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とのような難局に直面しても、いつもと変わらない対応ができる人、 また実行できる人が人物だと言われている。 そのためには、自分の目指すものをしっかりもって、日々自分を磨き、 それを実践して行く心掛けが必要である。 自分の目標を達成して行く上に同時に心掛けのヒントになるのは 以下のものが考えられる。 1.どのような苦しいことに遭っても、常に心の奥に喜びを持つこと。 2.どのようなことに対しても感謝の気持ちを持つこと。 3.常に人に知られない善行を志して行くこと。 日々素養を積み、人格を極めて行くには相当な努力がいることを 自覚すべきである。
2011.08.31
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世の中の人は誰でも幸せになりたいと望んでいる。 それを手にいれる方法がある。 それは自分自身の気持ちの持ち方を変えることである。 人の幸せは、決して神様や仏様が握っている物ではない。 自分自身の中に、それを左右するカギある。 幸福になりたいと思い、幸福になろうと努力を重ねて行く ことが、幸福への一番の近道であると思う。
2011.08.29
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人生において人との触れ合いをいかにうまくして行くかは、楽しい 生活をおくるためのポイントになるのではないだろうか。 日常生活で良く聞く言葉に「言葉づかい」を良くしなさいとか、 あるいは「近所づき会い」がうまく行っていないとか耳にすることが ある。 けれども、文献には「言葉づかい」という言葉はないよう である。この「言葉づかい」こそが人生において、大切にして行きたい ことであり、そうすることによって人との融和をはかり人生を楽しむ ことができるものと信じている。
2011.08.29
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「不可能」とう言葉は、大抵の場合、軽率に無意味に使われることが 多いようだ。しかし、新しいことを取り入れて発展して行こうとする ときには、この「不可能」の文字を自分の発想の中から取り除く努力が 必要ではないだろうか。 どうしたら良いのかやり方がわからないので、「それは無理だと 片付けてしまっては、軽率であり、専門家が不可能と言っても、 それを信じてはいけない。 この世で最も危険で発展の妨げに なるのは、消極的な発想しか持ち合わせていない専門家である。 人はつい、専門家の言葉を無条件に信じて、自分の掲げた夢を 途中で捨てていまいがちである。 世間の評価に惑わされることなく、自分自身の耳で聞き分けることが 必要と思う。 消極的発想による行為は、進歩や発展を妨げ、創造性を閉じこめ、 前進しようとする歩みを止めてしまう恐れがある。その結果、偉大な 発見が長い間遅れてしまう可能性がある。
2011.08.27
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今日は健康の基準となるものをあげて見た。 世界保健機構が掲げる健康の基準は以下の通りとなっている。 1.何を食べても美味しい。 2.よく眠ることができる。 3.すぐに疲れを覚えない。 4.快い便通がある。 5.風邪気味ではない。 6.体重が変わらない。 7.毎日が楽しい。 以上 参考となる事項である。
2011.08.26
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世の中のどのようなものであってもピークに上りつめれば、そのあとは 下降するものだ。 山があれば谷がある。下がりきれば、あとは昇るしか ない。 苦しみなんて同じことで、長く続くはずがない。いつか終わるものだ。 このような発想をしっかりと心にとめておけば、どんな嵐にも耐えられると 言うものだ。 いつかは、嵐は遠のき、一夜あけると、太陽は顔を出す。明るい世界が 広がってくる。 自分の今日や明日のことをあまりに暗く絶望的に考えること は止めるべきだ。 もう一度考え直すことによって問題がそんなに深刻で ないことを見つけ出すかも知れない。 自分より条件の悪い人でさえ、問題を乗り切っているのだから、自分に 出来ない筈はない。この苦しみに打ち勝つことによって、自分はもっと 賢く、すばらいい人間になれるのだという自信を抱いて前進していくことが 必要である。
2011.08.25
