F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 8
天上の愛地上の恋 昼ドラ風時代パラレル二次創作小説:綾なして咲く華 2
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 0
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 0
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:最愛~僕を見つけて~ 1
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
腐滅の刃 平安風ファンタジーパラレル二次創作小説:鬼の花嫁~紅ノ絲~ 1
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 2
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 5
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 0
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 0
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・~ 1
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 2
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 5
黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
天愛×F&B 昼ドラ転生ハーレクインクロスオーパラレル二次創作小説:獅子と不死鳥 1
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 4
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 1
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 0
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 2
名探偵コナン×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 0
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今年の5月から連載を始めた「桜人」、漸く完結しました。書き始めた頃は、どうやって物語を進めようかと迷ったことが何度かありましたが、書き進めている内にどんどん構想が浮かんできて、ラストシーンまで一気に突っ走りました。千尋が死んでしまうシーンは、前から考えていました。彼の生涯について、もっと深く掘り下げたいなと思っていたのですが、あくまでもこの作品は歳三と千尋が主人公なので、千尋の過去については割愛しました。 新連載についてですが、次回作は千尋を主人公にした『翠の光』を明日から開始しようかと思っております。また性懲りもなく、更新停滞の無限ループに陥りそうな予感がいたしますが、今後も「JEWEL―小説館―」をどうぞ宜しくお願いいたします。2014.6.13 千菊丸にほんブログ村
2014年06月13日
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イラスト素材提供:White Board様 1905(明治38)年、甲府。「お義父様、お茶が入りましたよ。」「有難う、亜紀。」自宅の縁側で桜の木を眺めていた歳三は、亜紀にそう言って微笑んだ。「今年も、見事に咲きましたね。」「ああ。あれは、千尋と一緒に植えた桜なんだ。」「そうですか。お義母様も、きっと天国で桜の木を見ていらっしゃることでしょうね。」「そうだな・・それよりも亜紀、お前まだ旦那と喧嘩していやがるのか?」「ええ。あの人の方から折れるまで、わたしはここでお義父様と子供達と一緒に暮らします。」「ったく、気が強ぇのはさすが、九州の娘っ子だな。まぁ、俺の姉貴も、大層気が強ぇ女だったがな。」「お義父様、わたし買い物に行って参ります。」「気を付けて行って来いよ。」亜紀が子供達と買い物に出かけて行った後、歳三は茶を飲みながら桜の木を再び眺めていた。彼はそっと目を閉じると、目蓋の裏に楽しかったころの思い出が甦って来た。“歳三様”何処かで千尋の声がして、歳三は少しおかしくなってしまったのではないかと思い始めた。だが―“歳三様”再び千尋の声が聞こえ、歳三が目を開くと、桜の木の前に千尋が立っていた。「千尋・・本当に、お前なのか?」“ええ、あなたをお迎えに上がりました。”千尋はそう言って歳三に微笑むと、白魚のような手を彼に差しのべた。「お義父様、ただいま戻りました。」亜紀が買い物を終えて帰宅すると、家の中には誰も居なかった。「陸男、お祖父様は何処?」「祖父ちゃんなら、桜の木の下で寝ているよ。」「まぁ、そう。」 亜紀が桜の木へと向かうと、その幹に背を凭れながら、歳三が静かに眠っていた。「お義父様、起きてください。こんな所で寝ていては、風邪をひきますよ。」はじめ、亜紀は歳三が眠っているのだと思っていた。だが、彼の肩を亜紀が揺さ振ると、彼の身体は大きく傾き、力なく地面に倒れた。「お義父様、そんな・・」亜紀は歳三が死んでいることに気付き、子供達に医者を呼ぶよう命じた。「ご臨終ですね。」「先生、義父(ちち)は義母(はは)と植えた桜の木の下で眠るように死んでいたんです。」「そうですか・・きっと、歳三さんを千尋さんが迎えに来てくれたのでしょうね。」 1905年4月2日、元新選組副長・土方歳三は、古希でその生涯を終えた。 幕末の動乱期を息抜き、明治の世を妻・千尋とともに甲府に裁縫学校を設立し、女子教育に力を注いだ。二人の“子供”というべき甲府裁縫学校は、後に甲府女子大学へと名を変え、平成の世に至るまで数々の著名人を輩出した。 千尋と歳三が自宅の庭に植えた桜の木は、大学の構内に場所を移され、もうすぐ樹齢130年を迎えようとしている。~了~にほんブログ村
2014年06月13日
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イラスト素材提供:White Board様「奥様の身体はかなり衰弱しています。余命は長くても三ヶ月です。」「そんな・・」歳三は往診に来た医師から千尋の余命が三ヶ月であることを知らされ、狼狽した。「あなた、どうなさったのですか?」「千尋・・」「わたくし、この時を覚悟しておりました。」千尋はそう言うと、そっと歳三の手を握った。「千尋さん、死んだらいや!」「亜紀さん、泣いてはいけませんよ。」枕元で亜紀がそう言って泣きじゃくると、千尋はそっと亜紀の頭を撫でた。「あなた、亜紀さんのことを宜しくお願いいたしますね。」「わかった。」歳三の手を握り、千尋は彼に優しく微笑んだ。 数日後、千尋は歳三と亜紀に見守られながら、静かに息を引き取った。「千尋さんがこんなにも早くお亡くなりになるなんて、信じられなかったな・・」太田は千尋の通夜の席でそう呟くと、歳三を見た。「土方さん、これからどうするんだ?」「千尋の代わりに、学校を守りますよ。学校は、俺と千尋の子供のようなものですからね。」「そうか。」 千尋の訃報を受け、千尋の兄夫婦も葬儀に参列するために甲府へやって来た。「土方さん、千尋のことを最後まで大事にしてくださって有難う。」「義兄さん、俺は千尋が遺した学校を死ぬまで守っていきます。」「そうか。」千尋の四十九日の法要を終えた後、歳三は千尋の遺品を整理することにした。「お父様、これなぁに?」「ああ、これは俺が昔、千尋に贈った簪だ。」 木箱の蓋を開け、歳三は一本の簪を取り出した。それは、京で歳三が千尋に結婚の証として贈った鼈甲の簪だった。「この簪を、あいつは祝言の席で挿していた。」「お母様の花嫁姿、さぞかしきれいだったんだろうなぁ・・」「ああ。まるで天女が空から舞い降りてきたかのような美しさだった。亜紀、この簪はお前が持っておけ。」「いいの?」「お前は俺達の娘だ。母親の形見を娘が持って当然だろう。」歳三はそう言うと、鼈甲の簪を亜紀に握らせた。「お前が嫁に行くとき、この簪を挿せばいい。」「はい・・」 歳三は何度か周囲から再婚を勧められたが、そのたびに歳三は縁談を断った。「土方さん、どうして再婚しないんだ?」「俺が愛したのは、千尋ただ一人です。他の女など、愛せません。」「そうか。千尋さんが死んで、もう四年になるのか・・」「そうですね。俺はまだ、あいつがまだ家の中に居るんじゃないかって思うことがあるんですよ。」歳三はそう呟くと、太田家をあとにした。「お父様、お帰りなさい。」「ただいま。」「今日、お茶の先生に褒められました。」「そうか、それは良かったな。」四年前、筑豊から来た時は九歳だった亜紀はもう十三歳となり、少し大人びた雰囲気を漂わせていた。「その櫛、良く似合うな。」千尋の形見の櫛を髪に飾った亜紀は、歳三からそう褒められると頬を赤く染めた。にほんブログ村
2014年06月12日
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イラスト素材提供:White Board様「もう、お父っちゃんとは暮らしたくなか。」「亜紀さん、お父様と何かあったのね?わたくしにわかるように話して頂戴。」亜紀はしゃくりあげながら、千尋と離縁した後、博多の若い芸者を後妻として迎え、その後妻から虐められ、耐え切れずに筑豊から逃げてきたことを千尋に話した。「そんなに辛いことがあったのね。」「うち、千尋さんの娘になりたか。」「そう・・」泣きじゃくる亜紀の背を優しく撫でながら、千尋は一度大岩と話し合ってみようと思った。「大岩の娘が、わざわざ筑豊からお前に会いに来たのか・・」「ええ。大岩様は、わたくしと離縁なさった後若い芸者を後妻に迎えたそうですわ。その後妻に、亜紀さんは酷く虐められていたと・・」「酷い話だなぁ。でもなんだってその亜紀って子は、お前を頼って筑豊から甲府までやって来たんだ?お前が筑豊であの子と一緒に暮らしていた頃、あんまり仲が良くなかったんだろう?」「ええ。あなた、一度わたくし今回のことで大岩様とお話をしてみたいと思っております。」「そうした方がいい。俺もその話し合いの席に同席するよ。」「有難うございます。」 数日後、千尋と歳三はホテルで大岩と彼の若い後妻・キヌと会った。「大岩様、亜紀さんの事ですが、わたくし達は亜紀さんを土方家に養女として迎えたいと思っております。」「そうか。お前がそう言うのやったら、好きにしたらよか。」「あんた、この人が金で買った前の嫁さんね?」キヌはそう言うと、無遠慮な視線を千尋に送った。「キヌさんとおっしゃいましたね?あなた、亜紀さんを虐めていたようですけれど・・」「あの子はちっともうちに懐かんから、躾けてやっただけたい。それをあの子が大袈裟にあんたに吹聴しただけたい。」キヌは悪びれもなくそう言うと、椅子から立ち上がってレストランから出て行ってしまった。「それでは大岩様、御機嫌よう。」 七日後、千尋と歳三は亜紀を土方家の養女に迎えた。「亜紀さん、一度わたくし達の学校に見学にいらっしゃらないこと?」「学校?」「ええ。学校ではあなたと同じ年頃の女の子達がお裁縫やお茶を習ったりしているのよ。」 千尋に裁縫学校へと連れてこられた亜紀は、同じ年頃の少女達に囲まれながら裁縫の授業を受けた。「亜紀ちゃんはどこから来たずら?」「筑豊から来たと。」「筑豊って、どんな所ずら?おらに教えてくりょう。」千尋は同年代の少女達に囲まれながら彼女達と談笑する亜紀の姿を見て、思わず頬が弛んでしまった。「どうした?」「さっき、教室の前を通ったら、亜紀ちゃんが生徒達と仲良くお裁縫の授業を受けていました。」「亜紀って子、今まで同年代の子供達と遊ぶことがなかったんだな。」「ええ。亜紀さんは、筑豊の家で暮らすより、わたくし達と一緒に暮らした方がいいかもしれませんね。」 土方家の養女となった亜紀は、歳三と千尋が運営する裁縫学校に入学した。「亜紀さん、わたくし達はあなたにいっさい特別扱いはしませんからね。」「はい、わかりました・・」 亜紀はひたすら学校で勉学に励んだ。「ただいま帰りました。」「お帰りなさい、亜紀ちゃん。おやつを頂く前にちゃんと手を洗いなさいね。」「はい。」 外にある厠で手を洗った亜紀が家の中に戻ると、竈の前で千尋が胸を押さえて倒れていた。にほんブログ村
2014年06月12日
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イラスト素材提供:White Board様「わたくしは、本日を以(もっ)てあなたとは親子の縁を切らせていただきます。」「よくもこのわたくしに向かって生意気な口を利いて・・妾の子の癖に!」千尋の言葉に激昂した由美子は、ソファから立ち上がると彼の頬を打とうと腕を振り上げた。「俺の女房に手を出すんじゃねぇ。」歳三は由美子の腕を掴むと、彼女は憎悪に満ちた目で歳三を睨んだ。「あなた、わたくしにこのような事をしてもいいと思っているの!?」「俺はただ、女房を守っているだけだ。おい婆、いつまでも千尋があんたの言いなりになるとでも思っていたのか?」「離しなさい、この無礼者!」歳三は由美子の腕を離すと、彼女は彼の頬を平手で打った。「奥様、夫に何をなさいます!」「お黙り!まったく、あなたといい、この男といい・・似た者同士の夫婦ね!乱暴で、自分勝手で・・」「それはあなたのことでしょう、奥様。わたくしを歳三様と無理矢理離縁させ、大岩様にわたくしを嫁がせたのはどなたです?」「あなた、わたくしを・・」「もういいでしょう、母上。」「道貴・・」「千尋、この家と縁を切るというのなら、わたしはお前を止めない。今までわたし達は、お前に酷な扱いばかりしてきた。お前は土方さんと新しい人生を送るといい。」「兄様、有難うございます。」「道貴、あなたは千尋から縁を切られてもいいというの!?」「母上、あなたは母親を亡くした千尋を荻野の家に引き取ってから、千尋をまるで使用人のようにこき使っていたことを、もうお忘れですか?」道貴の言葉を聞いた由美子はバツの悪そうな顔をして俯いた。「兄様、わたくし達はこれで失礼いたします。」「土方さん、千尋のことを宜しく頼む。」「義兄さん、また来ます。」 荻野伯爵邸を後にした千尋と歳三は、新橋にある洋食屋で昼食を取った。「千尋、大丈夫か?」「ええ・・」「今日は東京に泊まるか?さっきあの婆とやり合ったから、お前の心臓に負担がかかったんじゃないか?」「そうですね。甲府へは、始発の汽車で帰ることにいたしましょう。」 その日の夜、千尋と歳三は赤坂にあるホテルで一泊した。「千尋、やっと二人きりになれたな。」「ええ。」千尋はそう言うと、歳三に抱きついた。「歳三様、わたくしを抱いてくださいませ。」「わかった。」歳三はそっと千尋をベッドの上に寝かせ、彼の帯を解き始めた。「千尋、もうお前を離しはしねぇ。」「わたくしもです、歳三様・・」 一年振りに千尋は歳三と愛を交わした。 翌朝、二人は始発の汽車で甲府へと帰った。「教頭先生、お客様がお見えです。」「わたくしに、お客様ですか?」「ええ。何でも、筑豊からいらした大岩亜紀さまという方です。」「そう・・応接室にお通しして。」「わかりました。」 数分後、千尋が応接室に入ると、ソファに座っていた亜紀が立ち上がって彼に抱きついてきた。「亜紀さん、どうしてわたくしがここに居るとわかったの?」「千尋さん、筑豊に帰ってきてくれんね?」亜紀は涙を流しながら、千尋を見た。「亜紀さん、お父様に何かあったの?」にほんブログ村
2014年06月11日
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イラスト素材提供:White Board様 大岩と離縁し、千尋は歳三とともに甲府へ戻り、裁縫学校の経営に携(たずさ)わった。「歳三様、こちらの書類を用意しておきました。」「有難う。千尋、余り無理をするなよ。」「大丈夫です、書類仕事くらいさせてください。」 校長室で、千尋はそう言いながら机に座って書類仕事をしていた。彼は教頭として、校長である歳三の補佐や、秘書をしていた。「何だか、筑豊に居た時よりも時が慌ただしく過ぎていってしまいますね。」「そうか。なぁ千尋、今幸せか?」「まぁ、今更何を仰います。幸せに決まっているではありませんか。」千尋はそう言うと、歳三に微笑んだ。「それよりも歳三様、生徒の方は集まりましたか?」「ああ。開校してから生徒募集のチラシを書いて太田さん達に頼んで町中に貼って貰ったんだが、100人くらい集まった。」「そうですか。これから頑張らないといけませんね。」「ああ。」 裁縫学校が開校し、100人の女子生徒達が入学した。千尋は彼女たちに裁縫や和歌、英会話や茶道・華道などを教えた。「午前の授業はここまで。」「有難うございました。」 裁縫の授業を終え、千尋は溜息を吐きながら教壇の前に置いてある椅子に座った。「土方先生、大丈夫ですか?」「ええ、大丈夫よ・・」「午後の授業はわたくし達がいたしますから、土方先生はおうちに帰ってお休みになってください。」「ごめんなさい、頼むわね。」 午前の授業が終わり、千尋は学校を出て帰宅することにした。「歳三様、ただいま戻りました。」「千尋、お帰り。顔色が少し悪いぞ、大丈夫なのか?」「暫く奥で休んでいます。」「わかった。」歳三は千尋を家に残し、学校へと向かった。 校長室で歳三が書類仕事をしていると、そこへ事務員がやって来た。「校長先生、お手紙です。」「有難う。」「では、失礼いたします。」校長室で歳三が“荻野千尋様へ”と書かれた封筒を裏返すと、差出人の名前には、千尋の義母・荻野由美子の名が書かれていた。(由美子って、千尋を子供の頃から虐めてきた鬼婆か?どうしてその鬼婆が、千尋に手紙なんか・・)歳三は千尋宛ての手紙を懐にしまうと、校長室から出て家へと戻った。「あなた、どうなさったのです?」「千尋、荻野の家からお前宛に手紙が届いた。」「そうですか・・」千尋は歳三から手紙を受け取ると、差出人の名が由美子になっていることに気付き、彼は眉間に皺を寄せた。「何て書いてあったんだ?」「あの方は、明日わたくしと一緒に荻野の家に来て欲しいそうです。」「そうか。大丈夫なのか、あの鬼婆と会って、お前の体調が悪化したら・・」「わたくしはそんなに弱くはありません。それにもう、わたくしは非力な子供ではありません。」 数日後、歳三と千尋は由美子に呼び出され、荻野伯爵家を訪れた。「お久しぶりです、奥様。」「千尋、あなた大岩様から離縁されたそうね。まったく、どうしようもない子ね、あなたって!」「奥様、お言葉ですがわたくしはもうあなたの言いなりにはなりません。」「まぁ、何ですって!?」そう叫んで千尋を睨みつけた由美子の顔は、怒りで赤く染まっていた。にほんブログ村
2014年06月10日
