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世の中には一生懸命勉強してきていても知らないことが沢山ある ものだ。この様なときには、マニュアルを読むよりも人に教えてもらった 方が問題解決への近道であるように感じている。知らないことは勇気を もって知っている人に聞く姿勢を取って行きたいものだ。 人によっては、人に教えてもらうことに苦手な人がいる。自尊心が強い のか、自分の力を過信しすぎているのか、人に聞かずに行動したために 失敗したケースもあるだろう。 知らないことは決して恥ずかしいことではない。素直な心で、知って いるに教えて下さいと乞うべきだ。教えを請われた相手方は、言ってきた 人に好感を抱くものだ。なぜなら、人に何かを教えるということは気持ちが いいものだからである。 また、人に教えてくださいとお願いすることは、自分のためにもなるが、 相手のためにもなることだ。人に物事を教えることほど、自分の能力に 磨きをかける良いチャンスはないからである。教えることによって自信 がつくし、更なる向上心にも繋がって行くものと思う。 お互いに教えてくださいをぶっつけ合うことで、お互いの能力を高めて 行くことが出来るものと考える。
2011.09.30
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何事に対しも好奇心を持って生きていけば、周囲の もの、目に入るすべてのものが楽しいものになって くる。日常の些細な現象に目を向けて楽しむ習慣を つけることである。 あらゆることに興味を抱き明るく生きていくのには、 心の持ち方として精神的な豊かさをいつまでも持ち 続けていくことが大切である。その意味で私は詩人・ サミュエル・ウルマンの詩「青春」を座右の銘」と して勇気と希望をもって微笑みを忘れずに人生を 歩もうと心掛けている。 この詩の主旨は「人は、歳を重ねることによって 老いるのではなく、情熱を失ったときにはじめて 老いる。いつまでも青年のように情熱を持ち続けて、 若々しく生きよう」ということにあると思う。
2011.09.29
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いつまでも心身ともに健全な生活をおくるには、体を鍛えると共に 脳に快いを刺激を与えることが必要であると考えている。 これが若さを保つ一つの方法である。 体を鍛えることについては、自分の体にあった形で散歩とか、 マラソンとか、テニスなどを実行して行けばいいことになる。 脳は、使わなければ、ドンドン機能が低下して行くと言われて いる。体の方も同じように、歩かなければ足腰の筋肉が衰えて しまう。これを医学的には「廃用性萎縮」というそうである。 日常どこに行くにも自動車ばかり使用していると、運動不足に なることにより、歩くための筋肉も、それを動かす筋肉も血管 までも衰弱してしまう。「寝たきり」と言われる高齢者の中には、 日頃歩かなかったために、寝たきりになった人もいると考え られる。 大事な脳の方も、使わずにいて「萎縮」させてしまったら大変な ことになる。 それ故に脳を活性化して「廃油性萎縮」を予防して 行くには、いろいろな方法があると思う。 私は脳に快い刺激を与えるものとして、若いとに暗証した小倉 百人一首を毎日1回繰り返し声に出してリピートすることによって 忘れなないように心掛けている。 身近なもので何でも良いから、 脳に快い刺激を与えて脳を活性化する努力を続ける必要がある。
2011.09.28
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誰にとっても、感動する心を持つことは、人生 を豊かにし、幸運を呼び起こすためにも大切なこと だと思う。 何事にも好奇心を持ち続けることにより、感動 する心が育まれて行くのではないだろうか。 日常生活の中においても、四季の移り変わりから 草花の成長に感動したり、スポーツや演技の妙技 に感動したり、楽しい音楽演奏に感動を覚えるなど といろいろな出来ごとに感動するチャンスがある。 「素晴らしい」と感動することは、こころの 健康を保つ上で重要な働きをすると言われている。 精神が健康でないと、どのような素晴らしい物を みても素直に感動出来ないものである。 こころの バランスが取れてはじめて、例えば夕焼けの空を みて綺麗だなと感じることが出来るのである。 日常の出来事を眺め観察することによって素晴ら 感動を見つけ出すよう心掛けて行きたいものだ。
2011.09.27