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日常生活の中で何事でも積極的思考ともって取り組んでいくことに ある。その姿勢として、常に工夫改善を積み重ねて誰にも負けない 努力を限りなく継続して行くことである。 ほかの人より、もっとうまく 仕事をするにはどうすれば良いのか。 自己の最高記録をもっと伸ばすにはどうしたらいいのか。新記録を 出す人がいるのなら、自分がそれを達成してみよう。 昨日うまく いったことを、明日はもっとうまくやり遂げよう。今日より明日は、 もっと賢くなろう。 この様に日常生活の様々の事柄に積極的思考を組み込んで 行くことによって人間として成長が得られるものと考える。
2011.08.24
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人にはそれぞれに自分の生き方があるものと思う。 私は未来に目を向けての生き方を次のように考えている。 それは、過ぎ去ったことにくよくよせずに、いつも未来に目を向けて行く ことである。 人生を歩んで行く上で大転換のみが人生ではあるまい。 日に日に、心機を新たにする努力をすることによって、将来に賭け続ける ことである。人の本当の価値は、物事を成就したかどうか以上に、物事に 全身を振り絞って取り組んできたと言う充実感にあるものと思う。
2011.08.22
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人は今までの自分の生き方を正当化する考えとして「私は・・・である」 の言葉を使うことによって、自分を変えようとしないことが多い。 「自分は不器用であるから、人と同じことは出いない」を例に 取ってみよう。 小さいときから覚えた「私は・・・である」をうまく使うことで、運動が うまく行かないことでバカされるのを避けることができる。 もちろん、 うまくできないのは、この「私は・・・である」を信じ続けてきて、運動 そのものを避けてきとこに原因があるのであって、生まれながらに 才能がなかったせいではないのである。 練習をすることにより上達 する信念を持つべきだ。 いかなる環境の下にあろうとも、常に前向きに 夢を抱いて素直なこころで取り組んでいくことにより、物事は進展して行く ものと言えよう。
2011.08.21
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日常の生活の行為の中で好ましくない行為をしたために、いつまでも 自責の念にとらわれ悩むケースがあると思う。 例えば、ゴミを捨てる、タバコを吸う、吸いがらや紙コップを投げ捨てた ことによって、知らない他人ににらみつけられると、そのような下品な 行為をしてしまったとう自責の念に襲われることである。 やってしまったことに自責の念を覚える代わりに、二度とこの様な 反社会的な行為はしてはならないと、簡単に心に決めるようにする ことだ。 自責の念にかられてクヨクヨとして過ごすのは時間のムダである。 長い間そのようにしていると、ジレンマから抜け出すのに余計に 神経がやられていまう恐れがある。きっぱりとクヨクヨすることは 断ち切るべきだ。
2011.08.18
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何かを達成する自分の能力と、自分自身の価値とを同じものと考えない ことである。 失業するかもしれないし、あるいは事業に失敗するかも しれない。 あれこれ自分がした仕事が気に入らないことがあるかも しれない。 しかし、それだからと言って自分に価値がないというわけではない。 自分の業績に関わりなしに、自分には何等かの価値があるという ことを自覚する必要がある。 この自覚がなければ、いつまでも自分自身と自分の表面的な行動を 混同することになるだろう。 この混同をなくしていまえば、どんなこと でもやる気が出てきて、仕事の結果だけを見て自分の人間としての 価値をきめることなどなくなるものと考える。
2011.08.17
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疲れた時に、肩を落とし、大きな筋肉の力を抜いてやると、 「疲れた」という信号が脳の方におくりこまれて、本当に疲れた 気になる。 けれども 姿勢をしゃんとし、気持を奮いたたせて 俺は疲れrていないと思えば、内面的イメージも変わり、疲れの 感じ方にも変化がおきる。 「疲れた 疲れた」と思っていると、 どこまで行っても疲れたままである。 しかし、テキバキトと仕事を 片付ける力が自分にそなわっていると口に出して、意識面でも その通りに調整を行うえば、身体のほうも、そうなっていくそうで ある。 疲れているとき、背筋を伸ばして立ち、胸を張り、腹の底から 深く呼吸し、身体を動かすことによって気分の転換をしよう。
2011.08.16
