主があいつの養子だってことを偶然知ったんだ。」「あなた、お名前は?」「五十嵐だ。」「五十嵐さん、義母にとってあなたは既に過去の存在です。今更あなたが義母に会っても、義母は歓迎するどころか、あなたと結婚していた頃の苦い記憶を思い出して不快になるだけです。お願いですから、二度と僕たちの前に現れないでください。」千尋の言葉を聞いた男―五十嵐は、溜息を吐いた後千尋を見た。「そうだよな。あいつにとって俺との結婚生活は悪夢そのものだったわけだ。今更あいつに会っても、仕方がねぇよな。」五十嵐はさっと椅子から立ち上がると、ポケットから財布を取り出し、千尋の前に一万円札を置いた。「これで何か美味い物でも食え。」「困ります、そんなことをされても・・」「じゃぁな、坊主。」五十嵐はそう言って千尋に背を向けると、フードコートから去っていった。「ただいま。」「遅かったわね、ちーちゃん。ご飯は?」「外で食べてきた。」「そう。お風呂沸かしたから、入りなさいね。」「わかった。」 湯船に浸かりながら、千尋はフードコートで会った時、五十嵐が何処か寂しそうな顔をしていたことを思い出した。「ちーちゃん、土方先生から電話よ。」「土方先生から?」「ええ。何でもあなたと話したいことがあるって・・」育子から電話の子機を受け取った千尋は、歳三が黙っていることに気づいた。「土方先生、千尋です。話したいことって何ですか?」『あんたの所為で、あたしの家庭は滅茶苦茶よ!』通話口越しに聞こえてきたのは歳三の声ではなく、ヒステリックな琴子の声だった。「土方先生は一緒に居られるのでしょうか?」『そんなこと、あんたには関係ないでしょう!今すぐうちに来て!』にほんブログ村
2014年07月30日
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「千尋ちゃん、どうかしたの?」「さっき、門の外から僕の事を見ていた男が・・」「そう。」希はそう言うと、突然千尋の手を掴んで中庭から外へと出て行った。「ちょっと、そこのあなた!」希に呼び止められ、千尋を見つめていた男はゆっくりと彼女の方に振り向いた。男の右の頬には、傷があった。「あなた、千尋ちゃんにつきまとっているんですってね?」「お前には関係ねぇだろう、引っ込んでいろよ。」「そうはいかないわ。」希はそう言って男を睨むと、男は一瞬怯んだ後、舌打ちしてそのまま何処かへ行ってしまった。「希さん、有難うございました。」「千尋ちゃん、これから困ったことがあったらわたしに何でも言って。これ、わたしのスマホの番号とメールアドレスね。」 千尋と希が近藤家の中庭に戻ると、勇と談笑していた歳三が二人の元へ駆け寄って来た。「二人とも、何処に行っていたんだ?」「千尋ちゃんにつきまとうストーカーに、ガツンとわたしが言ってやったのよ。」「希、本当にお前は全く変わってねぇな、そういうところ。」歳三はそう言うと、溜息を吐いた。「ねぇトシ兄、まだあの人とは続いているの?」「ああ。琴子は今実家に帰っている。美砂は今日、実家に預けてきた。」「そう。あの人とは結婚式の時に会ったけれど、何だかつんけんしていて嫌だなぁって思ったのよね。トシ兄はどうしてあんな人を選んじゃったんだろうって、思ったわ。」「希も近藤さんも、琴子に対して厳しいな。」「だって、あの人たちわたしや勇兄がトシ兄と話している時、不機嫌そうな顔をしてわたし達の方を睨んでいたんだもの。妙に嫉妬深いっていうか、自己中心的っていうか・・実家では、お姫様みたいに向こうのご両親から可愛がられてきたんでしょうね、きっと。」「まあな。」「いくらトシ兄が家事や育児を手伝ってくれるからって、こんなに家を空けるなんておかしいと思わない?熱が出ている子供を放ったらかしにして、同窓会に出席するなんて、普通母親がすることじゃないと思うわ。」「まぁ、あの子は母親の自覚を持たないまま子供を産んだんだから、仕方がないんじゃないのかねぇ。」いつの間にか歳三と希の近くに来ていた近藤の養母は、そう言うと二人にアイスクリームのカップを手渡した。「トシ、琴子がこのまま実家から帰って来ないのなら、あの子とどうするのかを考えな。」「それは、琴子と別れることを考えろってことか?」「察しがいいね。あたしゃぁあんたら夫婦の事に口を挟むつもりはないがね、希がいう事には一理あると思うね。」 バーベーキューパーティーが終わり、近藤家を後にした歳三は、千尋を自宅で車まで送った。「土方先生、今日は誘ってくださって有難うございました。」「ああ。千尋、家の前だからって油断するんじゃねぇぞ。」「わかりました。それじゃぁ、おやすみなさい。」歳三の車から降りた千尋が家の中に入ると、リビングの方から養父母が話す声がした。「まだあの男はお前のことを諦めていないのか?」「ええ。わたしにとってはもう縁が切れた人だっていうのに、いつわたしがここに住んでいることを知ったのかしら?」「警察に相談した方がいいんじゃないのか?殺人事件が起きたら遅いんだぞ!」「わかっているわよ、そんなこと!」 扉越しに二人が口論している声を聞いた千尋は、そのまま階段を上がって自分の部屋に入った。にほんブログ村
2014年07月29日
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