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自分の個人的な利益のみを求めて行動していると、周辺の人々 から数々の非難を招きうまくいかない状態になる。 日常いくら立派なことを言っていても、普段の行いが良くない人は、 人々から信用されなくなる。 人間の本当の正しさというものは、礼儀と節度を守って行動する ことと些細な事柄にいかに対応しているかに現れてくる。些細な ことに対する行動の正しさは、道徳の根源から生まれてくるもの である。人の善し悪しを見定めるには、その人が日常のなんで もないことに対してどのような言動を表しているかを注意深く見る ことにあると思う。
2011.09.26
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人はまわりの人々の支えてがあってこそ生きて いけるものである。 そこで、人脈をつくり広げて いくことにより、健全で楽しい人生をおくることが できるものと思う。 人脈つくりには、いろいろな方法があると思うが、 日常生活で身近かなものとして、異業種交流会 等に積極的に参加して自己PRをすることにある と思う。 この様な交流会には、会合の内容に よって異なると思われるが、財界人をはじめ、 業界人、政治家など沢山の人々が集まって いるケースが多いので、異業種の方々と 知り合いになる絶好のチャンスと言える。 人脈を広げて行く極めつけは、あらゆる機会に 知り合いになった人に興味を抱き、相手のことを 何でもいいから知るように心掛けることである。 そうすることで、お互いに気心も通じ合い、 本当の友人なれる道を開くことが出来る。 要は、人に惚れ込んで行く姿勢の中に 人脈を広げていくヒントがあるものと考える。
2011.09.25
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自分の行動の基本となるものは何であるかと考えてみると、 好奇心を抱くことにあるのではないだろうか。 好奇心は、人間が成長して行く段階で形が変わって行くもの である。赤ちゃんは全く無欲に好奇心を発揮するようになり、 大人になれば、経済的な効用を求めたより高度な好奇心に 変化し、更には余裕のある不良老人に至っては、よく遊び、 子どものようないたずらな好奇心を持つようになる。 このように好奇心は、もともと、見返りをともなわない本能的 な行為であるが、それが発展して、人間の社会活動や経済 活動の支えとなってきているものと思う。現代の科学や医学 などは好奇心の展開から大きな発見がなされているのである。 物事を実行する過程で好奇心を生かして行くことによって 価値ある人生をおくりたいものだ。
2011.09.24
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物事を行うときに、その取り組みの姿勢として、「もう時間がない」 とか「もう一日しかない」などのような「もう的な発想」と「まだ間に合う」 とか「まだ1時間もある」などのような「まだ的発想」とに分けられると 思う。 「もう」と言うことは失うものを追って行く感じになるからイライラ するが、「まだ」と言うことは残っている余裕があるものと言える。 同じことをするにも、追い詰められてせっぱ詰まった気持ちでするのと、 余裕をもってするのとは、心労に与える影響度が違ってくる。 何事をするにも、マイナス思考をプラス思考に転換して行くことが大切 である。 生きている間は、すべては「まだ」との発想でいくべきである。 常にものごとは良い方へ良い方へと考えて行くことにより、楽しい日常が おくれるものと考える。
2011.09.23
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人の心は生まれながらにして善悪はなく、善悪は 縁に出合うことによって起こるものと言われている。 このことは、心には、一定の形があるのではなく、 縁というものに巡り会って、どのようにも変わって 行くものである。そう言うことから、善い縁に会えば 自然とよくなるし、悪い縁に近づいていくと自然に 悪くなる。 自分の心が最初から悪いと思ってはいけないのだ。 ただ、善い縁から善い縁へと従って行くべきだ。 良く問題になる子どもの非行は、縁が原因になって いると思う。最初から悪い子がいるわけではない。 ともかく最初の交わりとなる親がとのような人格か、 付き合う子がどういう子かが問題なのだ。日常の 身近なところにも気をつけてやることが大切である。
2011.09.22