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先ずは「仕事」と「好きなこと」をうまく合体させることが成功する ポイントと言われている。 やる気のある仕事を見つける努力をして 行くことによって、遊びのように楽しみながら仕事が出来るようになる。 「成功の秘訣は、遊びを仕事に変えてしまうことだ」と言っている人も いるようだ。 仕事中毒(ワーカーホリック)という言葉だあるが、これには仕事に 夢中になりすぎて健康を害している人もいるようだ。この様な人は仕事に 喜びを 感じていないのに、仕事以外には目が向いていない状態に 追い詰められているからだ。 仕事とくるとやる気が起き、生活に張り合いを感じる。 この様な人は 仕事を遊びのようなものと思ってういるので、仕事をしていると安心する と共に、新しいことを学び、新しい分野を開拓していけるものと思う。 ともかく、遊ぶ時と同じような好奇心と馬力を発揮することにより、自分の 世界も仕事の方もより豊かなものに進展していくものと考える。
2011.08.15
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人は怒り、敵意、恥ずかしさやその感情にしがみつきたくなるときがあり、 このときに感情による金縛りになると言われている。 金縛りの程度は人によって異なるものとされているが、例えば、腹がたつ あまりものが言えなくなったり、感じられなくなったり、何も出来なくなったり するときは感情によって金縛りにされている現象である。 恥ずかしくて、 近づきになりたい人に会えないようなことは、やはり金縛りにされている ことになる。 金縛りは、重症、軽症に拘わらず、自分の望む水準で自分が機能していない 状態であると見られている。 もし感情がもとでこの様な状態になるので あれば、その感情を心の中から追い払う必要がある。 金縛りはひどく破壊的な結果を生むものであるから、否定的な感情は 何とかして日常の生活から取り除く努力をする必要がある。
2011.08.14
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日常生活においておこるさまざまな出来事の中で自滅的な行動にでるより 前向きな自己実現につながる行為を選ぶのは自由である。 例えば、外部で食事をする機会があると思うが、その時に、レストランの サービスが悪いような場合にイライラしているのを見かけることが多い。 人や物が自分の望み通りにならないからと言って、どうして腹をたてる ことを選択するのか、他人ために、その上自分の人生にとって全く重要では ない人間のために心が動揺するほど、自分は安価な人間ではないはずで ある。 そうであるならは、策を検討してその状況を変えるとか、店を出て しまうとか、何かの工夫をすればいいではないか。 だだイライラするのみ では、駄目なことだ。 自分のために頭を使用することである。そうすることによって、いつかは 物事がうまくいかないからと言っても立腹などしないという、素晴らしい習慣 が身に付くものと思う。
2011.08.13
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幸せは、生きていることの喜びを味わえるように、健康であること が幸せの第一条件であると思う。 他人から与えられた幸せは長続きするものではないので、幸せは 自分でつくりだしていかなければならないものではないだろうか。 努力してつくりだした幸せは、満足度は高く、継続性があるものと 考える。価値ある人生を目指していくのに健康を維持していくことは 大切なことである。
2011.08.11
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自分の人生をうまくいかせるヒントはにかと考えて見た。 先ずは、うまくいかせたいという願望をもとことである。 そしてこの願望は こころの奥がわき上がってくるものでなければならない。 次にこの願望が必ずうまく行くと信頼することである。 そうすることによって 自分の意識に生き生きとした明確なヒジョンをえがきだすことことがが出来と言う ことだ。 懸念や不信を抱かず、人生の一歩一歩を実現しするように努力する ことにある。
2011.08.10
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最近猛暑の中にあって忙しく走りまわっているので、発汗量も 多く疲労が溜まり過ぎているように感じている、このような状態 なので、思考力も落ちてきているものと思う。 そこで、本日は、とある研修で学んだ話の種として「希望に まつわる」ことを整理してみた。 自分の記憶にのこしている ことの一つである。 希望という言葉ば、英語では「HOPE」と言われている。 その希望を実現するために必要ことが4つの頭文字で整理 することができると言うことだ。記憶しておき、時と場所によって 人との対話に活用出来るものと思う。 「H」 Health 健康 「O」 Opportunity 機会 「P」 Parents 両親 「E」 Equality 平等