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イラスト素材提供:White Board様 千尋が喀血して倒れたという電報を受け取った歳三が筑豊の大岩家に向かうと、母屋の玄関先で大岩の秘書・大杉が彼を出迎えた。「あなたが、奥様の別れた旦那様ですね?」「ああ。あんたは?」「わたしは、大岩の秘書をしている大杉と申します。」「大杉さん、千尋は何処にいるんだ?」「奥様は、離れの洋館にいらっしゃいます。こちらへどうぞ。」歳三が大杉とともに離れの洋館に入ると、丁度階段を往診に来た医師と看護婦が降りてくるところだった。「先生、千尋の具合は・・」「失礼ですが、どちら様ですか?」「先生、この方は奥様の別れた旦那様の、土方様です。」「千尋さんは心臓をお悪くされている上に、肺病に罹っています。もう長くはないでしょう。」「そんな・・」医師の残酷な宣告を聞き、歳三はその場にへたり込んでしまった。「土方様、大丈夫ですか?」「ああ・・」 大杉とともに千尋が眠っている二階の部屋に歳三が向かうと、部屋の中から大岩と千尋の話し声がドア越しに聞こえてきた。「あなた、突然わたくしと離縁したいとは、どういう事でしょうか?」「どうもこうもなか。わしは気位が高い嫁は要らん。さっさとわしと離縁して、甲府に帰らんか。」「あなた・・わたくしのことを想って・・」「千尋。」「歳三様、どうしてここに?」「お前のことが心配で来たに決まっているだろうが!」歳三はそう言うと、千尋を抱き締めた。「帰ろう、千尋。俺と一緒に甲府に帰ろう。」「歳三様・・」「千尋、もうわしはお前に愛想が尽きた。さっさと甲府に帰れ。」大岩はそう言って千尋と歳三を見ると、部屋から出て行った。 荻野家に大岩から千尋と離縁する旨が書かれた文が届いたのは、その日の夜の事だった。「まったく、大岩様に迷惑を掛けた上に離縁なんて・・千尋は荻野家のとんだ恥さらしだわ!」「おやめください、母上!もう千尋のことは放っておいてやってください!」「あなた、わたくしに口答えする気なの!?」由美子がそう言って道貴を睨んだ。「母上、あなたはいつまで千尋のことを傷つけるおつもりですか?」「あなたに、わたくしの気持ちなどわかるものですか!」 千尋は大岩と離縁し、大岩家を去ることになった。「旦那様、短い間でしたが、お世話になりました。」歳三とともに甲府へと帰る日の朝、千尋が大岩家の玄関先で大岩にそう挨拶すると、彼は無言で千尋に背を向けて廊下の奥へと消えた。「奥様、お元気で。」「大杉さん、主人のことを宜しくお願いいたします。」「道中、お気をつけて。」「ええ。皆さん御機嫌よう、さようなら。」 千尋が歳三とともに大岩家を出て駅へと向かおうとしたとき、二人の前に亜紀が現れた。「もう帰ってこんと?」「ええ。亜紀ちゃん、お父様と仲良く暮らすのですよ。」亜紀は目に涙を溜めながら、千尋と歳三が馬車に乗り込むのを黙って見送った。にほんブログ村
2014年06月10日
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イラスト素材提供:White Board様 初と洋館で揉み合いとなり、ピアノに頭をぶつけた千尋だったが、幸い後遺症もなく一日病院で入院しただけで済んだ。「奥様、お帰りなさいませ。」「お帰りなさいませ。」千尋が大岩とともに母屋の玄関先に立つと、部屋の奥に居た女中達が慌てて彼らを出迎えた。「あら、初さんは?」「お初さんなら、昨夜里の方へお帰りになられました。」「そう・・」「千尋、そげなところに突っ立っとらんで、中に入らんか。」「はい・・」 千尋が大岩とともにダイニングルームに入ると、そこには大岩の秘書である大杉の姿があった。「大杉さん、どうなさったの?」「奥様がご入院されたと聞いて、居てもたってもいられずこちらに伺ってしまいました。お元気そうで、良かったです。」「わざわざわたくしの為に来てくださって有難う。大杉さん、朝ごはんはまだ召し上がっていらっしゃらないの?」「ええ。」「あなた、わたくしお腹が空きましたわ。」「そうか。おい、朝飯の支度をせい。」「かしこまりました。」「あら、亜紀ちゃんは?」「あいつは、部屋に引きこもっとる。母親が突然居らんくなって寂しくなったんやろう。」「母親って・・あなた、もしかして亜紀ちゃんの母親は、初さんですの?」「ああ。」大岩から亜紀の母親が初であることを知らされ、千尋は一気に食欲が失せた。「千尋?」「あなた、わたくし離れで休ませていただきます。」 逃げるように母屋から出て、離れの洋館のリビングに入った千尋は、ピアノの前に座り、無意識に漆黒の蓋を開け、象牙の鍵盤の上に両手を滑らせていた。(初さんが、亜紀ちゃんの母親なんて・・)初が亜紀の母親であることを、千尋以外大岩家の者たちは皆知っていた。大岩は、自分を騙していたのだ。初を大岩家から追い出し、自分に離れの洋館とピアノを与えたのは、罪滅ぼしのつもりなのだろうか。千尋はショパンの『幻想即興曲』を奏でながら、涙を鍵盤の上に落とした。大岩に騙された怒りと屈辱に身を震わせ、千尋は狂ったようにピアノの鍵盤を叩いた。両手首が悲鳴を上げても、千尋はピアノを弾き続けた。今ピアノを弾くのを止めてしまったら、心が壊れてしまいそうだからだ。「奥様、おやめください!」リビングに入った大杉は、千尋が狂ったようにピアノを弾いているのを見て、彼にピアノを弾くのを止めさせようとした。だが、千尋は大杉を無視して、ピアノを弾き続けた。急に彼は胸の底から何かがせり上がってくるのを感じ、演奏を止めて口元を両手で押さえた。彼の白い指の隙間から、真紅の血が滴り落ちた。「奥様、しっかりしてください!」 朦朧とした意識の中で、千尋は総司が自分に微笑んでいるのを見た。 裁縫学校の校長室で、歳三は何故か胸騒ぎをおぼえた。「校長、電報が届いております。」「有難う。」事務員から電報を受け取った歳三は、千尋が筑豊の自宅で喀血したことを知り、すぐさま筑豊へと向かった。にほんブログ村
2014年06月10日
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イラスト素材提供:White Board様「あなた、わたくしに何か用?」「旦那様から離れを貰っただけで、いい気にならんでくださいね。」初はそう言うと、千尋を睨んだ。「あなた、大岩の妾としてこの家で今まで権勢をふるってきたつもりでしょうけれど、わたくしが大岩の妻となったからには、あなたの好きなようにはさせませんからね。」「何だって!」初は千尋の言葉を聞いてカッとなり、彼の頬を平手で打った。千尋は無言で初の頬を平手でたたき返した。「金で売られた癖に、何様のつもりね!」「お黙り、この女中風情が!」初は金切り声をあげ、千尋に飛びかかって来た。「千尋は何処に居る?」「奥様でしたら、洋館の方に・・」会社から帰宅した大岩が女中に千尋の居場所を尋ねた時、洋館の方から大きな物音がした。「千尋、どげんしたと?」「旦那様・・」大岩が洋館のリビングに入ると、そこにはグランドピアノの前で倒れている千尋と、その前で蒼褪めている初の姿があった。「何があった?」「奥様が、突然うちに掴みかかって来て・・揉み合いになるうちに、奥様がピアノに頭をぶつけてしまって・・旦那様、うちはどうしたら・・」「退かんか、この馬鹿たれ!」大岩は千尋を近くの病院に運んだ。「先生、女房は・・」「奥様はピアノに頭をぶつけてしまって、その衝撃で脳震盪(のうしんとう)を起こされていますね。」「女房の意識は、戻るんでしょうか?」「今夜、様子を見ましょう。」病院を後にした大岩は、自分の部屋に初を呼び出した。「きさん、何かわしに隠しとることがあろうが?」「旦那様、何をおっしゃっておるのですか?」「千尋をお前が突き飛ばして、怪我をさせたのはわかっとる。素直に白状せんね。」「うちは、そげなことしとりません。」「千尋が死んだら、わしはお前を死ぬまで許さん。」「旦那様・・」大岩の全身から溢れ出る殺気を感じ、初は彼から一歩後ずさった。 病室のベッドで寝ていた千尋がゆっくりと目を開けると、自分の前には労咳で死んだ筈の総司が立っていた。「沖田・・先生?」「荻野君、久しぶりだね。」「どうして・・あなたは、死んだ筈では?」「荻野君、今は辛いだろうけれど、希望を捨てないで。」総司はそう言うと、ある物を千尋に握らせた。「じゃあね、荻野君。」「待ってください、沖田先生!」千尋が総司を追いかけようとしたが、彼が立っていた場所には誰も居なかった。「千尋、どうした?」「あなた・・」「話は初から聞いた。身体の調子はどうね?」「大丈夫です。あなた、初さんは?」「あいつには、暇を出した。千尋、怪我が治るまでここでゆっくりしとれ。」「はい・・」 大岩が病室から出て行った後、千尋は総司が自分に握らせた物を見た。それは、歳三が誕生祝いに贈ったペリドットの指輪だった。その指輪は、甲府から去る際に歳三と暮らした家の引き出しにしまった筈だった。(有難うございます、沖田先生・・)にほんブログ村
2014年06月09日
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イラスト素材提供:White Board様 大岩からの文には、千尋が心臓を悪くして寝込んでいること、歳三に会いたがっている事などが書かれていた。(千尋・・)「土方さん、体調の方はどうだね?」「大丈夫です、太田さん。俺、暫く筑豊に行ってきます。」「筑豊へ?」「ええ。千尋が倒れたので、見舞いに行こうかと思いまして・・」「土方さん、あなたの気持ちはわかるが、今はわたし達にとって大事な時期だ。どうか、堪えてくれないだろうか?」「わかりました・・」 筑豊では、大岩が病に臥している千尋にグランドピアノを贈った。「旦那様、こげな大きい物、何処に置くんです?」「離れの洋館に置いたらよか。」「まったく、こげな物置いても、邪魔なだけじゃ。」「お前は黙っとれ。」大岩はそう言って初を睨むと、千尋の部屋に向かった。「あなた、どうなさったのです?」「お前に見せたい物がある。」「何でしょう?」「わしについて来い。」大岩は千尋に目隠しすると、彼の手をひいて離れの洋館へと向かった。「足元に気ぃつけろ。」「はい・・」千尋は大岩とともに洋館のリビングに入った。「これをお前に見せたかったんじゃ。」「まあ・・」 大岩から目隠しを外された千尋が見たものは、リビングの中央に置かれている漆黒のグランドピアノだった。「これは、一体・・」「少しでもお前の気晴らしになるち思うて、買うてきた。何でも、こんピアノはベーゼンドルファーっちゅうウィーンのピアノ屋が作ったもんらしい。」「まぁ、そんなに高価な物をわたくしに?」「こんピアノはお前のもんじゃ、好きに使え。」「有難うございます。」「それと、この洋館もお前が好きに使ってもよか。」千尋が倒れてから、大岩は彼に優しくなった。離れの洋館を千尋に使わせ、彼に高価なピアノを買い与えたことを知った初は、ますます千尋に対する敵愾心が強くなっていった。「旦那様、何故奥様には洋館を好き勝手に使わせとるの?あれはもともと、旦那様がうちに贈ったものじゃ・・」「せからしか。あれはお前のものやなか、わしが稼いだ金で買ったものたい。文句を言うなら、この家から追い出すぞ。」「わかりました・・」悔しさで唇をかみしめながら、初は大岩の部屋から出て行った。 三月、甲府に裁縫学校が開校し、真新しい校舎に隣接した道場で、開校祝いのパーティーが開かれた。「土方さん、このたびはおめでとうございます。」「有難うございます。太田さん達のお蔭で、裁縫学校を開校することが出来ました。」「筑豊の千尋さんとは、連絡を取り合っているのかい?」「ええ。千尋は大岩からグランドピアノを贈られたようで、毎日飽きもせずにそれを弾いていると、文に書いてありました。」「千尋さんが元気そうでよかった。」「ええ、本当に・・」 “千尋、漸く今日裁縫学校が開校しました。俺とお前の子供であるこの学校を、俺はお前が帰る日まで守っていきます。愛を込めて、歳三” 千尋が洋館のリビングで歳三の文を読んでいると、そこへ初がやって来た。にほんブログ村
2014年06月09日
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イラスト素材提供:White Board様「随分とあの男と楽しそうに話をしとったな?」「あなた・・」「帰るぞ。」大岩はそう言って千尋の腕を掴むと、大広間から出て行った。「何をなさいます!」「お前はわしの女房たい。他の男に色目を使うとは、けしからん!」 パーティーから帰宅した大岩は、そう言うと千尋を睨んだ。「あら、あなたには初さんがいらっしゃるじゃありませんか。それなのにどうして、わたくしだけ責められなければいけないのかしら?」「黙らんか!」「いいえ、黙りません。初さんはご自分がこの家の女主人だと勘違いなさっているようですけれど、この家の女主人はわたくしです。そのことを、あなたの口から彼女に伝えておいてくださいな。」「きさん、わしに口答えする気か!」大岩は千尋の頬を平手で打った。「何をなさるの!」千尋も負けじと、大岩の頬を平手で打った。「この・・よくもわしに逆らったな!」大岩は怒りに血走った目で千尋を睨みつけると、彼の首を両手で絞めようとした。「社長、おやめください!」部屋の襖が開け放たれ、杉村が千尋と大岩との間に割って入った。「大杉、離さんか!」「どうか落ち着いてください、社長!」「こいつは俺を馬鹿にしとる!こいつには、力で思い知らさんといかん!」大岩がそう言って千尋に拳を振り上げようとしたとき、千尋は胸を押さえて畳の上に蹲った。「奥様、どうなさったのですか?」「胸が・・」「誰か、お医者様を!」大杉は、自分の腕の中で苦しそうに呼吸をしている千尋の手を握った。「先生、千尋は・・」「奥様は、心臓がお悪いようですね。余り心労を掛けさせないようにしてください。」「わかりました。」 往診に来た医師が部屋から出ていくと、大岩は布団に寝ている千尋の手を握った。「わしの所為たい。」「社長、奥様のことを労わってあげてください。」「わかった。」 千尋が目を開けると、そこは自宅の布団の上だった。「千尋、気が付いたか?」「あなた・・わたくし、どうして・・」「お前は胸を押さえて倒れたんじゃ。医者には、余り心労を掛けさせんようにしろと釘を刺されたたい。」「あなた、わたくし・・」「何も言うな。今は、ゆっくり休め。」「はい・・」大岩が部屋から出た後、千尋は再び目を閉じて眠った。 年が明け、甲府に居る歳三は三月に控えた裁縫学校開校に向けて忙しく働いていた。彼は寝る間も惜しんで、毎日書類仕事に勤しんでいた。だが、その無理が祟ってしまい、彼は畑仕事の最中に熱を出して倒れてしまった。「土方さん、あんたは働き過ぎずら。少し休んだ方がいい。」「すいません、太田さん。」「謝らなくてもいい。」その日の夜、歳三の元に大岩から文が届いた。にほんブログ村
2014年06月08日
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イラスト素材提供:White Board様 千尋が背後を振り向くと、そこには長身の燕尾服を纏った男が立っていた。「あなた、お名前は?」「まずはご自分の名を名乗るのが礼儀では?」「わたくしの名など、ここに居る皆さんはもうご存じではなくて?」千尋はそう言うと、男を見た。「それは・・」「今わたくしのことを、世間の皆さんは金持ちに売られた華族のお嬢様だのなんだのと噂しているのでしょうね。」「それでは、あなたがあの千尋様ですか?」「あなたもわたくしの名をご存じなのね。」千尋がそう言って男を見ると、彼はそっと千尋の手を握った。「初めまして、千尋様。わたしは伊藤道夫と申します。」「伊藤様とおっしゃるの。あなた、お幾つでいらっしゃるの?」「今年で27になります。」「そう・・余りわたくしと年が違わないのね。」「といいますと?」「わたくし、今年で29になりましたの。」「そんな・・29には見えませんね。」「あら、有難う。お世辞でも嬉しいわ。」千尋がそう言って伊藤に微笑んだ時、大広間からワルツの調べが聞こえた。「伊藤さん、お近づきのしるしとして、一曲踊ってくださらない?」「ええ、喜んで。」 大広間で友人達と談笑していた大岩は、踊りの輪の中に千尋と見知らぬ青年が加わるのを見て、怒りのあまり絶句した。「大岩さん、どげんしたとね?」「千尋と踊っとる男は何者ね?」「ああ、あいつは伊藤さんのところの次男坊たい。何でも、社会主義運動っちゅうもんにかぶれとるらしい。」「社会主義、ねぇ・・わけのわからんもんをパーティーに招くとは、西田さんも大層変わり者たい。」「そうやねぇ。」 千尋が伊藤と踊っていると、大広間に居る客達が自分を見つめていることに気付いた。「皆さん、わたくし達のことを見ていますわね。」「きっとあなたの美しさに見惚れていらっしゃるのでしょう。」「まぁ、さっきから面白いことをおっしゃる方ね。」千尋はそう言ってクスクスと笑うと、伊藤も彼につられて笑った。「あなた、ご結婚は?」「恥ずかしながら、この年で未だに独身です。」「そう。理想が高いのでしょうね、きっと。」「そんなことはありません。ただ、今は仕事の方が楽しくて、結婚したくないだけです。」「お仕事は何をされていらっしゃるの?」「新聞社で働いております。」「そう。お仕事は楽しいのかしら?」「大変な事が多いですが、それよりも楽しさの方が勝ります。千尋さんは何をされていらっしゃるのですか?」「何もしていないわ。福岡に来る前、わたくしは東京の女学校で学んでいたのよ。」「そうですか。女学校では何を学んでいたのですか?」「英語や和歌を習っていたわ。それに、武道も習っていたわね。」「武道を?」「こう見えても、昔わたくしは薙刀の名手といわれた腕前なのよ。」「ご自分で仰ることではないのでは?」「ふふ、そうね。」 伊藤と話していると、千尋は甲府に居る歳三に想いを馳せた。「じゃぁ、わたしはこれで。」「ええ、御機嫌よう。」千尋が伊藤に手を振っていると、再び誰かが千尋の肩を叩いた。にほんブログ村
2014年06月08日
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イラスト素材提供:White Board様「話は初から聞いた。」「それで、彼女は何とあなたにおっしゃったのですか?」千尋はそう言うと、牡丹の茎を花鋏で切った。「あいつはお前に嫉妬しとるだけたい。」「あら、そうですか。それで初さんは、わたくしの郵便物を勝手に見たのですね。」「あいつには厳しく言い聞かせるけん、機嫌直せ。」「わかりました。」千尋の機嫌が直ったことを知り、大岩は安堵の溜息を吐いた。「明後日、西田さんのところでパーティーがあるが・・お前も出てくれんか?」「わかりました。」「お父様、うちは?」「お前は家で留守番たい。」「え~!」頬を膨らませて拗ねる亜紀の頭を、大岩は愛おしそうに撫でた。「あなた、亜紀さんのことですけれど・・」「何ね?」「あの子を、東京の女学校に編入させる気はおありですか?」「あいつはまだ小さか。小さい内は、わしの手元に置いておく。」「そうですか。ではわたくしは部屋で休ませていただきます。」千尋はそう言うと、ダイニングルームから出て行った。『前略歳三様へ、お元気ですか。わたくしは余り元気ではありません。大岩家での暮らしは息が詰まってしまいそうなほど、退屈なものです。今日わたくしは、大岩様の妾と口論となり、彼女の頬を平手で打ちました。彼女は勝手にわたくしの郵便物を盗み見ることをわたくしに詫びるどころか、そのことを大岩様に告げ口したのです。あんな狐のような狡賢い女と一緒に居たくはありません。甲府に居る歳三様の元へ帰りたいです。千尋より』 筑豊から届いた千尋の文を読んだ歳三は、それをそっと懐に入れると溜息を吐いた。没落寸前の実家を救う為、自分と離縁した千尋は、筑豊で孤立しているようだ。「土方君、居るかい?」「大鳥さん、何の用だ?」「千尋君の実家の事なんだけどね、千尋君の結納金で、荻野家は借金を完済したらしいよ。」「そうか・・その話を聞くと、千尋は金に大岩の元に売られたみてぇだな・・」歳三はそう言うと、溜息を吐いた。「今日、千尋から文が届いた。筑豊での生活は、上手くいってないようだ。」「そうか・・ねぇ土方君、これから君はどうするつもりだい?」「俺は、千尋が帰る日まで裁縫学校を守っていくつもりだ。あの学校は、あいつと俺の子供みてえなもんだからな・・」「そうだね。」 数日後、千尋は大岩とともに彼の知人宅で開かれたパーティーに出席した。「大岩さん、この人が伯爵家の・・」「初めまして、千尋と申します。」「いやぁ、綺麗な人やねぇ!まるで西洋人形のような顔しとる!」大岩の友人たちはそう言うと、千尋の顔を見た。千尋は彼らの執拗な視線から逃れたくて、賑やかな大広間を出て人気のないバルコニーへと向かった。(いつまでこんな生活が続くのかしら?)千尋がそんなことを思いながら溜息を吐いていると、誰かが彼の肩にショールを掛けた。「こんなところに居ると、風邪をひきますよ?」にほんブログ村
2014年06月07日