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かけがえのない人生をいつくしみ、楽しみに満ちた形で 過ごそう。 人生を楽しむものとなるためには、自分を喜ばせると同時に 人を喜ばせることが必要である。自分が楽しむだけでは、 楽しむ者にはなれない。他人を喜ばせることのない人は、永く 栄えることはできない。それでは、結局のところ、長い目で みれば、自分を楽しませることはできない。 本当に自己を満足させ、楽しむためには、自分自身が生かされ ている、自分自身の存在価値があると言うことを自覚出来なけれ ばならない。 誰でも一般的に自分を喜ばせることには熱心で あるが、人を喜ばすことに熱心な人は少ないようだ。人を喜ばせる と、自分の命が輝いて見えることを知るべきである。 人の価値は、 どれだけ沢山の人たちを喜ばせることができるのかにかかっている のではないだろうか。、
2011.09.20
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世の中で生きて行く上において、やりたいアイデイアが 湧いてきたときには、まわりに気にせず、例えば「儲けるぞ」 とか、「有名になるぞ」とか、宣言して前向きに行動を起こす ことがあってもいいのではないだろうか。 「金儲け主義」とか「利益至上主義」とかで避難されることも あろうが、利益を得ることは、本来 社会に貢献することに なるのだから、自分の利益を追求していくことが、社会の利益 にもつながるものであるならば、何もためらうことはないと思う。 チャンスを逃さず、やれる時に行動するのが大事なことである。
2011.09.19
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学問やスポーツを極めてひとかどの人となるには、 自己流ではなかなか上達するのは難しいと思われる。 やはり、何事も、自分に合った師を見つけて、みっちり と基礎を身につけた上に、自分流の特性を生かして 行くことが必要である。 正しい師につき、正しい教えを正しく聞くことによって 自分の道を極めて行くヒントになることを上げてみた。 1.善き師に出合うこと・・・善き師に出合うためには 縁が必要だが、縁は待っていても突然向こうから やって来るものではないので、こちらから求めて 行く姿勢が必要である。 2.教えを正しく聞くこと・・・正しく聞くと言うことは 大変むずかしことである。あらゆることを無に して聞き、その言わんとする真理をつかまなけ れば ならない。 3.聞いたことをその論理に従って考えること ・・・頭で 聞いただけでは真理をつかむことは できないので、 聞いたことは、実際の行動に よってつかむことである。 人は人によって磨かれて行くものである。 この点を良く理解して、自分の第一歩を踏み 出すよう心掛けることが必要である。
2011.09.18
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情報化社会に生きている我々は、ややもするとあの情報もこの情報も 欲しいと欲張りの意志が出てきて、情報に踏み倒れそうになるのでは なかろうか。 人間が生きて行く上で本当に知らなければならない情報は、そんなに 多くはないものと考えるのだが、情報化時代という言葉に振り回されて、 絶えず情報を追いかけまわしていないと気がすまないような社会現象も 見られる。 もっと大事なことは、物事を知ることではなく、いかにして幸福に生きるか と言う知恵を身につけることである。物事を知れば知るほど知恵がつき、 幸せになるというものでもないので、必要な情報を生かして行くべきである。
2011.09.17
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この世に存在するすべてのものに、それぞれの 存在価値があると言われている。動物にオス メスが存在しているのも、それぞれに存在価値 があるからである。それを全うすることが、本当の 生き方だと思う。人間にあって、男性も女性も同じ 役割なら、なん意味もないのではなかろうか。 ある有名な文学者による名言がある。それは、 「女性が一人も子を産み育てないで生涯を 終わってしまうのは、天才と言われる人が一つの 作品も世にださずに生涯を終えるのと同じくらい 惜しいことである」とある。 この様な意味できちんと自分の役割を果たして いるひとこそが素晴らしい人であると思う。
2011.09.15
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ビジネスに成功した大先駆者(自動車王ヘンリー・ フォード)の言葉より学ぶことは以下の通りである。 「成功に秘訣と言うものがあるとすれば、それは 他人の立場を良く理解し、自分のおかれている立場と 他人のおかれている立場から物事を見ることの出来 る能力である」とある。このことは何事にも通用する 秘訣ではないだろうか。「あいみがたい」の精神を 磨いていくことによって、世の中で孤立することなく、 人との交流を深めていくヒントにすることができる ものと思う。