2011.08.09
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何をするにもいろいろな型があるように、人生においても型がある そうた。 先ずは長距離型であり、これは人生を長い目で見て じっくりと走るタイプである。 次に中距離型があり、これは ここぞ というチャンスをみつけてスパートをかけるタイプであす。 更には 短距離型があり、これは スタートにダッシュをかけて決めてしまう タイプである。 どのタイプが良いのか一概には言えないが、私の場合は、人生は マラソンのようなものと考えて、マラソンを楽しみながら健康管理に 努めていることから、長距離型に徹していくことにしている。 マラソントレーニングが生活習慣として定着しているところである。
2011.08.08
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見たり、聞いたり、触れたり、味わったり、嗅いだりすることは 味の五感と言われている。 ヒジネスの世界においても通用する と言われている。現代の社会においては、理屈をこね回すよりも、 このような五感に磨きを掛けている方が重宝がられているようだ。 人には負けないぐらいに飛び回って五感を身のつけた方が、 ビジネスマンとして伸びる可能性があると言う経営者もいるようだ。 あまり極端に走りすぎることは、よくないが、五感を磨くことは 重要なことである。
2011.08.07
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世の中の出来事には、自分の意思で自由に対応出来ることと、自分の 意思では自由にならないこととに分けられるものと思う。 自分の意思で自由になることと言えば、たとえば「今日は早朝にマラソン のトレーニングをしよう」と決めるようなことである。 このことで、 思うようにいかなかったら、反省して自由に決めなおしたら いいことである。 ところが、世の中には自分で本当にどうにもならないことが 多く存在 している。 たとえば、人からの評判や評価は自分の自由にならないもの である。基本的には相手の勝手である、だから、ある程度以上気にしても はじまらないことである。 自分に対する他人の評価が全く気にならないと言うのは、通常の 人には考えられないけれども、結局はそれは自分の自由にならない ものであるとの悟りを持つことが必要ではないだろうか。 他人の評価は究極的には自分では左右出来ないものである。 自分の意思 で左右出来るのは、他人の評価に対する自分の取り組む態度であると自覚 したとに、真の自分の生活がはじまるものと考える。、
2011.08.07
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清濁併せて理解し実行出来ない人は、広いい世間を狭く生き、 調和のある人生を、知らない間に不調和の世界へとしむけて 行くような人である。
2011.08.04
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情熱はエネルギーと見られている。 情熱を自分自身に充分に 注入して自分の気持ちを高揚させることが必要である。 情熱は平凡な人を非凡な人に変え、老人に若さをよみがえらせる 不思議な力がある。 一方、情熱のない若者はすぐに年老いてしまう。 エネルギーがこんこんと湧き出る秘密の泉、それが情熱である。 情熱は、我々を平凡から卓越した方向へと導き出し、精気のない 顔を生き生きと輝かせ、たすけを惜しまない友を磁石のように ひきつける。情熱に満ちあふれることによって、そのしあわせに あやかりたい人が自然とまりいに集まってくるのだ。 「自分にはできる! 可能だ! やるんだ!」 と言う厚い情熱が 原動力となる。
2011.08.03
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世の中で最も堕落するのは、いつも最上級に属する富者と、 最下層の貧者であると言われており、世の中に退廃が進むのは この二つのタイプによるものと考えられ、それから順次、一般に 移り広がっていく傾向にある。 偉大な先達の提言として深くかみしめたいものだ。 、
2011.08.02
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諺でヨーロッパでは人生における幸せの音というものがあるそうだ。 人生にとって幸福な音が三つあるそうである。 知識を深めるため以下にアップして見た。 1.夫が家にいて、静かに本を読んでページをめくる音 2.その傍らで妻がいて、何かを付くっている音 3.その夫婦の側で、子供が元気に戯れている音
2011.08.01
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