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イラスト素材提供:White Board様 大岩は朝食を食べた後、自宅を出て会社に向かった。「社長、おはようございます。」「おはようございます。」「社長、例の件ですが・・」「先方はまだ迷っとるんか?」社長室の椅子に腰を下ろした大岩は、そう言って秘書の大杉を見た。「ええ。先方の社長はこちらが良い条件を提示しても、決して首を縦に振ろうとはしません。」「まぁ、焦ることはなか。じっくりと時間をかけるのも、悪くはなか。」「はぁ・・」「大杉、これを家に持っていけ。」「かしこまりました。」大杉は大岩から封筒を受け取ると、会社を出て大岩邸へと向かった。「ごめんください、誰か居ませんか?」「まぁ、いらっしゃいませ。あなたは確か、主人の秘書の方でしたわね?」 玄関先で千尋と初めて会った大杉は、彼のあまりの美しさに見惚れてしまった。「あの、わたくしの顔に何か?」「いいえ・・初めまして、わたくしは社長の秘書をしております、大杉といいます。」「大杉さん、うちへは何の用でこちらにいらしたのかしら?」「社長に奥様から渡して欲しいと、これを預かって参りました。」「まぁ、有難う。ねぇ大杉さん、折角いらしたのだからお茶でもいかが?」「いいえ、僕はこれで失礼いたします。」「お忙しい中、折角うちに来てくださったのだから、お茶でも飲んでくださらないとこちらの気が済まないのよ。」「それでは、お言葉に甘えさせていただきます。」 数分後、大杉は大岩家の茶室で千尋が点てた茶を飲んだ。「結構なお点前でございました。」「有難うございます。」「奥様は、確か伯爵家のご出身でいらっしゃいましたよね?そのような方が何故、こんな田舎に嫁がれたのですか?」「まぁ、大杉さんは素直な方ね。わたくしがこの家に嫁いだのは、没落寸前の実家を救う為です。端的に言えば、わたくしは金でこの家に売られたようなものかしら。」「申し訳ありません、奥様に辛いことを聞いてしまって・・」「そんな、恐縮なさらないでくださいな、大杉さん。わたくしは事実を言ったまでですから、どうぞお気になさらないでくださいな。」「は、はい・・」大杉は茶を点てている千尋の無駄のない動きを見つめながら、いつの間にか彼は千尋に惹かれていった。「今日は有難うございます。またいらしてくださいね。」「はい、では失礼いたします。」大杉を玄関先で見送った後、千尋が部屋に入ると、そこには女中頭の初が封筒の封を切り、中に入っている書類を盗み読んでいた。「それはわたくしのものです、返しなさい!」「別に見てもよかろうもん。」「無礼者!」千尋は初から書類を奪い取り、そう叫ぶと彼女の頬を平手で打った。「ここから出て行きなさい!」「旦那様に、このことを報告しちゃるけんね!」初は千尋に打たれた頬を擦りながら、部屋から出て行った。千尋は肩で息をしながら、書類に目を通した。そこには、甲府に来年の三月、裁縫学校が開校するという旨が書かれていた。『千尋、漸く俺達の学校が来年三月に開校します。俺はお前が甲府に帰って来るまで、学校の運営を頑張ります。くれぐれも身体には気をつけてください。では愛を込めて、歳三より』(歳三様、どうかわたくしをお守りくださいませ。)千尋は歳三の文を抱き締めると、そっと髪に挿している櫛を撫でた。「旦那様、うち今日、奥様から暴力を振るわれました。」「お前、何かあいつの癪に障ることをしたろうが?」「そげなことしとりません。」にほんブログ村
2014年06月07日
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イラスト素材提供:White Board様 筑豊までの長旅を終えた千尋は、無理が祟って熱を出して倒れてしまった。「大丈夫か?」「はい・・旦那様、申し訳ありません。」「謝ることはなか。ゆっくり休みんしゃい。」大岩はそう言うと、千尋の部屋から出た。「旦那様、花嫁さんはどげんしたとですか?」「千尋やったら、部屋で寝とる。」大岩が書斎に入ると、そこへ女中頭の初が入ってきた。「さっき女中達が噂しとりましたよ、お人形さんみたいな綺麗な顔をした華族のお嬢様が来たって。」「まぁ、千尋は可愛い子たい。」「その様子じゃぁ、まだそのお人形さんを抱いとらんようですね?」「ああ。まだあいつを抱くのは早か。じっくりと時間を掛けるのも悪くなか。」大岩はそう言うと、煙管を口に咥えた。「奥様、失礼します。」 初が部屋に入ると、布団で寝ていた千尋が起き上がって彼女を見た。「あなたは?」「うちはここの女中頭を務めている、初と申します。旦那様から聞きましたけれど、熱を出して倒れてしまわれたみたいですね?」「ええ・・ご迷惑をお掛けしてしまって、申し訳ありません。」「奥様、本当に人形みたいに綺麗な顔をしとるねぇ。」初はそう言うと、じっと千尋の顔を見た。「わたくしの顔に、何かついていますか?」「いいえ。それじゃぁ、うちはこれで。」初は千尋に背を向けると、部屋から出て行った。 その日の夜、大岩家で大岩の結婚を祝う宴が開かれ、大広間には博多の芸者衆が集まった。 高砂席に座った千尋は、大岩家の乱痴気騒ぎを眺めながら、大岩が住む世界と自分が今まで生きてきた世界とは全く違うものだということに気付いた。「綺麗な嫁さんやねぇ。」「伯爵家のお嬢様やから、うちらみたいな人間とは何もかもが違うねぇ。」「着物だって、上等な物を着とるねぇ・・」女性陣は口々にそう言いながら、千尋の着物を見た。千尋は苦しそうに咳込みながら隣に座る大岩を見ると、彼は膝の上に振袖を着た少女を乗せていた。「大岩様、その子は?」「ああ、この子はわしの娘の、亜紀たい。亜紀、新しい母さんに挨拶せんね。」少女はじろりと千尋を睨むと、無言で大広間から出て行った。「あの子は人見知りやから、お前があまりにも綺麗な顔をしとるから、緊張したのかもしれん。」「そうですか・・」 宴が終わり、千尋は布団に寝ながら目を閉じた。これから、ここで暮らしていけるのだろうか。 千尋はなかなか眠れず、部屋から出て厠へと向かった。厠で用を足した後、千尋が大岩の部屋の前を通ると、中から初の呻き声が聞こえた。部屋の中で何が行われているのか、千尋は容易に想像できた。やけに初が自分に対して妙につっかかってくるのは、初が大岩の妾だからだ。(歳三様・・)千尋は自分の髪に挿している櫛にそっと触れると、部屋に戻った。 翌朝、千尋が起きて大岩家のダイニングルームに入ると、そこには大岩と亜紀、そして大岩家の女中達の姿があった。「千尋、もう身体は大丈夫なんか?」「ええ。大岩様、わたくしはこれから何をすればよろしいのでしょうか?」「お前は何もせんでもよか。」「そうですか。ではわたくしは自分の部屋で好きな事をして過ごしますわ。」にほんブログ村
2014年06月06日
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イラスト素材提供:White Board様 大岩と千尋の結婚式と披露宴は、赤坂のホテルで盛大に行われた。 純白のウェディングドレスを纏った千尋は、まるで天から舞い降りてきた天使のように美しかった。「千尋さん、ご結婚おめでとう。」「お幸せにね。」「有難う、皆さん。」千尋は級友たちにそう言って微笑むと、激しく咳込んだ。「大丈夫?」「ええ、少し風邪をひいてしまって・・」「余り無理をなさらないでね。」「わかったわ・・」「千尋さん、そんなところで何をしているの!まだ挨拶回りが終わっていないのだから、早く来なさい!」「はい、奥様。」病み上がりの身体に鞭打ちながら、千尋は由美子とともに新郎親族へ挨拶回りに行った。「綺麗なお嫁さんやねぇ、まるで西洋人形みたいな顔しとる!」「建吾さんも、こんなに若い嫁さんを貰うて、腹上死せんようにね!」「はは、わしはもう年じゃ、そげな事をする元気はなか!」親族からそうからかわれ、大岩はそう言って豪快に笑った。「大岩様、どうか千尋のことを宜しくお願いしますね。」「由美子さん、千尋さんのことは大事にするけん、あんたは何も心配することはなか。」「ええ、わかりました。」「本当に、お義母様は千尋さんを荻野の家から追い出そうとしているのね。」「千尋は、家の為に犠牲になって・・わたし達はどうすることもできない。」「可哀想な千尋さん・・ああやって笑顔を浮かべているけれど、心の中では沢山泣いていることでしょうね。」 披露宴が終わり、千尋は大岩とともに初夜を迎える部屋に入った。「漸く二人きりになれたな?」「ええ・・」「緊張しとるか?さっきから手が震えとるぞ?」「そんなことは、ありません・・」「まぁ、夜は長い。」大岩はそう言うと、羽織を乱暴に脱ぎ捨て、袴の紐を解いた。「大岩様、わたくしは先に休ませていただきます。」千尋がそう言って大岩に背を向け、寝室に入ろうとすると、その手を大岩が掴んで千尋を自分の方へと引き寄せた。「何をなさいます!」「お高くとまらんでもよか。もうわしらは夫婦になったんじゃ。」「やめて、離してください!」大岩は千尋とともに寝室に入ると、ベッドの上に千尋を押し倒し、彼の帯を乱暴に解いた。「歳三様・・」「別れた男の名を呼ぶとは、わしは嫌われとるな・・」大岩はそう呟くと、千尋から離れた。「わしは向こうで寝る。」「大岩様・・」「わしは嫌がる嫁を無理矢理抱く趣味はなか。」大岩はそう言って千尋に背を向け、寝室から出た。 数日後、千尋は大岩とともに彼の故郷である筑豊へと向かった。「千尋さん、身体に気を付けて。」「はい。道貴兄様達も、お身体に気を付けてください。」「千尋、本当にお前には済まないことを・・」「もういいのです、謝らないでください。」千尋はそう言うと、道貴の手を握った。 汽笛が鳴り、千尋と大岩を乗せた汽車がゆっくりとプラットフォームから離れようとした時、千尋は自分に向かって歳三が手を振っていることに気付いた。「歳三様!」「千尋、元気でな~!」「歳三様!」 千尋は歳三の姿が徐々に小さくなってゆくのを見て、涙を流した。にほんブログ村
2014年06月06日
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イラスト素材提供:White Board様「先生、弟の容態は?」「弟さんは心労が溜まって、それが原因で風邪を拗らせてしまったのでしょう。暫く弟さんをそっとしておいてください。」「有難うございます・・」往診に来た医師に礼を言うと、道貴は千尋の部屋のドアをノックした。「道貴兄様、ご迷惑をお掛けしてしまって申し訳ありません。」千尋は苦しそうに咳込みながらベッドから起き上がると、そう言って道貴に謝った。「謝るな、千尋。謝るのは、わたし達の方だ。」道貴はそう言うと、千尋を抱き締めた。「今はゆっくり休め。」「わかりました。」 その日の夜、甲府に居る歳三の元に、一通の手紙が届いた。その手紙は、道貴のものだった。手紙には、千尋が高熱をだし、うわ言で歳三の名を呼んでいることが書かれていた。「千尋・・」歳三は涙を流しながら、道貴の手紙を抱き締めた。「道貴、あの子の様子はどうなの?」「母上、千尋はまだ熱を出して寝込んでいますよ。」「まったく、こんな時に風邪をひくなんて、自己管理がなっていないわね!」由美子はダイニングルームを右往左往しながら、そう言って溜息を吐いた。「母上、千尋が回復するまで大岩様との婚礼を遅らせて貰えませんか?」「そのような事、出来るわけがないでしょう!」由美子はキッと道貴を睨みつけると、そのままダイニングルームから出て行った。「お義母様、千尋さんがまだ寝込んでいるというのに、大岩様との婚礼を強行させるつもりなのかしら?」「母上は、千尋の事よりも金の事しか考えていない。」 千尋はベッドで寝返りを打ちながら、苦しそうに咳込んだ。「千尋、入るわよ。」由美子はノックもせずに千尋の部屋に入ると、ベッドで寝ている彼の頬を打った。「いつまでベッドで寝転がっているつもりなの、早く起きなさい!」「申し訳ございません、奥様・・」「わかったら、さっさと風邪を治しなさい。あなたがいつまでも寝込んでいると、わたくしが恥をかくのよ!」由美子がそう叫んで部屋のドアを乱暴に閉めると、埃が千尋の周りに飛び散った。(歳三様・・)千尋は激しく咳込みながら、懐から櫛を握り締め、目を閉じた。 季節は雪が舞い散る冬を迎え、千尋が寒さに震えながらベッドから出てダイニングルームに入ると、そこには由美子がダイニングテーブルに座って紅茶を飲んでいた。「あら、あなた起きていたのね。」「おはようございます、奥様。」「熱は下がったの?」「はい・・」「あなたの所為で、婚礼が遅れてしまったのですから、これ以上わたくし達に迷惑を掛けないで頂戴ね。」「わかりました。」千尋はそう言って紅茶を一口飲むと、ダイニングから出て行った。「千尋、もう大丈夫なのか?」「はい。熱はもう下がりましたし・・」「そうか。でもまだ本調子じゃないから、無理しないでくれ。」「はい、道貴兄様。」にほんブログ村
2014年06月05日
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イラスト素材提供:White Board様「千尋はどげんしたとね?」「千尋は、体調がすぐれないので食事会には出席できないと申しておりました。」「そうか・・まぁそげな事なら仕方なか。」両家の食事会が開かれているホテルのレストランで、大岩はそう言うとグラスに注がれたワインを一気に飲み干した。「大岩様は、お子様はいらっしゃらないのでしょう?」「外の女に産ませた子なら居る。」「まぁ・・」由美子は大岩の言葉を聞いて少し顔を顰(しか)めたが、すぐに彼に笑顔を浮かべた。「大岩様、千尋は亡くなった主人が外の女に産ませた子でねぇ・・ちっとも可愛げがないのですよ。どうか、あの子のことを可愛がってやってくださいな。」「由美子さんが心配せんでもよか。」「それを聞いて安心しましたわ。」由美子はそう言うと、嬉しそうに笑った。「何だかお義母様、お義父様が亡くなられてからよく笑うようになったわね?」「ああ・・たぶん、大岩さんが居るからだろう。」「もしかして、大岩さんとお義母様は・・」「妙な事を考えるんじゃない、英子。大岩さんは千尋を男と知ったうえで嫁に貰うんだから、母上と変な関係にはなってなどいないさ。」「そうよね・・考え過ぎよね。」英子はそう言いつつも、大岩と姑との関係を疑っていた。「それでは、またお式に会いましょうね、大岩様。」「それじゃぁ由美子さん、お気をつけて。」 ホテルのロビーの前で大岩と別れた由美子達は、馬車で帰宅した。「ねぇお義母様、本当に千尋さんをあんな人と結婚させるおつもりですの?」「もう決まったことなのよ、英子さん。それに、千尋はあの男と離縁したのですから、何の問題もないはずよ。」「まぁ・・」千尋が家の為に歳三と離縁したことを初めて知った英子は、驚きのあまり絶句した。「そんな・・」「あの子は今まで荻野の家に迷惑を掛けてきたのだから、家の為に犠牲になるのは当然です。」「お義母様、何故千尋さんを嫌うのです?」「あの子の母親は、わたくしから夫を奪った憎い女です。その女が産んだ息子である千尋を憎んで当然でしょう!?」由美子はそう言って英子を睨むと、先に馬車に乗ってしまった。「千尋はまだ部屋に居るの?」「はい。」「千尋、わたくしよ。あなたに話があるの。」「奥様、どうぞお入りになってください。」 ベッドから起き上がった千尋が部屋に由美子を招き入れると、彼女は千尋の頬を平手で打った。「あなた、食事会を欠席するなんて一体どういうつもりなの?どこまでわたくしに恥をかかせれば気が済むつもり!」「申し訳ございません、奥様・・」「謝れば済むと思っているの!」由美子は自分に平謝りする千尋を打擲(ちょうちゃく)すると、彼の部屋から出て行った。「千尋、母上にやられたのか?」「大丈夫です、道貴兄様。」「身体の具合はどうなんだ?」「横になったら少し良くなりました。」「熱も下がったようだし、余り無理をするんじゃないぞ、わかったな?」「はい・・お休みなさいませ、道貴兄様。」道貴が部屋から出て行った後、千尋は由美子に打たれた頬を擦った後、目を閉じて眠った。「千尋はまだ起きてこないの?」「わたしが様子を見てきます。」 翌朝、道貴が千尋の部屋に向かうと、彼はベッドの上で苦しそうに胸を押さえて呻いていた。「千尋、どうした、しっかりしろ!」にほんブログ村
2014年06月05日
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イラスト素材提供:White Board様「道貴兄様、お話とは何でしょうか?」「母上は最近、大岩様に夢中だ。父上が亡くなったばかりだというのに、母上は一体何をお考えなのだろう?」「それはわたくしには解りません。それよりも道貴兄様、この手紙を甲府に居る主人に渡して貰えますか?」「ああ。」道貴は千尋から手紙を受け取ると、それを上着の内ポケットにしまった。「千尋、これで本当に良かったのか?」「ええ。わたくしが犠牲になれば、この家は救われるのでしょう?」「千尋、今からでも遅くはない、ここから逃げろ。」「それは出来ません。今わたくしがここから逃げたら、道貴兄様達にご迷惑がかかります。」「済まない、本当に済まない・・わたし達が不甲斐ないせいで・・」「謝らないでください、道貴兄様。」道貴に抱き締められ、千尋は涙を流した。 一方甲府では、歳三が太田と裁縫学校設立について話をしていた。「裁縫学校の校舎の工事は、順調に進んでいます。」「そうか。ここまで来るのに、時間が掛かったな?」「ええ。ですが太田さん達が協力してくださったお蔭で、この甲府に裁縫学校が出来ることになりました。」「土方さん、千尋さんから東京に帰って来てから連絡がないのだが・・千尋さんから何かあったのか?」「実は、千尋とは離縁しました。」「千尋さんと離縁?それはまたどうして・・」「それは俺にもわかりません。」歳三がそう言って俯くと、太田はそれ以上何も聞いてこなかった。「それじゃぁ、俺はこれで。」「気を付けて。」 太田家から出た歳三は、裁縫学校建設予定地の前に立った。(千尋・・)歳三は溜息を吐きながら、千尋のことを想っていた。「千尋、入るぞ?」「どうぞ・・」「顔色が悪いな、どうしたんだ?」「ええ・・少し、食欲がなくて・・」千尋はけだるそうにベッドから起き上がると、溜息を吐いた。「朝食は?」「要りません。」「そうか・・」道貴はそう言うと、そっと千尋の額に触れた。「熱があるな、後で医者を呼ぼう。」「横になれば治ります。大岩様には、今日の食事会には参加できないとお伝えください。」「わかった。」 朝食の後、道貴は甲府へと向かった。「すいません、土方さんのお宅はどちらに?」「土方さんの家なら、あそこの道をまっすぐ・・」「有難うございます。」一軒の民家の前に立った道貴は、そっとスーツの内ポケットから千尋の手紙を取り出した。「あんた、確か千尋の兄さんじゃ・・」背後から声がして道貴が振り向くと、そこには背負子を担いだ歳三が立っていた。「お久しぶりです、土方さん。弟から、あなた宛てのお手紙を預かりました。」「そうですか、お忙しいのにわざわざうちにまで来ていただいて有難うございます。中でお茶でも飲んでください。」「有難うございます。ではお言葉に甘えていただきます。」 数分後、道貴と茶を飲みながら、歳三は千尋の手紙に目を通した。「千尋は、元気にしていますか?」「いいえ・・千尋は、いつもあなたのことを想って泣いています。昨夜あいつに家から逃げろと言ったのですが、あいつは今自分が家から逃げたらわたし達に迷惑が掛かると・・」「そうですか。あいつは、今も昔も、変わっていませんね・・」「土方さん、このような事になってしまって、申し訳ありません。」「謝らないでください。俺は、千尋の帰りをここで待ちます。」にほんブログ村
2014年06月04日