2011.09.15
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働くことの本来の目的は、社会に貢献したり、人に奉仕したり することにあると思う。 日常自分がしている仕事を通して、 「どのようにしたら社会の役にたてることができるのか、お客様に 喜んでもらえるのか」と真剣の検討してみることが必要である。 本当にお客様に喜んでもらうためには、常に工夫改善を積み重ね 誰にも負けない努力を継続してことにある。 そうすることによって、 自分の魂の修行はなされていくものと信じる。
2011.09.13
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世のどんなものでもそこに存在しているための理由があるし 何かの役になっているものと思う。 例えは、道端に転がっている石や夜空に輝く星にだって、どんな ものにも存在する理由がある。我々がその存在理由を知らない だけである。 我々がこうして生きているということは、もうそれだけで充分に 有り難いことである。 そのように発想を変えてスタートして見ると 大方のものに感謝出来るものと思う。 そのような感謝の気持ちが自分の心の中にわき起こってくると、 大抵のものが自分に見方してくれるものである。
2011.09.12
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世に賢いリーダーと言われる人は、どのような 場合ににおいても不平をもらすことなく、いかなる 人とも連携して、いかなる問題からも逃げることを しない。全員の利益にために行動を起こし、報酬 のことに拘らず良く奉仕する人である。リーダー として指示する言葉は簡潔に語り、応対する人に 明るい光を注ぎ込み、人との調和を生み出す問題 に積極的に介入していくことを心得ている。 賢いリーダーは、水の性質を良くわきまえており、 水の動きを見つめることによって、自分のとるべき 行動においては、タイミングが重要であることを 良く理解している。 「水のようにあるべき」と言う ことは古くからよく聞くことであるが、その水が 現在の地球のように汚れたり、淀んでしまっては、 元来の水であり続けることはむずかしい。 人の 心も同じことがいえるのではないだろうか。 水はつかめないものである。水はすくうもので ある。 人のこころもつかめないもである。心は汲み とるものである。
2011.09.11
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人の命が最も輝きを見せるときは、やはり自分の好きなことに熱中 しているときだと思う。 逆に、退屈でたまらないときは、一番命の火が 低下している状態であると言えよう。 例を取って見よう。 スポーツでも、庭いじりや盆栽でもいい、ある人に とっては仕事かも知れない。 ともかく好きなことをしていると、生命の 目覚めがおこるのである。 嬉しくてわくわくすると言うことは、生命力が 充実している証拠である。 その様な好きなものの中に生きることが、自分の命を取り戻すことに なるものと思う。 好きなことをしてして行くことの中に自分の命の火を 燃やし続けていけるよう心掛けたい。
2011.09.10
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いつも多忙な毎日をおくっていると疲労が出てきて発想も鈍りがちに なってしまうことがある。それでも、考え方を変えてみた。それは、 一度しかない人生だから楽しく過ごすことである。そのためには、笑い の中で生活することに限ると思う。 一度しかない人生をいかに暮らすかは各自の選択によるだろうが、 私は、その一生をいい絵、いい音楽、それに文学などにつかりきって 笑って過ごそうと思っている。 これとは反対に、何事にも不平不満ばかり言って、暗く考えて 面白くもない一生をおくる人もいることだろう。 同じ一生なら、何事も笑いとばしていくように心掛けて、前向きに 生きて行きたいと思う。 そのためには、何事にもいろいろな見方 があるが、明るい方を見つめて生きることだと考える。
2011.09.09
