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人生を歩む上で物事は考え方によっていろいろと変動して来る。 どのような苦境にあったとしても、それにどう対処するかによって 人生の風向きは変わってくる。運というものは、天が定めるもの ではなく、自分自身の心の中にあるものと思う。 不足していることを嘆き、もっともっと欲望ばかりをふくらませて 行くような人生は慎むべきではないだろうか。 欲望と言うものは、自動車の機能の一つであるアクセルのような もので、アクセルを踏めば前進して行く。けれども、アクセルを踏み 過ぎて行くだけでは車は暴走してしまう。欲望の暴走が続くと社会を 混乱させ、崩壊へと誘導していまうだろう。 欲望のアクセルは心の 中で節度をもって操作していくことが重要であると考える。
2011.12.29
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一日の終わりを大切にしないと、 よい朝は来ないと言われている。 良く終わることは、良く始まることに通じる。泣いたり怒っていては、 一日が良く終わるわけがない。泣き疲れてそのまま眠ってしまうとき 、気持ちの上では一日は終わってはいない。生涯の中で一度しか ない今日この日のため、心の中できちんと意識して終わりにしたい ものである。ちゃんと区切をつけないと、一日もおわることなく疲れも 取れないことになる。一日の終わりを笑っておえれば、疲れも残らない。
2011.12.25
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人生における楽しさというものは、日々おこることに対して感動を 抱くことの中にあるものと思う。ところで、昨今の子供達の生活の 様子を見ると、精神的にも物質的にも、すべての面で豊かになって いる反面、感動することが少なくなって来ているのではないだろうか。 今はなんでもそろっているので、欲しいものがあれば買ってもらえる 状態である。はじめて買って貰ったときはとても嬉しいものであるが、 これに慣れてしまうと贅沢が当たり前のようになってしまう。 このようなことでは、子供達にとってかわいそうなことである。更には、 向上しようとする意欲も薄れていくのではないだろうか。胸をときまかせ る感動を味わせて未知の人生に挑戦して行くように仕向けることが、親 や大人の務めであるものと考える。
2011.12.24
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ビジネスの世界では、自分一人では判断して処理することの 出来ない場合が多いと思う。この様な場合には、その問題の内容 や緊急性に応じて、まわりの人に相談を掛けることになる。 企業の場合を例にとると、より適切な助言と承認を得られると 思われる上司に相談するのが当然のやり方である。 しかし世の中には、「相談しやすい人」と、「相談しにくい人」 とがいるものである。相談しにくい人とは、とても視野が狭くて、 相談しないうちから、いかに判断をくだすのかを大体判断できる。 また、こちらから相談をもちかけても、忙しいからと言うような理由 から、「あとに相談してくれ」と平気で言える人である。そのような タイプの人は、暇になったからといっても、相談をフォローしてくれる ようなことはない。つまり、タイミングよく相談に乗ってくれないので、 相談の効果は無いようなものになりがちである。 これに対して、「相談しやすい人」の心遣いは、前向きであり、相談 の効果が得られる。 いつ相談をかけても、快く対応してくれる。 たまに緊急の用件で取り込んでいるときには、「あとにしてくれ」と言った としても、その緊急用件が終わるとすぐに相談に応じてくれるからありが たい。相談に乗るときの姿勢としては、相談の内容に良く耳を傾けて、 一切の先入観をなくして聞いた上で、自分の意見を言ったり判断を示して くれる。ともかく、タイミングを失うことなく、人の考え方を広く聞いて、広い 視野から間違いのない判断を下そうとする心遣いは、とても歓迎すべきこと であると思う。
2011.12.23
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人間は、それぞれが船頭のようのなものと 思えばよい。 自分の確固たる信念をもって、 自分の選択した人生の川を渡って行く。 舵を取ることも、大海の荒波を乗り越えて行く のも自分の力によるものである。自分をたより にして前進して行こう。
2011.12.17