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イラスト素材提供:White Board様「千尋、久しぶりじゃ。」「ええ・・」「浮かん顔をして、どげんした?お前の花嫁衣装を選ぶんやから、陰気くさい顔するな。」大岩はそう言うと、千尋の肩を叩いた。「大岩様、わたくしお部屋に・・」「千尋さん、折角大岩様が来てくださったのですから、まだいいでしょう?」和室から出ようとした千尋を、由美子が止めた。「ですが・・」「母上、千尋は少し疲れているのです、部屋で休ませてあげてください。」「わかったわ。」 二階の部屋に入った千尋は、ベッドに横たわって溜息を吐いた。(歳三様・・)千尋はそっと目を閉じ、涙を流した。「すいませんねぇ大岩様、千尋が失礼な事をして・・」「まぁ、千尋も色々とあったから、疲れているんやろう。それよりも由美子さん、体調の方はどうね?」「少し良くなりました。大岩様が贈ってくださった漢方薬のお蔭です。」「そうか。」(この爺、母上に媚を売って・・千尋が男だと知っていながら嫁に欲しいと言い出したのは、結局この荻野の家を乗っ取るつもりなんじゃ・・)「道貴、怖い顔をしてどうしたの?」「いいえ、何でもありません母上。わたしは少し千尋の様子を見てきます。」「そう。」「千尋、いいか?」「兄様、どうぞお入りになってください。」「入るぞ。」道貴が千尋の部屋に入ると、千尋は机に座って何か書き物をしていた。「それは?」「甲府に居る歳三様に、お別れの手紙を書いているところです。」「そうか。千尋、本当にお前には済まないことを・・」「もうわたくしに謝らないでくださいませ、兄様。わたくしは、大丈夫ですから。」「何か辛いことがあったら、いつでもうちに帰って来るんだぞ。」「わかりました。」 歳三への別れの手紙を認めた後、千尋が和室に戻ると、そこには大岩と由美子が居た。「戻りました。」「千尋さん、お式までにはまだ時間があるのだから、衣装選びは何も今日決めなくてもいいと大岩様がおっしゃってくださったわよ。」「そうですか・・大岩様、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。」「謝らんでもよか。そいじゃぁ、わしはこれで。」「大岩様、お気をつけて。」 和室から大岩が呉服屋を連れて出て行った後、由美子は千尋を睨んだ。「あなた、大岩様を困らせてはいけませんよ。」「はい、奥様・・」「大岩様の妻になるのだから、少し辛いことがあっても、ここに帰って来ないで頂戴ね。あなたの居場所なんて、ここにはないのですからね。」「わかりました、奥様。」「返事だけはいいのね、あなたって。」由美子はそう千尋に嫌味を言うと、そのまま和室から出て行った。 夕食を済ませ、千尋は浴室の湯船に浸かりながら怒りと屈辱の涙を流した。「千尋、まだ起きているか?」「ええ。道貴兄様、どうかなさったのですか?」「お前と少し、話がしたくてな。」そう言って部屋に入ってきた道貴は、少し思いつめた顔をしていた。にほんブログ村
2014年06月03日
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イラスト素材提供:White Board様「千尋、気を付けてな。」「ええ。歳三様も体にお気をつけて。」千尋はそう言って歳三に微笑むと、汽車に乗り込んだ。「お帰りなさい、千尋様。」「香織様、ただいま戻りました。」「甲府のご主人はお元気だった?」「ええ。さっき食堂で神崎さんのお姿が見えなかったけれど、彼女どうかなさったの?」「神崎さんは、学校を退学されたわ。」「どうして、退学されたの?」「さぁ、そこまでは知らないけれど・・何でも、神崎さんのご実家が経営していらっしゃる船会社が破産されて、莫大な借金を返済するために、神崎さんは北海道の資産家の方の元へお嫁に行かれたみたいよ。」「まぁ、そうなの・・」香織から詩織の実家が破産し、彼女が北海道の資産家の元に嫁いだことを知った千尋は、そう言うと溜息を吐いた。「どうかなさったの、千尋様?」「香織様、わたくし・・」「土方さん、ここにいらしたのね!」「吉田さん、どうなさったの?」「ねぇ土方さん、あなたあの大岩様とご結婚されるって本当なの!?」「大岩様って、あの福岡の資産家の?」「香織様、そのことについては二人きりで話したいの。」「・・わかったわ。」 昼休み、千尋は香織を連れて図書室に入った。「ねぇ、一体どういうことなの?あなたには、素敵なご主人がいらっしゃるのではなくて?それなのに、どうして大岩様と・・」「実は、わたくしの実家が多額の借金を抱えてしまったの。」「まぁ・・」「大岩様は、結婚すれば実家の借金は帳消しにしてやるとおっしゃったの。甲府に出来る裁縫学校の方にも、多額の支援金を出すと・・」「汚いわ、そのようなやり方!まるでお金であなたを買おうとしているようなものではないの!ねぇ、その結婚をお断りすることは出来ないの?」「この結婚は、もう決まってしまったことなの。」「そんな・・それでは、女学校の方はどうなさるの?」「退学するわ。今すぐ退学するわけではないけれど、来年の三月には・・」「こんなのって、酷過ぎるわ!千尋様が可哀想だわ。」香織はそう言うと、千尋を抱き締めて嗚咽した。「わたくしのことを想って泣いてくださって有難う、香織様。わたくし、あなたの優しさを一生忘れないわ。」 週末、千尋は大岩との結婚準備のため、実家に帰省した。「ご無沙汰しております、英子義姉様。」「千尋さん、このような事になって本当に済まないわね。あなたが、家の犠牲になるのだけは何としても避けたいと、うちの人が言っていたのに、どうすることもできなかったわ。」「英子義姉様、わたくしは大丈夫です。道貴兄様と奥様はどちらに?」「二人なら和室に居るわ。」「有難うございます。」 千尋が和室に入ると、畳の上には色とりどりの反物が広げられていた。「奥様、道貴兄様、ただいま戻りました。」「お帰りなさい、千尋さん。」「これは、どうなさったのですか?」「大岩様が先ほどうちへいらしてね、この中から好きな物を選べとおっしゃってくださったのよ。さあ千尋さん、そんなところに突っ立っていないで、お座りなさいな。」「はい・・」和室で千尋が大岩との結婚式と披露宴に着る衣装を選んでいた時、そこへ呉服屋を連れた大岩が入ってきた。「まぁ大岩様、わざわざお忙しいというのにうちへ二度も寄ってくださって有難うございます。」 由美子はそう言うと、大岩に笑顔を浮かべた。にほんブログ村
2014年06月03日
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イラスト素材提供:White Board様「あなたは、どなたです?」「わしか?わしゃぁ大岩ちゅうもんじゃ。わざわざ福岡からお前を貰いに来たんじゃ。」父親ほど年の離れた男を見た千尋は、彼が桝塚の言っていた縁談相手だということに気付いた。「わたくしには、愛する夫が居ります。わたくしは、あなたと結婚いたしません。どうぞお引き取り下さいませ。」「そげな事を言われて、はいとすぐに引き下がることはできん。」大岩と名乗った男は、そう言うと千尋を見た。「お前が男やということは、桝塚から知っとる。お前の旦那が、あの土方歳三やということもな。」「あなたは一体何が望みなのですか?」「お前と夫婦になることに決まっとろうが。」千尋は恐怖を感じ、大岩から一歩後ずさった。「千尋、どうした?」「あなた・・」「てめぇ、誰の許しを得てうちに入ってきがった!」歳三はそう言うと、大岩を睨みつけた。「わしは怪しい者やなか。ただ縁談相手に会いに来ただけじゃ。」「縁談相手だと?千尋は俺の大事な女房だ、てめぇみてぇな狸爺にやれるかってんだ!」「狸爺とは、酷い言い草じゃ。」大岩は歳三の言葉を聞いて大声で笑った後、彼を睨んだ。「わしはお前の女房を嫁に貰う為に福岡から遥々こんな田舎まで来たんじゃ。帰れと言われても、梃子(てこ)でもここを動かんぞ。」「上等じゃねぇか、爺!」 二人の男達の間で、火花が静かに散った。「歳三様、お話ししたいことがございます。」「千尋、俺は何があってもお前とは離縁しねぇぞ。桝塚から何を言われたのか知らねぇが、あいつの脅しに屈するんじゃねぇ!」「わたくしは、あなたとは離縁したくはありません・・ですが・・」千尋はそう言うと、俯いた。「千尋、何か隠していることがあるなら俺に言ってくれ。」「大岩様は、もし自分と結婚したら、荻野の家の借金を全て帳消しにしてやるとおっしゃいました・・」「その借金は幾らだ?」「紀洋兄様が賭博や事業でこさえた借金の総額は、二万円です。」「二万・・」「道貴兄様は何とかして借金を返済すると文に書いておりましたが、いつ完済できるのかは判らないそうです。」「お前ぇは、家の為に俺と別れて、あんな奴と・・」「お願いです歳三様、わたくしと離縁してください。」千尋は涙を流しながら、そう言って歳三に土下座した。「わかったよ、千尋・・だから頭を上げろ。」歳三は土下座する千尋の前で腰を屈めると、そっと彼の髪を撫でた。「最後に、お願いがございます。」「何だ?」「どうかわたくしを、抱いてくださいませ。」「わかった・・」その日の夜、歳三は千尋と夫婦になって初めて彼を抱いた。「歳三様、わたくしはあなたの元に帰ってきます。その日まで、わたくしのことを待っていてください。」「ああ、待つよ。お前が俺の元に帰って来る日まで、何年でも待つ。」歳三はそう言うと、引き出しから木箱を取り出し、それを千尋に手渡した。「これは?」「京で買った櫛だ。いつ渡そうかと思っている内に、渡すのを忘れちまった。」「有難うございます。」にほんブログ村
2014年06月03日
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イラスト素材提供:White Board様「まさか、貴様があの土方と夫婦になっているなんて思わなかったぞ。」「あら、そうですか。それで桝塚(ますづか)さん、本当に裁縫学校を設立することをお許し頂けるのでしょうか?」「当たり前だ。俺は一度決めたことは決して覆さない性格だということを、貴様も知っているだろう?」桝塚はそう言うと、千尋を睨んだ。「ええ、存じております。」千尋の脳裏に、会津若松の鶴ヶ城下で逃げ惑う人々の姿が浮かんだ。会津で、桝塚をはじめとする新政府軍は暴虐の限りを尽くした。「桝塚さん、あなたはわたくしと会ってどうなさりたいのですか?」「まぁ、そう警戒するな。貴様に、良い縁談を持ってきたのだ。」「縁談?」「ああ。」桝塚はそう言うと、一枚の釣書を千尋に手渡した。「相手は筑豊に炭鉱を幾つも持っている資産家で、この前のパーティーでお前を見かけて、是非自分の嫁に欲しいと俺に言ってきた。」「わたくしには、歳三様という伴侶が居ります。」「お前は男でありながら、あの土方と夫婦としてこの甲府で暮らしているが、いつまでもその暮らしが続くと思うのか?」「それは・・」「貴様の実家は、父親と二番目の兄貴が死に、その二番目の兄貴が賭博でこさえた借金の所為で家計が火の車だそうだな?」「そんなことを、どなたからお聞きになられたのですか?」「世の中には、口さがない連中が居るものでな。貴様の実家のことを色々と噂をしている親戚筋の話を俺は黙って聞いていただけだ。」「わたくしに、何を望んでいるのですか?」「何も。ただ、俺に土下座する貴様の姿を見たいだけだ。」桝塚の言葉を聞いた千尋は嫌悪の表情を浮かべながら、彼を睨んだ。「ふん、その顔・・久しぶりに見たな。」「わたくしは、これで失礼いたします。」「待て、まだ話は終わっていない。」部屋から出ようとする千尋の腕を掴んだ桝塚は、彼を畳の上に組み敷いた。「何をなさるのです!」「7年ぶりに漸く会えたのだ、楽しもうじゃないか。」「わたしに触るな、汚らわしい!」千尋が小太刀の切っ先を桝塚の喉元に突き付けると、彼はそれを手で払いのけ、千尋の唇を塞いだ。千尋は桝塚の唇を噛むと、頬に鋭い痛みが走った。「生意気な!」自分の首を縛めている桝塚の両手を退けようとした千尋だったが、それはビクともしなかった。「てめぇ、俺の女房に何しやがる!」頭上から歳三の怒声が響いたかと思うと、部屋の襖が乱暴に開け放たれた。「あなた・・」「その汚い手を、千尋から離せ!」「ほう、やるのか?」桝塚と歳三が睨み合っていると、そこへ太田がやって来た。「お二人とも、落ち着いてください!」「帰る。荻野、縁談の件、考えておくんだな。」 桝塚が太田家から去った後、千尋は歳三に桝塚から縁談を勧められたことを話した。「あいつ、お前ぇの実家が苦しい事を知っていて、お前ぇを脅迫しやがって・・何処までも汚ねぇ野郎だ!」「土方さん、今日はもう帰った方がいい。」「太田さん、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。」 太田家の客間で千尋が桝塚と会ってから数日後、土方家に一人の男がやって来た。「いらっしゃいませ、どちら様ですか?」「お前が、土方千尋か?」 恰幅の良い洋装姿の男は、そう言うと薄気味の悪い笑みを千尋に浮かべた。にほんブログ村
2014年06月02日
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イラスト素材提供:White Board様「桝塚(ますづか)って奴は、新選組の残党狩りに躍起になっているようだよ。何でも、京都で昔新選組に同志たちを池田屋で殺された恨みを晴らしたいんだってさ。」「残党狩りか・・道理で千尋が賊に襲われたわけだ。」歳三は富士菊の話を聞きながら、賊に千尋を襲わせたのを指示したのは斎田だが、その裏には桝塚が動いているに違いないと思った。「土方さん、桝塚には気をつけた方がいい。」「富士菊さん、ありがとうよ。」「それじゃぁ、あたしはこれで。」 千尋が太田家を出て帰宅しようとしたとき、自宅の前で彼は富士菊と擦れ違った。「あら、千尋さん、こんにちは。」「富士菊さん、こんにちは。うちの人に用ですか?」「ええ、文部大臣の桝塚のことで話をしていたんだよ。新選組の残党狩りにあいつが躍起になっているってね。」「まぁ・・それは厄介な・・」「千尋さん、あんた賊に襲われたんだってね?怪我はないのかい?」「ええ。小太刀で応戦して、賊を撃退しました。」「そうかい。でも、桝塚はあんたらのことを諦めていないみたいだよ。」「そうですか。富士菊さん、お気をつけて。」「ああ。千尋さん、今度神楽坂に来ておくれ。」「ええ、近い内に必ず伺います。」富士菊と別れ、千尋が帰宅すると、竈の前で歳三は飯を炊いていた。「歳三様、ただいま帰りました。」「お帰り、千尋。」「先ほど、富士菊さんとお会いしました。」「あいつから、桝塚のことは聞いたか?」「ええ。あの人が、わたくし達の裁縫学校設立の許可を下さるのか・・何だか嫌な予感が致します。」「ああ。」歳三がそう言った時、生暖かい風が彼の頬を撫でた。「土方さん、速達です。」「有難う。」 千尋と歳三が文部省に裁縫学校設立の申請書を提出してから一週間が過ぎ、土方家に速達が届いた。「文部省からだ。」「何と書いてあるのですか?」「“甲府に裁縫学校設立の申請を許可する”とだけ書いてある。」「そうですか・・」「もしかしたら、これは桝塚の罠かもしれねぇな。」「罠?」「何だか、嫌な予感がするんだ・・」「考え過ぎではありませんか?」「そうだな・・千尋、今日は赤飯を炊こうか?」「良いですね。」 翌日、千尋と歳三が太田家へと向かうと、そこには見慣れぬ男物の革靴が玄関先に置かれてあった。「太田さん、失礼いたします。」「土方さん、裁縫学校設立、おめでとう。」「有難うございます。太田さん、そちらの方は?」「ああ、こちらの方は文部大臣の、桝塚さんだ。桝塚さん、こちらの方は・・」「こうして会うのは、戊辰の戦以来7年振りだな?」太田の隣に座った桝塚は、そう言って座布団から立ち上がると千尋を睨んだ。「桝塚さん、大変ご無沙汰しております。」千尋はそう言うと、桝塚を見た。「今日ここへ来たのは、貴様に会うためだ・・荻野千尋。」桝塚の鋭い猛禽のような目で睨まれ、千尋はそっと帯の中に隠している小太刀の柄を握り締めた。「太田さん、桝塚さんと二人だけでお話ししたいことがあるので、席を・・」「わかりました。何かあったら、女中を呼んでください。」にほんブログ村
2014年06月02日
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イラスト素材提供:White Board様「急に一体何を言い出すんだ!」千尋の言葉を聞いた斎田は、怒りで顔を赤く染めながらそう千尋に向かって怒鳴ると、座布団から立ち上がった。「斎田さん、どちらへ?」「こんな馬鹿馬鹿しい会合に付き合うなど時間の無駄だ、わたしは帰らせていただく!」「待ってくれ斎田さん。あなたが自分達に金を渡して、目障りな土方さんの奥さんを亡き者にしてくれるよう頼んだ事を、みんな知っているんだ。」「何だと・・」「わたしは今日あなたをここに呼んだのは、あなたが何故土方さんを襲ったのか、その理由を聞きたかったからだ。」「理由?わたしはこいつの亭主が、元新選組副長の土方歳三だと気付いた時から、こいつを殺そうと思っていたのさ!天子様に弓を引いた逆賊の癖に、教育のことを語るなど烏滸(おこ)がましいわ!」斎田に面罵され、千尋は黙ってそれに耐えた。「斎田さん、わたしらは土方さんの過去はどうであれ、土方さんには心から感謝しているんだ。わたしらにとって、土方さんと千尋さんは家族も同然だ。その家族を侮辱するようなことは、たとえあんたでも許さんぞ!」太田は座布団から勢いよく立ち上がると、そう言って斎田を睨んだ。それに、他の地主たちも続いた。「お前達、わたしよりも逆賊の味方をするのか!?」「新選組は明治政府にとっては逆賊かもしれないが、真の逆賊は明治政府の権力を掌握し、鳥羽伏見の戦で錦旗を掲げ官軍を騙った薩長だと、わたしは思うがね!」「太田さん、どうやらあんたとの仲はこれまでのようだな!」斎田はそう太田に怒鳴ると、彼に背を向け大広間から出て行った。「皆さん、お騒がせしてしまって済まないね。」「いいえ。太田さん、よく言ってくれました。普段から斎田のあの鼻につくような態度が腹に据えかねていたんですよ。」「わたしは、これからもあなたの味方ですよ。」「有難う、皆さん。邪魔者が居なくなったところで、裁縫学校のことについて話し合おう。」 八月八日、千尋と歳三は裁縫学校の申請書を文部省に提出した。「漸く、一歩を踏み出せましたね。」「ああ・・」“裁縫学校建設予定地”と書かれた立札の前で、千尋と歳三は自分達の夢への第一歩を踏み出したことへの喜びに胸を膨らませていた。 一方東京・神楽坂にある料亭では、芸者・富士菊がある政府高官のお座敷に出席していた。「今晩は、富士菊です。」「それにしても、甲府に裁縫学校なんてねぇ・・あんな田舎に裁縫学校なんて作ってどうするのですかねぇ?」「そうですねぇ。金の無駄でしょう。」「まぁ、私たちが決めることではありませんがねぇ。」富士菊は彼らの会話に耳を傾けながら、彼らに愛想笑いを浮かべながら酌をした。「こんにちは、土方さん。」「あんた、確か神楽坂の芸者の・・」「あら、あたしの事を覚えていてくれて嬉しいよ。ちょいとあんたに話したいことがあるんだが、いいかねぇ?」「ええ、構いませんよ。」 歳三が畑仕事をしていると、そこへ富士菊が通りかかった。「昨日、政府高官のお座敷に出たんだけどねぇ・・裁縫学校のことを散々こき下ろしていたよ。」「そりゃぁ、そうでしょうねぇ。」「まぁ、そんなに落ち込まないでおくれ。あの方たちが言うには、裁縫学校の設立の許可を下すのは文部大臣の桝塚様だってさ。」「桝塚・・会津の戦いで鶴ヶ城総攻撃を指示した、あの桝塚が文部大臣?」「土方さん、桝塚様を知っているのかい?」「知っているも何も、あいつは・・桝塚は俺と戊辰の戦で幾度も刃を交えた男だ。」にほんブログ村
2014年06月01日
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イラスト素材提供:White Board様 義郎(よしろう)が太田家に戻って助けを呼びに行っている間、千尋は一人で大の男二人を相手に戦っていた。「へえ、なかなかやるじゃねぇか。」「ま、それがいつまで続くかな?」男達はそう言って笑いながら、手にしていた鎌や鉈(なた)を千尋に向かって振るった。「得物を持たないとわたくしを倒せないのですか?」「うるせぇ、このアマ!余り俺達を舐めていると痛い目に遭うぞ!」千尋の挑発に乗り、鉈を持った男はそう彼を睨みつけると大きく腕を振り上げた。その隙を狙った千尋は、帯の中に隠していた小太刀(こだち)の鯉口を素早く切り、男の向う脛を勢いよく蹴り飛ばした。勢いよく体勢を崩した男の喉元に、千尋の小太刀の切っ先が突き付けられた。「さっさとここから去りなさい。」「畜生、行くぞ!」気絶した仲間の身体を両脇で支えながら、男達は闇の中へと消えていった。「土方さん、賊に襲われたと聞いたが・・大丈夫ですか?」「ええ、大丈夫です。」「千尋!」「歳三様・・」「よかった、お前ぇが無事で・・」「ご心配をおかけして、申し訳ありません。」 千尋が賊に襲われてから数日が経った。彼を襲った男達の正体はいまだに判らぬままだった。「千尋、これから出かけるときには必ず俺に言えよ。それか、義郎さんに供をつけてもらえ。」「そのような事をしなくても、自分の身は自分で守れます。」「甘ぇよ、千尋!向こうはお前や俺のことを知っているんだぞ!」「歳三様・・」「お願いだ、俺の言う事を聞いてくれ。お前ぇに何かあったら、俺は生きていけねぇ。」「わかりました、あなたの言う通りに致します。」「それでいい。」歳三はそう言うと、千尋の唇を塞いだ。「太田様、失礼いたします。」「土方さん、君を襲った男達の身元が割れたよ。」「そうですか。」「彼らは、ある男に雇われて君を夜道で襲えと指示されたと警察で白状したよ。」「誰なのです、わたくしを襲うよう男達に指示をした方は?」「それは・・」太田はさっと千尋の隣に腰を下ろすと、千尋を襲うよう男達に指示をした者の名を彼の耳元で囁いた。「土方さん、このことはご主人には・・」「主人には報告しません。」「このような事になって、本当に済まない。彼のことは、わたしに免じて許してくれないか・・」太田はそう言うと、千尋に向かって土下座した。 千尋が賊に襲われてから四日が経った。この日は太田の家で裁縫学校設立についての会合が開かれていた。「裁縫学校を、甲府につくるだと?」「ええ。学校には裁縫だけではなく、英語や和歌なども生徒達に教えたいと思っております。」「ふん、そんな役に立たねぇもの、つくってどうなるんだ!」そう言って千尋を睨みつけたのは、斎田という男だった。「斎田さん、ひとつお聞きしても宜しいでしょうか?」「何だ!」「四日前、この近くに住む男達に金を渡して、わたくしを襲うよう指示したのはあなたですね?」にほんブログ村