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自分らしく生きるためには、その人なりの特性を持っていることが 必要である。 自分が一生懸命になって研鑽を積み重ねて行けば、 そこに自ずから道が開かれ、自信と生きがいに満ちた人生をおくれる はずである。 「生活のために仕方がない」とか「給料がいいから」などのように 言って、自分の好みに合わない仕事につくのは褒めたものではない。 どのような道でも、自分の宝物となるまで徹底して磨きをかける には、誰にも負けない努力が必要となってくる。しかし必ずしも 大成するとは限らない。けれども、幸いにして自己の特性を磨く ことが出来たならば、以後は人間関係を良くして行くことに心掛ける ことである。人は誰でも、自分一人ではなにもできない。多くの方々の 助力があってこそ、はじめて名声をあげることが出来るものと考える。
2011.09.08
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人のために尽くすことについては色々な考え方 があるものと思うが、私は善行については、以下の ようにとらえている。 人のために善い行いをして、人からそう思われたり 喜ばれたりするのは、悪いことをする人に比べると それより勝っているように見えるけれども、それは 自分のことを思って尽くしているのだから、本当の 意味での善い事ではない。 相手には気づかれなくても人に対して善い行いを し、ずっと将来までも誰のためということではなく、人の ために善いことをさりげなくすることが本当の善行で あると考える。
2011.09.06
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今までに順調にいっていたことがうまく行かず スランプに陥っていまうことがあると思う。 この様なときには、自分のなしていることを チェックして見ると、基本的操作を忘れてしまって 枝葉末節にこだわっていることが原因のように 思われる。 木のことを例にすると、木に水をやるときには、 根に水を注ぐのが当然なのに、枝に水を注いだ ことで木を駄目にしてしまうことである。 スポーツでも経営でも何でも、スランプに陥った ときは基本に返ることが大切である。その基本を しっかりと押さえることが、重症にならずに スランプから脱出するいい方法であると考える。
2011.09.04
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この世の中においては、自分が正しい、相手が悪いと簡単に割り切れる ほど簡単なものではない。人によったら、自分だけが正しいと思い 上がって、人をゆるせない人間がいるのも事実である。 この世の中の善悪というものは、自分にとって都合がいいか悪いか だけのことである。 立場を変えて見ると、全く反対に変わる場合も ある。 本当に思いやりのある人は、相手の立場に立って考えることの 出来る心豊かな持ち主であると思う。 本当に人を愛したり尊重したり することのできる人だからこそ、人の意見に耳を傾けてくれるのである。 いくら才能があったとしても、そこに愛がこもっていなければ、人との 交流は難しいものと言えよう。
2011.09.03
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我々の居住しているところを見回していると、色々な草木が 生命を維持していることに気づくだろう。 それぞれが春には 芽吹き、夏には花を咲かせ、秋には実を結び、厳しい冬になると 葉が落ちて休息状態なる。そして、春になると生命力が活動を 始めていく。この様な成長過程において、漫然とやり過ごすこと ではなく、例えば花の開花の有りように感動する心を持つこと により、次は何が起こるのだろうかと胸をときめかせて未知の 人生に取り組んでいく感性を高かめて行けるものと思う。 また、ある情報に接したときも同じことである。心の中に真剣に 求める意気込みがあれば、他人には何でもない様な情報でも、 自分にとって素晴らしいヒントを得ることができるのではない だろうか。 感性を磨くことは、創造性を生み出す一つの方法 であると考える。
2011.09.03
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何かを実現していくには、ちゃんとした腕が必要で ある。腕と言うのは、今日、明日やったからと言って 直ぐにできるものではなく、やはり常日頃から継続的に 取り組む意志をもって、きちんとした過程を経て鍛え られ、高められて行くものである。 そう言う技術があってはじめて、客観的なものを つくりだして行けるものと思う。。 どのような目標であろうとも、その実現に向けては、、 基本となる腕を磨くための地道で長い忍耐力が求め られている。忍耐は練達を生み出すことに繋がり、 練達は失望に終わることのない希望をもたらして くれるだろう。
2011.09.01
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