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最近業務の繁忙期にあたるため、睡眠不足の状態が続いており、 心身共に疲労気味である。そこで一息いれることにして、英文の 諺をアップしてみた。 “The longest day has an end” どんな長い日も、必ず暮れる(苦あれば楽あり) どんなに長い退屈な一日も、やがては暮れて夜になるように、 どんなに苦しいことやつらいことも、いずれは終わるものである。 気分転換をはかり、勇気をもって前進して行くことにしよう。
2011.12.16
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道端に転がっている小石や夜空にきらめく星に だって、あらゆるものにも存在理由があるものと 思う。ただ我々が気づかないだけである。それ だからといって疎かにしていいわけはない。 自分自身がこの様にして生きていられるという ことは、それだけでも十分ありがたいことである。 そのように思うことがらはじめると、大抵のものに 感謝できるものと思う。 自分の心の中にそのような感謝の念が沸き 起こってくると、大方のものが自分に味方して くれるよう見えて来るものである。
2011.12.14
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学校を卒業して新しく社会人になった人とか、他の会社で勤務していた経験かある中途採用の人とか、新しく入社して来た人は誰でも、最初は緊張しているものである。初対面の挨拶をして回りながら、自分の名前を名乗って、「どうぞよろしくお願い致します」と言うのが精一杯のところである。 それに対して、同様にこちらから名前を言って「よろしく」と言っただけでは、相手の緊張は解けない。こちらから「相手に情報を与える」ことによって、こちらがコミュニケーションを取ろうとしている姿勢を示すことが重要なことである。こちらから積極的に話しかけようとすることは、人なつっこさの表明となる。そのような人間的な関係に接することによって、相手の張りつめた気持は和んでいくものと考える。
2011.12.13
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親しい仲間が集まって話しをするときには、 お互いに交流を重ねてきた経緯があることから、 それぞれの長所や短所も心得ている上で、笑い の種になったとしても、話しのサカナにされた 人は、平然と笑い飛ばすことが出来るものである。 しかし、新しく知らない人が入ってくると、集まりの 雰囲気が内輪的なものから一般公開のようなもの に変わってしまう。それまでの筋書きを知らない人は 「笑いの話」の演出」を見て、その主人公を判断して しまう感性性が強い。 はじめて会合に参加した時の印象が皆の「笑い の種」となったのでは、人格を傷つけられた気持ち にもなっていまうだろう。内輪の場なら、笑いものに なる役割を引き受けていたが、一般公開であるの ならば、嫌だという心理が働くのは当然である。 仲間の話しのサカナとなるのは良いが、知らない 人のサカナになりたくないと言うことを理解して おかなければならない。 ともかく、これまでサカナにされた本人自身が 笑いで流してきたことでも、その集まりの環境や 背景が異なってきた場面においては、新たに 本人の了解を得ることが肝心なことである。
2011.12.12
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「あなたの夢や生き甲斐を聞かせてくたさい」と問われると、老若男女を 問わず簡単に答えられない人が多いのではないだろうか。大抵の人は 自分の本当の夢が何であるのか考えもしないで、なにとはなしに日々の 目先の事象に追われて、生きてきているのが現状ではないかと思う。 しかし、自分自身の夢や生きがいに明確に答えられない人生であると とするならば、それは実に寂しい人生ではないだろうか。夢に向かって 走り続けることこそが、人生そのものと言えるからである。 物がない不自由な時代には、「あれが欲しい、この様にしたい」という ことがはっきりと見えていた。けれどもこれと言って欲しい物もなく、その 気になれば何でも手に出来る豊かな時代になって、多くの人々が、明確に 自分の夢や生きがい見つけ出すことに躊躇しているように思われる。 夢や生きがいは、外から与えられるものではなく、自分で見つけ出し 育てていくものである。勇気と希望をもって、生きがいのある人生を 目指して研鑽に努めて行くことにしている。
2011.12.11