2014年06月01日
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イラスト素材提供:White Board様「清、美晴がまた喘息の発作を起こしたそうだな?」「ええ。でもお医者様が来てくれてお薬をあの子に飲ませたから、今は落ち着いていますよ。」「そうか・・」太田はそう言うと、娘の寝顔を覗き込んだ。「清、今日は誰か客が来ていなかったか?」「土方さんが昼間お見えになられましたよ。何でも、女学校のことで話があるとかで・・」「すまないが、土方さんをここに呼んできてくれないか?」「わかりました。」 千尋が自宅で夕飯の支度をしていると、戸を誰かが叩く音がした。「どちら様ですか?」「清です。」「まぁ女将さん、お忙しいのにわざわざうちに来てくださるなんて・・今お茶を・・」「茶は要らないよ。うちの人が呼んでいるから、あたしと一緒にうちに来ておくれ。」「わかりました。今支度をして参ります。」 数分後、千尋は清とともに太田家へと向かった。「あなた、土方さんをお連れしましたよ。」「土方さん、こんな時間に済まないねぇ。さぁ、上がってくれ。」「はい。」「今日は、女学校のことでわたしと話をしたいとか・・」「ええ。昨日、女学校設立に反対している住民の皆さんを集めて会合を開きました。」「何かされなかったかい?」「予想していた事は色々と言われましたが、わたしが女学校ではなく裁縫学校を建てたらどうかと言ったら、皆さん賛成してくださいました。」「裁縫学校、ねぇ・・」「裁縫学校ならば、卒業後生徒達は即戦力として社会に出て働くことができますから・・如何でしょうか?」「悪くはない案だね。ただ、それで国の許可が下りるかどうかが問題だが・・」太田はそう言って低く唸ると、咥えていた煙管の中に火をつけた。「明日、主人と二人でこちらに伺います。」「土方さん、わたしもできる限りあなたのご主人を援助しようと思っている。だから、困った時は何でもわたしに声を掛けてくれ。」「有難うございます、太田さん。それでは、これで失礼いたします。」「うちの者に家まで送らせますよ。こんな田舎でも夜道の一人歩きは物騒ですからねぇ。」「有難うございます、奥様。」「それじゃぁ、お気をつけて。」 千尋が太田家を出て、太田家の使用人・義郎とともに夜道を歩いていると、突然彼らの前に数人の男達が現れた。「何ですか、あなた方?」「お前ぇか、新選組の残党の女房って奴ぁ?」(この人たち、歳三様の事を知っている!)「わたくしをどうなさるおつもりですか?」「なぁに、少し痛めつけるだけさ。ちょいとおとなしくしていれば、すぐに済む。」男達は下卑た笑みを口元に浮かべながら、そう言って千尋の頬にひたと匕首を当てた。「そんな物騒なものをおしまいなさい、無礼者。」「俺ぁ気の強い女が好みでねぇ。特にあんたみてぇな武家娘は、最高さぁ。」千尋の頬に匕首を当てている男がそう言って彼の尻を触ろうとした。その時、彼の身体が突然宙を舞った。「おい、大丈夫か?」「汚い手でわたくしに触れるから、痛い目に遭うのですよ。」「このアマ、ふざけやがって!」「義郎さん、今来た道を戻ってください。」「わ、わかりました!」 義郎が悲鳴を上げながら夜道を走っていくのを見送った千尋は、まるで獣のように歯を剥き出しにして唸る二人の男を睨みつけた。にほんブログ村
2014年05月31日
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イラスト素材提供:White Board様「実は、女学校設立について反対の声が多くてね・・しまいに彼らは、女学校の為に金を出すわたしのことをどうかしているとか言い出してねぇ・・」「数日前、俺の家に反対派の住民達が押しかけてきました。」「そうか、君のところにも彼らが来たのか・・」「彼らが言うには、女には学など必要ないと・・」「まぁ、ここら辺は農家が多いから、女子供らは貴重な労働力だ。女学校で娘たちが勉強をする時間よりも、家の仕事を手伝ってくれた方がいいと彼らは思っているのだろう。」「そうですか・・」山梨に女学校を―歳三の夢の実現には、大きな壁が立ちはだかっていた。「歳三様、これからどうなさいますか?」「俺が簡単に諦めると思うか?」「いいえ。あなたは強い方です。一度決めたことは、何があっても必ずやり遂げる方です。」「その言葉を、お前の口から聞きたかったんだ。」歳三はそう言うと、千尋に微笑んだ。 太田が土方家を訪れてから四日後、歳三と千尋は女学校設立の反対派住民達を教室に集めて会合を開いた。「皆さんのお気持ちは、よく解ります。ですが、これからの時代女性が学問を修め、社会的に自立する必要が・・」「そんな難しいことは、おれらにはわからんずら!」「だいたい百姓に、読み書きなんて必要ねぇさぁ!」「女学校に娘を行かせるよりも、どこか奉公に出した方がいいさぁ!」反対派の住民達の心を変えるのは至難の業だと千尋は思った。「そうですか・・では、裁縫学校として生徒を募集するのは、どうですか?」「裁縫学校?」「ええ。卒業後、生徒たちは即戦力として社会で働くことができます。」「それだったら、悪くはねぇな。」「そうだなあ・・」「なぁ千尋、裁縫学校を甲府に設立することが本当にできるのか?」「それは、やってみなければわからないでしょう。」「まぁ、そうだなぁ・・」「裁縫学校といっても、生徒達に教えるのは裁縫だけではなく、英語や和歌などの教養科目も取り入れたいと思っております。」「国の許可が下りるかどうかだよなぁ・・」「そうですね。歳三様、わたくし明日太田様にお会いして、もう一度学校のことをお話してみます。」「わかった。」 翌日、千尋が太田家へと向かうと、母屋には太田の妻・清が使用人達に仕事の指示を出していた。「清様、お久しぶりでございます。」「あら、千尋さん。あんた、山梨に女学校をつくることで、村人たちと揉めたんだってね?」清はそう言うと、千尋を睨みつけた。「ええ。そのことで太田様とお話がしたいのですが、ご在宅でしょうか?」「ああ、うちの人は所用で東京に出かけていてねぇ。夕方まで戻らないよ。」「そうですか、では改めてまた伺わせて頂きます。」「済まないねぇ、折角来てくれたっていうのに。」清の視線を背後に感じながら、千尋は太田商店を後にした。「女将さん、あの方は?」「ああ、あの人は土方さんの奥さんさ。何でも東京の女学校に行っているんだと。」「へぇ・・とても綺麗な人ですねぇ。」「あんた、見かけに騙(だま)されちゃぁいけないよ。結構あの人、やることはやるんだから。」清は鼻を鳴らすと、店の奥へと消えた。「女将さん、美晴お嬢様が発作を・・」「今、あの子は何処にいるんだい?」「今お医者様がいらして、美晴お嬢様にお薬を飲ませました。」「そうかい・・あの子に何かあったら、あたしゃぁ死んでも死にきれないよ。」 清が一人娘・美晴の部屋に向かうと、美晴は布団で寝ていた。美晴は、清が太田と結婚して五年目に漸く授かった自分の命よりも大事な存在だった。にほんブログ村
2014年05月31日
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イラスト素材提供:White Board様「一体あんた、何だってうちの畑の前で倒れていたんだ?」「それは後で話すから、何か食べるものを・・」「仕方ねぇな、ほらよ。」歳三は洋装姿の男に向かって握り飯をやると、男は歳三の手からそれを奪い取り、あっという間に平らげてしまった。「飯はやったから、さっさと事情を話しな。」「わかった・・」洋装姿の男は田渕(たぶち)と名乗り、山梨に女学校ができるというので、わざわざ東京から甲府までやって来たはいいものの、反対派の住民達に身ぐるみ剥がされた挙句、子供らに泥団子を投げつけられて東京まで逃げようとした途中で力尽きたという。「へぇ、あんたも大変な目に遭ったなぁ。」「図々しいお願いですが、お風呂を・・」「まぁ、そんな泥だらけの格好じゃぁ東京に帰るにも帰られないだろうよ。」歳三は溜息を吐きながら、田渕を見た。「それにしても、あの田渕って野郎は災難な目に遭ったなぁ。」「そうですね。」「あいつが着ている服を見る限り、何処かの華族の坊ちゃまだろうな。」「田渕様は、これからどうなさるのでしょうか?」「それは、俺にはわからねぇな。」「太田様は、女学校設立の為に協力をしてくれるとおっしゃっておりますが、本当のところはどうなのでしょうか?」「さぁな・・」「いやぁ、先にお風呂、頂きました!」風呂から上がった田渕は、濡れた亜麻色の髪を手拭いで拭きながらそう言うと、二人に向かって屈託のない笑みを浮かべた。「田渕さん、あんたこれからどうするんだい?まだ東京行きの汽車には間に合うぜ?」「あのう、ここに一泊しても宜しいでしょうか?」「宜しいでしょうかって・・泊まる気満々じゃねぇか!言っとくがな、今日炊いた飯は二人分しかねぇんだ。飯が食いてぇのなら、外にでも行って食ってくるんだな!」「わかりました・・」「歳三様、さっきのは言い過ぎではありませんか?」「言い過ぎも何も、ああいう図々しいやつをつけ上がらせたらどうしようもねぇんだよ。」 その日の夜、千尋の隣で眠る田渕を睨みつけ、歳三はわざと彼の腹を踏みながら厠へと向かった。「あの、僕何かあなたの気分を害することをしましたか?」「さっさと明日の汽車で東京に帰るんだな。俺達はいつまでもあんたには構ってやれねぇんだよ。」「わかりました・・お休みなさい。」(ったく、あいつみてえな厚顔無恥な男は見たことがねぇ!) 翌朝、歳三が起きると、田渕が着ていた洋服がなかった。「あいつは?」「さっき、東京にお戻りになりました。迷惑を掛けてしまって済まなかったと・・」「そうか。さてと、今日も色々と忙しくなりそうだな。」「そうですね。」朝食の後、二人が畑仕事をしていると、そこへ太田が畑の前を通りかかった。「土方さん、話があるんだが、いいかな?」「ええ、いいですよ。」 数分後、家に入った太田は、歳三と千尋に向かって額を擦り付けんばかりに土下座した。「申し訳ないが、女学校設立の話は白紙に戻してくれないだろうか?」「太田さん、急に何でそんな事を言うんだ?何か理由があるのなら、話してくれよ!」「わかった・・」太田はそう言うと、額の汗を手拭いで拭った。にほんブログ村
2014年05月30日
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イラスト素材提供:White Board様「一体何の用だ、こんな朝早くから?」「土方さん、あんた本当に甲府で女学校を作る気け?」「ああ。太田さんと一緒に今資金集めに奔走しているところだが・・それがお前らに何か関係あるのか?」「関係あるに決まってるじゃん!」どうやら自宅を訪ねてきたのは、女学校設立に反対している住民達のようだった。「大体、女に学問なんざいらねぇ。」「そうだ、女は字が読めんでも、家の事だけできればそれでいいんだ!」「皆さん、落ち着いてください。」「それにあんたの奥さん、東京の女学校に行っているんだってな?東京で役に立つ英語やテーブルマナーは、こんな田舎じゃ役に立てねぇさ!」反対住民たちは口々にそう言うと、家から出て行った。「千尋、もう出てきてもいいぞ。」「はい・・」千尋が押し入れから出ると、竈(かまど)の前で歳三が溜息を吐いていた。「女学校設立に反対されている方が、いらっしゃるようですね?」「ああ。お前ぇには、みっともねぇ姿を見せたくなくて、押し入れに隠れろって言ったんだが、無駄だったな・・」「太田様のように、女学校設立に理解を示してくださる方だけではないことくらい、考えればわかります。」千尋はそう言うと、歳三を抱き締めた。「あまり一人で背負い込まないでください。わたくしは、あなたの妻なのですから、あなたの喜びも苦しみも分かち合いたいのです。」「わかった・・」「まだ家の掃除が終わっていませんので、手伝っていただけませんか?」「ああ。」 午前中、千尋と歳三は家中を掃除した。「いつも毎日気を付けて掃除をしているんだけどなぁ・・どうしても、見えない所に汚れが溜まるんだなぁ。」「ええ、そうですね。それよりも歳三様、表の畑はどなたのものですか?」「ああ、あの畑は俺の畑だ。俺はもともと百姓だから、野菜を育てるのは好きだ。」「まぁ、そうですか。」 家の掃除を終え、千尋は歳三とともに畑仕事をした。「こんなに暑い中、毎日畑仕事をされているのですか?」「ああ。千尋、余り無理をするな。」「わかりました。」 手拭いで額の汗を時折拭いながら、千尋は天を仰いだ。「あら、千尋先生!」「千代さん、お久しぶりです。」「東京から帰ぇってきただけ?」「ええ。千代さん、お元気そうで何よりです。」「うちの子達、教室が休みになって毎日つまらんって言ってるだ。千尋先生と歳三先生に早く会いたいってそればっかり言って・・」「まあ・・」「そいじゃ先生、またね!」「ええ、また。」「そろそろ昼飯にするか?」「ええ。」 竈の前で千尋がご飯を炊いていると、外から大きな物音がした。「何だぁ?」歳三が戸を開けると、畑の前に洋装姿の男が倒れていた。「おいあんた、大丈夫か?」男の服は泥に塗れ、歳三が頬を叩いても何の反応がなかった。「千尋、こいつに水掛けろ!」「はい。」千尋は井戸から水を汲むと、それを男の顔に掛けた。「ゲホ、ゲホッ!」「どうやら気がついたようだな。」にほんブログ村
2014年05月30日
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イラスト素材提供:White Board様 千尋が襷がけをして家中の掃除をしていると、誰かが戸を叩く音がした。「どちら様ですか?」「土方さんのお宅ですか?」「ええ。」「東京の荻野様から、お荷物が届いております。」「有難うございます。」郵便配達夫から小包を受け取った千尋は、家の中に戻るとその小包を解いた。中には、美しい緑の地に薔薇の刺繍が入った着物が入っていた。“千尋さん、お誕生日おめでとう。いつまでもご主人と仲睦まじく暮らしてくださいね。英子”(英子義姉様・・有難うございます。)英子が贈ってくれた着物を、千尋はそっと抱き締めた。「ただいま。」「お帰りなさいませ。」「それは?」「さっき、東京の義姉から届きました。」「そういえば、今日はお前の誕生日だったな。」そう言うと歳三は、懐からベルベットの箱を取り出した。「それは?」「まぁ、開けてみろ。」「はい。」千尋が箱を開けると、そこにはペリドットの指輪が入っていた。「これは・・」「随分と高い買い物だったが、お前の喜ぶ顔を見る為なら悪くねぇなと思って・・」「有難うございます。」 数日後、太田の屋敷で女学校設立のための会合が開かれた。「太田様、お久しぶりです。」「おぉ、誰かと思ったら千尋さんじゃないか!その着物、よく似合っているよ。」「有難うございます。」英子から贈られた着物を太田に褒められ、千尋は彼に礼を言うと嬉しそうに笑った。「太田様、女学校設立のための資金は、どうなっておりますか?」「あと少しで、女学校設立のための資金が集まる。あとひと踏ん張りだ。」「そうですか。」「東京の女学校で、君は狩野議員のお嬢さんと会ったそうだね?」「ええ。余り彼女とは相性があいませんが・・」「まぁ、人には好き嫌いがあるものだ。余り気を落としては駄目だよ?」「はい・・」「今日はわざわざ来てくれて有難う。」千尋は太田から注がれた葡萄酒を一口飲むと、彼に微笑んだ。「ここに、女学校が建つんですね。」「ああ。お前が通っている女学校のような、立派な学校を建ててみせるさ。」女学校建設予定地の前に立った千尋と歳三は、大きな期待と夢に胸を膨らませていた。「今日は少し疲れたな。」「ええ。」「なあ千尋、こうしてお前と二人きりでいると安心するんだ。」「わたくしもです。」「これからは、ずっと一緒だ。離れていても、俺達の心はひとつだ。」「ええ・・」歳三は千尋の体温を感じながら、ゆっくりと目を閉じた。 翌朝、千尋と歳三が朝食を食べていると、誰かが戸を荒々しく叩く音がした。「誰でしょう、こんな朝早くから・・」「千尋、お前は押し入れに隠れていろ。」「わかりました。」 千尋が押し入れに隠れると、誰かが戸を蹴破る音が聞こえた。にほんブログ村
2014年05月29日
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イラスト素材提供:White Board様 千尋が甲府駅で汽車から降りると、プラットホームには歳三の姿があった。「お帰り、千尋。」「ただいま、あなた。」千尋はそう言うと、歳三の胸の中に飛び込んだ。「子供達は元気ですか?」「ああ。それよりもお前、少し痩せたな?」「色々とありまして・・」「そうか。腹が減っただろう?飯でも食おう。」「はい。」 二人は、駅の近くにある蕎麦屋(そばや)で昼食を取った。「学校はどうだ?」「最近、薩摩と京都、熊本から編入生が来て・・薩摩から来た佐伯千鶴子さんと、熊本から来た山田梓さんとは仲良くしておりますけれど・・」「京都から来た編入生とは、上手くいかなかったのか?」「ええ。彼女は、狩野万之丞(かりのまんのじょう)様のご息女だそうで・・」「狩野万之丞といえば、今飛ぶ鳥を落とす勢いの貴族院議員じゃねぇか。」「わたくし、あの人が何かを抱えているような気がするのです。他人には言えない、何かを・・」「そうか。なぁ千尋、この世にはどうしても相性が悪い人間も居れば、その逆の人間も居る。ただ相手が嫌いだから、苦手だからって自分から相手に背を向けちゃいけねぇと思うんだ。じっくりと、相手と向き合えばいいさ。そうすれば、相手もきっとわかってくれる。」「そうですね・・」千尋は、歳三の言葉に少し励まされた。 四ヶ月ぶりに帰ってきた我が家を見ると、何処かよそよしい空気に満ちていた。「どうした?」「何だか、家の空気が少し変わっているような気がして・・」「四ヶ月も家を空けたから、そう思うのも仕方ねぇよな。」歳三はそう言って千尋の肩を叩くと、家の中に入った。「今日は暑いですね。」「ああ。今日の夕飯は素麺(そうめん)にしようか?」「いいですね。」その日の夜、千尋は四ヶ月ぶりに歳三と夕食を囲んだ。「お前が甲府を留守にしている間、俺は教室で子供達を教えたり、女学校設立のための資金集めをしたりして、色々と忙しかったんだ。」「そうですか・・それは大変でしたでしょう。」「今度、太田さんの家で女学校設立についての会合を開くことになってな。お前も一緒に来ないか?」「はい。」 夕食の後、千尋と歳三は風呂で互いの背中を流し合った。「千尋、東京に帰る日まで一緒に居られるんだな。」「ええ・・」「お前は、俺と一緒に居て楽しいか?」「楽しいです。」「そうか、それは良かった。」 翌朝、歳三が寝床の中で微睡んでいると、台所の方から米が炊ける匂いがした。「おはようございます、歳三様。」「おはよう。」「今日、教室に顔を出そうと思っております。」「教室は休みだ。」「そうですか。」「朝飯を食ったら、出かける。」「わかりました。」 玄関先で歳三を見送った千尋は、家の中に戻ると掃除を始めた。にほんブログ村
2014年05月29日
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イラスト素材提供:White Board様「ねぇ土方さん、今度熊本から編入生が来るのですって。」「まぁ、それは本当なの?」「ええ。」「仲良くなれるといいわね。」教室でいつものように千尋が級友たちと談笑していると、そこへ担任の教室が一人の女学生を連れて教室に入ってきた。「皆さん、熊本から編入してきた山本梓さんです。」「山本梓です、宜しくお願いします。」 山本梓は、目鼻立ちが整った美人だった。「山本さん、土方さんには気を付けた方がいいわよ。」「あら、どうして?土方さんはわたくしに色々と親切にしてくださったわ。」「そんなの、上辺(うわべ)だけよ。あの方、腹黒い性格で、伊津子様のことを虐(いじ)めておきながら、謝ろうともしないのよ、酷いとは思わない?」 図書室で読書をしている梓に詩織はそう話しかけると、千尋の悪口を彼女に吹き込んだ。「神崎さん、あなたどうして土方さんの事を悪く言うの?」「それは・・」「土方さんが腹黒い方なんて、そんなのあなたが一方的に思っているだけではなくて?」梓に反論され、詩織は思わず言葉に詰まってしまった。「神崎さん、わたしはあなたと土方さんとの間に何があったのか知らないわ。けれど、わたしは人の悪口を平気で言うような方は信用できないわ。」 食堂に入った梓は、千尋の隣に座った。「あなたが、土方さんね?初めまして、山本です。」「初めまして、土方です。」「あなたのことは、神崎さんから色々と聞きました。」「そう・・あの方のことですから、きっとわたくしのことを悪く言ったでしょうね?」「ええ。でもわたし、人の悪口を平気で言うような方は信用しません。それに、神崎さんと土方さんとの間に何があったのかも、興味がありません。」「そう、その言葉をあなたの口から聞いて安心したわ。」千尋はそう言って梓に右手を差し出した。「これから、仲良くしましょうね、山本さん。」「ええ。」 季節は過ぎ、うっとうしい梅雨が終わり、夏が来た。「もうすぐ夏休みね。千尋様は甲府に帰られるの?」「ええ。香織様は金沢のご実家には帰られるの?」「ええ。この女学校に来てから三年間も実家に帰っていないし、家族の顔も見たいから・・梓様は?」「わたくしは実家に帰りたいのは山々だけれど、遠いからなかなか帰れないわ。」「そうね。わたくしも、薩摩の実家には帰ることが出来ないの。わたくしは帰りたいけれど、両親が薩摩は今危ないから帰って来るなという文が今朝届いたの。」「そう・・何だか、お二人には悪いわね。」 一学期の終業式を終えた英和女学校の生徒達は、旅行鞄を抱えながら寄宿舎を出て、家族が待つ家へと帰っていった。「土方さん、井出さん、お気をつけて。」「ええ。千鶴子様も、梓様もお元気で。」 校門の前で千尋と香織は千鶴子と梓と別れ、馬車で東京駅へと向かった。「また、九月に会いましょうね。」「ええ、九月に会いましょう。」金沢へ向かう汽車に乗る香織と別れ、千尋は甲府行きの汽車に乗った。“歳三様、お元気でいらっしゃいますか?夏休みを利用して今日甲府に帰ります。子供達のお土産にクッキーを焼きました。これからあなたと会えると思うと、嬉しくて胸が弾みます 千尋” 千尋からの手紙を読んだ歳三は、それを懐にしまうと、冷たい茶を一口飲んだ。にほんブログ村
2014年05月29日
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イラスト素材提供:White Board様「伊津子様、今のはお言葉が過ぎますよ。千鶴子様に謝ってください。」「うちは何も、悪いことは言うてません!」千尋から千鶴子に謝れと言われた伊津子は、怒りで顔を赤く染めながら千尋を睨んだ。「あなたがどこの公家のお姫様なのかは知りませんが、この英和女学校の一員となった以上、この学校の規則には従って貰います。」「うちを誰やと思うてるの!うちにそんな口の利き方をして、無事で済むと・・」「お黙りなさい!伊津子様、この学校の規則に従えないというのなら、ご実家にお戻りいただいて結構です。」「こんな屈辱を受けたのは、生まれて初めてやわ!」伊津子は乱暴にナイフとフォークを置くと、そのまま食堂から出て行った。「一体どうなってしまうのかしら?」「でも、土方さんがおっしゃられたことは間違っていないわ。だってあちらが佐伯様に失礼な事をおっしゃったのだから・・」「一体何様のつもりなのかしらね、あのお姫様は。」 食堂での一件から一夜明け、千尋は校長室に呼ばれた。『土方さん、あなた狩野さんとトラブルを起こしたそうですね?さきほど、狩野さんがあなたに虐(いじ)められたとわたくしに訴えてきましたよ。』『校長先生、それは違います。狩野さんは佐伯さんのことを侮辱したので、わたくしは彼女に注意をしただけです。決して虐めてなどいません。』『そうですか。あなたが狩野さんを注意するのは、よほどの理由があるからでしょう。もう結構です、教室に戻りなさい。』『わかりました。』校長室から出た千尋が教室に戻ると、香織と千鶴子が彼の元に駆け寄って来た。「土方さん、大丈夫だった?」「ええ。校長先生に本当のことをお話ししたわ。」「そう。狩野さんは風邪でお休みですって。」「どうせ仮病でしょう?昨夜のことがあってから、土方さんと顔を合わせるのが嫌なのよ。」「おやめなさい、二人とも。」「土方さん、わたくし達はあなたの味方ですからね。」「有難う。」担任の教師が教室に入ってくると、千尋達は自分の席に戻った。 伊津子はその日、夕食の時間になっても千尋達の前に姿を現さなかった。「あの方、もう一週間もお休みしているわね。」「ええ。」「まぁ、あの方が居なくなっても気に掛ける方はいらっしゃらないんじゃなくて?」「あなた、冗談でもそんな事をおっしゃってはいけないわ。どこで誰が聞いているのか、わかりはしないのだから。」「それもそうね・・」一週間も教室に顔を出さない伊津子に、女学生達は一体何があったのかと噂をしていた。「ねぇ土方さん、あなたの所為で狩野様はお部屋に引きこもってしまわれたのではなくて?」「あら神崎さん、わたくしが悪いとでもおっしゃりたいの?それならば、狩野様の勘違いもいいところだわ。」図書室で勉強をしている千尋の前にやって来た詩織は喧嘩腰にそう言って彼を睨むと、千尋は涼しい顔をして詩織に言い返した。「あなた、ご自分が何をなさっているのかわかっていらっしゃるの?」「神崎さん、ここは図書室です。余り大きな声で話さないでくださる?」「もういいわ!」詩織は千尋を睨みつけると、図書室から出て行った。「まったく、神崎さんには困ったものね。一週間前のことは、明らかに狩野さんが悪いというのに、狩野さんの肩ばかりもって・・」 いつしか女学校内には、千尋を支持する“土方派”と、詩織と伊津子を支持する“神崎・狩野派”という二つの派閥が出来てしまった。『校長、このままだと校内の空気が悪くなるばかりです。何とかしなければなりません。』『ええ。ですが、私たち教師が解決する問題ではありません。これは、生徒達が解決する問題です。』にほんブログ村
2014年05月29日
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イラスト素材提供:White Board様 庭の桜が葉桜となった頃、薩摩から一人の編入生が英和女学校にやって来た。「佐伯千鶴子です、宜しくお願いします。」薩摩から来た編入生・佐伯千鶴子は教壇の前で自己紹介すると、千尋達に向かって一礼した。「何だか、仲良くなれそうね。」「ええ。」 昼休み、食堂で千尋達が昼食を食べていると、そこへ千鶴子がやって来た。「そこ、座っても宜しいですか?」「どうぞ。」「有難うございます。あの、あなたのお名前は?」「土方千尋と申します。これから仲良くしましょうね。」「佐伯千鶴子です。いやぁ、土方様はまるで西洋のお人形さんのようですねぇ。」千鶴子はそう言うと、千尋の手を握った。「あら、それは有難う。お世辞でも嬉しいわ。」「千尋様は、護身術部の部長をなさっておられるのよ。」「護身術部の部長さんですか?」「ええ。佐伯さんは、何か武術を嗜んでいらっしゃるの?」「薙刀と柔術を嗜んでおります。」「女の方が柔術を嗜まれるなんて珍しいわね?」「わたしの家は、父や兄達が武術を嗜んでいたので、自然とわたしも武術を嗜むようになりました。」「あら、そうだったの。佐伯さん、今度護身術部の見学にいらして。」「ええ、是非見学させていただきます。」千尋は千鶴子と何かと気が合った。「何だかわたくし、千鶴子さまに妬いてしまいそうだわ。」「そんな事おっしゃらないで。」大広間で千尋と香織が紅茶を飲んでいると、そこへ詩織と見知らぬ女学生が入ってきた。「あら土方さん、御機嫌よう。今日は薩摩の方はいらっしゃらないの?」「神崎さん、御機嫌よう。そちらの方はどなたかしら?」「こちらの方は、狩野万之丞(かりのまんのじょう)さまのご息女の、伊津子様よ。」「まぁ、そうでしたの。初めまして狩野様、土方千尋と申します。」「へぇ、あなたが土方さんですか。神崎さんからよう話は聞いていましたけれど、女のわたくしでも嫉妬するような美しいお顔をしてはるわぁ。」「あら、そうですの。狩野様もご一緒にお茶を頂きませんこと?」「わたくし、お茶は宇治の抹茶しか飲まへんと決めてるんどす、堪忍え。」「まぁ、それは残念ね。もう行きましょうか、香織様。」「ええ・・あの方、なんだかお高くとまっておりましたわね?まぁ神崎様とは仲良くなれるのも、納得できますけれど。」「世の中には、色々な方がいらっしゃるから、仕方がないわよ。」香織が伊津子の高慢な態度に憤慨している一方、千尋は涼しい顔をして廊下を歩いていた。「千尋様は、腹が立たないの?」「そりゃぁ、腹が立つけれど、いちいちあんなことに腹を立てていても、時間の無駄だと思うのよ。」「それもそうね。でもわたくし、どうしても思っていることが顔に出てしまうのよ。どうしたら千尋様みたいに、冷静になれるのかしら?」「あら、わたくしだって、何もはじめからこんなに冷静だったわけではないわ。色々な事を乗り越えてきて、物事を冷静な目で見られるようになったの。」「羨ましいわ、わたくしもいつか千尋様みたいになりたいわ。」 その日の夜、千尋が香織と千鶴子と三人で夕食を取っていると、奥の席に詩織と伊津子が座った。「わぁ、美味しそうなお肉ですね!」「そうね。」食膳の祈りを捧げた後、千鶴子はステーキを一口大に切ってそれを頬張った。「ああ、美味しい!こんなお肉、今まで一度も食べたことないです!」「そらそうやろうなぁ、薩摩の田舎娘には、到底口に出来へんものやさかい。」「ちょっと、今何かおっしゃったかしら?」「いいえ、うちは何も言うてまへんえ。」「この・・」「おやめなさい、千鶴子様。つまらない挑発に乗ってはいけませんよ。」「けれど・・」「田舎娘を田舎娘と言うて何が悪いんどす?」にほんブログ村
2014年05月28日
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イラスト素材提供:White Board様「あら、あなた様は・・」「少し話があるのですが、今宜しいですか?」「ええ、構いませんわ、どうぞ。」玲子の兄・直道と会うのは、紀洋と玲子の結婚式以来だった。「わたくしにお話とは何でしょうか?」「荻野の家から今回の騒動のことは聞きました。妹があなたに失礼な事をしてしまって申し訳ない。」直道はそう言うと、千尋に向かって頭を下げた。「頭を上げてくださいませ、直道様。」「いいえ、妹の事だけではなく、わたしはあなたのご主人にも酷いことをしてしまいました。」「まぁ直道様、それは一体どういうことですの?」「ご主人の事を警察に密告したのは、わたしなのです。」「それは、本当ですの?」「ええ。」「こちらにお掛けになって、詳しく話してくださいませんか?」 数分後、千尋は直道から信じがたい話を聞いた。「それは、確かなのですか?」「ええ。」「直道様、こうしていらしてくださったのに、大したおもてなしもできませず、申し訳ございませんでした・・」「いいえ、わたしの方こそあなたのご都合も考えずに女学校へ押しかけてきてしまって申し訳ございません。では、わたしはこれで失礼いたします。」直道はそう言ってソファから立ち上がると、千尋に一礼した後部屋から出て行った。「香織様、神崎さんが今どこに居るのか知らないかしら?」「神崎さんなら、図書室に居ると思うけれど・・どうしたの千尋様、怖い顔をなさって?」「そう、有難う。」 部屋から出た千尋は、詩織に会いに図書室へと向かった。「あらどうしたの土方さん、そんなに息を切らして・・」「神崎さん、あなたでしょう、主人のことを警察に密告するよう石丸の義兄様を唆したのは?」「あら、一体何の話かしら?」「とぼけないで!さっき直道様がいらして、わたくしに全てを話してくださったわ!」「そう、バレてしまっては仕方がないわね。」詩織はそう言うと、千尋を睨んだ。「あなたのご主人に、わたしの兄は殺されたのよ。」「あなたのお兄様が、主人に殺された?それはいつの事かしら?」「兄は戊辰の戦に新選組隊士として加わって、会津で命を落としたわ!父は兄を死なせた罪は自分にあると、今でも自分を責めて・・母は兄の死を嘆き悲しむばかりで・・そんな両親の姿を見ていたわたくしは、兄をわたくし達から奪ったくせに平気な顔をしているあなた方が憎かったの!そして、あなた方の幸せを滅茶苦茶にしてやろうと思ったのよ!」「それは誤解だわ、神崎さん。あなたのお兄様は・・」「言い訳なんか聞きたくないわ!」詩織は千尋を睨みつけると、図書室から出て行った。「千尋様、さっき神崎さんが恐ろしい顔をして図書室から出て行ったけれど、彼女と何かあったの?」「いいえ、何もないわ。」「ねえ千尋様、嫌な事は早く忘れてしまった方がいいわ。」「そうね・・」 図書室での一件から、千尋と詩織の関係は険悪になった。級友たちは二人の関係に勘付いているのか、なるべく千尋を詩織と二人きりにさせないようにしていた。「土方さん、一体神崎さんと何があったのかしら?」「さぁ・・それは土方さん達にしかわからないわ。」「そうね。」「ねぇ、来週薩摩から編入生が来るのですって。」「まぁ、随分と遠いところからいらっしゃるのね、どんな方なのかしら?」「仲良くなれるといいけれど。」にほんブログ村
2014年05月28日
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イラスト素材提供:White Board様「神崎さん、わたくしに何かご用かしら?」「いいえ・・」詩織は千尋の言葉にそう返すと、少しバツの悪そうな顔をして食堂から出て行ってしまった。「どうした?」「いえ、何でもありませんわ。」 夕食を終えた千尋は、歳三と談話室のソファに座りながら、今後のことを話し合っていた。「歳三様は、これからどうなさるのですか?」「そうだなぁ、甲府に一度戻ろうかと思っているんだ。」「まぁ、そうですか・・暫くまた会えなくなりますね。」「ああ。」歳三はそう言うと、そっと千尋の手を握った。「そんなに寂しがらなくても、また東京には来るつもりだ。」「お待ちしております。」 翌朝、歳三は千尋に見送られながら、女学校を後にして甲府へと戻っていった。「あら、土方さんのご主人はどちらへ?」「主人なら、もう甲府に戻りましたわ。」「そう、残念ね。」一時間目の授業が始まる前、そう言って歳三が甲府に帰ったことを知って残念がる詩織の姿を見て、千尋は彼女の父親が歳三のことを警察に密告したのではないのかと疑い始めていた。“新選組の土方といえば、官軍側だった薩摩・長州にとっては憎むべき敵だ。” 大鳥の言葉が、千尋の脳裏に浮かんでは消えていった。彼の言葉がもし真実だとしたら、一体誰が警察に歳三のことを密告したのだろうか。たとえ密告したとしても、一体何の目的の為に密告したのか・・「千尋様!」香織に呼ばれてふと我に返った千尋は、待ち針を指に突き刺してしまった。「千尋様、大丈夫?」「ええ。ついうっかりしてしまって・・」「最近千尋様何処かおかしいわ。」「そうね・・気を付けないと。」千尋は待ち針で刺した指先の血を吸うと、そのまま針仕事を続けた。「ねぇ千尋様、最近ぼうっとすることが多いわよね?何か気になっていることでもあるの?」「ええ、少しね・・」「それ、ご主人の肌着?」「ええ。最近暑くなっているから、まとめて肌着を作って甲府の主人に送ってやりたいの。」「本当に、ご主人と仲がいいのね。」 数日後、歳三から手紙が届いた。“千尋、元気にしているか?俺は、甲府に戻って教室で子供達に読み書きを教えている。肌着を送ってくれてありがとう。大切にするよ 歳三より”甲府で歳三が元気にしていることを知り、千尋は安堵の溜息を吐いた後ベッドに入って床に就いた。翌朝、千尋がベッドの中で微睡(まどろ)んでいると、突然廊下が騒がしくなった。(一体何の騒ぎかしら?)「千尋様、大変よ!」「香織様、一体何があったの?」千尋がそう言ってドアを開けると、香織の背後には玲子の兄・直道が立っていた。にほんブログ村
2014年05月27日
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イラスト素材提供:White Board様 翌朝、歳三と面会するために、千尋は彼の身柄が拘束されている警察署へと向かった。「土方歳三の妻の、千尋でございます。主人と面会したいのですが・・」「申し訳ないが、面会は禁止されている。」「まぁ・・では、着替えを主人に渡してくださいませ。」千尋はそう言うと、立ち番をしている警官に歳三の着替えが入った風呂敷包みを手渡し、警察署を後にした。「千尋様、ご主人とは会えたの?」「いいえ。」「きっとすぐに帰って来るわ、心配しないで。」「ええ・・」 女学校に戻った千尋は、勉学や部活動に励みながら歳三の帰りを待った。だが、一ヶ月を過ぎても歳三は千尋の元に帰って来なかった。(一体どうなったのだろうか?)歳三が投獄されて二月余りが過ぎたころ、女学校に大鳥がやって来た。「大鳥様、お久しぶりでございます。」「千尋君、土方君のことは聞いているね?」「はい。夫は国家叛逆などを企てておりません。誰かが夫を嵌めたに違いありません。」「僕だって、土方君がそんな事を考えるなんて思ってもいないし、土方君を信じているよ。」「では何故、主人はいつまで経っても投獄されたままなのですか?」「それはね、新政府による旧幕府軍の残党狩りの所為なんじゃないかと思っているんだ。」「残党狩り?」「新選組の土方といえば、官軍側だった薩摩・長州にとっては憎むべき敵だ。その土方が戊辰の戦では死なず、明治の世に生きていると・・誰かが警察に密告したのではないかと、僕は思っているんだ。」「そうですか・・だとすれば、誰が警察に主人のことを密告したのでしょう?」千尋は大鳥の言葉を聞きながら、詩織の父が昔歳三に京都で会ったという話を思い出していた。「大鳥様、もしかしたらと思うのですが、京都で主人と刃を交えた方が、警察に主人が新選組の元副長だと密告したのではないかと・・」「その可能性はあるかもしれないね。僕はこれから、警察に土方君を釈放するよう話をしてくるよ。」「わたくしも行きます。」「君はここで待っていた方がいい。」「わかりました・・」「じゃぁ、僕はこれで失礼するよ。」 大鳥が女学校から出て行った後、千尋は自分の部屋で大鳥が歳三を連れて帰って来るのをじっと待っていた。「千尋様、もう夕食の時間よ。」「ごめんなさい香織様、少しぼうっとしていて・・」「最近お食事にも余り手をつけていないから、皆さん心配していらっしゃるわよ。」香織はそう言うと、少し頬が痩せた千尋を見た。 夕食を取るために千尋が香織とともに食堂に入ると、そこには歳三の姿があった。「歳三様・・」「長い間、留守にしていて済まなかったな。」「ご無事で何よりです。」千尋は両目に涙を溜めながら、二月ぶりに歳三と再会を果たした。「大鳥さんが助けてくれなかったら、俺はあのまま牢の中で朽ち果てていただろうな。」「大鳥様に後でお礼を言わなければなりませんね。」「そうだな・・」夕食の間、千尋は詩織が自分達の方をチラチラと見ていることに気付いた。にほんブログ村
2014年05月27日