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京セラ会長の稲森和夫様の講演で教訓を受けたことの一つに リーダーとしての役割に触れられたものがありましたので、感銘を 受けアップして見ました。 「リーダーの役割は部下を動機付けることにある。また、誰よりも 先頭に立って旗を振ることが出来なかったら務まらない。そして、 部下がリーダーの言葉に鼓舞されるためには、何よりもリーダーが 自分を慎み、自分の能力や権限を私物化しないことが大切である。 そのような人に率いられている組織は伸びて行く。」 少しでも人のことを先に考えて行動できるようになるためには、人 と対面するとき、相手が自分のためにどのようにして役立つのかを 考えないで、自分がどんなふうに相手に奉仕出来るのかを考えて 行くようにしたいものである。
2011.12.10
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我々の心の中には、知恵と感情とが存在していると言われている。 知恵が光であるとするならば、感情は雲に例えられる。どれだけ立派 な知恵が備わっていても、感情と言う雲が出てきたら物事がうまく行か なくなる。ときおり、見かける「まさか、あの人が・・・」と思われる事件 が起きるのも、感情の雲が出てきて、知恵の光を曇らせているから である。 もともと感情の世界とは、自我への執着から始まっているから、 執着からはなれることによって、感情の拘束からも逃れることが 出来る。 我々凡人にとっては、難しいことは出来ないけれども、何事にも 「せめてこれくらいはやらせていただきます」という精神で助け合って、 感情の雲をはらってあげる努力をして行きたいものである。
2011.12.09
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この頃の電車の中で見かける光景は、携帯電話 の普及に伴って、殆どの乗客が乗車席に座って 携帯操作に夢中になっている様子が眼につくこと ことである。中には、お年寄りや体の不自由な人 が乗車してきても、一向に席を譲ろうとする 気配もなく携帯とにらめっこして自分の世界 に入りこんでいることである。この様な現象は 現代の世相を反映しているものと言える。 確かに世の中は豊かになったと言えるだろう が、自分のことしか考えない人が増えて、自分 より弱い者に支援の手を差し出す優しさがなく なっているのではないだろうか。物質的な豊かさ の中で、重要なことは心の豊かさを失わずに 弱きものへの支援の精神を持ち続けて行く ことである。
2011.12.08
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日常生活のなかでは人からものをもらったり、人にものをあげたりする ことは結構多いものと思う。この様なとには相手に対する感謝の念を忘れては なるまい。 例えば、家庭の中に使うものをもらったときなどはどうだろうか。このような 場合には、その相手がこちらに訪問して来る機会があるときは、必ず その贈られたものを使って見せるようにすることである。そうすることによって、 話題が広がり、会話も盛り上がってくることになる。例えその品物が多くの 人達に買ってきた土産品のひとつであったとしても、買ってきた人は懸命に なって考えて選んで持ち帰っている。それだけにの「思いやり」があるので、 それに対する感謝の心遣いは必要である。ものをもらったら、うまく相手に 喜んで見せるのも、人との友好を保って行くための重要なマナーであると 考える。
2011.12.07
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向こう見ずな行動をすることは本当の勇気では ないと思う。 自分の信念に従って、人が動くときでも 動かない、人が動かないときでも必要があれば 進んで動く、例え勝ったとしても深追いを避ける。 形成が不利と見れば逃げる、引き返すときには 決断をもって引き返す、このような行動を取れる 人こそが、本当の勇気を持った人と言えるのでは ないだろうか。 それでは、「勝つべき勝負に勝つ」ためには どのような対応をしたら良いのだろうか。 その一つとして考えられることは、例え自分が 苦難の中におかれていても、自分の可能性を 信じて精進することである。つぎには、依存する 心や自己欲を捨てることが必要である。現在 自分の持っている地位や名誉、財貨等にこだわり 過ぎないようにして、きっぱりとした決断のもとに 実行に移すべきである。
2011.12.06