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イラスト素材提供:White Board様「おい、俺が国家叛逆罪で逮捕ってどういうことだ?」「とぼけるな!貴様がこの封書を昨日内務省に届けたのはわかっておる!」「封書?それは、女学校設立に対する政府への嘆願書のことか?」「貴様、この期に及んでシラを切るつもりか!?」 取調室で刑事から尋問を受け、歳三は自分が出した覚えのない封書を突きつけられ、混乱した。そこには、明治政府に対する檄文が書かれていた。「俺は何もしてねぇ、俺は無実だ!」「うるさい!」尋問は、夜まで続いた。「土方さん、ご主人が逮捕されたんですってね?」「ええ。でも主人は無実だわ。」「そうよ、あのご主人が国家叛逆なんて企てるわけないわ!」 千尋は歳三の身を案じながら、彼の無実を信じていた。「土方さん、少しお話があるのだけれど、いいかしら?」「ええ、いいですよ。」昼休み、千尋は神田詩織に呼び出され、彼女とともに中庭に来ていた。「わたくしにお話とは何かしら?」「父から一度、あなたのご主人のことを聞いたわ。あなたのご主人は幕末の京で、鬼神のごとく剣を振るっていたんですってね?」「ええ・・それがどうかしたの?」「父は、あなたのご主人の傍にはいつも西洋の宗教画に出て来るような天使のように美しい少年が居たとか・・もしかしたら、それはあなたの事ではないかと思ってねぇ・・」詩織はそう言うと、詮索めいた視線を千尋に送った。「神崎さん、あなた一体何を言っているの?」「土方さん、あなたはご主人と出会ったのは、京都だといったわよね?」「ええ、そうだけど・・」「そう・・わたくしは、そのことをあなたに聞きたかっただけなの。」詩織はそう言って笑うと、千尋に背を向けて中庭から出て行った。(一体神崎さんは、何を探ろうとしているのかしら?) その日の夜、ベッドに寝転がりながら千尋が何故歳三に逮捕されてしまったのかを考えている時、ドアを誰かがノックした。「どなた?」「土方さん、わたくしよ、神崎よ。」「神崎さん、どうぞお入りになって。」「夜遅くに来てしまって申し訳ないわね。」「いいえ。それよりも神崎さん、あなたにひとつ聞きたいことがあるの。」「わたくしに聞きたいことって、何かしら?」「確かあなたのお父様、内務省にお勤めよね?今朝主人が国家叛逆罪で逮捕されたのは、あなたのお父様のお力があるからではないのかと思って・・」「そんな事、あるわけないでしょう。」詩織は千尋の言葉を鼻で笑うと、部屋から出て行った。(一体何なのかしら?)詩織が何を考えているのかわからず、千尋は眠れぬ夜を過ごした。「千尋様、少し顔色が悪いわよ?」「昨夜、眠れなかったものだから・・」「ご主人が逮捕されて大変だと思うけれど、無理しないでね?」「ええ、わかっているわ・・」千尋はそう言って香織に微笑むと、意識が次第に遠のいていくのを感じた。「千尋様、大丈夫?」「ここは・・」「あなた、さっき教室で倒れたのよ。心労が祟ってしまったのでしょうね。」香織はそう言うと、医務室のベッドで寝ている千尋の手を握った。「ごめんなさい、迷惑を掛けてしまって。」「謝らないで。ねぇ千尋様、ご主人早く千尋様の元に帰ってくるといいわね。」「ええ・・」(歳三様、どうかご無事で・・)にほんブログ村
2014年05月26日
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イラスト素材提供:White Board様「おはようございます、千尋様。朝食の準備が出来ました。」「有難うございます、永田さん。」「玲子さまは、軽井沢の精神病院に入院されました。」「そうですか・・」紀洋の死後、完全に正気を失った玲子は、軽井沢にある精神病院に入院した。「千尋、玲子さんのことは永田から聞いているわね?」「ええ。奥様、わたくしはもう女学校に戻っても宜しいのですか?」「これ以上、あなたをこの家に閉じ込めておく理由などありません。千尋、すぐに女学校に戻りなさい。」「わかりました・・」 朝食の後、千尋は荻野家を出て女学校へと戻ると、歳三が笑顔で彼を出迎えた。「お帰り、千尋。」「只今帰りました、歳三様。」歳三は部屋で、紀洋が玲子に殺されたことを千尋から知らされて絶句した。「そうか・・色々と大変だったな。」「はい。歳三様や皆さんにも心配をおかけしてしまって申し訳ないです。」「お前が無事でよかった。」歳三はそう言うと、千尋を抱き締めた。 昼食の時間、千尋が歳三とともに食堂に入ると、香織達が二人の元に駆け寄って来た。「千尋様、お帰りなさい!」「連絡がなかったから、何かあったのかと思ってしまったわ!」「皆さん、心配をおかけしてしまってごめんなさい。」千尋がそう言って香織達に頭を下げた。「歳三様、まだ起きておられますか?」「ああ。」 その日の夜、千尋がベッドから起きると、机に座った歳三が何か書き物をしていた。「何を書いていらっしゃるのですか?」「政府への嘆願書を書いていたんだ。」「そうですか。余り無理なさらないでくださいね。」「わかったよ。お前ぇも疲れているんだから、早く休め。」「わかりました、お休みなさいませ。」千尋はそう言って歳三の頬に唇を落とすと、ベッドに戻った。 翌朝、千尋が歳三とともに食堂で朝食を食べていると、突然外で大きな音がした。「何かしら?」「さぁ・・」「歳三様、今のは・・」「気にするな。千尋、早く飯食わないと授業に遅れるぞ。」「わかりました。」千尋がコーヒーを一口飲むと、食堂の扉が開き、腰に日本刀を帯びた数人の警官たちが中に入ってきた。「何ですか、あなた達?」「土方歳三だな?」「ああ、そうだが・・俺に何か用か?「貴様を、国家叛逆の罪で逮捕する!」警官たちの中から一人の警官が出て来ると、歳三を連行した。「何をなさいます、うちの主人が何をしたというのですか?」千尋はそう言うと、警官の手を掴んだ。「退いてください。我々を邪魔するようであれば、あなたも逮捕致します。」警官はそう言うと、千尋を押しのけた。「あなた、どうして・・」「きっとこれは何かの間違いだ。すぐに帰って来るから、心配するな。」「わかりました。」警官たちに連行される歳三の背を、千尋は不安そうな表情を浮かべながら見送った。にほんブログ村
2014年05月26日
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イラスト素材提供:White Board様「どうしてわたくし達が一銭もお義父様の遺産を貰えないのよ、こんなの不公平だわ!」「落ち着け、玲子!」「あなた、これが落ち着いていられて!?」玲子はそう叫ぶと、紀洋の頬を平手で打った。「千尋さん、あなたお義父様に何か変な事を吹き込んだんじゃなくて!?」「いいえ、そのような事はしておりません!」「嘘おっしゃい、それなら何故あなたがこの家の財産を全て相続することになるのよ!」「千尋、あなたはもう女学校にお戻りなさい。」「奥様・・」「これ以上ここに居ては、玲子さんがあなたに何をするのかわからないわ。早くご主人の元にお帰りなさい。」「はい、わかりました・・」 居間を出て自分の部屋に戻った千尋は、素早く荷造りを済ませて玄関ホールへと降りようとしたとき、階段の前に玲子が立ちはだかった。「あなた、何処へ行くつもり!?」「女学校に戻ります。」「そんなことはさせないわ!」玲子はそう叫ぶと、隠し持っていたナイフを千尋の首筋に突き付けた。「玲子義姉様、何をなさいます!?」「今すぐお義父様の遺産を相続放棄なさい!そうすれば、女学校に戻してさしあげるわ!」「玲子、馬鹿な真似はやめるんだ!」紀洋は千尋にナイフを突きつけている妻の姿を見るなり、彼女を止めようと玲子と千尋の間に割って入った。「止めないであなた、わたくしはあなたの為に・・」「止めろ、玲子!」玲子は紀洋と激しくもみ合ううちに、誤ってナイフを紀洋の腹に刺してしまった。「紀洋兄様、しっかりしてください!」「一体これは何の騒ぎなの!?」「奥様・・」由美子は紀洋の腹にナイフが刺さっているのを見て悲鳴を上げた。「誰か、紀洋を病院に連れて行って!」「奥様、しっかりなさってくださいませ!」「・・わたくし、何ということを・・」両手に塗れた紀洋の血を呆然と見つめながら、玲子はその場に蹲った。 病院に運ばれた紀洋だったが、彼は数分後に息を引き取った。「ああ、どうしてこのような事に・・あの人を失って、次は紀洋まで・・」夫の死から数日も経たぬうちに息子を亡くした由美子は、完全に憔悴していた。「奥様・・」「玲子さんは、どうしているの?」「あの方なら、今二階のお部屋に・・」千尋がそう言った時、居間にナイフを握り締めた玲子が入ってきた。「あなたの所為よ、千尋さん・・あなたの所為で、紀洋さんは死んだのよ!」「玲子義姉様、止めてください!」「あなたをこのまま女学校へ戻す訳にはいかないわ!」そう叫んだ玲子の目は、完全に正気を失っていた。『校長先生、土方さんからの連絡が途絶えてもう三週間になります。』『土方さんが三週間も連絡を寄越さないなんて、何か実家で起きたのかしら?』『土方さんが無事だといいのですけれど・・』校長室の前で校長と英語教師・美木田の話を聞いた歳三は、千尋の身に自分が知らない所で何かが起きているのではないのかという不安に駆られた。 紀洋の葬儀を終えた後、千尋は二階の部屋に軟禁された。「玲子さんは今正気を失っています。時が経てば、あの人も冷静になることでしょう。千尋さん、それまでの辛抱ですよ。」「はい、奥様・・」千尋は軟禁されている間、外部との連絡を取り合うことを禁じられた。「奥様、千尋様宛のお手紙が届いております。」「処分なさい。」「かしこまりました。」歳三の手紙は、千尋に一度も読まれることなく、暖炉にくべられた。にほんブログ村
2014年05月25日
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イラスト素材提供:White Board様「どうして、俺にそんなことを聞くんだ?」「わたくしの父が、一度京で土方様を見かけたことがあると聞いたので・・」「そうか。それで、俺に何の用だ?」「父が言うのには、いつも土方様のそばにはまるで西洋の宗教画に出て来るような天使のような美しい方がおられたとか・・その話を聞いて、わたくしその方がもしかしたら千尋様ではないかと思って・・」詩織の言葉に、歳三の眉間に皺が寄った。「千尋様は今どちらに?」「あいつなら、父親が死んだとかで、暫く実家に帰るらしい。」「そうですの。では土方様、わたくしはこれで失礼いたします。」「ああ・・」詩織が部屋から出て行った後、歳三は溜息を吐きながらベッドの上に横になって目を閉じた。 一方千尋は実家の部屋で、眠れぬ夜を過ごしていた。父・春貴が亡くなった以上、荻野の家には自分の居場所はない。「千尋様、まだ起きておられますか?」「ええ。」「失礼いたします。」「永田さん、どうなさったの、こんな夜遅くに?」「千尋様、旦那様がこれを千尋様にお渡しするようにと・・」永田はそう言うと、一枚の封筒を千尋に手渡した。「お父様が、わたくしにこれを?」「ええ。ではわたくしはこれで失礼いたします。」千尋はペーパーナイフで封筒の封を切って中に入っている便箋を取り出すと、それは父が生前書き残した遺言状だった。 翌朝、千尋がダイニングルームに入ると、そこには長兄夫妻と次兄夫妻がテーブルを挟んで睨み合っていた。「おはようございます、道貴兄様。」「おはよう、千尋。」「何故、わたくし達がこの家から出て行かなければならないの!」「そうだよ、兄上ばかり狡いぞ!」「おやめなさい二人とも、朝っぱらから喧嘩なんて。」由美子はそう道貴と紀洋を諌めると、千尋を見た。「あらあなた、まだここに居たのね?」「奥様、お二人は一体何で揉めているのですか?」「今日、あの人の遺産のことで西門先生が来てくださることになっているの。」「わたくしも、その席に同席しても宜しいですか?」「ええ、構いませんとも。あなたは妾の子とはいえ、あの人の血をひいた息子ですからね。」「お義母様、そんな・・」「玲子さん、あの人が亡くなった以上、この家の主人はわたくしです。わたくしの方針に従えないのなら、今すぐこの家から出て行きなさい!」 気まずい空気のまま朝食を終えた千尋達は、居間で西門を出迎えた。「西門先生、義父の遺産はどのくらいあるのですか?」「まぁまぁ、そんなに慌てないでください。わたくしは、生前春貴様から遺言状を預かっております。」「早く見せてくださいな、その遺言状とやらを!」西門は玲子の言葉に溜息を吐くと、鞄の中から一通の封書を取り出した。「“わたくし、荻野春貴は、総資産3000円の内1500円を、妻の由美子に相続させ、長男の道貴夫婦と紀洋夫婦にそれぞれ750円ずつ相続させる。”千尋さん、この遺言状には、あなたのことが全く書かれていないようね?」玲子は勝ち誇ったような笑みを口元に浮かべると、そう言って千尋を睨んだ。「西門先生、わたくしも父の遺言状を持っています。」「それは、本当ですか?」「ええ。」千尋はそう言うと、西門に父の遺言状を渡した。「“わたくし荻野春貴は、総資産3000円を、すべて三男である千尋に相続させる”・・この遺言状の日付は、新しいものですね。」「先生、それじゃぁ最初に書かれた遺言状はどうなるんですの?」「無効になりますね。」「まぁ、そんな・・妾の子が荻野家の財産を相続するなんて、あり得ないわ!」千尋が荻野家の全財産を相続することを知った玲子はそう言ってヒステリーを起こすと、テーブルの上に置かれていた花瓶を薙ぎ払った。にほんブログ村
2014年05月25日
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イラスト素材提供:White Board様 電報を受け取った千尋は、女学校を出て荻野家へと向かった。「千尋様・・」「お父様はどちらに?」「二階のお部屋です。」「有難う・・」千尋が二階の父の寝室に入ると、そこには道貴・紀洋夫妻と由美子、春貴の主治医の大西、そして荻野伯爵家の顧問弁護士・西門の姿があった。「お父様、千尋が来ましたよ。」「千尋、来てくれたか・・」春貴は苦しそうに喘ぎながら、そう言うと千尋に向かって手を伸ばした。「お父様、しっかりなさってください!」「道貴、この家を頼む・・」「父上・・」「父上、しっかりしてください!」「あなた、まだ逝ってはなりません!」「お父様・・」「千尋、誰が何と言おうと、お前はわたしの可愛い息子だ。」春貴はそっと千尋の頬を撫でると、そのまま永遠の眠りに就いた。「午前10時20分、ご臨終です。」「あなた~!」由美子は春貴の体に覆い被さると咽び泣いた。「千尋、お前の所為だ。お前の所為で、父上は死んだんだ!」「止めないか紀洋、父上が死んだのは千尋の所為じゃない!」千尋に殴りかかろうとする紀洋を、道貴は必死に止めた。「兄上、いつまで善人面しているおつもりですか?兄上だって、心の底ではこいつが憎くて仕方がなかったのでしょう!」「頭を冷やせ、紀洋!」弟の言葉を聞いてカッとなった道貴は、弟の顔を拳で殴った。「やったな!」紀洋はそう叫ぶと、道貴の頬を拳で殴り返した。「おやめなさい、二人とも!お父様の前ですよ!」由美子はそう言うと、道貴と紀洋を交互に睨みつけた。「千尋様、お部屋で休んでください。」「わかりました。」 千尋は父の寝室から出ると、自分の部屋に入った。「お義母様、お義父様の遺産のことでお話があるのですが・・」「玲子さん、あなたという方は、二言目にはお金の事ばかり!舅が亡くなったというのに、何も感じないの!?」「わたくし、そんなわけでは・・」「もう、ここから出て行って!あなたと話をしたくありません!」「すいません・・」姑から舅の寝室へと追い出された玲子は、そのまま千尋の部屋へと向かった。「千尋さん、入るわよ。」「ノックもなさらないで、何のご用ですか?」「あなた、いつまでここに居るつもりなの?」「お父様の四十九日が過ぎるまで、ここに居るつもりですが・・それが何か?」「あなた、妾の子のくせに荻野家の財産を狙っているのね?そうはさせないわよ!」「玲子義姉様は、お金の事しか頭にないのですか?お父様が亡くなられたばかりだというのに・・そんなにも、ご実家が危ないのですか?」「お黙り、あなたに何がわかるのよ!」玲子はそう言って千尋を睨むと、ドアを蹴って部屋から出て行った。“歳三様、父が亡くなったので、暫く実家に滞在することになりました。女学校設立に向けて、頑張ってください、千尋より” 女学校で千尋の手紙を受け取った歳三は、それを読み終わると、そのまま手紙が入った封筒を机の上に置いた。「土方様、失礼します。」「どうぞ。」歳三がドアを開けると、千尋の級友である神田詩織が入ってきた。「何か俺に用ですか?」「あの、噂に聞いたのですけれど・・土方様は、あの新選組の元副長であるというのは、本当ですの?」にほんブログ村
2014年05月24日
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イラスト素材提供:White Board様「千尋さん、御機嫌よう。そちらの方は、あなたのご主人なの?」「ええ。山梨に女学校を作るというので、このパーティーはその資金集めに開かれたものなのよ。」「まぁ、そうなの。」玲子はそう言うと、美しく着飾った千尋をじっと見た。「紀洋兄様、お久しぶりです。」「千尋、そんな格好をしてまた僕たちに恥をかかせるつもりなのか?」「わたくしは、歳三様と夫婦としてこのパーティーに出席しているだけですわ。それよりも紀洋兄様たちは、一体何をしにこのパーティーにいらしたのですか?」「何をしにって、大鳥様に会う為に来たに決まっているでしょう。」「大鳥様に何かご用なのですか?」「そんな事、あなたには関係のないことよ。行きましょう、紀洋さん。」玲子は千尋を睨みつけ、夫とともにロビーから去っていった。「あいつらが、お前を昔苛めていた二番目の兄貴と、その嫁さんか?」「ええ。」千尋と歳三が大広間に戻ると、大鳥と紀洋達が何やら会場の隅で話をしていた。「おや、誰かと思えば土方君じゃないか。」「お久しぶりです、太田さん。」二人がシャンパンを飲んでいると、そこへ羽織袴姿の恰幅の良い男がやって来た。「歳三様、そちらの方は?」「千尋、この方は地主の太田さんで、俺の提案に理解を示してくださっている方だ。」「初めまして、歳三の家内の、千尋と申します。」「ほぉ、君が噂の・・土方君から君の話は聞いているよ。何でも、東京の女学校で学ばれているとか?」「ええ。女学校では毎日お友達と楽しくおしゃべりしたり、部活動に励んだりしていますわ。」「それは良かった。千尋さん、部活動は何をなさっているのかな?」「護身術部ですわ。わたくしは部長として、部員達に薙刀や合気道を教えております。」「ほう、それは面白そうだな。土方君、わたしはこれで。」太田はそう言って歳三の肩を叩くと、大広間から出て行った。「俺はちょっと大鳥さんに挨拶をしてくるから、お前はここに居ろ。」「わかりました。」 歳三が大鳥の元へと向かうと、そこにはまだ紀洋と玲子が居た。「お願いいたします、大鳥様。どうか・・」「くどいね、君達。僕は金貸しを生業にしているつもりはないんだ。」大鳥はそう言うと、自分に金の無心をする紀洋と玲子を睨んだ。「大鳥さん、何かあったのか?」「いや、別に何もないよ。土方君、もう帰るのかい?」「ああ。さっき地主の太田さんと挨拶してきたから、もう俺がここに居る必要もないだろうと思ってな。」「そうか。気を付けて帰ってね。」「わかった。」大鳥に背を向け、歳三は千尋とともに大広間から出た。「何だかつまらないパーティーだったな。」「ええ。」「さっき、あの二人が大鳥さんに金の無心をしていたぜ。」「まぁ・・そんなことをあの二人がしていたのですか?大鳥様は何と?」「金貸しを生業にしているつもりはないと二人に言っていた。あの人、終始あの二人に向かって笑顔を浮かべていたが、結構怒っていたと思うぜ。」「それはそうでしょうね。」 パーティーから数日が経ったある日のこと、千尋の元に荻野家から電報が届いた。“チチキトク、スグニコラレタシ”「どうした、千尋?」「先ほど荻野の家から電報が届いて・・お父様が危篤だそうです。」「行ってやれ。色々と蟠(わだかま)りはあるだろうが、お前ぇの親父さんは一人しかいねぇ。」「わかりました・・」にほんブログ村
2014年05月24日
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イラスト素材提供:White Board様「皆さん、おはようございます。」「おはようございます、土方さん。」 翌朝、歳三が千尋とともに食堂に入ると、香織達がそう彼に挨拶して嬉しそうに笑った。「何だか、殿方がいらっしゃるだけでも空気が変わるわね。」「そうね。」「皆さん、余り主人を見ないでくださいな。」「まぁ土方さん、焼きもちを焼いていらっしゃるの?」「可愛らしいこと。」千尋は香織達からからかわれながら、歳三とともに朝食を取った。「それじゃぁ千尋、俺はもう出かけないといけねぇから・・」「わかりました、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」「ああ。お前も勉強頑張れよ。」「はい。」正門の前で歳三と別れた千尋は、そのまま校舎の中に入っていった。「土方さんのご主人、素敵な方ね。お仕事は何をなさっているの?」「子供達に読み書きを教えているの。」「師範学校は出ていらっしゃるの?」「いいえ。けれど、彼は子供達にとても好かれているのよ。」「まぁ、そうなの。ねぇ、千尋さんは卒業後どうされるおつもりなの?」「そうねぇ、甲府に戻って教室で子供達を教えるわ。香織さんは?」「わたくしは、良い方と結婚して幸せな家庭を作るのが夢なの。」香織はそう言うと、うっとりとした表情を浮かべた。「最近うちの両親、結婚しろってうるさいのよ。」「わたくしの両親もよ。今週末見合いしろって言うのだから、嫌になっちゃう。」「土方さんは羨ましいわ、素敵なご主人がいらっしゃって。」 お茶の時間、香織達は将来の進路について色々と話をしていた。この時代、香織達をはじめとする女学生達は女学校を卒業後、結婚して家庭に入るのが当たり前だった。「ねぇ千尋さん、何故ご主人は東京にいらしたの?」「何でも、山梨にも女学校を作ろうとしているらしいの。その資金集めに、主人は上京してきたの。」「まぁ、そうなの。わたくし、応援するわ。」「わたくしも。」 歳三が女学校に戻って来たのは、夕食前だった。「資金集めは上手くいきましたか?」「ああ。だが、女学校を運営するための金はなかなか集まらないな。」「そうですか・・」「今度の土曜、ホテルで資金集めのパーティーがあるから出てくれと、大鳥さんから言われたんだが・・お前ぇも、出てくれねぇか?」「はい、出席いたします。」 歳三が上京して四日目の夜、ホテルで開かれたパーティーに、千尋は彼とともに出席した。「凄い人ですね・・」「ああ。」パーティーの出席者には、政財界の名士達が集まっていた。「土方君、来てくれたんだね。それに、千尋君も。」「大鳥さま、お久しぶりです。」華やかなドレスを纏った千尋は、そう言うと大鳥に頭を下げた。「千尋君、実家の方で何かあったようだね?」「ええ・・ですが、わたしは実家から勘当された身。実家のことは知りません。」「そうか・・パーティーを楽しんでくれ。」「ええ。」千尋と歳三がパーティーを楽しんでいると、大広間の隅で玲子と紀洋がチラチラと自分達の方を見ながら何かを話していることに気付いた。「千尋、どうした?」「いいえ、何でもありません。」「ここは少し暑いな、外に出ようか?」「ええ。」 千尋と歳三が大広間を出てロビーのソファに座ると、そこへ玲子と紀洋がやって来た。「あら千尋さん、お久しぶりね。」「御機嫌よう、玲子義姉様。こんなところであなたとお会いするなんて思ってもみませんでしたわ。」にほんブログ村
2014年05月23日
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イラスト素材提供:White Board様 実家から女学校へと戻った千尋は、級友たちに囲まれながら楽しい学校生活を送っていた。そんな中、千尋は授業中に校長から校長室に呼び出された。『校長先生、土方です。』『そちらへお掛けなさい。』 校長室に入った千尋は、来客用のソファに歳三が座っていることに気付いた。「あなた、どうしてここに?」「千尋、久しぶりだな。」歳三はそう言って千尋に微笑むと、ソファから立ち上がった。『あなたのご主人は、所用で暫く東京に滞在することになりました。』『まぁ、そうでしたか・・』『あなたのご主人の滞在を、特別に許可します。』『有難うございます、校長先生。』千尋は校長に向かって頭を下げると、歳三とともに校長室から出て行った。「歳三様、東京ではどのようなご用でいらしたのですか?」「実は、山梨に女学校を作らないかっていう話があってな・・俺や地主の太田さん達が中心になって、女学校設立の為に色々と活動しているんだが、俺が上京したのはその資金集めのためなんだ。」「まぁ、そのようなお話があるなんて、知りませんでした。」「毎日子供達に読み書きを教えていて、いつも思うことがあるんだ。教室に通っている女の子たちは、家の事情で止む無く教室を辞めて、遠い親戚の家で子守奉公をしたり、紡績工場の女工になったりする子が多くて、満足な教育が受けられない。そういう子達が平等に学べるような場所を、俺は作りたいんだ。」 女学校の中庭で歳三が千尋に自分の夢を語っていると、そこへ香織達がやって来た。「土方さん、御機嫌よう。」「御機嫌よう。皆さん、紹介するわ。こちらはわたしの主人の、歳三様よ。」「初めまして。妻がいつもお世話になっております。」「まぁ、素敵な方ね。」香織はそう言うと、歳三を見てはにかんだ。「ねぇ土方さん、ご主人とはどこで知り合われたの?」「京都で知り合ったのよ。」「何だかお似合いの夫婦ね。」「まぁ、有難う。」 夕食の後、千尋は数か月ぶりに会った歳三と部屋で楽しい時間を過ごした。「いつ、甲府に戻られるのですか?」「一週間くらいここに滞在することになったから、来週の月曜までここに居ると思う。」「そうですか・・」「そうだ、子供達からお前宛の手紙を預かって来たぞ。」歳三はそう言うと、子供達の手紙が入った風呂敷包みを千尋に手渡した。「子供達は、元気にしていますか?」「ああ。お前と仲が良かった清ちゃん、お父さんが病気で倒れて紡績工場で働くことになったよ。」「まぁ、そうでしたか・・あの子はまだ、10になったばかりだというのに・・」千尋は教え子の一人が家族の為に紡績工場の女工になったことを知り、心を痛めた。「あの子は大丈夫だ、工場に行っても元気にやっているだろうさ。」「そうですね・・」“ちひろせんせいへ,おらは工場の女工になって、おかぁと弟たちに仕送りをしなければなりません。教室をやめるのはいやだけど、家族のためにはたらきに出るので文句は言えません。ちひろせんせい、東京の話を聞かせてください、清より”「清ちゃん・・」千尋は清の手紙を読み終えた後、そっとそれを胸に抱いた。にほんブログ村
2014年05月23日
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イラスト素材提供:White Board様「実は、今回のお家騒動の発端は、玲子さんの父親が原因なんだ。」「玲子義姉様の、お父様が?」「ああ。玲子さんの父親は、北海道や九州にいくつも炭鉱を持っているんだが、北海道の炭鉱でストライキが起きてね・・そのせいで、会社の業績が日に日に悪化しているんだ。」「玲子さまのご実家が傾いていらっしゃるのと、うちと何の関係があるのですか?」「社長である玲子さんの父親は、資金繰りに苦しんでうちに少し金を都合してくれないかと父上に頼んできた。だが、父上はそれを断った。」「それで、玲子さんの父親はどうなさったのですか?」「そう簡単に引き下がるような方ではないことくらい、父上も解っていたんだ。わたしは、余りこの件に深く関わらないよう、父上に忠告したのだが・・」「父上は道貴兄様のお言葉に何と返されたのですか?」「父上は、はなから人を疑うのはよくないとおっしゃったんだ。だが、玲子さんの父親はしつこかった。その所為で、玲子さんと紀洋との夫婦仲が険悪になって、新婚の頃はあんなに仲が良かった母上との間にも深い溝が生まれた。」「そんなことがあったのですね。だから玲子さんは、わたくしに対して冷淡な態度を取るようになったのですね・・」「実はな、玲子さんには腹違いの兄が居て、父親が経営している会社の跡をその弟が継ぐことになっているんだ。」「まぁ、そのような事、全く知りませんでした・・」「自ら我が家の恥を晒すようなことは誰もしたくないだろう。その腹違いの兄の母親は京都の芸妓で、祇園一の名妓と謳われた人だったそうだ。」「玲子義姉様は、そのお兄様のことをどう思っていらっしゃるのですか?」「妾の子である腹違いの兄に父親が自分の財産を譲ろうとしていることを知った玲子さんは、その兄さんに決していい感情は抱いていないだろう。それに、石丸財閥は最近倒産の憂き目に遭っているという噂もあるようだし・・」「道貴兄様、玲子義姉様のお父様は今どちらに?」「仕事で根室に居るそうだ。」「道貴兄様は、これからどうなさるおつもりなのですか?」「わたしは父上を守る為に、最善を尽くすつもりだ。問題なのは、紀洋達の方だ。あの二人は最近金のことで喧嘩ばかりしている。」「まぁ・・」「千尋、お前は何も心配せずに女学校に戻って、勉強に励みなさい。いいね?」「はい、道貴兄様。」 道貴に英和女学校まで送って貰い、千尋は正門前で彼と別れ、そのまま校長室のドアをノックした。『校長先生、土方です。』『お入りなさい。』『失礼いたします。』 千尋が校長室に入ると、スタンレーは机で何か書き物をしていた。『このたびは、お騒がせしてしまって申し訳ありません。』千尋はそう言うと、スタンレーに手紙を手渡した。『これは?』『今回ご迷惑を掛けたことに対するお詫びのお手紙です。』『そうですか。土方さん、わたくしはあなたの家庭の事情に口出しをしません。ですが、今後このような事が起きれば、あなたを退学処分にします。』『わかりました、肝に銘じます。』 千尋が校長室から出ると、香織が彼の元に駆け寄って来た。「土方さん、お帰りなさい!」「井出さん、わたくしが留守にしている間迷惑を掛けてしまって申し訳なかったわね。」「土方さんが留守にしていらっしゃる間、わたくしが護身術部の臨時部長として頑張りましたわ。でも、土方さんがここに戻ってきてくださって安心しましたわ。」「有難う、井出さん。」「食堂にいらして、皆さん土方さんのお帰りを待っているわ。」「わかったわ。」 千尋が香織とともに食堂に入ると、彼の帰りを待っていた級友たちが笑顔で彼を迎えた。「お帰りなさい、土方さん。」「お帰りなさい。」にほんブログ村
2014年05月22日
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イラスト素材提供:White Board様 春貴が心労のため入院したことを知った芳子達は、“これ以上ここに自分たちが居ても時間の無駄だ”と言い、荻野家から出て行った。「あの方たちがこのまま居座るのではないかと思うと、憂鬱で仕方がありませんでしたが・・出て行ってくれてよかったです。」「そうですね。千尋様、昼食の準備が出来ました。」 ダイニングルームで千尋が昼食を取っていると、そこへ紀洋と彼の妻・玲子が入ってきた。「千尋、お前何故ここに居るんだ?」「紀洋兄様、玲子義姉様、御機嫌よう。」千尋がそう言って二人を見ると、彼らは嫌悪の表情を浮かべながら千尋を睨んだ。「千尋さん、あなたこの家から勘当されたはずではなくて?それなのになぜ、この家に居らっしゃるの?」「あら、わたくしお父様が倒れられたと一昨日お手紙を頂いて、こちらに来たのですよ。」「まぁ、わたくしが書いた手紙を真に受けて、わざわざここにいらしたの?」玲子は嘲笑とともに、そんな言葉を千尋に投げつけた。「お義父様はどちらにいらっしゃるの?」「お父様は今入院しております。」「まぁ、どうしてすぐにわたくし達に連絡をしなかったの!」「連絡しようにも、芳子大叔母様たちの世話をわたくし一人でしなければならなかったので、つい連絡するのを忘れてしまいました。」千尋はそう言うと、フォークとナイフでステーキを一口大に切ってそれを頬張った。「あなた、ご自分が何をなさっているのかわかっていらっしゃるの?」「申し訳ありませんわね、玲子義姉様。」「お前はもうこの家の人間じゃない、さっさとここから出て行け!」「言われなくとも出て行きますわ。校長先生にも手紙で事情を説明して、明日にでも学校に帰ります。」紀洋と千尋がダイニングテーブルを挟んで睨み合っていると、彼の背後でダイニングルームの扉が開き、道貴と英子が入ってきた。「まぁ千尋さん、いらしていたのね。芳子様達はどちらにいらっしゃるの?」「あの方たちなら先ほどお帰りになられました。我が儘で姦しいご婦人たちの世話を一人でするのは骨が折れましたけれど。」「ごめんなさいね千尋さん、あなたにばかり迷惑を掛けてしまって・・暫く、こちらにいらっしゃるのでしょう?」「いいえ。この後二階で校長先生宛にお手紙を書いて、学校に戻ります。わたくしがこの家に居座ると、紀洋兄様達がお気を悪くするでしょうから。」「それは残念ね。こうしてあなたと久しぶりに会えたのだから、色々と学校の話を聞きたいと思っていたのに。」「英子義姉様、わたくしはこれで失礼いたします。」 昼食を終えた千尋は、そう言って長兄夫婦に挨拶をした後、ダイニングルームを出て二階の自室に入った。彼が机に座って校長宛の手紙を書こうとしたとき、誰かがドアをノックした。「千尋さん、いらっしゃるのでしょう?」「その声は玲子義姉様ですね。今更わたくしに何のご用でしょうか?」「本当に、この家から出て行ってしまうの?」「ええ。」「お願いだから、ドアを開けてくれないかしら?」「嫌です。」千尋がそう言って校長宛の手紙を書き始めると、ドアを玲子が蹴る音が聞こえた。「永田さん、短い間でしたがお世話になりました。」「千尋様、お気をつけて。」校長宛の手紙を携えた千尋は、鞄を持って玄関ホールに立つと、永田に見送られながら荻野家を後にした。「千尋、学校まで送ろう。」「有難うございます、道貴兄様。」「お前をこんな面倒な事に巻き込んでしまって済まないね。詳しい事情をお前には一切話さずに、辛い思いばかりさせてしまって・・」道貴はそう言うと、そっと千尋の手を握った。「道貴兄様、今荻野家で一体何が起きているのですか?」「少し長い話になるが、聞いてくれるか?」「・・ええ。」にほんブログ村
2014年05月22日
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イラスト素材提供:White Board様「永田さん、あなたに頼みがあります。」「何でしょうか、千尋様?」「この手紙を、甲府に居る主人に出していただけないでしょうか?できれば、あの三人に気付かれないように・・」「承知しました。」千尋から歳三宛ての手紙を受け取った永田は、それをスーツの内ポケットにしまった。「千尋様、晩餐の用意が出来ましたので、ダイニングルームにいらしてください。」「わかりました、すぐ参ります。」 ダイニングルームに入った千尋は、春貴の隣に座った。「お父様、あの三人はどちらへ?」「あの人たちは、外で食べると言って先ほど銀座へ出かけていったよ。」「そうですか。」「千尋、お前をこんなことに巻き込んでしまってすまないな。」春貴はそう言うと、溜息を吐いた。「お父様、少しお顔の色が悪いのではありませんか?」「ああ・・最近、仕事が忙しくて休みを取る暇がなかったからな・・疲れが溜まっているのだろう。」「一度お医者様に診て貰ったらいかがでしょう?」「そうしよう・・」春貴はステーキを半分残すと、部屋に戻って行った。「旦那様は、どちらへ?」「お父様なら、二階のお部屋でお休みになられました。」「そうですか・・」「永田さん、お父様は最近お仕事で忙しく、無理をされているように見えたのですけれど・・」「旦那様は、あの三人から多大なストレスを受けているのです。その心労の所為で、旦那様の心臓に負担が・・」「まぁ、そんなことが・・」「あの三人がいつまでこの家に滞在するのかわかりませんが、旦那様の身に何かあったら・・」永田がそう言って溜息を吐いた時、二階の方から大きな物音が聞こえた。「わたくし、見てきます。」 永田とともに春貴の部屋に入った千尋は、ベッドの近くで春貴がうつ伏せになって倒れていることに気付いた。「お父様、しっかりなさってください!」「千尋様、どいてください!」医学の知識がある永田は、すぐに春貴の脈を取った。「どうですか?」「まだ息はありますが、今すぐ病院に運ばないと旦那様のお命が・・」 数分後、千尋は永田とともに、春貴を都内の病院へと運んだ。「あと数分遅ければ、春貴さんは死ぬところでした。」「先生、父の容態はどうですか?」「暫く安静にしていれば、大丈夫でしょう。余り心労を掛けさせないようにしてください。」「有難うございます、先生。」春貴を診察した医師に頭を下げた千尋は、彼が入院している病室に入った。「千尋、ここは何処だ?」「ここは病院ですよ、お父様。お医者様から、暫く安静にしているようにといわれました。」「そうか・・済まないな、迷惑をかけて・・」「あの三人のことは、わたくしに任せて、お父様はゆっくりと休んでくださいませ。」千尋はそう言うと、そっと春貴の手を優しく握った。にほんブログ村
2014年05月21日
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イラスト素材提供:White Board様「春貴さん、いつまで客人をこんなところに立たせるつもりなの?」「申し訳ございません、大叔母様。今すぐ客間へご案内致します。」春貴はそう言うと、三人の女性達を客間へと案内した。「千尋様、今日のところは女学校へお帰りくださいませ。」「わかりました、これで失礼いたします。」千尋は執事長の永田に頭を下げると、そのまま玄関ホールから外へと出ようとした。だが―「あなた、何処へ行くつもりなの?」「女学校に戻ろうと思っておりますが・・それが何か?」「あなた、まさかこの家のことは自分には関係ないって思っているのではないでしょうね?」「え・・」「妾の子であるあなたにも、この家の問題に関係あるのですからね。わたくし達に何の断りもなく、女学校に戻るなど許しませんよ!」 春貴の大叔母・芳子からそう言われ、千尋はそのまま荻野家に暫く滞在することになった。「済まないな千尋、家の問題にお前を巻き込んでしまって・・」「いえ・・お父様、道貴兄様と紀洋兄様はいつお戻りになられますか?」「明日にでも、ここに帰ってくるだろう。それまでの辛抱だ。千尋、お前は二階の部屋を使いなさい。お前の荷物はもう永田に運ばせてある。」「わかりました。」千尋は二階の部屋に入ると、ベッドの端に腰を掛けて溜息を吐いた。「千尋様、失礼いたします。」「どうぞ。永田さん、荷物を運んでくださって有難う。」「いいえ。それよりも千尋様、あの三人にはお気をつけてください。」「それは、どういう意味です?」「言葉通りの意味です。旦那様の大叔母にあたられる芳子様は、荻野家の御意見番で、道貴様をこの家の後継者にと推していらっしゃいます。後のお二人は、由美子様のご実家、西園寺家の光江様と百合子様で、お二人は荻野家の後継者は紀洋様だとお思いになっております。」「それでは、お父様がおっしゃっていたのは、この三人の間で道貴兄様と紀洋兄様、どちらが荻野家の後継者に相応しいのかを揉めているということですか?」「ええ、そうです。他の親族の方々は、荻野家の後継者問題に関心を持っておりません。千尋様、あの三人は千尋様のことを快く思っておりません。」「妾の子であるわたくしのことを、奥様が何かあの三人に変な事を吹き込んでいらっしゃるのでしょうね。」「あの三人から何を言われても動じないでください。わたくしが千尋様にお伝えしたいのはそれだけです。」「ありがとう永田さん。お仕事に戻ってくださいな。」「それでは、失礼いたします。」 千尋は暫くベッドに横たわっていたが、やがて彼は机の前に座ると、歳三に手紙を書き始めた。“歳三様、事情があって暫く実家に滞在することになりました。すぐに女学校に戻れると思いますので、心配なさらないでください、千尋より”千尋が便箋を封筒の中に入れようとしたとき、誰かが部屋のドアをノックした。「どなたですか?」「わたくしよ、芳子。」「今部屋が散らかっておりますので、暫くお待ちくださいませ。」「わかったわ。」千尋は歳三に宛てた手紙を旅行鞄の中に隠すと、ドアを開けて芳子を部屋へと招き入れた。「芳子様、わたくしに何かご用ですか?」「ええ。由美子さんから聞いたけれど、あなたは妾の子なのですってね?」「ええ、そうですが・・」「道貴によく可愛がられているからって、調子に乗らないようにね。わたくしは、あなたのことを認めたわけではありませんから。」「はい、承知しております。」芳子は言いたいことだけ言うと、さっさと千尋の部屋から出て行ってしまった。にほんブログ村
2014年05月21日
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