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ストレスのもとになることが起きた時には、そのことにいて、つまでもこだわっていると、そのイメージ通りにエネルギーが誘い込まれてしまう。これは危険なことである。考えれば考えるほどえエネルギーは高まって、ついには、トラウマになってしまう。そうならないようにするためには、そのことに「こだわる」のをやめるしかない。 何かにこだわってしまうのをやめるには、他のことに考えを集中してしまうことが一番である。
2011.12.05
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日常生活の中で良く見かけるのは、何かを行おうとするとき、自分では 何もせず、実行する人のことを傍観しては、そのやり方をとやかくけなす 人間のいることである。いわゆる批評家である。 批評家になることは簡単であるけれども、実行者になるには、危険を 冒す覚悟や勇気がなくてはならない。現代の世の中には、あらゆる感じ の批評家が満ちあふれている。また、金をはらってまでも批評家たちの コメントに耳を傾けようとする傾向にある。 自分の周囲の人をふり返ってみれば、人が集まるところには何かに ついての批評が始まることがわかる。なぜだろうかか。それは、自分自身 が行為者になるよりは、他人の行為を批評する方がずっと楽だからである。 建設的な批評は役に立つと思うが、もしもある人が、何事でも実行するより 傍観者となる方を選ぶとするなら、その人の成長は止まることになるだろう。 それから、自分の能力の無さから来る責任を真剣に努力している人に 押しつけ、自分は責任逃れをするために批評を利用することがある。 自分が微力ではあるが、人のため世のためになろうとするならば、先ずは 批評家となるような傾向は完全になくそうと決心することによって、やるべき ことを先延ばしして他人の批評ばかりするような人間ではなく、しっかりと 実行に移せる人間になることが重要であると考える。
2011.12.04
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充実した人生をおくるには先ず健康が第一である。健康な生活を 目指している人の特徴は以下のような面に現れている。 病気とは縁遠い人間と信じている。例え自分が風邪や頭痛で何も 出来なくなるとは思い込まないようにしている。そのような病気は 自分で直せると信じている。自分がいかに気分がすぐれないときが あっても、またいかに疲れていても、そのようなことを触れ回って 歩かないようにしている。 よりよい健康管理を常に心掛けていると共に、体に優しい食べ物に 気を配り、よく食べ、規則正しく運動を行い、病気にならないよう工夫を 続けていいる。 人生のあらゆる面において自分のエネルギーをいかに注ぎ込むかを 良くわきまえている。 創造的な思考により、ものごtに対する感動を 持つように工夫している。 他人と同じようなエネルギーを持っていても、 それを自分のために創造的に活用しているから、生活には退屈感は 存在しないことになる。
2011.12.03
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日常生活の中で人に振り回されない芯の強さをもって対応して行くことも 必要なことではないだろうか。 それには、人にどのようなことを言われたも、気にかけないようにする ことである。人から何かを言われたら、それを自分の価値観に照らし 合わし、自分の成長のために生かそうと努力することである。 すべての人間に好かれようとは考えていなし、自分の行為をすべての 他人に認めてもらいたいと言う熱望も持っていない。自分がいつもある 一部の人間から不信を持たれるであろうということも承知している。 他人ではなく、自分自身の心に描いたままに行動できる人間になる ことも大切なことであると思う。
2011.12.02
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日常生活の中で起こる腹立ちには、いろいろな形のものがあると 思うが、「その中で場違いな物事や人間に対する怒り」について考えて みた。 その場にいるべきではないと思っていた人がいたり、起こるべきでない と思っていたことが起こったりすると、激しく腹を立てる人がいるものだ。 身近な例で見ると、自動車を運転している人は、車道に自転車に乗った 人や歩行者を見かけると、そこから追い出そうとする。この様な時の 怒りと言うのは、とても危険である。多くの交通事故と言うものは、この様に コントロールの利かなくなった怒りが原因で起こったものである。お互い 交通のマナーを自覚して安全性を維持して行くべきである。
2011.12.01
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